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このプロム・ドレスでは、本当に大変な思いをした。というのも、ドレス自体よりもお直しの方が高く付いちゃったからだ。ドレスの事なんて何も知らない旦那の耳に入ったとしたら、お直し代の値段を聞いた途端にひっくり返るだろう。ドレスを買う時も値段の事で一苦労だったのに、お直しがドレス以上に掛かるだなんて、とてもとても。このドレスのお直しは、私がネットで見付けたウェディング・ドレス専門のブティックで、レビューを見て評判が良かったお店。早速電話をすると、感じの良い女性が対応してくれて、プロムドレスのお直しも受け付けていると言うので、直ぐに予約を入れた。当日Jenと一緒に、NicoleとTiffanyも連れて行ったんだけど、待合室に通されると、お店の外見とはガラッと違って、中はエリザベス宮殿みたいな重厚な雰囲気で、待合室では、部屋の大きさには不釣合いに大きい、豪華なシャンデリアが、キラキラと光り輝いていた。待合室ではオペラの曲が静かに流れていて、妙に緊張感が漂う。直ぐに助手の女性が笑顔でやって来て、「何かお飲み物でも召し上がりますか?冷たくて美味しいアイス・ティーなどは如何ですか?今入れたばかりなんですよ。」と、ロシア語訛りの英語で話し始めた。因みに最近この辺りは、インドと共にロシアからの移民も多い。JenとNicoleは、中の雰囲気に圧倒されたのか、飲み物にもお金が掛かると思ったのかは分からないが、遠慮をして、「いいえ、結構です。。」などと言っているが、私は雰囲気で、かなりの高額を請求されると悟ったから、どうせ高い金を払わせられるんだから、飲まなきゃ損!見たいな気持ちになってて、「それじゃ、頂きます。砂糖はもう入ってますか?出来れば入っていない方が良いんだけど。。。」というと、「大丈夫、入っていないですよ。」と言って、異常に細くて背の高い、素敵なデザインのグラスに入ったアイス・ティーを持って来た。 するとTiffanyが、「私はアイス・ティーは好きじゃないから、アップル・ジュースが良いな。」「OK!今すぐ持って来るわね!」唖然とする私とJenとNicole....出されたアップル・ジュースを頬張りながら、今度は部屋の隅のテーブルの上の、3つのお皿に盛られたお菓子を指差して、「あのお菓子は、一人何個ずつまでなら食べてもOKなの?」おいおいTiffany・・・勘弁してよ、もう~~~~。|_-。) 助手の女性は笑いながら、「幾らでも、食べたいだけどうぞ! フフフ!」そう言って、脇で赤面している私に向かってウィンクした。JenとNicoleにも、「テーブルの上にあるお菓子は、好きなだけどうぞ。」と言って、助手の女性は、Tiffanyの頭を軽く撫でてから奥へ入って行った。彼女が部屋から出るなり、JenはTiffanyに向かって、「もう! 何なの一体! 恥ずかしいわ!」Nicoleも脇で、同感と言う風にして呆れ顔で居た。「それにしてもマミー、ここ結構高いんじゃないの? 大丈夫?」2人共心配そうにして、私の顔を覗き込む。「大丈夫よ。。。」私は精一杯余裕の表情を見せながら、アイス・ティーを飲み干した。そんな私達の不安をよそに、一人お菓子の品定めに忙しいTiffany。(ノ_-;)そうこうする内にデザイナーのデボラが、私の前のクライアントだった、年配でとっても品の良さそうな女性を笑顔で送り出してから、ニコニコしながら寄って来た。「ごめんなさいね、お待たせしちゃって!この時期は物凄く忙しいんですよ。」彼女も年配だが、とてもプロフェッショナルな印象を与える女性だった。「それでは、別の部屋に移動しましょう。」そう言われて通されたのは、待合室のよりも、更に大きいシャンデリアが垂れ下がり、部屋の真ん中に、人一人分が立てる位の、小さい円形のお立ち台がある、360度鏡張りの、目も眩む様な部屋だった。シャンデリアの放つ光が鏡に反射して子供達がちょっと興奮気味に 「ワーォ!綺麗~~~!」私も思わず、「おおおぉぉぉーーー! スッゲェ~!」しかし私の場合は、感動の意味合いが違う。部屋に入った途端、私の大好きなブルース・リーの映画、“燃えよドラゴン”の、大ボス、ハンとの最後の戦いのシーンに出て来る、あの有名な“鏡張りの部屋”に入ったような気分になってしまったからだ。 ブルース・リーが、血のにじむ胸を曝け出して、じりじりとハンを追い詰める、手に汗握るあの場面! まさか、、、ブルース・リーが、この部屋の鏡の間から出て来ちゃったりしてーーーっ!ヾ( 〃∇〃)ツ キャーーーッ♪とまぁ、大いに胸が躍っちゃった私。しかしさぁ、、、エレガントなウェディング・ドレスの試着室で、こんなクダラナイ事を想像しているのって、多分私だけなんだろうなぁ。。。(-。-)y-~~~~.。o○お暇な方は動画でどうぞ。。。(例のシーンは、2分46秒辺りからどす。)Jenがドレスに着替えて、お立ち台の上に上がると、一同ため息。。。Jenの顔とドレスのスパンコールが鏡と反射して、もう目の前がだらけ。「何て素敵なの! この姿をお父さんが見たら、さぞかし感激するでしょうね! 私はこの道30年以上やっているけど、こんなに素敵なドレスは珍しいわ。」どうやらデボラは、お口の方もプロフェッショナルなようだ。彼女は私達と話をしながら、助手の女性とテキパキとこなして行く。流石プロだなぁ。。。今までのお直しの人とは全然違うわ。。。それでは見積もりの計算をするので、ちょっとお待ち下さい。そう言って助手の女性と部屋から出て行った。3分程で、1枚の紙を持ってニコニコしながら戻って来た。「それでは、裾上げと胸の部分の詰めは、スパンコールの模様が入っているので、普通よりお高めです。それで、この位掛かります。」「うっ!」「それから、背中の部分のお直しですが、デザインをし直しますので、この位掛かります。」「ゥ、、ウガッ!」「と言うことで、トータルでこの位になります。前金は$250で、残りはドレスが完成してからという事で、如何でしょうか?」デボラがペンで指している金額を見て、(_△_;ガァーーーン!!私の顔色を見て、Jenが心配そうに私を見つめ、デボラに気が付かれない様に、首を横に振りながら「No!No!」と言うサインを送っている。ここでちょっと話が外れるんだけど、Jenは高校生活の4年間、フレッシュマンから4年連続でプロムに出る事になる。過去の3年間は、近所の裁縫が得意な年配の女性にお直しをして貰っていた。確かに物凄いリーズナブルなお値段だったんだけど、やっぱり素人仕事で、“安かろう、悪かろう”だった。雑な仕事をされて、折角のドレスが台無しになった事がある。特に去年のドレスは、ちゃんとヒールを履いて試着をして寸法を図ったにも拘らず、ドレスの裾を物凄く短くカットされちゃって、仕方なく平べったいサンダルを履く羽目になってしまった。背中がぐっと開いた素敵なデザインのドレスも、お直し後にデザインが変わってしまったとか。。。。とにかく例を挙げたら限が無い。特に今回のドレスは、スパンコールが散りばめてるので、お直しは難しいと予想していた。だからこそ、ちゃんとしたプロの方にお願いしようと思った。それにこのドレスは、Jenが一目惚れしたドレスだし、彼女にとって、一生に一度の思い出に残るプロム。。。この特別なドレスのお直しを、下手な所にお願いして台無しにしたくなかった。ε= (´∞` ) ハァーここは私が、清水の舞台から飛び降りるつもりで一肌脱ぐしかない!と、腹を括った。旦那には、お直しに掛かる全額の値段は内緒にして、前金分$250を“お直し代”として払って貰い、残金は、私が以前から非常時用の為にと、少しづつ貯めていた自分のへそくりから補充する事に。。。「デボラ、それじゃ貴方にお願いするわ。」「ファンタスティック! それでは前金は今ここで、後はドレスが完成してからと言う事で。。。こんなに素敵なドレスのお直しをするのは光栄だわ!」とことんまで、プロフェッショナルである。。。。( -.-) =зデボラはJenに、向かって、「それでは、もっと正確な寸法を測りたいので、もうちょっと時間が掛かるけど、我慢してね。」再び助手の女性と作業に掛かりながら、つまらなそうにしているTiffanyに、「もうお菓子は要らないの? マミーが良いというのなら、もっと食べていいのよ。何か飲みたい?」するとTiffany,「私本当は、お店の入り口の所にあった、ガラスの器に入った、宝石みたいな飴が気になってるの。」デボラは作業をする手をちょっと止めてから、「ああ、あれの事ね! 流石お目が高いわね~! ちょっと待ってて。」と言って部屋から出て行き、砂糖でコーティングされた、カラフルな飴の入ったガラスの器を持って来た。大きな銀のスプーンで丁寧に飴を一つずつお皿に移し、Tiffanyに手渡しながら、デボラ:「これは私の大好物なお菓子なのよ。 あんな目立たない所にあったのに、よく気が付いたわね!ヾ(  ̄▽)ゞオホホホホホー」Tiff:「Thank you~。私お店に入った瞬間、直ぐに目を付けたのよ。何だろうこれ?ってね。」飴を5つもお皿に盛ってもらって、満点の笑み。Tiff:「ついでになんだけど、お兄ちゃん(Michael)にも貰って行って良い?」(_□_;)!! ⌒o(-_- )ヤレヤレ( -_-)o( ̄口 ̄;)!!ガーンドッコイショデボラ:「あらっ! うふふふ。。。お兄さん想いなのね。ちょっと待ってて、今お菓子を入れる袋を用意するわ。」全てが終わってブティックを出る頃には、両手に抱え切れない位のお菓子を貰って大満足気なTiffany.「マミー、デボラは良い人だね。又来ようね!」“おいっ!ここは最初で最後なの!”その後3回程デボラのブティックへ出向いて、細かい修正をして無事終了となったのでした。案の定その夜旦那に、お直しに$250掛かったと説明すると、Two Hundred Fifty Dollars!?と、狼もまっ青な位の雄叫びを上げていた。(^▽^;)本当の金額を知ったら、多分気絶だな。(* ̄m ̄)ドレスの写真は、楽天へのアルバムへアップするのが面倒なので、既にアップしてあるこのリンクからどうぞ。そうそう、NicoleのSpring Danceの写真も良かったらどうぞ。
2010/06/22
新年早々、テレビを観て泣きに泣いてしまった。というのも、元旦にカウチの上でウトウトしながら音量を極小にしたまま、ランダムにチャンネル変えていた時に、ふと目に留まったのが、テレビJapanでやっていた、のど自慢らしき画面。画面の中で汗をかきながら熱唱しているのは、どう観てもラテン風の男性。すぐさま音量を上げて見ると、日本の演歌を熱唱していた。彼の奥さんらしきラティーナが、ステージの袖で涙を溜めてその様子を見守っている。直ぐに彼の魂の歌声に引き込まれて、涙がドーッっと流れ出て来た。唄い終わったその男性に奥さんが寄って行って、Hug & Kiss会場は拍手喝采。カウチに寝そべってダラダラしていたけど、起き上がって画面に釘付けになってしまった。司会はNHKの男性のアナウンサーと、日系ブラジル人のマルシア。出場者も殆どが日系ブラジル人。何となく様子が飲み込めて来て、番組のタイトルを見てみると、NHKラティーノのど自慢とあった。 あらまぁ。。w(( ̄ ̄0 ̄ ̄))wワオッ!! 何て魅力的な番組名なんでしょ。前々から知っていたら、最初からちゃんと観ていたのに。。。歌う前にその出場者の事を、ビデオを使って紹介してから唄うんだけど、どれも皆ブラジルと日本という、掛け離れた状況に置かれた中で、遠い家族に想いを寄せながら、一生懸命に働いて生きている内容で、私達日本人が忘れていた家族愛を、思い起こさせてくれるものばかりだった。出演者もマルシアも、何度も涙で言葉にならない場面があった。マルシアも似たような環境に居るから、歌う前なのに、涙を拭っている出場者の背中を擦って、自分も涙ぐみながら、「大丈夫?唄える?」と、励ましたりしていた。番組の前半終了後に審査員の平尾昌晃が、「どれも甲乙付け難くて、皆さん歌がお上手なのは当然なんですが、心で唄っているから、すっと聞き手の耳に入って来て心を揺さぶられる。皆さんの歌をもう一回聞いてみたい。後半も楽しみです。」というような事を言っていたけど、正にその通りだった。本当に、全員素晴らしかった。お蔭様で、番組が終わるまで泣き通しでした。q(T▽Tq)(pT▽T)p優勝したのは、やはり私が一番泣かされた男性だった。ブラジルに居る老いた両親に向けて、“ありがとう”という歌を熱唱。こんなに歌で泣かされたのは、マーク・アンソニー以来。心の篭った唄って、本当に熱い感動を与えてくれる。表面ばかり幾ら上手に歌っても、心に響いて来ないから直ぐにバレちゃうんだよね。プロ、アマ、一切関係ないんだなって、改めて思い知らされました。それから歌とは関係無いんだけど、最後に最年長の日系人が出た時に、「働き者で、素晴らしい妻のお陰でここまで来れました。妻は私の宝です。」と、声高らかに言い切ったのも、顔は日本人でも、やっぱり中身はラティーノなのね。と感心していたら、それを聞いたマルシアが、「これがブラジルのお父さんですよ~。」そして脇に居た、NHKの男性アナウンサーに向かって、「貴方は、自分の奥さんの事をこういう風に言えますか?」と質問。「あ、、思ってはいるけど、口に出してはちょっと。。(; ̄ー ̄A アセアセ・・・」「ダメですよ、ちゃんと口に出して言わないと!」とピシャリ。(笑) あああ、、、、再放送があったらもう一度観たい。何だか今年も、感動で実りのある年になりそうな予感がするなぁ。。*後で調べてて分かったんだけど、こののど自慢、2008年もやったんですね!知らなかった! なんでも審査員だった五木ひろしも泣いたとか。
2010/01/04
昨夜子供達と、こんなん作ってみましたぁ ↓ ↓ ↓ My Cute Elves家族や友達の写真を入れて作ってみると楽しいよ~。
2009/12/03
11月6,7,8の3日間、早朝から夕方6時まで、日本から空手の先生を招待してニュージャージー州で行われた、空手のセミナー(金、日曜日)&トーナメント(土曜日)に出ました。老体に鞭打って参加したもんだから、その見返りが又凄くてさぁ。。。(;´д`)おまけにヘルニアで腰から右太ももの裏に痛みがあるんだけど、有名な日本人の先生の稽古が受けられる、滅多に無いチャンスなので、鎮痛剤を飲みながら参加しました。今は全身筋肉痛に加えて完全燃焼。(炎_炎) ボーーーーー 家事をする余力も何もあったもんじゃないわぁ。でも自分の勝手でやっている事だから、家族に迷惑は掛けられないのが辛い所。(;´д`)トホホー!ヨーロッパからも参加者があって、活気がありました。土曜日はトーナメント。前日のセミナーで、既に身体中筋肉痛でガタガタしてたけど、先生の顔を見たら、気持ちがキュッと引き締まった感じ。そしてそして、、、、念願の1位を取ったどー!(*^-゜)vィェィ♪ 対戦相手の中には、セミナーをオーガナイズしたニュージャージーに道場を構える師範の、すっげぇービッ○で有名な奥方が居た。私もうっすらとは化粧をしているけど、幾らなんでも指輪は当然、ピアスやネックレス等のアクセサリーは必ず外します。なのにこのビッ○の場合、「お前は、クリスマスツリーかっ!」って突っ込みを入れたくなるほど、ギンギラギンにアクセサリーを付け捲くり、これから稽古、トーナメントをするって言うのに、超濃厚なヌリカベ・メイク。更に、顔の半分はあるかのような口に、べったりと塗られた真っ赤な口紅。まるで゛人を喰った鬼”に見える。彼女の異様な妖怪オーラが、トーナメント会場に充満している。知らないのは本人のみ。このセミナー&トーナメントは毎年開かれているんだけど、私は初参加なので、妖怪ヌリカベとは初対面。対戦相手の中に私を見つけて、アジア人だからなのか、妙に敵意をむき出しにして、ジロジロと私の頭の上からつま先までチェックを入れまくり。道場別に出場者が並んで座っている時も、後方から妖怪の視線のビームで背中に穴が開くかと思うくらい。私が振り返ると、既にこっちを見ているので必ず目が合う。なのに、ツーンと直ぐにそっぽを向く。かわいくねぇ~~!ヌリカベは開催者の妻なので、皆に指示を出したりして忙しく動き回りながらも、横目でキッ! w(゜ー゜;)wモップでホコリをどけながらも、横目でキッ! w( ̄△ ̄;)w自分の道場の生徒に話をしながらも、横目でキッ! щ(´□`)щ オーマイガーッ!!それには皆気が付いて、私の道場の仲間達が、 「ねぇねぇ、さっきから凄い睨みを利かせてるよね~~。 いやぁ、こわぁ~~~い♪」と言いながらも、半分楽しんでいる様子。おいおい。。。しかしガッツリと見てくれるよなぁ。何もそこまで露骨に敵意むき出しにしなくても。。。と思ったものの、真っ赤な唇と金のアクセサリーばかりが目立つヌリカベが、新種の愛らしい生き物に見えて来て、゛後で調べて、妖怪図鑑にでも載ってたらどうしよう。。。( ̄w ̄)プッ”などと想像して一人で含み笑い。取りあえずは挨拶でも、と゛人喰いヌリカベ”に満面の笑みをたたえて歩み寄って行き、「ハーイ!(ヌリカベさん!)どうやら私達対戦するみたいね。よろしくね。」って握手を求めた。すると、真っ赤な口をへの字にして、ちょっと引きつってから、思い切り作った笑顔をして握手。笑顔のまま、ギュッと一瞬だけ力を入れてやった。道場の仲間達が、ちょっと離れた所で息を呑みながらその様子を見ていて、( ̄m ̄〃)ぷぷぷっ!本当は型と組み手の両方をやる予定だったんだけど、時間がどんどんずれ込んでしまい、結局形のみ。組み手は黒帯と茶帯だけとなってしまった。ううう~~~、ヌリカベちゃんとは、組み手でやり合ってみたかった!形にかけるしかない。。。順調に勝ち抜き、最終はやはりヌリカべ。私は自分の帯の上に赤の帯を、ヌリカベは青を締めた。ヌリカベは鉄騎初段。ビデオは参考です。私は次の昇級試験の形でもある,平安5段で勝負。礼をしてから型の名を言い、横に並んで二人同時に始める。二人とも終わって一礼をし、次の瞬間、4人の審判が一斉に私の帯の色(赤)の旗を上げ、続いて主審が赤旗を揚げた時には、道場の仲間達から歓声が上がって、ヤッタぜ!ヌリカベは真っ赤な顔をして、最後に二人で向かい合って礼をする事も、ジャッジにお尻を向けてはいけない事も忘れて、スタスタと歩いて行った。うわぁ。。ヌリカベ相当怒ってるなぁ。。。全てが終わって、ホッとしたのと嬉しいので、皆とハイタッチをしながら元の列に戻って着席すると、後ろからヌリカベが私の背中を叩き、握手を求めて来た。なんだ、中々良い奴じゃん。と思ったのもつかの間。表彰式が始まり、表彰台に上がる直前に何度か話し掛けてみたけど、私とは目も合わせないし、相変わらずツンツンして嫌な態度。その後もしつこく睨むは、目があってもプィッ!と横を向く。初めはちょっと、あれじゃ面目丸つぶれで可哀相かな、、、って思ったけど、"己のそういう心持が悪いんじゃ~! それだから負けて当然だわ。”って思った。日本人の先生に金メダルを首にかけて貰って、激励のお言葉を貰い、先生と記念写真を撮って、得々として帰って参りました。だけど勝利に浸る間もなく、翌日も早朝からセミナーがぁ。。。。足がガクガクしながらもアクセルを踏んで、片道1時間20分かけて行って来ました。でも、3日間の(セミナーは2日間)稽古は、出席して本当に良かった。 とっても内容の濃い、充実したセミナーでした。初日のセミナーの最中には、先生が私の胴衣に刺繍してある名前を見て、「日本人の方ですか?」と聞いてきて、私が日本人と知り、とっても嬉しそうにして下さって、それなら、、、と稽古の最中の細かい説明の時に通訳を頼まれてしまった。光栄ながらも、息を切らしながらの通訳は、時々頭が上手く回らず、適切な言葉が直ぐに出て来なくて焦り捲くり。自分でも笑っちゃったんだけど、頭がちゃんと回転していない証拠として、先生に英語で答えてしまったり、アメリカ人に日本語で話し始めたりして、慌てて謝る始末。でも何とか無事に、先生のお手伝いが出来て良かった。翌日の最終日のセミナーでは、ヌリカベは来ていたけど、派手な私服のまま稽古には参加せず、隅に備え付けられた師範達が座る椅子に腰掛けて、稽古の様子を観察している。たまたまなのか、私の丁度真横辺りのテーブルの席についてから、そこを動かず、ジーッと私を見ているのが視界に入って来る。場所を変えてもらおうかとも思ったけど、シャクに障るから、視線は気になるけど居座ってやった。ε-(ーдー)ハァセミナー終了後は、先生から終了証を一人一人に手渡して頂き、皆で記念撮影。最後に先生から名刺を頂き、先生から、「もし日本へ里帰りをした時には、是非東京の私の道場へ遊びに来てみて下さい。」と嬉しいお誘い来年も開催されるこのセミナー。。。でももし来年も参加するとしたら、このヌリカベとの再会が待っているんだろうか。。。。
2009/11/15
あっという間に夏休みも終わり、子供達の学校は今日から始まりました。今年の我が家の夏休みは、長女Jenのカレッジ巡りで終わってしまいました。夏休み前は、州内とか近辺の州の大学へ行ったりしてたんだけど、高校のシニア(12年生)、ジュニア(11年生)位になると、夏休みは、遠方のカレッジ探索に走る家族が多いようです。我が家は裕福な家庭ではないので、子供達には、学費は頑張って奨学金を貰うか、そうでなかったら、学生ローンを組んで自分で支払うように言い渡してあります。このツアーに同行した、今度ハイスクールのフレッシュマン(9年生)になるNicoleにとっては、とっても良い刺激になったみたい。ツアーのガイドは大抵が、その大学の卒業生とか在校生がするので、生徒を見て学校を判断する良い機会にもなります。アイビーリーグやその他の私立名門校や、州立大学のようなジャイアント校、小規模のリベラルアーツ、、、、、と、とにかく色々見て回ってたから、とっても楽しかったわ。これまでのツアーリングで、あちこち回り歩いてみて思ったのは、父兄達を相手に学校の説明をする名門大学の学生は、やっぱりオーラが違う!(笑) 自信に満ち溢れた姿勢には、圧倒されるようなエネルギーが感じられました。 何ていうか、目の奥が遠くを見ているような、無限の可能性を秘めた力強い輝きを持っていた。勿論、その学校の顔となってツアーを任される訳だから、プレゼンテーションが上手い子が選ばれているのは分かる。色んな意味で、楽しく観察させて貰いました。ツアーの参加者は、カリフォルニア、テキサス、シカゴ、NY,等、全米からと、後、日本から遥々見学に来ていた家族も居ました。プレゼンの間にも、生徒やその父兄達は積極的に手を挙げて、具体的な突っ込んだ質問をバシバシ浴びせるんだけど、その都度明確にテキパキと応答して、問題なく時間内に終わらせる姿は、自分の子じゃないけど、見ていて頼もしかったですね。旦那も脇で、「こういう子だったら、会社で即採用したいと思うな。」と、小声で言うほど。一口にツアーといっても学校によって様々で、大きな大学だと、スライド等のプレゼンの後に、徒歩ではなくバスでキャンパス内を廻るとか、中には、キャンパス内のドームに一晩泊まる、というツアーリングもあって、これも貴重な体験になったようです。益々Jenも、どの学校にするか迷ってしまったみたい。。。一番手っ取り早いのは、SATで,希望校のレベルに入る点を出してくれれば,こんなに悩む事も無いんだけどねぇ。。。。皆も知っている通り、アメリカの大学だと成績の良し悪しだけでなくて、スポーツやボランティア活動への関与、積極性、リーダーシップ、等など、様々な個人の人間性も重要視するから、Nicoleのような高校のフレッシュマンといっても、学業成績以外での大学への準備は、もう既に始まってるんだよね。一連の長女の大学準備のお陰で、親も唯、のほほんとして居られないもんだと痛感しました。今まで私なりに、出来る限りのサポートをして来たつもりだったけど、私なんかお呼びじゃないほどに、もっと積極的にアグレッシブにサポートをしているアメリカ人の親達を見て、自分がちょっと情けなくなってしまった。長女には、もっとずっとずっと早くから、親として色々して上げられる事は沢山あったのに。。。と、申し訳無い気持ちで一杯。この先4人共無事に大学に送り出すまでは、身体のどこが痛ぇーとか、シワや白髪が増えちゃって~!なーんて、一々そんなクダラナイ事で嘆いてる場合じゃないんだよね。少しでも子供の為に、親として貢献出来る為には、今までの様な【気】の持ち様で、ヘナヘナと年なんか取ってられないわ~。
2009/08/27
空手の稽古に行く寸前に、ニュースでこの悲報を知りました。出掛ける時間になってしまい、重い気持ちで車のエンジンをかけると、ラジオからは、突然“ビリージーン”が。。。。。。そして“スリラー”が、ノンストップで流れ、運転しながら道場に着くまで号泣してしまった。Tiffanyは、そんな私を元気付けようと、「死んじゃった事より、カッコいいマイケルの事だけを思いなよ。」とか、「泣いても戻っては来ないんだよ。」とか、励ましたくれたんだけど、涙は一向に止まらなかった。ニュースを見て唖然としている最中に、外出中だったNicoleとJenから、「Michael Jacksonが死んじゃったって本当!?それって、嘘だよね? 」と、それぞれ確認のTelが入った。事実だと告げると、二人とも電話口で嗚咽した。Jenは仕事中だったから、直ぐにTelを切ったけど、仕事にならない。。。と、涙声だった。今まで彼を、奇行だとか変人だとか言って、バカにして来た人達、今マイケルが亡くなってみて、幼い頃からずっと人目に晒され、子供らしい暮らしをした事が無かった、彼の不幸な生い立ちを少しでも理解して、彼を物笑いにした事を恥じる人が、沢山出てくると確信しています。そして、如何に彼が偉大だったかと言う事もね。折角準備していたカムバックのコンサート。Nicoleも友達と行く予定でした。残念ながら目前にして実現出来なかったけど、皮肉にも亡くなった事で、何だか彼の本当のカムバックになったのではないか、と思うのです。とにかく、ゆっくり休んで欲しい。。。R.I.P. Michael......
