浜松中納言物語 0
全284件 (284件中 151-200件目)
「いっそう不愉快になるけれど」 「Dog photography and Essay」では、愛犬ホープと歩いた道と「愛犬もも」との物語を公開してます。あの人は通り過ぎて行ったので、侍女たちはみな、互いに顔を見合わせ、なんとも言えない表情をしていたが、ましてや、わたしは二時(ふたとき)三時(みとき)まで、なにも言えないまま時を過ごした。侍女たちの中には、どういうお心なのでしょうかと言って、泣く者もいる。わたしはやっと気を静めて、悔しくてならない、長精進して、山寺に籠もりたいと思っていたのに、侍女たちが秋頃なんて言うから、今までこんな所にいて、またこんな目にあってしまったと思った。胸が焼き焦がれるような辛さは、とても言葉では言い尽くせない。 六月一日の日、殿は物忌ですのでと言って、門の下からそっと、手紙を持って来たので、どうしたのかしら、珍しいことと思って見る。 あなたの物忌はもう終わっているはずなのに、いつまでいるつもりなの。その住まいは、ひどく不便なようだから、なかなか行けない。わたしのほうの物詣は、穢れにあって、とりやめになったと書いてある。 わたしがここに帰って来てると、今まで聞かないはずはないのにと思うと、いっそう不愉快になるけれど、我慢して、返事を書いた。
2019.01.18
コメント(27)
「胸をどきどきさせていたのに通り過ぎた」 「Dog photography and Essay」では、愛犬ホープと歩いた道と「愛犬もも」との物語を公開してます。わたしの家に残っている侍女から、ご不在でも、菖蒲を葺かないと、縁起が悪いでしょうか、どうしたらいいのでしょうと言ってきた。端午の節句には、邪気を払い、火災を防ぐ意味で軒に菖蒲をさす。だけど、いまさらどうして縁起の悪いことがあるだろうか。 世の中に あるわが身かは わびぬれば さらにあやめも 知られざりけり この世に本当に生きているわたしなのだろうかと、思い悩んでいて、物の道理もわからないから、菖蒲を葺くしきたりなんかどうでもいいのと、言ってやりたかったけれど、こんなわたしの気持を誰にも、わかってもらえる筈がないので、心に思うだけでただ日を過ごした。 こうして物忌が終わったので、じぶんの家にもどって、前にもまして、退屈な日々を過ごしていたが、長雨の季節になった。庭の草花が生い茂っているのを、お勤めの合間に、掘って株分けなどさせたりする。お勤めをしている時に、いらっしゃいますと侍女が騒ぐので、見ると、あの人が、わたしの家の前を、いつものように煌びやかに、先払いしながら、通った日があったが、いつものように通り過ぎるだろうと思いながらも、もしかしてと胸をどきどきさせていたのに、通り過ぎた。
2019.01.17
コメント(27)
「悪い夢なのか良い夢なのかわからない」 「Dog photography and Essay」では、愛犬ホープと歩いた道と「愛犬もも」との物語を公開してます。夜が明け日が暮れるのもじれったく、暇がないくらい過ぎていく。かといってはっきりした目安もないけれど、勤行に精を出しながら、 数珠持たない女に限って未亡人になると言ったのを聞いた人は、きっとおかしく思って今のわたしを見ているだろう。はかない夫婦仲だったのに、どうしてあんなことを言ったのかしらと、思いお勤めをしていると、片時も涙が浮かばない時がない。 人に見られたらと恥ずかしいので、涙をこらえながら日々を過ごす。 二十日ほどお勤めをした時に、髪を切り落として額髪を分けている夢を見た。悪い夢なのか良い夢なのかわからない。七、八日ほど経って、わたしの、腹の中にいる蛇が動きまわって内臓を食い千切るが、これを治すには、顔に水を注げばいい、という夢を見る。これも悪い夢なのか良い夢なのかわからないけれど、このように、書きとめておくのは、このようにわたしの行末を見たり聞いたりする人が、夢や仏を信じられるか、それとも信じられないか、判断してほしいなどと、思うからである。そして月は変わり、五月になった。
2019.01.16
コメント(28)
「そんな女に限って未亡人になる」 「Dog photography and Essay」では、愛犬ホープと歩いた道と「愛犬もも」との物語を公開してます。無責任な噂が以前よりもいっそう心を切り裂かれるような気がする。あの人への返事を、しなさいと勧めた侍女まで、不愉快で憎らしくなる。 四月一日の日、子どもを呼んで、長い精進を初めますから一緒にと始めた。わたしは、初めから大げさにはしないで、ただ土器(かわらけ)に、香を盛って脇息(きょうそく)の上に置き、そのまま寄りかかって、仏に祈りを捧げたが、その内容は、ただ、この上なく不幸せな身の上です。今までの長い年月でさえ、少しも気の休まる時がなく辛いとばかり、思っていましたが、まして今はこのように呆れるほどの状態になってしまい、早く仏道を成就させてくださり、極楽往生をかなえてくださいと、無心になり、勤行をしているうちに、涙がぽろぽろとこぼれる。 この頃は、女も数珠を手にし、経を持たない者はいないと聞いた時、 まあ、みっともない、そんな女に限って未亡人になるというのに。などと非難した気持ちはどこへ行ってしまったのだろうと思う。
2019.01.15
コメント(20)
「また今日来るかしらと思ってしまう」 「Dog photography and Essay」では、愛犬ホープと歩いた道と「愛犬もも」との物語を公開してます。あの人からの便りは、お咎(とが)めはまだ重いのでしょうか。お許しくだされば夕方に。どうでしょうと言ってくる。侍女たちがこれを知って、こんなふうにいつまでも疎遠にして、いらっしゃるのは、とてもよくないことですなどと言う。このままにしてはおけないでしょうから、今度だけでもお返事をと、騒ぐので、ただ、何か月も逢わないのに、本当かしらとだけ書いた。 あの人から返事など来るはずがないと思ったので、急いで父の所へ、行ってきたが、あの人は何も気にしないで、夜が更けてからやって来た。いつものように胸の煮え返ることも多かったが、家の中が狭く、人も大勢いて騒がしい所なので、息を殺して、胸に手を置くような格好で、夜を明かしたが、翌朝は色々としなければならないことがあるからと、急いで帰って行った。あの人のことは気にしないでほっとけばいい。などと思ってはみるものの、つい、また今日来るかしらと思ってしまう。何の連絡もなく四月になった。父の家はあの人の家から遠くないので、 ご門に車が停めてありますから、こちらにお越しになるのでしょうかなどと、わたしの気持ちを乱すようなことを言う人までいるので、とても辛い。
2019.01.14
コメント(26)
「いろいろな物を取り片付けていると」 「Dog photography and Essay」では、愛犬ホープと歩いた道と「愛犬もも」との物語を公開してます。今日の雨はとてしとしと降り、しみじみと身に沁みる。夕方になって、とても珍しく、あの人から便りがあった。 あなたがあんまり怖いので気後れして、何日も経ってしまったと。 わたしは、返事をしなかったが、雨は依然として降り続いている。 時しもあれ 花のさかりに つらければ 思はぬ山に 入りやしなましほかの時もあるのに、花の盛りの今、あなたが冷たいので、物思いの、ない山に入ってしまいたいと思っていると、尽きることなく涙が流れる。 降る雨の あしとも落つる 涙かな こまかにものを 思ひくだけば 降る雨のように涙がとどめなく、こぼれ落ちてくる、そして、さまざまなに思い乱れていると 今はもう三月の末になってしまった。ひどく退屈なので、忌違え(いみたがえ)をかねて、しばらく何処かへ。 などと思って、地方官歴任の父の所へ行ってきた。気になっていた妹のお産も無事にすんだので、長精進を始めようと、決心して、いろいろな物を取り片付けていると、あの人から便りが届く。
2019.01.13
コメント(26)
