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雪消えが進み、田んぼも所々で地肌が見えるようになりました。ほんのりと漂う浅霧が、早春ののどかさを演出してます。
2021/03/30
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小岩井農場の一本桜と岩手山の秋バージョン風景です。 今や、桜の名所として広く知られるようになった場所ですが、桜の紅葉はどうかなと、晴れ間を縫って出かけてみました。 気温が下がり、高山に雪が積もったので、雪を抱いた岩手山とのコラボレーションの美しさも秘かに期待したのです。 桜の樹種はエドヒガンなので、残念ながら期待したほどではありませんでした。 ソメイヨシノだったら、葉が綺麗に色づくんですけどね。 岩手山も、山頂部はすっぽりと雪を被っているだろうとの期待も裏切られました。 しかし、爽やかな秋晴れだったので、ま、これもいいではないかと、掲載することにしました。 真っ直ぐに伸びた飛行機雲も、画面構成に一役買ってくれていますからね。壁紙をDLする カレンダー入りの壁紙をDLするこの写真入りで印刷用のカレンダーを作成する 2Lサイズ A4サイズ撮影地地図 岩手高原から望む紅葉の高原と冠雪の岩手山です。 小岩井農場の一本桜から高原道路を進んで網張温泉を目指しました。 途中、裾野牧場付近から望んだ風景です。 天空に薄くたなびく雲が、秋の爽やかさを醸し出しています。壁紙をDLする カレンダー入りの壁紙をDLするこの写真入りで印刷用のカレンダーを作成する 2Lサイズ A4サイズ撮影地地図←もっと壁紙を探すなら
2010/11/02
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高津野の雪景色 カレンダー入りの壁紙をDLする「高野」から「高津野」に 秋田県横手市大雄に「高津野」という地がある。 もう一か所、高津野に隣接した地で東高津野という地もある。 もともと両地とも「高津野」だったが、横手市に合併する際の大字廃止に伴い、両地を区別するために生まれた新字である。 高津という地は全国にあるが、マピオン-高津野で検索して表示された地名はここしかない。 「津」は船着き場や渡し場、港を意味する語である。 日本一短い市名の津市(三重県)や沼津市(静岡県)は、どちらも港町だ。 一方、「高津」はマピオン検索で数多く出てくる。 港の「津」に陸地原野の「野」が付するするのは、もそもありえない地名といえるかも知れない。 六郡郡邑記には、『高野村[不焚野]同一軒、地形名なり』とある。(秋田叢書第2巻)菅江真澄は雪の出羽路で不焚野(たかずの)を『郡邑記に高野とあり。田村境にして田村は根子(泥炭)を焚くが、ここはそれがないので焚かず野ということから、地名となった。』というふうに記している。 もとは高野と呼ぶ地に、津を挟んで高津野になったのには理由がある。(と私は思っているのだが) 高津野の西側を流れる雄物川は、藩政時代、物資輸送の中核をなしていた。角間川が川港として栄えするにつれ、田村港も賑わった。 田村港は高津野の北端部に接しているので、地名に津が入ったのではというのがその論拠である。阿気野の戦いの舞台 高津野は、戦国時代末期、小野寺氏の支城の沼館城主大築地秀道(おおつきじひでみち・大築地織部ともいう)と戸沢氏が雌雄を決した「阿気野の戦い」の舞台となった。 『天正14年(1586年)小野寺義道は、最上義光の雄勝郡進出を抑えるために、みずから大軍を率いて国境の有屋峠に向っていた。このとき、横手城には大築地織部だけが留守役として残っていただけだった。戸沢盛安はこの期が小野寺領内進出の絶好の機会としてとらえ、みずからが3千余騎を率いて布晒(ぬのざらし)に布陣した。 これをみた、大築地秀道もただちに阿気野に出陣し、両者は激突した。緒戦は戸沢氏の先鋒楢岡氏が小野寺軍に崩されたため敗走した。これを見た盛安は500人の手勢を従えて敵陣に突き進んだ。 これに白岩・本堂・堀田・門屋らが続き、大激戦となった。 勢いに乗じて戸沢勢は大築地氏の居城である沼館城を攻撃しようとしたが、そこへ小野寺方に援軍が到着したことがわかり兵を退いた。 この戦いで戸沢盛安の勇名は高まり、誰からともなく恐れられ、鬼九郎と呼ばれるようになった。』(武家家伝_戸沢氏・鬼九郎盛安の奮闘から) 阿気野の戦いで詰城(つめじろ)となった高津野城は、隣地の田村城とともに戸沢35城に列している。(大雄村史)高津野に秋田婦女子実務学寮 高津野には戦前、賢母育成を標榜した秋田婦女子実務学寮があり、農村の女子教育に貢献した。 創設したのは角間川(大仙市)の地主最上義廣である。 しかし時世の変化で、太平洋戦争半ばには食糧増産や国民鍛錬の必要から秋田県第二健民修練所に看板が塗り替えられた。
2017/02/19
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昨日の朝はキリリと冷え込んで、木々の枝先に氷の花が咲きました。 霧氷です。 近くの、赤い実がいっぱい垂れ下がったカンボクの木も霧氷に包まれていました。 残念ながらどんよりとした曇り空だったので、霧氷に輝きはありません。 青空だったら、どんなにかすばらしい光景だったろうにと思いながらシャッターを切ったのでした。壁紙をDLするカレンダー入りの壁紙をDLする
2007/12/24
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鶴岡八幡宮(神奈川県鎌倉市)・「鶴巻(つるまき)」、「鶴田(つるた)」地名 「鶴巻田(つるまきだ)」や「鶴巻(つるまき)」、「鶴田(つるた)」など、「鶴」の付く地名を全国津々浦々に見ることができる。 秋田県横手市大雄鶴巻田(つるまきだ) 秋田県横手市黒川鶴巻田(つるまきた) 山形県尾花沢市鶴巻田(つるまきた) 宮城県白石市越河五賀鶴巻田(つるまきだ) 福島県伊達郡国見町内谷鶴巻田(つるまきだ) 青森県三戸郡五戸町浅水鶴巻田(つるまきた) 秋田県横手市睦成鶴巻(つるまき) 秋田県秋田市河辺神内鶴巻(つるまき) 福島県伊達市鶴巻(つるまき) 山形県鶴岡市藤島鶴巻(つるまき) 東京都新宿区早稲田鶴巻町(つるまきちょう) 長野県小諸市鶴巻(つるまき) 秋田県横手市静町鶴田(つるた) 青森県北津軽郡鶴田町(つるたまち) 宮城県大崎市松山千石鶴田(つるた) 福島県伊達市鶴田(つるた) 栃木県宇都宮市鶴田町(つるたまち) 兵庫県伊丹市岩屋鶴田(つるた) 熊本県人吉市鶴田町(つるだまち) 鹿児島県薩摩郡さつま町鶴田(つるだ) 山形県天童市田鶴町(たづるちょう) 岡山県岡山市北区建部町鶴田(たづた) 岐阜県海津市南濃町田鶴(たづる)・「鶴」と「水流」に見る類似性 とちぎん付近の地名の由来サイトで栃木県宇都宮市の「鶴田(つるた)」を見ると、この開拓地には鶴がよく飛来し、鶴が舞う年は豊作だったということから、「鶴」と開拓の「田」をとって「鶴田」と呼ぶようになった、という。 また、地形から来た説もあり、鶴の首や植物の弦(つる)のように、細長く曲がった地形だったことが由来になっている、ともある。 東京都の早稲田鶴巻町は、元禄年間、小石川村の田で鶴の放し飼いをしていて、それが早稲田村にも飛来したため、その地に鶴番人を置いたことが由来と伝わっている。 しかし、「鶴」は本来「水流」であるとし、かつて当地を流れていた蟹川と結び付ける説もある、という。(参考・wikipedia-早稲田鶴巻町) "すむいえ情報館"の早稲田鶴巻町の由来サイトでは、次のようの「水流」節を強調している。 『鶴巻は早稲田村の小名で、いわれは小日向村に放し飼いにされていた鶴が飛来するので鶴番を置いたことによる(新編武蔵風土記)というが、それでは「鶴舞」か「舞鶴」になったろう。蟹川の流域なので湧水(水流巻き)が由来だろう。 「水流」は「つる」と読み、湧水が渦巻いている状態をいう。「早稲田茗荷」が採れるほどの清流があった。早稲田鶴巻も各地の「鶴巻・弦巻」の由来と同じで、こんこんと沸き出ずる湧水があったことによると思われる。』 さらに、江戸川小の歴史散歩サイトでは、早稲田鶴巻町の由来説を次のように展開している。 『鶴巻町は高田八幡下を北流する蟹川(金川)と牛込柳町を北流するカニ沢(加二川)の間にあり、この川の間に東西の柵を作ると牛を囲う牧場ができる。「巻」は「牧」である。 鶴巻は古くは弦巻といい、世田谷などの弦巻と同じで、源義家が奥州遠征の時、川で弓の弦を清めたという伝説があるが、史実よりも後生に作られた伝説と思われる。 「ツル」は朝鮮語の荒れ地や原野、あるいは水路のある低地という意味があり、「ツルマキ」とは、水路のある原野の牧場ということになる。』 「巻」は水流が渦巻く説と、牧場の「牧」という説があるようだ。 さて、「水流」と書いて「みずながれ」の他、「つる」と読む地名があることに注目しなければならない。 宮崎県宮崎市大塚町水流(つる) 宮崎県えびの市水流(つる) 宮崎県都城市上水流町(みづるちょう) 宮崎県西都市水流崎町(つるさきちょう) 鹿児島県出水市高尾野町上水流(みずる) 青森県上北郡東北町水流(みずながれ) 山形県飽海郡遊佐町野沢清水流(みずながれ) 岩手県一関市千厩町磐清水流川(みずながれかわ) 鹿児島県薩摩郡さつま町にある「鶴田(つるだ)」について、鶴地名市町村集サイトで「鶴」と「水流」の関係から、地名のおこりを知ることができる。 『大昔の鶴田は湿地が多く、多くの川がくねくねと巡っていた。水の流れに従って川ができるため、湿地帯が多かった。そのような地形を「水流(つる)」と呼んだことから、「水流田(つるだ)」から「鶴田(つるだ)」になった。』ということである。 早稲田鶴巻と同じように湧き水が「出流(いずる)」から「水流(つる)」に、そして「鶴(つる)」に変化したといえよう。 「出流(いずる)」も地名に見られる。 栃木県佐野市出流原町(いずるはらちょう) 岩手県二戸郡一戸町出ル町(いずるまち)・各種の「つるまき」地名 「つるまき」には次のような変化地名もある。 