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自然体で無理がなく あるがままにを受け入れて 今自分にできることを臆することなく 誰に咎められることもない。 常にこうじゃなきゃ。 ちゃんとしなきゃ。 といきがって 見栄を張って そうしないといけないかのように 全ては自分の思い込み もっと気楽でいいのに 楽しめばいいのに 自分の持っている気質は そうそう変わらないけど 考え方や姿勢は変えられる。 等身大の自分を受け入れることは 恥ずかしいことでも何でもない。 所詮私は私でしかないもの。 もういろんなことに無理をするのは やめよう。 自分が感じること したいことに対して丁寧に 目を向けよう。
2020年07月24日
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あけましておめでとうございます。 2020年の幕開けですね。 私ごとですが今年でブログを開設して 10周年になります。 長いようで早かった10年でした。 日々の感情を思いのまま綴ってきましたが しばらく遠のいてしまっていて こうして文章にしたいという気持ちが薄れてきたというか、整理できてないグチャグチャな思いを棚上げできるようになったのかなと思います。 何とか元気で忙しく過ごしています。 今年は50代最後の年 今まで、きちんと向き合ってこなかった事に 自分なりに納得いくように面倒なことから 目をそらせる事なく丁寧に向き合っていきたいと思います。 その場その場でどんな答えが返ってくるかわからないけど、それに対して恐れることなく 傲ることなく、ただ自分がどういう思いになったのかを探り続けていきたいと思います。 そしていつものことながら親しい人ほど境界線をしっかり持って、相手の気持ちに添えれるように なれたらと思っています。 今年もどうぞよろしくお願いします。
2020年01月01日
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職場の方の犬が亡くなった。 フェイスブックにあげているのを 見て2年前のワンちゃんの動画をあげていて 切なくて胸がいっぱいになった。 16才と7ヶ月いくら長生きしたとはいえ 心の中のポッカリ空いた穴はおおきい。 と言う。 命はいつかは尽きる。 こうして動物たちが教えてくれる。 今に焦点を当てて今を生きなきゃいけないよ! 過去や未来のことを案じずに 今をどう生きるか。 今何ができるか。 生きていくということは次々と いろんな試練がやってきて、そうそう容易いものではないけど、生かされていることに感謝をして 日々を過ごしていけたらなあって思う。
2019年12月30日
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ここ2ヶ月ほど、家の事や仕事の事で 何かと休まることがなく、精神的にも 肉体的にも疲れ果てていました。 こんなはずはないと奮い立たせては頑張るんだけど、腰の痛み、膝の痛み、肩の痛みはいっこうに 改善されず、そうなるとやる気も思考力もなくなり、使命感と役割を果たすためだけに 動いていたがいっきに気が抜け 張り詰めていたものがプッツリと切れた感じ。 里帰り出産で娘が帰っていた。 孫とかかわることも楽しみにしていたし 嬉しいこと。 楽しみたいと思っていたのに からだが言うこときかなくて情けなくなる。 そんな中、職場ではなかなか理解してもらえず 自分では他の人に迷惑をかけないよう短時間の 勤務でも頑張っていたが陰口や中傷を耳にし 悲しくなってくる。 いくらパートとはいえ甘くはないと 改めて痛感させられた。 娘達も帰りひと段落ついた昨日 以前から通っていた整体に行ってきた。 先生は肩甲骨も腰もガチガチだと ほぐして頂き、なんか心も体もスッキリし 人の優しさに触れる事で体が楽になるんだと それと先生の一所懸命さが伝わり 随分癒されました。 今日は小雨が降る中、買い物にも出られています。 また、頑張ろうという気持ちになれました。
2019年06月02日
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4年ほど前から母が認知症になり 日常のことができなくなり、新しいことが覚えられなくなって何度も同じ言葉を繰り返すようになった。 認知症になる前には、正気で子供や孫達と別れるのは辛いからボケた方がマシや。 って気弱いことを言っていたが まだ私たちのことはわかる。 母はずっと動き回って父が亡くなってからも 畑仕事、カラオケ、フィットネスクラブ、旅行とアクティブに過ごし、1人でも暇だと感じたことはないと話していたくらい。 今はずっと寝てる事が多くなり口数も少なく テレビつけててもボンヤリと目はうつろ 腰は曲がっているけどおトイレは自分で行けるし 食事も自分で食べる。 週3回はデイサービスに近くに住んでいる姉が 送り出してくれる。 デイサービスは、楽しいと言っている。 先日お笑いライブに母と一緒に行ったが隣りに座り笑うこともなく、でも場の雰囲気は味わえ てよかったかな。 少しずつ受け入れてはきたが、寂しいものがある。 母は自分のことよりいつも私たちや孫の事を優先し、どれほど想いを与えてくれたかわからない。 先日米寿のお祝いで色紙やお花🌸を送った。 孫からは自慢のばあちゃんだとコメントされ 嬉しいね。 親は本当にありがたいと心から思う。 自分を大切にできると感謝の思いが出てくるんだと思う。 自分を大切にしていないと感謝の気持ちすら濁ってしまうような気がする。 母のように前向きでクヨクヨしない明るさを引き継ぎたい。
2019年02月14日
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最近はパソコンに向かうことがほぼ無くて、iPhoneだが文字が打ちづらくブログの更新から遠のいていた。たまに読み返してみるとその当時の自分の心の在り方が鮮明に蘇ってくる。どちらかといえば、うれしかったことより、心の迷いや不安を綴っていたような気がする。これからもおそらくそうなんだろうと思うが、もっと前向きで明るい文面を綴っていけたらいいなあ。自分の「~たい」を大切にしたいし実現できるようにしていきたい。もっと心も体も軽やかにシンプルにその時の「~たい」を叶えるためにどう動いたらいいかを大切に。今年の一文字振り返ると「命」だったような気がする。ペットの死おばさんの死命がどれほどかけがえのないもので愛しいものかということ。諦めないということいろんな葛藤の中から教えてもらったこと強さや存在の大きさや自分の中の心の変化や死んでも生き続けるということや死と向き合うこと誰しも避けられないこと。あまりにも突然にやってきて心の整理もつかなくて日々弱っていく姿を見て泣きくれ夜になると右腕にいない寂しさそこにあなたがいてくれるだけでいい。そんな存在だったミミちゃんの死おばさんは父の上の姉で肝っ玉母さんという感じで面倒見がよくて私が結婚する時も一緒に花嫁道具を揃えてくれ結婚してからも子供たちにお年玉や近くに来たからとスーパーに行ってお肉やいろいろ買ってくれ「いいんよ。いいんよ。なんでも好きなものお入れ。」って。そうして与えてくれるばかりでの人だった。ありがとうしかない。思い出はいっぱいだけどおばさんの心の広さや強さにはまだまだ及ばないけどずっと心の中で生き続けます。
2017年12月23日