「人生の最後は思いもしないことに」 「Dog photography and Essay」では、愛犬ホープと歩いた道と「愛犬もも」との物語を公開してます。それにしても、この世のことはなにもかもつまらないと思うのだが、去年の春、呉竹(中国三国時代の呉からの竹)を植えようと思って、頼んでいたのを、この頃になって、さし上げますと言われた。 いやもう、幸せには生きられそうもないこの世の中で、思慮がないようなことはしておきたくないのですと話した。 とても心の狭いお考えです。行基菩薩(ぎょうぎ)は、将来の人の、ためにこそ、実のなる庭木をお植えになったのですと呉竹を届けてきた。 ここがあの女の住んでいた所だと後々見る人がいたら見てほしいと、 思って、涙ながらに植えさせたが、二日ばかり経って、雨がひどく降り、東風(こち)が激しく吹いて、呉竹が一、二本倒れかかっていた。 なんとかして直させよう、晴れ間があればいいのにと思いながら詠む。 なびくかな 思はぬかたに 呉竹の うき世のすゑは かくこそありけれ 呉竹は思いもしない方向倒れ掛かり、なびいているが、わたしも、人生の最後はこんなふうに思いもよらないことになっているだろうか。
2019.01.12
コメント(27)
「わたしが嘆く数には及ばない」 「Dog photography and Essay」では、愛犬ホープと歩いた道と「愛犬もも」との物語を公開してます。世間の人たちは、さまざまに無責任なことを言い喜んでいる。何もすることもなく過ごしているうちに、彼岸に入ったので、 何もしないでいるよりは精進しようと思い、上筵(うわむしろ)を、普通の筵(ござ)のきれいなものに敷き替えさせた。帳台の敷物で綿入り侍女が塵を払ったりするのを見て、こんなに、塵が積もるとは思いもしなかったなどと思うと、たまらなくなった。帳台とは、平安時代の貴人の座所や寝所として屋内に置かれた調度。 うち払ふ 塵のみ積もる さむしろも 嘆く数には しかじとぞ思ふ うち払っても、沢山の塵ばかりが積もっているが、むしろのちりも、多くのその塵だって わたしが嘆く数には及ばないと思う。 これからすぐに長精進(ながしょうじん)して、山寺に籠もり、できるなら、やはりなんとかしてあの人が関係を断ちやすい、尼になろうと決心したが、侍女たちが、精進は秋頃からするのが良いと言い、妹の出産の事もあり、出産が終わってからと、いろいろ考えているうちに月が替わってしまう。
2019.01.11
コメント(24)
「さまざまなことを人は言い塞ぎこむ」 「Dog photography and Essay」では、愛犬ホープと歩いた道と「愛犬もも」との物語を公開してます。それから後は、無理にさりげなく装っていたが使いの者をよこす。例によって機嫌が悪いが、この着物を、こうして、ああしてなどと、 言ってくるのも、ひどく憎らしくて、断って返したりしていた。次第に、連絡もなくなり、二十日あまり経った。 古今集春上・よみ人しらずの、あらたまれどもと詠われるうた。よみ人しらずは作者不詳のことだが、皇族が名前を伏せて投じたうた。百千鳥 さへづる春は 物ごとに あらたまれども 我ぞふりゆくいろいろな鳥が さえずる春は いろいろな物が新しくなるが、わたしだけが歳をとって古くなってゆくと詠われている。春の日ざしや、うぐいすの声を聞くと、憂鬱な気分になる。そんなわたしと、比べてしまい、涙が浮かばない時がない。あの人は、噂の女の所に三夜通ったとか、結婚の契りを交わしたなど、さまざまなことを人は言い、わたしの耳にも入り余計、塞ぎこんでしまう。
2019.01.10
コメント(25)
「心も体も閉ざして夜を明かした」 「Dog photography and Essay」では、愛犬ホープと歩いた道と「愛犬もも」との物語を公開してます。次の日の朝早く、さすがにそのままにはしておけないで手紙を寄こす。わたしは、返事はしなかったが、また二日ばかりして、手紙が届く。 思いやりがなかったのは確かだが、ひどく忙しい時でね。夜に行こうと思うが、どうだろう。あなたが怖いけれどなどと書いてある。わたしは、気分が悪い時なので、お返事はできませんと使いの者を帰す。すっかり諦めていたのに、呆れたことに平気な顔でやって来た。 何のこだわりもなくふざけるので、ひどく憎らしくなってくる。ここ何か月も我慢してきた不満や不平が一気にこみ上げ、何を言っても、一言の返事もしないで、寝たふりをしているのがやっとだった。わたしは背中を向けずっと聞いていながら、ふと目を覚ましたふりをした。 あの人は、どうしたの、もうお休みなのと言って、みっともないほど、からみつくが、わたしは木石のように心も体も閉ざして夜を明かした。翌朝、あの人は昨夜とは打って変わり、何も言わないで帰って行った。
2019.01.09
コメント(21)
「何もわからなくなってしまった」 「Dog photography and Essay」では、愛犬ホープと歩いた道と「愛犬もも」との物語を公開してます。四日、また申の時(午後四時前後)に、元日のときよりいっそう、声高らかに先払いして来るので、侍女たちが、騒ぎだしている。 いらっしゃいます、いらっしゃいますと言い続けるので期待する。先払いとは、貴人が通行するとき、前方の通行人を追い払うこと。 でも、先日のようになったら困るし、侍女たちにも気の毒だと思う。 そう思いながらも、やはり胸がどきどきする中、行列が近づいた。召使いたちが中門を開いてひざまずいているのに、通り過ぎてしまった。今日は、先日にもましてどんなに辛い思いをしたか察してほしいと思う。 翌日は右大臣(兼家の兄、藤原伊尹の大饗ということで騒いでいる。すぐ近くなので、今夜はいくらなんでも来るだろうと密かに思う。牛車の音がするたびに胸がどきどきするが、夜もかなり更けた頃、皆が帰って行く音も聞こえ、門のそばを車が次々と先払いしながら行く。通り過ぎてしまったと聞くたびに、平静ではいられなく、これが最後の車と、聞き終わると、わたしは茫然として何もわからなくなってしまった。
2019.01.08
コメント(31)
「少し皮肉をこめて返事を書いた」 「Dog photography and Essay」では、愛犬ホープと歩いた道と「愛犬もも」との物語を公開してます。何年もの間、今思えば元日にあの人が来ないということはなかった。 今日来てくれるかしらと期待し、午後二時前後に、先払いの声がする。 侍女たちが騒いでいるうちに、さっと通り過ぎてしまった。 きっと、急いでいたのだろうと気を取り直すが、夜も来なかった。翌朝、ここへ頼まれていた縫い物を取りに使いを寄こしたついでに、 昨日通り過ぎたのは、日が暮れてしまったのでなどと書いてある。返事をする気にはとてもなれないが、侍女たちが年の初めから、 あまり、腹を立てないでくださいなどと言うので、少し皮肉をこめて返事を書いた。こんなふうに心穏やかでなく心の赴くまま言ったりするのは、あの疑っていた近江という女に、手紙を通わせ、結婚したらしいと、世間でも面白がって噂しており、その不愉快さからだった。こんなふうにして、わたしは心揺れる二、三日を過ごした。
2019.01.07
コメント(23)
「寝所でもない所で夜を明かした」 「Dog photography and Essay」では、愛犬ホープと歩いた道と「愛犬もも」との物語を公開してます。雨は相変わらずで、そとは暗く灯りをともす頃になった。南面(みなみおもて)の妹の所に、この頃通って来る人がいる。この雨の中を、足音がするので、いつもの方らしいと、煮え返る心。長年わたしたちをよく見て知っている人が、殿はこれ以上の雨風でも、昔は、苦にもなさらないご様子でしたのにと言うと、あふれる涙が、熱く頬にかかるので、心に浮かぶままに和歌を詠む。 思ひせく 胸のほむらは つれなくて 涙をわかす ものにざりける 訪れない夫への苛立ちをこらえている胸の炎は 表面には見えないけれど、激しく燃えて こんなにも熱く涙を沸き立たせている。 何度もつぶやいているうちに、寝所でもない所で、夜を明かしてしまった。その月は、三度ばかり訪れた程度で、年を越してしまった。年末年始の行事はいつもの通りに行われたので、記さない。
2019.01.06
コメント(21)
「この女流作家が現代に生まれていれば」 「Dog photography and Essay」では、愛犬ホープと歩いた道と「愛犬もも」との物語を公開してます。雨風なんか苦にしないで来てくれると思っていたが、今はもう、そんなことも期待できないと物思いに沈んで過ごす。 元日にも寄ってもらえず素通りされ落ち込んでしまっていた。兼家がひと月あまり顔を見せなかったことに腹を立てているのだから、顔を見せれば解決するだろうと考えるのは浅はかな考えなのかも。ひと月顔を見せない兼家は自分を大切にしていないと不満なのかも。長い時間会わなく、その長い時間、他の女性のことを考えていて、自分を楽しませる事を考えていないと思うと、余計に辛く悲しいのだろう。以前のように3日に一度会っているなら、ここまで落ち込む事もないのでは。 3日に一度会っていても、会っていない日に他の女性の事を思って、わたしのことを思わない日々を過ごしていると思う事自体耐えられない。紫式部に大きな影響を与えたとされる平安時代の女流作家の本音なのだろう。もしこの女流作家が現代に生まれていれば、どう生きたのだろうかと思う。
