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HOME > 今日のことば 1/31 Fri頼りになる一灯江戸時代の有名な儒者だった佐藤一斎に、「一灯を提げて暗夜を行く。暗夜を憂うることなかれ。ただ一灯をたのめ」という言葉があります。時代の流れが大きく変わるときは、真っ暗闇の夜と同じで、何か手がかりが欲しくなります。それで、あれこれ新しい情報を求めるのですが、結局、それに振り回されるだけに終わることが多いのです。目先の動きに目を奪われて、長期的な見方ができなくなってしまうからです。変動がはげしいときほど、頼める一灯を持たなくてはならないのです。日蓮聖人は、「木の根が深ければ枝葉は枯れず、水源に水があれば流れはかれない。薪がなくなれば火は絶え、大地がなくては草木は生長することができない」と教えておられます。どっしりした基礎を持たなくては、いくら最新情報を集めてみても、何をどう変えればいいのかさえ分からなくなってしまいます。行く先ばかりを見定めようとあせらず、まず足元を定めなくてはなりません。 庭野日敬著『開祖随感』より
2014.01.30
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HOME > 今日のことば 1/30 Thu 自己流でむだ骨にせっかく教えの縁に触れながら、救われないでいる人がいることほど悲しいことはない、といつも私は申し上げるのですが、せっかくお役をやってくださっているのに、なかなかスカッといかない人がいます。その人をよく見ていると、いつまでも自分の考えだけにこだわっているのです。相撲の大鵬親方は、現役時代に三十二回も優勝を飾った名横綱ですが、その強さの秘密は、素直さだったといいます。「今日の相手はこの手が得意だから、こう組んでいけ」と教えられると、「はい」と答えて、必ずその手で組んだそうです。これが簡単そうで、なかなかできないのですね。いざ本場所の土俵に上がると、勝ち星欲しさで自分の得意の手で組みたくなってしまう。それで結局、相手に組ませてもらえずに負けてしまう。その失敗を繰り返すわけです。信仰も同じで、仏道をあゆもうと決めたら、お師匠さんのお言葉どおり実行することに徹していけば、すぐにでも功徳がいただけるのに、大事なときになると自己流を振り回して、せっかくの精進をむだ骨に終わらせてしまうのです。こんなもったいないことはありません。 庭野日敬著『開祖随感』より
2014.01.30
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HOME > 今日のことば 1/29 Wed頼み方次第どんなに万能な人であっても、一人の力には限りがあります。十人の力、百人の力を借りなくては大きい仕事はできません。それは百も承知でも、人にまかせ、人に頼むのが苦手という人が多いものです。嫌な顔をされたり、気兼ねしてやってもらうより、自分でやってしまうほうが気が楽だ、と一人で仕事を背負いこんでフウフウ言っている人がいますが、それを見てまわりが同情してくれるかというと、「あの人は、なんでも自分でやらないと気が済まない人だから」といった見方しかしてくれません。人の力を借りるのは、相手の人に「私は信頼されているんだ。人の役に立てるんだ」という喜びを与えてあげることにもなるのですね。大事なのは、頼み方です。頼み方ひとつで、人を発奮させる材料にもなれば、押しつけられた、とやる気をなくさせることにもなってしまいます。松下幸之助さんは「私は学校を出ていないから、人がみんな頼もしくみえる。わしはやれんが君ならできるはずだと相談すると、みんな一生懸命になってくれるんですよ」と話されています。信頼して人にまかせるのも礼拝行なのです。 庭野日敬著『開祖随感』より
2014.01.29
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HOME > 今日のことば 1/28 Tue五分五分の心の争い教会のご命日の説法会にうかがわせてもらうと、信者さんのすばらしい体験を聞かせてもらえます。ご主人がサラ金に手を出して「もう、ぜったいにやらない」と何度も約束しながら、またしても借金していたことが分かり、愛想が尽き果ててしまった奥さんが離婚を決意された。その奥さんと一緒に教会を訪ねたご主人が、教会長さんの法座の結びで、借金癖がピタリと直ってしまったという説法を聞かせてもらいました。はたから見ると反省のハの字もない人にみえても、「もう、こういうことはやめなくてはならん」という反省の心が働いているのです。しかし、それと一緒に自分の弱さに引きずられる心も首をもたげて、五分と五分で争っているわけです。そこのところで、「これではいけない」という心のほうがちょっと優勢になっただけで、奇跡のような心の大転換が起こるのです。ご主人のそうした心の転機のきっかけについて、奥さんは、「それまで私は、なんとかして主人を変えよう変えようとしてきましたが、教会長さんは主人を拝んでくださったんです。それで主人の目が覚めたのです」と説法してくださったのでした。すばらしい悟りではないですか。 庭野日敬著『開祖随感』より