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バスの車窓から見る夕暮れの海 明石海峡大橋を渡るとだんだん息子のいる 京都から離れて行く。 なぜか毎回寂しくなる。 家に帰ってしまえば何事もなかったように 日常に戻れるのに。 大学はどこへでも行きたいところに行き! と送り出したはずなのに 本心はそうじゃなく本当はいつまでも 世話をやきたいんだ。 子離れできてないんだなあと思う。 家にいると夫婦揃って過保護に過干渉 してしまい自立の妨げをしてしまいそうで そんな思いもあり県外の大学を選んだ。 いつも心のどこかで息子の心配をしている。 大丈夫なのか。食事はきちんととれているんだろうか…。と 実際親が思うほど子供は思ってはなく それなりに生活していっているし 随分、大人になったなあって感じることもある。 いつまでも子供のままじゃないし どんどん先を越されて行ってる感じもする。 今4回生だけど、まだ何も決まっていない。 どこへ行くのか何をするのか まだ決められないままでいる。 焦りや不安もあると思うけど当の本人は 何も焦ってないように見せる。 今自分でもどうしていいのかわからない 状態なんだなあって思った。 周りでプレッシャーを与えたとしても 何にもならない。 結局自分で選択していくしかないんだなあ。 どんな選択も見守るしかないんだなあ。 中心だけはブレることなく立っていたら 何とかなる。何とかなるよ。
2017年11月04日
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ミミちゃんが旅立って20日がたちました。あまりにも突然で、当たり前のようにいつも側にいてくれると思っていた。痩せてはいたけど元気だったし、ごはんも食べるし毎日外へ出て縄張りをしっかり守っていた。ところが8月に入って食欲がおち夏バテなのかなと思っていたら大好きだったお魚も食べなくなり、少したべてすぐ吐くという状態になり病院へ連れて行くと、即手術8月9日のことでした。4日間の入院のあと退院して迎えに行くとすごくうれしそうにきっと、これでご飯も食べれるようになり元気になると思っていた。病院からもらった缶詰を自分からは食べようとしないので無理やり口の中に押し込んで食べさせる。だけど、しばらくしてまた吐く。日に日に痩せていき骨と皮だけの状態になり水だけは飲んで、外へ出たそうにしているから一緒に散歩したけど走る元気はなくよろよろと歩いてじっとしてる。見てるだけで、辛くてどうしようもなく仕事へ行ってもミミちゃんのことばかり考えて手がつけられない。少しでも一緒にいたいから一つ遅い電車で行き、5時に仕事が終わると速攻で家に帰ってお母さんの帰りを待っていてくれたね。ありがとう。ごめんね。いつも側にいてくれていつも一緒に寝たね。ただただ黙って寄り添ってくれることがどんなにありがたかったかどんなに私の中で大きな存在だったかミミちゃんと過ごした7年7ヵ月はずっとずっと生き続けるよ。怖がりで寒がりで甘えん坊お母さんの忠ニャンミミ公大好きだよ
2017年09月23日
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時の流れの早さに心と体がついていけてない感じがする。ついこの間のような気がするのにもう7年の月日がたっていたなんて当初はとにかく、ぐちゃぐちゃな心の中を整理したくて客観的に感じたくて無心にパソコンのキーボードをたたいていたような気がする。今そんな思いは少しずつ何となく遠ざかってきている。自分の心の中が嵐の時はまわりが見えなくてそのことで頭が一杯になっていろんなこと考えて考えて悩んでご飯も食べれなくなるくらいまず自己否定から何がいけなかったのだろうと、紐解き作業が始まって過去の自分と現在の自分を照らし合わせてみたり、こんな自分がなぜ形成されてしまったのかを親やまわりのせいにしてみたりそんなことを繰り返していたような気がする。今、もうそれはしなくなった。いい意味か悪い意味かわからないけどどんなにもがいても所詮私は私でしかないもの。図太くなったのか開き直ったのかだけど、嫌なことも引きずらなくなったし、とても楽にはなってきた。そんな感情との闘いのパワーもなくなってきたのかしら。年齢とともに疲れてきたのかな。かといってどうもいいわけではない。やはり常にどんな自分が好きかを追い求めていきたいし好きな自分であり続けたい。子供たちも離れ夫と猫との暮らしにも慣れていき子供たちが帰ってくるとうれしくて張り切る。孫の成長を見るのも楽しみ親にしてもらったことを同じようにしている。こうして次の世代へと引き継がれていくんだなあ。「普通に生活する。人と同じように1日ずつ毎日同じようにもう1回繰り返す。」最近見たビデオ「アバウトタイム」から気になったセリフを書きだしてみた。
2017年06月17日
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先日ゴールデンウィークに次女の結婚式がありました。先に入籍を済ませ昨年の4月に東京へ行きました。 娘を家から見送り1人になった途端に涙が止まらなく号泣したのがついこの間のことのようです。 側で猫たちが寄り添っていてくれた。 こんな日を迎えられるとは思わなかったあの頃。 10年の月日がたったんだね。 今思い出すと本当にお母さんもあなたも辛い日々で 出口を塞がれてしまった感じだったけど、最後の両親への挨拶であなたは自分のことをみんなの前で話せたことは、客観的捉えることができステージがあがったんだなって思えました。 一途で不器用なお母さん 完璧さにこだわっていた。 何もかもが中途半端な自分がもどかしくその思いがあなたに向かいもっと、もっと、できるでしょ。と 尻を叩いてきたんだね。 そのまんまのあなた受け入れることも信じることも 待つこともできなかった。 母親として反省することばかり。 なのに お父さんとお母さんの子供に生まれてきてよかった。 って言ってくれこんなにうれしいことはありません。 もう一度やり直すのなら完璧さにこだわらず のびのび子育てを楽しみ子供と一緒に成長できたのならどんなに素敵でしょう。 子供から一杯の幸せをもらえるんだからね。 今思うとそんな思いから出てきたあなたへのメッセージだったような気がします。 いきなりマイク向けられびっくりしたけどね。 そのままでいい そのままがいい 自己肯定感育てていくのが親ができる最高のプレゼントなのにね。
2017年05月11日
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長く勤めていたらいろいろもめごとあって その中で折り合いをつけながらさらりとかわしていたつもりではいた。 いやな感情はいちいち引きずらない。 やるべきことを一所懸命にやる。 人に認めてもらおう、わかってもらいたい なんて大それたことは思わない。 自分が自分を認めてあげばそれで十分。 争いごとも避け何も感じていないかのように 自分の思いも蓋をしてしまう。 相手に伝える勇気さえもない。 そんな自分は嫌だったのでムカついた思いを 職場の以前から苦手で好きじゃないhさんにつたえた。 あまりにも納得がいかなかったから その返事は、やっぱりなと言う思いと、なぜここまで頑なに我を張られるのだろう。 という思いが交錯した。 でも言わないより言った方がよかった。 関係がなおこじれようと、黙って我慢だけは したくないと思ったから。 久々のブログ なぜか綴りたくなったということは誰かに それでいいんだよ。 と言ってもらいたかったからだろうか。 嫌な人は案外自分に似ていて痛い。 なかなか非を認めなくて頑固なとこなんか。 以前の私は、いつも私は悪くない、悪くないと もがいていた。 自己肯定感が低かったから、必死だった。 虚勢を張っていつも重たい荷物を抱えているようで。 自分を見ているような1日でした。
2017年05月11日
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昨日夫は還暦を迎えました。 今まで元気で家族のために働いてくれたことに 感謝です。 30年山あり谷ありでしたが何とかこの日を迎えれたことをうれしく思います。 私の足りないところを補ってくれ、あることで頭の中が一杯になってまわりが見えなくなっている時は 的確な意見を言ってくれ目を冷めさせてくれる そんな兄貴のような頼りになる存在です。 自分に正直でまわりがどうこうよりまず自分の思いを優先する。 それは私と全く正反対で 私は自分の思いよりまわりを優先してしまうところがあり、随分摩擦を生じてきました。 その場その場で取り繕うな。 と、どれだけ言われたことか。 でもこれが私なんです。 極力争いは避けたい。 どうすれば丸く収められるか。 その答えが自分が我慢することだったんですね。 ある意味ずるい生き方なのかもしれない。 本音の部分は隠しタテマエで生きているという姿勢は。 ハッキリ言わないことも腹がたつ。 と言われたこともあります。 ハッキリ言ってしまえば、喧嘩してしまうという思いがあるから言えない。 喧嘩は私の中ではすごく嫌悪感があったから。 スマートにこなしてきたつもりでいたけど 心はごまかせない。 自分に正直で摩擦を恐れない夫と 取り繕うことに神経を使い本音を言わない私。 これから、どうありたいか どう生活したいのか 何が正しくて何が正しくないかの答えはいらない。 縁あってこの人と家族になったけど 私はこの人との関係性はこうするしか方法がなかっただけ。 大切な家族を守りたかっただけだもの。
