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http://www.fukami-philanthropy.com/concert/menu.html 芸術、その創ること、表現すること、力を合わせることの素晴らしさは、私たちに生きることの意味を高いレベルで教えてくれます。私は能、バレエ、声楽、楽器演奏、演劇・京劇など、さまざまな芸術に挑戦してきた人間です。観ることにとどまらず、自らが演ずることで多くのことを学んできました。さらに今、それらの公演をチャリティーとすることで、感動の成果を未来のための資本としているのです。自ら実践し、世界の芸術を紹介しながら、ジャンルを超えた福祉芸術活動を 才能を発見し育て、芸術の良き推進者として コンサートなどの入場料収入を有意義に活用 世界芸術文化振興協会IFAC 「世界芸術文化振興協会IFAC」とは 顧問・役員等 チャリティー活動の歴史 チャリティー・コンサートの歴史 活動支援 オーストラリアでのチャリティ活動 1999年9月7日・2000年10月28日 オーストラリアシンギングコンペティション 1999年11月17日 日本・オーストラリアガラ・コンサート 2000年7月25日~7月31日 第1回全国高校生美術祭 ©2006 深見東州 「社会福祉と私」 -引用終わり- いやあ、びっくりしました。お金の人生を主宰できる方がいらっしゃるとは。文化・文明の利益を享受した分、その支払いをしなければいけないのは勿論の事です。私の教員生活、子育て何にもされませんでした。童貞の私は男子生徒の役割だから、要は子育てしていない日本国の学校運営だったという事です。子供はただ、ひたすら、犯され続けているだけ。何にも愛されていなかった。これが人類の現状です。子供は社会的に愛される為に生まれてきているのではなかった。社会から犯され続けるだけ。要するに、地獄だという事です。人類は現実の地獄界に生きているのでした。 仕事をする為に徳分のエネルギーを遣い、得た給料も、地獄の業がのっかっている。だから、得た給料の一部を福祉(義理の子の子育て)に遣って、その分、地獄の業を背負って頂く、そういう事をし続けるしかないと私は思います。福祉に支払いをしないと、どんどん背負わされた地獄の業が溜まっていって、やがて、現実の地獄の苦しみとして顕現してしまうから。肉体を維持する為の現実支払いは続けないといけないという事です。子宝というのはそういう事でした。子育てに手間、お金をかけた分だけ、子から徳分の支払いを受けられる、或いは、自分が背負っている地獄の業を背負わせられるという事でした。 今、霊界から情報が入りましたが、宇宙もそういう考えだそうです。要するに、自分中心の生き様をしてはいけないという事です。為に生きた分しか自分の地位、支払いされないという事です。勿論、家事の手間も同様です。自分の現実利益は、自分の現実で支払いしなければならないようです。 統一原理の現実は、遠いのでした。愛し合う世界はまだ遠い。だから、結婚の現実も家庭内売春、買春の現実になってしまっているのでしょう。勿論、人類のこの現状で、自分達だけ愛し合う関係になるという事は、物凄く徳分が無いと不可能です。私の現状は、セックス不可能です。地獄の業を背負わされるだけだから。私に地獄の業を背負わせない女の方は人類の中に、おそらく一人もいらっしゃらないのです。これが人類の現実です。人類皆、人類始祖夫婦の失敗を原罪として背負わされているのです。文鮮明様は祝福結婚で原罪は無くなると言っておられますが、そんなに簡単ではありません。原罪は霊的なものではありません。人類殆ど全部がサタンの血統です、要するに、サタンの実子なのです。 原罪は肉体の遺伝です。私が現実に感じている感覚ではそうなっています。私の家系の秘密は書く事もやがてあると思われますが、原罪を私に遺伝させない為に先祖が成した現実の行為があります。先祖が業を背負っているのでした。そうでなければ、私が誕生するわけないのです。サタンと対抗する性質が存在するわけないのです。全部、現実の徳積み。統一原理でいうような単に霊的なものではありません。サタンの肉体的遺伝子が続いていると感じられます。原罪は肉体的なものです。現実です。霊的なものではありません。現実の徳積みを通してしか解消されないと思われます。 仏教で言う第六天界の頂点にサタンが君臨して、欲望中心の世界を主宰なされています。ここまでが私の言う動物界。人間は、欲界を越えた存在です。上位形状界、上位非形状界、マハー・ニルヴァーナ、マハー・ボーディー・ニルヴァーナのいずれかの存在です。マハー・ニルヴァーナとマハー・ボーディー・ニルヴァーナとの違いは、マハー・ボーディー・ニルヴァーナの存在は、積んだ徳分で智慧、叡智をその分、得る為に、マハー・ニルヴァーナに入る資格を得た後もさらに徳積みを続けているという事です。智慧、叡智というのも現実です。現実の徳積みをした分だけしか得られません。 私も先程、智慧を一つ得たのです。お金の人生の地獄の業を背負わせる存在がいたという事を知ったのです。それまでは、観念的な知識だったのですが、現実になってしまったのです、文化・文明を背負われる方が現実に存在してしまったので。それまでは観念的に可能性があると思っていただけでしたが。お金の人生を主宰してしまうという事は物凄い事です。買春しない方も、美食までしないというわけではない方が多いと思われます。美食も地獄の業を背負わされるのが実感されたら、徐々に、減っていくと思われます。動物界が救済されていく事になります。万物復帰の御仕事です。私の肉を食べたいという欲望はまだまだ浄化されていませんが。たまにしか食べられない現状ですが、たまには食べたいのです。自分で買ってまで食べる元気が無い。おそらく、そういう欲を満たす為に徳分を遣う事を拒否するブロックがかかっているのでしょう。徳分を減らすと、私のブログの内容もレベルが下がります。徳分が無いと書けないのです。徳分の投資だから。ブログを書く分、現実の喜びを減らしているのでした。勿論、訪問される方が多ければ多いほど、より沢山の徳分が必要とされるのです。おそらく、自分が徳分を投資した分しか、訪問者は来られないと思われます。 政治家の政策も内容が問題なのではありません。政治家が自分の徳分を政策として投資した分だけ。全部、交換です。徳分の投資の無い政策なんて何の意味もありません。内容が問題ではなくて、カルマの交換が問題なのです、現実は。お金は交換手段だから。お金を稼ぐという事は、カルマを背負うという事です。ボランティアとプロの違いです。 国家がお金に、お金で買えるものなら何にでも交換できる手段としての信用を与えているのでした。お金は世界的な信用、世界中の文化・文明の人生、業を扱っているのでした。 処女、童貞の者達も、お金の人生の業を背負わない事はできない。サタン主宰の人類の現状に参加せざるを得ない。自分の衣食住、文化・文明の分だけ。そういうアキレス腱発見致しました。 労働の手間賃としての御給料が発生致しました。ひたすら全体の奉仕者として働くだけだったのに、その私の御仕事の主宰者が出現致しましたので。童貞の私に、自分の現実の地位発生致しました。自分のお金の分が自分の地位と。
2007.09.30
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http://www.fukami-philanthropy.com/epilogue.html 私たちは、日ごろ気軽に『世のため人のため』という言葉を使います。しかし、よくよく考えてみれば、世の一号、人々の一号は自分自身をおいてないのです。だから世の中を良くしたい、人々を幸せにしたいと願うならば、なによりもまず自分自身を立派にすべく、真剣な努力と研鑽をはじめるべきなのです―これが私の基本的な考え方です。 しかし、いつまでも自分だけの研鑚では困ります。人間としての尊厳や高貴さは、自分を極めると同時に、自分を生かしてくれる社会や人々に対する貢献や思いやりにあります。ブラインドゴルフの推進活動は、盲人ゴルファーの方々のすがすがしさに私自身が心打たれたからであり、シアヌーク病院の建設や子どもたちの支援は、恵まれた日本社会に住む者には想像できない、悲惨な現実に遭遇したからです。 その時の実感が、福祉する心の始まりであり、福祉に対する情熱の糧になっています。その実感と情熱と実行力こそが、人間としての尊厳や高貴さや品格であり、これを神性(しんせい)や仏性(ぶっしょう)や普遍的宗教性と呼ぶのでありましょう。経済大国日本が、どこかに置き忘れたものかも知れません。 しかし、私は日本人ですが、アジアの一員であり、さらには良心を持つ人類の一員であるとも自覚しています。だから、生涯この福祉の心を大切にして実行し、そういう人生の豊かさや楽しさ、また、世界中の人々とそれを分かち合うことの素晴らしさを、一人でも多くの人に知って頂き、一緒にたくさん感動して、幸せになりたいと願っています。 このサイトを読んでいただき、わずかでもご賛同をいただいた方には、巻末の各活動事務局までご連絡をいただければ幸いです。 深見東州http://www.fukami-philanthropy.com/profile.html 昭和26年、兵庫県生まれ。同志社大学経済学部卒。武蔵野音楽大学特修科(マスタークラス)声楽専攻卒業。西オーストラリア州立エディスコーエン大学芸術学部大学院修了。創造芸術学修士(MA)。カンボジア大学総長。中国国立浙江工商大学日本言語文化学院日本芸術文化講座教授、英国国立ウルバーハンプトン大学経営学部客員教授などを歴任。英国、中国の大学で教鞭をとる。カンボジア国家最高勲章の一つであるコマンドール友好勲章(外国人に与える最高勲章)を、民間で初めて授与される。西オーストラリア州芸術文化功労賞。西オーストラリア州首都パース市名誉市民(the keys to the City of Perth)。Asia Economic Forum Founder & chairman。紺綬褒章受章。比叡山にて得度、法名「東州」。臨済宗東福寺にて禅修業、居士名「大岳」。中国ではプロの芸術家として、国家一級美術師、国家一級オペラ歌手、国家二級京劇俳優に認定されている。その他、宝生流能楽師、社団法人能楽協会会員。宝生東州会会主。書道教授者。茶道師範。華道師範。 代表を務める団体を通して、カンボジアに24時間無料救急病院「シアヌーク病院」を建設し、キリスト教グループと協力して運営。1996年12月から現在までに65万人以上に無料診療を行った。また、カンボジアの戦災孤児の救済と育成のために、「未来の光孤児院」をサポートし、名誉院長に就任している。また、カンボジアの学校のない村に小学校を10校建設。カンボジア王国への貢献を評価され、支援団体の代表として、外国人に与える国家最高勲章であるコマンドール勲章を授与された。また、カンボジア唯一の国際研究機関、国立カンボジア平和協力研究所(CICP)に、初の「日本文化・経営研究センター」を設立。副総裁に就任し、教鞭を執る。また、カンボジアの二大私立大学の一つ、カンボジア大学の初代総長に就任す。 中国では、代表をつとめる団体を通じて、中国最貧地域に東州春蕾小学校を100校建設するなどの活動により、「中国児童慈善家」として中国国家より表彰される。また敦煌の孤児100人の父として、教育費を送金している。 アルバニアでは、最貧地域のブトリントに最初の近代的な学校を建設。開校式には当時のアルバニア大統領メイダーニ氏も列席。ジェイコブ・ロスチャイルド卿は感動して4度来校し、投資家の世界会議で広く紹介された。また、アルバニア初の職業訓練校をジロカストロ市に建設し、後に市の名誉市民に推挙された。 また、オーストラリアの全国人権教育委員会より、「国際名誉市民」(Citizen of Humanity)の称号を授与された。 日本では、日本に盲人ゴルフを最初に紹介した「日本の盲人ゴルフの父」として知られ、NPO法人 日本盲人ゴルフ振興協会の名誉会長を務めるかたわら、世界盲人ゴルフ協会の総裁も務める。また、代表をつとめる団体を通じての長年の盲人福祉への貢献を認められ、英国最古最大のチャリティー団体王立盲人協会(RINB)の副総裁に就任し、バッキンガム宮殿でエリザベス女王に謁見を許さる。 NPO法人世界芸術文化振興協会会長として、またマルチ・プロフェッショナル・アーティストとして、書画展やオペラ、音楽コンサート、演能会などの芸術活動を世界中で展開し、チャリティー活動や日本文化芸術の紹介につとめている。中国ではプロの芸術家として、国家一級美術師(2002年9月)、国家一級オペラ歌手(2002年10月)、国家二級京劇俳優(2002年12月)に認定されている。 インターナショナル・シントウ・ファウンデーション (ISF)代表、米国公益法人・シアヌーク病院協会副会長、(財)協和協会理事長など、公職多数。株式会社菱研所長。その他国内外に十数社を経営し、実践派経営コンサルタントとして多くのシンポジウム、講演会を主催、経営評論活動を行っている。また、作詞、作曲、演奏、指揮、声楽、和歌、俳句、絵画、声明、クラシックバレエ、京劇、俳優など、芸術文化方面で多彩な活動を行い、これまでに多くの書画集、楽譜集、写真集、ビデオ集、CD集などの作品を発表。また、人生論、文明論、宗教評論などの著作も多い。「『日本型』経営で大発展」、「UNDERSTANDING JAPAN」や、72万部を突破した「強運」をはじめ、著作は108冊以上に及び、六カ国語に訳され出版されている。その他、ラジオパーソナリティーとしても知られ、多くのレギュラー実績がある。現在は週1本のレギュラー番組を担当、ラジオ番組名「さわやかThis Way」(FM全国ネット)http://www.fukami-philanthropy.com/hospital/menu.html カンボジアの窮状は、ご存じのことと思います。長い長い内戦が国民生活をめちゃくちゃに壊してしまったのです。中でも医師は国民3万人に対してわずか1人というありさまでした。国家間援助体制の締結などの手続きを待っている間に何千、何万という人々の命が失われてしまう状況だったのです。私が現地を訪れ、その実状を見て決心したことは、一刻も早く近代設備の整った病院を建設すること。そして、世界から一人でも多くの優秀な医師を呼び寄せることでした。そして、それからの懸命な努力と皆の協力のお陰で、いまシアヌーク病院では年間約10万人もの人々が治療を受け、年間数千人の尊い命が救われています。どんなに貧しい人でも無料で治療が受けられる24時間体制の救急医療病院、それがシアヌーク病院です 年間10万人もの人が治療を受け、尊い命が救われています どうすれば援助が本当に生きるのか 1分1秒でも早く近代的な病院を― 米「ホープ・ワールドワイド」との運命的な出会い シアヌーク国王自ら命名を ゲンペル夫妻との出会い、そして意気投合 患者の物語 レン・リー君 1996年、ついにシアヌーク病院が完成 シアヌーク国王からのメッセージ 2000年12月「ワールドメイトビル」命名の栄誉 わずか6ドルで1 人のマラリア患者が救われるとしたら―皆さまの善意が、まさに「活きる」のです もっと支援を 患者の物語リン・ヘングさん シアヌーク病院の組織と運営 http://www.fukami-philanthropy.com/child/menu.html 福祉とは障害者や困った人の自己実現のためのお手伝いであり、命の危機に瀕する人に対しては、まず救いの手をさしのべることだと思います。人間は、誰しも自分の信じる道を突き進んだり、希望を達成するために、頑張ったり勉強する権利を持っているはずです。自己実現とは、そういう進歩向上を求める魂の叫びだと思います。しかし、その自己実現が困難な子どもたちが、国内外に大勢います。勉強はできるのに、国が貧しくて学校が足りない。家や町が戦火で焼けてしまって、自分を守ってくれる場所がない。私たち民間が行う福祉活動は、国と国との話し合いでは時間がかかってしまうことも、迅速に直接手を打つことができます。 足長おじさんの会 「足長おじさん」としてカンボジアの戦災孤児をサポート 中国・敦煌に「希望小学」を設立 人口12億人…中国の深刻な悩みは学校不足 春蕾計画 向こう10年間で100校の小学校を建設 深見東州氏、「春蕾」高校クラスの開設のために寄付 ワールドメイト小学校 カンボジアに10校目の小学校を建設中 ヨーロッパで最も貧しいと言われる国 アルバニアでも学校建設 地元の人々にも協力を要請 大理石の校舎・感動の開校式典 クリスマス・チャリティ 施設の子ら1万人にサンタが走る http://www.fukami-philanthropy.com/golf/menu.html 福祉活動とは、障害者や困窮する人の自己実現のお手伝いだと考えています。盲人福祉において、ただ救いの手をさしのべるのではなく、『日本盲人職能開発センター』に盲人用の文字読み取り機や専用ワープロを寄贈するという形で、盲人の社会参加のお手伝いをすることから、その活動は始まりました。『盲人ゴルフ』の底流を流れる考えも、これと同じです。盲人ゴルフはボランティアの存在を除いて、そのプレーは健常者とまったく同じルールで行われます。そこには積極的にスポーツを楽しもうとする障害者の方々の、すがすがしい感動があるのです。 盲人福祉 福祉とは、障害者や困窮する人の自己実現のお手伝い 不自由ではあっても、不幸な人間ではない、決して 盲人ゴルフ 盲人ゴルフのすがすがしさに感銘 楽しさこそ福祉スポーツの原点 陽気なジョークのやり取り・チャレンジする前向きな心 盲人ゴルフこそ視覚障害者のリハビリに最適なスポーツ 盲人ゴルフの歴史 盲人ゴルフはひとりではプレーすることができません、ボランティアをしてくれる人が必要なのです JBGA 設立概要
2007.09.30
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世界各国の教育や文化に貢献する喜び イギリス http://www.fukami-philanthropy.com/art/art4.htmlイギリス 英国王立盲人協会(RNIB)副総裁 英国で最も古い134年の歴史と、4,000人を越える職員を擁する、英国最大の福祉団体である王立盲人協会の副総裁に就任。総裁はデューク・オブ・ウエストミンスター卿(女王のいとこ)。名誉総裁はエリザベス女王とエリザベス女王のご母堂(クィーンマザー)。同じ副総裁には、英国国教会の大司祭カンタベリー卿などがいる。この権威ある英国最大、最古の福祉団体の副総裁に、日本人で初めて就任したのが深見東州であり、盲人福祉への今までの実績と、音楽家である実績を評価されて就任したのである。RNIBでは今後音楽的才能のある盲人学生を世界から集め、盲人学生のための音楽大学を設立して、教育育成する予定である。これらの実績と貢献を讃え、エリザベス女王は2000年2月に深見東州をRNIBの代表としてバッキンガム宮殿に招き、謁見して励ましの言葉をかけられた。 ロンドン大学東洋アフリカ学院名誉客員教授 名誉客員教授とはHonorary Fellow ― あまり聞き慣れない名称だが、名誉博士号の意味と客員教授の両方の意味が含まれるもので、とても名誉な称号とされている。それはロンドン大学の名誉客員教授に就任した人の90%以上がノーベル賞受賞者であることからも理解できよう。深見東州とロンドン大学との交流は古く、大学内のロイヤル・ハロウエイ・カレッジに「ハンダ能楽堂」を建設寄贈し、同時にそのこけら落としに自らが能公演を行っている。またロンドン大学東洋アフリカ学院では「日本的経営と日本文化」の講義も行っている。また、2000年5月には書画の実演と講義も行った。 ロイヤルハロウエー・カレッジ『半田能楽堂』 ロンドン大学のカレッジの一つロイヤルハロウエー・カレッジ内にイギリスでただ一つの能楽堂を建設。 英国国立ウルバーハンプトン大学 『日本ビジネスカルチャー研究所』設立 同研究所は日本のビジネスカルチャーをヨーロッパに広く紹介するための機関。深見東州は同大学から経営学部客員教授として招聘されており、日本の経営活動の背景と文化・芸術の特性を英語で講義している。 英国王立盲人協会と白血病児童救済基金に寄付 ロンドンのロイヤル・アルバートホールで開催したチャリティコンサート『AROUND THE WORLD 』のチケット収入のすべてを英国王立盲人協会と白血病児童救済基金に寄付。エリザベス女王から感謝状をいただいた。 英若手盲人音楽家の育成を支援 王立盲人協会と協賛して行った『ロンドン・サマーコンサート』のチケット収入を同協会に全額寄付。寄付金は盲人のための音楽大学設立のために役立てられた。 アメリカ http://www.fukami-philanthropy.com/art/art5.html アメリカ 米ジュリアード音楽学院に寄付 オペラ歌手養成資金としてニューヨークの名門ジュリアード音楽学院に寄付。また、毎年行われている卒業オペラ公演を支援している。 オーストラリア http://www.fukami-philanthropy.com/art/art6.htmlオーストラリア 「ロータリークラブ」の名誉会員に推挙される。 西オーストラリア州のパースにおいて、オーストラリアにおける長年の社会貢献や福祉への取り組みは、ロータリークラブの精神に完全に添うものであり、ロータリークラブの会員が見習うべき多くの示唆や教訓に満ちている。よって名誉会員として深見東州氏を推挙し、歓迎するという主旨であった。当地の会長からは、名誉会員は世界中のロータリークラブにフリーパスで訪れられるので、多くの会員と交流し、励まし合い、勇気づけていただきたいという言葉があった。当地の名誉会員はこれで二人目であり、一人目は英国国教会のオーストラリア全体の最高責任者であるアーキビショップに贈られている。 西オーストラリア州立カーテン工科大学『深見青山スカラシップ』 カーテン工科大学は西オーストラリア州では経済、経営部門のナンバー1大学として知られている。ここからは10年以上も前から「深見スカラシップ」の奨学金によって学生が日本留学を果たしている。この奨学金は成績優秀で、かつ日本の文化を学ぶ意志の強い学生に対してのみ与えられている。 西オーストラリア州立エディス・コーエン大学に『半田スタジオ』 オーストラリアの名門校エディス・コーエン大学附属舞台芸術学院に打楽器スタジオ『半田スタジオ』を建設。軽視されがちなパーカッショニストのためのスタジオとしては、オーストラリア一の良いスタジオだと言われる。 西オーストラリア大学に『音響資料館』 オーストラリア政府のプロジェクトで同大学内にリサイタルホールを建設する際に、歴史的なレコード、巨匠達の演奏テープやレコード・CD・ビデオ類など、貴重な音響資料が分散しているものを一カ所に集め、保存展示するための半田音響資料館を、そこに設置した。 中国 http://www.fukami-philanthropy.com/art/art7.html中国 孔子文化大学『深見東州儒学研究基金』 孔子文化大学は、孔子研究の聖地ともいえる山東省立曲阜師範大学に併設された大学で、近年この二つの大学は合併して国立孔子大学になる予定。深見東州は孔子文化大学の名誉教授と同大学内の孔子文化学院の名誉学院長に就任している。そこで、儒学を専門に研究する学生たちを支援するための基金を設立し、アジアにおける孔子のメッセージを世界に広めようとめざしている。ちなみに、これは儒教専門基金として世界初の試みである。 湖南女子職業大学芸術学部の客員教授 深見東州自身が学んできたボーダーレスな芸術体験を生かし、書道・華道・能・茶道の日本芸術を、さらに現役のオペラ歌手であることを最大限に生かした合唱についても、実践的魅力にあふれる講義を行っている。 中華女子学院客員教授 『春蕾計画』で、中国の未来を支える児童や少女の就学の手助けを共に行う児童少年基金会の案内で、中華女子学院を訪問した深見東州は、学院校長と深く共感、その場で客員教授となることを要請され、就任した。ちなみに中華女子学院は共学が当たり前の中国では珍しい女子だけの学校で、設立者は江澤民。 国立中国戯曲学院客員教授 中国戯曲学院は京劇の役者や舞台制作者らを育成する中国一の京劇の名門校。深見東州は同校で客員教授に就任しており、能の講義を行い、また一人の学生として京劇を学んでいる。 清華大学に『深見東州文化基金』を設立 清華大学といえば中国で一、二を争う名門校で現首相の朱鎔基氏の母校であり、現在も同大学の経済学部長もつとめている。深見東州は学生の研究基金として『深見東州文化基金』を設立、同大学の歴史学部に顧問教授として招聘され、主に経済学や能楽、さらに近代の日中の芸術文化史について講義を行っている。 浙江大学日本文化研究所に『神道と日本文化』講座開設 中国国家が定めた大学別ランキングで北京大学、清華大学についで三番目にランキングするのが、この浙江大学。深見東州はここの日本文化研究所に「神道と日本文化」の講座を開いた功労者であり、当研究所が開設から10年を経た今、当大学の客員教授として招聘され、「日本経済の発展と神道」「神道と他宗教の世界観の違い」などを、中国の古典をダイナミックに引用しながら行っている。 北京大学『日本文化センター』の顧問に就任 中国ナンバー1の頭脳が集まる北京大学内に日本の文化研究のための『日本文化センター』があります。ここの顧問に就任し、学識者と学生を集めて、演能会を開いた後、学術シンポジウムでは日本と中国、さらにはアジア、世界の未来を熱く語り合った。 福祉活動だけではなく、災害が発生した時は救援活動を行いました 「仮面ライダー部隊」が大活躍・阪神大震災の救援活動 http://www.fukami-philanthropy.com/art/art8.html 「仮面ライダー部隊」が大活躍・阪神大震災の救援活動 1995年1月17日未明に、神戸市、芦屋市西宮市など阪神一帯を直撃した地震は、戦後最大級の被害となりました。深見東州氏は、即日「特別救援隊」を組織して現地へ急行、現地の仲間とともに救援活動に全力を尽くしました。 ニュースで地震を知り、その夜中2時には、東京で第一次隊20名程が、集められるあらゆる物資を積んで集結。 救援隊は4台のトラックで、途中、コンビニで水、食料を買い込みながら、一路、神戸へ向かいました。ラジオをつけながら走っていると、加速度的に死傷者の数が増えて来、想像を超える被害の大きさに、救援隊員から驚きの声が挙がります。 到着間もなく、道の途中で駆け寄ってきた人の声に従って、西宮市の安井小学校におもむき、食料と水をお渡しし、その後芦屋の仲間が開設した救援隊本部へと向かいました。 次の日からバイクを集め、食料、水などの救援物資を積んで、被害地の中心部へ向け出発する日々が続きました。私たちの救援活動の大きな特徴は、「仮面ライダー隊」を結成した点にあります。 道路は大渋滞、細い道は倒壊した建物などで塞がれており、思うように救援活動が進んでいかないような状況下にあって、私達は被災地の芦屋に本拠地を置き、その行き届かない場所へ、小回りのきくバイクを使い、現場の状況を聞き込みながら、避難所を廻ったため、どこよりも速く真っ先に食料などを届けることができ、大変避難所の皆様に喜ばれ、私達の車のナンバーが東京のものであるのを見て、さらに驚いていました。私達は東京から来た最初の救援トラック隊だったのです。 仲間たちへのメッセージ 深見東州です。 現在、特別救援隊本部にいます。 今、私はバイクに乗って西宮、芦屋、神戸の地震災害地を巡行して参りました。そして、市役所、学校、公民館などの避難所を訪れ、今何を一番欲しているかを、一件一件訪ねて参りました。そうすると、自衛隊や救援物資が来て、食べ物はだいたい充分足りるようになったが、ラジオ用の電池の単1と単2、紙製品(ティッシュペーパー、トイレットペーパー、紙おむつの老人用と子供用の両方、生理用品)と衣料品(下着=L とL L のパンツ男子用と女子用、同じくシャツ、冬用靴下、セーターなど。但し、低開発国の人でないので全て新品でないと着て下さらない)。それに、電気のこない神戸地区は発電機に投光機、カセットコンロの燃料ボンベなどが全く不足しているということがわかりました。私はしばらくここに居て、救援活動の陣頭指揮をとります。支部の皆様は、必ず何を自分達で揃えられるかファックスで連絡して、できるだけいま真に求められる物資をここまでお送り下さい。 深見東州より。―緊急伝言!
2007.09.30
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私だったら、セックスをすれば奥様中心で生きるし、子を授かれば子中心で生きる。自分中心の生き様絶対にしない。自分中心の生き様をして他人を犯した分、サタン様に犯し返されてしまうから。自分中心の生き様の世界の頂点にサタン様が君臨しておられるので、絶対に自分中心の生き様するわけにはいかないのです。自分を大切にしているから。 自分は神様の子なのだから、神様のように大切にしなければいけないのです。それが私の神様への信仰の実践なのです。自分を大切にしている分、他人も大切にするのです。自分を大切にしない方は、他人も大切にされないのです。だから、人類皆の幸せの為には、自分をできるだけ大切にする事が重要なのです。自分を大切にした分、他人も大切にするようになるから。 私のセックスをしないという実践は、女の方をひたすら大切にしているという実践なのです。女の方を犯すのではなくて、愛する事ができるようになる為にひたすら修行を積み重ねているのです。他人を愛した分、自分も愛し返されるから。他人を犯した分、自分も他人に犯し返されるから。夫婦は人間関係の最終の修行の場だと私には思われます。 愛すればその分、愛し返される。犯せばその分、犯し返される。真理は単純なのです。要はその単純な真理、愛すれば愛し返されるを実践し続けるだけ。犯さないように気をつけ続けるだけ。 一寝入り後。地獄の業を背負わされてしまいました。お金の業を背負わされてしまいました。誰かが文化・文明の主宰者をやったようです。人類が愚かな事やっているから、お金の業が地獄になっているのです。私の現在の解消法は、福祉(義理の子の子育て)プラン・マンスリー・サポーターhttp://www.plan-japan.org/home/join/1209.htmlと深見東州様(半田晴久様)「社会福祉と私」http://www.fukami-philanthropy.com/福祉とは、肌の色、国籍、宗教などを超えた、心のこもった自己実現のお手伝い。決して親切の押し売りや過剰なおせっかいのことではないのです。深見東州様。-引用開始-http://www.fukami-philanthropy.com/think.html 福祉について、私は三つの事を大切にしています。 第一に『福祉とは障害者や困窮する人の自己実現のお手伝いである』ということです。盲人ゴルフを例に取ると、まずゴルフという競技があり、健常者とほとんど同じルールの下で、目の不自由を克服してゴ ルフをやり、交流し、新しい生きがいを得ようとする人々がいる。一方、学校建設を例に取ると、学校に行きたいのに学校がない。あるいは、学力は優秀なのに進学できない子供たちが、中国には大勢いる。だから、そういう人たちの自己実現の手助けのために、盲人ゴルフ倶楽部を作り、学校建設や進学の援助をする。そこにあるのは、親切の押し売りやお節介ではありません。まさに、積極的に困窮を克服し、自分の魂が現実の困難をバネにして、自己実現しようとするためのお手伝いなのです。 第二に『民間がやるべき福祉とは何か』ということです。私たち民間人が行う福祉の規模は、決して大きくはありません。アフリカ問題などは、大きすぎて私の身の丈には合わず、今のところ官公庁にお任せするほかありません。あるいは、その大問題を小さく別けて、自分に合ったものをやる縁やチャンスにまだめぐり合わないのです。つまり、民間の福祉が効を奏する条件は、規模が大きすぎず、その成果を目の当たりにでき、しかもそれがユニークなものであるということです。すなわち、福祉を行うことの喜びを、身をもって感じられる事が大切だと考えているのです。そうでなければ、決して永続きはしません。また、ユニークな民間の福祉活動が永続きし、大きな成果が上がったら、はじめて官公庁が動いて大規模な活動になります。これが民間の福祉活動の役割ではないかと思います。 第三に『福祉を通じて心の交流をする』という点です。福祉とは、決してお金だけ出して終わりというものではありません。私は必ずその場に赴いて、人々や子どもたちの手を取り、ともに歌を歌い、触れ合うことで心の交流を図っています。心の通う福祉こそが、本当に生きた福祉だと思うからです。 こうして、肌の色や国籍、宗教などの違いを超えて、心のこもった助け合いを実現することが、私が福祉実践家として一番心掛けていることです。以上の三つが、私の行う福祉活動の原点であり、理念でもあるのです。 このサイトでは、さらに私の文化的な支援活動についても、若干紹介させていただきました。私の文化芸術活動に興味のある方は、『深見東州 芸術・音楽活動の歴史』をご覧ください。http://www.fukami-philanthropy.com/art/menu.html 若き芸術家を対象にした奨学生制度をはじめ、世界各国の教育機関やボランティア組織などに対する支援など、数多くの活動を行っています。 芸術文化の支援 芸術家への支援・さまざまな寄付 http://www.fukami-philanthropy.com/art/art1.html芸術家への支援・さまざまな寄付 1994年10月第一回マイヤ・プリセツカヤ国際バレエ・コンクール於/ロシア・サンクトペテルスブルグ 1994年11月18日アメリカン・バレエシアターマイヤ・プリセツカヤガラコンサート後援寄付 1996年10月オーストラリアバレエ団アジアツアー日本公演に対して後援寄付 1996 年12 月第二回マイヤ・プリセツカヤ国際バレエ・コンクール於/ロシア・サンクトペテルスブルグ 1997 年4 月4 月西オーストラリア州立エディスコーエン大学付属舞台芸術学院打楽器スタジオ設立並びに「設立記念コンサート」開催於/西オーストラリア州立エディスコーエン大学建設寄付並びに賛助出演 1998 年10 月18 日「’98 オーストラリアン・シンギング・コンペティション」主催共催:オーストラリアン・シンギング・コンペティション実行委員会(オーストラリアで最も伝統と権威のある声楽コンクール)“マーシーアウォーズ(Mathy awards )賞”“ハルヒサハンダ(深見東州)オペラスカラシップ賞”を与え、優れた声楽家の留学を支援。 1999 年5 月25 日ジュリアード音楽院 寄付於/ニューヨークジュリアード音楽院 1999 年「オーストラリア チェンバーオーケストラコンサート」協賛 1999 年9 月11 日オーストラリア室内合奏団後援於/紀尾井ホール 1999 年9 月7 日「’99 オーストラリアン・シンギング・コンペティション」主催於/オーストラリアパース共催:オーストラリアン・シンギング・コンペティション実行委員会“マーシーアウォーズ(Mathy awards )賞”“ハルヒサハンダ(深見東州)オペラスカラシップ賞”を与え、優れた声楽家の留学を支援。 1999 年11 月17 日日本・オーストラリア・ガラコンサート 協賛於/東京オペラシィティーコンサートホール主催:日本・オーストラリアガラコンサート実行委員会協賛:IFAC 、財団法人二期会オペラ会後援:外務省、文化庁、オーストラリア大使館、産経新聞社 若き芸術家のために…IFAC 奨学生制度 IFAC 奨学生制度は、1998年度から実施している若い芸術家育成活動の1つで、将来性ある若者に対し、奨学金支給をはじめとして様々な面でバックアップしていくというものです。 第1期IFAC 奨学生 石川洋光さん http://www.fukami-philanthropy.com/art/art2.html第1期IFAC 奨学生 石川 洋光さん(1998年) 石川さんは、1995年東京音楽大学作曲科(映画・放送音楽コース)を卒業。ハリウッドで映画音楽を勉強したいという強い願いを持っていました。そして1998年、南カルフォルニア大学の映画音楽専門コースに合格したのです。しかし、学費の工面が思うに任せず、途方にくれていました。 東京音楽大学助教授でIFAC 理事でもある糀場富美子先生を通じて石川さんの才能と窮状がIFAC に伝わり、協議の末、第1回IFAC奨学生となることが決定し、アメリカ留学の道が開かれたのです。 かくして渡米は実現したのですが、今度は南カルフォルニア大学から、「学部定員の関係で1 年入学が延びる」通達を受けたのです。一難去ってまた一難、結局IFAC の特別措置により、奨学金を1 年延長して受けることができるようになったのです。 現在石川さんは、南カリフォルニア大学で本格的に映画音楽の勉強中です。「深見先生を始め、IFAC のスタッフの方々、先生方のご協力、友人知人の励ましによって、やっと念願の勉強に取り組むことができました。このご恩に報いるためにも、今回の留学期間に吸収できるものは吸収し、すべてに於いて貪欲に自分のものにしていきたいと大いに発奮しています」とコメントを寄せてくださいました。 第2期IFAC 奨学生 ダイアナ湯川さん http://www.fukami-philanthropy.com/art/art3.html第2期IFAC 奨学生ダイアナ湯川さん(2000年) ダイアナ湯川さんは1985年に父親が日航機御巣鷹山墜落事故で死亡、その3週間後に生まれました。 5歳でバイオリンを始めるやいなや、稀有の才能をもつバイオリニストとして世界中の注目を集めています。1999年11月のロンドンデビューを実現した大和英国日本奨学生など、数々の賞を獲得。日本と英国でのBMG やコンサートとの主要レコーデイング契約なども予定されているほどです。 ダイアナ湯川さんは、14歳の時にイギリスIFACの副会長マーチン・ランダーソン氏や深見東州会長と出会い、イギリスIFACの理事会で奨学生となることが決定しました。 師であるロドニー・フレンド教授は「ダイアナは、いま正しく美しい若手アーテイストとして成長の途上にある。彼女は、優れた洗練さと集中力で演奏する。その性格、魅力そして音楽への愛は極めて高いレベルに達している。今後2、3年のうちに、世界がこのアーテイストの存在を知り、その存在を喜びとするようになるだろう」と語っています。
2007.09.30
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あの荒川静香様がですよ、2匹の犬によって働き甲斐を得ていると言っておられました。2匹の犬の為に生きておられるのです。その2匹の犬が彼女の下の地位なのでした。私の現実の下の地位の方々も雌のジャンガリアンハムスター1匹いるだけです。それだけの下の地位の方々の為に私のブログの全文書、捧げられているのでした。私の45年間の生き様全部、ハムスター様のものなのでした。鉱物の中に住んでいる霊人の為に生きていられる方も一杯いらっしゃるみたいなので、世の中、そんなものなのでしょう。え、鉱物の世界。うーん。福祉(義理の子の子育て)というお金の人生もやっていますが。それだけ。それだけの地位でもやっていかれるのです。托鉢で生かされているお坊さんの生き様のようなものです。人類の一番下の地位まで下がろうと思っていますので。大きい心に成ろうとひたすら努力し続けているのでした。非処女、非童貞の方々は、相手の異性が自分の下の地位、人間界なので、それより、下の地位に下がれませんので、よろしくお願い致します。まあ、神様、肉体を持っておられませんので、もっと下の地位です。神様、被造物全部の為に生きておられるのです。自分中心の現実微塵も無いと思われます。キスの後遺症で何年も心の奥を縛られ続けたので、現実がどれだけ物凄いか、よく解っています。キスをしたいと思う女、今のところ、いません。キスの世界、操よりももっと高級な世界だと思われます。心を重ね合わせる世界なのかもしれません。そういう世界、失っているので、私の心も堕ちている事が認識されました。非処女、非童貞の方々、そういう心の世界持っておられると思われます。上の地位の世界をやっておられるのです。夫婦完成して下さいね。私は操の価値観ですがハートの価値観の方が上かもしれません、霊的結婚の世界。えっ、ハート。もうすっかり失っていました。そういう世界観が戻ってきました。今日ブログを書いた徳分によって、私のハートの地位が神様より与えられました。祝福されました。といっても今は操の価値観しかやる気全然無いのですが。上の地位やる気全然しないから。私の現実の神様、即ち、非処女、非童貞の方々がやられない事を私はやらない。当たり前の事です。順番は絶対に犯しません。
2007.09.30
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非処女、非童貞の方々は、そういう現実の世界をやれ!という事だと思われます。皆、天皇家の一員になれと。神を生きろと。自分中心でやればサタン様の生き様ですが、為に格付けの世界を生きれば、神様の生き様です。夫婦完成ってそういう事ですので。女は物だから。女を愛した分、物の世界が善くなっていくのだと思われます。私は大愛の道を行っていますが、普通の方々はもっと自分中心だと思われます。小さく完成し続ける道を行かなければいけないと思われます。それが自分中心な事をするという事、セックスをして自分の現実の地位を得るという事なのです。セックスをした時に、自分の人格、心の成長はストップします。もうこれ以上、大きくならない。徳分を積んだ分が自分の現実の地位になってしまうから。人格、心、霊体の成長にはもう向けられないのです。自分が現実になってしまったから。 今、霊界から情報が入りましたが、F市民、共通一次試験失敗してしまったそうです。方舟に乗り損なったそうです。残っている方々もいるそうです。まあ、神々というのは、個人的な生き様をなした方々がやっているのですから。そんなもんです。普通の人生は。大乗の船に乗り損なっただけの事です。神界10段の世界、正神界と魔神界が菩薩界、聖天界(安・徳・寿・王・帝の座の五段階の世界)が如来界なのでしょう、おそらく。個の人生の頂点の世界は仏界12段、6次元神界(諸天善神の世界)。 とにかく、犠牲は悲しいから駄目。苦しいのは辛いから嫌。苦しい体験をすると必ず、心境がその分落ちます。もっと自分中心の心に落ちます。絶対に立派にはなりません。苦しみ無意味。現実は高すぎるので、やればやるほど、心境が落ちると思われます。どんどん請求が来るから。それだけの思い入れを成し続けていかなければいけない世界だから。 当然の事ですが、非処女、非童貞の方々は私よりも上の地位なのです。私の生き様を背負っていなければいけないのです。私が毎日、努力して、伸ばし続けている心の世界を持っていなければいけないのです。現実の喜び、それだけの請求をされるから。人間界、ピラミッド構造になっています。物質の喜び、皆、誰かの人生がある。それがお金の世界。滅茶滅茶高価な世界。現実、毎日、事故災害はあるし、病に冒されている方々も一杯いらっしゃいます。天国の分、地獄があるから。例えば、一人の女がそこに存在できている為に人類始祖から延々と繋がっている子育ての苦労があったのです。意識が低い方でも、少なくても、その御両親の子育ての苦労は背負わなければならないのです。それがセックスの喜びの費用。子育ての手間とかかったお金。それを払っていかざるを得ないのです。セックスの天国の喜びの裏にある地獄(手間とお金)の費用。ほんの一瞬の喜びの為にこんなに費用を払わなければならない。相手の人格を犯す自由恋愛の代償は獣に堕ちてしまう事。どっちも非常に大きい支払い。神の子として、神が思い入れをしているのだ。単なる動物の雌ではないのです。本能的に生かされているのは動物。人間ではないのです。人間は神の子。動物界に堕ちると、ひたすら、サタン様に、人格を犯され続けます。嫌な事ばっかり。心境を堕とすと、そういう環境になるから。人間性の低い輩から嫌な想念行為を被る事になってしまうと思われます。心の波動を落としてはいけないのでした。 私も地獄の苦しみを一杯消化して人間の地位を得ましたが、別に、高望みをしたわけではありません。サタン様の子になる事を拒否しただけの人生が非常に大変だったのでした。私は高貴な生き方など全然する気無いのです。自分の当たり前の人生を送る事しか考えていないのです。何を得るのにも費用がかかるから。天命界の自分、超神霊としての自分だけでいいのでした。人類の摂理、これはサタン様の子にされる事を拒否した事の費用としてやらされているだけです。サタン様に対抗してしまったので。もっとも、サタン様の子にされた方々の辿らされている道も非常に大変に見えますので、どっちも大変なのでしょう。私は銀河系宇宙内に借りをつくらないように生きています。掴まりたくないのでした。為に生きた分だけの地位の範囲内で生きると。人類の現状、まだまだ、地獄状態から進化できないでしょう。人類全体の業というものがあるんです。その地獄の苦しみ、天国の喜びとセットにして分担されるのです。そういう人類全体を扱っている意識存在もいらっしゃるので。自分が持たされている業を解消する為に働いているのです。菩薩界、如来界、そういう世界ですので。その分、心の喜びの世界があります。心の世界で欲望を満たせるので、欲望を越える事ができます。大乗の世界。個の世界は欲望を越えられない世界だと思われます。でも無理して我慢する事が神への条件積みだと思われます。我慢しなければ、獣の世界に堕ちてしまうので。私の場合は、損得勘定で欲望に勝利しました。自分を堕としたくなかったのでした。堕としてもいい方は止められないでしょう。欲望も神様が与えたものだから。そう簡単に越えられないように仕組まれているでしょう。神様がプログラミングしているのだから。神様、地獄を選んでもいいと言っているのです。隈本確氏によると、創造の最初から、地獄を用意されていたのだから。全ての逃げ道をふさいでいらっしゃる、さすが神様だと思われます。私は神様を信じているので、正攻法で、生き続けています。正攻法の道を行くのが一番楽なのではないかという神様への信頼があるのです。 神様を信じて行ったら、どんどん大事になった。霊界がどんどん大きくなった。それでも行き続けるしかないから、行き続けるだけです。私が思う事は、後ろ向きになってはいけないという事です。前向きに生きた方がいいと思うのです。心の世界が希望と夢の世界になるから。意識が下がらなくてすむのです。不幸の意識にならない。 ほんの僅かの喜びに感謝できる性質を与えて下さった神様に感謝しています。高価なものは代償が大きいから。私の世界観、意識世界もタダです。ただ私のブログを訪問して読んで下さればそれで得られるのでした。タダ。現実の地位ではないからタダ。現実の地位ではないものは殆どタダです。愛の世界。奉仕の世界。私の感覚、過去の経験では、現実の地位の喜びというものは物凄く大きくて、失った時の苦しみが物凄い。後遺症が何年も続いた。心の奥深くまで影響が残っていた。肉体経験は物凄く費用がかかるという事を覚りました。私の感覚では、奥さんがいる生活、猛烈に暑苦しい。天国は希な体験という気がする。我が儘勝手に生きている子供がいたら、地獄。リアルな生活、非常に大変だと感じます。子供を躾ける世界は地獄だと感じます。まあ、人類史、神様にひたすら反逆し続けているので、その遺伝子を持つ子供の子育ても大変に決まっていますが。地獄の教員生活思い出しました。管理する世界は大変でした。神様、全然やっていない世界ですので、神の子もやる必要性無いと思われます。神様、セックスの許可出していないのだから。だから、私はしないから、銀河系宇宙内にいないと。為に生きているだけと。 神様中心の世界観だから、神様が上の地位にいない事やらない。今、霊界から情報が入りましたが、神様10%しかいらっしゃらないそうです。という事は、90%サタン様がやっている世界という事になります。 しかし、人類皆、神様の子なのだから、自分がやった事には永遠の責任を持たなければならないのは当然の事です。非処女、非童貞の方々は、現実の地位の道を前進し続けるしかないのです。私のブログも、少しだけ、地位の内容が出てきます。神様が下ろして下さるのだと思われます。あとの部分は、現実を生きていられる方にとっては単なる娯楽に過ぎないと思われます。他人事。私が心の世界に生きているようになるまでには、莫大な日々がありました。自称最終解脱者麻原彰晃様にして、あれだけの俗物だったのです。心の世界に全く生きていませんでした。魔王として、現実の喜びを追求し続けていました。そう簡単には心の世界の住人には成らないという事なのでしょう。私は心の世界に生きていたから、現実の世界が猛烈に費用がかかると思いましたが、現実の世界に生きている方々は費用が殆どかからない世界を知らないのだから、それが当たり前の世界観になっていると思われます。実際には肉体が普通に動く事も凄い事なのですが。費用がかかりまくっているのですが。肉体の世界って、凄い世界ですよね。多くの存在方が働いていらっしゃいますよね。一人の人間を成り立たせている世界、関わっている方々の世界、物凄いと思われます。動物も植物もですが。そういう創造の世界で、神様は徳積みをなされていると思われます。喜びの素を稼いでいらっしゃると。人間の意思の世界には殆ど全く関わらないと。人間の為に、動物の為に、植物の為に生きていらっしゃると。 という事は、プレイヤーをやるよりも、為に生きている方が幸せなのかもしれないという事です、もしかしたら。私も不幸ではありません。プレイヤーさん、楽しそうな方も一杯いらっしゃいますが、苦しそうな方も一杯いらっしゃるような気が致します。現実に入ってくると、私も心境が物凄く下がります。大きな喜びと大きな苦しみの世界という気が致します。そういう意識世界にいると、かなり苦しいです。意識を上げないと辛い。前向きな世界観で希望と夢とに生きていないと私には無理みたいです。 とにかく、順番は逆転する事は無いので、先にセックスをした方は、後にセックスをした方よりも前にい続けるしかないのです。後の方が、先の方に、帰依した生き様を成した分、地獄の業が先の方に上がってくるので、自分はさらに先の方に、その分、帰依した生き様を成すしか方法が無いと思われます。私は自分の順番を守るという事に結構拘る生活を送っています。多分、これが神様の血統なのだと思われます。 ここまでに成した全ての御神業を、謹んで、非処女、非童貞の方々に、御報告致します。 ここまでに成した全ての御神業を、謹んで、私が授業を持った全ての生徒様、その御両親様、御先祖様に御報告致します。 フリーターの方々様、日雇い労働者の方々様、地位の順番を守って、自分の地位の範囲内で暮らす事が幸せな生活だと私は思っています。上の地位に上がりたいのであれば、その分、徳分を積んで、その徳分を支払いして、上の地位を得るしかないと思われます。但し、上の地位になっても幸せに成れるわけではありません。下の地位でも、上の地位でも、幸せな方は幸せだし、不幸な方は不幸だし、地位と幸せとは全く関係ありません。幸せは豊かな心、分かち合いの心の世界の住人に与えられるものだと私は思います。どんなに低い地位でも分かち合いができるさらに下の地位の方はいらっしゃると思われます。私はそういう生き様を続けています。愛の世界が幸福な世界。被造物を愛し続ける神様の目線で生きれば、神様と同じ幸せを得る事ができると思われます。
