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昭和四十年頃までは、学校の先生も、会社の上司も、得意先も、親戚にも復員兵がいっぱいいて、戦地の話をいろいろ聞いています。
会社の上司であったラバウル航空隊の空の勇者は今もご健在です。航空戦は体力の消耗が激しく、朝から目玉焼きとビーフステキーを食べていたと言っていました。
叔父は、"一番で敵陣へ突撃する勇者には、敵が撃った弾は絶対当たらぬが、怖くて後ろから付いて来る奴は、流れ弾に当たって死ぬのや"とよく言っていました。
特攻隊生き残りの人については、機会が来ればふれたいと思います。
友人の父は海軍軍人で、乗り組んだ軍艦が撃沈され、一昼夜海上に浮かんでいて救助された事が三回あったそうです。
得意先の社長は、フィリッピンのバターン半島のコレヒドール要塞攻略戦に参加された話は聞きましたが、バターン死の行進については聞けませんでした。
BC級戦争犯罪人の多くが、バターン死の行進での捕虜虐待で処刑されているからです。
帝國軍人の数倍の数の敵の捕虜を運ぶトラックも、食料もなく、炎天下百キロ近くを歩かせて死者が出たからです。
上官が責任逃れして、代わりに処刑された人の方が多かったです。
日本のトップ階級の政治家、将校、高級役人は甘い生活して、権力にしがみつき、責任逃ればかりしています。下っ端は何時も酷い目にあいます。
しかし、何時の時代も日本を背負って立って頑張っているのは、一般大衆です。
一般大衆は一度は騙されても、二度と騙されません。