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アフリカのケニア第三の都市キスムの近郊の村マンブレオに孤児院を設立し10年。ずっといる子どもたちも高校卒業生も数名。現在は半数が高校生である。大学に行くことを希望しているが、孤児院は高校までとのケニア国の規則、奨学金も受けることが難しく、スポンサーも見つからず・・・・。日本に来たい子らもたくさんいるがと言う状態。
日曜日は孤児院全体がキリスト教会となります。日本の福祉施設とはずいぶん事情が違い、すごく感謝している。日曜日にはケニア人の牧師が来て礼拝説教を語り、礼拝を導きます。
けれども賛美のリードや奏楽、すべての準備は高校生たちがやってくれるので、大助かりだ。
7月2日もパラダイスに着いたら、賛美の声が響いていた。前の席に案内されともに手を叩きながら賛美の輪に加わり、イエス様を礼拝した。ともかく多分私たちが来たから?だろうか、賛美が喜びに溢れて長く続く。
歌あり、踊りあり、祈りありで・・・やっと説教の時間が来た。昨日も書いたが、ヤベツの祈りを英語で説教。孤児院のスタッフ、ラファエル・オウマがスワヒリ語に通訳してくれる。
私を大いに祝福してください。
私の地境(領域)を広くしてください。
主の御手が私とともにあってください。
わざわいから遠ざけて私が苦しむことのないようにしてください。
そこで神は彼の願ったことをかなえられた。と聖書に記されています。
クリスチャンになった最初のころ、歴代誌を読んでいてヤベツの祈りに接し、その余りにも大胆なあつかましいと思えるような祈りにとまどった。しかし、「神は彼の願ったことをかなえられた」と書いてあったので、祈りは求めればかなえられると知り、長年のクリスチャン生活の祝福の源となった。
私を祝福してください!と祈ったら、必ず祝福されると信じる秘訣を語った。
アーメン。信じます。
ありがとうございます。
私は祝福されました。
ハレルヤ!感謝します。
与えられた祝福を私も分かち与えます。
神の栄光のために。アーメン。
祈りの終わりにアーメンと言います。そのアーメンには上記のような意味が込められているので、祈ったら疑いや恐れが侵入しない前に、「アーメン。信じます。ありがとうございます。ハレルヤ!感謝します。祝福を与えます。神の栄光のために。アーメン」と、子どもたちに何回も復唱させながらのメッセージでした。
スワヒリ語で祝福はバリキと言います。バリキ、バリキ、バーバーバリキという歌があるので、説教の後は繰り返しその賛美が続きました。
バリキ・ケニア。バリキ・ジャパン。バリキ・キスム。バリキ・パラダイス・・・延々と祝福を祈る歌が歌われ続け、その間に120名全員を抱きしめながら、一人ひとりの祝福を祈り続けたので、礼拝が終わったのは2時前?になっていました。
5:13 私は日の下に、痛ましいことがあるのを見た。所有者に守られている富が、その人に害を加えることだ。
5:14 その富は不幸な出来事で失われ、子どもが生まれても、自分の手もとには何もない。
5:15 母の胎から出て来たときのように、また裸でもとの所に帰る。彼は、自分の労苦によって得たものを、何一つ手に携えて行くことができない。
5:16 これも痛ましいことだ。出て来たときと全く同じようにして去って行く。風のために労苦して何の益があるだろう。
5:17 しかも、人は一生、やみの中で食事をする。多くの苦痛、病気、そして怒り。
5:18 見よ。私がよいと見たこと、好ましいことは、神がその人に許されるいのちの日数の間、日の下で骨折るすべての労苦のうちに、しあわせを見つけて、食べたり飲んだりすることだ。これが人の受ける分なのだ。
5:19 実に神はすべての人間に富と財宝を与え、これを楽しむことを許し、自分の受ける分を受け、自分の労苦を喜ぶようにされた。これこそが神の賜物である。
5:20 こういう人は、自分の生涯のことをくよくよ思わない。神が彼の心を喜びで満たされるからだ。