2019.01.05
コメント(24)
「いつも来てほしいという私の望み」 「Dog photography and Essay」では、愛犬ホープと歩いた道と「愛犬もも」との物語を公開してます。それから後も、あの人からは連絡がなく、十二月のはじめになった。七日頃の昼、あの人はちょっと顔を見せたが、顔を見せてくれても、まともに話をすることもなく終わってしまっていた。今は顔も合わせたくないような雰囲気に、ついたてを引き寄せて、私が不機嫌にしているのを、あの人は見て、もう、日が暮れたよと言い、宮中からお呼びがあったからと言って出て行ったままになり、その後。訪れる事もなく、十七、八日になってしまった。今日は、昼ごろから雨がたいそうひどく音を立てて、わびしく長々と、降っていおり、こんな雨ではなおさら、もしかしたら来るのではと、以前なら抱いていたが、今では、そのような期待さえも失せてしまった。 昔のことを思うと、必ずしもわたしへの愛情というのではなく、持って、生まれたあの人の性質でしょうが、雨風も苦にしないで、いつも訪ねて、くれたのに、今思うと、その昔だって心の安まる時が、なかったのだから、いつも来てほしいというわたしの望みは身分不相応だったのかも知れない。
2019.01.04
コメント(27)
「胸がつぶれるほど呆れてしまう」 「Dog photography and Essay」では、愛犬ホープと歩いた道と「愛犬もも」との物語を公開してます。子どもを、いろいろ世話をしてくれるので、ひどく慌ただしい気分である。大嘗会が終わった日、夜が更けないうちにやって来て、行幸に最後まで、お供しないのはいけないことだが、夜が更けてしまいそうだったから、胸が苦しいと仮病を使って退出して来た。人は何と言っているだろう。明日はこの子の着物を緋色の袍(ほう)に着替えさせて出かけようなどと、言うので、少しばかり幸せだった昔に返ったようにような気がする。翌朝、供の従者たちが来ないようだから、邸に戻って準備していた。装束をつけて来なさいと言って出て行かれた。子どもを連れて叙爵のお礼まわりなどするので、とてもしみじみと、嬉しい気がするが、少しつつしむ事があるからといった状態である。二十二日も、子どもが、あちらへ行きますと言うのを聞くと、ついででも、あるから、もしかして来るのではと思っているうちに、夜が更けてゆく。子どもがたった一人で帰って来るので、胸がつぶれるほど呆れてしまう。 夜が更けて父上はたった今あちらにお帰りになりましたなどと話すので、 あの人が昔と変わらない気持ちだったら、子どもだけ一人で帰すような、薄情な事はしなかっただろうにと思うと悲しくてならない。
2019.01.03
コメント(24)
「頻繁に訪れてくるような気がする」 「Dog photography and Essay」では、愛犬ホープと歩いた道と「愛犬もも」との物語を公開してます。儀式が終わって、あの人は方角が塞がっていたけれど、夜が更けたと、いうので、ここに泊まったが、わたしは今度が最後になるかもしれないと、思ってしまうが、九月、十月も同じような状態で過ごしたようだ。世間では、大嘗会(だいじょうえ)の御禊(ごけい)と言って騒いでいる。わたしも妹も、見物の席があるというので、行って見ると、あの人は、帝(円融帝)の鳳輦(ほうれん 帝の御輿〈みこし〉)のすぐ近くにいて、夫としては薄情だとは思うが、その立派な態度に目がくらむほどに感じる。まわりの人々が、ああ、やはり人より優れていらっしゃる。ああ、もっと見ていたいなどと言っているようである。それを聞くと、いっそう悲しくてならない。十一月になって、大嘗会ということで、あの人も忙しいはずなのに、その最中としては、いくらか頻繁に訪れてくるような気がする。叙爵のことで、あの人もわたしと同じように、幼くて不似合いだと、思っている拝舞(はいぶ)の作法もよく練習するようにと言っている。
2019.01.02
コメント(29)
「すべてがしきたり通りである」 「Dog photography and Essay」では、愛犬ホープと歩いた道と「愛犬もも」との物語を公開してます。月がかわり、二日の夜になる頃、あの人が突然見えた。変だと、思っていると、明日は物忌だから、門をしっかり閉めさせなさいなどと、言い散らすから、すっかり呆れて、胸が煮え返るようなのに、あの人は、侍女たちのところに寄って行ったり、引き寄せたりしている。 我慢しろ、我慢しろと口を耳に押しあてながら、わたしの口真似をして、困らせているので、わたしは茫然と呆(ほう)けたようになって、前に座っていたので、すっかり気がふさいだあわれな姿に見えた事だろう。次の日もあの人が一日中言うことは、わたしの気持ちは変わらないのに、貴女が悪くとってとばかり。ほんとうにどうしようもない。五日は司召(つかさめし)で、あの人は大将に昇進するなど、いっそう栄達して、とてもめでたいことである。それから後はいくらか頻繁に姿を見せる。あの子を元服させておこう。今度の大嘗会で叙爵(五位になること)をお願いするつもりだ。十九日にと決めて、執り行うが、すべてが、しきたり通りである。加冠の役には、源氏の大納言(源兼明)さまがいらっしゃった。
2018.12.31
コメント(30)
「わが身を切り裂かれる気がする」 「Dog photography and Essay」では、愛犬ホープと歩いた道と「愛犬もも」との物語を公開してます。侍女たちが集まって来て、どこか知らない遠い所へ行かれたのではと、大騒ぎでしたなどと言うので、なんとでも言えばいいわと思う。でも今はやはりそんなことできる身ではないのよなどと答えた。 宮中では相撲のある頃である。子どもが見物に行きたそうにしているので、装束をつけさせて行かせる。まず殿(父上)の所へと行くと殿は牛車の後ろに、乗せてくれたけれど、夕方には、こちらへお帰りになるはずの人に、わたしを送るように頼んで、あちらの邸へ行かれたと聞いた。呆れるばかりで、次の日も、あの人は昨日のように、子どもが参内しても、後は世話もしないで、夜になる頃、蔵人所の雑役係のだれそれの所へ、この子を送って行けと言って、先に帰ってしまい子どもは一人で帰って来た。この子のことを、どのように心の中で思っているのだろう。 わたしたちの仲が険悪でなく普通なら、一緒に帰って来られたのにと、がっかりした様子で入って来るのを見ると、幼心に思っていることだろう。あの人のした事をどうしようもなく酷いと思うけれど、どうなるものでもない。わが身を切り裂かれる気がする。こうして月がかわっていった。
2018.12.30
コメント(21)
「千鳥が空高く舞い上がって飛び交う」 「Dog photography and Essay」では、愛犬ホープと歩いた道と「愛犬もも」との物語を公開してます。若い男たちが、声細やかにて、面痩せにたるという歌を、歌い出したのを聞いても、ぽろぽろと涙がこぼれる。いかが崎、山吹の崎などという所をあちこち見ながら、葦の中を、漕いで行くが、まだ物がはっきり見えないころだった。遠くから、櫂(かい)を漕ぐ音がして、心細い声で歌って来る舟がある。すれ違いざま、どこへ行くのですと尋ねると、石山へ人をお迎えにと答える。その声もとてもしんみりと聞こえるが、迎えに来るように言っておいたのに、なかなか来ないので、石山にあった舟でわたしたちは出てきてしまった。そうとは知らないで迎えに行くところだったらしい。舟を止めて、供の男たちの数人が迎えに来た舟に乗り移り、気ままに、歌いながら行くが、瀬田の橋の下にさしかかった頃、ほのぼのと夜が明ける。千鳥が空高く舞い上がって飛び交っており、しみじみと心に染みて、悲しいことといったら、数えきれないほど多い。行く時に舟に乗った浜辺に着くと、迎えの牛車を引いて来ていた。京には巳の時ごろ(午前十時前後)に到着した。
2018.12.29
コメント(24)