2007.09.30
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副担任、即ち、自分中心の利益は必ず、その分、他人の利益、地位を犯すのです。だから、サタン様の所行です。当然の結果として、サタン様にやった分、犯し返されます。サタン様霊界の一員になります。今、霊界から情報が入りましたが、イエス・キリスト様も、文鮮明様も、サタン様だそうです。自分中心の生き様を為していましたからね。これがアベル様の原罪です。アベル様もサタン様の血統なのです。自分中心なのです。神様の気持ちが解っていないのです。競争社会で勝者になろうというのはサタン様の血統です。勝者になろうとしているのがアベル様です。敗者を創り続けています。だから、アベル様は大体、殺されてしまいます。サタン様をやったから。ここまで読まれて、アベル様の業を理解された方は、もうその業は解消されたと思われます。 人間界というものはどのように創られているかと言うと、一緒に生きていくように創られているのです。何故か。他を犯すと、自分もその分、犯し返されてしまうから。だから、自分が犯されない為には、他を犯さない事が必要なのです。自分が利益を得る為には、他に利益を与える事が必要なのです。そういうカルマの法則が厳然として私達を支配しているのです。 イエス・キリスト様はユダヤの王という意識を生きた。しかし、彼の野望はおそらく、もっと大きかったであろう。ユダヤの王どころではなかったであろう。そういう意識を持つという事は、他の者達を犯しまくっている事です。本来、皆、平等であり、対等であるのだから。 その意識を実践し続けたから、その分、サタン様に犯し返されて、自分の肉体を刑死させられてしまったのであるというのが私のカルマの法則に基づく分析です。しかし、その分、彼は高い霊位の意識を得たのでした。支払ったマイナスと得たプラスはつり合うのです。 肉体を犠牲にして、その分、霊位を得たのです。それが彼の生き様でした。 しかし、この生き様は、サタン様の血統の生き様であるのです。サタン様中心の世界で、サタン様に向かっていっただけの生き様なのでした。サタン様というのは、自分中心の生き様の事なのです。自分中心の生き様を為す者達が、サタン様の血統なのです。 このイエス・キリスト様の生き様に賛同した方々が、次々と、後を追って、刑死の道を行きました。自分の肉体を犠牲にして、その分、霊位を得る道を行きました。霊位を得た事は善い事ですが、肉体を犠牲にした事は悪い事です。神様は真の人類の親です。親から見て、霊位を得た事は善い事ですが、肉体を犠牲にした事は悪い事です。この生き方しか方法が無いのでしょうか。人類は考え続けているのです。進歩向上し続けているのです。 文鮮明様は、日本国がサタン様として、朝鮮を犯して、そのサタン様の業を背負った分だけ、アベル様の地位を得ました。朝鮮は善悪分立をされて、アベル様とカイン様とに別れさせられました。その分、彼は祝福されて、多くの子女を抱える父母の地位を得ました。しかし、人間の性というものは、過分な欲望をやってしまったようです。自分を特別な人間と思って、多数の女とセックスをしてしまいました。女の方々の人格を犯しまくりました。人間に成れませんでした。彼は悔い改めるでしょうか。生きている間に償いをすませるでしょうか。深見東州様は、文鮮明様は2万年地獄に堕ちると言っています。過分な欲望を満たした分の支払いをしなければいけないという事です。 人間は有限な存在だから、有限な事しかできないのです。自分の器の範囲内でやっていれば善かったのにと私は思いました。文鮮明様の御先祖様が神に条件を積んだ分だけ、祝福されただけなのです。勿論、御先祖様が積まれた条件は御先祖様のものです。自分のものではありません。当然、自分の利益にしてはいけないのでした。そういう事をすると、その分、御先祖様が抱えている地獄の業を背負わされてしまうのでした。自分が支払いをした苦労の分しか、自分の地位を得てはいけないのでした。御先祖様の徳分は、御先祖様にお返ししなければ、その分、御先祖様が抱えている地獄の業を背負わされて、その清算の為に、地獄の苦痛を味わわなければいけなくなってしまうのでした。親子関係の基本中の基本。親はタダで、子に自分の徳分を投資しているわけではないのです。その分、自分が抱えている地獄の業を背負わせているのです。タダで得られる利益は何処にも無いのです。親子といえども甘えは許されない。夫婦といえども甘えは許されない。別々の個性なのだから。自分を大切にしていると、その事を理解できます。自分を大切にしていないと、その分、他人も大切にしないので、理解できなくなります。自分が犯された分、他人を犯し返すから。 イエス・キリスト様は、ユダヤの王家の生まれではありませんでした。自分の現実の地位から、自分が徳分を積んで支払いをした分しか、自分の現実の地位を得る事はできないのです。これをやっていれば、サタン様を犯さないので、サタン様に犯し返される事は無かったのでした。地位を得る為には、その分徳分を貯めて、その地位に代価として、その貯めた徳分を支払いしなければいけないのです。地位の世界の法則。 地位の世界も、勿論、神様の世界です。楽しんでいいのです。しかし、その分、支払いをしなければいけないのです。地位は現実の喜びだから、現実の苦しみを対価として払わなければいけない。猛烈に高い。多分、人類の皆様が想像できているよりも遥かに、遥かに、…、遥かに高いのです。私にはその事がよく、よく、…、よく解っています。勿論、神様から見れば、もっともっと、…、もっと高いんだよという事になると思われます。私の思い入れ、まだまだ、神様の思い入れに遠いと思われるから。 私も2回ほど、その覚悟をした事があるので、ある程度、予想はつきます。奥様中心で生きなければいけない、自分中心の現実もう無いと。女から現実的利益を得る、セックスの喜びを得るという事は、その分、自分の現実がその女の為に生きなければならなくなるという事がカルマの法則を理解している私にはよく解っていたのです。それだけの支払いをしてもしたいという欲望が発生していたから、その欲望を満たす為に、支払いをしてもいいと思ったのでした。凄くレベルの高い意識になっている状態。高貴な生き様ができそうになっていた意識の状態と。異常心理。 しかし、私の場合には、即セックスとはならなかったのでした。両親を立てるという感覚が、神様を信仰し続けている私には絶対だったのです。だから、サタン様に犯されなかったのでした。当然、関係は消滅と。サタン様が犯し損なったのだから。自分で稼いだのではなくて、サタン様が犯そうとしただけの事だったから。そこでサタン様に犯された方々は、堕落アダム様、または、サタン様になります。神の子には成れません。そういう支払いをさせられて、セックスの喜びという現実の地位の喜びを得たのでした。サタン様の子にされたという事です。 だから、非処女、非童貞の方々が、神の子、人間の道に復帰するのは、並大抵の事ではないのです。私は先払いの生き方をしていますが、非処女、非童貞の方々は後払いの生き方を選んだという事になります。サタン様の立場になれば、よく理解できると思われます。サタン様も神様中心で生きているのです。という事は、現実の地獄には堕ちないという事です。サタン様が抱えている地獄の分以上に、神様中心で生きている生き様があるという事です。サタン様は地獄に堕ちてはいない。その自分が抱えている地獄の業を全部、我々人類に背負わせようというのがサタン様の御考えなわけです。私に見えている、解っている世界を私のブログを訪問できる徳分をお持ちの方々にお伝え致しました。サタン様も神様の部下なのです。これが私の世界観です。 要するに、非処女、非童貞の方々が、現実に地獄に堕ちない為にはどうすればいいかというと、完成夫婦への道を辿り続けるという事です。おそらく、これ以外の方法は無いと思われます。それがセックスの喜びを得た分の神様に支払わなければならない代償だと思われます。勿論、人類の女方と離婚する道を選ぶ事もできますが、麻原彰晃の二の舞になります。人類への負債を踏み倒して逃げようというのだから。物凄い支払いになるので。カップルの道も物凄く大変ですが、阿羅漢への道も物凄く大変です。麻原彰晃の結末を見て下さい。あれが解脱しようとした方々の結果。人生最後まで見なければその支払いは解らないのでした。解脱して、肉体から去るという事が実際にはできなかったのでした。人類を全員、マハー・ニルヴァーナへ送るという道しか選べないのでしょう。そういう意識を持っている方々しか解脱しないのでしょう。人類の為の解脱の境地だけ。自分の利益の為の解脱は難しいのではないかと思われます。多分、無理。 私が童貞という事は、現実の自分中心の地位が何も無い、子の地位しか無いという事です。ひたすら、人類の為に45年間、生きさせられていて、この程度。如何に支払いが大変かという事です。私は天命界へ入ろうと思っています。それだけです。あとは、日々、生かして頂いている支払いをし続けているだけです。何にも求めてはいません。危ない世界に入らなくて本当に善かったとつくづく思っています。神様が人類に仕掛けたトラップに引っかからなくて本当に善かったと思います。 私から見て、大部分の方々は動物界に堕ちています。人間の意識を持っていらっしゃらない。人格(神格)を持っていらっしゃらない。まあ、統一原理を掲げている文鮮明様が人間の意識を持っていらっしゃらないのだから、まあ、そんなものだとは思いますが。統一原理に書かれている事は、「被造世界は、神の本性相と本形状に似せてつくられた。人間は神に形象的に似た実体対象であり、万物は象徴的に似た神の実体対象である。それゆえ人間は、神に最も近い心情の対象なのである。」です。文鮮明様も、自身の性欲に負けて、信者の女方に手を出すなどという獣性を発揮してはいけなかったのです。人間はそういう事をしてはいけないのです。神様の子なのだから。神様の子らしく生きなければいけないのでした。普通の感覚から言えば、神々しく生きなければいけないのです。疲れる。 自分の現実の地位だけを生きるのでなければ耐えられない。下の地位に生まれたのだから、庶民の人生の現実を神々しく生きるだけで精一杯。ちょっとでも上の地位になると、服装とか、身のこなしとか、そういうのが耐えられない。上の地位というのは、本当に大変。下の地位の者達は、その上の地位の方々の現実を支えて生きていくのです。そういう上下の世界観、神様の世界になったらちゃんとすると思われます。凄い大変。皆、天皇家になってしまったような感じです、おそらく。それが人間界の未来です。 現実の部分、私は全くやっていませんが、非処女、非童貞の方々はやらなければいけないと思われます。だから、自分の位置をしっかり守るという事が大切だと思われます。服装によって、車によって、家によって、格付けがなされる世界だと思われるから。今の社会の現状のように自由な世界ではないと思われます。食事も全部格付けされるでしょう。神々様の世界、そういう世界です。 私は上の地位ではないので、そういう世界を創造する責任無いのでした。書いているだけで疲れます。物質的な事、何にもやりたくないので。私も教育公務員として、子育てされていれば、そういう教育もしていったのでしょうが、そういう未来を神様は私に要求しなかったので。下の地位をやらされているので。神様の御心のままに生き続けるだけですが。でも、私にそういう格付けの世界観が下りてきました。
2007.09.30
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現実の人の為に生きた分だけ支払いされる自分の人としての地位です 与えたものが受け取るものであるというバシャールが言っている宇宙の法則があります。犯す、または奪うと、その分、犯し返されます、奪い返されます。だから、その生き方はどんどん、自分を失っていく結果になります。 文鮮明様はこう言われました。以下引用致します。-引用開始-…アベルというものはアベルを犠牲にしてカインを救って行くのが今まで摂理の主流観だ。…イエス様は(自分を)犠牲にしながらローマ兵、イスラエル民族、後孫に対して、自分をローマ兵が槍でもって胸を刺し殺すローマ兵に対して(神に)赦しを願ってきたんだね。血を流しながら命を犠牲にしながらでも祝福していったのがアベル精神である。その精神は親の精神である。 アベルというものは結局、最後に来られる真の親と一体化する目的だね。だから親がこの地上に来たとして、『おー、君達! 親が生まれたから奉仕せよ!』、そうじゃありません。数千年来分かれて、こういうような悲惨な立場に立った娘、息子に初めて会ったときに、如何に悲惨であるかを分かる親はね、哀れみの心でもって全てを面倒見て、その悲しい全てのものを取り除いてやらなければならない。 そして自分が娘、息子であることをはっきり分かって、親にこういうことをなしてはならない、願い出て自動的に、『今からは子女として親に奉仕します。』「親が中心となってどうぞ我々の奉仕を受けて下さい。」と。そこに於いてアベル圏の権限が中心として立つんであって、それ以外は絶対に立たれません。-引用終わり- 文鮮明様は非常に自己中心的な御方です。真理が全然解っておられません。 親は絶対に不可能です。親は子の為に生きる事が絶対にできないのです。子が親の為に生きているのです。親は子の副担任です。だから、その分、子の為に生きられるのでした。しかし、限界までやっても、自分中心の生き様しか成す事はできません。要するに、霊的には、親は子の子になるのです。霊的にはより為に生きた方が上の位になるから。これが現実です。真理です。だから、親は、自分の霊的親育てをしているのでした。 子育てとは、自分の霊的親育ての事です。だから、真剣になるのです。これが真実、これが真理です。 だから、一番下の地位の不犯の男女が霊的完成人類始祖夫婦になるのです。私はこの道を19歳の誕生日からずっと行っています。 文鮮明様は如何に傲慢な御方であるかお解りになったと思われます。親をやる事は不可能です。絶対に自分中心です。それなのに、子に対して、自分に奉仕せよとは。狂っています。どれだけ、自分中心な事やっているか、自分を省みる事もできていないのです。人間の心が無いのです。上の地位の生き様をし続けているから、業をその分、背負わされて、霊的位が下がってしまっているのです。これが贅沢をする事の危険です。その分、人間的な心を失ってしまうのです。神様が見えなくなってしまう。サタン様になってしまう。 真理はもし為に生きていれば、人の道を生きていれば、息子を授かった両親より、娘しか授からなかった両親の方が上の霊的位になります。さらにその上に子を授からなかった夫婦がなります。さらにその上に処女・童貞のカップルがなるのです。より為に生きた者が上の霊的位になるのです。 男は女に自分の積んだ徳分を報告するのです。女から美を受けたいから。女の為に働くのが男でした。それを続けて女を開発すればするほど、より深い、高い美、より高級な神様を女から得る事ができるのです。だから、浮気は絶対にしないのです。開発代が勿体ないから。浮気は大損なのです。自分の利益の為に浮気はしないのです。 ここまでに成した全ての御神業を、謹んで、私が授業を持った全ての生徒様、その御両親様、御先祖様に御報告致します。私は授業を持った全ての生徒様を愛し続けています。私に与え得る最高のものを与え続けています。それが御仕事だから。 ここまでに成した全ての御神業を、謹んで、皇后美智子様、黒田清子様、黒田慶樹様、昭和天皇様、香淳皇后様、皇太子徳仁親王様、皇太子妃雅子様、愛子内親王様、秋篠宮文仁親王様、文仁親王妃紀子様、眞子内親王様、佳子内親王様、悠仁親王様、福田赳夫様、福田三枝様、福田貴代子様、小泉純也様、小泉芳江様、宮本佳代子様、森喜朗様、森茂喜様、松本知子様、石井久子様、タントラギーター様、スメーダー様、イシュタ・ヴァジリニー様、マハームドラー・ダーキニー様、植松愛子様、吉田英男様、岩野匡史様、草間道治様、出口眞琴様、神田眞弓様、土田成明様、中谷博厚様、四宮洋二様、北川年一様、高橋洋文様、松原敬司様、小林直樹様、立本眞須美様、石橋むつみ様、佐瀬喜代志様、藤田昇様、石原正宣様、原田雅一様、高梨孝様、足立信也様、相原久美子様、愛知治郎様、青木愛様、青木幹雄様、秋元司様、浅尾慶一郎様、浅野勝人様、荒井広幸様、荒木清寛様、有村治子様、井上哲士様、家西悟様、池口修次様、石井準一様、石井一様、石井みどり様、泉信也様、礒崎陽輔様、一川保夫様、市川一朗様、市田忠義様、糸数慶子様、犬塚直史様、岩城光英様、岩永浩美様、岩本司様、植松恵美子様、魚住裕一郎様、浮島とも子[井之上智子]様、梅村聡様、江田五月様、衛藤晟一様、小川勝也様、小川敏夫様、尾立源幸様、尾辻秀久様、大石正光様、大江康弘様、大河原雅子様、大久保勉様、大久保潔重様、大島九州男様、大塚耕平様、岡崎トミ子様、岡田直樹様、岡田広様、荻原健司様、加賀谷健様、加治屋義人様、加藤修一様、加藤敏幸様、加納時男様、風間直樹様、風間昶様、金子恵美様、神本美恵子様、神取忍[神取しのぶ]様、紙智子[内山智子]様、亀井亜紀子様、亀井郁夫様、川合孝典様、川上義博様、川口順子様、川崎稔様、川田龍平様、河合常則様、木俣佳丈様、木村仁様、喜納昌吉様、岸宏一様、岸信夫様、北川イッセイ[北川一成]様、北澤俊美様、工藤堅太郎様、郡司彰様、小池晃様、小池正勝様、小泉昭男様、小林正夫様、木庭健太郎様、行田邦子[山崎邦子]様、鴻池祥肇様、輿石東様、今野東[今野東吾]様、近藤正道様、佐藤昭郎様、佐藤公治様、佐藤泰介様、佐藤信秋様、佐藤正久様、坂本由紀子様、櫻井充様、澤雄二様、山東昭子様、自見庄三郎様、椎名一保様、芝博一様、島尻安伊子様、島田智哉子様、下田敦子様、主濱了様、白浜一良様、榛葉賀津也様、末松信介様、鈴木寛様、鈴木政二様、鈴木陽悦様、世耕弘成様、関口昌一様、田中直紀様、田中康夫様、田名部匡省様、田村耕太郎様、伊達忠一様、大門実紀史様、高嶋良充様、高橋千秋様、武内則男様、谷博之様、谷合正明様、谷岡郁子様、谷川秀善様、千葉景子様、ツルネンマルテイ[弦念丸呈]様、津田弥太郎様、塚田一郎様、辻泰弘様、鶴保庸介様、外山斎様、遠山清彦様、徳永久志様、轟木利治様、富岡由紀夫様、友近聡朗様、那谷屋正義様、内藤正光様、直嶋正行様、中川雅治様、中川義雄様、中曽根弘文様、中谷智司様、中村哲治様、中村博彦様、中山恭子様、長浜博行様、二之湯智様、仁比聡平様、西岡武夫様、西島英利様、西田昌司様、西田実仁様、野村哲郎様、南野知惠子様、羽田雄一郎様、長谷川憲正様、長谷川大紋様、白眞勲様、橋本聖子[石崎聖子]様、浜田昌良様、浜四津敏子様、林久美子様、林芳正様、姫井由美子様、平田健二様、平野達男様、平山幸司様、広田一様、広中和歌子様、弘友和夫様、福島みずほ[福島瑞穂]様、福山哲郎様、藤井孝男様、藤末健三様、藤田幸久様、藤谷光信様、藤本祐司様、藤原正司様、藤原良信様、渕上貞雄様、舟山康江様、古川俊治様、前川清成様、前田武志様、牧野たかお[牧野京夫]様、牧山ひろえ[牧山弘惠]様、増子輝彦様、舛添要一様、又市征治様、松あきら[西川玲子]様、松井孝治様、松浦大悟様、松岡徹様、松下新平様、松田岩夫様、松野信夫様、松村祥史様、松村龍二様、松山政司様、円より子[山崎順子]様、丸川珠代様、丸山和也様、水戸将史様、水岡俊一様、水落敏栄様、溝手顕正様、峰崎直樹様、室井邦彦様、森まさこ[三好雅子]様、森ゆうこ[森裕子]様、森田高様、矢野哲朗様、簗瀬進様、柳澤光美様、柳田稔様、山内徳信様、山内俊夫様、山口那津男様、山崎正昭様、山下栄一様、山下八洲夫様、山下芳生様、山田俊男様、山谷えり子[小川惠里子]様、山根隆治様、山本一太様、山本香苗[池田香苗]様、山本順三様、山本孝史様、山本博司様、横峯良郎様、吉川沙織様、吉田博美様、吉村剛太郎様、義家弘介様、米長晴信[鈴木晴信]様、蓮舫[村田蓮舫]様、若林正俊様、脇雅史様、渡辺孝男様、渡辺秀央様、鰐淵洋子様方に御報告致します。 ここまでに成した全ての御神業を、謹んで、非処女、非童貞の方々に、御報告致します。 ここまでに成した全ての御神業を、謹んで、私が授業を持った全ての生徒様、その御両親様、御先祖様に御報告致します。
2007.09.29
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ここまでに成した全ての御神業を、謹んで、山本捷雄様、加藤なを子様、高橋豊様、高松みどり様、柳沢潤次様、大塚洋子様、大野美紀様、竹内康洋様、塚本昌紀様、増井秀夫様、松下賢一郎様、市川和広様、加藤一様、栗原義夫様、河野顕子様、佐賀和樹様、佐藤春雄様、諏訪間春雄様、松長泰幸様、矢島豊海様、山口幸雄様、渡辺光雄様、宮戸光様、原田伴子様、真野喜美子様、井上裕介様、熊倉旨宏様、鈴木明夫様、橋本美知子様、浜元輝喜様、原輝雄様、三野由美子様、伊藤喜文様、高橋八一様、竹村雅夫様、柳田秀憲様、植木裕子様、平岡法子様、鈴木紳一郎様、川島一明様、開沼佳子様、小野晴弘様、引地孝一様、田島信二様、土井りゅうすけ様、梅沢裕之様、小島健一様、横山幸一様、榎並正剛様、加藤元弥様、内田みほこ様、長田進治様、国松誠様、杉本透様、高山松太郎様、石井もとみち様、しきだ博昭様、いそもと桂太郎様、嶋村ただし様、木村謙蔵様、桐生秀昭様、佐藤光様、森正明様、杉山信雄様、小川久仁子様、向笠茂幸様、竹内英明様、鈴木恒夫様、磯貝捷彦様、舘盛勝弘様、国吉一夫様、新井敏二郎様、松田良昭様、榎本与助様、牧島功様、堀江則之様、中村省司様、新堀典彦様、三好吉清様、持田文男様、村上健司様、久保寺邦夫様、山田吉三郎様、手塚悌次郎様、はかりや珠江様、吉田大成様、大村博信様、作山友祐様、松本清様、寺崎雄介様、長友よしひろ様、井手拓也様、近藤大輔様、鈴木裕二様、塩坂源一郎様、伊藤久美子様、山口裕子様、曽我部久美子様、福田紀彦様、滝田孝徳様、もとむら賢太郎様、齋藤健夫様、北井宏昭様、大井康裕様、安藤慶様、松崎淳様、竹内栄一様、岩本一夫様、関口正俊様、伊藤とおる様、倉田ひとし様、茅野誠様、石川輝久様、平本さとし様、高谷清様、田中肇様、江田実様、安斉義昭様、豊島きよし様、東野陽子様、藤井深介様、赤井かずのり様、行田ともひと様、亀井たかつぐ様、佐々木正行様、高橋稔様、渡辺ひとし様、鈴木ひでし様、此村善人様、服部圭介様、益田はやお様、小野寺慎一郎様、相原高広様、嘉山照正様、山本俊昭様、馬場学郎様、飯田誠様、笠間茂治様、川上賢治様、斉藤ゆうき様、松尾崇様、とくやすひさよし様、菅原直敏様、武田郁三郎様、日下景子様、木内ひろし様、長谷川くみ子様、河野幸司様、山本裕子様、村田邦子様、逢沢一郎様、愛知和男様、赤池誠章様、赤城徳彦様、赤沢亮正様、赤羽一嘉様、赤間二郎様、赤松広隆様、赤松正雄様、赤嶺政賢様、秋葉賢也様、安次富修様、安住淳様、麻生太郎様、安倍晋三様、阿部俊子様、阿部知子様、甘利明様、新井悦二様、荒井聡様、飯島夕雁様、池田元久様、池坊保子様、井澤京子様、石井郁子様、石井啓一様、石崎岳様、石関貴史様、石田祝稔様、石田真敏様、石破茂様、石原伸晃様、石原宏高様、泉健太様、市村浩一郎様、伊藤公介様、伊藤信太郎様、伊藤忠彦様、伊藤達也様、伊藤渉様、糸川正晃様、稲田朋美様、稲葉大和様、井上喜一様、井上信治様、井上義久様、猪口邦子様、伊吹文明様、今井宏様、今津寛様、今村雅弘様、井脇ノブ子様、岩國哲人様、岩永峯一様、岩屋毅様、上田勇様、上野賢一郎様、浮島敏男様、臼井日出男様、内山晃様、宇野治様、漆原良夫様、江崎鉄磨様、江崎洋一郎様、江田憲司様、江田康幸様、枝野幸男様、江渡聡徳様、衛藤征士郎様、江藤拓様、遠藤乙彦様、遠藤武彦様、遠藤利明様、遠藤宣彦様、近江屋信広様、大串博志様、大口善徳様、逢坂誠二様、大島敦様、大島理森様、太田昭宏様、太田和美様、太田誠一様、大塚高司様、大塚拓様、大野松茂様、大野功統様、大畠章宏様、大前繁雄様、大村秀章様、岡下信子様、岡田克也様、岡部英明様、岡本充功様、岡本芳郎様、小川淳也様、小川友一様、奥野信亮様、奥村展三様、小此木八郎様、小里泰弘様、小沢一郎様、小沢鋭仁様、越智隆雄様、小野次郎様、小野晋也様、小野寺五典様、小渕優子様、尾身幸次様、海部俊樹様、嘉数知賢様、鍵田忠兵衛様、笠井亮様、梶山弘志様、片山さつき様、加藤勝信様、加藤紘一様、加藤公一様、金子一義様、金子善次郎様、金子恭之様、金田誠一様、上川陽子様、亀井静香様、亀井善太郎様、亀井久興様、亀岡偉民様、鴨下一郎様、河井克行様、川内博史様、川崎二郎様、川条志嘉様、川端達夫様、河村たかし様、河村建夫様、瓦力様、菅直人様、神崎武法様、菅野哲雄様、黄川田徹様、菊田真紀子様、岸田文雄様、北神圭朗様、北川知克様、北側一雄様、北村茂男様、北村誠吾様、木原誠二様、木原稔様、木村太郎様、木村勉様、木村義雄様、木村隆秀様、久間章生様、吉良州司様、楠田大蔵様、倉田雅年様、玄葉光一郎様、小池百合子様、小泉純一郎様、河野太郎様、河野洋平様、高村正彦様、河本三郎様、郡和子様、古賀一成様、古賀誠様、穀田恵二様、小坂憲次様、小島敏男様、小杉隆様、小平忠正様、後藤茂之様、後藤斎様、後藤田正純様、木挽司様、小宮山泰子様、小宮山洋子様、近藤昭一様、近藤三津枝様、近藤基彦様、近藤洋介様、斉藤鉄夫様、斉藤斗志二様、坂井学様、坂口力様、坂本剛二様、桜井郁三様、桜田義孝様、笹川堯様、佐々木憲昭様、佐々木隆博様、笹木竜三様、佐田玄一郎様、佐藤茂樹様、佐藤剛男様、佐藤勉様、佐藤ゆかり様、佐藤錬様、志位和夫様、塩川鉄也様、塩崎恭久様、塩谷立様、重野安正様、七条明様、実川幸夫様、篠田陽介様、篠原孝様、柴山昌彦様、島村宜伸様、清水鴻一郎様、清水清一朗様、下地幹郎様、下条みつ様、下村博文様、新藤義孝様、神風英男様、末松義規様、菅義偉様、菅原一秀様、杉浦正健様、杉田元司様、杉村太蔵様、鈴木克昌様、鈴木馨祐様、鈴木俊一様、鈴木淳司様、鈴木恒夫様、鈴木宗男様、関芳弘様、仙谷由人様、薗浦健太郎様、園田博之様、園田康博様、平将明様、高井美穂様、高市早苗様、高木毅様、高木美智代様、高木陽介様、高木義明様、高鳥修一様、高橋千鶴子様、高山智司様、滝実様、竹下亘様、武田良太様、武部勤様、武正公一様、竹本直一様、田島一成様、田嶋要様、田中和徳様、田中眞紀子様、田中良生様、棚橋泰文様、田名部匡代様、谷公一様、谷垣禎一様、谷川弥一様、谷口和史様、谷口隆義様、谷畑孝様、谷本龍哉様、田野瀬良太郎様、田端正広様、玉沢徳一郎様、田村謙治様、田村憲久様、中馬弘毅様、津島雄二様、辻元清美様、土屋品子様、土屋正忠様、筒井信隆様、津村啓介様、寺田学様、寺田稔様、照屋寛徳様、土井亨様、土井真樹様、土肥隆一様、戸井田徹様、渡海紀三朗様、渡嘉敷奈緒美様、徳田毅様、冨岡勉様、富田茂之様、中井洽様、永岡桂子様、中川昭一様、中川秀直様、中川正春様、中川泰宏様、長崎幸太郎様、長島昭久様、長島忠美様、長勢甚遠様、中谷元様、長妻昭様、中根一幸様、中野清様、仲野博子様、中野正志様、長浜博行様、中村喜四郎様、仲村正治様、中森福代様、長安豊様、中山太郎様、中山成彬様、中山泰秀様、並木正芳様、二階俊博様、西博義様、西川京子様、西川公也様、西野陽様、西村明宏様、西村真悟様、西村智奈美様、西村康稔様、西銘恒三郎様、西本勝子様、丹羽秀樹様、丹羽雄哉様、額賀福志郎様、根本匠様、野田聖子様、野田毅様、野田佳彦様、野呂田芳成様、萩生田光一様、萩山教嚴様、萩原誠司様、橋本岳様、馳浩様、羽田孜様、鉢呂吉雄様、鳩山邦夫様、鳩山由紀夫様、葉梨康弘様、浜田靖一様、早川忠孝様、林潤様、林幹雄様、林田彪様、原口一博様、原田憲治様、原田義昭様、原田令嗣様、伴野豊様、東順治様、日森文尋様、平井卓也様、平岡秀夫様、平口洋様、平沢勝栄様、平田耕一様、平沼赳夫様、平野博文様、広津素子様、深谷隆司様、福井照様、福岡資麿様、福島豊様、福田昭夫様、福田峰之様、福田康夫様、福田良彦様、藤井勇治様、藤田幹雄様、藤野真紀子様、藤村修様、二田孝治様、船田元様、冬柴鐵三様、古川元久様、古川禎久様、古本伸一郎様、古屋圭司様、古屋範子様、保坂武様、保坂展人様、細川律夫様、細田博之様、細野豪志様、保利耕輔様、堀内光雄様、前田雄吉様、前原誠司様、牧義夫様、牧原秀樹様、増原義剛様、桝屋敬悟様、町村信孝様、松岡利勝様、松木謙公様、松島みどり様、松浪健四郎様、松浪健太様、松野博一様、松野頼久様、松原仁様、松本和巳様、松本純様、松本大輔様、松本剛明様、松本文明様、松本洋平様、松本龍様、馬淵澄夫様、丸谷佳織様、馬渡龍治様、三日月大造様、水野賢一様、三谷光男様、三井辨雄様、三ツ林隆志様、三ツ矢憲生様、御法川信英様、三原朝彦様、宮腰光寛様、宮澤洋一様、宮路和明様、宮下一郎様、武藤容治様、村井宗明様、村上誠一郎様、村田吉隆様、望月義夫様、茂木敏充様、森英介様、森喜朗様、森本哲生様、森山裕様、盛山正仁様、森山真弓様、安井潤一郎様、保岡興治様、谷津義男様、柳澤伯夫様、柳本卓治様、矢野隆司様、山内康一様、山岡賢次様、山際大志郎様、山口俊一様、山口泰明様、山口壮様、山崎拓様、山田正彦様、山中[あき]子様、山井和則様、山本明彦様、山本朋広様、山本公一様、山本幸三様、山本拓様、山本有二様、柚木道義様、横路孝弘様、横光克彦様、横山北斗様、与謝野馨様、吉井英勝様、吉川貴盛様、吉田泉様、吉田六左エ門様、吉野正芳様、笠浩史様、若宮健嗣様、鷲尾英一郎様、渡部篤様、渡部恒三様、渡辺周様、渡辺具能様、渡辺博道様、渡辺喜美様、綿貫民輔様、上祐史浩様、吉田恵子様、恩田敬様、田渕智子様、水野愛子様、藤本順子様、細川美香様、川口孝様、広末晃敏様、山口雅彦様、ヴァジラハーサ師様、ヴァジラウパスターカー師様、ヴィサーカー師様、アヴェッチャパサーダヴァンティー師様、チャックパーラ師様、ソーパーカ師様方に御報告致します。 ここまでに成した全ての御神業を、謹んで、非処女、非童貞の方々に、御報告致します。 ここまでに成した全ての御神業を、謹んで、両親様、御先祖様を通して、人類始祖夫婦様、人類の親神夫婦様に御報告致します。 ここまでに成した全ての御神業を、謹んで、私が授業を持った全ての生徒様、その御両親様、御先祖様に御報告致します。
2007.09.28
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今までに成した全ての御神業を、謹んで、K医師様とK医師様に、御報告致します。 神様は愛と霊界通信で伝えられています。現実に置き換えれば、神様=上の地位の方々は愛だという事です。そういう世界観の中に生きている事が、神様の世界に生きている事だと思われます。神様の愛の下で生きるだけ。私はそう思っています。 私は園の中央にある木の実を食べていないので。セックスをしていないので。神様の唯一の戒めを守り続けているので。 食べた方々は、セックスをされた方々は、へび様、サタン様の言う事を聞かれた方々なので、私とは異なる生き方になると思われます。サタン様の言う事を聞き続けるか、悔い改めるか、二つの道が有ると思われます。セックスをし続ける道を行くか、セックスを止める道を行くかと。私はどちらでもいいと思います。私にとっては、神様しかいないのであり、サタン様も神様の部下、或いは神様御自身だと思われるから。サタン様も神様と信じ続けて、サタン様の道を行ってもいいと思われます。勿論、統一教会方式、サタン様に負けた神様、ヤハウェ様を信仰してもいいと思われます。私にとっては全ては神様なので、何を選んでもいい、自分が一番やりたい事をやり続ければいいのです。 地球の神様は、イエス・キリスト様や仏陀釈尊様に地球霊界最高位の評価を与えているようです。即ち、霊的な事しか評価されていないという事です。この世的な事やってもやらなくても評価は変わらないようです。釈尊様は息子を捨てたのでした。息子の父親という地位を否定したのです。その彼が地球霊界最高の9次元、救世主の世界にいられるようです。この世的な価値観、地球の神様は何にも評価していないという事です。これが地球霊界の現実です。イエス・キリスト様もこの世的に何にもやりませんでしたが、同じく、地球霊界最高の9次元、救世主の世界にいられるようです。気持ちだけしか評価されていないのではないでしょうか。現実的に実績、何も達成していませんが。そのイエス・キリスト様の道を引き継いで、キリスト教世界を創り上げた方々、一杯いらっしゃいますが、その実績のある方々が上の霊界にいられるという情報を知りません。おそらく、イエス・キリスト様の霊流の下流の世界にいらっしゃると思われます。実績関係無いみたいです。 魂が異なるという考えは私は採用致しません。その考え方を受け容れられるだけの能力、私には無いから。人生の勝負、一度限りだと私は思っています。即ち、イエス・キリスト様も自分の人生だけで、地球の神様から、それだけの評価を与えられたのだと私は思っています。魂の過去世の遺産で、その霊位を得たのではなくて。人生一度きり。人格が異なるのに同じ魂という考え方は、要するに、人格の否定になります。神智学の世界になります。神智学は低我=我々の自我否定の教えなのです。要するに死の教え。自分を否定しているのだから。自分ではない者を生きろという事は自我は死ねという事でした。要するに無駄。人生全部無駄だという教えです。神智学の生き方、何の意味も無い。虚無の世界観になるだけでした。自分を否定した生き方、何の意味も無い。 大体、どの宗教でも僕になれという教えばっかりです。主宰者の奴隷になれという教えばっかり。そういう宗教者ばっかり。自分中心の生き方したいのですね。世界征服したいのですね。自分以外は皆奴隷にしたいと。そういう欲望の世界、私は無意味だと思っています。意義を全く感じません。神様=愛不在の世界観。勿論、そういう世界観の中で生きたい方はそうすればいいのです。麻原彰晃様もやった生き方でした。サタン様を信仰すると、そういう生き様になると思われます。競争社会の結末。最終勝者は一人。他は皆奴隷。勿論、下剋上もあるでしょう。一番になっても永遠に一番でいられるわけではないのです。そういうサタン様の生き様をやりたい方はされればいいと思われます。私は何の興味もありませんが。 セックスをする生き方って、そういうサタン様の生き方なのです。自分より弱い者を犯すと。強い雄の生き方。自分中心の生き方なので、業を背負い続けてしまう。地獄に行く生き方になってしまう。 私は自分中心の生き方を否定しています。業を背負う生き方を否定しています。弱い者が全部犠牲にされてしまう生き方だから。自分の家族のうち、弱い者がその背負った業の犠牲者になってしまう。愛する自分の家族を犠牲にし続けるのが、成功者、即ち、自分中心の生き方をしている方々の生き様なのです。 セックスをするという事は、そういう世界に参入するという事でした。 私はそういう世界観、そういう霊界と闘い続けて、霊界を変え続けているのでした。この世的に何にも評価されていませんが。それでも為にひたすらやり続けているのでした。人類の縁の下の力持ちをやり続けているのでした。そういう霊界の住人です。 この世ではサタン様の生き方が評価されています。サタン様中心だから。弱肉強食の生き様の勝者が評価されているのでした。私はそういうサタン様の囁きには絶対に耳を貸しませんでした。そういう生き方をしない。私の遺伝子には、そういう生き方をしないようなインプットがなされていたのでしょう。だから、神様の子と言っています。自分中心の魔王様になる生き方をしないから。文鮮明様も自分中心の生き様をやっています。私にはサタン様に見えます。自分中心の王国を創っています。だから、祝福を受けて、韓国にお嫁に行って子まで授かった空が好きhttp://plaza.rakuten.co.jp/sugar925/ 様が、原理を完全に否定しているのでしょう。一番為に生きていなければならない中心者が自分中心の生き様になってしまったら、もう神様的に見れば終わりでした。そういう事、世の中に一杯ありますので。麻原彰晃様もまさかああなってしまうとは。教団の被害者賠償の実績 (2006年現在) 新団体アーレフでの支払額 6億2016万5715円 これまでの教団の被害者賠償支払総額 15億424万5252円 +α(諸計費) (被害者賠償債務総額に 対する割合 39+α%)被害者賠償金のお支払いについて(2007年09月27日) 昨日(9月26日)、当団体は、被害者賠償金として金200万円をオウム真理教破産管財人の口座にお振り込みさせていただきました。 以下の通り、今回のお支払いは、アーレフ代表派当時から含めると5回目となりました(本年5月の「ひかりの輪」発足以降は2回目)。・2006年 9月20日 400万円・2007年 1月29日 200万円・ 同年 3月 5日 200万円・ 同年 6月13日 200万円・ 同年 9月26日 200万円―――――――――――――――――― 計 1200万円 当団体は、今後も引き続き賠償金のお支払いに努めさせていただく所存です。 私のやっている神様の摂理の道から逃れて、「アーレフ」または「ひかりの輪」の道に行く場合は、賠償金の現実を背負わなければならないと。神様から逃れる事はできないのです。業を背負うという事は怖ろしい事なのです。必ず、清算しなければならないのです。成功者の陰を見ているから、成功者やらない、自分中心の生き様やらないのでした。犠牲を出して、永遠の後悔したくないから。自分中心の生き様をした分、サタン様が背負っている人類の業を背負わされるので、その分、犠牲を払わされるのです。カルマ、逃れる方法無い。 アーレフの聖者様方、クンダリニー・ヨーガの解脱者6人だけ。ジュニヤーナ・ヨーガ(マハー・ムドラー)の成就をして、阿羅漢と。まだ、阿羅漢もいないのでした。動物界である欲界の天界か阿修羅界程度と。 聖者の道を行くのなら、セックスをしてはいけないのでした。女を犯した分、女が背負っている業を背負わされてしまうから。女を愛するという事は、完成夫婦への道を行くという事でした。それをしないのなら、犯した事になってしまう。サタン様、地獄の人類の親様はそう判断するでしょうね。もうセックスをしない道を選んだ場合は、セックスした分、業を背負わされたのです。別れた女もまた別の男とセックスをするでしょうから、その時点で離婚成立しますので。別の男とセックスをするまでは、自分の女なので、責任取らされ続けますが。自分に操を立てられているのでね。霊的に繋がっている事になると思われます。夫婦の道は一対です。一夫多妻、多夫一妻は動物界です。人格を犯しているだけ。人間の道ではありません。 操を立て続けるという事は、人間の道を行く場合の最低限だと思われます。私も操、物凄く感じるので。動物界の方は操の意識無いみたいです。強い雄を選ぶ雌の意識。強い雄に犯されて、その分、自分の業を背負ってもらいたいというのが雌の意識のようです。操無い。だから、勿論、雌と結婚してはいけないのです。人間の女と結婚しなければいけないのです。雌は結婚生活無理。人格を育て合う生活無理。自分の事を雄という目で見ているので。愛し合う生活にならないのです。 サタン様世界は、ハーレムの感覚に見えます。気持ち悪い世界。抱かれたい雄の順位付けとか、好感度とか。完全にハーレムの感覚です。動物界である欲界の天界が映っている。 女の人格を犯すと、その分、自分の人格を犯し返される。やった事がやられる事だから。だから、愛の無いセックスをすると損なのでした。人格(神格)という高級なものを失ってしまうのだから。人間ではなくなってしまうのだから。大損害だと思われます。 私は教師としての道を前進し続けているのでした。もう新たな生徒はいないけれども、過去に教えた生徒への教師としての責任、人の道を前進し続けるという事をし続けているのです。セックスをした瞬間に、私の生徒ではなくなりますが。人生の先輩になってしまうから。私を背負い続けるという道に入ったわけですから関係は永遠に続きますと。御仕事だから、当然、永遠の責任を取り続けています。御仕事、そういうものですよ。自分が成した御仕事の成果、永遠に自分のものだと思います。その分、神様から、霊界の座を戴くのですから。人生多分一度しかないけれども、その人生の過程で自分が成した事の責任は永遠だと思われます。 だから、自分が為す事の結果責任を永遠に取らなければならないという事を常に自覚し続けていなければいけないと思われます。 ここまでに成した全ての御神業を、謹んで、非処女、非童貞の方々に、御報告致します。
2007.09.28
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理解と意志の結婚は私たち自身の内でまず成就される事が必要に思う。というのも例えば私たちは誰にでも優しく、寛容で、忍耐強くあるべきだと知っている。だからそうすることを意図し、そうするべきだと思っているが、実際に誰にでもそうすることはなかなか困難な話だ。つまり理解と意志は、いまだに私たちの内部で結婚していない訳である。 「霊的世界、心、現実」は一本の線で結ばれている。だから内的自己の統一はその人が知っている事が実際に出来るかどうかで推し量る事ができるだろう。それは自身を見つめる時の指標になりえると思う。 「知っている事ができる」という事は、私たちが認識しているよりも遥かに難しい課題であると思う。そのような意味では「如何にすべきか」を私たちは十分に誰でも知っている。「あるべき」と考えつくには、そう難しい知識は必要ない。それよりも今「あるべき」と解っている事をできるようになる事の方がはるかに大切なのだといつも思う。 ゆるやかにでも、理解と意志の結婚を自分の内に成し遂げたいと思う毎日である。 -引用終わり- 今成した御神業を、謹んで、全ての非処女、非童貞の方々に御報告致します。二つの個性が互いに認め合い、一つになるほどに心を同化させる霊的結婚の境地を目指す価値はあると思われます。霊的結婚の境地を、謹んで、私が授業を持った全ての生徒様、その御両親様、御先祖様に御報告致します。
2007.09.27
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今までに成した全ての御神業を、謹んで、ヤハウェ様、文夫婦様、イエス・キリスト様、上の地位の皆様、非処女・非童貞の皆様、T課長様、N校長様、人類始祖夫婦様、御先祖様、深見東州様、松本智津夫様、福田康夫様、小泉純一郎様、松沢成文様、小沢一郎様、天皇明仁様、George Walker Bush様、James Gordon Brown様、Elizabeth Alexandra Mary Windsor 様、潘基文(パン・ギムン)様方に御報告致します。 ここまでに成した全ての御神業を、謹んで、シュッドーダナ様、マーヤー様、マハープラジャパティー様、ゴータマ・シッダッタ様、ヤショーダラー様、ラーフラ様方に御報告致します。 ここまでに成した全ての御神業を、謹んで、両親様、御先祖様を通して、人類始祖夫婦様、人類の親神夫婦様に御報告致します。 ここまでに成した全ての御神業を、謹んで、私が授業を持った全ての生徒様、その御両親様、御先祖様に御報告致します。-引用開始-http://yawatakoma.blog46.fc2.com/blog-entry-179.html霊的結婚 17世紀の後半スウェーデンに類稀な天才が生まれている。11歳で大学に入り、数学、物理学、天文学、生理学などを自在に操り政治家にして有能な鉱山技師でもあった。ニュートンとも親交の厚かった万能の天才が最後に向かった先は霊界の探求だった。彼は稀代の霊能力の持ち主でもあり、その能力を如何なく発揮して霊界に参入し詳細な観察ノートを残している。彼とはイマヌエル・スウェーデンボルグその人である。 彼の観察は非常に多岐に渡っているが、その中から今日は思うところあって霊的結婚について書いてみたいと思う。 というのもいくつかの過去世を思わせる記憶を辿っていった時に、結構な重みを持って女性の存在が自分の人生に大きく関わっていた事らしいと最近思い当たったからである。いつもなら気学や易を使って紐解くところであるが、これもまた面白かろうと思う。 スウェーデンボルグは天界の結婚について次のように記述している。「天界と地獄」からの抜粋(青文字)。 「心は二つの部分からなり、その一つは理解と呼ばれ、他は意志と呼ばれている。この二つの部分が一つのものとなるとき、それらは一つの心と呼ばれる。その時、夫は理解と呼ばれる部分を作り、妻は意志と呼ばれる部分を作る。内部の連結であるこの連結が彼らの身体に属したものの中へ降りるとき、それは愛として認められ、また感じられ、そしてこの愛が結婚愛である。・・・中略・・・この事は天界では共に住むことと呼ばれ、彼らは二人ではなくて、一人であると言われ、それで、天界では二人の配偶者は二人の天使とは呼ばれず、一人の天使と呼ばれている。」 この一文のメモ 彼の観察した天界では霊は「天使」と呼ばれている。また天使とは人間の事だとしている。 男性は理解から考えるように生まれ付いていて、女性は情愛的で意志から行動するように生まれ付いていると別項に書かれている。 真理と信仰は理解に属し、善と愛は意志に属している。 「何故なら一方は他の一方のように、引いては相互的に、または交互的に意志し、考える事を愛する以上、妻の意志は夫の意志であり、夫の理解はまた妻の理解であるから。このように彼らは連結して一人の者となっている。この連結はまことの連結である。何故なら妻の意志は夫の理解に入り、夫の理解は妻の意志に入っており、この事は特に彼らが互いに他の顔を眺めるときに行われる。・・・中略・・・一方はその者の全てのものが他方の物になるようにと願い、しかもそれが交互に行われているのである。」 この一文のメモ つまり夫は妻に理解(真理と信仰)を与えようとし、妻は意志(善と愛)を与えようとする。 見詰め合う事で情報交換をしている。 別項には思考と情愛とが伝達されると書かれている。 「二人の配偶者がこの様に連結するに応じて彼らは結婚愛におり、同時に理知、知恵、幸福にいるのである。何故なら理知と知恵と幸福の全ての発生してくる根源である神的善と神的真理とは第一次的に結婚愛に流入するからである。従って結婚愛はまた善と真理との結婚であるため、神的なものが流入してくる面そのものである。・・・中略・・・何故なら人間が意志する(欲する)ものは、その者には善であり、彼の理解するものは、彼には真理であり、・・・」 この一文のメモ 善とか真理とかはその人の理解力に応じている。 高いレベルでの真理(夫)と善(妻)の結合は神的なものの入り口になる。 別項には善と真理の連結は、天界と地上にいる全てのものに対する神の愛に起源がある。 善と真理に居る者によらなければ、真の結婚愛が何であるかを知る事は出来ない。「イエスは答えて言われた、「あなたがたはまだ読んだことがないのか。『創造者は初めから人を男と女に造られ、それゆえに、人は父母を離れ、その妻と結ばれ、二人のものは一体となるべきである。彼らはもはや、二人ではなく一体である。だから、神が合わせられたものを、人は離してはならない。」マタイ福音書19 「宇宙のあらゆるものは善と真理に、またその善と真理との連結に関連しており、それゆえ、二人の結合の状態はその心を形成する真理と善の状態に全く似ており、従って純粋な諸真理と諸善から形作られた二人の心の結合は最も完全である。二つのものであって、真理と善以上に互いに愛し合っているものはない事を知らなくてはならない。・・・中略・・・誤ったものと悪いものもまた、互いに他を愛しあっているが、しかしこの愛は後に地獄に変化する。」 この一文のメモ 愛は良いものの中にも悪いものの中にも存在する。 最も強い愛は真理と善の中に存在しており、男女(夫婦)はこの表象である。よって、真理と善に目覚めた夫婦の愛は最も強く、その中に天国を映し出す。 この愛は心の最も深いところから湧き出ている連結する力である。 「すなわち・・・善に連結している諸真理が純粋であるに応じて、結婚愛も純粋である。・・・何人も主(神)と主(神)の神的なものを承認しない限り、真の結婚愛にいることは出来ない。何故ならそのことを承認しないならば、主は人間の中の諸真理に流れ入って、それと連結させる事はできないからである。」 この一文のメモ 神の愛を受け入れるかどうか、その選択権は私たちの側にある。 「真の結婚愛の祝福の変化は数千も数えられる事ができるのに、その中の一つさえも人間には知らされておらず、また主から善と真理との結婚にいない者によっては把握される事はない。」 メモなし。 「一人が他の一人を支配する事を求める愛は結婚愛とその天界の幸福を取り去ってしまう。」 メモなし。 「天界は以下の点で地上の結婚とは相違している。即ち、地上の結婚は子供を生むためのものであるが、天界では、そうした出産の代わりに、善と真理とが生み出される。」 メモなし。 今回は思うところがあって霊界での結婚を取り上げてみた。スウェーデンボルグは数十年にわたって霊界を訪問したとあるから、その情報量は莫大である。 彼は天界を大きく三つの階層に分けて観察しているが、霊的結婚を果たし一つの心となった霊は一段高い世界に昇華して天界に花を添える。 もちろん、真理と善は私たち一人一人の中にも存在しているのだから、必ずしも結婚が必要とされるわけではない。けれども、二つの個性が互いに認め合い、一つになるほどに心を同化させるのは天界においても稀な事だといわれる。 別項ではスウェーデンボルグが出会った霊が、霊の結婚を数千年ぶりに見たと証言するシーンも出てくるが、それほど稀なのも心を一つにすることの難しさを考えると妙に納得してしまう。天界には様々なイベント?があるといわれるが、とりわけ霊の結婚は素晴らしく天界のダイアモンドとまで賞賛される。 もし私たちが自己の内部において真理と善を合一させる事ができるなら、そしてその真理と善がより純粋なものであるなら、かような美を自身の内に表す事ができるのかもしれない。 ところでスウェーデンボルグは、理解は「真理・信仰」であり、意志は「善・愛」であると言っている。 信仰というと些か宗教色が強くなるが、例えば私たちは地球が太陽を回っていることを知っており、朝になれば陽が昇り、夕方には沈むと知っている。「知っている」という事は疑う余地無く、信じている事に等しいと言っているように思えてならない。 あるいは知る事、理解する事は信念を強めるものであると言い換えることが出来るだろう。この事は当ブログでもシリーズとして扱っている「潜在意識による願望実現は可能か」にも大いに関係してくる点だ。 というのも願望を実現する能力を身に付けるためには、心の働きと現実の関係の理解を深める必要があるという示唆として捉える事ができるだろう。だから「信じれば実現する」。。。もちろんそうだが鰯の頭も信心からの類では少々心許ないという事になろう。
