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つい最近の話し。勉強会での事。休憩でウロウロ。タバコを吸う場所をさがす。公共施設だったのナイ。当然の如くナイ。喫煙者は罪人の如く扱われる。つい最近まで、どこでもタバコは吸えたし歩きタバコも不通だった。その少し前は電車にも灰皿があった。受動喫煙うんぬん、とくに女性陣から声が上がったのだろうか、いつの間にか隠れ喫煙者の烙印をはられた。そんなことで、施設の外、つまり道路に出てコソコソ吸うことにした。たしかにタバコの煙は随分先からも匂う(臭う)らしい。僕のタバコの煙が甘いので、歩いてきた女性に「いい香りですね」と言われた。誉め言葉ともここは禁止ですよと、どちらにもとれる・・・住みにくい世の中!実にそう感じる。身勝手ながら。タバコって、一箱580円だと、税金が360円取られるんだって。62%も。そんなに税金をとっておいてタバコを公共環境では吸うな、個人所有地で吸え!ということ。健康にも他人にも迷惑をかけるのだから。道路の隅でコソコソ吸っていると、勉強会の参加者が遠慮がちに「僕の車の中で吸いませんか」と助け舟を。そうだその手があった。一台の車に三人でモクモク。窓を遠慮がちに少し開けて。「タバコ喫煙者の同志が誕生」三人は同志だ!ここで同志のキズナが生まれた。気楽な素朴な質問が機関銃の如く出た。パイプ・タバコは、紙巻きタバコとは違って全てが大げさだ。作法があって所作すらも。興味を持ちだす。羨望?の目。興味津々。若者にとってはチョンマゲ時代のキセルと同じに見えるようだ。パイプと言えば、マッカーサーが飛行機を降りるシーンらしい。勉強会が終わって、ファミレスでパイプ談義となりました。みなさん、やるき満々。どうなることやら。環境が許さないでしょうねぇ~パイプの煙で部屋は黄色くなるし、臭いが強烈にしみつくので。パイプを始めると、ニ三年は体調を崩すだろう。だってパイプの煙をまともに肺に入れてしまうから・・・
2026.09.09
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「聖書」って沢山の種類があるようだ。元は一つなんだろうが、日本語に翻訳すると何種類にもなる。読む方は迷ってしまう。それに文語と口語もある。「これを使いなさい」とあるが、これだとどうなの?と、いつも感じ長くストレスとなって心にたまる。いま詩編を見てるが、詩編の番号もズレてる。なんだよォー決めてよォーと言いたい。それに詩編?詩篇?どっちを選ぶかは個人の問題?。なんだか、よく分らん。総合的な僕の結論は、古い方が僕には合っている。何て言われようと、これだけは曲げない。僕は、創作のときはアブリ訳著の「詩編」を使ってる。同時進行の三曲の一曲が終わり、二曲とニラメッコ。少しの間の熟成期間を終えて今見直しをしている。書いて筆を折るか、いっとき熟成期間を置いて今一度見直すかは、その時の気分次第になる。冷静になって懐疑的見直しをすると、増やすか減らすかの二者択一ですか。
2026.09.06
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思ったように書いたはずが、少し頭を冷やす間を置くとハタとはっきり見えてきた。筆を折らずによかった。コッパずかしい話し。未練がましく見直しするか、破棄するかの選択。今までなら破棄するところ。(せっかく時間をかけて書いたのだから手を加えることにしよう、これを捨てて新規作成なんぞと時間がないのだからと、気力が続かない、我がゲズさにあきれるが、背に腹は代えられずであります)楽譜の読解は勉強しないと理解できない分野。つまり、文章を読むのと同じ状態。日本語だけで書かれた文章は誰でも読める。だが、音楽の場合は、日本語だけではなく他の言語が混じって文章が成り立ってるわけだ。他の国語とは移調楽器のことで、調が違う、つまり日本語ではなく外国語になる、その移調楽器の翻訳を同時にしながら文章を読むことになる。ここんところが、気力が衰えると判断が鈍くなり間違いが多くなるわけだ。「気迫」はあっても「気力」が薄れると書けなくなりますね。「序破急」のバランス。いや、これからして無視したらどうなるのだろうか。
2026.09.01