「月影が綺麗に湖面に映っている」 「Dog photography and Essay」では、愛犬ホープと歩いた道と「愛犬もも」との物語を公開してます。はっと目が覚めて、仏が見せてくださったのだろうと思うと、なおさらのこと、心を動かされて悲しくてならない。 夜が明けたという声がするので、すぐに御堂から下りた。まだとても暗いけれど、湖が一面に白く見渡され、少人数の旅とはいえ、供人が二十人ばかりいるのに、わたしちが、乗ろうとする舟が靴の片方くらいに小さく見えたのは、とても心細く不安だ。 仏に灯明(とうみょう)を奉る時に世話をしてくれた僧が見送りに出て、岸に立っているのに、わたしたちの乗った舟がどんどん離れていくので、その僧はひどく心細そうに立っているが、それを見ると、あの人は、長く住み慣れた寺にとどまるのを悲しく思っているだろうと思う。供の男たちが、また来年の七月に伺いますと叫ぶと、わかりましたと答え、遠くなるにつれて僧の姿が影のように見えたのもとても悲しい。 空を見ると、月はとても細く見え、月影が湖面に映っている。風がさっと吹いて水面が波立つと、さらさらとざわめいた。
2018.12.28
コメント(20)
「夜明け前にうとうと眠ったところ」 「Dog photography and Essay」では、愛犬ホープと歩いた道と「愛犬もも」との物語を公開してます。供の男たちの中には、ここからすぐ近いそうだ。さあ、佐久奈谷(さくなだに)に見物に行こうとか、 谷の口から冥土に引きずり込まれてしまうと聞こえてくる。危ないななどと話しているのを聞くと、自分から飛び込むのではなく、思わず引きずり込まれてしまいたいと思ってしまう。 このように悩んでばかりいるので、食事も進まない。 寺の裏にある池に、しぶきというものが生えていますと言うので、取って持って来てと言うと、器に盛り合わせて持って来た。しぶきとはタデ科の多年草で、地下茎や葉を食用にしたようで、渋草(しぶくさ)とも言い一説には、ドクダミの古称とも言われる。柚子(ゆず)を切って上にのせてあるのは、とても趣きがあると思った。 そして夜になり、御堂でいろいろなことをお祈りして、泣き明かして、夜明け前にうとうと眠ったところ、この寺の別当と思われる僧が、銚子に水を入れて持って来て、わたしの右膝に注ぐという夢を見た。
2018.12.27
コメント(19)
「涙が枯れるほど泣き尽くしてしまう」 「Dog photography and Essay」では、愛犬ホープと歩いた道と「愛犬もも」との物語を公開してます。一心に勤行をしているうちに、 気持ちがぼんやりふわふわして、なにもしないでいると、はるかに見渡される山の向こうのあたりで、山田を守る番人の獣などを追い払う声がして、みっともなく、無風流に怒鳴っているのが聞こえる。 こんなふうに、色々と胸をしめつけられることがなんと多いことかと、思うと、最後には茫然として座っているだけだった。そして、後夜(ごや)夜半から朝までの勤行が終わったので、御堂から下りたが、ひどく疲れているので、休憩所で過ごした。夜が明けるままに外を見ると、寺の東の方ではのどかな風が吹き、霧が一面に立ち込め、川の向こうはまるで絵に描いたように見える。川のほとりには放し飼いの馬の群れが餌を探しまわっているのも、遥かに見えるが、とてもしみじみとした風景である。人目を気にして、かけがえなく大切に思う子どもも京に残してきたので、 家を出て来たこの機会に、死ぬ計画を立ててみたいと思うと、まず子どものことが気にかかって、恋しくて悲しい。涙が枯れてしまうほど泣き尽くしてしまった。
2018.12.26
コメント(19)
「聞く側のわたしの気持ちのせいなのか」 「Dog photography and Essay」では、愛犬ホープと歩いた道と「愛犬もも」との物語を公開してます。わたしの身の上を仏さまに申し上げる時も、涙にむせるばかりで、なにも言えなくなってしまい、夜がすっかり更けてから、外の方を眺めると、御堂は高い所にあって、下は谷のようである。片側の崖には木々が生い茂り、とても暗く感じ、二十日の月が、夜が更けてとても明るかったけれど、木々に遮られて月の光は行き渡らず、光が漏れている木々のあちこちの隙間から登って来た道が遠くまで見える。見下ろすと、ふもとにある泉は、まるで鏡のように見える。高欄(欄干)に寄りかかり、しばらく見ていると、片側の崖の草の中で、そよそよと音がして白っぽいものが、奇妙な声をたてるので、 あれはなんですかと尋ねると、鹿が鳴いているのですと言う。 どうして普通の声で鳴かないのだろうと思っていると、離れた谷の方から、とても若々しい声で、遠くへ声を長く引いて鳴くのが聞こえる。それを聞く気持ちは、虚しいというようなものではない。聞く側のわたしの気持ちのせいなのか、せつないほど身にしみる。
2018.12.25
コメント(16)
「湯につかって身を清め御堂に上る」 「Dog photography and Essay」では、愛犬ホープと歩いた道と「愛犬もも」との物語を公開してます。わたしの供人が、遠慮がちに、そこから離れてなどと言ったようだが、 いつも行き来する人の立ち寄る所とはご存じないのですかと。そんなふうに非難なさるとはなどと言っているのを見ている気持ちは、どうたとえて言えばいいのだろうかなどと思う。若狭守の一行を先に行かせて、それからわたしたちが立って行き、逢坂の関を越えて、打出(うちいで)の浜に死にそうなほど、疲れてたどり着くと、先に行ったものたちが、舟に菰(こも)で葺いた屋根をつけて待っていた。なにがなんだかわからないまま、その舟に這うようにして乗ると、はるばる遠くまで漕ぎ出して行くが、その時の気持ちといったら、わびしくもあり苦しくもあり、無性に悲しくてならないのは、ほかに比べようがないが、申の時(午後五時頃)石山寺の中に着いた。斎屋(ゆや 斎戒沐浴のためにこもる建物)に敷物など敷いてあったので、そこに行って座っていると、気分がどうしようもなく辛くなるので、こんどは横になって、身をよじりながら泣いてしまう。夜になって、湯などにつかって身を清め、御堂に上る。
2018.12.24
コメント(22)
「その振る舞いの無礼な事といったら」 「Dog photography and Essay」では、愛犬ホープと歩いた道と「愛犬もも」との物語を公開してます。通りで出会う人やわたしたちを見る人が不思議に思って、ささやき合っているのが、つらくてやりきれない。 やっとのことで通り過ぎて、走り井の清水が勢いよくわき出る泉で、弁当を食べようというので、幕を引きめぐらしていた。あれこれしていると、大声で前方の通行人を先払いする一行がやって来る。 どうしよう、誰だろう、供同士が知り合いだったら困ると思っていると、馬に乗った者を大勢連れて、牛車を二、三台連ねて、騒がしくやって来る。 若狭守(わかさのかみ)の牛車でしたと供人が言う。立ち止まりもしないで通り過ぎたので、ほっとして思う。 京では明け暮れ、ぺこぺこしているくせに、京を出るとこんなに、威張って行くようだと思うと、胸が張り裂けるほど嫌な思いがする。下人たちで、牛車の前についている者も、そうでない者も、わたしの幕近くに寄って来ては、水浴びをして騒ぐ。その振る舞いの無礼なことといったら、何とも例えようがない。
2018.12.23
コメント(20)
「目立たないように歩いて行った」 「Dog photography and Essay」では、愛犬ホープと歩いた道と「愛犬もも」との物語を公開してます。この頃は、他の事はなにも考えられないで、明けても暮れても嘆いていた。侍女が物詣でなどと言うので、それなら、とても暑い頃だが出かけよう。皆が言うように、嘆いてばかりいてもしかたがないと思い立った。 石山に十日ほどと決めたが、こっそりとと思ったので、妹のような、身近な人にも知らせないで、わたし一人で決めて、夜が明け始める頃に、走るように家を出て、賀茂川のあたりまで来たところで音に気付き、どうやって聞きつけたのだろうか、後を追って来た人もいる。有明の月はとても明るいけれど、出会う人もいない。賀茂の河原には死人も転がっていると聞くが、怖くもない。粟田山というあたりまで来ると、とても苦しいので、ひと休みすると、なにがなんだかわからず、ただ涙ばかりがこぼれる。 人が来るかもしれないと、さりげなく涙を隠して、ただもう先を急ぐ。山科で夜がすっかり明けると、姿がはっきりと見えるような気がするので、どうしたらいいのかわからないように思われる。供人は皆、後にしたり先に行かせたりして、目立たないように歩いて行った。