2007.09.27
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この世の中、自己中心の競争社会でした。そういうエゴの社会をやっているのでした。奪っている世界。だから、上の地位の方ほど地獄界になっているのでした。勿論、為に上の地位になっていたら、偉い存在になります。しかし、今のところ、一人もそういう方を知りません。上の地位についていても、下の地位の者達と同じ食事をして、同じ家に住んで、同じ服を着ている、即ち、贅沢を全くしなかったら、為にやっている地位だと思われます。そういう事をなされている方を偉い方、尊敬できる方だと思います。でもそういう方、今までに一人もいらっしゃいません。上の地位になると、その分、贅沢をされるようです。勿論、自分が積んだ徳分を遣ってその地位についたのだから、当然の事ですが。でもそれは人間界ではありません。欲界の天界です。動物界。今、霊界から、情報が入りましたが、イエス・キリストも動物界だそうです。 人間界というのは、為に生きた分だけです。自分の徳分を分かち合った分だけです。人類への貸し越しの分だけです。だから、妻、そして、子から始まるのです。勿論、可愛いと思わない妻と自分の徳分を分かち合おうとは思わない。別々の勘定にしようと思う。可愛くない子と自分の徳分を分かち合おうと思わない。別々の勘定にしようと思う。神も当然そう思っていると思われます。 私は女は神の化身と感じます。自分が神に仕えた分、女から美を受けるのです。そういうレベルです。そういうレベルでない方を女とは感じません。自分より上の地位の方々、自分の業のゴミ箱をされている方々、自分にとって女ではない方々と感じます。業を背負わせる方々は自分にとって女ではありません。男です。自分より上の地位の方々。私の世界はそうなっています。女の姿をしている男、一杯いると。自分に業を背負わせる方々は自分にとって女ではありません。上の地位の方々です。自分より上の地位の方は女ではないのです。姉、母、祖母等に相当すると思われます。 女は物凄く可愛いのです。自分を分かち合いたいと思わされるのです。女というのは、そういう存在だと思われます。神的。神を感じるのです。神に仕えた分、自分の下の地位の存在、女、妻、息子、娘を神から授かるのであると私は思っています。自分の現実を得る為にひたすら、働く、神に仕えるのでした。神の為に生きた分しか、自分の地位無いのです。個性完成というのは、自分の肉体を得るという事です。自分の心が自分の体の親になるという事です。夫婦完成というのは自分が妻の親になるという事です。勿論、妻が自分の親になるという事でもあります。親になるという事は自分達夫婦が子の親になるという事です。ひたすら、神の為に生きた酬いとして。ひたすら、神の為に生きて、個性完成、夫婦完成、親としての完成への道を前進するだけです。自分の現実の地位と社会とは鏡の関係です。自分の現実の地位が無いと、他の現実の地位の為に生きられないのです。酬いの無い事誰もできないから。 前借りの人生なんてあり得ないという事がお解り頂けたと思われます。自分が与えたものが自分の受け取るものだから。与えていないものは受け取る事はできないのです。 自分中心で生きては駄目です。その分、自分より下の地位の者達を犯し、サタンにその分犯し返されるだけだから。自分より下の地位の者達の為に生きた分、自分の地位が与え返されてくるのです。上の地位、サタン、地獄になっているだけでした。 ここまでに成した全ての御神業を非処女、非童貞の方々に、謹んで、御報告致します。 ここまでに成した全ての御神業を、上の地位の方々に、謹んで、御報告致します。 ここまでに成した全ての御神業を、天命界の親神様に、御報告致します。
2007.09.27
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統一教会の方々は、自分の両親の事をサタンだと言われて、文夫婦の事を真の父母だと言われて、それを信じた方々です。私に言わせれば、自分が自分の両親から愛された以上の愛を統一教会の方々から受けたのかどうかという事です。本当に受けたのであれば、それは正しいのかもしれません。でもそう言われただけで、自分の両親の愛を否定してしまったとすれば、貴方はかなり傲慢な方だと思われます。 私は現実主義者なので、現実を見ています。現実を見て、判断致します。多分、統一教会の方々は、自分の両親よりも、統一教会の方々から愛されたから、統一教会に入ったと思われます。人間、誰も損な事はしないというのが私の基本的な考え方だから。もし間違っていたと思ったら、統一教会員である事をやめる筈だから。 結婚していても、さらに子を授かっていても、離婚される方は離婚される。カルマ的に考えれば、子に離婚の苦しみを与える事は、もし来世が有った場合に、離婚するカルマを持っている両親の下に生まれさせられてしまう因を自分で創ったという事になります。勿論、魂はカルマの法則を知っているので、そういう覚悟をして、離婚という選択を為したという事になります。そういうカルマを創る事になっても、それでも、離婚したかったから、離婚したと私は受け止めます。私はそこまでの魂に対する信頼があるのです。魂がカルマの法則を知らないなんて、そんな馬鹿にした事は思わないのです。あり得ない。 私は自分の両親を否定しませんでした。統一教会員から、両親以上の愛を受けなかったから。真の父母だから、私達の為に働きなさい、こんな馬鹿な事、受け容れるわけなかった。一体何様のつもり。私の両親をサタンだというのなら、真の父母である貴方方はもっと大きな愛情を与えてくれなければ証明にならないと思った。私は現実主義者だから。 当然の事ながら、実の両親よりも大きな愛情を与えてくれるわけもなく、僕になる事を要求してくるだけの事でした。自分達は偉いのだからと。どこが? 全然偉い存在ではありませんでした。 私は思うのですが、実の両親よりも、自分の事を愛してくれる存在はいないと思うのです。至極、当たり前の事ですが。自分のものでないものを愛せるわけない。そういう至極、当たり前の感性が私にはあった。私は素直に、正直に生きているから。無理をしないから。 しかし、統一原理を学んで善かった事があります。それは神の人格を知った事です。神にも人格があるという事を知った事は最大の収穫でした。だから、神の子に成れた。神に条件を積み重ねる事によって。一番の条件は園の中央にある木の実を食べないという事です。個性完成するまで、セックスをしないという事です。死にたくなかったから。これで人類始祖の失敗を再現しなくてすんでいます。 統一教会では、祝福を受けて、文夫婦と完成への道を歩むと言っていますが、それは非常に遠い道である事が私には解った。私はエゴイストではなかったから。人類全体が救われるまで個性完成はできないという事はすぐ解った。神の気持ちを考えればすぐ解る事です。神は人類全員の親なのだから。私は自分に厳しくないので、神に条件を積む前に、セックスを先にしてしまうのはサタンの誘惑、試練だと思った。そういう厳しい道に自分を追い込むと危険だと思った。全て稼いだ後。借金はしないと。 先にセックスをする道は、前借りだから、非常に、辛い、辛い、辛い、…、辛い道程になると思われました。私には無理だと思いました。私はやりたくない事やれない人だから。私は地道に一歩一歩歩んでいく人なのです。主体性放棄などしない、できない。前借りをしたら奴隷にされてしまうと。 サタン霊達との闘いは苛酷なものです。ここまでやるのかという、全く容赦のない者達です。そういう体験を一杯すると、自分に厳しくなります。甘い事しなくなります。その私から見ると、ふーん、そういう事するんだ、という事が一杯あります。自分に甘過ぎ。勿論、後で、苦い体験をさせられてしまう原因を創っているのです。人間って、そういう生き物なんだ、と学ばせて頂いています。 人間は神の子なのです。神は人間中心なのです。即ち、宇宙創造の責任を子である人間に取らせているという事です。 神の気持ちになってみい。散々苦労して、宇宙を創った。そして、最後に自分の子である人間を創った。それまでに成した苦労の酬いを得たいと。その酬いを与える存在が人間だと思われるのです。人間関係そういうものではないのですか。親の気持ちとして、毎日苦労して子育てさせられている。その子供が自分を認めてくれなければやっていられない。宇宙の中に、自分を認めてくれるのは人間しかいないのです。自分を認めてくれるのは自分の子しかいないのです。自分の人生の分かち合いができるのは自分の子だけなのです。そういう親の気持ちが神の人間に対する気持ちだと思われます。私の中にあるのは、そういう気持ちであり、そういう気持ちの世界を生きているだけなのです。ごく、普通の人間性です。 統一原理では、サタンに負けている神観が描かれています。全て、神の被造物なのに、どうして、神に勝つサタンができあがったのですか。あまりにも馬鹿げています。勿論、どういう神観を持つかは本人の自由なので、干渉する事はできませんが、私が意見を述べるのも自由だと思うので述べさせて頂きます。もしかしたらですよ、もしかしたら、サタンが神の化身ではなくて、神御自身なのではないかと私は疑っているのです。 統一教会に出てくるヤハウェの方が自己中心的、自分中心的だから。文鮮明を称賛するばっかりで、人類への親の気持ちが全然無いから。貴方、本当に人類の神なの? 私には全くそう思えなかった。 ここまでに成した御神業を、謹んで、私の両親、御先祖様方を通して、人類始祖夫婦に御報告致します。 これは神の人類始祖への思い入れだと思うから。遥か下の地位の私への神の思いではないから。永遠に人類の親である人類始祖への神の思い入れの思いが来たので、これは私への思いではないので、お返し致しました。-引用開始-http://blog.goo.ne.jp/coltster/e/9b1e8de9e9d86d9639cf1e915dd063b9道理で、戦争や犯罪を無くす事を考える。聖書と平和因果律とスケープゴート 2007年04月06日 / キリスト教 親の因果が、子に報いと言いますが、これが、因果律とスケープゴートをよくあらわしてると思います。 組織の上の者が何か悪を行うと、その罰が1番下の者(弱い者)に出てしまいます。 それで、自分の悪に気付けば良いのですが、気付かずに罪を重ねる人もいます。大変なのはその罰を受ける者です。(ヨブ記12.6) だから、1番強い者が1番後ろにいて、弱い者に罰が出ないように、1番前の者に正しい道を教えるのが良いのです。-引用終わり- 神は私を罰しました。ひたすら、神中心で神に仕えていた私を。私は何か不信仰をしたのでしょうか。私は人類の中でも有数のアベルだったと思われるのですが。神はサタンをやっている方々ではなくて、アベルをやっていた、神への信仰を貫いていた私をひたすら、サタンとして攻撃し続けて、殺そうとまでして、徹底的に痛めつけました。それでも、私はひたすら、神の愛を信じ続けました。人間はそうするしかないと思っているから。その私から、神は希望を奪い去り、もう何も持っていない私にさらに、サタン教員霊達をつかわし、さらなる試練を与え続けているのです。私はその試練に対抗する為に、自分中心な事はしない、為にしか生きないという事をさせられ続けているのです。これが神が私にやっている事です。 おそらく、神はこれほど、人類を恨んでいるのでしょう。 ここまでに成した御神業を、謹んで、私の両親、御先祖様方を通して、人類始祖夫婦に御報告致します。 人類始祖夫婦への恨みをひたすら、神は私に投げつけ続けたと思われるから。 ここまでに成した全ての御神業を非処女、非童貞の方々に、謹んで、御報告致します。私への恨みではなくて、貴方方への恨みだと思われるから。 ここまでに成した全ての御神業を私を裁いたT課長とN校長に御報告致します。 ここまでに成した全ての御神業を天命界の親神様に御報告致します。 ここまでに成した全ての御神業を私の上の地位の方々に謹んで御報告致します。ついに万物復帰致しました。 統一原理の間違っているところは、神が失敗して、文鮮明がやり直しをしたと思っているところです。だから、文夫婦が自分達の事を真の父母だと言っている。そんな馬鹿な事を神は認めるはずないんです。だから、文鮮明はサタンになってしまったのです。神中心ではなくて自分中心だから。 神は人類始祖夫婦を真の父母として立てるしかないのです。自分は常に正しい存在でしかあり得ないのです。文鮮明よ、神の立場に立ってどう思われますか。自分は神より偉い存在なのですか。今成した御神業を謹んで文夫婦に御報告致します。 この世の現実の地位と、あの世の霊位とは一致致しません。神の為に犠牲を払った量が多い者ほど、上の霊位になります。当然の事です。霊位は内的心の世界だから。自分中心で生きた者ほど下の霊位になります。神から遠いから。霊界はそうなっています。文鮮明はこの世の通りにあの世がなると言っていますが、間違っています。この世は自己中心の世界だから。自己中心、自分中心であるほど、上の地位になるからです。為に上の地位についている方、一人もいなかったからです。
2007.09.27
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これは一緒に生活をしてこなかった恋人同士でも当然はじめに起きることでしょう。当たり前の事実。二人の人がいればその二人は違う現実を生きているのです。まったく同じ空間を共有しているのにも関わらずです。(あらためて文章に書くとすんごいことに思えますが滅茶苦茶当たり前のことですよね。(笑)) だから会話の中に自分のことを全てこの人は分かってくれる。分かってくれているはず。絶対にこの人はいつも私の味方。よき理解者だ。というのは確実に誤解を生むのです。人はどんなに一緒に暮らしても、一緒の生活の空間を共有しても同じTV番組をみたって違う意見を持つのです。。。 先日TVで超能力者が超能力を証明できたら1億円!という特集番組をやっていて、気になった私は思わず見入ってました。で、20枚の絵が分かっているパネルを5枚以上(だったと記憶してます。すんません。)、伏せた絵を当てれば超能力と認定しよう。というお話で確か1枚しか当てられず、あなたは超能力者なんかじゃない!と断定した番組構成でした(以上全部私の記憶です。間違ってたらごめんなさい。)。 で、番組見ていてすごい!って逆に感動したのはもっともらしさの原則からいけば、いかにも10枚も的中させれば超能力!って言いたいのですが、始まる前から、全部外すのも逆にそれ能力だぞ。って思ってました。。。20枚のパネルを1枚当てるのは単純に1/20の確率で誰でも当てることが出来るのですが問題はそのどちら側で能力が働くか。。。という前提が全く抜けてることです。当てるのが超能力!って言ってましたが(当然透視能力なんで絵が見えてるという前提なんですが。。。)、私は全部外したらそれはそれで超能力だって思ってました。なにせ全部外すのもかなり難しい所業です。だから超能力者だ!と認定する方法がそもそも前提条件がずれてる。。。って思いながら見ていたんです。。。(といってもあの磁石人間はなんともですが。。。(笑)) 逆に私はあの番組を見ていて、科学的という考え方の枠組みの限界を見事に感じましたし、いかにも論理的なものは論理という枠組みのごく一部しか扱っていないとも思いましたし、見えているものすら見えず、見えないものを見えるという人とその意識をこういう形で寸断しちゃうんだな。。。と妙な感慨を持って番組を見ていました。改めて超能力を科学的に証明することの意味のなさを感じた次第です。。。(だって確率的に高い事象をただ起こすだけなら統計的に1回の番組でなくて平均を取る意味でも数百回の実験を通して確率論と統計論すべての科学的評価の上できちんと証明出来ないって認定して欲しいです。私としては。。。)。 実に無駄な時間だった。とは思わなかったのです。なぜならその番組を見ながら、人がある事象を見た時にどういう反応を示すのかをまざまざと見られたから。。。私はちなみに目に見えて使える超能力はありませんが、超能力者だと思っています。それは人にある能力が私になくて、私にある能力が人になかったりするから。(だってはずかしげもなく自分の意見をどうどうと言い張り、論じることが出来る能力って普通の人にはないでしょ?(笑) それだけで私は能力者だ!って言い切ってます。私。なにせ漫画家は未来を作り出す能力者だと思ってますし^^ゞ暴力映画を撮る映画監督は世間を悪い方向へもっていく能力者だと思ってますし。) 人が人に影響をなにがしか与える以上、その影響力は能力と言っていいはずです。でなければ能力者って何を能力って言うのでしょう。。。(それ一つ取り出しても絶対に人によって解釈バラバラのはずです。。。)。だから私が思っているリアルは絶対に、このメールをいつも読んで下さっている方々にとってもリアルでありえないし、理解の一助にはなっても同じリアルを持つ事は真に難しいことなんだけどね。ってただ言いたかっただけなんですよ。ははは(笑)。今日の着眼着手【00158】着眼大局:あなたのRealは私のRealではない。着手小局:逆も真なり。自分が全てと思うのは愚かである。編集後記 最近私の物言いが変わってきたらしくて妻によく怒られます。前はそんなこと言わなかった。どっからそんな言葉が出てくるの?って聞かれるたびにふと思うのです。あ、そっかこの私の妻は私ではないんだ。というごくごく単純なリアルを思うのです。自分が主人公でこの世の中を生きていますが、誰しもがこの世界を自分が全てと思っている以上に複雑で奇妙で単純じゃない精密さで構築されている事象を色々な受け止め方をしながら自分の中に刻み付けて日々を過ごして行くんだなぁ。。。と。 当然その刻み付けられた年輪を持って人は自分の未来を予測し事象に当たっては自分の中のリアルで判断し、不可解な事象は適当な判断を割り当てて生きて行く訳です。罪とまではいいませんが、少なくとも私たちが目で見て初めて理解できることは目の見えない人にとっては絶対にリアルではなく空想の中でしか語れないものです。逆に目の見えない人にとってのリアルは本来、見える人も目を閉じれば感じられるリアルなのに人は見えるものだけを信じる訳です。。。めっちゃ私には不思議ちゃんです。人間って生き物は。。。着眼大局・着手小局-Think Global , Act Local-聖書の御言葉は口語訳を引用させて頂いております。聖書口語訳:(c)日本聖書協会 Japan Bible Society, Tokyo 1954,1955-引用終わり- ここまでに成した全ての御神業を天命界の親神様に御報告致します。 ここまでに成した全ての御神業を非処女、非童貞の方々に、謹んで、御報告致します。
2007.09.26
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サタンは自分中心を選ぶか、神中心を選ぶか、そういう試練を人類に与え続けています。自分中心を選んだら、その分、地獄の責任を取らせています。自分中心は地獄だから。サタンは勿論、神中心であり、人類中心です。為に生きています。為に生きた分、自分の地位も与え返されてきます。そうやって、全ての存在は存在し得ているのだと思われます。全ての非処女、非童貞の方々に、謹んで、御報告致します。 私は肉体を自分だとは感じません。肉体の生というのは、私にとって存在し得ません。肉体は、あくまで、体であって、自分の為に用いるものだと思っています。私の肉体は私の霊の為に生きているのです。私の霊は、為になる事を要求します。だから、私の肉体は為に生きているのです。肉体の自分というものはありません。だから、霊としての自分が嬉しい事をするだけです。肉体の自分は無我。 肉体の我で生きているという事が、園の中央の木の実を食べて死んでしまったという事です。その方々は、肉体ゲームの中で生きている気になっている方々だと私は感じます。霊の自分を自覚しなくなっている状態になっていると。しかし、回復方法がわからないので、そのゲームやり続けるしかないと現状では思われます。セックスをしたという事は、人生の最終審判をされたという事なのでしょう。肉体ゲームの中に、参加させられて、抜けられなくなったという事なのでしょう。私にはそう感じられます。 だから、肉体ゲームに参加したいか、参加したくないかが、セックスをするか、しないかを決める理由になると思われます。私は天命界で、超神霊として、生きていたいと思っています。肉体ゲームというのは、私にとって、費用がかかり過ぎるのです。喜びの分だけ、苦しみを味わわなければならない、そういう仕組みになっていると私は感じています。快楽はその分、地獄の業を背負わされるように感じています。即ち、この世の快楽は地獄の苦しみで成り立っているという事です。だから、快楽を味わった分、地獄の苦しみを背負わされるのではないかと思うのです。 社会はさらなる快楽を求めて、苦しみを増やし続けています。どんどん過酷になっていくと思われます。私は主体的に生きているので、自分が本当にしたいように生きればいいと考えています。私が与えられる言葉は、「肉体は地球からの借り物」だという事です。または、貴方は霊であって、肉体の思いの中に住んでいる存在だという事です。だから、思いの世界が重要だという事です。肉体の生活環境は殆ど関係無い、自分の思いの世界が重要だという事を理解して、思いの世界を幸せにする事が生きる目的だと思えれば、かなり、霊的に成れたと思われます。 肉体の快楽を追求すると、その分、肉体の苦痛も増えます。自分がそうしたくなかったら、やめるべきです。私はそれが、肉体的苦痛を減らす方法だと思っています。勿論、快楽を重視している方々は、問題ありません。その分の苦痛を乗り越えられるのだから。私は乗り越えられないので、下の地位、未来に下がっていかざるを得ません。神の愛の世界が実現している世界に生き続けるだけです。その世界が、自分に合っているから。人類の現状は、獣の世界だと思われます。雄々しく生きていたい方々の世界です。人類の現状はそういう生き方をしたい方々の為にあるのでしょう。 自分中心の生き方をすると、その分、地獄の親が背負っている地獄の業を背負わされます。私が思うに、人類史、負債から始まっているのでしょう。為に生きた分だけしか、自分の地位支払いされないと思われます。為に生きないで、自分の地位を得ると、その分、地獄の親が背負っている地獄の業を背負わされると考えられます。人類始祖が自分中心で生きたからいけないと考えられます。 子は親を踏まないように、親の下の地位をやっているしか、地獄の業を背負わされない方法は無いと思われます。自分の人生、やりたい方はやられればいいと思われます。しかし、やると、おそらく、やって失敗したと思っている親の方々が背負っている地獄の業をやった分、背負わされてしまうでしょう。世の中、まさか、こういう事態になっていたとは。親が子のサタンをやっている。自分中心をやったら、その分、自分がやられたように、自分が自分の親から背負わされた地獄の業を背負わせてやろうという悪意を親が子に持っていたとは。 地獄に堕ちている親は親ではない。自分を救う為には子も犠牲にするという事です。これが地獄に堕ちている先祖霊の実態です。自分中心の生き様を重ねていると、地獄に堕ちている親、先祖の業をその分、引き受けさせられてしまうという事です。子を持つ親のサタン教員霊方が私に地獄の業を背負わせようと常につけ狙っています。私は、そのサタン教員霊方の子の立場なわけです。私に背負わせる事によって、自分の子に背負わせようとしているのです。教員というのは、独身でいなければいけないのです。そうでないと、保護者に親の立場にされてしまうから。本来は、校長は保護者の為に仕事をしていなければいけないのですが、セックスをした異性がいたりすると、上の地位にされてしまうのです。しょうがない事ですが、税金を徴収してやっている公務なので。世の中、間違っている事だらけですので。公務員、上の地位になっている分、下の地位をやらなければいけないのでした。それで、一番簡単にできる自分の子の下の地位をやろうとしているわけです。世の中、切羽詰まってくると、親が自分の子を試練するようになるのでした。まあ、神が自分の化身であるサタンを使って、子である人類にやった事ですが。 自分中心の生き方をして、その分、地獄の親から、地獄の業を背負わされて、魔王になって何の意味があるのかと私は思います。自分中心の生き様をしたこの世の成功者、その分、犠牲を払わされています。自分、もしくは、家族が犠牲にされています。真剣に言っています。犠牲にされている者達が一杯いるんだって。自分の家族を犠牲にして得た成功、私にとっては何の意味もありません。この世の成功に何の意味も感じないから。プラスにはその分、マイナスがくっついてきます。そういう仕組みに神様が創っています。だから、私は為に生きるというマイナスをやり続けるのです。自分の存在費用を払い続けるのです。 自分とは貴方が思うところの存在です。貴方が人類に貸し越しをした分の存在です。霊としての貴方が持っている徳分の貯金が貴方です。私は深見東州様とは異なって才能を徳分とは呼びません。その才能を用いて、人類にどれだけの愛を注げたか、貸しを創れたかを徳分と言っています。私の言葉で言うと、神に積んだ条件という事になります。神の御心の実現の為に働いた分です。肉体上の地位が霊位になるわけではありません。子育てしていない親、サタン(自分中心の生き様をしてその分地獄の業を背負わされている存在)が一杯いるからです。 親は親だという事が解りました。先祖は先祖だと、人類始祖は人類始祖だという事が解りました。親子の地位の逆転は無いという事が解りました。私達は自分の現実の地位をやり続けるだけでいいという事です。自分の親の下の地位、自分より上の地位の方々の下の地位をひたすら、全うするだけでいい。サタンになっている方々は、子育てをして、地位を子にあげるか、或いは、上の地位の方々に、地位を返上して、その分、地獄の業を背負ってもらうか、どちらかになると思われます。人類から奪って得た財産を返上した分しか、地獄の親から背負わされた業を減らす方法は無いという事です。 ここまでに成した御神業を非処女、非童貞の方々に、謹んで、御報告致します。 この人類の現状で言える事は、できるだけ自分中心な事しない、為に生きるという事です。上の地位に上がってしまうと地獄だから。勿論、為に生きるだけでは自分の楽しみがありません。だから、為に生きて地位を下がれた分、地位を楽しんで(その分、自分より下の地位の方々に、上の地位に上げられてしまいますが)もいいと。楽しくないと、肉体生活嫌になってしまうから。地位を楽しむと、その分、上の地位(地獄)に上げられてしまいますが、全く楽しまないというのも、そういう境地になかなか成れませんので。成れた方は、もう人間卒業だと思われます。ちょっと推測不能です。私はそういう境地には成らないという事でした。-引用開始-http://www.vigs.com/2007/07/00158realreal.html【00158】あなたのRealは私のRealではない。着眼大局・着手小局-Think Global , Act Local-2007/07/09(通巻158号)-発行人:伊藤武史【158号】 このメールを読む方々と私は違う現実を生きているというすごく当たり前の事実を改めて確認するメールです。なんなんでしょうね。それって(笑) 色々な方々のお話を聞いていると不思議なことを思うことがあります。それは誰の台詞でもいいのですが、その体験者にとってはリアルな出来事でも私にとっては、絵本やファンタジーの空想物語と同じレベルで見聞したものでないものを信じろという教科書のお話はときに意味不明やのーって思うことが時々あります。。。(ま、前に書いた電流なんてのもその一つ) イエスは彼らに言われた、「もしあなたがたが盲人であったなら、罪はなかったであろう。しかし、今あなたがたが『見える』と言い張るところに、あなたがたの罪がある。(日本聖書協会『口語訳 新約聖書』ヨハネによる福音書9:41) 大体世の中の本を全部読む。っていうことですら、どんな速読の達人をもってしても無理ってもう分かっている当たり前の事実。学問の世界ですらそうです。数百万冊の蔵書を持つ図書館も世界規模ではあります。それを全部読破するのに速読1冊1分で、休みなしで数十年って計算した方がいます。(考えたくもないですね。そんな生き方。。。) 世の中を全て見聞したり、体験したり。というのは一人の人間には本を一つとっても無理。っていうことは確実な事実な訳です。で、泣いてる子供を見て、うるさいと思う人も入れば、泣いてる内容が気になる人、はてはあやす人など一つの事象にぶつかっても人はまったく異なる反応を示します。。。それは一体どういうことなんでしょう。。。 ある一つの事実、事象、出来事そのものも人によって受け止め方が違う=違う事象と認識をする訳です。私は赤色の光を見ると、すべての光を包含すると純粋透明な輝きをイメージするのですが、赤色の看板を見るとなぜかお腹が空きます(笑)。(企業のカラーによるイメージ戦略に洗脳されてます私^^;) あなたは? 当然お仕事でカラーを職業にしている人にとって赤というのは需要の喚起を施す色でもあり、食欲増強の元になる色でもあり、元気を出させる興奮を施す色でもある訳です。。。同じ赤でもその受け止め方は人や職業、そのときの状態によって違います。。。 落ち着きたいときに赤色のソファーに座ってくつろげる方はまずいらっしゃらないことでしょう。。。ということはどういうことでしょう。見えている事象だけを拾い上げても受け止め方が違う。=同じRealを体験できていない訳です。これが積み重なるとどうなるのでしょうか。。。? たとえ夫婦であっても会話等でそのずれを確認していないといつしかどんなに気心のしれた人でもバックボーンが違ってくる可能性を十二分に持つという事実を示しています。
2007.09.26
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-引用開始-http://www.vigs.com/2007/03/00089.html【00089】因果律=類友の法則。着眼大局・着手小局-Think Global , Act Local-2007/03/30(通巻89号)-発行人:伊藤武史【89号】 あ!・・・という感じでした。あることをぼんやり考えているときに、なぜイエス様は一緒にゴルゴダの丘ではりつけの刑に遭っている二人の本当の囚人の一人に一緒にパラダイスにいると言ったの・・・? ってずーっと疑問だったのですが、完璧に理解できました。 イエスは言われた、「よく言っておくが、あなたはきょう、わたしと一緒にパラダイスにいるであろう。」。(日本聖書協会『口語訳 新約聖書』ルカによる福音書23:43) 類は友を呼ぶ。朱に交われば赤くなる。 この日本語の2つのことわざはほぼ結果が同じですが、実は全く方向性が違います。最初の類は友を呼ぶは、自分に似たものを周りにおく。(好きなんで)するとそれがまた自分のその色を濃くする協力をする。という意味で、すごく能動的なもの。自分からそこへ行く。。。 しかしもう一つの朱に交わればは、全く方向性逆で、受動的なもの。ただ、朱に交わろうとして例えば盛り場や酒場、そして性産業の場所に出入りすればそんな人格になっていくという悪い意味でよく使われたりするんですが、これは逆に良い意味にも通じる言葉です。 たまたま同じ日に刑が執行されたとはいえ、イエス様と同じ場所、同じ日に、同じ刑に処されたわけですが、自分は本当の極悪人(悪いことをした自覚もあり)。ただ横で一緒に、はりつけられたこのイエスという人間は何の罪も犯していない。。。あれ?って感じだったはずです。 イエス様以外にこの日2人が処刑されたのですが、一人は同じ場所にあって、イエスに悪態をつき、もう一人は自分の罪を認め、イエスは何一つ罪を犯していないと宣言し、もう一人をたしなめ、神を恐れ、そして自分を思い出して欲しいと述べたのです。。。 つまりイエス(朱)と共にいることで自分が光の側でないことをきちんと知ったことで心が砕けた(赤くなった)。。。すくなくとも自分の非を認め自分が裁かれる対象であるときちんと認めている。。。そしてその時点で悪を行なう場所から離れ、この正しい人と言葉で交わる。 優しい舌は命の木である、乱暴な言葉は魂を傷つける。(日本聖書協会『口語訳 旧約聖書』箴言15:4) 悪を離れることは正しい人の道である、自分の道を守る者はその魂を守る。(日本聖書協会『口語訳 旧約聖書』箴言16:17) この罪人は悪と決別する。。。イエスに自分を思い出して欲しいとはそういうことです。。。少なくともイエスは悪いことをする人の魂と一緒にいるわけではないでしょうから。。。(行き先は100%天国ですから)ということはこの罪人はすくなくとも天国に連れて行って欲しいってみんなの前で宣言したんです。。。朱に交わりたいって宣言しちゃったのです。。。だからあの世に行く前からパラダイスに一緒にいる。。。 さて、宗教臭いと思ったら今日の話はここで離れてください。実はここから魂と今の命が連続しているとしたらどうなるか。。。と見えない自分の人生の部分を想像しながら読んでください。そこは魂の世界。。。見えないとはいえ、同じ肉体を持たない状態になった霊になった自分はどこに行くのでしょう。。。そして周りによく似た姿かたちをした霊が一杯いたとします。いつもいつもHなことばかり考えていた私は多分Hなことを24時間考える人間の魂になるでしょう。。。(時間も空間もないとすればそれは未来永劫の話。。。) そして、パソコンおたくでもある私はプログラムのことばかり24時間考えるでしょう。。。そして・・・。とそんなことばかり考える状態の私と多分似たような人(霊)がうようよと周りに寄ってくるはずです。。。そんな世界が霊の世界。。。と私はぼんやり想像をしていたら、因果律の意味が完璧に解けてしまいました。 さて極端な二人を想像ください。いつもいつも人をだますことばかり考えた(行動した)人。=Aさん。いつもいつも人のためにと考えた(行動した)人。=Bさんとします。AさんはだますためにBさんの霊のところに行くでしょうか? いえ、パソコンおたくは多分パソコンおたくを呼び寄せます。(類は友を呼ぶ。。。) そしてそんなパソコンおたくをたくさん周りに集めた私はさらにパソコンが好きになるでしょう。。。それが朱に交われば赤くなる状態。ではAさんの周りには誰が集まるのでしょう。。。まず間違いなくAさんと同じ性根の人。=だます人がたくさん集まる結果になるのです。。。となれば、周りのたくさんの人々がAさんに何をするか。といえば当然一生懸命大好きなだますという行為をAさんにするわけです。。。で、Aさんも大好きなだますことを周りに。(だまされたAさんは悔しがってまた更に・・・) これは無限地獄・・・? ぼんやり考えていた反対側の人Bさん。人のためにと思う気持ちをもつ人が多分回りに類友の法則で集まってきます。。。それは暖かい空気をもつ空間になるのでは。。。そして無限地獄のごとく暖かい思いやりと行動が繰り返される世界。。。ある意味無限地獄?(というか多分それが天国の状態なんでしょう。。。でも地獄にいる人から見れば暑苦しい、気持ち悪い世界に見えるね。。。多分地獄の人が天国を見ればそこは絶対地獄に見える。。。) となれば、その行為が大好きな人にとってはその空間はやっぱり朱に交われば赤くなる。でより好きになるわけです。。。だから無限に続くのですが、地獄ではない。。。ただ神の目から見ていいことでなければ、それは悪い(下の)評価になる。。。だから上か(貴い)か?下か(劣る)か?といわれれば、多分Aさんが劣り、Bさんが貴いと評価されるのは納得できません? ただ、AさんもBさんもそこに好きで行くんです。。。で、因果律とは結局呼び寄せる。という意味。いいことをすれば、いいことが来て、悪いことをすれば、悪いことが来る。(でも結局自分が好きなことしたんだから周りにその好きなことをする人が集まるっていうただそれだけのこと。。。) 因果律って類友の法則のことです。。。 地獄、天国っていいますが、結局のところ、手前が好きな場所に好きで行くってことです。馬鹿なことが大好きで人をこけにしてばかりいるのが好きならそんな人が一杯いる場所を自分自らも作り出しますし、そんな感情を持つ人が集まる場所に行く。ということ。無茶苦茶単純な理(ことわり)であることが理解できちゃいました。 これ霊の世界だけだと思うのは浅はかですよ? 人は所詮霊なんです。でなければただの土くれですか?(笑)今日の着眼着手【00089】 着眼大局:因果律=類友の法則。着手小局:自分の周りに100人自分を集めたらどんな世界?編集後記 なんかしっくり来すぎて怖い。。。天国も地獄も自分が好きでいくんです。(自分に適切な場所がなければ逆に自分が作ってしまうってこと。。。) 因果律も結局ただの類友の法則。自分の好きなことが自分に返ってくる。とっても素晴らしいことを発見しました。だから人にして欲しいことを積極的に自分がするんです! (あれ? お金が欲しいときは・・・?) 結局人は自分である。と知ること。。。なんですね。怖いぞ・・・。これは。でも自分を愛するように人を愛しなさいとは自分を愛することです。。。(おー循環参照になりますが、これは正しいわ・・・。) 余計につまんないものを見たり、聞いたりしてはいけないぞ。。。って改めて思いますし、周りに悪い言葉を言って、悪い言葉が好きな人を集めてもいけない。。。やべー、マジやばい。気がついちゃったよ。。。人を非難ばっかりする人には未来永劫その人が100人集まる世界。。。想像しただけで気持ち悪い。。。霊の世界がそんなだとしたら自分が100人いる中で暮らすんです。。。せめて、少しでもイエス様に近づきたいって単純に思います。。。エグい話になってしまってごめんなさい。仏陀も釈迦もイエス様もみんな同じ話をしてんじゃん。結局・・・。着眼大局・着手小局-Think Global , Act Local-聖書の御言葉は口語訳を引用させて頂いております。聖書口語訳:(c)日本聖書協会 Japan Bible Society, Tokyo 1954,1955(こぼれ話) あなたがたがさばくそのさばきで、自分もさばかれ、あなたがたの量るそのはかりで、自分にも量り与えられるであろう。(日本聖書協会『口語訳 新約聖書』マタイによる福音書7:2) やばい。。。この御言葉は因果律と同じ意味だ。。。自分が好きで口にした言葉で自分が量られるとはそのまま同じ言葉を浴びせる連中が未来永劫友人になる。っていうことです。。。げげげ。-引用終わり- 私の世界は、全ての人類が幸せに暮らしている世界です。それが達成されたら、次は、全ての哺乳類が幸せに暮らしている世界を達成したいと思っています。順番にやっていって、最後は万物が幸せに暮らしている世界にしたいと思っています。私はその思いを達成する為に生きているのでした。それが楽しいから、幸せだから、そうしたいから、そうしているだけの事でした。皆、自分が一番したい事をして生きていると思うのです。したくないことをしているわけないと。我慢しているのも、我慢していたいからそうしているだけだと思います。我慢していたくなかったら、我慢しないと思われます。私の歩んでいる道は感動の道なのです。自分の器を越えていく度に感動を与えられるのです。だから、続けられるのでした。一歩一歩成長していくと。その一歩毎に感動を与えられると。そういう生活を送っています。他人様から見れば、不幸な生活に見えるかもしれませんが、本人は幸せです。本人が幸せなのだから、いいじゃないですか。殆どパソコン生活でも十二分に幸せで在れるのでした。私は殆ど思いの存在なので、思いを表現する事ができればそれで幸せで在れるみたいです。教員時代は滅茶滅茶大変だったけれども、不幸ではありませんでした。世界統一の夢の実現に向かって突っ走っていたから。その思いはやり方は変わったけれども続いているのでした。下の地位でやると。教員時代は上の霊としてやっていましたが。どちらもできるんです。今まで成した全ての御神業を天命界の親神様に御報告致します。
2007.09.24
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-引用開始- 本文の内容は著作権法で保護されていますので、内容の一部もしくは全部を「世界中に愛をワールドメイト」に無断で転用したり複写することを禁じます。という事なので、引用できません。心が狭いなあとつくづく思わされています。信者にしか通用しない事言うな。-引用終わり- 誰もタダで拍手はしてくれない。他者への好意を現実の行為で示すという事は相手にその分、自分の業を背負って頂くという事です。地位が上の者が心得なければならない点です。威張っているから、上の者として振る舞っていたから、こういう結果を招いたのでした。物凄く増長していたから。弟子に自分と江原啓之氏とを比べさせて自分がどれだけ実績があるかをとうとうと述べさせていましたよね。ああ、これが世界中に愛をワールドメイトの神様のレベルなのかと、よくよく理解できました。個人でやっている者と宗教団体を主宰している者と比べる事自体おかしいと私は思いましたが。同レベルの存在だったのでした。会員の方々になめられていましたね。下の存在だと見られているという事でした。日頃の言動がいけないのですが。為に生きていないのでね。普通の庶民の方が為に生きらされていたという事です。自分の為に生きていると上の地位、下の存在になるという事です。物質的利益、物質的幸福を他に譲って生きているからこそ、神聖さが出てくるのでした。自分のものにする方は上の地位、下の生き様として、判断されるのでした。人間界の常識です。 人間界は、自分の為に生きている方ほど上の地位、下の存在となるという事です。上の地位の方々は、下の地位の者達の業のゴミ箱です。霊的に生きている者にとっては考えられない屈辱です。そういう内的自信があるのでした。自分中心な事はしない。情けない。恥。どれだけ、為に生き抜けたかが勝負。それだけが神様の前に立てる資格だと思っているから。これが人間の心です。この心に基づいた生き様しかするわけないのです、人間は。自分中心のサタンの血統の方々とは、この点が全く異なっているのです。神様を抱えて生きているのです。この世の全てを肯定して生きているのです。全て神様がなさっている事だから。この人類の現状で神様が上の地位にいられるわけないのです。自分の代理であるサタンを上に立てて、人類に自らが為した事の結果を返し続けているのが神様です。全て、その悪党である人類がやった事の責任を取らせ続けているだけです。決して、下の存在、上の地位にならない。なるわけないのです。神様をなめるんじゃない。神様は人間よりも遥かに遥かに遥かに…遥かに上の存在の御方なのです。悪党の業のゴミ箱になるわけない。上の地位やるわけない。これはプライドがかかっている、自分の最終審判なのです。下の地位をやる。上の存在でい続ける。至極、当たり前の事です。 今、成した御神業を謹んで、深見東州氏に御報告致します。貴方の言動は、貴方の神様の言動とみなされるのだから、神様の信頼を大切にして下さいね。 神様は事柄の祈りではなくて、愛念の祈りにしか応えないという、非常に、厳しい御方です。自分の中に本物の愛が有る分しか、祈れないのです。そう簡単に祈りなんてできないんだって。自分より上の地位の方々の為に祈ってあげる事なんてできないんだって。やると偽善者になります。自分の本音(魂)と思いとが分裂致します。私はその生き様の中には真実が無いと思います。慇懃無礼な地獄界に堕ちてしまいます。 つい先程、こういうメールが届いたので、御報告致します。名誉欲と美食欲とを満たし放題の教祖様、信者様方に、こういう扱いをされているという事実を知って、成る程と思わされたので、御報告致しました。世間は自分中心の生き様をなしている方を馬鹿にするという事でした。 深見東州様、何の為に教祖様をやっていらっしゃるのだろうと思わされました。物質的な徳分が一杯ないと、上の地位をやる事はできない。さらに為に生きる為に自己犠牲として上の地位に立つのが本来の姿でした。犯し難い権威、他人への貸し、徳分をさらに増やす為に一層厳しい生き方を自分に課すという事が上の地位に立つという事ではないのでしょうか。そういう平伏させる権威が無い方は人の上の地位に立つべき方ではないと私は思います。 私が今までに成した全ての御神業を非童貞・非処女の方々に、謹んで、御報告申し上げます。 テレビを見ていて、大学の後輩のアナウンサーを女として見てしまって、滅茶苦茶、業を背負ってしまったので、その分、下の地位に下がりました。やっぱり女は業の塊だと思いました。世の中の現状、セックスなんて私にとっては到底無理。凄まじい業の世界です。 私の人生、サタン、即ち、地獄の人類の親の為にあったような気が致します。サタンが私にちょっかいを出し続けてこなかったら、私はここまで来なかったと思うのです。多分、殆ど全ての方々はサタンの試練、女の誘惑で堕ちていると思われます。私は男なので、男の立場で書いています。女とサタンとの関わりも多分あると思われますが、それは女の方が書いて下さい。私にとっては、堕落してしまった人類始祖エヴァが、人類始祖アダムを誘惑して地獄に一緒に堕としたという世界から始まるのでした。その前の世界は私には関係がありません。サタンである雄は、多分、生娘を地獄に堕としていますが、そういう事は私はしていないので、サタンである雄が悔い改めたら、贖罪の意味で書いて下さい。男はサタンである雄と、堕落エヴァに堕とされた堕落アダムと、堕落エヴァの試練に負けなかった神の子と3種類いるんです。 多分、人類は皆、人類始祖エヴァの堕落と、人類始祖アダムの堕落の試練に勝利して欲しいという神の願い、信頼を受けて、サタンの試練を受けると思われます。私のようにそのセックスの誘惑の試練に勝利した者は神の子の道を前進していきます。負けた者は、堕落アダムの道を行くか、サタンである雄の道を行くか、二つの道に分かれると思われます。 今、霊界から情報が入りましたが、堕落アダムの道を行く者は殆どいないそうです。皆、サタンばっかりだそうです。サタン様の将来は、地獄に消えていくしかないので御承知おき下さいね。愛が目覚めない方々なので、人類への犯罪行為を重ねていってしまうと。 男の愛、親の愛に目覚めない、どうしようもない育ちの、血統の方々と。御先祖様の血が悪いんでしょう。良心=両親。両親への借りを感じない方々には、悪を為してはいけないという歯止めがかかりませんので、どうにもなりませんね。上の地位に上げていって、地獄に消えてもらうしかないです。自分の中に、誰かが愛情を注いで下さっていて、良心が目覚めるか、一欠片の愛情も注がれてなく良心の種が全く無かったか。神様から御給料を戴いている御仕事でないと、このサタン方に愛情を注ぐという事はできないでしょうね。御仕事は生きていく為に必死でやるものですから、真剣勝負になりますので、サタンの心に届く愛情を注げるかもしれません。学校では、校長様の人間性が全てです。他の職員は皆、校長様の為に働いているのですから。校長様を越えた自分なんてあるわけないのです。自分より上の地位の方々を背負う事は絶対にあり得ないのです。順序は絶対。 たとえ、女校長でも。校長は職員にとっては女ではない。男です。上司は男。雌だと思うのはサタンである雄だけ。人間界は、順番を守る世界です。 という事で、育ちの悪い、御先祖様の血が悪い、愛情を全く注がれていない方々は、サタンである獣の雄にしかなりませんので、男の愛情、親の愛情、発生致しませんので、そういう獣を誘惑して堕とした自分も相当悪い血統という事になります。縁ができたのだから。そういう相手を選んだのだから。 そういう血を授かっている、御先祖様の業を継承している方は、相当、困難な人生を歩むと思われます。とにかく、本気で悔い改める事ができないのだから。そういう先祖との闘いになります。説得する、納得させる生き様を成し遂げるしかないと思われます。そういう発願をすれば、御神霊がついて下さると思います。御神霊との信頼関係を全うして、その御先祖様を悔い改めさせて下さい。自分の人生だから、地獄に消えていく道を選ぶか、人類の一員として生きていく道を選ぶか、本当はどうしたいのかという事が全てです。最終判断は自分がするしかないのです、自分の人生だから。誰も貴女の主体性に干渉する事は許されないのです。支配してはいけないのです。 イエス・キリスト様、文鮮明様、貴方方と全く考え方が違うのでした。この世は神に反逆したサタンがやっていて、サタンをやっつけなければいけないと、貴方方はそういう考え方をしていますが、私はサタンは神の代理だと考えているのです。神に仕えているだけ。神の御心の実現の為にひたすら働き続けているだけ。だから、私はこの世の全てを肯定しているのです。サタン世界も神の世界と考えているのです。サタンに負けている神なんてあり得ないのです。神の定義が間違っています。 今までサタンだと思っていた方々が神だと解って、見えている世界が違ってきたでしょう。如何に自分中心、自己中心のエゴの中に生きていたか解ったでしょう。 ここまでに成した全ての御神業を、謹んで、イエス・キリスト様と、文鮮明様に御報告致します。 特別な人はいない。皆、堕落人類始祖の子孫なのです。その血、その業を、自分の生き様で如何に越えていったかという事だけです。神の子の道を一言で言えば、サタンの試練に勝利し続けて神に条件を積み続けるという事です。言い換えれば、神中心をやり続ける、自分中心をやらない、神より自分を優先する事をやらないという事です。もうここまで解っています。 それでも、私は父親の命令、隣人を咬んだ我が家の愛犬を保健所に連れて行って処分せよを拒否しましたが。私にはそういう事はできないのでした。たかが犬のやった事だから。非童貞の父親とは立場が異なるのです。父親にとっては、隣人を咬んだという事は非常に重い事だったのでしょう。ペットは将来の子孫の象徴なので、先祖の立場としては、裁かざるを得なかったのだと思われます。サタンの血を絶対に許さないという決意、覚悟なのでしょう。 親はそれだけの覚悟が必要なのだと思われます。御先祖様になった時に、不良の子孫は裁く、責任を取り続けるしかないのでしょうね。学級崩壊をさせようとしている獣は悔い改めなければ合法的に殺すしかないので。教員、これくらいの責任負わされています。首相、法務大臣は、死刑の命令を出さなければならないのでした。やらない方々は非常に無責任でした。国家を統治されている方々としてはね。勿論、その死刑にした霊との闘いになるわけです。生き様で圧倒させる、屈服させるしかないのでした。上の地位というのは、責任が重いですね。 ここまでに成した全ての御神業を謹んで、非童貞、非処女の方々に御報告致します。報告するのは、人間界への招待状ですのでね。愛が有るからです。愛の投資です。
2007.09.24
