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最近、自分の中で感じていて、そして人に伝えていきたいことの中に、ビオダンサのでの体験、経験を通じて自分の中に怒っている変化、“ハート(こころ)を開く”というものがあります。ハートチャクラが開いた状態、ただそれだけとは、まったく違う状態。自分自身を受け入れる、とか、自分をこころから信頼すること、宇宙をこころから信頼すること、そして明け渡すこと・・そういった感覚です。ある意味、これが悟りの状態かとも思うわけです。三次元の生活における。別に、悟りを目指しているわけではないし、悟りなんて、何段階もあるだろうから、こだわってはいませんが、いかに、この三次元、肉体をもって、楽に、楽しく、心地よく生きるか、といったこと、それを求めています。そして、えたものを、人に伝えたいという欲求も。自分が経験して、楽になったこと、そして早く通れるよ、この道、って知ったら、それを、人に伝えずにはいられないのです。今日、セッションでクライアントさんと話していて、わたしがセッションでしていることについて、わたしはこう説明しました。クライアントさんは、みんな、今自分がいる場所と、求める場所・行きたい場所は、わかっていらっしゃる。でも、その途中の道がわからなかったりする。でも、わたしはその途中の道を、何度か行ったことがあるから、道案内できる。だから、わたしは案内するだけ。そこを進んでいくのは、クライアントさんの力なんです、と。求める場所があるから、その求める気持ちが、クライアントさん自身を運んでいく。だから癒しを起こすのは、クライアントさんなんです。わたしはあくまでも、道案内をしているだけ、と。“ハート(こころ)を開く”ということ。これがまだ、自分の中で上手な表現になっていません。。もうちょっと時間が必要なのかも。でも、とっても愛にあふれた状態を、すこしずつ体現しつつある自分に気がついていて、これは、ヒーリングやエネルギーワークといった、わたしのライトワークのお仕事でも、ふんだんに活きていっているなぁということを、こころから感じています。どんな闇にも、光を、愛を、見いだすことができれば、怖いものも、そしてできないことも、なにもないのだろうと思う。光を、愛を、見つめてあげれば、それは、自然に輝きだす。それを、闇の中にあるそれを、見つめる勇気を持つだけ。闇は、怖れるものでものない。倒すものでもない。克服するものでもない。ただ、見つめるだけ。受け入れて、とかしていく、ただそれだけ。本当にごくシンプルだな、と思います。セッションでは、いろんな手法を使っているけれども、やっていることは、たった一つ。その人の闇によりそい、受け入れ、そして、その奥にある、光と愛を、導き出してあげる、たったそれだけ。わたしは、人が輝いていくのを見るのが、とっても好きだなぁって思う。そのために、自分が得た経験を、しっかり人に伝えていきたいと思う。これって、愛だよね、愛うふ
2008.01.30
1/19,20の二日間で行われた、ビオダンサのスクールのレポート、今日書き上げました。ふぅ~長文なのだけど、いい文章がかけた気がするので、ここにアップしてしまおう。ビオダンサでの気づきは、本当に大きい。あるがままの自分を、そのまま、どんどん受け入れられるようになっていっている。自分には、欠点がたっぷりあるのも知っている。気が利かないし、自分のことしか考えられてないし、いけてないところも、いっぱいある。けれどそれは。自分が自分のこころから望むことを、抑圧してしまうから、それがゆがんで、変な形で出てしまうだけなんだ。もとはみんな、美しい。だから、もう、抑圧するのはやめることにする。抑圧するから、へんになってしまう。そういう体験を繰り返していって気がついたのは。どんな人も、みんな自分に一生懸命ってこと。そして、誰かの行動で、自分がいやだな~と思うことがあったとしても、その人も、本当に望んでいることを、我慢してしまっているから、ゆがんだ形で出てしまっているだけなんだ。本当は、違うんだよね。本当に望んでいることは、素直に、自由に表現することなんだよね。それがわかったら、どんな人もいとおしい。わたしは、ヒーリングやエネルギーワークというお仕事をしているけれども、そんなことが、体でどんどんわかっていくようになっていって、どんな人の闇にも、ブロックにも、寄り添える気がしている。だって、それは、本当のところを求める、気持ちのあらわれにすぎないのだから。 ★*:.,.:。.*・゜☆:.,.:*:.,.★*:.,.:。.*・゜☆:.,.:*:.,.★Biodanza School#2_Vivencia 2008/1/19,20ヴィヴェンシアを感じること。それは、まさに、“今、ここに在る”という体験そのものだった。深く深く、その体験を感じる二日間になった。二日間をおえ、自分の中に残ったのは、“今、ここに、在る”という感覚。それは、センタリングだったり、自分のことをまるごと認めることだったり、こころ(ハート)を開くということだったり、した。そして結果的に、わたしに残ったものは、“なにも”なかった。Nothing.それは、“自分を明け渡す”ということ。なにかになろうとする自分すら、手放した状態。それは、“今、ここに、在る”ためには、今以外の瞬間すべてを、手放し、捨てている状態なのだということ。そして、明け渡してみてわかったことは。これが、“今、ここに、在る”という感覚なんだ!ということ。今まで頭で感じていたその感覚とは、まったく違ったものだった。ヴィヴェンシアのワークを通じて体験して、やっと初めて、わかった。この感覚が。プロトヴィヴェンシアを感じるワーク、これが深かった。深いところから、自分が“今、ここに、在る”ことを許していないことが、次々浮かび上がってきて、そして解放されていった。一人で、プロトヴィヴェンシアを感じて踊ったときに。わたしは、小さいころからの自分を、あのワークの中でもう一度生き直した。よくわからないうちに、この世に生まれていて、それで何も考えずに、無邪気に自分らしくのびのび過ごしてたら、周りから、否定されたり、壊されたり、侵害されたり、そこから引きずりおろされたり・・・。もうなんなの!!なんでこんなとこにいるわけ?!・・・なぜかはわからないが、なぜか、わたしはここにいる。音楽がとまり、終わって。・・でもたしかに、わたしはここにいる。ぺた、ぺた、ぺた。自分の体を、自分で触って確かめる。ぺた、ぺた、ぺた。腕、顔、肩、腰、おなか、足・・。やっぱり、ある。なぜここにいるのかもわからない上に、いやなおもいも(そりゃーいいおもいも一応)、したりしてきたけど、でも、なぜか、わたしは、ここに、いる。理由はどうでもよくなった。だってわたしはもうすでに、ここに、いる、のだから。しょうがないなぁ。そうして、わたしはわたしの存在を受け入れた。そうしたら、ヴィヴェンシアの“今、ここに、在る”感覚が、体に降りてきた。Sちゃんと、二人で踊ったとき。二人とも、自然と目をつぶっていって、でもかなり近くで踊っていた。でも、決してぶつからない。急にふっと、一本の樹が見えた。たった一本。あぁ、ひとつなんだ、そう思ったときに、幹をよくみたら、二色の色の違う幹がねじりあって、そして一本になっていた。Rizing the sun~♪という音楽にあわせて、それがすーっと伸びていっているのをみて、まるで、樹から、枝が、葉が、広がる様子が、日の光が広がっていく形と、重なって見えた。自分を明け渡しても、自分を失わない。ただ、“今、ここに、在る”ことができれば、どんなものとも調和し、そして侵害することなく、それぞれが個として確立しあいながらも、調和するんだ、そういうことを、この踊りの中で感じた。プロトヴィヴェンシアの体験で気づいたことは他にもあって、以前から、子どものように無邪気になること、子どもの無邪気さを表現することが、よくわからなかった。この二日間で気がついたのは、みんなが仲良くしているなかに、自分は入っていってしまっては、いけない、わたしが入ると輪を乱す、という思い込み、怖れだった。いつもわたしは一人で踊っていて、そして、誰かが来てくれるのを待っていた。けどもう、それは、やめた。みんなが無邪気に仲良くしているなかに、入りたい!!と思ったら、その気持ちのまま、入っていった。そしたらみんな、受け入れてくれた。仲間に入れた、それを知った瞬間だった。みんな、受け入れてくれてる。Welcome.まだ難しいと気づいたのは、自分に注目してもらうこと。見て見て!ってみんなに言うこと。わたしはよく、体験をシェアしてください、ってときに、発言する。感じたことを話すのは大好き。けれど、いつも、みんなの目が見れなくって、声が震えていることに、やっと意識が向いた!そう、わたしいつも声、震えていた。。それは、注目されるのが怖いから。注目されたら、いじめられるんじゃないかって、昔の体験から思ってる。でも、声が震えることに気づいてしまってからは、なんと、声が震えなくなった。ここも少しずつ変化していっているのだと思う。わたしは、心の底から、人を求めていたことに気づいてしまった。人を怖れていつつも、心の底から求めていた。わたしは、わたしで在りたかった。でも、わたしが、わたしで在るためには、今まで近づくことを怖れていた相手、人の、そばにいかなければならなかった。なぜなら、人が、わたしを見てくれなければ、わたしに触れてくれなければ、わたしがここにいるんだって、見えてこなかったから。