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長らくお休みしてしまいました。5年という歳月は何というスピードで過ぎていったことか。2005年には大好きだったBowen Islandを引っ越しサンシャインコースト、シーシェルとに引っ越し息子が生れたりといろいろなことがこの5年にありました。そしてバンクーバーからフェリーを3回乗り継、8時間掛かるこのコルテス島に来て3年目。またいろいろなことを御紹介していきたいと思います。久しぶりにブログのページに来ましたら全く設定などが変わっていてそれを理解するのに時間が掛かり(まだ把握していません)今日は再開の御報告飲みで終わります。
2009.10.26
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昨日は友人のお母様と言っても今ではこの方が私の友人と言える存在になってしまった様だ。とにかくその方はバンクーバー市内にコンドを所有しておられ時々バンクーバーの空気を日本での忙しい日々のチャンネルを切り替える為に吸いに来られる。いつも突然電話があり”今バンクーバーです”と始まり、私の都合がつけば市内でお茶をしながらお話しするのが常だった。が、今回はやっと私の願いを聞き入れてくださり、遠出は苦手とおっしゃっていたのが、バスとフェリーを乗り換えボウエン島にいらっしゃった。”良い所ねー!”と開口一番。久しぶりの再会を喜び合った。ボウエン島の玄関口を過ぎると昨日は土曜日と言うこともあり小さなクラフト市が観光客用に開かれていた。そこから少しはなれたSnug Coveマリーナの駐車場の入り口で野菜スタンドが立っていた。トレーラーで新鮮な野菜や果物を売りに来るのだ。先週サンシャインコーストに行った時もそういうスタンドがところどころで見受けられ、市内のファーマーズマーケットより安く新鮮な物が手に入れられる。このボウエン島のはサンシャインコースとのスタンドより高かったけれど、1パウンド(450g)3.5ドルのブラックチェリー、費とは1箱5ドルのラズベリーと大きな1箱6ドルのブルーベリーが美味しそうで思わず2人で買ってしまった。チェリーはオカナガン産、ベリー類はフレーザーヴァレー産の朝取りということだ。まあ、バンクーバーどこで買っても産地に違いは無いようだ。家に着きいろいろと日本のお土産を下さったが、これこれとジップロックに入った銀紙をおもむろに開けて渡された。長芋の種芋だ。うれしいー!長芋は市内のふじ屋さんで手に入るが高い!いつも買う訳にはいかない物の一つだ。幸いカナダは野菜類も持って入ることができるようで不正輸入には当たらないはずだ。引越しを想定して地植えするよりプランターの方が良いでしょうと、早速空いているプランターに嬉々として植えさせていただいた。今年は多分食べられるほどには成長しないらしい。大丈夫。忍耐力だけは誰にも負けません。来年でも再来年でも成長と根付くのを楽しみに待ちます。カナダでとろろそばが食べられる日を夢見る幸せ。チェリーは本当に大きくて甘くて美味しかった。ベリー類も負けず劣らずの味。今年は事に美味しいようだ。6月の日照時間が長かったお蔭かな。のんびりお昼を食べ果物を頬張り、昨日の内に焼いておいたイタリア式の焼き菓子を去年作ったプルーンのジャムで作ったものをデザートになんだか日本式の女性の午後の過ごし方といった感じで時間を過ごした。夫が5時半のフェリーで帰ってくると言うので、そのフェリーが折り返すのに乗ってバンクーバーに帰るとおっしゃるので次回は泊まってもらうのを約束して一緒にフェリー乗り場まで行き、夫が戻り彼女が去っていった。再来週からは一ヶ月間、従妹の娘と友人の高校1年生がやって来ます。にぎやかな一ヶ月になる事でしょう。高校生との接点などは自分がその年代を過ごした後無かったのでは?30代前半にイタリア語を教えていた中学生が成長して高校生になって卒業と同時に私もカナダに来て、くらいかな。彼女は稀に見る素直な思慮深い子だったしな。恥ずかしがりやだけど自分の興味のある事をしっかり持った中学生が高校で揉まれて柔軟性のある心を養い一浪して金沢の芸大に入ったしっかりしたお嬢さんに成長していった。果たして今回はエイリアンなのだろうか?とても楽しみである。
2004.07.12
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6月29日にサンシャインコーストで4月に見つけた土地が晴れて私達の土地になった。オファーが通ると不動産屋さんが借りの契約書のような物を用意しそれにサインと手付金のチェックを渡し、正式な契約の日(私達が決めた)までは静かな日々だがすぐにでも弁護士さんを探さなくてはいけない。手軽な所でボウエン島の弁護士(正式には弁護士さんではなく公証人だが)を頼み書類制作にかかって貰う。後は名義人の欄にサインし、チェックを渡す。その日は売買の双方の弁護士同士で契約が交わされ問題なければそれで終わり。問題無しの電話が入り、めでたく終わった。あっけないことこの上なし。その土地は、リッチモンドに住む人とウエスト・バンクーバーに住む女の歯科医さんの共同名義でリッチモンドの方が亡くなったので手放したらしい。ただ投資目的で土地を所有していたのだ。これから私達が大事に住ませて貰います。そういうことが済み、でも具体的に何時引越しとかはまだ決まっていないし、いつも見えるところにあるものを手に入れた訳ではないので、なんだか実感がない。だけど、今まで見えていたものも、見慣れているボウエン島の風景も人もなんだか違うように見える。夫すらも・・・。不思議だ。それとも自分自身が地に足が着いていないのかな?でもこの新しい気持ちは気持ちがいい。全ての物がリフレッシュされたような新鮮な気持ち。先日サンシャインコーストにフェリーで行き、最寄のハーバー、ペンダーハーバー(Pender Harbour)を通り越し、又フェリーに乗り北上しパウエルリバー(Powell River) にあるマリーナ一つに泊まっている29.5フィートのヨットを借り大家のBillと3人で土地を見に行ってきた。大変な大回りでマリーナまでまずフェリーに3回乗りドライブとで6時間掛かったし、その夜はそのマリーナで寝て翌朝出航し3時間ほどでNelson Islandに着いた。殆どが移動に時間を費やす3泊4日の旅でしたが、それなりに調べる事を調べたり、岩にくっついている岩牡蠣をドライバーではずして食べたりと、楽しい時間でした。どこでも蚊がすごかったけど。2日目の夜を過ごしたFox Islandの入り江は物知りのBillが安全に停泊できる所とその土地から40分位の所にあるその入り江に向かう。すでに沢山のセールボートやパワーボートが泊まっていた。アザラシも私達様子をチェックに来る。見覚えのある豪華なパワーボートが、そうJim Pattisonの船でした。バンクーバー一のお金持ち(だよね?)。とにかくロードアクセスできないので船で今のところは行くしかないのだけれど、これまた、桟橋やドックがある訳でもないので大変です。家建設までの道のりははるか彼方かな。明日も行ってきます。明日はSecheltというサンシャインコースとのメインの町の役所にいろいろと土地の資料を貰いに行く予定。自分たちが買った土地がまだ本当はどんな所かはっきりとは知らないのだ。その後Pender Harbourまで行き、多分夜になるだろうから、その辺にあるリゾートで安いロッジにでも泊まり、翌日モーターボートを借りてもう一度ネルソン島に。前回は長くて2時間くらいの散策だったので、今回はもっと長く歩いて土地がどうなっているのか内陸の方を良く調べるつもり。トレイルもない森を歩くのは大変だと言う事をこないだ身をもって知ったので今度は重装備で出かけます。でも、もみの木や杉、ヒノキの巨木の間を歩くのは何にも変えられない幸せ。でも虫除けスプレーは必需品。キャンプしたい方はどうぞ。明日は七夕ですね。
2004.07.06
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トップページの更新もしたかったのですがとりあえず日記を。前回の記入後、実は日本に用事で帰国し一週間前にボウエンに戻ってきました。今回はカナダへ始めての両親を伴いあっという間の5日間の滞在を不幸にも悪天候の中、過ごした彼らを月曜日に空港に送り、昨日今日はのんべんだらりと過ごしております。日本滞在も東京へ四国へ京都へと2週間のジャパンレイルパスを有効に使い切り、その後も法事があった為疲れてもいられず、あっという間の3週間半の日本滞在でした。今回はカナダに私が来て以来(5年?)お会いしていなかった方々や3年ぶりという懐かしい再会が多く感慨深い瞬間を多く過ごしてきました。そして両親の初カナダ。購入した土地をチェックしておきたいと言う親心でやって来た訳ですが、よりにもよって珍しいこの時期の深~く垂れ込める黒雲。薪ストーブを焚いた日が2日も。幸い雨は降っていないけれど雲に覆われた空の下、チャーターした水上飛行機でNelson Islandに飛び1時間半の遊覧飛行をしてきました。晴れていたらさぞや絶景だったろうことが悔やまれますが、人生そうなんでもうまく行くものではありませんから、それで良しとしておきましょう。しかし、考えたくなくても昨日からのこのお天気の回復具合には茶々を入れたくもなるのも又事実。そして夜7時過ぎに昨日今日と今年始めてみる小鹿の登場です。いつもは4月には母鹿に連れられた小鹿をすでに見るのですが今年は見ないので、今年は珍しく産まれなかったのだろうかと主人と話していたのです。もう一日早く現れてくれれば・・・。いえ、きっと家の中が騒がしいのが分かったのでしょうね。それにしても本当にまだ小さくて鹿の子模様がくっきり付いて可愛いです。昨日ふと、台所の外にいるのを目が合いカメラを取りに行ったら、怯えていて去って行ってしまいした。毎年見ていますがそんなに怯えている感じではないので、おかしいなと思っていたところ、今日もふと窓の外を見ると茶色い物。あっ、鹿だと思い台所に行くと小鹿と目が合いなんだか震えています。テラスの方へ出たら母鹿がすごく小さかったのが分かり、初めての小鹿でまだ要領を得てないんだろうなと察しました。去年までの母鹿は結構人がいようがむしゃむしゃ草を食べてましたけど、この親は自ら率先して逃げていきます。それを小鹿が跳ねるように追っかけていきます。その内写真が取れたら又載せます。という訳でご無沙汰していたわけですが、これからは又更新してきますので覗きに来て下さいませ。
2004.06.16
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今年の赤ちゃん4羽誕生!主人は一昨日は5羽だったと言っていましたが・・・。自然の摂理か。 この時期、こうやってイーグルがよく木の上から見ています。 他にもミンクやラッコが狙っているようです。これは一昨昨日の夕暮れです。
2004.05.11
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ここバンクーバーそして、ヴィクトリアが州都のブリティッシュ・コロンビア州。あまり日本ではこの州の名前で語られることは稀だけれど、本当に宝石を散りばめたような州です。バンクーバーはもちろん有名だけれど、ここに来る人達には後三日ほど(ほんとは一週間は最低)時間を取って、バンクーバー島やトワーセン(Tsawwassen)フェリーターミナルから行ける島々、そして内陸部のほうにも素晴らしい自然のところが沢山あるので、体や心で触れていって欲しいと切に思う。もちろんスキーのWhistler(ウイスラー)やバンクーバー島のTofino(トッフイーノ)なんかは有名だけれど、 まだまだ感動物の場所がある。バンクーバー島を北上したTelegraph Cove(テレグラフ・コーブ)はオルカの生態研究の盛んな土地でそこから、生物研究者やスタッフが生態の説明をしながら船でオルカを見に行くツアーが幾つかある。ビクトリアやここホーシューベイからもツアーがあるが時間が無い人用のオーバークラフトで行く何とも味気ないツアーだ。(それでも堪能なさった方々は、それでも良いと思います。)それからキャンベル・リバーではサーモンがびっくりするほどいるし、Salt spring IslandやPender Islandは本当に可愛い島だし。ここの自然は繊細なバラエティー豊かな種類の木々の自然ではないけれど、無骨な野太い感じの自然で私達を包み込んでくれるような懐の大きさを感じる。ごつごつした岩肌を緑や白灰の苔が覆う。硬いものを柔らかいものが覆っている自然の美。夏の水面の美しさ。これはヨットやボート、カヤックで経験できます。バンクーバー島に守られた内海ならではの初心者にも優しい海との出会い。昔からハイダなどのネイティブ・インディアンの人たちが大切に愛しんで一緒に生きてきた海。現代文明で変わってしまったけれど、まだそれが残こっているのを感じることが出来るここカナダ西海岸。沢山の建築用製材のため、今も沢山の木が切り出されているが、それでも原生林を残す森も沢山今では守っている。豊かな降水量がこの森達を守っているのだが、やはり世界的な異常気候はここにも表れているのか、なんだか降水量が年々減っているように思われるは私の浅はかな感覚のせいだろうか?とにかくこの自然が破壊されないよう切に願いながら、一緒に生きて行きたいと願うぱ~ちぇ夫婦であります。と、BC州PR課になった今日一日。
2004.05.08
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今日は雨が降ったりやんだりするしっとりした日です。こういう日があるとほっとしたりするのはBC州の住人になった証拠だろうか。昨日摘んだ蕨は今日の夕食に。 昨日の夕焼けはまるで朝日のような光でした。御来光のような。 そしてその中草を元気に食べる小鹿をもみの木の根元に座ってのんびり母鹿が様子を眺めていました。