2014.01.28
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HOME > 今日のことば 1/27 Mon難信難解 法華経は難信難解(なんしんなんげ)の法といわれます。何が難しいのかというと、説かれている教えをそのまま信じきってしまうことが難しいのです。それを裏返せば、信じることができさえすれば「なるほど」と、だれにもすぐに分かるのが法華経の教えだということになりましょう。法華経の教義を、初めから終わりまで理屈だけで理解しようとして万巻の書を読み、知識を詰め込んでも、教えの神髄はなかなかつかめないのですが、経典に示されたとおりに一つでもいいから実行してみると、ちゃんと結果が現われてきます。なによりもまず実行です。その実行へ踏みださせてくれるのが、お師匠さんの導き、サンガの見守りなのです。「師匠のない仏教はない」といいます。自分ではかなり修行したつもりでいても、独りよがりになっていることがよくあるのですね。深く学んだつもりが、逆に知識を鼻にかけて我見を増長させることになっている場合もしばしばあります。自分一人では、そこになかなか気づけません。お師匠さんにいちいち指摘してもらって初めて自分の思い込みを離れて見られるようになり、利害打算を離れた無我の修行ができていくのです。 庭野日敬著『開祖随感』より
2014.01.27
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HOME > 今日のことば 1/26 Sun相手の美点を見る眼だれしも、自分がほめられることほどうれしいことはないのに、人をほめるのは、あまり好きではないようなのですね。「どうしたら開祖のように人の欠点を見ず、よいところだけを見られるようになるのですか」と、よく尋ねられるのですが、人の欠点ばかりが見えてしまうというのは、相手と張り合う気持ちが強すぎるからではないかと思うのです。弱みを見せまい、負けてなるものかと、自分を守ることで精いっぱいなのではないでしょうか。私は、そういう無理ながんばり方をしないのです。自分よりすぐれた人には、すぐにシャッポを脱いで教えを請う。みんなが仏さまの子ども同士なのですから、張り合ってみてもなんの意味もないのですね。そういう考え方で、自分をがんじがらめにしている自己防衛の心から解き放たれると、おのずと心のゆとりが生まれ、相手の美点が見えるようになってくるのです。それが慈悲の眼です。たとえばお姑さんとお嫁さんが、この心のゆとりを持つことができたら、毎日がガラリと変わってしまいます。人を心からほめられるようになる秘訣は、そこにあると思うのです。 庭野日敬著『開祖随感』より
2014.01.26
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HOME > 今日のことば 1/25 Sat自灯明・法灯明冷戦構造がくずれて、「こんどこそ世界に平和が実現する」と期待した矢先、世界のあちこちで紛争が噴きだしてきました。大国も政治不信に大きく揺らいでいます。これまで冷戦構造によって、世界ががっちりと締めつけられてきたそのタガがはずれたことで、自分たちの民族、自分たちの国の権威を一挙に回復しようとする意識の高まりともみられますが、うっかりすると、混乱と無秩序が世界を覆いかねません。お釈迦さまは、「自分をよりどころとし、他人をよりどころとしてはならぬ。法をよりどころとし、他をよりどころとしてはならぬ」という「自灯明・法灯明」の教えを説かれました。本当の自分をよりどころとするということは、自分一人だけポツンと存在しているのではなく、周囲の社会とのつながりによって生かされている存在である自分に気づくことです。その全体の中で、自分はどういう役割を担っているのか、それを自覚することこそ自己の尊厳を知ることでありましょう。個人も、国も、そこのところをかみしめなくては、新しい世界は開けないと思うのです。 庭野日敬著『開祖随感』より
2014.01.25