2016年12月24日
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いい夫婦ってどんな夫婦なんだろう 今年でまる30年もこの人と一緒に居る。 まるで空気のような と言っても心地よい空気ばかりではない。 淀んでいる時もあれば、爽やかな風が吹く時もある。 だけど遠慮がないわけでも、気遣いがないわけでもない。 互いの価値観を尊重し、見なくてもいいものは 無理に見ようとしない。 相手を変えることはできないなら、いかに私自身が穏やかに居られるか。 それに尽きると思う。 1番は自分 だけど、これがやっかいで一生付き合っていかなきゃいけな自分の世話をするくらい大変なものはない。 だから、いつも問いかける。 どんな私が好き? 私が好きじゃない私を誰も受け入れてはくれない。 そこだけはぶれることなくこれからも付き合っていけたらいいな。
2016年11月22日
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今年の夏は本当に暑かった。夏バテ寸前でやっと、ここ数日朝晩が涼しくなって、夜もぐっすり眠れるようになりました。そんな中日々淡々と過ごしておりましたが、時にはとても不快な感情になることもあったり、ほっとしたこともあったりできるだけ、私自身が穏やかでいられるようにどうすればいいかと考えたり考えても仕方ないことは、すーっと流したり夫婦だけの生活も5カ月が過ぎ、夫と二人だけの生活なんて想像もつかなかったけど何とか、二人しかいないんだから互いに助け合い、主張しあい、静かな時間を重ねております。ぶつかり合うこともあるけど、話し合うことによって解決することも多く、何も言ったりしないまま悶々と過ごすことは少なくなったかな。こんなこと言ったらどう思うかな。より、私はこう思うんだ。を大切にできるようになりました。やはり、相手を信じるということそして自己受容が人とのつながりを築いていけるのかなと思ったりする。やはり考え方も違うし、がっかりする反応や態度だったりすることもあるけど、それは私のこだわりであってお相手の人格とは関係ないことが多くそんな私の中のこだわりや偏りを少し丸くやわらかく見ると別に何も大したことではないと思える。すぐに自分に対しての悪意かとか、バカにしてるとか、何も私のことを考えてくれてない!すべてはそういった受け身の感情に支配され心を閉ざしてきた私だった。今もそうかもしれない。積み重ねた思い癖というのはそうそう簡単に取り除けるものではない。だけど、わかっただけまだよかったのかもしれない。わからないままだと、どんどんエスカレートし、まるで自分が自分で悲劇のヒロインを作り上げていくから妄想はどんどん限りなく広がってかわいそうな私に仕立てていく。見事なものだよ。ただ最近思えることはやはり自分の感情を表に出してあげること、醜い感情も自分のものとして無いものにしないで受け入れてあげること。そして、子供の親として恥ずかしくない自分であり続けたいと願っております。
2016年09月03日
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どうしていいかわからない時心がそのことばかりに支配されてしまっている時心配事だったり、先が見えない不安だったりそういうのって、生きている間は次々とやってくる。でも、どうこういいながらもこの年まで何とか生きてこれ子供も3人育て、それなりに母親としても妻としても、何とかやってこれた。自信を持っていいですよ。なんて言われるけど、何が自信と繋がるのかがわからない。これで、完璧だなんて思えないし、まだまだだなあと思っている。いつまでも、何か問題がおきると、ジタバタ、アタフタしている。だけど、傍観者でいるより、そうやってジタバタしている方が人間味があるように思える。何もしないいで知らんぷりしているより、自分なりに一生懸命考えて、少しでもいい方向に行くように途中下車があったとしても、何度も何度も仕切り直して発車したとしてもそれはそれで、かまわないじゃないかと思える。人はそんなに強くはない。だから何度も何度も仕切り直し前だけを見て進む。自分の正しいと思う信じた道をね。
2016年08月17日
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仕事は休み、暑くて家の中でダラダラ過ごしている。仕事の疲れを癒しつつ、猫達に癒されながら、こうして過ごせることに感謝したい。相変わらず悩んだり、納得できなかったり、時には人間不信に陥ったりしながらも、軸は自分を忘れず、ぶれることなく信じた道を歩み続けていけたらいいなあと思ってる。
2016年08月11日
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家のパソコンに向かう。長くブログも更新できなないまま特に心境の変化があったわけではなく最近感じることは、人が変わるということはそうそう、たやすいものではないなあ。と思うこと。長年培われた思い癖はどうしても、何かあるごとに顔を出してくる。立ち止まってみると、いけない、いけない。と思うのだけど、それがなかなか咄嗟にはできない。仕事においても、被害者意識が抜けきれない。どうしても押し付けられているように感じたり別に、できないならできないで仕方のないことなのに引き受けてしまうと、自分でしないといけないように思ってしまう。実際、人数が足りていない。それを、新しい人を補充しようとしないのは上の人の責任であって私が、そこまで抱え込むことはないはず。きっと、できません。ということが嫌なんだと思う。だから、はじめからできそうにないことを引き受けたくはない。わかっているから。自分の能力も仕事の量も時間内に納められるものではないことを。だからと言って、パートの私がなぜ、そこまでしなきゃいけない。残業もしないといけないのか。という思いもある。それより、体がついていけない。もう、辞めてしまおうかと思ったりだけど辞めてずっと家にいると、それはそれでストレスがたまっていくだろうな。できたら、慣れたところでもう少し頑張りたい。そんな感じで行ったり、戻ったりしながら自分の思いも定まらない。そんな中、次女の言動に腹をたて自分でも小さいなあ。と思うんだけど、腹がたつことは仕方がない。きっと、自分の嫌だと思う部分が次女を通して見えてしまったから。嫌なところが似てしまうんだね。格好つけたり見栄を張ったり、必要以上に自分をよく見せようとするところ。そのまんまでいい。素の自分でいい。なんてきれいごと言っているけど私自身がちっちゃくて、見栄っ張りでいい格好しい。なかなか手ごわいですなあ。こんな自分でいいと思えるには、他者を通して自覚していくものだわ。久々の天気ずっと雨続きで今月は次女が帰ってくるし、少し部屋の模様替えもしたいなあ。さて、余計なことは考えないで、するべこことに専念しよう。
2016年07月02日
