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2010.08.11
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カテゴリ: カテゴリ未分類

 【中古】新書 紺碧の艦隊<2>-帝都初空襲-

六十五年前の今頃は、学校では、広島、長崎での新型爆弾の防ぎ方の話で持ちきりでした。

昨夜の古舘の報道ステーションで、戦前の帝國政府は戦死者や空襲を受けた戦災者の保障があったが、戦後GHQ(連合国最高司令部)が、軍国主義を防ぐために、軍人恩給の停止を命令したといっていました。

わたしも、第一回の大阪大空襲で難波の家が焼かれていますが、戦後は何の補償もありません。

戦前の帝國政府は臣民に、徴兵で若者を兵隊に取り国を守らせました。これが本来の意味の血税です。その代わり、戦死した場合に、遺族が困らないように、軍人恩給で生活保障していました。

これをGHQが禁止したのです。自分たちの責任を追及されるのが嫌だったと思います。その代わり
に、新憲法で、最低生活の保障のために、生活保護の制度を作らせました。

サンフランシスコ平和条約で、日本が独立したときに軍人恩給は復活しましたが、戦災者は切り捨てました。原爆被害者も認定が非常に困難です。

同じ臣民だった朝鮮半島出身者や台湾人も、日本人でないと日本国籍がなくなりました。いわゆる、在日です。これもある意味の切り捨てと思います。

アメブロの"明るい未来のブログ"に予科練の若鷲の歌YouTubeから転載しています。






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Last updated  2010.08.11 09:06:39
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