わたしの金光教の信心道

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2010.09.07
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カテゴリ: カテゴリ未分類
永遠の命ってなんでしょう。
自分とは人間の運転手だと言う事になれば、肉体が死んでも魂は死ぬ事は無い。
再び新しい命と成ってこの世に生まれてくる。

この世の道理を観て生きる術を悟りなさい。
金光様の教えがなんと素晴らしい宗教でありましょう。

私の信心は、難儀な氏子を救う信心ではなくて、救われた氏子が金光教の信心の道で生かされて生きる稽古を
積んで、自己が確立されて行く信心の道であります。
自分とは何であるかが分かりました。
自分とは神の氏子であり、自分の肉体の親が人間の両親であります。


ようになり、人間と言う乗り物を正しく生かす事が出来るようになって信心のお陰が生まれてきます。
世界の自動車はみんな人間と言う運転手が車体と一体になり、その乗り物を生かしています。
自動車には車種があって構造もスタイルも大型から小型まで、目的も走る道もそれぞれですが、みんな創造主の人間に
生かされて走っています。

人間にも人種があり、人それぞれは生きる道も働く目的もみんな違いますが、みんな人間は、その肉体は神に創造されて
生かされて生きています。
その肉体にはみんな精神が宿ります。
精神のいない人間はいません。
人はそれぞれですが、精神は差別できるものではありません。
どんな人間でも、精神は心であり、心の自由は何人足りとも犯す事が出来ない。

しかしその肉体は人間として人間の世界で生きています。

日に日に走るが自動車にとっての信心だ。
その道を生きるのが信心の稽古なんだ。

誰でも自動車の運転の稽古をすれば運転手になれます。
誰でも生きる稽古、つまり信心の道の稽古をすれば神になれます。
神になって人間と言う乗り物を正しく生かす事が出来るようになります。


そんな金光教の道理に適う信心を語りたいと思っています。
私達は神の氏子でありますから、誰でも信心して生きる稽古を積めば、自己が確立されて容易い信心生活が出来るように
なると信じています。

生き神金光大神天地金の神一心に願えお陰は我が心にあり今月今日でたのめい。
我が心の外にはお陰はありません。
精神世界は人の思いの中にあると思います。
自己確立は、その自分とは何であるかを求める信心の道の話です。
自分は自分なんだ、自分は他の何物でもない。
ただそれだけの簡単な事が人間には分からない。
自分が信心して神になれる金光教の信心の道が示されれば、この世の人間が生きる姿は定まり世界の平和も実現すると
思います。
自分次第でどうにでもなる、信心の道が金光教の道だと思います。

最後に少し整理してみます。
自分とは精神的なもので、自動車で言えば車体の中の運転手何だと言えます。
そう言う物と精神の一体関係が人間の生きる姿だと言う事です。
信心して神様に生かされて生きる稽古を積み重ねれば、自己が確立されて自分は元々から神である事を知る。
つまり自動車の運転の稽古を積めば、運転手として自動車を正しく生かす事が出来るようになり、信心して神になると言う事は、
生きる稽古をすれば、人間として正しく生きられるようになると言う事です。
自分とは人間の姿なんだと思っていた事が間違いであった。
自分は人間を生かしている精神なんだ。
肉体を操作している運転手なんだ。
自動車は運転手に生かされて生きていますが、運転手になれば自動車を生かす事が出来るようになる。
それは人間が自立して生きられるようになると言う事です。

人間は動物としてその生き方が物の道理に適っていれば問題は生まれてこない。

運転する事が当たり前のように、生きる事が当たり前なんだ。
その当たり前な生き方が出来ないのは、自分を姿その物だと思っているからなんだ。
この肉体の中身の思いの世界に存在している自己、その自己の潜在意識を掘り起こせば真実が見えてくる。

人間には信心の話は難しく理解できませんが、自己が確立されると信心はとても優しく、当たり前に生きられるようになります。

神や仏や精神とか心とか、また愛も癒しも人間には観えないものを理解する事が難しく、信心して神になる話や心眼が開く話も
さっぱり訳が分かりませんが、自己が確立されると自然と心の思いに浮かんでくる言葉があります。

その信心が何故難しくなるのでしょう。
つまり教えを実践しないらであります。
神になれるという教えを実践すれば私達は神になれる。
神に成るなんて、とんでもない思い上がりだと指摘されてその教えを実践しないのが、間違っているのです。
教えを実践して信心の稽古を積み重ねて行くと、自己が確立されてきたのが私の金光教の道理に適う信心の道であります。

どうか皆さんも信心して自己を確立して頂きたいと願っています。
最後にもう少し付け加えさせて頂きます。
ここに話をさせて頂いた事は、私の思いですので、自由に思う事を述べさせて頂きましたが、自己が確立されても、信心して
神になっても、物の道理を悟らせて頂いても、私達は今人間の世界で人間として生きているこの事実は変える事は出来ません。
思いは自由ですが、人間として毎日の社会生活をすると言う事が、信心の目的であります。
日に日に生きるが信心なんだ。
生きると言う事について、それぞれがどんな思いで生きているか、そこに金光教の道理に適う信心の道が示されています。
人間が正しく生きるための信心なんだと言う事を心得て日に日に生きる信心の道の稽古を励んで生きたいと思います。

自己確立は個人の思いですので、個人個人が自らの信心の稽古を積まなければ自己は確立されないと思います。
自分の事は自分でしなさい。
御取次を願い、自分がその信心を頂いて日に日に生きる稽古を重ねて行くと言う事が重要なんだと思います。

ご清聴有難うございました。







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Last updated  2010.09.07 20:06:22
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