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あまり体調がよくなくて頭痛と胃腸の不調で元気がでなかった。仕事へは普段通りに行き普通に仕事して、食事はあっさりしたものをいただき夜は早めに寝ていたら少しずつ回復してきた。季節の変わり目、年齢的なものもあってか体調を崩しやすくなっているような感じがする。体が不調な時って、あまり活発に動こうとしないせいかその分神経が研ぎ澄まされ、いろんなものが見えたり感じたりする。焦りや不安からすぐに行動に移してしまいがちなこともじっと待って耐えていたらいろんな展開が見えてきて面白い。冷静にまわりが見えてきているような気がする。渦中にいる時は全く見えなくてただただひたすら自分のことばかりで出る言葉は相手を批判する言葉しか出ない。だけど、こうして静かにじっと観察していると心の動きに敏感になれてきているような気がする。不必要な不安や心配や怖れが自己防衛にばかり意識が向いてしまってまわりを見えなくさせてしまっている。本当はもっと力もあるしできるのに消極的になってしまい自分を守る。守るだけならまだいいけどお人をも巻き込む。言葉の毒を吐き続け、そしてなお自分を守る。そういったことに自分では気が付いていない。自分を信じるといううことができて初めて人も信じることができる。自分を信じることができれば怖いものなしなのにこれが案外むずかしい。私もそうだけどある人に私のことを「生かしきれてないよね。もっと自信もっていいのに。」って言われたことがある。漠然とだけど何となくわかるような気がする。ある本に非生産的いい人って表現で書かれてあったが自分にあてはまるような感じがした。やはり自分を守るために自信のなさがそうさせてきたんだと思う。そうそう簡単に自信なんてできるものではないけどずっとかかわっていかないといけない自分だもの。もっと愛おしみ、自分にやさしくしてあげてもいいんじゃないかなって、今は思える。
2016年05月21日
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みーこがいなくなって、まる5年がたちました。一緒に過ごした17年間はかけがえのない日々。ミーコは生まれる瞬間から家族になり、ミーコの成長と子供たちの成長を見届けどれだけ、あなたに助けられ救われたかわからないよ。一緒に居てくれてありがとう。としか言えなかった。こうして生あるものいつかは別れがくる。永遠だと思いたいけどそうではない。1日1日別れへと向かっているのが現実そう思うと日々の日常がどんなにかけがえがなく愛おしいか。瞬間瞬間を大切に過ごしていきたい。無駄なことに心悩ませたり不快な思いにとらわれるなんてもったいない。愛おしみ、大切に思い、何が自分にとって大事なのかを見失わないで過ごしていけたらいいな。
2016年05月14日
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とてもすがすがしく心も晴れ、さあ始めよう。と前向きになれそうな季節だが、私はなんだか憂鬱な気持ちになる。長期休暇は、とくに予定もなく、家の片づけとかしているけど余計なことばかり考えてしまうからしんどい。何をして楽しもうかと考えるけど、これと言って思い浮かばない。今はこんな時期なんだなと、深く考えないで軽く流すようにしてる。家で本を読んだりビデオを借りて見たり、音楽を聴いたりするのも悪くない。外へ出かけるだけが、充実しているとは限らない。今、自分ができることを淡々としていればいいんだ。というより、したいことをすることが一番理想なのだけど長年の義務的に動いてきたから、なかなか抜け出せなく日常の何気ないことからの楽しさや喜びを見いだせないことがなんて、潤いがなく錆びついてしまっているんだろう。って思う。こんなことを思いながら、だけど日々は過ぎていきこのままではいけないという、焦りと、何をどうすればいいのかわからなくて、困惑している自分がいる。今までどれだけ子供に寄りかかって、子供から生きがいをいただき依存していたか。まだまだ、わたし自分の足でしっかり立ててないや。
2016年05月05日
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子供達はそれぞれ巣立って行き、残された夫婦二人今まで、どれだけ子供達中心にまわってきたのか子供達の為に動き、子供達につくし必要とされていることに喜びを感じ娘が出て行って二週間が過ぎなんだか、心の中がぽっかりと穴が空いたようで何をどうしていいのかわからず平日だと仕事に行っているから気が紛れるけど休日は結構こたえる。あれだけ、忙しくて早く楽になりたいと思っていたのにいざそうなってみると、何これ?空の巣症候群なの。何をしたらいいの何をして楽しんだらいいんだろう今のところみつからない。ただただボンヤリするばかり…
2016年04月23日
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おうちに帰って、パソコンの前に座ることをしなくなりそうかと言って、タブレットで日記を更新するのはどうも使い勝手が悪く、遠ざかってしまっていた。というか、それほど以前のように吐き出したい思いがなくなってきただけかもしれない。心の中にモヤモヤした思いが溜まるととにかくパソコンの前に座り、自分の思いのたけを打ち込んでいた。それが、ブログだったり、自分だけの日記であったりそれをすることにより、不思議と心の奥のモヤモヤがすっきりしそして、文章を読み返すと客観的に見ることができずいぶん落ち着きを取り戻せたような感覚を覚えた。昔から、文章にして書くことは好きな方で吐き出せない思いはよく日記に綴っていた。たいてい、不平不満ばかりだったような気がする。怒りはこうして日記の中で終わらせていた。怒りを吐き出すことはいけないことだと思っていたから。根本的には変わらないけど、結構かわってきたのかな。何が変わったかははっきりとはしないが少しだけ年を重ねた分冷静になれてきたのかな。自分本位だったのが、少しは人の気持ちもわかろうとすることができてきたのかな。そうすると、怒りさえもあんまり沸いてはこなくわいたとしても、引きづらなくなってきたのかもしれない。誰でも、いいところもあれば悪いところもある。完璧な人なんていない。折り合いをつけながら、妥協点を認めあいながらお互いに成長できたらいいなあ。そんな、夫婦でありたいなあ。
2016年04月23日
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次女は先週の金曜日に旅立ちました。慣れない都会での生活、田舎とは全く違う生活に戸惑いも感じることが多いかもしれないけど自分で決めたことだ。影ながら見守っていくしかない。引っ越しのお手伝いで私も休みをとり3日ほど行ってきた。人の多さにびっくりするのと、何でも歩き車がないのだ、なんて不便スーパーで買い物しても両手に荷物いっぱい下げて歩かなきゃいけない。これは疲れる。何か、方法を考えなきゃ私は松山があっている。のんびりして、のだかで人も温かく過ごしやすい。娘は小さい頃から、なんでもスローで慣れるまでに時間のかかるところがある。それに、思考パターンがいやというほど私に似ていて見ていると、まるで自分のことのように響いてきて胸が痛くなる。私と次女は考えてみれば近すぎたのかもしれない。都会でもまれて、生きていくたくましさを身につけ私との共依存から解放されるにはこのくらいの距離があってちょうどよかったのかもしれない。行っていきなり娘は旦那さんに叱られ落ち込んでいた。それを見て私も切なくなり東京から帰ってきても、頭の中は娘のことばかり完全に自分を失い振り回されていた。親子の関係って本当に難しい。だけど、いつもそうだけど、こうやっていやな思いや不安な思いしたあとには必ず何かしら、気づきや反省をいただく。傲慢にならず素直な気持ちで自分を見つめていき成長できるのなら、プラスに変えられるね。
2016年04月16日
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とても共感できる表現だって、ある本を見て思った。どれだけ、今までいや今もそうかもしれないけど、白黒はっきりさせようとしてきたか…。いい加減さを、認めようとしてこなかったか。思い込みや、決めつけでどれだけ自分も子供達も生きづらくさせてきたか。確固たる保障が欲しいためにそんなの、どこにもありはしないのにグレーにも濃いグレー、薄いグレーがあるから面白い。黒か白か決めつけてしまえば、もう怖くてそこから先へは進めなくて当然だ。やさしい気持ちになり、とてもホッとさせられた本に出会えた。
2016年03月19日