2009/06/26
スターバックスの、Green tea frappuccino が好物な私。 但し、普通にオーダーしちゃうと、メロンシロップが入っているから物凄く甘いので、メロンシロップ抜き。そして私はいつもVenti(ラージ)を頼むので、更にエクストラ抹茶パウダー、と指定してオーダーしてます。 まぁ余談はこの辺にして、、、以前に、Green tea frappuccinoの美味しさを旦那にも分かって貰いたくて、脇に居た彼に薦めてみた。「ねぇねぇ、凄く美味しいから飲んでみなよ。」「Green teaでしょ、味は分かってるから別にいいよ。」「そんな遠慮しないで、ちょっとだけでも良いから飲んでみてよ。」旦那は別に遠慮なんかしていないんです。だって彼は今まで、お茶を美味しいと思った事が無い人間。それを承知で勧める私も、結構性格が悪いよなぁ。。こういう風に私が、“ちょっかい出したいモード”になると、割としつこいのを分かっているのか、嫌々一口飲んでくれた。私:「どう? 美味しいでしょう?」旦那:「あ~~~~、やっぱりあの味だ!」芝に砂糖を足した,って感じの味だ! Σ(- -ノ)ノ エェ!?そうなんです。彼は昔から、「Green Teaは、芝生の味だ。」と、頑固に主張しているのです。他にも旦那の発言で、「え~!?」と思ったのを紹介しましょう。その1:ある日“えび満月”を食べていたら、美味しそうに頬張っている私を、旦那が脇で変な顔をして見ている。 旦那:「何それ? 気持ち悪いなぁ。。。 ペッタンコの海老がピターッと張り付いててさ、まるで化石を食べてる、って感じだよ。(゚ロ゚;)エェッ!?その2:子供達と、ふりかけご飯を食べていると、旦那が溜息混じりにこう呟いた。「はぁ。。。。僕の家族は女房も子供も、金魚の餌が大好物だから参っちゃうよ。。」ヽ(  ̄д ̄;)ノ エー!?未だに旦那は、子供達がふりかけでご飯を食べていると、意味深な目つきで見たりする。それから、海苔はどうしても海水というか、海の味がして、とてもじゃないけど美味しいとは思えないらしい。「それが“磯の香り”って言って、美味しいんじゃないの!」と、反論する私。旦那は断固として、絶対に首を縦には振らない。海苔を初めて味わう前は、「何?そのカーボン紙みたいの?」だからね。あと、他でもよく聞くパターンで、納豆やウニは、“腐った味”。( ̄w ̄) 私だって言わせてもらえば、今はもう慣れたけど、食事中にDiet Cokeをガブガブ飲むのが信じられない。こんな調子じゃ桜餅の葉っぱも、中には食べる人も居るって言うと、「ゲゲゲ~! 」なんだろうね。(私は食べないけどー!) 食べ物以外では、風鈴や、鈴虫の鳴く音が、雑音に聞こえるらしい。 昔日本に居た頃に、チリーンチリーンと心地良い音色を奏でる風鈴をめぐって、揉めた事があった。秋には、鈴虫が合唱している音が、気になって気になって仕方が無い。と苦情たらたら。お前~!【風情】って言葉を知らんのか~!て言っても、これは日本人の持つ美意識だから、旦那に押し付けても仕方ないんだけど、昔はこんな事ばっかりで、しょっちゅう喧嘩をしたものです。。。旦那も私との度重なる喧嘩を経て、風情ってものを大分理解はして来ているみたいです。と言う事で次の課題は、日本が世界に誇る健康食品!?の、青汁を飲ませてみる事にしました~!ψ( ̄▽ ̄)ψイヒイヒイヒイヒ
2009/05/30
昨日の日記でJenのPTクルーザーの事を書いたから、その後YoutubeでPTクルーザーの動画を観てたら、PTクルーザーの歌を発見。 シャ・ナ・ナとか、パット・ブーンが出演してるんだけど、こんな事もするんだ~って、何だか笑えました。 Sha Na Na - "The Cat in the PT Cruiser" Music Video誰かがさっきの、PTクルーザーの歌にちなんで編集した動画。 Fat Cat & PT Cruiserそれから、、、 さっき行き成り雹(ひょう)が降って来たから動画を撮りました。Volume Maxでお楽しみ下さ~い。Hale and Thunder 雹と雷
2009/05/24
花粉症の症状もようやく治まり、子供達の目白押しのイベントが片付いて、安堵の溜息が出る今日この頃!そうそう、ちょっと古いんだけど、前回の日記で書いた旦那の視力が1日だけ回復したって話。あれから1ヵ月位経ってから、又もや1日だけ視力が回復したんですよ。変だよねぇ~~~。本当に不思議!近況といえば、Jenは近所のモール内のサーフショップでバイトを始めました。それからラクロスの練習と試合の合間をぬって、5月の初めに2度目のSATを受けた後、目の上のたんこぶだった、5日間に渡るAPテスト(アドバンスト・プレースメント・テスト―高校生が大学の単位を取得できるテスト)も無事に済みました。そしてついに車の免許を取得! さて、Nicoleも、ミドルスクールのラクロスのチームに所属してたから、ハイスクールの試合とミドルスクールの試合や練習の送り迎えで、時間のやりくりが大変でした。Jen達のハイスクールのチームは今一なんだけど、Nicoleのミドルスクールのチームは、大会で優勝する程の強豪チーム。シーズンが終わった今でも、他のリーグの試合にも出たりして、忙しい日々を送っています。それと、、、、、一番大変だったNicoleのSpring Danceと、今年もJenはシニア・プロムに誘われたので、ドレス選びに始まって、アクセサリーやヘアーメイク,etc...早く全てが終わって欲しい!と願いながら毎日を過ごして、やっと今一息つけた所です。空手の方は6月に又昇級試験が控えてるから、次のターゲットとして頑張ります。Michaelは相変わらず、ギターのレッスンは喜んで行くのに、空手の稽古となると、毎回出掛けに文句を言って嫌がるけど、首に縄をつけて連れて行ってます。(苦笑)Tiffanyは空手が大好きみたいで、毎回気合を充分に入れて、練習に励んでます。ところで、Jenが車の免許を取得するちょっと前に車を買ったんだけど、これが又ドラマだった!旦那と車を購入するべく、近所のディーラーを巡る事2週間。旦那得意の、ごり押し値切りの交渉術を展開。各ディーラーの、旦那を受け持ってしまったセールスマンが、冷や汗をかき、頭を抱えながら旦那と交渉している様は、脇で見ていて余り良い気持ちはしない私。非常に居心地が悪い。中でも、“凄い高飛車だなぁ~!”って思ったのは、フォルクス・ワーゲンのディーラーのマネージャー。前日Jenが一目見てVW社の、真っ赤なJettaという車が気に入ったと言うので、トヨタのディーラーと話をした後に、VWのディーラーに寄った。あれこれ値段交渉をした際に、担当したセールスマンのお兄ちゃんが出した額に、納得の行かなかった旦那。 不満気に彼に向かって、旦那:「これが君の出来る最高の勉強額? その他のサービスもこれだけ?これではねぇ。。。ちょっとマネージャーと話がしたいんだけど、連れて来てくれない?」お兄ちゃん:「は、はい。じゃちょっと待ってて下さい。」5分ほどしてモデル並みの容姿を備えた、しゅっとした若いマネージャーが登場。さっきのお兄ちゃんからもう話は聞いて居るだろうに、ぎこちない営業スマイルで、「私がマネージャーの○○ですが、どういった御用でしょうか?」と、とぼけた。旦那は空かさず、旦那:「娘がもうじき車の免許を取るので、明日、遅くても明後日までに彼女に車を買いたいんだ。 さっき色々と交渉して値段を出してもらったんだけど、納得が行かなくてね、このままでは埒が明かないみたいだし、こっちは今直ぐにでも車が欲しいんだ。かれこれ色んなディーラーを回って、値段交渉をして来てるんだけど、これ以上腹の探り合い、みたいなゲームをしている時間がないんでね、ここは直にマネージャーである貴方に、どこまで勉強してくれるのか聞いた方が、手っ取り早いと思ってね。」マネージャーは旦那の畳み掛けるような態度に、ちょっとムッとした様な顔をした。そして彼も旦那に負けない位の勢いで、マ:「それではお聞きますが、お客様は車を購入する際に、何を一番重視されてるのでしょうか?値段なんですか? 大事な娘さんが乗られるんだったら、勿論安全性は重要ですよね。その点我が社の車はーーーーーー」このマネージャー、如何に自社の車が安全性に優れているのかをアピールして、旦那の値切りの術に対抗しようとしていた。この会社が安全性をアピールしているのは百も承知だったんだけど、その点を切り札として、少しでも値切らせまいと、かなり強気に巻き返して来るのには驚いた。旦那:「いや、それは承知だよ。でもね、ここで君の出来る限りの“誠意”を見せて欲しと言っているんだよ。」旦那は、どうにか自分のペースに持って行こうとする、マネージャーの口を途中でことごとく挟み、絶対に彼に交渉の主導権を握らせないつもりなようだ。マネージャーも負けじと何度も“安全性”、という言葉を口にして対抗しようとしたけれど、彼の安全性に関するうたい文句の全てを、最後まで聞くことは無かった。それに半分切れたマネージャーは、開き直ったように、「それではこには、お客様に売る車はございません。この車はお客様には不向きです。」と来たもんだ。「はぁ? 君は一体何様なの? 交渉でカチンと来て、君は車を売る気が無いみたいだね。それでよくマネージャーが務まるもんだね。まぁ、金を出すのはこっちなんだし、プロフェッショナルじゃない人間から買う気は無いよ。 これではアフターサービスの高が知れているというものだ。話が早く終わって良かったよ。」さっさと出口に向かって歩き出す旦那。嫌な空気が流れる。。。。あちゃ~、、、と思って、私はチラッとマネージャーの顔を見た。彼は苦笑いをして肩をすくめてから、「Have a nice weekend.」と言って手を差し出して来たので、「Thank you, you too. 」と言ってから彼と握手をして、小走りで旦那の後を追った。 気が付くと、私が冷や汗をかいていた。色んなメーカーのディーラーを回ったけど、やっぱり一番融通が利いて、旦那の要求を一生懸命のんでくれたのが、当時倒産を目の前にして経営危機に直面していたクライスラーだった。(笑)ベテランの初老の人が担当してくれたけど、お互いに気持ちの良い交渉が出来た。って感じでした。狙っていた車が、前日のインターネットのリサーチで、ここのディーラーがオークションで落札したのを調べ上げていたので、落札額を知っていた旦那は、強気で値切る値切る。結局ディーラーは、たったの$200の儲けで交渉成立。因みに車種はクライスラーのPT-Cruiserのコンバーチブルです。後は、娘の交通安全を祈るのみですね。NicoleのSpring DanceとJenのSenior Promの写真をアップしたので、時間のある方はどうぞ。
2009/05/22
いやぁ~~~~、旦那の視力回復には驚いちゃったんだけど、やっぱり翌日には、すっかり元通りになっちゃってました。翌朝、早速棚から薬の瓶を取り出し、効能書きを読んでみる。「とほほー、、、、、全然読めなくなっちゃった。。。。」と、半べそかいてます。たった1日だけの不思議体験だったけど、もう一回訪れてくれるかな。。。?昨夜いつも通りに公文教室へ行き、その後空手の稽古へ。ちゃんと20分前に着いたのに、早くも沢山の人が道場に入って柔軟をしていて、「まじっすか!? 遅刻?」と焦ったんだけど、時計も携帯も確かに20分前。半信半疑のまま中に入って行き、道場内にいた黒帯のGinaと目があったので、ヤバイ!って顔をしながら腕時計を指差すジェスチャーをしたら、大丈夫って合図をされたので一安心。用意をして道場に入ると、茶帯と黒帯の人達に混じって、見知らぬ若い男性5人が居ました。Ginaが駆け寄って来て、「彼らはポルトガルの道場から来たのよ。英語は全然通じないんだけど、どうにかスペイン語で対処してるわ。」と教えてくれた。1月にフロリダに引越した師範が、3月の初めに特別トレーニングを3日間、元本部道場だったここで開くので、彼らはそれに参加する為に来たみたい。Ginaが彼らを呼んで、私に紹介してくれた。「押忍!」と、先ずは空手式の挨拶をした後、黒帯のPaulo先生が笑顔と共に手を差し伸べてくれて、握手を交わしたんだけど、しまった。。。ポルトガル語で“はじめまして”って何て言うんだっけ。。昔聞いた事があったんだけど、思い出せない。。。でも何も言わないよりは良いと思い、ちょっと照れながらスペイン語で、「Mucho gusto」って言ったら、勿論通じたけど、脇に居たGinaがクスクス笑いながら小声で、「それ位は英語でも通じるよ。」って。だったら英語が全然通じないとか言うなよ! ヾ(*`Д´*)ノ"彡☆ 横目でGinaを睨む私。それにしてもこのポルトガルからの5人、揃いも揃ってイケメン!ティーンの女の子達は、道場の隅で何やらコソコソ品定めをして居たのを私は見逃さなかったぞ!(笑)という訳で、いつもと違った雰囲気で稽古が始まりました。普段から稽古は、英語とスペイン語(英語が今一な人が居る為)と、日本語だったんだけど、今回はそれにポルトガル語が混じって、中々面白い稽古でした。Paulo先生が指揮を執って教えてくれたんだけど、稽古が始まって早々、今まで、あんなにニコやかで物腰の柔らかかったPaulo先生が、突然鬼軍曹に見えて来た。中盤辺りから、何度も息が上がってその場に崩れるかと思ったけど、昔バレーボールの鬼コーチに鍛えられ培った、スポ根魂にが点いて、ヨレヨレになりながらも、1時間半どうにか持ち堪えられた。なんともまぁ、私達の師範が1月に引越して以来の、ハードな稽古でした。師範の居ない間は、若い黒帯の子達が教えてくれてたんだけど、やっぱり師範の時のような、緊張感とハードさは無かった。稽古は久し振りにハードだったけど、やっぱりこの方が気持ち良いわ。道場を後にして着替える時に、私と同年代の人が3人居るんだけど、汗でぐちゃぐちゃになった顔を見合わせて、“ふふふ”って笑ってしまった。この笑っちゃったのは“余裕で”じゃなくて、“参ったな”の笑いね。久し振りの完全燃焼って感じで、どうにか自宅に帰り着いた。でも思った通り、今朝ベッドから出る時に全身筋肉痛で、一つ一つの動きに悲鳴を上げながら着替えをした。ってか、週5日稽古をしているのに、万年どこかしら筋肉痛な気がする。(笑)やり方が悪いのかな。。。???この後も特別トレーニングに参加する為に続々と、他州からと、南アフリカ、フランス、ドイツ、ペルー、アルゼンチン、ハイチ、ドミニカ共和国etc...からも、師範の生徒達が来るらしいです。今から何だか楽しみー。
2009/02/18
ご無沙汰です。物凄く不思議な事が起こったので、久し振りに更新です!さて、その“不思議な事”っていうのは、今まで近視&老眼だった旦那の視力が、突然正常に戻っちゃったの。バレンタインデーでJenが男の子から貰った、とーってもsweetな内容のカードを読んで感激した私は、脇に居た旦那にも、「ねぇねぇ、ちょっとあなたもこれ読んでみてよ。凄くsweetな事が書いてあって、私感激しちゃった。」と、嫌がる旦那に無理矢理読ませようとした所、普段だったら、老眼鏡をかけないと読めないのに、カードを手にして普通に読んじゃったんです。一瞬、“あれ!? メガネ無しで読めたんだー。”と、不思議だとは思ったものの、余り気にしないで居ました。1時間ほどして、2階に居た私を旦那が大声で呼ぶ声が聞こえます。「おーーーーい! 何だか変なんだよ!小さい文字が、メガネ無しでスラスラ読めちゃうんだよ~~~~。何もかもが、くっきりハッキリと見えるんだよ。」と、興奮気味で半分泣きそうな顔で叫んでいる。ちゃんと事実を確かめる為に、子供達と家中の色んな場所を指差したり、細かい文字を、旦那に一通り読ませてみる。問題無くスラスラと読んでしまう旦那。一同顔を見合わせて冷や汗タラー。それにしても不思議な事ってあるもんなんだねー。旦那が気にしちゃって、気持ち悪いからネットで調べてくれ、って、しつこく言うから調べてみたんだけど、探索かけたら、突然視力が回復した人が2件出て来ました。うぅぅ。。もうちょっと情報が欲しかった!でも、たった1日だけだったとか、突然視力が回復してそのままの状態を保っていたりとか、、、、私達も分けが分かりません。(笑)そんな中、興奮気味でいながらも、半分不安を隠せない旦那。もしかして、、、、、、何か大病でもする前触れなんじゃないか!(゜o゜;) もしかして、、、、、僕の寿命もそう長くないからって、可哀相に思った神様が贈り物をしてくれたのかな。。。 ( ̄Д ̄;) ガーンとまぁ、色んな事を想像して、一人であたふたしています。そんな旦那の動揺した姿を見ていると、何だか可笑しくて可笑しくて。( ̄w ̄) ぷっ「何要らぬ心配してんのよ。大丈夫だって!取りあえずは、素直に“どうもありがとう。”ってお礼を言って、後は余計な心配する必要なし! 行き成り見えるようになったなんて、有難い事じゃないの!」そうは言っておいたんだけど、この視力いつまで持つんだろう。。。?興味あるよね~。でも、何で突然見えるようになっちゃったんだろうね。世の中不思議な事ってあるもんなんだね。
2009/02/15
もう直ぐ今年も終わりだね。。。こっちは雪が降って、出掛けるのも結構大変。電車を使わないから、車で出掛けなきゃいけないんだけど、道路に氷が張っちゃったら、物凄く神経を使うから疲労感も大!それなのに、JenやNicoleは大喜びでスノーボードをしに、近くのスキー場に出掛けて行ってます。さて、空手の昇級試験も無事に終わり、私達はどうにか全員合格しました4時間近く掛かった昇級試験。子供達は途中飽きちゃったけど、頑張って座って見てました。残念な事に、今の空手の師範がフロリダに引っ越す事になってしまって、色々あったけど、師範の居ない間は他の黒帯の先生達が教えてくれるんだけど、頑張って練習に励んで、次に師範がこの道場を訪れた時には、びっくりされる位に頑張ろうと思ってます。今日、新しい帯と合格証を貰って来ました。昇級試験の日の夜に、Jenのダンスパーティーがあって、試験を終えて直ぐに自宅に戻って、Jenのヘアー&メイクをする予定だったんだけど、1時間半で試験は終わるって話だったのに、4時間も掛かっちゃったから、ヘアー&メイクは愚か、全員で写真を撮るのにも、ギリギリで、間に合う始末。おまけに、仲の良いお友達との集合写真を、我が家で撮る事になってて、親達も家に来る予定だったの。私が大幅に遅刻しちゃったんで、自分でヘアー&メイクをしたJenと、お客さん達の世話を一人でした旦那は、かなりなオカンムリ状態。家について直ぐに、Jenに平謝りで謝ったんだけど、「Thank you for your HELP!」(手伝ってくれてありがとう)って、皮肉を言われちゃって、泣きそうになってしまった。その日は朝から忙しくて、結局何も食べてなかったから、眩暈もして来てフラフラ。後で皆に謝って、どうにか機嫌を直して貰いました。(はぁ。。)来週の月曜日からは、例のプエルトリコ軍団がやって来ます!また時間を見て、更新しま~す。Jenのダンス、スライドショーと、おまけに期間限定で、将来のミス・プエルトリコと、私が勝手に思っている、旦那の従兄弟の娘達のスライドショーをどうぞ***↑のスライドショーは、終了いたしました。***
2008/12/21
最悪な不景気に陥っちゃてるけど、株の値と共に、気持ちまで落ち込んでる場合じゃないでしょう!こんな時こそ、開き直って笑うべし。金が無くてピーピー言ってるけど、笑い飛ばすしかない。自分だけじゃなくて皆苦しいんだから、笑っていればその内運気も上昇するよ。きっと!さて、私は忙しいながらも、どうにか元気にやってます!最近はJenの大学選びの為に、あちこちの大学へ見学に行っています。 しょぼいキャンパス、うっとりする様なキャンパス、大学なんて色々あるけど、自分が行く訳じゃないのに、見学しながら((((o゜▽゜)o))) ドキドキ♪しちゃっている自分がここに居ます。今の所は、未だ日帰りで行ける範囲の所だけを廻っているんだけど、もうちょっと志望校が定まって来たら、遠方の大学も見学に行く予定です。そして今朝Jenは、あのSATを受けに行きました。“テストの前には、脳の働きを促進する為に、カレーライス等の辛い物を食べるのが良い。”(嘘か本当かは知らないけどね!)という事で、前日からポークカレーを煮込んでおいて、今朝それを食べさせてから行かせました。そして勿論、ガムも噛ませましたよ~効果が有る無しは知らんけど、何もしないよりは良いかな。将来は、Human Genome Project(ヒトゲノム計画)に係わって、癌の治療薬を発見したい。みたいな事を言っていたけど、最近は、「法科とか精神科の方も興味があるな。。。」とか言い出して、何だか今一目標が定まらないから、大学選びもすんなり行かないんだよね。。。まぁ夢も良いけど、現実は、SATの結果がどうだかだよね。SATだけが全てじゃないけど、やっぱりここは、しっかりと点数を取って置きたいものです。。昼過ぎにテストを終えたJenを迎えに行って、そのまま、いつものように空手の稽古。そして来週の土曜日は、昇級テスト!MichaelとTiffanyはオレンジ、私はグリーンに挑戦です。22日には、道場でのクリスマスパーティーも控えていて、各自食べ物持参、という事で、私は日本食を何か作って行く予定!メニューは未だ決まっていないんだけど、何作って行ったら良いかな。。。どなたかメニューのアドバイス、あったら“ヘ( ̄∇ ̄ )カモォーン♪ティファニーも、学校のコーラスのコンサートがあって、それにも出席して来ます!その後は、20日に再び、プエルトリコから御一行様が“雪”を楽しみにやって来ます!ああぁぁぁ~。。。あの彼らの、けたたましい賑やかな笑い声が何だかもう、既に聞こえて来るようだから、笑っちゃう。御一行様達とは、クリスマスと大晦日と新年を一緒に過ごす予定で、来年まで未だ未だ、一息つけそうにも無いですわ。そして今日は、Nicoleの、“Snow Ball Dance”があって、さっきお友達の家に集合して写真をビシバシ撮ったので、早速UPしました。スライドショーは、ここからどうぞ。そうそう、来週はJenのダンスパーティーだよ。もう~~~、どうにでもしてっ! (* ´Д`*)=3
2008/12/07
11月13日はJenの16歳の誕生日。この日を待ち切れなかったJenを、学校から帰って直ぐに仮免の筆記試験を受けに(強制的に)連れて行く事になった。手続きを終えてJenがモニターに向かって試験を受け始めると、私がアメリカ(フロリダ州)に移住して来て、試験を受けた時の事が蘇って来た。あの時は移住して半月も経ってなくて、右も左も分からず、おまけにJenが2歳になったばかりで、Nicoleは未だ生後1ヶ月半の新生児。子供達の世話に忙しくて、他には全然目が回らなかった。そんな中、旦那から突然ドライバーズ・マニュアルを渡されて、「さっき知ったんだけど、加入している保険の関係で、君が1週間以内に運転免許証を取らないといけないみたいんだよ。 僕は仕事の都合で、明後日しか空いていないから、その日に試験を受けに行くからね~。頑張って勉強してね。」って、あっ気なく言われて、「そ、そんな殺生な~~~! 明後日なんて、、、お代官様~!」って叫びたい気持ちをぐっと抑えて、辞書を見ながら、必死にマニュアルを読んだんだっけ。(笑)悪い事に試験前日には、Jenが高熱を出してしまって、試験勉強どころではなかった。一睡もしないで、重い気持ちで試験会場へ。。。会場へ行く時には、実地の試験もあったから私が運転をして行った。アメリカの右側通行に慣れていなくて、特に右折の度に運転しながら「きゃ~~!」反対側車線に突っ込みそうになる。この違和感は今でも忘れない!(笑)これは又逆もあって、2002年に久し振りに日本に里帰りをした時には、今度は左側通行にビビッてしまって、一人で運転していた私は、右折してそのまま反対車線に突入。夜中だった為に、幸いにも対向車はなく、直ぐに気が付き、私が慌てて車線を変更してスピードダウンした時には、後続から来た車の人が物凄い驚きと呆れた、という顔で私を見ながら追い越して行ったのでした。話は戻って、、、、今回試験に落ちちゃったら、もう後が無い!実地は今まで日本で運転していたから、まぁどうにかなるかもしれないけど、ヤバイのは筆記!筆記に落ちちゃったら実地も受けられない!!年の為に、辞書の持参をお願いしたら、私の辞書をチェックしてからOKしてくれた。でも結局辞書は使わなくて済んだけど、物凄い時間を掛けて試験を受けた。暗記が得意な私は、標識は難なくクリア。問題は文章問題。くだらない引っ掛け問題に惑わされるのは悔しいので、文章を慎重に、何度もかみ締めるようにして読んでいたから時間が掛かった。だって、私の隣で受けていた人が、3人くらい変わった位だからね!(笑)慎重にやった甲斐があったのか、1問間違えたけど念願の合格!( ´o`)ホッ受けている間に気になったのは、端っこの方で電話の受話器のような物を使って試験を受けている人達が居る。あれは何!? 一体何なの?もう気になって仕方が無い。後で旦那に聞いたら、文盲の人の為の物らしいです。でも文盲と聞いてちょっとびっくり。文盲率の低い日本で育った私にはピンと来なかったけど、移民の多いフロリダの田舎じゃ、有り得るよなぁ。。この時初めて、自分は異国に居るんだって実感したんだよね。ところでその後の実地試験なんだけど、普通に走るのは問題なかったけど、何せ旦那のスペイン語訛りの英語とは違う、ネイティブの話す英語は早くて、それを理解しようと、運転よりもそっちの方に神経が集中してしまう。バックして縦列駐車をするのに失敗してから、試験管の女性がベラベラと何か指図をしているんだけど、その内容が分からなくなっちゃって、半分パニック状態。一気に緊張しちゃって、再挑戦したけど又ミス。試験管は、気の良さそうな太ったおばちゃんで、私がパニクっているのが分かって、私の背中を軽く叩きながら、深呼吸をしなさいと言ってくれた。「すいません。。 貴方の英語が早くて、聞き取る事に神経が集中しちゃって。。」と伝えると、にっこり笑って、「分かったわ。出来るだけゆっくり話してあげるから。」と言ってくれた。それから、旦那が幼子を2人連れて、心配そうに実地の様子を見ているのも知っていて、私が落ち着くまで、ちょっとだけ世間話をしてくれた。子供の事を聞かれたので、Jenが熱を出している、という事を話すと、大きな身体を揺すって、「それなら尚更、早く試験を終えないとね!」と叫んだ。気分が落ち着いたせいか、難無くバックからの縦列駐車をクリア。「ほら!ちゃんと出来るんじゃないの!本来なら、合格点をあげるのは難しい所だけど、これからは旦那さんと一緒に、縦列駐車の練習をする。と言う約束をしてね。」そう言って、合格のサインをした用紙を、ウインクをして私に渡してくれたのでした。はぁ。。。試験管のおばちゃん、良い人だったよなぁ。。なんて回想したのもつかの間。その後、Jenが試験を受けている間暇になった私は、Jenのドライバーズマニュアルを何気にペラペラと捲って見ていると、交通事故でペシャンコになって横転している車の写真が目に入って来た。その写真の下には、“16歳のドライバーが起こす交通事故の大半は、スピードの出し過ぎでカーブを曲がり切れない、などの事故である。 そして毎年沢山の命が失われている。”な~~んて書いてあって、背筋が冷たくなった。一瞬、“今後一生試験に受からなければいいのに!”何て変な考えまで浮かんで来ちゃった。そうこうしている内に、試験に受かった様で、嬉しそうに近寄って来るJen。早速仮免許証をその場で発行して貰い、嬉しそうにそれを手にして喜んでいるJenの顔を、とっても複雑な気持ちで見ていた私でした。“どうかこの先、この子が事故に巻き込まれませんように!”という、祈りの気持ちで一杯!帰りはJenが運転して帰って来たのでした。Jenの危なっかしい運転に、気が付くと私の右手は、ギッチリとドアのハンドルの部分を握り締めていた。日頃私の運転に関して、旦那が助手席でガチャガチャ煩く言うのを鬱陶しく感じていたけど、事故を起こして欲しくないって言う気持ちからなんだ、って言う事をつくづく感じた。6ヶ月間はこの仮免許で練習する訳だけど、日本の様に教習所に通わないんだよね。。。来年の5月には、運転免許を取って一人で運転をし始めるのか!家でも、はぁ。。。と、深い溜息が何度も出る。でもこれは避けては通れるものではないし、この娘を信じて、唯無事を祈るばかりです。
2008/11/17