福島県大沼郡会津美里町八木沢鶴ケ巻(つるがまき) 福島県田村郡三春町鶴蒔田(つるまきた) 東京都多摩市鶴牧(つるまき) 東京都世田谷区弦巻(つるまき) 佐賀県唐津市肥前町鶴牧(つるまき)・「津留」、「都留」も「ツル地名」 九州地方に多い「津留(つる)」も、これまで示した「鶴」地名と同じ由来とする見方がある。 熊本県玉名市津留(つる) 大分県大分市今津留(いまづる) 佐賀県伊万里市波多津町津留(つる) 福岡県みやま市瀬高町東津留(ひがしつる) 三重県多気郡多気町津留(つる) 地名考サイトによれば、津留(つる)は、『山あいの平地で川や水流のある場所の地名に多く使われる。九重連山の内懐にある湿地「坊がつる」も、やはり中央を鳴子川が流れている。山梨県の「都留(つる)」も「津留」の一種かも知れない。「水流」と書いて「つる」と読ませることもある。「山の名前で読み解く日本史」(谷有二著 青春出版社)によると、韓国・朝鮮語では平野を「トゥル」と呼ぶ。なお、同書は、山梨県の都留に昔、百済人が大勢住んだとの伝承に触れている。』などとある。 一方、山梨県都留市(つるし)について、wikipedia-都留市には、『「都留」は都留市の位置する桂川(相模川)流域の地域が富士山の裾野を蔓のように延びており、その様子から「連葛」、「豆留」(いずれも「つる」)とよばれていたことに由来するとされている。』とある。 「ツル」の朝鮮語由来については、先に記したものとは若干ニュアンスに相違がある。・「鶴岡」、「鶴見」の歴史をたどる 神奈川県の海岸部一帯には「鶴」の付く地名が多い。代表的なのは鶴見(横浜市鶴見区)で、他に鶴が丘(横須賀市)、鶴が台(茅ヶ崎市)、鶴巻(藤沢市・秦野市)などがある。 建物で著名なものは、鎌倉の鶴岡八幡宮であろうか。(冒頭の写真) 鎌倉八幡宮とも呼ばれ、親しまれている。 神奈川県民も知らない地名の謎(日本地名の会)に「鶴岡」の起源が紹介されている。 『若宮大路を抜けると、鎌倉観光のメインともいえる鶴岡八幡宮にたどり着く。 鶴岡八幡宮のはじまりは、鎌倉幕府を開いた源頼朝が治承4年(1180年)に現在の地に八幡宮を据えたことに起源を持つが、実はその前から鎌倉には「八幡宮」はあった。 神奈川県の海沿いには「鶴」の字を付けられたものは少なくない。(中略) 鳥の鶴との相関関係は定かでないが、地名学で考えると、「ツル」は「水流(つる)」につながるとも考えられる。 つまり、水の流れる場所が「ツル」といわれることが多く、時代を経るにつれて「鶴」の字が当てられることによって、現在見られるような地名になった。』 神奈川県横浜市鶴見区の「鶴見(つるみ)」の由来については二つの説があるという。 鎌倉時代に源頼朝がここで鶴を放ったのが由来という説と、「ツル」は、水路や河川の周辺地をいい、「ミ」は、周りや巡りという意味を持つので、「鶴見」という名前がついたという説である。 (参考・神奈川県横浜市鶴見区「鶴見区」の由来) 山形県鶴岡市の「鶴岡(つるおか)」は、鶴ヶ岡城をその地名の由来としている。 慶長5年(1600年)関ヶ原の戦いの後、上杉氏に代わって山形城を本城とする最上義光が庄内地方を支配することとなった。これにより義光は24万石から57万石を領有する大大名となった。 義光は庄内地方の拠点として大宝寺城などの拡張整備に努め、酒田浜に大亀が上がったことを祝して東禅寺城を亀ヶ崎城と改称した。 この時に「鶴亀」の縁起を担いで、亀ヶ崎城に対し大宝寺城も鶴ヶ岡城と改称した。 最上氏がお家騒動で改易された後、庄内地方には信濃国松代城より酒井忠勝が入った。忠勝は鶴ヶ岡城を本城と定めて近世城郭へと大改修し、亀ヶ崎城を支城とした。 以来、鶴岡は庄内地方統治の中心となった。・数々ある「鶴」の温泉地 「鶴」の字の付く温泉地も数多く存在するが、真実性はともかく、多くは鶴が傷を癒すため温泉を利用したことが由来となっている。 鶴名温泉集サイトから幾つかを由来とともに紹介する。 鶴居温泉(北海道阿寒郡鶴居村)・タンチョウが生息する酪農地帯として知られる鶴居村にある。 鶴の湯温泉(北海道勇払郡安平町)・病んだ鶴が沢地に舞い降りて行き、冷泉に湯浴みして病気を治し飛び去っていくのを見たことにヒントを得て、ケガをした人や家畜をこの泉に浴させたら効能があったので、ツルの温泉と名付けられ、それが「鶴の湯温泉」となった。 鶴の湯温泉(秋田県仙北市)・地元の猟師勘助が、傷ついた鶴が湯で傷を癒すのを見つけたことが、そのまま鶴の湯の名に残った。乳頭温泉郷の中で最も古い歴史を持ち、秋田藩主の湯治場だった由緒ある温泉。 呼鶴温泉(山口県周南市大字安田)・八代の鶴にちなんで、縁起もので呼鶴という名前をつけたようである。 蘇鶴温泉(高知県吾川郡いの町)・昔、平城天皇の第三皇子高岡親王が大内に滞在の時、一羽の矢傷を負った白鶴が飛んできて温泉に浸ったが、数日で傷が治って飛び去っていったので、親王が薬泉であることを知り、名付けた。 鶴木山温泉(熊本県葦北郡芦北町鶴木山)・地域の地名から名付けられたと思われる。 湯の鶴温泉(熊本県水俣市)・平家の落人が、傷ついた鶴が湯あみするのを見て湯の存在を知り、「湯の鶴温泉」と名付けられた。 秘湯で知られる鶴の湯温泉(秋田県仙北市)は、若い女性にも人気が高い・鶴の民話の里 鶴は民話にも数々登場する。(参考・鶴の民話) 山形県南陽市の織機(おりはた)川のそばに、古くから民話「鶴の恩返し」を開山縁起として伝承している鶴布山珍蔵寺がある。 地域に伝わる多くの民話を伝承するために、「夕鶴の里」資料館が建てられている。 鶴に関する地名はまだまだ数え切れないほど存在するが、他は割愛させていただく。
2017/03/16
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真昼岳山頂から望む大曲の花火です。 昨夜、恒例の全国大曲花火競技大会が開かれました。 100年の歴史を誇る伝統行事です。 花火大会へ訪れる人は、例年60万人とも70万人とも言われています。 この日は全国から民族が大移動して、この小都市にやってくるのです。 「大曲の花火に行かずに死ねるかっ」というほど熱心な人達が、わんさと押しかけるのです。 昨年は桟敷席で鑑賞しましたが、今年は趣向を変えて、標高1,060mの真昼岳山頂から鑑賞することにしました。 真昼岳山頂は眺望に優れ、花火打ち上げ会場からは真西に位置しています。 しょんぼり一人での鑑賞かと思いきや、昨夜、山頂に集結した人は15人ほどいました。 焼き肉でビールというパーティーもいて、山頂は賑やかそのもの。 近在ばかりでなく、遠く八戸や関東周辺からも来ていましたね。 随分熱心な人もいるものです。 私もそのうちの一人か。 さて、肝心の花火ですが、現地で見るような迫力はありませんでした。 音は響かず、ちょぼちょぼ打ち上がる、といった感じです。 大曲の花火会場から直線距離で18キロもありますから、無理もありません。 下の写真は、100-400mmの望遠ズームレンズを目一杯伸ばして撮影しています。 それで、この程度です。 しかし、花火の打ち上げが始まるまでの夕景が美しく、水平線に沈む太陽が望まれました。 横手盆地、仙北平野を俯瞰しながらの夕景色と花火の同時鑑賞、贅沢なひとときではありました。壁紙をDLする カレンダー入りの壁紙をDLするこの写真入りで印刷用のカレンダーを作成する 2Lサイズ A4サイズ壁紙をDLする カレンダー入りの壁紙をDLするこの写真入りで印刷用のカレンダーを作成する 2Lサイズ A4サイズ 撮影地地図←もっと壁紙を探すなら
2011/08/28
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赤沼付近の冬景色古今著聞集に出典あり 雄物川支流の油川のほとりに「赤沼」という地があり、人家はなく、今は一面水田である。 ここに「赤沼のおしどり物語」という伝説が残っている。 鎌倉時代に編纂された古今著聞集にその説話があり、菅江真澄が雪の出羽路 田村ノおち穂にそれを載せている。 次はその説話の私なりに解釈した現代語訳である。あやしい所はお許し願いたい。 『みちのくに田村の郷の人、馬ノ允(じょう)なにがしとかいう男、鷹を飼っているが、鳥を得ることなくむなしく帰る途中、赤沼という所におしどりが一つがい居るのを、ぐるり(具留理・鳥を射る道具)を持って射ると、誤たずに雄鳥に当たった。その雄を鷹の餌にし、残りを餌袋(えさや獲物を収める容器)に入れて家に帰った。 その次の夜の夢に、いと艶(なま)めいた女が来て、さめざめと泣いた。 不思議に思い、どうして泣くのかと問うと、「昨日赤沼で、そばにいた夫が殺され、その悲しみに絶えず、こうして参って悲しんでいる。私も、これ以上生きていようとは思いません。」と言って、一首の歌を唱えて泣く泣く去った。 日くるれば さそひしものを あかぬまの 真菰がくれの ひとりねぞうき あわれ不思議に思うほどに、中一日空けた後、餌殻を見れば、餌袋の中で雌鳥が雄鳥の嘴(くちばし)を自分の腹に突き刺して死んでいた。是を見た馬ノ允、やがて自分の髪のもとどりを切って出家した。ここは前形部太輔仲能朝臣の領土である。』赤沼跡と説明板説明版に若干の違いあり 上の写真は「赤沼のおしどり物語」の説明板である。 記載内容は次の通り。(一部省略) 『昔、田村の郷に狩をして暮らす馬の充という男がいました。 ある日、赤沼に来ると、二羽のおしどりがいるのを見つけ、その内の一羽を射止めて持ち帰りました。 次の日の夜中、馬の充の夢枕に上品で美しい女性が立って泣いており、不思議に思って理由を聞くと、「赤沼で射止められた水鳥は私のいいなづけです。あまりの悲しさに、殺したあなたの側に来て泣いているのです。私もあの人の亡骸の側で死に、あの世で楽しく暮らしたい。」とさめざめと泣いて、「日くろればさそいしものを 赤沼の 真菰がくれのひとりねぞうき」と歌を詠んで消えました。 翌朝、馬の充は捕ってきた水鳥を見ると、側に寄りそうように若い雌の水鳥が、自分の口ばしで腹をつついて死んでいました。 自分の命を捨てて、なお思うおしどりの愛情の深さに心を打たれた馬の充は、髪を切ってお坊さんになったということです。』 菅江真澄が採録した内容と若干の違いはあるが、大差はない。 また説明版では、歌の「日くるれば」が「日くろれば」に、「嘴(くちばし)」が「口ばしる」を誤用したのか「口ばし」になっている。 これらの間違いは直したほうがよいと思う。 大きな違いは猟師の名である。雪の出羽路が「馬ノ允」なのに、説明板は「馬の充」となっている。 允(いん)は「ジョウ」とも読むが、充(じゅう)は「ジョウ」とは読めそうにない。 ただし、猟師名は調べた資料によっては「馬の充」となっているものがあり、また、馬允、尊允、村允、村庄、など実に様々で、単なる男や、猟師、殿様、侍などと表記しているものもある。 実は「おしどり物語」は全国各地にあり、様々に脚色されて伝わっているのである。 今回の出典は古今著聞集だが、沙石集や今昔物語にも類型説話が載っているので、次回以降はそれらも探ってみたいと考えている。