みんながいて、わたしに触れてくれなければ、わたしはわたしという存在が浮かび上がってこなかったんだ。そのことに気がついた。今まで、人が、わたしを求めてくれることを、嬉しく思っていた。求めてくれて、ありがとう、と。。でも違ったんだ。わたしが、みんなを求めていたんだ。そっちの気持ちのほうが強かった。みんながわたしを求めていたんじゃない、わたしのほうこそ、みんなを強く求めていたんだ。そして、わたしが強く求めた、その気持ちに対して、わたしを求めにきてくれる、仲間に、感謝の気持ちがあふれてとまらなくなって、わたしは号泣した。みんな、わたしを求めてくれてありがとう。わたしと出逢ってくれてありがとう。みんながいることで、わたしはわたしで在ることができる。“今、ここに、在る”ということ。それは、わたし一人では、できないんだ。“今、ここに、在る”体験、ヴィヴェンシアを感じるためには、みんなの存在が不可欠だったんだ。わたしは、自分の人を怖れる気持ちよりも、自分の人を求める気持ちの強さと、美しさとに気づいてしまったら、求める気持ちにはもう、抗えないでいる。それがわたしの、ヴィヴェンシアという体験。わたしがどんなに失敗しても、わたしがわたしらしくいられなかったとしても、そして、それによって誰かを侵害したことが、万が一あったとしても、それでもみんな、わたしを受け入れてくれている。失敗も、できないことも、欠点もふくめて、全部わたしを丸ごと受け入れてくれている。わたしは、愛されているんだ、それを感じた。そしてわたしも、人の失敗を、できないことも、欠点も、不器用さも、受け入れつつあって、それも含めて、丸ごと愛しているんだって、そう感じ始めるようになった。どんな人も美しい。わたしが怖い、と思っていたことは、幻想だった。どんな人も、その人なりに戸惑いながら、でも、その人らしく、ただ在ること、“今、ここに、在る”ことにチャレンジをしている。みんなが、わたしを受け入れてくれたから、わたしは、どんな自分も受け入れていけそうだ。そして、みんながどんなであっても、受け入れていけそうだ。これはとても素敵なことだ。最高に、素敵なことかも、しれない。
2008.01.30
すみませ~ん・・・いえあの、みんなにあやまっているわけでなくってですね。。上の人(ガイド)にです。。わたしの一番の悪い癖。それは、重要そうなことから、“後回し”にしてしまうこと。重要であればあるほど、丁寧に、完璧にやろうとしすぎて、そうすると気持ちが重くなって、後回しになってしまう・・という。。やらなきゃいけないな~と思いつつ、やっていないことって、いっぱいあってですね。。いいかげん、尻たたきどころか、会話してると、厳しめに言われてしまいます。。わたし、あんまり上の人と、そういう会話したことがないので、厳しめに言われることも、叱られることも、あんまりいやな感じもしないんです。。なんか、叱られてちょっと嬉しいみたいな。。(マゾ??)それはさておき、そんなわけで、なんとか少しずつ手をつけていっています。それで、その一つ。2/24(日)に、【リーディング&チャネリング 1dayワークショップ】を開催します。カードリーディングのワークショップを定期的に行っていましたが、みんな、チャネリングに興味があるとおっしゃいます。わたし自身、チャネリングは誰にも教わらず、日々、不要なものを手放していく中で上達していったものなので、どうやったら教えられるかわからない・・と思っていたのですが、最近のセッションで、チャネリングの方法をお教えするということをしたら、なんだか見えてきました。それで、さっそく開催することにしました。詳細はこちらです。http://plaza.rakuten.co.jp/iiikuuu/12000定員は少人数でじっくりやりたいので、6名までです。現在、2名様までお申し込みをいただいていますので、あと4名になります。チャネリングするにあたって、いろいろな考え方、取り組み方を、今まで自分で学んで得てきました。それらをお教えしようと思うと、けっこうなボリュームです。内容を書いているうちに、ずいぶんとてんこもりになってしまいましたが、ガイドに、“力の出し惜しみをするな、できることを全部やれ”といわれたので、思い切って、どんどんもりこんでいきました。その分と、少人数制にしたことで、料金が少し高くなってしまいましたが、でも、上の人に、自分の価値を、自分で低くするな・・と。。できることを全部やる、ということは、そういうことなんですよね。。なるべく多くの人に、という思いもあるので、そのあたり、葛藤がありますが、他の部分で折り合いをつけていきたいな、と思っています。さてさて、てらちゃんと共同開催の、【自分の体と心の声を聴く】瞑想会、第四弾は、一番満月に近い時間、2/20(水)の夜に行います。今までの瞑想は、センターを感じる、不要なものを手放す、といった、シンプルなものでしたが、今回は、後半、“宇宙と繋がる”という瞑想をしたいと思います。満月パワーも満ちていて、たくさんエネルギーを受け取っていかれると思います。宇宙と一体化する瞑想を行うことで、自分のエネルギーを増幅させたり、取り戻すことができるようになっています。詳細はこちらhttp://plaza.rakuten.co.jp/iiikuuu/10000よろしければ、いらしてくださいね♪こちらから、みなさんのガイドに、みなさんが瞑想にきちんと入れるよう、サポートを依頼するガイダンスを行っています。また、瞑想するための場づくりも、しっかり行っていますので、普段よりも、瞑想に入りやすく、また瞑想に入る感覚というのを、得ていただけると思います。他にもいろいろと、企画をねっているものがあります。。お楽しみに。。(あぁ、尻たたきがぁぁ~~~。。。がんばります)そんな日々ですが、とってもハッピーなこともありました。というか、尻たたきも、楽しんでいるんですけどね!!ビオダンサで、“自分自身であるということ”、自分を生きる、表現する、ということ、センタリングすること、ハートを開くということ、自分を明け渡すということ・・それらの感覚が、体でわかってから、わたしはとても自由になっていっています。本当に、あるがままのわたしを認めつつあって、焦らなくなったし、今までだめだとおもっていたことが、全然問題なくなっていって、ある友人と、普通に会話をしていたとき、その友人は、「執着がないんだね」と表現してくれて、そうか、これが執着を手放した状態なのか~、と感じました。宇宙を信頼することそれは自分を信頼することそれが、深い部分で、よりできるようになっていっているのを感じます。わたしは、わたしの深いところまでひっくるめて、自分のいいもわるいも全部、受け入れ、認めつつあるから、だから、このような嬉しいことがおこってきたんだな、と気づきました。思い返せば、これは、20代のころから求めていたことだったかもしれません。そのときから、ずっと願っていたことが、今やっと、やってきた、そんな感じがしています。ここまできた自分を褒めたいです。ここまでの道のりは、けっして簡単ではなかったな~。。だけど、その分、歓び、幸せ、嬉しさも、ひとしおです。ありがとう
2008.01.30
先日、かわいらしいお客様がいらしてくださいました。オリジナル・ヒーリングをお申し込みくださったのですが、なんと、高校生!!今までのセッションを受けてくださった方の中で、最年少でした。^^*(この話を書かせていただくことは、クライアントさんから許可を頂きました♪)オリジナル・ヒーリングのセッションは、4万円からで、安いものではありません。。それでも彼女はお申し込みくださいました。実際、セッション代は事前振込みなので、事前にいただいてはいたのですが、思わず、いらしてから最初に、「すみませんが、お金のことについて聞いてもいいですか?」と、おもわずお伺いしたことがあります。それは、このお金はどこから捻出したものか、ということでした。なんとなくそうかな~とは思っていましたが、彼女からのかわいらしい答えは、「お年玉」ということでした。実は彼女からお申し込みいただいたときから、考えていたことでしたが、それは、お金を違う形で、エネルギー交換をするということ。早い話が、セッション代の一部を、わたしが受け取るのではなく、彼女が違う形で、わたし以外のところへ、なにかの労働をすることで、エネルギー交換のバランスをとるのはどうか、という提案でした。彼女にさっそくその提案をし、セッション後にもう一度、二人で話したところ、彼女は快諾してくれました。わたしから、セッション代の一部、1万円をお返しして、彼女はこれから一ヶ月間毎日、ゴミ拾いをする、ということ。そういったお約束をして、エネルギー交換のバランスをとることにしたんです。彼女に、この話をブログで書いてもいいでしょうかと、確認のメールを送ったところ、その何日か前には、東京では雪がふるほどの寒さだったのに、彼女は、あれから毎朝、朝日が綺麗に見える土手に行って、そこに流れ着いた大量のゴミをひろっています、との報告をくれました。今では朝日を見ることが楽しみで、間に合わなそうになってしまった日は、かけてまで行くようになっているとのこと。^^*素敵な、朝日の写真つきで、メールをくれました。彼女の、その体験から得られる、素敵な光を、たくさん吸収している、ぴかぴかな姿を、メールを通して感じて、わたしのほうこそ、素敵な提案を受けてくださった彼女に、心から感謝しました。彼女の、素直で、クリアな、清純な感性に、わたしのほうが、刺激を受けたくらいです。もともと、この提案をさせてもらったのは、エネルギーの交換は、なにも、クライアントさんとわたしの間だけでなくとも、他に還元することでも、成り立つと考えいて、それを、なにかの形で行いたいな~と思っていたからでした。わたしが受け取らなくても、すべてはひとつ、宇宙はひとつだから、受けてくださった方が、わたしではなく、他の部分へ、還元することで、エネルギー交換の環はできるんですよね。そういった機会をあたえてくださって、感謝しています。結果的に、彼女とのやりとりは、実際のエネルギー交換のあらたな試み以外の部分でも、たくさんものを頂きました。^^*ありがとうございます。
