無色透明

無色透明

2006.03.29
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カテゴリ: スピリチュアル
「452日目 - 非苦を超えて調和へ[1]」の続き


次は、ぴあのさんですね。
「個々が自由に生き、自分自身を花開かせることはオンリーワンのホームワークで見つめたように、一人一人が自分自身を生きること。
そして比較の世界で満たされるのではなく、自分自身が真に内から満たされていること。
このことに尽きるのだと思います。

それでは、同時に社会全体も調和するには・・・
社会全体が上に書いたような意識になれば問題ないと思うのですが・・・
そして調和するためには、まず自我があっては調和はできないのではないでしょうか・・・

人を、物事を、自我、過去の自分の条件付けで見るとき、どうしても判断が入ってしまい、自分の価値観に左右された意識でそのものの事実を純粋に見ることができなくなります。


一人一人が、自分の真実に目覚め、自分自身を生きることで満たされ、そうして、その意識を自分から社会へ(外へ)向けたとき、満たされた想いそのままに、今度は社会全体を観る。
無条件に、比較相対を超えた次元で起こる現象を静かに見ることが大切なのではないでしょうか。

そして、自分が自由であるように、社会も自由であることが大事だと思います。
意識の世界であれ、現象の世界であれ、制限があるところに調和を生み出すのは難しいと思います。
(この自由というのは 無秩序の自由ではありません。あたりまえですが)さらに、個人レベルであれ、社会レベルであれ、お互いを認め合う心、これなくしては調和はまずありえません。

調和という言葉をイメージしているとき、まず自分の意識がとても静まり大きな見守りの意識が芽生えてくるのを感じます。
個人が、社会が、そのような意識になれば 個々が自由に生き、花開かせ社会全体が調和すること、可能だと思います。」

お互いがお互いを認め合えばいい?
確かにそのとおりです。
しかし、お互いがお互いを認め合うのは、口で言うほど簡単なことではありません。
その証拠に、夫婦間でさえ口論や諍(いさか)いが絶えません。


利害や意見が異なる時、お互いを認め合うのは至難の業です。
それが世界の現状です。
その結果としての戦争と非苦の現実です。
それを超えるには、お互いがお互いを認められない訳を知る必要があります。
どうして人はこうも自分と違うものを排除したがるのでしょうか。


自分の過去から物事を見ている限り、価値観が異なり意見が異なります。
つまり、自我にこだわる限り、諍いの種は尽きないということです。
過去を超えて今に生きることができるでしょうか。
アラブとイスラエルという幾千年の恩讐を超えて、今に生きることは可能でしょうか。
今に生きれれば、平和に生きることは可能です。
恩讐はすべて過去。
恨み辛みをすべて忘れ、今この瞬間の白紙の状態でスタートできれば、即座に平和は可能です。
しかし、それには過去=自我を超える必要があります。
自我こそが過去を引きずっているものです。
自我こそが過去のこだわりであり、過去の恨み辛みです。

自我を超える時、真の調和が生まれるでしょう。
それまでは、いくら思い方を変えればいいと主張しても、それもまた自己主張になってしまいます。
お互いが自己主張する時、平和はありません。
思考で考えて主張している限り、押しつけでしかないのです。
それがどんなにすばらしい平和論でも、思考の次元を超えない限り、真の平和はやって来ません。

自我が深く深く理解され、それが超えられる時、調和は望まなくても目の前にあります。
ハートベースになる時、ハートそのものが調和です。
人がハートベースで生きる時、調和以外のものは存在しません。
そのためには、自我の理解が不可欠です。
思考の次元を深く理解し、思考を自由に使いこなせるようになって、ハートベースへ移行する必要があります。
自分自身を深く見つめていくことから自分自身の花が開き、社会の調和の花も開くでしょう。

最後は、せきせきさんですね。
「オンリーワンの花を咲かせるワークから余り進歩していないことを発見。
進んだことだけ書きます。

私の中には、残虐性が沢山ある。
人が自由になった時、快楽殺人や性的衝動に走る人がいるのでは社会の調和を乱す者が現われると、私は自由になることは躊躇した。
ルールは必要だと思った。
でも、その楽しみの行為はただの、相対の世界からくる恐怖発信の自己満足だと自分を見つめてわかった。
自分の持っているものを手放し始めると、物、心が大切になってきた。
人と自分の垣根が低くなってきた。
知らない人と知っている人による大切度の違いも、垣根がなくなってきた。
肉体さえも、(少し)手放しはじめると、他の人の体も大切に思う、この不思議。

個々が自由に生きるということは、周りと調和するために生きるということでない。
周りを意識しているということは、私を意識しているということ。
『周り』と、『私』を別々に捉えて、関係づけようとしている状態だから、沢山のズレが生まれる。
それが今の非苦の世界。

『調和』、それは、周りと調和する自分を探すのではなく、自分を深く見つめていった先に出会うもの。
それがベースになっていったとき、周りとのトラブルもないだろう。
自己主張するとき、お互い同士がぶつかり合うと認識するのは自我、思考の世界にいるときだけ。
そこは、判断の世界、それに伴う恐怖、そこからまた作り出される価値観のエンドレスの過去の産物ベース。
それはぶつかり合いから守ろうと生まれた世界。
相対の世界。
平和があって争い。
辛さがあって、はじめて感じる幸せ。
そのような思考の世界で延々考えていたら社会全体との調和はありえない気がする。