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HOME > 今日のことば 1/25 Sat自灯明・法灯明冷戦構造がくずれて、「こんどこそ世界に平和が実現する」と期待した矢先、世界のあちこちで紛争が噴きだしてきました。大国も政治不信に大きく揺らいでいます。これまで冷戦構造によって、世界ががっちりと締めつけられてきたそのタガがはずれたことで、自分たちの民族、自分たちの国の権威を一挙に回復しようとする意識の高まりともみられますが、うっかりすると、混乱と無秩序が世界を覆いかねません。お釈迦さまは、「自分をよりどころとし、他人をよりどころとしてはならぬ。法をよりどころとし、他をよりどころとしてはならぬ」という「自灯明・法灯明」の教えを説かれました。本当の自分をよりどころとするということは、自分一人だけポツンと存在しているのではなく、周囲の社会とのつながりによって生かされている存在である自分に気づくことです。その全体の中で、自分はどういう役割を担っているのか、それを自覚することこそ自己の尊厳を知ることでありましょう。個人も、国も、そこのところをかみしめなくては、新しい世界は開けないと思うのです。 庭野日敬著『開祖随感』より
2014.01.25
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HOME > 今日のことば 1/24 Fri樹上の鳥カ禅師「悪をなさず、善行を積んで、心を浄める。それが仏教の要諦だ」と鳥カ[カはあなかんむりに「果」]禅師に教えられた白楽天という人は、中国・唐代の大詩人で、中央政府の役人でした。地方に左遷され、それを解かれて杭州の長官に赴任したときに、木の上で坐禅を組む高僧のことを聞いて訪ねていったのでした。白楽天が、樹上の鳥カ禅師に「そんな高い所で危なくはないですか」と問いかけると、鳥カ禅師はすかさず「お前さんのほうこそ危ないだろう」と答えます。その答えは、政治の世界はいつ足をすくわれるか分からない。本当の安心は、どこにいようが教えを求め続けるところにあるのだ、という意味に解釈できるのではないでしょうか。地位も財産も、人の本当のよりどころとなるものではありません。頼みにできるのは、自分の心、自分の信心です。その「信」さえしっかり持つことができれば、どんな人に対しても、どんな事態に直面しても、心にゆとりを持って、そこに意味を見いだし、それを成長の糧としていくことができます。この心こそが功徳の源泉です。 庭野日敬著『開祖随感』より
2014.01.24
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HOME > 今日のことば 1/23 Thu監督の“独り野球”プロ野球の監督をしてこられた人が、「新任の監督というものは、どうしても早く動きすぎてしまう。私もそれでいくつも試合を落とした苦い経験がある」と、テレビで話されていました。新監督として早く結果を出したい、一つでもよけい勝ち星が欲しいと考えるのは無理もありません。それで自分の野球をしようとして選手を起用し、交代させるのですが、選手は監督の考えていることが、すぐには理解できない。それで監督の頭の中だけの“独り野球”になってしまうわけです。監督のほうは「なんと下手くそな選手だ」と選手を責める。選手は「野球を知らない新米監督」と心の中であざける。お互いに違った土俵で不信感をつのらせてしまうのです。監督が考えていることを選手が腹の底から納得してプレーができるようになるには、それだけの熟成期間が必要です。早く油をとろうとして一気に搾って油を汚してしまう「油を圧(お)す殃(つみ)」の戒めは前にもお話ししましたが、功をあせって「油を圧す殃」をおかし、あたら人材をつぶしてしまったのでは元も子もありません。 庭野日敬著『開祖随感』より
2014.01.23
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HOME > 今日のことば 1/22 Wedほめて認めるコーチ日本プロサッカーリーグの最高責任者である川淵三郎さんは、かつての東京五輪で日本代表選手として活躍した人です。川淵さんの話をうかがうと、自分の選手時代を含めて、これまでの日本のコーチ法は「何度言ったら分かるんだ」と、いわば否定的指導で選手をしごき上げる方法だったといいます。しかし、スポーツも勉強も、繰り返し繰り返し練習を続けていかなくては上達は望めません。「それには、積極的支援のコーチのほうが大事だ」というのです。それを川淵さんはクラマーという監督に教わったそうです。クラマー監督のコーチ法は「いまのシュートはすばらしいぞ」とほめて、「でも、こうすると、もっと楽にシュートが打てるんじゃないか。一緒に練習しよう」という教え方だったそうです。子どもにいきなり、「将来のためにがんばるんだ」と言っても効き目はありません。子どもは将来のことまで順序だてて考えることができないのです。それよりも、自分を認めてくれる人が目の前にいることのほうが大事で、そういう人がいると、ほめられたい一心でがんばる。そうして一つずつ力がついてくると、おもしろくなって本気になっていくのです。 庭野日敬著『開祖随感』より