2017/02/23
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成瀬川と真人山 カレンダー入りの壁紙をDLする掵の古文書1.「掵」地名は秋田県南に特化 掵(はば)という珍しい字が付く地名が秋田県内に点在している。 そのすべてが横手盆地に存在するもので、それも南部に集中している。 マピオンで住所検索すると、次の32件が見つかった。そのいずれもが秋田県内である。 秋田県湯沢市二井田二ノ掵 秋田県湯沢市二井田掵上 秋田県横手市増田町亀田掵 秋田県湯沢市三梨町犬掵 秋田県横手市十文字町腕越上掵 秋田県横手市十文字町上鍋倉上掵 秋田県横手市平鹿町下鍋倉上掵 秋田県横手市平鹿町下鍋倉下掵 秋田県横手市平鹿町下鍋倉中掵 秋田県横手市増田町亀田上掵 秋田県湯沢市駒形町大門掵 秋田県湯沢市駒形町東福寺掵 秋田県仙北市角館町白岩下掵 秋田県雄勝郡東成瀬村田子内上掵 秋田県仙北市角館町白岩新下掵 秋田県横手市十文字町上鍋倉掵大道西 秋田県横手市平鹿町醍醐掵下 秋田県横手市増田町荻袋掵上 秋田県横手市増田町荻袋掵下 秋田県横手市増田町熊渕掵上 秋田県横手市増田町熊渕掵下 秋田県湯沢市川連町掵下 秋田県横手市増田町荻袋菅生掵下 秋田県湯沢市三梨町飯田掵下 秋田県湯沢市川連町大掵下 秋田県湯沢市川連町高掵下 秋田県湯沢市駒形町大門掵下 秋田県雄勝郡羽後町貝沢掵ノ上 秋田県横手市増田町熊渕掵堂ノ下 秋田県横手市十文字町上鍋倉掵下清水田 秋田県横手市十文字町上鍋倉掵下中道添 秋田県横手市十文字町上鍋倉掵下屋布後 町村別に見ると、横手市(18件)と湯沢市(10件)で大半を占め、それに隣接する東成瀬村と羽後町に各1件ずつで、他は仙北市角館町に2件存在するのみである。それらを地図上で見ると、仙北市を除いてはみな、雄物川とその支流である皆瀬川や成瀬川に沿った地域にある。つまり、河川の両域に広がる河岸段丘に位置しているのである。 このことから、河岸段丘に開かれた地を掵と呼ぶのであろうと類推できる。2.「掵」は秋田県南で誕生した国字 漢字辞典オンラインで「掵」の意味を調べると『人名や地名に用いられる字。「掵上(はばうえ)」は秋田県の地名。』とあり、さらに種別は国字となっている。 秋田県以外に掵の字が地名に存在する可能性はゼロではないが、秋田県南特有の文字といって差し支えないだろう。 この地域限定の国字はJIS第2水準の漢字に収録されている。そのため幸いなことに、この字はほとんど知られていないにも関わらず、パソコンなどの電子機器で苦労なく表示することが可能になっているのだ。3.「ハバ」という地名は他にもある 掵のほかに、羽場(はば)という地名もたくさん存在する。再びマピオンで住所検索すると、74件が見つかった。県別では岩手県 (22件)、宮城県 (19件)、秋田県 (18件)、長野県 (7件)、福島県 (3件)、石川県 (3件)である。 秋田県の詳細は次の通りである。 秋田県湯沢市皆瀬羽場 秋田県大仙市下鴬野羽場 秋田県湯沢市皆瀬下羽場 秋田県湯沢市皆瀬中羽場 秋田県湯沢市森熊ノ堂上羽場 秋田県横手市十文字町植田羽場 秋田県横手市増田町戸波羽場 秋田県横手市増田町三又羽場 秋田県仙北郡美郷町浪花羽場 秋田県横手市増田町三又羽場下 秋田県横手市十文字町植田上羽場 秋田県横手市十文字町植田下羽場 秋田県横手市十文字町鼎下羽場 秋田県横手市増田町戸波下羽場 秋田県横手市増田町三又五輪羽場 秋田県湯沢市駒形町戸波上羽場山 秋田県湯沢市駒形町三又上羽場 秋田県横手市十文字町梨木羽場下 羽場もやはりすべてが横手盆地に存在し、大半がやはり南部に集中していて、河岸段丘領域に属しているのは掵と変わりない。 横方向の広がりの度合を指すのが幅であるが、大字典(講談社)によるとフチやヘリという意味もあるので、地名では傾斜地に使われていると類推できる。 幅と巾も地名に存在する。 マピオンで調べると、幅地名は全国に64件存在する。そのうち秋田県は次の6件である。 秋田県湯沢市小野幅 秋田県大仙市太田町川口幅 秋田県由利本荘市西目町西目上幅 秋田県湯沢市秋ノ宮幅ノ上 秋田県湯沢市秋ノ宮下幅 秋田県由利本荘市東由利宿幅野 秋田県にはないが、幅と同義で使われる巾も地名に使われており、マピオンで検索すると全国に19件見つかった。4.「掵」には横方向の広がりの意味もある 資料として掲げた古文書を見ていただきたい。 この中に「堰口掵壱尺」の記述があり、掵は横方向の広がりを示す幅と同義に扱われている。 この文書は、横手市のある村々が水を取り込むための水路口の幅を取り決めした文書の一部である。明和元年(1764年)、水路の幅を巡って4か村にいざこざが発生したため、宝永2年(1705年)に取り決めした文書を探し出して再確認し、藩の役人に差し出した内容となっている。 稲作中心のこの地域では、田圃へ引く水を確保することは死活問題であった。掵に命が含まれていることに、ある重要な意味が隠されているような気がする。5.木偏の「椧」もある 掵ではなく、「椧」の字の付く地名が唯一秋田県にある。 秋田県大仙市四ツ屋字椧田 「椧田」は「ばばだ」と読む。 ただしgoogleの地図検索では「椧田」を「ばば田」と表示している。椧はJIS第1、第2水準漢字に登載されていないからである。 掵で代用している地図も見受けられる。 中国サイト新華字典で椧を検索すると、韓国漢字で寺名として表示され、意味はガーターつまり溝となっている。 実際、韓国サイトで、椧は地名として多数出てくる。 椧谷里(명곡리 ミョンゴッリ)・大邱広域市 椧溪(명계 ミョンギェ)・慶尚北道慶州市 椧洞(명동 ミョンドン)・慶尚南道梁山市 こうして見ると、韓国では椧が南部の地名に多い。 慶尚南道は倭が支配したとされる任那日本府と重なり、日本との交流が深かった地でもある。 稲作の歴史は中国長江流域から始まり、朝鮮半島を通じて日本にもたらされという説が有力である。6.木偏と手偏の紛らわしさ 結論から先にすると、韓国で作られた「椧」の字が、朝鮮半島の渡来人から日本の秋田に持ち込まれて同様の意味を持つ崖地名のハバに充てられ、その多くが「掵」に変化したのではないかと私は考えている。 それを示すために木偏と手偏の関係を調べてみる。 実は、木偏と手偏は古くから混用されてきた歴史がある。 実際、掲載した古文書の掵を見ても、偏は扌(てへん)にも、木(きへん)にも読み取れる。 『西方指南抄』、『三帖和讃』における親鸞聖人の漢字字体の特徴について(鎌倉時代語研究第17巻 藤田夏紀著)によると、書写体においては木偏の字が手偏に書かれることはよくあることしている。また『干禄字書』には、正字が木偏、異体字が手偏の漢字(枉、横、様)が3組記され、その逆の正字が手偏、異体字が木偏の漢字が(札、杞、栓、枉、桓、棒、棧、櫛、構、檢、櫓、椳、楓、樻、梯、横、極、様など)24組記されているとある。 さらに、木偏に関してみれば、『打聞集』では71%、『法華百座聞書抄』では26%、『三宝絵詞』で43%に、『宝物集』では84%の字が手偏で書かれているのに対し、『三帖和讃』は手偏で書かれるものは一例もなく、すべて木偏で統一されているとしている。 一方、手偏に関しては、「權、極、樣、構、模」は全用例が手偏で統一されている資料が多いが、『三帖和讃』、『西方指南抄』はこれに反し木偏で書かれる用例が多いとしている。 さがみ【相模/相摸】やもほう【模倣/摸倣】のように木偏、手偏双方が使われている例もある。 このように考えると、椧が掵に、つまり木偏が手偏に変化したのは自然の成り行きと考えることができる。崩し字では「オ」の形状が木偏とも手偏とも紛らわしいからである。 写真は成瀬川橋(横手市増田町)から望む景色である。この周辺には「掵」や「羽場」の付く地名がたくさんある。【追記 2017/03/12】 難語地名辞典(東京出版)に「掵」の例として、『「掵上(はばうえ) 秋田県湯沢市二井田」。「掵田(ばばだ) 秋田県大曲市(現大仙市)四ツ屋」』とあるが、「掵田(ばばだ)」は「椧田(ばばだ)」が正しいので、これは誤記である。
2017/02/12
