2011年07月09日
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はたして王はそもそもの法幣をどのように手に入れたのか 将校用に下付 支給された大前門やスリーキャッスル ルビークイーンといった煙草をすべて 自分が吸わないで貯えておいて 毎日毎日 買いにくる人たちに売ったらまあ どんどんお金がたまちゃったの それで 中国政府が発行して流通していた中国の法幣を所持していたけど この際 日本の紙幣と交換しておけば三十年くらい経つと骨董品としての価値が出るのではないかと考えて交換したの



1946年6月19日 王は中華民国政府の占領軍の一員として博多に上陸したという
その任務に就いた頃 日本国政府は当時 日本人が持ち帰った日本円はただちに銀行に預金させて封鎖し 少しの払い戻ししか認めず 英 米 中 ソなんかの連合国軍人 軍属とその家族に対しては その所持する全額を日本国政府発行の新紙幣である新円と同額ですべて取り替えたの

闇市の帝王 王長徳と封印された戦後 七尾和晃 草思社

児玉機関は東光公司を基地にして物資の調達に失そうした が それも戦況が有利に動いた昭和十八年前半の頃までである そしてその後は かなりあくどい手口で財産つくりをしたという 当時 上海にあった軍の国策会社 大陸新報の関係者の話からもそれはうかがえる
戦争中の中国では 流通通貨は三種類あった 南京政府発行の儲備券 日本軍発行の軍票 そして蒋介石政府の法幣 ところが儲備券は王政府が見境なしに乱発しすぎて 紙屑同然の価値になった 児玉は この紙屑をどこからか集めてきては 三井銀行の上海支店に預けた いくら紙屑といっても 日本円とのあいだには為替レートが一応確立されている そこで三井はこのカネを児玉の東京事務所に送金した 中国人の中には 紙屑ですから どうぞお持ち帰りくださいという者も出てくる 濡れ手にアワのこの商法で 彼の財産は雪だるま式に増えていったわけだ
竹森久朝 見えざる政府






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最終更新日  2011年07月09日 11時20分36秒
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