PR
カレンダー
カテゴリ
コメント新着
キーワードサーチ
縄文人の生活 NO.2 です。
内容は「いま蘇る縄文」( 2018 年 9 月 1 日発行、株ダイアプレス)を引用、抜粋させていただいています。「縄文」に関する本は他にもありますが、遺跡や出土品などをベースに、大胆に「推測、想像」を適宜付け加えた 各コメント がすばらしく、リアルで映像をみているようで わたしはこの本に大変魅かれました 。史実に基づきながらも、想像たくましく当時の縄文風景を感じながらご紹介させていただくとともに、楽しくまとめをしています。
<意外にカロリーが高かった縄文の食卓>
食事というのは、ヒトによってこの上ない歓びのひとつだ。特に、不安定な狩りに頼っていた縄文人たちは、手を変え品を変え、調理法を開発したに違いない。保存食から植栽までこなし、様々な方法で作った料理は、現代人も目をみはる出来だったかも?
経験値に基づいたご馳走を食べていたに違いない!
縄文時代 1 万数千年の間に、縄文人たちはどんな食事を摂っていたのだろうか。さすが、食に関しては経験値がモノををいうので、旬の食材を生かした料理が並んでいたに違いない。そもそも、狩猟と同時に保存食も作っていたわけだから、その食卓はバラエティ豊かだ。そんな縄文の食卓を覗いてみよう。
〇煮物
魚介類、山菜やキノコ。時には獣肉も入れスープで煮込んでいたのが基本の調理法。それ以外にもドングリやトチの実は土器に入れて煮たりしてアクを抜き、すり潰して団子状にして食した。
〇果実
山で採れるアケビやヤマブドウなどの果実や、あく抜きの必要のないクリやクルミも手軽な食事だった。
〇燻製など
燻製にする、蒸す、天日干しにするなど、長い時間を経て形成された経験則で食材を確保。ハレの日には豪華な馳走が見られたかもしれない。


( 縄文のご馳走、できあがり!! )
<多彩な食器類>
土器類食器類は、特に日用品と儀礼用に分けて考える必要があるかもしれないが、ここでは縄文の人々が作った「作品」という観点から食器類を鑑賞する。どれも独特の味のある作品で、ひとつひとつが手作りなので、同じものがないのがおもしろい。

<縄文ライフの基礎知識>
縄文人も現代人も同じヒト。普段やっていることもあまり変わらなかったかもしれないと勝手に想像してみる。そんな縄文人たちの日常を、もう少し突っ込んで考えてみよう。
<住居は竪穴住居>
おおむね、必要最低限の生活必需品に囲まれていいた。だいたい竪穴住居は直径 5 メートルくらいの円形の建物だった。その中で家族が仲良くくらしていただろう。中には、土器や道具、そして植物で編んだござなどがあり、生活に必要な最低限のものが設えられていた。火をおこす木材も備蓄しており、雨の日には室内で布作りも行っていただろう。

<貝塚とは?>
必ずしもゴミではないものが発見されている。人骨や犬の死骸も発見されている。また、装飾品も発見されている。貝塚は一種の別れの場であったのではないか。まだまだ謎深い場所である。
<集落はどんな感じだった?」
隣近所を大切に目の届く範囲で生活、親密なコミュニケーションがあった。
小規模集落では限られた親類縁者が見晴らしのいい場所で、水場が近く、水害にも遭わない場所を開発していたと思われる。数軒の小さなコミュニティが力を合わせて日常を送っている。また、集落の周辺にはゴミを捨てる場所があったり、クリやウルシの木がある場所を選んで住居としていた例もある。大規模集落ともなれば、広場を中心に馬蹄形もしくは円形に家が軒を連ね、食料を貯蔵しておく貯蔵穴や木の実をアク抜きする水場があったりした。どちらにしても、隣り合って生きていたのは間違いない。そうでないと、この小さなコミュニティから落伍者が出ると、生命に危惧にさらされるということになる。

