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2008.12.02
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カテゴリ: カテゴリ未分類
浄土真宗の学習会で、ある門徒さんが、「浄土真宗を一口で言えばどう言えばいいの


もっともな問いである。

その人は、自分でも、まだ不確かな世界におられるのだろう。

一人の僧侶が、阿弥陀さんの一人働きにおまかせというようなことを、勢い込んで
言っていたが、どうも、自己満足の空回りのようだった。

もう一人の僧侶は、「そんなに簡単に一発で、真宗を言い当てて、わかるようなもん
ではない」といった。

これもどうかと思う。



もう一人若い僧侶が言った。

子供に、仏さんを説明するのに、先輩が『仏様は何事も、ひとごとにできないお方
だ』と言ったといい、忘れられないという。

そして、自己中心がぶち破られる世界だとも言い、戦争は、自己中心の最たるものと
いうような説明で、これは伝わった。

私も発言した。

超越的な阿弥陀仏にお任せして安心するというのが大半だが、もう一つ、阿弥陀仏か
ら、真実なるものにめざめ、反戦など、実践的な歩みの真宗ということを言った。

そして、この両方を取り上げる人もあり、現代人に伝わる真宗ということで大きな課
題だというようなことを言った。

阿弥陀仏への実体信仰で、おまかせし、安心するという信仰を批判するところまでは


本当は、『阿弥陀仏を実体的な実在として信仰し、お任せし、安心するというのは、
時代遅れで、阿弥陀仏と象徴的に表現されたものから、真実なるものにめざめ、そこ
から、自己と社会の真実ならざることにめざめ、同時に、それゆえにこそ、真実の自
己と社会の創造に向かって歩む教え』と言いたかったのだが、その結論までに、皆さ
んの論議を起こすべく、二つの真宗とその両方という事でとどめたが、それに誰も論


でもここが、肝心要の天下分け目の関が原のように思うのだ。







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Last updated  2008.12.02 21:18:48


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