2004.05.03
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昨夜遅くから今朝方まで雨が降りました。10日ほど天気でカラカラだったので種を蒔いたばかりのちっちゃな畑が喜んでいるでいます。今年は大家さんに耕さないでとお願いして不耕起栽培でやってみます。去年植えたセロリとイチゴ、一昨年から繰り返し頑張っているルッコラ、イタリアンパセリやマーシュも元気なのでそっとして置きたいし。豆類はいつも失敗するけれど今年はどうなるか。このところ食料の買い物をずいぶんしていないので野菜類はジャガイモだけになっているストックを見てああ、そうだ今日は家の周りに立っている蕨を食べさしてもらおうと、さっき取りに行くと、がーーん!!そう昨日ビル(大家さんの)が草刈をしていた。彼にとって蕨は雑草でしかない、美味しそうな若々しいのが殆ど刈られ姿かたちも無かった。とにかくそれでも探しいくらか見つけたので今アク抜きしている。だから今日はまだ食べれないかな。明日の食卓に。今日は日曜日だけれど主人は昨日も今日は仕事。昨日は6時半のフェリーに乗り遅れ、土曜日は7時半のフェリーが無いので8時半まで待たなくちゃいけないと暗~い声で電話があった。なのでお互い別々に食べることにし私は簡単に夕食を済ませて待っていた。彼はホーシューベイに2年半ほど前出来た韓国系の方がやっているすし屋で食べてきたらしい。夫婦2人の小さな店で他にも”ありがとう”と言う日本食レストランもあるがそちらは食べたことなくもっぱらその小さい店のテイクアウト専門だった。昨日はオーナーの友人の漁師が釣ったサーモンをくれたらしくそれを出してくれたそうでなかなか美味しかったそうだ。そしてリラックスタイムとロードオブザリンクの2をビデオで見ていたが1時間もしないうちに夫はお腹を出して寝てしまっていた。お疲れさんですね。ここ3日ほど不動産の件、弁護士の件などいろんな事が重なりかなり肩の荷が重いのだろう。いろんな事を経て人間の株も上がるというもの、頑張ってね。なんて今朝言ったら、君は何にもしてないから簡単にそんなこと軽々しくとかギャーギャー言ってました(笑)。不動産の方は一応オファーを出しました。向こうが受け入れればもう後戻りできません。私達の将来は何にも無いただ自然だけがあるネルソンアイランドの一角に決まるのです。でもそれもC'est la vieですよね。
2004.05.02
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昨日は忙しない一日になりました。かなり精神的に夫婦共々一杯一杯です。自分達の家を決めるのは簡単ではありません。それもかなり気に入った所がありこれからじっくり検討しようかな、なんて悠長なことは土地や家購入にはある種当てはまらないんでしょうね。そして慌しく決めて後で悔やんでいる友人を結構知っていますが自分がこうならないという保証も無ければ、検討しすぎて他の人に先を越されるのも馬鹿げた話。いくら縁ある土地だったとしても棚からぼた餅で手に入る訳はないですよね。だけれども成るようにしか成らないのも人生。C'est la vie! 私たちが気に入った土地を同じ日に見に行っている人が居て、その人はさっさとオファーを出している。が、そのオファーは表示額より少ないので売り手は断ったらしいが、昨日その人が今度は現金を持ってオファーをしたそうだ。しかし又もや低い額を提示しているので私たちも欲しいならオファーをすぐに出さないと売れてしまうかもしれないというのだ。昨夜は買うという重圧にも押されやっぱり自分たちとの縁は無かったんじゃないだろうか、もう少し探し続けた方が良いんじゃないかなんて気持ちが湧き上がってきて話を進めるのを中止した。が、今朝はやっぱり良いと思ったら勇気を持ってやってみようじゃないか。なんていう気持ちが湧き上がってくるし。困ったものです。今日は土曜日、夫は朝早くから仕事に。大家さんは肩掛け草刈機をレンタルしてきて敷地内の草刈。今年の4月は普段の半分くらいの降水量じゃなかったのだろうか?草も元気に育っている。刈った後は草の匂いでとても気持ちがいい。干草じゃないけれどなんとなくハイジになった気分。しかし頭の中はぐじゃぐじゃなので今晩から遊びに来るはずだった夫の同僚には訳を話し又別の機会にしてもらった。バンクーバーはいろいろストで大変らしいが私達は自分達のことで一杯一杯だ。
2004.05.01
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オーストラリアにもサンシャインコーストがゴールドコーストのそばにあるがここブリティッシュコロンビア州にもサンシャインコーストがある。ここボウエン島に本土から来るフェリー乗り場Horseshoe BayからLangdale行きのフェリーで40分となかなか快適な船旅の後着くのがサンシャインコースとの入り口です。そこから北に60キロほどの西側を海に面した地域がそれほど日本では知られていないけれど夏には長期滞在者や観光客でごった返すBC州のリゾートスポットの一つです。私たち夫婦は昨日ネルソン島とバンクーバーに家を持ち、そのサンシャインコースとそのメインシティー、Gibsonにオフィスを構える不動産屋さんとネルソン島に土地を見に行ってきました。そこは島なので不動産のデニスおじさんがボートを泊めてあるマリーナの一つペンダーハーバーから彼のボートで20分ほどの島です。いくつか見てまわりました。基本的に道路は無いので船か水上飛行機でのアプローチしかありません。電気もないので皆プロパンガス、ソーラーパネルと発電機と用途で使い分けています。別荘が多いようでした。目星をつけていたものがやはりウェッブページの写真と実物では違い今ひとつだったのですが他に見せた貰った中にここはかなり自分達の思いに近いというところがついに見つかりました。しかし皮肉なもので、私たちより数時間早く見に来た人がオファーを出し、しかし出した金額が土地の値段より低いので断られたという事が昨日、帰る途中に分かりました。そして今日の朝デニスから又電話があり、断れた人がもう一度今朝キャッシュを持ってオファーを出しているそう。私たちも欲しい場合オファーを出さないとどうなるか分からないということ。こんな一生を左右する決定をそう簡単にはできないけれど、ぐずぐずしていて機会を逸するのも又ばかな話。キャッシュを持ってきていても相変わらず安く買おうとして提示額より安い金額をオファーしているそうなので私たちが提示額どおりでオファーすれば私たちにOKが出るかもしれない。出ないかもしれない。それも神の御意思??土地が私たちのものならきっと手に入るだろうし、そうでなければ縁が無いということだろう。焦らず待とう。だめでもこれで勇気が湧きました。これまでいろんな所に見に行ったけれど今ひとつピンと来なかったので希望しているような所は無いのかもしれないと言う落胆の方が多かったが、昨日見た物件はそれぞれ一長一短だったが悪くなかった。だからこれからも諦めず探せばきっと自分達の土地が見つかると確信できたのだ。とにかくサンシャインコーストは良い所だった。今までいかなっかたのが信じられない。でもヨットでは始めてのクルージングでペンダーハーバーに訪れている。そう、クルージングをする人達にはとても有名だ。ネルソン島はデゾレーションサウンドというクルージングのメッカの入り口だし、東側の山々と西側の海と島々でかなりの景勝地。昨日はこれでもかというくらいお天気にも恵まれたので良い面しか見れなかったかも知れないが牡蠣の転がる海岸でおにぎりを頬張り、それだけでもいい一日だった。そんな考えの人たちが多いらしくデニスは物件探しに1日300ドルの費用を請求します。そして買った場合その金額は物件の金額から引かれます。そうしないとラッキーなピクニックをしようとする輩で大変だったそう。さてどうなる事やら分からないが今日も良いお天気。明日は夫の同僚とガールフレンドが遊びに来るので家の片づけをしなくていけない。収納場所が少ないので衣類をしまう場所が無く苦労している。その同僚のご両親が以前そのネルソン島に別荘を持っていたのでいろいろと話を聞くのが目的。それに彼は日本にもいたことがあって日本を話すそう。楽しい週末になるだろう。
2004.04.30
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昨日は久しぶりに雨が降ったり風がひどかったりと不安定な天気だった。そしてとっても珍しくお客さんがあった。ブロンド美人、でもとっても臭うHannaちゃんだ。私たちがここに住みだした3年前から2年ほど頻繁にうちに遊びに来てくれ、まだ住み慣れないぱ~ちぇをどれほど慰めてくれただろう。小型や中型犬は知っていたけれど大型犬との付き合いは無かった私。最初はおっかなびっくりだったけれど大型犬の大らかさや優しさをハナから教わった。物知りの彼女は散歩に出るといろいろな新しい道も教えてくれたし、彼女のお気に入りの遊び方も私に仕込んだ。自分流の遊び方があるのだ。動物って面白い。飼い主は家に来るのをあまり喜ばず、来たらGo home!と追い返してくれと言われた。それからはできるだけ相手をせずにいたらとても哀愁の漂う姿をし演技なのか地なのかしらないが人の郷愁を誘うような姿、胸が苦しくなるような。将来犬を飼うならゴールデンが良いなと思い始めた。ちょうど一年ほど前から家にまったく来なくなり300メートルほど離れた飼い主宅でもあまり見ず、学校で躾けられていると風の便り。その後見かけても前は尻尾を振って駆け寄ってきたが、どこのどなたさん?っと冷たい流し目で見られるくらいの間柄に成り果てていた。降られた男になった気分を味わう。そんなこんなでハナに癒してもらう時期が終わったのだなと心得、このところ日々が過ぎていたのだ。昨日はきっと飼い主がいず、よっぽど暇をもてあそんだのか久しぶりに私の顔が頭に浮かんだのだろう。台所で皿洗いをしていると外で何か動く気配。輝くブロンド。おお、ハナちゃん!久しぶりにキャッチボール遊びをし(はあ、のどかだよね。こんなんで良いのか?)その辺を冒険した。一緒に風を嗅ぎ。いくら好きだといってもそんなことをずっとやってもられないので途中まで家に送っていき帰る様子を見届け家に戻る。彼女が景色を眺める様はまさに威風堂々と言う有様でけっこう惚れてしまうのだ。早く犬を飼いたい。バンクーバーの犬は総体的に幸せそうだが、この島やバンクーバー近辺の島々にする犬達は本当に自由で幸せそうだ。猫も自由だ。
2004.04.28
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昨日は主人の看病疲れか朝起きられなくて気が付いたらお昼もまわっていた。よく寝ても今ひとつしゃきっとせず体も冷えていたのでお風呂に入った。さあ、暖まったので出る前にシャワーを浴びていたら突如水が茶色になり、むむ、おかしいなと様子を見ていたらお水が止まったのです。むむむ、どうしよう。とりあえず体は洗い流した後だったのでそのまま体を拭き外へ。確か大家さんが水道管の空気を出す作業をすると言っていたからそのせいだろうと思い、深く考えず様子を見ることにした。2時間後、やはりでないのでこれはおかしいなと大家さんに電話。彼は何もしていないのでそれは問題だから見に行くよと早速来てくれたが原因が簡単に分からない。家の水はこの家の上にある土地の所有者の敷地内にある池から引いているからそこのパイプが何がしのせいで詰まったか、はたまた引いてあるパイプが漏れているのか。その池に行って様子を見たりパイプを掘り起こしてみたりといろいろやったがその辺がおかしいのではなかった。それに池には一組のカナダギーズのつがいが巣を作りメスが卵を温めていてオスが見張っており私達は近づけなかった。結局家まので水はちゃんときていることが分かったのでそれでは中の問題だろうと家の中の基のパイプ類を調べていると多分そこであろうと思える所が詰まっていたので直し又接続して水を流してみたら流れたので、ハレルヤー!直ったと嬉々となったが水が茶色なのでそれを流すべく出しっぱなしにしていたら3分位して又完全にストップ。はあ、意気消沈。池の方で掘り起こした所を直しに上に行った大家さんを又呼びに。この池までの距離が500メートルくらいだがかなりの坂なので結構苦しい。昨日は4往復もして結構な運動になった。大家さんは65才なのに本当にタフだ。 そして今度はパイプ自体が詰まっている所を発見しそこを通したりしている所に夫が戻って来た。もう7時過ぎだったし晩御飯の用意が出来ていないので、不本意ながらピザを買いに行ってもらった。やっともう一度繋げて水は出たが接続が甘いのでそこから水がシャワーの様になり、又水道を止め接続をきつくして晴れて作業は完成。池の水をそのまま引いているので泥だの何だの一緒に流れてくるのが蓄積して詰まったみたいで、今回はちゃんとフィルターを入れてみました。普段その水周りのところは見ない振りをして掃除していなかったのが、きれいになって良かったです。そんなことでもないときっとずっと見ない振りだし。それにフィルターをずっと入れたいと思っていても主人も大家さんも男だからあんまりそういうことには興味なくてほったらかしにされていたので満足している私です。これで時々お風呂を溜めていて、んん、なんか泳いでる?って事がなくなると良いなと思っています。カルキ臭くないお風呂に入れるのは良いけど、やっぱり虫と一緒のお風呂もあんまりいただけないと・・・。池の水かさが減ると水も色付きになり緑のお風呂はまだ我慢します。ほんとう、ここに住みずいぶんいろいろと逞しくなりました。それに家の中に見る虫で季節の移り変わりも知ることができます。これから一ヶ月くらい小さいアリが台所を行進するし、そのアリの20倍くらいのアリが窓を開けているとそこから入ってきて夜になると天井から落ちて来て動きまわるのです。去年は夜になって窓を閉め忘れたのに気づいた時にはすでに遅くアリだらけ。天井からポトン、ポトンと落ちてくる音に夢を見るくらいうなされました。そんなに悪さをするわけじゃ無い見ただけど刺されることもあるみたいなのでアリには悪いけど掃除機で吸っちゃいます。それにどのみち私達の掃除機を逃れたアリも翌日には絨毯の上で死んでいるのです。そう、とても不思議なアリなのです。最初は羽まで付いていてそれで海を越えてどこからか飛んで来て、家にたどり着きそこで羽を落とし、木などの外壁を食べるんだそうです。それから?は知りません。家に入ってきて死ぬんだけど。何のため?そしてシャワーを浴びた大家さんの一働きを労いながら皆でピザをつまみ、私は飲みませんでしたが大家さんも夫もビールが事の外美味しかったそう。突然のハプニングが起こるのが田舎暮らし?いややはり日々の用心でそれは防げるのだというのも学びました。
