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追記
敵機六十九機撃墜して、我が方の未帰還機ゼロのラバウル上空迎撃戦の詳しい内容です。
敗色濃い昭和十九(1944)年一月十七日に、ラバウル上空に二百機以上の敵機が来襲しました。
大東亜戦争の天王山のガナルカナル島争奪戦に、威張るしか能のない帝国陸軍参謀、特に、辻参謀の拙劣な作戦で負けてからは、連日百五十機から二百五十機の敵戦爆機に攻撃されましたが、少ない日で六機、多い日で八十七機を撃墜していました。
一月十七日は、たまたま日本ニュースのカメラマンがラバウル攻防戦の撮影に来ており、撮影している目の前で敵機がどんどん撃墜されていました。我が方の損害無しでした。
このフィルムが幾多のラバウル攻防戦の日米合わせてたった一つの撮影動画です。
アメリカ側のカメラマンは全員撃墜されたからだと思います。
アメリカ側は、今でも、損害は十二機と言い張っています。