大統領選挙が終わって一夜明けた今日。。まだ興奮が醒めなくて、支離滅裂な文章になる事を許してチョ!とにかく昨日は1日中ソワソワして、どうにもならなかった!子供達は、選挙の投票で学校を使うのでお休みでした。でも夕方からは、空手の稽古があった。稽古に身が入らないんじゃないか。。。って思って、行くかどうか迷ったけど、選挙の結果が出るのが9時過ぎないと見えて来ないって言うことで、7:00~8:45の稽古に子供達と行って来た。その日のお昼過ぎには、オバマのサポーターのオフィスから、白人女性2人が訪ねて来て、「もう投票には行きましたか?」「はい、主人は済ませましたよ。」「おお~!」と言って、自然に3人でハイタッチ。「それで、、、、あなたは?」「私は選挙権がないので。。」でも、にっこりとして2人は去って行った。ティーンエイジャーを含め、オバマのサポーターが訪ねて来たのは、これで3度目になる。オバマや夫人等からのメッセージや、更なる活動の協力を求めるメールは、毎日5~6通は届いた。それだけ活発に、一丸となって活動していたのが印象に残る。この選挙は、相手からのどんな醜い攻撃にも動じず、常にポジティブに対応し、統一と変革と希望を呼び掛けた民主党のオバマと、変革は掲げたものの、汚い手を使ってでも個人攻撃に徹し、結局は国民の分割を誘導してしまった共和党。この2つの異なったキャンペーンが浮き彫りになった。果たしてアメリカ国民は、共和党のネガティブキャンペーンの雑音に惑わされるのか?もしそうなったら。。。。。。旦那が朝仕事に行く前に、「もし万が一マケインが勝ったら、私この国から出て行くから。(キッパリ)素晴らしいリーダーが彗星の如く表れ、アメリカが変るか変らないかの瀬戸際で、ネガティブキャンペーンに耳を貸すような、後ずさりを選ぶような馬鹿な国には住みたくないから!」そこまで言ってしまった。旦那は玄関で、ちょっとびっくりした顔をしてから溜息を一つつき、ブリーフケースを重そうに抱えて仕事に行ったけど、私かなり本気入ってました。(笑)夕方になって空手の稽古に行くので家を出ると、あちこちで車が所狭しと駐車をしていて、人々の長い列が目に入って来た。道場の近くの教会でも長い列がずーっと続いていて、活気のある音楽が鳴り響いていた。道場に着くと、早速何人かの小学生の子供達が、輝いた目をして走り寄って来て、「オバマが勝つといいなぁ。。ねぇねぇ、どう思う?あのね、私の学校の投票では、8:2でObamagaが勝ったんだよ!」「僕の学年でもオバマが勝ったんだよ!」と、真っ先に私に報告して来た。私が誰を支持しているのかも知らないのに!(笑)実は月曜日に、MichaelやNicoleの学校でも、子供達の間での選挙があった。2人とも、208:780辺りでオバマの勝利。でもMichaelから聞いた話だと、帰りのスクールバスの中で、Obamaはテロリストだ、とか、経験が浅いし危険人物、、、、等と、得々と話して居る子達も居たとか。。。こういうのって、その子供達の親が家庭内で話している事なのだろう。子供はそれを何気に聞いていて、そのまま喋っているんだろうね。こういう事実を知ると、悲しいと思うと同時に恐ろしくもなる。こうやって又、大人が差別をかき立てるような事を、純粋な子供の心に埋め込んでしまったのだから。。。この先の、共和党のやったネガティブキャンペーンの後遺症が怖いわ。。私の通う道場で、今まで政治的な話はしたことは無いし、学校では勿論そういう話はご法度である。もし政治的な話をした場合、学校の規則で処罰されるらしい。それは子供達のみならず、スクールバスを待つ間バス停でも、他の父兄達とは一切そういう話はしなかった。だから、誰が誰を支持して、、、、なんて言うのは、予想は出来ても実際には分からなかった。以前の日記でも触れたけど、私の通っている道場は、ラティーノ・コミュニティー(ラテン系)の中にある。なのに今回驚いたのは、道場に来ているほぼ100%が何人かの白人を含め、Obama支持だったと言うこと。今までラティーノはブラックコミュニティーと対立していると言うことで、Obamaには風当たりが強かった傾向にあったというのに、蓋を開けてみたら、いつの間にかObama支持が強かった。この道場はプエルトリカンが多く、プエルトリコからの移民は民主党寄りとは言うけれど、ここには他のラテン圏の人達も居る。この結果は私の道場に留まらず、昨夜の選挙の結果判明した、アメリカ全体で起こった現象だった。そしてもっと驚いたのは、8歳の娘と10歳の息子を含め、小学生の子供達も今回の選挙に深く関わっていた事。遊びが大好きな、ティーンの我娘達も然り。。。道場内では練習の前と後に、その夜ばかりは特別に選挙の話で盛り上がった。きっと皆今まで、私も含めてだけど、選挙の話をしたかったのだろう。。。稽古の後帰宅する途中の車の中から、ドキドキしながら家にTELをして、選挙の経過を聞くと、「マケインが有利だよ。」 ガーン!(; ̄□ ̄;)一瞬変な方向に、ハンドルを切りそうになった。(チョイ大袈裟)重い気持ちで運転をし、やっと家まで帰って来た時には、夜の9時を回っていた。ペンシルバニアに続き、激戦区のオハイオやフロリダまでものにし、オバマに確定した時には、Jenや泊まりに来ていたJenの友達と抱き合って皆で小躍りをした。そして、マケインの敗北宣言を観た。彼の目が、潤んでいるように見えた。家族やサポーターへの感謝と、オバマの勝利と長い選挙運動中の功績を称え、前日に亡くなったオバマのお婆ちゃんの話にも触れ、これからのオバマへのサポート等を話していたけど、その間ブーイングをする一部のサポーター達。マケインは直ぐに手で合図をして、そのブーイングを抑えていた。負けて悔しいのは分かる。でもマケインが、悔しい気持ちを抑えて潔く演説をしている時に、オバマの名が出た所で、何故ブーイングをするのか。マケインの顔に、泥を塗るような事をしているのに、気が付かないのか!? 愚かとしか言いようが無い!私がそう叫ぶと、隣に居た旦那が一言。「そういう心の人間を惹き付けるような、キャンペーンをしてたじゃないか。」あ、そっか。。。。旦那の言葉に納得。(笑)でも、マケインもよくぞここまで頑張ったと思う。演説するマケインの姿を複雑な気持ちで見ていて、こんな事を考えていた。オバマは自分らしさを全面的に表に出したけど、共和党の中でも中道派寄りだったマケインは、保守派確保とか、色々なしがらみがあったのか、彼本来の自分らしさ、魅力が全然出ていなかったように思える。そしてもしも彼が、副大統領候補にサラ・ペイリンを選んでいなかったら、、、ひょっとして、こんな負け方ではなく良い戦い(激戦)になったかも知れない。。。。その後、夜中にオバマの勝利宣言を観て、涙と鼻水でグチャグチャになった。ティッシュを鷲掴みにして、ぶーぶーと鼻をかみながら、横に居た旦那をチラッと見たら、旦那の目も光っていた。アメリカは真の、新の変革を望んだのよね。。。そして様々な奇跡が起こった。過去最高の投票率。中には44年振りに、民主党が勝った州もあった。絶対に無理と言われた黒人男性が、資金や名声、経験、人脈など様々な面で絶対優勢と見られていたヒラリーを押し退け、ついにはアメリカ合衆国の大統領になった。希望と信念を持って行動すれば、どんなに障害があろうとも、その夢は現実になるのだ。と言う事を、証明して見せたのだ。それはオバマだけではなく、国民がしたのだ。彼は勝利演説で、そこを強調していた。“この奇跡を起こしたのは、私ではない。YOU!(あなた達だ!)”この先、国民からの高い期待と、山積みな難題と向き合わなければならないけど、歴史を変えた瞬間に居合わせる事が出来た事に感謝です。結局は、民主党も共和党もない。オバマもマケインも言ってたけど、党派関係なくサポートし合って行かなくちゃいけないんだよね。。。そして、素晴らしい選択をしたアメリカに住んで居る、と言う事に、誇りを感じた瞬間でもあった。旦那が勝利演説を見た後、ホッとした様に私の顔を横目で見ながら、「はぁ。。これで、アメリカ国外移住を考えなくても良くなったよ。」と呟いていた。中々興奮が醒めずに、4時過ぎまでニュースに噛り付いて目を閉じた時に、オバマが勝利演説の中で引用していた、リンカーンがペンシルバニアのゲティスバーグで行った有名な演説での一説(が、頭の中から離れなかった。「government of the people, by the people, for the people!(人民の人民による人民のための政治)」
2008/11/06
アメリカ大統領選挙も大詰めだねぇ。。。今回は今までに無い注目度で、若い人達は元より今まで政治に関心の無かった人達まで加わって、派手な盛り上がりを見せている。私も暇さえあればニュースに噛り付きで、私には選挙権は無いけどこの選挙戦は、興味関心をそそられた。長女のJenは殆ど毎日、学校帰りに友達とダウンタウンにあるObamaのサーポーターのオフィスに出向いて手伝っている。私は彼女に、どの党とか誰を支持するべきか、という様な、彼女自身の判断を誘導するかのような口出しは一切していないけど、彼女自らが選挙戦の成り行きを見たり、友達と話し合った結果、Obamaを支持しているみたいです。一昨日、空手の朝稽古から帰り、お腹が空き過ぎて胃がグルグルと鳴る中、TVから流れて来るオハイオ州でのObamaの演説を聞きながら、手早くランチの用意をしていた。しかし演説も後半に行くに従って、食事をする手が止まり、鳥肌が立ち始め、それからは感動と涙で食べられなくなってしまった。胸が一杯になっちゃって、それに伴ってお腹まで一杯になっちゃった。これは、私が年だから涙腺が緩くなって、、、とかそういう問題じゃなくて、マジで感動した。政治家の演説を聞いて泣いた。なんて未だかつて経験した事が無かったから、それだけ私にとっては衝撃的でした。今までブログをやっていて、政治的な内容は一切避けて来た私だけど、今回だけは、どうしても一言言いたかった。唯、私が何党の誰を応援しているとか言うことではなくて、感動したこと、嫌気が差した事などを書き綴ったものです。もしもそういう、政治が絡んだような話は聞きたくない。という人が居たら、遠慮なく飛ばして下さい。*~*~*~*~*~*~*~*~*~*~*~*~*~*~*~*~*~*~*~*~*~*~*Obamaの演説を聞き終えて、先ず初めに頭に浮かんだ言葉は、【Unity:統一】そして、【Harmony:調和】それから勿論、【Revolution:変革】保険や税金、経済に教育にイラク問題etc...と、語った内容は多かったけど、私が一番感動したのは、Unityの部分。その場面では、あの有名な Martin Luther King Jr の、“I have a Dream”のスピーチを髣髴とさせた。 人は何だかんだ綺麗事を言いながら、色眼鏡を通して人を見ている場合が多い。見かけや学歴、知名度、障害の有る無し、貧富、肌の色等々で、安易にその人の良し悪しが決まっちゃったりする。そういう行為は愚かだとは分かっていても、多かれ少なかれ、無意識にもそういうフィルターを通して人を見、裁いている。(中には意識的な人も居るけど!)でもObamaが私達に送ったメッセージは、宗教や人種、思想の違い等の様々な相違で隔たれている壁を取り除き、心を一つにしよう!という勇気と希望を、私達にもたらせてくれた。その点に私は胸が震えた。今まで共和党でも民主党でもない、中立な立場を保って来た私だけど、この選挙戦では、共和党の戦術に吐き気を催す事が多かった。イメージとしては、とにかくネガティブ。これは政治の戦術ではよく使われるものだけど、このネガティブさの度が越していたのだ。中でも特にビックらこいた、というか恐怖を感じたのは、MSNBCの、“Hardball with Chris Matthews”でのインタビューで、ミネソタ州の共和党の女性議員が、共和党のネガティブ・キャンペーンの一環として叩いて(執拗に拘って)来た、Obamaのバックグラウンドを持ち出し、彼をとてつもなく怪しい人物として、この際だから、この国の全議員を、誰が偽アメリカ人で誰が本物のアメリカ人なのか調査しよう、とまで言い出した。私と旦那はたまたまその番組を見ていて、得々として語る彼女を見ていて、その思想の恐ろしさに身の毛が弥立った。 何て危険な人物なんだろう。こんな人間が議員なんてやってるんだから、世も末でしょう。これだもの世の中から差別は無くならず、殺し合いをするのも、不本意ながら頷けてしまう。流石に彼女は放送後にあちこちで叩かれ、ミネソタでの競争相手である民主党候補の下に、一刻でも早く彼女を追放するようにと、沢山の寄付金が舞い込んだ。だけど、この発言をバックアップする人間が多かったのも事実。大っぴらにとは言わないが、お茶を濁す感じで賛同する人も多いのだ。共和党の選挙活動を見ていると、それを煽るかのようなものが目立った。そしてそれに乗って、過剰に過激に反応する人間が沢山居るのだ、という事を配慮していない、という風に私の目には映った。それが故意的なのかどうなのか。。。。それは分からないけど、共和党は、Hate crimeを増長させたいのか???私は胸がムカムカする思いで、ニュースを見る日が続いた。McCainは私が思うに、この選挙でネガティブな部分が強調されがちになっているけど、本来は人間的にも素晴らしい人なんじゃないか。。。インタビューを見ていても、お茶目でユーモアがあって真摯で、とても好感が持てるのに、選挙の戦術で、自分の意思とは違った方針を取らざるを得ない、苦しい状況にある気がしてならない。だからなのか、TVで彼を見ていると、とても可哀相になる。彼の略歴を見れば、尚更そう感じる。ManCain campaign=ネガティブObama campaign=ポジティブ私の中では、そういう印象になってしまっている。それから残念な事に、今まで懸念されていた事が、2日前に実際に起きてしまった。オバマ暗殺を計画していた、白人至上主義のスキンヘッド達が逮捕されたのだ。少しでも有色人種が居る場所で襲撃したかったらしい。しかし逮捕されたのは、氷山の一角だろう。まだまだ根強い差別主義者はウジャウジャ居る。どんな暗殺計画を練っているのか、実際に行動に移さない事を願うばかりです。それでも性質が悪いのは、聖人の仮面を被った差別主義者だ。それに地位があったりすると最悪だ。少しでも世の人達が、人間の上っ面にある、余計なアクセサリーに惑わされること無く、心の目で人を見れるようになれば、戦争やHate Crime等の悲しい事件は起こらなくなるのだろうに。。。どんなにか平和な世の中が訪れる事だろう。。Dr.Martin Luther King Jr.やJohn Lennon、そして多くの人達が夢見た日も、そんなに遠くはないかも。そんな希望の光がObamaの演説を通して、私を暖かく包んでくれたような気がした。Youtubeに、彼のフルスピーチがUPされてたけど、特に、24分40秒から最後に掛けてが圧巻です。Barack Obama: Closing Argument キング牧師のスピーチ“I have a Dream”Martin Luther King Jr “I have a Dream Speech”ついでに、ミネソタの恐ろしい女性議員 Michelle Bachmann 。Obamaを始め、左翼、民主党、リベラル派はAnti Americanだとも取れる意見に、司会のChris Matthews もこの点を明らかにしようと、呆れ半分厳しく追及している。Colin Powell がObamaをサポートすると発表した時に、何故民主党を支持したのかという理由の一つに、この女性議員の事にも触れていた。Michelle Bachmann :Witch Hunt For Anti-Americans最後に、John Lennon “Imagine”
2008/10/29
全然日記とか言うものを書いてなかった。何せ毎日がネタで、次々に変わるネタに振り回されて、結局書かず終いな私ってどーよ。ってことで、お久し振りです。ピースって、何十年前の流行文句なんだよっ! o(`ε´)=====〇 バキッ!! ☆))XoX)などと、一人突っ込みなんぞしている場合じゃなくて、、、、ちょっと古いネタだけど、今日はそれを書くね。夏も終わり頃から、世間の目が変わって来ている事に何となく気が付いた。グロッサリーショッピングの時も、今まで得た事のないアテンションを感じて来て、何ていうか、私を気遣うような、話し掛けたそうな、いつもそんな感じの目で見られてる。白人のお爺ちゃんは、何故か好かれるしウマが合うから、私の得意な分野なんだけど、この間スーパーマーケットで、私の隣で品定めをしていた白人のお爺ちゃんが、いきなり「え?」って感じで、私の脇に立ってジロジロ見ている。余りにジロジロみるので、私も品定めの手を止めてお爺ちゃんを見る。お爺ちゃんの眉間に、ちょっと厳しくシワが寄っている。“何このおっさん、私に文句言いたそうなんですけど。それとも人種差別か?”と思ったけど、お爺ちゃんにニッコリしてみてから、無視して買い物を続行。お爺ちゃんはそのまま他へ行ってしまった。それからというもの、私も敏感になったのか、ビンビン感じる人の視線。。。。一体どうなっちゃってんの???と思って1ヶ月が過ぎて行った。ある日の朝、バス停でスクールバスを待っている時に、最近Michaelが仲良く遊んでいる子のお母さん、Taraが私に小声でこう言って来た。「ちょっと前から気になってたんだけど、私のビジネスじゃないって事は承知の上で聞くんだけど、もう見てられなくて。。。そのアザだらけの腕はどうしたの? 家庭内で何かあるとか。。身体、、、、大丈夫?」「はぁ?」この瞬間に、今までの疑問が吹っ飛んで全て納得。そして一人で大笑い。そうなのか、皆私の腕を見て、DV(ドメスティック・バイオレンス)だと思ったのか!!この私が、旦那から暴力を受けているもかも知れないってか。そうかぁ。。。。でも、言われてみれば、そう思われても仕方ないよなぁ。。。私の両腕は、全体が無数の青タンまみれになっている。一見すると、今この季節の紅葉の色彩をも髣髴とさせるような、青黒い濃淡に、所々黄色味がかった(アザの治りかけ)グラデーションの効いた、非常に気味の悪い腕になっている。理由は空手とバレーボール。Nicoleがミドルスクールの、バレーボール部のセッターとしてスタメンに選ばれたので、時間があれば家でも、元セッターだった私と庭で特訓をしていたのだ。気になるのは、急にアザが出来易くなった事。昔6年間バレー部で、散々鍛えた腕なはずなのに、ボールをレシーブした分、皆アザになっちゃってた、ってわけ。ってなわけで、私の腕は、見事にアザで埋めつくされてます。でもそれは腕の内側の方ね。腕の外側と横の方は、空手の“1本組み手”とか“5本組み手”の練習で、相手の攻撃を交わす為に使う“受け業”で出来ちゃったもの。笑っちゃったのは、私の青タンだらけの腕を見た空手の先生が、おもむろに私の腕を取ってマジマジと見ながら、「おぉぉ。。家でも練習に励んでるんだねぇ。。」と、感心した事。フリーのスパーリングをした翌日は、確実に弁慶の泣き所(向こう脛)は青タンになってる。余りにアザが出来易いから、ちょっと心配になって調べていたら、旦那の「君ももう年なんだから。」という、事実だがムカつく一言に、何となく納得。「そんな事言ってますけどね、この腕を見て世間ではDVだって思われちゃうんだよ。イコール、あんたが悪い目で見られるんだよ。」「エエエーーーーーッ!」(゜ロ゜;)何を今頃“エエエーーーーッ!”って。そういえば私も昔は、旦那のお陰で濡れ衣を着せられた事があったのよ!過去日記はここからどうぞ。これで、お互い様って事かな。(笑)全出のTaraには、心配して勇気を持って私に聞いてくれた事のお礼を言って、DVではないよ。と言う事をきちんと説明して、納得してもらいました。Taraも笑いながら、胸を撫で下ろしていました。それからはなるべく長袖を着て、腕が見えないように。という配慮をしています。
2008/10/23
今さっきTVを観ていて、スペイン語のコマーシャルで怪しげな物を発見。中国産の健康ダイエット茶の宣伝だと思うんだけど、それで、このお茶のパッケージを見て思わず、ぬぬぬ~~~!?このお顔はもしや。。。日本が誇るあの偉人“福沢諭吉”先生なんじゃないの?コマーシャルでは、中国人のDr.Mingが開発した、画期的な健康ダイエット茶みたいな事を謳ってるけど、何かとっても怪しげな商品。。。↓が、パッケージの写真と、福沢諭吉の写真。比較してみました。 写真では眉毛の角度がちょっと違うけど、コマーシャルを見ると、チラッと写るパッケージのお顔は、正に福沢諭吉だと思うんだけど、どう思う? ↓ ↓ ↓中国茶コマーシャルDr.Mingって、どこの誰なのよ。本当に中国のDr.Mingという人が作ったのかねぇ~??それか私の単なる思い過ごしで、本当に“福沢諭吉似”の中国人のDr.Mingが作ったのでしょうか。。。Youtubeを検索していて、ついでにこんな物まで発見。“中国茶”というタイトルの割には、初っ端いきなり“Geisha”という文字が。。。海外では、日中混同はよくある事だけど、改めて観ると、何だかなぁ。。。って思いません?↓ ↓ ↓ ↓Youtube動画これを作った彼女には申し訳無いんだけど、この動画を見ていると、何か無性に苛立ちを覚えるのは私だけ!?それにしてもこの中国茶って、定価$69もするんだね~~!こんだけ払って、果たして利くのでしょうか。
2008/09/03
25日から学校が始まっちゃいました。これからはオープンハウスが控えているし、又旦那と手分けして行く事になりそうです。早く落ち着きたいわ。。ところで最近のニュースといえば、Nicoleが学校のバレーボールチームに抜擢されて、毎日毎日練習に明け暮れています。それから、MichaelがElectric Guitarを習い始めたんですよ。それもこれも、あのゲーム“Guitar Hero”や“Rock Band”の影響から。以前に私がGuitar Heroにのめり込んでしまったって言う日記を書いたんだけど、当初はMichaelは殆ど興味を示さなくて、むしろJenとかNicole、私がはまってやってたの。Michaelにも無理矢理やらせてみて、2回目までは「下手だからもうやりたくない!」っていって直ぐに止めちゃってたんだけど、その内一人でベースメントに篭るようになってから直ぐに上達しちゃって、あっという間に私やJenよりも上手くなっちゃったの。Jenの男友達ともギター・バトルをして連勝しちゃって、一目置かれちゃったんで、もう大得意。そっからはもうギター熱に火が着いちゃって。。。新しいGuitar Heroのシリーズが出る度に、全曲クリアして行く内に、本物のギターが弾きたくなっちゃったみたいなの。このゲームのお陰で、色んなバンドや曲名も沢山覚えちゃって、車内のラジオから流れてくる曲を耳にして、「あ! Black Sabbathの“War Pigs”だ!」なんて叫んだりしてます。暇さえあればYouTubeでバンドの演奏をチェックしてて、私の血を引くオタク系の息子は、相当にのめり込んでしまいました。今まで空手も公文も、皆私が勝手にやらせて来た事で、Michaelが生まれて初めて自分から、何かをやりたい!って、熱意を持って言って来たんです。私のスケジュール的には、かなりキツクなっちゃうけど、本人は至って真剣。これはもう、やらせないわけには行かないでしょう、って事で、イエローページで探したけど、どこも皆満員で探すのが大変だった。「2年待ちです。」なんていう所もあった。十代の男の子が主流で、Guitar HeroやRock Bandが流行ってからは、急に生徒が増えたらしい。やっぱりこのゲームの影響って想像以上に大きかった。でも電話を掛け捲った甲斐があって、満杯のスケジュールを縫って教えてくれるって言う先生が見つかって、晴れてギターとアンプを借りて、練習に励んでいます。でもさ、1週間に1回で30分のレッスンで$25って、結構良い商売だよね~。Michaelの先生は、朝8時から夕方7時まで、びっちりお昼ご飯を食べる時間も無いほどのスケジュールで教えてるんだよ。やっぱり、何か特別なスキルがあるっていうのは強味だよね。。。先生からは、先ずは音符を読む事と、勿論キーも覚えなきゃいけないって言われて、今一生懸命練習してます。先生に挨拶に行った時に、「好きなバンドは?」って聞かれて、「色々あるけど、Metallicaです。」って答えた息子は、何だかこの先ハードコアに走りそうな予感だよねぇ。。そうそう、さっきから話題に出ている“Rock Band”って言うゲームは、Guitar Heroのようにギターだけじゃなくて、ベースやドラム、ボーカルに分かれて演奏をする事が出来るから、家族や友達なんかでバンドを組んで盛り上がれるから、相当に楽しいゲームです。YOUTUBE: Rock Bandで盛り上がっている人達の動画。MichaelとJenがプレイする前の動画。それから、私達の通っている空手の道場が、ローカルTVのニュース(スペイン語バージョン)で紹介されました。オンエアは昨日だったんだけど、実は1週間前に録画されたものです。昨夜オンエアを観て、鏡に、マイケルとティファニーがちょっとだけ反射して映ってたから大笑いでした。ニュースの動画は、ここからどうぞ。
2008/08/28
やってしまった~~~~!昨日の事なんだけど、Jenを友達の家に送って行った帰りに、駐車してあった車に、バックで突っ込んでしまった。Jenを降ろして、私はゆっくりとバックして方向転換して帰るつもりだったんだけど、バックをしようと後ろの確認で振り返った時に、子供が3人道路で遊んでいるのが目に入った。“あ、危ない、気をつけなくちゃ。”と、私の気は完全に子供の方に向いちゃってて、駐車してある車の存在は全然目に入っていなかった。当然そのままバックして行くと、ミリミリミリっていう鈍い音と変な感覚で、気が付くと、今まで視界に入っていなかった車が、真後ろにあるんじゃないの!!「ひゃ~~!マジィ~~~~!?」ついにやってしまった。。。今まで無事故で来たっていうのに。。。直ぐに車から降りて、ぶつけた車を見てみると、左側のドアがべっこりとへっこんで、傷がザザザーってついた感じの状態。私のSequoiaは、右のテール部分がへっこんじゃった。さっき気に留めた子供達は、どうやらぶつけちゃった車のお宅の子供たちだったみたいで、「Oh my god!]と、正にのポーズで叫んでいる。するとその中の一人が、「僕見てたよ。 さっき向かいのお家に行って誰かを降ろして、空手の練習に行かなくちゃ行けないから、帰ろうとしてバックして来てぶつけちゃったんだよね。」クリクリとした大きな目で得意気に、私に話し掛けて来た。“お~~~い! お前さん何でそこまで知ってんの?”と心の中で思ったけど、私が空手着を着ていたから想像がついたんだろうね。「そう、そうなのよ。。とにかくお母さんかお父さんを呼んで来てくれる?」って頼むと、直ぐに走って家の中に入って行った。確かにこの日(火曜日)は、公文と空手の練習との掛け持ちの日で、しかも家を出る時間の10分前になってJenが急に、どうしても友達の家に宿題をやる為に行かなくちゃいけない。って言って来たから、時間ギリギリだったんだけど、仕方なく空手着を着たまま、遅刻だけは絶対にしたくなかったから、内心焦って運転していた。。直ぐに車のオーナーが出て来て、状況を説明。だけど車のオーナーは、Jenの友達の家のお向かいさんの所にお掃除に来ていた、クリーニング・レディだったんです。彼女はポーランド出身で英語が今一だったから、直ぐに彼女の旦那さん(アメリカ人)に連絡を取って、現場まで来て貰った。そうこうしている内に、Jenとお友達が、外の騒ぎを聞きつけて家から出て来て、車を見てお口あんぐり状態。ぶつけたって、保険に入っているから大丈夫!と言いたい所なんだけど、実は旦那が去年の暮れに事故を起こしてしまって、保険の額がつり上がってしまった。今度何か起こったら、解約される可能性もある。って旦那から聞かされた矢先の事だったんです。やばいよなぁ。。。。しかもついこの間、旦那の事故った時の罰金や、Jenが親知らずを抜いて入院騒ぎになった分の医療費や入院費の支払いなんかを、全て払い終えたばかりだったというのに。。旦那さんが現場に付いて、お互いの連絡先を交換して割りと直ぐにその場から離れる事が出来た。そのまま空手の稽古に行ったけど、ああいう事故を起こしてしまった直後だっただけに、やっぱり今一練習に集中出来なかった。稽古を終えて、Jenをさっきのお友達の家に迎えに行くと、帰りの車の中で、「今日のマミーは何か変だったよ。運転がおぼつかないというか、危うい目に何度も遭ったよね。」と、Jenに指摘されて、ハッとしてしまった。この日は朝早くから大忙しで、車であちこち走り回ってて、休む暇なく家への出入りが激しかった。どういうわけかこの日の私は、普段の私でないようで、半分上の空って感じで、頭がポヤ~ッとしていた。車道から外れそうになったり、カーブで縁石に2回も乗り上げた。朝Jenと買い物に行って、道路脇に駐車しようとしたんだけど、途中まで入れてみて、ギリギリで余裕が無いから、諦めて他に停めようと、再発進しようとしたら、危うく後ろから来た車とぶつかりそうになった。その後用事があるというので、Jenを学校まで送って行った時も、学校の入り口の前で停車した時に、コツンと右前輪を縁石に乗り上げて、その場に居たJenの友達や先生が笑った。って事が、その日立て続けに起こってたんです。しかも、今思えば不思議だなぁ~~って思うんだけど、事故を起こす前に、その日助手席に居た旦那が、休む暇なく私の運転に関して注意をするんです。それも、アクセルの踏み方からブレーキをかけるタイミングや、スピード、前方後方確認の事、etc...基本的な事ばかりを、細かく執拗に言って来て、「お前は教習所の教官かっ?!」って怒鳴りたくなるくらいに、車内でしつこく言われ続けたんです。普段そんな事無いのに、なんで今日に限って私に立て付いて来るんだろう。。。この人私に喧嘩売ってんの?って思ったくらい。運転中、ずっと我慢をして聞いてたんだけど、余りにしつこいんで、「あんたが脇でガチャガチャ言ってると、気が散って運転に集中出来ないじゃないのよ! さっきから一体何なの!?」と、ブチ切れてしまった。それから約2時間後に、ぶつけちゃったんです。。。。これだけハッキリと沢山の、“注意信号”が出ていたって言うのに、何で気が付かなかったんだろう。。。。最近車で、忙しくあちこちに分刻みで出掛ける事が多くなっていたから、“運転は初心に戻って、基本的な事から充分に気をつけなさいよ。”って事だったんでしょうね。誰か分からないけど、私達を見守ってくれて居るんだよね。。つくづく、愛されてるなぁ。。。って感じました。これからは、しっかりと気を引き締めて運転します!!
2008/08/14
引っ張っちゃっててごめんね~~~。早速この間の続きを書くとします!Lちゃんの家に泊まりに行ってから、再び翌朝Jenから悲痛な声でTELが来た。「マミー!私もうダメ。。。」慌てて迎えに行くと、泣きじゃくるJenがLちゃんの家から出て来た。今回はJenの様子が尋常ではない。家に着いてから話を聞くと、なんと、、、、今度はJenが原因で、事態は滅茶苦茶になってしまった。というのだ。M君とJenが付き合って2日目の事。L ちゃんの彼氏の友達で、年上のT君という男の子と2人きりで出掛けてしまった事があった。T君はLちゃんの彼氏と同様で、スケこましで悪名の高い子。何でそんな悪名高い男の子とつるんでしまったのか。。きっと彼らには、何か女の子を楽しくさせる魔術みたいなものがあるんだろう。。危険だよね、、こういう男って。。。その事をJenは、M君には言えずに居たみたい。隠し事はしたくなかったけど、やっぱり後ろめたくて言えなかった。それを今回M君が誰かから聞いて、その話は事実かどうかと、Jenに返答を迫ったのです。一度は「No」と答えてしまったけれど、直ぐに折り返しTELをして、「実はその話は本当なの。」と、事実を伝えると、途端にM君は怒り出して、収拾が付かなくなってしまったらしい。その後のJenはと言うと、憔悴し切ってBEDから出て来ない。女友達が心配してバイトの合間を縫って、交代交代でJenの側に着いていてくれている。その時フロリダの友人の家に旅行に行っていて、Jenの側に居られなかった友達の一人は、自分の母親(高校教師)に頼んで、Jenを家まで迎えに来させて、話を聞いてあげるように計らってくれたりもした。いきなり友達のお母さんが迎えに来たときはびっくりしたけど、彼女は高校教師で、こういう事には慣れているから、どうにかJenをなだめて見るからと、言ってくれて、随分助けられました。私もJenと話しをしようとするんだけど、腫れ物に触るようで、とにかくM君の話には触れたくないみたいで、ひたすら自分が犯した事に対する後悔ばかりで、涙が止まらない。。。彼女から話してくれそうな雰囲気を作って、どうにか聞き出す事が出来た。「マミー、私は本当に馬鹿だったわ。 若いから間違いを犯しても仕方がない、とは言っても、痛いレッスンになったわ。。」事態は一変して、M君が有利になってしまっている。と言うのも、M君が大騒ぎをしてJenが犯した事を皆に言って回っているからだ。もう完全に、“M君大暴走”なのだ。これではまるで、Jenがどうしようもない女だって皆に言いふらしているようなもの。何度連絡を取ろうとしても、Jenとはとにかく会いたくない。と言うので、謝罪の手紙を書いてM君の家まで届けた。その時は、我慢したけど彼の目の前で泣いてしまったJenの肩を、さすって撫でてくれた様だけど、それだけ。その後も、何度も何度も謝罪のメールを送ったけど、そっけない返事。私にしてみれば、自分の事を棚にあげて、何をそんなに偉そうにしてるんだろうか? って事。M君は未だにJenに嘘を付き通しているのに、Jenは過ちは犯してしまったけど、最後には本当の事を伝えた。この差は大きいと思うんです。それからと言うもの、次々と聞きたくないような話が耳に入ってくる。「M君がこの間別れた彼女と、フェスティバルに来てたよ。」女がらみの話ばかり。。。これでは良くない、と、女友達に無理無理誘われて、フェスティバルに行った時に、M君と鉢合わせたときも、完全に無視。その時にJenが下出に出て、「今直ぐに話をしたいんだけど、。。」とメールをしても、「今友達と居て忙しいから。」帰りのバスで一緒になっても、声すら掛けずに無視。下を向いて帰宅したJenは、ご飯も食べずに寝てしまった。すると昨夜1時過ぎに、突然Jenの部屋から泣き叫ぶ声がして、びっくりして部屋の前まで行って、立ち聞きする私。気になってドアを開けると、“向こうへ行って”と手で合図をされたから、ひたすらTVを見ながら待つ。。。でも5分ほどして笑いながら部屋から出てきて、誰かと話をしている。そして、「I'm done.」(もうこれっきりだわ。)を連発している声が聞こえた。ちょっとだけ安心。友達との電話が終わったJenは、私が聞きもしないのに何があったのか話をしてくれた。M君は翌日にも又別れた彼女とフェスティバルに来て、イチャイチャしていたらしく、それを見たJenの女友達が彼を呼んで「あなた一体何を考えてるの? Jenがあれだけ謝って、あなたの事を思っているのに、どうしてこういう事が出来るわけ?」と、問いただすと、「昨日フェスティバルで僕と会っても、Jenは無視したからさ。」と答えたらしい。なんて自分勝手で自己中なんだろう。。Jenは直ぐにM君にメールを送った。Jen:「今すぐ話がしたいの。」M:「今携帯の電池が切れそうだからだめ。」埒が明かないので、ちょっと長いメールで今の気持ちを伝えた。それに対しての答えは、「気持ちは分かったけど、今更どうやって君を信用しろって?」この答えを聞いて、Jenは腹が決まったみたい。やっぱりさ、言いたくないけど自分しか愛していないんだろうねきっと。今のM君は、リベンジに燃えているとしか言いようがない。それから、Jenがとことん下出に出て、「ごめんなさい! あなたしか居ないのよ!ねぇ、お願い! 私の元に戻って来て!!」と、しつこくすがって欲しいんでしょうね。しかも自分の事は棚に上げて!(笑)まぁ若いからとはいえ、余りにも幼いよね。JenはM君に、ブリットニーの件で彼が嘘を付き通して居る事や、前の彼女といちゃついている事など、追求するつもりもないみたい。M君は、Jenがブリットニーの件の真実を知っているとは、夢にも思ってないんだよね。(苦笑)ブリットニーの件は、M君の親友R君から口止めされているって言うのもあるけど、今更もうどうでも良いんだって。昨夜Jenと私は、男の子や愛、近い将来の大学とか結婚について、朝方の4時過ぎまで話をした。愛って、許すことだよね。愛って、無償で相手の事を思いやる気持ちだよね。もっともっと他にも愛の定義ってあるだろうけど、私はこの部分を、Jenに少しでも理解してもらいたかった。「M君は、どうしようもないほど子供なのよ。。。私はもう付いていけないわ。」Jenは半分吹っ切れたように、そう呟いた。軽はずみだった自分の行いを反省して、男を見る目の課程、Ex.1をクリアして、少しずつ成長して行くんだね。。。Jen、こんな片田舎でせこせこ悩んでないで、世界に目を向けて頑張ろうよ。世界には、まだまだ私達の知らない事が一杯あるんだよ。色んな事を経験して吸収しよう。あなたは一人じゃない。We'll always love you!散々泣いて目は腫れていたけど、私に向かって微笑んだ笑顔が、とっても爽やかだった。