2014.01.22
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HOME > 今日のことば 1/21 Tue「なるほど」の教えドイツの著名なジャーナリストとして活躍されたロルフ・イタリアンダーさんが先ごろ亡くなられましたが、イタリアンダーさんは、来日して全国の佼成会の教会を回って実際に会員さんの話を聞き、「佼成会の仏教は、だれもが『なるほど、なるほど』と納得して救われる教えだ」と言っておられました。そもそもお釈迦さまの教えは、人間の本質を見通して、人が幸せになるにはこう生きるしかない、という道を示されたものです。人間の本質をつかんだ人の話は、だれもが「なるほど、そのとおりだ」と納得せずにいられないのです。「人はこうあるべきだ」といった説き方だと、「しかし……」とかわされることもあるのですが、この世の成り立ち、人間の本質をズバリととらえて、これ以外に人の生き方はない、と心の底から納得してもらえば、もう、だれも逃げようがありません。それで、教えのとおりに実行してみると、「なるほど、本当に幸せになるにはこれしかなかったのだ」と、もう一つ納得がいくわけです。人を行動に踏みださせるのには、心からの「なるほど」が必要なのです。庭野日敬著『開祖随感』より
2014.01.21
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HOME > 今日のことば 1/20 Mon経力を頂戴する今年も寒中読誦修行(かんちゅうどくじゅしゅぎょう)が始まりました。まだ夜も明けきらぬ早朝、寒さを吹き飛ばして道場へかけつけ、腹の底から声を出して真剣に経典の読経をすると、内から力がみなぎってきます。私たちが読誦するその法華経の経典の一文字一文字に、仏さまの願いが宿っています。また、これまで数えきれない人たちによって読誦されてきたその祈りが、お経にはこもっています。その仏さまの願いと一つになり、人びとの祈りと一つになったときに、法華経の経力(きょうりき)を頂戴することができるのです。仏さまのご守護とは、摩訶不思議な力で私たちの願いをかなえてくださることではありません。私たちがどんな困難にぶつかろうと、仏さまはいつも私たちについていてくださって、「私が見守ってあげているから、大丈夫なのですよ」「あなたは、そこを乗り越えることができる力を具えているのですよ」と後押ししてくださり、私たちの力を、ありったけ引きだしてくださるのです。それが仏さまのご守護です。その仏さまのお見守りを信じて、全力を尽くすことこそ大切です。 庭野日敬著『開祖随感』より
2014.01.20
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HOME > 今日のことば 1/19 Sunもう一つの力新横綱の曙関は、横綱に昇進した初土俵で黒星を喫してしまった夜、何度も負ける夢を見て、汗びっしょりになって目が覚めたといいます。同じように、現・北勝海親方も新横綱の土俵で負けて、「このまま連敗したら引退しなければならん」という思いが胸をよぎったというのです。しかし、そのとき先輩横綱の千代の富士関(現・九重親方)に、「力があるから横綱になったんだ。強気でいけ」と言われて、ようやく平常心を取り戻すことができたといわれています。自分の才能への自信、積み重ねてきた努力によって得た自信が、一つのつまずきでガラガラとくずれてしまうことがあるのですね。それに、もう一つのものが加わらないと、本当の自信にならないわけです。山田恵諦猊下は「自分の努力、まわりの援助、それに神仏のご加護が加わらなくては事は成らぬ」とおっしゃっておられます。背後で自分を見守り、押しだしてくれる力を感じたとき、自分が蓄えてきた力を百パーセント出しきることができて、信じられないようなことが可能になるのです。自分のすべてをまかせられる帰依の対象を持つことによって、考えられないような不思議が起こるのは、そこなのです。庭野日敬著『開祖随感』より
2014.01.19