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草津に行ってきました。いそがしい行程、二泊三日。目が悪くなりました、夜は特に危険を感じる。金曜の夜5時に出発、8時半到着だから三時間半かかった。それもトイレタイム一回だけで。草津の温泉街は夜だというのに観光客が。駐車場は車くるま車。車中泊。キャンピングカーはまばらで普通の乗用車。コンビニには大きな貼り紙「車中泊お断り」とある。(観光客が押し寄せ過ぎて町問題のようだ。ただし金土日が大賑わいで他は少ない)施設は変わらないようだ。入所者は先月と同じ23名とか。宿泊者が三人。グループのようだがお一人様一部屋をお使いのご様子。温泉旅行にでも来たのだろうか。だいたい、いまどき施設に来てどうするの?親族友人なら分かるけど。三人とも大学生のお年頃のよう。冷静な気持ちで施設をながめると、いたるところが不備だらけ。全体的な感想としては、入所者さんがふと漏らした言葉に要約される。「昔に戻った」のひと言に尽きると僕も同感。「この座敷豚」「名前の呼び捨て」言葉と態度は表面的には愛想がイイが、中身は「裁判」の前に戻ったということですか。裁判の前、たとえば、呼び出し放送で名前を呼ぶ時。「さん」なしが「さん」ありになった。たったこれだけでも分かってもらえると思う。草津の療養所は多い時は1300人。いまは23人ですよ。どうなるんでしょうねぇ~施設で働く人は百数十人とか。全部税金が使われてる。ボランティアじゃない。
2026.08.31
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三曲の同時進行になって二曲はほぼ完成。どうも似たり寄ったりの気がしてならない。楽器編成を意図的にかえてはいるが。最終段階の譜面をながめて見ると結構ミスと幼稚音が目につく。集中力精神力の衰えか。勘違い、記入ミス、思い込みを見つけた。こんなこと今までなかったのに。歳を感じ気力が失せそうになる。楽器の音域や移調楽器の記譜法なんぞ、初歩的な初歩なのに、勘違い思い込み。気を引き締めないと。三曲とも今一度見直すことにした。書きやすい四声と五声体なので訂正しやすいが、ピアノで弾けるわけでもなく、楽譜を見てのチェックなので目が疲れる。目に負担がかかる。誰かさんに見てもらいたい、相談したいと思っても、そんな人がいるわけでもない。日本語なら相談も出来ようが、ラテン語ならそうそういないだろう。楽譜も同じで楽譜が読めないと。音楽大学では習わないから演奏家でも実のところは無理な話し。恩師がいるころは、見て頂いて指摘訂正をご教授うけたが、今では自分でやるしかないということ。リズムの束縛と調性第一の安易さですか。そこんとこに気が付きました。この後の、期日制限ありの二曲のデッサンにとりかからないと。
2026.08.24
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都会人の心は、忙しい。立ち止まる余裕すら無くしたと言えば言い過ぎだろうか。都会人と言っても「江戸っ子」は少ないだろうに。ただ言えることは、小さなコミューンの中では正義が通じるとは言えない。きのう葬儀に行った。涙の雨ではなく「煉獄の熱さ」のような暑さ。時間も、はっきりしていない。有名人?だから一般人の時間が特別に設けられ献花も何もかもが辞退お顔を見るだけ。(園だけの葬儀が午後からあったようだがシャバの人間は参列できないこれって故人が一番望んでいたことなのに)時間厳守とやらで、その時間も人によって違う。その光景を見てアホらしくなり、会場の前で手を合わせて帰宅を決めた。知り合いに会ったので一緒に食堂に。なんせ顔の広い人だったのでこうなって不思議はない。奥さんとは一週間後に会う約束を電話でしてあった。大変だろう、急でもあったし、奥さんは外国の人だから言葉がなかなか通じない、世話を焼いてくれる親切な人がいたようで、そうは言っても宗教がらみだと想像がつく。まぁ、故人となったんだからこれ以上は言葉はない。とはいってもね。目をつぶるわけにもいかないしきょうは、112年前、1914(大正3)年8月20日、教皇聖ピウス十世が帰天、79才。現在の第二バチカン公会議で物申したお方だったがかなわず現在に至るわけだ。ピオ10世の意をくんだ流れがしっかり続いているのが救い。
2026.08.20
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森元美代治さんが亡くなられました。19日水曜日に葬儀とか。今さっき修道院から連絡が入ったが詳しいことは不明。お知らせまであした全生園に連絡をして葬儀の時間を聞きます。それにしても、どうなってるんでしょうねぇ~こういう時代なんだ!ですまされないと僕は思う。まぁ~こうなったのも、今やらずそのままにする人間の愚かな結果というものですか。修道院に訃報の情報が入ったのは司祭からだと言うから、司祭はどうするのだろうか。これでイヨイヨ全生園もどうなることやら。僕が全生園を訪問するようになったのは1983年だから43年前。医療宗教関係者くらいだろう訪問者は。僕なんぞ「何しに来た何者だ!」と威圧的に問われたもんだ。全生園って何の施設かも近隣住人も知らない時代だった。彼をテーマにした音楽劇「チョバリオ」を3回公演したか、資金が続かず終わった。彼は慶応大学を出て銀行員になったが再発して全生園に。療養所の中でも異質かも。啓蒙活動に積極的だったが、悲しいかな、後継者を作らなかった。彼にふさわしい葬儀であって欲しいがもうライ病を語る人はいなくなったかも。これはとても大切なことで日本人には大きな損失だと思う。88才