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中田町の名桜・紅枝垂れ地蔵桜中田町に古くから伝わる「おしどり伝説」 福島県郡山市中田町赤沼に「おしどりの碑」がある。 傍らに、おしどり物語に関する説明板も立てられている。 説明版には、"小泉八雲の怪談「おしどり」のルーツは郡山の民話"と題した新聞記事と思われる資料が掲げられている。 記事によると、小泉八雲が代表作「怪談」に書いた「おしどり」のルーツとなった物語は、郡山市中田町に伝わる民話「赤沼のおしどり」だった、と記している。国学院大学の大島広志氏が、郡山市の勉強会で「八雲の『おしどり』は『赤沼のおしどり』がもとになっている。」と話し、太鼓判を押したというのである。 また、八雲の「おしどり」では、話の舞台を「むつ(陸奥)の国」としていることから、青森、岩手が舞台とする解釈があるものの、県内(福島県)の小高町、長沼町、小野町、隣県の宇都宮市などにも似た伝説があると、中田町ルーツ説を強調している。中田町赤沼のおしどり物語(おしどりの碑の説明版から)田村氏がみちのくの田村郡を支配 「陸奥国」は、当初は「道奥」(みちのおく)と呼ばれ、平安時代まで「陸奥」(みちのく)、その後は「陸奥」(むつ)と呼ばれた。 「陸奥」は時代によって範囲が多少異なるが、福島県から青森県までの沿岸部の地域を指す。 現在は「みちのく」といえば、ほぼ東北地方全体を指すようになった。 陸奥国の田村郡を支配していた戦国大名に田村氏がいる。 wikipedia-田村氏によると、 『田村郡(たむらぐん)は福島県(陸奥国・磐城国)の郡。 平安時代、桓武天皇より征夷大将軍に任命されて蝦夷討伐で活躍した坂上田村麻呂を祖とし、その子孫が代々田村郡を領してきたとされる。 鎌倉期以降、田村荘の領主は藤原仲能系と考えられている田村庄司家であった。』 古今著聞集のおしどり物語では、「田村の郷」を「ここは前形部太輔仲能朝臣の領土」と記している。 秋田県横手市大雄田村も「みちのくの田村の郷」で、「赤沼のおしどり物語」が伝わるが、古今著聞集の記述や歴史的背景から見て、郡山市中田町起源説に軍配が上がりそうである。中田町のおしどり碑と説明板猟師が殿様まで格上げ 中田町のおしどりの碑には次の碑文が刻まれている。 『1314年(正和三年)民話「赤沼のおしどり」 右馬允(うまのじょう)という武士が、赤沼のほとりでつがいのオシドリの雄を矢で射止めて帰ると、夢に美しい女が現れ、「日くるればさそいしものを赤沼の まこもがくれの一人寝ぞ憂き」と詠んで去った。 翌日、雄を射た場所を訪れてみると雌が自分のくちばしで腹を突き刺して死んでいた。武士は発狂したとも、出家したともいわれている。』 正和3年は鎌倉時代だが、古今著聞集編纂時の建長6年(1254年)から60年後である。出典に記された年と考えられるが、古今著聞集は成立後に増補がなされているので、その増補版かもしれない。 古今著聞集は猟師の馬ノ允だが、碑文は武士の右馬允で、説明版のイラストでは右馬允が殿様になっている。脚色された過程が面白い。 中田町は隣接の三春町とともに、枝垂れ桜の名桜がひしめく地である。 紅枝垂れ地蔵桜は郡山市の天然記念物に指定されている。(写真1枚目) 樹齢約400年を越し、三春の滝桜の娘といわれている。
2017/02/25
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桂瀬の四十八滝(秋田県北秋田市)大仙市の「四十八(しじゅうはち)」は清水の里 「四十八」地名を集めてみた。 秋田県大仙市上野田四十八(しじゅうはち) 愛知県豊橋市山田町四十八(よつや) 広島県廿日市市大野四十八坂(じゅうはっさか) 愛知県知多市日長四十八田(しじゅうはちだ) 菅江真澄は月の出羽路・上野田邑(こうずけたむら)の項で、『四十八村 この村に四十八個所の寒泉あり。そもそも、四十八清水邑といっていたが、長くて呼びにくいので清水を省き、しじゅうはちむらというようになった。(筆者。現代語訳)』と記している。 岩手県下閉伊郡山田町に四十八坂があるが、曲がりくねった坂がいくつも続いた難所で、この名前が付けられた。 愛知県豊橋市の四十八は「よつや」と、珍しい読み方をする。 浄土宗の教えに「四十八願 (しじゅうはちがん)」があり、法蔵菩薩 が仏になるために立てた48の願のことを指す。 また名字にも「四十八願(よいなら)」があり、佐野市や足利市など栃木県に見られる。浄土宗の「四十八願」に由来するという。(参考・名字由来net|四十八願) 全国各地に「四十八滝」がある。 四十八滝 秋田県北秋田市桂瀬 鳳鳴四十八滝 宮城県仙台市青葉区作並 赤目四十八滝 三重県名張市赤目町長坂 宇津江四十八滝 岐阜県高山市国府町 住田四十八滝 岩手県気仙郡住田町 寺沢川四十八滝 遠野市宮守町宮守 この中で最も知られているのは「赤目四十八滝」だろうか。 「日本の滝100選」にも選ばれ、ハイキングの名所となっている。 北秋田市桂瀬にある今木神社の四十八滝は、国道105号線から阿仁川を渡って程ない所にある。(写真上) 周辺にたくさんの滝があるわけではなく、いわれや歴史などを知る人は少ないという。 日光いろは坂は、「い」「ろ」「は」...と続く「48」ものヘアピンカーブが続く坂として知られる観光名所である。 四十八手は相撲の決まり手数の俗称。 花札の一組は48枚。 無くて七癖あって四十八癖ということわざがある。 なぜか、「48」のつくものは多岐にわたり、多々あることの代名詞にも使われているようだ。「四十九院」は「しじゅうくいん」とも「つるしいん」とも 「四十九」の付く地名も見られる。 三重県伊賀市四十九町(しじゅくちょう) 滋賀県犬上郡豊郷町四十九院(しじゅうくいん) 石川県加賀市山中温泉四十九院町(しじゅうくいんまち) 角川日本地名大辞典によれば、石川県加賀市と滋賀県豊郷町の「四十九院」は、行基菩薩が49か寺を建立したという伝説に由来するという。 また、「四十九院」を「つるしいん」とする名字もある。(参考・四十九院」の名字の由来) 字地には見当たらないが、福島県伊達市保原町に「四十九院」という地があり、飴買い幽霊話が伝わる。いろいろある「五十」地名 「五十」の付く地名はバラエティに富み、読みも様々だ。 まず、「五十」を素直に「ごじゅう」と読む地名を列挙する。 秋田県横手市平鹿町上吉田五十田東(ごじゅうでんひがし) 福島県南会津郡南会津町宮沢五十苅(ごじゅうがり) 岩手県一関市五十人町(ごじゅうにんまち) 愛知県稲沢市矢合町五十歩(ごじゅうぶ) 千葉県南房総市和田町五十蔵(ごじゅうくら) 福島県須賀川市小倉五十目(ごじゅうめ) 「五十」の語尾を詰めて読む。 秋田県秋田市上新城五十丁(ごじっちょう) 福島県耶麻郡猪苗代町三ツ和五十軒(ごじゅっけん) 宮崎県都城市五十町(ごじっちょう) 福岡県福岡市南区五十川(ごじっかわ) 「五十」を「ごと」と読む。 愛知県豊田市西丹波町三五十(さんごと) 福島県耶麻郡猪苗代町長田西五十滝(ごとおたき) 「五十」を「いか・いが」と読む。 秋田県由利本荘市五十土五十土(いかづち) 山形県長井市五十川(いかがわ) 新潟県佐渡市北五十里(いかり) 新潟県上越市頸城区五十嵐(いがらし) 新潟県東蒲原郡阿賀町五十島(いがしま) 埼玉県本庄市五十子(いかっこ) 富山県高岡市五十辺(いからべ) 富山県高岡市五十里(いかり) 静岡県藤枝市五十海(いかるみ) 愛媛県今治市五十嵐(いかなし) 「五十嵐(いがらし)」はよく知られた名字でもある。 民俗学の広場に「五十嵐」の名字の由来が詳しい。 『・新潟県中部に五十嵐川(いがらしがわ)や五十嵐浜(いがらしはま)がある。 ・五十嵐川は古くから氾濫の多い川といわれていたが、「イカラシ」=「イカリ」で、溢れるという意味を持つ。 ・新潟市の五十嵐浜がルーツという説もある。「五十」は「いそ」と読み、「磯」のこと。「いそあらし」が訛って「いそらし」「いからし」となった。 ・語源は、アイヌ語の「物見台地」「吹き荒れる荒地」など諸説ある。第十一代垂仁天皇の皇子の五十足彦命(いかたらしひこ)がこの地を開拓したことによる。 ・五十嵐は、古くは伊加良志と書き、アイヌ語で「見晴らしのきくところ」という意味。』 「五十鈴」は「いすず」。 山形県山形市五十鈴(いすず) 三重県松阪市五十鈴町(いすずちょう) よく知られた三重県の「五十鈴川(いすずがわ)」は、伊勢神宮の聖地を流れる。 五十鈴神社『宮司の社務日誌』によると、『清らかな美しい響き、という「濯(すす)ぎ」を語源とした説』が有力であるという。伊勢神宮を流れる五十鈴川の御手洗場 その他種々の読みもいろいろ。 山形県鶴岡市五十川(いらがわ) 「五十川」の地名の由来は、五十は数の多いことを指し、「沢山の流れを集めて流れる川」の意味でもある、としている。 山形県村山市五十沢(いさざわ) 福島県福島市立子山五十保内(いさぼうち) 新潟県新発田市五十公野(いじみの) 石川県輪島市門前町五十洲(いぎす) 栃木県足利市五十部町(よべちょう) 「五十部」の名字の由来を見ると、『伊与部・五百部とも書き、「いよべ」とも読んだ。地名の由来は、古代の余部郷にちなむという。』などとある。
2017/03/06
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五斗蒔田桜(福島県郡山市)「刈」地名と「百万刈」 「五百刈」や「千刈田」、「五千苅」など「刈(苅)」の付く地名は数多い。 歴史民俗用語 Weblio辞書によると「百刈」は『出羽最上地方で用いられた上地面積の単位で、田1反歩。』とある。 最上地方に限らず、東北各地にこの表記が見られる。「刈」の数値も実に千差万別で、秋田県内だけでも次の例がある。 秋田県秋田市金足鳰崎三十刈 秋田県鹿角市八幡平五十刈 秋田県男鹿市脇本樽沢七十刈 秋田県南秋田郡井川町北川尻下田面八十刈 秋田県男鹿市五里合琴川百刈田 秋田県秋田市外旭川四百刈 秋田県横手市外目五百刈 秋田県横手市下境八百刈 秋田県横手市平鹿町浅舞千刈田 秋田県秋田市寺内三千刈 秋田県能代市二ツ井町五千苅 秋田県横手市百万刈 山形県鶴岡市に「千束刈」という地名がある。このことから、束を省いて「千刈」などと呼称するのが一般的になったといえる。 「百刈」を1反歩とすると、五十刈なら150坪、千刈田なら1町歩、五千苅なら5町歩となる。 これが「百万刈」なら1,000町歩という、桁違いに多い面積となる。 菅江真澄は自身の著・雪の出羽路に「百万刈」についてこう記している。 『百万刈 この村は鵜渡川(うとがわ・大戸川の古名)の西にある。田を刈といい、「魚斗(魚へんに斗・石)」という。処々にその間違いがある。およそこれ(百万刈)をいうならば2万3千3百33石3斗となってしまう。(注;2万は3万の誤記か。) 「百万刈は、百曲がりの俗言を、百万刈に書き記したことが由来であるといえる。」 ある記録に、「古い制度に知行わりを百貫、千貫という。今、奥州などにこの呼称が残る。(中略)千坪を一貫という。