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HOME > 今日のことば 1/18 Satピンチに内を固める「この不況はいつまで続くのか。早く手を打ってほしい」という声が高くなっていますが、ここで腰をすえて「いまこそチャンス。いまだからこそできることを」と考えてみてはどうでしょうか。昭和の初めの大恐慌で松下電器がピンチに陥ったとき、社長の松下幸之助さんは、「どんなに在庫を抱えようと、社員の首は切れない。工場の従業員には給料を払って半日休んでもらい、店員全員で在庫を売り歩こう」と呼びかけて、危機を乗りきったそうです。そうして全社員が一丸となって難関を乗り越えたことで、考えられないような力が生まれ、それが松下電器の発展の原動力になった、と話しておられます。好景気で会社の業績が順調に伸びているときには、全社員が心を一つにするということが、できそうでいてなかなかできないものです。ピンチの時こそ、内を固める時です。じっくりと人育てに取り組み、互いに協力し合うことで社員同士の信頼感を培っていく。ただ手をこまねいて待っているだけでは、また次のピンチにさらされてしまいます。不況の時こそチャンス。バブルでゆるんだ体質のままでは発展は望めません。 庭野日敬著『開祖随感』より
2014.01.18
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HOME > 今日のことば 1/17 Friうなずく愛語「なんの反省もなく、よくも平気であんなことができるものだ」とあきれ返るような人が、みなさんのまわりにもいるかもしれません。「この人は、なんという人なんだろう」と、がまんできなくなることもあると思うのですが、もう一度、その人の身になって考えてあげてほしいのです。おそらくその人は、まわりの批判や攻撃に心を閉ざして、幾重もの鎧で自分を守っているのだと思うのです。それをさらに責め立て矯正しようとしても、聞いてくれるわけがありません。心の底から「これではいけない」と、自分がその気にならないかぎり、人は、どんなにうるさく言われても変わるものではないのです。大事なのは、どうしたら相手に本気になってもらえるか、そのための働きかけです。それは、ほんの一か所だけの心と心の触れ合いでいいのです。かたくなに自分を守っている人がいちばん求めているのは、本当の味方になってくれる人なのです。「愛語」とは、優しい言葉という意味ですが、上手なことを話せなくても、相手を信じきって、相手の訴えに心からうなずいてあげられたら、それだけで立派な愛語になるのです。 庭野日敬著『開祖随感』より
2014.01.17
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HOME > 今日のことば 1/16 Thu互いにほめ合う夫婦豊臣秀吉は主君・信長の長所を見て、「うちの殿は偉い人だ」と心から思い、いつもそれを口にする。それに対して明智光秀は、信長の欠点を黙って見ていられず「天下人になられたら徳を具えていただきたい」と進言し、主人の欠点を直そうとして不興を買い道を誤ってしまった、という説を聞いたことがあります。これはさまざまな人間関係にあてはまるように思います。たとえば夫婦円満の秘訣も、そのへんにあるのではないでしょうか。いったん結婚した夫婦は、そう簡単に別れるわけにはいきません。とはいっても、夫婦として三百六十五日、朝から晩まで鼻を突き合わせている者同士、互いにアラを数えだしたら、きりがなくなってしまいます。そこを直してほしい、ここを変えてもらいたいといっても、夫婦の間柄では、なかなか素直に聞けないのですね。夫婦の相性とは、ただ気心が合うというだけでなく、互いにパートナーとして、より力を発揮できるようになることが大切です。そのへんの機微が、このあたりにある気がするのです。欠点を直そうとするよりも、互いによいところをほめ合う習慣をつけたほうが得策だと思うのです。 庭野日敬著『開祖随感』より
2014.01.16
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HOME > 今日のことば 1/15 Wed信念をとおすこのところ、寒さがいちだんと厳しくなってきました。だいぶ昔の話になりますが、私が十八歳で再上京して炭屋さんに奉公したのは、寒さがいちばん厳しい真冬のまっさかりでした。それまでどんなにつらい畑仕事でも平気だったのに、手にあかぎれができてパックリと割れ、血がにじんだものです。その血の流れる手で夜遅くまで炭を切り、薪割りをしたことが、寒さが厳しくなってくると懐かしく思いだされます。当時は、将来何になるという具体的な目標はありませんでしたが、とにかく「私は日本一になるんだ」という気持ちで、「なにごとであれ一生懸命に働かなくては日本一にはなれない」と自分に言い聞かせ、気持ちを奮い立たせたものでした。そういう気概を持っていましたから、仕事がつらいから手を抜く、といった気持ちは毛頭起こりません。「この程度の仕事に耐えられないで何ができるか」と、なにごとにも挑んでいく心意気で、その気概を、私はその後も変わらずに持ち続けたのでした。私はいまも、なにごとも真剣に、まじめにやり続ければ必ず道は開ける、という信念を持ち続けているのです。 庭野日敬著『開祖随感』より