2008.01.27
最近、自分の特質、性質を受け入れ、それを理解してから、人と比べたりして、嫉妬したり、焦ったり、落ち込むことがなくなってきました。相手がどんなことをしてても、それはわたしにとっては違うこと、望んでいないこと、とわかれば、変に思うこともなくなってくるんですね。。にしても、うーん、と、苦労しているのは、“ゼロから一を産み出す”という自分の性質かもしれません。全部、一人でやりたい。。今まで人を頼ろうと思って、誰かに助けを求めたり、協力をあおいだこともありますが、・・振り返ってみて、俯瞰して、眺めて、考えてみたら、わたし、どうもサポートを望んでない・・(-_-)とやっと気づき、自分の深い部分や、魂がそう思っているのが今はもうわかるので、仕方ない、一人で取り組むか~と思ってやっています。おととしの10月の半ばで、派遣OLのお仕事をやめていらい、他のお仕事をすることなく、ヒーラーとしてずっと活動してきていますが、まわりからみたら、順風満帆にみえることも、本人の内側では、けっしてそうでないことはたくさんあります。経済、お金にたいする自分の思い込みや不安、怖れ、自分の力量に対する不安、自分を信じるということ、宇宙を信じるということ、それらのチャレンジを、ずーっとずーっとしてきました。それは、わたしが、自分でやろう、と決めたから、起こってきたことなのですが、順風満帆だということではなく、ただ、それらの不要な思い込みや不安や怖れと向かい合い、克服していく、ということを決めて、ただ行ってきた、その結果が、他のお仕事をすることなく、ヒーラーとしてだけの活動を行うことができた、ということになったと思うんですよね。そして、ヒーラーとしての活動をするために、最初から指針があったわけでもなく、メニュー作りや料金をどうするか?など、そういった現実的な、企画とか運営っていうことになるんでしょうか、それらをやっぱりほぼ一人で、そして真剣に考えてやってきました。わたしにとって、そういった現実的な、企画、運営の部分は、正直いってそんなに得意な分野では決してありません。でもまわりから見たら、わたしの内側のプロセスは見えず、結果だけ見えるから、できるよね~ってことになるのでしょうね。ゼロから一を産み出したい、という魂の希望があるわたしは、バックの強いサポートがあるわけでもなく、ただひとりで、やってみて、ああじゃない、こうじゃないって気づいて、それでまた作り直して、という、一人でのトライ・アンド・エラーの繰り返しをしてきました。“カルマの意味”についての日記でも書きましたが、カルマによる、方向性の指針もなく、自由にやること、一人でやること、そういったテーマを持っているわたしは、いきなり自由にっていわれてもわからない~そしたら、とりあえずやってみなきゃわからないか・・と、とりあえずやってみる、そんな状態なんですね。^^;;そして今、いろんなことが、アイデアとして、自分の内側にわいてきているのですが、それがどうもなかなか、表に形としてあらわしていくところで、うんうん言っている感じです。。これをどうやったら形にできるのか???自分の中のアイデアと、最終形はみえているのだけど、その間の道が???っていう感じです。。でも、今までもやってきたように、とにかく、やってみて、トライ・アンド・エラーですすんでいくしかないんだよな、と、そう思っています。自分の中に、動きたいエネルギーのかたまりがあるのはわかっているのですが、それを上手くわりあてられないために、消化不良というか、違う方向で、エネルギーを消化しようとしているので、あ~、これを解消するには、本来の部分でエネルギーをきちんと使ってあげないと・・と思っています。。うううーーーこれが産みの苦しみ、ってやつですか??^^;;
2008.01.27
サイキック・プロテクションという技術を教わって以来、ずーっと、自分を護るということ、プロテクションの重要性や必要性を感じています。この技術を、わたしは去年の8月に習いましたが、それからずーっと、この技術による自分自身の成長、変化を感じ続けています。プロテクションといっても、跳ね返すものではない、という風に、いつも説明しているのですが、これは、自分で自分のことを護る、ということを、オーラとエネルギーを使うことによって、こころが学んでいける、その学びをサポートしてくれるものなんですね。だから、プロテクションといっても、鋼鉄の壁のように、笑なんでも跳ね返してしまうようなものではないし、完璧なものではないのです。完璧でないというのは、どういうことかというと、自分が望んでいないものであっても、入ることを許すものははいってきてしまうんですね。でも、プロテクションの技術を知っているときと、知っていないときの、大きな差は、自分が入ることを許すものは、はいってきてしまうものの、“自分が望んでいないものが、自分以外のものがはいってきている”とわかるようになる、ということなんです。完璧でないのが、わたしは好きなところなんですが、なぜかっていうと、自分が自分で、学んでいける機会がきちんとある、ということだからです。自分の望んでいないもの、自分以外のものが入ってきている、とわかるようになったら、それを入ってくることを許すのか許さないのか、自分で選べるようになります。なぜ、自分で自分のことが護れないのかというと、自分が望んでいないもの、自分以外のものが入ってきていると、わからないから、なんです。わかったら、意外と早く、選択がしなおせます。そうして、自分のことを護る、という選択が、どんどんしていけるんですね。自分以外のもの、自分が望んでいないものに対して、きちんとNoがいえること。それが自分を護れるということ。^^*そして、この技術の素晴らしいところは、跳ね返すものではない、と書きましたが、外から来ているものに対して、“愛”のエネルギーを与えていくので、外から来ている、自分以外のものも、満足して帰っていく、というところなんです。自分も心地よくなっていくし、周りや相手も、どんどん心地よくなっていく、どちら側であったとしても、いい状態になっていける、ということなんです。自分を護る、ということに対して、いろいろ最近思うことがたくさんあります。境界線(バンダリ)のこと、ハートを開くということ。。最近、ビオダンサというダンスワークに通っていますが、これは、自分を護るということを、教えてくれるワークだなぁということ。プロテクションの技術をおにょさんから教わったときに、おにょさんがスーパーバイズをされている、プレイセラピー(遊戯療法)についての話を聞きました。プレイセラピーは、遊びを通じて、言葉を使わず、セラピストは自分のバンダリを護ることを通じて、相手(子ども)のバンダリを護ってあげる、ということをしていきます、と説明してくれました。ビオダンサも、踊りで、言葉を使いません。体を使いながら、バンダリを護るということを学んで行く、プレイセラピーと同じ質のものだな、と感じました。自分が自分であるために、今ここにいる、ということのためにも、自分が自分を護れるということ、プロテクションできる、ということは、ものすごく大切だと、毎日すごしながら、感じています。サイキック・プロテクションは、自分がそのように惚れた(笑)技術だったので、おにょさんから、イニシエーターの伝授も受けたので、これをご自身で使っていけるように、お伝えすることが可能です。http://plaza.rakuten.co.jp/iiikuuu/9000まずは、プロテクションってどういう状態か、体験してみたい、という方は、1回5,000円でお掛けしていますので、ご連絡ください。1回で、状況にもよりますがだいたい1週間持ちます。いろんな人が、自分自身を取り戻して行くサポートをすること、それは、わたしの魂の誓願です。★*:.,.:。.*・゜☆:.,.:*:.,.★*:.,.:。.*・゜☆:.,.:*:.,.★毎月行っている、瞑想会、次回の日程が確定しました♪2/20(水)の夜に行います。詳しくはこちらをごらんください。http://plaza.rakuten.co.jp/iiikuuu/10000
2008.01.25
