2003.10.30
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コンビニにドナーカードが置いてあるのをご存知だろうか?
ドナーカードとは、万が一自分が脳死判定後、あるいは心停止後に、
臓器移植を行うかどうかの意思を表示するためのカードだ。
(のはず。間違ってたり、言葉が足りなかったらすまんっすm(__)m)

純純は臓器移植には反対ではないので、数年前からこのカードを携帯している。
心臓 肺 肝臓 腎臓 膵臓 小腸 角膜
全ての項目を○で囲んでいる。もっとも全部使い物になるかどうかは
いささか疑問ではあるが。。。

日付を見てみると1999年5月18日とある。今からざっと4年前。
さすがにそれだけの期間財布の中に入れっぱなしだとかなり古ぼけてしまっているが、
その意思は今でも変わっていないつもりだ。

だが、今日友達とコンビニに買い物に行ったときにドナーカードを見かけたことから
臓器移植の話題になり、その友達の考えを聞くことができた。曰く、
「自分が移植をする分にはかまわないが、好きな人にはさせたくない」
ということだった。
やはり自分の好きな人の体に傷をつけたくない ということなのだろう。
聞くとこの友達、母方の祖父がかなりひどい癌だったらしく、
研究用に献体をしてほしいと言われたそうだ。
献体はしたそうなのだが、結局父親はそのことでひどく気分を
害したらしい。
そのことを差し引いてもやはり自分の家族や好きな人の体を刻むことに
抵抗があるようだ。

もちろんその気持ちがわからないわけではない。だが先のエセエッセィでも書いたように、
肉体の死とは身体が消え去るということと同義だと思う。
ならばせっかく他の人に移植することで役に立てるのなら、
むざむざ捨て去るようなことはしなくてもよいのではないか?と思ってしまうのだ。
もちろんこれには様々な意見があると思う。そこまでして人間の寿命を延ばすことは
不自然なのではないか??と純純自身考えたこともある。
だが、該当する人には失礼ながら、老人ではなく若い人の将来のためなら
役にたてる甲斐があるのではないか?と思いなおした。
なにより自分自身の身体が不自由になったなら、やはり移植をしてもらってでも
健康な身体を取り戻したいと考えるに違いない。ならば持ちつ持たれつではないが、
自らも万が一の場合には自分の臓器を提供することに反対すべきではないと思えるのだ。

とはいえ、やはり純純自身も自分の大切な人が亡くなったとき、
その人の臓器を提供するために身体を切り刻むことに同意できるか?
と問われると正直言ってあまり自信はない。
ただ、人も動物も植物も地球に生きるすべてのものは、死ねば等しく土へとかえる。
これは変えようのない事実だ。
そうなる前にその臓器の一部だけでも、たとえ他人の身体の中だとしても
長くこの世に存在しつづけてほしいと思うのは子供っぽぃ感傷だろうか?



(-公-)y-~~~
なにせSARSと狂牛病とエボラ出血熱に感染しても生き延びたくらいだし♪
オホホホ!!γ(▽´ )ツヾ( `▽)ゞオホホホ!!



それがなによりなのだ♪


はぁ~~純純らしくなくまじめっぽ!!!
書いてて目茶苦茶肩こったぁぁぁ~(;´Д`)





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Last updated  2003.10.31 03:56:43
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