2014.01.15
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HOME > 今日のことば 1/14 Tue人間関係の大もと 自分を産み育ててくれた親の恩に比べられるものは、ほかにありません。それを、ごくあたりまえのことのように考えたり、うっかりすると、親を恨んだりしている人がいるのです。しかし、心の奥の奥では、だれしも親の恩を感じない人などいないはずです。何かが、その気持ちを素直に表に出すことを妨げているのです。この、親の恩をかみしめることが信仰の出発点であり、幸せへの出発点だといってもいいでしょう。親に心から感謝できるようになると、夫婦同士でも、互いに感謝できるようになってきます。子どもやご近所の人と対するときも、また会社の上司や仲間を見る目も違ってきます。人間としての軌道に乗ってくるわけです。親への感謝ができなくては、ほかのだれともうまくいくはずがありません。親への感謝が人間への信頼感を生み、それが社会の絆にふくらんでいくのです。最近、アメリカでも家族が見直されているそうです。家庭がくずれると社会の秩序までバラバラになってしまう、という苦い体験からの知恵だと思うのです。 庭野日敬著『開祖随感』より
2014.01.14
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HOME > 今日のことば 1/13 Mon亡き母への供養私が、まだ牛乳屋の商売をしながら布教に歩いていたころのことです。亡くなった母の命日が六月二十二日で、その日は、わが家の命日にも当たっていましたので、毎月、「この日は特別にしっかりとご供養させてもらおう」と思っているのですが、その日にかぎって、あの信者さん、この信者さんから声がかかって、真夜中まで飛び回らなくてはならなくなるのです。恩師の新井先生にそのことをお話しすると、「庭野さん。お経をあげるだけが供養じゃないんだよ。苦しんでいる人をお救いするために飛び歩く供養のほうが尊いんです。お母さんやご先祖さまが、どれだけ安心し、喜んでくださっていることか」とおっしゃってくださいました。それが法華経を身で読む供養なのだと、そのとき新井先生に教えていただいたのです。そう聞かせていただいてから、毎日、休む間もなく人さまのために駆け回らせてもらっていると、母のうれしそうな顔が目の前に見えてくるような気がしたものでした。 庭野日敬著『開祖随感』より
2014.01.13
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HOME > 今日のことば 1/12 Sun現代でも起こる奇跡『法華経』の「妙荘厳王本事品(みょうしょうごんのうほんじほん)」では、浄蔵(じょうぞう)・浄眼(じょうげん)という二人の王子が、父王の前でさまざまな不思議を演じて見せて、仏さまの教えに親を導く話が語られます。二人の王子は、自分の姿を瞬時にして巨大な姿に変えて見せたかと思うと、たちまち豆粒のような小さな姿に身を変える、といった不思議を見せます。そんなことができるものだろうか、と考えられるかもしれません。しかし、それはいまの時代でも同じなのです。子どもがいくつになっても親の目には幼い子どもに見えるのですが、そのわが子が、真実の生き方について堂々と信念を述べるようになったとしたら、どうでしょう。かと思うと、これまで親に反発ばかりしていたのが、素直に親の言葉を「はい」と聞くように変わったら、まさに信じられない奇跡と見えるのではないでしょうか。それが「大身を現じ、また小を現ずる」姿です。「ありがとう」という言葉、そして「はい」という返事がいちばん美しい日本語だといわれる人がいますが、青年部の練成や法座で、この素直さを身につけて親を教化できたといった話を聞かせてもらいました。こんなうれしいことはありません。 庭野日敬著『開祖随感』より
2014.01.12
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HOME > 今日のことば 1/11 Sat待つ心人を育てるのにいちばん大事なのは、「待つ心」ではないかと思います。人が自分の欠点や癖を直すのは、そう簡単なことではありません。会社で上司が部下に、いろいろ注意を与えて、「こんな失敗は、二度と繰り返すのではないぞ」と言い聞かせても、そういっぺんに直るものではありません。よくお母さんが、子どもに向かって「分かったと言ったでしょう」「もうやらないと約束したでしょう」「何度言って聞かせたら、あんたは分かるんですか」と言って叱りつけているのを見かけますが、頭で分かったのと、実際にそれができるのとでは天と地ほどの開きがあるのです。たとえば、右の棚の物を左の棚に移すだけのような簡単にみえることであっても、長い間に身についたその人のやり方や癖は、なかなか抜けません。何度も失敗を繰り返しながら、次第に改まっていくものです。それを見守り、待ってあげる心の広さ、温かさを持たないと、人は育たないのですね。あなた自身、いまは悟りきったような顔をしていても、そうなるまでに、どれだけの人に見守られ、待ってもらってきたか、思いだしてほしいのです。 庭野日敬著『開祖随感』より