19,20,21日と、ビオダンサ漬けで、ものすごい変容と解放がありました。。肉体はすごく疲れていて、睡眠を欲しているし、寝ているけどまだ寝たりない。。肉体の回復にはもうすこしゆるやかに時間がかかりそう。でもそのけだるさも、心地よいです。だって、気持ちはすごく軽いから。もーなあーんにもないーって感じが近いかも。あれだね、すっごい解放したもんだから、ぽけ~っとしてます。肉体の疲れは、そのこころの変化を、受け止めるための、大切な疲れで、これを無理に早く回復させようとすると、それはまた違ったものになってしまう。こころの変化は一瞬でも、体は三次元のものだから、ゆっくり変化していく。今はそのタイムラグを埋めている、大事な時間。こういった時間を、大事な時間なんだと、大切できるようになったことはとっても大きい。だからね、今はあんまり頭が働いていないです。笑いろいろ動きたいこととか、ビオダンサで感じたことをまとめたりしたいとか、あるんだけど、この調整の時間を、今は大事に過ごします。でもひとつだけ。。この三日間のビオダンサのクラスで気がついた、本当に、わたしにとって、大きくって、大切なこと。。それは。。わたしは、人を怖れていたけれども、一番、人を欲していたんだ、ってこと。わたしは、わたしひとりでは、わたしって何者かってわからない。。みんなが、わたしと出逢って、わたしと触れ合ってくれることで、“わたし”っていう存在の輪郭が浮かび上がってくる。みんながいなくては、“わたし”という存在もないものになってしまう。みんなが、わたしを求めて、欲してくれているから、出逢ったんじゃなくって、わたしのほうこそ、みんなを、心から求めて、欲していたんだ、って。だから、みんなと出逢ったんだって。。どんな人との出逢いも、いやだな~って思った人でも、いやな経験をした人との間でも、それは、わたしが、その人を、心から求めて、欲していたんだって。。そう気づいた。わたしは、みんながいないと、“わたし”で在れない。みんながいるから、“わたし”で居られる。これってすごいことだよね。みんながいなくっちゃ、わたしは幸せでないんだ。みんながいるから、わたしは幸せでいられる。ビオダンサだけじゃなくって、わたしと出逢ってくれた、すべての人に心から感謝します。わたしと出逢ってくれてありがとう。みんながいてくれるから、わたしはわたしでいられます。みんながいてくれるから、わたしは満たされて、幸せです。ありがとうありがとうありがとう
2008.01.23
今日は、ずーっと楽しみにしていた、ビオダンサのスクールがありました。スクール二期生になりました今日のテーマは、ビオダンサでも重要な、“ヴィヴェンシア”について。スペイン語でvivenciavivir (to live) + experiencia (experience) / in this instant here生きる 体験 のこと。今まさに、こここにある、という体験そのもの。わたしねぇ、最近気づいてしまったんだ。自分が心を開いていなかったことに。わたしって、自分を護ることで精一杯で、人のことを受け止める余裕がなかったんだ。自分にとって必要なものも、そうでないものも、すべてから影響を受けてしまいがちだったから、だから、受け入れるのが怖かったんだ。影響されやすい自分を護るためには、“相手から受け取らない”無意識のうちに、そういう選択をしていたことに気がついちゃった。影響されやすくって、それで、自分が今ここにいたときに、それを揺さぶられたり、否定されたり、そこから引きずりおろされたり、そんな経験をしているうちに、相手からのエネルギーを怖がるようになっていた。自分が自分であることを、許してもらえない。。だから、無意識のうちに、相手からかえってくるものを、避けて避けて、通ってきてしまったんだね。人は、一つのことにたいして、同じようにしか対処できない。相手からかえってくるものを怖がったとき、それが自分にとって必要なもの、いいものであっても、すべてをシャットアウトしてしまうことになる。そこでは選べない。あぁ、わたし、相手のこと見てなかった。相手から、受け取っていなかった。いろんな人が、今まで、わたしに投げかけてくれていたのに。わたしはそれをずっと、拒否してしまっていた。今までいろんな人と仲良くしてきて、そして恋人になった人もいた。でも、わたしは、その人たちが、わたしに向かってプレゼントしてくれていたものを、どれだけきちんと受け取ってこれたんだろう??ごめんなさい。。そして、ありがとう。わたし、やっと、心を開けるようになった気がする。自分が、心を開いていなかったと気づいたら、心を開くことができたよ。開いても怖くなかった。あー、開くってこんな風なんだ、って、今日踊りながらわかった。ヴィヴェンシア今ここにあるということ。人と踊っていても、つねに自分のセンターを感じながら、相手のエネルギーだけを感じるのではなくって、自分のセンターが望むように、自分のセンターがずれたときに、すぐ今、ここ、に在るようにして、そうしたら、自分はただ自分でいられた。それ自体が、心を開くっていうこと。自分を明け渡すっていうのは、今、ここに、在る、ということを感じるということだけなんだと思う。今、ここに、在る、ということだけを感じているとき、それは、それ以外のすべてのものを、手放しているんだ。それが、自分を明け渡しているということ。そしてそれは、心を開く、ということ。このところ、すごい至福感が自分のなかに、充満しているのだけど、今日さらに、それが、静かに、そして確実に、穏やかに、深く、広がった。スクールは、明日の二日目へと続く。明日はどんなヴィヴェンシアを感じられるかな。みんな出逢ってくれてありがとう。
2008.01.19
お友だちと話していて、わたしの誕生数33について、そういう数字をもつタイプの人は、“自分がわからない”ということを教えてもらい、おおきくうなづいたわたし。そう、わたしって自分のことがよくわからない。それってカルマのことともつながるな~とぼんやり考えていて思った。カルマって悪いものではなくて、貸し借りみたいなもの。カルマがないっていうことは、貸し借りがゼロの状態っていうのかな。まっさらに近い状態なのだと思ってます。福岡に在住のジュネシーンさんという、潜在意識リーディングをされる、有名な方にみていただいたときに、(今は一年待ちとか?? マイミクさんにいらっしゃいます)わたしの魂の質について、みてもらったことがあります。そのときに、「透明」と言われたんですよね。で、わたしは実はそのころにはなんとなく、カルマがないんじゃないかな~と思っていて、「カルマがないと感じているんですけれど、 それと関係していますか?」と聞いたら、「カルマがあったら、魂がこう透明であることは無理です」といわれて納得したのを覚えています。セッションをしていても、まわりの方たちをみていてもそうですが、過去生のブロックや、過去生でのカルマを持っているという方には、よく出会います。過去生の夢を続けて見させられたり、過去生のパターンを繰り返していることに気づいたり・・そういった話も聞きます。わたしは実は、スピリチュアルな力がはじめて顕現したときまで、まったくといっていいほど過去生を思い出したことはなく、なんでこんなことができるんだろう??と不思議でもありました。過去生からの記憶があって~とか、小さいころからこういうことをやっていて~とか、そういったことがまったくなく、自分の力がでてきたので、不思議だったんですね。それで、カルマをもっていると大変・・というイメージがつきがちですが、そのカルマというものから学びや気づきを受けると、そのカルマからのギフトというものがやってきて、それがプラスに転じていくさまを見るにつけ・・カルマがあると、得られるものも大きい、そう感じるようになりました。また、どこに自分の特性があるのか、カルマによって、それを明らかにもしてもらえるんですよね。カルマにフォーカスしていくと、そこでブロックされているもの、ブロックされているものというのは、本来の自分の特質でもあるので、解放されたときに、その特質、いい部分が前面にでてくるので、それがそのままその人の素晴らしい力になっていきます。わたしの場合、そういったものがないので、自分の特質というものが、すごくわかりにくい。。なんでもできる分、どうしていいかわからない、というような。おそらく、自分で創りあげていっていい、ということなんでしょうけれど、そのためには、自分をよくよく知っていないとできないんです。自分がなにを望んでいるのか?なにをしたら喜びで、嬉しいのか?それは、いちから、これだと思うものを体験、経験していくなかで、あれはちがう、これはそうだ、という風に、じっくり向かい合って探していくしかないんですね。少なくとも、わたしの今までの人生を振り返ってみたところ、まさにそのように進んできています。それに関しても、以前受けたセッションで伝えていただいたことと、すごく繋がってくるところがあります。わたしは、ゼロから一を産み出す力がある、といわれました。ゼロから産み出したくても、産み出す力のない人がいる。でもあなたはあるんだよ。といわれたこと。また、エリザベス・ニコルソンさんという、有名なチャネラーさんに魂の使命のリーディングをしてもらったときに、あなたはとてもおもしろい波動を持っている。スピリットにも生死というか、そういった切り替わりがあると、初めてみた(きいた)のだけれども、あなたはちょうどその境目にいて、生まれたばかりの新しいスピリット。だけれども、今までの古いスピリットの波動も持っていて、新しいスピリットの波動とふたつもっている。この新しいスピリットのテーマは、“マスターになること”。「マスターになるとはどういうことですか?」と質問したところ、「自分で自分のマスターになること」とこたえてくださいました。だから、うしろについている人(目に見えないガイドの存在です)も少なくって、アドバイスとかもあまりしてくれない、と。実際にそのとおり。そして、使命としては、“フリー(自由)”ということでした。新しいスピリットとして、たくさんのことを、自由に体験、経験していくこと。ということでした。カルマがないということは、ゼロから一を創りあげていくこと。これといった目標もなく(といったら変かもしれないけれど)その目標自体を自分で創りながら、自分がなにものか、なにをなしていくのか、といったことを構築していくこと、それがつまり、自分で自分のマスターになること、ということなのかなぁと。はづきさんという方がされている、誕生数秘学で33という数字をもっていると、生き方は極めてハードルが高いと書かれていました・・。http://www.jba-net.com/number/33.htmlカルマがあるっていうことは、方向性があるっていうこと。目指すものとか、目標とすることとか、課題とすること。でも、カルマがないっていうことは、その方向性すら、自分で導き出していくこと、なんだなぁと、今日考えていて、ふと気づいたのでした。こりゃ~たしかにハードルが高い生き方ですよ。。でもね、すごく納得なのです。わたしは小さいころから、なにかをさせられるのが好きではなかったし、机の上にしがみついて勉強するのって、大嫌いだったんです。笑それなら実際やって体験したほうが、早いじゃん、というタイプだったので、ものの説明書も読まず、とにかく使って覚えていくたちでした。習うよりなれろ、ですね。理論や理屈をまず知って、それからとりくむ、のって苦手だったわけです。理論や理屈をこえて、体験したかったんでしょうねぇ。カルマについてのあらたな見方を少しみつけて、おもしろいな~とおもったわたしでした。