2004.04.27
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今朝はツバメがいいお天気を楽しむかのように家の周りを飛び交っています。ツバメは街中にある実家の家にも巣を作るように環境に合わせどこでも自分達の世界を造って行く強い存在ですね。頼もしい。それにしても飛び交う様はすいすいと本当に気持ちが良さそうで私たち夫婦も朝から目覚めが良くなります。しかし夫はまだ風邪が良くなりません。普段丈夫だし、引きかけても免疫が強いのか気力で直す性質だけどきっと、去年の9月からの職場の毒素が溜まっていてそれが出て行くのに結構時間がかかっているのでしょう。そう、溜まった膿は出さなくてはいけません。見ない振りをしても体のどこかに蓄積されています。出してすっきりさせなくて、新しい良いものも入ってくれないし。ところでぱ~ちぇは何かを学んだり聞いたりした場合、物の呑み込みは悪くありませんがそれをすぐに引用して私見を述べるのや要約して伝えるのがいくつになってもとっても下手です。でも少し時間を置くと自分の中でこなれてくれるのかやっと自分なりの意見や教わったことを人に伝えられるようになります。これは外国語の中で生活しているからかな?否、日本語でもそうだから私的な思考回路の問題でしょう。よくこれで通訳を5年もやっていたものです・・・。基本的にワインの醸造と味覚関連だけだったので大丈夫だったのでしょう。これは自己弁護か。それにしてもロスト・イン・トランスレーションはまだ見ていませんがそれはきっと本当に現実です。私たち夫婦の間でもよくそれが起こるので見てもいないこの映画のお蔭で些細な誤解が喧嘩に発展するのを笑いで済ませるようにしてくれて感謝しています。この言葉が水戸黄門様の印籠のように響きます。ありがたや。さて話が又ずれましたが、昨日の太極拳ワークショップで何を学んだんだと主人に聞かれても一言(彼は簡潔に物事を伝えるのが好き)で言えなかったのでちょっと待ってねとお願いしていました。夜になりバスタブの中でそれまで頭の中から消えていたJayeson先生が繰り返していた言葉”ワインボトルを作る”がはっと思い出されました。ふ~ん、私って本当にばかだなあと思う瞬間。どうしてこう思考回路がのろいんだろう。計算も嫌いなのとでそういう理路整然とした事が述べられる回路が残念ながら無いんだろうな。昨日の会の閉めの私見を述べる場合にも訳分からんことを述べる私がいて、もっと深い意見をいつも述べたいと反省してもそれを繰り返している情けない私。そう、とにかくそれは新しい発想でした。ワインボトル。職業的にもワインには携わってきた、が、中身の問題であってボトルは容器としての存在、形の違い大小の差があったとしてもそれくらいの意味しかない。コルクでさえ云々と話題にされる存在なのにボトルはとっても無関心な存在だった。あまりにも当たり前すぎて。それが昨日は先生によって脚光を浴びる存在に!!それは私たちが自分の中身ばかりにこだわって形を忘れているという話。確かに太極拳やいろんなスポーツには型がある。が、その話は置いておこう。ここでは自分の体をボトルと見る。ボトルがなければワインは存在しない。より良いワインをさらに熟成させる為にもボトルは必要だ。それはふにゃふにゃなプラスティック容器やテトラパックのような物ではワインはそれで終わってしまう。良いガラスのボトルを作るために自分も努力しなくてはならない。そしてガラスが形を変えないように自分の形も頑丈になるように、修練が大切。とても納得できる要点であまりに納得できてするっと頭に入り忘れちゃったのだと思う。違和感が無いものだと存在自体忘れちゃうように。太極拳を何の為にやっているのか、健康の為、何かを得る為などいろいろ理由はあったがここのところきっとはっきりした目的が自分の中で見失われ拒否反応が出ていたのかもしれない。Jeyason先生は昨日の朝、僕はみんながより早道でそれぞれの目的に到達できるよう助けたいと話したが、私にとっても先生の存在はより道を遅く歩ませられる存在であることにその時気づいた(トホホ・・・でも感謝)。太極拳をすることによっていろいろなことが自分に起こりそれを探る寄り道が私にとっての大事な過程だったのです。自分を偽れなくなる人と一緒に太極拳ができない、そしてそれが何故起こるのかを知ることが次のステップへの道しるべ。亀の歩みは果てしなく続くのですね。ツバメ達のようにどんな環境でも適応する頑丈なボトルを作るためにのんびり修行していこう。
2004.04.25
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太極拳、こちらではTai chiまたはTai chi chaunなどと呼ばれる。日曜日といわずQueen Elisabeth Parkでは早朝からいろいろなグループに別れ太極拳が行われている模様。中国4千年の知恵は衰えない。今日はぱ~ちぇの先生、Jayeson先生が1日セミナーを行い太極拳の極意10項目なるものを朝9時から5時まで学んだ。先週の土曜日が予定日だったが私がまだ日本から戻っていないので今日に替えてくれたのだ。休めない。去年の秋から人と一緒に太極拳ができなくなり苦し紛れに中止。何故だったんだろう?そういう時期が私にはあるのです。そして3月からプライベートで又再開。今日はもちろん一人じゃないのは分かっていたが、何も構えることなく朝その場所に向かった。知っている人初めての人6名いたが拒否反応は起こらなかった。自分の中のある時期が過ぎたのが分かった。これなら先生にプライベートで頼まなくても又教室に通えるようになるかもしれない。体はけなげな存在だが、マインドというものは不思議な存在だ。自己主張するし無視するととんでもないことになる。でも自分も変わっていくし人も変わっていくのを今日実感した。そして物事が起こるのは偶然ではない。何事にもタイミングがある。沢山の気づきや学びが今日あった。とってもありがたい。感謝。
2004.04.24
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今年初めてのハミングバードがやって来ました。ハミングバード用の蜜入れに蜜水を入れてやる時期になったようです。本格的な春(初夏?)の到来!まだ蜜がある花も用意してないし、ハミングバードは様子見に来てらしく窓から私の様子を見去っていきました。今日の天気は未明から雨が降り朝もしとしとしていましたが、お昼前に太陽が顔を出してくれました。雨上がりの透明な空気が美味しいです。先ほど太極拳の先生と1時間ばかり久しぶりのレッスンをし良い気分です。そんな私とは裏腹に夫は赤い顔をして辛そうに寝ています。昨夜、就寝中に風邪のピークを迎えたようで今日は仕事も流石に休みたい体調回復に努めています。はい、頼りにならない妻もお世話させていただいています。うつす事を彼は心配していますが、すっかり元気になった嫁はうつないと断言できるほどのコンディションです。日本での何故か過密になってしまった滞在中、京都の鍼灸の先生のサポートがあったのはもちろんですが妙に元気だったので久しぶりの友人しかり初めて会った人たちからもはちきれんばかりに元気そうだと言われ。3度ほど着物を着付けてもらったのですがそれぞれの場所の着付けの方に何かなさっているのですか?と聞かれ、自分でも自分の変化に気づいた次第。で、思い起こすと太極拳だろうか?しかし最近はサボっていたしなあ。あっ!そうだ。2月から本格的に始めた人参ジュースと生姜紅茶の効果なのだ。そうして、その事を話すと、皆人参ジュースはできるかどうか心もとないけど生姜紅茶は早速やってみますと張り切っておられました。いったいでは何が変化したのか?他人の目には痩せているということで映るのだろう。が、私は2月まで小柄だが痩せてはいなかった。いらない物がここ3年ほどでいろいろ着いていた。そういう物があっさり無くなったのだ。もともと太りにくい体質で羨ましがられていたが、栄養を効率よく使えないと言う欠点であり6年ほど前体力が無いのでもう少し太った方が良いという気功師S先生の勧めで蛋白質を沢山取って5、6キロ増やした、体力は付いたが運動を怠ったので情けない体型になったが、その頃カナダ行きそして妹の病気などが起こり体型など二の次だった。そして日々は過ぎ、運動不足の祟りはいろいろな症状で現れていました。そして太極拳やサプリなどである程度までは向上したのですが、どこかで何かが足りないのか。ブレークスルーできずにいる思いが悶々とありました。それを妹を失った悲しみとひっくるめて落ち込むことで見ないふりもしていましたが、家族を失う悲しみに埋没するだけが人生でもありません。彼女も喜んでくれる訳ありません。より大事に人生を生きていく為自分の心身の健康が大切です。っと何気に始めた去年10月頃の人参ジュースに今年の1月日本でひどい風邪から回復する為に生姜紅茶を始め。2月からはその両方を始めたらこの結果。太極拳の先生はジュース絶食を時々されますがそれは身を浄化する為、いらない物を排除して軽くすると言っていましたが正に身が軽くなるんだなあと実感します。夫はお茶類はあまり飲まないのでもっぱら人参ジュースだけですが2ヶ月ほどで10キロ減ったのは以前に日記にも書いた記憶が。今回の日本滞在でジューサーにも煩くなりました。カナダではここ一年ほどパワージューサー(最初はグレープフルーツジュースを飲む為に買った)にお世話になっていましたが、ちょっと今不満です。東京の友人たちと3年ぶりの再会でその後主人方とジューサーの機種の話で熱く盛り上がった一夜を過ごしました。まあ、今のところは飲めるだけありがたいと言うことにしておきましょう。6年ぶりのスイスの校長とこの話をしていたらスイスでは人参ジュースのビタミンAが目に良いと言われ”だからメガネをしているウサギはいないでしょ!”っというとてもスイス的な寒い笑い話をしてくださいました。そして校長の息子さんは30代になったばかり位の年代ですがジンジャーティーが良いんだと仰っていたのでスイスでも効能が認められているようです。まあ、そのジュースを勧めてられる石原先生はスイスの保養所で、人参ジュース療法を見られて始められたんですものね。さあ、もう一度病気の夫に作って上げましょう。
2004.04.23
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4月17日に我が家に戻っていましたが、昨日まで頭が枕から上がりませんでした。やっと今日から体が目覚めた信号を出してくれ色々なスイッチがオンになりつつあります。無理はしないのがぱ~ちぇの学んだ生き方です。怠け者でごめんなさい。さて私がいた一ヶ月の日本でもそしてこのボウエン島にいた我愛する夫も又もや人生のターニングポイントか!!ってくらいいろいろなことが盛り沢山にあった日々でした。そして何もかもがこの島にいて自然の中で生きていることのお蔭の延長上に起こっていること。すべてのことがありがたい。それにしても普段超が付くのんびり生活のぱ~ちぇです。今回の日本滞在は又超が付くスケージュールとなり父親に人に頼るなと小言を言われつつ、現在頼みの綱の京都の鍼灸の先生を頼りつつ中頃風邪を引きそうになったりしましたが乗り越え最後の日まで元気に過ごしてきました。が、もちろんその反動は来ます。戻って最初の2日は夫との会話も無く、夫のお世話なんて持っての外で寝入ってました。ごめんねこんな妻で。でもやるときゃやるのよ、あなたの妻は。と意味不明なことはまだ時差ぼけのせいと言うことでお許しを。日本最初の2週間は季節の変わり目のせいか、やはり木の芽時とはよく言ったもので気持ちが落ち着かないんですね。まだそんなに忙しくなかったのに頭だけがくるくると回り、いつも相談事をしている方から酸素を吸いなさい、酸素をと言われ、スポーツ選手でもないのに酸素ボトルというのを初めて買い吸ってみましたがなにやら全然違いが分からず、違いの分からない女のよう・・・。とまあ、頭を冷やし気を静める事ができたのでそれが目的だとすれば成功したことになるんでしょう。やはり普段あまりにも良い空気を吸っているので実家の大阪で自分では空気に違いないので何気に吸っているつもりなのですが潜在的意識が大阪の空気を吸うのを拒否していたようです。自分じゃ全然拒否している気持ちは無いんですよ。不思議ですね人間って。自分も知らない自分がいる。そしてそれが何で第三者にわかるの?今日はこの辺で。昨日から具合が悪いといっている夫のお世話をしなっくっては。
2004.04.21
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今回の帰国はあまりに慌しく本来のぱ~ちぇカナダ、島暮し便りとかけ離れた生活を送る現在日記を書くのをボウエン島に戻る4月19日までお休みしようと思います。ぱ~ちぇのページで一緒に自然を楽しんでくださる方々、又その頃遊びに来てくださいませ。ではその日まで皆様にたくさんの幸せが訪れることぱ~ちぇは祈っております。Good Luck!
