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阪神大震災から10年経って、テレビで随分特集をやっていたから、当時のことを思い出してしまった。そのうえスマトラ沖地震による津波の被害映像を見たなら、また想像を絶するほどの力を痛感する。こうした災害や事故などで九死に一生を得たりすると、人はそこに意味を見出したくなるようだ。偶然が重なって生き延びただけでも、超越的な力が働いたのだと思いたくなる。9.11で奇跡的な生還を果たした人は、インタビューで神のおかげだとしきりに繰り返していた。そういえば震災のとき、我が家は崩れ落ち、ばあちゃんは下敷きになってしまった。助けに行ってみると、ベッドのまわりにはほんのわずかなスペースができていて、ばあちゃんはそこにちょこりと座っていた。本当に人ひとり座っているのがやっとなほどのスペースだ。ばあちゃんは無傷で生還した。それ以来、親戚の間では奇跡のベッドとして語り継がれ、被災の見舞いに来てくれた人たちは皆そのベッドを見学したものだ…。ばぁちゃんは観音さんを信仰していたので、観音さんのおかげということで話しは結ばれた。けれどクリスチャンだったら、やっぱりヤハベーさんのおかげということになるのだろうし、ヒンドゥー教徒ならシバ神?あるいはクリシュナ神?のおかげにでもするのだろう。いま流行ならニューエイジな意味を付けるだろう。どんな意味を付けようと、やってることは同じだ。「誰かが面倒を見ていてくれているにちがいない」というものだ。ひとつジョークを思い出した。ある金魚鉢のなかでの話し。深刻な若い金魚が、経験ある年老いた金魚にたずねた。「お願いです!教えてください。神さまは本当にいるのですか?」年老いた金魚はじろりと若い金魚をにらむとこう言った。「神さまがいるかだって?いるに決まってるだろ!でなきゃ毎日誰がえさを落としたり、水を換えたりするっていうんだ?」でも死んでしまった人たちについてはどうなるのだ。誰も面倒を見てくれなかったのか?信仰が足りなかったのか?運命だったのか?神の思し召し?あの震災の前夜、自分が朝には死んでしまっているなんて誰も思いはしなかっただろう。誰もがいつもと同じように明日のことを考えながら眠りについたのだ。僕の知るかぎり、生き残った自分と死んでしまった人たちとの境界はそれほどない。僕だってあっち側にいたかもしれないのだ。それを自分だけは大丈夫などと考えるのは「正常化の偏見」ではないだろうか。さまざまな偶然によって助かった人がいる一方で、さまざまな偶然によって死んでしまった人たちもいるだろう。死んでしまった人たちの声を聞くことはない。聞くのはいつも生き残った人たちの声だ。命はまるで薄氷を踏んで歩んでいるにすぎないということを完全に自覚したなら、おのずと生き方もちがってくるだろう。メメント・モーリ―死を想起せよ。そうすることで偽りを落とし、本物の生を生きはじめたなら、そのときはじめて意味があったと言えるのかもしれない。
2005/01/22
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年末年始は持ち前のテレビっ子ぶりを発揮して、ずいぶんとテレビを見ていた。壬生義士伝を見ては涙を流し、格闘技では熱くなり、お笑いを見ては笑っていた。NHK新春トークにチョムスキー先生が出ているのを見逃すという残念なこともあった。さて、この数年来オーディオの調子が悪い。阪神大震災をともに生き延びたオーディオ君だが、それ以来CDの調子が悪く、音が飛んだり、リードするのにとても時間がかかったりする。修理に出すも直らず、そのまま使いつづけてきたのだが、症状はますますひどくなる一方。瞑想のときにCDを使おうものなら音が飛びまくり、クンダリーニの第一ステージなど、気がつくと20分もかかってしまう始末。カセットもおかしく、テープを取り出すことができなくなって、無理やりカセットカバーをめくり割って取り出してしまった。こんなんじゃ音楽も聞けないけれど、ビデオにつないでサラウンドにしているので捨ててしまうには惜しい。そこで浮上したアイデアは、DVD HDDレコーダーを買うことだ。それなら、CDも聞けるし、レンタルDVDを見ることもできる。そして検討に検討を重ねた結果、ついにPSXを購入した。いや~おもしろいですな~!すご録機能を使えば、かってにお気に入りの番組を録っておいてくれるし、音楽をHDDに入れておけばジュークボックスに使えるし(ちとヴィジュアライザーがダサいけど…)写真を入れておけば、自動でBGMつきのイメージアルバムをつくってくれるし、その気になればPSのゲームも楽しめる。(メタルギアでも…やってみる?)いちいちパソコンを立ち上げる必要もないし、お手軽でたいへんよろしい。とても満足なのだけれど、ビデオやオーディオともつながなければならないので、配線がなかなか複雑である。しかもオーディオ出力にはデジタルケーブルがあてられているので、僕の年寄りオーディオ君にはデジタル入力なんてありません!そして昨日、遅い昼ごはんを食べはじめたとき、テレビをぼんやり見つめながら配線のことを考えていた。すると手にとったはずの赤いきつねのカップがたわみ、そのままあぐらをかいた足の上にざぶりとぶっかかってしまった。一瞬「?」分厚めの靴下をはいていたので熱くない。けれどすぐにあっつあつのかつおだしが靴下の中にしみこんできた。「あっつぅ~っ!!( ゚Д゚)」一度しみこんだおつゆの熱さがなくなる気配はない。すぐに靴下をぬいで風呂場に駆け込む。冷水をじゃぶじゃぶとかける。「痛っ~!!」見るとすでに皮が一部めくれている。その場にいなかった彼女は、どうせたいしたことはないものと高をくくっていたので、じゅうたんにうどんをぶちまけたのを見て少し怒っている。それどころじゃないのに不満を言われてこっちも悲しいやら腹が立つやら…。見る見る水ぶくれがふくらんできて、見るも無残なお姿に…彼女もようやく事態の深刻さに気づいて、いきなり慌てはじめる。とりあえず応急処置をすませて、病院を調べて病院にいって手当てを受けた。足首は包帯でぐるぐる巻きになってしまった。治るまでにはしばらくかかりそうだ。でもそんなに痕にはならないのじゃないかな~?応急処置もちゃんとしたし。そんなこんなで連休は家にいることに…温泉行きたかったのに。ぼんやりしすぎましたわい。(;_;)
2005/01/09
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明けましておめでとうございます。今年最初の日記になります。数秘術でいうと、今年から僕は新しい周期に入る。数字でいうと9。その波動は手放し、慈悲。この周期では、自分のしがみついているものを手放すことになるという。今の時点でも、僕はすでにそんな気がしているし、手放したがっている。そうして、もっと楽に、自由に生きられる気がしている。もうそこに見えているのに、まだはっきりとはしていないような感じだ。もどかしくもあり、楽しみでもある。チャレンジ4の後の3だからだろうか。開放感もひとしおだ。ビジェイさんのページで占えます!
2005/01/07
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