ジャン9072のブログ

2025.11.27
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電話での会話。
創作者との会話。生きてる時代の壁は取り除くことが出来ない。理解し合う気持ちがないのが第一義で、ようは「一攫千金」が眼中にあるのは当然といえば当然なんだが、芸事(ゲイゴト)は違うと思うんですが、そこんところから考えが違う。
創作法について。
恩師も兄弟子たちも、創作には楽器を使わない。
使う楽器は、曲種に分けてピアノかオルガンを使い分ける。
作曲は机に五線紙を広げて書くだけ。ちょうど文章を書くように。ピアノが必要になる時は、ちょうど漢字の確認に漢字辞典を開くような時だけ。これが伝統的な作曲行為。
曲の様式には、旋律的か和声的かでピアノにするかオルガンを使うかに分かれる。響きを大切にするとピアノを用いる。オルガンでは響きが出ないので。
創作に終始ピアノを使うと、自然とわき出る感性ではなく、作為的冷静な整理整頓された作曲に終結する。
創作法は各自自由だし僕らのような創作法は時代遅れらしい。それに肝心なことは、そんな作曲法を大学で教えられていないということ。教える側にしてこうなんだから。これが戦後の教育ですね。戦後の即席教師が幅を利かせるようになって、伝統を知らない教師が主流になったということですか。戦後すぐに生まれた僕にしてもそうなんです、これが現実です。
僕は心細いから、つまり自信がないから結構ピアノとオルガンで音にする。これはイケません。創作の流れをせき止めてしまう。創作の常道に反する行為となる。
つまり、芸術的感性の流れの中に、冷静で理路整然とした常識という普遍性、つまり芸風を感じない常識人に理解してもらおうという意図的な思惑が先行することになるわけです。
恩師に言われたことが何度かある。「君は人が良すぎる厳しさがないお坊ちゃん過ぎる」と。
人の目を意識しすぎて自分を表現していないということですね。
人様に理解して頂こうと無意識でそうしているわけです。人様にそった音楽、それは大衆音楽、生まれ持ったであろう才能を返す精神でないと。
人様に聞かせるのは金のためで、生まれ持った才能とは別次元と言うことなんですがね。
とは言え、ピアノとオルガンは必需品。
電子ピアノだと実音ではないし論外。オルガンは12ストップでないと音に豊かさがない。
そんな話しをしても理解は難しい。別世界ですね考えも感性も。





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最終更新日  2025.11.27 10:28:06
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