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人類始祖は神のたった一つの戒めを守る事ができなかった。これはどういう事かと私が判断するには、神よりも自分を優先したという事です。これが私に言わせると原罪のカルマという事です。サタンの血統というのは、神、自分より上の地位の方々よりも、自分を優先するという事をする事だと私は思っています。 それをすると、自分中心になってしまいます。こういう事をする方々は、世の中をなめています。世の中というものは大変難しいものであると私は思うのです。私は自分が為した事には責任を取ります。私の主体性、自由、尊厳というものを失いたくないから。自分が為した事の責任を取らない方々は、その分、主体性を返還させられてしまうという気が致します。サタンの支配下に堕ちてしまうと思うのです。 人間の地位を失ってしまう。人間というのは、神の子という事です。神の子として成長した分だけ、神の権威を持っています。主体的な立場を持っています。自己判断・自己選択・自己責任の自由を持っています。神の創造の手助けをしています。 肉体は地球からの借り物だと言われています。私もそう思います。自分の為に遣うと、堕とされてしまいます。私は為にしか使ってはいけないと思っています。肉体界に閉じ込められない為に。地球霊界に閉じ込められない為に。私は地球霊界の存在ではないのです。落ちている時には、太陽霊界にいましたが、実際の私は宇宙外の存在です。銀河系宇宙の存在ではありません。銀河神の子ではないのでした。だから、銀河系内に自我は有りません。為にしか、生きていません。自分の為に生きると、その自分の為に生きた分、どこかの霊界に支払いをさせられてしまいます。いつも言っていますが、世の中、タダのものはどこにも無いのです。必ず、費用を払わなければならないのです。 個性完成する、即ち、人類の現状から言えば、人類始祖アダムとして完成するまでは肉体が為に生きる存在にはなれない。個性完成した者は、自分の肉体を為に用いる生活になると思われます。だから、セックスをしてもいい。 私の考え方を理解してもらえましたか。常に費用を先に払わなければならないのです。払わなければ、サタンが地獄に捕まえておいて、費用を払わせるという事です。私にはそうされているように見えます。セックスをした方々は捕まえられているように見えます。自由を拘束されているように見えます。 私がひたすら、個性完成への道を前進し続けているわけが解ってもらえましたか。最初は文鮮明がその道を歩んでいたのでしたが、神にならせてあげるというサタンの試練に負けて全てを失ってしまいました。まだまだ先は永いのに、もうこれでいいというエゴイストの本性をサタンに裁かれてしまったのでした。神中心ではなくて、自分中心を選んでしまったらもうサタンの血統です。神はその者に対して、神の摂理を続ける事はできない。神である自分よりも、自分を優先してしまったのだから。神中心はずっと、永遠に続けなければいけないのです。それが個性完成したという事です。夫婦も神を中心として、永遠に為に生き続けるのです。それが夫婦完成です。 9月9日に息子3人、娘1人いる友人が、人類始祖アダムへの道を拒否してしまいました。それで摂理が変更になりました。童貞の私は、彼の為に、ひたすら、摂理を進めていただけでした。私は、自分が人間になる事に拘りは無いのです。為に生きているだけの事だから。神の摂理が前進すればそれでいいのでした。多分、彼には完成人類始祖アダムになれるという思いが無かったのだと思われます。 それで私は息子の摂理をやって、審判を開始しました。人類始祖アダムがまたしても失敗したのだから。友人の失敗は人類始祖アダムの失敗なわけです。友人は人類始祖アダムの象徴をやっていただけなのでした。彼の神というのは、実の両親と、義理の両親です。下の地位をやれていたかどうかという事でした。先祖としての最終的な立場に人類始祖夫婦がいるわけです。現実の自分の範囲内で勝利すればいいだけの話なのです。 今、24日午前0時49分ですが、昨日、友人から電話がかかってきて、一緒に食事をしました。私の立場は、彼の未来、彼の息子の未来です。彼が自分の未来、息子の未来を背負ったという事です。子育てはやるという事でした。しかし、彼は、東国原知事が離婚して、妻子を失った事に関して、私の価値観では、自分の妻子を失って知事になっても何の意味も無いのですが、彼は知事の方がいいと言っていました。私は社会的地位よりも、親の地位の方が上だと思うのですが、彼はそう思わなかったようです。東国原知事もそう思っていないのですが。何の意味も無い。何の為にあんなに頭を下げているのか。愛人の子だった彼、別れてしまったので実父を失って、養父を得た彼も、自分の子から実父を奪うという事をしました。そういうカルマをまたしてもつくりましたね。サタン、地獄の親はそういう試練を与えました。私だったら、勿論、自分の妻子を選ぶと思います。自分の妻子の為に働くのでした。自分の為に働くわけではないのです。かなり価値観、考え方が違っているのです。 世の中、神関係無いから、日本人の中に、人類の親神の存在を信じている方がどれ位いるのか。天皇中心の八百万の神々だけだから。私に言わせれば、サタン信仰ですが。天皇はサタンの血統なので。神の血統ではありません。サタン、地獄の人類の親、神社の神々よりも遥か上の存在なので。神社の神々、皆、サタンです。自分の下の地位の者達を愛するという事なんてやっていないのです。親ではないんです。自分中心の社会構造、全部サタンです。子育てをやっているという事がどれくらい凄い事かという事です。 私は子育ての社会構造に変える為に徳積みを続けています。 神は愛と言われています。即ち、この世の神、自分の両親、祖父母等、自分より地位が上の方々は、子である自分、孫である自分、下の地位である自分を愛していなければいけないわけです。そうでないと、神が愛とは言えないと思います。 私達は現実を善くする為に生きているのです。ひたすら、その為に生きているだけだと私は思っています。私は神の御心を実現する為に働く事にしか、意義を感じないのです。私はひたすら、下の地位、未来を生きますので、セックスをする事を選んだ挑戦者方、離婚しないで、夫婦の道を前進していって頂きたいと思います。勿論、子を授かった方々は親の道を、子育ての道を前進し続けて頂きたいと思います。よろしくお願い致します。 本当は人類皆がセックスをしなければ、もっと早く、神の摂理が前進すると思うのですが。それは無理でしょうから。自分の現実やりたいでしょうから。
2007.09.24
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神中心で生きていくしかできないのです。逆は絶対に無理。何故だか、私はサタン、地獄の親の試練を猛烈に受け続けましたが、その分、自分の人生を犠牲にさせられただけでした、下の地位にさせられただけでした。何にも上の地位になれなかったので。しかも、まだ、サタンの攻撃を毎日、受け続けています。だから、ますます、さらに下の地位に下がらさせられています。そういう自己犠牲をさせられている者も人類の中にはいるという事です。私の霊性、決して低くないと思うのですが。生き様低くないと思うのですが。 その分、人類がどんどん動物に見えていってしまう。対等な存在とは到底思えなくなっていってしまっています。多分、地獄に消えていってしまう方々との一体感が失われていっているのだと思われます。サタン、地獄の人類の親はそういう事をしているのでした。私は責任を取らされていると。私にできる事は信頼の愛を与え続ける事だけです。祝福し続ける事だけです。それが神のやり方だと私は見ているので真似しているだけです。 サタンは絶対に背負わない。背負えない。スーパーマンは絶対に存在し得ないのです。神の側はひたすら、犠牲になっていくだけです、愛していくだけです。それだけしかできないのでした。悪は無限大に悪なので。心の世界では魔神を背負って、人格(神格)を上げ続ける事ができましたが、現実界では絶対に無理。悪は上の地位に上げ続けていくしかないのです。あとは、本人が悔い改めるか、地獄界、王の道に前進していくか、どちらを選ぶかと。これが私の智慧、叡智です。悪と闘っては絶対にいけないのです。 イエス様、何をしたか。弟子達と信徒達を十字架の道に行かせたのでした。イエス様の神になりたいというエゴの為に。普通の親は、その願望を捨てるのでした、子を護る道を選ぶんです。下の地位に下がる道を選ぶんです。自分より下の地位の者、その一番は自分の肉体です。その自分の肉体、さらに弟子達、信徒達を護るのが親の道だと私は思います。だから、子は親に借りをつくったと思うのです。親の下の地位をやるのです。イエス・キリストに今成した御神業を謹んで御報告致します。人類の最初は自分の肉体。次は弟子達。その次は信徒達。そうして欲しかった。それが親の愛だと私は思っています。上の地位に成りたいでしょうが、その自分のエゴを諦めるのが親の愛だと思います。自分についてきて下さった方々を護らなければいけないんです。神になりたいというのも人類究極のエゴ、サタンの血統だと思います。 人類はサタンの下の地位をやるしかないのです。サタンの業を背負うわけにはいかないのです。聖人の道を行ってはいけないのです。まあ、聖人の道を全うできなくて、俗物に上がってくる方々もいらっしゃいますが。やり直せ。一緒に人類の永い道を歩んでいきましょう。俗物で善かったと私は思います。聖人の道はひたすら辛く、悲しいので、誰にも歩んで欲しくない。私は未来に生きる道を選ぶのが正しいと思っています。勿論、私が思っているだけです。障害者の道を行かれる方々がいらっしゃるのでした。悲しい事です。 米良美一http://www.lamela.co.jp/mela_web/0100.htmlが聖人ではなくて、アイドル願望があった事を私は善かったと思います。聖人なんて、いちゃいけないと思うから。サタンはそんなに甘い者ではないんです。人類に君臨しているのだから。大天使長長ルーシェルなんていう小者ではないんです。たかが天使が神の娘に手を出すと考えられますか。私は私以外、皆サタンと感じるんだって。人類の殆ど全てがサタンなのだから、そんなに強大な力を大天使如きが持っているわけないと思います。イエス・キリストの神はサタンなんだって。自己中心だったから。 私に言わせれば、イエス・キリストは自分の弟子達の為に親をやらなければならなかったのです。地道に現実をやらなければいけないんです。イエス・キリストが自分の肉体を犠牲にした分、彼の弟子達、信徒達も犠牲の道を行かされてしまったのでした。必ず、そうなるんです。人は皆、小宇宙。人の命は地球より重いと言った首相がいたではないか。それだけの可能性を皆持っているという事です。天使の声生きながら生まれ変わる (単行本) 米良 美一 (著) カスタマーレビュー 多くの人に読まれるべき本です, 2007/8/23 By 宮寺良平 (神戸市灘区) 米良さんの、この世のものとは思えないほどの美しい声の背後に、このような深い悲しみと挫折があったとは、全く知らなかった。芸術の素晴らしさは、それを作り出す人の人生とは独立しているとも言えるし、米良さんもそれを願っているかもしれない。ただ、悲しみと苦痛に満ちた人生の背景を知ることによって、新しい勇気をもらえる人も多いに違いない。深い山奥の村で両親の元に生まれた彼は、もののけ姫で描かれる暗い森の世界を知っている。時代の変化と彼の病気のために、彼の両親は山を捨てて都会で辛い肉体労働で生計を立てた。その姿を見て育った彼は、もののけ姫のテーマを文字どおりに体験してきたとも言える。もののけ姫の主題歌に出会ったことは、運命的である。貧しく、病苦に打ちのめされながらも、音楽を愛し、前向きに生きてきた彼に、神は音楽の天才を与えた。体格のハンディを越え得る、カウンターテナーという領域で。多くの人に愛される芸術家となったことを、彼を必死で育ててきた両親がどんなに喜んだだろうかと想像するだけでも、心が温まる。この本は多くの人に読まれるべきである。壮絶な半生記, 2007/7/16 By 酔魚 「もののけ姫」の主題歌で有名な歌手の半生記です。先天性骨形成不全症という難病を背負い、闘病をつづけた幼年期。養護学校から音大に進み、カウンターテナー歌手として活動を始めた青年期。「もののけ姫」後、世界的に活躍する中で襲われた地獄のようなスランプ。生い立ちや生育環境、家族、人間関係、自身の弱みや過ちまで、これまで公にしていないであろう事柄を赤裸々に書いています。自分を苦しめた病や偏見やさまざまな苦難。それらの全てに「ありがたい。」と思える素直な心。真摯で勇気のある筆者の生きる姿勢に胸を打たれます。壮絶な人生体験をよくぞ・・・, 2007/7/16 By ぶーのん (千葉市) 私も「もののけ姫」テーマに惹かれファンになったクチだが、男性なのに、いや男性だからこその美しく力強い女声に魅かれ、10年来声援を送っている。米良さんは非常に身体が小さい。平均的女性よりもさらにふた回りは小柄だ。肉体そのものが楽器の声楽家には致命的であろう。だが大ファンだからこそ、そのことに触れるのは失礼だと心得ていた・・・つもりだった。だから、そのタブーとも言える過去の苦悩を自らここまで告白してこられるとは、正直思いもよらなかった。「本を出す。」と伺ってはいたがまさかこんな内容だとは・・・。悲壮な体験を忘れたい、過去と訣別してまったく新しい自分になりたい、と切望するひとは多いだろう(私もそのひとりだ)。華やかなスポットライトを浴び、世界じゅうを駆け巡っている米良さんのようなひとなら尚更だ。「過去を知られたら絶対普通に扱ってもらえない、必ずそのイメージでしか語ってもらえなくなる。」と慄いていた気持ちは十二分に理解できる。だから、今こんな告白をするのは「後出しジャンケン。」かもしれない。しかし、それさえもできずに苦しむひともいる事を考えると、決して卑劣な行為とは思えない。むしろ、そういうひとたちに限りない勇気と希望を与えてくれるものだと思う。弱者の立場にいる米良さんだからこそ、「いじめはいけない、自殺もいけない。」という、誰もが「綺麗ごと。」と切り捨てる言葉も美しく輝くのだ。他人を省みることができない、そうしようなど夢にも考えない、そんな連中にこそ、襟を正して読んでもらいたい・・・と熱望したいが、ムリか・・・。人生や人間社会の酸いも甘いも噛み分けた、というお歳では決してないのに、これほど心揺さぶられた人生論を他に知らない。本書をいわゆる「タレント本」的位置づけで括る輩は絶対許さない、それくらい価値ある1冊だ。星が5つ“しか”つけられないのが残念! 全て成功する為の代償だと考えれば普通の人です。人類を救済する為に人類の業を背負ったとなると聖人になってしまいます。迷惑な存在になってしまいます。人間は自分の肉体を護らなければいけないんです。自分の子孫を護らなければいけないんです。そういう長期的な生き様をしなければいけないんです。 堕落人間方はサタンの神にして上げるという試練に負け続けてきました。自己中心でした。イエス・キリスト以来、皆、駄目でしたね。文鮮明もそれで統一教会を霊的に潰してしまったのでした。早い者勝ちの自分中心の考え方の持ち主ばっかりだったのでした。上の地位の方々は、その分、下の地位の方々の為に働かなければいけないという当然のバランス感覚が無かったのでした。それで、統一教会潰れたのです。単なる一宗教に過ぎない存在になってしまったのです。 本当はそうではなかった。神中心で為に働き続けていれば、統一宗教になれたのでした。その位、霊界は吃驚仰天させられたのでした。霊的には凄かったのでした。自分中心を選んで、神を否定した瞬間に全てが終わったのでした。ひたすら、神中心でやり続けなければいけないのです。人類の最後の一人まで。最後の哺乳動物まで。…。ずっと神の御心を実現する為に上の地位の方ほど、下の地位をやり続けなければいけないのです。その永遠に近い決心が無ければ、セックスできないのでした。神の子だという事は神のように生きなければいけないという事です。全ての非処女、非童貞の方々に謹んで御報告致します。 ここまでに成した全ての御神業をサタンではない人類の親神様方に御報告致します。神の為にやっている御神業なので自分のものにしてはいけないので。 人類というのは、自分の子孫の事です。自分より下の地位の人類の為に働いた分が、自分の子孫の繁栄となって返ってくるのです。子孫がいない者達は子孫を得るまで、ひたすら、下の地位に下がらざるを得ないのです。ひたすら、為に働いているだけの人生。自己中心的な事やれないから。やった瞬間にその人の地位は決定するのでした。成長はそれまでという事です。もう人類の為に働いた分、自分の地位として酬われるので、成長はしないのでした。もうこれ以上為にやるのが馬鹿馬鹿しくなるのでした。
2007.09.22
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映画 飛び出せ!青春 オープニング http://jp.youtube.com/watch?v=VNTmLsy66Ks 銀河鉄道999オープニング/エンディング http://jp.youtube.com/watch?v=4Yq0nE62XQs&mode=related&search=&v2 プロジェクトX 最終回 オープニング http://jp.youtube.com/watch?v=0l5i2uwaXoQ&mode=related&search= プロジェクトX 最終回 エンディング http://jp.youtube.com/watch?v=sCh1yEeo1_M&mode=related&search= プロジェクトX 最終回 第二部 http://jp.youtube.com/watch?v=Pulfok1aXc8&mode=related&search= 自分中心に陥ると、地獄界(夜叉界、濁王界、陰王界、夜王界)の存在になってしまう。業のゴミ箱状態になってしまう。為に生きて、人類に対する負債を返済して、下がる(あの世的には浮上する)しかない。生きていく上で、これだけは気をつけなければいけない最低限の事だと私は思います。はっきり言って、これだけ、気をつけていれば、あとは何をしてもいいと思われます。自分中心状態、地獄の親の状態にだけは陥ってはいけない、私はこれが最低限だと思います。 自分中心にならない為に、毎日、毎日、為に生きて、自分の存在費用を払い続けなければいけないと思います。 皆、為に生きているのです。高い霊界にいるというのは、より為に存在しているという事です、それだけの事です。自分中心の者は地獄界にいる、私に言わせれば、それだけの事です。 結婚というのは、自分中心になってしまった女、地獄界に堕ちてしまった女が、自分中心から脱する為に、男の為に、さらに、その男の、子の為に生きようとして、男を誘惑する、そういう本能的な現象の事だと私は思っています。結婚生活大変です。それでも、それしか、自分中心の生活を脱する方法が無いから、女が母親化して運営するのが家庭だと私は思います。人生、実は、切羽詰まって、生きている方々も一杯いらっしゃると私は思っています。人生、甘いものではないと。甘い生き方、自分中心の生き様をしていた方ほど、先に、結婚していくと思われます。そういう本能、プログラミングがされていると思われます。 自由には責任が伴うんです。地獄の親が人類への負債が貯まるのを待ち構えているのです。支払いをさせる為に。私はそういう世界観です。人類始祖エヴァがへびに支払いをさせられてしまったように。神に条件を積んで、神の子の道を前進するのではなくて、繁殖をさせられてしまったわけでした。 ここでのポイントは、へびが人類始祖アダムではなくて、人類始祖エヴァを最初に試練したという事です。即ち、神の摂理は、女を先に完成させる予定だったのではないかと考えられます。神としては、自分が与えた戒めを守って、神に条件を積んで欲しかったと思うのです。男の摂理は、二の次だったと考えられます。神は女中心に、摂理を進めたという事です。家庭というのは、男がつくるものではないと思うのです。切羽詰まった女が母親になる決心をしてつくるものだと思うのです。男は自分中心にならないので。女・子供中心で生きているから。 これが45年間、生きてきた私が思っている事です。切羽詰まった女が自分の器に納まる男を掴まえているだけの事だと思うのです。何故かというと、女は男の上の地位だから。男が人生競争を勝利していって好みの女を選ぶという地獄の親の思い通りに進む愚かな男はいるわけない。地獄になってしまうだけの生き方するわけないんです。人類の業を背負う生き方するわけないんです。そんなこと、誰もしない。 自分中心の生き様をして、人類の業のゴミ箱になってしまった駄目女が先に人生の支払いをさせられる、個の自由を無くす支払いをさせられる、即ち、結婚させられるという神の摂理があると思うのです。何故なら、先に幸せを得た者は人類の中でより自己中心の生き様をしているという事だから、下の位になるのだから。そういう人生の最終審判を先にされてしまう者の方が駄目な生き様に決まっているのです。どんどん、どんどん、上に行かされてしまうので。上の地位ほど、辛い。幸福のわけない。 上の地位、全然、神に祝福されていないんです。このサタン世界では。尊敬なんて誰もしてくれない。上の地位だから、やって当たり前で、足りなければ文句を一杯言われるのでした。文句の念が自分の霊体を攻撃しまくる。感謝の念を送って下さるのではなくて。やりたくない。やりたくない。マイナスの念を受ける仕事やりたくないんです。ゼロの状態よりも酷い。ゼロの状態で、人類の為に陰徳を積み続けている方がマシ。マイナスの念を送られるの、最悪。生き霊を送られるの最悪です。 感謝されるような生き様は難しくてできないけれども、少なくても、恨まれる生き様だけはしたくないと思います。 私は神の御心の実現の為に生きるだけの人生しか、許されないと思っています。自分中心の生き様なんて、あんた何様のつもりと思います。そんなにあんた、自信があるの? そんなに世の中の事解っているの? という陰の声が聞こえてきます。毎日、毎日、より謙虚にならざるを得ません。神に条件を積み続けて、神のエネルギーを戴いて、少しずつ、賢明になっていかなければならない立場です。 サタン教員達の霊が私を環視し続けている。人生の失敗者方が足を引っ張ろうとしている。勿論、引っ張られたら、地獄に引き摺り込まれるだけだから、私も真剣です。人類の為に生き続けるだけです。それしか、自分を護る方法が無いのです。 結婚して独身時代より幸せになれましたか。得をしたのか、人生の支払いをさせられたのか、どちらだと自分では感じられますか。自分が感じている事が真実だと思われます。人類の為に生きていないと、強引に、為の生き方させられてしまうと私は見ています。私の正直な見方です。 大体、人類の親が地獄にいる事自体が異常事態だと私は思います。 私の親のヴィジョンを言うと、親の地位を得る毎に、より人類の為に生きる支払いをし続けなければいけないという事です。自分の下の地位をやって下さる方を得たのだから、その分、自分も人類の為により下の地位をやらなければいけない、これが私の常識なのです。こうやって、親は自分の子孫を神から与えられる毎に、その分、立派な生き様になっていく、これが私の常識なのです。愛された分、愛し返す。これが私の常識でした。私はこういう世界観です。 為に生きなければ、地獄に堕ちてしまうだけ。自分中心の生き様なんて、偉そうな事誰もやってはいけないのです。自分の衣食住、文化・文明、他から与えられたものです。その分、自分も他に与え返さなければ負債になるんです。セックスをしているのも凄い上の地位です。その喜びの分、人類の為に働いて、返さなければ負債になるのでした。 自分が神から与えられた喜びの量と、神に支払わなければならない苦しみの量とはつり合うと思います。 結婚は支払いだと思います。相手の女に背負われてしまった、人生の支払いをされてしまったから、その分、返さなければならないから、結婚するのだと思います。女は皆、男よりも立派なのです。そういう真剣勝負と。女に自分の人生の支払いされないように気をつけなければいけないのです。自由を奪われてしまうのでね。結婚した後も、悔い改めないと、どんどん、追いつめられるんです。女にはサタンという地獄の親がついているのだからね。対等ではない。 男は神の御心の実現の為に生きて対抗していくしかないのです。現実的な考え方、現実的な智慧、叡智、そういうの、娘の親には必要でしたね。義理の息子を掴まえさせなければならないのだから。人類の運営、女中心でした。 自分の為に生きている者達、何て間違った生き方をしているのだろうと思います。人生の現実が全く解っていない。自分の存在費用を払い続ける為に、その分、為に生きざるを得ないんです。神様、自由にさせているのには、算段があるのでした。タダのものは何も無い。勿論、空気も月のエネルギーも太陽のエネルギーも。身体がちゃんと機能するのもタダではないのです。魔神が支払いさせているので、タダではないという事がよく解ります。残酷な目に人類一杯遭わせられているので。自己責任を取らせて、その分、自由意思を与え続けていると。主体性を奪わないと。尊厳を奪わないと。 人間は自分より上の地位の神に自分の為に生きられた分、他人の為に、即ち自分より下の地位の神の為に生き返している中間的存在です。 地獄に堕ちていない者達は、人類の為に生きていた、人類に貸し越した人生の成功者でした。私は人生の成功というのは、人類に貸し越すという事だと思っています。人類の為に生きられた、自分中心の生き様に堕ちなかったという事だと思っています。それだけです。無名でいいと思っています。名誉も勿論、タダではないと思うから。等身大の自分を見せて名誉を下げる事も大切な事だと思います。名誉なんて何の意味も無いから。神の地位を見よ。ひたすら、陰徳を積むだけの状態を見よ。名誉欲を満たす為に徳分を遣う位だったら、その分、神の御心の実現の為に遣うべきだと私は思います。上の地位の方ほど下の地位の者達の為に生きなければ人類への負債になると思うから。そういう感覚が無い方々は、本当の上の地位の方々ではないと思われます。 子のいない安倍さんが首相なんて、本気でやる気になるわけないんです。妻がいるから私よりも上の地位ですが、子のいる方々よりも下の地位。子のいる国民の方々の為には絶対に働くわけないから、自分より下の地位の者達の為にしか働くわけないから、そもそも、首相にする事自体、無理があったと思います。私から見れば、物凄く非常識な話でしたが、立派な方なのかもしれないと思ったのでした。 でもやっぱりできない事はできませんでした。当然だと思います。自分より上の地位の方々の為に働けるわけないから。神から祝福を与えられた分だけしか、働く事できないというのが真理だと私は思っています。無理をして、立派な生き方をしようとしても続かないと。これも現実的な智慧です。神から与えられた分しか、神に与え返す事できないという。
2007.09.22
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為に生きた分が自分の地位となって返ってくる。 自分中心の生き方をしている場合、自分の徳分は減っていくばかりである。だから、お金を得て、そのお金で快楽を得ても、幸せではない。自分の心を失ってしまったからである。自分の心も徳分でできているのです。為に生きた分、豊かな心を神から与えられたのです。その豊かな心の徳分のエネルギーを遣って、労働して、お金を得たわけです。だから、お金を得た分、心の豊かさは減っているのです。多分、為になっている労働って、殆ど無いと思われます。徳分を積める労働ってあるのだろうか。神がトップになっていないこの状況で。神は自分の心に適わない世の中の為に働くわけないんです。神は人類の奴隷ではないのです。人間が神に条件を積んだ分だけ、神は人間を祝福して下さるというのが私の考えです。 無条件の愛などあるわけない。無条件の愛を神に求める方は、自分より下の地位の者達にその求める分、無条件の愛を与えなければいけないという事です。この条件をクリアできる方は、クリアできた分だけ、神から無条件の愛を与えられるでしょう。という事で、タダでは何も得られないのです。無自我の世界。非人格の世界。物の世界。自分の心を捨ててしまう世界なのでかえって大変な条件を積む事になるのではないかと思われます。存在できない。生きていかれない。要求する分、与えなければいけないのが宇宙の法則だから、無茶苦茶な要求をすると自滅します。 私は神の御心の実現の為に生きます。神に条件を積みます。与えられたデータ、プログラミング、本能だけで生きてはいきません。動物の生き方はしません。自分の有る生き方をします。動物には自分は無いのです。本能だけ。神と向かい合う生き方はできない。神を求めない。信仰心の有る動物はいないと思われます。逆に言うと、信仰心の無い人間はいないという事です。信仰心が無い者は動物という事です。本能のままに動いている存在という事です。自分を持っていない。 自分というのは、自分が存在している事を自覚しているという事です。反射的に、プログラム的に動いていないという事です。考えている、思っている自分がいるという事です。これがないと、人間とはいえないと思います。機械のよう、動物のようです。動物は生体機械です。私はそう感じます。そういう表面的な意識の世界に生きていないからそう感じるのです。 自分で考えない、思わない生体ロボット一杯いるような気が致します。常に自分がしている事を自覚しているべきだと考えます。何の為に、何を求めて、それをしているのかを。反射的に、プログラム的になってしまうと、生きていない状態になってしまうと思います。生体ロボット的な存在の仕方は、生きていない状態だと思います。自分で感じ、自分で考え、自分で思い、自分の人生を生きないと生体ロボットの域を越えられない、即ち、生き物として存在できないと思います。 人間はデータではない。データを越えている生き物なのです。ロボットではないのです。人間が生体ロボットだったら、神は孤独な存在という事になります。神以外誰も存在しないという世界になってしまいます。悪すらも、教育すれば善になるという希望を与えてくれるから、生き物がいるという世界になる。孤独ではなくなる。生体ロボット何の意味も無い。生きている人間がいなければ神は孤独なのです。私の感じる神の世界。気長に成長を待っている世界です。プログラミングした本能だけの存在から、自分を自覚して、神に向かってきて欲しいと願っている世界。 神の子を自覚すると親である神を求めるようになります。神の子を自覚している存在だけが、神の子です。あとは、プログラミングされた通りに反応している生体ロボットにすぎない。神にとって、自分の子と感じないわけです。神との交流が始まらない。 神と交流し始めている、神に条件を積み始めているのが人間の条件だと私は思います。人類史は悲しい事に、最初、人類始祖エヴァがサタンルーシェルとセックスをして、霊界の交流をした事により、スタートしました。この人類の状況は、サタンの霊界の顕現なわけです。そのサタンのデータを持った人類始祖エヴァと人類始祖アダムとがセックスをして、子をもうけた事によって、人類史が始まったのです。だから、サタンルーシェルは人類の親といえます。私は地獄の親と呼んでいます。地獄にいるから。 しかし、そのままだと、人類は皆、地獄に行ってしまうわけです。自分で神に条件を積み続けて、神のデータと入れ替え続けていかなければ、救われる方法は無いと思います。勿論、人間は自由で主体的な存在なので、自分で条件を積むしかありません。誰かに従属している存在なのではありません。勿論、男女も対等存在です。男が神だという事はありません。単なるゲームだと思います。別に女が男によって女にされるという事は無いと私は思っています。つもりになっているだけだと思います。表面的な楽しみに過ぎないと思います。 対等な存在として、愛し合っていかなければいけないと思います。女はセックスドールではない。気のせい。表面的なゲーム。セックスをしたからといって、女は何も損はしない。男のものになるわけではない。お互いの愛の実践、心の交流によって、深まっていく関係だと思われます。セックスは表面的な関係だけ。肉体というのは表面的なものだと思います。勿論、節操を守る事は非常に大切な事ですが、心の世界が一つになるわけではないと思います。肉体的なカルマだけ。人類に子育てされなかったので、肉体的な世界やれないので、私にとっては、関係の無い世界です。セックスをした方々だけが、考えなければいけない世界です。遺伝の世界。先祖の業。原罪、遺伝罪、連帯罪、自犯罪全然関係無い。 セックスをしないと、自分の肉体の鏡の存在が無いので、自分の肉体意識無い。世の中、全て相対的にしか存在していないのです。絶対存在は無いのです。感覚器官は外側に向いている。自分を感じる事はできないのです。男は女の体験をして、女は男の体験をする。だから、二人で一人前なのだと思われます。多分、原罪、遺伝罪、連帯罪、自犯罪、それぞれに合った解消法が有ると思われます。肉体の業の浄化方法有ると思われます。そういう世界は徳分を積めば与えられると思われます。お金や、肉体的な苦しみとかが要求されるでしょう。それでも、解消した方が、業のままの人生を送るよりもいいと私は思います。その分、物質的な欲望を減らさなければなりませんが。好きな方を選べばいいと思います。殆どの人類は業のままの人生を選んでいるみたいです。楽しみを減らしたくないという事だと思われます。私は非常に低い地位に落とされて、業の浄化をさせられているので、殆ど関係無い世界です。地位が高いと、その地位の分の支払いがその分、要求されます。 この肉体の世界、非常に怖い世界なので、摂生した方がいいと思われます。かなり残酷な運命に遭っている方々が一杯いらっしゃいます。私は耐えられないですが、耐えているので、結構苦しみに強い方々なのだなあと驚かされています。だから、この世の天国の喜びを味わう資格があるのでしょう。私はこの世の地獄の苦しみに全然耐えられないので、セックスできないのでしょう。人類の現状は私にとっては過酷すぎます。 私は19歳の誕生日に大学で統一原理の伝道をされて、園の中央にある木の実を食べると死んでしまうというデータを与えられて、セックスできなくなってしまいました。個性完成するまでは。個性完成というのは、そう簡単にはできないです。勿論、文鮮明も個性完成していないのです。私はそれだけの事が解る霊性を持っていた。個性完成というのは、人類始祖アダムとしての完成という事なのです。そこまで神に条件を積まなければ神の心情と一体化するわけないのです。文鮮明、エゴイスト。人類のこの現状で個性完成していると言っている、貴方の神はエゴイスト。 神は人類の親神ではないのか。自己中心のサタンなのか。私はこう思うのです。人類のこの現状で個性完成しているなんて、笑っちゃいます。エゴイスト。自己中心主義者。私にとっては全然問題外なので。毎日、毎日、人類の否定的な情報が入ってくるんです。教員時代は一杯一杯考え続けていたのです。上の地位の人類、即ち、神様に今は下の地位にされたので、自分のさらに下の地位の者達の事しか考えていないので、ほとんど気になりませんが。下の地位は気楽です。教員も御給料的には下の地位ですが、公務員だから、全体の奉仕者の一員なので、霊的には非常に働かされるんです。肉体的には御給料分だけですが。税金の給料、非常に非常に非常に厳しいです。 私は霊的に物凄く働いていたので、御給料の負担はちょっとでしたが。最初の頃は、給料日が嫌でした。御給料の分、業を背負わされるから。お金の業の世界も結構、浄化が大変だと思われます。人類の文明・文化を背負わされているので。文明、文化を背負う御仕事しなければいけないと。お金の業の拘束力は物凄いものがあります。ただの紙、金属ではないと私は感じています。
2007.09.21
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自分中心の生き方をして、勝ち組になって幸せになれる方々は勿論、そうしたらいいと思われます。しかし、私のように、そういう競争社会で、勝ち抜いていくという生き方が性に合わない方々は、私の計略を聞いて頂きたいと思います。未来の人類の為に書いています。今の世の中に納得できない方々の為に書いています。 神は愛だとどこでも言われています。現実の世の中は愛で運営されているでしょうか。より愛の大きな者が上の地位になっているでしょうか。私達は愛されているでしょうか。私はそういう世界に生きていたいのです。ただ、それだけです。そうでない世界、嫌なのです。嫌だから、そういう心の世界に生きていないのです。愛の心の世界に生きているのです。神様の愛を信頼しているのです。その為に自分の人生全てを賭けていいと思っているのです。競争社会、消耗させられるだけだと私は感じています。強者、勝利者が自分中心の世界を構築して、楽しんでいる世界だと思っています。強者、勝利者というのはサタンの事です。サタンに向かっていって幸せを感じられる方々はそうすればいいと思われますが、そういう弱肉強食の世界、楽しくないと感じられる方々は読み続けて下さい。楽しい方々は読んでも無駄な内容です。違う価値観だから。 これは貴方がどう生きたいのか、どうしたいのかという問題です。人間は全て、自分の生きたい世界に生きられるのです。神様、全ての霊界を用意して下さっているから。自分がこの世で生きていた心の世界に、死んだら、行く事になっているのです。 だから、自分によくよくよく聴いて、自分の生きたい心の世界に生きて下さい。人間は実は心の世界に生きているのです。肉体は体であって、自分が生きている世界ではないのです。だから、同じ空間に生きていても、心が違えば、全く霊界は違っているのです。要するに、別々の世界に生きているのです。この世に生きていても霊界が違う方々とは、表面的なコミュニケーションをするだけの事です。そんなに深いコミュニケーション、求めている者は殆どいないのです。お互い、距離を保って生きているのです。気の合う者同士しか、コミュニケーション殆どしないのです。存在は幸せを求めているだけだと思います。だから、自分を幸せにする為に生きるだけです。それが全てです。自分が幸せと感じない事やる意味何にも無いんです。 全て、この価値観で生きればいいと私は思います。もう一つ、カルマの法則があります。与えたものが受け取るものであるという。即ち、自分が受け取りたくない事を他にしてはいけないという事です。他者の立場を考えて行動した分だけ、他者も自分の立場を考えて行動してくれるという事です。そういう世界観の中にも生きています。だから、競争しないんです。競争の勝者になるという事はその分、敗者をつくるという事です。そういう阿修羅の世界に生きたくないから生きないのです。勝者は常に敗者なのだから。世界一になるまで。世界一になっても永遠に世界一でいられるわけではないのです。世界一という幸福を味わった分、失った時は苦しむのです。 ゼロ面に生きていれば、そういう幸不幸関係ないのです。失った時に耐えられる喜びしか、味わわないというのが、このゼロ面に生きていく為には重要な事だと思われます。常に自分を護るのです。大体、大きな喜びというものは執着心をもたらして、失った時に、その大きな喜びの分だけの苦しみを与えられるものだと体験上、思います。人間、フラットで生きなければいけないなあとつくづく、思わされました。だから、無理をしてはいけないと思わされました。 地道に、足を地に着けて、等身大の自分で生き続ける事が幸せで在り続ける為に大切な事だと私は思います。もう一つ、為に生きるという事です。為に生きた分、自分の地位もカルマの法則によって与え返されてくると思うのです。それだけで生きていくのが本当の生き方だと思われます。それ以上の生き方をすると、借りになると思うのです。そうすると、待ち構えたように、自分中心のサタンが登場して、犯し返されてしまう、そういう仕組みになっているようです。 借りの生き様になると、苦しくなると思われます。そういう時は、心を変えればいいんです。地位を下げればいいんです。例えば、自分の妻は勿論、自分のものではないのです。当たり前の事ですが。相手にも主体的な心がある、人格があるのだから。だから、自分の妻という思いは間違っているのです。共同生活者なのです。これが現実です。これが真実です。同じ霊界にいる必要はないのです。そういう事です。指輪はしない。常に現実の自由な心の世界を生きるのです。指輪をするというのは、非常に高価な事なのです。そういう約束を全うするのは非常に難しい事です。私は指輪をさせられている世界、到底耐えられません。そんなに好きになった女、いないという事です。指輪をしている、カルマが一緒になってしまう世界、物凄く、愛し合っている世界だと思われます。 要はどこまで耐えられるかという事です。勿論、相手の方が自分を愛して下さっているのなら、指輪を着けている意味はあると思われますが、心が自分から離れてしまっているのなら、外してしまってもいいと私は思います。カルマを別にするという事です。心の世界、霊界を別にするという事です。深見東州氏は公式な手続き、婚姻届が重要だと言っていますが、それは財産の事だけです。内心の事ではありません。世界中に愛をワールドメイトはお金の世界なので、お金重要みたいですけれども、私はそうは思いません。カルマは心の世界の問題なのです。お金全く関係ないと私は思います。お金の世界は、物質の世界でしょう。物質の世界と心の世界、全く別の世界だと思います。 私が生きている世界は心の世界であり、物質の世界、お金の世界ではありません。多分、園の中央にある木の実を食べていない、死んでいないからだと思われます。勿論、個性完成するまで食べない。私は勿論、文鮮明を信じられない。複数の女とセックスをして、子供を孕ませた雄を信じられるわけない。行動がその者の本性を現していると私は思うから。私の上流にいられない、私より生き様が下である者を信じて侍る事できない。上の地位という事は私よりも当然、生き様が上でなければおかしい。上の地位の者ほど神に近いはずだから。神は完全存在であるという前提によって。それが神の条件だから。 当たり前の事ですが、人類史、全て神の愛の体現でなければおかしい。神がサタンに負けているという世界観おかしい。神の前提条件を満たしていない。私はどう考えるかというと、人間の失敗であると考える。このサタン世界未来には神の世界に全部変わっていると考える。だから、おそらく、今、非童貞・非処女の方々が皆、離婚してしまうだろうと思っている。勿論、離婚しないで、個性完成できたら、その方が善いとは思いますが、耐えられないだろうとみています。人類のカルマ、全て、背負い切れるかと思っています。私は人類最後の一人まで幸福にすると思っているのです、当たり前の事ですが。人類は一緒の存在なのだから。私は自己犠牲をするアベルではないのです。そんな甘っちょろい考え方できないのです。現実的なのです。カインがやった事を全部カルマ返ししていって、全部自業自得で自滅させようとしているのです。神は上にいて上からしか物事を進める事ができませんが、私は下から御仕事を進めているのです。セックスをするチャレンジャー達を信頼して、応援し続けているのです。頑張れ、頑張れと。永い、永い御仕事だから、気長にやっているのでした。 統一原理の考え方、無茶苦茶。上意下達で自由意思を与えられている者達を意のままにできるわけないんです。もっともっともっともっともっと時間が必要だと思います。カインを屈服させると言っていますが、神にもできない事を人間ができるわけないんです。空が好き http://plaza.rakuten.co.jp/sugar925/diary/200708170000/ さんが統一原理を否定しまくっているではないか。祝福を受けて、韓国にお嫁に行って、子供まで授かっているのに。自分がやった事を否定しているのはかなり大きい事だと思います。過去の自分が間違っていたと言っているのだから。 私に言わせると、人間は皆、神の子だから、間違った事はしないのです。生涯、自分の正しさを信じて全うすればいいのです。ぶれてはいけないのです。神の子である自分を否定する事になるから。これが私の常識なのです。私は絶対悪は無いと思っているので。神から見れば全て正しい筈です。私は全てに対して肯定的な価値観を持っているのです。全ては神の愛の表現であると。私は全くぶれてはいません。 私がこういう立場になっているのも、神の計画の一部だと思っているのです。子育て誰もしてくれなかったから、次善の摂理として、未来の人類の為に御仕事をさせて頂くと、そう思っているのです。人類の中に、生徒が一人もいなかったと。子育てされなかったから、現実の摂理やれないと。妻子を得られないと。未来の人類の為にデータを残すだけと。 勿論、無数にいる結婚したカップル達が1組でも、私の上の地位を達成して下されば、神の血統の人類始祖になれるのですが。私の業のゴミ箱として、私の業を消化できれば可能なのです。離婚さえしなければ完成夫婦になれるはず。私は辛抱強いのです。文夫婦、頑張れよと応援しているのでした。私の本音です。私は私の血統の子孫を持つ事に拘りはないのです。人類の為に生きているだけなのです。神の為に生きているのです。為に生きていれば、その分、自分の地位も与えられるのです。それでいいのです。 はっきり言わせてもらえば、今、結婚しているカップル、全員、私の上の地位を達成する事が可能なのです。皆、神の子なのだから。やれば必ず、できるんです。 人類最後のカップルとなる、それが私の天命です。 まだまだ私の御仕事はありました。良かった、良かった。私は嬉しいです。私しか知らない、私のささやかな喜びの世界です。こういう喜びが、教員時代にも一杯ありました。一杯感動体験しました。私だけが知っている私の内的体験の世界です。 ここまでに成した全ての御神業を、サタンでない、自分の下の地位の者達を愛している人類の親神様方に御報告致します。 ここまでに成した全ての御神業をカシオペア座首星神界、北斗七星本星神界、北極星神界、北斗七星二番星神界・三番星神界の本元の神様、天命界の親神様に御報告致します。 大変、不思議な事に、妻もいて、女も愛人も子も一杯いる麻原彰晃が私の下の地位、即ち、私の上の存在をやっているのです。一体全体、何が起こっているのでしょうか。世の中の善悪というものはそう簡単には判断がつかないという事です。当然、私は彼を裁けないのでした。私の業のゴミ箱をやっていないのです。 空が好き http://plaza.rakuten.co.jp/sugar925/diary/200708170000/ さんを通して、文夫婦に、謹んで、御報告致します。
2007.09.20
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安心して寝る事もままならなかった生活、地獄の親の業を背負わされまくっていた毎日、納得できない。何も現実が支払いされないで、人類の親の地位を得ただけでした。もっとも私は人類の親の地位ではなくて、それを人間の地位ととらえていますが。これが人間界に値すると思うので。地道に息子のいる父親、母親を背負って、彼らを家族愛の霊界の状態にしていきたいと思っています。 子育てというものは、他を愛した分だけしかできないのです。自分が親の地位を得る為にはその分、子の地位をやらなければできない。全て、与えたものが受け取るものだから、何も与えないで何かを得るという事はできない。私も息子の地位をやるのです。ちなみに、娘の父親というのは私にはできない。自分の女がいないので、皆、女なのです。娘はいないのです。悲しい事に。ちっちゃい女でも、一応、女と感じるのです。娘とは感じないのです。女を背負っている時は自分が背負っている女以外は娘と感じたのですが。現実でない事やってもしょうがないので現実に降ります。 だから、娘の父親というのは、私の上の地位です。自分の娘の結婚相手、義理の息子を得る立場ですので。ただ、子育て真剣にやらないと、非行に走られて、とんでもない雄と結婚する事になって、義理の息子という情関係を結べなくなるかもしれないという危険があります。父親にとっては実であろうと義理であろうと息子が自分の子だと思います。娘は母親の子だと思います。 ただ、娘が自分の女になってしまうのは善くないと思います。自分の妻を愛していなければいけないと思います。娘を愛する父親というのは善くないです。絶対に善くないです。絶対にやってはいけない事だと思います。娘の父親の地位を支払いして娘の男という下の地位に堕ちてはいけないと思います。妻と精神的に離婚してはいけない。これだけは人間としての信頼関係を守らなければいけないと思います。可愛かった妻の過去の記憶を捨ててはいけない。非常に大変だとは思いますが、娘の上の地位というプライドを捨ててはいけないという事です。娘は父親のサタンをやろうとしますので、サタンの血統だからね。現実はそうだと思われます。自分の母親の下の地位をやれない娘が、義理の母親の下の地位やれないと思いますので、結婚生活破綻すると思われますので。 セックスをするという事はそういう事でした。下の地位をやって、自分の現実支払いをしたからできるのでした。全て、与えたものが受け取るものであるのです。 サタンでない、自分の下の地位の者達を愛している人類の親神様方に御報告致します。 ここまでに成した全ての御神業をカシオペア座首星神界、北斗七星本星神界、北極星神界、北斗七星二番星神界・三番星神界の本元の神様、天命界の親神様に御報告致します。
2007.09.20