2008.01.16
人と人が、きちんと顔を合わせて会うっていうことは、いろんなことがとっても早い☆やっぱり三次元において、きちんと顔を見て話すっていうのは、大事なんだな~と感じました。今日は久々に会うお友だちと、たくさんおしゃべりしました。会うことって、やっぱりパワーがいる。けれど、だからこそ動くものもたくさんあるのだな~と実感。たとえばそれは、三次元レベルだけでなく動くものもあるのだと。そして、なにより情報交換っていうのが、会うと早いんだな~って。人の噂より早いものはない、なんてなにかで言うけれども、ネットでの情報も早く出回るけど、だけど、本当に大事なことって、人伝えで伝わっていく気がする。としたら、やっぱり、今年のテーマにも上げた、人と会っていく、というのって、とっても大切なんだな~と、再確認。 ★*:.,.:。.*・゜☆:.,.:*:.,.★*:.,.:。.*・゜☆:.,.:*:.,.★最近あることに気づいた。わたしは、自分にとっても真摯だし、一生懸命。自分の闇やブロックを見つめて、解消していくことで、わたし自身がどんどんクリアになるし、結果的にはできるようになるワークも増えるし、わたし自身がただいるということだけで、周りに癒しを与えられるようになっていく、と感じているので、なによりもまず、自分をクリアにすること、というのを大事にしています。だけど、わたしはいかんせん、真面目すぎる☆というのが、玉にキズ生真面目ってやつですね。で、真面目すぎて、自分だけにとことんになりすぎると、周りが見えなくなっていくんでしょうね、他の人や、周りに対しての感謝がうすくなっていくんだな~ということに気づきました。自分のことを、なんだかそっけないところがある、と感じていることがあったんですが、それは謙虚でなくなるとか、感謝のこころがすくなくなるとか、そういったことだったんだな~と気づいてからは、あまり自分だけにこだわることはやめよう~と、思うようになり、今年のテーマにもあげた、“自分を超える”ということにまさしくぴったり、と思いながら、自分に対するこだわりをゆるめていっています。それでね、お恥ずかしながらここ最近は、毎晩、寝る前に、お布団の中で、いろんな人を思い浮かべて、ひとりひとりにありがとうを伝えて、最後は多くの人にむけて、ありがとうを伝えて、それから眠るようにしています。今までとことん、自分って言うものにこだわってきたからこそ、手放せるのかもしれないな~って思います。去年まで、充分したもの。だから、納得して、こころよく自分を手放して、自分を超えていこう~って、リラックスして、ぷわ~っと手を広げてる、っていう感じです。なかなかいいかも。
2008.01.15
あがったり、下がったり・・波はただそこにあるから、ゆられていれば、また上がり、また下がる、そしてまた上がる波の中でもがかないことそのままゆだねていればいい少し沈下してました。瞑想したり、たくさん眠ったりしてなじませてました。今日はいろんな夢を見て、起きたらすっきりしたな~という気分がやってきて、あぁ、終わったかな?と。実は、瞑想してみようと思っても、そこにフォーカスできなくって、もっと深い部分で動いていたみたいなので、なにが起こっているのか、よくわかっていなかったんだけど。。多分、龍遣い(龍族?)の過去生のときにあった、古ーい封印をがばばっと取った、そのあとのからだから、きっとそのときのなにかがいろいろ浮上してたんだと思うのだけど。アナンダカナンダセンターがうずいていたあとから、ちょうど真裏あたりにあたる、背中がずーっとしんどくって。それはMHK(円ヒーリング研究会)にいって、京都帰りの円のゆかちゃんにあって、どうもなんか反応したらしいんだけど。。わたしがあの過去生を見たのは、鎌倉の鶴岡八幡宮。あれは、てっきり鎌倉時代のことだと思ったけど、どうやら違う??ガイドによると、京都での過去生らしい。。鶴岡八幡宮と京都はつながりがあるよ、というので調べてみたら・・本当にでてきたーー!!鎌倉の鶴岡八幡宮は、源頼義が石清水八幡宮(あるいは壺井八幡宮)を勧請した鶴岡若宮にあり、源頼朝が幕府を開く際、鶴岡若宮を現在地に移し改めて石清水八幡宮を勧請したことを創始とする。それでわたしの中でなにかの反応が進んだってことみたい。。なんだか、急に食欲がわいたり、人間の欲求っていうのかなぁ、マインド的な部分でのものが、いっぱい浮上してきていた気がするなぁ。こういうときは、どうこうせず、ただ流すことに専念していればいいのだろうな。今年の具体的なやることも、ぼちぼち浮かび上がってきてます。。そして“循環”っていうテーマも。自分のことばかり考えてないで、人にどんどんわかちあっていかないと。一人で抱え込まず、みんなと手をつないでやっていかないと。。一対一の関係ではなくって、環の関係、それを構築していくこと。。それは人と人だけでなくって、人と自然とか、人と緑とか、人と環境とかも。。
2008.01.12
といっても写真はないのですが。。今日は、パスポートの申請に行って来ました。急ですが、来月たぶん、イギリスに行ってきます。スペインから帰ってきて、パスポートが切れてしまっていたので、あわてて申請に行きました。今日一日で必要な書類を集められて、無事申請できてよかったー。それで、パスポートセンターが入っている建物が、すっごく素敵だったんです。人工物ですが、ものすごく素敵な空間になっていて、ベンチなどがあったので、少しくつろいできました。わたしの好きな空間というのは、まず広いこと、水があること、自然の光が入ること、曲線があること、などの要素があるのですが、このほとんどがそこにはありました。人工のものであっても、バランスが整っているものは、すごく心地がいいです。エネルギー的な流れもとってもよくつくられていました。作った方は、そんなこと気にしていなかったかもしれませんが、ここの建築やデザインをされた方は、結果的には、そういうことがわかっているんだろうな~と思いました。またゆっくりしにいこう、と思わせてくれる場所でした。んー、幸せ。
2008.01.10
去年から、夢見がおもしろくなってきたのですが、今年もそれなりに夢を見ています。おもしろいのが、その日学んだことや知ったことを、夢で練習して、できた~♪っていうものをよく見るというもの。この間、『バシャール・スドウゲンキ』を読んでいて、その中に、バシャールの発声について、須藤元気さんが聞くという話がでてきました。バシャールの声の響き方は、特徴的らしいのですが、その音の響かせ方について、具体的に方法がのっていたんですね。(といってもおそらくだいぶ抽象的なんでしょうけど。笑)その日の夜見た夢は、夢の中でその発声方法をしていて、「できた~♪」こんな感じね~!というものでした。そういうワンシーンしか覚えていないんですけどね。この間は、1/7のビオダンサのクラスに、スプーン曲げで一躍有名になった、清田さんがいらっしゃったんですが、おわったあとのレストランで、そのときの意識の使い方について、とっても興味があったので、どういうふうにしているか、お伺いしました。それで、説明を聞いたのですが、その日の夜、また夢をみました。笑スプーンを曲げるほうではなくって、切るほうの練習してました。スプーンに線、亀裂が綺麗に入っていて、「もう少しでできる♪」っていう夢でした。夢で練習するんですよね~。夢でできるっていうことは(意識で行っている、意識の使い方がわかるってこと)、おそらく現実でもできるってことだから、マインド(顕在意識)が邪魔しない、夢で練習しているんでしょうね、きっと。夢っておもしろいです。あと、真剣に、このことについての答えを教えて!!といって眠ると、その答えとなる夢をちゃんと見させてくれます。試してみてください。もし答えとなる夢を見なかった場合、その質問は対して重要ではないか、あんまり真剣に悩んでいないか、ってことだと思います。夢も、現実も、シンクロも、瞑想(で受け取るビジョンなど)も、そのできごと(象徴)から、どう読み解くか?というのがポイントです。リーディングやチャネリングもそうですね。そのうち、象徴の読み解き方、についてもお伝えしていきたいと考えてます。これ、すっごいポイントなんですよ。顕在意識と潜在意識をむすぶっていうのかな。両方を生きるんです。ある意味、三次元と、高次元の世界を、三次元に居ながらにして、両方バランスよく生きる、ってことだと思います。これ、これからの時代に、必須となってくるものだと感じてます。わかってることは伝えていかなきゃ~と思ってます。去年の末から感じてますが、今年に入ってからも、めちゃめちゃ時間の流れが速くなってる。。必要のない概念、自分を縛っている考え、エゴ、マインド、そういったものが、もう今の場のエネルギーにあわないから、どんどん浮上しているんですよね。。向き合わざるをえなくなっているから、一見しんどい状態になっているかのようだけれども、実際はどんどん軽くなっていっているからこそ、浮上、現実化というか、目に見える形になってきてる、ってことだと思います。認識できれば、それを変えていかれるんですよね。今までは、認識できなかっただけで、なかったものがでてきてるわけじゃないのです。認識できる状態になっているということは、わたしたちが、そこからあらためて、自分の意志で選択しなおす、とうことができるということです。