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春が近づいています。昔から春が一番好き身も心も軽くなり、何かを始めようという気にさせてくれる。朝ドラをとりためて見ているのだがあさと娘とのセリフにとても共感させられるところがあって特に好きな場面はあさと娘が病院のベットで一緒に寝ながら話している場面が私は好き。娘があさのことに反感を抱き、それに対し「ほやったかなあ、ほうやなあ、」「堪忍なあ」とてもやわらかくてあたたかい。ただ、娘は言いたいだけ。それをそうして聞いてくれる。それだけでいい。私はすぐにムキになって反論していたわ。そんなこと言うても…。ってね。親の傲慢さは、子供が教えてくれるんだなあ。ってつくづく思った。今でも、まだまだ出る時がある。そうすると、すぐに娘に言われるのだが…。あーあ、ほんと寂しくなるなあ。いやいや、子供はいつかは巣立っていくのだからそんなことは言ってられない。今日は何して楽しもうかな。
2016年03月05日
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あっというう間に6年の月日がたちました。何となく、自分の思っていること、感じた事を日記に綴りたいと思いそして、ミミちゃんがうちに来てくれてちょうど6年になるね。猫3匹に囲まれ、猫たちに癒されながら夫婦の会話に入ってきてくれもう居なくてはいけない存在だよ。4月には次女が出ていくとあれだけ、二人だけの生活なんて考えられない。と思っていたのが、間近に迫ってきてる。人って、何とか順応していくようにできているんだね。先日は私の誕生日でいくつになっても誕生日はうれしくて自分に春先にも着れる薄手のセーターを買いチーズケーキを買って食べた。おいしいものを食べるとそれだけで幸せな気持ちにさせてくれるね。いろんなことが次々やってくるけど、自分なりに図太くたくましくなってきているなあ。って思うことが多い。これも、講座や娘のおかげだなあ。自分を受け入れることができると、見える世界も変わってくるんだなあと思える。
2016年02月13日
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更新です。このたび次女が結婚することになりました。何かバタバタと事が運びまだ実感がわかない。東京へ行きます。淋しいような、うれしいような複雑なきもち。いつかは、こんな日がやってくるだろうなと思ってはいたけど…。娘が決めたお相手だもの。何も言うことはありません。ただ、ただ幸せな家庭を二人で力を合わせて築いてほしいと願うばかりです。親は、何もできない。本当に願うばかりなんだとしみじみ感じています。
2016年01月22日
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あけましておめでとうございます年末は28日から息子が帰り息子に栗きんとんのサツマイモの裏ごしを毎年のことながらしてもらい紅白見たり、ガキツカ見たりしながら年明けを迎えました。ことしの抱負は…いろんなことが今、頭の中グルグルして少し混乱状態穏やかに過ごすことができますようにひとつ、ひとつ目の前のことを大切に自分を見失わないように情に流されないようにいろんな葛藤を繰り返しながらも、ああでもない、こうでもないともがきながらも自分を信じて歩いて行けたらいいなあと思っています。
2015年12月31日
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今年の職場の忘年会は25日のクリスマスにあった。翌日休みだと思うとつい飲みすぎて昨日は1日頭痛と胃のムカムカ感で調子が出なかった。台所を掃除しようと思ったけどできなかった。最近はお酒飲む機会も少ないし飲むと翌日こうしてしんどいので自分にとってちょうどいい加減はビールで500が1本くらいだとわかってきた。そのくらいが自分にちょうどいい。昔はビールだと350を6本くらいは飲めていたけど部長が日本酒が好きで取り寄せしたのを持ってこられていてそれがとても甘くてフルーティーでおいしかったので注いでもらうと飲んでたからきっと、それが効いたんだろうな。でも楽しかったからよかった。隣の席の方がマラソンをされている方でその方のお話しもいろいろ聞けてとても参考になったし私は自分で話すより人の話を促して聞く方が好きなんだと改めて実感した。イブは夫と二人で過ごし今年はケーキもなくプレゼントもなし。これは毎度のことではあるが…。だから、こちらも気を使わなくて済むからお互いさまかな。自分へのプレゼントはまた機会があれば買おうと思っている。今日は庭木の剪定に来てもらっている。お天気もいいし、暖かいしよかった。年賀状はやっと書き終え、さて今日こそは台所のお掃除をしよう。
2015年12月27日
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年末になると気忙しい。掃除もしなきゃ、年賀状を書かなきゃ、お正月準備もしなきゃと次々用事に追われる。なのになかなか、体が動かない。寒いのもあるし、疲れているのもある。だけどいくら後回しにしてもしないわけにはいけない。そう思いながら何十年も過ごしてきた。そうやって母も一つ一つ気合いを入れながら用時を果たしてきた。しなきゃいけない。とムチうってね。だけど、去年の暮からピタリとしなくなった。というか、できなくなったのだ。それでも母は83歳まで一人でやりとげた。そんな頑張り屋さんで強情なところは母ゆずりなのかなと思ったりする。痴呆が現れ始め、物事を覚えることができなく最初の頃は自分でも自覚があって、情けないとか、年をとるのはさみしいとかよく言っていたけど、最近は言わなくなった。逆に認めたくないような、自分はボケてはいないように強い口調で否定することもある。姉が近くで見てくれているからとても助かる。だけど、姉はそんな母が腹が立ってしょうがないと会うとほとんど愚痴を聞くことになる。私たち自身、なかなか親の認知症を受け入れられないところはあったのだが、1年たって、やっと少しずつ受け入れられるようにはなってきたのだが毎日、お世話をしている姉にしてみたらきれいごとだけでは済まされない。頭ではわかっていても、怒ってしまうんだとも言っていた。「もう、私は気が短いからあんたが見たらいいんよ。」と言ったりもする。姉はわりとそうやって自分の感情を抑えないですぐに吐き出すところがあるから、精神的には大丈夫かなと思ったりもするのだけど…。見ていて、母がかわいそうに思える時もある。そこまで言わなくてもいいのにと。正直すべて真正面から受け止めていたら、腹も立つ。だけど姉もまっすぐだから、なかなかそこのところがうまくいかないんだろうな。どうすればいいのかな。自分の中の常識をいったんリセットして、認知症の母という目で見ないと、とてもやってはいけれないよね。人格ではなく病気がそうさせていると割り切らないとね。だけど、そんな母が先日会いに行った時昼食を食べに行って帰り、用事もないのにスーパーに行くと言い出して姉が渋々連れていったのだが。何をするのかと思えば洋服屋さんの前を通った時私に「これ、似合うよ。買ってあげようか。」と、手に握っていた。私は姉の手前、買ってもらうわけにはいかないし「いいよ、いいよ。あるから。」と言ったのだが。でもよくこうして買ってくれていたのを思い出したのかな。ありがたいなあと、そして、まだこの場に及んでもこうして子供に与えたいのかな母の温かさを感じました。
2015年12月19日
