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2019.10.07
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カテゴリ: 30徒然草

6 日敗血症のため、元国鉄スワローズ、巨人の「金田正一」さんがお亡くなりになりました。合掌。ご冥福をお祈り申し上げます。


( 出典 )Wikipedia

凄い投手で、巨人の長嶋選手がルーキーで立教大学からプロ野球に入ったときに、当時国鉄スワローズの投手だった金田投手と初対決のときに、 4 打席すべて三振に取ったシーンが記憶に残ります。弱小の国鉄というチームでなかったらさらに勝ち数を伸ばしていたと思うと、まさに史上最高の投手と言えると思います。わたしが育った地域の子どもはほとんどすべて「巨人」ファンで、金田投手の快投には素晴らしいと思う反面、憎たらしくもありました。


<戦後の日本の推移>

自分は戦後のベビーブーム時代に生まれました。自分が当時住んでいたのは「荒川区」で当時は尾久といっていましたが、その後町屋に町名が変更になりました。隅田川まで 300m くらいのところでした。



隅田川でも花火で有名な「両国」の上流にあたり、荒川と並行して流れていました。隅田川は当時は、工場からの産業排水も川に流れ、普段は黒い水をしていましたが、ときどきピンク入りなどになったりするので驚きでした。臭いもありました。隅田川沿いの尾竹橋沿いに火力による発電所があり「お化け煙突」といわれる煙突がありました。今は、すでにありません。4、 5 本の煙突が見る角度によって、 3 本、 2 本、 1 本とみえるから、そう名付けられていました。北側に並行して流れる荒川は河川敷も広く、スロープのある堤防で遊んだことがありました。当時は川の汚染もひどく、魚釣りはできるような状態ではありませんでした。よく、荒川の河川敷は映画の撮影などにも使われていました。この地域は東京でも下町で、道路も狭く、家々が密集し、町工場、零細事業者が多かったですね。近くに、「旭電化」という大きな工場があり、その敷地の広さにはびっくりしたものでした。



( 出典 )YAHOO ブログ

<当時の生活風景の一端>

昭和の 20 年代から 30 年代半ばは戦後からの復興が目覚ましい時代でした。周囲の方々は決して裕福ではありませんでした。みんなが少し豊かになりかけの時代でした。文化生活などと言われ、手回しで絞る洗濯機やなどの家電が次から次へ購入されて行った時代でした。子どもの頃の楽しみのひとつに、近所のお豆腐屋さんに「白黒 TV 」があり、プロレス ( 力道山 ) 相、相撲(栃錦、若乃花)、野球を子どもたちで毎日のように見に行った思い出があります。昭和 39 10 月新幹線開業、東京オリンピック開催されました。なんといっても「白黒 TV 」が家に来た時の感動は忘れられませんね。

<偉大な金田正一投手 ( 出典: Wikipedia)

金田 正一(かねだ まさいち、 1933 8 1 - 2019 10 6 [1] )は、愛知県中島郡平和村(現・稲沢市)出身の元プロ野球選手(投手)・監督、解説者・評論家、実業家・タレント。 主に国鉄スワローズで活躍し、日本プロ野球史上唯一の通算 400 勝達成投手にして、同時に 298 敗の最多敗戦記録をもつ。更に通算奪三振( 4490 奪三振)、通算完投( 365 完投)、通算イニング( 5526 2/3 )、通算対戦打者 (22078 打者 ) 、通算与四球( 1808 与四球)はいずれも日本記録。 NPB 史上最年少ノーヒットノーラン達成者。史上 2 人目の沢村賞 3 回受賞者。 引退後はロッテオリオンズ監督や日本プロ野球名球会初代会長を務めた。

プロ初登板は 1950 8 23 日の広島戦(松山)で、押し出し四球でサヨナラ負けを喫した。国鉄は 17 歳の金田を即戦力として積極的に起用し、 8 月デビューながら 8 勝を挙げた。

「長嶋茂雄選手との想い出」

1958 4 5 日の開幕戦(巨人、後楽園)では長嶋茂雄から 4 打席連続三振を奪い、プロの意地を見せた。開幕戦直前、長嶋がオープン戦で左腕投手を打ち崩し「開幕戦でも金田投手を打ち崩せるかもしれません」との報道に金田が激怒したという。しかし、結果 4 連続三振を奪ったものの、試合後、金田は顔をこわばらせ「あの小僧、モノになるかもしれない。三振は全部フルスイングだった」と述べている。初対決で金田から 4 打席 4 三振を喫した長嶋は「カーブのキレがよく、特にドロップに手が出なかった。さすが金田さんだ。」と感想を残した。次の対戦でも最初の打席で三振を奪い、長嶋のデビューから対戦 5 打席連続で三振に仕留めた。長嶋は 1964 年までの 7 年間で金田から打率 .313 18 本塁打を記録し、金田から最も多くの本塁打を打った打者となっている。同年 6 5 日に通算 200 勝を達成。 24 歳での達成は史上最年少記録である。 6 12 日には開幕より僅か 70 日の 51 試合目でシーズン 20 勝目を挙げ、いずれも史上最速。この時点での成績は 9 完封を含む 20 2 敗(他に 13 イニング 2 失点の完投引き分け 1 )、防御率 0.57 という圧倒的なもので、 64 1/3 連続無失点の日本記録もこの間に達成。この年も最多勝と最優秀防御率を獲得。自身 6 度目の最多奪三振を達成。ベストナインも受賞。さらに史上初の 3 年連続沢村賞受賞を達成した。

~あとがき~

好き嫌いを超えて金田正一選手は球史にも、日本のスポーツ界にも偉大な足跡を残したスポーツ選手だと思います。特に、近所の「お豆腐や」さんの白黒 TV でみた長嶋茂雄選手との対決など、子どもごころを掻き立てる感動がありました。自分の幼少の頃の大スターとひとり、またひとりとお別れするのは、さみしい限りです。そういう自分も、ずいぶんと年輪を重ねました。「こころからご冥福をお祈り申し上げます」 『合掌』。 以上







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最終更新日  2019.10.07 05:11:25
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