2026.08.16
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81年前の8月15日良くも悪く戦争が終わった。古い伝統を重んじる日本人が消え、新しい日本人が生まれる瞬間でもある。あの頃の日本を、もう少し調べたかったがかなわず。うやむや知識で我が人生が終るのは残念です。8月15日は、宣教師ザビエルが日本に上陸し、この美しい日本をマリア様に御加護を祈ったとされている。477年前の話し。そしてこの日は「聖母マリアの被昇天」の祭日です。この日に敗戦を迎えるが、敗戦国が生き残る力だけは残された(守られているような気がしてならない)。それと、「聖タルチシオ」の記念日でもある。僕の霊名ではないが日々祈る聖人である。何のへんてつもない若者、御聖体を運んでいる最中に御聖体を守りながら強盗に殺された、ただそれだけの普通の若者だが、僕にとっては高みの人である。御聖体とはなにか?からはじまる信仰の種だと思っているので。この御聖体は、いまも、ウクライナでロシアでも存在し生き続けている。敗戦後数年して生まれた僕の子供の頃の映画を見ると言語が今とは違う。日本の会話にも流れがあった。会話の流れイントネーションは音楽のかなめ。これが崩れることで日本の音楽が今日の姿になったのがよく理解できる。A級裁判や天皇、特にB級C級裁判には胸が張り裂ける思いがある。はれ物には触れない日本人の優しさか(ずるがしさ)、この結果どれほど悲惨な家族が存在したか、報道で知らせて欲しいものです。研究者なら、若い学徒の論文で広く取り上げてもらいたい、そんな気持ちです。ある時期、ハンセン病が大学生や学者がこぞってハンセン病施設を訪れた時期があった。論文テーマに多くの学生大学院生が訪れていた。そのブーム?が終わり、一体あの頃の熱はなんだったんだろうと?いま思う。人の心を簡単にとらえるから、それをテーマにしただけのこと、これが結論ですね。小説や映画でもありますよね、まちがいなく売れる、まちがいなく。BC級戦犯の不当性は今にいたる。あの太平洋戦争で多くの植民地遅配から脱皮した。大東亜共栄圏が日本の敗戦で実現したと言っても過言では。植民地の国民は苦しみ搾取人権無視、宗教の強要、言語の強要。英語の強制で今では流ちょうな世界人になってますがねぇ~。日本人のお陰ですか。あの大国中国だって日本の敗戦後に生まれた国でしょうに。それこそ、日本に足を向けて寝られないのに、と僕は思う。ひとつ僕的には不思議な疑問がある。幼稚でささいな疑問かも知れないが「特攻隊員」について。あの頃の頭脳優秀で福家の青年が、特攻隊と言う特殊任務にはたして適任だったのだろうか?と。大学には行けなかった頭脳体力のある若者が五万といたのに。自爆の任務に大学生がはたして適任だったのかと。その選別理由が知りたい。
2026.08.15
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久しぶりに、山の友達を訪ねた。夜九時だと言うのに虫がいない。虫の声が少ない。それでいて、鹿の二つの目ん玉だけがキラキラ光り、何頭も動いているのが不気味。なんだか変だ、今年は、天変地異の怒りか。テレビでキエフにミサイルが飛んでくる、ミサイルは見えないがミサイルのしっぽの光りが「流れ星」のように見える。もうニ十年前の音楽劇「村山等安」を思い出す。初代長崎代官で、カステラを初めて日本で作った。カトリックで子供には司祭がいて大阪城で殉教。村山等安も斬首、その妻と一族も元和大殉教、火あぶり。元和は大坂の陣・豊臣滅亡の時代。この村山等安の音楽劇の初演は2006年とあるから20年前になりますね。たしか公演は一回で終わったはず。 初代長崎代官村山等安の話しで出てくる「流れ星」の場面。 彗星がとぶ。M-17『見よほうき星』(合唱、平蔵・ソロ) コーラス(見よ西の空に まがまがしいほうき星 赤い悪魔のほうき星 天変地異が起こるのか 凶事災難の前ぶれか) 平蔵(見よ西の空に うるわしのほうき星 赤い祝いのほうき星 今こそあばいてやる 御法度やぶりのトーアンめを あのほうき星こそ 大願成就の前ぶれ めぐり来る春のきざし) 平蔵・コーラス(見よ西の空のあの星を 赤い悪魔のほうき星 見よ西の空のあの星を 赤い祝いのほうき星) トーアン(今こそ神の試練に耐え、神の恵みに応えまつる。 