2014.01.11
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HOME > 今日のことば 1/10 Fri一日の重さ映画評論家の淀川長治さんは、毎朝、目を覚ますと「今日は平成四年一月十日、私の一生で、地球の歴史の中で一日しかない日だ。だから、ニコニコしていよう」と口に出して唱えられるのだと、新聞のコラムに紹介されていました。今日しか会えない人だと思ったら、仏頂面はしていられません。今日しかできない仕事だと思えば、いいかげんにはできません。「人生別離に足る」という漢詩の一節を、「『サヨナラ』ダケガ人生ダ」と作家の井伏鱒二さんが名訳されていますが、今日のこの一日とは今日でお別れしなければなりません。それが「諸行無常」です。だからこそ、そのかけがえのない一日を最高に生きようという積極的な生き方が、法華経の生き方だといってもいいでしょう。お互いさまに今日という一日の大切さを、かみしめ直そうではありませんか。私は八十五年という年月を生きてきて、一年ごとに、一日ごとに、ますますその重さを思い知らされるのです。 庭野日敬著『開祖随感』より
2014.01.10
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HOME > 今日のことば 1/9 Thu終わりに残るもの内科学の権威である日野原重明先生によると、六十歳で亡くなられた人の脳を開いてみると、ふつうの人なら四分の一、よほど使った人でも、まだ半分しか使っていないということです。半分以上は白紙のままなわけです。それをそのまま残したのでは、まことにもったいない。六十を過ぎると「あとは余生」と考える人が多いけれども、とんでもない。まったく新しいことに挑戦する出発の時だという心構えが大事だ、と日野原先生は言われるのです。私が、世界宗教者平和会議の実現に取り組み、明るい社会づくり運動を提唱したのは、六十歳を過ぎてからでした。ジェラール・シャンドリーという人が、「人の一生の終わりに残るものは、われわれが集めたものではなく、与えたものである」という言葉を遺されているそうです。その人の人生の究極の価値は、がむしゃらになって手に入れた地位でもなければ財産でもなく、どれだけ人さまに奉仕し、人さまに与え、遺すことができたかで決まるのだ、と言われているのではないでしょうか。 庭野日敬著『開祖随感』より
2014.01.09
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HOME > 今日のことば 1/8 Wed迷いを断つ猛稽古大事な試合やテストなどを前にすると、「大丈夫だ」という心と、「いや、ひょっとすると」という不安と、二つの心がせめぎ合うのですね。そして、一度不安に捕まってしまうと、それにどんどん引きずられてしまいます。日蓮聖人は「異体同心なれば万事を成ず」と教えられたあと、一人の心であっても二つの心があると、争い合ってなにごともうまくいくことがない、とおっしゃっておられます。どうしたら、この二つの心の葛藤をなくせるかです。お相撲さんの世界では、不安を克服するには「稽古しかない」といいます。自分の限界にいどむ稽古によって、「これだけ稽古したのだから、ぜったいに大丈夫だ」と、自分の相撲をとりきる精神力ができてくるというのです。早朝から全身砂まみれになり、土俵にはいつくばって、もう動くこともできなくなるほどの猛稽古は、技を身につけるのはもちろんのこと、心に迷いが芽生える余地をなくすためでもあるわけです。常精進によってこそ、人生の不安や迷いをなくすことができるのですね。 庭野日敬著『開祖随感』より
2014.01.08