自我の世界は、もの、体、感情、思考、これらを所有する世界であるからぶつかり合わない方がおかしいような・・・。
私が調和している時は、世界が調和する。
私の内に全てがあるという時だけは・・・。ぶつかり合わない。
周りと私の差が生まれない。
私が風景のパーツになった感じのような・・・。
凸凹がなくなるような・・・。
そんな感触がするのですが、まだまだです。

自分の花を咲かせる・・それもまだ見つけられませんが、自分の真実に出会う時、その時にわかるのでしょうか?
たぶん私にしかわからないですね?
オンリーワンの花をさかせることは自分しかわからないものでは?
私の深くから溢れてくるもの。
外の世界の価値観からではわからないもの。
やりたいことはある。
福祉関係。
でも、まだ自我ベースの気がする。
今私の中で福祉という価値観、暴力、貧、死、障害も辞書から段々消えかけているし。

自分の内深くに目が向く時、溢れてくるもので自分の花をさかせることができるのでは。
手放していき、自分自身が自由になるとき、社会全体は自由になり調和していくのでは。」

自分自身が調和される時、自然に周りも調和されていきます。
まるで波紋のように調和の輪が広がっていきます。
調和とはそういうものでしょう。

調和は求めるものではありません。
それは結果です。
一人一人が調和された結果が、社会の調和です。
社会の調和を優先させれば、個人が社会に合わせることになります。
社会に合わせて生きることは、自分を花開かせることとは懸け離れています。
それでは社会全体が無理をしているだけで、誰も幸せではありません。

自分自身が深く理解される時、自我が超えられる時、自己の調和が生まれます。
それが社会の調和のベースになります。
各人の調和なくして、社会の調和はあり得ません。
いくら平和運動をしても、心が平和でなければ平和な社会はやって来ないでしょう。
戦争の対極としての平和であれば、平和の次には戦争がやって来るしかないのです。
延々とその繰り返しです。
それがこれまでの人類史でした。
死の対極としての生であれば、輪廻転生のカルマの輪から抜け出ることはできません。

戦争があるから平和を望むのであり、死と比較するから生がすばらしいのです。
それは相対的な世界です。
絶対的な平和や絶対的な生きる喜びではありません。
絶対的な平和は、戦争や平和を超えています。
戦争や平和があっても、意識の奥は平和そのものです。
生や死を静かに見守りながら、意識の奥はやすらぎそのものです。

思考の世界は比較の世界。
相対の世界です。
その次元では絶対の平和はあり得ません。
思考を超え、相対を超えなければ、揺るぎない調和は見出せないのです。

個人が個だけである間は、社会の調和は望めません。
各自が個であると同時に全体の意識にも目覚める必要があるのです。
一人一人が個であると同時に全体である時、初めて調和された社会が実現します。
色であると同時に空でもある必要があるのです。
個別化している色だけでは、調和は実現しません。
全体である空でもある時に、初めてすべてが調和します。
個であり全体である。
それが調和へのキーワードです。

そのためには、個オンリーの自我の理解が不可欠です。
個であると同時に全体である次元までシフトする必要があるのです。
そのための日々の日記であり、日々の見守りです。


『何であれ 自分のものと 思うから ありとあらゆる 非苦が生まれる』

『喪失が 悲しみ苦しみ つくり出す 人もお金も 地位も名誉も』

『所有(もつ)ものが 多くなるほど 喪失の 悲しみ苦しみ 多くなるだけ』

『所有(もつ)ことが 自我そのものと 知らないで 溜め込むことで 非苦が生まれる』

『欲を出し よりたくさんを 望む時 よりたくさんの 非苦が近寄る』

『所有(もっ)ている つもりが実は 奪われる 準備ができて 非苦を待つだけ』

『所有(もっ)ている ことが己の 安全と 思い込まされ 非苦の泥沼』

『所有(もつ)ことが 非苦の源 奪われる 喪失感が 非苦を生み出す』

『自我がある 限りは続く 非苦の道 所有するから 奪われるだけ』

『奪われて 嘆き悲しむ 非苦の海 自我そのものが 非苦の人生』

『流れゆく ものに棹(さお)さし 手に所有(もて)ば いつか必ず 奪われるはず』

『所有(もつ)ことが 苦しみ悲しみ 引き寄せる 何も持たねば 楽に生きれる』

『所有(もつ)ものが 何もなければ 奪われて 嘆き悲しむ こともまたなし』

『何ものも 持たずに生きる 生き方が 非苦の世界を 超える生き方』

『個であると 同時に全体(すべて)で ある時に 永久(とわ)の調和が 現れてくる』

これが452日目の心境です。







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Last updated  2006.03.29 20:17:04
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Comments

難しいね?@ 人はなぜ生まれてくるのですか その答えを探すためでわ?
emi☆@ タイムリー 先週、ちょっとしたことがありました。 …
風の彷徨者@ Re:そうだったのですか ぴあのさま そういう事情だったのですね…
ぴあの@サファイア @ Re:あれれ??2(06/13) 風の彷徨者さん >今見たら元に戻ってい…
風の彷徨者@ あれれ??2 今見たら元に戻っていました。 こちらのP…
風の彷徨者@ あれれ?? 日記の感じが(テンプレート?)が変わり…
風の彷徨者@ Re:2718日目 - 神聖ゴールデン貫入 石屋…いやいや(笑)水晶屋の 魂仕組みは奥…
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