2008.01.10
今日は午後、円のヒーリング研究会、MHKへ参加後、そのまま夜、てらちゃんとコラボ、四回目の瞑想会へ。今日は新月だったのですが、会の最中に新月を迎えるという、なんとも絶妙なタイミング。瞑想、体を動かす時間、瞑想、という内容になっているのですが、二回目の瞑想を始める、2,3分前にちょうど新月の時間になり、古いものを手放す瞑想・体の時間と、準備が整ったところで、2008年の新しい自分へ出会い、融合していくという瞑想となりました。今日は新月ということもあってか、やはりエネルギーが強い日でしたが、本当に新月過ぎてからの瞑想は、その前の瞑想と質が違っていたのを、しっかり感じることができて、これがまたおもしろかったです。新しい自分というのが、人それぞれで、シェアを聞いていて、とてもおもしろかったです。印象的だったのが、超具体的に人物像がでてきた人と、すごく抽象的なイメージだった人とに、おおまかにわかれていたこと。わたしは後者でした。具体的なイメージに落としていくと、やっぱり次元というか、波動が下がっていく感じになり、うーん、具体化はいつでもできるからいいのだな、と思って、もう一度、抽象的なイメージの自分まで引き上げて、そこでわたし自身を感じていました。来月は、2/20(水)夜に行う予定です。今度は新月ではなく、満月にからんだ瞑想会。満月は21(木)12:31に迎えますが、満ちに向かっていて、夜空に月が浮かんでいる20日に行う予定です。しっかり日が決まったら、またご案内しますね!そして、その後、残った何人かで食事をしていたのですが、そこでいろいろと盛り上がり、笑てらちゃんから誘われていた、フルハウスのイベント、(1/14(月・祝))ダンサーででる~~!!って宣言しちゃいました。その名も、“コズミックダンサー”!!そんな命名までしちゃいました。笑このところ、ヒーリングでのイベント出展はしておらず、自分のセッションを、どのようにイベントで提供していったらよいのか、形が見えていなかったのですが、思い切って、ダンスででちゃうことにしました。踊りをずっとやっていて、去年ビオダンサに出逢って、自由に体を動かすことの楽しさを知って、でも、やっぱり舞台への憧れ、つまり人に見せる踊りですね、それへの希望も自分が持っていることに気づいていて。やっぱり人に見せる踊りをしたいな~と思っていたのですが・・今年は新しいことにチャレンジすることに決めたので、思い切ってダンサーデビュー?!しちゃうことにしました♪宇宙語や最近できるようになった倍音などの、音のバイブレーションを使ったりしながら、宇宙やその場、音楽、自分と共鳴しながら体を動かす、コズミックダンサー(!!)として踊ってみようかな~と思ってます!!実はそのうち、ダンスワークもしたいと思ってます。今日は盛り上がった勢いで、“コズミックダンスワーク”をやる!!なんて、宣言してました。あっ、今日は新月だ。笑お願い届いちゃったかな~。笑この日はビオダンサのクラスがあるのですが、こちらのイベントで踊ることにしました。てらちゃんにもダンサー出演(笑)をこころよく了解をいただきました♪スペースがどの広さかわからないのですが、興味がある方いらっしゃったら、遊びに来てくださいませ。^^*それと今日のメモ。封印を解いたアナンダカナンダセンターのあたりが今日もうずいていました。。ちょうどその位置に、ヒマラヤ水晶のペンダントトップがくるから、あーそのせいか、と思いながら。。ガイドに対処法を聞くと、“肉体の波動のレベルを上げる”というようにおりてきたので、肉体全体の波動を持ち上げるようにすると、ぐわっとさらにうずきが強くなったので、おおお~反応している、と思いながら。。んー、なんだかこんな風に自分ワークするの、すっごく楽しい。。起こっていることは、しごく個人的なことなんだけど、こうしてフォーカスしてみて、いろいろ自分をいじってみるのって、実験君(笑)みたいですごく楽しくて、自分の様子チェックにはまってます。。
2008.01.08
昨日の夜、瞑想をしていました。なにか繋がるべきところというか、なにか知るべきものがあるような気がして、瞑想状態で、ガイドとコンタクトをとったり、なにか必要なビジョンを受け取ろうとしました。そこで受け取っていたのが、どうやら龍遣いだったときの過去生の記憶でした。以前、鎌倉八幡宮に行ったときに、龍遣いだったときの過去生などのビジョンや情報が、一気に降りてきて、“天と地をつなぐものよ”というメッセージを受け取っていましたが、このときは、エメラルドグリーンの綺麗な衣装をきて、赤い横笛を吹いて、龍をまとっていた日本の青年で、どうやらそのときの過去生の、小さいころからを見ていた気がします。天と地をつなぐというメッセージの符号は、昨年、たかこさんの倍音の演奏会で、龍笛を吹かれた矢加部さんと帰り道に話していたときに、龍笛は“天と地をつなぐ”ものだというお話をお伺いし、びっくりしたということがありました。この青年の小さいころから、龍と戯れていた姿などを見ていました。その龍は今もわたしの傍にいてくれているのですが、レムリアからずっと一緒にいる、大きな白い龍のようです。そして青年のあるときに、ハートの少し上のあたり、アナンダカナンダセンターに、ずどんっと、太くて大きなくさびに似た形をしたような、なにかを刺されたのか、打ち込まれたのかしたビジョンが見えて、それはさびついていて、かなり古ーいものだったようなのですが、思い切って、それを取ってしまいました。どうやらすごく古い封印だった気がします。その後、様々な悪意?を感じるような存在が浮かび上がってきて、でも怖れずに対話していき、ただただ向き合っていきました。少し怖くもあったのですが、でも怖れない!!と思って向かい合っていき、途中で、ガイドの存在たちに、これでいいか?と何度か確認したのですが、みんな一様に大丈夫、というので、そのように向かい合っていきました。その打ち込まれたものをとったあと、アナンダカナンダセンターがずいぶん反応していたので、ヒーリングしていたのだけれども、あとは時間をかけていけばなじむ、という感じがしてきたので、封印がとけきったのかは、よくわからなかったけれども、なんとなく一段落着いた感じがしたので、ガイドにも確認を取り、一応おしまいにしました。最後にその封印を解いた部分にフォーカスすると、“わらわを起こしたのは、誰じゃ・・”と眠そうな声で言われ、でもまったくネガティブなエネルギーは感じず、その存在が、自分の内側で目覚め、自分と少しずつなじんでいくようになるのを、そのとき感じました。封印も、取るのはちょっと早いかな~??と思いつつ、でも見えたものは取っちゃえー!!と思い切ってやっちゃったので、あーなんか起こしちゃったみたいだ、^^;と思いながらも、まぁ問題ないかな、と。なんかあっても、どうにかするからいいのだ、と、覚悟して取ったから、あとはなるようになるだけなのですが。封印を解いた後、出てきた存在がちょっとだけ怖かったのだけど、ひるまずに向き合っていったんですよね。でもどうやらそれは、お試しの関門?のようなものだったらしく。これからこれがどう変化していくかはわかりませんが、ちょっとおもしろい体験だったので、記録しておきました。今日は、踊り始め。年明け初の、ビオダンサクラスに行ってきました。^^*テーマはNew Beginningってことで、いいスタートが切っていかれたな~と思いました。やっぱり自由に体を動かすって、本当楽しいですし、わたしにはなくてはならないものです。ハッピー明日の夜、新月を迎えますが、新月のその最中に、瞑想会を行っています。まだお席大丈夫ですので、ご希望のかたいらっしゃったら、ご連絡下さい。^^*いい瞑想の時間を一緒に共有しましょうhttp://plaza.rakuten.co.jp/iiikuuu/10000
2008.01.07