たいてい十貫は百石、百貫は千石に当たる。上中下田により一定ではない。」と見える。』 百万刈は、大戸川がくねくねと蛇行していたことから付いた地名という説である。それなら納得できる。 しかし、大戸川はそんなに蛇行してはいない。 この辺り一帯は、佐竹氏の出羽国入部に際して改易となった小野寺氏の旧臣(角間川給人)75人が久保田藩の許可を得て開拓した地であり、一気に耕地が増えたことから「百万刈」の地名が興ったとする説があってもいいような気がする。大戸川の左岸に百万刈貫高制の地名 江戸時代は武家の知行高を「石」で表わしていたが、より古い時代は貫高制だった。 田の収穫量を通貨に換算した「貫」を単位にしたわけである。 その名残から、東北地方に田の収穫量に関連した「貫」地名も存在する。 宮城県多賀城市八幡六貫田 岩手県一関市花泉町永井八貫 青森県十和田市洞内五十貫田 宮城県登米市米山町中津山千貫 秋田県大仙市九升田は、収穫量がそのまま地名になった。種蒔き地名 種籾を蒔く量から田の面積を表わした地名も存在する。 福島県田村郡三春町実沢大一斗蒔田 愛知県豊田市篭林町三斗蒔 福島県福島市瀬上町四斗蒔 福島県郡山市富田町五斗蒔田 福島県南相馬市原町区江井九斗蒔面積そのままの「反田」と「町田」 田の面積そのままの地名も数多い。 岩手県二戸市浄法寺町一反田 岩手県一関市山目三反田 青森県弘前市高杉五反田 福島県いわき市四倉町長友七反田 秋田県湯沢市上関八反田 青森県弘前市一町田 愛知県西尾市一色町池田三町田 茨城県行方市五町田 京都府亀岡市宮前町宮川七町田 町田市ホームページ町田市の歴史(れきし)によると、一説に『「町」は田んぼの区画のことで、「町田」は区画された田んぼという意味。』とある。「石」は近世に定着 室町時代までは、米高(年貢高)や貫高(かんだか)、蒔高(まきだか)、刈高(かりだか)などが用いられていたが、それを統一したのは豊臣秀吉である。 秀吉は、いわゆる太閤検地によって確定した石高を基準とするようにした。(参考・コトバンク-石高制) 徳川家の直轄領は800万石、加賀藩の前田家は100万石、薩摩藩の島津家は73万石、秋田藩の佐竹家は20万石だった。 石高がそのまま地名になった地もある。 京都府京都市山科区小山一石畑 北海道日高郡新ひだか町三石稲見 石川県羽咋市鶴多町五石高 福島県いわき市富津町八石 福島県相馬市山上十石 新潟県燕市五千石 燕市の五千石は、かつて五千石村で、いかにも穀倉地帯らしい地名である。 長野県に五千石街道がある。
2017/03/04
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ここは北上線の紅葉絶景ポイントです。 錦秋湖と赤い鉄橋を俯瞰する雄大な景色を望めます。 北上線は2003年夏の「青春18きっぷ」ポスターのロケ地にもなりました。 しかし、この場所へ到達するのは少々やっかいです。 芦髪沢の林道を終点まで進むのですが、悪路なので乗用車ではきつい。 2ヶ月前にはガケ崩れで封鎖されていました。 最近林道が修復されたようで、なんとか上まで到達することができました。 そこから撮影地点へは自分の足で登らなければなりません。 10分ほどなのですが、傾斜がきつくてなかなかしんどい。 しかし、そうして辿り着いた人だけが、この雄大な景観を満喫できるのです。壁紙をDLするカレンダー入りの壁紙をDLする撮影地地図 ゆだ錦秋湖駅を北上へ進んですぐ、錦秋湖に架かる鉄橋があります。 西和賀町役場の前を通って錦秋湖のほとりに下り、この鉄橋を走る列車をねらいました。 対岸の山が、錦秋湖の名にふさわしい紅葉たけなわです。 晴天で、格好の撮影日和でした。壁紙をDLするカレンダー入りの壁紙をDLする撮影地地図 小松川と黒沢の間で、国道107号線沿いから撮りました。 ここも紅葉期にはいい撮影ポイントです。壁紙をDLするカレンダー入りの壁紙をDLするJR ポスター ギャラリー・青春18きっぷ
2007/11/08
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笹子峠から仰ぐ鳥海山落陽笹子(じねご)は笹の実か 「笹子(じねご)」という難読地名がある。 秋田県由利本荘市鳥海町上笹子 秋田県由利本荘市鳥海町下笹子 「笹子」がなぜ「じねご」なのかというと、コトバンクがヒントを与えてくれた。 同サイトの「笹の実」検索結果。 『・ササの実。じねんご。凶作の年には食料とした。(大辞林 第三版) ・ 竹の実。自然粳(じねんご)。2 酒の粕(かす)をいう女房詞。(デジタル大辞泉)』 「じねんご」が訛って「じねご」。そして笹の実だから「笹子」で、「笹子(じねご)」の由来が理解できる。由来が様々の「次年子(じねんご)」 「次年子(じねんご)」という地がある。 山形県北村山郡大石田町次年子 大石田町立次年子小学校のHPにその由来が載っている。(概略を記載) 『1.冬は雪深く、冬季に出生した子供は翌春に出生届を出したので、次年子となった。 2・開村が大同二年(807)で、この二年から二年子といい、二が次に改められた。 3・じねんごは竹の実のことで、山地の次年子は数十年ごとに竹の実がなることが知られていた。』 など、由来は様々であるが、「じねんご」の語が先にあって、それに「次年子」を当てたとするほうが自然な気がする。 大石田町次年子はそばの産地として知られている。 じねんご地名は他にもある。 福島県伊達市霊山町石田自根子(じねご) 愛知県愛知郡東郷町和合ジ子ンゴ(じねんご) 愛知県みよし市福谷町上地念古(ぢねんご)俳句の季語になった「笹子(ささこ)」 「笹子(ささこ・ささご)」という地名もある。 愛知県蒲郡市大塚町笹子 青森県八戸市南郷大字市野沢笹子 福島県伊達郡川俣町山木屋ササコ平山 この「笹子」も笹の実を地名の由来としているのだろうと考えたが、目からウロコの地名由来は次のように記している。 『笹子 ・山梨県大月市の笹子は、甲州街道の難所笹子峠の麓、笹子川に沿った狭い谷の集落が続く。その名の通り「さ・さ・こ」で、小さい狭い谷を意味する地名だ。「さこ」や「せこ」の仲間の地名で、細(ささめ)や佐々木(ささき)も同類だ。 ・秋田県由利本庄市上笹子(じねご)は「しね・こ」からきており、よじれたようなに鄙(ひな)びた土地の意味だ。 ・島根県松江市笹子は、島根半島にある海岸のささやかな緩斜面にある集落だ。』 しかし、この説では2番目の「じねご」はいいとしても、「じねんご」のように「ん」が入る他の地名は説明できていないように思える。 他の「笹子」地名が、すべてここに掲げた由来に属するかは調査していない。 コトバンクで「笹子(ささこ)」を調べると、 『《「ささご」とも》まだ整わない鳴き方をしている冬のウグイス。冬うぐいす。(出典:デジタル大辞泉)』などとあり、なんと俳句の季語となっている。飢饉を救った笹の実 笹の実は、かつて飢饉の際の救荒食として利用されていた歴史がある。 胆江地区(岩手県奥州市)の飢饉の歴史によると、 『第1期・初期段階 豊作の年の備蓄などで食いのばしができる状況 第2期・中期段階 草の根、笹の実などの自然の食物を主に食べる状況 第3期・末期段階 食べられるものなら何でも食べる状況』などとあり、笹の実は飢饉の糧になっている。笹子にまつわる悲劇 また、戦時中、笹の実を食べたことによる集団流産事件が発生した。 昭和18年、岩手県の山間部で笹の実が特異に結実し、大豊作となった。 食糧不足時代でもあり、さっそく学徒動員で大量に収穫され、食糧営団手でパンに加工して各戸に配給となった。 はからずも、これを食べた妊婦の多くが翌日から流産、早産の中毒症にかかるという事件に発展した。 原因は、笹の実に有毒な「麦角(ばっかく)菌」が寄生したためだったが、国策から極秘事項として真相は公表されなかったという。 (参考HP・戦時下の盛岡中学) 女工哀史で知られる 1979年の映画「あゝ野麦峠」の野麦は笹の実であるという。 Wikipedia「クマザサ」によると、『旧飛騨国(現岐阜県北部)では隈笹の実が野麦(のむぎ)と呼ばれ、野麦峠という地名もある。凶作の年にはその実を食べて飢えをしのいだという。』とある。 近年では、2012年12月2日に中央自動車道上り線の笹子トンネル天井板落下事故はまだ記憶に生々しい。 「笹の実(じねんご)」には悲しい歴史が秘められている。 過去に当サイト「山並みが赤く染まる浅春風景」でも「笹子」に触れている。
2017/03/01
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新潟県十日町市の美人林は美しいブナの森八郎潟町の「一日市(ひといち)」は盆踊りの町 「四日市」、「七日町」、「十日町」など、かつて定期的に市が開かれていたことから興った地名は非常に多い。 旧暦のひと月のうち、市日に刻まれた地名は果たしていくらあるか探してみた。 1日から11日まではまんべんなくあるが、それを越すと見つからない日も出てくる。 とりあえず、見つけた範囲で紹介する。 青森県八戸市櫛引一日市(ひといち) 秋田県南秋田郡八郎潟町一日市(ひといち) 山形県天童市一日町(ひといちまち) 富山県南砺市一日市(していち) 青森県八戸市朔日町(ついたちまち) 愛媛県西条市朔日市(ついたち) 秋田県横手市十文字町植田一ト市(ひといち) 「一日市」は「ひといち」が一般的だが、「市」を省略して「一日(ひといち)」や、「日」を省略して「一ト市(ひといち)」もある。 富山県南砺市の「一日市」は、なまって「していち」だ。 「朔日市(ついたち)」は、「市」の読みを省いている。 秋田県八郎潟町の「一日市(ひといち)」は、500年以上も続く一日市の盆踊で知られる。 岩手県陸前高田市気仙町二日市(ふつかいち) 岩手県紫波郡紫波町二日町(ふつかまち) 京都府舞鶴市三日市(みっかいち) 青森県八戸市三日町(みっかまち) 山梨県甲州市塩山三日市場(みっかいちば) 三重県四日市市 秋田県横手市四日町(よっかまち) 秋田県湯沢市相川四日市(よっかいち) 新潟県三条市四日町(よっかまち) 三重県の「四日市」は、高度経済成長期に四日市ぜんそくの公害問題が発生した。 