2008/08/11
なんか凄い題名つけちゃったんだけど、今“すけこまし”なんて言葉使うのかな???好色一代男って書いたのは、唯単にこの日記を書いてて、この言葉が浮かんで来たから。(笑)前回の日記の続編とでもいうか、Jenのパニック事件の話をサラッと書いたんだけどね、その後に、追い討ちをかける様な事件があったわけ。泣きじゃくるJenを、女友達が入れ替わり立ち代り側に居て助けてくれたお陰もあって、Jenにも笑顔が出る様になって来た矢先の事。正確に言うと、最初の事件発覚の3日後に、彼氏の親友R君が、Jenの彼氏M君と友達の縁を切った。という話を聞きつけたJenは、嫌な予感がしたのか、女の勘とでもいうのか、友達の縁を切った、というR君にメールを送って、事の真相を聞いたのです。するとR君から、12ページにも渡る内容のメールが返って来て、それを読んだJenは、泣き崩れたのでした。その時、女友達Lちゃんの家に泊まりに行っていた居たJenは、その日の晩散々泣いたらしく、翌朝Lちゃんが心配して、「Ms.Hitomi,私は今、彼女が寝ているのを見計らってTELをしているんだけど、実は昨日ある事があって、Jenは今疲れ切って寝ています。とても彼女の事が心配で、目が放せない状態です。私はこれからバイトに行かなくてはならないんだけど、部屋に一人でおいて置くのは気が気じゃないです。だから今から彼女を迎えに来もらえますか?バイトが終わったら、私が又彼女をお宅に迎えに行くので、再び彼女を家に泊めてもいいでしょうか?彼女を一人にしてはおけないんです。」と、私にTELを掛けて来たのでした。私:「今度は何があったの? 又M君?」Lちゃん:「そうです。。。」はぁ。。。。 思わず溜息が。。。。直ぐにLちゃんの家へJenを迎えに行くと、泣きはらして浮腫んだ顔のJenが、幽霊のように生気のない足取りで、車にやっと乗り込んだ。「どうしたの? 大丈夫?」「うん。。。」今直ぐにでも理由を聞きたかったけど、力無くうつむくJenの横顔を見たら、今はこの件に触れないで置こう。。と思い、真相を知りたい、と言う衝動を抑えながらハンドルを握った。「お腹空いてるでしょう? 昨夜はちゃんと食べたの?何かJenの好きなものを作るよ。 何が良い?」その問いかけにも反応せず、唯ポロポロと涙が頬を伝っていた。家に着くと無言で、自分の部屋へと直行してしまった。1時間ほどして部屋の中の様子を見に行き、「Jen」と声をかけると、「何?」と、Bedの中から蚊の鳴く様な声がした。「どうしたの? 一体何があったの?」「マミー、ごめんね。今は何も話したくないの。。。」「それじゃ、貴方が話せる準備が出来るまで待ってるからね。」それから3時間くらいして部屋から出て来て、何があったのか話してくれた。R君がくれたという、12ページのメールの内容を見せてくれた。“M君には僕から聞いたと言う事は内緒にしておいてくれ。”と言う出だしで始まっていた。要約すると、ブリットニーとJenの彼氏M君の事。R君はブリットニーの事が好きだった。所がある日、M君がいつの間にかブリットニーのメルアドをゲットし、R君に内緒で、ブリットニーとしょっちゅうメールのやり取りをしている事に気が付いた。その事をM君に問いただすと、ブリットニーが勝手にメールを送って来る、と言った。 自分の方から送った事は一度も無いと。。。それでも怪しいと睨んでいたR君。ある日、M君が携帯電話をR君の部屋に置き忘れて行った事があって、R君は、本当はこんな事はしたくなかったけど、M君とブリットニーのメールのやり取りの内容を全部読んだ。そして、その内容に驚愕した。M君が親友R君に言った事と、事実は正反対だった。君はなんてホットでゴージャスなんだ。Sexyで最高だよ。等など、数々の殺し文句で、ブリットニーをその気にさせていたのは、M君本人だったからだ。R君が切れたのはこれだけではなくて、こうやってM君が、脇からしゃしゃり出て来て、R君が気に入った女の子にちょっかいを出して邪魔をして、その女の子を自分の方に向かせてR君の恋を妨害する。と言う事が、過去にも何度もあったからなのです。一体どういうつもりでそういう事をするのか。。。?もう我慢の限界だ。しかも親友の俺の顔に向かって嘘をつくなんて。。。そういった経過を、Jenに教えてくれたのでした。最後に、彼が本当の事をJenに打ち明けたのは、M君にほとほと嫌気が差した事と、Jenがこれ以上、傷ついて欲しくないと思ったから。。。そう締めくくってありました。うわぁ。。。。 これはヘビーだな。。。Jenはこのメールを貰った後に、R君からのメールの事は勿論内緒にして、M君にもう一度聞いてみた。M君の返事は同じだった。ブリットニーが勝手にのぼせ上がって、「貴方の事が好きよ~~」っていうメールを送ってくるのだと。自分からは送った事が無いって。。。それでJenは、益々落ち込んじゃったのだ。親友にも、恋人にも、面と向かって嘘をつくなんぞ、叩っ切ってやりたいほど許せない。どうしようもない、“軟派なすけこまし野郎”なんじゃないの!旦那が帰って来たから、Jenから見えない場所に呼んでざっと話すと、又、“こんな事、大した事じゃないんだよ!”っていう妙に明るい態度で、Jenの肩を叩きながら説明を始めた。「ダディーの言う事は、全然Helpになってないの!」そう叫んで部屋へ行ってしまった。。その日の夕方、Lちゃんが迎えに来るちょっと前に、「マミーとダディーだって、話を聞いて力になってあげれると思うよ。」とか、「一人になるのが嫌だったら、マミーとダディーの間に挟まれて寝る?」とか、色々オファーしてみたけど、やっぱり、お友達と居るのが一番良いみたいで、Lちゃんの家へ泊まりに行った。でも、話はこれだけじゃ済まなかったんです。。私が、そして誰もが想像もしていなかった、大どんでん返しが待ち受けていたのでした。
2008/08/08
長女のJenが、お友達の家族に誘われて、9日間ノースカロライナへキャンピング旅行に行っていました。帰って来て早々、今度は隣町のMusic festという、有名ミュージシャン達が集まるフェスティバルへ出掛けると言って、彼氏と共に出掛けて行きました。何だか嵐のように出たり入ったりする長女に、「家には娘はもう3人ではなくて、2人になってしまったな。。」と、旦那がポツリ。。なんて呟いている間もなく、今度は帰って来るなり、大泣き。慌てて駆け寄って訳を聞こうとしたんだけど、「マミー! 今は何も話したくないの!」と泣きじゃくりながら部屋へ入ってしまった。一体何があったんだろう。。。。リビングでTVを観ていた旦那も、Jenの泣き声にビックリして、“何があったの?”って言う顔をして私の方を見るんだけど、お互いに肩をすくめるばかり。旦那はもう気が気じゃなくて、Jenの部屋の前を暫くウロウロ。。私は他の事をしながら様子を伺ってたんだけど、Jenの部屋からは、泣きながら誰かと電話で喋っている声が聞こえる。旦那は私に、早くJenに聞け!って感じで突くから、静かになった頃を見計らってJenに話を聞くと、Jenが旅行で居ない間、彼氏がブリットニーという女の子と、意味深なメールの交換をしょっちゅうしていたのが発覚したのだとか。彼に追求すると、メールをしつこく送ってくるのはブリットニーで、自分ではないと弁解。怪しいと睨んだJenは、彼の親友に聞いたのだとか。聞いた時には、「ブリットニーとは別に何でもないよ、気にしなくて良いよ」と言ったらしいんだけど、直ぐに折り返しTELが来て、「実は、何でもないと言っちゃったんだけど、僕の口からは言えないから、直接本人に聞いて。」って言われたんだって。それで半ばパニックになてしまったJen。本人に確認したら、メールのやり取りはしたけどブリットニーは唯の友達で、何も無かった。って弁明したらしい。(嘘っぽい!)私の日記を読まれている人だったら直ぐに分かると思うんだけど、Jenは旦那のラテン気質を受け継いでいるのか、何にでも大袈裟に、しかもメロドラマチックに反応する所があって、私は勝手に,旦那や旦那の親戚家族も含めて、“歩くスパニッシュ・ソープオペラ”と、呼んでいる位。悲しかったり、何かに感動したりしてその感情を表現するのは良い事だけど、泣いたり笑ったり,怒ったり、の起伏が激しいから、こっちはたまったもんじゃない。どうにか部屋から出て来させて、泣きじゃくるJenを抱きかかえてカウチに座らせ、肩を撫でたり背中をさすって落ち着かせる。Jenの口から、ようやく理由をを聞いた旦那。すると何を思ったのか、異常なまでに陽気な口調で、旦那:「えーっと、彼氏は何歳だっけ? 17歳?だったら、他の女の子とチャラチャラするのなんて、当たり前だよ~。この年齢の男なんてなぁ、考える事は皆一緒なんだよ。女の子がその気だったら、少しでも良い思いしたいもんなんだよ。本命はちゃんと別なんだけど、他で遊びたい気持ちはあるもんなんだよ。一人の女の子だけを向いてて、、、っていうのは、無理な話なんだよ、わかるか?」Jen:「彼はダディーが言うような、いい加減な人なんかじゃないわ! エ~~~~ン!」ちょっと、、、全然助けになってないじゃないのよ。。。旦那:「いやいや、否定したい気持ちは分かるけどな、男って言うのはだな、、、、」私:「あ~~~~もういい! ちょっとあんたは向こうへ行ってて!」まぁ旦那の言いたい事は分かるんだけど、私みたいなおばさんになってやっと理解出来るような事を、未だ15歳の娘にそんな事、“理解してやれ”なんていう方が無理があるよね。色々話を聞いて、肩をさすって抱きしめて、ようやく落ち着いて来て笑顔も見せるようになって、一安心。なのに旦那は未だ言い足りなかったのか、旦那:「だからな、Jen、 こういうことに関して無防備で居るのは危ないぞ。また次に同じような事が起こるかも知れないんだからな。」Jen:「もう~~! 皆自分と同じって考えないでよ!」男の立場からすると、“本命様はちゃんと別で、ちょっと他でも味見したいのよ。”見たいな事って、有り得るみたいだけど、女の立場からしたら、許せないわけですよ。中にはそうじゃない男並みの女性もいらっしゃるようだけど、女は男みたいに簡単につまみ食いなんて出来ないし、簡単にそういう事をする行為自体許せない。っていう所があると思う。Jenが部屋に戻って行って、私は旦那に向かって、私:「だから男って、アニマルだっていうのよ。」旦那:「え?男がアニマルだって!?何を抜かすか! 女だって生理になるちょっと前にアニマルになるだろうよ。」私:「はぁ~!?」私の顎は、思いっきり垂れ下がっていた事だろう。私:「ちょっと!PMSと一緒にしないでくれる! 」とは叫んだものの、旦那の言うことにも一理ある。私のPMSで長年散々な目に遭い、最近では娘のPMSの被害にも遭っている旦那の一言。説得力有り過ぎ反論する気も失せちゃったわ。
2008/08/07
今更なんだけど、昨日実家の母に教えられて初めて知った私です。ピッツバーグ出身らしいけど、この人全然英語の訛りがないよね。感心しちゃったわぁ。。お婆ちゃんが日本人で、お婆ちゃんから演歌を知って、演歌の世界にはまって行ったのだとか。。HIP HOP系のファッションで演歌。このギャップがたまんね~のぉ~。ここからどうぞ。。。
2008/07/24
いきなりですが。。。空手道場を変えました。理由は後ほど書きますね。今の道場は、松涛館の空手道場で自宅からちょっと離れた場所にあります。今までの道場よりも距離にして、片道だけでも4倍はあるかも。でもハイウェーをぶっ飛ばせば、20分位で着きます。この道場は、私達がプエルトリコからここに戻って来るちょっと前に、私がインターネットで見つけていた道場で、2年前に引っ越して来て道場探しをする時に、実は一番入りたかった道場だったんです。変な話インターネットで見つけた時に、ここしかない!ここに絶対に入るんだ!っていう確信があって、自分はもうその道場に入るもんだと、心に決めていたのでした。でも、場所的に離れている事と、道場のある場所の治安が悪い。ということで、旦那が絶対に首を縦に振らなかったんです。相当に気に入った道場だったけど、泣く泣く諦めたのでした。でも見学をした分けでもなくて、インターネットで見ただけだったのに、どうしてここまで執着するほど気に入っていたのでしょう。。今思うと不思議です。結局他の道場に決まり、楽しく稽古を受けて1年以上が過ぎたんだけど、この道場の事が頭から離れなかった。異様な感じだけど、時々インターネットでこの道場のサイトを見つめていたりしていたんです。今までの道場に見切りをつけた私は、とにかく見学にだけでも行ってみようと、6月に自分一人で見に行って来たのです。場所は確かに今までよりもかなり遠くなる。それに、プエルトリカン・コミュニティーのど真ん中にある道場。(笑)旦那が治安を気にするのは当然。(実際に問題が多い地域)道路沿いに面している道場の脇に車を停めて、中に入ってみてびっくり。物凄い狭さ!畳8畳あるかないか。って感じ。先生は勿論プエルトリカン。インターネットで先生の経歴を調べていたので、自然に先生と話をする事が出来ました。生徒は近所のプエルトリカンが殆どです。先生は日本から帰って来たばかりで、時差ぼけの真っ最中だったらしい。日本のどこに行って来たのか尋ねると、「上野と蒲田、それから大田区民会館と雪々谷。。」と言われて、「ええ~!?それってモロ私の地元なんですけど!蒲田なんて昔は毎日徘徊してましたよ~~。」って感じで、盛り上がってしまいました。おまけに先生はプエルトリカン。。。妙な縁を感じずには居られません。それに、何といっても私がプエルトリコにいた頃から目を付けていた道場です。もう直ぐ稽古が始まると言うので、早速見学させて頂きました。初心者クラスだったけど、皆基本がしっかりしているし、小さい子供達はお喋りをするどころか、目が真剣。狭い道場内に気がピーンと張り詰めていて、その緊張感とエネルギーが、こっちにも伝わって来るのです。「これだ! これが欲しかったんだよ!」椅子に座って見ていたのだけれど、興奮で胸が高まるのが分かりました。これは、今まで通っていた道場では殆ど有り得ない状況でした。先生も皆良い方達だったし、設備も環境も素晴らしかった。だけど、稽古中の一部の生徒達(殆どが茶帯や青帯)の無駄なお喋りや、ヘラヘラした態度のせいで、この緊張感が生まれる事はまず無かったんです。それが私には耐えられなかった。「こちとら、忙しいスケジュールをやりくりしてまで、遊びに来てんじゃないんだよ!」そう言う気持ちで、爆発しそうになった事も何度かありました。基本もしっかりしていない茶帯が沢山居て、そういう点も疑問でした。だから茶帯にもなっているのに、稽古中にヘラヘラしたりお喋り出来るんだろうけど。。。私が何人かの先生に、稽古中の態度の悪さに関して愚痴った時、承知していたようでした。先生方も何度も注意をしたりしていたけど、余り怖くない先生の時と怖い先生の時とでは、稽古中の態度が全然違うのです。特に、珍しく師範が教える時などは、別人のようです。師範は随時竹刀を持ってビシビシやっていたので、相当に怖いと思っていたのでしょう。でも師範先生は滅多に教えず、弟子の先生方が日替わりで教えていました。酷い時は、ティーンの黒帯が一人、なんて時があって、そんな時は皆おふざけムードで、まともな稽古にはなりませんでした。そんな中頭に来て、稽古を途中で放り出して帰ろうと、何度思った事か。。タイトなスケジュールをやりくりして、頑張って出て来てこれでは、怒りは元より、やる気が消失してしまった。だから、この状況を本当にどうにかして欲しかった。このままじゃ、ろくな事を学べないし、これは道場の為にも良くない。。。。稽古中の態度が気になり始めてからの半年間、師範先生に対する敬いの気持ちもあって、この件には目を瞑って我慢したけど、こんな状態で気持ちがダウンして、稽古なんか出来るわけが無いです。改善の兆しが見えないままだったので、辞める事を選んだのでした。どうせやるなら精一杯、一生懸命やりたくて来ているのに、時間の無駄はしたくなかった。話は戻るけど、新しい道場の見学を一人で終えた私は、その日の午後に子供達を連れて見に行った。子供の感想も聞きたかったから。。それに、折角1年半も通って友達も居る慣れた道場を、母親の私が変えようとしているのだから、子供の意見も是非聞いてからではないと、ダメだよね。午後のアドバンスクラスの練習を見学し終えた子供達の感想は、Tiffany:「私気に入ったわ! 直ぐに移っても良いよ!」Michael:「僕は前の方が良い。。。1年半今まで通った分を無駄にするって事?友達も居るのに、何で変わんなきゃいけないんだよ。。」この反応で再び迷ってしまった。Michaelがもし、Goサインを出してくれていたら、2人共OKという事ですんなり事が進んだのに、Michaelの一言で、悩んでしまった。。私の勝手で、Michaelの気持ちを踏みにじってもいいのか。。。確かに1年半頑張って級も上がって来たのに、又ゼロからやり直しになってしまう。私にとってはゼロからのやり直しは、当然の事として受け入れられるんだけど、彼にとっては屈辱になるらしい。とりあえず、暫く時間を置いてから“お試し稽古”を受ける事を先生に告げて、Michaelには、「気持ちは良く分かったけど、やっぱり実際に稽古を受けてみないと分からないでしょう?1回だけでいいから、受けてくれる?」「いいけど、その後は、僕は前の道場の方に戻りたいからね。」とにかく、お試し稽古の約束をしてくれたので、半月後に稽古へ行って来ました。お試し稽古の後、車の中で何も感想を言わないMichael.何も言わないのは良いサイン。嫌だったら、ブーブー文句を言うはずだから。。(笑)聞きたい気持ちを抑えて家に戻り、ご飯を食べてから聞いてみた。「どうだった? 今までの所とは違って、かなり緊張感があったでしょう?」「うん。」「どうする? この道場で稽古を受けてみる?」「いいけど、3ヶ月ね。」(割としつこい!)後の難関は旦那。旦那は、「今までの道場を止めるのは間違いだ!何故あえて遠くて、危険な所に行くんだ。今まで掛けたお金と時間が無駄になるんだぞ!」と言い張る。お試し稽古の事や、今までの道場で私が耐えられ無かった理由や、治安は確かに良くない地域だけれど、道路に面していて、地元に貢献している先生な様で、道行く人やワルそうな外見の若い子達も、道場内に目を配って、皆挨拶をして行く。など、色々と訴えて、とにかく彼に道場を見てもらい、決定を下してもらう事にした。「I know what I want!」私は最後にそう叫んでいた。翌日に道場の外見をチラッとだけ見に行った後に感想を聞くと、「君がここまでやるって言い張るという事は、相当に腹が決まっての事なんだろう。これ以上俺が何を言っても、聞かないのは分かってるよ。」そう言って、中までは見学しないでOKしてくれたんです。という事で、晴れて7月から新しい道場に通っています。又白帯からだけど、それがどうした。だよね。(笑)かれこれ6回通っているけど、行く度に「やっぱりここに変えて良かった!」って言う確信が強まります。先生は日本語の読み書きもかなり出来るそうで、今でも漢字を勉強中らしいです。稽古では全て日本語です。今までのように、front kick、reverse punch 等とは言いません。細かい説明は生徒に英語やスペイン語でするけれど、基本は日本語です。たまに正座をさせられて、空手の歴史や日本語の言葉の意味、松涛館の歴史や、古武道も教えているので、武器の説明から何から丁寧に教えてくれます。何といっても、師範先生が直々に教えて下さるのが嬉しい!未だ数回の稽古を受けただけなのに、Michaelに関しては、私もビックリするほどの変わりようなんです。突きの練習中に、自然に(つい)気合いを発する場面が何度かあって、先生から「Good spirit!」と褒められたり。。。今まではふざけたりする事はあっても、こんな事は有り得なかった。彼も道場内の“気”を、肌で感じ取ったのでしょう。後でこの事を聞いて見ると、「自分でも分かんないんだけど、自然に気合を発しちゃってたんだよ。。」と、自分でも不思議だったみたいです。でも、そういう風になれたことを先ず先生に褒められ、私も感動していたので、自分でも何だか嬉しかったようです。「前の道場に戻りたいか???」ってこの間聞いてみると、「遊びに行ってもいいよ。」だって。(笑)今は、基本からバッチリ矯正させられているので、本当に変えて良かったって思っています。
2008/07/20
前回ので、あ~~!もうお腹一杯!って思われた方も多いと思うんだけど、最後まで書かないと中途半端になっちゃうので、今回で終わりにします!JenがM君とお付き合いをする前の話になります。L2ちゃんという、Jenの女友達の家でお泊りをした時の事です。夕方になって、L2ちゃんの家のバックヤードでお友達を呼んで、ハウスパーティーをする事になり、お泊りをする女の子達以外にも、沢山の友達が集まりました。その中にはL2ちゃんが、この間のプロムからお付き合いを始めた、18歳の大学生の彼氏、D君も居ました。D君はJenの男友達の中の一人で、彼が高校に在学中にグループで何度も出掛けた事があります。Jenは勿論M君を誘って彼も参加したんだけど、M君はどうしても家族の用事で、途中で帰らなければならなくなりました。男の子達が沢山いる中、Jenを残して帰るのには不安があったM君。後ろ髪を引かれる思いで、帰ったのでした。すると、M君の嫌な予感を現実にするような事が起こったのでした。パーティーの最中に、L2ちゃんが飲み物を取りに家の中へと席を外した隙に、D君がJenの側に寄り、いきなりkissをして来たのです。それも一瞬の出来事でした。Jenはびっくりして、「何するの! あなたはL2ちゃんの彼氏でしょう! 一体何を考えてるの!」と怒鳴って、彼を追い払った。ドサクサの中、誰も今起こった事に気付いた人は居ないようでした。飲み物を持って戻って来たL2ちゃんに、何事も無かったかのように接するD君。L2ちゃんはD君の事が大好きで、とても楽しそうにしている。D君に対して怒りを感じ、L2ちゃんに伝えなければと思う一方、L2ちゃんの幸せそうな顔を見ていたら、どうしても今あった事を、彼女に言えなくなってしまった。翌朝、家に戻ったJenからその話を聞かされ、私は今すぐにL2ちゃんに伝えるようにとアドバイスをしました。L2ちゃんとJenの人権を無視した自己中のD君は、彼氏というよりも、人間として良いとは言えない。しかも自分の彼女が近くに居るその席で、その彼女の親友に抜け駆けでkissするなんて、相当なワルでしょう。第一に友達の事を想えば、今すぐにでも真実を打ち明けるべき。。。それに、後からこの事をL2ちゃんが誰かから聞いた場合、怒りの矛先はJenにも向けられる筈。Jenは躊躇していた気持ちに区切りが付いたようで、早速L2ちゃんに伝えたのでした。L2ちゃんは、とっても可愛い顔をしているのに、物凄く気性の激しい性格の持ち主。直ぐに怒りの炎は燃え上がり、D君を呼び出して責め立てたのでした。D君は開き直り、「それがどうしたの?悪かったね~。」と言うような態度をとった為に、L2ちゃんは彼を大好きだったけれど、別れたのでした。Jenは、この事をM君にも伝えなければ、と思ったのだけれど、実は、これと似たような事件が以前にも起こっていたのです。1度目は、2人が未だ知り合って間もない頃で、お友達の家に皆が集まった時に、野球のミーティングでたまたまM君はその場に居なかった。“M君とJenが最近急接近中”という噂を聞きつけた男友達のC君。どういうわけかC君は、M君の事が大嫌いだったらしい。Jenが皆が居る所とは別の部屋で、M君と携帯で話をしている最中に、C君が部屋に入って来て、色々とちょっかいを出して来た。C君:「ねぇ、誰と喋ってるの? M? 」Jen:「誰だって良いでしょう! ちょっと、向こうへ行っててよ!」M君:「どうしたの? そこにいるの誰? 大丈夫? 」C君がドアを閉めたのを見たJenは危機感を感じ、Jen:「うん、大丈夫、ちょっと待ってて、又かけ直すから。」そう言って電話を切り、しつこく絡んで来るC君を追い払おうとした。C君:「Mの事好きなの?」Jen:「好きだけど何? あなたに関係ないでしょう。」C君:「俺は奴が嫌いなんだよ。何であんな奴の事好きなんだよ~!」そう言って、嫌がるJenの両頬を押さえて無理矢理kissしたのでした。C君を突き飛ばして、泣きながらその場を去るJen。友達もびっくりして駆け付けた。その後M君に電話で全てを打ち明けたJen。M君は、ショックだったようだけど、Jenのせいではないし、本人の口から正直に打ち明けてくれた事にお礼を言ってくれた。でも、後で女友達が教えてくれた所によると、Jenから話を聞いた後に、やり場の無い怒りで部屋の壁を殴ってしまい、穴を開けてしまったとか。。。そしてやはり黙っていられなかったM君は、C君と後で殴り合いの喧嘩になり、2人共、顔に青たんを作ったのでした。話は元に戻るけど、M君に伝える時に2度目と言う事で躊躇いが。。。でも、思い切って彼に伝えたのだけれど、彼の返事は、「事実を伝えてくれて、、、、そして、いつも正直で居てくれてありがとう。。。でも、何で皆君にkissしようとするんだ!?」やっぱり事実を正直に伝えたので、大事にはならずに済んだのでした。流石にM君も危機感を感じずに居られなかったのか、このままではマズイと感じたのか、D君との一件の直後に、正式に交際を申し込んで来たのでした。はぁ。。。疲れた。Jen曰く、「男は皆、animalよ!」旦那にそれとなく話をすると、「当たり前だ! 十代のテストステロン大放出中の輩の考える事なんて、俺には手に取るように分かるよ。だ~か~ら、気をつけないといけなんだ!」おっと。。。。旦那に拍車をかける様な事を言ってしまったかな。。
2008/06/30
昼間のメロドラマ系のお話で、実際にあったお話。こういうのが苦手な方は、次の日記でお会いしましょう!*~*~*~*~*~*~*~*~*~*~*~*~*~*~*~*~*~*~*~*今までず~~~~っと、決まった彼氏を作らずにいた長女に、1ヶ月ほど前に彼氏が出来た。夏休みに入った今は、ラブラブで毎日会っている。この所、Jenはラブラブ、旦那はカリカリその間に居る私は、たまったもんじゃないですよ。JenとM君。正式に付き合う前は、グループ交際で外で会ったりしていたようなんだけど、彼氏、彼女となった今は、家に連れて来るようになった。初めて家に連れて来た時に、Jenの後ろから、「Hi!」と言って、キッチンにいた私に爽やかに微笑みながら入って来た。私がドキッ!とする位に、ベッカム似のかなりなイケメンだった。へぇ~~~、なるほどね~。と、一人納得する私。というのも、Jenが晴れて彼とお付き合いをするようになるまで、色々とテレビドラマのような展開があったから。その都度、実況中継のようにJenから話を聞かされていた私は、そのテレビドラマ顔負けの展開にドキドキしながら、Jenからの報告を待っていたんです。一緒に悩んで、一緒に怒って、喜んで、。。。って感じで。(笑)そもそも2人が知り合ったのは、JenがM君と共通の女友達Lちゃんに誘われて、M君の野球の試合を見に行った事から。観覧席に居たJenを一目見て、当時彼女が居たというのに、Jenに一目惚れをしてしまったM君。そこで、早速Jenの親友でもある女友達のLちゃんに、Jenの事を散々聞き捲くったらしい。そして、「彼女に、"可愛いね”って言っておいて。」と、Lちゃんに、言付けまでするようになって行った。それから何度も野球の試合に招待されるようになり、Lちゃんと共に出掛けて行ったJenに、M君はマウンドでシャツをチラチラめくって、鍛え抜かれた6パック(腹筋)を見せびらかす。と言う、思わず噴出してしまいそうなアプローチを目にするようになる。余りに滑稽なので、女友達とクスクス笑ってしまったそうな。M君がJenを意識して、格好付けて裏返したバケツに腰掛け、突然クシャミをした瞬間に、バケツもろとも後ろにひっくりかえり、皆から大笑いされる。という大馬鹿も目撃した。馬鹿をしちゃっても、必死になってアプローチをするM君の態度を見れば、誰だって悪い気はしない。Jenも彼女が居るとは知りながら、M君を次第に意識するようになり、お互いに魅かれて行った。。所がJenは、Lちゃんの態度の変化に気がついた。「もしかして、LちゃんはM君の事が好きなんじゃないかしら。。。」そう思って、思い切ってLちゃんに聞いてみると、「No」と言う答え。「それじゃ、私が彼を好きになっても気にしない?」「気にする分けないじゃないの! 彼は私の親友よ!」でも何となく様子が変。。。人間観察に優れているJenは、その事も私に話してくれた。Jen曰く、M君の前だとLちゃんの態度が、“好きよ~!好きよ~!”っていう、メッセージを出し捲くりって言うのが、脇に居て嫌でも分かる。んだそう。そんなLちゃんの気持ちを知ってか知らずか、M君は相変わらずLちゃんを使って、Jenと会いたがった。(グループ交際みたいな感じ)その中継ぎをするLちゃんは、Jenには“気にしない”と言ったけど、段々機嫌が悪くなって行った。その内、Jenに内緒でM君を誘って2人だけで出掛けようとしたり、Jenの事を悪く言うようにまでなって行った。但し、JenとM君が知り合うまでは、Lちゃんは度々M君とご飯を食べに行ったりしていたらしい。親友のLちゃんが、内緒で裏でそういう事をし始めた事を知ったJenは、泣いて私に一部始終を話してくれた。どうしてLちゃんの行動がばれたのかと言うと、M君がLちゃんの態度を変に思って、Jenに話したから。。。M君にしてみれば、Lちゃんは僕がJenを好きなのを知っているのに、Jenの悪口を言い始めたり、どうして2人だけで出掛けたがるのか?って事だよね。極めつけは、LちゃんがM君とランチを食べに行ったレストランで、カップルのアンケートみたいな事をしていて、そのお礼に写真入の記念のマグカップをくれると言う事と聞いた時にLちゃんは、「M君、アンケートに答えたら写真を撮る時に、私にKissしなきゃいけないんだよー」と、言ったらしいのだ。その言葉に面食らったM君、アンケートは勿論受けずに、どうにかその場をしのいで、後でJenに報告してくれた。それを知ったJenは、怒りと悲しみで私の前で暫く泣いていた。他の女友達が心配して、家へ駆けつけてくれた。その3時間後に、「Lちゃんと話を付けに言って来る。」と言って、私はJenをLちゃんの家へ車で送って行ったのでした。M君の方も彼女が居るわけだから、けじめをつけなくちゃいけない。その後の展開と言ったら、それはもう~、スパニッシュ・ソープオペラどころじゃなかったんだから~~。あっちで誰かが泣けば、こっちで誰かが怒り狂い、それを傍観していた誰かが中に入って、事態は更にかき乱され、逆境に曝された愛し合う2人の愛の炎は、益々燃え盛り~~~、みたいな。でもまぁ、JenはLちゃんとの話し合いでお互いに納得して(詳細は教えてくれなかった!)2人の仲は又友達として戻り、M君はJenの前で電話で彼女に別れを告げたのでした。それでもお互いをちゃんと知りたい。と言う事で、JenとM君はデートを重ねてから、お付き合いが始まったのでした。(ふぅ~)でもそれだけでは収まらなかったのです。M君にふられた元カノのRちゃんが、友達と一緒になってJenに嫌がらせを始めたんです。学校でいきなり後ろから、Jenの身体に体当たりして通り過ぎたり。。。でも直ぐに夏休みに入ったから、そういう事も無くなって安心していたのに、今度は元カノRちゃんの親友Eちゃんが、Lちゃんに近づき、どういうわけか意気投合して、女友達同士のお泊りパーティーに、Eちゃんも参加。Jenは行くのを嫌がったけど、女の意地なのか、「Eちゃんのせいで、動揺する姿なんて見せたくない!」と言って、お泊りパーティーに出かけて行ったんです。私はこの時、元カノRちゃんは、親友Eちゃんをスパイとして送り込んだな。と見た。そしてM君に未だ未練があったLちゃんは、スパイの臭いプンプンのEちゃんを、難無く受け入れた。「何かとっても臭うから、用心しなさいよ。」と言って、Jenを送って行った。案の定、その日の晩のパーティーの最中に、Jenの携帯が盗まれた。Jenは直ぐに電話会社へ連絡して、アカウントを閉鎖した。高額な携帯だっただけに、ダディーに何と言ったらいいのか。。と、Jenはショックで一晩泣き明かしたらしい。しかしその5日後の事。「携帯が見つかった!」と、Jenが大喜びして飛び跳ねていた。「どこにあったの?」「Eちゃんが見つけたんだって。」「え? あのEちゃんが見つけたって!? どういう事よ。」「Eちゃんの友達のバッグの中に入ってたんだって。」臭い! 臭過ぎる!何でJenの携帯が、勝手にEちゃんの友達のバッグになんて入ってるんだ?臭いのはそれだけじゃない。携帯のSIMカードが無くなっていたんだよね。いつの間にかバッグに入ってて、何でSIMカードが無い訳?こんなお子ちゃまでも分かるような、アホな嘘つくのって、どんだけ能が無いの?って思いません?私の推理によると、EちゃんはパーティーでJenの携帯を盗み、元カノRちゃんと一緒に、M君とJenのテキストメッセージのやり取りを読んだ。そして、その後自分の物として利用しようとした。だけどアカウントがクローズされていて使えないので、見つけたと嘘を言ってJenに連絡して来た。。。まぁ、証拠が無いから何とも言えないけどね。。Jenは携帯が見つかって大喜びだし、見つかっただけでも良しとするか。。だよね。Eちゃんはその後、Jen達のクループから総好かんを食らって、全然姿を現さなくなりました。このお話、本当はこれだけじゃないのよ。。。もっと凄い展開になったんだから。何か難関が多いと言うか、、次にはJenの親友の彼氏が絡んで来ちゃってね、大騒ぎでした。こんなにひっちゃかめっちゃかで、一瞬たりとも目が放せない状態で、Jenの事が心配で心配でなりません。でもなんかこういうのも、青春なんだなぁ。。。なんて思ったりもして!嘘みたいな本当の話。。。私もこのストーリー展開に着いて行くのが必死ですわ。。。