やっと、内側にあった、その自分自身のパワーを、外に向けて、発信していくことができるようになってきた。。あぁ、長かった。。わたしがずーーーーーっと求めてきたのは、これだったんだな。。わたしは片付け・整理が苦手だった。荷物も置きっぱなし、不要なものがあっても、捨てる気になれなかった。ところが突然、これもあれもいらない、そう感じるようになった。今まで気にならなかった荷物が、邪魔に感じるようになった。それは、自分の内側が整理されたからだ。今まで、どうして整理できなかったかというと、自分に不要なものを執着で手放せなかったから。母に対して、自分が思い切りやっていこうと決めていったら、今まで不要に感じなかった、でも不要だったものが、ぱぱぱーっと目に入るようになって、思い切って捨てたりし始めている。今日も無印良品へ行ってきて、収納ケースだのなんだのを買って、押入れの中を整理し始めた。ちなみに、お休みの日はけっこう、内にこもることが本当に多くって、家から一歩も出ないとか、けっこう当たり前だった。それも、自分のパワーを外に出すことを許していなかったから。でももう、キーが見つかって、はまったと感じたら、家にいっぱなしなんて、いてもたってもいられなくなっちゃった。いい傾向。これでやっと、本当に外に向かっていける。去年は、自分を取り戻す、自分自身に還るってことをした年だったけど、今年は、自分であることは当然、当たり前の状態になって、そして、自分という枠すら超えるということに、チャレンジしていきたい。自分にこだわらないこと。外に向かわせることができてきたおかげで、今年の仕事の、具体的なものも見えてきた。やりたいこともどんどん見えてきた。今までどうしても腰が上がらなかったものが、よしって、本腰入れて行けそうだ。そんな今日はお仕事初め。エネルギーワークって本当におもしろい。最近は、どんなエネルギーを使っているかなんて、全然意識していなくて、ヒーリングを開始すると、自然とビジョンが浮かんできて、それらをリーディングしながら、でてくる気になるビジョン、(意味が深いものは、象徴がはっきりしているし、何度もでてくるし、ひっかかる)それにフォーカスしていくと、それがどんな意味を持っているかがわかり、それがわかると、そこへ必要なエネルギーが流れて、物事が自然と展開していく。つまり、解放や癒しや封印の解除が起こる。そうしてエネルギーワークがごく自然に行われていく。その中には、突拍子もないものもあったりして、その見えたものを話すときに、わたしは未だに躊躇してしまったりするのだけど、その見えたものにはこだわらずに、起こった結果、反応、を大切にして欲しいと思っていて、それもあわせて伝えています。わたしが決してすごい技術をもっているのでも、なにかのとんでもないパワーを持っているのでもなく、ごくごく自然に起こる反応であって(クライアントさんが求めているから)、それは技術によるものでも、パワーによるものでもなく、求めたことがただ起こるというだけだから。つまり、わたしの力は、求めるクライアントさんによって、様々に顕現しているだけ、ということ。自分にこだわっていなければ、パワーに、行うワークの種類、行うエネルギーの種類にこだわっていなければ、クライアントさんにあわせて、どんなものでも、出てくるということ。去年までは、わたしはすごくパワーにこだわっていた。なにができるかがすごく重要だととらえてしまっていたのね。それは違うってわかっていたけど、そこから解放されていなかった。でも、そこから解放されたら、逆に、どんなことでもできるなーって、自然に思うことができて、セッションでも、一般的には難しいと思われるようなことも、とっても自然に行っていたりする。わたしが意識して、気をつけて行っているのは、ヒーリングしながらビジョンが見えたときに、ん?と思ったり、なにかひっかかったり、ちょっとした印象をひくもの、なにか、ほんのちょっとした違うものを感じたときに、それを無視するのではなく、しっかりそこに向かってフォーカスするということ。それは本当に些細なことで、さらっと流すことも簡単にできてしまうようなもの。でもそれを、ん?と思ったその感覚をしっかりひろって、そこにフォーカスしていく。そうすると、そこから大切なものがみえてくるのです。ほんのちょっとのひっかかり、それを本当に大切にくみ上げていきます。そこに、解決のヒントはすべてつまっているから。性格上、ちょっと気になることも、まぁいいか、ってできないのですが、エネルギーワークを行っていくうえで、その感覚は、本当に大切なんだな~と最近よく思います。本当に、成長したなーって思います。おごりとかではなくって、しっかり、その方が求めることを、キャッチして、そのサポートができる自信がついてきました。自信がないーーってずーっと思ってたのに、これは大きな進歩だな~。わたしはずーっと自信がなかったんだ。でももう大丈夫かな。自信って、自分を知っているってことだと思うんですよね。やっと自分ってものを、きちんと知り始めたのかな。楽しいですね。それにとっても安心だし、どっしりしています。あーまた太くなった気がする。(身(実)ではありません・笑)やったー
2008.01.06
母という象徴から教わることはとっても多くって、感謝・感謝、です。気づきをたくさんプレゼントしてくれる。さて、去年のことをずっと振り返っていたんだけど、成長、助走の年だった。自分を取り戻し、自分に還り、自由になるための、いいことも、悪いことも、様々なできごとをひきよせた年。手放すべきものとつきあわされて、どんどん不要なものを手放した年だったから、つらくもあったけれども、どんどん軽くもなっていった。前半は、神秘体験といったものも多く、とてもわくわくし、楽しかったのだけれども、それに対する高揚の気持ちから、ゆさぶりや反動でのうつになることも多かった。2、3月からは、タロットカードでいう塔(タワー)の時期に入り、それが抜けてからは、存在に対する大元の怖れ、生存の恐怖といったもの、宇宙、すべてというものから、自分が切り離されているのではないか、拒否されているのではないか、という、存在の根本にたいする怖れと向かい合う時期に入った。それは、死と再生のプロセスでもあった。その後、自分の中でネガティブと思われる気持ちととことんつきあうこと、その底までいきつくことで、その闇の中にある光と自由を手にすることができた。今年は、より自由になっていくための年。自由を求めているくせに、すぐにちっちゃくまとまろうとしちゃうから、おびえずに、大胆にいくこと。去年の前半は、神秘体験から、気持ちの上がり下がりも多かったけど、今のわたしにはないものもあった。それは、知らないがゆえの、大胆さというか、無邪気さというか。その真っ直ぐな天真爛漫な思いは、なにかを動かす。今のわたしにはそれが足りなくなっている気がする。それらを邪魔するものと、去年、たくさん向かい合って手放してきたのだから、それはもういい気がする。そして、より自由になっていくために重要なのが、“リレーションシップ”“コミュニケーション”コミュニケーションにおいては、母との関係を整理して、きちんとエネルギー的に自立すること。そこに鍵がある。今まで外に出て行くのが怖かったし、今もまだその怖れが残っているんだけど、ここをクリアしないことには、ってところまできていて、それは母との関係を整理することで、できあがっていく気がしている。お仕事は、積み上げていく年にする。去年、様々なできごと通して得たものを活かして、それを人に還元していくこと。上に書いた、コミュニケーションもここに関わってくるから重要。去年よりも多くの人に出会っていって、変化・変容の場を提供すること。自由になることができる、ということを、わたしの姿勢・行動・お仕事を通じて、伝えていくこと。あとは、本当の意味で、大人になりたい。大人の女性になりたいと思う。子どもっぽくて、無邪気で純粋な部分はあっていいのだけど、自分のことばかりでなく、いい意味で人のことをきちんと思い遣れるような、大人の女性になりたい。まだまだ自分のことしか考えてないことが、いっぱいある。自分というものは失わずして、当たり前に自分であって、その上で、人のサポートができること。人や、世界や、宇宙に奉仕できるようになっていくこと。そういった意味での、自分のエゴは捨てていくこと。去年は、自分は何者か、という存在基盤と向き合ってきて、それを得てきたと思う。だから、もう、自分は何者か、というものを超えて、いろんなものを、この体で、体現・顕現していきたいと思う。自分がどうこあるっていうことを超えて、(それが当たり前の状態であって、次のステップへ)宇宙への一体感をただ目指していきたい。そしてわたしがミッションとして心に抱いていること。。それを実現させていくこと。それは、矛盾しているようだけど、自分のエゴを究極まで手放していって、宇宙と一体化していったときに、得られると思っている。具体的な目標いくつか。・いいパートナーシップをもつ・セッションルームを持つ・去年より多くの人に出会い、変化・変容の場を提供する・海外旅行をする・ダンスを続ける・したことのないことにチャレンジする・芸術に触れる時間を多くとる・仕事、新しいワーク・プログラムをしていく・仕事において、コラボの幅を広げるそんな感じかな~。^^*
2008.01.05
