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2022年03月06日
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カテゴリ: 遠州の報徳運動
「静岡県報徳社事蹟」

二十 稲取村農家共同救護社 
1 所在地
 静岡県賀茂郡稲取村入谷八十三番地
2 沿革
 明治二十一年十月稲取村入谷有志者申し合わせ、稲取村入谷精農
 会を組織し、毎月十五日を以て集会し、第一兵糧、第二常備物産、第三予備物産、第四後備物産と農産物を区別して、農業経済を進めることを研究する。二十六年一月家庭教育会と合併して、教育勅語の聖旨を必ず実行するべきことを盟約する。二十九年一月農家共同救護組合と改め、常備物すなわち養蚕売立て高一割を各自永安家資金として積立て、これを無利息五か年賦及び十か年賦の貸付を行い、負債がある農家の経済を改良させた。三十五年四月内務大臣に申請し、法人の許可を得て、稲取村農家共同救護社と称する。
3 組織
 稲取村入谷住民を以て組織し、専ら農家の道徳を振揮し、左の三項を実行することを目的とする。

 第二項 明治二十三年十月三十日の勅語を服膺し、道義を重んじ実践窮行を旨とする事
 第三項 報徳訓を確守し神徳皇徳祖先父母の徳に報いるに我が徳行を修めるを以てし、勤勉節倹して貯蓄を行い、富強の基本を確立する事
 以上の目的を達成するために社の報徳金がある。
  善種金   社員余業節倹より得た寄付金
  永安家資金   社員分度外積金
 善種金は一たび差出した後は返戻されない。協議員会の決議によ
 り左の費途に支払い、その余を年々積立てて、社有地買入資金に
備えるものとする。
 一 陸海軍恤兵の必要あるときの献金及び赤十字社寄付金
 二 力農精業孝子節婦義僕等の特志者に贈る賞与金
 三 道路橋梁の修繕又は神社仏閣の修理及び献金

る等の諸費及び善行と認める事業費
五 社員の家族で八十才以上の者を待遇する諸費
 六 社費及び会議費
 永安家資金は社員が毎年農産物又は蚕業収益金の一割以上を分度
 外の財として積立の日より六十か年を一期とし積立を行うものとする

 約の下にこの実行をはかる
4 事業
 毎月十五日総会を開き諸般の評議及び研究を行う
 本社員は毎年四月十月の両度に樹栽日を定め、樹木の共同植付を
行う。その植樹したものは現在杉檜六万六千本に及ぶ。右は植付
後三十か年目より社員家屋の新築または増築の用材として無代価 
を分与する約束となっている。また毎年八月社員の投票を以て精
農力農孝子節婦等の奇特者四人(男二人、女二人)を選定し過半
数の得点者を挙げこれに善行証書及び賞品を与え、かつその姓名
を善行名簿に記載し、毎会の善行席に着かせ、格別の待遇をな
し、かつ八十才以上の者を特遇し、あるいは貧困者を救助する。
そして理事及び協議員は毎年七月三十日限り社員栽培の田畑を巡
回し、平素耕耘の勉否を調査し総会に報告することを常とする。
明治二十八年より三十八年十二月まで前記の目的のために支出し
た金額三千百七十七円十四銭に及んでいる。
5 時局に対する施設
 時局に際しては本社に第一軍人家族保護部、第二経済整理部、第
 三業務整理部、第四物産増殖部、第五教育部、第六農業部、第七
 家行監察部の七部を置き、各部に正副部長及び委員四名を置き、
各部の受持ちを調査奨励させる。
6 社員数、資産
 社員数
  社員 百三十八人
 見習社員  六人(幼戸主で積立をしない者、事業及び社業に
従事しない者)
資産
金九千三十円十五銭八厘   現在額
 社有山林原野反別六十町六反二畝六歩
7 創設者の小伝
 田村又吉(*1)は明治二十一年十月稲取村入谷精耕会組織に際し、会長となる。同二十六年組織を変更し教育会との合併につき再選されて会長となる。同二十九年一月農家共同救護組合の監督となり、三十二年満期で再選される。
 八代善次郎は明治二十九年稲取村入谷農家共同救護組合長とな
る。同三十一年一月十二日病死する。
山田恒吉は明治二十六年一月幹事となり同二十八年本社青年報徳夜学校幹事兼任。同三十一年一月組長に選任され、同三十四年一月再選される。同三十五年一月共同救護社と変更したために解任されたが、更に再選される。同三十九年一月また重任する。


*1 田村又吉 たむら-またきち
天保(てんぽう)13年1月5日生まれ。 明治22年静岡県賀茂郡稲取村初代村長となる。 28年片平信明(のぶあき)を知り,ミカン栽培を導入,報徳結社稲取村農家共同救護社を結成。 またテングサ採取,植林事業,教育・医療・水道施設の整備につとめた。


田村又吉翁の碑





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最終更新日  2022年03月06日 17時48分08秒


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