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週1くらいで電話したりラインを送ったりしている。ちゃんと食べているのか、元気にしているのか、風邪など引いていないのか気になる。親はいくつになっても、子供のことを心配するものなんだなあ。母も、こうして心配してくれていたんだ。心配されることは信頼されていないようで、あまりうれしくはなかった。でも、今は違う。気持ちを寄せてくれているということは、大切に思っているからで信じるとか、信じていないとかそんな問題ではないような気がする。ラジオで夫から妻に「愛しています。」と言う言葉に対して妻の反応もいろいろで面白く聞いていたのだが、私だったらなんて、答えるかな。昔は、なんか「愛してる」って言葉はずっとずっと重く感じ、安易に言う言葉ではないと思っていた。簡単に「愛している」って言われると嘘っぽくて格好つけているみたいで、あまりうれしくはなかった。というか自分が愛してるに応えられないような気がした。だから「好きだ」と言われると方が気が楽だったな。私の中では愛してるはとてもとても深いものだった。命懸けぐらいにね。だけど、今の私の「愛してる」は気持ちを向けたり、とても大切に思ったり、居ないと心が淋しくてかけがえのない存在。そういった気持ちが愛してるなのかな。そんなふうに思うと、照れ臭くもないし、そんなに重くもない。素直に「ありがとう。」と、言える。
2015年12月12日
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11月末くらいから急に寒くなり、猫たちも風邪をひいてしまい、くしゃみ鼻水がとまりません。最初チロちゃんから始まって、ミミちゃん福ちゃんと感染してしまいました。私は何とか風邪もひかないで元気に過ごしております。土曜日は姉とお城下ウォークに行きお城のまわりを5キロほど歩きました。少し寒かったけど気持ちよかった。紅葉もきれかった。早いもので、もう今年も残り1か月をきりました。なんだか、年末という気がしません。こんなに月日がたつのが早いのかと、年々感じます。最近、また悶々とすることが多々あり、自分の思い癖なんだろうなと思うのだけど、どうしても違和感を感じ、そして何も言えない自分にイライラしてしまう日々をすごしておりました。そんなに私は人に嫌われたくないのかと、なぜ意に反していい人を演じてしまうのかと思ったり相手に、もっときちんと表現すればいいのになぜそれができないのだろうかと思ってみたり。要するに私はせっかちだから待てないのだ。待てないから、あれこれと手を出してしまう。人それぞれペースがあるのだから放っておけばいいものをなかなか、知らんぷりできなくて、人の仕事までも自分がしてしまう。最初はいいのだが、度重なると違和感に感じてしまう。あれ、何してるんだろう。なんで、私がこれをしているんだろう。黙って任せればいいものを、どこまでお人よし?あれこれ考えずに気になるなら直接言えばいいのになぜ言えない。こんなことをしているからお相手のことを不信に思ってしまう。結局自分が原因を作っているのだ。気が付かないだけで、今までもこうした行き違いやすれ違いがあって、お人との関係がぎくしゃくしてしまったんだろうな。ぎくしゃくしたくないよ。だったらどうすればいいか。だとしたら、やはりむやみに手をださない。お相手の問題まで引き受けないことだと結論が出た。ある本に「自由とは、他者から嫌われることである。」と書いていた。他者の評価を気にかけず、他者から嫌われることを怖れず、承認されないかもしれないというコストを支払わないかぎり、自分の生き方を貫くことはできない。自由にはなれない。嫌われる可能性を怖れるなく、前に進んでいく。坂道を転がるように生きるのではなく、眼前の坂を登っていく。それが自由に生きるなのだ。私が思い描いていた「自由」とは全然違っていた。誰から束縛されたり干渉されたりすることなく自由気ままに自分がしたいことだけをする。本能や衝動に赴くままに生きることが自由だと思っていた。だけど、「ほんとうのわたし」を見つめない限り、自由はてに入らないような、なんとなくそんな感じがしやはり「どんな自分が好き?」を死ぬまで問い続けていきたいと思った。
2015年12月07日
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冷え込みが厳しくいきなり冬がきた感じだ。私はとくに変わりなく、毎日仕事に行きご飯を作って、テレビ見て寝る。寝るといえば、最近もう9時頃から眠くて眠くて唯一の楽しみのテレビも見れていない状態が続く。本を見るのも好きだけど、本は大抵通勤電車の中で読む。エッセイものが多いかな。図書館で借りてきて、気になるタイトルを手当たり次第借りる感じ。あたりもあれば、はずれもある。あたりというのはそのときの自分の気持ちにぴったりの本だけど、読んでも忘れてしまうことが多い。寒くなると、うちの猫たちもストーブの前やこたつで暖をとる。夜は3匹集合して私のお布団に入ってくれる。右と左と一番大きい福ちゃんは私の首の上で寝てくれる。暖かいのはわかるけど、首の上はやめてほしい。息苦しくて眠れないよ。一番ちびのチロちゃんは先日去勢手術をしてから調子が悪く3日食事をとらなくて、胃液のようなものを吐くし、見ていてすごくつらそうでかわいそうだった。病院連れていき点滴と注射をしてもらうと、だんだんと元気になってきたのだがあれは何だったんだろうね。これといった原因がはっきりしない。ただ猫もストレスで調子が悪くなると聞いたことがあるのでそうなのかもしれない。知らないところに連れていかれ手術されて、目が覚めたらいつもと様子が違う。そんな不安と恐怖でご飯も食べれなかったのかな。先週娘が帰ってきた時に100均で壁紙を買い貼ってくれたら、すごくいい感じになってカウンターとかにも貼ろうと思い買ってきた。貼っているとあそこも、ここもと気になりはじめ柱とかペンキで塗ろう。何とか、ぼろ隠しができないかと思案中だ。猫がいると、ひっかき後が半端じゃない。せめて、見苦しくない程度に家の中変身させたい。何か、楽しくなってきたぞ。きっかけを作ってくれた娘に感謝、感謝
2015年11月28日
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いいお天気おふとんを干して、掃除して今日は久しぶりに娘婿がお泊りに来る。なのでちょっと気合いが入っている。夜ごはんは蟹鍋でもしようかな。ビールが好きなので、夫は一緒に飲めるのを楽しみにしている。普段は誰も飲まないのでうれしいみたい。生きていくといううことは、こうして何か楽しみもないとつまらないよね。楽しみと言ったら何だろう。やはりこうしてみんなでテーブル囲んで食事すること。孫ができれば、孫も一緒に賑やかにだから今の生活を大切にしたいんだなあって思える。自分一人で楽しむことより和の中にいる。いられる。そして喜んでもらえる。それが私の幸せだし楽しみなのかなあ。ソファーの上にかけるあったかいもっこりした生地を買ってミシンを出して縫おうかな。そう、昔は子供の服作るのが好きだった。今は作ったのは着てくれないのと面倒になって遠のいていたがこうして何かを作るというのはきらいじゃない。生地選ぶの楽しみになってきたぞ。
2015年11月21日
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生後7か月くらいの我が家の猫うちにきて5か月くらいになる。ずいぶん大きくなってきたときは800グラムほどしかjなかったのがいまでは4.5キロくらいに大きくなった。何せ食い意地が張っているのかよく食べる。福ちゃんやミミちゃんの分まで取り上げて。だけど憎めない愛嬌のあるチロちゃん今日とうとう去勢手術をしてもらう為病院に連れて行きました。車の中では泣いていたのに病院に着くて全然泣かなくて怖くて泣けないのか、それとも開き直ったのかすごくおとなしかった。朝9時過ぎに預けて16時に迎えに行く。人間の都合でかわいそうだけど仕方ないね。これ以上増やすわけにもいかないし発情期に喧嘩してけがしても困るしね。おりこうさんにしているかな。辛くないかな。心配あいにくのお天気ですっきりしないけどお迎えにいくまで花でも植えよう。ホームセンターで黄色とラベンダーと赤のパンジーを買ってきた。裏山は色づき始め、秋を感じる。
2015年11月14日