3日の帰り際に、なんとか母に、わたしの思っていることを言えた。わたしは、わたしの望む人と、望む関係を持っていきたいし、わたしの望むようにやっていく。結果的に、それがママを傷つけるような形になることもあるかもしれないけれども、これはわたしの人生だから、わたしの思うようにやっていく。わたしの人生は、わたしの責任だから、わたしの責任でもって、わたしがやっていく。そう宣言したのでした。これを言わなきゃ今年は始まらない、と思っていたのですが、それに対する母からの返答は、あやの意見はあやの意見、ママの意見はママの意見だから、これからもそれは言う、ということでした。宣言することはできたのだけど、その母の返答に、違和感を感じていました。いつものことなのだけど、わたしがなにかを言っても、母は全然聞いてくれない。受け止めてくれていないのがわかる。今回もそう。でも、理解してもらうことは手放しているので、これでいいのかな、と思っていたのですが、なんだかひっかかっている。考えてみると、母の言葉は、あなたの意見はあなたの意見であり、と表面上は言っているけれども、エネルギー的には、わたしを従わせたいというものを感じたからなのでした。全然納得してない。わたしはいろいろなできごとなどを伝えるとき、母が当然、反対意見だということを、わかっているわけです。だから、伝えることすら躊躇するわけですが、何も言わずに無視してやることもできます。でも、わたしの中で、それは無視にならないんですよね。それはわたしの中では、秘密になっちゃうんです。秘密じゃだめ。だから伝える。で、伝えるときには、母は納得しないだろう、反対意見だろう、ということは重々承知の上なわけです。母はそれに気づいているのか、いないのか?考えに考えて伝えていることであっても、伝えるときは、極力さらっと伝えるようにしているので、母は気づいていないのかもしれないし、気づいていても、わかっていないだけなのかもしれない。でも取り合えず、次に話すときは、それを伝えようと決めました。母が、反対意見だということはわかっていて、あえて言うのだと。わたしがすること、していることが、母の気持ちからしたら、Noであることは、最初からわかっている。意見なんか、聞かずとも、Noだとわかっている。それでもあえて言っているということ。それをどういう気持ちで言っているのか、それも伝えなければ、と思った。母に対して、Noと言い切れない自分。そこになにかのひっかかりを感じて、探っていっていたら。。ある本を読みながら、ふっと急に気づいたのは、今までわたしが付き合ってきた男性たちの、ある共通性。それは、みんな自由を求めていながら、それを強く抑圧している人たちで、わたしはその自由になりたい、という思いに惹かれて、近づいていくのだな、と気づいた。なぜならわたしも求めているから。わたしは、いままでお付き合いした男性の中にある、自由を求めるエネルギーに惹かれて、(自分の中にも同じようにあるから)でもなぜか、自由になりにいこうとするのではなく、その男性との関係性に、自らしばられにいったのだと気づいた。その関係性は、自由とは離れていってしまっていて、苦しくなったときに、わたしはいつも、その関係性にNoと言って、去っていっているのだな、と。自らしばられることを許し、求めている状態ではないと気づき、自由をもとめてNo!!!と言って、飛び出てきていた。そんな恋愛パターンに気がついた。そしてそれは、母の象徴からの影響による。母は、父にしばられにいっていた。父は厳しい人だったし、母はそれに従うことで、自分の自由を手放して、そのかわり苦痛を得て、でもそうしなければならないと思って、自らしばられにいっていた。わたしは父がなくなってから、父の役割をするようにもなった。それは母のために!!!しばられる対象のいなくなった母のために。。母は父がいなくなったことで、今度は、わたしという存在にしばられにきている。自分の自由を、相手に明け渡し、自分をしばることで、そして相手をしばる。自分が、自分の自由を手放して、犠牲になることで、相手も犠牲をはらわなければならないとばかりに。母は、大きな寂しさを抱えているのだということが、今ではよくよくわかる。わたしがNoと言って去ったら、母は、しがみつくものがなくなるから、いやがおうでも、その寂しさと向かい合わざるを得なくなるのでは?それがあることに気づき、向き合っていくことで、本当の癒しや、心の安定といったものは手に入っていくけれども、母の世代、そしていまこの年で、母にそのつらさと向きあうってことを、させるのは酷ではないか??と思っていた。だからNoと言い切れない自分がいて、母から離れることを、自分が許していなかったのだと気づいた。でも、わたし自身は、そのつらさと向き合うことで、自由や幸せを獲得してきた!!その機会を母に与えないということは、わたし自身が、母に自由を許していなかったということ!!母は、わたしという存在の鏡であるとして、自分に自由を許さないということは、母にも自由を許さない、というのと同じこと。母にNoと言ったら、母が苦しむと思っていたけれど、それが大きな間違いだった。相手をしばり、自分をしばるつらい状態から、母に、自由になる選択を与えることができる。母がまたべつの対象に、しばられられにいくか(苦しみをえらぶか)は、それは母の選択だ。それこそ、母の自由である。母にNoということで、母は自らの呪縛から手をひく選択ができるかもしれないし、できないかもしれない。少なくともわたしは、呪縛から解き放たれて、自由になれる。そうしたときに、わたしは初めて、男性と健全な関係を持てるかもしれない。母にとっての父の役割を卒業すると同時に。そして男性でなく、すべての人たちと、健全なコミュニケーションができるかもしれない、そう思った。これでまた、自由になるための、大きなキーを手にしたかな。そうしたら次は、それをちゃんと使わないと。もっているだけでは、だめなのだ。
2008.01.05
実家より帰ってきました~喪中なので、挨拶は失礼させていただくとして、実家に帰っている間は、携帯リードオンリーだったので、みなさんのところにも挨拶にいけずじまいで、失礼いたしました。今年もみなさん、どうぞよろしくお願いいたします。あなたにとって、お互いにとって、そして周りの人たちにとって、そして世界にとって、宇宙にとって、さらに素晴らしき一年になりますよう、お祈りしていますすべての存在にとって、よきことがたくさん起こりますように!!さて、年越しの瞬間は、うちで友だちとある話題について盛り上がって喋っているときに、気づいたら過ぎちゃってました・・笑しかもなんてくだらない話題なの・・って話でした。そんな年越しで初笑いしちゃったよ。^^;;翌日から実家に帰りました。母との関係について、年末も考えたばかりだったので、家に帰る前に、自分にしっかりプロテクションし、母にプロテクションしようとしたら、やめろーっていう存在がついていたので、癒して帰ってもらって、プロテクションして、実家に居る間、実家にはヒーリング・サンクチュアリを張っていました。そのお陰かもしれませんが、母のどんな言動から、自分が影響を受けて人格を形成したのか、自分の思い癖がどこからくるのかが、本当によく冷静に見えたと思います。それに対して、まだどう反応を返していいのかわからない自分がいますが、それが見えたということが、大きかったみたい。いかに、わたしは母に境界線を侵されてきていたか、そしてそれを許していたかが、帰省してよくわかりました。と、同時に、母もいつも自分を責めているのだろうなぁということと、母自身も、境界線を侵されてきていて、それを許していたのだろうな、ということもきれいに見えてきました。実は去年、付き合っていたパートナーを紹介したのですが、いろいろあったので、母はものすごく納得していませんでした。でも、別れたことをまだ話していなかったので、別れたことを伝えたうえで、わたしはこれから、自分の責任で、自分の望むことをやっていく、自分のために、自分の望むことを、望むようにやっていく、結果的に、それがママを傷つけることになることもあるかもしれないけれども、ママを悲しませないと思うのではなくって、わたしはわたしの人生だから、わたしが思うように、感じるようにやっていく。わたしの人生は、わたしの責任だから、わたしの責任でもって、わたしがやっていく、そうきちんと伝えることができました。今回の帰省では、それを必ず口にして伝えなければならない、と、決めていたので、伝えることができてよかったです。これを言わなければ、今年は綺麗に始まっていかない、とまで思っていたので、母からの返事はどうあれ、伝えることができてよかったです。母は、それに対して、あやはあやの意見、でもママはママの意見として、伝えるから、ということでした。イメージに向かって、テレパシーでNoと伝えたものの、その後、現実では、実在の人物に、しっかりNoと言うことっていうのが、でてきていたので、あぁ、やっぱりここを越えないと・・と思っていました。少しずつチャレンジしていかなければ・・と思っていたなかで、まず年の最初に、わたしにとって大きな存在である母に、しっかり自分の気持ちを伝え、母に宣言することは、わたしにとってとても重要だったのでした。そんなこんなで、楽しい~っていう帰省ではなかったのですが、今後、大きな意味を持っていくことになるはずと思っています。そんなで、友だちからお誘いがあったので、食事に行ってきました。いや~すごく感覚の合う人って、今までの出会いの中でも何人かいるけれども、感じているものや、もっている性質がすごく似ているので、そういう人と食事をしたり、おしゃべりをしたりするのはとても楽だし、楽しいな~と思いながら、時間を過ごしていました。そして食事をした後、時間があったので、またダーツへ連れて行きました。笑このところ、友人を次々とダーツへ連れて行っています。笑わたしはお酒が強くないのですが、(いつも飲んでも、1、2杯)食事したときに1杯、ダーツで2杯の合計3杯も珍しく飲み・・ゲームに夢中になっていたら、終電の10分前!!あわてて小走りで駅に向かったら、酔いがまわって、笑いい気分で、帰り道、ひとり歌を歌いながら(近所迷惑・笑)、ご帰宅いたしました。今年はどんな一年にしようかな~。。去年を振り返りながら、考えているところです。
2008.01.05
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