山形県新庄市五日町(いつかまち) 秋田県大館市比内町中野上五日市(いつかいち) 秋田県雄勝郡羽後町六日市(むいかいち) 秋田県横手市平鹿町浅舞六日町後(むいかまちうしろ) 新潟県長岡市六日市町(むいかいちまち)増田の「七日町」は蔵の街並み 秋田県横手市増田町増田七日町(なのかまち) 秋田県横手市睦成七日市(なのかいち) 山形県山形市七日町 京都府舞鶴市七日市(なぬかいち) 岡山県井原市七日市町(なぬかいちちょう) 「七日」は、辞書によると「なぬか」が本来なのだが、現在では言いやすい「なのか」の方が市民権を得ている。 秋田県横手市増田町の「七日町(なのかまち)」は、商人が築いた町並みや内蔵が今も残されていて、「蔵の町」として知られるようになった。(参考・増田町観光協会) 毎月2・5・9のつく日に、朝市通りで朝市が開かれる。 増田の朝市は300年以上の歴史があるが、七日町なので、かつては7の付く日に市があったのかも知れない。 秋田県横手市十文字町植田八日市(ようかいち) 千葉県香取市八日市場(ようかいちば) 秋田県大仙市長野九日町(ここのかまち) 愛知県一宮市丹陽町九日市場(ここのかいちば) 熊本県人吉市九日町(ここのかまち)歴史ある増田の朝市豪雪の町・新潟県十日町市 新潟県十日町市 秋田県横手市大森町十日町(とおかまち) 新潟県十日町市十日町(とおかまちしとおかまち) 広島県三次市十日市町(とおかいちまち) 山形県山形市十日町(とうかまち) 日本有数の豪雪地帯の新潟県十日町市は、棚田やブナ林で知られる。(写真1枚目) 青森県八戸市十一日町(じゅういちにちまち) 大分県日田市十二町(おおいたけんひたしじゅうにちょう) 富山県氷見市十二町(とやまけんひみしじゅうにちょう) ここに掲げた「十二町」の由来が、市日と関係しているかどうかは、確認できていない。 青森県八戸市十三日町(じゅうさんにちまち) 広島県尾道市十四日町(とよひちょう) 青森県八戸市十六日町(じゅうろくにちまち) 青森県八戸市十八日町(じゅうはちにちまち) 「十四日(とよひ)」は、読みやすさからの転化か。 「十五日」、「十七日」、「十九日」が見当たらない。 広島県廿日市市 青森県八戸市廿三日町(にじゅうさんにちまち) 青森県八戸市廿六日町(にじゅうろくにちまち) 岩手県久慈市二十八日町(にじゅうはちにちまち)「廿九日(ひづめ)」と「日詰(ひづめ)」 石川県鹿島郡中能登町廿九日(ひづめ) 角川日本地名大辞典によると、『廿九日(ひづめ) 晦日とも書く。地名の由来は樋詰の転化と見る説と、古代の越蘇郷院内住人の馬場の蹄跡多きによる説とがあるが不詳。』などとある。 旧暦では大の月で30日、小の月で29日が月末となり、それぞれ日が詰まった日である。 「日詰」の他、「比詰」、「樋詰」、「樋爪」、「飛詰」など様々あり、いずれも「ひづめ」と読む。 秋田県男鹿市船川港比詰(ひづめ) 秋田県大館市比内町独鈷日詰(ひづめ) 岩手県紫波郡紫波町日詰(ひづめ) 富山県氷見市日詰(ひづめ) 富山県高岡市樋詰(ひづめ) 京都府向日市上植野町樋爪(ひづめ) 兵庫県川辺郡猪名川町広根飛詰(ひづめ) 石川県金沢市に「蚊爪町(かがつめまち)」があり、石川県の地名集にその由来がある。 『蚊爪(かがつめ) 「かがつめ」とは「日々詰」で、「日詰」と同じく、月末に市がたつことを意味する。』 また「樋詰(ひづめ)」は、月末の29日を「ひづめ」と呼び、定期市などを開くのが語源との説がある。(参考・名字由来net)「四十日(しとか)」と「四十物(あいもの)」 新潟県南魚沼市に「四十日(しとか)」があり、その由来は、昔、毎月4と10の日に市が開かれたことにちなむ、という。(参考・角川日本地名大辞典) 新潟県佐渡市相川に「四十物町(あいものまち)」がある。慶長年間に四十物(あいもの)商人が集まって住んだことに由来する。(参考・角川日本地名大辞典) 四十物(あいもの)とは魚の塩漬けのことで、鮮魚と干物とのあいだのものなので、「あいもの」と呼称するようになった。それが四十種に及ぶことから「四十物」という表記になったと言われる。(参考・ニコニコ大百科-四十物)
2017/03/07
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九州の秘境・五家荘(ごかしょう)の「せんだん轟(とどろ)の滝」・轟(とどろき)と二十六木(とどろき)も同義 音が鳴り響くことを轟くというが、その「とどろき」を意味する地名が処々にある。 読みも、字も実に千差万別で、面白い。 まずは、純粋に「轟(とどろき)」地名である。 秋田県能代市轟(とどろき) 秋田県雄勝郡羽後町西馬音内轟(とどろき) 徳島県美馬市美馬町轟(とどろき) 数字の二十六を当てた「とどろき」地名。 秋田県由利本荘市二十六木(とどろき) 山形県東田川郡庄内町廿六木(とどろき) 二十六木(廿六木)がなぜ「とどろき」なのかというと、水がとうとうと流れる様を十(とう)プラス十(とう)=二十として「とうとう」と読み、それに「六木(ろき)」を組み合わせたからである。 埼玉県に以前あった「十々六木」地名の由来として、「おどろき」から「とどろき」になったとの説ある。 いずれにしても、なかなかひねった地名である。 また、山形県庄内町の廿六木(とどろき)は、応永年間、讃岐国(香川県)の阿部氏ら26人が当地の開発にあたったことから廿六騎(とどろき)と称したという伝説があるという。 (参考・レファレンス協同データベース)・「とどろき」に様々な漢字 次は、読みは同じでも当てる字に違いがある「とどろき」。 秋田県由利本荘市矢島町元町轟木(とどろき) 青森県西津軽郡深浦町驫木(とどろき) 東京都世田谷区等々力(とどろき) 和歌山県海草郡紀美野町動木(とどろき) 徳島県鳴門市北灘町櫛木トドロキ トドロキにどんな字を当てていたのか、あるいはそもそも字がなかったのか、興味あるところである。 また「轟」、「驫」は車や馬が多くて「とどろく」意味を表したという説がある。(参考・大淀川流域地名いわれ事典) 「等々力」を「とどりき」と読む地もある。 長野県安曇野市穂高等々力(とどりき) 「動木(とどろき)」の類似地名だが、果たして「轟」地名の範疇なのかは不明である。 山形県西村山郡河北町溝延不動木(ふどうぎ) 青森県八戸市新井田石動木(いしるぎ)・「とどろき」とは読まない「轟」地名 「轟(とどろき)」の別読み地名。 栃木県日光市轟(とどろく) 群馬県甘楽郡甘楽町轟(とどろく) 宮城県石巻市北上町女川轟(とどろ) 愛知県西尾市西幡豆町轟(とどろ) 知県豊田市上高町轟ラ(とどら) 山口県長門市三隅上兎渡谷(とどろく)は、当てた字がユニークだ。・「百々」などを当てた「どうどう」地名の類い 「百」を「どう」や「ど」とする地名も多い。 愛知県岡崎市鹿勝川町百々(どうどう) 福島県二本松市木幡百々(どうどう) 愛知県みよし市打越町百々(どうど) 愛知県岡崎市桜形町百々(どうど) 京都府乙訓郡大山崎町円明寺百々(どど) 石川県加賀市百々町(どどまち) 徳島県三好郡東みよし町足代百々路(どどろ) 京都府城陽市中百度(どど)トウド沢の盟主・桃洞の滝 秋田県北秋田市森吉の桃洞(とうどう)の滝は女性的で優美な滝である。 その形状から秘められた名称が冠されたが、そもそもはトウド沢の主瀑なので、本来は「トウド滝」だったはずである。 「とど」や「どうどう」から「とうど」に転化したとする説も十分成り立つのではないか。 従って、「トウド」も響く音を表現する「轟(とどろき)」に由来するのではないかと私は考えている。 「轟」地名とはいえないが、京都府京田辺市薪百々坂(ももさか)や福岡県嘉麻市上山田百々谷(ももたに)もある。 その他の「どど」地名。 愛知県豊川市土筒町(どどうちょう) 愛知県知多郡南知多町山海土々坊(どどぼう) 京都府相楽郡精華町山田度々(どど) 京都府船井郡京丹波町院内道土(どど) 兵庫県宝塚市境野土道ノ橋(どどうのはし)・「どめき」、「どどめき」も「轟」地名 「どめき」地名も各種存在する。 秋田県横手市大森町板井田西百目木(どめき) 秋田県横手市十文字町仁井田百米木(どめき) 秋田県大仙市豊川土目木(どめき) 秋田県大仙市北楢岡道目木(どめき) 山形県山形市百目鬼(どめき) 福井県吉田郡永平寺町轟(どめき) 「百目鬼(どめき)」や「轟(どめき)」はユニークだ。 長音を加えて「どうめき」と読む。 秋田県湯沢市上関道目木(どうめき) 宮城県角田市坂津田筒目木(どうめき) 愛知県西尾市下道目記町(どうめきちょう) 宮城県宮城郡利府町加瀬洞メキ(どうめき) 高知県四万十市中村百笑町(どうめきちょう) 岩手県一関市花泉町金沢動目記(どうめき) 福島県耶麻郡猪苗代町磐里百目貫(どうめき) 愛知県知多郡南知多町内海道目気(どうめき) 石川県輪島市門前町百成(どうめき) 福島県いわき市内郷高野町銅目木(どうめき) 「どうめき」に、読めそうにない「百笑(高知県四万十市)」、「百成(石川県輪島市)」を当てる由来は何だろうか。 次は「とどめき」、「どどめき」地名である。 秋田県大館市大茂内登々目木(とどめき) 秋田県大仙市太田町国見戸堂目木(とどめき) 福島県南会津郡南会津町糸沢百々目貫(とどめき) 秋田県男鹿市角間崎百目木(どどめき) 山形県鶴岡市羽黒町手向百々目木(どどめき) 宮城県柴田郡村田町小泉百々目木(どどめき) 福島県福島市松川町金沢土戸目喜(どどめき) 愛知県豊田市万町町度々目木(どどめぎ) 愛知県岡崎市板田町土々メキ(とどめき) にごらない「ととろ」地名もあるが、これも「轟」同様、水音に関する地名と見られる。住所の字地には見当たらないが、宮崎市に「働馬寄(どうめき)」という地があり、古い集落であるという。(参考・大淀川流域地名いわれ事典) 宮崎県延岡市土々呂町(ととろまち) 愛知県豊田市大内町ト々ロ(ととろ)せんだん轟(とどろ)の滝の案内板 九州最後の秘境といわれる「五家荘(ごかしょう)」。 その地にある「せんだん轟の滝」は落差70mを誇り、日本の滝百選のに数えられる名瀑である。 五家荘一帯は、ロマンを秘めた平家落人伝説があり、九州中央山地国立公園の指定を受ける自然美豊かな地である。 ここを訪れたのは2010年だった。 「轟」の名が付いた滝は四国や九州地方に数々ある。轟九十九滝(徳島県海部郡海陽町)轟の滝(徳島県海部郡海陽町)大轟の滝(徳島県那賀郡那賀町)轟の滝(高知県香美市)轟の滝(鹿児島県肝属郡肝付町)轟峡(長崎県諫早市)轟の滝(大分県佐伯市)轟の滝(佐賀県嬉野市)轟滝(熊本県上益城郡山都町)轟の滝(鹿児島市)三連轟の滝(鹿児島県曽於市)朝陽轟滝(鹿児島県薩摩川内市)轟の滝(沖縄県名護市)