2008/06/27
毎年一度この時期に、沖縄から喜瀬範士が全米の教え子達の道場を回って、特別稽古を施してくれる。私達の道場にも先生はやって来た。YOUTUBEに載ってました。この先生です。旅の疲れも見せずに、初心者クラス、上級者クラス、黒帯のクラスをこなして、お年なのに身のこなしが早くて、感心してしまいました。JenとNicoleは、喜瀬先生の事を、映画【The Karate Kid】に因んでいるのか、Mr.Miyagiと呼んでいた。(笑)土曜日の特別稽古の後は、先生も一緒に、ニュ-ジャージーのトーナメントへ出場。実を言うと、体調が悪くて2週間以上も稽古を休んでいた私は、トーナメントには出る気がしなかったんです。でも、何となくその場の雰囲気で私も出るような感じになっちゃって、沖縄からいらしている先生の顔を立てる意味でも、出場を決意しました。それなのに、その決意を揺るがすような事が起こっちゃったんです。早朝に下腹がグルグルしてトイレに駆け込み、その直後に全身に物凄いかゆみが!それはもう異常な痒みで、眠い目をこすって腕を見ると、真っ赤な、まだら模様の湿疹が出ているじゃーありませんか!慌てて身体のあちこちを見てみると、脇腹、太もも、背中、胸。。。とにかく全身に赤いまだら模様の湿疹が出ていて、気持ち悪いのなんのって!何ていうか、自分がまるで爬虫類にでもなったのか!?って感じの気持ち悪さ。痒くて掻くからなのか、そのまだら模様が盛り上がっちゃっている。ひゃぁ~~~!顔の事が気になって鏡を見ると、まだら模様は無かったものの、やっぱり浮腫んでいる。。。昨日一体何を食べたっけ??何か変なものでも触ったかな?アレルギー体質で幼い頃、草や土を触ってかぶれる事が良くあったんです。でも大人になってからは、全然起こらなくなっていたから、原因を必死に考えた。はぁ。。何でトーナメントの当日の朝に限って、こうなっちゃうんだよ~~~!おまけに下痢ピーでしょう。(汚くてすいません~!)トーナメント会場までは片道1時間半かかる。まさかトーナメントの最中に、トイレを往復するわけにも行かないし、もし試合中に、お腹がピキピキ来ちゃったらどうしよう~~~。。。。あのNASAの女宇宙飛行士 リサ・ノワックのように、大人のオムツでもして行くか。。。。旦那が居ないから、誰も当てには出来ない。。。散々悩んだ挙句、とにかく子供達だけでも出場させてあげたいと思って、アレルギー用の薬を飲んで、痒み止めのラナケインを塗ってから、皆との待ち合わせ場所まで行った。皆に湿疹を見せると、「Oh my god....」と言って絶句している。でも皆口々に、「これは冷やした方が良いよ。」という。先生にも、「トーナメントは子供達だけ出場させます。」と告げて車へ戻ると、喜瀬先生が到着した。喜瀬先生の乗っている車に駆け寄って湿疹を見せると、「あ~、、これは暖めた方が良いよ。暖めたタオルかなんかで患部を拭くと良いよ」とおっしゃるじゃありませんか!アメリカ人は口々に【冷やせ】と言う。日本人は【暖めろ】と言う。。。これって前にも同じような事があったわよね。以前の日記【◆国際結婚、常識が違う二人◆】で触れた事と同じ現象が起きている!皆は私がどうするのか注目している。。。暖めるべきなのか、冷やすべきなのか。。。あちらを立てれば、こちらが立たず。。。あ~~!こんなプレッシャー耐えられない~~~!本当は、掻きむしりたいくらいに痒いんだけど、「今は薬が効いたのか痒みが治まっているから、何もしないで様子を見ます。」と言ってお茶を濁した。トーナメント出場の話を喜瀬先生にすると、「私が付いているから大丈夫。」と言って、背中をポンポンと叩かれた。うううぅ。。。先生がそうおっしゃるのなら仕方がない。。「いや出られません。」なんて言えない!「分かりました。頑張ってやってみます。」と先生に約束して、車に乗り込んだ。下痢ピーが怖いので水分も控えて、何も食べずにトーナメント会場へ向かった。何となく痒みも収まり、お腹の調子も大丈夫そう。子供達の部が終わり、私は年齢的にシニア(あ、笑ったな!)のカテゴリーだから一番最後。その私の出番が近づくにつれて、何だか目まいがして来た。多分水分も食事も控えてたからだ。って気が付いた時には、もう遅いよね。時計を見ると、9時に始まってもう2時になっている。やばいなぁ。。と思っているうちに呼ばれて試合開始。練習不足が祟って、型は滅茶苦茶だった。途中で型の演技に切れが無い事に気が付いて、気が散っちゃって最悪の演技。極め付けに、本来なら最後にお辞儀をしてからもう一度審判の前に出て、点数が出るのを待つ所を、お辞儀をしてそのまま引き返そうとしてしまったりと、大馬鹿をやってしまった。結果は4位。それでもあんな散々な演技で、奇跡的だったって思う。組み手では、2回戦までどうにか進んで、最後に当たったのが、曙そっくりの巨漢だった。彼女キャサリンていうんだけど、お互いに自己紹介した時に、アンパンマンのようなふっくらとしたホッペがほんのり赤くて、笑顔がとっても可愛らしい。「私35歳なの。もしかして私が一番ここで年上かな~。」と言って皆と談話していた。「いや、私が一番年配よきっと。」と言って、私の年齢の書いてある出場者が持っているカードを見せると、私の手首をつかんで「だははははは~~!」って、しなだれかかるようにして笑うのだった。(どういう意味だよ!)何とも可愛らしい曙ちゃんなのであった。その曙ちゃんとあたってしまって、いざ試合が始まると、「はじめ!」の合図の直後、何と曙ちゃんたらいきなり、ギョェ~~~~~!と、雄叫びを上げたのだった。びっくりしてしまった私は、その瞬間に気が抜けてしまって、まさかの2本先取を許してしまった。やばい。。もう先がない!これはもう、曙ちゃんが奇声を発する前に攻撃を仕掛けないと、又やられてしまう。「はじめ!」の声と同時に、得意の蹴り技で1本取った。2対1後2回勝たなきゃダメだ~。さっきの先行攻撃はもう分かられているけど、やっぱりあの奇声を聞くのを絶対に許すものか!って思って、先行先行、で行く事にした。だってもう後がないもん~~!私が蹴りをよく使うのを、分かられている可能性があったから、今度は上段突きから、逆突き、逆突きで一気に攻めると、見事に決まった。無意識に決まった瞬間、「うりゃ~!」と、怒鳴っていた。2対2。 これでタイだ。曙ちゃんの目つきが、猛獣のように変わっている。私はやっぱり未だ気管支の調子が悪いみたいで息が切れてしまい、マウスガードを外して呼吸を整えた。「用意!」と言われて再びマウスガードを口に押し込み、次の手を考えた。ええ~い! 次も先行で突っ込め!そう思って先行には出たけど、曙ちゃんも同じ事を考えていたみたいで、お互いの蹴りが重なって、その後のカウンターパンチも重なり、その勢いで曙ちゃんが私の身体に乗っかる形になって、2人で倒れ込んでしまった。腰を強く打って痛かったんだけど、もうそんな事気にしている余裕がない。位置を正して試合再開。今度はお互いに出方を見てしまって、フェイントは掛けるものの睨み合いが続く。もうこうなったら、一気に仕掛けようと思って、回し蹴りから中段の逆突きを仕掛けると、曙ちゃんは私の頭にパンチを入れた。本来ならこのトーナメントでのルールは、顔や頭、背中や膝下への攻撃は禁止されているのに、ジャッジは何も言わずにいた。それで頭に来て切れたのが良かったのか、もう駆け引きも何も考えずに、曙ちゃんにかかって行った。気が付いたら「一本!」と言う声がした。このトーナメントでは、どんな技でも1ポイント制をとっている。4角に立っている審判と、目の前の審判を見ると、全員私の側に腕を伸ばしている。やった~! 初めての1位だぁ~~!何だか一気に力が抜けた。曙ちゃんも私も汗びっしょり。ヘッドギアを外した曙ちゃんが寄って来て、「凄く良い試合だったわ。 でも今度は負けないわよ!」と言って、ガッシリとHugされた。もうヘトヘト~~~! 終わった途端に、一気に吐き気が襲ってきて具合が悪くなって来ちゃったから、先生に挨拶もしないで帰って来てしまった。実はこの行為の事で、「帰る前に挨拶もしないで帰るとは何事だぁ~!」って、後でSmith師範からこっぴどく怒られたのでした。帰りの車の中で、何でもいいから口に入れるものを探して、Michaelのスナックをバリバリ食べながら運転して帰って来たって感じ。MichaelとTiffanyは入賞を逃したけど、凄く大きな大会だったから、良い経験になりました。Tiffanyは負けた悔しさで、帰るまで泣いていたんですよ。。。というのも、組み手で相手の男の子が2回も反則をしたのに(顔面パンチ2回)、審判が何も言わなかったって言って、憤慨して審判に抗議をしたほど。私もその一部始終を見ていたから、Tiffanyが憤慨するのもよく分かった。審判の一人に何か言われて一旦戻ったものの、負けたのと理不尽さに悔しくて泣きじゃくるTiffanyに、他の道場の子供達が寄って来て慰めていました。でも帰りの車の中では、ケロッとしていたから良かったわ。。Michael 棒術Tiffany 型Michael 組み手Tiffany 組み手喜瀬 富盛 範士
2008/06/26
心エコーの検査に行った時の話。エコーの検査技師がまた変わった人だったんですよ。初めて見た時に彼の外見と雰囲気から、インド人かな?って思った。受付に居た、その初老のインド人?の技師さんにreferralを手渡すと、「2,30分、心臓をエコーで診るだけだから、痛くもないし怖くないからね~。」と、優しく話し掛けてきた。エコー自体は、妊娠中に何度も受けているから勝手が分かっているし、心エコーについても、どんな検査をするのかネットで詳しく調べてから行ったので、余り不安は無かったんだけど、その人の優しい話し方でかなりリラックス出来た感じ。薄暗い検査室に通されて、上半身だけ裸になって前が開いているガウンを着て診察台に横になった。あの透明なジェルを胸に塗りたくられて、左胸にプローブを押し付けられて(割と強く押し付けられたから痛かった~~)検査開始。この方、聞く所によるとインド人ではなくて、パキスタンから来たそう。彼の奥さんがまた、何かと小うるさいイタリアン・アメリカンなんだって。(本人曰く)それでね、その検査技師さんったら、約30分の検査の間中、ず~~っと喋りっぱなしだったんです。診察台に横になって早々、「あなたは元はどこの出身? フィリピーナ?」って聞かれて、「NO! JAPANESE!」と、私が胸を張って答えると、彼は凄く嬉しそうにして「日本人か~。 道理で違うと思った。」と言いながら、私に微笑みかけている。「何が?」と言う感じで、たぶん間抜けな顔をしていた私に、「胸にプローブを結構強く押し付けるから、不快感を訴えて来る場合が多いんだけど、あなた何も言わずに耐えてたでしょう。 日本人は我慢強いからね~!」から始まって、彼のお父さんから、第二次世界大戦の時の日本兵の事を良く聞かされたとか、武士道や精神世界の話から、とにかく日本に対してとても良い印象を持っているらしく、彼の日本人に対するポジティブな話を聞いていて、日本人として嬉しかったっていうか、何だか照れくさい感じだった。お返しと言っちゃなんだけど、昔ロングアイランドに住んでいた頃、長男マイケルの出産祝いにと、Jenのクラスメイトのお母さん(パキスタン人)が、「私の国では、誰かの家を訪ねる時に、絶対に手ぶらでは行かないものなんです。」と言って、手編みの真っ白いケープと帽子のセットをくれた事があって、その事を彼に話したら、益々饒舌になっちゃって私としては、ちゃんと検査をしているのか、気になって仕方がなかった。でも、喋りながらも要所要所はちゃんと押さえていて、時々ベラベラ喋っていたかと思うと、急に話題を変えて、今見ている画像の説明をし始めたり、急に黙って、「ここは強く押し当てて、正確な位置で当てたいから動かないでね。」なんて言ったりするから、全ては完全に彼のペース。あれこれ話をしている内に、“良い人間と悪い人間の見分け方”、という話に流れが変わり、宗教やオーラ等のスピリチュアルな話になって一気に盛り上がり、何と、実は彼がヒーラーでもある、と言う事が分かった。彼曰く、彼の家には仏陀からアラーからシバやキリストから、とにかく何でも飾ってあるらしい。全ての宗教を尊重して、その良い所を受け入れる。と言う事も言っていて、私も日頃からそういう考えで居たから、彼に大いに賛同して話を続けると、本当に嬉しそうにして、より一層彼の舌も滑らかになって行った。検査の最後の方で、「これを見てごらん」と言われてエコーの画面に目を向けると、血流が青と赤に綺麗に色分けされて、ドックンドックンと脈打っている私の心臓が映し出されていた。鮮やかな赤と青の血流が、力強く心臓から出たり入ったりしている。「う~~ん。。。確かに雑音は聞こえるね。。。でも、あなただったら大丈夫。この心臓を見てごらん、医者が何を言おうと大丈夫だ、僕が保障するよ。」ついでに、“ライオンの心臓みたい”と言う、妙な太鼓判を押されてしまった。喜んでいいのか、ちょっと引きつった笑いをしていると、「しかし、あなたは色々考え過ぎちゃったり、我慢し過ぎる所がある。だから病気になるんだよ。 それにね、人が良いのも良し悪しなんだよ。そういう所を気をつけなさい。それから、ここ最近随分大変な事があったみたいだね。相当ストレスを溜め込んでいるように見えるよ。」って言われてしまった。彼の知らない事なのに、それをズバッと指摘されて、思わずニヤケてしまった私。確かにここ半年の内に、日記では書けない様々な事が重なって起こっていて、彼の言う様に、結構ストレスが溜まっていたのかも知れない。「え~!? 何でそんな事が分かるんですか?」未だ会って30分も経ってない他人から、自分を見透かされた事にびっくり。興奮して検査が終わって起き上がりながら、つい叫んでしまった。彼は唯微笑んでいるだけ。その後も色々とアドバイスをしてもらって、私は感慨深いものがあって、深く溜息をついていた。彼は微笑みながら、診察台の上に座っている私の頭をHugしてから、「君はとってもユニーク(独特、風変わり、珍しい)で、興味深い人間だね。」 と言って、頭をポンポンと撫でられた。(私は子供か!?)はっきり言って私にしてみれば、彼の方がユニークなんですけど~~!帰り際に、「何かあったら、いつでも旦那さんと家に遊びにおいで。」とまで言われて、握手をして帰って来た。遊びにおいでって言われても、家知らないんですけど。と思ったら、「いつでもここ(病院)に居るから。」だそうです。何だかとっても不思議な人と巡り合っちゃいました。後日分かった検査の結果も彼の言った通り、雑音はあるけれど心配ないそうで、一安心。でも今度は、肺機能検査をする事になっちゃった。今度も又、不思議な出会いがあるのかな。。。???何だかちょっと楽しみ~。明日肺機能検査に行ってきま~~す。
2008/05/25
カメラが戻って来たので、写真をアップしました。昨日はプロムと言うことで、家の前で色とりどりのドレスで着飾った子達が写真を撮ったり、リムジンやお迎えの車が、あちこちで走っていました。Jenの写真を撮った帰りに、Hummerのリムジンが近所の家の前で停まってたんだけど、これは何度見ても迫力あるね~!お蔭様で道幅が狭い狭い、ゆっくり運転してHummerのLimoの脇を通りましたよ。今年はJenの女友達全員が誘われたので、皆仲良く写真を撮りました。因みにJen達は10年生(Sophomore)です。本当のシニア・プロム(12年生)まで、あと2年あるけど、毎年の旦那の行動が気になります。。。女友達全員が誘われたのはいいんだけど、プロムの会場に出掛けるのは皆バラバラ。誘われた相手の男の子同士が仲が良ければ、一緒に行動も出来たんだけど、そういうわけには行かなかったようです。それじゃ寂しいと言うので、急いで友達の家に集まって、急かされながらパッパッって感じで写真を撮りました。スライドショーを作ったので、ここからどうぞ。それから、プロムの前に行われた、Nicoleの7年生のSpring Danceの写真もアップしたので、ここからどうぞ。
2008/05/25
お久し振りです!わたくし、今回は花粉症の症状が薬でも緩和出来なくて、本当に大変でした。この時期は毎年 Claritinを好んで飲んでいました。お気に入りの理由とえば、一日一回の服用で良い事と、中でもRedi Tabsと言って、水無しで舌の上でシュワッと溶けちゃう手軽さ、そして何と言っても、眠気が襲って来ない事が、大のお気に入りの理由でした。この薬は何年か前までは処方箋が無いと買えなかったんだけど、今は市販薬として出回っている、超人気な薬。何故か今年は、この薬が全く効かなかった!!!これはまずいと言う事で、以前に医者から処方されて飲んだ事がある(今年から市販されました)Zyrtecを飲んでみた。実はこの薬、昔飲んだ時に、息子をナーサリーへ送って行った帰りに、異常なまでの睡魔に襲われて、これ以上運転を続けるのは危険と感じて、道端に車を寄せて仮眠した。って言う事があったんです。もうね、頭がフワァ~~って軽くなって、雲の中を浮遊しているみたいで、自分の意思とは裏腹に、瞼が勝手に閉じて来ちゃうんですよ。これはマジで危険だよね~。やっぱり今回も昔ほどではなかったけど、眠気が襲って来てしまって、日中家事や育児をこなすのに必死。それに朝方になると、物凄い喉と耳と目の痒みで起こされちゃう。効果も余り無いのに眠いんじゃやってられないから、この薬も却下。目薬は一日に何度も注したり、鼻水は白糸の滝のように24時間ジュルジュル出っ放し。これじゃ何をするにも集中出来ないし、安眠も出来ない状態だから寝不足で頭がボォ~~~~っとして、車の運転中に危ない事が何度かあったの。これじゃまずい。。。どうにか安眠だけはしたい! 鼻水さえ治まれば、朝方恒例の“耳喉目痒い痒い攻撃”までは何とか寝られる。試しに、風邪薬で鼻水に効くと言う薬を飲んでも、全く効果無し。。。そこで考えたのが、寝る時はティッシュを小さく丸めて片方の鼻に突っ込んで寝る。というもの。o( ̄(●●) ̄)o何故片方だけなのか。不思議な事に鼻水って、一辺に両方から出るって事が殆ど無くて、どういう理由か入れ替わりがあって、右から出たり左から出たりって、ちゃんと順番こなんだよね。アレルギー性の鼻水の場合、鼻の粘膜がムズムズしてきてクシャミに繋がって、それに引き続く感じで鼻水が出てきちゃうみたい。(私はね)ティッシュを詰めて鼻の粘膜を押さえると、心なしかこのムズムズが起こらなくなるんですよ。 不思議でしょう~~?変な話、恥ずかしいんだけど、アレルギー症状が酷い時は日中も(家でよ!)、鼻にティッシュを詰めてました。( ̄(●●) ̄)o子供が凄~く変な顔してたけど、あの苦しみを緩和出来るのなら外見など、母は気にしませーん!(キッパリ)旦那は・・・というと、見て見ぬ振りしてました。とまぁ、こんな感じでアレルギー症状と戦っておりました。外出する時にふと車を見て、ゾォ~~~~~~ッ!( ̄Д ̄;) としたんだけど、これ凄くないですか?車のボンネットの上に花粉が。。。。車内から。。。これ皆花粉よ~~~!私の黒のセコイアが、豹柄になってしまった!空気中にこんなのが大量に舞ってて、これを吸い込んじゃってるんだもん、身体がおかしくなって当然だよね。そうこうしている内に、アレルギー症状が治まって来たのは良いんだけど、今度は咳が止まらなくなっちゃって、胸が苦しくなってゼーゼーしたりちょっと笑っただけでも、咳がマシンガンのように出て、治まるまで時間が掛かる始末。折角花粉症が治まって来たというのに、具合悪いったらありゃしない。ゆっくり休みたいけど、旦那は長期出張で居ないわで、かなり凹んでました。階段を上り下りしただけで胸がゼーゼーしちゃうから、大好きな空手の稽古なんて出来るわけがなくて、子供達だけ道場に送って行ってました。様子を見ていたけど、一向に良くならないで悪化して行くから、本当は予約を入れないといけないんだけど、朝一で医者にTELを入れて、無理を言ってどうにかその日の内の午後に診てもらえました。私:「すいません。予約を入れないといけないのは分かっているんですが、ずっと咳が止まらず胸は痛いし、痰も出ているし、下痢までしてしまって、凄く具合が悪いんです!どうにか今日診てもらえませんか。」ここはマニュアルが有って無いのがアメリカ。融通が利くからこういう所は好き。昔から行っている、ファミリードクターのオフィスなんだけど、緊急に診てもらったから、初めての先生だった。人の良さそうなお爺ちゃん先生。胸部を聴診器で診た後に、「肺はクリアーだけど、あなた、Heart murmur(心雑音)だって、昔から言われていた?それか、そういう家系?」「は? そんな事未だかつて言われたこと一度もないし、そういう家系でもないです。逆に心臓の強い家系だと思ってます。ほほほっ!」明るく声高々に笑ったものの、実は内心焦りまくり。「あ、そう。。ちょっと、もう一回息を止めてくれる?」先生はそう言うと、再び聴診器を当てて胸の音を聞いている。「やっぱり聞こえるなぁ。。まぁ心配無いとは思うけど、一応検査しないとね。病院で心エコーを撮って来て下さい。」「そうですよね。心配なくても検査はしないとね~。」先生の言う事を、自分に言い聞かせるようにオウム返しで答える私。PCの私のカルテに、ゆっくりとタイプしているお爺ちゃん先生。今は書き込むんじゃなくて、タイピングするんだもんねぇ。。。時代は変わったもんです。タイピングをし終えると、心エコーを撮るreferral(医者からの紹介状)と、抗生物質と、先生一押しの、“物凄く良く効く”と言うXyzalと言うアレルギーの薬を処方してもらった。今更アレルギーのクスリを貰っても。。と思ったんだけど、来年使えばいいし、良く見ると、来年の5月までだったら、refillが1回分入っていました。先生ありがとー![m:205]TELで、「医者から、Heart murmurだって言われたよ。」って旦那に伝えたら、旦那はTELでも分かるほど明らかに動揺していた。ネットで調べたら、心雑音なんて問題無い事の方が多いみたいだから、私としては楽観視しています。さて、心エコーなんだけど、早速月曜日に予約を入れて、昨日行って来ました。続く。。。。*~*~*~*~*~*~*~*~*~*~*~*~*今日は、去年に引き続き、Jenがシニア・プロムヘ行きました。去年の旦那のパニック&大騒動、覚えてますか??分からない人は●Father of the Prom Girl●●あんたは白熊か!?私の旦那観察記● ◆まだまだ続く~! 画像あり◆ を読んでみて下さい。以前は美容院へ連れて行ってたんだけど、気に入らなくて私が直す羽目になるって言う事で、最近はJenもNicoleも、ヘアーメイクは私がやっているので、朝から忙しかったです。 金曜日からMichaelのお友達が、お泊りで遊びに来ていたんだけどランチの時間に帰って行ったので、直ぐにJenのヘアー&メイクの用意。今回は旦那が居ない分、気が楽だわぁ。。。さっきお友達の家で写真を撮って来たんだけど、カメラはJenがそのまま持って行っちゃったから、後ほど写真をアップしますね。
2008/05/24
昨日(火曜日)は、週で一番忙しい日。何せ学校から帰って来て直ぐに、20分の間にご飯を食べさせ、そのまま公文教室へ。公文が終わって直ぐに、今度は空手の稽古。空手の稽古が終わったら、今度は同じ道場で一般女性向けの護身術のクラスがある。そのクラスになるまでは約30分の余裕があるんだけど、一旦家に戻って子供達を置いてくる時間の余裕が無いので、子供達は護身術のクラスが終わるまで、アイスクリームを食べたり宿題をしたりして、私が終わるのを待つ事になります。前置きはこの辺にして、毎週火曜日の空手の稽古の日は、生徒も先生も普段の半分以下。だからなのかいつもの張り詰めた雰囲気は無く、何となくリラックスムード。唯お喋りが多いのが私は気に入らないんだけど。。。柔軟をしている時にF先生が、「Hitomiにちょっと聞きたい事があったんだよね。でも、日本語で何て言うんだったかな。。。???」聞く所によると、F先生の知り合いの先生が、空手の関係で沖縄に言った時に、不思議な日本語を覚えて来たそうだ。「先生、何何?? その不思議な日本語って! 何か凄い気になるなぁ~、 早く思い出して下さいよ~。」先生は首をひねって、一生懸命に思い出そうとしている。私は何だかもう~じれったくって、F先生のハゲ上がって広くなったオデコに視線を集中した。「あっ! 確かこんな感じの言葉だよ!」F先生のハゲ頭が、一瞬ピカッと光ったように見えた。「Don't touch your mustache.」(訳:ヒゲに触るな)“ドント タッチ ユア マスタッチ”「そうそう、"Don't touch your mustache." に似ている日本語。彼は沖縄でこの言葉をよく耳にしたらしいんだけど、さっぱり意味が分からないらしいよ。」“ドント タッチ ユア マスタッチ”さあ皆さんもこれを、周りに人が居ない事を確認してから、思い切りアメリカ人に成りきって、発音してみましょう。さん、はい!“ドォ~~ン タッチュァ~マスタ~ッチ”“ドォ~~ン タッチュァ~マスタ~ッチ”“ドォ~~ン タッチュァ~マスタ~ッチ”私は小さな声で、"Don't touch your mustache." を何度もつぶやいた。「あ~~~!もしかして、“どういたしまして”?」「Oh~~! That's it!」(そうそう! それだ!)先生は私に指をさして叫んだ。先生の頭が、より一層明るくなったように見えた。「今、何て言ったの?」「どう いたし まして。 どういたしまして。」「どういたまして?」何度か発音を直して上げた。「それは一体どういう意味なんだい? 早速彼に教えてあげないと。」「それは、“You're welcome.”って意味です。」納得した先生に次いでって感じで、私がいつも違和感を感じている、日本語の発音を訂正してあげた。「いつも稽古をする前に言う、「お願いします。」なんですけど、皆、「おながいします」って言っているから、ちょっと気になっていました。」「え? “おながいします”じゃないの?」先生の頭がちょっと暗くなった。「この場合、おながい ではなく、 おねがい=Please なんですよ。」先生は一同に向かって大声で、「そうか。 皆!“おながいします”では無くて、“おねがいします”だからな!」すると一同、口々に、“おねがいします”を連呼していた。その他にも突っ込み所満載の、なんちゃって日本語がたまにあって、特に、ど偉い先生が稽古中に間違って変な日本語を言った場合に、一人で噴出しそうになる事がある。「マティ~!(待て)」スパーリングの最中に、先生が叫んだ。一瞬何の事か分からなくて、ンンン?って顔をしていたら、先生も気になったのか、「これで良いんだよね?」って聞いて来た。「あ、それは、“まて”と、短く言った方が良いです。」と言う風に、事ある毎に先生が確認を取ってきたりするので、私は日本語の訂正役になっている。ある日、稽古の前に腹筋をしていた時の事。大抵は日本語で10まで数えたら、又1に戻って数えるんだけど、たまにそのまま、じゅういち、じゅうに、じゅうさん、って続ける先生が居る。おお、百まで数えるのかな?と、腹筋をしながら、私の耳はダンボの耳のように膨れ上がっている。じゅいち、じゅに、じゅさん、。。。。(じゅういち とは発音しない)にじゅいち、いじゅに、。。。。さんじゅいち、さんじゅに。。。発音し辛いからなのか、一緒に数えながら腹筋をしている先生の息が何だか苦しそうだ。よんじゅいち、よんじゅはち、よんじゅご、。。。(ん??飛んじゃったか?)ろくじゅいち、ろくじゅろっく、ろくじゅはっち。。。。。。くじゅいち、くじゅに、(きゅうじゅう とは言わない)ひゃくぅ!どうにか百まで数えた! 偉いぞ先生!ちょっと飛んじゃったり、発音とかあるけど、偉いわぁ~!ちょっと前に師範先生が稽古後に、「いち、に、さん、し、ご、ろく(“ろ”が、Rの発音)、しち、はち、く、じゅう。なのに、どうして日本人はたまに、4を、“し”と言ったり“よん”、7を“しち”“なな”。9を“く”、“きゅう”と言うのかな?」と、素朴な疑問って感じで聞いて来た。流石にこれには返答に困ってしまった。一体どう説明すればいいのか。。。物を数える時は、音読みではなくて訓読みになるのが自然な感じ?となると、今度は音と訓を説明しなくちゃならない。まさか、音が中国風の読み方で、訓が日本語古来の読み方で。。。なんて、これではかえって混乱させてしまう。ええい! 面倒くせ~!「師範先生、数を数える時はどっちでも良いけれど、、物を数える時は“よん”“なな”“きゅう”って覚えておけばOKですよ!」あ、でも 、ひとつ、ふたつ、みっつ、よっつ、いつつ、むっつ、ななつ、やっつ、ここのつ、とうって数え方があったな。。。“1人” の場合は、“ひとり”って言うし。。。でもそんな事言ったら限が無いから、 ま、いっか。それにしても、日本語って難しいなぁ~~~!半端じゃないね!この日本語をマスターしている私達!?見直しちゃったなぁ。ちょっとばかし英語が出来なくたって、全然問題無いじゃん。むしろこの日本語を使い分けている私達って、凄いと思うわ。何か、とっても強引な開き直り、って感じがしないでもないんだけど。。。
2008/04/23