神よ、か弱き我に力を与えませ、与えませ。) コーラス・平蔵(さればこそ村山トーアン さればこそ末次平蔵 道はひと筋 さあ、立ってお行きなされ。今がその時ぞ) M-18『わらべ唄』(わらべ達) 身分危うしトーアン様よ ご法度事を暴かんと 平蔵ドンの悪企み 裁きの庭のトーアン様よ 今は恐れじ顔あげて キリシタンぞと宣べ給う「ほうき星」=「流れ星」=「彗星」=「ミサイル」夜空にロシアから飛んでくるミサイルの光り。僕には「ほうき星」に見える。
2026.08.13
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孫の次男坊が海兵隊を、戦地に行くことなく終わりそうだ。2022年六月に高校を卒業してすぐに入隊。娘の嫁ぎ先の家系がそのようで、四年になります。海兵隊任期までの人は少なく、その後の仕事や進学には優遇されるとか。あと半年くらいなので戦地に行くことは普通的にはないでしょう。戦地に行くには何ヶ月の訓練が必要だから、時間的には現実不可能だから。とは言え、まぁ米国大統領のことだから安心はできない。それにしても米国大統領は大風呂敷を広げるのは得意だが、いざ自分の身の心配となると典型的な小心者。大統領の乗る飛行機も暗殺を恐れて取っ替え引っ替えだとか。小心者ですね。恥ずかしい話しだ。孫の同期の中には中東派兵してるし、ウクライナは相変わらず。ロシアの大統領も夜も寝られず暗殺におびえているのが想像できる。精神力ですね。これにつきる。ロシアの大統領もハタ目には勇ましいが。精神力は心底にあるから。ここんところが強いか弱いか。三島由紀夫さんの言葉を思い出す。ロシアの大統領も、アメリカの大統領も、中国も北朝鮮も同じですね。こんな小心者がトップだと世界中が振り回される今回の台風もありえない。いつもなら関西から関東に進むのに。全てが狂いだした。大凶の前触れだ。
2026.08.12
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ネット上で興味あるCMに出くあした。「もしもの時は安心祭典」と二回繰り返すだけのCM。「もしもの時は」と「あんしん祭典」でリズムを変える。「あんしん」の部分に疑問はあるが、それでも充分に理解できる。何度かこの旋律を聞くだけで頭に入る。CMとしては大成功だ。シロウトには書けない。作曲を学んだ人でないと、この緻密さは書けない。「安心祭典」と歌うのだから葬儀屋さんだろうから、この記憶はありがたいこと。すぐにネット検索すれば連絡できるのだから。それにしても、この書法、同じことを考える人がいるものだ。その元をただせば古い時代にあった楽曲。最近では僕の恩師の孫弟子さんにあたる作曲家も書いている。もしかすると、その影響かヒントかも。たった2小節で書くのだから頭がさがる。
2026.08.10
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昨夜は早めに寝た。サイクルを破壊するので睡眠薬を投下。2時なり。七時起床。お勤め他で忙しくした。これから出ます。義父の墓参り。修道院。帰宅して昨日の続き。じつに8月も忙しい。昨日の8月4日は義父の命日。我が家では変更が効かずこれからです。50年も経つと感慨無量。
2026.08.05
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シスターから電話あり。夜の八時過ぎの電話だからドキッとした。不幸話しでなかった。お蔵入りのルルドのマリア様の御像について。塗りかえて教会に置きたいとか。安請け合いはできない。僕は全くの専門外だから。御像の材質によって塗料も違うし、台座がどうなってるやら、まづは見てから。手間賃の問題。修道院だからお金と相談しないといけないし、そんな金額じゃ請け負えないし、それに僕がプラスして合意、いつものパターンになるでしょうが。あした時間のやり繰りができたので東京に行ってきます。 今日は一日創作三昧の予定。部屋に閉じこもり。三曲の同時進行なので要領よくやりたい。一曲は完成させないと。
2026.08.04