2017/03/09
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井川町・日本国花苑で見つけた、もう一つの冬桜です。 正式な名前は子福桜といいます。 一つの花から複数の実を付けたりすることから、子宝を意味して名付けられたそうな。 晩秋の11月下旬に撮りましたが、春にも咲く2季咲きの桜ということです。 シナミザクラと十月桜の交雑種とも、エドヒガンの雑種ともいわれている、やや正体不明の桜です。 枝先に少し葉が残っていて、1本の木で紅葉と桜を同時に観賞できたのでした。 十月桜と同じくまばらに咲いていたので、クローズアップ撮影しました。壁紙をDLする カレンダー入りの壁紙をDLするこの写真入りで印刷用のカレンダーを作成する 2Lサイズ A4サイズ壁紙をDLする カレンダー入りの壁紙をDLするこの写真入りで印刷用のカレンダーを作成する 2Lサイズ A4サイズ撮影地地図←もっと壁紙を探すなら
2010/12/08
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わが家のシンビジウム。雪の上に置いて撮りました。 何年も育てていますが、毎年綺麗な花を咲かせてくれます。 咲いてから頂上部の花が開いたら、後は切り花にして楽しみます。 いつまでも咲かせておくと、株が弱るからです。 世界らん展が東京ドームで開催中です。 毎年、妻の友人が、そのらん展の写真を撮って送ってくれます。 今年はどんな作品が届くのか楽しみです。 世界らん展に出品できるようなランを育てられたらいいなぁとは思いますが、花の気持ちを知らない私には無理そうです。壁紙をDLする カレンダー入りの壁紙をDLするこの写真入りで印刷用のカレンダーを作成する 2Lサイズ A4サイズ←もっと壁紙を探すなら
2012/02/19
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うちのヒガンバナが元気に咲いています。 もっとも、花茎を伸ばしたのは1本だけ。 開花した30日に撮影したのが上の写真。 翌日、雨上がりに撮ったのが下の写真です。 昨年、鉢で育てていたのを地植えしたら、一本も咲かず、今年やっと花を見ることができました。 積雪寒冷地では、ヒガンバナにとって環境が厳しいのかも知れません。壁紙をDLする カレンダー入りの壁紙をDLするこの写真入りで印刷用のカレンダーを作成する 2Lサイズ A4サイズ↑携帯の待受用にどうぞ。壁紙をDLする カレンダー入りの壁紙をDLするこの写真入りで印刷用のカレンダーを作成する 2Lサイズ A4サイズ←もっと壁紙を探すなら
2011/10/03
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★六曜とは? 2016年のカレンダーも2月に入っています。 カレンダーを除くとき、なんとなく「大安」はいつだ?、と六曜が気になったりします。 家庭内にお祝い事を控えているようなときなどは、なおさらです。 六曜とは大安、赤口、先勝、友引、先負、仏滅の6種で、通常はこの順序で巡ってきます。 しかし旧暦の月が新しくなると、六曜の起点が変わります。 例えば旧暦の1月は先勝から、2月は友引から、3月先負からと、それぞれ初日の六曜が順に繰り上がるのです。 月と日を足した数を6で割った余りが0なら大安、1なら赤口、2なら先勝という風になります。 大安から始まる月を調べてみると、(5+1)/6=0となる、余りが0の5月です。 随分単純な決め方ですが、新暦の日付上に表記されると、月の途中で突如大安、大安と続いたりすることに不思議な力を感じたりする訳です。 実際、旧暦を使用していた時代は、六曜はたいして気にされなかったようでしたが、新暦上に表記されるようになって、重要視されるようになりました。 ★2017年のカレンダーは2種存在 2017年のカレンダーが2種あることをご存じですか。 まずは、次の2種のカレンダーをご覧ください。 どちらもWEB上に公開されているものです。 出典HP:日めくりカレンダー.com 出典HP:便利コム 上のカレンダーで2月の六曜を見ると、26日は赤口、27日は友引、28日は先負となっています。 しかし下のカレンダーの2月の六曜は、26日は友引、27日は先負、28日は仏滅です。 こうした違いは、3月27日まで続きます。 どちらを信じたらいいのか、これでは人々が困惑してしまいます。 どうしてカレンダーによって六曜に違いが生じているのでしょうか。 その原因は、旧暦2月1日がカレンダーによってずれているからです。 旧暦2月1日を、上のカレンダーは2月27日としているのに対し、下のカレンダーでは2月26日としているのです。 ★どちらを使うべきか 結論からすると、現在は下のカレンダーが主流となっていて、そちらを使うべきです。 私の提供する印刷用カレンダー作成サイト「カレンダー工房」では、これまで上のカレンダー方式に従っていましたが、プログラムを修正して下のカレンダー方式に基づいた六曜表記に変更しました。 2017年のカレンダーが発売される頃には下のカレンダー方式に統一されていくものと思います。 しかし、WEB上で公開されている2017年のカレンダーを使う場合は注意が必要でしょう。 来年のカレンダー作成を考えている方は、安心して「カレンダー工房」をご利用ください。 なお、カレンダー工房の旧暦計算は、フリーのqreki.plを基に算出し、誤差を修正するプログラムを独自に追加して六曜を表示しています。 ★なぜそうなのか 旧暦では朔(新月)になった日を新しい月の初日としています。 国立天文台の暦計算室によると、2017年2月26日 23時59分に朔(月齢0.0)となります。 私もこのサイトで確かめてみました。 翌日のわずか1分前ですが、朔になった2月26日を旧暦の2月1日とすべきが妥当といえます。 月の満ち欠け、つまり月齢は一定ではなく、ブレがあるため、正確に予測するのはとても難しいことなのだそうです。 このため、5年も10年も先の月例を計算すると誤差が増幅し、六曜などの決め方に影響が生じてしまう、というわけです。 従って、できるだけ新しい計算方法に基づいたカレンダーを使うべき、ということになります。 参考文献:国立天文台の暦計算室・暦Wiki
2016/02/05
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棚田百選・椹平(くぬぎだいら)の棚田の穫り入れ時です。 高台にある一本松公園が、棚田のビューポイント。 紅葉している公園の桜を入れて見ました。 刈り取り間近の田んぼの黄金色と相俟って、秋らしい風情を醸し出しています。 一本松公園は、去年から駐車場とトイレは休憩所が整備されて、過ごしやすい環境になりました。 休憩所には臨時売店が設けられ、近所のおばさん達が地元の農産物を販売していました。 ここで、10人ほどの撮影者一行みんなで昼食のお弁当を広げさせていただいたのですが、売店のおばさん達がお茶や、か売り物のりんごや漬け物などを振る舞ってくれました。 温かいもてなしが嬉しく、一行のほとんどが、お土産にりんごを買って帰ったのでした。 おばさん達、商売上手です。壁紙をDLする カレンダー入りの壁紙をDLするこの写真入りで印刷用のカレンダーを作成する 2Lサイズ A4サイズ撮影地地図 椹平棚田の第2展望台から望む風景です。 最近できた新しい棚田のビューポイントです。 丘の斜面に垂れ下がっているりんごの樹を入れて撮りました。壁紙をDLする カレンダー入りの壁紙をDLするこの写真入りで印刷用のカレンダーを作成する 2Lサイズ A4サイズ撮影地地図←もっと壁紙を探すなら
2011/10/07
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草紅葉の尾瀬を散策してきました。 2、3日ブログが留守だったので、またどっかへ出かけたのだろうと思われた方も多いでしょうが、ご推察の通り、秋の尾瀬を巡ってきました。 まずは、尾瀬を代表する2つの山を紹介します。 いずれも竜宮小屋付近から撮影しています。 尾瀬ヶ原の南西に聳える至仏山(2228m)です。 竜宮小屋から少し歩くと池塘があり、そこから陽光射す至仏山を狙いました。 午後3時ジャスト。太陽は至仏山の真上にありました。 池の周囲は草紅葉。 尾瀬ヶ原の枯れた色に、なぜか私は無性に焦がれるのです。壁紙をDLする カレンダー入りの壁紙をDLするこの写真入りで印刷用のカレンダーを作成する 2Lサイズ A4サイズ 草紅葉の尾瀬ヶ原から望む燧ヶ岳(2356m)です。 燧ヶ岳は東北一の高山です。 竜宮小屋の裏手に沼尻川が流れています。 竜宮小屋は群馬県ですが、沼尻川を渡ると福島県です。 燧ヶ岳には以前に2度登ったことがありますが、写真撮影中心の山歩きをするようになってからは、もっぱら麓から眺めて満足しています。 翌朝、朝焼けの燧ヶ岳を狙いたいと思っていましたが、残念ながら山頂は雲に隠れて実現しませんでした。壁紙をDLする カレンダー入りの壁紙をDLするこの写真入りで印刷用のカレンダーを作成する 2Lサイズ A4サイズ撮影地地図←もっと壁紙を探すなら
2010/10/14