私の住んでいる周辺に、最近アジア系が多く引っ越してくるようになった。8年位前は殆ど白人で、居心地が悪いと感じる経験は何度もした。 プエルトリコの人達みたいにジロジロ見られるのではなく、完全無視をされるのだ。息子の通うナーサリーのお母さん達と、すれ違いざまに挨拶をしても無視。見向きもしない。完全に透明人間状態。中には普通に接する人も居て、全員がそうであったわけではないけれど、当時人種の坩堝のNYから引っ越して来たばかりの私には、相当ショックなことだった。私が住んだNY(Roosevelt Island)や、ロングアイランド(Long Island)では、人種と言う言葉を感じた事は無かった。皆が肌の色に関係なく、当たり前のように普通に接していたから、この違和感は異様だった。特にRoosebelt Islandは、日本人の駐在員家族や国連関係の人が多く住む場所だったので、大抵2,3年、長くて5年ほどで入れ替わってしまうので、皆友達を作ることに飢えていたので、フレンドリーさも普通ではなかったように思う。今思えばアメリカで暮らしていて、差別を感じなかった方が不思議だったのかもしれない。。。今住んでいる地域に越して来て、“存在自体無視”と比べると、ジロジロ見られる方が未だ良いと思った。ショックでナーサリーへの送り迎えが苦痛に感じたんだけど、そんな時に、大和撫子魂が黙っちゃいなかったのか、どんなに無視されても挨拶をし続けよう、と心に誓ったのでした。翌日も、挨拶をしても無視されたんだけど、もう一度大きな声でにこやかに、「HELLO!!」と声を掛けた。すると相手は、「あら私、今気が付いたのよ!」と言わんばかりの演技で、急に人が変わったように、とってもフレンドリーに、「Oh,Hi!」等と言って、バツが悪いのかベラベラ喋り出す人も居た。自分自身、ちょっとしつこいかな?とか、嫌味な女だな、とかアジア人が嫌いなんだから放って置けば良いじゃん、何て色んな事を思ったけど、このまま黙って、悔しい思いをして引き下がるのが嫌だった。日本人としてのプライドもあったし、人種差別に押し潰されてたまるか! って思いもあった。でも、何よりも子供達の為に踏ん張ろうって思った。というのは、引っ越して間もない頃に、とても嫌な思いをした事があったからなんです。夏休みに入り、隣近所合同のBBQパーティーが催された。道路を塞いで、椅子やテーブルをセッティングし、大きなスピーカーまで持ち込まれ、皆手に手に料理を持ち合い楽しそうにしていた。勿論私達家族は、そんな催しがあろう事など知りもしなかったし、当然お呼びも掛からなかった。私達の家は、パーティーが行われている区域のちょうど真ん中にあるので、音楽はガンガンで話もろくに出来ない。パーティーのど真ん中に位置しているので、窓越しに皆の様子が見えるのだ。子供達は恨めしそうに、玄関の脇のガラス越しに外の様子を眺めていた。「マミー、私達もあそこに行っていい?」「皆楽しそうだよ~、僕も行きたい!」「これはファミリーパーティーかなんかで、私たちには関係ないから、勝手に参加は出来ないのよ。。。」こう説明する事しか出来なかった。うち等家族だけ呼ばれなかったなんて、言えるわけもないし、そんな事実を認めたくも無かった。「ふ~~ん。。。。」子供達は納得が行かない風で、窓越しから外を眺めていた。子供達の後姿を、悲しい気持ちで見つめると同時に、なにくそ!っていう思いも込み上げて来た。パーティーは深夜まで及び、窓に恨めしそうに張り付いている子供達に、「見るんじゃないの!」と注意をしながらも、内心泣きたい気持ちだった。 ふと別の窓を見ると、何と、我が夫(プエルトリカン)まで、恨めしそうに窓に張り付くようにして外を眺めていた。「いいなぁ~、飲んで騒いで楽しそうだな~。今だったら皆酔っ払っているだろうから、何気に参加しちゃおうかな。ねぇ、マジで参加しちゃおうよ。」「はぁ~~!?」冗談なのか本気なのか、この旦那の一言に救われた気がした。その後、家の斜め向かいに住んでいる老夫婦が、外で芝の手入れをしている旦那に話し掛けてきた。暫く話をしてから、旦那が家に入って来て、「近所の人達、どうやら僕はメキシカンで、君はフィリピーナだと思っていたらしいよ。」「は!?」どっからそんな話が出て来たのか知らないけど、思わず笑ってしまった。「妻は日本人だといったら、びっくりして喜んで、家の息子は日本人と結婚したんですよ、と言ってたよ。1週間後に息子夫婦が家に遊びに来るとも言ってた。」それでその時に知り合ったのが、今でも交流のある日本人妻のMちゃん。彼女はアリゾナ在住なんだけど、時々旦那さんの実家に遊びに来るので、日本語でお喋りしたい彼女は、可愛い娘を連れて我が家に入り浸りになる。彼女と知り合って話の中心になったのは、やっぱりこの人種差別だった。当時は、学校の卒業アルバムを見ても99%は白人、という位の白人居住区だったので、彼女も遊びに来る度に肩身の狭い思いをしていたらしい。何度もくじけそうになったけど、しつこく挨拶をして、勤めて明るく振舞う内に、半年後には無視は殆ど無くなった。時々一緒にエクササイズやショッピングをしたり、お茶をする友達も出来た。でも、中には変な奴だと思った人も居たかも知れない。それでも、内心勝ったと思った。未だに硬い表情のままツーンとしている人は二人居た。そんな時は、自分達が一番とばかりに嫌な態度をとられ様が、可哀相な人達だなと思いつつ、挨拶だけはきちんとした。こんな人達と、同じ土俵で相撲は取りたくなかった。心の中で、相手をリスペクトし続ければ、いつかは彼女も気が付き、リスペクトしてくれるだろう。と願いながら。。。これらの経験から、人を変えたければ、唯文句を言ったり、仕返しをしたりするのでは何も変わらない。かえって状況を悪化させてしまうだけ。自分は、相手の態度に振り回されずに毅然として、信念を貫かなくてはならないと思った。そして、自分がして欲しい事を相手にもすれば、いずれは通じる。と言う事も身をもって学んだ。そうそう、こんな事もありました。この白人だらけの地域に、メスを入れてやろう!アジア人に免疫が無いんだったら、このツラ晒して免疫つけたろか!ってな感じで、子供達に浴衣や甚平を着せて、Wal★Martやドラッグストアへ買い物に行った事もあったっけ。面白いのは、人々の反応。大人は見ないようにして見ているんだけど、露骨には見ないんですよ。あくまでも平静を装って見ない振り。子供達はジロジロ見るし、不思議そうな顔をして寄って来て浴衣に触る子も居ました。好奇心一杯で、天真爛漫な笑顔で話しかけて(質問攻め)来る子も居た。こういう無垢な心に、大人達が悪い色を着けて行っちゃうんだよね。。今思えば、自分でも随分大胆な事をしたなぁ。。って思うけど、それだけ当時は、差別されるって事に対して、“この野郎!”って思ったのかも知れない。その時の写真。 町に繰り出す前に撮った。 プエルトリコへ駐在になって、3年後に帰って来て驚いたのは、家が立ち並んで、この辺の人種が多様になった事。特にインド人やアジア系が増えた。子供達のスクールバスへの送り迎えに、中国人のお爺ちゃんとお婆ちゃんが、孫と共に毎朝犬を連れて来る。英語が殆ど喋れず、唯ニコニコしながら皆が固まってお喋りをしている所から、ちょっと離れた場所に立って居る。皆から殆ど相手にされないのに毎朝来る。これは、孫を送り迎えしなくてはならないから来るのだろうけど、とにかくいつもニコニコしていて、誰からも相手にされないからと言った暗さも無い。私には、そんな中国人の老夫婦が輝いて見える。お爺ちゃんのシワとシミだらけの横顔を見ながら、(精神が)強いな~~って思った。そしていつの間にか、自分の両親とダブらせた気持ちで見ている自分に気が付いた。どことなく懐かしくて、特にお爺ちゃんは私の亡き父親とダブって仕方が無い。背丈も雰囲気も何となく似ている。老夫婦とは、コミュニケーションが殆ど出来ないのだけれど、目が合う度に老夫婦に向かって手を振っている内に、毎朝私と目が合うと、お互いに手を上げて挨拶をするようになった。コミュニケーションが取りたくて、小さいノートブックを持って行き、老夫婦に漢字を書いて見せてお互い盛り上がったりした。私もこの中国人の老夫婦のように、アメリカで強く逞しく生きて生きたい。そして子供達にも、そうあってもらいたい。。。。*~*~*~*~*~*~*~*~*~*~*~*~*~*~*~*~*~*追記:ちょっと前に次女のNicleから、何???、と思う話を聞いた事を思い出したので付け足しておきます。Nicole: 「マミー、“Asianphobia(エイジアンフォビア)”(これは造語です)ってあるの知ってる?」顔をしかめている私に、「アジア系の人達やその文化が嫌い、(苦手)な人って居て、“Asianphobia”って言葉を使っているのを聞いた事があるよ。」嘘でしょう!?と思って調べると、“Asianphobia”と言うのはなかったけど、Sinophobiaというのは出て来た。これは主に中国人やその文化、又は中国政府に対する嫌悪、差別の事をこう呼ぶらしいけれど、中には、アジア人全体を指してこの言葉を使う場合もあるようです。一概にこの言葉がアジア人全体を指しているとは言えないけれど、こういう差別を意味するような言葉自体、存在しているんですね。。。ふざけんな、と思いました。
2008/04/21
昨日は、いつも空手を教えてくれている先生の中の一人、C先生の息子さんのお葬式だった。彼は未だ22歳。それも突然の死。C先生は私の大好きな先生。見た目も若々しく、とてもエネルギッシュ。そんな大きな息子さんが居るとは思えない位なんです。稽古中もとても熱心に教えてくれるから、心から尊敬している。その息子さんが亡くなったと聞いて、皆ショックを隠し切れなかった。1週間前の金曜日(11日)に、酔っ払い運転の車と衝突して、命を落としてしまったのだ。道場で皆と待ち合わせをして、旦那とMichael,そしてTiffanyを連れて葬儀へ出掛けました。Funeral Homeへ着いた時には、沢山の人達が中に入り切れず、列は外まで繋がっていた。彼は随分沢山の人に慕われてたのね。。 面識は無いけれど、生前の彼の人柄が伝わって来た。Funeral Home内には、彼の生前の写真が所狭しと飾られていた。ヴァージニアにあるミリタリースクールを卒業して、学生時代は、アメリカンフットボールやレスリングで数々の入賞を収めて、ローカルの新聞にも何度も取り上げられるほどの好青年だったようだ。そしてつい最近、イラクから帰還したばかり。その時も帰還歓迎の新聞記事が、彼の大きな顔写真と共に掲載されていた。葬儀に行くまでは、C先生の息子さんとは、全く面識が無いと思っていたんだけど、葬儀場で飾られている彼の写真を見て、ある事に気が付いた。それは、先週の木曜日(10日)の稽古の日に、爽やかな感じの青年が、道場内に飾る様々な写真を、師範先生と相談しながら一生懸命に飾っていた。私は稽古をしながらその様子を見ていて、「今まで見た事も無い青年だなぁ。。。彼も昔はここで空手を習ってたのかな?ニコニコして感じの良い青年だこと。。」等と考えたのを覚えている。なので、先生の息子さんの顔写真を見て、すぐにあの時の彼だと分かった。脇に居たMaryに聞いてみると、「そう言われてみれば、確かに似ているわね。」人混みの中から、別の黒帯の先生を見つけて聞いてみると、やっぱりそうだった。話によると、彼は道場の額の飾り付け等の手伝いをし終えて、帰宅途中に事故に巻き込まれてしまったらしい。そしてその翌日に息を引き取った。。。。とすると、彼の生前の最後の姿を、私達は見ていた事になる。。。一気に複雑な思いが込み上げて来た。私は列に並んだまま目を瞑って、あの時一生懸命に飾り付けをしていた、彼の姿を思い浮かべた。知り合いでもないし、話をした事もない人だけれど、一瞬でも同じ場所で時間を共有したのだから、全然知らない人とは言えない。。。それに尊敬するC先生の息子さんです。あれが彼の最後の姿になろうとは。。あんなに皆に愛されて、地域にも沢山貢献していた好青年の彼が、酔っ払い運転の馬鹿共の犠牲になって、若い命を落とすなんて。。。。人生って何て皮肉なんだろう。周りから“良い人”と言われ、慕われる人ほど若死にするような気がするのは、私だけでしょうか。ある目的を持って生まれ、それを達成して帰って行く。とは言うけれど、残された者にとっては辛いものです。色んな事を考えながら並んでいる内に、棺が目の前に来た。クリスチャンが殆どなので、皆跪いてお祈りをしていた。私は棺の前で静かに合掌した。棺の脇にはC先生を含めて4人が並んでいて、お悔やみの言葉を受けていた。左から、前妻の旦那さん、前妻、C先生、C先生の奥さん。その時知ったのだが、亡くなった息子さんは前妻との息子さんだったらしい。彼らとは初対面だったけれど、前妻のKariは、立っているのがやっとな感じで、私の番になった時に、しな垂れかかる様にHugをして来た。しばらく強く抱き合ったままで居た。「きっと、彼は今安らかな場所に居るはずです。貴方が早く立ち直れる事を心からお祈りしています。。。」そう言うのがやっとだった。彼女は何度も頷いて、向かい合ったまま私の両手を握って離さなかった。その間、彼女の悲しみが一気に伝わって来たような気がして、胸が熱くなって張り裂けそうになった。涙が止まらなくなってしまい、折角ご両親が気丈に振舞っているのを邪魔しちゃいけない。と、必死に堪えた。本当に、彼女がどうやってあの場で立っていられるのか、分からない位の憔悴振りだった。C先生の目の前に立ち、先生と目が合った途端に言葉を失ってしまった。言葉に詰まった所で、先生は直ぐにHugしてくれて、「先生、言いたいことは沢山あるんです。でも、今この場で英語で自分の本当の気持ちを上手く伝える事が出来ません。ごめんなさい! でも、私の心は先生とご家族の下にあります。」と言うと、「分かってる。。来てくれてありがとう。」背の高い先生が、上から覆いかぶさるようにしてくれた暖かいHugで、私が逆に慰められたみたいだった。MichaelとTiffanyの姿を見て、Hugした後に、旦那に向かって、「彼らはいつも、熱心に稽古をしているんですよ。」と言って、「また直ぐに道場で会おうね。」そういって、子供達に手を振って見せた。こんな状態な時に人を思いやれるなんて、私には出来ない。胸が深く沈んで行きそうで、車に戻ってからも自分で何を考えているのか分からなかった。もう何だか落ち込んでしまって、昨夜は何も出来ずにBedに入った。C先生の姿もだけど、前妻Kariの姿がチラついて、私の目から離れない。泣き崩れんばかりの顔で暫くの間、私の両手を強く握っていた彼女の手。深い深い悲しみと苦痛が、彼女の手から伝わって来た。今でもその感触がはっきりと残っている。
2008/04/18
昨日はあの、ヒラリーのダーリンこと、ビル・クリントンがJenの高校にやって来た。6時からの集会だったんだけど、既に2時くらいから車の列で辺りは渋滞気味。行きたかったんだけど、あの渋滞を見ちゃって行く気が失せました。この辺はヒラリー派が多いから、近所の人達は結構参加していましたよ。Jenはオバマを支持していて、どうやって聞きつけるのか、彼の事務所から、しょっちゅうメールが届いているようだ。ヒラリー人気は結構強いんだけど、中には根強い共和党支持者の生徒達も居て、昨日は学校の駐車場の辺りで、"ヒラリーに何ができる。彼女は口だけで何も分かっていない。"などと書かれたプラカードを掲げて立っていたらしい。(ローカルのニュースで観た。)今後の民主党候補者争いに目が離せません!*~*~*~*~*~*~*~*~*~*~*~*~*昨夜空手の稽古の後、J君のお父さんが練習風景の写真を、他の父兄や先生達に見せて盛り上がっていた。皆爆笑していて何かと思いながら近づいていくと、師範先生が笑いながら、「これは正にTiffanyそのものを捉えた傑作だ!」と言いながら、1枚の写真を私に手渡してくれた。 ↓ 絶句。。。。
2008/04/16
この間友達が送ってくれた日本の番組を観ていて、思わず笑ってしまった事があった。番組のゲストの関根努が、娘の麻里ちゃんの事で困っていると言うもの。麻里ちゃんが幼い頃から父娘でお尻に“カンチョー!”と言って、指でブスッとさす行為をしていたらしく、麻里ちゃんが大人になっても未だにそれをやるらしく、ちょっとでも隙を見せると、間髪を入れずにカンチョーされてしまうというもの。屈んで物を取ろうとお尻を突き出し、「しまった! やばい!」と、思った時には時既に遅く、見事にカンチョーされてしまうんだとか。しかも着ている生地の厚さなどを考慮せずに、ズボッ!っとやられるからたまらないらしい。実はこれ、お恥ずかしい話なんだけど、我が家でもそうなんです。(旦那だけはしませんが。。。)キッチンで料理をしていて、屈んだ時、うつ伏せになっている時、誰かしらが「カンチョー!」をやるんです。階段を上る時など、誰かの前を行く時は皆無意識にお尻を手で防御して、階段を上っているんですよね。とにかく無防備で居られないんです。それと同じ事を関根努が言っていたから、妙に親近感を覚えちゃった。多分日本人なら頷く人多いと思うんだけど、どうですか?家庭内ならまだしも、困るのは、それを公共の場で思わずやってしまった時。この間空手の稽古の前に、皆でウォーミングアップをしていた時の事。私はいつものようにティーンの女の子達と、他愛も無いお喋りをしていました。そこへMichaelが飛んで来て私のお尻に、「カンチョー!」とやって逃げて行ったんです。一瞬の事だったから、皆Michaelが私のお尻にブスッ!とやったのは分からなかったみたい。でも皆口々に、「今のは何?? 彼は今何て言ったの?」と、興味津々なんです。「あ、今のはカンチョーと言って。。」とは、とてもじゃないけど説明出来ず。。。。、だって説明したって分かってもらえるわけないですもん。それにこんなハシタナイ行為は誤解されるだけで、引かれちゃうしね。アメリカにもよく子供達が、「ウェッジー!」と言って、相手のパンツを思い切り引き上げて、お尻に食い込ませる悪戯はあるけど、深く説明するのは気が引けたから、そこで思わず、「あ、今のは “隙あり!”って言ったのよ。」「それは、どういう意味なの?」「“I got you!”って事かな。」 一同、キョト~ン。。。そこで、「ほら、例えば空手で相手に隙を取られるとか、何かで背後から奇襲攻撃をされる場合ってあるでしょう?その時に相手が技をきめる直前に、“隙あり!”と言ってきめるわけ。 だから今私は、Michaelに隙を取られちゃったって事なの。」苦し紛れの説明だったんだけど、何だか納得したみたいで、その場に居たティーンの女の子達が一斉に、隣に居る相手に向かって、「スキアリィ! スキアリィ!」と連呼しながら、パンチやキックを入れ始めた。そこへ、女の子達が楽しそうにやっているのをF先生が見つけて、早速寄って来た。「何、今の? 日本語? 何て言ったの?」いつもの様に興味津々の笑顔。そこで娘のTちゃんが得意気に、私が言った“スキアリ”の意味を説明した。それを聞いたF先生、突然侍の真似をして刀を振りかざしながら、「スキアリ~~~ッ! キェ~~~ッ!!」妙に様になっていた。その後大層気に入ったようで、暫く暗記するかのように口を動かして、スキアリ、スキアリ、と何度も呟いていた。“カンチョー”が“スキアリ”になってしまったけど、ま、いいか。余談だけど、日本の漫画でもたまに“カンチョー”のシーンが出て来るらしく、息子の友達とか知ってるらしいです。あの【NARUTO】で出てくる“千年殺し”なんか、“A Thousand Years of Death! ”って、訳されてたみたい。↓の画像のリンクをクリックして見てみて!これはモロに入ってますね~!これも見事ですね~!こんなアホなお方も居ます。 こういうのを見た外国の人達って、“カンチョー”をどう理解しているんだろうか。。。?
2008/04/13
へへへ。。。珍しく順調に更新していますよ~。それも何時まで続くんだか。先日話題に出たTちゃん。彼女のお父さんはこの道場の黒帯で、私にビギナーコースの時から教えてくれているF先生。しかも彼も40歳から空手を始めた人なので、私の良き理解者の一人でもあります。ハイキックの練習の時など、お互いに無意識に股関節を擦っていてふと目が合い、ニヤリとほくそ笑んで頷く、という仲でもある。そのF先生ファミリーは以前に、日本人留学生のホストファミリーをしていた事があって、いつも彼の話題を私に持ち出してくる。未だに彼とは交流があるようで、彼が帰国後に語学力を生かした重要な職に付いた事がよっぽど嬉しいらしく、誇らし気に彼の話をしています。F先生の娘、Tちゃんだけど、彼女は毎回手帳を持参して来ていて、私に日本語を習っては、後で更衣室で丁寧に手帳に記しています。それも毎回1つと決めています。今まで教えたのは空手にちなんだもの。勿論道場では日本語の数え方をするし、簡単な日本語、“お願いします。”“はい、先生”“始め、止め”“師範先生”等は使うけれど、それ以外の言葉です。“押忍”、“もう一回”“ガンバレ”等など。ところがこの間、Tちゃん自ら「Hitomi~! 今日は“God bless you”を教えて~!」と言って来た。それも、クシャミをした時に誰かに掛けて上げる、“God bless you”の事だと言う。因みに、知らない方の為に説明すると、こっちではクシャミをした時に、魂まで身体から抜け出てしまう。と考えられているみたいで、だから他人でも、誰かがクシャミをした時に、“God bless you”(神のご加護を)と、言葉を掛けて上げる習慣があります。言われた側は、“Thank you”と言ってニッコリ。さて、そう言われて返答に困ってしまった。「う~~ん。。ジャパニーズはそういう言葉は掛けないんだよ。そういう習慣事態無いからね。」と言うと、Tちゃん相当ショックだったみたいで、「Oh, no! Why??? Japanese!!!」抜け出ちゃった魂はどうなっちゃうのぉ~!?と、言わんばかりの動揺振りでした。そういえば日本じゃクシャミをした人が自ら、「イッ クション!(加藤茶 風)」ってした後に、「この野郎」とか何とか、訳の分からない言葉を発する人が居るよね?あれは何なんでしょうか。。。公共の場でしてしまった場合の、一種の照れ隠し?自分に対する戒め?よくわからん。。。あ、今書いていて思い出したんだけど、“手鼻”とか教えてあげたら良かったわ。え?下品だから止めろってか?日本のおっさんとか、街角でやってるこの“手鼻”、中国でも盛んらしいよね。こっちでやっている人を見掛けた事は無いんだけど、“手鼻”って英語はあるのかね?今度Tちゃんに聞いてみようっと。
2008/04/11
最近TVコマーシャルを見ていて、発見してしまった!とある生命保険のコマーシャルなんだけど、私が思うに、それに出演しているのが、元女子プロレスの世界チャンピオン、“マッハ文朱”とその御家族。これは99.99%確信してます。初めにマッハ文朱の顔に“むむむ!”と気が付き、コマーシャル内では、彼女の名前を“Fumie”旦那さんを“Robert”娘を“Yuki” と “Momoko”と言ってる。そういえば彼女、昔アメリカに留学してその後、中国系アメリカ人と結婚したっていう話を思い出した。確か娘も、ももこちゃんとか言う名前だったっけ!早速Wikipediaで調べると、ビンゴ!!!彼女の本名は文枝で、旦那さんはRobertと分かった。 ↑昔はこんな事もしてたんだけど、今ではマッハさん、とってもさわやかな奥様になっていて、ご家族も幸せそうで、一人で感動しておりました。まぁ、どうでも良いことなんだけどねぇ。。。その例のコマーシャルは、こちらからどうぞ
2008/04/10
お久し振りです~。ここの所、soccer mom状態でした。別に子供達がサッカーを習っているわけじゃないんだけど、soccer mom同様に、子供達の習い事の送り迎えで本当に休む暇無しです。自分が子供達と空手をやっているから、余計に忙しいのかも知れないけど。。。4月には、毎週火曜日に1ヶ月だけなんだけど、空手の稽古の後に、女性のSelf -Defense(護身術)のクラスを師範先生が特別に教える事になって、師範の先生から呼ばれて、「Hitomi,普段稽古で教えているSelf-Defenceとはちょっと違った事を教えるから、是非参加しなさい。」と言われ、どうせやるならと、長女を誘ったらあっさりOK。ついでに道場に置いてあったパンフレットを配ったら、長女のお友達やそのお母さん達、近所の人達も続々参加する事に。この物騒な世の中、やっぱり女性は護身術に関心が高いんだね。。そのパンフレットなんだけど、この間の昇格試験の時にやった、Self-Defenceの模様の写真が載せられてたわけ。それを知らずに稽古に行った時に、更衣室でTちゃんが、「Hitomi,Self-Defenceのパンフレットに、あなたの写真が載ってたわよ! 凄~くクールに写ってたよ!」って教えてくれた。「え~!マジマジ~~?」ウキウキしながら急いで受付のデスクへ行き、ニヤケとヨダレで崩れそうな顔を必死に保ちながらパンフレットを手にして、その写真をよ~く見ると、何と私が相手の子から丁度投げられている所なんじゃないの!!なにこれ! カッコ悪ぃ~~~!そんでもって、そのカッコ良く投げているお相手は? というと、私に「写真が載ってるよ!」、って教えてくれたあのTちゃん。むむむぅ~~~~!!!!パンフレットを握り締めて辺りを見渡し、急いでTちゃんの姿を探すと、彼女はもう道場内に入っていて、私の方を見ながら舌を出してヘラヘラ笑っていた。人をなめやがってこの小娘がぁぁぁぁぁあああぁぁぁぁ~!!Michaelなんか、「この投げられているの誰??」とか言って、私の顔を見ながらニヤニヤしているし。。。 さて、昨日でSelf-Defenceのクラスは2回目だったんだけど、40人位の女性達に囲まれて、師範の先生はもとより、他の黒帯の先生達も心なしか嬉しそう。普段の稽古と違って笑顔や笑いが飛び交う雰囲気で、和やかムード。生徒である女性達が次々に質問をしたり、先生にリクエストをしたり冗談を言ったりと、アメリカの女性達は、やっぱり積極的だなぁ~と思ったわ。特に師範先生は、ガンガン自分からもジョークを飛ばして、普段怖い顔をして指導しているから、この差に拍子抜けしちゃった。稽古ではいつも竹刀を持って怒鳴ったりしているのにぃ~~~!話が飛んじゃうんだけど、以前にNicoleが空手を辞めた話を書きました。その時は残念だったんだけど、最近、隣町のLacrosseのチームに入り、殆ど毎日週末も返上して、練習と試合に明け暮れています。何しろ、空手と違って自ら“やりたい”と言い出した事です。学校から帰って殆ど毎日練習だから、その送り迎えが又大変で、チームのお母さん達と、それぞれの都合の良い日を検討し合って、代わりばんこで送り迎えをしています。おい! Lacrosseって一体何なんだよ!? っていう方の為に。。こんな感じのスポーツです。 ↓男版 Lacrosse男の方が装備が重厚で、その分迫力があります。たまに乱闘なんかもあったりして、アイスホッケーみたいな感じ。女版は、もうちょっと軽い感じだけど、やっぱりマウスガードやヘッドギア等は欠かせません。女性版Lacrosseこの間は初めての試合で、相手のスティックで腕を強打されてアザになっちゃいました。ワザとではないのは分かっているけど、やっぱりアグレッシブなスポーツだから、仕方ありません。。勿論相手の子はペナルティーを科せられたようだけど、怪我が付き物みたいで、女の子なだけに、この先ちょっと心配です。でも、本人が好きでやり始めた事だから、出来る限りサポートしてあげたいです。そうそう、アザといえば、この私もアザだらけです。。。。腕や太もも、ヒザ、もうあちこちです。。中でも一番怪我が多くアザが出来るのは、shin(向こう脛)所謂“弁慶の泣き所”。頭と手と足は、ギアを着けているからそれ程でもないけど、向こう脛は無防備。フリーでの組み手の練習の時に、知らず知らずの内に痛めてしまっているようで、稽古が終わって着替えている最中に、妙に熱って痛んでいる“弁慶の泣き所”に気が付き、空手着をめくってみて初めて、赤くなって腫れているのに気が付くって感じです。それで、今狙っているのがこれ。 ↓ 地元の大きなスポーツ洋品店を何軒も探し回ったけど、サッカーとかLacrosse,アメフトなんかのshin Guardはあっても、空手用のこのShin Guardは専門店にオーダーしないと駄目ってことで、早速注文しました。昨日なんてヌンチャクの練習中に、右小指の付け根の間接部分を強打して、見る見る青紫に腫れ上がっちゃって、涙出ちゃったわ。。何だかんだ言っても、アザが出来ようが怪我をしようが、やっぱりsparring(組み手)は大好き。男の人や、上手い人はある程度手を抜いて相手をしてくれるし、その都度悪い点を指摘してくれたり、こうした方が良いと教えてくれる。だけど困っちゃうのは、若いのにランクが上の男の子なんかは、たとえ練習でも、自分より下の者に負けてたまるかっ!と言う意気込みが見え見えの気迫で、本気でバコバコ攻めて来る。おいおい~~~。。。あんたがお強いのは分かったよ。でも、こういうのって本当に強いとは言えないんだよね~。こう言いたい気持ちをぐっと堪えて、次の相手が回ってくるまで耐えるのでした。それが目に余るようだと、先生が物凄い剣幕で叱咤した事があるんだけど。ティーンの女の子もsparringになると、急に敵対心剥き出しって感じで、本気でバコーンって蹴りを入れて来たりするから、私も負けてられないので練習と言えども、がっつり真剣勝負でやり合っています。やっぱり女同士って、こうなっちゃうのかねぇ。。。。
2008/04/09
今,月曜日の朝です。昨日の午後に、退院出来ました。本当にご心配をお掛けしています。。。皆から色々励ましのメッセージをもらって、読んでいて涙が出ちゃって。。。それなのに、なかなか返事を書けずにいてごめんなさい。。Jenの様子はと言うと、入院中は感染科の先生も加わっての治療でした。3度目の切開の後、先生が思った以上に膿が出て、傷口を閉じずにゴムのような物をはめて、暫くそのままにして引き続き膿を出しました。それと、24時間点滴で抗生剤を投与していました。だけど気懸かりなのは、Jenの回復の経過。医者が言うには、普通なら膿を出した後は劇的に回復が早くなる筈なのに、Jenの場合治り(頬の腫れ)が遅い事が気になるらしいです。熱は術後にサーッと引いたけど、ほっぺの腫れがねぇ。。。取り出した膿を培養して、菌の特定をする為に検査を続けているけど、今の所未だに結果待ちです。退院後は、毎日病院に通って抗生剤の点滴を受けなくてはなりません。学校もずっと休む事になってしまって、Jenは仕切りにその事を気にしています。友達がプリントや資料を持って来てくれて、旦那も図書館に駆り出されたりして、入院中も遅れを取り戻そうと頑張っていました。ところで、私が病院で寝るのは、Tiffanyを出産して以来。と言う事は、かれこれ8年近く前の話。それにJenが入院している病院は、Tiffanyが生まれた病院です。何だか懐かしかったです。。ちょっとびっくりしたのは、食事の事。部屋にはメニューが置いてあって、ホテルのルームサービスみたいに、電話を掛けてオーダーするんです。それも、朝、昼、夜、とオーダーする時間帯が決まっていて、その時間内に、好きな時にオーダー出来るんです。メニューも充実していて、昔と違うなぁ。。って感心しちゃいました。何度も入院経験があるから言える事だけど、入院中って、食事が楽しみなんですよね~。よっぽど具合が悪い時は別だけど、気分が良くなって来ると退屈になってあちこち歩き回ったり、日記なんぞを書いてみたり、壁と話をして見たり!?次の食事の献立が気になって、、、入院中は、子供達の学校の送り迎えと夜を旦那に任せて、日中と夜は私が泊り込んで、旦那との連係プレーで乗り切りました。やっぱり近くに、家族や親戚が居ないのは大変ですね。これは普段から不便は感じていたけど、今回痛感しました。それから、Miloも参っちゃったみたいで、3日目からワンワン吠えたり、キュンキュン鳴いたりしたみたい。子供達や旦那がなだめたりしたみたいだけど、やっぱりいつもと様子が違う事や全然散歩をしていない事、いつも私にべったりだったのに、私が居ない事で神経が過敏になっちゃったようです。昨日帰ってから暫く遊んだりして、お風呂に入れてあげてからは、ず~~~~っと私の傍を離れないで居ます。普段お風呂に入れてドライヤーで乾かした後は、一目散に弾丸のように辺りを走り回るのに、それすらもしないで、私の足元にぴったりとくっついています。あ、そろそろ点滴に連れて行く時間になっちゃった。長期戦みたいなので、辛抱強く頑張ります。。
2008/03/10