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今日、アベル圏に同参できる恩恵のゆえに、最近になって黒人たちも祝福されるのです。黒人たちの名が知れわたり、黒人たちが出世するのです。アメリカ国内でも有名なスポーツマンや、名を売って活動している人のすべてが黒人です。アメリカの食口も、半分が黒人です。そこに統一思想を入れるだけで、いかなる天才的なアメリカの博士よりも、もっと立派な博士につくって上げることができるのです。白人たちに負けない思想を、全白人世界の助け手となる思想を入れてあげることができるのです。それを、今レバレンド・ムーンがやっているのです。 このアメリカでも人種戦争が起こり得るのです。ネバダ州には約四十七万の人々がいるというのですが、そこに共産党員を投入して共産国をつくり、「中央政府は二重の搾取をするので、中央政府を脱退する。」と言う時には、どうするつもりですか? そのような州が三つできれば、アメリカは大きく崩れるのです。中央政府が飛ばされないという保証がどこにありますか? 今日、イランのような小さな国に反対されただけでも、歯が立たなくて全部後退せざるを得ない敗者たちなのです。皆さんはそういうことを考えたことがありますか? そこに、もし黒人を動員して復讐してみなさい。アメリカは簡単に攻られるのです。 白人はそのようなことを心配して、それを防御しようとしているのです。ですから、黒人が白人を許すことによって、黒人が救いを受け、白人も救いを受けられるのです。そうしないと両方とも滅びるというのです。それで、我々統一教会の信者においては、そのような人種的差別があってはなりません。蕩減のための祭物は反発してはならないのです。志願しなくてはならないのです。祭物にならないならば、先生にはついてこれません。 イサクも、お父さんのアブラハムが祭物を捧げる時、反抗しなかったためにアブラハムの祝福を受けることができたのです。十二歳にもなれば、自分がお父さんの祭物として刃物で刺し殺されようとしている立場がよく分かるはずです。しかしその時、「なぜですか? お父さん。」と言ってはならないのです。何の話か分かりますか? 皆さんにも、そういう難しいことがあるというのです。その時、そうせずしては生き残る道がないのです。 このようなとてつもない大きな仕事が、アベルの歴史の中にあるという事実を知らなくてはなりません。これを知った時に、皆さんはこれまでにどれほど偉そうにしてきたことでしょうか。それは神様の前に、どれほど恥ずべきことか、先生の前にどれほど恥ずかしいことかというのです。 今現在、アメリカがどうなっているのか分かりますか? では、それを何でもって防止しようとするのですか、最後の方法として、何をもって防止するというのですか? (ホームチャーチです。)。そうです、ホームチャーチで防止するのです。そして、サタンはいつ攻撃してくるか分かりません。既に地下工作をしています。しかし、我々が七八年まで三万名復帰を成せたなら、先生がアメリカにいなくても、このことは可能であると思います。 そして一人が十人ずつ伝道するとすれば、三十万名になります。そうすれば全アメリカに配置しても余りある数です。ではホームチャーチを急ぐべきか、急ぐべきでないのか? 休む時間があるのですか、皆さん! (いいえ。)。 仕方がないので、皆さんをして教会を立て、カープを立てて七七年から始めたのです。そして八〇年までの三年間にこれを成そうとしたのですが、アメリカ人が責任を果たせなかったために仕方なくタイガー・パク(先生)を立て、「進め、進め、進め。」とプッシュしたのです。「共産党を、既成教会の牧師を、ならず者たちを、淪落するすべての者たちを訪ねて行け!」と。学生たちは勇敢でなくてはなりません。それは学生の本分です。御言葉「摂理から見たアベルの正道」13 1979年12月30日 傑作(0)2006/12/31(日) 午前 7:46 アベル・カイン 練習用 ホームチャーチはサタン世界屈服の基地、天国への道である それで三次七年路程の八一年の中間までに、全食口が一つになって伝統をつくり、滅びることのないようにしなければなりません。それが先生の責任です。入教してきたらすぐに四十日修練会を行い、アメリカ全土でホームチャーチをするのです。二万人の食口がいるとすれば、七〇〇〇万軒のアメリカの全家庭を世話できます。そうすれば共産党がアメリカを滅ぼそうとしても不可能です。武力でもってしても、何をもってしてもできなくなるのです。 共産党を誰が何で防ぐのか? これが一番の問題です。そうすることによって青少年の淪落も防ぐことができ、教会の淪落も防ぐことができるのです。ホームチャーチをするならば、共産党を防ぐことができるであろうし、青少年の淪落と、家庭破綻を防止し、キリスト教会の破綻を防御することができるのです。そういう意味を知らなくてはなりません。 教会を復興させるために団結しなければなりません。ホームチャーチに火をつけて、教会を復興させ、心情を高め、神様の願うこのアメリカを防御する橋頭堡を築かなくてはなりません。それを国ができると思いますか? 大統領がキリスト教を復興させることができると思いますか? 皆さんの足下に今、共産党が刀を差し出しているということを知っていますか。 これらは自由世界で一番難しい仕事であり、神様のみ旨の中で一番難しい仕事です。宗教歴史の中で一番難しいこの仕事を、アベルがしなくてはならないのです。この巨大なる使命のために、実践する中でつらい目に遭うなど、そんなことは問題ではありません。この責任をどのように完成させるのかが問題なのです。 そのようにすれば、今まで皆さんが清算できなかったものを、一気に蕩減してしまうに違いありません。ヤボク川でヤコブが戦ったのと同じことを、ここで実体共産党を、実体教会を、実体の青少年を相手に戦うことによって屈服させるのです。ヤコブが腰の骨を打たれて折ったように、ホームチャーチによる相撲をして勝たなくてはならないのです。これに勝利すれば、我々統一教会をアメリカが歓迎するでしょうし、全世界が歓迎することでしょう。これに勝利する日には、共産党も我々から退いていくのです。ホームチャーチさえ築いておけば、言葉においても、理論的にも、共産党は我々を突いてこれないのです。「統一教会と会うな、会えば苦しいから、会ってはいけない。」「理論闘争をしてはいけない。」と。日本の共産党もそうしてやられたのです。(拍手) その時になれば、科学者大会が必要になるでしょう。科学者会議にも共産世界の学者たちを集めて、理論的に屈伏させなくてはならないのです。何の話か分かりますか? ホームチャーチがどれほど重要かということが分かりましたか? サタンを屈伏させるための基地なのです。政府にそんな仕事ができると思いますか? それができるレバレンド・ムーンが、今アメリカから怨讐のように扱われているのです。 それで皆さんはホームチャーチが必要ですか? (はい。)。神様は、皆さんが復帰過程の個人、家庭、氏族、民族、国家の、アベルが通過したすべての蕩減路程を、全部なしたという条件をなぜ必要とするのかというと、それはアベルとして行かなくてはならない道であり、天国はホームチャーチを通じなければ行けないからです。このことを皆さんは知らなければなりません。そこで、個人的に迫害を受け、家庭的に迫害を受け、氏族的に迫害を受けるのです。このアメリカに数多くの民族が住んでいるのですから、十二以上の民族からの迫害を受けるのです。 それはどういう意味かというと、個人レベル、家庭レベル、氏族レベル、民族レベル、世界レベルでの蕩減的アベル路程を歩んだという条件を立てることになるのです。皆さんはそれが嫌なのですか? 神様は、人間始祖の堕落以後、人類歴史始まって以来今日まで、宇宙的なアベルの蕩減歴史の中でどれほど苦労してこられたことでしょうか。ユダヤ教では四〇〇〇年間苦労をしても失敗し、キリスト教では二〇〇〇年の間苦労しても蕩減できなかったのです。先生はそれらを二十年間で、死ぬほどの苦労をしてすべて蕩減したのです。その基台の上での皆さんの七年の間です。それができないというのですか? 先生に勝利の方法をみな教わって、細密に知っていながらもできないのですか? 皆さんはアベルの正道の歴史を個人水準で蕩減するのです。先生は世界的蕩減路程を歩んだのに、皆さんはそれができないのですか? 皆さんは小さな氏族的基盤を一日に何回か回ることもできないのですか! 皆さんが、ここでカイン的ホームチャーチをつくれば、アベル的ホームチャーチは自動的にできるのです。この私が、アメリカにいて勝利的歓迎を受ければ、韓国は自動的に歓迎してくれるようになっているようにです。-引用終わり- サタン教員霊達、地球の親になったそうです。私は宇宙の親だそうです。今の私は、パソコン生活だけだから。毎日、毎日、自分の想念エネルギーを文書化して発信して、魂を向上させるだけの毎日だから。現実何をするにも費用、徳分がかかるので、ブログを見る事とYouTube、TVを視聴する事と新聞を読む事、卓球をする事、英会話を英国人から学ぶ事、食事をする事、入浴する事位しかしていないけれども。子育てされなかった人類の現実やるわけにはいかないので特に何とも思っていません。人間が殆ど全くいないという人類の現実を知ったので、仕方がないと思います。子育てやっていなかった市・県・国・天皇・国連には吃驚仰天しましたが。サタンが人類の運営やっていたというのは驚愕の現実ですが。 人類の親神様方より上の地位の他惑星等の人類を司っている親神様方に、この地球人類の現実を御報告致します。サタンが地獄の親になっています。そして、善を成す者達を攻撃しまくって、地獄の自分を背負わせまくっています。彼が地球人類の運営者だと思われます。多分、人類の親神様方は存在しない。サタンが人類の主宰者と思われます。だから、自分が本当にしたい事だけをするしかないと思います。本当にしたい事であれば、地獄の親であるサタンを背負わされても、それでも、やれるから。それでもやれない事は本当にはやりたくない事なのだからやらないと。まあ、人類の置かれている現状がここまで解明できたので、未来の人類全てに御報告致します。本当にしたい事だけをなさって下さい。何をするのにも、徳分、費用がかかりますので。 今までに成した全ての御神業を天命界の親神様に御報告致します。 とにかく、色々な道、色々な霊界状態というものがあるので、自分に一番合っている霊界状態を目指して向上していくのが一番納得する人生になると思われます。私は天命界生活に入るのが一番自分に合っていると思っています。両親と今までに飼ったペット達も呼んで一緒に生活したいと思います。 統一教会員に対して思う事は、それを自分は本当にしたいのかしたくないのかを大切にして欲しいと思われます。どこでも大体、神様は愛と言っているので、私はそれを信じます。地獄の親を背負う生き様はやりません。地道に自分より下の地位の方々、未来の人類を愛し続けて、その分、自分より上の地位の方々に愛されて、自分の地位を得るという生き方を続けます。地獄の親のやり方納得できないので。神様と思えない。
2007.09.20
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全体のために尽くすのです。私自身は統一教会のために尽くすのではなく、世界のために尽くしているのです。統一教会のためではないのです。それが何かというと、「アベルの正道」なのです。それが「アベルの行く道」だというのです。神様の復帰摂理から見た方向に、アベルたちが行く道が正道だということを皆さんは知らなくてはなりません。もうはっきり分かったでしょう。「私は三年路程を歩んで祝福を受けるのだ。」というのは、アベルとしての行く道ではありません。「私は実践して、全部教会に捧げて、自分には良い相対者を。」という人は、アベルではありません。私が犠牲になれば国が良くなり、より大きな世界が良くなるのです。それが一生のすべてです。何の話か分かりますか? 堕落したカイン圏が天に対して、「私をこのようにしてください。」と言える権利は全くないのです。そのようなことは、考えることすら恥ずかしいことであり、それこそ悔い改めても、悔い改めても仕方がないほどの恥ずかしい荷を背負っているというのです。 皆さんはつらくて、つらくて、涙を流すこともあるでしょう。しかし自分のために涙を流すのではありません。涙を流すのであれば、天を懸けて、アメリカを懸けて、世界を懸けて流す涙でなくてはなりません。 私たちが反対されて不安になれば、神様はどれほど不安であり、人類がどれほど不安であるか、それを考えるのです。何の話か分かりますか? 価値のある涙を流さなくてはならないのです。たとえ人々からひどい扱いを受けても、その人に決して怒りの情をもってはいけません。自分の痛みで泣いてはいけません。その代わり、よりつらい道をたどってこられた神を慰めるのです。人類の身代わりに涙を流すのです。 もし国民が不平を言うならば、「この民よ、天を信じることのできない呪詛される国民よ。」と、国を懸け、世界を懸け、神様を懸けて言わなければなりません。世界人類を懸けて言えば、それは受け入れられるのです。先生がカーター大統領のすることに対し不満を言う時、それは個人的感情ではなく、人類の名のもとに言うのです。たとえどのようなことがあろうと、自分のことのために涙を流し、泣くようなことはしてはいけません。 皆さんにも悲しい時があるでしょう。先生にも悲しい時が多いのです。痛哭する時が多いのです。そういう時、神様をつかまえて、「どれほど悲しまれたことでしょうか。あなたの愛する息子、娘たちの悲しみを見られてどれほど悲しかったでしょうか?」。「人類が行かなくてはならない復帰の道はどれほど悲しいでしょうか?」。そうして、涙を流すのです。それがアベルの行く道です。 イエス様も十字架の道を涙を流しながら行かれ、神様に、「怨讐を、許してください。」と涙を流したのです。「あなたが私のために苦労をしませんように、悲痛にならないでください。」と涙を流したのです。神は「許してあげなさい。」と、そう言ったでしょう。そうして、涙を流したのでしょうか、どうでしょうか? 神様は涙を流したのです。そしてイエス様は十字架の道を行かれ、「私は神様のために、人類のために、この十字架が怨めしい。」と言ったのです。何の話か分かりますか? レバレンド・ムーンは、「あなたは、神様のため、世界のための仕事ができなかったので不平を言ったのです。」と、そのように言いました。それは「私はどんなアベルよりも、もっと良くやります。」と言うことと同じです。 人類を懸け、世界を懸けて戦ったのです。自分を懸けて戦ったのでなく、世界を懸けて戦ったのです。ダビデもゴリアテの前に立って、「自分のために戦うのでなく、神様とユダヤ教のために戦うのだ。」と言ったので、神様が共にあって、助けたのです。自分のために戦ったのではないにもかかわらず、自分が一番先頭に立って戦ったのです。そこには神様に代わって戦うので、神様が共に働いてくださるのです。 レバレンド・ムーンがイースト・ガーデンに住んでいるのも、自分のためではないのです。統一教会の威信を保つためにそうしているのです。人々が教会を見下さないためにです。統一教会の皆さんたちにはそのような考えをすることは難しいでしょうが、自分がイースト・ガーデンに住んでいると考えてみてください。それはアメリカの大統領に対抗するのではなく、未来のために、世界に対してそうしなければならないのです。 それでは、家庭の中のアベルは誰かというと、自分のためではなく、兄弟と父母のために戦うそのような家の中での主人がアベルです。こう見る時、それは統一教会でも同じ道理です。そのようなアベルの伝統を知らなくてはなりません。さあ、もう伝統の意味が分かりましたか? (はい)。自分が完全に祭物となって、天上に福を持って行き積んでくるのです。 先生が資本をたくさん注ぎ込んで成したことで、自分のためのものは一つもありません。全部皆さんたちの名前で成し、私の名前のものは一つもないのです。先生が持っているものはみな、教会の人に、分けてあげるのです。 それでは、アベルの家族という意味が分かりましたか? 統一教会でイースト・ガーデンに住む人たちはみな、そのような思想をもって住まなくてはなりません。その息子、娘たちにもそのような教育をしなければならないというのです。私は、イースト・ガーデンに来ている人たちを一度もしかったことはありません。それは天に対しての責任があるからです。国と人類に責任があるからです。その人たちは人類のために、私に仕えているのだというのです。 私はどこかに見物に行く時には、絶対に一人では行きません。いつもカインと共に行くのです。三人以上の人と共に行くのであって、絶対に一人では行きません。このごろではガードマンが自然にそのような立場に立つのです。こういうことが、アベルの行く伝統の道です。 このように考えるから、子供たちに何かしてあげる前に、全部食口たちにしてあげるのです。そのように生活しているので、統一教会の食口は私のために尽くしてくれるのです。そのように統一教会の食口はレバレンド・ムーンのために精誠を込めようとするし、神様は私を助けようとするのです。そのような原則があるのです。ですから、ここには不平がないのです。それが原則です。私の一生は滅びないのです。たとえ自分は一人になっても死なないというのです。どこに行っても、夫のあとに妻がついてくるのです。私のために命を懸ける人がいるというのです。 このようなアベルの伝統があるために生き残れるのであって、これを万一間違えば、死んで犠牲となったすべての聖人たちは、打たれて残るものが一つもないというのです。ですから、孔子とか釈迦の時代は、打たれながらみな死に、生きながら指弾されたのです。世界中の人たちが指弾したのです。なぜそうなるのでしょうか? 歴史的になぜそうなのでしょうか? なぜそういう目に遭うのでしようか? それはカイン・アベルの歴史の伝統がそうであるためです。私も皆さんも、同じように行くのです。御言葉「摂理から見たアベルの正道」14 1979年12月30日 傑作(0)2006/12/31(日) 午前 7:48 アベル・カイン 練習用 有史以来の最後の戦いである このことは、皆さんのための公式路程だということを知らなくてはなりません。それで先生は、統一教会のすべてのものを犠牲にしても、アメリカを世界のアベル圏として定めたために、これを全体として取り扱うのです。このすべての民族を一つにして、キリスト教のアベル社会を中心として摂理をするのです。このアベル圏に集まってきた人々は、みなサタン圏から追い出されたアベル的人々なのです。その人々によるキリスト教ですから、アベルだと言うのです。 しかし、そのキリスト教の前に、統一教会はアベルになるのです。それでアメリカがカイン的立場となって反対するのです。一つにならなくてはならないのにアメリカが反対する日には、世界全体が反対するのです。ですから、ホームチャーチ・エリアの人たちに、「あなた方がアベルです。」と言われるようにしなくてはならないのです。これは歴史の勝敗を賭けた戦いです。ヤボク川でヤコブが戦ったことと同じ内容です。イスラエル民族が、ヨルダン川を賭けて戦ったことと同じです。これを知らなくてはなりません。その戦いに勝利した日には、国境もなくなり、韓国にも歓迎されるようになるのです。 私たちは有史以来の最後の戦いの場に立っているのです。アベルとして最後の戦いの場に立っているのです。今から本格的に七年路程を出発するのです。八一年からしなくてはなりません。これを世論化させ、アメリカ国民がその世論を歓迎しさえするようになれば、七年間で世界は平等になり、世界のすべてを一つにすることができるのです。これが最後の戦いです。 きょう、皆さんはこのことを知ったのですから、これを早いうちに達成するのです。早ければ早いほどいいというのです。それで、きょう蕩減の話をしたのです。先生のような信念をもてば、三年もかかりません。三カ月でできることです。八〇年代には、「なるほど、よく分かりました。先生がおられなくとも私たちが成します。アベルとしての責任を私が果たします。」という、決定をして越えていくのです。「私こそ、ホームチャーチの不変なる伝統を立てる人になる。」ということを、一度考えてみてください。それはどれほど霊界が、イエス様とその弟子たちがうらやましく思うことでしょうか。何の話か分かりますか? (はい)。もうアベルの行く道についてはっきりしましたか? 皆さんは今カインの位置にあるのに、アベルの位置もみな知ることができたのです。もし、白人たちがこの道を行かず、黒人たちが行くとすれば、その黒人たちがアベルとなるのです。黒人たちはこの国においては白人たちよりも苦労し、天の蕩減路程のアベル的歴史の奴隷の道を歩んできたのです。この国を創建したのは黒人たちであって、白人たちではありません。白人は自分たちのために黒人たちを犠牲にし、さらにはインディアンを犠牲にしたではありませんか。もし黒人たちが、インディアンたちが仕返しをしようとすれば、皆さんたちは残れると思いますか。そのことを考えたことがありますか。 レバレンド・ムーンは、アジア人であるインディアンとは、人種として見ればいとこ同士なのです。兄弟なので、私が来て仲裁してあげなくてはならないというのです。復讐しようとして来たのでなく、仲裁して仲直りさせるために来たのです。 そういう仕事を、白人ができるでしょうか、黒人ができるでしょうか? それは誰もできないことです。黒人は白人の言うことを聞かないし、白人は黒人の言うことを聞かないのです。ここで、かつて滅亡させられたインディアンという黄色人種が、「白人はアジア人の怨讐でもある。それを私が許すから、君たちも許せ。」と言えば、黒人にも話が通じるというのです。それは、歴史的にアベルの行く道がそうであったからです。
2007.09.20
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私がニクソン大統領に会ったのも、世界のために会ったのです。神様のためにしたことです。ニクソン大統領を支持したのは、ニクソン大統領個人のため、我々統一教会のために支持したのではありません。それは神様と、これからの自由世界と人類のためです。そこで「許せ、愛せ、団結せよ。」と訴えました。しかしアメリカはそれを成せず、大統領の権威は地に落ちたのです。アメリカを悪く言っても、それは先生の個人的感情ではありません。神の感情をそのまま述べているのです。皆さんが働くのは、神様と人類のために仕事をしているのです。それがアベルの教会であり、アベルの家族です。 あなた方を犠牲にさせるのは、あなた方に責任を負うゆえであり、復活させて天国に行かせるその責任を私がもつからです。それがアベルの行く道なのです。我々は統一教会だけの発展は考えていません。私が「これらの話を聞きなさい。」と言うのも、人類のためです。神様は、神様の摂理と人類のために、統一教会が何をプラスにし、何をマイナスにしたかを全部見ていられるのです。ですから皆さんを苦労させることには、私は良心の呵責がありません。アベルの行くべき伝統の道を、そのとおりに行くことを願っているからです。間違っていますか? (いいえ)。 アメリカ・インディアンに対して、このようなアベルの伝統から見て、「皆さんはアメリカのために犠牲になったのではなく、世界と神様のために犠牲になったのです。」と言う時、白人と和睦できるのです。アメリカは歴史的にそのような責任を負っているために、黄色人種に対して償わなくてはなりません。それで、アメリカの若者たちが多くの犠牲の代価を支払うことになったのです。韓国動乱の時に参戦して償ったのです。 そのため、レバレンド・ムーンはアメリカに対して、その恩に報いる責任があるのです。彼らは責任を償うために韓国に入ってきた時、私を解放してくれました。それで私はこの国に来て、血の汗を流しながら、このようなことをしているのです。歴史のこの蕩減法によって、摂理が分別されていかなくてはならないのです。摂理的理由でこういうことをしているのです。私に命が与えられたから、感謝して行こうとしているのです。 私がそのようにしたのですから、次は皆さんが韓国に行って、アメリカの自由の鐘を鳴らさなくてはなりません。レバレンド・ムーンがアメリカの解放のために尽くしたように、皆さんは韓国と韓国人の解放のために、尽くさなければなりません。外的アメリカの軍備が韓国のために存在するよりも以上に、皆さんが韓国に、内的により尽くすことです。 アメリカの娘さんたちが韓国の青年と、アメリカの青年たちが韓国の娘さんと結婚しようとするのですが、それはなぜでしょうか? それによって、過去にインディアンを愛することができず、一つとなれなかったことを蕩減することができるのです。先生はそのように見るのです。摂理的にそのように見るのです。かつてアメリカのために、インディアンたちが血を犠牲とし、黒人たちが肉体を犠牲としてきたのです。ですから、アメリカ人はアフリカを助けなくてはならないので、いろいろな物資を送らなければならないのです。黒人たちの血の犠牲によってつくった物質ですから、それでもってアフリカの黒人世界を助けてあげる責任があるのです。これがレバレンド・ムーンの摂理観なのです。 愛を受けることなく犠牲になったことを、物質を送ってでも償わなければならないというのです。それは、黒人奴隷問題の蕩減です。それは、アメリカのためだけでなく、自由世界への神の摂理のためでもあるのです。 アメリカがアジアに派兵して、血を流してきたのも、アメリカの初期歴史を蕩減する摂理の重要な一部なのです。韓国で血を流したので、韓国は重要な摂理の中心地だという結論になるのです。アメリカは韓国を、神様の名のもとに、人類の名のもとに、共産党から守らなくてはならないのです。韓国と手を切るようになる日には、自由世界は滅びるのです。そうなれば韓国の人たちがたくさん虐殺されますが、韓国がギブ・アップすればアメリカも同じです。何十倍の蕩減をしなければならないというのです。アメリカは韓国を中心として、共産党と戦う伝統を引き継ぐことが、何よりも重要なことなのです。 アメリカは韓国を、生死を懸けて守り、犠牲になりながらも、共産党に勝たなければなりません。これがアメリカの伝統になるのです。生きんとして戦えば滅びるのです。韓国で、共産党と戦う思想武装をしたのは先生です。日本でも共産党と戦う勝共理論を教えたのは先生です。今先生はアメリカに来て、その伝統を皆さんに伝授させているのです。体力においても、思想においても強くなくてはならないのです。共産党は物質中心の宗教のようなものです。共産党以上に神を愛する自信をもたなくてはならないのです。それで「空手を学べ」「正道術を学べ」とも言っているのです。この世の人たちは、自分の国家と自分自身を保護するためですが、我々統一教会員は世界を保護し、神様を保護するのです。これから歴史が整理され、すべてのものがきれいに整理されるのです。 それでこれから先、アフリカに共産党が侵入したとすれば、皆さんたちが志願して、「先生、私はアフリカに行って戦います。」と言い、たとえ先生が「行ってはいけない。」と言っても、行こうとするでしょう。そのような皆さんでなければ、この世の中を収拾することができないということを知らなくてはなりません。この世で愛を抱く人がいなければ、神様もみ旨を成すことができないという、結論が出てくるのです。 たとえFBIや警察官が全部逃げていっても、それが死の場であっても、自ら志願していくのは統一教会員しかないのです。その考えは間違いですか? (正しいです!)。このレバレンド・ムーンがなぜ暴力主義者なのですか! 統一教会はこの世の人類のために、このようなアベルの伝統を立て、それを残していくのです。摂理から見たアベルの正道はみ旨の正道である 先生は今度、アメリカの上院議員にも、下院議員にも会ってみましたが、彼らの中には本当にアメリカのために尽くし、自由世界のために尽くすという人が見られないのです。このアメリカの将来は絶望です。先生は寝ずに何のために十時間も話をするのでしょうか? 皆さんをつらい目に遭わせようとしてでしょうか? それは伝統を残すためです。たとえ私が死んだとしても、この伝統を残していかなくてはなりません。この責任は私がもつのです。このレバレンド・ムーンの涙で、天と地と人類の中心を成すのです。 このように歴史を見て、摂理や世の中がこのようになるということを、誰が考えるでしょうか? 私たちは、人々の考えられないことを、泰然と微笑んで、自信をもってやっていくのです。このレバレンド・ムーンの十時間もの説教を、テレビ放送でもしアメリカ国民が聞くことができたならば、揮発油が爆発するような現象が起こるに違いありません。そうは思いませんか? (はい、思います)。大学教授が、政治家が、宗教家がこういう話をしますか? 今日、異端と呼ばれ、非難されているレバレンド・ムーンだけが、このような話をするのです。 皆さん、眠っていられますか! レバレンド・ムーンの話したことが成されず、アメリカが滅びてはなりません。一〇〇〇年後であっても、それを成さなければなりません。ホームチャーチが難しいの、何がどうのと言ってはおられないのです。このような話の内容が成就される時には、レバレンド・ムーンと同じように、皆さんたちも滅びることがなく、またアメリカも滅びることがないのです。 このように見るから、「神様よ、レバレンド・ムーンを助けてください。人類はレバレンド・ムーンを保護しなくてはなりません。若者たちはレバレンド・ムーンを崇敬して、そのみ旨を受け継いでいます!」と、アメリカの五色人種の若い男女が騒いでいるのです。しかし父母たちは、「息子、娘をレバレンド・ムーンが連れていってしまう。」と言って、彼らを拉致したのです。しかし今や、それが事実として表れたために、「レバレンド・ムーンは神様が共に在り、天のみ意を代行する人だ。」という、結論を下すことのできる現実的証拠を得ることができたのです。 これから皆さんは、精神を正さなくてはなりません。若い人たちこそアベルの立場です。青年たちこそこのアメリカの地ではアベルであり、年を取った人たちはカインであります。 皆さんのお父さん、お母さんは、プラグマティックです。個人主義です。我々はみ旨を中心としての全体主義です。み旨のために尽くすことのできる人たちこそ、この世界文化と神様文化のために尽くす人になれるのです。神様主義時代が到来するのです。アベルの行く道は、過ぎ去ったあとで分かるのです。レバレンド・ムーンがアメリカを去ったあとでアメリカの国民は、「もう一度来てください。」と言うのです。 アベルの伝統、アベルの文化を形成しなくてはなりません。アメリカにアベル文化を創造し、文化生活をしなくてはならないのです。アベルは自分を打って、自ら行くのです。皆さんがそうする時、アメリカには大きな創造の歴史が始まり、大爆風が吹くのです。火山が爆発するのです。一度やってみようではありませんか! (はい!)。テーマの、「摂理から見たアベルの正道」が「み旨の正道」です。先生はこのような目で見るのです。責任者を見る時もそうなのです。 さあ皆さん、自分がどのような立場にあるかよく分かったでしょう。なぜ自分がホームチャーチをしなくてはならないのかが分かったでしょう。先生は、八一年度からアメリカに新しい伝統をつくってみせます。あと一年半が残っていますが、家庭教会伝統は皆さんが立てるのです。「きょう先生が十時間話してあげた甲斐があった。」と、そうなるように努力しなければなりません。そして先生の責任もこれで終わるのです。今はもう、先生がここにいなくとも大丈夫でしょう。 先生は今まで、自分の自由は一つもなかったのですが、今からは自由が得られます。六十歳を過ぎたので、自由な生活をする段階に入ってきたのです。神様が、「レバレンド・ムーンは責任を果たせなかった。」ということがないように今日まで生きてきたのですが、私がこの思想だけつないであげたので、もはや神様のみ旨は皆さんがみなもっていってやるのです。何をしても、事業も世界のために、神様のためにするという、このような群れでなくてはなりません。そうすればその会社で、その職場で不正があり得るでしょうか? そのような偉大な思想をもたなくてはなりません。分かりましたか? (はい)。もうこれ以上先生が説教をしなくても、はっきり分かりましたね。 今まで絶望の中にあって、今日まで仕方なく生きてきたのですが、これから自ら進んで希望の八〇年代への峠をしっかりと越えて行かなくてはなりません! (はい!)。どうもありがとう。では神様に祈祷をしましょう。御言葉「摂理から見たアベルの正道」15 1979年12月30日 傑作(0)2006/12/31(日) 午前 7:49 アベル・カイン 練習用 神様の名のもとに、世界の名のもとに、人類の名のもとに戦う道 ホームチャーチができれば、カープに負けない活動をしなければなりません。そのような善の戦いをしなくてはならないというのです。それは既成教会のため、若者のため、共産党のため、アメリカのためにするのであって、統一教会のためにするのではないのです。アベルは自分のために苦労するのではないのです。それがアベルの行く道です。
2007.09.20
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Yahoo!ブログ 統一教会と統一原理 削除されてしまったので、保存していた文章だけ載せます。文鮮明がどんな考え方をしているのか、参考にして下さい。勿論、言っている事とやっている事とが同じとは限りません。単に言っている事だけしかわかりませんが。勿論、彼が本気で人類の真の父母をやる気なのであれば、それは善い事であると思います。人類の最後の一人まで幸せにする為に働き続けるのであれば。 勿論、彼を信じて彼についていった者達だけを幸せにすれば、それでいいと私は思います。誰も人類の真の父母をやれと命令しているわけではないから。自分の自由意思でやっているだけだから、いつでも私はここまでと降りていいと思います。私から見ると、国際結婚をさせているというのは私の上の地位と感じます。私の業のゴミ箱ですので頑張って欲しいと思っています。私から見ると、全く冗談みたいな事ばっかり言っていますが。自分の女も子も一杯いる彼にはそれだけの責任が負わされているのでしょう。 私自身は物凄い、あり得ない責任を負わされていますが。だから、一系しかできない。一人の女の人としかセックスできないし、息子一人しか生ませる事もできない。徳分の費用がかかりすぎていて。人類始祖エヴァと結婚するようなものだから。あまりの馬鹿馬鹿しさにやっていられないのが現状です。執拗なサタンの攻撃に厭気を通り越す位悩まされ続けています。馬鹿馬鹿しい。とにかく馬鹿馬鹿しい。 だから、動物の雌には全く波長が合いません。腐るほどいるので。人間、滅多にいないんです。大体、堕ちてしまいます。業のゴミ箱になってしまいます。旦那ではないので、知らん振りですが。どういう生き様をしたのかと思います。私は怒らないで、黙って離れるだけです。下の地位なので。教員やっていた時は人類の為にひたすら奉仕しなければいけなかったので、非常に無理をしていました。等身大の自分をやる事全く許されませんでした。安月給で考えられない位、御仕事をさせられていました。サタン達に。 サタン達が善い事をしていると滅茶苦茶邪魔するんです。サタンの血統でない者達を目の敵にしていると思われます。そういう大変な毎日を送らされています。そういう大変な毎日が教員生活でした。いまだにサタン教員霊達が一杯来るんです。非常に五月蝿いんです。 人類の現状はサタン一杯いるんです。善に生きるという事はサタン達との闘いの日々なのです。サタンの邪魔を受けない方々は、案外、自分がサタンの血統かもしれません。仲間だから、攻撃されないのかもしれません。世間のお金の遣い方を見ていると信じられません。私のお金と価値が違いすぎています。安っぽいので。私にとっては尊いお金なのに。-引用開始-日本のカイン・アベル問題 傑作(0)2006/12/31(日) 午前 8:40 アベル・カイン 練習用 日本女性指導者修練会に於ける御言葉 1991.11.23 「カイン・アベル問題。日本ではカイン・アベル問題を今までずっと尊重してきたんだけれど、その内容が間違っている。アベルというものはカインを復帰した後にアベルの位置に立つんであって、復帰しない前に主体性の立場に立つことは出来ない! それは原理観のね、日本の組織体を中心としてカイン・アベル問題がまるっきり逆になってしまった。その方向に行った場合には日本の統一教会は滅亡。太平洋の真ん中に落ち込んでしまう。 …アベルというものはアベルを犠牲にしてカインを救って行くのが今まで摂理の主流観だ。…イエス様は(自分を)犠牲にしながらローマ兵、イスラエル民族、後孫に対して、自分をローマ兵が槍でもって胸を刺し殺すローマ兵に対して(神に)赦しを願ってきたんだね。血を流しながら命を犠牲にしながらでも祝福していったのがアベル精神である。その精神は親の精神である。 アベルというものは結局、最後に来られる真の親と一体化する目的だね。だから親がこの地上に来たとして、『おー、君達! 親が生まれたから奉仕せよ!』、そうじゃありません。数千年来分かれて、こういうような悲惨な立場に立った娘、息子に初めて会ったときに、如何に悲惨であるかを分かる親はね、哀れみの心でもって全てを面倒見て、その悲しい全てのものを取り除いてやらなければならない。 そして自分が娘、息子であることをはっきり分かって、親にこういうことをなしてはならない、願い出て自動的に、『今からは子女として親に奉仕します。』「親が中心となってどうぞ我々の奉仕を受けて下さい。」と。そこに於いてアベル圏の権限が中心として立つんであって、それ以外は絶対に立たれません。 それなのに日本では誰か任命したら、直ぐ『アベルだ! 下の者はみ~んな稼いで来い! 私の命令を聞け!』、こういうアベルの世界はありません。それで力でもって押しつけて全体を率いたその日本の食口達の内心の世界には氷山が積まれる。冷た~い。 却って自分の故郷のサタン世界の親が恋しくなるという、そういう現状。親の懐に抱かれて休むような思いは一点もないというんだね。だからただファンダレージング、経済活動して金を稼ぐばかり、それが親、アベルの使命ではありません。 聖霊の結合を中心とした後に、物的の相対圏を求め行くのが創造の原則。例えば良心を中心として肉心が一体となるべきであるというんだね。何よりも良心的、精神的、天的精神を中心として、心情圏を中心として物的環境を昇華していくところに天の創造原則と一致するんであって、「心情はどうでもいい、金ばかり。」では心なき人間になってしまうんだから、それはいくら偉くても、自動的にサタン圏の愛を凌駕することは出来ません! それはそれ自体、サタン圏に止まっている。 そんな馬鹿なことを今までやって来ている。沢山の重要な人材をみ~んな追い出してしまっている。それをそのまましておいたら大変だね。先生が昨年、90年の11月にそれを全面的に解決するために20人の韓国の先輩を送って大変革、それが体制大変革。今までやった体制はだめ! それで個団活動の命令をしている。そのまま行ったら大変、今頃はペッチャンコになっただろう。 それで先生が神山を連れて来るのは、『君! 伝統的なカイン・アベル問題が逆になっている! ひっくり返せ。』。 日本の最高クラスの指導者と田舎にいる子供と自由自在に面会も出来ないようなことをしていて、それが何の親子の因縁に繋ぐような天的アベルの立場か? 血を流し、全てを犠牲にして全体を投入して忘れる神の子供としての代表的な者だったら、自分についてくる全ての者に投入して、投入して、忘れるような伝統を立たせるべきがアベルの伝統であるにも関わらず、それに完全に背くような現状というものはサタン世界と同じ! 革命せい! そして、食堂に行くときもみんなと同じ所へ行け! 寝るとしても同じ場所で寝ろ! 寝るときは早く寝るな。皆、食口達を寝させてから、親として一度見回って、面倒見て、子供達を守るような親の心情をかけて、布団も共に寝て、起きるときも早く起きろ! 模範として示すような兄さん、姉さん、或いは父母の身代わりの伝統を残すべきが天が共にすることであって、それ以外のものはサタンに通ずる。食堂に行くときも君達は三等食堂へ行け。先生が今まで伝統を続けながら君達に教えたのと同じように。可哀相な子供達が、揃えるべきものが欠けていた場合には、それを揃えてやるためには労働しながら親としての使命を果たすのが、このサタン世界の情愛の現状であるにも関わらず、天的な情愛の道はそんなサタン世界に負けるような基準ではありません。 そういう心情を持っていたならば、国を越えて、世界を越えて、感謝する雰囲気でもって、怒濤の如く波紋が伝達して拡張して行く。そういう内的な心情圏が日本には今までなかった。もう少し経ったら大変なこと。デモする者が多くて。霊界を見ればね。… 自動屈伏。その世界に向かって進んで行くのがカイン・アベルの行くべき道なのに、今まで日本では直ぐ、アベルに任命したらその日から命令。『君がカインで、私はアベルだ。君達は僕みたいに働いて侍らなければならない。私は働かなくてもいい。』。そんな馬鹿げた所はない。先生がいなかったら日本はもうペッチャンコになっただろう。地獄のどん底に落ちていただろう。 今までの日本の組織体制はみんな上と下が分かれて。何だそれ。何びとのための日本の統一教会か。そうじゃないよ。万民のための日本の統一教会よ。万民が喜ぶための。それ願わないよ、少数の者だけの、願わないよ。内心に於いて反発しながら、不平を言いながら、そういうような影を抱く所が、何故万民の喜びの舞台になるか。天国の基地になるか。そんな馬鹿なことはない! 今先生が教えるこういうような本質の過程、本質の路程に於いて、万民共々の平和の基地はどこでも繋ぐんだけれど、今までのやって来た日本の組織は、まるっきり反対の方向を通って来た。… 夜昼共々、四季を通過する苦しみを同じくしながら、それを乗り越えるような心情が余りある所に於いて、それは一年、二年、何年を越える心情一体圏が生まれるんであって、事情、自分なりを考えるような考えでもって、指揮することが出来ないような立場であったら、そこで決別する。決別する所には神は存在しません。 統一教会の先生と言えば教祖よ教祖。統一教会の王様だ。宝座に座って『この野郎達、なんじゃ~!』。そういうことは言わないよ。そういうこと言った場合には、それはもう大変なことになるよ。子女を中心として天下全体を家族兄弟圏をつくることは出来ません。それは先生が教えてやるのに、伝統を持たなければならない。 君達は、こういう、こういう者にならなければならない。何故か。先生が、こういう、こういう路程で、こういう者になって闘って来て、こういう勝利をして来たんだから、お父さんみたいに、お母さんみたいに、ついて来て訓練して来た場合には、間違いなくこうなるんだ。それが一代、二代、三代と実証された後に、万民の定着の教科書になるんだ。」御言葉「摂理から見たアベルの正道」16 1979年12月30日 傑作(0)2006/12/31(日) 午前 7:51 アベル・カイン 練習用 歴史の蕩減法則 私が三十八度線を越えて南に来たのは、私が生きるためではなく自由世界と神様のために越えてきたのです。私は金日成に、「もしお前が私以上の愛で韓国を愛するなら、私は退こう。しかしそうでない限り、決して足を踏み入れることを許さない。」と言ったのです。来年四月まで、韓国の安定のため、霊的に緊張して、神の守りを祈らねばなりません。
2007.09.20
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今までに成した全ての御神業を人類の親神様方、カシオペア座首星神界、北斗七星本星神界、北極星神界、北斗七星二番星神界・三番星神界の本元の神様に御報告致します。当たり前の事ですが、自分中心の生き様はサタンです。自分より上の地位、神様に近い方々(何故なら、全ての被造物は神様が創ったものであり、神様のものだから)の為に働いた分だけ、自分のものが発生するというのが真理だから。 サタンは勿論、地獄の方々です。自分中心の生き様をしているという事は、自分より下の地位の者達を犯して存在しているのだから。与えたものが受け取るものであるから、他を犯した者達はその分、自分も自分より上の地位のサタンに犯し返される、即ち、地獄の存在となる、単純明快な真理です。 親は自分の子を犯すでしょうか。自分の未来を犯すでしょうか。先祖は自分の子孫の繁栄をこそ願うのであって、犯すわけないのです。皆、未来に生き残っていきたいのだから。 私は公立中学校の教師だった時、臨任で1年間働いていた県立ろう学校の高等部の生徒しか、生徒がいませんでした。中学校内に自分の生徒が一人もいなかったからです。私の子育て誰もしてくれませんでした。だから、ろう者という障害者に神の血統を残すしかないと考えていました。健常者の中に一人も神の血統の者がいなかったから。それが神の現実だったのでした。しかし、その障害者も得る事ができませんでした。イエスがどれだけ間違った考え方をしていたかという事です。イエスはエゴの塊でした。神になりたいという。これはサタンです。サタンになりたかったのです、イエスは。自分中心になりたかったのです。だから、サタンに自分の肉体を犯されてしまったのです。その分、自分の弟子達と自分の信徒達の肉体を犯し返しました。これがイエスの実態です。イエスがやらなければならなかった事は、一人の神の血統を残す事だったのです。先ず、一人から全ては始まるのです。イエスはサタンになりたい病に冒されていたので、現実的な感覚を失っていました。神の血統の子孫を残す事が、神に仕える者の悲願です。現実を生きなければ何の意味があるのかと思います。 子孫が一人いれば先祖も一人いる事になります。その先祖は神の血統に復帰した事になります。個性完成した事になります。これが非童貞の方々全員が辿らなければならない唯一の道です。息子のいた仏陀釈尊に御報告致します。貴方の選んだ道を私は正しくないと思っているので。貴方と勝負致します。貴方と私、どちらが神の御心に適った生き様をしているのか。 貴方は息子の父親の地位を否定したのです。自分の未来、人類の未来を否定したのです。即ち、神を否定したのです。自分の息子を否定したという事は、自分の父親を否定した、即ち、神を否定したという事です。それが貴方の生き様です。 全ては愛する事から始まると私は思うのです。自分の下の地位の者達を愛した分、自分の上の地位の者達、即ち、神から、愛される。これしか、神への道は無いと私は思います。仏陀釈尊よ、私の言っている事はおかしいですか。 息子のいる全ての人類に、息子である私から、今までに成した全ての御神業を謹んで御報告致します。貴方方は皆、私の上司ですので。息子の父親の道を全うして下さるように謹んでお願い致します。 ここまでに成した全ての御神業を人類の親神様方、カシオペア座首星神界、北斗七星本星神界、北極星神界、北斗七星二番星神界・三番星神界の本元の神様に御報告致します。 イエスよ、何が間違っていたか解りましたか。人間にはね、上の地位の方々を愛する事なんてできないのだよ。自分より下の地位の者達をひたすら愛し続ける事によって、自分より上の地位の方々からその分、愛される事によって、生かしていただくことしかできないのだ。これが現実なのだ。自分より下の地位の者達を犯した者達は、地獄へ消えていくしかないのだ。そういう人類の犯罪者達を処分する為にサタンがいるのだ。サタンはその者の本性を調べる為の試練役で、その背後には神がいらっしゃるのである。 これが人間界です。人間霊界です。先祖霊として、自分の子孫を愛し続けている方々の世界です。唇とおっぱいに謹んで御報告致します。私は男の道を全うできていますか。私は貴方方に非難されないで大丈夫な道を歩めていますか。私の下の地位をやって下さった方々、貴方方だけなので、責任取れていますか。貴方方がいなければ、行かなかった北斗の拳のケンシロウの道でした。貴方方の事を私は神の化身だと思っています。上の地位をやっていなければいけないのでね。神との信頼関係です。 私より上の地位の、神の化身である女の方々から唇、おっぱいの感触を捧げられた全ての男の方々に謹んで御報告致します。私より下の生き様をしたら、サタンですので、地獄に連れて行かれるだけですので。 私はサタンとの闘いをHPに書いていました。その事で、処罰されました。統合失調症として休職させられ、職場復帰を二人の県の医師に阻止されました。市の学務課のT課長もN校長も私の書いた文章を読んでいました。それをふまえて、私を処罰したのでした。私に言わせると、神ではなくて、サタンを選んだという事になります。私は精神障害者2級の存在としての社会的地位に貶められています。勿論、この現実社会の上の地位の方々が私に下した事です。当然、上の地位の霊界の方々が私に下した事でもあります。当然の事です。上の霊界というのは、上の地位という事だから。私はそれらの霊の存在がサタンであったとみなしています。神を裏切って、人類を裏切って、サタン(実は神の裏の姿、人類の試練役、神が自分を裏切ってサタンに仕えている者達を内心でどう思っていたかと思います、サタンは実は神の化身なのだから)に仕えていた自分中心のエゴの持ち主達。 神を信仰するという事は、これだけの道を歩むという事なのです。童貞の私ですら、これだけの試練の連続だったので、非童貞だったら、どういう事になるか、現実のケンシロウの道になると思われます。私は自分の女いなかったので、現実の闘いはなかったので。仕事と霊界での闘いをしただけなので。ミスターの地位を得ただけなので。ほんの僅かの経験で男の座、男の地位を守る為に死闘の仕事を続けたのでした。神の子育てというものは苛酷だった。表面上はサタンとの闘いでしたが、私は神がやっていると思っていました。こういう子育ての仕方を神はするのかと勉強になりました。 自分の息子を犯したらサタンですので、サタンに地獄に連れて行かれるだけですので。御先祖様になるという父親の人生の目的を遂げられなかったという結果になるので。自分の下の地位の者達を愛して、その分、自分の上の地位の方々から愛される事によって、自分の地位を得る、これが人生の最大目的です。神の子としての、人間としての自分の地位、自分の立場を得る為に働いているのでした。神の子というのは、人間という意味です。神の子でない者達は、人間の地位持っていないのです。動物。 自分中心をやったら、サタンです。究極のエゴ。サタンの血統の証明。サタンは神になりたかったのです。そういう試練をへび(サタン、実は神の化身)は最初、人類始祖エヴァにしました。そして、野心を持っていた人類始祖エヴァはその試練に負け、堕落しました。神に仕えた分だけ、即ち、自分より下の地位の者達を愛した分だけ、動物から、人間(神の子)に成長していく。当然の事です。与えたものが受け取るものであるから。最初は、動物としての立場しか持っていないのです。自分より下の地位の者達を愛して、即ち、貸しを創って、その分、神の子の座、人間の座を創っていく、その為に生きているのです。 為に生きて、貸し(先祖霊としての地位)を創らなければ何の意味も無い。徳を積むのはその為です。自分の物質的幸福を得る為に積むのではないのです。動物に霊的地位無いのです。無自我だから。動物に自分は無いのです。プログラミングされているデータだけ。だから、可愛くないのです。自分の意思で、自分に帰依してくれるから、嬉しいのです。自分の子、自分の血統と感じるのです。(動物にとっては、自我を得るのが進化、進歩向上です。) 神の化身であるサタンの試練に負けた者達は地獄に連れて行かれて、人類の中から消えていくだけです。その分、神の子達、人間達が、上の地位になっていくのです。自分中心をやっている者達は、業のゴミ箱、地獄になっていくだけです。ひたすら、下の地位の者達を愛してその分、神の子の地位、人間の地位を創り続けていく、毎日、毎日、その為に生きているのです。その分、自分の地位ができてきて、楽しめるようになります。勿論、楽しめば、その分、徳分は減るのですが。先祖霊としての地位は下がるのですが。 私の下の地位の者達というのは、雌のジャンガリアンハムスター1匹だけです。彼女が私の下の地位の未来の人類の象徴存在となっているのです。私の現状はそうなっています。現状では、霊統を残す事しかできなくなっています。神の子のデータを残すという事です。誰か、神の子、人間の魂を持っている者が未来に出現して、私の辿った道を辿って、さらに前進していく可能性を残すという事です。イエスが失敗した道を私が辿り抜けたように。 心のある人類よ、私の言っている事変ですか。理解できませんか。私は現実の話しかしていませんが。現実的にしか生きていませんが。私の書いている事は私の妄想ですか。現実を分析して、神の御心を推し量っているだけですが。全部、現実の自分の心を基にしているだけなのですが。神は人間に全て必要なものは与えていると私は思います。現実に与えられているものだけで全て解決する事ができるようにして下さっていると私は思うのです。神様の愛を信頼しているから。 ここまでに成した全ての御神業を人類の親神様方、カシオペア座首星神界、北斗七星本星神界、北極星神界、北斗七星二番星神界・三番星神界の本元の神様に御報告致します。 日本国民の先達である空が好きhttp://plaza.rakuten.co.jp/sugar925/diary/200708170000/ さんに謹んで御報告致します。