2004.03.28
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いつもは日本に帰るとかなりの日数疲労感があり、元気が無い。でも今回はちょっと違う。やはり初日は良く寝たり数日は負担になるような事は避けたせいだろう、回復するのが早い。自己コントロールは大切だ。仕事をしていたりなにかのせいで調子を維持する必要がある場合に比べて無職の主婦になってからのぱ~ちぇはずいぶん自己コントロール力を失った。でもやっと何かに依存しないコントロール力を得た感じがする。皆のおかげ。となんだか訳分からない事を綴ってしまった。そう、それにしても日本での生活とカナダでの生活は同じ人間だと思えないくらいスタイルが違う。両親などは私がどのようにボウエンで暮らしているか、まったく想像できていないと思う。どちらがいいという訳でもないし、ただ土地土地で生きるスタイルがどうしても違うのは普通のことだろう。でも日本のぱ~ちぇは何をしていてもなんだか現実味が無い。という訳で何かパラレルワールドの中で遊んでいるように感じる今日この頃です。きっとデパートの物産展で色んな地方の名物を見て頭がぐるぐるになってこんな風にかんじてるのだろう・・・。ああ、暗いニュースばかりの日本でも働き者で素晴らしいものに溢れる日本に幸あれ。熊本の丸安さんのお多福豆美味しいよ。
2004.03.26
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22日に帰国しました。いつもは空港に降り立つとあ~暑い~!と思うのが今回空港ビルを出て震えました。カナダを発つ前の二日間は大忙しでこちらに着いた夜はとにかく眠くPCを触る暇もなく、昨日になってさあメールのチェックをしないとと、しまってあったメビウスを引っ張り出しケーブルの電源を入れたりなんだとして繋げたら、繋がらない!!大ショック。いろいろ試し午前中がフイに。う~ん、前にもこういう事は起こったのです。触った初日はどうにも繋がらない。が、翌日PCを立ち上げると何事も無かったかのようにちゃんと繋がっているのです。なんで~??という訳で今朝、今回も同じことかしら・・・繋がったら昨日のあの無駄な努力はどうなるの・・・と思いながら立ち上げる。繋がってるんですよね、今日は。本当になんで?一日コンピューターが目が覚めるのにかかるのかしら?まあ、繋がったからいいようなもの・・・。でも、動いていたワイヤレスを認識してくれずケーブルを直接繋がないといけません。なんか日本(我実家と言った方がいいのか)ではパソコンのインターネット接続ではずっと泣かされます。では今日はこの辺で。眠いです・・・。
2004.03.24
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2日振りの太陽。本当にありがたくなる。こうやってアニミズムは発展していったのがよく分かる。今頃森を歩くと美しい。今朝までの雨でふっくらした苔達が陽を浴びて輝き、水分を蒸発させる様は神々しい。この家は島の北西に位置し東南にGardner山があるので冬の間はその山にさえぎられ陽が当たらない。12月から2月いっぱい家には日がささない。それで無くとも日照時間が少なくなるので本当に気分も暗くなる。そのかわり4月に夏時間になると極端に日が長くなり家の中もカーテンを閉めないと温室状態になるし、お皿洗いをしているだけで日焼けする。この極端さんが笑えるけれど。でもやっぱり太陽の光はありがたい。今日日本で使う為のJapan Rail Passを購入した。先週カナダドルが円に対してとても強かったので買っておけば良かった。まだ強い状態が続くかなと思っていたのですが後の祭り。元を取る為JR乗りまくろう。
2004.03.18
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今日も恵みの雨が降っている。大家のBillおじさんはフェリーに乗って町までジャンクを捨てに行った。誘ってくれたが雨だからと言う理由で断ったが実は今日はFastingをするので家にいた方が良いのです。Fastingは2年前に太極拳の先生から聞いたけれどその時はふ~んと思っただけで自分とは関係ないものと思っていたのがその後の成り行きでここ数ヶ月そのことについていろいろ調べてみた。日本ではこの所プチ断食なんて名前もついて身近になっているみたいだ。手軽に朝食の時や体をクレンジングしてくれるキャロットジュースを断食しないまでも食生活に取り入れたりしてみた。とにかく食べすぎが悪いようなので、夫も正月明けから家で一ヶ月近く一人だということもあってあまり食べなくなり、私が戻ってからキャロットジュースを毎日飲んでいると2ヶ月で10キロ減ったのだ。小食に慣れると少しの量でお腹が一杯になるし、人間飽食をすることを見直す必要がここの所の家畜の問題を見てもあると強く感じる。人間は雑食にできているので菜食に傾くのは自然に反しているが現代人はとにかく食べすぎと気功のS氏も言っていた。蛋白質も体に絶対必要だから動物性にしろ植物性にしろ適量を美味しくいただけば良いと思う。今日は初めて朝昼キャロットジュース断食に挑戦だ。いつもは朝だけだから。夜は主人と食事をするし自分だけジュースと言うは悲しい。なぜ今日かと言うとそれは女性の月の周期の2日目だからです。この日にするといろいろ女性の体にメリットがあるようです。キャロットジュースだけでなく生姜紅茶や具無しのお味噌汁を頂いたりはしますので空腹感はあまり無いです。太極拳の先生は季節の変わり目に実践しているらしく、昨日レッスンにいらした時4リットルの大瓶に赤い液体を入れたのを持参し3日間のJuice fastingをしている最中だった。人参とビーツに生姜のジュースでビーツの色で真っ赤で吸血鬼のようだ。やっている最中はちょっと倦怠感があるし動きがスローになるが終わると爽快なのだという。そして体を空っぽにする感じが太極拳にもっと近づく道なのだそうだ。余計なものが体に無いのが武道を精進する上で大事だと。それすごく良く分かるし実社会にもそれは通ずる。身軽であればどんなことも対処していける。起こることに悪いことは無い、全て自分の為に起こっているのだと知り、対処していけば道が開ける。そんなことに人参やりんごたちが力を貸してくれる。侮れない存在だ。ありがとう。
2004.03.17
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バンクーバーの雨は小降りだ。じゃじゃ振りになるというのは珍しい。山側だったりこの島だと豪雨もあるけれど。だから雨が降ってもそれで桜が散ってしまうこともそんなに無い。こうやって春らしくなっても5月頃までは気温もそんなに上がらないので桜がずっと咲いている状態が続く。あっという間に散ってしまう桜の花の儚さを愛でる日本の情緒はここでは生まれない。すぐ散らないのだから。私がカナダに来たばかりで初めての冬を過ごしあまりの鬱陶しさに驚き落ち込み桜の花を見て初めて元気を取り戻したのをこちらの人達に伝えても、全然ぴんと来ないようだった。桜並木があちこちにあるのでバンクーバーのこの時期は綺麗だ。そろそろ木蓮も蕾を膨らませている。いろんな木々も芽を膨らませて季節の移り変わりを私たちに教えてくれる。冬の間も眠ったような振りをしてしっかり下準備している。昨日のボートハウスの掃除は大変ですっかり腰が痛い。アスピリンを飲んで寝るのを忘れたし。夜も朝も半身浴して温めたけどだめ。昨日踏み台昇降をしたら少し良くなったので又しよう。これは気功のS氏が教えてくれた方法だ。腰や腎臓の悪い人が踏み台昇降で改善されると言う。最初はばかにしていたが歩くのが苦手だった名古屋時代、試しに始めてみたらずいぶん歩けるようになった。お試しあれ。
2004.03.16
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土曜日に土地を見に行く約束があったのだが先方の都合で延期になり、島でのんびり過ごした。土曜日は島の玄関口からキラルニー湖を一周するコースで約2時間。最短コースと最長コースといろいろあるがまあ、そんなとこ。いつもは通らないラグーンを通り民家を抜けるコースを行くとそのラグーンにいつもいるかなり変わった白鳥が一昨日もいた。人が通ると多分何か食べ物をねだっているのだろうが、スーッとやってきて羽を上げポーズをとる。とっても誇らしげだ。でもこの白鳥は実は怖い。のんびり草地に上がって羽干ししている所に犬でも来ようものなら、それに犬の方がちょっかいかけに行ったつもりだろうが、ものすごい剣幕で威嚇して追い掛け回す。犬はびっくりして逃げる。鳥同士でもよく他の鴨をいじめたりしている。未亡人だか寡だか知らないが何かストレスがあるんだろうか?その内この白鳥の姿をお見せします。珍しくないけど。 昨日はこの島のもう一箇所のハイキングコースに出かけた。そこは島の南西に位置し私有地だが寛大な人なのか一般に開放されキャンプは禁止だけれど散歩ならいくらでもできる。しかし基本的にには私有地なので地図には道が載っていない。だから島の人たちしか知らない。ものすごい下りを下っていくと気持ちの良いレインフォレストの中に入る、そして30分ほど歩くと木立の向こうに海が見えてくる。3つほどの地図上ではWater アクセスオンリーとなるビーチが3ヶ所ほどある。ピクニックには最適の場所。夕日を見に来る人達も多い。私たちも打ち上げられた流木の上で海を眺める。この辺は砂浜は無いし水温も低いので、気軽に海で遊ぶことはできないけれど、それなりに良い感じ。実はこの土地2年ほど前から約100エーカーが円で13億ほどで売りに出されている。個人が自分の為に買うにはやっぱり高すぎるだろうから(スーパーリッチもいるだろうが、その人たちはここは買わないだろう)買われるとなると企業が開発目的になるだろうから島の人たちが反対する集会を開いているようだ。どうなるんでしょうね。流木から少し場所を移し小さな灯台の近くに来たらいイーグルの一種が飛んできて木の天辺に止まり周りを見渡していました。こんなにイーグルの近くは初めてで興奮する。アザラシものんびり泳いでいました。夫もリフレッシュしたようで、同じ道を戻り2時間ほどの散策を終え家に戻り、久しぶりに大家のBillおじさんを誘って晩御飯。Billと夫がビールを飲んで喋りだすと止まらなくなるので昨夜は10時ごろ釘をさしたんですが、お開きはやっぱり11時ごろになって始発で行くはずの夫が7時に物音で目を覚ますといて、やっぱり起きられなかったんですね。始発で行くのは自分の快適さの為で勤め先の指示では無いのでいいのですが。それに昨夜は空になったのはビールの小瓶が6本と赤ワインのボトル一本なので、アルコール自体の消費は大変少ないのでまあ良しとしましょう。日記を書き終わったらBillのボートハウスを掃除にしに行かなければ。家のリビングで太極拳をやったらそれ自体はいいのですが剣を使ったりするとやはり狭いので、彼にボートハウスを使いたいとお願いしたのです。ちょっとした物置状態になっていたらしく朝起きたら早々片付けてくれたらしく電話があり後は掃除すれば良いとのこと。なんて腰の軽い人なんでしょう。まあ、だから自分で家建てちゃう人なんでしょうが。去年の秋アトリエにするんだと夫とイーゼルを作ったりしてたんだけど、その件はどうなったんだろうか?