只今、3月6日(木)午後5時50分です。今ちょっとだけ家に帰って来ました。色々ご心配をおかけしています。。。その後の事なんですが、旦那が朝子供達を学校へ送り出してから病院へ来て、今朝あの老先生が来て、今日の夜に頬を切開して膿を抜きましょう。ってなったんだけど、と言う事は、今日は夜まで何も口に入れられない事になっちゃう。Jenは昨日から(といっても約2週間ろくな物を食べていない)殆ど食事を摂っていないから、それはキツイなぁ。。。と、Jenの顔を見る。つい1週間前に、2度目の切開手術をしたばかりなのに又。。1週間前は、「又手術するの。私もう嫌。。」と言って、涙を流したJenだったけど、今日は涙をぐっと堪えていた。旦那が色々質問をし終わって、先生は一旦引き上げて行ったんだけど、ちょっとして又戻って来て、「どうやら3時位に出来そうです。」と言って来た。早い方が良いに決まってる!これはいいニュースだと喜んでいたら、今度はナースが来て、「1時半頃には出来るみたいよ!」お~~~~! どんどん早くなって行く!Jenはと言うと、昨夜は痛みで殆ど寝ていない。夜中に痛み止めをもらって飲んだけど、それも長続きしない。熱が引き続き39度のままで、寒気がして仕方が無い様子。旦那が家からブランケットを持って来たけど、それでも足りなくて私のジャケットを上に掛けて寝た。このジャケット。私が初めてのお産でJenを産んだ時に、今は亡き父がお見舞いに買って来てくれたジャケットなんです。ジャケットって言っても部屋着風で、とってもゆったりしていて軽くて暖かいの。昨夜病院へ行く時に、何気にこのジャケットをクローゼットから引っ張り出して来て羽織った私。車の中でふと、「あ~。。。。パパも私と一緒に付き添いたかったんだね。」って、一人で納得。[m:205]このジャケットは、私が何か重要な用を足す時には、必ずと言って良いほど無意識に身に着けているんです。日本に別れを告げて、新天地のフロリダのに飛行機で向かった時も、この部屋着のジャケットを羽織っていました。何でか分からないけど、普段殆ど着ないのに、何かあると引っ張り出して来て、着てしまうんです。不思議ですね。。11時30分に病院服に着替えさせて、1時半まで待機。仕切りに痛みを訴えるJen.腫れも今朝より増して来て、又目の方まで浮腫んで来始めた。もうちょっとの辛抱だからね。。。麻酔科の先生が来て、色々質問を受けてから書類にサインをして、老先生が登場。老先生、一連の騒ぎで怒った旦那の圧力で、その後は随分懇切丁寧にやってくれている。2回の手術をしたのは別の若い先生なんだけどね。。受け答えも旦那に向かって、「Sir」を付けて話をしている。ちょっと可哀相な気もしないでもないけど、強く出る所は出ないといけない。。。これは私が旦那によく言われる事でもある。旦那は老先生ではなく、あの若い先生に文句を言いたかったんだろうけどね。。。手術も無事に終わり、説明を受けると、やっぱり頬に膿が溜まっていたらしい。その膿をLABに回し、検査をして今結果待ちの状態です。頬(内側)は縫わずにそのままにして、引き続き膿を出すみたいです。術後直ぐは、もっこりと腫れ上がっていて、しきりに痛がっていた。Jenに与えられる最大限のモルヒネを打ったらしいけど、痛みは取れずにいた所、手術に立ち会ったアジア系の先生がやって来て、ナースにもうちょっと上げても良いよ。と言って、紙にサインをしてくれた。 ホッ。。。その後も何も食べられないので、砕いたアイスチップスを口の中に入れてやる。。皆Jenの様子を見て、親知らずを抜いて病院行きじゃ、憤りを覚えるわよね。と、同情的。今週末には退院出来そうです。
2008/03/07
昨日の日記への温かいコメント、どうもありがとうございました。折角この事態も、良い方向へと向かっているように見えたのに、何と今さっき、「スクールナースです。今Jenがここに居るのですが、仕切りに頬の痛みを訴えていて、具合も悪いと言うので熱を計ったら、101度ありました。口の中を調べようにも、痛みと腫れで殆ど開きません。どうしますか?」と、スクールナースから電話が来た。「Jenは今直ぐ迎えに行って、その後再び口腔外科医に連絡を取ります。」と告げて、電話を切った。直ぐに口腔外科医のオフィスへTELを入れると、今先生は病院の方へ出向いていてここには居ないけれど、直ぐに連絡を取って折り返し電話します。と言われたので、直ぐにJenを迎えに行って来た。 Jenは私の顔を見るなり、「マミー、私やらなくてはいけない事が沢山あるから、具合が悪かったけど必死に堪えてたの。。。」何だか又腫れてきたみたい。痛みも、ズキズキする痛みがずっと続いていて、具合が悪く寒気もする。*~*~*~*~*~*~*~*~*~*~*~*~*オフィスから電話で、2時に来て下さいとの事。それまでは、Tylenol(鎮痛解熱薬)を飲ませて下さい。って言われたんだけど、「実は今朝Advilを2錠も飲んだのにも拘らず、発熱と痛みがあるんですよ。」と言うと、電話口の女性は“う~~ん”と唸ってから、「一応、Tylenolを飲ませて置いて下さい。それでは2時に、お持ちしております。」と言って電話を切った。早速旦那に報告のTELを入れる。「2時か。分かった。もし名前を呼ばれたら、一体どういう事なのか医者と直接話をしたいから、Jenと一緒に診察室へ入っていって、その場で直ぐに電話をくれ。どうやら、動く時が来たみたいだ。」「何?どうするつもりなの?」「まぁ、いいから。任せておいてくれ。」そうは言われても、気が気ではない。あと40分ほどでオフィスへ行って来ます。とにかく何でもいいから、早く治って欲しい!!!もうそれだけが望みです。。。*~*~*~*~*~*~*~*~*~*~*~*~*オフィスから電話で、2時に来て下さいとの事。それまでは、Tylenol(鎮痛解熱薬)を飲ませて下さい。って言われたんだけど、「実は今朝Advilを2錠も飲んだのにも拘らず、発熱と痛みがあるんですよ。」と言うと、電話口の女性は“う~~ん”と唸ってから、「一応、Tylenolを飲ませて置いて下さい。それでは2時に、お持ちしております。」と言って電話を切った。早速旦那に報告のTELを入れる。「2時か。分かった。もし名前を呼ばれたら、一体どういう事なのか医者と直接話をしたいから、Jenと一緒に診察室へ入っていって、その場で直ぐに電話をくれ。どうやら、動く時が来たみたいだ。」「何?どうするつもりなの?」「まぁ、いいから。任せておいてくれ。」そうは言われても、気が気ではない。あと40分ほどでオフィスへ行って来ます。とにかく何でもいいから、早く治って欲しい!!!もうそれだけが望みです。。。*~*~*~*~*~*~*~*~*~*~*~*追記です。。励ましのコメント本当にありがとう~~~~~!!皆に心配掛けちゃっているので、状況を説明しておきますね。今日オフィスで診て下さったのは、この間の優しそうな老先生。薬を飲んでいるのに熱と痛みが止まらない。それに再び悪化してきた感じ。先生にその後の症状を細かく説明した後に、オフィスで熱を測ると、102.2度(約39℃)これには先生もちょっと心配そうにして、結局Jenは、病院に入院する事になってしまいました。CATスキャンを撮ったり、精密検査と点滴でペニシリンと抗生物質の投与をするみたいです。一旦家へ帰って入院の為の用意をして、Jenはちょっとか家に横になる。私が今から家を空けてしまうと、下の子供達がもう直ぐ学校から帰って来てしまうので、旦那に連絡を取って、彼は仕事を途中で切り上げて帰って来ました。今旦那はJenと一緒に病院に行っています。何か個室の部屋に入れられたみたいです。下の子達の夕食も済んだし,宿題も終わったので、これから私も用意をして病院へ、旦那とバトンタッチをしに行って来ます。私は今夜付き添いで、Jenの部屋に泊まります。
2008/03/05
去年の10月にJenの歯科矯正の先生から、半年以内に親知らずを抜くようにと言われた居たので、Oral Surgeon(口腔外科医)のOfficeへ行って、手術の日取りを決めて来ました。歯の様子を見て、2月22日に4本の親知らずを、General Anesthesia(全身麻酔)をかけて抜く事になったんです。何かちょっと、ルー大柴っぽいから普通に書こうっと。一気に4本も~?!しかも全身麻酔をかけて。。。。なんて、日本じゃ考えられないと思ったから、ちょっと不安に。。。でも郷に入っては郷に従えで、先生はこれ専門にやってるんだし、安心してお任せして。。と腹を決めて、手術に連れて行って来ました。先生の説明だと、術後は痛みと腫れが2,3日は続くから、学校は少なくても3日は休むことになります。という事だった。だから、学校を休むのがなるべく最小限に収まるように、と、金曜日の朝に予約を入れたのでした。当日の朝9時にオフィスへ行って、手術は1時間で無事に終了。未だ麻酔でボ~~ッとしているJen。帰って来て直ぐにリビングのカウチで寝てしまった。その後は、予想通り腫れて来たものの、柔らかい物を食べたり、私達と上手く発音は出来ないものの、会話を楽しんだりと、順調に回復しているように見えたのに。。。3日目くらいから、Jenの右頬が異常に腫れ上がって来た。それを見て心配にはなったけど、様子を見ることに。ところが右頬はどんどん腫れ上がり、挙句の果てに、目や首の方まで腫れが回り、Jenだとは見分けが付かない程酷くなってしまった。寒気がして来た。と言うので熱を計ると、101F度。(約38.4℃)慌てて先生に連絡をすると、“直ぐに連れてきて下さい。”と言われて、旦那は心配の余り会社を休んで、彼がJenをオフィスへ連れて行きました。直ぐに帰って来て、旦那の話だと、Jenの顔を見た看護婦さん達は、思わず顔に出して心配するほどだったらしい。でも医者は涼しい顔で、これはボクサーが、顔を殴られた時のようなインパクトに似ていて、JJenの場合顔面の右側は、手術でのインパクトがとても強かったんでしょう。口の中を見てみたけれど、化膿をしているとは思えません。でも念の為に、抗生物質を処方しておきましょう。って言われて、薬をドラッグストアで受け取って帰って来た。 私はその話を聞いて半信半疑。どうも納得が行かない。Jenの右側のほっぺは真っ赤に腫れて熱を持ち、しかも岩の様に硬くなってしまっている。目も首も腫れてしまって、まるで別人。この変わり様に、冷静でなくてはいけない筈の私が不安と怒りで、一番パニクってしまった。こんな状態で、勿論食べ物なんて食べられるわけも無く、でも強い痛み止めの薬を飲んでいるから、その薬を飲む前に必ず何か胃の中に入れなきゃいけない。。。涙をポロポロ流しながら、腫れと痛みで殆ど開かない口の中に、アイスキャンディーを入れている哀れな姿のJenを、何も出来ずに唯見ているだけの無力な自分が情けなくって、私まで泣けて来る。先生には申し訳ないけど、胸座掴んで殴り付けたい気持ちで居ても立っても居られない。旦那に宥められながらも、「これは絶対に化膿しているんだよ!そうでなきゃ熱なんて出る? こんなに腫れてるんだよ、しかも岩みたいに硬いし!!Jenがこんなに苦しんでいるのに、よくそんなに冷静で居られるわね!」旦那に詰め寄った所で、何の解決にもならず、取りあえず抗生物質を飲み始めたのだからと、様子を見ることにした。ところが。。。。Jenの顔の腫れは、益々酷くなる一方!ろくに眠ることも出来ず、四谷怪談のお岩さんのような顔で、私にしがみついてホロホロと泣くJen。もう一度朝一番で、口腔外科の先生にTELを入れると、又、「今直ぐ来て下さい。」と言われて、即効で連れて行って来ました。オフィスへ着き、直ぐに名前を呼ばれて中へ入ると、看護婦さんや事務の女性達が、次々に現れて「Oh...可哀相に。。。。」と、Jenの肩を抱いて擦ってくれた。部屋に通されて先生を待っていると、手術を施した先生ではなくて、別の年配の優しそうな感じの先生が入って来た。Jenの様子を見て、「腫れが酷くなったのは、横になって寝た為の、Gravity(重力)のせいもあるでしょう。とにかくあと2時間後に又来て下さい。その時にもう一度全身麻酔をかけて、念の為に切開をして中を診て見ましょう。それから、点滴で抗生物質を入れる事にします。」と言われて、ちょっと安心。幸いその日の朝は大して飲み食いをしていなかったから、全身麻酔をかけるのに問題はなく、2時間後に再びJenを連れて、オフィスへ戻って来ました。旦那へTELを入れると、先生が動いてくれると言う事で、旦那もちょっと安心した風。。看護婦さんに抱きかかえられる様にして、私の方を振り返る気力も無いJenは、そのままゆっくりと手術室へと消えて行った。待合室では、折角何冊も本を持って来たというのに、全然“心ここに在らず”で、唯文字を目で追っている感じだった。1時間ほどして看護婦さんに呼ばれて中へ入って行くと、お孫さんが沢山居るだろうと言う感じの、優しそうな年配のカウンセラーの女性が、「She's a real trooper!(とっても我慢強い子ね!)」と私に囁いた。部屋に入ると、Jenはベッドで上半身を起こしたまま、意識が朦朧としながらも、タオルを口に当てて大粒の涙を流して泣いていた。「本当によく頑張ったわねぇ。。。」看護婦さんが仕切りにJenの頭を撫でている。私もJenの脇へ行き、背中を擦った。そこへ先生が入って来て、何とこの施術をしたのは、あの優しそうな老先生ではなくて又同じ先生だった。「再び切って中を絞って見ましたが、pus(膿)も、何も出て来ませんでした。唯ガスがちょっと出て来ました。これは化膿の始まりのサインなので(ほれ見ろ!!)、早く薬が効くように、点滴で抗生物質を入れたので、もう大丈夫だと思います。今一度様子を見てみましょう。但し、今回かなり無理矢理患部を絞ったので、今まで以上に腫れ上がる事を覚悟しておいて下さい。でも、それも2,3日したら治まってくるでしょう。それから私はこの後、3日間留守にしますが、何かあった場合には、代わりの先生も居るので、直ぐに連絡してきて下さい。」ということで、先生もベストを尽くしてくれたから、あとは早い回復を祈るばかり。。。麻酔の醒め掛けだからなのか、全身がガタガタ震えて止まらないJenを、看護婦さんと私で支えて、車の中へ連れて行きました。旦那が夜仕事から帰って来て、今まであれだけ冷静にしていた風だったけど、その夜は急に、「今のこの腫れ上がった状態を、写真に撮って置くべきだ。もし何か間違いがあった暁には、絶対に容赦せん!」と、息巻いていた。嫌がるJenを説得して、証拠!?の写真を数枚撮った。そして、先生からの説明を私の口から言って聞かせたけど、直に先生と電話で話がしたい。と言い出して、夜10時を回っていたけど、先生に電話を入れた。「先生、遅い時間に申し訳ありません。大体の事は妻から聞きましたが、どうしても自分で確認したい事があるのです。化膿はしていないと言うことですよね?それでは、歯を抜いた事で、顎の骨に何か損傷があったとか、そういう可能性はあるのですか?何で右側だけここまで腫れ上がってしまったんですか?先生は3日ほど出張でオフィスを空けるという事ですが、今後もしも、一体どういう状況が起こった場合に緊急を要するのか、その注意事項を教えて下さい。」この時の旦那はこの間と違って、声に凄味があった。5分ほど話をして、旦那は満足して電話を切った。そこにJenが現れて、「この顔、本当に元に戻るのか不安で不安で。。。マミー、元に戻らなかったらどうしよう! 」と、仕切りに気にしている。完全に横になって寝てはいけないといわれたので、リクライニング式のカウチで、上半身だけ斜めに起こして寝る形をとりました。「マミー、今夜もずっと傍に居てね。」その夜も引き続き、Jenと一緒に脇のカウチで寝ました。暫くカウチで寝ていたから、腰や首が痛くなって来たけど、そんなの全然気にならなかった。翌日の朝、腫れが酷くなるどころか、心なしか、腫れがちょっと引いた感じ。昼頃に、先生から電話が入った。「Jenの様子はどうですか?」「今朝になって、何となく腫れが少し引いている感じです。」と告げると、「あ~、それは良かった! まさか翌日に直ぐ腫れが引いてくるとは思いませんでした。思った以上に回復が早いですね。これは凄くいいニュースです。良かった良かった。」先生も涼しい顔をしていたけど心配だった様で、わざわざ出張先から2度も電話を掛けて来てくれた。点滴の抗生物質の効き目が早かったのか、見る見る腫れも引いて来ました。昨日、もう一度医者の元を訪れて、経過も良いようなので、もう学校に行っても良し。と言われて、今日から学校に行き始めました。学校は3日で復帰出来るはずが、結局12日も休んでしまった。先生にお願いして、12日間も学校を休んでしまったので、欠席の理由として学校に提出する、詳しい状況を一筆書いてもらった。それにしても一番残念なのが、Jenが参加しているディベートのクラブで、あのチョコレートで有名なHersheyと言う町の、HERSHEY HOTELで、色んな学校の生徒達が集まり、4日間泊り込みでディベートの訓練をする、合宿があったんです。その日の為に、張り切ってスーツを何枚か買い揃えて楽しみにしていたのに、そんな大事なイベントを欠席する羽目に。。でも、回復する事が一番だもんね。仕方ないです。。。今日久し振りの学校から帰って来てJen曰く、「先生方が私の顔を見る度に,泣きそうな顔をして、“可哀相に。。大丈夫??”って聞いてくるの。そして授業中も、“時間をかけてゆっくりやっていいんだよ。やりたくなかったら、休みなさい。気分の良い時にでもやれば良いんだから。。”って、物凄い気の使いようなのよ。友達は、“ちょっと何!?大丈夫~!?”って、大袈裟な反応をしたり、男の子で変に気を使ってわざと“ひでぇ~顔だな、これって治るの?”って、お茶らけて笑った子が居て、私逆に傷ついたわ。。」私たち家族にとっては、今回の腫れが尋常じゃなかったし、最悪の状態を見ているから、随分マシになったように見えるけど、今回の酷い腫れを見ていない人が今のJenの顔を見ると、「うわっ! 大丈夫?? こんなに腫れちゃって。。。」と驚く位に、未だに腫れています。本人も本当に完全に元通りに戻ってくれるのかと、凄い気にしています。しつこい位に私に聞いて来ます。「大丈夫! 元通りに治るに決まっているでしょう!」そう勢い良く答えながらも、内心「治ってくれないと困るぅ~~!!!」と、心の中で叫んでいる私。YOUTUBEを見たら、結構親知らずの抜歯状況をUPしている人が居るんでビックリ。Jenみたく4本一辺に抜いた子Wisdom teeth gone bad. Wisdom Teeth どのビデオも、Jenの腫れとは比べ物になりません~!!
2008/03/05
私の悪い癖は、ベッドに入ってから直ぐに寝ようとしない事。必ず本に目を通すか、見たくも無いTVを一通りチェックしてから、寝るという具合。。旦那なんかはベッドに倒れ込んで、ものの2秒で寝息が聞こえて来る。寝付きが本当に見事なのである。という事で、昨日の深夜もベッドに入ってから、睡魔と闘いながらも、物凄い量のチャンネルを順を追ってたどって行くと、SHOWTIMEというムービーチャンネルで、何やらチャイナ服を着たカンフーらしき映画をやっていた。折角興味をそそられる映画をやっているんだけど、隣では旦那がもう寝息を立てていたから、余り大きな音は出せず、それでも音量を邪魔にならない程度のギリギリにして観て見ると、それは英語の字幕付きの、日本のアクション映画だった。喜んで出演者を調べると、私が小学生の頃、Gメン75の時に大ファンになった、倉田保昭と、女としても憧れていた、志保美悦子の名を発見!これは見ないわけには行かない!!でも時計は既に夜中の2時を回っている。。。あ~~。。。。見たいんだけどなぁ。。でも今から見ちゃったら寝る時間が。。。と、思いつつも、ずるずると見入ってしまった。Gメン75と言えば、毎回手に汗握り、時には涙し、出演者のカッコ良さに魅了されていたっけ。。。オープニングで流れる、出演者が横一直線に並んで歩く様なんて、これから始まるストーリー展開の想像をかき立てられて、ワクワクしたものです。Gメン75 オープニング関係無いけど、今は亡き、芥川隆行さんのナレーションも良かった~。そして、番組を観た後に流れるこのエンディングのテーマが又、哀愁を誘うというか、観た後に閉めとして、物語をより一層引き立ててくれた物でした。Gメン75 エンディングさて、昨夜見つけた映画、英語のタイトルは、【Sister Street Fighter: The Return of Sister Street Fighter 】だった。さっき日本語の題名を探してみたら、女必殺拳シリーズの中の、【帰ってきた女必殺拳】というやつだった。内容は別として、久し振りに見るこのお二人には、何だか感動してしまった。倉田さんも若い!!久々に惚れ惚れしてしまった~~~。Love v(* ̄▽ ̄*)〃▽〃)Love志保美悦子なんて、今改めて見てみても、物凄い美人!そしてアクションのキレも中々じゃないですか。長渕剛と結婚した時はびっくりしたけど、ネットで調べたら、引退後3人のお子さんをもうけ、30年近く経っても若々しくて、マラソンに精力的に取り組んでいるそうで。。。いやぁ。。同じ女として憧れちゃいますね。これ、彼女だよね? → クリックして写真ちょっと小さいけど、スタイル抜群~~~!!昔は唯ボーッと、これらのアクション映画を観ていただけだったけど、今空手を習い始めてから観るのとでは、やっぱり見方が違っている事に気が付いた。千葉真一(Sonny Chiba)も頑張っているし、昔の日本のアクション映画、何だかもっと観たくなって来ちゃったよ。
2008/02/25
お久し振りです。。。最近の私ときたら、空手にどっぷりとハマってしまい、もうどうする事も出来ません!!(^_^;)もともとはまり易い性質上、のめり込むのも早ければ、そののめり込み振りも半端じゃない。頭の中は空手の事ばかり。。16日(土曜日)には試験があって、朝早くから緊張と戦いながら行って来ました。もう前の晩から、型やセルフディフェンスのシュミレーションで、頭の中が一杯な私。。。当日の朝子供達はふざけていて、緊張の欠片も無い様子で余裕なんだよね~~。この差は一体何!?道場に一番乗りで着き、用意をして待っていると、普段練習には来られない、未だお会いした事もなかった黒帯や師範の先生方が続々と集まって来て居て、それを見てまたまた緊張!ピキ~~ン!すると、アジア人の私を見掛けて話しかけて来て、日本人と分かると、割と流暢な日本語を話す師範の先生が居て、その時点でちょっと緊張がほぐれたかも。時間が来て、全員で45分掛けて柔軟やウォーミングアップをした後に、机が真横一直線に並べられた所に、各先生方が座り、その目の前で試験が始まりました。白帯から始まって、私と子供達は今オレンジなので2番目。(去年のクリスマスの2日前に、オレンジの帯を貰いました。)今まで習った型一通りと、ペアになってセルフディフェンスを何種類か即興でやらされ、型は割と上手く出来たのに、セルフディフェンスでは、あれだけ練習して手順を分かっていた筈なのに、思い出したら赤面しちゃうような、ボケた交わし方をしちゃって、物凄い自己嫌悪。私達は未だ武器は使いこなせていないので、武器の試験は飛ばして終了。帰りの道すがら、あの失敗の事が頭から離れず、無口なまま帰宅。新しいベルトを12月に貰ったばかりだから、期待はしていないんだけど、あの失敗には納得が行かない。やっぱり、まだまだ精神力が弱いって事なんだろうか。そして翌日は、またまたニュージャージー州でトーナメント。実は私は今回は全然行く気が無かったんだけど、トーナメントに出場する子の親御さんから、土曜日の試験終了後に帰ろうとする私に声を掛けて来て、「このトーナメントは、この間のとは違って小規模で、初心者が多いトーナメントだから、是非行った方が良いって、先生がおっしゃってたのよ。だから、一緒に行きましょうよ!」と誘われてしまい、心が動いてしまう。。。小規模で初心者が多いんだったら、突然で何の心構えもしていなかったけど、ま、行ってもいいか。Tifに話してみると、呆気なくOK.Michaelはちょっと面倒臭そうにしたけど、お友達のEricが行くというので、渋々OK。正直、土曜日のTestで物凄い疲れちゃったんだけど、頑張って翌日行って来ました。朝全員で道場前で待ち合わせをして、先生を先頭に皆で一緒に会場入り。会場に着くと、物凄い人、人、人。。。。ちょ、ちょっと。。。。小規模だったんじゃないのぉ~~!?凄い人じゃないのよ~~~。旦那も,“話が違うじゃんよ。”って感じで私の顔を横目で見ている。入り口で手続きを済ませて、中へ入ると、初心者どころか、上級者が多い普通のトーナメントだった。完全に話が違う。。。。でももう現地にその気で来ちゃったわけだし、腹を決めて、順番を待った。Tifは今回頑張って、7歳の部門の型で、2位を獲った。初めての組み手では、3回戦まで突き進んで、4位入賞。女の子はTifともう一人の2人だけだった中の、大健闘でした。男の子相手に、アグレッシブに相手を追い詰めて、パンチやキックの連打をするTiffanyの姿に、思わず顔がほころんでしまいました。Michaelは、10歳部門での入賞は逃してしまいました。何せ物凄い人数。 Michaelが、このタフな部門の中で入賞出来るようになるまで、一緒に頑張ろうと、心に決めました。うつむいているMichaelの悔しそうな顔を、可哀相で見ていられなかった。 私まで胸が痛くなった。うな垂れて引き上げて来たMichaelには、入賞だけじゃ無くて、参加する事、チャレンジする事に意義があるんだから、元気を出して。。。これを教訓に、この負けから学べばいいんだから。。。と、声を掛けるのが精一杯。私の番といえば、勿論一番最後。(35歳~の部門)何とショックな事に、私が一番年配のコンテスタントだった!( ̄▽ ̄;)!!ガーン前回同様、男女含めて、たった6人で争う事になった。型は男女混合。緊張も前回ほどは無く、2位入賞!しかし。。。。。得意なはずの組み手で、1本も取れずじまいの、惨敗をしてしまったのである。得意の蹴り技の一つも、出せなかったのである。もうね、“唯やられちゃった”って感じ。トーナメント前の最後の組み手の稽古の時に、いつも勇んで攻撃してしまい、逆に相手に隙を突かれてポイントを取られる。という私の悪い癖を指摘されていたから、このトーナメントでは、相手の出方を見る。という作戦に出たんだけど、いつもの自分らしくない、慣れない出方を下手にしてしまい、身体が硬くなってしまったのか。。。勿論相手の出方を見るのも戦法だけど、やはり、その場での瞬時の判断も何もかもが、私の経験不足。頭でっかちになりすぎて身体が固まってしまったのも、経験や練習が足りない証拠。負けて学ぶ事は大きいのだ~~~。もう悔しくて悔しくて、「何で!?嘘でしょう!?」という思いが頭の中を駆け巡って、相手と握手を交わした後、全身の力が抜け出てしまって、子供達や旦那の顔を、まともに見る事が出来なかった。この出来事を思い出す度に溜息が出る。その日の夜、身体は滅茶苦茶に疲れて居たんだけど、負けたシーンがチラついてしまって、あの時こうすれば良かった。何で何も出来なかったのか!?等と考え始めてしまって、朝まで眠りにつけなかった。入賞したTifも、今回入賞出を逃がしたMichaelも、二人とも帰りの車の中で無邪気にふざけて遊んでいた。家に着いてからもケロッとしている。私はいつまでも引きずってクヨクヨ。。。。子供達の無邪気さに、こんなんじゃダメだ。って、ちょっと目が覚めたかも。でもね、惨敗したにも拘らず、組み手は女同士だったので、たったの2人。ということは、負けても2位。型の時の2位とは違って、(これは本当に嬉しかった)ちっとも嬉しくないトロフィーを手にしたのである。気持ち的には、2位入賞なんてとてもじゃないけど呼べないから、トロフィーを受け取るのは気が引けた。でも一生、こういう事の繰り返しなんだろうね。こういう過程無しでは、上手くなれないんだろうね。。。月曜日にテストの結果が出て、全然期待していなかった中、子供達と私はラインを2本ももらえて、淀んだ気持ちがすっかり楽になりました~~。又明日から頑張って稽古に励みま~~す!クヨクヨしていた割には、単純に立ち直りも早かったりして。(^_^;)ラインを手に浮かれて喜んでいる私の脇で、旦那がコホンと咳を一つ。。。。
2008/02/20
空手のトーナメントに行ってきました~。色んな道場から沢山来ていて、ちょっと圧倒されたりしたけど楽しんで来ました。Michaelは “型”(茶帯以下の9歳~10歳の男子)Tiffanyは“型”(茶帯以下の7歳~8歳 男女混合)私は“型”(茶帯以下の20歳以上の女子)に出ました。会場に入って辺りを見回すと、白帯が殆ど居なくて、その時点でちょっと気落ち。(^_^;)“トーナメント出場は、ちょっと早かったかな。。”と、弱気になってしまった。シャロン先生に,“私達、ちょっと早すぎましたかね。”と聞いてみると、“そんな事無いよ。出場する事に意義があるんだから”って、励まされて、やる気満々。MichaelもTiffanyも、それぞれ白帯が本人も含めて2人だけだったけど、今まで練習して来た通りの型を披露して、私は大満足でした。(^^)入賞には手が届かなかったけど、メダル(参加賞)を貰いました。私が恐れていた、【頭の中真っ白】状態にはならなかったから、良かった~。やっぱり、【頭の中真っ白】状態になった子、何人か居ました。気を取り直して初めからやり直す子も居れば、固まったまま動かず、そのまま終わりにしちゃって半べその子とか、色々です。表彰時に、目の前でトロフィーを受け取る子供達の後ろで、悔しそうにして唇を噛んでいたTiffany。名前を呼ばれてメダルを受け取った時には、今にも泣き出しそうな顔になって下を向いてしまったので、その時はちょっとハラハラしました。Mihcaelも彼の落胆振りが、ありありと分かる表情でメダルを受け取っていました。旦那や姉達から励まされて笑顔が戻った所で、「メダルを見せて!」と言っても、中々素直には見せてくれなかった。(^_^;)でも2人共直ぐに気を取り直して、メダルを胸につけてヘラヘラと喜んでいましたが。(単純)中には、負けたという屈辱に耐え切れなくなって、泣き出してしまい、お父さんに抱きしめられてから、色々と言い聞かせられている7,8歳位の男の子も居ました。涙と鼻水でぐちゃぐちゃになった顔で、お父さんの顔を真っ直ぐに見つめて話を聞いている、彼の大きな瞳がとても印象に残りました。同じ道場で茶帯で13歳の女の子が居て彼女はとっても真面目で、いつもニコニコして居て礼儀正しい子。その子にとんでもないアクシデントが。。。組み手で男の子と遣り合っていた彼女。相手にポイントを何度か取られて、「もう負けてしまう!」と思って焦ってしまったのか、普段に無い攻撃的な姿勢を見せ始め、顔に蹴りは入れてはいけないルールを無視して2度もやってしまい、終わってからお互いに礼をする場面で、相手の男の子の手にパンチを入れてしまって、退場になってしまったのでした。先生やお母さんから慰められて落ち着きは取り戻したものの、やっぱり心の動揺から、その後の“型”は、めちゃくちゃになってしまって、終わるや否や、泣いて会場から出て行ってしまったのでした。皆唖然としてしまったんだけど、一旦切れてしまった糸が元に戻らず、自分でもどうしようもなくなってしまったみたいで、とても可哀相でした。後でトイレに行った時に、お母さんと一緒に目を真っ赤にして出て来た彼女とバッタリ会いました。思わず彼女の肩を叩いてHugしました。ヒックヒックと、しゃくり上げて泣くCちゃん。私は言葉に詰まりました。ふと見ると、お母さんもハンカチで目を覆っていました。普段練習熱心で真面目で、とても礼儀の良い彼女です。それなのに、“負ける”というプレシャーに押し潰され、自分の取った愚かな行動に腹が立ったらしく、かなり落ち込んでいました。是非この経験を生かして、又あの明るい笑顔を見たいと彼女に伝えました。泣きながら頷いていたけど、人事ではないな。って思いました。皆こうやって辛い経験をして、大人になって行くんだよね。。。こうなると、自分の子も人の子も関係なく、思わず抱きしめたくなります。勝ち負けに拘るのもいいけど、やっぱり負けたり失敗した時に、どう対処するか。。。これはその人間の一生を左右する、大事なキーポイントだと思う。先ず、素直に事実を受け入れる事。とにかくこれが出来ないと、前に進めません。そしてそれを学びとして、“この野郎~~!”って言う悔しい気持ちも全てひっくるめて次の糧として、ステップアップする。なーんて、口で言うのは簡単だよね。これは私の願いだけど、空手を通して、子供達にはこういう精神を学んでもらいたいです。武道やスポーツは心身を鍛えると言うけど、正にその通り。でも欲を言えば、文武両道が理想なんだけど、これは子供に押し付けてはいけないよね。以前の日記にも書いた事があるんだけど、普段何かの競技を見ていて、“勝者”よりも“敗者”の顔に、どうしても目が行ってしまう。敗者の態度が悪ければ、(所謂“sore loser”)負けた本人同様、私もガッカリしてしまうし、逆に、爽やかで潔かったりすると、“あ、この人は大丈夫だな。次は今まで以上にパワーアップして戻って来るな。”って思って、何だか嬉しくなってしまい、俄然この選手を応援する気になる。勿論勝った選手は、努力が報われて素晴らしいけど、負けても尚潔い敗者は、勝者に劣らず“カッコイイ”と思う。大袈裟なようだけど、そういう敗者を見たその日一日は、本当に気分が良い。自分もこうありたい。成れたらいいなぁ。。。。って思います。昔から、【七転び八起き】とか、【人生山あり谷あり】、【転んでもただでは起きるな】【雑草のように生きろ】とか、挙げれば枚挙に暇が無いほど、何か壁に当たった時に勇気付けられるような諺が沢山ある。昔の人って偉大だな。こういう言葉を残してもらって、有り難いなって思う。何だか又ダラダラ長くなってしまったけど、私の結果は、予想外で、何と2位入賞しました~~!MichaelやTiffanyに比べると、私の年齢層のカテゴリーは極端に少ないからその分入賞の可能性も高かったんだと思います。ラッキーでしたね。(*^-^)はっきり言って、私の番になって選手一同並んだ時は、白帯が私一人だけだったから、「あらら~~」って感じで、私も家族も全然期待してなかったんです。だから2位に入った時には、正直びっくりだったけど、喜びも一入でした。思えばこれまで、ストレッチで腹筋が攣りそうになったり、開脚がそんなに開かなくて、(年で骨が硬くなっている)それが異常に悔しくて、ムキになって無理して広げて、その結果、翌日内股の筋が痛くなっちゃって、1週間位もっと開かなくなったりとかして、そんな自分を嘲笑したりなんて事もあったんですよねぇ。。でも、老体に鞭打って頑張った甲斐があって、凄く嬉しいです。。ヾ(@^▽^@)ノどこまで続けられるか分からないけど、今の所は、すっかり空手にのめり込んでて、辞める気配は全然なさそうです。はぁぁ。。。。(ノ_-;) ←(旦那の溜息)追記です。今日は長女Jenの15歳のバースデーです。彼女の Quinceañera(15歳のお祝い)は、12月1日に会場を借りてする事になったので、今日は家族だけでひっそりとお祝いです。でも旦那は出張で居ないんですよね~。。。Jenのリクエストで、彼女のお気に入りのイタリアンレストランで旦那抜きで食事して来ますね~。え? 何か旦那抜きが嬉しそうって!?まさか~。 そんなわけ無いわよ~~。
