無色透明

無色透明

2006.03.30
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カテゴリ: スピリチュアル
今日の屋久島は、晴。

朝、水を汲みに行くと、誰も住んでいない家に花がたくさん咲いていた。
人がいないので、木々が家の周りを覆っている。
なんとなく春が咲いているという感じだった。

一昨日、次のような書き込みがあった。
返事が長くなりそうなので、日記に書くことにした。

「もし、私のメッセージで気を悪くしたのなら、ごめんなさい。
だけど、それではなぜ、時代の移り変わりだとわかるのですか?

釈迦が何を悟ったのか知っていますか?
どんなに修行、荒行しても、"悲しみ""苦しみ"はなくならないことを悟ったと聞いていますよ。
釈迦にすら、できないことをなぜ、望むのですか?
それよりも、目の前にいる人の"喜び""幸せ"を願いませんか?
"悲苦"や"欲"がなくなるのは、死んだときです。
でも、せっかく生を受けたのですから、一生懸命生きませんか?
せきせきさんのように、心や体にハンディを背負った人を一人でも救えましたか?
私だって、未熟でまだまだで何もできない人間です。
だけど、一生懸命生きてますよ。
ただ、それを言いたかっただけです。
でも、Kimiさんには、特別の何かが見えているのかもしれないですよね。


いつも日記を読んでいただいて、ありがとうございます。
それにカキコも頻繁にしていただいて、感謝しています。
書き込まれたことについて、少しこちらの感想を書きますね。

「それではなぜ、時代の移り変わりだとわかるのですか?」

マヤ歴が2012年で終わるとか、数多(あまた)の予言書に書かれているとか、根拠らしいものもないではありません。

ですから、誰もが納得できるように説明することはできません。
極めて主観的な感じですね。
ただ、小学校に入る前から、新しいすばらしい時代がやって来るという不思議な確信がありました。
何の根拠もないのですが、それは生きる前提とも言えるような確信です。
たぶん、それは未来の記憶とか、生まれてくる前のプランとかいう種類のものでしょう。
それには論理的説得力はまったくありませんが、人を突き動かす力は持っているようです。
この日記を読んでいる方の中にも、新しい時代の到来をなんとなく予感されている方もいらっしゃるでしょう。
未来のことは確定したことは言えませんが、そういう方向性の中で生きている感じです。
この日記もその流れの一環としてあります。
でも、別に未来の変動を押しつけるつもりは毛頭ありません。
自分の感性を大切にされればいいと思いますよ。

「釈迦が何を悟ったのか知っていますか?
どんなに修行、荒行しても、"悲しみ""苦しみ"はなくならないことを悟ったと聞いていますよ。
釈迦にすら、できないことをなぜ、望むのですか?」

釈迦が悟ったのは、どんなに肉体行をしても悟れないと悟ったのではないでしょうか。
それがわかって断食行を中断し、スジャータからもらった一杯のミルクを飲み干します。
その時に、楽器の弦は強く張りすぎては切れてしまう、弱くては音が出ない、ちょうどよく張った時にすばらしい音色を奏でるという、中道の教えを自覚します。
その後、自分のこれまでの思いと行いを八正道を基準にして見つめ直し、大悟したと聞いています。
だいぶ聞いている情報が違いますね。

なにしろ2500年以上前の話ですから、確かなことはわかりません。
ただ、残っている仏典を読んでみられれば、釈迦が非苦を超えているかどうかわかるのではないでしょうか。
般若心経一つでも読まれれば、釈迦の意識の次元がわかるでしょう。
非苦を超えられないのであれば、釈迦の説法は何の意味もないことになります。
この世の真実をわかることによって人生の非苦を超える。
そのための真理を釈迦は説いたのではないでしょうか。

「それよりも、目の前にいる人の"喜び""幸せ"を願いませんか?
"悲苦"や"欲"がなくなるのは、死んだときです。
でも、せっかく生を受けたのですから、一生懸命生きませんか?」

非苦や欲がなくなるのは死んだ時?
もしそれが本当なら、目の前にいる人の喜びや幸せを願って何の意味があるのでしょう?
どんな喜びも幸せも非苦の前では色褪せてしまいます。
いや、真実の喜びや幸せ自体が存在しないでしょう。
束の間の喜びや幸せを願うのですか。
それではあまりにも切なく儚(はかな)い人生ですね。

どうして非苦や欲がなくなるのは死んだ時と決めつけてしまうのでしょうか。
そのように自分で決めつければ、生きている間は非苦の人生となるでしょう。
それを望んでおられる訳ではないでしょう?
非苦や欲がなくなるのは死んだ時と誰かから聞いたり、本で読んだりして、自分でもそのように思い込んだのではないでしょうか。
それこそ何か論理的根拠がありますか。
死の直前になって言うのであればまだしも、何年生きておられるのでしょうか・・・

一生懸命生きるのは当然のことですね。
改めて言われるまでもないことです。
ただ、非苦や欲がなくなるのは死ぬ時だと思って生きるのと、非苦を超えて生きようとするのとでは、人生がまるで違ってくるでしょう。
非苦の人生を生きるか、非苦を超えた人生を生きるかの違いが出てきます。