2004.03.15
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今週は大変珍しく一週間に2回も市内に出た。先日はお友達の所に、今日は7ヶ月ぶりの美容院に。12月初旬に行くつもりがフェリーのストというストは珍しくないバンクーバーでも珍しいストで行こうと思えばウォーターTaxiと言う乗客だけのモーターボートで行けなくも無いけど冬だしめんどくさいのでキャンセルし島暮らしではスタイリッシュな方がおかしいのでとてもボサボサの姿でここの所、島にとってもマッチングしていた。めんどくさいと言いましたが夫はそれでも毎日出勤してくれていたので頭が下がります。感謝。2週間はストでした。私が日本に帰る(為の美容院でした)日もまだでスーツケースを2個持って大家さんにスナッグコーブまで送ってもらいWATER TAXI に乗り本土側に置いておいた私達の車で空港に向かうと言うチャレンジもありました。5日後に夫が日本に来た時はもうストが終わっていてほっとしたものです。 今日も大家さんに船着場まで送ってもらいフェリーとバスで市内に。島には余り桜が無いですが市内は植樹されているのでいたる所で様様な桜が目を楽しませてくれます。カメラを忘れたばかぱ~ちぇ。私の美容師さんは昔NYの故須賀さんのお店にいた人。須賀さんって言ってももう知らない人の方が多いかなあ?NYって言うより今はハワイでサーフィンしているのが一番の真っ黒に焼けた派手なテンションのすごく高い人。でもお上手。そして夫に拾って貰って買出しをし島に戻る。明日又朝一で出かける予定があったのがキャンセルになったのでこの週末は島でゆっくり夫と大切な時間を過ごせる。って言うのはウソ。昨日大喧嘩していつもは夫が発散させてその後ケロリで私が引きずるのに今回は夫のお株をぱ~ちぇが取り発散させて今日はケロリなのに夫が引きずってまだ拗ねております。さあどんな週末になるか。う~ん、世話が焼ける。世の奥様方、本当に夫たちは手間がかかりますね。昨日は久々の太極拳。先生を公開しちゃおう。 ぱ~ちぇはちょうどうまい事に先生の後ろで見えません。何で夫はこんなシャッターチャンスになったんだろう。これは去年の7月のことですが。4ヶ月サボってたらやっぱり悲惨でした。で先生が家まで来てくれるので掃除をしだしたらここに引っ越して以来(引っ越した時私は日本で夫と同居人のS君がやったので兎に角物をそのまま掃除しないで置いてくれたので埃だらけ)していなかった戸棚や本棚が気になりしだしたらキリが無くなくなり太極拳より疲れました。はあ~。でもここに来てからそういう見えない所の掃除をする気力が無くて見ない振りをしていたのですがやりだした自分を褒めてあげたい。心身ともに元気になりつつあるんだなあと感じました。でもぼちぼちです。
2004.03.13
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もう去年の秋から太極拳をさぼってます。初めて2年以上になり大好きでここボウエン島に居る時はまじめに週2回通っていたのに去年の秋からなんだか行きたくなくなりさぼり続けているのです。先生がめちゃめちゃいい人で甘えているのもあるのだろうが、グループレッスンに行く気がしなくなったのだ。一年ほど前それまで朝9時からのレッスンだったのが先生の都合で夜6時になった。朝を太極拳で始められとてもよかったので夜になって、ちょっと気持ち良さが半減していたのだが夫はボストンだし時間的制限の無い独身ぱ~ちぇは太極拳にうち込み、先生の勧めでWushuとこちらでは呼ぶ中国武術で太極拳とは違い飛んだり走ったりするのを10代の男の子たちに混じって始めた。もう、トレーナーが絞れるくらい汗をかいて太極拳とあわせて3時間のトレーニングをしている間で1リットルの水を飲み干すほどのハードさでした。でもやりすぎは良くないのです。楽しかったので続けていた2ヶ月した頃です、左足が冷えるのです。そしてずいぶんひいてなかった風邪をひいて、それも子供頃のような高熱が。そう、体がいきなりハードな運動をしだして慣れてないので悲鳴を上げたんでしょうね。太極拳は体のどこにも負担がかからない様にする動きなのにWushuはハードだし初めての動きが多いので知らない内に使い方が分かっていない踵にすごく負担がかかり痛めていたようです。その時はそれが分かってないのでもっとトレーニングした方がいいんだと思い続けていたのですが。始めて3ヶ月した頃用事で帰国し、足のこともあって鍼灸に行ってみたのです。 二ヶ所のの鍼灸院に掛かりましたがこれにも良し悪しがあるのかな、一人の先生は全然合わず、もう一人の先生はすぐには治らないからうまく付き合っていくようにと言われ、その先生と話していて過ぎたるは及ばざる如し何だと気づいたのです。やりすぎていたんですね。で治療してもらったら翌日痛みも消えていてびっくりでした。やりすぎは本当に怖いです。同じ頃従妹がパーソナルトレナーになる勉強をしだし自分自身のトレーニングにも打ち込んだらしいのですが、腰が痛くなりそれでもそれは鍛えたり無いのだと思いみんなに止められながら痛さに鳴きながらもっと頑張ったらしいです。そうしたら結局動けなくなり椎間板ヘルニアになっていたのです。本当怖いです。何事もほどほどです。そういう訳でカナダに戻った後は太極拳だけを続け無理はしないようにしましたが、どうしても太極拳の後はWushuでそれだけに来る人と両方する人、太極拳だけは私だけになり、なんだか途中抜けみたいな感じで気分的にさえなくなり、行くのが億劫になっていきました。精神的な何かも影響していたんでしょうが、季節と共に冬眠状態のものぐさに。それが3月の声を聞くまで続いたのですが3月の声を聞いたとたん気の流れが変わったようで体が軽くなったのです。でも軽くなったといってもそれは気の問題で怠けていた体はやっぱり鈍っています。昨日は1歳と3歳の男の子たちと遊んでいたら今日は腰が・・・。ああ、何とかせねばと思っていたら神様が采配してくださったのか夜6時からのレッスンは夫が帰ってくる頃で二人の時間を大切にしたいのですと先生に話していると先生が個人レッスンをしてくれることになり明日から再スタートです。といっても2週間後には帰国が待っているので4回しかできませんが。先生も去年の2月から自分で家を建て始め、土台作りから始めていたのですごいことになっていたのですがこちらは素人でもやれば出来るとうちの大家さんみたいな人たちがいるんですよね。先生はその間家作りが優先順位の第一番だったのでほかの事にしわ寄せが来ていたのですがそれが11月中にはなんとか出来上がり、この頃は御自分の専門であるマーシャルアートの先生の方にシフトを戻しつつあるらしく、そういうタイミングだったのでしょう。しかしその先生家族、4月にはそれまで住んでいた家が売れ、それからは敷地(2.5エーカー=3060坪)に貰ったトレーラーを置いてビニールシートをテントの様に張りその下にダイニングテーブルに洗濯機にバスタブはちょっと向こうの方に置きキャンプ状態で過ごしておられました。9月一杯は天気がいいけれど10月中旬からひどくなるから、必死のようでその頃は先生やつれておられましたね。でも出来上がってとにかく良かったです。でもそれは第一段階のはず。そこに住みながら本当の母屋をこれから作るのです。そしてそちらに移り最初の方は人に貸すと。こちらの人は経済観念が発達しています。見習うべき。
2004.03.10
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昨日はすごく良いお天気で気温もかなり上がり日中は13度あったようで、この冬に入り初めて夜まで薪を焚かなかった。と言っても今年は電気代を節約せず電気ヒーターをサーモスタットで15度に設定している。去年までは一軒家を借りるのが初めてなこともあって夫がとっても電気代に神経質だった。が、今年は去年のクリスマス前にオーストラリアでひいた風邪が1月の中旬を越しても治らず日本への帰国もずらすほど調子の悪かった、情けない妻を労わるぱ~ちぇ夫が体の方が大切と気前よくヒーターを点けてくれた。これに薪を焚くとすぐに19度くらいになるのでとても良い感じ。これが薪だけだと2時間焚いて15度くらいになり20度くらいにするのにずいぶん薪を消費してしまう。夫が今年お正月を日本で過ごし戻ってきた時には家は雪にうもり玄関は開かず屋内は0度で全ての電化製品が凍っていたようでリモコンも電気炊飯器も初日は動かなかったそうだ。冷蔵庫の方が暖かいんだよね。それにしても文明の利器のヒーターだが湿気の多いここ海辺の家には湿気取りにもなってちょうど良い。バンクーバー市内に住んでいた時はアパートがセントラルヒーティングで温水がぐるぐる回っているタイプだったけれど乾燥がすごくて困った。静電気もすごかった。それにしてもこの家はロケーションは文句ないけどホームメイドハウスなので隙間風があり、女の一番の敵!冷えには泣かされる。どれだけ靴下を重ねてみたりいろいろやったが今回秘密兵器を見つけた。それはオーストラリアにあった。夏の盛りのゴールドコーストの日本人向けのおみやげ物屋で日本人が大好きなムートン製品土産の横に素晴らしい見栄えのサーファーズパラダイスには暑苦しすぎるて見るのも嫌な中が膝下の中がムートン張りになったブーツが鎮座していた。一目で気に入ったが値段を見てが~ん、こんなの買えない。スリッパ代わりにするにはあまりの値段だ。そしてカナダですっかりリーズナブルになった私は泣く泣く諦めた横で、母と叔母は7年ぶりに擦り切れたコアラ柄のムートンの敷物新しいのに換える為、値切って買っていた。しかしあのムートンを履いたら足の冷えなんておさらばだろうなあと未練はたらたら。女の執念甘くはない。結局帰国の途のシドニー空港の免税店で又出会い70$ゴールドコーストより安くゲットしたのだった。そして私のほかほか生活が今ある。これでコウノトリもちょっとは来安くなったんではないだろうか?さて長くなってしまったが、本題に。今日久々に市内に出かけ仕事を終えた夫に拾ってもらって一緒に帰宅。7時半のフェリーに乗り家には8時過ぎに着いた。これから晩御飯作らにゃと車を降りようとしたら夫が見て見てと騒いでいる。おお!北の空が明るい。オーロラだ!!よく写真でみるようなカラフルな劇的なものではないけれど薄緑の光が様様な姿を描く。今年は初めて。何度見ても感動する。でもカナダ人はそんなに騒がないそうで、わざわざオーロラを見に来るのは日本人とドイツ人くらいだそうだ。今日は昨日に続き天気が良く風がすごくて物凄く空に透明感があり、星もすごい。天の川もくっきりと姿を見せている。オーロラと星だけはプロの写真家じゃないから写せないので皆さんに見て貰えないのが残念。是非一度いらして自分の目で見てって貰いたいです。これ私たちだけで見てるのもったいないよ~。カナダインディアンはオーロラを良くないものの前兆と見ているとどこかで読んだ記憶がある。うら覚えだからどうだったか調べてみよう。6年前にガイアシンフォニー第3番だったと思うのだけど映画を見てそこにカナダインディアンのことが少しでていた。いやあれはカナダとかアメリカとかの国境が無い時代からここに居たイヌイットの人達の事と言った方がより正確なのだろうか?私自身もそこら辺のことをまだ不勉強なので間違っていたらごめんなさい。でもそこで語られていたインディアンやオルカを研究している先生達のこととても印象的だった。フェアバンクスに住んでいらした写真家の故星野道夫さん。亡くなられたのは本当に残念だけど素晴らしい写真を沢山残して下さった。信念を持って仕事をして来た人の残したのもは後生まで伝わる。この美しい地球の自然を後生に残したい。あれ?何書いてるのかわからなくなってきた寝ます。
2004.03.09
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可哀そうにこの天気の中夫はヨットの講習に明け暮れているだそう。夜は帰ってくるけれど金曜日から明日の月曜日まで4日間みっちりのようだ。家に帰ってきても晩御飯を食べる以外の時間はテストに備えて勉強だ。週末は二人の時間を大切にする私達だがそんな事は言ってられない状況だ。まあ、そのお蔭か私は気楽に読書にネット三昧できるのですね。昨日もいろいろアップしてみました。話は夫に戻り3週間後の週末も4日間のアドバンスコースの講習があり大変お値打ちに受けられるらしくその予定が入っています。流石にそれはノンストップでクルージングするので今のようなインストラクターコースの様な試験三昧の物とはまったく違う趣向のもの。しかし流石に4日も一人といのは淋しく、帰国の予定がある私はそれを理由に3月21日に出発することにした。久々の日本での桜だわととても興奮している私。すでに京都でのお花見の決定し、4年ぶりに東京だ、名古屋だと旧知を尋ね、新たな出会いを求め日本をうろうろして来よう。40も過ぎると人間ノスタルジックになるものだ。ああ、春高楼の花の宴めぐる盃かげさして千代の松が枝わけいでしむかしの光今いずこ・・・天上影は替わらねど栄枯は移る世の姿写さんとてか今もなお嗚呼荒城のよわの月