2007.09.19
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神の子は神の試練に勝利し続けて神に条件を積み続けている。 人類の運営は、愛によってなされているのではありませんでした。物欲とその支払いとによってなされていると思われます。人類始祖は最初、園の中央にある木の実だけは食べてはいけないという戒めを与えられて、あとは自由でした。それでひたすら、楽しんでいたわけです。そして、その支払いの時が来ました。へびの試練を受けました。神との約束を守るか否かと。神に条件を積むか否かと。そして、人類始祖は神を裏切る道を選びました。神に帰依する道を選びませんでした。だから、人類始祖は神に何の条件も積んでいません。神の子ではありません。単なる動物です、被造物です。 それらは動物なので、動物としての生き方をするしかありません。神の財産を相続する何の権利もありません。この世の万物、それらのものではないので、勝手に使用した分、全て負債となります。負債というのはどういう事かというと、へびの試練に負けて、世の中を穢した分の責任を取らなければいけないという事です。自分で自分がなした業を浄化しなければいけないという事です。 世の中の穢れというものは何かというと、神を否定した行為です。神を否定した想念だけだったら、反省すれば、解消する事ができますが、行為までやってしまうと、現実の責任が発生してしまいます。原状復帰しなければ罪の解消をなす事はできません。行為はそれだけ重いのです。 イエス・キリストは思った事は行った事と同じだと言っていましたがそれが彼のレベルです。彼は現実世界に生きていなかったのでした。思いの世界だけに生きていたからそういう事を言っていたのでした。思いの世界だけだったら反省すればそれですむのです。そういう世界に貴方は生きていますか。貴方のやった事はリセットボタンを押せばリセットできますか。解るように、この世の中はそういう世界ではないのです。現実世界なのです。イエス・キリストのカルマの修正を致しました。人類の親神様方に御報告致します。思いの世界だけではないこの世の現実を回復致しました。 この世の現実は、この世の物欲をある程度満たす度に、神の試練を受けます。神に現実支払いをしなければいけないのです。神、即ち、善を選ぶか、サタン、即ち、悪を選ぶかという事です。悪を選んだ場合、地獄に堕ちます。この世の、または、あの世の地獄で、業を浄化するという事をなすという事を選んだ事になります。現実を見れば解る通り、人類は悪を為し続けています。地獄の業を発生させ続けています。当然、その報いを誰かが受けなければならないのです。 現実的に物事は進めるしかない。私達は現実を生きているのだから。イエス・キリストは敵を許す、敵を愛するという心の高貴さを選んで、この世の責任を放棄しました。そういう人間性だから、上の地位になりませんでした。自称ユダヤの王ではなかったのか。王は悪を裁かなければならない責任がある。それをやらない者は下の地位に堕ちていくしかないのです。その為には、民の為に生きていなければできません。自分中心の生き様だったらできません。為に生きているからこそ、為に悪を裁く事ができるのです。悪を裁けるのは神だけです。ひたすら、被造物の為に生きている神だからこそ、悪を裁けるのです。 正神界の存在は、自分より下の世界の魔神を抱えています。これが正神の存在です。これが神格、即ち、人格の世界です。善を為すだけではない。同じだけ、悪を裁いているのです。これが神の世界です。神に帰依した分、善を成した分、神格、人格を得るので、その分、さらに神に帰依する、神格、人格を得るのです。 神というのは、正神が半分と、魔神が半分とでできています。これが神です。魔神は正義の存在です。イエス・キリストよ、反省しなさい。自分の弟子達と自分の信徒達を刑死させた事を反省しなさい。責任取りなさい。人類の親神様方に御報告致します。自分の弟子と信徒を護るのは師の常識です。師は上の地位なのだから。恥を知れ。人類の親神様方に御報告致します。 敵を許すというのはね、完全に悔い改めて、原状復帰をした後なのだよ。それまで絶対に許さないのが敵を愛するという事なのだよ。原状復帰するまでサタン、へびを許してはいけないのだ。これが神の血統。人間はサタンを越えていかなければいけないのです。神の子にならなければいけないのです。 私は北斗の拳のケンシロウの道を歩んだと言ったではないか。当たり前の事なので。唇とおっぱいに謹んで御報告致します。私は自分のやった事の責任は取っているのです。 今までに成した全ての御神業を、カシオペア座首星神界、北斗七星本星神界、北極星神界、北斗七星二番星神界・三番星神界の本元の神様に御報告致します。空が好きhttp://plaza.rakuten.co.jp/sugar925/diary/200708170000/ さんへ 世界というものは絶対的なものではなくて、相対的なものだから、真理というものは全て相対的なものであると私は思っています。より善い真理に向かって前進し続けていくのが進歩向上だと私は思っています。思い込みと言って全てを否定してしまうのはゼロになってしまうと考えます。進歩向上する為には、自分で自分が納得する真理を組み立てていくしかないと思います。国際結婚という偉大な徳積みを成された空が好きさん、人類の先達として、より善い生き様を成して下さる事をお願い致します。下流にいる日本国民より。
2007.09.18
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しかし、人類の出発点がサタンから始まったという厳然たる事実があります。私は神の世界を求めて、園の中央にある木の実を個性完成するまで食べませんが、現実はほとんどの方々が、食べる選択をしているわけです。神に従っていないと。死んでもいいから食べたいという衝動に負けているわけです。神を切って、独立しているのでした。その世界は神より堕ちている世界です。神の上の世界ではありません。ここまでの御神業を人類の親神様方に御報告致します。天命界の親神様に御報告致します。多分、神を越えるというのは地獄の道を前進し続けるという事だと思います。自分がそうしたいのなら、そうするしかありませんが、決して、幸せな道ではないと思われます。サタンの血統、サタンのデータ、サタンのカルマ。私はサタンを背負わないので、関わる事ができない世界です。 一つ真理をお伝え致します。上を踏むと、下に堕ちるんです。上にはひたすら、仕えるしかないんです。常に善を、即ち、神を選び続けるという道しか、私は歩む事ができません。それ以外の道は歩めません。サタン化した女とはセックスをしない、男をやらないという事しかないと私は思います。一緒に地獄に堕ちる必要無いです。私の父親も、隣人を咬んだ愛犬を保健所で処分してしまいました。凄い生き様です、一番可愛がっていたと思われるのに。養わなければいけない者がいる方々は滅私奉公させて頂くしかないのだと思います。 いつも同じ結論になってしまいますが、自分が本当にしたい事をし続けるしかないという事です。私にとって、肉体は借り物、修行場であって、生きる場ではない。人類の為に生きて陰徳を積み続けるだけ。現実、本当に楽しいのかという問題だと思います。私は楽しくないという自分の感覚に従おうと思います。もし楽しければ、神様御自身が人間に生まれ変わってくるはずだから。精神性、霊性、心性が遺伝しない子の子育て、私にとっては無意味。ひたすら、徳を積んでおいて、来世の環境づくりをしておくだけ。表面的な血統、殆ど無意味。競争、競争で締め付けられているだけの人生に意義感じない。もっと人間中心で個性を伸ばす教育をした方がいいと私は思います。したい事ができる人生でないと魅力が無いと思う。私はしたい事をしていますが。神中心で生き続けてきているので。自分中心の人生だったら耐えられないと思います。為に生きた分しか自分の人生無いと思うのです。人間って、そういう中間的存在だと思われます。神様も被造物の為に生きておられると思います。
2007.09.17
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-引用開始-http://blog-joyishii.com/archives/50731755.htmlOctober 03, 2006 成功とは 最近つくづく想う。成功とは、才能や運とは全然違うところにあるのではないだろうか?私のクライアント達には、人にはない才能がある。運もいい。しかし、最初からそうだったのではないことを私は知っている。成功とは、やり続けられるだけの忍耐があるかどうかに大きく影響している気がする。成功者達に共通している才能とは、「あきらめなかった。」ということ。あきらめず、やり続けるという才能があったのだ。やり続ける力のことを、私は別の呼び方で呼ぶのが好きだ。情熱やはり、ここに行きつくのではないか?-引用終わり- 与えたものが受け取るものであるとバシャールが言っています。この言葉を真理だと思うか。思わない方々には役に立ちません。思う方々の為に続けます。文章を書くという事は想念エネルギーを言語化するという事です。だから、その文章を発表するという事は想念エネルギーを発信するという事です。その発信しただけの想念エネルギーを神から与えられるのです。毎日、毎日、その為にブログを書いています。自分の持っている功徳のエネルギーをひたすら、投資し続けています。徳分のある方々にひたすら、御奉仕させて頂いています。譬えるならば、十字架上で処刑された後のイエス様と同じ立場です。そういう立場を今、辿っているのだと思います。お金を稼ぐ事ができないので、この世の物質的世界、肉体界に関与する事ができないという事です。そういう人類の歴史を辿っているのです。イエス様の霊界からの言葉だけの世界をやっているのだと思います。 人類史を背負うというのは、そういう事です。人類の過去を再び、辿るという事です。私が県立高校とか、両親のやっていた自営業とか、県立ろう学校とか、公立中学校とかで働いていた過去の御仕事の投資だけでやっている徳積みです。何故、それが可能かというと、私は莫大に投資していたからです。サタン世界で、神中心の御仕事をしていたという事はそういう事です。人類全部だったのでした。といっても先輩方に仕えていただけの事でした。現実の地位は戴いていた御給料の分だけでした。私の職務上の上司、市・県・国・天皇(神社の神々の神)・国連の方々がいるわけです。彼らは勿論、私の神中心の御仕事の上司をやり続けていなければならないわけです。子育てしなかったので。彼らはサタン中心だったのです。自分の子を犯して生きていたのです。サタンはそういう事をやり続けています。 与えたものが受け取るものであるから、勿論、自分の子を犯した分、サタンに犯し返されている、即ち、地獄の存在となっているわけです。この地獄というのは、広義の地獄です。サタンに支配されている世界という意味です。仏教的には、第六天界までが地獄という事です。第六天界の頂点にサタンが君臨しているから。聖書的には、悔い改めない方々の世界です。サタンと闘い続けている方々以外、皆、地獄の存在です。 親の地位、先祖の地位というのは、子の為に、子孫の為に尽くした分です。その、子、子孫への貸しの分だけ、霊界で、先祖霊の位を持っているのです。人類への貸しは人類の神の位になっています。 子育てされていれば、私は、戴いた御給料の何割かを世の中の為に遣う事によって、世の中の義理の子の子育て(福祉)を続けて、為に生きるという連鎖を創り続ける事ができたのですが、そうではなかったので、サタンとなった者達を処罰し返すという事になったのです。イエス様とは違うのです。イエス様は、自分を裏切った弟子達を処罰しました。キリスト教徒達を処罰しました。イエス様、敵を愛しました、敵を許しました。全く理解不能です。私は敵がやった事を敵にお返しします。イエス様、ちょっとやっている事が変だと私は思います。何で、敵を許して、自分を信じている者達に十字架の道を行かせたのか。まあ、イエス様の事はどうでもいいけど。私は自己犠牲の道は行きません。サタンと闘う道を行きます。何でサタンの為に犠牲になるのか、解りません。 人類はサタンから主権を奪い返すしかないと私は思っています。当然、統治能力がなければいけないのです。サタンの欲望の奴隷をやる社会形態ではなくて、愛による統治社会を創り上げなければいけないと思っています。信頼の社会。勿論、裏切った者達は処罰するんです。神のやり方です。自由にさせておいて、徳分を遣い果たしたら殺すと。神様、そういう事をやっています。勿論、徳分を遣うばっかりの者達が悪いのですが。自分中心で、謙虚さ、ゼロ感覚が無いから。過分な欲望の実現を求め続けていなかったら、徳分がゼロになる前に、徳分を再び、積み始めるはずです。前世で積んだ功徳を遣い切って、早死にしてしまうというのが多いみたいです。私は人生に於いて徳分は増やすものだと思いますが。毎回、毎回、増やしていかなければいけないものだと思います。 人類皆、身体健全で、長寿、寿命を全うして、老衰死でなければいけないと私は思っています。早死にされると、その者に情のある残された者達は辛いと思うので。自分勝手な生き方はいけないと思います。 当たり前の事ですが、これは私が辿っている道であって、他の方々の道ではないのは勿論の事です。人類皆、データが異なっている、プログラミングが異なっていると私は考えています。だから、自分の道を行かなければならないと思っています。自分の道というのは、自分が行きたい道という事です。自分が本当にしたい事は自分だけにしかわからないと思います。勿論、全ての人類の心、精神の中の最奥に私がいるので、その私に意識を合わせれば貴方の事解りますが、その私は貴方のしたい事をすればいいと思っているはずです。貴方に完全に共感しているのだから。というわけで、私の言っている事はいつも一緒です。本当にしたい事をし続けて下さいと。自分が本当にしたくない事は誰もするわけないという貴方に対する完全な信頼が私にはあるのです。当然、私には、貴方が何億年もの地獄の道を通過して、地下神界へ行くという選択をする事への覚悟もあるのです。私にとって地獄は地獄ではありませんが、地獄の業が無い私には地獄ではないから、地獄の業がある方々にとっては、地獄が実在するように感じるかもしれません。しかし、それは貴方が地獄の業を創ったからです。世の中、相対的にしか存在していません。客観的な実在ではありません。肉体は借り物。魂の修行場。肉体の物欲の体験意味無いです。だから、神様、イエス様を30数歳で殺してしまったのだと思われます。人類の肉体の可能性を消してしまった。イエス様以後の人類には二度と無い世界です。 選択肢は二つあります。人類史を辿る私の道と、イエス様以降の人類として生きていく道です。肉体の物欲の世界は、イエス様以降しか残ってないんです。これがイエス様を殺してしまった人類の支払いなのです。肉体的男女の道に入った方々は、イエス様以降の人類の経験しかできないのです。私は人類始祖エヴァを知っています。私の霊的経験に於いては、女は全て、人類始祖エヴァの分身です。一即他、多即一の世界観を私は持っています。自分の妻を愛する事と全ての女達を愛する事とは一緒、同じなのです。これが私の女観です。私はそういう世界を少しの間、生きていました。勿論、人類の過去の歴史の一部です。勿論、今はそうなっていません。現代のほとんどの女の方々は、私とは別人類です。生き物の種類が違う方々なのだと感じています。同じ人間ではありません。自分を人間だと思っている時、私はその方々を同じ人間とは感じないのです。そういう寂しい世界に生きています。 人類の現実は違っているのです。要するに、自分の肉体の可能性をどういう世界に向けて遣うかという事だと思われます。全部の世界に向ける事は不可能なのでしょう。人類全体の統一世界が不可能だという事です。誰も自己犠牲したくない。誰も妥協したくないから。イエス様、サタンを愛する、サタンを許す道を選んだ。その分、弟子達、信徒達を刑死させた。それがイエス様のしたかった事でした。敵を愛す、敵を許すという生き様をしたかったのでしょう。イエス様はそういうエゴの持ち主だったのでした。自分の肉体を犠牲にする事を選ぶという。敵を愛するという貴い心を自分の肉体よりも大切にしていたのです。キリスト教の世界、そういう世界だと思われます。 その意味でも、セックスをする相手は一人の方がいいのです。人数が増えれば増えるほど浅い世界になるから。横には広い世界だけれども、浅い、低い世界になるのでした。有限な自分で何を経験するのかという自己選択の問題です。私、毎日、ブログを書いているのは、徳分を積む為ですが、その徳分、物質的快楽、食事をしたり、テレビを見たりすると減ります。徳分が遣われているのがよく解るんです。タダのもの、何にも無いんだとよく解るんです。自分の幸福を最大化する為には魂の向上の為に遣うべきだと思われます。向上するというのは、下の世界の喜びとは縁を切るという事です。より繊細な、より微妙な喜びの世界に入っていくという事です。粗い喜びは大きなエネルギーを消費する。大きな苦労と大きな喜びの世界。そういう肉体のダイナミックな世界から、段々、心の喜びの世界へ移行していくのだと思われます。勿論、自分が一番感じたい世界を享受し続ければいいと思われます。霊界に行かないで、再度、肉体に生まれ変わる事も可能みたいですし。私は二度と生まれ変わりたくないけれども、生まれ変わりたい方々も一杯いらっしゃると思われます。多分、可能だと思われます。 過去は変える事ができないので、過去の結果としての今の現実を生きるしかない。運命を受け容れて生きるしかない。全て、どういう世界を選ぶかという問題です。全部を選ぶ事はできないと。 自分が選んだ世界を深めれば、高めれば、神に到達すると私は思っています。全ての道が神に到達すると思っています。要は、それを為している内的境地が神に到達するほど、深まれば、高まればいいのですから。ただ、個人的境地の完成から、人類愛を通過していきますので、ご承知おき下さい。私の道を辿る場合は、鏡の女性が人類始祖エヴァにまで至っていく。セックスをした場合は、例えば、旦那様に尽くしていった場合、旦那様がイエス様になるまで至っていくのではないかと考えられます。イエス様、そういう霊的立場、地位を得られているのではないかと考えられます。ただ、刑死していったわけではないと思います。マイナスがあれば、その分のプラスもあるはずなので。男性の場合、自分の妻を愛していく心境が愛するという徳分を積み重ねる事によって、どんどん積まれていって、イエス・キリストと同じ心境にまで至る、即ち、イエス・キリストと合体するのだと思われます。 人類はイエス様という子を育てなかったので、子育ての道、切れてしまいました。イエス様が子育てされていないので、イエス様より前進する事ができません。神がやった事、イエス様を刑死させた事を越えていくのであれば別ですが。私は神中心なので、神を越えていく事はできません。神の上の地位になるという事は考えられないのです。猛烈な自己犠牲だと考えられます。私のデータ、プログラミングには、神を越えるという選択肢は無いです。多分、神を越えるという事はあり得ないと思います。しかし、上の神の系統という事はあり得ると思います。私はイエス・キリストを刑死させた神の系統なので、それに従うだけです。
2007.09.17
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損な事は誰もしないという人類への信頼を得ました。得過ぎる事もしないようですが。私の友人が神に誓ったはずなのに、私についてくる事から逃げてしまったので。「人類の未来へ投資を続けよ、先祖霊として生き延びよ、永遠に生きよ」の文章が最後になりました。「無能唱元の幸せを呼ぶ成功哲学」からの文章はもはや彼の下には届いていません。勿論、彼の自己判断・自己選択・自己責任だから、しょうがないのですが。彼にとって、得をするのもそこまでだったという事です。私の成長はまだまだ続くのでした。 この世の現実について、解っている方々には当たり前の事ですが、解っていない方々の為に書きたいと思います。神は宇宙を創り賜いました。そして、太陽、月、地球を創り賜いました。勿論、他の惑星も、銀河も創り賜いました。そして、気体、鉱物、植物、動物を創り賜いました。そして、人間を創り賜いました。世の中にタダのものはあるのでしょうか。私はタダのものは何も無いと思います。当たり前の事ですが。作用があれば、必ず、反作用があるのです。二つのものが触れ合えば必ず、変化するのです。人類始祖は、神に、創世記3・2女はへびに言った、「私達は園の木の実を食べる事は許されていますが、3・3ただ園の中央にある木の実については、これを取って食べるな、これに触れるな、死んではいけないからと、神は言われました。」。と言われました。 人類始祖はそれまで、自由に幸福に生きてきました。しかし、勿論、その費用はかかっていたのです。当たり前の事です。皆、タダで子育てできないでしょう。子育てには費用がかかっているでしょう。その費用の徴収の時が来たのです。へびが人類始祖エヴァを試練したのです。人類始祖エヴァは神の言いつけを守るか否かと。言いつけを守ったという事は、神に帰依したという事です。神の子になる事を選んだという事です。当たり前の事ですが、人類始祖は元々は神の子ではないのです。創られただけ。動物と一緒です。解ると思いますが、子は自分の血統だから可愛いのです。自分と似ているから。似ていなかったら、可愛くも何ともないのです。情は発生しないのです。 解りますか。へびの背後で見守っていた神の御心が。神の言いつけを守るという小さな条件が必要だったのです。それが神への今までの幸福の支払いだったのです。こういう事は基本事項だと思います。人間関係の超基本です。そういう事って、超大事、生きていく上での基本中の基本ですよね。これができない方々は、御仕事できないのです。御仕事は全て、神の御心の実現の為に御奉仕させて頂く事です。神への小さな条件を積まさせて頂く事です。それしかあり得ないです。これしか御仕事としては成立しません。 悪いお金は別ですよ。悪い方々の為に働いても悪いお金は手に入れられますよ。しかし、それは地獄のお金です。地獄への道をその分、前進してしまったという事です。私はそういう事をする必要はないと思っています。世の中、全て、神のものなのだから。寿命があるうちは、神が生かして下さるという信仰心が私にはあります。食べるものが無くなったらそれも神の御心だと受け容れておとなしく餓死していきます。悪いお金を得てまで肉体を生かす事は悪だと思うから。 今まで人類はそういう試練を受け続けてきました。踏み絵を踏まされ続けてきました。神に命を要求され続けてきました。それでも、神の子だから、神を選んできたのです。基本だと思います。それが人間関係だと私は思います。そういうレベル以上の方々、世の中には大勢いらっしゃると思います。御仕事ってそういう信頼関係でやっているものですよね。自分を超えた事、一杯要求されますよね。 その度毎に、神を選ぶという神への小さな条件積みが必要だという事です。この世の幸福をある程度享受する毎に、そういう試練が訪れます。そこで神を選ばなければ、終わってしまうわけです。神の子としての成長はストップしてしまいます。あとは、悪を選んだ分、地獄へ前進してしまったという結果が残るだけです。悔い改めて、再び、神への道を前進する事も勿論、可能ですが、小さな条件積みではできなくなります。条件が大きくなってしまいます。大変ですけど、それでも、地獄に前進しても意味無いので、頑張るしかありません。現実の道、大変厳しいです。 真理を一つ、サービス致します。サタンなんて存在するのでしょうか。二元論真実でしょうか。私はサタンの背後にいる神を見抜いていました。サタンも勿論、神に仕えている存在だと見抜いていました。サタンは神の代理、人間の試練役という事は私には解っていました。タダのもの何も無いから、ある程度の幸福を享受する毎に、サタンによる神の試練が訪れるんです。そして、その試練に勝利して、神に費用を払わなければいけないんです。神は全ての人類の面倒をそうやって、見続けているんです。常に善を選び続けるという事が全き善である神の、子の成長なんです。そういう地道な事を神はやり続けていると思います。神はそうやって、勝利した人間からは喜びを、悪の誘惑に負けた人間からは悲しみ、苦しみを感じているのだと私は思います。そういうものではないのでしょうか。普通の人間にとっては当たり前の事ですが、浅い仕事のやり方ですんできた方々にとっては成る程と思われる内容だったと思います。夫婦関係もそういうものですよね、人間関係だから。夫は神への道を前進し続けているのです。妻はそれについていくのです。悪を選ぶ妻とは徐々に離れていかざるを得ないのです。当たり前の事ですけれども、自分より下の男と結婚するわけないんです。女は自分より上の男としか絶対に結婚しないんです。何の意味も無いので。女に生まれた意味が何にも果たせないので。女というのは、男にとってそれだけで価値があるのでした。女を捨てて、男と対等に仕事をするのは大変なのでした。物凄く損だと思われます。勿論、調査したわけではないので、女として生きるよりも、男として生きた方が得という事もあるかもしれませんが。何となく書いているだけですので、真実はわかりません。女がいない私にとっては、どうでもいい事だから。他人事なので、ちょっと思いつきを書いただけです。現実の方々が真剣に考えるべき事です。 今まで私を育てて下さった親の愛情は、サタンの愛情でしょうか、神の愛情でしょうか。空が好きhttp://plaza.rakuten.co.jp/sugar925/diary/200708170000/さん、観念的な理論が親の愛情でしょうか。現実に注いだ苦労が親の愛情でしょうか。親に何を求めているかという問題です。私は子への愛情が親というものだと思いますが、それだけでは満足できない方々が統一教会に入ってしまうのだと思われます。大変な道。神に大きな条件を積まなければいけなくなってしまった。親に、即ち、神に、大きい事を求めたから。全部、自分次第です。 とにもかくにも、国際結婚をして、子をもうけたというのは、国際人としての地位を得たという、凄い地位ですので、私はお仕え致します。国のカルマを消化しているので、人類の為に非常に貢献して下さっていると思われます。誇りを持って、国際人としてのカルマを積んで頂きたいと思っています。公立中学校の教師だった私から見ると、物凄く上の地位に見えます。 私にとっては当たり前の事ですが、私の両親が、私の真の両親です。それで、統一教会を通してのサタンの試練は終了です。園の中央にある木の実については、食べないから、それで終了です。能力が遺伝しない以上、私にとって、何にも可愛くない子供でした。私にとって、精神的苦労、心の苦労が、人生の殆ど全てなのに、そういう精神的遺伝子、心の遺伝子が伝わらないのなら、子育ての苦労何にも酬われないから。 信じられないほど、精神的に、霊的に、心的に苦労したので、物凄い損害になってしまうので、園の中央にある木の実、食べられないです。私と同じだけの精神的中身、霊的中身のある方でないと相対するわけないから。 現実を見れば解る通り、統一原理の理想の世界は遥かに遠い。園の中央にある木の実を食べた方々はその遠い道を行かざるを得ないと思われます。私は神に対して積んだ苦労が酬われるまで待機して遊んでいざるを得ないと思っています。ブログを書いているのは、遊びですので。御給料頂いて、その御給料にのっかっている業を背負うのが御仕事だと思われます。ブログを書いているのは、精神的・霊的・心的世界だから、学びの世界。お金が関わっているのが物質世界、肉体界、御仕事の世界だと思われます。サタンに滅茶苦茶苦労させられてその酬いをまだ得ていないので、学生時代に戻ったのだと思います。 でも園の中央にある木の実を食べた方々は、やるしかないので、現実を進めて下さい。道は色々あると思われますので、何を選んでもいいと思いますので、自分が思う通りに歩めばいいのだと思われます。 私を信じて下さるのなら、サタンは神の裏の姿であって、神しか存在しないという事です。園の中央にある木の実を食べてもいいというへびの言う事を聞いたから、サタンしかいないという世界になっているので、神しかいないという世界が私の現実なのです。 やがて、サタンも神の一部になる一元論の世界になると思われます。魔神も正義の追求をしているだけですので。不思議な事に、女も子も一杯いる麻原彰晃がどういうわけか、童貞の私の下の地位になっているのです。だから、前回、彼の文章を背負いました。そういう不思議な事がありました。勿論、私の器には彼の全部の生き様が入ります。全く違うので。人類の生き様と個人の解脱・悟りの生き様とは全く出発点が異なっているのでした。私の個人は非常に小さいのです。だから、人類全部を善くする為に私のほとんどの人生があったし、これからもあるのです。個人は殆ど無い。キス一人と、おっぱい触ったのが二人(含むキスした相手)、それだけでした。勿論、前世の因縁が深い方々です。前世の因縁、解っています。殆ど無なのです。それ以上、私の現実的因縁無かったのでした。たったそれだけの肉体的因縁だけでも、霊的世界の経験は膨大にあったのです。肉体の価値がどれだけ高いかという事です。 ほんのちょっと、ごく僅かの肉体経験が、全人類の霊界観になっているのです。普通の方達がどれだけ凄い事をやっているかという事です。はっきり言いましょう。神はそういう男女の経験をする方々全てに、人類始祖に対する思いと同じ思いを注いで下さっているという事です。それだけの責任があるという事です。男女の経験をされた方々は皆、人類始祖と同じ立場と責任とを背負っているという事です。神様、人類皆を愛して下さっているのです。真実をまた一つ明かしました。人類の親神様方有難うございます。天命界の親神様有難うございます。
2007.09.16
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つまり、ここでわたしが見切ったのは、彼の知性、そして彼の霊性である。もともと知性、霊性の高い人は、どんどん先へ進めてあげ、そしてそれにより高い経験をさせることによって、自分の可能性というものを自分自身で体験させる。これが一番早道なのである。 人間世界とそれから天界へ至り、最終的には神聖天界【しんせいてんかい】、あるいは煩悩破壊界へ至るサマナの世界、その空間のエネルギー、あるいはそこで修行している人たちの心と、現実生活の悲惨さを比べたら、やはりサマナの世界の方が数段上である。いったん還俗させたとしても、彼だったらそのことにすぐ気づくとわたしは考えたのである。異性の誘惑を切ったS子さんの場合 S子さんという人がいた。彼女は、大変気の弱い子で、そして異性に誘惑されると即その誘惑に乗ってしまう。もちろん、誘惑されるぐらいであるから、もともとスタイルもよく、大変美人であった。しかしわたしは、彼女がそのような経験を続けるごとに、あるいはそこから派生する例えば堕胎の経験等を行なうことによって、彼女の人生が相当にねじ曲がり、そして苦しみがどんどん増大するということを知っていた。 よって、わたしは彼女にそのような法を説き、そして、実際はそのような行為を、つまり異性と気軽につき合うという行為をやらない方がいいという話をした。 もちろん、そのような話だけで、人の傾向というものが変わるわけではない。わたしは、彼女に対してはより高い意識を持たせるために、特殊な修行――これは特別な呼吸を整える方法があるわけだが――その特殊な修行を徹底的に行なわせることにより、エネルギーを上昇させた。この特殊な修行を行なうことにより何が起きるのかというと、より高い意識、あるいは自分の潜在意識へと到達できるのである。 彼女はそれにより、徐々にカルマの現象が早くなり、そして本質的に愛していない異性と付き合うことは自分自身を苦しめるんだということに気づき出した。そして徐々に徐々に異性との関係が遠のき、今では完全に異性を捨断し、そして出家し、立派に救済活動の手伝いをしている。 これは、単純に煩悩や習性の捨断を教えだけによって導いたとしたならば、済度されなかっただろうということを表わした一例なのである。食欲に悩んだT君の場合 T君という子がいた。T君は東大生で大変優秀であった。彼は、専門分野でその学年でトップに立つぐらいの成績を修めていた。そのT君は、学業において大変真面目で、そして論理的に追求する心も、人並外れて持ち合わせていた。しかし、彼は貪【むさぼ】りのカルマをなかなか切ることができず悩んでいた。つまり、食べ物に対する執着があり、その執着を切ることができず悩んでいたのである。 わたしはT君に対して、その好きな物、一つ一つを言いなさいという話をした。彼は好きな物を列挙した。わたしはそのすべてを大量に用意し、そしてそれを厭逆【えんぎゃく】させながら、彼に食べさせることにした。彼は、それを食べたことにより、食べ物に対して、その大量に食べることが本質的には苦しみなんだということを理解し、それを数度経験し、その後食の煩悩から離れることができた。 これは、彼がもともと論理的な思考をなすことができる人であり、そして修行に対してしっかりと目的意識を持ち、グルに対してある程度の帰依【きえ】ができているという条件を備えていたからこのようなことができたのである。もし、彼に帰依の心が弱ければ、食べなさいといってもわたしは食べたくないということで、結局彼は煩悩を持ち続け、その煩悩を越えることができなかったであろう。異次元で噂になったU君の場合 次は、U君の場合である。ある日、死の瞑想をしている最中、わたしの変化身【へんげしん】はどんどん暗闇に吸い込まれていった。そして、わたしの体は、異次元における、このオウム真理教の道場のある場所と同じ場所に立った。つまり、愛欲界の空間の裏側にある、アストラル空間に立ったということである。 そこには現実世界と同じように弟子たちも存在しているのだが、わたしは、よくそこで、サマナその他に質問をして回る。それは何についてかというと、「どのサマナが真面目に修行しているか。」 あるいは、「どのサマナが修行していないか。」 あるいは、「どのサマナが戒を破っているか。」 あるいは、「どのサマナが戒を破っていないか。」といったようなことである。 いつもと同じように、わたしの変化身はサティアンビルから道場に向かって歩き出した。すると、三名のサマナが、噂話をしていた。「ねえ、ねえ、知ってる? A子さんがU君とどうも戒を破ったみたいよ。」 わたしは、そこへ近づいていき、もう一度教えてくれないかというふうに、その三人のサマナに聞いた。すると、実はA子さんが、それについてずいぶん悩んでいるのだというのである。「これは、まずい。」 わたしは、早速アストラル空間から自分の肉体に戻った。そして、A子さんに電話をしたのである。「あなたは、U君と戒を破っているんだね。」「実は、ザンゲをしたかったんですけども。」A子さんの返事は、こうだった。実は、そのU君には、三日前にわたしは直感で、「君は、A子さんと戒を破っているんじゃないか。」という質問をしたばかりだったのである。しかし、U君は、「いや、そんなことしていません。」と、わたしに返事をしていた。 それからわたしは、A子さんとU君をわたしの瞑想室に呼び、修行を続けていくのか、それとも還卑【げんぴ】するのかを問うた。「いや、いかなる律でも受けますから、とにかく修行を続けさせてください。」と、二人はわたしに言った。「よし、わかった。では、律を受けて早く今の煩悩を切り、そしてもう一度教義をしっかり理解し、次のステップの修行に入っていきなさい。」という話をして、わたしは二人を帰したのである。 これも、広い意味での漏尽通に含まれるのだ。美人に対する幻影を切ったJ君の場合 ところで、チベット密教に、偉大なグルとして称賛されているティローパがいる。このティローパは、ナローパに対して、偉大な覚醒を与えるとき、最後は自分の靴でナローパの頭を殴り、そして覚醒を与えたといわれている。 これは、ティローパが偉大なる成就者であり、そしてナローパのカルマを完全に見切り、ナローパの管の詰まりと、そしてそれまでなしてきた暴力のカルマを取り除くために靴で殴り、それによって覚醒させた一例である。このようなことはオウム真理教の中でもいろいろと起きている。 結局のところ、グルは弟子に対して、弟子を人と見るのではなく、カルマの集積というふうに見るのである。つまり、形状-容姿に対してどのようにとらわれているのか、あるいは感覚に対してどのようにとらわれているのか、あるいはイメージに対してどのようにとらわれているのか、あるいは自分自身のなした経験に対してどのようにとらわれているのか、あるいは、その彼はどのような識別を有しているのか。そして、これらの弟子たちの五つの愛欲の構成要素のカルマの集積を見切って初めて、グルというものが成立するのである。 では、もう一ついこう。 J君という弟子がいた。彼は、大変、美しいものにこだわっていた。この美しいものにこだわるというのは、美しい人、つまり美しい女性イコールいい人という観念であった。そこでわたしはその美しい人、何人かの例を挙げ、そして実際、彼女たちがどのような心の持ち主であるかをJ君に直に体験させた。もちろん、顔と心とは別物である。彼は、美しい人イコール善人であるという観念を崩壊させ、それから美しさにとらわれなくなった。観念を崩壊させた専門家の弟子の場合 では、最後にもう一つ例を加えて終わりにしたい。 わたしは、よくその専門分野で弟子たちと討論することがある。例えば名医と称されたG君やK君と、その専門について話をするわけである。そして、治療法、あるいは医学知識を話し合う。 だいたい、わたしは今まで専門家と専門分野について話をして負けたことがない。そこで彼らは、自分自身の経験、その経験が完全ではないこと、あるいは知識が完全でないことを悟るのである。 彼らは、その知識が完全でないことを悟り、よりいっそう医学の知識を磨こうとするし、またよりいっそう智慧を磨こうとするわけである。これは、まさに経験の構成を崩壊させるための漏尽証解智の使い方なのである。-引用終わり-
2007.09.16
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ちょうど性欲の強い女性のサマナがいた。この性欲の強い女性サマナは、無対象、特定の対象ではなく、不特定の対象に対して性欲を有している、つまり本質的に性欲を持っていた。それにA師は完全に感応し、そして巻き込まれてしまった。しかし、さすがに成就者である。最後まで至ることはしなかった。つまり、性的交わりはなさなかったのである。 わたしは、その支部の出来事を遠く離れた富士山総本部道場で見ていた。そして、その問題をどのように解決するか考えた。そして、彼に四日間の断水断食の集中修行をやらせたのである。もちろん、彼はそれでいったん抜けた。 読者の皆さんは、びっくりするかもしれない。四日間の断水断食、これは常人ではないと。しかしオウム真理教の師のレベルになると、それぐらいのことは普通にできるのである。 しかし、彼の根本的煩悩というものはそこで完全に捨断されたわけではない。それは、一時的にそのエネルギーの引っかかりが、断水断食という形で取り除かれたにすぎない。 次にわたしのなした彼に対する課行は、経典の記憶修習【きおくしゅじゅう】であった。この経典の記憶修習により、彼のもともと小さいときから植えつけた、そのような性的イメージというものを捨断する方向に向かわせたのである。 そして彼は、今徐々に徐々にその性的イメージの捨断を行ない、かなりの部分捨断できるようになってきている。しかし、まだ本質的に捨断できているわけではない。 そこで、わたしは次に、彼に特別な集中を行なうことにより、エネルギーを上昇させる方法を教え込んだ。まあ、これによって彼の性的煩悩はかなり減少したようである。 これらはすべて漏尽に属する。漏尽は実際に心の発する光の色を見るという状態、視覚的に見るという状態、あるいは、声によって相手の煩悩を聞き分けるという状態、実際ににおいで相手の煩悩を嗅ぎ分けるという状態、そして触れて相手の煩悩を知るという状態、心の部分と直接コンタクトをとることにより、つまり、相手の心と自分の心を合わせて煩悩を知るという状態等いろんな状態がある。 他の神通力との違いは、これらの煩悩は、自分の内側に入ってきても、すべてその煩悩が自分のものでないということがはっきりわかるということである。つまり、煩悩と真我との区別がはっきりとしている、これが漏尽の状態なのである。 ところが、他心通【たしんつう】、あるいは宿命通【しゅくみょうつう】、死生智【ししょうち】などの場合、その中に没入しているときは、その没入した世界と、それから見ている自分との区別がつきづらい。ここに、大きな違いが存在している。犬から転生した子供を持つ母親の場合 次に、東京のOさんという女性から相談を受けたときの話をしよう。 その日、わたしはシークレット・ヨーガで、そのOさんから相談を受けた。六歳になる息子が、いまだに「ママ」以外の言葉をしゃべれない、ということだった。 このようなケースで、一般的に考えられるのは「精神薄弱」等の、いわゆる知恵遅れであろう。 しかし、この子供の場合は明らかに異常であった。それは、子供に対面した瞬間にわかったことである。 なぜなら、その子供は、いきなり四つんばいで足を後ろに蹴上げながら、わたしのところに跳んできて、わたしの足をペロッとなめたのである。その動作は、まるで犬であった。 そこで、わたしは子供の前生を透視してみた。思ったとおり犬である。犬の魂が、そのまま人間の子供に宿っているのである。 どうしてこんなことになったのか――わたしには、殺生のカルマが関係しているような気がしたので、母親に聞いてみた。「あなたは、この子が生まれる前に、犬を殺しませんでしたか?」と。すると、「犬ですか……。」と母親はしばらく考えていたが、思い当たることがあったらしく、「そういえば……。」と、次のようなことを話し始めたのだった。「わたしは、この子を妊娠する前に、犬を二匹飼っていました。二匹とも雑種でした。そのせいか、夫はこの二匹を嫌って、いつもいじめておりました。そこでわたしは、夫に気に入ってもらえるように、血統書付きのセントバーナード犬を飼うことにしたのです。二匹の雑種犬の方は、どうせいじめられるのだからと思って、保健所に連れていきました。そうです、保健所で毒殺してもらったのです。」「その後、妊娠したのですね。」とわたしは聞いた。「はい、妊娠したのはその後すぐのことでした。」「奥さん……これは間違いなく、その犬の生まれ変わりですよ。」 わたしは彼女にそう言った。「では、この子は二匹の雑種のうちの一匹だとおっしゃるのですか? そういえば、この子は父親がいくらかわいがろうとしても、決して近づこうとはしません。」「この子を治すために、今までにどんなことをしてきましたか?」 わたしがそう聞くと、「有名な霊能者のところへ連れていきました。そうしたら、この子がおかしいのは先祖霊の障りだと言われて。二年間、一所懸命に先祖供養をしてきました。でも、全く変化がありませんでした。」と彼女は答えたのである。 先祖供養――確かに、これはよく聞く言葉であり、それを重視している宗教団体や霊能者は多い。しかし、わたしに言わせれば、先祖霊の障りなどあろうはずがない。なぜなら、死後の魂は必ず生まれ変わっているからである。 したがって、この子供の場合、いくら真面目に先祖供養などしたって、変化がないのが当たり前なのである。 では、どうしたらこの母子が救われるのだろうか? わたしはこの具体的な内容を指導する前に、今一度殺生のカルマによるものかどうかを確かめるべく、母親を室外に出して子供の様子を観察した。 「ワンワン。」と子供は犬のようにほえる。自分で棒を投げては取る、ということを楽しんでいる。そして、何回も四つんばいのまま、足を蹴上げている。「ベス。」と、わたしは、前もって聞いていた二匹のうちの一匹の名を呼んでみた。反応は見られなかった。次に、もう一匹の名を呼んでみた。すると、子供は全身に喜びを表わして跳んできて、わたしのひざにちょこんと座った。間違いない――わたしは確信した。彼は、二匹の雑種犬のうちの一匹が、毒殺された後に転生したものだったのである。 わたしは母親を室内に呼び入れた。そして言った。「あなたは、犬に慕われていたのですね。」「はい、ものすごくかわいがっていましたから。」「そのようにあなたを慕っていた二匹を殺したカルマが返ってきたのですよ。もし、息子さんが正常になったとしても、彼の前世の記憶にある憎しみのデータによって、父親を殺す可能性があります。少なくとも、父親に対して暴力を振るうようになってしまうでしょう。あなたは、無智のカルマを持っていて、無智のカルマが殺生という行為のカルマをつくり出しています。いいですか。だから、あなたには無智のカルマを消す修行と殺生のカルマを消す修行の両方が必要です。両方やらなくては、決して幸福は訪れません。」 そして、わたしは母親に修行法を伝授したのだった。 これは、オウム真理教で行なわれている「ポアの集い」というわたしの説法会でのことで、すべて録音されている。 後で、テープを聞いたヤソーダラーが、不思議に思ったらしく、「どうして最初から殺生が原因しているとわかったのですか。」と質問してきたものだが、これも漏尽通によって知り得たことだったのである。煩悩の多い老年の弟子の場合 次の例にいこう。あるサマナが出家し、そして酒に対する煩悩で苦しんだ。もともとこのサマナは年齢も五十歳を過ぎており、そして社会的にいろいろな経験をしているがために、煩悩もかなり多くのものを有していた。このサマナに対して、わたしは修法したビールを飲ませることに決めた。 もともと、ビールを飲ませるということは戒律に違反する。なぜならば、ビールを飲むことにより、放逸、つまり怠惰になるからである。しかし、それまで全く修行のできなかった彼は、わたしが修法したビールを二十本、一日だけ飲むことにより、それから大変な神秘体験を始め、そして修行に没頭したものである。 これは、そのサマナがもしビールを飲まなければ、還俗【げんぞく】し、そしてそこから完全に修行者としての縁が切れるとわたしは見たから、修法したビールを飲ませたのである。それによって、彼は今も修行を続けている。酒に執着したM子さんの場合 M子さんという女性がいる。このM子さんは性格は大変真面目である。そして、その真面目なるがゆえに、自分の煩悩というものがどうしても許せないと。そして、許せない自分の心と、それから煩悩との対立で苦しみ、何度かサマナから落ちたことがある。 このサマナは、お酒が好きであった。そして、お酒を飲みたいがために、下向しようと考えた。わたしは、おみやげ用に買ったブランデーがあったので、そのブランデーを修法して彼女に渡し、飲ませた。彼女は、それによりしばらく修行ができるようになった。しかし、それは本質的な解決にならない。彼女は、また酒が飲めないことによって苦しんだ。そこでわたしは、次は日本酒を修法して渡した。彼女はそれを飲み、そして教学をすることにより、徐々に徐々にデータが入れ替わり、今では立派なサマナ生活を続けている。美女に囲まれたいと願ったU君の場合 次は、U君の場合である。彼は、ムーディストであり、転輪聖王【てんりんせいおう】願望が強かった。わたしはそれを、彼のエネルギーと彼の心が発している光の色を見て知った。 そこで、「徳を積むことによって、それがかなうんだ。」というアドバイスをしたのである。むろん、わたしの本意は彼の望みをかなえることではなく、功徳を積ませて修行を進めさせることであった。彼はといえば、いくら否定したとしても、潜在意識にそれがあったので、黙々と功徳を積むようになった。 これはサキャ神賢が、いとこのナンダに修行をさせようとして採った方法と同じである。サキャ神賢はナンダを天界へと連れていき、美しい天女たちを見せて言ったのである。「修行すれば天界に生まれ変わり、この美しい天女たちを自分のものにできるのだ。」と。 その後、サキャ神賢はナンダを真の修行者へと導いていくわけだが、それはさておき、功徳を積んできたUは、その功徳によって今は大変美しい女性たちにかしずかれている。 そして、その状態を味わわせた上で、それは苦であると教えていっているのであるが、まだ完全にそういう心を捨断し切れず、マハー・ムドラーの成就には至っていない。 なお、多くの女性にかしずかれることによる苦とは、女性間の嫉妬によっての影響や、修行に対する欲求を女性によって妨げられたりすることなのである。広い心を求めたG君の場合 次は、G君の場合である。G君は大変優秀な大学院生であった。彼は、在家のころからいろいろな神秘体験をしていた。彼は、神秘体験のための修行と、それからセミナーへの参加、お布施の実践といったようなことは好んで行なっていた。しかし、あくまでもその修行は自分個人のための修行であり、それゆえに彼の心というものは大変固く、そして心の幅が出ずに悩んでいた。 わたしは、彼を期間を決めて出家させることにした。つまり、一カ月間だけサマナ修行を行ないなさいと。彼は、一カ月間サマナの修行を行なった。その結果、そこで大乗の思想、その他をいろいろ植えつけられ、そして心が柔軟となった。 彼は、そこで約束どおりいったん還俗した。しかし、もともと賢い彼は、その現世の生活とそれから出家修行者の生活との差、これをしっかりと見、そして自分自身にとって、結局出家修行がいかに価値のあることであるかということを認識したのである。
2007.09.16