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草津に行く時は、クーラーボックスを持参する。2001年5月にライ予防法違憲国家賠償訴訟がテレビで騒がれ、好奇心からか大勢の紳士淑女が施設を訪れるようになった。25年前になりますか。勿論いまでは訪問者は少なくなったとはいえ、ここではやめておきます。そんな善意の紳士淑女がお土産に持参した食べ物と品々。口に合うはずがない珍品高級品の数々。それを冷凍にしてある。「善意の押し売り」ですか指先が動かず、目も悪く、有名なハイカラな食品、気持ちは分かるが迷惑かな。月に一度の訪問でクーラーボックスが満腹。ありがたや、ありがたや、です。有難く頂戴する僕だって複雑な気持ち。これらを持参した人たちの喜びの顔が想像できる。ようは「自己満足」ですかそんな光景が、世間は狭いから、廻りまわって僕の耳にも聞こえてくるわけだ。だから「自己満足」と言うんですよでも、冷凍にして待っている姿にはホロリですねありがたいことです
2026.08.03
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草津から帰りました。先月第5週に訪問した時は23人だったのが現状維持。我が家と草津の温度差は天と地。鳥の声もおだやか聞こえます。獣は見かけないとのこと。夏は快適。健康舎。つまり、日常生活が自分で出来る人は十人くらい。朝昼晩に食事が配食される。一番若い人で81才。食事を作る人は当然若い現役年齢、80代の人の口に合った献立を考えるのは常識と思うが、これがそうじゃない。若い人向けのお膳立て。食べて見なさい、と言われて食べたが我が口に合う。やることなすことがこうなる。入所者さんにヤサシイ思いやりオモテナシはここにはない。管理者の立場で全てが進んでいる。動物園の動物と飼育員と昔から言われたとおり、今も続いている。入所者23人に管理者(職員)が100人越え。退職してもなお一年契約で続けるが常識。問題を起こさず、目立たず、余計なことはしない、改善もしないし口を出さない。働き手の天国。二三日行っただけで、ヒドイ話しが幾つも目に付き、考えられない現実がある。話しても詮無い。むなしくなるのでやめにする。ヒマでヒマで、暇を持て余した日常勤務。医者、看護婦から職員まで。こんなことをしているとシャバの仕事場では絶対に通用しない。専門技術を忘れるだろうに。ただ黙って黙して語らず。当たり触らず定年まで年月を数えていればそれでよろしい。そんな公務員なんですね。23人に100人越えの公務員。
2026.07.31
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これから二泊三日で草津に行ってきます。最近、この三時間の運転に疲れを感じるようになってきた。そりゃそうだ。78だもの。ほとんど準備も無しで、五線紙と楽譜だけ。食料はコンビニで。今回は新しい楽譜を持参、ゆっくりアナリーゼしてみますか。イタリアのピツェッティやマリピエロの時代は憧れの時代、僕にとっては。そんな時代の作曲家が僕のまわりにいたのには改めて刺激でもあります。数日前、楽譜のコピーが出てきたんです。黄色く楽譜も消えかけている。48年前の話しでしょうか。1926年にサレジオ会の9人の宣教師が日本に初めて来た。その代表がチマッチ神父、一緒に来たのがリヴィアベッラ神父。この神父さんの兄だっかた弟だったか忘れたが作曲家で、その楽譜をコピーしていただいた。そのコピーが出てきたんです。リヴィアベッラ神父さんには大変お世話になった。原曲は声楽曲でピアノ伴奏。それをリコーダーとギター伴奏にして何度か演奏したことがある。じっくり楽譜を読み返してみたい。
2026.07.29
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朝の8時頃、テレビを付けた。NHKの朝ドラ「風薫る」とかの主題歌が始まった。軽い朝に相応しい音楽が流れるが、若い世代の音楽で80近いジイサンには理解できない。ただこの主題歌にも強い違和感を感じた。考えさせられる。そういう時代なんだから詮無いこと、沈黙していればよろしいと・・・言葉も旋律も今風。その伴奏部との対比が奇妙にひかれた。言葉と旋律は若者の素直な表現で、昔でいう所のトルヴェールの吟遊詩人的。その伴奏はと言えば、これが驚き、伴奏部は音大で作曲を学んだ風な書法。この歌と伴奏のアンバランスが実に微妙にマッチしていると言うことだ。この傾向は、僕が音大を出る頃から始まった。1970年前後からか。
2026.07.28