<冬のよそおいは?>
毛皮を身にまとい最小限の体温を保った。冬は毛皮やサケの皮も衣類に利用したかもしれない。寒いからと言って、布団の中でごろごろする怠け者はいない。縄文の男は重ね着と毛皮を着て獲物を追うのだ。
<服はどうしていたのか?>
「 編布編み」で作成し、着心地を追求。縄文時代、人々はすでに植物の繊維で糸を作っていたが、それを布に加工するのが「編布編み」(あんぎんあみ)という製法だ。編みあがった布はごわごわとして硬かったので、水に浸して木槌で叩き、やわらかくする。出来上がった布は骨角器などの針で縫製し、ベンガラやハシバミで着彩する場合もあった。土偶などの姿から、当時から衣類のデザインは存在していたことがわかる。
<縄文人たちの一日は?>
あくまで、想像でしかないが、日の出日の入りで活動を調整。
縄文時代の人々は、おおむね体内時計で一日を過ごしたのではないだろうか。図は完全に現代人の想像でしかないが、日の出とともに活動し、薪を消費する夜は早めに休んだことは想像に難くない。まず、起きて川辺に水を汲みに行く、朝のうちに食べ物の確保に動くという想定だが、獲物が見つかると男たちは、夕方でも狩りをしていたのではないかと推測する。と同時に女性たちは夕食の用意をしてたであろう。お腹をすかせでぶうぶういう子どもたちをなだめるのも大変だったであろう。夕食を終えてしますと、あとは団らんの時間、月夜を眺めながら、いろいろなことを語り合ったことだろう。記録がないので想像するしかないが、一日の終わりの語らいで何を話題にしたのかいろいろと興味は尽きない。

縄文時代も食べるために生きる時代から、多少の保存食などの蓄えもできてきて、食べるものの確保以外にもにも時間的な余裕ができてきたのではないかと推測しますね。(投稿者私見)
季節によるおおよその時間感覚と日時計で時間を認識していた。
<縄文人の音楽?>
石笛や土鈴、縄文琴など音に関連する出土品も存在する。
<成人になる通過儀礼としての抜歯>
痛みに耐えてこそ一人前の男・・・現代人はついていけない?
西と東では抜歯の仕方が違う?東西の違いはかなり顕著だ。
<埋葬は屈葬が多かった?>
時代と土地によって違う埋葬。永遠の眠りは丁寧に扱われた。
<ペットと縄文人>
ペットが人間の伴侶という考えは 1 万年以上前からも。
縄文人とイヌの結びつきは強く、一生のパートナーとして飼っていたと考えられている。というのも、明らかにヒトの手によって埋葬された犬の遺骸が多数発見されているからだ。縄文犬と呼ばれるものは、日本が地続きの時代に大陸から渡ってきたものと考えられている。狼を家畜化したものがイヌになったと考えられているが、縄文時代にもペットロスはあったに違いない。

<縄文人の祈りとは?>
土偶のイメージではこんな感じか、ただ誰もそれを証明できない。
太古の祈りには、自然への畏怖、豊穣の感謝、理解しがたいものへの神格化などがある。決して、体系的ではないが「そこに存在する何か」に人々は祈りを捧げたのであろう。縄文人たちは、より大きな自然への畏怖と感謝、偶像を必ずしも必要としない祈りを捧げていたのではないだろうか。もちろん、豊穣に関係する男根状の石棒や女性器を形どった出土品、そして神事以外に使われたとは考えにくい土偶が出土している。だが、それが神の偶像化かどどうか誰にもわからない。またひとことで信仰といっても、祖霊信仰があったのかもしれない。が、現代人でさえ祈りの行為を重視する以上、縄文人たちも祈りを重要な重要な契機と考えていたことは間違いない。
~あとがき~
縄文時代がまた脚光を浴びてきています。わたしは、あまりにも昔の話になってしまうので、従来どちらかというとあまり関心がありませんでした。今回、いくつかある縄文本のなかで、事実かどうかというよりも、実際の遺跡や出土品から大いにイメージを膨らませて「縄文時代」を推測、想像できるこの本に素直に感動しました。
そこで、あまり自分の意見を差しはさまず、恐縮ではありますができるだけ著者の見解を忠実に紹介をさせていただきました。従って、今回は本の「内容紹介ブログ」となっています。現代のわたしたちの原風景を縄文時代のいろいろなところに見た感じがして、何かほのぼのとした気持ちにさせていただいたような気がしました。 以上
戦国めぐりⅡ~桶狭間の戦いから小牧・長久… 2023.08.01
[戦国めぐりⅡ」(愛知県の城と古戦場を訪… 2023.07.24
「どうする家康」の自分流の楽しみ方です☆… 2023.05.19