2018.12.22
コメント(20)
「あちこちに物詣でなどなさいませ」 「Dog photography and Essay」では、愛犬ホープと歩いた道と「愛犬もも」との物語を公開してます。新しい女に気が移ったなどとも聞かないが、あの人が急に来なくなった事を、思っていると、事情に詳しい侍女が、亡くなられた小野の宮の左大臣さまの、召人(めしうど 愛人)たちの誰かに思いを寄せていらっしゃるのでしょう。その中でも近江という女は、ふしだらなことなどがあって、色っぽい女のようですから、そんな相手に、殿はこちらに通っているのを、知られないよう、前もって関係を断っておこうというのでしょうと言う。聞いていた侍女が、いやいや、そうではなくても、あの人たちは、気を使わなくてもいい人らしいから、そんな手のこんだことを、わざわざしなくてもいいでしょうなどと言う。 もし近江という女でなければ、先帝(村上天皇)の皇女さまたちの中に、いるでしょうと疑うが、いずれにしても、どうしても納得がいかない。 入り日を見るように沈んでばかりいらっしゃってはいけません。あちこちに物詣でなどなさいませなどと言う。
2018.12.21
コメント(16)
「やはりどうもおかしい」 「Dog photography and Essay」では、愛犬ホープと歩いた道と「愛犬もも」との物語を公開してます。子供が僧になると言い出すので悲しくてならないと思っていると、日暮れ頃、あの人から手紙が来たと知らされたが、どうせ嘘だろうと、思ったので、今は気分が悪くてと言って使いを帰した。七月十日過ぎにもなり、世間の人が騒ぐにつれて、お盆のお供えは、今まではあの人の政所(まんどころ)でしてくれたけれど、今年はもう、しないのかしらと思い、亡くなった母上もさぞ悲しく思われることだろう。しばらく様子を見て、何の連絡もなければ、お供え物も自分で用意しようと、思い続けると、涙ばかりが流れるが、そんなふうに過ごしているうちに、いつものようにお供え物を調えて、手紙をつけて送ってきた。 私からの返事は、亡き母のことはお忘れなさいませんでしたけれど、それにつけましても、惜しからで悲しきものはという思い、そのままでございましてと書いて使いに持たせて送りました。ずっとこんな状態なので、やはりどうもおかしい。
2018.12.20
コメント(19)
「尼になろうと子どもに打ち明ける」 「Dog photography and Essay」では、愛犬ホープと歩いた道と「愛犬もも」との物語を公開してます。どうしよう。尼になって執着を断ち切れるかどうか試してみたいと話すと、まだ子どもで深い事情などわからないけれど、ひどくしゃくりあげて、激しく泣いて、尼になられたら、わたしも僧になります。どうしてわたしだけが、世間の人々の中で暮らしていけるでしょうと言って、激しく声をあげて泣くので、わたしも涙をこらえきれないけれど、あまりの深刻さに、冗談に紛らわしてしまおうと、僧になったら、鷹が、飼えなくなるけれど、どうなさるつもりなのと話した。そっと立って走って行き、つないであった鷹をつかんで放してしまった。見ている侍女も涙をこらえきれず、ましてわたしはいたたまれない思いで、一日を過ごしたが、心で思ったことを歌にして詠んだ。 あらそへば 思ひにわぶる あまぐもに まづそる鷹ぞ 悲しかりける 夫との不和に悩んで、尼にでもなろうと子どもに打ち明けると、子どもがまず鷹を放って、僧になる決心をするとは悲しくてならない。
2018.12.19
コメント(19)
「どんな気持ちで暮らしていくのだろう」 「Dog photography and Essay」では、愛犬ホープと歩いた道と「愛犬もも」との物語を公開してます。慎(つつし)むことばかり続いたので来られなかったのだが、けっして行かないなどとは思ってはいない。あなたが不機嫌ですねているのを、どうしてなのかと思っているなどと、平然と、悪びれる様子もないので、不愉快でならない。翌朝は、用事があるから今夜は来れないと言うが、すぐに明日か、明後日には来るよなどと言うので、本気にはしないでいた。 こう言えば、わたしの機嫌が直るのではないかと思っているのだろう。でも、もしかすると、これが最後になるかもしれないと思って、様子を見ていると、だんだんとまたも日数が経っていく。やっぱりそうだったのかと思うと、以前よりもいっそう悲しくなる。じっと思い続けることといえば、やはりなんとかして思い通りに、死んでしまいたいと思うよりほかになにもない。だが、ただこの一人の息子のことを思うと、たまらなく悲しい。 一人前にして、安心できる妻と結婚させたりすれば、死ぬのも気が、楽だろうと思っていたのに、このまま死んだら、どんな気持ちで、暮らしていくのだろうと思うと、やはりとても死ぬことができない。
2018.12.18
コメント(19)
「知らないふりをして我慢していた」 「Dog photography and Essay」では、愛犬ホープと歩いた道と「愛犬もも」との物語を公開してます。私たち夫婦がこんなにひどくなっているのもご存じなくてと思って、お手紙をさし上げるついでに歌を書いた。ささがにの いまはとかぎる すぢにても かくてはしばし 絶えじとぞ思ふ 蜘蛛の糸が切れるように、これで最後とあの人が離れて行っても、あなたとの交際は、少しの間も絶えないようにと思っていますと申し上げた。お返事は、いろいろとしみじみと身に沁みることをたくさん書かれて、 絶えきとも 聞くぞ悲しき としつきを いかにかきこし くもならなくにあなたがたご夫婦の仲が絶えたと聞くのはとても悲しい、長い年月、信頼して暮らしてこられたでしょうに。これを見ると、 知っていらっしゃったから、お尋ねにならなかったのだと思うと、ますます悲しくなってきて、物思いに沈んで暮らしていると、あの人から手紙がある。 手紙を出したのに、返事もなく、そっけなくばかりしているようだから、遠慮されて、今日でも伺おうと思っているけれどなどと書いてあるようだ。侍女たちが勧めるので、返事を書いているうちに、日が暮れた。 まだわたしの返事を持って行った使いはあちらへ着いていないだろうと、思っていたら、あの人がやって来た。侍女たちが、やはりなにかわけがあるのでしょう。知らないふりをして、様子をごらんなさいなどと言うので、わたしはじっと我慢していた。
2018.12.17
コメント(19)
「夫の来ないわたしと同じよう」 「Dog photography and Essay」では、愛犬ホープと歩いた道と「愛犬もも」との物語を公開してます。涙はもう残ってないと書いたこれをあの人がごらんにならないうちに、そっと置いて、すぐにもどってきなさいと教えたので、その通りにしましたと言って帰って来た。 もしかして返事があるかしらと密かに待った。だが、何の返事もなく、月末頃になった。先日、することもなく、庭の草の手入れなどをさせた時に、稲の若い苗がたくさん生えていたのを取り集めさせて、家の軒下のあたりに植えさせたところ、とてもよく実った。 水を引き入れたりさせたけれど、今では黄色くなった葉が、しおれているのを見ると、とても悲しくなってきて歌を詠む。いなづまの 光だに来ぬ 屋がくれは 軒端の苗も もの思ふらし稲妻の光さえ届かない家の陰では、軒端の苗も物思いに、沈んでいるようで、それは、夫の来ないわたしと同じようにと詠んだ。 貞観殿(じょうがんでん)登子さまは、一昨年、尚侍(ないしのかみ)に、なられた。どうしてなのか、こんなになっているわたしのことを、お尋ねくださらないのは、悪くなるはずがないご兄妹の仲が、気まずくなったので、わたしまで嫌に思っていらっしゃるのだろうか。
2018.12.16
コメント(27)
