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2019.06.21
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カテゴリ: 60歴史

弥生時代のトピックス、最新調査を見てみましょう。

(「最新調査で分かった日本の古代史」 ( 書籍 ) の紹介です)

~弥生時代年表~

紀元前3世紀頃 大陸から青銅器、鉄器が日本へ伝来する

紀元前1世紀頃 国内に 100 ほどのクニ ( 小国 ) が誕生する

57 年            倭奴国王が後漢に朝貢し、金印を授かる

2 世紀後半     小国同士の争いが起こる(倭国大乱)

3 世紀前半    卑弥呼が邪馬台国の女王となる

239 年 卑弥呼が魏に朝貢し、金印を授かる

247 年 この頃、卑弥呼が没する

3 世紀半ば   前方後円墳が出現する

→稲作の普及によって社会が大きく変質



<古代史最大の謎、邪馬台国所在地論争>

[ トピックス ] 弥生時代

・卑弥呼の正体は天照大神だったのか、三角縁神獣鏡、金印、銅鐸など、卑弥呼の時代に存在した様々なものには。まだまだ「謎」が多く残されている。

女性が権威者のとして君臨した古代日本

皆既日食と天岩屋隠れの関連性が議論の的になる


(纏向古墳群・大型建物跡・箸墓古墳)

・邪馬台国畿内説の有力候補地・纏向遺跡

卑弥呼の墓と主張する畿内説論者は、築造年のほか、後円部の径が「魏志」「倭人伝」の「径百余歩」の記述に近いことも論拠としている

謎の大型建物跡が纏向遺跡で発見される

各地との交流を示す遺物が数多く出土

纏向遺跡出土の桃の核が卑弥呼の時代と一致



・考古学的な根拠が続出する邪馬台国九州説の今

倭人伝の記述から有力視される九州説

北部九州の繁栄を示す、須玖タカウタ遺跡で発見

卑弥呼の墓といわれる平原遺跡 ( 祭祀とかかわりが深い人物が埋葬されたとみられる ) 、伊都国の王墓と考えられる 1 号墓を中心とした墳墓群。 1 号墓は弥生時代終末期に築造された。

[ 最新調査 ] 弥生時代

国生み神話の地・淡路島で相次ぐ弥生時代の遺跡の大発見

・ヤマト王権の重要拠点で鉄器工房や銅鐸が出土

南あわじ市の砂置き場で 7 個の銅鐸が見つかる

高い鉄器製造は技術の存在を示す舟木遺跡

淡路島に残る神話の舞台 おのころ島神社

[ 最新調査 ] 弥生時代

最高権力の証「三種の神器」が九州北部で集中的に出土

九州の大勢力が東征し、現在の皇室の起源となった?

吉武高木遺跡で出土した「三種の神器」

天皇もご覧になれない三種の神器の正体

北部九州の遺跡で鏡・銅剣・勾玉がセットで出土

[ トピックス ] 弥生時代

遺構・遺物から窺える古代人にイヌへの愛着

卑弥呼も宮殿でイヌを飼っていた?

食用にされた弥生時代のイヌ

纏向遺跡で 3 世紀前半頃のイヌの骨が発見される

ネコが渡来したのは弥生時代だった(カラカミ遺跡壱岐市)

[ 最新調査 ] 弥生時代

伊勢遺跡は「まぼろしの銅鐸王国」邪馬台国近江説の今 ( 滋賀県守山市 )

国内最大級の大きさを誇る弥生時代後期の集落跡

[ 最新調査 ] 弥生時代

出土が相次ぐ弥生時代の硯

硯の発見に高まる弥生時代の文字使用の可能性

完全な形をした硯が薬師ノ上遺跡で出土 ( 福岡県筑前町 )

[ トピックス ] 弥生時代

“神話の国”のイメージを塗り替えた出雲・山陰の遺跡

出雲・山陰の定説を塗り替えた大発見

荒神谷遺跡出土の銅剣 (358 )( 島根県出雲市 )

加茂岩倉遺跡で 39 個の銅鐸が出土(銅鐸埋納復元展示)

弥生時代の暮らしが実感できる妻木晩田遺跡(鳥取県大山町)面積 156ha( 吉野ケ里遺跡の 3 )400 基近くの竪穴式住居跡、 24 基の墳丘墓が出土

[ 最新調査 ] 弥生時代

倭国大乱の様子を伝える青谷上寺地遺跡

出土人骨の DNA 分析でみえてきた日本人のルーツ

遺跡から出土する「倭国大乱」の痕跡

青谷上寺地遺跡出土の殺傷痕のある頭蓋骨

交流が盛んだった青谷上寺の集落





遺跡めぐり

吉野ケ里遺跡 元祖・邪馬台国の比定地

遺跡周辺にめぐらされた濠

城柵や物見櫓など強固な防衛機能を備える



~あとがき~

弥生時代は縄文時代に比べると、かなり文化の伝播等が高速化してきた感じがします。水稲耕作や青銅器などのある意味で最新鋭の技術、素材などが使われ始め、それが地域の格差などを生み出し、国同士 ( 小国 ) の争いにつながっていった時代だったと思います。縄文時代人との交流混血を通じて今の日本人が形作られてきたと思うとこの弥生時代は激動の時代と言えるかもしれませんね。 以上







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最終更新日  2019.06.21 05:38:41
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