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私はできるだけ高い世界への道を開きたいだけです。道があれば、どんな苦労をしても昇りたい人は昇るのだから。必要なのはどうしても昇りたいという欲。他にやりたい事があったら、まだ、そういう欲は発生しないと思います。私の場合、サタンが私を支配しようとする事に対して、滅茶苦茶許せなかったので。何故だか解りませんが、神の子の自覚が物凄くあったのです。イエス・キリストの悔しさと共感したのです。 イエス様が人類の罪の身代わりに十字架にかけられる為に生まれてきたという馬鹿げた考え方するわけないんです。自分の罪は自分で償うしかないんです。こんな事、常識です。イエス様、人類の罪の身代わりに十字架にかけられたわけではありませんので。あくまで、自分の罪です。当然の事です。その者が徳分を積んだ分しか、救済をしてはいけないのです。それがその者の尊厳、主体性を貶めないという事なのです。対等性を奪う事は猛烈な罪なのです。人間皆、神の子なのだから、創造主なのだから、対等なのです。だから、私は尊大にもならないし、卑屈にもならない。 オンリーワンの存在として、自分の道を生きているのです。他の方々は、おそらく、自分だけにしか解らない自分だけの道を歩み続けていると思うのです。そういう自分の道を、自分だけの道を歩み続けましょうという波動を発信し続けているのです。自分がしたいように生きる、勿論、他の方々も自分がしたいように生きる権利があるのだから、共生していきましょうという事です。そういう内的自由を侵さないし、侵させないという事です。 私の場合、一つの道だけを歩んでいるのではありません。良い道は全部歩みたいのです。その方が心が豊かになるから。ただ、私の場合、人格、心を否定する行為に耐えられないので、そういう世界を共有できないだけです。そういう世界を私の中で否定しているだけで、そういう事をしている者達を否定しているわけではないのです。別に、神様、殺さないで生かしているのに、私が裁く理由は無いから。神様、もし、彼らの存在を許していなかったら、魔神が即裁くはずだから。 病・事故・災害、全て、神の裁きだと私は受け止めています。私はそういう裁きが実際に生じる前に、悔い改めたいと思っていますが、普通の方々は、全く聴く耳持たないから。自分のハイヤーセルフとか、守護霊とか、先祖霊とか、そういう自分に善意を持たれている方々が実際に裁かれる前に何度も何度も何度も警告を発せられているはずだから。神様、善意の塊の筈です。 隣人を咬んだ我が家の愛犬、父親が処分してしまいました。保健所に出してしまいました。国民年金で生活している両親にとって、膨大な経済的損失を与えた我が家の愛犬でしたが、咬んで怪我をさせたという事を許されませんでした。犬はそういう事をしてはいけないという事みたいです。 実際の世の中、上司に被害を与えた部下、許されませんが、うーんと思いました。長男である私と長女である妹の父親として生きている立場としては、必要な厳しさなのでしょう。自分に害を与える者を許さないと。自営業をやる前は、滅私奉公を長い間していたから、厳しさが私とは異なるのだと思いました。零細企業、中小企業、滅私奉公をしない者は即クビだから。そういうのが世の中の現実だと思い知らされました。そういう扱いを受けていた方々は、他にも当然、厳しくなると思いました。肉や魚を可哀想だから食べないというのは甘ちゃんの考え方だと思いました。人間も、酷い扱いを世の中でされているのでした。世の中、厳しいのでした。 そういう事で、この世の厳しい現実からの逃げ道も大事だと思うので、オウム真理教の解脱の道の引用、再開致します。人類のガス抜きも大事です。私は為に生きて苦しみを乗り越えたタイプですが、そういう意識になれない方々はなれないと思うので。為に生きれば、仕事の成果は自分のものにならないのでその分、楽になります。精神的喜び、心の喜びの世界に生きる事になりますが。 でも自分中心の世界、最悪だと思います。精神的に貧しい、心の貧しい世界だと思います。孤独な世界だと思います。割に合わない世界だと思います。肉体は魂が修行をする為に一時的に借りているだけの存在です。修行場であって、生きる場ではないのです。肉体が自分の意識になって、生き残る為に辛い仕事に耐えているという世界、非常に心の貧しい生き様になると思います。仕事は、単に生活費を稼ぐ為にするのに、非人間的な扱いに耐え続けていたら。そういう物扱いに耐えていれば、物が手に入る徳分が得られるのですが、私は耐えられないので、人類の為に御仕事をしてきました。そういう霊界体験を一杯しました。心を捨てて物になる労働、できませんでした。そういう事ができる方々が、物質的繁栄を手に入れているのだと思いますが。この世が生活場になっている意識、全然波長が合いません。 この世は物凄く厳しい世界であって、特殊な世界だと思います。自分の思いが現実になる世界が本来の世界だと思うのです。そういう自由な世界から一時的に修行の為にこの世に生まれてきていると思うのです。この世の生活が喜びだと感じている方々は、この世よりも苦しい世界から生まれてきたのだと思われます。この世よりも楽しい世界から生まれてきた者達は、この世の生活を苦しいと感じると思われます。私はこの世にいながら、ほとんどあの世の生活をしています。肉体の生活、非常に高価だから、最小限しかやりたくないのです。イメージの世界の方が気楽だし、自由だし、楽しい。現実、滅茶滅茶重いし、責任あるし、大変な世界だと思います。非常に残酷だし。 人類の一員として生きている私は、この世の過酷な現実を他人事だと思えないです。何時、自分事になるかわからないと思います。徴兵制度がある国もある。米国兵、毎日、イラクで亡くなっています。意義を感じられない理由の為に。イラク人、毎日、自爆テロで殺されています。そういう立場に私達がならないと言えるのでしょうか。カルマによっては、危険があると私は思います。だから、自分の身を守る為に徳を積みます。修行をします。もし万が一、来世があった場合にも備えて、徳積みをしています。 親に育ててもらう分の徳積みをしておかなければ大変な苦しみの子供時代になるから。親はタダで子育てなんてするわけないんです。育ててもらっている子供はその分の徳分の支払いをしているんです。当然の事ですが。マイナスの環境で育つと、それだけの人間性にしか絶対にならないんです。非常に狭い人間性にしかならないんです。人間に対する不信感克服できないんです。障害者、人類の意識持っていますか。物凄く欠けた人間性にしかならないんです。 麻原彰晃を見て下さい。最終解脱者があのざまですので。人間性が全く無いんです。地道にやっていれば、日本国で唯一の聖者としての名声を得たのに。愛人何人もつくって孕ませて、沢山の信者の女性とセックスをして。妻を自殺未遂に追い込んで。犯罪行為を弟子達が勝手にやったのだと弟子達のせいにして。刑務所内でも糞を垂れ流して布団を汚して、迷惑をかけて。 彼が説いた法、実証できるのは彼しかいないのに。アーレフの聖者達、クンダリニー・ヨーガの解脱者たった7人だけ。マハー・ムドラー(ジュニヤーナ・ヨーガ)の成就者、正悟師、大乗のヨーガの成就者、正大師はどこへ消えてしまったのか。アストラル・ヨーガ、コーザル・ヨーガはどうなっているのか。麻原死刑囚は、徳を積んでいるのだろうか、それとも悪業を積んでいるのだろうか。来世はどうなるのだろうか。彼の説法によると、真理勝者は、カルマの操作ができて、転生先を選べるそうですが、彼のやった事を越えられるのだろうかと思います。 私はカルマの法則には従うしかないと思っていますが。逃れる事できないと。バシャールなんかは今、ここだけしか存在しないと言っているのでカルマあまり関係ないみたいですが。私は過去があって、今があり、未来があると思っているので。過去・現在・未来全部の中に生きているので。昨日の努力の成果として今日があり、今日の努力の成果として明日があるという世界の中に生きているので、カルマ大事です。-引用開始-http://sinri.wordpress.com/tag/%e8%b6%85%e8%b6%8a%e7%a5%9e%e5%8a%9b%ef%bc%91%e3%83%bb%ef%bc%92%e3%83%bb%ef%bc%93/超越神力3Saturday, October 7th, 2006第二章 漏尽通、それはグルの条件 それでは、漏尽通【ろじんつう】はどのような形で救済に役立つのだろうか。その実例についてこれからお話をしたい。 もともと漏尽智は、すべての煩悩【ぼんのう】を知る力、その煩悩の生起、そして煩悩の滅尽、そして煩悩の滅尽に至る方法、これを完全に知ることである。 苦しみと煩悩というものの間には、大いなる隔たりがある。それは、煩悩を追求していく結果、苦しみが生じるのであり、その苦しみを滅尽するためには、煩悩の生起を知らなければならない。そして、煩悩の滅尽を知って初めて苦しみの滅尽がそこに生じる。つまり、煩悩の滅尽に至る道、イコール苦しみの滅尽に至る道ということになる。 もともとグルと弟子との関係というものには、親子以上の関係、あるいは恋人以上の関係、あるいは夫婦以上の関係が存在している。なぜ恋人以上の関係、親子以上の関係、夫婦以上の関係が存在しなければならないのかというと、それは弟子のグルに対しての絶対的信頼が存在していなければ、グルのなすカルマの現象化、およびカルマの捨断【しゃだん】の方法について疑問を生じさせるからである。 “煩悩を知る”というこの漏尽通の特徴により、これから話すのは弟子が煩悩に苦しむ話が多いが、これは彼らが普通の人と比べて特に煩悩的であるからというわけではない。修行に入ると、煩悩が浮き彫りにされるのである。特に、集中的な瞑想修行に入ると、その傾向が強まる。彼らは、そこでその浮き彫りにされた煩悩を知り、そしてそれを止滅していくのである。 なお、ここに挙げたようなケースの他に、弟子の成就を判定するときにもこの漏尽通を使うことを付け加えておく。その一 わたしはこのようにして弟子を導く性欲に苦しんだA師の場合 Aという師がいた。このAという師(クンダリニー・ヨーガの成就者)は大変優秀な師で、よく説法を理解し、そして神通もかなりのものを有していた。しかし、Aという師には性に対するイメージがまだ残っていた。 もちろん、クンダリニー・ヨーガは完全なる性の捨断を目的としたヨーガではないから、性の昇華を目的としたヨーガであるから、残っていて当然である。しかし、問題はその性の昇華が完全になされないとき、その性エネルギーをどのような形で止滅するかなのである。 彼は大変若く、なかなかハンサムでもある。よって、女性の誘惑も多い。もちろん、神通をかなり使えるぐらいの師であるから、性エネルギーを漏らすということそのものが、どのように自分自身の神秘的な力に影響を与えるかをよく知っている。よって、彼はこう考えた。性エネルギーを漏らしさえしなければいいと。そして、イメージ力によってその煩悩を満足させようとしたのである。
2007.09.16
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-引用開始-http://inspire-books.jugem.jp/?eid=101成功とは、持続力 2006.10.22 Sundayブランド帝国LVMHを創った男 ベルナール・アルノー、語る ベルナール・アルノー 著<小西学のおすすめコメント> この書籍は、大半がインタビュー形式になっています。インタビュー対象者は、LVMHグループCEO ベルナール・アルノー氏。。。LVMHという会社名を知らなくても、傘下のブランド名を知らない人はいない。。。ヴィトン、ディオール、セリーム、ラクロワ、モエ・シャンドン、ヘネシー、レミー・マルタン、ショーメ、デビアス、タグ・ホイヤー・・・。まったく個性の違うブランドを束ねて巨大ブランドグループを十数年という短い間に作り上げ、それぞれの企業価値・売上げとも数年のうちに数倍に引き上げた人物へのインタビュー。。。いったい何が見えていたのか。何を見据えているのか。垣間見ることが出来る。。。 公私とも多岐にわたる内容のインタビューから、組織のチカラ・仕事観について語られた3つの質問について取り上げてみたいと思います。流れがないので、読みにくいかもしれませんが。。。Q、企業の肥大化は、管理不能を招くことになりませんか?A、だからこそ、中央集権を避け、中小企業の集合体にしました。しかし、本当の問題は人材です。才能ある男性や女性を採用することが何よりも重要です。優秀な人材を発掘し、やる気を起こさせ、長く働いてもらうこと。そこに成功の秘訣があるのです。今日では、成長をやめれば企業は衰退します。成功とは、持続力にほかなりません。企業規模の問題ではありません。 売上げ・規模ではなく、組織とお客様の満足感を満たすコトが“成長”だという。これは、本編を通して、強く語られている氏の企業に関する思想である。。。ある程度、規模のある企業であっても、お客様から信頼の得られない経営をしている企業は、日本でも排除されることが、多くなってきたことでも分かる。人間の良心を真ん中に据えた企業(行動)運営が“成長”の条件のひとつとなっていることを。。。Q、LVMHには、憲章のようなものがあるということですが?A、その通りです。官僚的な精神に支配されている企業グループとは違って、LVMHは、本当の企業精神が存在します。LVMHは、企業家の集団であり、それが5番目の基本理念“永遠の向上心”をもたらすのです。 <補足>そのほかの内容は、本書中に書かれていますが、中断してここにさらに引用掲載してきます。『LVMHの哲学ともいえるグループ全体の戦略に適用される基本方針とは、高品質・創造性・ブランドイメージ・企業精神、そして絶えず自由と最高を目指す意欲この5つである。』。業界のトップになり、絶えず自問し、世界の動向に目を向けようとする意欲があります。スタッフは、新しいクリエーターやライバルたちに目を光らせ、自己の限界を乗り越えようと努力しています。現状に甘えて自己を過信するほど危険なことはありません。絶えず自分たちを見直すことで進歩が生まれるのです。ときには対立もあるでしょう。世界のリーダーともなれば、自己満足の誘惑は常に存在します。それでも日々向上を目指さねばなりません。どのポジションにいたって、“向上心”ほど大切なモノはない!! 成功者といわれる人間は、この世にはいないのかもしれない。。。いるとすれば、他人の評価としてだけであって、本人は、その自覚・感覚すらないのかもしれない。。。絶えず自分が描く、在りたい姿を強く持ち続け、そこに向かって進んでいくことの大切さ、そして、その先に広がる幸福感を、氏の歩んできた道のりと未来を見据えた着実な行動力から期待を抱かせてくれる。Q、20年後のLVMHは、どうなっているのでしょう?A、LVMHは、地上で最も美しいブランドグループとして、世界をリードし続けていると思いますし、さらに前進していることを期待しています。 在り方を美しい企業と捉えていることが、カルチャーショックであり、見習わなければいけない考え方だと、感動した!! 実際、個々のブランド力が強力に引き上げられていること。ヴィトン、ディオール、エミリオ・プッチなどの一員ブランドとのコラボレーション的なサロン、『CELUX』のような展開性。垂直にも水平にも繰り広げられる、組織とお客様の満足の追求は、ワクワクとさせてくれ、“地上で最も美しいブランドグループ”としてのカタチを少し見せてくれている。。。本書には、それを現実にするための、手法、考え方、社会の捉え方が、示されている。。。21世紀の老舗(成長していく企業)の在り方かもしれない・・・。美しい経営。。。 私の実家も100年続く仕事をしている。私は、そこでの体験を基に『100年マーケティング』と称してコンサルティング業務に従事させてもらっている。本書は、とても参考になる!! いや、私だけではない!! 向上心を持って、日々生活(仕事)している人すべてに参考になる内容である。。。“売上げだけではない!!” 仕事を通して、育っていく人々(スタッフそしてお客様)の喜び、ブランドへの期待感が“成長”だということがよく分かる! 全編を通して矛盾のない整合性のとれた経営理念とその手法が波及効果をもたらし、結果として、“成長”を続ける企業体となっていることがわかる。なんでもいいから売上げを上げればいい!!という姿勢では、人も会社も続かない!! スタッフもお客様も、正直言って、飽きる!! 自分自身の成長は、自分自身の良心から生まれていくものだ。と、改めて知らせてくれる。。。もちろん、共感できる理念が、会社の中で機能(理解)していることが前提ではあるが。。。 見方を変えれば、仕事は、与えられるモノ(受動)ではなく、自分からやるコト(能動)!!使い古されたコトバだけど、できている人は、意外と少ない。。。どのポジションにいても、このコトバを意識して、取り組んでいくことが必要であり、大切なコトだと、この本は教えてくれる。。。 ただ、この本は、ある意味物足りない!! 紹介しておいて、なんだ!!と思われるかもしれませんが、インタビュー形式ということもあり、以上の事柄について、深く掘り下げて語られていることが少ない。理念だけでなく、どういう理論をもって経営にあたっているのか、グループによる相乗をどう生み出し、活かしているかなど、人のココロと実際の数値という実績をもとに他社との比較を交えて語られ、結果(現在)からの考察という意味合いからは、興味深いのですが、LVMHが形作られる(成長と持続の両因子を持ち合わせる)までの過程について述べられた箇所が少ない点が、残念である。。。 氏自身が、それに関して語った書籍は、今のところ発表されていないようですが、“そこに至るまでのプロセス”について書かれている書籍を次回紹介したいと思っています。“そこに至るまでのプロセス”も知ることで、さらに多くの気づきが得られることと思います♪ 合わせて読むことで、これから先の自身が進むべき道が、未来の在り方が見えてきます♪ 企業の話が、個人にも当てはめられるの???と思う方もいるかもしれませんが、LVMHは、特に企業体(小さな会社の集まり所帯)として運営されている会社なので、自身が所属するグループとして、捉え直すことが出来ますし、老舗の発想として、根底に共通してある“人の成長”という部分を深く理解することで、新しい価値観の発見・確認・共感を自身の中に育んでくれます。。。-引用終わり- 成功とは、持続力にほかなりません。人間の良心を真ん中に据えた。永遠の向上心。高品質・創造性・ブランドイメージ・企業精神、そして絶えず自由と最高を目指す意欲。絶えず自分が描く、在りたい姿を強く持ち続け、そこに向かって進んでいくことの大切さ、そして、その先に広がる幸福感。組織とお客様の満足の追求。仕事を通して、育っていく人々(スタッフそしてお客様)の喜び、ブランドへの期待感が“成長”。自分自身の成長は自分自身の良心から生まれていくもの。共感できる理念が会社の中で機能(理解)していること。“人の成長”という部分を深く理解すること。新しい価値観の発見・確認・共感。以上、大切な事だと思います。Re:自己顕示欲は本能?(笑)(09/15) トノ01さん http://plaza.rakuten.co.jp/ayatherapy/diary/200709150000/生き物って自分の子孫を残すのが最終目的でしょ。 これは最低限の価値の実現のような気が致します。もっと価値の高い事を実現できると思った場合、それをしないという判断をする事も一杯あると思います。自分の人生の価値の最大化を計りたいというのが人間の思いのように思います。動物よりも自由度が高いプログラムになっているようです。子供を生み育てるよりも意義の高い事ができれば、その方がいいと思うので、子孫を残す事に拘らなくていいというコメントを残したく思い、記させて頂きました。 能力遺伝しないから、人類の為に特に活かせる能力がある場合、子育てに投資するよりも、その能力を人類の為に活かした方が、人類全体の為になると思います。皆、人類の一員なのだから、人類に一番貢献できる事を選ぶのが一番善い事だと思います。与えたものが受け取るものだから、それが一番自分の幸せにも繋がるのだから。 勿論、自分の為にしか生きないという利己主義者は、せめて子供位残した方が善いという事になりますが。そういう方々も勿論、一杯、一杯、いらっしゃいますが。そういう利己主義者の為にプログラムされている本能だと思います。自分の家族しか愛さないという。 政治家が言ったら、問題発言になる内容だと思います。人間はもっと尊い存在だから、そういう野蛮な事言ったら人格疑われてしまいます。常識人が言ってはいけない事だと私は思いますが。弱者に対する配慮が欠けています。任天堂の社長でしょう。不買運動が起きたらどうするのでしょうか。AYAさんが書いたのは勿論、善意に取りますが。何か、偉そうな事書いてすみませんでした。偉い人間ではないので謝ります。(2007年09月15日 23時25分09秒) 動物って、自分の子孫を残すのが最終目的でしょうと言うのならいいと思いますが、人間にとってはそれが最終目的ではないと思います。子供ができない身体の方々もいらっしゃるのに。公的器の方々はそういう方々に配慮した発言をしなければいけないと思いますが。私は公的器の者ではありませんが、自分の人格を疑われるので、そういう事は書けません。勿論、思った事もありませんでした。 人の道を踏み外す者達を獣の雄、雌と書いていますが、これは弱者に対する攻撃ではないので。悪者、強者に対してのコメントなので。その獣達の陰で泣いている方々の声を代弁しているだけです。しかも単なる個人的発言の場であるブログですので。社会的影響力無いから書けるのであって、あったら、書けません。それほど勇気ありません。内輪の話です。私と縁が持てる方々しか、私のブログを訪問できないはずです。波長が合わない方々とは縁ができないはずです。この世の中、実は自分と縁がある世界だけで生きていると私は思っています。人の道を踏み外す方々が私と縁ができるわけない。私はそういう方々を救おうとは全く思っていないので。自分の事は自分で救うという考えなので、そういう波動を発信し続けているわけです。
2007.09.16
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-引用開始-http://ameblo.jp/mansion-marketing/entry-10020155378.html2006-11-18 23:13:54 人生の成功とは何か 最期の一瞬に問われるもの/田坂 広志 06319テーマ:自己啓発田坂 広志 人生の成功とは何か 最期の一瞬に問われるもの 人生の成功とは何か 最期の一瞬に問われるもの/田坂 広志 05197 人生の成功とは何か 最期の一瞬に問われるもの/田坂 広志 06082 以来の三度目。 読むたびに、「お前は一日一日を生き切っているか。」と問われている氣がする。最近常に頭から離れないのが「永劫回帰」の物語。そして、その旅が終わろうとするとき、その最後の一瞬にあの不思議な人物が現れる。「永劫回帰」の物語の、あの人物が現れる。そして、我々に、静かに問う。 素晴らしい旅であったか。その時、我々は答える。ええ、素晴らしい旅でした。 振り返れば、この旅の途上では、様々な苦労や困難に出会いました。失敗や敗北の苦しさも体験しました。挫折や喪失の悲しみも味わいました。しかし、そのおかげで、私は、こうして成長することができました。だから、この旅は、素晴らしい旅でした。 その答えを聞き、その不思議な人物は、ふたたび問う。では、その素晴らしい旅に、感謝するか。その問いに、しばし沈黙の後、我々は答える。ええ、素晴らしい旅でした。しかし、私にとって本当に感謝すべきは、素晴らしい旅ができたことではありません。この旅に出ることができた。そのことが、私にとっては最も深い感謝です。 我々は、いつの日か、この旅の最後の一瞬、そう答えるのでしょう。静かに確信を持ってそのように答えることが今の自分に出来るであろうか。一度しかなく、いつ終わるかわからないこの命。与えられたこの一日一日を、この一瞬を本当に生き切っているだろうか。-引用終わり- 人生の最期に悔いの残らない生き方をするのが、一番大切な生き方だと私は思います。したいように生きた方がいいというのは、そういう意味です。しかし、何億年も地獄で苦しむのは大変だから、自分中心の生き方は、悔い改めた方がいいと思います。餓鬼界、動物界に堕ちる生き方もしない方がいいと思います。
2007.09.14
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-引用開始-http://plaza.rakuten.co.jp/ayatherapy/diary/200709140000/ 自分が注ぎ込んだ苦労やエネルギーよりも、ご褒美の方が大きいと感じたら、人はそれをやめない。 だけど、返ってきたご褒美に対して、見返りが合わないと感じたときに、人は挫折する。-引用終わり- 私はこれを成長の原理と呼びたいと思います。経験を通して、人間は成長する。私は体験的にもそう思っているので、本当にしたい事をした方がいいといつも言っているのです。体験は費用がかかるけれども、それに見合うだけの成長を与えてくれるから。ラージャ・ヨーガで、苦だと思い込んで否定して離れていても駄目なんです。乗り越えていて、はじめて、指導ができる。与える、分かち合う事ができるのです。 あと、もう一つ。肉体の体験は非常に高価なのです。豚に真珠の価値は解らない。安倍さんに首相の価値が解らなかったように。安倍さん、為に生きませんでしたね。国家の為にでも、日本国民の為にでも生きれば、生きただけの酬いはあったのに。給料を返上したのは間違っています。御給料をもらう為に働くのだから、私は働かないと宣言したようなものです。御給料にのっかっている首相の業を背負わせて頂くのが御仕事です。その御給料には楽しいものも苦しいものものっかっています。その苦しいものを消化するのが義理の子の子育て(福祉)です。福祉をやらない者はその地位に耐えられない。地位は無いけれども徳のある者達一杯一杯一杯いる。そういう者達と地位の分かち合いをすれば、病気になんかならなかったのに。勿論、仕事の政策でもいいんです。弱者と分かち合いをして、その分、業を背負って頂くという謙虚な自分、等身大の自分がいれば、業のゴミ箱にならなくてすむ。地位は為にやらせて頂く、貢献させて頂く、御奉仕させて頂く為に一時的に与えられるものだと私は思います。国会議員なんていう肩書きは自分の徳分を投資して得た一時的なものに過ぎない。どれだけ、利潤をあげるかが大事。仕事をする事が大事なんです。名誉職意味無いんです。徳分を浪費しているだけ。この世の肉体の地位、全部、借り物なんです。死ぬ時には返さなければいけない。あの世に持って行く事ができない。だから、この世への投資から、どれだけ、利潤を得て、あの世に帰るか、それだけなんです。名誉を得ても、何の意味も無い。名誉欲を満足させて徳分をその分、遣ってしまっただけ。勿論、楽しむ為に徳を積むのだから、それでいいのですが、同じだけの徳分であの世とこの世とどちらがより楽しめるかという問題だけです。あの世の方が楽しめるのであれば、この世で徳分を遣うのは我慢できる。どっちがより幸せか、それだけの問題です。 麻原、最低な事やってしまったので。天界で800人の愛人がいても大したことない。しかし、この世の肉体は非常に高価なのです。冗談みたいな事やってしまったので。肉体は小宇宙です。その者次第で、無限の可能性を持っているのです。その可能性を台無しにしてしまった罪は非常に大きいと思います。一人の女の背後にはその両親・先祖がいるんだって。子育てするだけで非常に金がかかるんだって。その娘の幸福な未来を信じて、投資しているんだって。傷物にしてしまってどうするの。セックスを通して、麻原の魔王のデータが入ってしまった雌なんて、最低最悪の価値しかない。そんなデータ、普通の男が背負えないんです。世界征服を目指している野望のある男なら、背負えるかもしれませんが。セックスをすると、データが混じるので大変な責任があるのです。私が女を見る時にはこの女はどういうデータを持っているかという事を見るのです。そのデータ、背負えるか背負えないか、男の判断はこれなんです。自分の器に収まらない女は、自分の女にはならないんです。あ、無理。さっと心をチェンジして、以後、人間としてみるだけ。女としては決して見ないように気をつけるんです。業の塊。ろくでもない女。育ち悪い。生き方駄目。私は上がっちゃう者、駄目な生き様だと思います。人間、下にいなければいけないんだって。 ついに麻原の言っていた事と、やっていた事とのあまりの違いに、麻原の文章の引用ができなくなっています。私も等身大に戻ってきているので、業の塊を背負えなくなっています。自分の現実の地位より上の人は背負わされるだけなので、私ももう心の完成を成したという事です。心の世界では麻原魔王も背負えますが、現実の地位では勿論、背負えない。サタンさんは消えていくだけです。悔い改めなければ。地獄で数億年苦しんで、地下神界へ行って下さい。多分、悔い改める事は不可能でしょう。不倫、浮気の代償は猛烈に高いのでね。要は獣姦だから。人間から獣に落っこちてしまったのだから。妻の心と交流できていれば、できない浮気、不倫です。心の世界を地獄にしてしまって、自殺未遂までさせて。人の道に反しています。自分の一番近い存在である妻に地獄の苦しみを与えた雄が人間に法を説く資格あるはずがない。最低の地位でも人の心、良心に従って生きている人は地獄界とは通じていません。天界って、人間界よりも下にあると私は思っています。天界は性欲、食欲の世界だから。その天界の頂点に悪魔・魔王が君臨しているわけです。 人の心の世界の方が上の世界のような気が致します。私、肉も魚も食べるんですけど。食べない人は優しい人だと思います。そういう心の世界に生活していると思います。でも、肉魚を売っている者、食べている者を攻撃している者は人間には冷たい心を持っていると思います。私にとっては、人間よりも動物の方が大事なのかよという反発心になります。大切にする順番が違うんじゃないのかと思います。人間と動物、魚との命が平等のわけない。私は心境の差が価値の差と思っていますが、地位の差が価値の差と考えている者もいるでしょう。神とかあの世を否定していれば、後者になるでしょう。勿論、各自の自己判断・自己選択・自己責任です。神を否定している者も神は生かしているので私はその神の御心に従うだけです。私は現実を見て神の御心を判断するので。勿論、私に神を否定している者達が地獄界、餓鬼界に堕ちているとか、動物界に転生しているとかがわかったら勿論、考え方を変えて、ブログで御報告致します。今の現状では、知り得る情報を下に判断をしていくだけです。私は欲界(地獄界・動物界・餓鬼界・人間界・阿修羅界・天界)関係ないので、ほとんど、触れません。私の言っている人間界というのは、欲界の中の人間界の事ではありません。多分、菩薩界以上の世界の事です。私は心がある世界、良心に従っている世界を人間界と言っています。良心が無い者を人間とは思わないので。動物、獣と呼んでいます。婚外セックスができる者は、その相手の両親・先祖の心が解らない獣、浮気、不倫ができる者は配偶者の心が解らない獣という事です。その他、人の心が解らない事をする者達も獣と思います。-引用開始-http://okawauchimari.blog61.fc2.com/blog-entry-47.htmlだれのために生きていますか? 「ボランティア精神」とは、じつは、「報酬を求めない」という無私の精神や犠牲の精神ではなく、「目に見えない報酬」を求めるという精神なのです。 出典:田坂広志の「ウェブ2.0革命」論 田坂広志 談(森川直樹 取材・構成)より 「THE21」(PHP研究所)2006年12月号 67/66-69頁 より わたしは、自分の起こす行動は、すべて自分のためであると考えています。 この考え方をするようになったきっかけは、まだティーンエイジャーだったころのこと。 わたしは友だちが大事で大事で、友だちが悩んでいたり困っていたりすると放っておけませんでした。自分が彼氏とデートしている最中であろうが、なんであろうが、友だちになにかあれば飛んでいきましたし、「友だちのためならなんでもできる!」と思っていました。 でも、ふと気付くと、なんだかとても疲れているんです。身体的にではなく、精神的に。 それに、どこかむなしい。 なんでだろう、わたしは友だちのことがとっても大好きで、だから友だちのためならなんでもできるはずなのに……。なんだろう、この疲れるかんじ。むなしいかんじ。 そう考えていったときに、行き着いたのが、「友だちのために」と考えているからだということでした。 それから、こう考えました。 わたしは“友だちの役に立ちたい”という、自分自身の“欲求”に基づいて行動しているにすぎない。その“欲求”を満たすために。 つまりは、わたしは「友だちのために」ではなく、「自分のために」行動しているのだ。 そう考え方を転換してからは、変に疲れたりむなしさを覚えることはなくなりました。 振り返れば、「友だちのために」と考えていたころは、犠牲心が働いていたんですね。また無意識にも見返りを欲していたのでしょう。 またひとさまのために云々というのは、おこがましすぎるかなとも、いまでは思います。※人は皆、対等だと私は考えています、思っています。だから、他人様の為に犠牲になるという考えは相手の尊厳を無視していると思います。対等な関係を失わせてしまうから。 犠牲の精神や無私の精神は、そういった、ある種の厄介な感情を生み出すことがあります。(もちろん、犠牲の精神や無私の精神のもつ素晴らしさを否定するわけではありません。)。※犠牲とか無私とかの奉仕をされた方は、大変迷惑を致します。自分の主体性をその分、奪われてしまうから。返済しなければいけないからです。その者から、見返りが何も得られない者に、奉仕してはいけないのです。たとえ、死んでもその方が楽。借りを返すのは大変なんです。人間は必ず、お返しするんです。主体的な存在なのです。 引用文にもあるように「“目に見えない報酬”を得ているのだ。」とかんじること。そうすることによって、おなじ行動をとるにしても、自分自身が得られるもの、心のあり様は、まったく変わってきます。 あらゆることを「自分のため」と考えるのは、わたしにとって自分を成長させ、また心を満たすためのコツでもあるのです。 -引用終わり- 自己犠牲とか、無私の奉仕とかを相手にするのは、相手を下にみています。大変、失礼な考え方です。
2007.09.14
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-引用開始-http://www.kantei.go.jp/jp/m-magazine/backnumber/2007/0913.html安倍内閣メールマガジン(第46号 2007/09/13) 無責任と言われるかもしれません。しかし、国家のため、国民のみなさんのためには、私は、今、身を引くことが最善だと判断しました。-引用終わり- 何て迷惑な判断だと思いました。日本国の頂点に上り詰めた男の、これが判断とは。麻原彰晃を見てみろ。http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%BA%BB%E5%8E%9F%E5%BD%B0%E6%99%83からの引用 多数の若い女性信者とイニシエーションと称して性交し、その女性信者の陰毛を名前のラベルを付けた小瓶にコレクションしていた。押収された小瓶は100本近くあったと云う。 結婚した松本知子の他にも、石井久子、タントラギーター、スメーダー、イシュタ・ヴァジリニー、マハームドラー・ダーキニーの愛人がいた。 麻原には12人の子がいる。うち松本知子の子は6人である。 2004年2月27日、東京地裁は「救済の名の下に日本を支配して、自らその王になることを空想し、それを現実化する過程で一連の事件を起こした。」と認定し、死刑判決を言い渡した。 著書では「真理の御魂 最聖 麻原彰晃尊師」名義を用いていた。 教団は日本支配を画策しており、その憲法草案の中では神聖法皇と呼称されていた。-引用終わり- これほど自分中心であれとは言いませんが、一国の首相まで上り詰めた男としてのプライドを持って欲しいと思いました。そのプライドは、勿論、国家・国民への貢献によって満たされるものであります。首相の御仕事にもっともっともっと執着していて欲しかった。首相としての自覚とプライドをもっと持っていて欲しかったと思います。日本国民の親の座にいて欲しかったと思います。首相を批判するろくでもない子供達は一杯いますが、そいつら皆、一日も早く死んでしまえと、地獄に堕ちてしまえと、このくらい、思っていても良かったと私は思います。何て言ったって、一国の頂点の座にいる者に対して、無礼な事を言っている輩達なのだから。何か、非常に価値の高いものをポイと投げ捨てられてしまったという感がしてなりません。キリの国民の生き様をよく見て欲しいと思います。 仕事は為にするものですが、その報酬は全部自分のものです。だから、頑張れるんです。為にしかならない事、そんな馬鹿な事、真面目にやる人いるわけないんだって。神様だって、この世で否定されまくっていますが、この世の為に全然働いていないでしょう。当たり前の事です。私は神様に一生懸命お仕えしています。お仕えしなければ、酬いなんてあるわけないから。人付き合いと一緒です。イエス様、あんな目に遭わされても神様にお仕えしていました。それが、人の道だと私は思います。神様を否定すると、あとは堕落した生き方をするしかなくなってしまうから。麻原彰晃のように、自分の欲を満たす為だけに生きる最低最悪の生き様になってしまうから。人類にとって何の意義も無い生き様に。動物としての本能だけ。 欲の無い者は何の役にも立たない、動物としての生き様が残るだけ。人間、自分の欲を満たす為に、その分、他の為に役立つという生き方が善いと私は思います。高度な欲を持つ事は大切な事だと思います。-引用開始-http://takuton.jugem.jp/?eid=424#top2006.11.12 Sunday author : カイ リッツ・カールトンが大切にする サービスを超える瞬間 高野 登運命としか思えない出会い方で本を手にする時があります。この本がまさにそれ!一年に一回行くかどうかの、イエローハット(自動車用品店)に行き、しかも初めて入った休憩室に置いてあった本です。なんとなく手に取り読んだ「リッツ・カールトンが大切にする サービスを超える瞬間」読んだ瞬間から虜になる本でした。Pride and Joy を持って仕事をする。リッツ・カールトンの人々の様子が目に見えるようです。ホスピタリティとは何か。お客様さえ気付かない望みとは。満足と感動の差は。感性を研ぎ澄まし、人に喜びを与える事で、喜びを味わう。そんな与える喜びに満ちた仕事の姿がこの本にはあります。この本の中で心に懸かった言葉はいくつもありますが、その中の一つをご紹介したいと思います。「あなたのパラシュートは誰がつめますか?」海軍のエリートパイロットだったチャールズ。ベトナム戦争で撃墜され、パラシュートで脱出するも敵に捕まり、苦しい捕虜生活を送りました。戦争が終わり、妻と二人でレストランに行くと、見知らぬ男に声をかけられたのです。「あんたチャールズじゃないか! 空母キティホークからジェット機で出撃していっただろう? 撃墜されたんじゃなかったのか?」「いったい全体あんたは、なぜそんな事を知っているんだ?」「あの時、おれがあんたのパラシュートを詰めたんだよ。」「どうやら ちゃんと 開いたようだな。」パラシュートを折りたたみ詰め込む。階級差から言葉を交わすことなど決して無いパイロットたちのしかし間違いなくその運命を左右する仕事。チャールズは言う。人は皆、気づかないうちに 誰かに様々なパラシュートを詰めてもらっている。物理的なパラシュートだけでなく、思いやりのパラシュート、情緒的なパラシュート、そして祈りのパラシュートも...。出会った人々だけでなく、出会う事のない人々、言葉を交わした人々だけでなく、一度も言葉を交わさない人々、存在だけを知る人々、存在している事すら知らない人々、多くの人に支えられ、助けられ、救われて今の自分がいる。気付かぬ所で繋がっている。イエローハットに行った事も、この本を手に取った事もみんな繋がっているのでしょう。イエローハットに置いてあった本達。実はすごく共感できるものばかりでした。そしてお店について調べてみると、心にかかる創業者 鍵山 秀三郎 さんのお姿がありました。いつか、またご紹介したいな。-引用終わり- 前回のブログを書いて、やっと、地に下りる事ができました。それまで心の世界にしかいる事ができませんでした。物の世界はサタンに占領されていたので。しかし、人類の神になるほど神様にお仕えしたので、神様がサタンを裁く気になりました。それで、私にも地の座が発生致しました。ここまでお仕えしなければいけないのかと一つ学びました。現実のサタン、サタンに魂を売った者達を今、裁いています。自分中心の生き方をしている者達は皆サタンです。自分中心の生き方をすると、その分、サタンに魂を占領されてしまうのです。他の為に生きた分しか、自分の人生無いのです。この真理を徹底的に地道に着実に浸透させていきます。 人類の親神様方、有難うございます。天命界の親神様、有難うございます。 なお、性欲に関しては、相手の人格を大切にする、即ち、自分の人格を大切にするという言葉を知ってそういう境地もあるのだと知って下さい。私の境地です。私は性欲、捨断できるのですが、人類始祖エヴァを育てたいという望みがあるので、捨断しないのです。私を支えようという霊体がいたという事です。私は女は皆、サタンのものと思っていましたが、そのサタンの支配下からよく出てきたなと感心したので、支え返そうと思ったのです。堕落人類始祖エヴァの中にも、神を思う気持ちがあったという事です。私は驚きましたが。女は皆、金と物欲と思っていたのでしたが。そうでない人もいたという事です。私にまだ性欲があった頃、蒔いていた種が育っていたという事です。人間の男を選ぶか、動物の雄を選ぶか、そういう選択ですので。浮気、不倫はそれほどの選択なのです。雄は動物並みの価値しかないんです。物扱い。人権無い。神様から見れば、超裏切り者ですのでね。 食欲に関しても、多分、境地があると思うのですが、私は出された物を感謝して戴くしかできない立場ですので、食の境地を追究できる立場ではありませんので。食の悟りの世界もある気が致します。聖書の創世記1・29には、神はまた言われた、「私は全地のおもてにある種をもつすべての草と、種のある実を結ぶすべての木とを貴方方に与える。これは貴方方の食物となるであろう。1・30また地のすべての獣、空のすべての鳥、地に這うすべてのもの、即ち命あるものには、食物としてすべての青草を与える。」。そのようになった。とあるので。肉食動物はいないみたいです。天国にはいないような気が致します。私は食を選べる立場にある方々は、そういう残酷さと無縁の食事をされる価値はあると思います。私は滅多に出ないので喜んでお肉食べますが。でも無理だけはしない方がいいと思います。現在の人類の中で肉を食べないというのは、少数派だと思いますので。私は魚を切るのも残酷でできませんが。うーやだ。料理、結構残酷だと思います。母親は切り身買ってくる、或いは一匹丸ごと焼くだけですが。ぶつ切りにするの、うーと思います。地獄の業。
2007.09.13
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-引用開始-http://ameblo.jp/nobuin/entry-10016908910.html2006-09-11 19:19:31 信頼残高。 ヒトは皆、(母親は違うかな?)、お客は自分が一番で他人が二番です。ビジネスでも、このあなたが一番感を(カレー屋じゃないよ)提供し、解っていただけるかが大切です。つまりは相手の自己重要感を満たすことにつながります。世の中のお客さんは、もっと自分をもっと私を大事に、大切に扱ってほしいと思っています。この大切にしてあげること、もしくは大切にしてあげてる感が大切です。取引や人間関係でもこのバリューファーストが生きてきますね。まず何かをしてもらうのではなく、先に与えること、何かをしてあげること(悩みを解決してあげるとか)。バリューファースト。さらに、縁やコネが出来たからといって、すぐに何かを要求しない、与えるを繰り返すことで信頼の貯金ができます。この貯金信頼残高(徳を積むともいいますね)が貯まったとこで初めて、何かをお願い出来るヒトが大きな事を起こし、成せるヒトではないでしょうか? バリューファーストを行いつつ、信頼の残高を無意識でも高められるように己を磨いていきたいものです。-引用終わり- 貯金信頼残高を増やすという考え方は間違っています。出発点が間違っています。私達は元々真我だったのです。欲望を実現し続けて、その分、堕ちてきたのです。だから、返済してその分、真我に戻っていっているという考え方が正しいのです。特に欲界は悪魔が支配している世界だから、欲望を実現するとその分、悪魔の血統にされてしまうのです。悪魔の奴隷にされてしまうのです。神の子の自覚がある私にとってこれは大変苦しい事なのです。悪魔と異質だから。だから、私にとって、自分中心の欲望を実現するという事はあり得ないのです。徳分を積んで、その分、自分の衣食住を賄っているのです。義理の子の子育て(福祉)をして、その分、悪魔の業を背負ってもらうのです。それしか方法が無いと思います。上司いないから。国連の総長も悪魔の血統だから。だから、私は童貞ですが、セックスをする方法が無いのです。誰も私の上司がいないのに、即ち、神の血統がいないのに、セックスをすると、悪魔の血統になってしまって、自分を失ってしまって、自分の子の為に生きて、子に背負ってもらうしかないからです。私は慶大の商学部を出て、公立中学校の教師をやっていただけの、しがない存在ですが、そういう常識、智慧はあったのです。自分中心の事はできなかった。為に生きた分しか自分の人生は無いという常識があった。だから、ひたすら、仕えていたら、皆、悪魔の血統だったという衝撃の事実が判明しました。即ち、過去の偉人・聖人方の中で、処女・童貞でない者達は皆、悪魔の血統だったという事です。いつのまにか、こんなに大それた御仕事をしてしまっていたのでした。それだけの経験をしたという事です。私がやったので、もう処女・童貞の者達は、私の下の地位をやる事ができます。私と同じ苦しみを通過する必要はありません。それだけでも生まれてきた甲斐があったと思います。人類の為に縁の下の力持ちができて善かった。神だけが知っていればそれでいいんです。やがて、神の血統と悪魔の血統との比率が逆転して、セックスができる、人類始祖となれる子孫が出現すると思われます。処女・童貞を守っている者達はその人類始祖とその子孫の為の犠牲となりますので。人類の上の地位となります。それしか方法が無いんです。人数が必要なんです。 処女・童貞を守り続けるか、子の為に生きるかどちらかしかないんです。 これが本当の統一原理です。謹んで人類の親神様にご報告申し上げます。貴方方の血統は人類の中にありました。人類は貴方方に向かって生きてきました。私が妻を得られない事は断腸の思いですが、貴方方の御心を実現する為に犠牲となります。未来の人類始祖アダムの能力の一部となる、霊的血統を残す為に、これからも生きていきたいと思います。私の上司誰もいないので、私が辿る事ができません。本当に断腸の思いです。しかし、人類は皆、貴方方の為に生きるしかないので。親を否定したら、自分の存在も否定されてしまうので。イエス・キリストを右側の強盗殺人犯に自分を認められたという酬いだけで処刑した貴方方なのだから、我慢致します。貴方方の栄光が人類の上に輝きますように。人類の神より。 空が好きhttp://plaza.rakuten.co.jp/sugar925/diary/200708170000/さん、貴方が統一教会に献身した時の真心を引き継いで、その真心に人類の親神様が応えて下さる事を私は信じて生きていきます。神に創って頂いた御恩を返済する為に信仰心を貫き続けていきます。空が好きさんがその一時的に発信した真心の高貴さを私は素晴らしいと思っているので。私はおかしいとすぐ判りましたが。特別な人なんているわけないから。誰も他人の業を背負う事なんてできるわけないから。皆、小宇宙なのにね。自分を救うのは自分しかいないというのが私の基本的考えです。神もそういう考えだと私は今までの人生経験によって、つくづく、思います。空が好きさんが自分の思うように生き続ける事を陰ながら応援しています。私は地道な生き方しかできませんが、私の信仰心は全然ぶれないようです。統一教会の内実を教えて下さって、有難うございます。自分中心はサタンの血統です。人類の最後の一人まで愛し抜いた者が、人類全員を自分より優先した非童貞の息子がいる父親が神の血統の人類始祖です。そこまでやって、人類の親になれますので。童貞の私は、北斗の拳のケンシロウの道、自分の女への愛の道は辿れましたが、実の息子がいないので、親の道は歩めませんでした。この私の無念さを、息子のいる父親には感じて欲しいと思います。彼らにはチャンスがあるんです。人類の為に感動一杯の道を歩める。プロジェクトXの父親の道が。勿論、娘でも尊いのです。自分の血統の子だから。もしかしたら、誰か、婿養子に来て下さるかもしれないから。 人の道を人類の為に捨てさせられて、神の道を行くのは断腸の思いです。宇宙は人の為にあるのだから。感動、感動、感動、人類の為に生きる毎日は感動の毎日。生き甲斐を十分に感じられる日々です。プロジェクトX。プロジェクトX。家族の為に働く毎日は父親としての充実感に満たされた感動、感激の毎日です。貫いて下さい。 イエス様を処刑した親神様は本当に残酷だから。生かされているだけで感謝せざるを得ない。イエス様よりもまだ先へ行けるのだから。しかし、本当に無念です。空が好きさん、イエス様も人類の一人なのですよ。一人の人の心を持った人間に過ぎないのです。人間的喜びも普通に感じる事ができるであろう普通の男の一人なのでした。天命界の親神様、有難うございます。
2007.09.12