「涙はもう残ってないと思いました」 「Dog photography and Essay」では、愛犬ホープと歩いた道と「愛犬もも」との物語を公開してます。もう日が暮れますなどと急き立てる。 こんな清々しい所では、誰もが悩みなんて忘れてしまうだろうと思うが、日が暮れるので、仕方なく出発して、さらに進んで行くと、粟田山という所で、京から松明を持って迎えの人が来ていた。 今日の昼、殿がいらっしゃいましたと言うのを聞く。 本当におかしなこと、わたしがいないのをわかっていて来たと、疑いたくなるが、それでどうしたなどと、供の者たちが、聞いているようで、私はただもう飽きれるばかりで家に帰り着いた。車から降りると、気分がどうしようもなく苦しいのに、家に残っていた,侍女たちが、殿がいらっしゃって、お尋ねになるので、ありのままに,お答えしましたところ、どうしてそんな気をおこしたのだと言ったそう。悪い時に来たなとおっしゃいましたと聞くと、夢のような気持ちがする。 次の日は、疲れた一日を過ごし、翌日は幼い子が、あの人の邸へ出かける。あの人のする不思議でならないことを、問いただしてみようかしらと、思っても、気が進まないけれど、先日の浜辺のことを思い出すと、その気持を抑えることもできなくなって、 うき世をば かばかりみつの 浜辺にて 涙になごり ありやとぞ見し 夫婦の辛さをこれほど思い知らされ、涙を流してきたわたしですが、御津の浜辺では泣き尽くし、涙はもう残ってないと思いましたと書いた。
2018.12.15
コメント(23)
「手足を水に浸すと辛い思いなど消え」 「Dog photography and Essay」では、愛犬ホープと歩いた道と「愛犬もも」との物語を公開してます。ひぐらしが今を盛りとあたり一面で鳴いている。それを聞いていると、こんなふうに思った。 なきかへる 声ぞきほひて 聞こゆなる 待ちやしつらむ 関のひぐらし 盛んに鳴いている声は競っているように聞こえるけれど、泣いて帰るわたしを待っていたのだろうか、関のひぐらしはとつぶやいた。つぶやいただけで、まわりの人には言わなかった。 走り井の湧き水には、従者たちの中で馬を早めて先に行った人たちもいた。わたしたちが到着すると、先に行った人たちは、十分に休み涼んだので、気持ちよさそうに、わたしたちの車の轅を下ろす所に寄って来たので、同じ車に乗っている人が、うらやまし、駒の足とく、走り井のと言った。 うらやましい、馬の足が早くて、その名のとおり走り井で休んでいると、言ったので、わたしが、清水にかげは、よどむものかな 清水に影がとどまらないように、足の早い馬なら清水でゆっくり、休むひまはないのですから うらやましくはない。 清水の近くに車を寄せて、道から奥のほうに幕などを引き下ろして、皆車から降りて、手足を水に浸すと、つらい思いなど消えてしまう。晴れ晴れするように思われると、石などに寄りかかって、水を流した雨樋(とい)の上に角盆などを置いて、食事をし自分の手で、水ままなどを作って食べる気持ちは、ほんとうに帰るのが嫌になるほどだ。
2018.12.14
コメント(19)
「忘れがたい風景をしみじみと見ながら」 「Dog photography and Essay」では、愛犬ホープと歩いた道と「愛犬もも」との物語を公開してます。行き来する舟が何艘も、帆を引き上げながら進んで行く。浜辺に土地の男たちが集まって座っているので、歌をお聞かせしてと、すると、なんとも言えない、しゃがれた声を張り上げて、歌いながら行く。お祓いの時間に遅れそうになりながら、とても狭い崎に着いた。下手(しもて)の方は水際に車を止めている。網を下ろすと、波が打ち寄せては引き、車の後ろに乗っている人たちは、落ちそうなほど、身を乗り出して覗き込み、姿もまる見えに、世にも珍しい魚や貝を、取り上げて騒いでいるようだ。浜辺にいた若い男たちも、少し離れた所に並んで座り、ささなみや、志賀の唐崎(ささなみや志賀の唐崎や御稲〈みしね〉つく女のよささやそれもかな かれもがな いとこせに まいとこせにせむや ささなみや 志賀の唐崎や 神に供える稲をつく 女はよいよ その女もほしい あの女もほしい わたしを愛しい夫に ほんとうに愛しい夫にしてくれ神楽歌のささなみを例のしゃがれ声を張り上げて歌っているのも、とてもおもしろく聞こえた。風は激しく吹いているが、木陰がないのでとても暑い。早く清水に行きたいと思う。 忘れがたい風景をしみじみと見ながら通り過ぎて、逢坂山の麓に、さしかかると、申の時(午後五時頃)の終わりごろになっていた。
2018.12.13
コメント(24)
「風が出てきて波が高くなる」 「Dog photography and Essay」では、愛犬ホープと歩いた道と「愛犬もも」との物語を公開してます。大津の家並の中も珍しいと感じながら通り過ぎると、広々とした浜辺に出た。通り過ぎてきた方を見ると、湖畔に並んで立っている家々の前に、何艘もの舟が岸に並べて寄せてあるのが、とてもおもしろい。湖の上を漕いで行き来する舟もある。車を進めて行くうちに、巳の時(午前十時前後二時間)の終わりごろになり、しばらく馬を休ませるというので、清水という所に、遠くからも、あれがそうだと見えるほど大きな楝の木(栴檀センダンの古名)が、一本立っている木陰に、車の轅を下ろして、馬を浜辺に引いて行った。冷やしたりなどして、唐崎はまだずいぶん遠いようなので、ここで、弁当が届くのを待ちましょうと言っていると、わが子一人だけが、疲れた顔で物に寄りかかっているので、餌袋の中の物を取り出してあげ、食べたりしている時に、弁当を持って来た。あれこれ分配したりしていたが、従者たちの数人はここから京へ帰って、 清水に着きましたと留守宅に報告するように、京に行かせた。 車に牛をつけて出発し、唐崎に到着し、車の向きを変えて、お祓いをしに行きながら見ると、風が出てきて波が高くなる。
2018.12.12
コメント(26)
「景色の素晴らしさに泣いている」 「Dog photography and Essay」では、愛犬ホープと歩いた道と「愛犬もも」との物語を公開してます。わたしと同じような悩みのある人、侍女は一人だけ連れて行くので、その三人が同じ車に乗り、馬に乗った従者たちが七、八人ほどいる。賀茂川のあたりで、ほのぼのと夜が明ける。そこを過ぎると、山道になって、京とは違う景色を見ると、この頃暗鬱な気分になっているせいか、しみじみと心打たれる。まして逢坂の関に着いて、しばらく車を止めて、牛に飼料を与えたりしていると、荷車を何台も連ねて、見たこともない、木を伐り出して、ほの暗い木立の中から出て来るのを見ると、気分が打って変わったように感じられてとてもおもしろい。逢坂の関の山道に、しみじみと感動しながら、行先を見ると、湖がはてしなく見渡され、鳥が二羽、三羽浮かんでいると見える。よく考えてみると、釣船なのだろう。ここのところで、とうとう涙をこらえきれなくなった。救いようがなく景色など見ている余裕のないわたしでさえこんなに、感動するのだから、一緒にいる人は景色の素晴らしさに泣いている様子。お互いにきまりが悪いほどに思われるので、目も合わすことができない。行き先はまだ遠いが、車は大津の酷くむさ苦しい家並の中に入って行った。
2018.12.11
コメント(20)
「妙にいたたまれないので」 「Dog photography and Essay」では、愛犬ホープと歩いた道と「愛犬もも」との物語を公開してます。この頃、裁縫をする人たちが里に下がっていてと言って返した。これでなおさら機嫌を損ねたらしく、伝言さえまったくない。そのまま六月になった。訪れがないのを数えてみると、夜見てから、三十日あまり、昼見てから四十日あまりが経ってしまった。 あまりに急な変わりようで変だと言うのもばかげている。思うようにいかない夫婦仲とはいえ、まだこれほどの目にあったことが、なかったので、まわりの人たちも、変だ、めったにないことと思っている。わたしは茫然として物思いに沈むばかり。人に見られるのもひどく恥ずかしい気がして、落ちる涙をこらえながら、横になっていると、鶯が季節はずれに鳴くのが聞こえるので、思ったことは、 うぐいすも ごもなきものや 思ふらむ みなつきはてぬ 音をぞなくなる うぐいすもわたしのようにいつまでも物思いに沈んでいるのかしら、六月になっても果てることなく鳴いているなんて。 こんな状態のまま二十日あまりも経ったわたしの気持ちは、どうしてよいかわからず、妙にいたたまれないので、涼しい所へ気晴らしに、行って、浜辺のあたりでお祓いもしたいと思って、唐崎へと出かける。寅の時(午前四時前後二時間)ごろに出発したので、月がとても明るい。
2018.12.10
コメント(24)