2004.03.07
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Pender Island でヒーリングB&Bなさっているドイツ人のクリスからの笑えるメッセージ:>May your neighbours respect you, >trouble neglect you, >the Angels protect you, >and Heaven accept you. > > > > >In a restroom: >TOILET OUT OF ORDER. PLEASE USE FLOOR BELOW >In a Laundromat: >AUTOMATIC WASHING MACHINES: PLEASE REMOVE ALL YOUR CLOTHES WHEN THE LIGHT >GOES OUT >In a London department store: >BARGAIN BASEMENT UPSTAIRS >In an office: >WOULD THE PERSON WHO TOOK THE STEP LADDER YESTERDAY PLEASE BRING IT BACK OR >fURTHER STEPS WILL BE TAKEN. >In another office: >AFTER TEA BREAK STAFF SHOULD EMPTY THE TEAPOT AND STAND UPSIDE DOWN ON THE >DRAINING BOARD >Outside a secondhand shop: >WE EXCHANGE ANYTHING - BICYCLES, WASHING MACHINES, ETC. WHY NOT BRING YOUR >WIFE ALONG AND GET A WONDERFUL BARGAIN. >Notice in health food shop window: >CLOSED DUE TO ILLNESS >Spotted in a safari park: >ELEPHANTS PLEASE STAY IN YOUR CAR >Seen during a conference: >FOR ANYONE WHO HAS CHILDREN AND DOESN'T KNOW IT, THERE IS A DAY CARE ON THE >FIRST FLOOR >Notice in a farmer's field: >THE FARMER ALLOWS WALKERS TO CROSS THE FIELD FOR FREE, BUT THE BULL CHARGES. > >Message on a leaflet: >IF YOU CANNOT READ, THIS LEAFLET WILL TELL YOU HOW TO GET LESSONS >On a repair shop door: >WE CAN REPAIR ANYTHING. (PLEASE KNOCK HARD ON THE DOOR - THE BELL DOESN'T >WORK)
2004.03.06
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又もや天気予報は裏切られと言うか半分は当たった事になるけれど。早朝夫がヨットの講習に出かけていくときは屋根が壊れるんじゃないかと言うくらい大雨で、ああ、やっぱり天気も昨日までか、可哀そうにこの天気でとベットの中で彼の不運を思いつつ、次に起きた時には窓からの日が眩しくて寝ていられなくなった何時間後かでした。晴れているのは良いけれどしかし今度は風がすごくて家自体が壊れるかと言うほど揺れてます。海も普段はここは内海のなので湖のように静かなことが多いのですが白刃の波を立てものすごい速さで流れています。私と一緒だと穏やかな日にしか船を出さないのできっと良い勉強になっていることでしょう。一度ダウンタウンにあるグランビルアイランドから友人の30フィートのヨットでボウエン島に送ってもらった時、夫は前の夜フォースクリークに泊めた彼らの船で調子に乗って友人が切れ目無く継ぐ赤ワインを煽っていました。いい加減泊めた時には遅かったらしく一晩中しゃくりをして、出向前のグランビルアイランドのWash roomに蒼白な顔で駆け込んでました。そしてそのご出航すると、どんどん天気が悪くなりやはり荒れて来たんですね。最初は舵を取らしてもらっていた彼が(何かしている方が酔わない)それもできなくなり後尾に陣取り続ける哀れな姿。それを見ていると私までそれが移りそうで舵を取った方が良いと言われ私の舵取りで帰ってきました。いやあ、穏やかなとき5ノット出るかどうかで喜んでたのが悪天候で8ノットくらい出て夫には悪いけどスリル満点で酔うどころか楽しんだのでした。今、カナダギース(グース?)が卵を温めている時期でしょうか?つがいが4組ほどうろうろしてギャーギャー鳴いています。鳥は嫌いじゃないけど、大きいしまた糞が巨大なのが困ります。知らずに餌付けしてその被害にびっくりした後、来ないようにするのに大変な苦労した人たちの話をよく聞きます。やっぱり野生の物はほっといた方がいいんでしょうね。先週末、実技のテスト20分弱でその後4日間筋肉痛だった夫。今日も帰ってきたら話を聞くのが楽しみです。
2004.03.05
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に反して今日は雲もあるものの快晴!その雲も入道雲のように立派だ。天気予報では日中の気温9度、でも清々しい。いつもなら豆に夫がする薪ストーブの灰捨てを今回はずいぶんほったらかしにしていてやってくれないみたいなので、これ以上溜まると燃え具合が悪くなるので灰だらけになりながら書き出し外に捨てに行った。こういう時田舎に住んでいるのは良い。その辺の草むらに捨てるだけだ。ああ、すっきり。街中では薪ストーブさえ禁止されている所が多いしゴミもたとえ自分の裏庭でも外観を損なうような勝手をしたら隣家から小言を言われるだろう。瀟洒な住宅地では前庭の芝生にタンポポが生えていても行けないとコミュニティーで決まっている。庭の手入れに手は抜けないようだ。が、私はタンポポにも生える権利があると思うので、そのような住宅地には住めないだろう。それから天気なので苦にならずに30メートル先のゴミ箱にゴミ捨てに行き生ゴミを敷地内の木陰に置いたリサイクルポットに入れた。最近人参ジュースを飲みだして生ゴミが沢山出る。最初は勿体無がってパウンドケーキに入れたりカレーに入れたりしたが、出る量が半端でなくさすがに繊維はあるんだろうが絞りかすは絞りかすでただのもそもそした物以外のなんでもなく、しようがなく今はリサイクルポット直行です。しかしその堆肥作りだが成功しているとは言えない様だ。潮風を受けるので日陰に置けと言う指示だがそれでは温度が低すぎるようで中の物が発酵分解する温度に上がっていないようだ。市内に住む友人宅では南側の裏庭の木陰でうまくできているらしい。そこの小さな畑も立派なトマトなどを実らせている。田舎だから畑とは簡単にはいかないようだ。ウォーターフロントの畑は難しい。
2004.03.04
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今日から雨。天気予報は一週間雨マークです。でも今のこの時期にしてはこれまで雨が少なく、トレッキングロードも乾いていたので少し降った方が良いみたい。急遽日本に一時帰国が決まりました。3週間ほど前に以前(というかはるか昔か)お世話になったスイスの山の中の学校の校長(去年引退されて元校長とその息子の新校長)が来日されて日本のそこに在籍していた女子を集めての同窓会が開かれる知らせを受けた。5年振りの来日になるだろうか。少し迷っていたけれど今日日本での窓口をされている方と久しぶりに電話で話し参加を決めた。同窓会は東京で実家が関西の私としては気軽に行き来できるわけでは無いけれど久しぶりに東京の友人に会うのも兼ねて今や100人以上になるという、そしてそのほとんどが私が在籍していた12年前以降の若い卒業生さん達に会うのを楽しみに行こうと思う。そして何よりも私の人生のターニングポイントになったMadame Neriにお会いするのを楽しみにして。そこは年間40人ほどしか取らない小さなそして国籍は30カ国以上と言う多種多様な人種が集まる女の子が集まり、仏語と家政学を主に共存を学ぶ学校だ。私は女子の集まりと言うのが女子高を自分で選んでいったのに駄目だったので、女の集まりは嫌だったし、その後はそれを避けて来たけれど16歳~27歳と言う年齢制限の上限ぎりぎりでその学校を知りその頃イタリアに遊学しいた私は試しに一ヶ月の夏期講習に恐る恐る行ってみた。それが人生の新しいページをめくる出会いでした。その頃仏語を勉強に来ていた幼なじみと一緒に行ったのですがやはり何でも合う合わないがあり、彼女は駄目。そして私は水を得た魚のようにいろいろそこで学んだのでした。それまでイタリアで知り合った友人が付けたあだ名はジプシーぱ~ちぇだのボーとして7年だのでした。それがそこに出会い、そしてその後の名古屋に来る事に繋がるわけです。それにドイツ、スイス、イタリアと渡って来ましたが、これからどうしようという時期でそれに痛いほど自分に日本人としてのアイデンティティーが欠けているのが分かっていて、もう一度日本人として学び直す為の日本行きの方法を探していたこともあり、今思えばそれが渡りに船だったのでしょう。人生うまくできたもんです。年齢差のある場での学びはいろんな語学学校に通いその利点を良く知っているのでまったく気にならなかったし、普通は皆仏語がメインの勉強になるけれど私の場合はすでにやった後だったので免除されてそれはラッキーだったけれどその代わりに料理を毎日朝8時半からするはめになり朝の苦手な私としては幾ら料理好きでも辛かったですね。それにも増して、これほど沢山の国籍の女子と交わることは無かったからこれはとてもエキサイティングでした。それも全寮制でだから四六時中一緒な訳で。良い意味でも悪い意味でも。18歳以下は門限のある家屋に住みそれ以上はある程度の自由がある。若いという年齢的なこともありどうしてもアラブ系と南米系が対立するけれどどちらにも属さないヨーロッパ系アジア系、マイノリティーの北米。縮小された地球儀。もちろん属している社会背景など狭い世界なのだけど私はこの学校が大好きになっていった。いわゆるスイスの花嫁学校と訳されるカテゴリーの学校だがここはそういう化石の様な名前でない現在進行形の共存する方法を学ぶ場と若い私は校長の聡明さと柔軟性に惚れこみ、感化された。沢山の素敵な先生方もいらっしゃった。その中でもひとつしか都市が違わなかったカナダ出身の料理の先生は最高で後年カナダに来る際の肯定的ポイントとなった。こうして、ぼーとヨーロッパ生活過ごしていたらしいぱ~ちぇは180度方向転換して朝から晩までスケジュールでがんじがらめの生活を2ターム(半年)送り、晴れて日本に戻り日本人として生きんが為に名古屋に来たのがブッシュパパのイラン戦争があった年の秋でした。だからその100人それぞれにいろんな思いがあるだろう。私一人でさえ、その学校に足を踏み入れたことにより新しいページが彩られそして夫に会うことができたのだ。そして何故かカナダに今住んでいるのだから。全員が集まることは無いだろうけれど、若い人たちに会ってエネルギーを貰って来よう。校長の愉快なご主人が病気で来られないのは心が痛むみます。
2004.03.03
