不良おやじのブログ

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2015年09月06日
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カテゴリ: ホーキングの煩悩
オリンピックのゴタゴタは全て委員会の無責任な仕事のせいである。しかし誰一人としてソケを感じているとは思えない。何か役人が与えられた仕事を何も考える事無く言われるがまま横から横へ動かしだけで、自分には何も責任貸せない、不祥事が起きたのは仕方ない出来事であるかのような言い方である。確かに国立競技場の見積金額は担当部署が勝手にやらかした事であり、予算が高いとか安いとか言う話は上の人が決めることであり、自分たちの関する事ではない。ロゴデザインも選考委員が勝手に決めたことであり、自分立場では何も意見を述べる立場ではない。そんな言い訳だけが出てくるだけかもしれない。しかしオリンピックとは国民にやる気や向上心などのカンプル剤にするのが大きな目的とも言える。つまり国民に対しての最高の応援方法とも言える。だからその委員会に選ばれた公務員意である限りは一生をかけてサービスを提供するだけ気持ちを持った公務員が一番してみたい仕事と言えるものではないだろうか。いやいやで公務員らなった人ならともかく、少しでも国民サービスをする事にやりがいの有る都ごととして思えれば、こんな無責任な言葉や仕草も出てこないはずである。記者会見ではどうしても何故自分がこんな嫌な仕事を押し付けられたのかと思うような会見ばかりである。もちろん不祥事ばかりの会見なのだからそうなるのかもしれないが、彼らにはオリンピックが楽しみのイベントとは全く思えない顔つきなのである。やることなすことが全て裏目に出てしまい、まともに開催できるのかも心配になっている。確かに自分たちがした事ばかりではないが、責任というものは起こしてしまったものに有るものではない。本当は事件が起きる前にそれを未然に防ぐ事が本当の責任という物である。良く事件が起きた後に責任を取るという言葉が有るが、実は殆どの場合取れないものがほとんどなのである。そ人が死んだり建物が壊れたりするものにはもうすでに再生不可能なのものが多い。それがたとえ一人や2人の役人などの給料などで支払える訳もないのである。しかも大抵は公務員はき首にも出来ないので、せいぜい担当部署を外されるだけの責任に成る。本人にはおそらく退職金が少し減るくらいでたいした被害は無いだろう。飛行機事故ではよく責任を問わない代わりに全てを正直に伝える事をパイロットなどに求める事がある。しかしこれはある意味一番の責任を果たす事でも有る。二度と同じ間違いを起こさないための方法である。起きてしまうものに取り返せないのに担当した個人に責任を取れという言う言葉はあまりに虚しいものである。それはおそらく殺された家族の虚しさを少しだけ軽くするだけの事なのかもしれない。だが殆どの場合は其の周りにいた無責任な取り巻き達の自分達への飛び火を避けるための方法でしか無いのである。つまり他に責任のある人達の免罪符を与えるためのものでしか無いのである。全てのイベントなどには責任者と言う者がいるが、決して1人で出来るものではない。必ずその人を持ち上げる人もいるし、足を引っ張る人も多いのである。責任とは取るものではない、責任を果たすか全うするのが責任と言うものである。決してペナルティーで済むものではない。





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Last updated  2015年09月06日 07時53分14秒
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