2013. 11. 5
実母が他界しました。
60代後半に認知症と診断され、徘徊して家族で探しまわった事も、
入院後、膀胱癌がみつかり、
6時間を超える 全摘手術 を受けた事もありました。
でもその後、8年以上頑張り、
息子が中2 ・ 娘が5歳になるまで見守ってくれた母。
今は心から、「お疲れ様。。。」と言いたいです。
2012年、初夏。
母の日のカーネーションを持って。
「ばぁ、きたよ~♪」と、母の腕をずっと摩ってくれたぽーちゃん。
両親の仕事の都合で台湾に産まれ、終戦後に帰国。
親戚の家に身を寄せたり、
母の青春時代は、
勉学と、家業の手伝いで過ぎていきました。
そして、38歳の時に、父と結婚。
当時には珍しい高齢(39歳)で、私を産んでくれました。
その後も、早朝の新聞配達に加え、
昼は、病院の掃除婦 ・ 家政婦 ・ お弁当屋さんやクリーニング店勤務など、
様々な仕事に就き、
鉄骨建築士だった父と共に、必死で働き育ててくれた母。
朗らかで、パワフルな人でした。
でも、
私が頑張って良い点数をとった時や、
喜ぶだろうと、お小遣いで買い物をして帰った時も、
「凄いね~!」 「ありがとう、嬉しいよ!」 なんて言わない、言えない性格で・・・
そんな母を見る度に、
いつか私に子供が出来たら、反面教師にしよう。
いっぱい褒めて、
感謝の気持ちや、「大好き♪ 宝物だよ!」と伝えよう。
そう想ったものです。
けれど、男女交際に厳しかった父を説得し、
主人との仲を取り持ってくれたのも、他ならぬ母でした。
私も、結婚20周年を迎え、
優しい主人と、2人の子供たちに恵まれ、
温かい家族と、たくさんの親戚に囲まれ過ごせること。
それも、当時の母の後押しがあったからこそ・・・ と、感謝しています。
最期は、
長い闘病生活を感じさせない、安らかな眠りでした。
お世話になった看護師さんと一緒に、母の体を拭き、お化粧もしました。
また、
通夜の前には、
2名のおくりびとにお世話になりました。
所作から温かさが伝わり、お願いして良かったと、今でも感謝しています。
尿管が詰まったせいで全身に水が溜まっていたので、
浮腫みをとり、温泉の湯で全身を洗い、
洗髪 ・ 顔剃り ・ 洗顔。
主人曰く、「お母さん、なんだか気持ち良さそうだね」と。
不思議と、私にもそう見えました。
初めてのエステを、喜んでいるかのように。。。
後は、「ほんのりピンクで、可愛くお願いします」と、リクエスト。
お化粧して貰った母は、優しく艶やかで、まるで少女のようでした。
通夜 ・ 葬儀に参列してくださった方が、
みんな「綺麗だね~!」と言ってくれ、嬉しかったです。
母の人生が、報われた瞬間でした。
一人っ子なので、
主人にサポートして貰いながら、葬儀の段取りを決め、喪主を務めたり、
銀行や市役所、年金事務所の手続きなど。
また、娘の親子遠足や、仕事に家事。
慌ただしく過ぎて行く日々と、子供たちの笑顔が癒してくれます。
これからは、 2年前に他界した父 と共に、
遠い空から、孫の健やかな成長を見守ってくれると信じて。
お母さんの娘に産まれて良かったよ。
ありがとう。。。
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