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20歳になりました。あっという間に…って感じがします。上の姉たちと年が離れて3番目で息子が生まれ私も年もとっているし生まれた時かあら大きかったし、女の子と違ってすることがダイナミックでだけど、それもかわいくてなかなか怒れなかったのを思い出します。子育てにも少し余裕ができ一緒にかかわることができたかな。といううか、一緒に楽しめた感じはします。だけど息子が5歳になってから私が仕事に行き始めたので家の事、仕事、学校の行事、子育てと突っ走ってきた15年でした。きっと、仕事に行かないで家にずっといたら、見なくていいものまで見てしまったり子供も夫も自分の思い通りにしようとそればかりに心が支配されて子供も夫も窮屈な思いをさせていたかもしれない。だから、私の場合忙しくても、こうして分散できたことがよかっとのかもしれない。外に出たら出たで人間関係でしんどいこともあるけど私にとってはいい修行あまちゃんだったから、とてもいい修行だったと思います。いろんな考えや価値観の違う人たちともかかわることもできたしいろいろ日々変わっていく中で今思うことはすべて受け入れなくてもいい。受けとめるだけでいいんだ。否定しないでね、ただにっこりと受けとめる。さて、息子の誕生日だしケーキ買ってお祝いしよ。息子にラインで「一緒には食べれないけどケーキ買って祝ってね。」と送っておいた。
2015年11月07日
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母は1年くらい前から忘れっぽくなり家事もできなくなり習慣にしていたカラオケやフィットネスクラブもやめできないことが、一つ一つ増えていっている。そんな母の姿を見ているととても切なくなる。みんな年をとるとそうなるんだとわかっていても頭でわかっていても心がまだついていけていない。母は一人暮らしだが100メートル先くらいに姉が住んでいるので母のお世話は姉がしてくれている。私は車で40分くらい離れたところに住んでいるためついつい姉に頼ってしまっている感じだ。ちょうど姉の定年退職を待っていたかのように…。何でも自分でしないと気が済まない母だったが今はできない自分がもどかしいようだ。40代、50代がなつかしい。と言っている。時間は戻せない。受け入れるしかないんだけどなかなか受け入れることができない。母も、私も姉も姉がいろいろしてくれているのはとても助かる。私も2週間に1回くらいのペースで顔を見に行く。母はうれしそうにしてくれ、一緒にご飯も食べたりする。私が行くと必ず姉も来る。そうすると、私の前でも母を怒鳴りつける。何度言っても忘れてしまう母に腹が立つみたいで今更人格だって変わらないことも罵る。言わないと気が済まないようで自分の思い通りにしないことをものすごくやかましく言う。姉はなんでそこまで言わなきゃいけないのかなあ。私は辛くなる。姉と母と3人でいるといつもこんな感じだから姉が大変なのはわかるけど、その言葉を聞くたびに私は胸を締め付けられる。母は影でやかましい。気が短い。父親とそっくりだ。と姉のことを私に愚痴る。言い返せば倍以上に返ってくるのがわかるから言われるまま。なんで自分が生んで育てた子供にそこまで言われなきゃいけないの。私は母のようにはなりたくないし、姉のようにもなりたくない。きれいごとだけでは済ませないことは山ほどあるけどだけど自分の感情はなるべくなら自分で処理できるようにもっていきたい。むずかしいけどね。
2015年11月03日
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木曜日の夜行バスに乗って金曜日の朝に京都に着いて、息子の通っている大学祭を見に行きました。どうしても踊りを見たくてかっこよかったし、見ていて気持ちよかった。若い子たちのパワーをいっぱいもらえました。息子の彼女も紹介してくれて少しお話しをして、とても感じのいい子だなって思いました。とにかく、部屋が汚くて、洗濯物はためているしずっと、練習で忙しくしていたのが見てわかった。練習担当になって振付をみんなに教えていたと。なかなか予定が合わないので、合う時間に合わせて教えていたから、この1か月は本当に忙しかったと。掃除、洗濯、買い物をして金曜日の夜はまた私が作ったものが食べたいというので豚の生姜焼き、ポテトサラダに味噌汁を作りあったかいご飯で食べた。もうすぐ20歳の誕生日だね。誕生日プレゼントはお金がいいというのでお金と手紙がプレゼント昨日は近くの大徳寺に行って午後のバスで松山に帰ってきた。ちょうど長女が高知から帰ってきていたのでバス停まで迎えにきてくれた。2泊3日の旅ひやっとすることもあったけど息子と過ごし元気な顔が見れてよかった。いくつになっても親は子供に何かしてあげたいと手を出したいんだ。それが、私もうれしいし幸せに感じます。
2015年11月01日
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いつものように、午前中はフィットネスクラブに行ってヨガをする。 そのあと、ジャグジーに入るのが気持ちよくて週1ではあるが、ここ3年ほど続いている。 そこで、ジャグジーに入る前に必ず体重チェックをする。 なんと、昨日計ると超えてはいけないラインを超えていた。 これはいけないと思い、昨日からダイエットスタート 目標はマイナス3キロ。 次の日曜日に体重計にのるのを楽しみに、頑張ろう。
2015年10月19日
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いつも側に居てくれて慕ってくれる。新入りの猫ちゃんは、とてもやんちゃでメス猫のミミちゃんにいつも「シャーッ!」と怒られるのだが、それでも懲りずに近づこうとする。オス猫の福ちゃんも、うっとうしそうにしている。2匹だけの時はとても静かで平和だったのが子猫が1匹増えてだけで、こんなにも違ってくるのか。とても賑やかだけどね。子猫ももうすぐ7カ月になるので去勢手術をしてもらう。オス2匹にメス1匹ずっと今のままで、仲良くくっついて寝たりしないのかなあ。子猫ちゃん、受け入れてもらえないのかなあ。メスのミミちゃんは、ストレスからか、毛の色が薄くなり脱毛も…。おまけにメスなのに家の中でスプレーするし。猫は縄張り意識が強いからとても、甘えん坊のミミちゃんはいつも一緒に寝ていたのに子猫が寄ってくるものだから、気に入らないみたい。「ミミちゃんが一番だよ。」と声をかけてなでる猫も焼きもち妬くのかな。今日もいいお天気洗濯して、お布団干して、お買い物掃除もしなくちゃね。庭も草が…よし、動こう。
2015年10月17日
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この時期になると、オレンジ色の小さな花を咲かせ、匂いを漂わせてくれる。 ほっとする。 さて、今日行くと明日は休み。 仕事も今は落ち着き、あまりストレスを感じることもない。 忙しすぎたり、することが次々やってくると、ペースを乱されたり、プレッシャーに感じたり、自分だけが大変なんて思ってしまう。 なんで、そんなに思ってしまうのか。 よくわからない。 アクシデントになかなか、気持ちがついていけないし、往生際が悪いというか、諦められないというか、物事を割り切ることができないんだなあとおもう。 だけど、いろんな感情は日々変わっていくし、ずっと同じ場所にとどまることはない。 流れに逆らうことなき、身を任せていたら、何とかなることもある。 すべては自分の気持ちの持ちようなんだなあ。
2015年10月16日
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今月の2日の早朝大好きだった伯母さんが亡くなった。母の姉で神戸に住んでいる。7月に母と一緒に会いに行った。それが最後になるなんて…。最後に握手してまた来るからね。と言って別れた。だけど、これが最後かもしれない。と、そんな思いが頭をよぎった。切ないなあ。「おばちゃんはなあ、ありんこさえ、よう殺さへんのやで。」と言った言葉が頭から離れない。もう長くはないと思っていたのかなあ。命は尊いものだ。だから命を大切にしてということを、伝えたかったのかな。やさしい声、やさしい言葉ずっと、ずっと忘れないよ。ありがとう。
2015年10月10日
