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11/5 Thu
「お母さんなんか死んでしまえばいいんだ」とわが子に言われたら、親は動転してしまいます。しかし、それが追い詰められた子どもの親に助けを求める悲鳴なのですね。言葉と心は、必ずしも一つではないのです。
「頼みもしないのに、なんで私なんか産んだのよ」などという言葉でカッとなるようでは、親として、まだ駆けだしです。子どもがどんな思いでそんな言葉を親に投げつけるのか、考えられる心のゆとりを持つのが親の愛情です。そのゆとりがないと言葉のどぎつさに引っかかって、怒りだしたり、目の前が真っ暗になったりしてしまうのです。そんな言葉がどうしてわが子の口から出てきたか、その心の奥の奥を見通せるようになるのが「真観」です。
会社帰りのサラリーマンが帰宅の途中で一杯やりながら会社の批判をし、上役をこき下ろしている姿をよく見かけますが、これも、悲鳴なのかもしれないのです。観世音菩薩がどんな人も救うことができるのは、そうした人びとの悲鳴の中から、本当の願いを聞き取る力を具えておられるからです。私たちも、そういう力を身につけたいものです。
庭野日敬著『開祖随感』より
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