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大相撲が終わった。安青錦が巴戦を制した。テレビドラマなら感動だが、現実の相撲の在り方は、お相撲さんには気の毒すぎる。まるでローマの剣闘士だ。終わって数か月後にはまた始まる。怪我をかかえてのガチンコ勝負。力士生命を短くするだけ。なんでこうまでして相撲興行をするのだろうか。「金もうけ」としか言いようがない。力士は使い捨て。どんどん新しい力士が生まれるのだから。こんなことをしてはいけないと思う。安青錦の優勝は、ウクライナに幸運をもたらす前触れ。ロシアの8月は、歴史的に「凶月」。ロシアの独裁者が独りよがりで始めた奇襲侵攻に陰りが濃厚。それにしても犠牲者が多すぎる。犠牲者の家族はロシアとロシア人を許さないだろう。安青錦の優勝は、ウクライナに春をもたらす前触れであって欲しい。
2026.07.27
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朝から暑いですね。朝からエアコンなしではいられない。朝からどの家も屋外機がうなりをたててる。電気が大丈夫なんだろうか。人ごとではない。室内の涼しさを得るのに屋外機がフル運転。暑さを外に排出している。地球が熱くなるのも不思議ではない。エアコンなんていらなかった国々まで暑さで死者ま出て、歴史的建造物に穴をあけて屋外機を取り付ける時代。アダムとエバの楽園。どんな生活だったか知らないが、人間は快適な生活を求めていきつくところまで来た。漫画映画の世界だった人工知能の実現。AIのお陰様で、仕事を取り上げられる人がほとんど。弁護士、医者も、大学の先生もいらない、通訳もいらない、AIがあるから。要領のイイ、ずる賢い人間の世界ですかね。それにしても暑い。
2026.07.25
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きのう23日午前中に墓参り。新車なのにクーラーが全然効かない。お寺さんは禅寺、三家族の墓がある。一人は奥さんの姉の命日で嫁ぎ先で22才、奥さん16才のとき、第二バチカンの翌年だから1966年かな。奥さんはレッスンがあるので僕一人で墓参り。帽子を忘れた汗が出るなんてもんじゃァ~なかった。判断力ゼロ。水も飲まずに草むしり。墓参り。これって大事なことですね我が宗派だと盆暮れがないので、いつでも墓参りする、だからツイツイ足が遠のく。おまけにお墓の考えが今は急変して「墓じまい」「合葬」の時代だから、お骨や先祖やお墓りの概念が急激に変わりつつある。炎天下で草むしり、死者を想う、お塔婆もいらない、墓参りもいらない・・・便利な世の中になったのか、考えさせられました
2026.07.24
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マダニが大発生しているようだ。悪くすると死や後遺症になる。「マダニに噛まれても、その人の運」しだいかな~~~アメリカの娘がマダニに食われて大騒ぎだとか。ライム病。知り合いに聞くと近くでも繁殖しているとか。今年は地球変動か?繁殖するのかも。我が家近くの公園で観察するとイタ・イタ・イターーー。じっとしていると靴にはい上がって来た。やば。早速帰宅して風呂に入った。熱いお湯がおすすめ。服はもちろん即洗濯。僕は田舎暮らしの経験があるので「マダニ」は人よりは知っている。野外勝の後は熱いお風呂につかること。シロウトの智恵:マダニは頭を皮膚に食い込ませ、スイカの種ほどの大きさに血を吸う。無理に引っこ抜くと頭だけ残る。これが良くないとか。ねじりながらマダニを抜き出す要領かな。コツがあるけど。素人療法だからやめた方がイイでしょうが。その昔は、そんなに大げさな話しではなく、ごく自然な話しだった。何度か病院に行ったが行くほどではない話しだった。それが、今ではオオゴトだ。
2026.07.22
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良くない出来事ばかりが続く。そういう年代なんでしょう。書いてる最中に大衆音楽の編曲を頼まれて四苦八苦。楽譜を見てるだけで目まいと言うか、頭がグルグル回り、あげくは吐き気がする。「芸術は爆発だ!」と真理を破壊した自由表現は自由過ぎる。それを編曲するとなると道理は通じない。まぁこの歳でこんなことを何故しないといけないのか。憂鬱になる。良くないことの連続に「厄払い」をしてもらわないと。そんな気分ですか。
2026.07.20