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立山・天狗平から望む剣岳です。 剣岳は、奥大日岳の稜線の奥に雲の切れ間から黒い鋭峰を覗かせています。 剣岳に登ったのは、かれこれ30年以上も前のことですが、今でも鮮明に覚えています。 カニノタテバイで下を覗いたら足がすくんだこと。 雷鳥の親子連れと出会ったこと。 帰路の早月尾根はえらく長かったこと。 撮ったフィルムを間もなく紛失してしまったこと、などなど... 天狗平は室堂バスターミナルから歩いて40分ほど。 登山路に深紅に染まったナナカマドがありました。 この鮮やかな赤は、高山ならではの紅葉色です。 低山のナナカマドは、これほどの色には染まりません。↑携帯の待受用にどうぞ。壁紙をDLする カレンダー入りの壁紙をDLするこの写真入りで印刷用のカレンダーを作成する 2Lサイズ A4サイズ みどりが池のほとりから北方向に望む別山です。壁紙をDLする カレンダー入りの壁紙をDLするこの写真入りで印刷用のカレンダーを作成する 2Lサイズ A4サイズ撮影地地図←もっと壁紙を探すなら
2012/10/11
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小岩井農場の桜並木と岩手山です。 国道46号線からまきば園へ向かって進むと、その手前にきれいな桜並木が見えてきます。 ここも、奥に岩手山を配して撮影できる絶景ポイントです。 この日(10日)は雲一つない晴天で桜も満開、絶好の撮影日和でした。 車の通りが激しいので、それを排して撮影するには、車の流れが途絶えるまで辛抱強く待つしかありません。 しかしその間、隣のカメラマンとの会話が弾み、それもまた楽しいものでした。壁紙をDLする カレンダー入りの壁紙をDLするこの写真入りで印刷用のカレンダーを作成する 2Lサイズ A4サイズ撮影地地図 小岩井農場の一本桜です。 岩手山を背景に撮るのが一般的ですが、その位置より東側にずっと寄って撮ってみました。 左の山が犬倉山で、右の山が黒倉山ではないかと思うのですが、定かではありません。 清々しい雄大な風景です。 桜の根元が見えないのが少し気になりますが、このロケーションもなかなかのものです。壁紙をDLする カレンダー入りの壁紙をDLするこの写真入りで印刷用のカレンダーを作成する 2Lサイズ A4サイズ撮影地地図小岩井農場←もっと壁紙を探すなら
2010/05/13
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暮れなずむ阿寒湖です。 ホテルのレストランでの夕食中、ふと気がつくと阿寒湖の西岸が紫色に染まっているのが見えました。 急いで部屋に戻り、ホテルの部屋から撮った夕景色です。 壁紙をDLする カレンダー入りの壁紙をDLするこの写真入りで印刷用のカレンダーを作成する 2Lサイズ A4サイズ撮影地地図阿寒観光協会 -AKAN tourism info- 早朝の網走湖畔です。 阿寒湖の前泊は網走湖の湖畔に立つホテル網走湖荘でした。 本館の部屋は広く、食事も豪華で、至福のひとときを過ごしました。 創業60周年の限定プランで申し込んだので、1万円以下というリーズナブルな料金で宿泊できたのも嬉しいところ。 民宿やペンション、ビジネスホテルを常として旅行しているわれわれとしては、かなり贅沢なホテルでした。壁紙をDLする カレンダー入りの壁紙をDLするこの写真入りで印刷用のカレンダーを作成する 2Lサイズ A4サイズ撮影地地図ホテル網走湖荘 オフィシャル・サイト
2010/08/03
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秋田で見つけた冬桜です。 井川町・日本国花苑にありました。 小さな花がまばらに楚々と咲いていて、気をつけないと通り過ぎてしまいそうでした。 品種名は十月桜。 冬桜の名所、埼玉県城峯公園の桜もこれと同じ品種です。 桜の木全体を撮るのは無理があったので、近づいてマクロ撮影しました。 晴天の日を選んで行ったので、白い花が青空に映えました。壁紙をDLする カレンダー入りの壁紙をDLするこの写真入りで印刷用のカレンダーを作成する 2Lサイズ A4サイズ壁紙をDLする カレンダー入りの壁紙をDLするこの写真入りで印刷用のカレンダーを作成する 2Lサイズ A4サイズ撮影地地図←もっと壁紙を探すなら
2010/12/07
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雪の旭岡山神社参道を上る横手のぼんでん・梵天(ぼんてん)地名は秋田県に特に多い 仏教に関わりのある梵天(ぼんてん)が地名に取り入れられていて興味深い。 梵天は古代インドの神ブラフマーが仏教に取り入れられたもので、、仏教の守護神の十二天の一つ。帝釈天と一対として祀られることが多い。(参考・梵天 - Wikipedia) 秋田県大仙市円行寺梵天畑(ぼんてんはた) 秋田県秋田市雄和繋梵天野(ぼんてんの) 秋田県由利本荘市中梵天(なかぼんてん) 秋田県由利本荘市鳥海町百宅梵天平(ぼんてんだいら) 山形県東田川郡庄内町余目梵天塚(ぼんでんづか) 福島県福島市仁井田梵天(ぼんてん) 愛知県小牧市藤島町梵天(ぼんてん) 「梵天」地名は東北地方を中心に各所にあり、特に秋田県に多い。 しかしなぜか、マピオン-梵天で調べても、横手市内にその地名は見当たらない。 ただ、菅江真澄・雪の出羽路には、大森村の項にこの地名が随所に出ている。 『・大森村 文田山(もんでんやま)、また梵天山ともっぱらいう処あり。 ・大森の郷田地字所 梵天下河原 ・上溝村 梵天野 ・保呂羽能山路物語 梵天塚 』 かつて横手市大森にあったこれらの地名は、現在に伝わっているか気になるところである。様々ある「梵天」の意味 goo国語辞書で探ると、ぼんてん【梵天】の意味には様々ある。 『出典:デジタル大辞泉 1 仏語。色界の初禅天。大梵天・梵輔天・梵衆天の三天からなり、特に大梵天をさす。淫欲を離れた清浄な天。 2 修験者が祈祷に用いる幣束(へいそく)。 3 大形の御幣の一つ。長い竹や棒の先に、厚い和紙や白布を取り付けたもの。神の依代(よりしろ)を示す。 4 棒の先に幣束を何本もさしたもの。魔除けとして軒などにさした。 5 延縄(はえなわ)・刺し網などの所在を示す目印とする浮標のこと。 6 「梵天瓜」の略。 7 耳かきの端についている、球状にした羽毛。細かな耳あかを払うためのもの。』形を変えて各地に伝わる梵天祭り この中で、3の大形の御幣の一つが祭りとして発展したのが、秋田県内各地に伝わる「梵天(ぼんでん)祭り」である。 秋田市・太平山三吉神社の三吉梵天祭(みよしぼんでんさい)は毎年1月17日に行われる。 同神社のHPに三吉梵天祭の由来が詳しい。 『・梵天の形 元来は、御幣や小さな稲穂の形をしていたものが太平山頂上奥宮に奉納されていたが、現在では、竹カゴを色どり豊かな布や錦で飾り付けたものが一般的である。 ほうづきと呼ぶ頭の部分と、鉢巻、本体、中心の棒からなり、御幣・三角守り・飾りが付いている。 慶応3年、里宮(広面赤沼)が藩主より神社に寄進されてからは、三吉信仰の高まりにより拝観者も増え、年を追う毎に祭りは目立つ華やかなものとなった。 ・奉納の意義 太平山が五穀豊穣の神が鎮まる霊山として崇敬を受けてきたことから、梵天奉納は年の始めに「五穀の豊穣」や「商売繁盛」、「家内安全」を祈ることが元々のおこりと考えられる。 』(概要記載) 秋田県横手市の旭岡山神社へ奉納される横手のぼんでんも豪華で勇壮な祭りとして知られる。 『毎年2月17日に旭岡山神社へ奉納される横手のぼんでん(梵天)は、豪華な頭飾りが特徴的な小正月行事で、約300年の歴史を誇る。 また前日には、頭飾りの出来栄えを競う「ぼんでんコンクール」が開催される。 横手のぼんでんの特徴は、大型であることと、豪華絢爛な頭飾りにあり、若者たちが奉納に際して先陣を争って押し合う様子は壮観である。 ぼんでんは、かつて旧暦1月17日に奉納されてたが、昭和27年から新暦2月17日に改められ、「かまくら」と一体的な観光行事になっている。 』(参考・(冬)横手のぼんでん | 横手市 秋田県大仙市大曲の川を渡るぼんでんもユニークな梵天祭りとして知られる。 毎年、建国記念日の2月11日にその祭りは行われる。 『花館地区の各町内から出発したぼんでんは、ほら貝を鳴らし、ぼんでん唄を歌いながら、町内を練り回る。 そして、一の鳥居前でもみ合いをした後、川舟で雄物川を渡り、伊豆山山頂の伊豆山神社に奉納する。 』(参考・川を渡るぼんでん | 秋田県大仙市)冬の民族行事、大仙市大曲の川を渡る梵天 横手市や大仙市は、祭りが観光化して一層華やかになったのはいいのだが、「ぼんでん」とひらがな書きして広報宣伝しているのは、「梵天」本来の意味合いが薄れているように感じられて、少し気になる。 栃木県宇都宮市の羽黒山梵天祭りも賑わいのある豪壮な祭りだが、梵天の飾りが秋田県とはかなり違う。 こちらの梵天の方が、本来の御幣に近い姿を維持している。・山や川、遺跡にも梵天の名 出羽国と陸奥国の戦国大名で仙台藩初代藩主の伊達政宗は、独眼竜と呼ばれ、幼少期の名を梵天丸といった。 福島県には、梵天川(ぼんてんがわ・田村市)や、梵天大滝ぼんてんおおたき・南相馬市)がある。 山形県庄内町に近年になって発見された梵天塚古墳がある。 昔から正直山、上人塚などと呼ばれた場所で、昭和49年に発掘調査を行ったところ古墳であることが判明し、梵天塚古墳と命名された。 遺跡は11世紀頃のものと推定されている。 茨城県常陸太田市島町に梵天山古墳群がある。大部分が茨城県の指定史跡である。 大阪府と和歌山県の境にある梵天山展望台は、りんくうタウンや関西国際空港から、遠くは明石海峡大橋までの夜景が一望できる夜の絶景展望スポットである。 神奈川県横須賀市の立石梵天の鼻は奇岩「立石」がそびえ立つ磯で、釣りの名所である。 釣りの情報サイトによると、メインターゲットはクロダイで、メバルやウミタナゴがよく釣れるポイントがあるという。
2017/03/12
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