「すっかりあきれてしまった」 「Dog photography and Essay」では、愛犬ホープと歩いた道と「愛犬もも」との物語を公開してます。一人密かに今夜来てくれるかどうか様子をと思っているうちに、ついには手紙も来なくなり長い日数が経った。 めったにないことで、おかしいと思うが、うわべは平気なふりを、続けていたけれど、夜は外を通る車の音に、もしかしてあの人ではと、胸をどきどきさせながら、それでも時々は寝てしまい夜が明けていた。今まで以上に情けない気がするし、幼い人があの人の所へ行くたびに、様子を聞いてみるが、これといって特別に変わったこともないらしい。わたしのことを、どうしているとさえ、尋ねることもないそうだ。 あの人がそうなのだから、なおさらわたしのほうから、どうして、来てくださらないの、などと言ったりすることがどうしてできようか。などと思いながら、日を過ごして、ある朝、格子などを上げる時に、外を眺めると、夜に雨が降ったらしく、木々に露がかかっている。見るとすぐに和歌が思い浮かんだ。よのうちは まつにも露は かかりけり 明くれば消ゆる ものをこそ思へ 夜の間はあの人を待って、涙にくれて過ごしているが、夜が明けるといっそう虚しさに消えてしまうほどの物思いに沈む。こうして日を過ごしているうちに、その月の末頃に、小野の宮の左大臣の、藤原実頼さまがお亡くなりになったということで、世間は騒いでいる。長い間便りもなかったのに、世間がひどく騒がしいから、謹慎していて、訪ねて行くことができない。喪中になったので、これらを早く仕立ててと、言ってくるなんて、すっかりあきれてしまった。
2018.12.09
コメント(25)
「夜だから人目につかないと」 「Dog photography and Essay」では、愛犬ホープと歩いた道と「愛犬もも」との物語を公開してます。わが子が舞って、好評を博したためか、帝から御衣(おんぞ)を賜った。宮中から舞姿のまま陵王を舞った甥も車に乗せて退出した。あの人はあったことを一部始終話して、じぶんの面目がたったこと、上達部たちがみな泣いて可愛いと言ったことを、何度も泣きながら話す。弓の師匠を呼びにやり、来ると、またここでいろいろと褒美を与えるので、わたしは辛い身の上も忘れて、その嬉しさといったら、比べるものが、ないほどであるが、その夜はもちろん、その後の二、三日まで、知人という知人はすべて、僧侶にいたるまで、若君のご活躍のお喜びを、申し上げに、お祝いを申し上げにと使者を寄こしたりする。その者が言いに来たりするのを聞くと、不思議なほど嬉しくてならない。こうして四月になった。その十日から、またしても、五月十日頃まで、 どうも妙に気分がすぐれないとのことで、いつものようには来てくれないで、七、八日に一度くらいの訪れで、体が辛いのを我慢して来た。気になり来てみたなどと言ったり、夜だから人目につかないと思って来た。こう苦しくては、どうしようもない。宮中へも行っていないので、このように出歩いているのを人に見られたら具合が悪いと言って、帰ったりしたあの人は、病気が治ったと聞いたのに、いくら待っても来てくれそうな気配がない。おかしいと思う。
2018.12.08
コメント(27)
「陵王を舞うのもわが子と同じ年頃の少年」 「Dog photography and Essay」では、愛犬ホープと歩いた道と「愛犬もも」との物語を公開してます。その日になって、あの人は朝早くやって来て、舞の装束のことなどを、大勢の人と集まって指図したり、大騒ぎして整えて、送り出す。その後もわたしはまた弓のことを心の中で祈りながら、試合の前から、 後手組は必ず負ける。射手を選ぶのを間違えたと不安な事を言っている。 せっかく練習した舞も無駄になるのかしら、どうなるのだろう、勝てるのかしらと思っているうちに、夜になった。月がとても明るいので、格子なども下ろさないで、心の中で祈っていると、召使いたちが走って来て、まず弓の報告をする。 何番目まで進みましたと聞くと、若君のお相手は右近衛中将ですという。 若君が力を尽くして打ち負かしてしまわれたと言うので、あれこれ、心配していただけに、嬉しい、よくやったと思う気持ちは、たとえようがない。負けると決まっていた後手組が、若君の矢で、引き分けになりましたと、また報告してくれる人もいる。引き分けになったので、まず先手組が陵王を舞い、陵王を舞うのもわが子と同じ年頃の少年で、わたしの甥である。練習の時には、ここで見たり、あちらの家で見たりなど、お互いに競争していた。だから二人とも舞を披露することになったのだろうか。
2018.12.07
コメント(17)
「みんな涙を流して感動してたよ」 「Dog photography and Essay」では、愛犬ホープと歩いた道と「愛犬もも」との物語を公開してます。十日の日の今日は、わたしの所で舞の予行演習のようなことをする。舞の師匠の多好茂(おおのよしもち)が、女房からたくさんの褒美をもらう。男の人たちも、そこにいる者はじぶんの衣を脱いで多好茂に与える。 殿は物忌で来られませんと言って、召使いたちが残らずやって来た。今日の行事も終わりに近づいた夕暮れに、好茂が胡蝶楽(こちょうらく)を、舞って出て来たが、それに黄色の単衣(ひとえ)を脱いで与えた人がいる。胡蝶楽に使う造花の山吹と単衣の色があって、ふさわしい褒美という気がする。胡蝶は蝶をモチーフにした舞楽で胡蝶の舞(こちょうのまい)とも呼ばれる。 また十二日に、後手組の人たちを全員集めて舞の練習をさせる。ここには弓場がないから都合が悪いだろうということで、あの人の邸で大騒ぎする。 殿上人が大勢集まったから、好茂は褒美の品に埋まってしまったと聞く。わたしは、あの子はどうだろう、大丈夫だろうかと不安だったが、夜が更けてから、大勢の人に送られて帰って来た。それからしばらくして、あの人は、侍女たちが変だと思うのもかまわず、わたしの所に入って来て、この子がとてもかわいらしく立派に、舞ったことを話したくてやって来た。みんな涙を流して感動してたよ。明日と明後日は、わたしのほうは物忌、その間がとても心配だ。十五日の日は、朝早く来て、いろいろと世話をするよなどと言って、帰って行かれたので、いつもは不満なわたしの気持ちも、しみじみとこの上なく嬉しく思われた。
2018.12.06
コメント(20)
「とても頼もしいとわが子の道綱」 「Dog photography and Essay」では、愛犬ホープと歩いた道と「愛犬もも」との物語を公開してます。どういうわけなのだろう、むやみに自分自身が嫌になり、あの人が恨めしく、悲しく思われる日があった。じっと物思いにふけって、思ったことは、 ふる雪に つもる年をば よそへつつ 消えむ期もなき 身をぞ恨むる 降り積もる雪にじぶんの年をたとえながら、雪のように、消えることもできないわが身を恨めしく思うなどと思っているうちに、大晦日になり、そして春の半ばにもなってしまった。 あの人は、素晴らしく立派に造った新邸に、明日移ろうか、今夜にしようかと騒いでいるようだ。だが、わたしのほうは、思っていたとおり、今のままでいいと、言うことなので、嫌な事があって懲りたからなどと自分を慰めているうち、三月十日頃に、朝廷年中行事の一つの賭弓(のりゆみ)があるので、人々は忙しく準備をしているようで、幼い子(道綱)は、後手組に選ばれて出場することになった。 後手組が勝ったら、その組の舞もしなければならないということなので、この頃は、すべてを忘れて、その準備に追われる。舞の練習をするというので、毎日音楽を演奏して騒いでいる。弓の練習場に行ったあの子が、賞品をもらって退出してきた。 とても頼もしいとわが子の道綱を見る。十日の日になった。
2018.12.05
コメント(24)
「毎年巡ってくる紅葉の秋」 「Dog photography and Essay」では、愛犬ホープと歩いた道と「愛犬もも」との物語を公開してます。網代(あじろ)が描いてある絵にも和歌が。 あじろぎに 心を寄せて ひをふれば あまたの夜こそ 旅寝してけれ 氷魚(ひうお)を捕る網代に興味を持って毎日を過ごすうちに、多くの世(夜)を旅寝してしまった。浜辺で漁火(いさりび)を灯し、釣船(つりぶね)などがある絵に、 漁火も あまの小舟(おぶね)も のどけかれ 生けるかひある 浦に来にけり漁火も漁師の小さな舟も平穏無事であってほしい、生きていた甲斐があったと感じる素晴らしい浜辺に来たのですから。 女車(おんなぐるま)が、紅葉見物をしたついでに、また紅葉のたくさんある家に立ち寄っている絵に、 よろずよを のべのあたりに 住む人は めぐるめぐるや 秋を待つらむ 美しいこの野辺のあたりに住んでいる人は、いつまでも寿命を延ばして、毎年巡ってくる紅葉の秋を待っていることでしょう。 など、仕方なく、こんなにたくさん無理に詠まされて、これらの中で、 漁火と群鳥の歌が採用になったと聞いて、嫌な気分になった。 こういうことをしているうちに、秋は暮れて、冬になったので、特にどうということはないが、なんとなくせわしい気がして、過ごしているうちに、十一月に、雪がすごく深く積もった。