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HOME > 今日のことば 1/7 Tue人生の師を得るよい師を得ることは人生の大事ですが、とりわけ青年時代にどんな師に出会うかは、その後の人生を大きく変えてしまうほどの、大事中の大事といえましょう。人生のお師匠さんであっても、絵や音楽などの習い事の先生であっても、心の底から敬服し、惚れ込んだお師匠さんにつくと、その言葉から考え方、一挙手一投足にいたるまで真似をしたくなってきます。目の前に実際にいるお師匠さんばかりではありません。その人の著書や、経典として残された言葉などを通して出会った師であっても、同じです。親鸞上人は、法然上人をわが師と思い定められると、「このお師匠さんについて地獄に堕ちてもかまわない」とまで決意されてしまいます。そういう師に出会うことができたら、人生のどんな岐路に立っても、迷うということがありません。学ぶという言葉は「真似ぶ」という言葉が語源だといいますが、それに徹しきってこそ、そこから自分の本然のものが輝きだしてくるのだと思うのです。 庭野日敬著『開祖随感』より
2014.01.07
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HOME > 今日のことば 1/6 Mon仏の子の自覚仏性開顕と簡単にいいますが、どうしたら仏性を開顕できるのかです。まず、「私は仏の子だ」と自分に言い聞かせて、心からそう思い込んでしまうことです。すると、もう怠けてなんかいられません。腹が立ったなどと、ふくれているわけにもいきません。心理学のある先生が、「善い結果を考えると善い結果が、悪い結果を考えると悪い結果がもたらされる。潜在意識が、心に思った結果につながるチャンスを捕らえるからだ」と言われています。「外相整えば、内証おのずから熟す」という言葉があります。森田療法という、神経症の治療法の創始者である森田正馬さんが用いた言葉ですが、装いを整えて威儀を正すと、それだけで「みっともないことはできないぞ」という心になってくるものなのです。「私は仏の子なのだ」という自覚を持つと、どんな無理なことを言う相手に対しても、笑顔で、「この人にも教えを分かってもらわなければ」という慈悲心で接することができるようになってくるのです。 庭野日敬著『開祖随感』より
2014.01.06
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HOME > 今日のことば 1/5 Sun足るを知る者は富む子どもが五千円のお年玉をもらったら、大喜びします。ところが、次の年も同じ五千円では、それほど喜びません。こんどは一万円でなければ驚かない。その次の年になると、一万円では「なあんだ」という顔で、二万円もらって、やっとにっこりする。中学生くらいの子どもでもそうなのですが、大人となると、なおさらです。一つの欲が満たされると、また次の欲が出て、それが満たされないと不満になってしまうわけです。これではどこまでも不満は尽きず、一生、不平不満のうちに終わってしまうことになりかねません。こんな寂しいことはありません。十分の収入がある地位にいながら、それでも満足できずに収賄(しゅうわい)で捕まってしまう人がいます。立派な家に住んでいても、家族が不満だらけでいがみ合っている家もあります。それに比べて、アパート暮らしのつましい家計の中で一家が仲むつまじくいたわり合い、いつも笑顔で暮らしている家庭を、私はたくさん実際に見ています。どちらが幸せでしょうか。老子(ろうし)の言葉に「足ることを知る者は富む」とあります。よくよくかみしめたいものです。 庭野日敬著『開祖随感』より
2014.01.05
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HOME > 今日のことば 1/4 Sat一家和楽の条件正月には「睦月」の別名があります。家族そろって睦まじく暮らすという意味で、「今年こそ家内円満を」と祈願された方も多いことでしょう。しかし、それは棚からぼたもちで授かるものではありません。なすべきことがあるのです。まず、ご先祖さまをお祀りして、毎朝、お水・お茶・ご飯をお供えし、経典読誦のご供養を欠かさない。小さなことのように思えるかもしれませんが、なすべきことの中心が定まると、家の中全体が和やかで、ちょうど軸を得た車輪のように、なめらかに回りだすのです。それから、教会にお参りして法座にすわらせてもらい、自分のことだけでなく、人さまのことも心配してあげられるようになってくると、いつのまにか家の中のゴタゴタが収まって、笑い声の絶えない家庭になっているのですね。八正道(はっしょうどう)のなかにあげられている正精進(しょうしょうじん)は、自分がめざす正しい目的に向かってまっすぐに励み、怠けたり、わき道にそれたりしないことです。一日一日、その努力を続けていくと、仏さまのみ心にかなった身と心の使い方ができるようになって、必ず仏さまがご褒美をくださいます。 庭野日敬著『開祖随感』より
2014.01.04
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