カナダ西海岸にあるコルテス島から

カナダ西海岸にあるコルテス島から

気功



でもその先生のお蔭で命拾いだ。ほんとに私はいろんな人のお蔭で生き長らえている幸せ者。心の平静を得る為の仏教の勉強も表面上の平静で全てを自分の中に封じ込め発散させていなかった私は体が悲鳴を上げているのも気付かないくらい体には鈍感だった。もともと体が弱い私は風邪を引いたり熱が出るのはしょうがないと思いそんな時は寝ていたが、年中風邪引きさんだった。そう、体が冷えていたのだ。すぐ寝るので無理を重ねて重い病気になるにはいたらなかったけれど、ある意味五体満足なのにそれを大事にしていないという、今から思うとけしからん怠け者である。

さてそのS先生によると、よく生きてるなあということだった。ストレスを引き受ける腎臓がもうカチンカチンになっていてアップアップの状態だそう。どうりで慢性膀胱炎なはずだ。機能していないんだから。それから2週間に一度は気功治療を受け2年ぐらいかかったけれどましになっていった。気功と言えども一度で良くなるというようなミラクルものではなく徐々に、自分の内面の成長と共に良くなるのだと振り返ると分かる。今思うと本当10年前は先生の言う事を最初の内は聞く耳も持っていなかったんだと恥ずかしくなってしまう。すごく為になることを言われてるのにそれを受け止める器が無いのだ。

もちろん目に見えないことを教わることが多いので今まで見えることしか学んでこなかった頭には馴染むに時間がかかった。だけど先生の10分くらいの治療で体は楽になるのでその方ばかりありがたがって、深く考えず悪くなっても先生がいるから大丈夫!なんて甘えた状態が最初の2年くらい続いていた。

でも本当に良い先生だった。出不精のうちの家族が一家で大阪から名古屋に治療に月一位で通っていた時期もあった。でも残念ながらその先生の治療はもう受けられない。中国の弟子を取らない80歳の気功の達人から名指しでお呼びがかかり勉強に行かれ、今どこにいるのやら。

だけど心の中でS先生はいつも私を励ましてくれる。甘えた2年くらいが過ぎ、興味範囲を通り越した頃から先生の話がちゃんと聞こえるようになってきた。ずっと体を思うならミニスカートをやめてパンツをはけと言われつつもパンツ持ってないもんで聞いていなかったのが、買ってはき、仕事以外はヒールもやめてトレッキングシューズにし、都会に生きる思考を自然に近くとシフトさせて行った。もちろんこう言う具体的な話から見えないものまで何でも知っている人だったがひけらかしもせず、本人の為にあえて答えを言わずにニヤニヤ笑っている若いんだけど仙人みたいだった。

先生に治療してもらっていた4年の間に私はずいぶん変わった。というか強くなった。仏教の勉強も前後して同じ頃のことだが気功は体を直接触るので良くも悪くも影響はやはり大きい。ここで思うのは良い場合はいいのだが悪い場合もやはりあるとい事。気功に限らずマッサージや鍼灸、スピリチュアル系等々。その先生方の方針や技量、人柄、まあシンプルに合う合わないで決めるしかないが。そしてタダより高い物は無いというのも身に染みて思い知ったのもこの時期。

1997年。S先生とも4年の付き合い、ずいぶん体も楽になり、仕事がらみでもしがらみを気にせず自分らしく生きようとがんばり、そして未来の夫はカナダに行ってしまったので私自身も心は半ばカナダ。しかしカナダに行く決心がまだついていず悩んでいる状態でした。

何か新しいことを学びたいなと思って流行りだしたアロマセラピーの講座を取り始めた。先生は良い人だったし、お店の閉店後顧客サービスと先生自身の勉強の為無料でアロママッサージをしておられ好評だった。そして私もしてもらうことに。タダでラッキーと思ったのも確か。がその約束の日は朝から体調が悪くマッサージの気分でもなく申し訳ないけどキャンセルの連絡をするとそんな時だからと強く勧められ断りきれずそこへ向かう。流石に全身コースではなく半身コースにしてもらったがやっている間寒くて寒くてそれに痛いので全然気持ちよくなかった。足首のアキレス腱にリンパを流すというのが最高に痛かった。痛いのはそこが悪いからだと言われそんなもんかと思いつつ終わった頃には6月だというのにすっかり体が冷えきりて、家に帰るのも大変な思いをして帰り、足湯をしたが温まらず。電気毛布を押入れから引っ張り出し寝る羽目に。翌日くらいがS先生の治療の日だったのでとにかく行くと皆がその土色の顔はどうしたんだと驚く。S先生も2年前くらいに逆戻りだなあ~。タダより高いもんはありゃせんよと笑われたのだった。ちょっとしたスケベ心(タダ)が死を招く。

まあ、流石にまた元に戻すのに2年はかかりませんでしたが、それからちょっとリンパドレナージュには手が出ません。そしてその秋にS先生は数ヶ月で帰って来るよと軽い挨拶をして行ってしまったのでした。

今思えば、”これからは自分の中から出てくる言葉にしたがって生きていきな。”と言ってくれたのはお別れの言葉だったのかと思います。いつもそれでうまく行くとはいかないけれどその言葉に従って今の自然暮らしがあるのもS先生のお蔭、つたない弟子だけど先生ありがとう。これからもぱ~ちぇの亀のような真理を求めるというか自分を楽にする旅は続きます。


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