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今日は曇りで前面の海には靄がかかっていて対岸は見えない。これが幻想的に思う日もあれば鈍より心を暗くする日もある。今頃夫はバンクーバーのスタンレーパーク近くのコールハーバーでセイリング・インストラクター・コースを受けているので晴れなくて残念。ここの所晴れていたし天気予報も晴れだったのに、彼がセイリングの講習を受ける時は必ず天気が悪い。そうBC州はクルージングのメッカでもある。バンクーバー島に守られたフィヨルド状の海を持つカナダとアメリカの国境からアラスカまでのクルージングはいろいろな方法があるがそれぞれに素晴らしいようだ。と言うのは残念ながらまだ私達は何度かヨットで少し北(サンシャインコーストと呼ばれる地域)に行ったり南(サウスゴルフアイランド諸島)に行ったりした位なのでまだ本格的なクルージングはしていない。でもその少ない経験でもこの地域の美しさにはだれもが心奪われることは確信できる。世界中に沢山の素晴らしい場所があるがここもその一つである事は間違いない。まあ、気候にタイムリミットがありやはり寒さや雨をを苦にせずそれを堪能するのは5月~10月となる。太陽で輝く海面をのんびりヨットで行く醍醐味は乗った人でないと分からないだろうな。上記のサウスゴルフアイランドには4つの島と沢山の小さな島々からなっているがその一つソルトスプリング島は聞いた人もいると思うがアーチストが沢山住む有名な観光地の可愛い島だ。その島々を巡り、朝早くボウエン島に戻る時、白んできた空には満月その下をオルカの親子が泳いで行く姿を身、以前見たカナダインデアンの絵画と重なり言葉にできない感動がこみ上げてくるのをどうすることもできなかった。そんな体験を寄り多くの人に味わってもらいたく夫は今、インストラクターの資格を持つべく頑張っている。今日も明日もテストらしい。そして来週末今度は4日間クルージングしてくる。何で僕の人生は試験から逃れられないんだとよく愚痴っているが、本当にテスト好きな人生だ。私はご免こうむりたいが。そしてこちらの人たちは私たちが名前を分けて呼ぶヨットやモーターボートや豪華客船なんかを簡単に何でもボートと、とても気軽に呼んで親しんでいる。Live Boatとボートに住む権利があるマリーナもありそこでは皆ボートが家だ。最初聞いた時はびっくりしたが友人カップルもそのような人たちで普段はそこから仕事に行き普通に暮らし週末はクルージングとエンジョイしている姿を見、夫はますますそれに憧れている。しかしそのようなマリーナはバンクーバー市内では限られているのでウエイティングリストだそうだ。うちの大家さんはこの島に来る前は向かえにあるガンビア島と言うフェリーサービスの無い島に住みそこから毎日小学校に上がった娘二人を自分のラバーボートにエンジンを付けたものでこの島の一番近い桟橋に20分かけて来てそこから自転車で学校まで15分で雨の日も通ったそうだ。自転車の15分は平坦じゃないんですよ!私、変速付きのマウンテンバイクでも降りて押すくらいのアップ&ダウンの道なのです。どうりでその親子逞しいですもんね。心身共に。さあ、皆さんもここバンクーバーでボートを体験してみて下さいね。
2004.02.28
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夫がいないと日にちの感覚が無い。大家のBillから電話あってワインのからボトルがあったら欲しいとの事。ちょうどお家賃も渡さなくてはいけなかったのでリサイクルデポ(空びんやビール缶を持っていくとデポジットとして店で払った料金を返してくれる、とっても良いシステム。20年近く前のスイスでもそうだったけど他の国は同だったろう?)に持って行くよう取っておいた4本の空ボトルと共に渡して来た。このワインシステムは英国式なんだろうか?ヨーロッパ大陸で見たこと無いシステム。素人が誰も自分で造ろうなんて葡萄畑持ってる人しか考えないだろうな。ここバンクーバーにはいたる所にこのワインセルフショップがある。自分で数ある葡萄ジュースをセレクトして保存期間を決め酵母を混ぜ後はその期間待つ。私は日本に帰り名古屋で仕事をしだしたと同時にワインコンサルタントをしている人から通訳を頼まれ、それもスペインワインとシェリーのオーナーと醸造家で難しいだろうからできないと断ったのにアバウトでいいからと押し付けられまだワインブームになるには6ほど待たなければ行けない12年前初仕事をしたが、散々たる思い出したくない過去だ。まあ、それはコロンブス生誕何たるというイベントで大学教授なんかが後援するホテルの立食パーティーで、ちょっとした余興でシェリーの(名前度忘れ)樽からシェリーグラスに鯨のひげを使った柄杓で名人芸のように注ぐやつをやり、ちょこっと5分位のスペインワインとシェリーの話をするというもの。打ち合わせで彼らは英語も話すので英語で話してくれることにしたのに(スペイン語よりまだ英語の方が分かるから。)舞台の上でスペイン語話すんだよ。涙。コンサルタントの人がその方が雰囲気があるしカッコいいからだって・・・。まあ、みんな食べるのに一生懸命で聞いていなかったし(と、言うことにしておこう)。そこから何故か私はワインは大好きだけどお酒にめちゃめちゃ弱いのにワイン醸造家の通訳修行を副業にすることになり、マイナーなアルザスワイン、スペインワイン、シェリー&ポルトで鍛えられることになる。ワインブームとはまだほどと受かったのでとてもマイナーな努力だったし、なにより醸造家の非日常的な言葉を理解するのに時間が必要だった。と道をそれてしまった。そんなワイン漬けでもあった私の名古屋滞在だったがそんなセルフワインは聞いたことも無かったし、大家さんがやっているのを見ても面白いと思ってもやっぱりお店の中で保管されるワインは私には魅力は無いなー。葡萄が収穫されてそれをワイナリーの醸造場で絞り、おのおの最高だと信じるタンクだの樽だのに先ず入れられそこで自然発酵して・・・・が、葡萄酒じゃないの???箱入りシャルドネージュースだのピノノワールジュースだのって、よく分からない!!まあ、でも満足は人それぞれ。自分が美味しいと思うものが良いワインだもんね。テーブルの友、その人を幸せにするのにうんちくはいらない。今朝とっても楽しい夢を見て目覚めがよかった。夢の中で妹にそっくりな人がいて一緒にマグロの刺身を食べているんだけど美味しい赤身で嬉しいし、その彼女にあなた妹にそっくりだし言わなきゃ分からないからこのまま私の妹になってよって言うと承諾してくれて、一緒に楽しく食事をしていたのです。もちろん夢だから辻褄は合わないんだけど、起きてからああ、妹が会いに来てくれたんだなあって感じ、すごく嬉しかった。これまでも彼女を夢で見ることは多々あっても哀しくて泣いていたので、ちょっと違う感じ。昨夜実家の母と電話で話して彼女のことも話題に出たんだけれどきっと喜んでくれたんだろう。夫は別に霊感とかじゃ無いけど時々普通に今日は君の妹が来てるみたいだ、すごく感じるとか言って私を不思議がらせる。のわりに私のことは正しく感じてくれるないんだけど。今(21時過ぎ)夫がバンクーバー空港に着いたと連絡あり。無事帰ってきたのは良いけれど、Water Taxiを12時半まで待って、翌日又車を取りに行くのは馬鹿らしいので職場に行ってそこで寝て、朝の始発(6時10分)で帰って来るとの事。なのでUBCにこれから行くらしい。可哀そう~。いつでも泊めてくれる友人宅が市内にあるのだが、不幸にもそこのソファーベット(こっちにいる人なら分かるFuton)のマットがものすごく偏っていて体が水平にならず落ちないように突っ張るので寝れないわ翌日体は固まってるわで、そこに泊まるよりオフィスのイスを並べて寝てみると。まあ何事も無いことを祈ります。私は今日月経初日だが体の調子がいい。やはりにんじんジュースと節食が効いているんだろうか?にんじんジュース続けてみよう。
2004.02.21
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う~ん、今日は久々に晴れてここのところ鈍色だった空や海だ青い。昨夜は夜更かしをした。寝ようかなあと思った10過ぎから偶然映画館に行ってしまった。それも2本立てナイトショー。すっかり退廃のヨーロッパ美に浸ってしまった。先ず”Il Castrato(カストラート)”結構前の伊仏映画だったと思う。劇場で見ててちょっと画面やストーリーが辛いな~と思った記憶がある。18世紀頃の永遠にボーイソプラノをとどめる為に虚勢された男性歌手をメインに兄弟の葛藤を書いた作品だ。改めて見るとそれなりに楽しめた。美の為に貴族社会があったところは日本も含めて何でもやってしまう人間の性が哀しい・・・。さてこれだけでも満腹なのにチャンネルを回すと、今度は英映画”Wilde(ワイルド)"が始まった。そうオスカーワイルドの話。見ていなかったのでラッキーとばかりにストーブに薪も入れ腰を落ち着け。10代は入り浸っていたイギリス貴族の退廃の世界。最近は何事も浸ると言うことが無かったので出ていたジュードロウが英国人とも知らなかった(アメリカ映画で見る顔だったので)。でも綺麗だったねこの映画での彼。ギリシャ彫刻を見る思いだった。映画だからあまり深いストーリー展開ではなかったけれど自分の才能と美に正直すぎて破滅を選ぶ人間の健気さと純粋さは出ていた。ワイルドがイギリス上流社会にするアイルランド人だったからなんだろうか?終わったら2時だった。片付けもしないで映画を見てしまうことを母は映画館に行ったの事にしようといつも言っているので私もそういうことにしておこう。興奮していたのか眠れないのでローマ人の物語XIの読みかけを開いた。頭の中がローマ時代18世紀、19世紀末とごじゃごじゃになるが、ちょうど映画グラディエーターの時代背景となったマルクス・アウレリアスの皇帝の話だ引き込まれていたようでふと時計を見ると4時近かった。今日何時に起きたかは恥ずかしく言えない。大家さんも帰って来ている。さて洗濯しよう。
2004.02.20
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今日は帰ってくる人がいないので全て手抜きの日。朝5時に夫は出かけていった。私が寝ていたらいつもなら起こさず出かけてしまうけれど今朝はさすがに行ってくるよと声を掛けてくれた。行ってらっしゃいのキスをして又眠る。う~ん、怠ける日にさせてもらおう!ちょうど大家さんもイギリスから娘(一度目の結婚での)が家族で尋ねてきているので一緒に他の娘の所にでも出かけているようで気配が無いので心底ゆっくりできる。そう、と言うのはこの借家は大家さんが自分で17年位前に自分で2年かかって建てた家で、その何年か後こちらで言うインロースイートを隣接して建て増した。表向き自分の家族なりを住まわせる住居、しかし本当の目的は貸して家賃を取るのだ。ダウンタウンではベースメントスイートの賃貸がこれに当たるが田舎では母屋と壁を共有して建てたり、敷地が広いと離れのように建てたりしている。私たちがここに入る前まで彼はそちらのワンベットルームを貸していたがちょうどその人が出たのを機にどうせ自分ひとりでこの母屋(それに家賃は倍)に居なくともいいじゃないかと両方を賃貸の広告に出し見つかった方を貸そうと考えたそうだ。そして、今私たちが母屋に居るのだが、ちょうどリビングの下がベースメントでワークショップになっておりプロではないが大工仕事の好きなBillおじさんはよく下で作業している。今オタワの夫から電話があった!無事着いて晩御飯を皆で食べてホテルに戻った所だそうだ。ちょうど雪祭りとでもいうのか北海道であるような雪の彫刻がライトアップされきれいだったらしい。カメラを持っていかなかったので私は見れないけど。きれいな巨大な日本女性の彫刻もあったそうだ。さて話は大家さんに戻るがここに来た頃日中は夫もシェアしていたS君もいないのでのんびり田舎暮らしを謳歌するつもりが、草刈り機を抱えたBillがすごい音で家の周りの草を借り出し日本人的性格のせいかお礼を言いに外にでると簡単だからやって見なさいと初めての草刈体験。まあ、何事も体験、しかしここは平地ではない。翌日は筋肉痛でした。とても人当たりのいい日本女性の私が退屈しているとでも思ってか、それからはいろいろ困ったことは無いか、用事はないかと親切にしてくれる。そして何かしてもらったら悪いからお昼をご馳走したり、英語の苦手な私は英語の勉強にと彼と話すのを楽しんでいると、一時は夫といるよりはるかに長い時間を大家さんと過ごしている私がいた。人生経験豊かな彼からいろんな話を聞き教わった。その後一緒に太極拳も始めたりした。一年ほどでBillは止め。私は去年の秋からサボっている。まあ、いろんなことが人生起こるが時期というのもある。そうタイミングだ。今はそんなに彼と時間を共有していない。夫が無職の間は何をするにも夫と一緒だし、あの頃は大家さんと良いリレーションシップを作りたいが為にちょっと無理していたこともある。でも今はその努力のせいか夫も含めてとても仲良し。Billは船にも詳しいから彼にキャプテンをしてもらってヨットを借りてセーリングしたことも何度もある。とまあ、こういうことがあるのがこの家で、もれなく大家さんが付いてくるのである。アパートだと隣の気配と言うを感じるがそれだけのことだし。やっぱり大家さんだとね・・・用事があったら電話して都合を聞いてくれたりするけど突然いらっしゃる時もある。という訳で(すごい長い説明になってしまった)まるっきり一人というのは落ち着くのです。家の両親なんか、淋しいところに住めないらしいけれど。こちらの友人のカナダ人(夫)とイタリア人(妻)のカップルはイタリア人の彼女が人の話し声が聞こえないと気が狂っちゃうと言ってキツィリアノと言われる地区が彼女のお気に入りだが未だに会うといつも近くに引っ越せば良いと言われる。私は喧騒がだめだって何回言っても聞いてくれない。夫の両親も一昨年6年ぶりに息子に会いにやって来て初めて見る嫁に優しくしてくれたが、ショッピング街の好きな姑は去年舅だけをこちらに寄こした(賢明な姑)。さすがにお舅さんも一人だと参ったみたいで5週間の予定を10日ほど早めてお帰りになった。姑はその間一人で羽を伸ばせて良かったようだ。夫と私は変わり者になってしまったのだろうか?私は昔パーティー大好き人間で一人で居るなんて事はあまり無く仕事をしていた時期は通訳だったりもして思いっきり人といつもいたのだ。今は人と会わなくても淋しくない。でもこれもきっとそういう時期なんだろうな。のんびりしすぎて日記も長くなってしまった。夫がオタワで無事に過ごせますように。