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姉に誘ってもらって、しまなみウォークに行ってきた。 10キロコース。 お天気にも恵まれ暑いくらいだった。 初めての参加で以前から言っていたので念願が叶ってよかった。 途中、足や腰が痛くなったけど、素晴らしい景色を眺めながら、潮風を感じながら、お喋りしながら歩き、ボランティアの方たちにはいろんな場所でおもてなし頂き、会場に戻った時にはアーチまで作って、おかえりなさい、お疲れさま。 のハイタッチまでしてもらい、とても満足した1日でした。 誘ってくれた姉に感謝だね。 しんどかったけど楽しい。心が充たされるのは、やはり人の温かさを感じたり、広大な自然に触れた時。 仕事の疲れや、不満ストレスも、風と共に吹っ飛んでいきました。 お世話をして下さった方、本当にありがとうございました。
2015年10月04日
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忙しかった9月も今日で終わり。 私、よく頑張ったな。 一人いなくなった中での決算。 思いもしなかった想定外の出来事や、理不尽な仕事の振り分けや、心ない言葉に傷付いたりもしたけど。 こんな時こそ、見えてくるものがたくさんある。 私、8年前と全然変わってない。成長していない自分に唖然とさせられたり。 常に意識が外へ向き、被害者意識を感じるところなんか、やっぱり変わってない。 ダメだなあと思いながら、そんな思考に陥ってしまう。 誰かに腹をたてたり、憎んだりしても変わらない。 すべては自分の問題なんだなあと、少し離れたところから見ると、そう思える。 子供っぽくて、勝ち気で、臆病なゆえに、とってしまう言動の数々。 それらを、相変わらす真面目に真に受けてしまう、おばかさん。 それが私なんだなあ。
2015年09月30日
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長女も帰り、あっという間の5連休 今日は借りてきたビデオ見たり、本読んだりしてゆっくりしよう。 昨日、姉と母と次女と4人でドライブをした。 ビーチに子供たち一人一人の夢を記した黄色いハンカチが風に揺られていた。 どんな夢を書いているのだろうと、しばらく見ていた。 男の子は警察官、ゲームクリエイター、サッカー選手、野球選手。 女の子は、保母さん、看護師、パティシエ、学校の先生。 というのが多かった。 中には、自由に楽しく暮らしたい。とか、頑張れる人になりたい。とか、お金持ちになりたい。とか、漠然としているのもあった。 私は、子供の時何になりたいと思っていたのだろう。思い出せない。 私の夢はみんなが元気で暮らし、孫ができたら孫と遊んだり、出かけたり、旅行に行ったり、家をリフォームして、お友達とティータイムを楽しんだりしたいな。
2015年09月23日
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連休で長女が帰ってきている。帰ってきても友人に会うことで忙しく、家にいることは、ほとんどない。 昔から長女は、友人が多く、休みには何かしら予定が入り、家で過ごすことがあまりなかった。 そんな姉を羨ましいと言っていた次女。 私は、友達も少ない。と… 今では、全然言わなくなった。 次女も、休日は予定があり友達と会ったり、彼と会ったりして楽しんでいるように見える。 次女が18さいの時に言った言葉が忘れられない。 「なんで、休日お母さんとばかりいるんだろう。」 親と一緒じゃなく、友達通しで楽しむものだ。 そんな年齢なのに、なぜ自分にできないのか、もどかしい思いでいっぱいだったんだね。 でも、人もまわりも環境も変わっていく。 同じ場所に留まってはいないんだなあって、最近つくづく思う。
2015年09月20日
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大型連休だけど、特に予定はなし。 どこかへ出かけるとしても人が多いし、お金もかかる。 お金かけないで楽しむ方法ってないかしら。 最近は仕事が忙しくて、疲れて何もやる気がおこらなかったんだけど、何もしないのももったいないね。 何して楽しもうかな。
2015年09月19日
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スポーツジムに行って、ヨガをしたあとお風呂に入り体重計に乗る事が日課になっていたのだが、この1ヶ月何かと忙しく行けてなかった。 久しぶりに体重計にのると2キロ増えていた。 最近制服のスカートがキツイと思ったら、案の定。 精神面が不安定だと、こうして体重にも現れてくるんだ。 ストレス太りとはこのことだ。 心を落ち着かせ、食べ物に走らなくてよいように、リズムを取り戻そう。 さあ、今日から始めよう。
2015年09月13日
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自分以外の誰かにどれだけ関心をむけられるか何となくテレビを見ていたらそんなことを言っていた。そうだな。今の私って、確かに自分のことだけでいっぱいいっぱいになっている。誰かに関心を持ってそれを観察して興味を抱く。そんな生き方っていいよな。あーあ、心が錆びついているわ。「自分が、自分が、大変なのよ、わかってー」とね。利己的でエゴのかたまりでいやなことがあると、そのあとにはなんか気づきを頂く。だから、感謝しないといけない。傲慢な私にブレーキをかけてくれ、自分を見つめ直させてくれる。人を信じることの大切さや誰かの役に立てている喜び自分の存在価値に気付かされる。ここにいてもいいんだなと思える。そんな私のこころの癖承認欲求や、認めてもらいたい、わかってもらいたい常に外に気持ちがいってしまうところそしてこんなに私ががんばっているのになんで?と、がっかりして、やる気を無くす。だったら、頑張るのをやめてみたらいいんだよ。そんなにがっかりするなら、そんなにさみしい思いをして心に膿がたまるのならがんばるのを、やめてみる。それも一つ、いい方法だと思う。人は自分が思うほど見てはいないということ。それを期待する私がいけないのであってじゃあ、どうすれば無理なく、平穏でいられるかと考えるとやはり、がんばるのをやめる。適当にする。自分をよく見せようとすることをやめてみる。いい人でいることをやめて、いい加減にしてみる。自分の中の価値観や考えをいったん棚上げしてそして一番今の自分にとって楽でいられる方法でやればいい。無理に責任感じることもない。プレッシャーに思うこともない。今の私はここまであとは知りません。絶対、~でなければいけない。言われた限り、与えられた限り、引き受けた限りどんなことがあってもやり遂げなきゃいけない。と思うからしんどいのだ。そりゃあ、力も入るし、誰かを恨みたくもなる。できなければ、できない。それでいいじゃないか。それで存在価値が無くなる、ダメダメ人間だと思われてしまうと思っている私がおかしい。どうかしているね。いやなことのあとにはこうして気づかせてくれるからありがたい。そう思ったら、いやな気持ちもどこかに飛んでいくね。さあ、お天気もいいし、洗濯でもしようかな。
2015年09月12日
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昼休み、外の空気を吸いたくて、外へ出てみると日射しはきついけど風が心地いい。 正直、頑張るのがアホ臭くなって、なんでパートの私がこんなにしんどい思いをしなきゃいけないのか、納得がいかないし、何より体がしんどい。 8月からの疲れが蓄積されて、寝てもとれない日々が続いている。 気持ちを切り替えようと思うのだが、女性上司に対しての怒りは消せない。 大変なのは自分ばかりではないとわかっていても、やり方がえげつない。 いじめだ。 自分の気に入った人と、そうでない人の差がありすぎる。 それに、どれだけ私が決算の時がんばってきたか。 そういうことも、認めようとしないでまだ仕事を押し付けてくる。 「あんたたちで好きにしたら!!」と言いたいところをグッと我慢している。 まだ、辞めるわけにはいかないので。 私、傲慢なのかなあ。 だけど、体が悲鳴あげているし、心が平穏じゃないよ。 どうすればいいのかなあ。
2015年09月10日
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