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ささやかな嬉しい話しドイツ初期バロックのシャイトの楽譜をそろそろ閉じようとしていた矢先に、奥さんから十年か二十年か前の曲の編曲を頼まれた。ドイツで勉強していた頃に、同じ音楽学生だったドイツ人らにつられてシャイトはよくアンサンブルした。学生仲間のコンサートや、演奏試験でもシャイトをとりあげた。その音楽仲間が、ウクライナへのロシア侵攻で家族を失い、その後遺症で楽友本人も召された。そんな複雑な中、シャイトを閉じたところに、奥さんからの頼みだった。おまけに一音下げる指定があった。「おいおい一音下げると曲全体が変わるよ!」と言いたかったが「言わ猿」で飲み込んだ。(僕も少しは大人になってきた)78だもんねーーー理屈の上でも声が出るわけないか音が高すぎるそれにしても、78でそこそこに、おもかげが残ってるのは奇跡と努力と精神力のたまものだ!頭がさがるシャイトをやっていた頃、奥さんもバロック唱法を学んでいた。今の発声法では、声が出なくても当たり前なのに、大きな会場で歌うことばかりに専念してきた日本の音楽界の結果ですね。まぁ~僕には関係ないですけど
2026.07.18
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孫が本土に戻ったようだ。まづは一安心。どうかな。心配がつづく。孫の同僚は中東に。中東も米国の下も「社会病質者」の胸三寸。
2026.07.17
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イイ話しはナシ・・・イイもワルイも共に分かち合える人はゼロに近い。これが世の中と、分かったふりをするのが人間かも。昨日は久しぶりの教会に行った。三百か四百席そこそこの教会。いまはガランとしてる(司祭の声からして外国人の発音らしいアジア人司祭か)。高齢者と現役世代がそろって座る光景がほとど。現役世代?おそらく高齢者の付き添いの家族だと分かる。そりゃそうだ。歩いては、電車や車を運転して来れないのだから。聖体拝領のとき、高齢者だけが拝領する姿は厳しい現実と言うか、信仰の歴史の現実的結果。付き添いの人は祝福も受けずに・・・高齢者の子供、その子供の子供。この三世代の家族構成は一体どうなってるのだろうか。我が家を見ても感じる。つまり、この高齢者とは、戦後生まれ前後の我々世代である。戦争に負けてアメリカイズムの教育が導入されて今にいたる。家族そろっての食事もなく、あっても食事をしながら携帯電話をいじってる。会話はないテレビを見ながらか携帯をいじりながらか。子から親への質問は不要、メンドクサイ、関わり合いになりたくない、質問はAIに聞けるから。こんな時代に誰がしたそう我々世代です。
2026.07.13
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我が教会は歴史が古い。古いだけに土地も広いし、幼稚園もあった。ある時、さいたま教区は、理由は知らないが一斉?に教会付属幼稚園が無くなった(親子三代四代つづく町の顔がなくなった)。教会も古いし信徒も少ないしで、建築積み立て費もありで小さな教会を作った。僕に言わせれば「ろくでもない構造建築」(住宅街の町内会館みたい)当時、献堂式にあたり、聖歌隊は後ろにすべき、もちろんオルガンもと僕が提案したが、却下された。それが、昨日のミサではオルガンだけが後ろに置かれていた。聖歌隊は依然としえ同じ、祭壇前のまん前にある。それが、きれいな声で歌うならイイが、素人のカラオケ程度。とてもハズカシクて恥ずかしくて、まるで裸の王様だね、恥ずかしいと言う言葉を知らない、どこからあんな神経が生まれるんだろうか。神への賛美。信徒の歌声を先導すべき聖歌隊は、本来なら、信徒の座る席の後ろから歌って初めて聖歌隊の意義がある。それを、私を見て、私の声を聞いて、とばかりに我が身をさらすのだから。たへくそなのに。いったい何人の人が歌っているの?四人だった。はぁ~それで聖歌隊と言えるのぉ~~~よくもまぁ~こっぱずかしくもなく・・・謙遜謙虚って言葉を知ってるのだろうか・・・
2026.07.08
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昨日の主日ミサは、我が教会に二人して行った。第一週目は日本が主体。他の週は外国語が主体?になるので。とは言え、日本語主体とは言っても、小さな教会なのに外国人が多い。(それに、日本人は半分にも満たない。おまけに日本の新しい信者さんが多くなった)一ヶ月に一度しか我が教会には行かないが、驚きがある。我が教会は、聖歌隊が祭壇前にいる。これが、いつの間にか後ろにオルガンだけが置かれていた。聖歌隊は今までどおり祭壇前いる。なんでそうなるの?考えられない現実に「なさけなく」なってしまう。オルガン伴奏のそばにいて歌うのが常識で当たり前なのに、あんなに離れていてどうするの?その理由はたった一つしかない。まづ第一に、今になってどうしてオルガンの場所を変えたのか。変えたのなら、聖歌隊も一緒なはず。それを、従来どおり祭壇の前に聖歌隊は鎮座している。その理由は「おらが存在」としか考えられない。おれが私が歌っているんだよ、と自己顕示欲が強すぎだね。神の前では、人の後ろから歌うのが聖歌隊のスタンスのはず。オルガンと聖歌隊が離れていて、意思疎通はとれないだろうに。何を考えてるのやら・・・「神ありき」ではなく「自分ありき」ということ。どうしてこんな風になったんだろうか第二バチカンが大転換期でしょうそんな話しが話題になる場所がなくなったのが残念です。