2007/11/14
最近、【残酷なイルカ漁をする日本人】のニュースや記事を、頻繁に目にするようになった。昨日もこのニュースを観たばかり。ウエットスーツを来てサーフボードに乗り、イルカを囲んで守ろうとしている反捕鯨団体”シーシェパード”の若者達と、漁師さん達とのやり合いが、映し出されています。この反捕鯨団体にアメリカの、”Heroes”という人気番組に出演している若い女優(Hayden Panettiere)が参加し、実際に日本のイルカ漁の現場へ行った為に注目度が増した。詳しい記事はこちらです。私がTVのニュースで観たのはこのシーン。「仕事の邪魔すんじゃねぇ~!」物凄い剣幕で、やくざの様な口調で捲くし立てる漁師さんの姿。度重なる団体からの圧力で、かなり苛立った様子。イルカの血で覆われた海、血まみれのイルカ。。。。。とてもではないが、余りにも残虐なシーンな為、画像を最後まで正視する事は出来なかった。昔から続く伝統の漁。イルカを捕らないと、小さな魚を食い荒らしてしまう。と現地の人は言う。このイルカ漁全てに、この村の生活が掛かっているのかどうかは、詳しく調べていないので分からないけれど、どうしてもしなくてはいけない漁なのか。。。?他に打つ手は無いのか???どうにか良い解決策は無いのか?ある村では、イルカを捕って食肉としてさばくだけではなく、水族館に売ったり、中国などの海外へ、こっそりと売りさばいていると言うのも聞いた。一頭500万円程で売れるのだそうだ。イルカの体内からは、大量の水銀が検出され、人体に悪影響を及ぼす。という結果が出ているのにも拘わらず、何故?イルカはその料理法も余り無く、臭いも強い為に決して美味しい物では無い。と言う記事も見た。この村は、以前は捕鯨漁もしていた為に、“残虐行為をする村”として、以前から悪名が高かった。と言う事も分かった。しかし、ある村では、漁業組合のリーダーさんが、反捕鯨団体とのやり取りの末に、考え方を180度変え、“イルカ漁”から、“イルカウォッチングの観光”へと姿を変え、今ではイルカの保護に積極的に活躍している。という話も聞いた。記事はここです。私が初めて日本のイルカ漁の事を知ったのは、2,3年前。ある旅行番組で、日本を訪れて色々と紹介をしていた場面で、ある海辺の小さなスーパーマーケットへ行ったレポーターが、「なんと、こんな物を発見しました!」と言って、パックに入った”イルカの肉”を画面に見せたのでした。この時私は自分の耳を疑いました。だって、日本でイルカを食べるなんて話、未だかつて聞いた事が無かったから。。。とんでもないデマだな。と思って、ちょっと頭に来たのでした。その後1年位前から、数々のYOU TUBEの動画のコメント欄で無差別に、【日本の残酷なイルカ漁の画像はこちら。この画像を観て、一時も早く日本人のこの残虐行為を辞めさせよう!】と、URL付きのコメントが貼られているのを、あちこちで目にするようになった。ちょっと信じられなかったけど、調べてみると、未だ日本でこのイルカ漁をする村が、幾つかあるのだった。殆どの日本人はイルカ漁の事など知らないし、ましてやその肉を食べるなんて!!だけど、アメリカの短絡なニュースや記事の場合、ある日本の小さな村で。。。。と言う、詳しい報道の仕方はしない。ひとまとめにして、Japan とか、Japaneseと言う風に、まるで【日本全国】でこのイルカ漁がされていて、【日本人はイルカの肉を食べる習慣がある。】と言うようなニュアンスの報道になってしまっている。おまけに、”日本のどのスーパーマーケットでも、簡単にイルカの肉が手に入ります。”とまで報道されていた。 YOU TUBEで、この残虐シーンを貼って回っている人のページに、ある人がこんなコメントを書いていた。“私はアメリカ人です。貴方のやっている動物保護に対する、熱い思いとその行動力は素晴らしいと思います。ですが、私の知っている日本、そして日本人の友達は、イルカ漁の事すら知りませんでした。あなたは酷く偏った、下手をすれば人種差別を引き起こす結果に繋がるような、危険で間違ったやり方をしているのが分かりますか?”世界中から非難を浴びる中、皆が満足するような結果が出せれば、そんな良い事は無いんだけれど、皆それぞれ言い分がある。今後この問題がどう発展して行くのか、非常に気になります。この件に関しては、それぞれ違った意見や考え方があると思います。このサイトでは意見を送る事が出来るそうなので、是非見て見て下さい。****************************最近中々更新出来ずに居ました~~。。。書きたい事は沢山あるんだけど,時間が足り無い!!!!リンクしている友達の所へも中々遊びに行けなくて、不義理な私を許してね。。。ハロウィーンも無事に終わり、先週ペンシルバニア全体の、ミドル~ハイスクールの選りすぐりの生徒会長達が2泊3日で集う催しが行われて、そのホスト校として、私達の学区が選ばれた為に、その生徒達を2泊3日受け入れる、ホストファミリーのボランティアをしたんです。初め3人の予定だったのに、ギリギリになって学校から、「後2人お願い出来ませんか?」と電話が来て、“3人も5人も変わんねーわ!”って事で、結局5人引き受ける事に。この勢い、以前にも3人目、4人目と妊娠が発覚した時にも発生した記憶が。。。。3人目妊娠時。「ええ~~い! 2人も3人も一緒だわな。ハハハハ~~。(未だ余裕)」4人目妊娠発覚。「え、マジ。。。。!?ええ~~~い! 3人も4人も変わらんがな~! ハハハハハ~!(^◇^;)(ちょい勢い不足)ってな感じ。朝7時までに子供達をNicoleの通う学校へ連れて行き、3時に迎えに行って、食事をさせてから、5時に又学校へ連れて行き、夜の11時頃に迎えに行く。。と言うスケジュールをこなしました。もうへとへとに疲れました~~~~。ベジタリアンの子が一人居て、結構食事で気を使いました。2日目の朝食では、どのアメリカ人の子供達からも必ず受けの良い、日本のパンケーキ(ホットケーキ)をご馳走してみました。やはり気に入ってくれたみたいです。(^^)メープルシロップをかける子も居れば、Whip Creamや、チョコレートシロップをたっぷりかけたりして、その食べ方も色々です。家のMichaelは、何もつけずにそのまま。日本のパンケーキは、何もつけなくても美味しいから好きなんだそうで。。。(*^-^)この日本のパンケーキ目当てで、家に泊まりに来る子も居るほどの人気です。カレーライスも、家へ遊びに来る子供達からリクエストを良く受けます。Jenの女友達で、アメリカの日本食レストランで出される、日本式のチャーハンが大好きな子が居て、家へ来る度に”あのチャーハンが食べたい!”って、おねだりされます。(^_^;)それから。。。。今週の土曜日に、空手のチャンピオンシップがニュージャージーで行われるので、それに出場する為に、子供と共に、週4回の稽古と家での練習に没頭しています。これが初めてのトーナメントなので、現場であがってしまって、折角練習して来た“型”を忘れやしないかと、ちょっと心配です。(^_^;)因みに型は、MichaelもTiffanyも私も、“平安初段”をやる予定です。空手の流派によって内容が違って来ますが、私達の型は、これに近いです。↓平安初段
2007/11/06
アメリカで生活していて、テレマーケティングの鬱陶しさを怒りをもって感じている人は多いと思う。忙しい時、今これから出掛けようとしている時なんかに掛かって来た日には、電話口のお愛想口調を聞いただけで,ブチ切れそうになる。そんな迷惑を日々被ったアメリカ国民は黙っちゃいない。”DO NOT CALL LIST”と言う物を作り上げ、テレマーケティングの会社と裁判で争いそれに勝利し、私達はそこに登録してれば、3年間はあの忌まわしいテレマーケティングにイライラさせられる事も無かった。だけど、この3年の期限が明日で切れちゃう。又明日から鬱陶しいテレマーケターから、ガンガン電話が掛かってくる。Caller IDでブロックする事も出来るけど、最近では個人のナンバーを使い、あたかも親しい友達を装って掛けて来るtrickyなものもあった。例えば、「Hello! ボブだけど、 ○○○(私の旦那の名前)は居るかい?」とっても自然で、いかにも親しい友人であるかのような口調。これに引っかかって、電話を取り次いでしまった事が2度あった。”DO NOT CALL LIST”が出来てしまってからは、敵も色々と思考を凝らしているのだ。私なんて未だ丁寧な方で、”DO NOT CALL LIST”が出来る以前の話なんだけど、10年ほど前に私達が当時住んでいた家の近所に居た、とっても威勢の良いジューイッシュのお婆ちゃんなんて、相手がテレマーケターと分かった途端に、「はぁ~~!? 鬱陶しいんだよ!もう2度と掛けてくんな! (ガチャン!)」と、相手に話すチャンスも与えない。私の目の前でそのお婆ちゃんは、受話器を思い切り叩き付けてたんだけど、お見事~~!と言いたくなるほどの、豪快な叩き付け方でした。旦那もこれで良いんだという。と言うか、こうしないとしつこいからだ。当時のこのお婆ちゃんの目下の悩みは、彼女の結婚前のラストネームが “LEE”だった為に、中国系と勘違いされて、中国語のテレマーケターや迷惑メールがしょっちゅう来る事だった。(/--)/「2,3日前にも来たのよ。」と言って、電話会社からの中国語で書かれたメールを溜息混じりに見せてくれた。一瞬笑いそうになったけど、お婆ちゃんは真剣にムカついていたので、怒られると怖いから、ぐっと堪えた。昔、私達のテレマーケターに対する応対を見ていた長女(当時6歳)は、しみじみと呟いていた。「私絶対にテレマーケターになんてなりたくないわ。バイトだって嫌よ。皆から怒鳴られて電話を切られるなんて、最悪じゃない?」幼い彼女には、相手から煙たがれ、嫌な目に遭ってもこの職(テレマーケター)を選ぶ。と言う事が、どうしても理解出来なかったらしい。私も相当忙しい時は、「間に合ってます。」と言って、一方的に切ったりしたけど、たまに丁寧に応対しちゃった時に、切るタイミングを取り損ねて、相手の話を聞いてしまう羽目になる。っていうか、この相手もマシンガンのように喋り、私に話を遮る隙を与えない。ここでガチャンと切っちゃえば良いだけの事なんだけど、でもごく稀に、それすらも逃してしまう場合があった。何だか知らんけど、たまに私の気分が“非常に穏やかな日”があって、行き成り一方的には切らずに、丁寧にお断りしてしまったりする。普段手荒に扱われているのに丁寧に応対されたとあって、ここぞとばかりに、相手も非常に丁寧な口調で、ガッチリと食い下がる。私も負けじと、(未だ)丁寧にお断りする。相手だって負けていない。再び、丁寧に同じ事を繰り返す。ここでやっとムカッと来て、相手の話を遮り、ちょっとrudeに断る。相手は、「でもね奥さん、~~~~~」と、私の断りを完全に無視し、また同じ事を捲くし立てる。「急いでるから、迷惑なんですよ!さっきから今出掛けるって言ってるじゃない!」それでも、”そんな事は関係ねーよ”と言わんばかりに話し続ける。ここで私の、『ご丁寧モード』のスイッチは一気に切り替わり、受話器を叩きつける事になる。脇で聞いていた旦那は、「最初から一方的に切っていれば良いものを、その日の気分でヘタに相手なんかするから、イライラする事になっちゃうんだろう。」と言って、呆れている。日本の場合は、ここまで酷くないよね?私は法律とか、最近の状況は良く分からないんだけど、確か私が未だ日本に居た時は、アメリカのようにガンガン掛かって来た事は無かったように思える。あ、その代わり、訪問販売とか、キャッチセールスは酷いよね~~~。その辺の取り締まり、ガッツリと厳しくして欲しいよね。さて、話は戻って、明日で3年の期限が切れてしまっても対処は簡単、又登録しなおせば言いだけの事。今回登録すれば、今後5年間は邪魔されずに済む。と言う事で、さっさと登録し直しました。もし未だされていない人が居たら、今すぐにでも登録する事をお勧めします。電話でも、websiteからでも出来ますよー。TEL 1-888-382-1222(英語(1)を選択して、電話番号の登録(1)を選択して、掛けて欲しくない電話番号を登録するだけ。但し、番号を登録したい実際の電話機を使って登録しないとダメです。)websiteは,National Do Not Call Registry *登録しても、その日から約30日間は掛かって来る可能性有りみたいだから、ちょっとの間は油断禁物だね。。。*~*~*~*~*~*~*~*~*~*~*そうそう、昨日の昼間に初めて放映されて、既に何度か再放送されているんだけど、今日の東部時間6:30pmに、MTVで放映される【My life with Ryan】に、家のJenが、観客でチラッとだけど、何度も画面に登場してました。やっぱり実際よりも、ふくよかに見えるもんなんだね~。Ryan Sheckler と言う今人気のプロスケートボーダーが、彼のデート相手をゲームをして捜すという番組なんだけど、(ゲームに出る女の子は、事前に既に決まって居たらしい。) 友達のお父さんの、これまたその友達のコネで、仲良しの5人で行ったのでした。収録から帰って来たJenは興奮気味で、相当に鼻息も荒かった。((o( ̄(●●) ̄)o)) コマーシャルの合間にRyanに声を掛けたら、寄って来てHugをしてくれ、サインもついでに貰って来たみたい。帰って来ての開口一番。「He is soooooo cute!」昨日レストランでランチを取ってたら、Jenの携帯にテキストメッセージが次々に入って来て、未だ放映を一度も見ていなかった私達は、その反響にびっくりでした。 MTVのstudioへ収録へ行った事は、仲の良い友達以外には誰にも言ってなかったのに、たまたま放映を見て、Jenを発見したプエルトリコの友達やら、仲の良い友達から、大して仲の良くない友達からガンガンJenの携帯や、My Spaceにメッセージが入ってた。5人の内、JenとCちゃんの二人が、鼻息の荒い女の子達をかき分けて,結構前の方へ押し入った為に、割と画面に登場したようです。こういう時に臆する事無く、図々しくどんどん前に出て行くという、プエルトリカンの血が騒いだのでしょうか。(旦那曰く)初めて昨夜の再放送で,どんなもんか見てみたんだけど、画面に映るのなんて、ほんの一瞬。私と旦那なんて、結構注意をして見て居ないと、見落としそうなのに、何も知らなかった友達が、直ぐに発見するなんて、やっぱり若さの差でしょうか。。。。ε-(ーдー)ハァひょんな所で、年を感じる今日この頃。。。。ここからも、全部じゃないけどちょっとだけ見れます。
2007/10/15
前回激マズ料理で脱線してしまったんだけど、Jillの葬儀に出て、感動して帰って来ました。何に感動したかって、Jill本人と、その家族に対してでした。本音を言うと、旦那さんのJamieや残された3人の子供達に会うのが、正直怖かったんです。何と言って励まそうか。。。。?上手く気持ちが伝えられなかったらどうしよう。。。様々な思いがあって、彼らに会うのが怖かったんです。葬儀の前日にJamieの自宅で、皆で何か持ち寄って、友人や家族との集いがあるというので、行ったんだけど、Jamieの家について熱烈に出迎えてくれたのは、黒のラブラドールの“ペッパー(こしょう)”本当は白のラブラドールの“ソルト(塩)”も居たんだけど、1年前に他界していました。ペッパーの熱烈歓迎で少し気が和らいだ所に、Jamieが笑顔でやって来た。無言で旦那とJamieが抱き合い、次いで私が。。。抱き合った(hug)と言うより、彼の顔を見た途端に、言葉にならない思いが急激に込み上げて来て、つい力を入れて、ぐっとしがみ付いてしまった。Jamieもそれに応えるかのように,無言でぐっと抱きしめてくれて、本来なら、私が彼を励まさなければならない立場なのに、逆に私が助けられた感じになってしまった。「よく来てくれたね。」ちょっとだけ涙目になりながらも、明るく笑顔で持て成してくれた。その後3人の子供達は、一人づつどこからともなく現れて、(Jamie宅は物凄い豪邸なので、どこから現れたのか、定かではないんです。)泣き顔を見せる訳でもなく、私達とhugを交わし、直ぐに子供達同士で遊び始めていた。やっぱり、急に逝かれた訳ではないので、心の準備が出来ていたのだろうか。。。それにしても強いなぁ。。。。複雑な気持ちで、彼らの遊ぶ姿をボーっと見ていた。次々にお友達や近所の人達、親戚の人達がそれぞれに料理やワインを片手に訪れて来て、一見ハウスパーティーのようでした。それでも、Jamieのご両親と話をした時に、Jamieのお母さんが言った言葉に、思わず納得してしまった。「あの子達は、同じ境遇の子供達が集まるサークルに何度も出席して、様々なセラピーを受けて来たのよ。」そうか。。。やっぱりここまで気丈に振舞えるのも、事前にセラピーを何度も受けて来たからなんだよね。。。私なんかには、想像も付かないほどの大変な思いをして、ここまで来ているんだよね。。。そう思いながら深い溜息と共にお婆ちゃんの顔を見ると、大きなグリーンの瞳が、涙で今にもこぼれ落ちそうになっていた。皆努めて湿っぽくしないようにしているのか、あちこちで、笑顔で談笑している姿が見えた。日も大分落ちてきた頃には、Jamieがワイン片手に、Jillがやらかした突拍子も無い出来事の数々を語り、私達は、お腹がよじれるほどに笑った。結局Jamieの子供達の涙は一度も見ずに、私達はホテルへと戻って来た。何だか救われたような、そんな気持ちで帰って来た。でもその後旦那から、明日の葬儀の内容、教会で流す曲からスライドショーの写真の選択、自分の骨壷に至るまで、とにかく全ての段取りを、皆Jill本人が病床で取り決めた。だからJamieは、何一つ葬儀の事は手を付けずに済んだ。と言う事を聞かされ、信じられない気持ちと同時に、悟りを開いてあの世へ旅立ったJillに、心底心を打たれてしまった。Jill,あんた凄すぎるよ!こんな事、私には到底出来ないよ!悟りを開く境地に至るまでの、Jillの心の葛藤を思うと、居た堪れない気持ちになった。*~*~*~*~*~*~*~*~*~*~*~*~*翌朝、葬儀にどうしても出席出来ない,大学時代の仲の良い友達と朝食をとって、Jamieや旦那の出た大学を見学しに行った。何と一緒に連れて来たMiloまで、旦那の出た大学を見学する事になった。葬儀はカトリック式で、入り口でパンフレットを受け取った。何気にそのパンフレットを見ると表紙には、自宅の裏庭の池の前に腰掛け、小首をかしげて白ワインを持った片手を顔の前に上げ、私達に「乾杯」と、今にも言い出しそうな、穏やかな微笑みのJillの姿があった。痩せ細って髪が抜け落ちた為に、ショートカットになったJill。その包み込むような微笑が、とっても神々しく見えた。至る所で、そのパンフレットの表紙を見て涙ぐんでいる人が居た。私達は一番前の席に着き、パンフレットの中身に目を通した。一見して、Jillが構成した事が一目で分かる物だった。ハロウィーンシーズンなので、パンプキンの絵も入れたりしていて、Jillらしさが出ていた。聖書を読み、賛美歌を歌い、神父さんからの、Jillとの思い出の話。(Jillは教会のボランティアもしていた)この時も、Jillとの思い出話のエピソードは、笑いに包まれたものでした。私は仏教徒だけれども、神父さんの話す永遠の魂と、この世に生を受けた事に対する感謝と祝福、と言う様々なお話を聞いて、宗教を抜きにして感動しました。そして、Jillが神父さんにお願いした事、今ここで私達が生を受けて生きている事に感謝して欲しい。悲しむのではなく、祝って欲しい。そして今自分の周りに居る人達と、改めてHug&Kissをして欲しいと。。。神父さんに促されて、私達は立ち上がって、自分の席の周りの人達とそれぞれHugとKissを交わし、席に着きました。Jillという、素晴らしい人間と出会えた事、私達が今こうやって一緒に集えた事を、Jillに感謝しましょう。と神父さんが話され、皆一斉に、Jillに拍手を送ったのでした。子供達はさすがに泣いていました。Jamieが優しく肩を抱いてさすったり、兄弟同士で、泣いている方の膝を撫で合ったりして居る姿を見て、彼らはJillに見守られて、強くやって行ける。と、確信しました。ふと、ちゃっかりとTimとKathyの間に座っていた、Tiffanyの事が気になり、覗いてみると、一生懸命に聖書を目で追い、賛美歌も分からないけど、口を動かして歌っていました。最後に、子供達へ送る母の想い。そして生涯を通して母から子供達に贈る曲。Rod Stewartの『Forever Young』そして夫、Jamieへの言葉。心を込めて、愛する夫に贈る曲。Shania Twainの『You’re Still the One』実際に、Jillからのメッセージを親族の方達が読み、その曲を流して、黙祷しました。葬儀が終わっても、私は感動で涙が止まらなかった。そしてその後、Jillがメニュー選びから全て手配した、と言うランチを、教会の地下で食べ、全員がJamie宅へと戻った。ちょっとだけ居て、私達はJamieと子供達と、近々Hershey Parkで合流する約束をして帰って来た。最後にJamieったら、私に向って何て言ったと思いますか?「I like your outfit.(その服素敵だね。)」これは、私が喪服を忘れて来た事を茶化してなんですよね。悪戯っ子の様にウインクして、又いつものJamieでした。最後の最後までも、Jamieに救われた。。。行きは、ちょっと重苦しい気持ちでいたのに、帰りは何だかとっても平和な、穏やかな気持ちで帰って来ました。私も最後は、Jillみたいになりたい。。。なれるだろうか。。。そして、もしも旦那に何か遭った場合に、Jamieの様に強く居られるのだろうか。。。そう思いながら。。。。色のグラデーションが素晴らしい紅葉Tifのお荷物拝見。何故か小銭で重た~~~い、貯金箱を持参。 激マズレストラン脇の景色。これに惑わされてしまった。。。。
2007/10/09
Jillの葬儀に出席する為に,オハイオへ家族で行って来ました。私達が家を出たのは土曜日の早朝。車で約6時間かけてオハイオへ着きました。暫くはとうもろこし畑が続いていて、山に差し掛かると、車窓からは見事な紅葉風景が見えて、退屈な6時間だった筈が、紅葉の素晴らしさに見とれてしまって、何だかあっという間に着いてしまったって感じでした。車内に大量にDVDを持ち込んで行ったのに、一度も見ないでしまった。本も今まで中々読めなかった物を4冊持参したけど、これも無駄でした。(^_^;)ホテルに着いて部屋へ荷物を入れ、旦那はそのままロビーへと下へ降りて行った。部屋に入って直ぐやる事って言えば、荷解きです。JenとNicoleはそれぞれ自分達の物を管理しているから手が掛からないけど、MichaelとTif、そして私と旦那の物を分けて引き出しに入れたり、洗面道具や化粧品をバスルームにセッティングをする作業を始めました。作業中、何かが変な事に気が付いた。「あれ!? 荷物が足りないよー。???」Michael、Tiffany、Nicoleと私が葬儀で着る服一式と、私とTifの普段着に、靴が入ったスーツケースがどこにも見当たらない。一番大事なスーツケースが無いんです!青ざめながら旦那にTELして聞いたら、「あれ? 君が積んだんじゃないの?」「何で私が積むのよ! 私は荷作りで、積むのはあんたの仕事って風になってたじゃない!私はてっきり積んでくれたものだと思っていたのに~~~~~!」「君の物が入ってたんだろう。自分で最後まで責任を持たないと。。」「ちょっとあんた!私だけの責任にしようなんてずるくない!?」「君だって今、僕のせいにしようとしていたじゃないか!」「着る物無いよ、どうすんのよ~!」JenとNicoleは呆れて私を見ている。何だか納得が行かなかったけど、忘れてきた物は直ぐにこの手には届きません。予定ではホテルに着いた後、Jamieと会って、彼の3人の子供達とホテルのプールで遊ばせようか、と言う話になっていたんだけど、急遽変更して、近所のモールへ行って葬儀用の服や靴を買う羽目になってしまったのでした。思わぬ出費で自己嫌悪。旦那がJamieや、この後私達と合流するTomやTimにTELを入れて、スーツケース置いてきぼり事件を告げると、皆呆れ笑いをしていたようだ。喪服として、パンツにセーターを合わせた物を選んだんだけど、私は身長が低いから裾はお直しが必要。でも即効でやってくれる所は無く、ホテルに帰って裁縫道具を頼んだら、無いと言われちゃって悩んだ所、偶然にも今朝化粧ポーチに、小さな安全ピンが沢山入った箱を何気なく入れたのを思い出し、裾を捲くってアイロンをかけ、安全ピンでどうにか間に合わせる事が出来ました。あ~~~~、本当にドジだよね。自分でも呆れちゃったわ。その夜は、North Carolinaから来たTim&Kathyと、ホテルのレストランで夕食を食べました。ところが。。。。。ここのレストランが本当に最悪でした!一見イタリアン風の中々高級感溢れるレストランで、窓の脇には小さい滝が流れていて、雰囲気も最高。それなりに期待してたんです。メニュー選びにちょっと時間を掛け、前菜を何品か頼み、私は今日のスペシャルだという、ツナのお料理と、ジェフご自慢だという、Lobster Bisque(ロブスターのスープ)を注文しました。レストランにLobster Bisqueがある時には、殆ど必ずと言って良いほど注文するので、このスープに関しては結構うるさい私です。そういえば、以前にステーキレストランで頼んだ、Lobster Bisqueに入っていたコニャックが物凄くきつくて、スープを飲んで酔っ払ってしまった。という逸話があるんだけど、お酒がかなりきついな、と思った時点で、食べるのを控えたら良かったのに、食い意地が張っていた私は、下戸なのに無理して最後まで食べちゃったんですよねぇ。。。まず始めにホームメイドのアツアツのパンが出て来て、お腹が空いていた私達は即効でパンを頬張った。皆一同妙な顔をしている。Tifは一口食べてから、顔を歪ませて、「私これ嫌い。要らない。」 と言って、お皿に置いてしまった。Kathyが、「何か変だよねこのパン。風味も味も全然無いよね。」Tim:「そういえば、色々なオリーブオイルがあるとウェイターが言っていたけど、オリーブオイルも何も無いじゃないか。」何でもいいから、君のお勧めのオリーブオイルを持ってきてくれ!ウェイターが小皿に入れたオリーブオイルを持って来てくれ、私達は再びそのオリーブオイルに千切ったパンを浸して食べ始めた。「ペッペッペ(*`3´)」皆苦虫を潰したような顔をしている。Jen:「何このパン、クレヨンの味がする~~~~!」そうそう、クレヨン、クレヨン!正しくクレヨンの味だわ!飲み込むのも大変なくらいに不味いパンだった。このパンは、Crayola(クレヨンの会社)っぽいと言う事で、ウェイターを呼んだ。「正直にはっきり言うけど、このパン何か変ですよ。このまま食べると味も風味も無くて、オリーブオイルをつけると、クレヨンの味がするんだよ。とてもじゃないけど、食べれた物じゃないよ。何か入れ忘れているんじゃないの?試しに他の種類のオリーブオイルも持って来てくれる?」ウェイターはびっくりした顔をして聞いていたが、直ぐに違う種類のオリーブオイルを持って来てくれた。ウェイターの目の前で、新しいオリーブオイルで食べてみる。「これも、ダメ。。。」君もウェイターとして、食べてみるべきだよ。どんな物をお客にサーブしているのか良く分るだろうから。「分りました。」と言って、ウェイターは奥へ行ってしまった。ちょっとしてから、口をちょっともぐもぐさせながら私達のテーブルへ来て、「大変良く分りました。 やっぱりクレヨンでした。」と彼が言って、皆で笑ってしまった。パンは要らないから、下げちゃって良いよ。ウェイターは、ごもっともと言う感じでパンを回収して行った。前菜とスープが来て、気を取り直して食べ始めました。Lobster Bisqueは、今まで食べた事の無いような、チャウダー風のスープでした。しかも、ほうれん草とかマッシュルームとか、色んな物が入っている。アルコールの風味が殆ど無く、それはそれでクリーミーで美味しかったけど、変わった感じのスープでした。さて、お待ちかねのメインが出て来て、ちょっとびっくり。量が少なくて、まるで貧弱なプレゼンテーション。。。。でも味は良いのかも知れない。グリルしてあったツナと、下にひいてあるソースを絡めて食べるが、まるで味がチグハグ。全然合わないし、ツナは唯空焼きした感じで味が全然無く、火を通し過ぎてバサバサしている。ソース自体にも味気が無くて、申し訳ないけど本当にプロが作ったのか???と思うくらいに酷い。ここのレストランは、極力味つけをしないのか???悪いけど薄味好みの私でさえも、受け付けられなかった。もったいないから我慢して2/3位は食べたけど、もうそれ以上は拷問のようで無理だった。旦那に分けてやったら、顔を歪ませて飲み込んでいた。もう2度とこのレストランには来る訳では無いから良いけど、折角気持ち良く美味しい夕食を食べながら、久し振りに会ったTim達と楽しい時間を。。。思っていただけに、とっても残念でした。しかし、こんな酷い経験は初めてでした。しかし激マズ料理の話はこれだけではなかった。。。。翌日子供達が、疲れちゃってもう出掛けたくないから、ルームサービスで夕食を済ませたいと言うので、ルームサービスをとる事になった。私はとっさに、「ちょっと待ってよ、ルームサービスって事は、もしかして例のあのレストランが作るんじゃないでしょうね。。。。」「まさかー。ちがうだろう。」メニューを見てみると、ハンバーガーやサンドイッチにパスタ、Pizzaといった物で、あのレストランが。。。とは思えなかった。旦那はTimと、下のバーで飲むと言って部屋を出て行った。私はオニオン・グラタン・スープとサラダを頼んだんだけど、何故か不安が過ぎって仕方なかった。暫くして食事が部屋に運ばれて来て、早速スープを一口。。。。ウワッ! 何これ! しょっぱい~~~~!私は貪るように、コップの水を一気に飲み干した。冗談抜きにして、並大抵のしょっぱさじゃないんすよ、これが。しょっぱさを通り越して、カライんです。前日は味が全然無くて、今度はしょっぱ過ぎってか。( ̄Д ̄;) もしかしてこのスープは、古いスープも一緒に混ぜていて、煮詰めちゃっているのか、とにかく尋常じゃないしょっぱさ。一回口に入れれば、もうそれ以上は口に入れる気になれない。直ぐにTELを入れて苦情を一発。新しいのを。。。と言われたけど、もうこれ以上賭けをする気は無いので断った。さっさと寝たかった。因みに、Jenの注文したサンドイッチも、中のソースが不味くてJenは殆ど食べ残していた。Nicoleが注文した、アルフレドソースのパスタだけはまともに食べれたので、皆Nicoleの脇からつまんでいた。こんなに味付けが両極端な例も珍しいよね。。 (ノ_-;)次回に続く。。。。。。
2007/10/04
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