2004.02.19
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明日夫がオタワに二泊三日出張する。今後ろでぶつぶつ言いながら荷物を詰めたりしています。フライトは朝9時だから明日も5時出。可哀そう。帰ってくる土曜日は夜の9時に着くので、島に住んでいる私達はこういうとき少し不便だ。島に来る最終フェリーが9時半なので、夜なら30分で来れないくはないけれど空港で荷物を受け取ったり車を取りに行ったりしていたら絶対無理。そうしたらどうするかと言いますとウォータータクシーと言う物がありまして、夜遊びして帰ってくる人たちなんかの為に一往復だけしているのです。終日は11時半頃週末は12時半。2時間以上待つことになるのでこれもかわいそうな夫。そして車はそのフェリーターミナルに置いてこないといけないのでこっちについてもタクシーのお世話に。翌朝は歩いて(一時間)スナッグコーブ(島のターミナル)に行き又フェリーに乗って車を取りに行くと。便利な生活がいい人達には信じられない時間の無駄かもしれないけれど何ものにも替えれない良さがあります。今の状態に不満の夫はこれよりもっとローテクな電気さえ通っていない島に行きたいと考えています。私も考え中です。フェリーは一応通っているけれど乗客だけの車で行けない島です。住んでる人たちは全て発電機とソーラーパネルとプロパンと薪でやっているらしい。家も薪ストーブが暖だけれども一応電気ヒーターもあるし。冷蔵庫はどうなるんだろう?そういえばスイスの元彼の両親の山荘も電気通ってなかったな。プロパンでランプもガス灯、冷蔵庫もそれで賄っていたような。そこでシャワー浴びて髪も洗って(みんな山では浴びないのに)プロパン使い果たして呆れられました。あの頃は日本での習慣がまだ抜けていなくて勿体無い事をしてもそんなもんだと思っていたけれど、それからイタリアに住んだりして不便を味わい、何事も無駄にせず大事に使うことを学んだものです。とにかく明日から一人。
2004.02.18
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ボウエン島に引っ越して来たのが3年前の今日だ。この3年、本当にいろんな事があった。引越しは私の人生でやりすぎて重大事では無いが住む場所が心を癒してくれるというのを初めて感じた所だった。19才からドイツ、スイス、イタリア、スイス と移動のしっぱなし。短い所で2ヶ月、長い所で2年半ほど、そしてその後名古屋に8年住んだがそこでは3回引越した。それぞれいろいろな思いがあり私の人生そのものだけれども思い起こしても自分が生きる事で必死だった。カナダに来てからは私の人生ではなく夫と私の人生になった所が最大の変化だ。そして夫に守られる事によって生き方が変わったと今さらながら思う。それまでも両親に守られているんだけれど、意識していなかった。自分が家族を持ってやっと振り返られるようになったのだろう。妹が病気になり、彼女に日々の忙しさを忘れのんびりしてもらう為に自然の中に住みたかった。でも彼女は2年間の闘病の間にとうとう来ること無く逝ってしまった。でも体の無くなった彼女は身軽でちょくちょく遊びに来ているようだ。彼女が病気になり私の日本との往復の生活が始まり、その疲労や心配そして彼女を失った絶望もこの場所が癒してくれた。ここに住んでいなかったら私は気が変になっていたかもしれない。自然の力はすごいし時にはあまりに裸にされるようで怖いけれど。去年の今頃は夫がカナダには彼が望むポストが無いのでボストンに行ってしまった。本来ならば私も同行し今頃ここに住んでいないはずだった。が何故かカナダが私にストップをかける。永住権は取っていたがそのシステムが法律の変更で更新されることになり書類を新たに記入し移民局の連絡を待つというものだが。しかし単純ではなく送付け期日が永住権を取得した年によって違い私の様に2000年取得した人は3月に書類を申請できるとなっていた。そして申請から移民局の書類審査の末の(新)永住権発行(いつかわからない)までカナダに滞在していることが望ましい状況であったので、私はアメリカ行きを見送っていた。それに本心都市に又住むのには抵抗があった。しかし妻たるもの愛する夫の希望は叶えたい。どこへでも行きますとアメリカ滞在用のヴィザもバンクーバーにある超厳戒態勢のアメリカ領事館に6時半のフェリーに乗って寒い中行きましたよ。しかし夫の方がやっぱりカナダ、そしてこのBC州が彼の人生だと3ヵ月後に戻ってまいりました。100ドルもヴィザに払ったのに!でも人生自分を大事にすべし。そして、そう簡単には就職もできず失業状態も経験し蓄えを食いつぶし、もう限界のところで今の職場を見つけましたのが去年の9月。でも新たに人生の方向転換を考える夫です。昨日帰宅し夕食中に明日にでも止めたい話をされ(6月契約期間なのでそれまでは様子見と思っていた私は)ちょっと心の準備ができていなかった私は動揺してしまいました。厄年の夫平穏な訳がありません。自分たちの人生を自分たちで切り開いていくしか、到達したい所にたどり着く手は無いんですよね。ここで癒されのんびりと休養を取った私は新しく行動を開始する時が来たようです。
2004.02.17
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Happy Valentine Day昨日節食して胃と体調をなんとか戻し(食い気は関しては執念)お昼は嬉しい飲茶。バンクーバーでは評判のSun Sui Wah海鮮中華レストン。 3年以上前にその頃夫の同僚だった日本から2年の予定で研究に来ていた方のお母様が遊びにいらして、カナダに住み始めたばかりの私達はミゼラブルな生活だったのでアンリミテットな予算で贅沢な晩餐をご馳走になった。お皿一杯のフカヒレからロブスターのクリームがけetc. etc。あ~美味しかったな~。なんてラッキーだったのだろう。感謝。カナダでこのレベルでを食べられれば素晴らしいもんだ。その後何軒かで飲茶をしたがSun Sui Wahはまだたった。バレンタインデーといえばもっとロマンチックなフレンチでもと思ったが経済状況を考え味と言う実を取った。雰囲気は無いが(特に昼だし)味は絶品だった。他の店より種類も豊富だしそして何より比べて高いということも無かった。仕事も丁寧にしてあるし。夫も私も満足し、夕食は抜きだねと言いつつ店を出た。昨日やはりカナダに住む楽天の方が国際結婚の夫が日本食が好きかどうかでやはり結婚生活も違ってくる旨書かれていたがまったく同感である。夫は何でも食べてくれし注文も無いと言うとても楽な人だ(がまずいと食べない)。そして何よりも日本食が好き。問題は私が和食の料理経験が浅く、時間が掛かる和食より20代のほとんどを過ごしたヨーロッパの料理になってしまう。しかし私も若い頃なら問題が無かった胃も年と共にいつも洋食は辛くなり和食の腕を上げる必要大と感じている。着物に割烹着で筑前煮やきんぴらなんかがささっと作れる女にひそかに憧れておるのですが、人によると本質はヨーロッパナイズされた変な女らしい。でも、今ではすっかり都会暮らしもヨーロッパでもキツすぎて生きていけないくらい暢気な田舎っぺになってしまいました。そのお蔭ですごいへまも去年やらかしたんだけど、それは又機会があればお話しましょう。なんか話が変な方向へそれたけれども何はともあれ今日は愛の日。
2004.02.14
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結局昨日のファックス騒ぎから体がおかしくなったのか、先日の風邪がぶり返したのか知らないが昨日は昼前から寝込んでしまった。お昼過ぎには帰った夫が私の具合の悪いのを信用せずそれは心理的ヒステリーだと言われ怒りたかったがとにかく力なく寝ていた。さすがにほとんど24時間寝た今朝は夫が出て行った2時間後の7時に起きる。お腹がしくしく痛む。昨日もほとんど食べていないし最近粗食の私達は消化に悪い物を食べていないので何故か理由が分からない。月曜日に生牡蠣を食べたけれどもう4日も前のことだし。胃がどうして欲しいのか言ってくれると助かるんだけれど無言だものなあ。もっと楽しいことを日記に書きたいのに。一応主婦の私は昨日ほったらかしにしてた台所を片付け、洗濯機を回し、キャロットジュースを作り飲んだ。体を温めると良いかなと半身浴をするが食器洗いと洗濯機でお湯を使ったようで途中で水になる。これだから電気式は嫌よね。ちょっと震えながら待ち(幸いバスルームには暖房があり部屋は暖めてあった)10分後やっとお湯が出た。なんとか暖まったが胃の状態は良くも悪くもならず。ほんの少しおかゆを食べてみた。明日はバレンタインデー、美味しい物が食べられよう回復したい。日本の実家では両親がホルトハウス房子さんのバレンタイン特別バージョンチョコレートチーズケーキを食べるようだ。う、羨ましい・・・。
2004.02.13
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頼んでいたイタリアからのファクスが朝4時前に送られてきた。それだけなら一瞬起こさせるだけだし今我夫はその方がはかどると4時半起床で5時半の始発のフェリーに乗って通勤しているのでちょっと早い目の目覚まし位なのだけれど。そのようなシンプルな朝ではなかった。本来ならばカナダ時間のお昼過ぎに送られてくる筈であったファックス。彼女は風邪を引き、早い目に寝入ってしまったが私の電話で起きるつもりが、この件を知らない彼女の旦那が体調を慮って起こさなかった事でややこしくなった。どうしても昨日のうちに欲しかった私は少しあせったがどうしようもないので出来るだけ早く送ってくれるよう頼み電話を切った。昨日の朝夫の5時出に付き合った(いつも付き合うわけではないけれど)私は夕方5時過ぎには眠くなり早目の夕食を二人で済ますと7時には座っていられずベットへ、読みかけの本を読んでいたがほとんど頭に入らずその内寝ていた。年末年始を日本や暑いオーストラリアで過ごしひどい風邪をひいた私はこちらに戻って10日、まだ体内時計と体調は狂ったままのようである。さて悪いと思った彼女はファックスを送る旨を伝えたく私と話そうと留守番電話に話す。こうなるとほってはおけず、ベットサイドで話すと夫に悪いので一階に走る。イタリア語はどうしても地声の言語だ小さい声で話すなんて無理、ましてや電話ではもっと無理。彼女はどうせ1時間後には起きるんでしょうと言うがその朝の30分は大きい。それに家はどこにいても音が響き渡るロフトのような家なのです。夫は優しい人だが二日前から私の言動が基で傷ついたらしく気分を害しまだご機嫌斜め状態なのでとても神経質になりながら話しファックスを送ってもらいその後言われたように確認の電話を入れる。家のファックス機の呼び出し音は大きく、こういうときに限ってうまく入らず何度もやり直し。その後の確認の為の電話を彼女の家か店かどこにするか確認せず、と言うのも店にはファックスが無いので家に居る(時間帯じゃないが)のだろうと勝手に思いそちらに入れると、でたのは彼女のお母さん。起き抜けにルーマニ語はさすがに喋れない。挨拶くらいは喋れるが向こうが何か言ったらお手上げだ、なんとか彼女と伊語でコミュニケートを取り電話を切る。そして店に電話をすると息を切らせた彼女。街中の本屋から送り急いで戻って来た事を知るが、そんなこと知らなかった!こういうことに関して私は大変大雑把だが、夫は繊細な人なのでさぞや眠りを害されたようで可哀そう。その後起きてきたがとても機嫌が悪く文句を言っていたがそれでもお弁当は受け取って出勤して行った。申し訳ない。そう私が悪いんです。まあ、基本的に7時間は寝ていたであろうがとてもフラフラで再度眠るが今度は起きれない。あんまり寝てもと思い、なんとか起きると10時半になっていた。でもまだ地獄から帰って来た様に疲れてフラフラだ。眠気覚ましに紅茶を飲み薪ストーブに火を付け日記を書いてみた。今日もやけに晴天だ。目前の水色の空と山脈を覆う雪そして海の藍色が少し癒してくれる。夫は暗いうちに出かけ戻る時ももう暗いことが多いこの季節、もっと優しく接してあげよう。ひどい嫁だもんね。
2004.02.12
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去年の一月に始めてみたけれど本当に三日坊主になってしまいギブアップ。もう一度チャレンジしてみようと思い、模様替えして新しい気持ちで始めます。今日も快晴。来週は崩れそうなので今のうちに景色を楽しんでおきましょう。イギリス人の挨拶は天気の話と昔聞いた時、不思議だわ。そんなに無難な会話しかしないくらい浅いお付き合いなのかしらと考えたのですがここカナダBC州に来てから自分の中でお天気の話題がとても重要な割合を占めているのに何時しか気づき、雨が多い地域に住むとこうなるようです。24時間お天気チャンネルをなぜか見てしまうのです。
2004.02.11
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