2026.07.06
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色々と考えさせられる時間が長くつづいている。つまり「ウツ」と言うことか。おまけに、どうしてもこの道を通らないといけない。奥さんのコーラスの編曲。けっこうあるから二ヶ月になるか。その間、そのメロディーが頭の中で駆け巡ることになる。これが一番危険な存在。これらのメロディーが我が頭を支配するのだが、これが非常にスムーズに受け入れるのだ。不思議なもんですね。「血」なんですね、日本人の血。西洋音楽は「仮の宿」。血の違いですか。日本人には到底受け入れられない西洋音楽なのかもしれません。(そうは言っても「讃美歌」は子供の頃から見聞きしているのでスムーズに理解できるのが日本人ですね)自分の行く道の音楽は無理に作られたものだから、いま編曲している音楽をやっていると自分の身になってしまう。ここんところが恐ろしいところです。そんな編曲の中に「一曲」我が身の救いの曲を発見。作曲者名を見て救われた。どこか他の曲とは違う。日本にあって西洋の異国のにおいがするから。不思議なもんですね。恩師の初めの頃のお弟子さんのお弟子さんとなる作曲家だ。つまり、先生の「外孫弟子」さん。建築で言うところの土台と壁がしっかりしてる気がする。今週で編曲とオサラバしないと。洗脳されてしまうのが一番怖い。我が頭は、その程度なのがよく分かる。
2026.07.02
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この歳になると、突然の訃報を耳にする。人ごとではない。自分だけは「別」と自己愛が優先するのが人間というものか、我が身も同じなり。先延ばし。考えたくない話しだから・・・ワイフに、我々の死のあと始末をせっつかれ、今月と来月で二人して休みが一緒なのは19日の日曜日だけ!と言われ急きょ我が家の墓に行って来た。我が家から2時間半。川越から八王子の山の中の五日市カトリック霊園。この歳になると二時間半の車移動は疲れると・・・ 事務所で「墓じまい」と「合葬(合祀)」について聞いてきた。この霊園は東京教区の霊園で、府中霊園がいっぱいになった後に五日市に作られた。教区の霊園だから、僕ら埼玉教区の信徒は利用できなかったが、今ではそうではないらしい。空いているのだから規則がゆるくなったようだ。イイのかワルイのか別として、時代に対応しているんですね。なぜそういうかと言うと、1088年、母が亡くなり墓問題で神父経由でなんとか許可が下りた経由があった。 質問:「墓じまい」と「合葬合祀」の現状は?回答:数十家族。毎月あり年々増えている。新規の墓は年に一軒位。合葬が増えているしその傾向にある、とのこと。質問:墓じまい、合祀にさいし、神父さんが来るのか?回答:ほとんどいない。(予想はしてたが驚きだった。納骨の時に神父さん抜きだなんて、これ以上は言わぬが無難)墓じまいし、合葬するのに一人40万円弱なり。(高いか安いか分かりませんが)合葬だと、これで管理費など全てなし、を確認した。 「遺骨」について、カトリックはどう教えているのだろうか?ミステリー。遺骨とはタダの骨だけか。それともタブー?、自分で判断しなさいよ、大人なんだからと言うことでしょうか。 納骨するのに神父さんのお祈りがあって当然だと思っていたのは勘違いなのかなぁ~~~<神父様はお忙しいから・・・と回答した事務員、この人信者さんなのかなぁ~?> 信徒は、死ぬ前は教会に献金するが、死ねば献金をしない。「金の切れ目が縁の切れ目」って言葉を思い出す。 僕らが使っていた「公教会祈祷文」には、「死者の為の祈り」が当然あって、司祭の唱え文まで書いてあるのに。ちなみに僕の両親の埋葬の時は、川越のフランス人神父さんが来て下さった。それが普通だと思っていたのだが、どうも今はそうじゃないらしい。本当かなぁ~~~神父さんなしで埋葬するなんて!?いやぁーな世の中になったもんだ。
2026.04.20
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