非苦を超えられないという根拠はありません。
もちろん、非苦を超えられるという科学的根拠がある訳でもありません。
しかし、非苦を超えたと思われる人々は少なからず存在していました。
そういう人たちが書き残した文献や伝承も残っています。
非苦を超えられるという人たちがいる以上、非苦を超えられないと決めつけることもないでしょう。
またそういう人たちがいなかったとしても、自分で非苦を超えようと意図することは可能です。
できるかどうかチャレンジする価値はあるでしょう。
チャレンジもしないで、どうして超えられないと決めてしまうのか不思議でなりません。

「せきせきさんのように、心や体にハンディを背負った人を一人でも救えましたか?
私だって、未熟でまだまだで何もできない人間です。
だけど、一生懸命生きてますよ。
ただ、それを言いたかっただけです。」

せきせきさんは心や体にハンディを背負った人?
確かに心身に闇があるのは確かですが、それは程度の差で、誰にでもあるものです。
敢えてハンディを背負っていると表現するなら、先祖代々の闇を一身に背負い、一気に光に転換しようとしていると言った方がいいでしょう。
それだけのキャパシティとパワーを彼女は秘めています。
救う対象ではありません。
彼女には他の人にはない豊かな人生経験があります。
それはとても貴重なものです。
やがて、その経験を生かして多くの人にアドバイスする立場になるでしょう。

一人でも救えましたか?
救えていないでしょう。
なぜなら、最初から救うつもりがありませんから。
人を救うなどということはできないと思っています。
救おうとしたことがあれば、それがよくわかるでしょう。
救うことができるのは、本人だけです。
アドバイスやサジェッションはできますが、それ以上のことはできません。
よく言われる、「馬を水場へ連れて行くことはできるが、馬に水を飲ませることはできない」ということですね。
こちらでできることは、きっかけを提供することだけです。
後は本人が決めることです。
他の人は何もできません。
それはさんざん経験してきたことです。
人は自分で自分を救っていきます。
それ以外にないのです。

一生懸命生きることは、わかりました。
それに関しては、まったく異論はありません。
ただ、その中身ですね。
一生懸命生きる前提や中身が問題です。
非苦や欲がなくなるのは死んだ時だから、生きている間はささやかな喜びや幸せを願って一生懸命生きよう?
それではあまりにも切なすぎますね。

前提はいらないのではないでしょうか。
前提は単なる思い込みです。
何の根拠もありません。
過去の経験や知識から自分が決め込んだだけです。
前提はすべて過去を根拠にしています。
しかし、未来のことはわかりません。
未来は白紙のままにしておいたらどうでしょうか。
別にそれで何も問題はありません。

「でも、Kimiさんには、特別の何かが見えているのかもしれないですよね。
そうだったら、ごめんなさい。」

特に何かが見えている訳ではありません。
霊能者でもなければ、超能力者でもありません。
基本的に普通の人です。
ですから、普通の言葉で誰もが理解できるように書いています。
この日記は、宇宙人からのチャネリングや霊界通信ではありません。
普通に生きてきて、自分の人生を通して学んだこと、気づいたことを書いているだけです。
書くことによって更に気づきながら書いています。
ただそれだけのものです。
何も特別なものではありません。

今のような非苦の人生ではない生き方があるかもしれない。
今の人生とは違う自由な人生があるかもしれない。
そういうことを提示しているに過ぎません。
何の強制も押しつけもありません。
ここに書かれていることを実行しなかったら不幸になるとか、三次元の地球に取り残されるとか、そんな脅迫めいたことを言っている訳でもありません。
自由選択です。
自分の生き方は自分で決めればいいのです。
今とは違う生き方もあるということを提示しているに過ぎないのですから・・・

どうしてこんな日記を毎日書いているのでしょうか。
仕事がない時は、ほとんど日記を書いている感じです。
毎日毎日、日記ばかり書いています。
今とは違う自由な生き方を提示したいということでしょうか。
いずれにしても、この一年は毎日、書いていくでしょう。
その後のことはわかりません。
でも、きちんと文章化して本にしたいと思っていますので、当分は書いていくことでしょう。
気が向かれましたら、これからもお付き合いください。


『非苦故に 釈迦は出家し 煩悩を 菩提に転換(かえ)る 真理見出す』

『非苦こそが 非苦を超えゆく 道標(みちしるべ) 非苦を理解し 非苦を超えゆく』

『欲望も 苦しみ悲しみ 何もかも 味わいきって 超えてゆくのみ』

『非苦の世の 非苦を味わい 体験し 非苦を生ききり 非苦を超えゆく』

これが453日目の心境です。






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Last updated  2006.03.30 13:06:04
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難しいね?@ 人はなぜ生まれてくるのですか その答えを探すためでわ?
emi☆@ タイムリー 先週、ちょっとしたことがありました。 …
風の彷徨者@ Re:そうだったのですか ぴあのさま そういう事情だったのですね…
ぴあの@サファイア @ Re:あれれ??2(06/13) 風の彷徨者さん >今見たら元に戻ってい…
風の彷徨者@ あれれ??2 今見たら元に戻っていました。 こちらのP…
風の彷徨者@ あれれ?? 日記の感じが(テンプレート?)が変わり…
風の彷徨者@ Re:2718日目 - 神聖ゴールデン貫入 石屋…いやいや(笑)水晶屋の 魂仕組みは奥…
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