2018.12.04
コメント(21)
「鶴と松と真砂などおめでたいものが」 「Dog photography and Essay」では、愛犬ホープと歩いた道と「愛犬もも」との物語を公開してます。あまた年 越ゆるやまべに いえいして つなひく駒も おもなれにけり 何年も東国から馬が越えていく山辺に住んでいるので、荒れて逆らう馬もなつくようになりました。人の家の前の泉に、八月十五日の月の光が映っているのを、女たちが眺めている時に、垣根の外を通って笛を吹きながら大路を行く人がいる絵には歌が。くもいより こちくの声を 聞くなへに さしくむばかり 見ゆる月影 大空から胡竹の笛の音が近づいてくるのを聞いていると、月の光が、泉に映って手に取れそうに見える。田舎の家の前の浜辺に松原があり、鶴が群れをなして遊んでいる。ここには「二首の歌を」とある。 波かけの 見やりに立てる 小松原 心を寄する ことぞあるらし 群れをなして飛んでいる鶴は、波打ち際の向こうに見渡される辺りに、立っている小松原の松に好意を寄せているようだ。 松のかげ まさごのなかと 尋ぬるは なにの飽あかぬぞ たづのむらどり 群れをなして飛んでいる鶴は、松の木陰や真砂の中の餌を探しているけれど、鶴と松と真砂こんなおめでたいものが揃っているのに、これ以上何を探すことがあるのだろう。
2018.12.03
コメント(29)
「一声ですぐに千鳥の声とわかった」 「Dog photography and Essay」では、愛犬ホープと歩いた道と「愛犬もも」との物語を公開してます。私よりの返歌は、あるる浦に しおの煙は 立ちけれど こなたに返す 風ぞなかりし 荒れた浦に立った塩の煙を吹きもどす風がないように、お返事をわたしのところへ届ける風はありませんでしたと、胡桃色の紙に書いて、枯れて色の変わった松につけて送った。 そして、八月になった。その頃、小一条の左大臣さまの五十の賀のお祝いで、世間では、大騒ぎしている。左衛門督(さえもんのかみ)さまが屏風を、制作して献上なさるというので、わたしが断れない伝(つて)を通じて、 屏風絵の場面が書き出してある屏風の歌をぜひにと求められてきた。 わたしではふさわしくないと思って、何度も辞退したのに、どうしてもと、しつこく言ってくるので、宵の頃や、月を見ている時などに、一首、二首と考えながら作った。人の家で、賀宴を催している絵には、 大空を めぐる月日の いくかへり 今日ゆくすゑに あはむとすらむ大空を巡る月や太陽が限りなく繰り返すように これから何度も今日のようなおめでたい祝宴に巡り会うことでしょう。 旅をしている人が浜辺に馬をとめて、千鳥の声を聞いている絵には歌が、ひとこえに やがて千鳥と 聞きつれば 世々をつくさむ 数も知られず一声ですぐに千鳥の声とわかったのですから、その千鳥の千のように、千年も万年も栄えていくことでしょう。粟田山(あわたやま)から馬を引き、辺りに住んでいる人の家に馬を引き入れて、人々が見物している絵にも歌が。
2018.12.02
コメント(21)
「薄鈍色の紙に書いて、むろの枝につけ」 「Dog photography and Essay」では、愛犬ホープと歩いた道と「愛犬もも」との物語を公開してます。つまらない歌なのに、また同じ歌を送ったら、どんな歌か人づてに、聞いているだろうに、ひどくみっともない、さぞ誠意がないと、思っているだろうと慌てていらっしゃると聞くとおかしい。このままにしてはおけないと思って、前書いた時と同じ筆跡で歌を詠んだ。 やまびこの 答へありとは 聞きながら あとなき空を 尋ねわびぬる お返事があったと聞きながら、山彦のように跡形なく消えてしまって、捜しても見つからず困っていますと浅縹(あさはなだ)色の紙に書いて、葉のいっぱいついている枝に、立文にして結んで送った。今度もまた、使いがこの手紙を置いて姿を消してしまったので、 前のようなことになってはと慎重にしていらっしゃるのだろうか。返事がないので気がかりで、名前も告げないで変な事ばかりするから、しばらくして、確かに届く、つてを探して、こんな歌をくださった。吹く風に つけてもの思ふ あまのたく 塩の煙は 尋ね出でずや 物思う尼のわたしがさし上げた手紙はまだ見つからないのでしょうか。海人のたく塩の煙のように思わない方向に行ってしまってと、素晴らしい筆跡で、薄鈍色の紙に書いて、むろの枝につけて頂いていた。そして、さっそく返歌を詠む。
2018.12.01
コメント(28)
「変だとも思わなかったのだろうか」 「Dog photography and Essay」では、愛犬ホープと歩いた道と「愛犬もも」との物語を公開してます。こうしているうちに、気分はいくらかよくなったけれど、二十日過ぎ頃、あの人は、御嶽詣で大和国吉野郡金峰山に参拝と言って急いで出発する。幼い子もお供で一緒に行く事になったので、いろいろと準備して送り出し、その日の暮れには、わたしも元の家の修理が終わったので、引っ越す。供に連れていくはずの人を残して行ったので、その人たちと引っ越しした。それからというもの、まだ気がかりな子どもまで一緒に行かせたので、 どうか無事でありますようにと心の中で祈り続けていた。七月一日の夜明け前に子どもが帰って来て、父上は帰りましたなどと話す。 この家は遠くなったから、しばらくは訪ねてくるのも難しいと思っていた。ところが、昼ごろ、あの人が不自由そうに足を引きずりながら見えたのは、どういうことだったのだろうと思うが山道で足をくじいたのかも知れない。 その頃、帥殿の北の方は、どうしてお知りになったのだろう、 あの手紙はあそこからとお聞きになって、六月まで住んでいた所に、わたしがいると思われて、そこへ届けようとなさった。だけど、使いが間違えて、もう一人のお方の所へ持って行ってしまった。あちらでは受け取って、どうも変だとも思わなかったのだろうか。 返事などなさったと人づてに聞いたが、北の方の所では、その返事が、もう一人のお方からと聞いて、つまらない歌なのに、届け先を間違えた。なんともばつの悪い奇妙な思いがしたが、そのまま過ぎ去ってしまった。
2018.11.30
コメント(27)
「北の方のご兄弟の入道の君の所から」 「Dog photography and Essay」では、愛犬ホープと歩いた道と「愛犬もも」との物語を公開してます。秋の風が吹けば、垣根の荻(おぎ)が、あなたの嘆きに応えるように、葉音を立てるたびに、ますます目が冴えて眠ることができず、夢でも左大臣さまにお逢いになることもなく、長い秋に一晩中、鳴いている虫のように、こらえきれないで忍び泣きをされていると、お察ししますが、わたしもまた、大荒木の森の下草の実と同じように、涙に濡れていることをご存じでしょうか、それから、後ろのほうに、 やど見れば 蓬の門も さしながら あるべきものと 思ひけむやぞ お邸を見ると 蓬(よもぎ)が生い茂り 門も閉ざしたままですが、こんなにあれるとは 思ってもみませんでしたと書いておいた。そのままにしておいたのを、前にいる侍女が見つけて言い出す。 ほんとうにお心のこもったお手紙ですね。これをあの北の方さまに、お見せしたいものですなどと話し出すが、どこからとはっきり言ったら、気が利かないし、みっともないわということで、紙屋紙に書かせて、立文(たてぶみ)にして、削り木(皮をはいだ白木)につけた。 紙屋紙(こうやがみ)とは平安時代、紙屋院で製した上質の紙のこと。どちらからと聞かれたら、多武(とう)の峰からと答えなさいと教えた。多武の峰とは飛鳥時代に斉明天皇が道教の宮を築いたと日本書紀にある。北の方のご兄弟の入道の君の所からと使いに言わせたかったからだ。あちらの人が受け取って奥に入った間に、使いは帰って来てしまった。あちらで、どのようにご判断なさったかはわからない。
2018.11.29
コメント(22)
全284件 (284件中 151-200件目)