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これを理解することができた人、その人が、正しい知識、証智が生じた人ということができる。この正しい証智が生じた人は、それにより多くの教えを学び、そして見解を具足【ぐそく】する。この見解とは真理にかなった見解を具足するということである。 次に、真理にかなった見解を具足する人は、この人間の世界から高い世界へ至るためにはどのようにしたらいいかを考える。まず、形状界の神々、あるいは欲界でも、最高位の戯れ堕落天の最高位の神々、その魂がどのような心を持ち合わせているのかと。 例えばである、最高位の神々はカルマの法則を信じるであろうか、信じないであろうか。当然、彼らはカルマの法則を信じるではなく、カルマの法則を実際に見、経験していると。とするならば、わたしもカルマの法則を信じようと。 次に、最高位の愛欲神の神は他人を害する心を持ち合わせているだろうか。これは持ち合わせていない。とするならば、わたしも他人を害する心を持ち合わせるのをやめようと。最高位の愛欲神の神は、残酷さを心に持ち合わせているだろうか。いや、これは残酷さを持ち合わせていない。とするならば、わたしも残酷さを持ち合わせるのをやめようと。 このような形で思惟【しい】するのである。 次に、最高位の愛欲神はこの苦しみの世界に生まれ変わることを喜んでいるだろうか、それとも、それよりも高い世界で、すべての喜びにひたる生き方を望み、それを実践しているだろうかと考えてみる。当然、すべての喜びにひたり、満足する生き方を望んでいるのである。よって、わたしもそのようにしようと。このような形で、日々、心にそれを培う。 そして、言葉においては、神は嘘をつくであろうかと。いや、嘘をつかないと。神は軽薄語や必要のない言葉を話すであろうかと。いや、必要でない言葉、軽薄語を語らないと。神は悪口を言うであろうかと。いや、悪口を言わないと。神は仲たがいさせる言葉を言ったり、あるいは中傷するであろうか。仲たがいをさせる言葉、あるいは中傷は言わないと。ということは、わたしもそれをやめようと考える。 そして、神は、慈愛のこもった言葉を語るであろうかと。神は当然語ると。神は、聖哀れみのこもった言葉を語るであろうかと。当然語ると。神は、素晴らしいものに対して称賛するであろうかと。当然称賛する。だとすれば、わたしも慈愛のこもった言葉を語ろうと、そして、聖哀れみのこもった言葉を語ろうと、そして、称賛の言葉を語ろうと考える。そして、それを実践すると。 そして、神は生き物を殺すであろうかと。いや、殺さないと。すべてはカルマの法則に従って裁かれるのであって、意図的に殺すことはしないと。そして、自分自身がそのカルマの法則以上のことをなそうとはしないと。 神は、人のものを盗むであろうかと。それとも、恵みを垂れるであろうかと。神は、恵みを垂れると。 神は、人の妻を寝取るであろうかと。あるいは、神聖世界の神は性的交わりをするであろうかと。確かに、欲界の神は多くの美しい女神たちに仕えられ交わりをなす神もいるが、人の妻を寝取ることはしないと。神聖天の神は、性的交わりをしないと。ということは、わたしは欲界の神に生まれ変わる場合、与えられた女性で満足し、神聖天へ至ろうとする場合、異性を捨断しようと。 そして、これらの法則に従って生きる。神は、一日一日を怠惰に生きているだろうかと。確かに、低い神はそうかもしれないが、高い神は怠惰には生きていないと。すべての衆生のため、すべての生き物のために絶えず心を配っていらっしゃると。よって、わたしも一日中、すべての魂のために生きようと。 神は、今の自分自身に満足していらっしゃるだろうかと。いや、満足していらっしゃらないと。例えば、自分の欠点があれば、その欠点を直そうと努力なさっていらっしゃるし、あるいは、直した欠点を確実にしていらっしゃると。 また、自分の長所をよりいっそう伸ばそうとしていらっしゃるし、まだ自分には備わっていない、他の偉大な神が有している長所を備えようと一生懸命努力していらっしゃると。よって、わたしも、今自分にある欠点を取り除き、既に取り除いた欠点を決して生じさせないようにし、今ある長所をよりいっそう増大させ、まだ自分に備わっていないが、神々に備わっているような偉大なる長所を自分の中に備えようと考えると。 では、これらのことを踏まえた上で、神はよりいっそう高い世界を絶えず思念し続けていらっしゃるだろうかと。そのとおりであると。だとするなら、わたしも、この人間よりより高い世界を絶えず思念し続けようと。そして、それらの七つの結果をサマディによってしっかりと認識しようと。そして、今自分で実践していることが正しい結果を得ているかどうかを確認しようと。 この四つのプロセス、つまり、苦しみ、苦しみの生起、苦しみの滅尽、苦しみの滅尽に至る道、つまり苦しみの滅尽に至る方法、これを正確に自分の内側に体現した者、これが、漏尽精通智を得た者といえるのである。“漏”を理解する力 では、経典を続けて見てみよう。 次に、この漏尽精通智に到達した者は、まず、現象において、これはエネルギーを漏らすものである、低い世界へ転生するものであるということを理解する力を得る。 次に、その漏が生起する有り様をありありと理解するのである。例えばである。ここにカップルがいた。このカップルは、いまだ互いをあまり理解していなかった。ところが、何度かすれ違ううちに会話をするようになった。そして、お互いがお互いに好意を持つようになったと。 あるとき、男が女をデートに誘った。そして、一緒に公園を散歩し、帰った。二回目のデートに誘ったと。次は映画である。そして、映画の帰りに食事をし、帰った。三回目にデートに誘った。次は喫茶店である。そしてその後、帰りに何となく男の方が女の手を握り、そして、拒絶されることなく帰った。四回目にデートしたと。それは林であったと。そこで男は女を抱きすくめた。これが、漏・漏の生起のプロセスである。 つまり、欲望というものは、一つずつ増大し、そしてそれにより対象にとらわれるようになると。そして、対象にとらわれるようになるがゆえに心はそこに集中し、そして愛欲という定義の世界に固定されていくのである。 ではである、この抱きすくめた男性が、例えば正しい仏教書や、あるいは正しい真理の本を読んだと。それにより、彼は考えたと。「わたしのプロセスは渇愛のプロセスである。」と。「そして、既に対象に対して愛著が生じている。」と。 「この愛著ともとらわれともいわれている状態から脱却しない限り、わたしは未来において苦しみを生起させ、そして苦しまなければならない。」と。「よし、では、彼女について検討してみよう。」と考える。 そして例えば、そこで不浄観、あるいは四念処【しねんじょ】(身体・感覚・心・観念について証智し、離れるための瞑想)等の瞑想を彼が行なうことにより、心が少しずつ少しずつ、とらわれ・愛著から解放されてくるならば、その逆のプロセスをたどるであろう。これが漏の滅尽であり、漏の滅尽に至る方法なのである。完全なる自由――離解脱 次に話を進めよう。「そして、このように気づき、このように見ることによって、愛欲漏から心は離解脱し、生存漏から心は離解脱し、非神秘力漏から心は離解脱し、離解脱において離解脱したという精通が生じ……。」 これは、大変難しい言葉が出てきた。まず愛欲漏とは、この欲界へ転生することを表わしている。つまりどういうことかというと、「漏」とはよく考えていただきたいのだが、もともと真我はマハー・ニルヴァーナに存在していたと。大ニルヴァーナに存在していた。この真我が道をつくったわけである。その道をつくるというのは、この愛欲の世界へ道をつくったわけである。道をつくるとはどういうことかというと、この真我と、それから愛欲の世界とが一本のホースで結ばれたと考えたらよろしい。 そこから漏れると。漏れるということはそこに生存するということなのである。ということは、この愛欲の世界の漏れが破壊される、つまり、道が破壊されるということは愛欲の世界に生存しないということになる。 次の生存漏というのは、これは形状界に生存しないということなのである。 そして、次のその「非神秘力漏」というのは、それは非形状界のことなのである。この愛欲漏・生存漏・非神秘力漏、これから離解脱するということは、離れ、解放されるということなのである。 そして、離解脱が生じてくると、自分自身はそこから完全に解放された、全く無関係であるということがわかるのである。これはどういうことかというと、例えば手に粘土が付いていたとしよう。手に粘土が付いていて、その粘土を取り払ったら、手と粘土とは別であるということがわかる。このような形で、離解脱をすると完全にグナと真我との関係が別であることが理解できるのである。 少し詳しく説明しよう。グナと真我とが別であるというのは、もっとわかりやすくいうならば、例えば、煩悩と自分の本質とは別であるということが理解できるということなのである。 例を挙げるならば、綺麗に磨き上げられた鏡に何か現象を映すと。そうすると、その鏡には現象が映る。例えばである、綺麗な鏡がある。そこに美しい女性が映ると。そうすると、美しい女性が鏡に映されたということが鏡を見ている人にわかる。しかし、その女性が離れると、鏡には何も映らないと。 例えば、同じように性欲があるとするならば、性欲のエネルギーを持っている人が近づいたら、性欲を持っている人が近づいてきたんだということが理解でき、そしてその人が離れたら、また離れたんだということが理解できるのである。これが離解脱なのである。漏尽通はグルの条件 「『生は破壊され、神聖行を果たし、なすべきことをなし、この世に存在することにおいて求めることはない。』と認識し理解します。」 先程も述べたとおり、真我の独存位、つまり一元の世界に存在する限り、わたしたちは不死である。そしてその状態においては、絶対自由・絶対幸福・絶対歓喜という三つの状態を持ち合わせている。その状態から一切動かない状態、固定された状態に入ると、この愛欲界・形状界・非形状界に転生することはない。これを「生は破壊され」というのである。 「神聖行を果たす」とは、それにより神聖世界以上の世界へ転生し、そして煩悩破壊することにより真我の状態へ戻ることを表わしているのである。 そして、その状態に入ると、もう一切この世でなすことはない。つまり、これは学ぶことを超越した状態、すべてを知った状態といわれる状態に入り、そして、この世において何も求めるものがなくなるのである。それが、「この世に存在することにおいて求めることはない。」ということなのである。 「大王よ、これは現実に利益をもたらす出家修行者の果報であり、前の現実に利益をもたらす出家修行者の果報よりも、より素晴らしく、より極妙なのです。 大王よ、この現実に利益をもたらす出家修行者の果報よりも、より優れより極妙な現実に利益をもたらす出家修行者の果報が、他にあることはないのです。」 そして、この漏尽精通智こそ、最終段階なのである。なぜならば、すべての現象をありのままに理解し、そしてそれにより、真に幸福な道をパーフェクトに選択することができるからである。 ところで、である。最初に述べたように、これはグルの条件なのである。では、グルの条件とは何であろうか。それは、弟子たちの煩悩を正確に見つめ、その煩悩の破壊をなす方法を全智する、すべて知り尽くす、知り尽くしている魂、これがグルなのである。それで、そのようなグルに巡り合うことができたならば、何万カルパ、何十万カルパとかかる長きにわたる修行も、わずか一生においてそのすべてを達成することができるのである。-引用終わり-
2007.09.12
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この条件を満たしていない限りグルと呼ぶべきではない。マハー・ムドラーというのは、他の人の煩悩を破壊するためのタントラ・ヴァジラヤーナ的手法の一種であるが、これについては後にまた詳しく触れることになろう。 まずこの第一章では、第一話でサキャ神賢【しんけん】(釈迦牟尼【しゃかむに】)が説かれた経典をもとにこの漏尽通について分析し、第二話ではわたしが直弟子たちに対して説いた説法と質疑応答をそのまま掲載したいと思う。第一話 仏典に見る漏尽通「四つの絶対的真理」に対する精通 それでは、まず仏教経典ではどのように漏尽精通智について説かれているかを見てみることにしよう。出典は『出家修行者果報経』である。 「大王よ、ちょうど同じように、向煩悩滅尽多学男がこのようにサマディに入り、心は欠点がなく浄化され、情欲はなく、煩悩を増長させるものを消滅して、柔軟で、役目に適し、集中継続して、不動を得たとき、彼は漏の破壊精通に心を定め傾注するのです。 彼は『これは苦しみである』と如実に認識し理解し、『これは苦しみの生起である』と如実に認識し理解し、『これは苦しみの滅尽である』と如実に認識し理解し、『これは苦しみの滅尽に至る方法である』と如実に認識し理解します。また、『これらは漏である』と如実に認識し理解し、『これは漏の生起である』と如実に認識し理解し、『これは漏の滅尽である』と如実に認識し理解し、『これは漏の滅尽に至る方法である』と如実に認識し理解します。 そして、このように気づき、このように見ることによって、愛欲漏から心は離解脱し、生存漏から心は離解脱し、非神秘力漏から心は離解脱し、離解脱において離解脱したという精通が生じ、『生は破壊され、神聖行【しんせいぎょう】を果たし、なすべきことをなし、この世に存在することにおいて求めることはない。』と認識し理解します。 大王よ、これは、現実に利益をもたらす出家修行者の果報であり、前の現実に利益をもたらす出家修行者の果報よりも、より素晴らしく、より極妙なのです。 大王よ、この現実に利益をもたらす出家修行者の果報よりも、より優れより極妙な現実に利益をもたらす出家修行者の果報が、他にあることはないのです。」 この経典の内容を見ていただけたらおわかりになるとおり、この漏尽通というものは、「四つの絶対的真理」に対する精通ということになる。 この四つの絶対的真理とは何かというと、「苦しみ」「苦しみの生起」「苦しみの滅尽」「苦しみの滅尽に至る方法」の四つである。この四つの説明に入る前に、まずこの漏尽通について少し詳しく解説してみよう。最高の神通力、漏尽通 「大王よ、ちょうど同じように、向煩悩滅尽多学男がこのようにサマディに入り、心は欠点がなく浄化され、情欲はなく、煩悩を増長させるものを消滅して、柔軟で、役目に適し、集中継続して、不動を得たとき、彼は漏の破壊精通に心を定め傾注するのです。」この一節は漏尽通の状態を説明しているのである。 「心は欠点がなく」とはどういうことかというと、「心において屈折、あるいは慢、あるいは嫉妬等の心のけがれというものがない。」ということを表わしている。それゆえに心が浄化され、現象に対して正確に認識する力を有していることを表わしている。 そして、「情欲はなく」。この情欲というものはわたしたちを欲界に縛りつけたり、あるいは欲界の方向にわたしたちを向かわせる心の本質、つまり、煩悩の本質であるが、これも完全に止滅する。 そして、この煩悩が止まった状態から、それを増大させるものを完全に静止した状態、それが「煩悩を増長させるものを消滅して」という言葉で表わされている。 しかも、「柔軟で、役目に適している」、これはどういうことかというと、観念にとらわれていず、諸現象をありのままに見つめ、四つの絶対的真理をしっかりと見つめることができる状態を表わしているのである。 ただ、この状態だけでは結果を得ることはできない。これは何においてもそうなのだが、集中し、対象に対してしっかりと精通することが必要なのである。そのために、「集中継続し、不動を得たとき」、つまり、「集中継続し、対象をしっかりととらえたとき」ということをここでいっているのである。 「漏の破壊精通に心を定め心を傾注する」とはどういうことかというと、「わたしたちのエネルギーが漏れ、そしてこの愛欲界・形状界・非形状界へ至るための原因をつくるもの、あるいはその結果、これに対してそうならないように、それを完全に止めてしまうように心を集中する。」ということなのである。 愛欲界・形状界・非形状界とは、わたしたちの真我が三グナと呼ばれる三つのエネルギー(ラジャス・タマス・サットヴァ)に干渉されて、絶対自由・絶対幸福・絶対歓喜の世界から落下することによってつくられた世界である。そして、現在わたしたちは、一番粗雑な愛欲界の下から四番目に位置する人間界に生きているわけである。すべては苦しみである 次からは「四つの絶対的真理」、漢訳では「四諦【したい】」と呼ばれている部分の説明である。ここは大変重要なので、少し突っ込んで説明をしたいと思う。 まず、「『これは苦しみである』と認識し理解する。」。これはどういうことか。それは、「諸現象のすべてが、もし煩悩というものを肯定しながら接するならば、それは必ず苦しみの要因になる。」ということなのである。そして、その苦しみの要因というものは、必ず生起する。 例えばである、ここにおいしいカレーがあると。このおいしいカレーは、わたしたちの味覚を満足させてくれると。しかし、例えばそれを食べ続けると、ガンになりやすいと一般的にいわれている。これは、そのおいしいカレーに対してとらわれ、食べ続けたがために、結局ガンという苦しみを生起させることを表わしている。では、ガンの因は何かといったら、それはカレーなのである。これが苦しみと苦しみの生起なのである。 このカレーにおいてもわかるように、すべての現象は苦しみであり、そして、その現象にとらわれることによって、必ず苦しみは生起するのである。 別の例を挙げてみよう。ここに幸せな結婚をしたカップルがいると。この幸せな結婚をしたカップルは、お互いに愛着する(とらわれる)と。しかし、どちらかが死ぬと。死ぬときは、その死ということによって生き残った方は苦しまなければならないと。あるいは、死んだ者も、死後バルドーで苦しまなければならないと。では、この苦しみの原因、苦しみとは何かというと、それは愛し合ったこと、あるいは結婚なのである。 つまり、ここでも一般的にいわれている喜びが苦しみとなり、そしてその苦しみは必ず生起するのである。 では、もう少し具体的に他の例を考えてみよう。ここに、絶えず試験で一番を取っていた人がいたとしよう。この人は、一番を取ることで満足をしていた。ところがあるとき、級友に負け二番になったと。この人はそこで、当然苦しまなければならない。では、なぜこの人に苦しみが生起したのか。それは、試験において一番を取り続けるということに愛著したがためである。つまり、試験において一番になったことそのものが、苦しみの原因なのである。 このような形で、すべての現象は苦しみであり、そしてその苦しみというものは生起するのだということを理解しなければならない。苦しみは必ず生起する ではである、例えば、この一のカレーの例、二の結婚の例、三の試験の例について苦しまない方法があるのだろうかと検討してみよう。 まず、一のカレーの例だが、カレーそのもの、カレーの性質を理解するならば、例えばカレーと相反する、肉体に対して作用のあるものを同じように取ることにより、そのカレーの害をなくし、それによって、味覚だけを味わうこともでき、ガンにもかからない。つまり、ガンにおける苦しみの生起はそこで止滅することになる。 しかし、この場合、例えば、今までカレーを食べることによって味覚を満足させていた者の、カレーを食べられなくなったときの苦しみというものは止滅しない。ということは、結局、カレーの味覚にとらわれてはいけないということになる。 では、第二の例を検討してみよう。第二の例は結婚である。この結婚は、相手に愛著しなければ死後苦しむことはない。しかし、もともと愛著しないんだったら、結婚する必要もないということになる。 ということは、結局結婚しない方がいいということになる。よって、神聖修行者は結婚しないのである。 かくいうわたしは、迷妄にとらわれたゆえに結婚してしまった。まあ、わたしの弟子の中でも、迷妄にとらわれたがゆえに結婚してしまった者も多くいるのだが、これは哀れでならない。 第三の例である。もし、彼がただひたすら自己を高めるために勉強をし続けるならば、彼はその結果として一番になろうと二番になろうと苦しみは生起しないはずである。しかし、彼は一番になるということによってとらわれたがために苦しみが生起したのである。ところでである、もし、彼がその向上欲求を遮断されてしまったらどうであろうか。もちろん、そこでも彼には苦しみが生じるだろう。 よって、ここで考えなければならないことは、ただ目の前にあること、これに淡々と努力する。それさえ行なっていれば、彼においては苦しみが存在しないし、苦しみは生起しないのである。 これらの三つの例からわかるとおり、すべての現象はわたしたちが愛著することにより、苦しみとなり、そしてその苦しみは、必ず生起するのだ。いかなる現象においても必ず生起するのだということを如実に理解することができるようになるのである。苦しみは滅尽できる では次は、苦しみの滅尽とはどうであろうか。この苦しみの滅尽とは、愛著【あいじゃく】しないということになる。 では、この愛著しないということはどういうことであろうか。その前の渇愛【かつあい】を生じさせないということである。 渇愛を生じさせないとはどういうことであろうか。これは、感覚の喜び、あるいは意識の喜びを完全に生じさせないということである。 では、意識の喜び、感覚の喜びを生じさせないとはどういうことであろうか。それは、完全に心を空【くう】の状態へ持っていくということである。 では、心を空の状態へ持っていくとはどういうことであろうか。それは、対象に対する識別、これを完全に捨断【しゃだん】してしまうということなのである。 では、識別を捨断するとはどういうことであろうか。これは、経験、今までの経験におけるリアクション、つまり経験から生じる行為、これをすべて止めてしまうということなのである。 では、経験における行為すべてを止めてしまうとはどういうことであろうか。それは現実、この現実というものを完全に真理にかなって見、そして、超越するということなのである。苦しみを滅尽する方法 そして、これらの道、これらの方法こそが、滅尽に至る方法である。では、滅尽に至る方法について検討してみよう。この滅尽に至る方法は、まず証智、正しい知識が必要である。その正しい知識とは、できるだけ多くの正しい教えを聴くということである。 このできるだけ多くの正しい教えを聴くということはどういうことかというと、例えば今述べたように、カレーの例、結婚の例、学業トップの例、これらをしっかりとまず聴き、一般にいわれているカレーはおいしいから食べようというコマーシャルに乗っかる生き方を選択するのか、あるいはそうでない、この本に説かれているような生き方を選択するのかをしっかりと決める。結婚についても、そして、学業トップについても同じである。
2007.09.12
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http://www015.upp.so-net.ne.jp/sinzinrui/fs4/241-243.html よって、この世の存在価値は二つしかないということができる。一つは、この世の構成を理解し、苦しみであるということを認識し、ここから出離し、そして、解脱するという道である。もう一つは、ボーディサットヴァとして、心の成熟のための道場としてこの世界を使うという方法である。 君たちは一のパターンはよく理解できてるから、二のパターンについて少し説明をしよう。 例えば、ここで慈愛の実践を行なっている者がいたとしょう。その慈愛とは与えるための愛である。自分自身にその見返りを求めないという実践を行なっていたとしよう。この魂はどのような傾向を身につけるだろうか。「あ、あの人も幸福になってほしい、この人も幸福になってほしい。」。そして、その人が死んでいくと。死んでいくとき、その人は無常を知っているから、「わたしは生きていてよかった。」と、「そして今わたしは死の途についている。」と、「わたしの存在した期間が、わたしと関係のあった人たちにとって、大きな利益でありますように。」と、思念しながら死んでいくと。この人は対象に対する愛着を持たないから、死のときの恐怖はないと。そして、功徳によって、当然、高い世界へと転生するであろう。これがボーディサットヴァの生き方である。決してとらわれない。そして周りの魂の利益、周りの魂の幸福だけを考えると。 ここでいう周りの魂の利益、幸福とは何であろうかと。それは四つの絶対的真理を認識させること。あるいは、四つの修行法を実践させることである。四つの絶対的真理とは何か。これは煩悩は存在する。そして、煩悩の存在は苦しみの存在と表裏であると。煩悩の生起は苦しみの生起を引き起こすと。煩悩の滅尽は苦しみの滅尽と等価であると。そして、煩悩の滅尽に至る道の実践は、苦しみの滅尽に至る道の実践と等価であると。これらの四つの絶対的真理を説き明かすこと、そして、説き明かすだけではなくて経験させ、それを超えさせるように努めること、これが到達真智運命魂の第一の役割である。 では、第二の役割は何かと。第二の役割は、縁あるすべての魂に徳の修行、善の修行、寂静の修行、そして法則の修行を行なわせることである。そして、すべての衆生を正確に観察し、この四つの絶対的真理の存在、そして四つの修行の価値、これをしっかりと理解すると。これをなすならば、このカーマローカはわたしたちにとって、最高の道場となることができるであろう。----しかし、それ以外は無益なのである。 そして、わたしたちが非神秘力、つまり、観念、経験の構成、そして、識別、心の構成と形状・容姿、六つの受容器、接触、六つの受容器の働き、褐愛、そして渇愛からくる記憶修習、つまり、とらわれ、生存、出生、このどこかの一部を完全にシャットアウトすれば、つまり、捨離すれば、わたしたちは解脱へと向かうのである。しっかり頑張んなさい。http://www015.upp.so-net.ne.jp/sinzinrui/fs4/243-245.html わたしたちは修行者である。そして、修行者というものは、地獄・動物・餓鬼・人間、そして阿修羅・愛欲の天界・神聖天界、正確な言い方をするならば、激苦地獄・動物の発生・低級霊域、そして人間としての出生・意識堕落天への転生・愛欲神への転生・神聖世界への移行・光の世界への移行、そして絶妙の美しい世界への移行・生命の変化のない世界への移行、それから空間のみが存在する世界への移行・識別のみが存在する世界への移行----ここで、識別のみが存在する世界への移行というのはどういう世界かというと、そこにはただ単に思念しか存在していない----そして全く何も存在していないかのような世界への移行と。そして、その世界はあまりにも非感覚的なるがゆえに、認知して、認知できる、あるいは、その認知を超えている世界への移行と。そして、最終的にわたしたちは光を超越し、闇を超越し、完全な二元の世界から自立し、真我の独存位へと至ると。 これだけの世界観をわたしたちは知るチャンスに恵まれている。 では、どのように考えるべきなのかと。「わたしの求めているものは解脱です。まず、わたしは解脱を求めます。」と。では、その解脱とは何かと。「それは、まず第一に、尊師のお説きになっている法が、あるいは真理勝者方がお説きになられた法が、あるいはシヴァ大神のお説きになられた法が真実であるかどうかを知り得るために、まず、わたしは三界を経験しとうございますと。 その三界とは横割りと縦割りがございますと。まず、横割りとは、この愛欲の世界、低位形状界、そして低位非形状界であると。縦割りの構図とは、この愛欲の世界から、上へ向かい、上位の形状界、あるいは中位の非形状界、そして上位の非形状界をぶち抜いて、マハー・ボーディ・ニルヴァーナへ到達する世界のことでございますと。 そのためには経典に説かれてるとおり、あるいは、教えに説かれてるとおり、徹底的に功徳を積みとうございますと。徹底的に善をなしとうございますと。そして、その功徳、善をもとに、法則の修行に入り、寂静の修行に入り、そして形状界を経験しとうございますと。その形状界は、低位形状界にしろ上位形状界にしろ、徹底的に経験し、そして、それをまず知りとうございますと。次に非形状界、これを経験しとうございますと。 そして、その段階でその愛欲の世界、それから低位形状の世界、上位形状の世界、低位非形状の世界、中位非形状の世界、上位非形状の世界、マハー・ボーディ・ニルヴァーナの、このすべてが本当に無常なのかどうか、あるいは、そこへ存在してる生命体の寿命はどうなのだろうか、それをすべて知りとうございますと。なぜならば、もし、楽のみが存在し、その楽が不変であるならば、わたしはその世界が最高だと考えるからです。というのは、今までの仏教の教えにおいては、マハー・ボーディ・ニルヴァーナとは涅槃寂静、完全な止滅の状態、止まった状態。こういう止まった状態に存在しても意味がないではないですか。」と。 このような高度な謬見解に次の段階でわたしたち修行者は向かうべきであると。なぜわたしがここで謬見解と言ってるかというと、マハー・ボーディ・ニルヴァーナについての検討、これがこの修行者にとっては甘いからである。 つまり、この現世の「これが常識なのよ。」というラインから比べるとこの修行者は、はるかに高い智慧、あるいは、はるかに高い知性、はるかに高い修行者としての土台を有してることは間違いない。しかし、この修行者は三界が何たるか、あるいは、マハー・ボーディ・ニルヴァーナは何たるかを理解できないと。 「では、麻原彰晃、君はそれを理解してるのか。」と。当然、わたしは君たちに法則を説いてるわけだから、それについては理解してるといえよう。では、マハー・ボーディ・ニルヴァーナとは何だと。それは絶対自由の境地であるといえると。絶対自由とは何だと。それはいかなる世界へも自在に意のままに自己を現わすことのできる力であるといえると。つまり、三界からの解放とは、三界へ転生しない----これは正しいわけだが----だけではなく、三界へ現われることはできる状態、これは第一番目であると。 では、第二番目。その状態はどういう状態だと。これは絶対歓喜の状態であると。なぜならば、このときにこの身体は法則の身体を有している。法則の身体とは何かというと、カルマの法則において決して悪業にならず、すべての行為、言葉、心の働きが善、徳、寂静の実践、そして法則の実践へとつながるような身体を有しているからである。 そして、この魂はカルマの理法のすべてを理解しているから、絶対幸福の状態でいられると。つまり、すべての制約を解き放った不死、これこそがマハー・ボーディ・ニルヴァーナになるんだと。つまり、いくら三界の素晴らしい境地が存在していたとしても、その三界の素晴らしい境地はすべて無常を根本としてると。しかし、この真我の独存位に至っては、マハー・ボーディ・ニルヴァーナに至っては、それらの条件をすべて超越しているんだということである。 こう考え、これを記憶修習し、これを実践している魂と、 そして、智慧ある者はこの現象界における苦しみについても正確に見つめ、分析し、検討し、精通し、それによって苦しみを乗り越えることができるわけだから、より多くの果報があるといえる。 そして、君たちは今まさに、その道を一歩一歩、歩こうとしてるのである。では、何を達成しなきゃならないんだと。まずはエネルギーを上方に上げ、そして、光の世界に自己の意識を移し、その光の世界でいろいろな経験のできる身体を作り出し、この肉体的意識とその動いている身体とのつながりをしっかり持ち、三界を経験すると。これが供養値魂、最上正覚者の段階だよね。-引用終わり--引用開始-http://sinri.wordpress.com/tag/%e8%b6%85%e8%b6%8a%e7%a5%9e%e5%8a%9b%ef%bc%91%e3%83%bb%ef%bc%92%e3%83%bb%ef%bc%93/超越神力3Saturday, October 7th, 2006あなたの持っている本当の力超越神力PART3 完全なる絶対なる神の叡智、漏尽はじめに 仏教の修行によって煩悩【ぼんのう】を捨断【しゃだん】し、心をどんどん透明にしていくと、真我(本当の自分)が本来持っている神秘的な力が発現する。それが超越神力である。 超越神力には六つの種類があり、その内容は次のようになる。・神足通【じんそくつう】 (空中浮揚やテレポーテーションを行なったり、高い世界へ飛んだりすることのできる能力)・天耳通【てんにつう】 (神々の声を聞いたり、遠くの音を聞いたりする能力)・他心通【たしんつう】 (他人の心を知る能力)・宿命通【しゅくみょうつう】(前生を知る能力)・天眼通【てんげんつう】 (一般に遠隔透視能力といわれているが、これは北伝系仏教の間違いであって、実際には南伝仏教のいう死生智【ししょうち】のこと。死生智とは転生先を知ったり、生きながらにしていろいろな世界とつながる能力)・漏尽通【ろじんつう】 (完全なる絶対なる神の叡智) この中の最後の超越神力、それが漏尽通なのである。 この漏尽通によって、わたしは弟子の煩悩を見抜き、カルマを知り、一人一人に合わせた指導をしている。弟子の中から多くの解脱者が出ているのも、わたしがこの力を使って導いているからである。 すなわち、漏尽通こそはグル(宗教上の指導者)の条件なのだ。 なお、天耳通・他心通・宿命通・死生智については既刊の『超越神力PART1 天耳通・他心通』『超越神力PART2 前生を知れ! 死生智の秘密』で紹介しているので合わせてお読みいただけたら幸いである。一九九一年冬[…]超越神力3Saturday, October 7th, 2006第一章 最後の超越神力 今回は漏尽通【ろじんつう】について話したいと思う。この漏尽通は、漏尽智とも、漏尽証解智【ろじんしょうかいち】とも、また漏尽精通智【ろじんせいつうち】ともいう。この漏尽通は、最後の超越神力ともいうべきものであり、また、グルの条件でもある。グルとは、精神世界の指導者、宗教上の指導者を指す。その条件に合うとは、すなわち、諸現象をありのままに見つめマハー・ムドラーをかけることができること、自己の煩悩【ぼんのう】を破壊することができ、他の人の煩悩を破壊することができる状態であるということである。
2007.09.12
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成功法則は2文字で表すことができます。「やれ」です。そして、現在、成功者でない僕が言うのも本当に恐縮な話ですが、僕の観察力を信じてくれるのであれば、僕が今まで会ってきた成功者たちに共通していたことは、「やる」これだけです。裏を返せば、共通点はこれしかないのです。成功は――確率論です。斉藤ひとりさんが、「ツイてる、と言いなさい。」「困ったことはおきてない。」「神様が…。」ということを繰り返すのも、これは一言で表現すると、「世界を肯定する方法」です。世界を肯定してれば、世界は自分の味方であると心から信じていれば(これを、人は自信、と呼びます)、それだけ、何度も「やる」ことができるんです。失敗しても、もう一度「やる」ことができるんです。失敗が、何か自分に学びを教えてくれている、という世界に対する解釈も、失敗という現象ですら「世界は自分の味方である。」という考えにつなげる思考回路であり、「やる」気にさせてくれるのです。そして、「たくさんやった」人は、それだけ成功する確率が上がります。しかし…実はここに大きなパラドックスが存在します。世界は、冷静です。世界は、ドライです。世界は、信じる者を確実に救う、わけではありません。未来を信じれば、その人が望む未来が全ての人に訪れるか?残念ながらそれは違います。事故で亡くなった人は、それを望んではいなかったでしょう。しかし(ここからが重要です)、世界の起源を、世界の作りを「ドライで冷静、無価値で偶然的」ととらえてしまうと、つまり、世界を信じられなくなってしまうと、「やる」ことができなくなるのです。「どうせ失敗する。」と思ってしまう。そうすると、「やらない。」。つまり、成功する確率が下がります。つまり、これは、神は存在しないけど、神の存在を信じる者の方が成功する確率が上がる。成功者や経営者に神を信じたり、占いを信じたりする人が多いのはそういった理由です。神は、その存在を信じる者に微笑みかける、とはそういうことなのです。結論を言うと、「やる」人が成功します。その人が間違っていようが、正しかろうが、「やる」人には、その結果が訪れるのです。つまり、理想の成功法則書を描くのだとすれば、その本を読むと、「やる気になり」「実際にやり」「やり続ける」この3つが自然に訪れる本だと思います。これは、ある意味でかなり危険な本になると思います。しかし、願わくば、死ぬまでに、僕はそんな本を書いてみたい。-引用終わり- 成功者はその成功に見合うだけの徳分を支払いさせられているだけではなくて、多くの苦しみを乗り越え続けています。何の為に。勿論、自分の喜びの為にです。即ち、自分に喜びを与えてくれない事は誰もやらないという事です。当たり前の事ですが、私にとっては当たり前ではありませんでした。人は皆、善行を為す為に生きていると信じていました。しかし、そうではなかったという事を悟ったわけです。 ブログを書き続けている徳分によって、悟りを得たという事です。私にとってはそれだけで十分書き甲斐があるのです。智慧が増すという事は、幸せな事なのです。私は宇宙の構造上、人類の半分は、地獄に行くという事を悟りました。神様、プラスの世界と同じだけのマイナス世界を創っているのです。だから、幸福な者は、その幸福の分と等量分、マイナスを背負わされます。だから、そのマイナスを相殺する為に、その自分が得た幸福分、他を幸福にして徳分を積まなければ、やがて、背負わされたマイナスが現象化して、不幸を味わわされる事になります。 要するに、神様、人間のしたいようにさせているという事です。勿論、その自由には、責任が伴っています。そういうように神様が創っているこの世界、自分がしたいように生きていい、生きないと苦しみになってしまうという事です。神様が責任を取らない事はできるだけやらないと私は思いました。 人間は肉体ではありません。肉体の死後、肉体から抜け出す魂、霊体です。だから、私は本当にしたい事以外すると後悔すると思います。神様、親神様として、人類が皆、夫婦となる事を願っていると私は思っていましたが、現実はそうではありませんでした。現実はサタンが人類の上に君臨していて、欲望によって、支配しているという事です。即ち、欲望に生きるとサタンの奴隷から解放されないという事です。欲望を満たす為にサタンの奴隷をやるか、サタンの奴隷やりたくないから欲望を落とすか、両方の選択肢が与えられているわけです。 私は愛に生き続けています。サタンの奴隷なんかやりませんでした。当然、自分の物欲は成立しませんでした。しかし、人類全体を越えている境地を得ました。国連の総長よりも上の地位です。国連、私の生き様を背負っていませんでした。地上天国を創る、人類全員を幸せにする、動物達全員を幸せにする、要するに、地上に理想郷を創る、この為に人類全員が協力し合っているのだと私は思っていたのでしたが、現実はそうではありませんでした。地獄の生き方をしている者達も一杯いました。 人類始祖エヴァがサタンとセックスをしました。その後、サタンとなった堕落人類始祖エヴァと人類始祖アダムとがセックスをして、人類始祖アダムも堕落人類始祖アダムとなりました。要するに、人類始祖がサタンとなりました。しかし、元々は、神の子だったので、サタンの血統と、神の血統と2種類の子孫が存在しています。サタンの血統者は物欲を満たす為に生きています。神の血統者は愛に生きています。サタンの血統者は、悔い改めないと、地獄に行きます。自分中心だから。 サタンは第六天界の頂点にいます。欲界の主です。物欲がある者達を奴隷にしています。物欲に生きている者達を支配しています。仏教的には、天界は六道の最高位の世界であり、その天界の最高の神をマーラ(破滅天、悪魔)と呼んでいます。-引用開始-http://www2.ezbbs.net/cgi/bbs?id=boufuuu&dd=05&p=6 今の人間界の多くの人々は、破滅天との契約を交わしてしまっています。そして、その欲楽を享受する代償として、破滅天の支配を受け、彼らの自由を奪われているのです。わたしがオウムと全く縁のない多くの人々を見た限りでは、彼らは破滅天に巧みに無智化され、瞬間瞬間の快楽で目くらましをされた状態にあります。そしてその刹那的な喜びの蓄積の裏に潜む苦しみに気づかないようにさせられています。 しかし、カルマは必ず返ります。期が満ちれば、必ずそのなしたことの清算をしなければならないのです。 今の人間界の人々というのは、訂正不可能なぐらい、煩悩こそ唯一の幸せであり、喜びであると思ってしまっているのだと、その現実に悲しくなったのです。これでは煩悩捨断の教えは広まりにくいはずです。-引用終わり-http://members.tripod.com/tanukinokintama/http://members.tripod.com/tanukinokintama/indexb.html 麻原死刑囚が何故、信者の多くの女性達とセックスをしまくったのか、美食その他の贅沢をしまくったのもそうですが、煩悩捨断の教え、自分が何にも実践しなかったのが残念です。仏教では、功徳が尽きると天界から地獄へ真っ逆さまだそうです。苦しみ肯定だから、煩悩も地獄も肯定なのでしょう。煩悩を満たす事は地獄の因なので、地獄の苦しみを否定している私は煩悩の喜びも否定していますが。私にとっては、煩悩の喜びは苦しみなんです。-引用開始-http://www015.upp.so-net.ne.jp/sinzinrui/fs4/229-233.html ではなぜこの苦しみがポイントとなるのかと。それは先程述べた、わたしたちは迷妄なるがゆえに愛著というものを起点とし、この愛欲の世界にいろいろなきずなで縛りつけられている。ところがこの愛欲のきずなよりも、より大きな苦しみの経験があるならば、そのきずなは簡単に切れ落ちてしまうはずである。その中で、その段階でわたしたちは形状界、そして非形状界を通り越してマハー・ニルヴァーナへと到達できるはずなのである。よって苦しみを認識し、苦しみを見つめ、苦しみを経験しなさいと。これこそが最高の教えの第一であると。 しかしそれよりももっと素晴らしい教えがあると。それは喜を伴い、悦を伴い、楽を伴い、そしてサマディを伴う教えであると。 これは何かというと、もともとわたしたちのアートマン・真我は、絶対自由・絶対幸福・絶対歓喜という三つの要素を、三つの様態を持っていると。この三つの様態が内在する限り、わたしたちが真理の法則に従って真理の法則を実践し、あるいは寂静の法則に従って寂静の法則を実践し、あるいは功徳を積み、善行を積むと。これをなすことによって、わたしたちの内側は充実し、そしておのずと高い世界へのパイプだけが残り、最終的な高い世界のパイプもすべて止滅し、最終的な絶対自由・絶対幸福・絶対歓喜の状態へ至れるということなのである。
2007.09.12
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-引用開始-http://www.mizunokeiya.com/2005/06/post_211.html成功法則書を読んだ人が成功しない理由「成功法則の本を読んだ人が成功しないのはなぜ?」ほとんど全ての人が、一度はこの疑問を感じたことがあると思います。真に正しい成功法則の本があるとして、その本を読んだ人はみんな成功しても良いはずなのに、どうして成功はいつの時代も一部の人間に独占されるのだろう。毎月、毎年、多くの啓発書、成功書が書店に並びます。しかし、世の中の成功者の数が増えた、という話は一度も聞いたことがありません。僕も、この問題に関してはずっと疑問でした。ただ、最近考えていたことがこのテーマに近かったこともあり、「売れる成功法則書がいかに無意味なものであるか。」その構造がなんとなく分かった気がしました。ただ、その話をする前に、成功法則書の前提である、そもそも「商品」とは何か?これを考える必要があります。商品とは、一言で言うと、「人間の欲を満たすもの。」です。ここで注意しなければならないのは、商品が、「サービス」「人を幸せにするもの」など、色々な言い方をされることで混同してしまう場合があるのですが、基本的に、商品――お金を支払われるものは、「欲を満たす」ものです。それが「正しい」とか「間違っている」とか、そういうことは全く関係ありません。それは、世の中を見渡せば分かります。「その人の為になっているモノ」=商品ではありません。「その人が、その人の為になっていると思っているモノ」つまり、「その人の欲が満たされるモノ」これが商品です。その人にとって決してプラスにはなっているとは言えないモノ、むしろマイナスになっているモノでもその人の欲を満たせば、それは商品です。そして、より多くの人の欲をより大きく満たすモノが、売れるモノです。さて、話を「成功法則書」に戻しましょう。売れた成功法則書。「7つの習慣」「思考は現実化する」「金持ち父さん貧乏父さん」etc…これらは、「優れた商品」であったことに間違いはありません。その結果が物語っています。しかし、これらが優れた商品であれば、あるほど、ある意味では、人を成功から遠ざけるこう言えると思います。そこでは、「人間の欲」が問題となります。売れた成功法則書。これらを読んでいる人の「欲」は何でしょうか?その人たちが心の底から求めているものは何でしょうか?ここで少し考えて見てください。どうして「売れる成功書が役に立たないか」が見えてくるはずです。もしかしたら、ある人はこういうかもしれません。「成功書を読むくらいだから、成功書を読んでいる人が持っている「欲」は、「成功したい」に決まってるじゃないか。」。これは、一見正しいように見えるかもしれません。成功法則書を読むのだから、成功したいと思っているに違いない。しかし、実は、これは、誤りです。そして、この誤りこそが、多くの人が成功法則書に見る幻影となっているのです。この論理から行くと、優れた成功法則書は、人の持つ「成功したい」という欲求を満たす本であり、つまり、そこに書いてある内容は「成功する確率を上げる」内容である。しかし、残念ながら…成功法則書を読む人の持つ欲は「成功したい」ではないのです。これは、改めて言うまでもないことかもしれませんが、彼らの持つ最も強い欲望は、「面倒なことはしたくない。」です。というより、人類の歴史は、人間の持つ普遍的な欲求「楽(らく)したい」に作られてきました。少しの間、この文章を読むのをやめて、周りを見渡してください。パソコン、机、椅子、冷蔵庫、電子レンジ、水道…全ての商品は、「面倒なことはしたくない」「楽ができる」ということから派生したものです。それを、人は、「便利」と呼ぶのです。便利なものが売れるのです。さて。こうして考えていくと、どうも成功法則書に求められる欲は、「成功したい」ではないことが分かります。厳密に言うと、次のようになると思います。「面倒なことがなく、成功する(した)気になりたい。」つまり、いかに、(言い方は悪いですが)、「安易な希望を与えることができるか。」この一点に集約されるのです。だから、マーフィーの法則が売れたりします。「目標を紙に書くと成功する。」楽、ですよね。紙に目標を書くだけで成功する(と言っている)のです。全然面倒じゃないですよね。ただ、これは決して悪いことではないと思います。人は、希望を見ることによって動くこともあるからです。だから、売れた成功法則書が、悪い、と言っているわけではないのです。ただ、そうした成功法則書を読んでも、ほとんど誰も成功しない、これもまた「構造上」の事実なのです。それでは、「真に効果のある成功法則書は何か?」という問題になります。「その本を読むことで、本当に成功する本」この本を見つけることが僕の(もしかしたら生涯の)テーマの1つになるのかもしれません。ただ、この問題は突き詰めていくと、文字で洗脳できるかという話になっていくのだと思います。では、どういう方向に洗脳するのか、ということですが、これは、言うまでもなく、「やる」ですね。
2007.09.12
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-引用開始-http://success.unkuru.com/001/post_54.html・成功術!阿頼耶識の話・成功術!成功の原理について・成功術!一休和尚の遺言・成功術!はぐれ坊主の破れ説法・成功術!努力しただけでは願いは叶わないわけ・成功術!一休と良寛のさとり・成功術!常識について・成功術!自立と自律・成功術!清濁のバランス・成功術!楽々処世術・成功術!過ちに乾杯!・成功術!なぜ外に救いを求めるのか?・成功術!論で人は動かぬ。利で動く・成功術!「人の二倍は働いている」人が報われないわけ杯・成功術!初めに「欲望」を持て・成功術!成功をもたらす「報徳」の心・成功術!私の不徳のいたすところで・成功術!欲している人のところに集まる「おもしろい金」・成功術!浮浪者から実業家に・成功術!貯め込んだ「悲しい金」・成功術!成功者は「人間の五つ欲求」を知っている・成功術!無形の財産が物質的な財産を生む・成功術!ひと声で相手を感激させる人・成功術!まず、自分の自己重要感を満たせ・成功術!称賛に値する人間になる方法・成功術!人蕩術奥義(人たらしの術)・成功術!あなたの運命を好転させる【アラヤ識原理】・成功術!初めは「外見」がモノをいう・成功術!「人を持ち上げる」術・成功術!ピグマリオンの祈り・成功術!実の伴わない「名誉」を与える・成功術!人心を失い、金の力を失う法・成功術!一億貯めるのに50年かけるのか・成功術!第一段階「以前」のタネ銭づくり・成功術!第一段階は「呼びかけ、原因づくり」・成功術!第二段階の「仕組みづくり」・成功術!積み上げてきたものを失うとき・成功術!未来へのビジョンを持つ・成功術!金のありがたみを知る空腹感・成功術!使用人には自己重要感と金を与える・成功術!人も金も、嫌う者には寄りつかない・成功術!金持ちほどケチなわけ・成功術!節約を苦しみにしてはいけない・成功術!お世辞だとわかっていても・成功術!成功までの道のりに「邪道」はない・成功術!望んでいれば、道は自然にできている・成功術!プラス思考が成功を生む・成功術!功労は下にあり、罰は上にある・成功術!好悪の感情や生半可なプライドは殺せ・成功術!「金持ちになること」が成功か・成功術!「気」が成功をもたらす・成功術!「経営ノウハウ」より得られるもの・成功術!「遊戯三昧」で生きる-引用終わり-http://success.unkuru.com/001/post_4.html※この結論には、私も賛成です。私もひたすら、神を求め続けているだけの人生ですので。私にとって、全ての喜びは神なのです。性欲、食欲の追求も神への道なのです。だから、私の場合、女の人の人格、神性を大切にするのです。性欲ではなくて、愛なのです。相手の女性に損になる事、絶対にしないのです。全て神への道なのです。これが私の考え方であり、生き方なのです。例えば、私は一人の女性しか愛しません。女性の人格というものを大切に思っているからです。愛人は性欲は満たされますが、人格は否定されてしまうのです。人格の喜びの方が性欲の満足よりも上だと思うから愛人は決してつくらないのです。婚外セックス、浮気、不倫等をしている動物達は、人格の喜びをまだ、知らないのです。だから、人間ではなくて、動物なのです。勿論、私は、動物だからといって、殺していいとは思いませんが。情がある者が死ぬ事は悲しい事だから。私にとって情がない者にも誰かしら情がある者がいると思われますので。私は苦しみは嫌なのです。だから、誰にでも苦しみは与えたくない。与えたものが受け取るものであるから。http://success.unkuru.com/001/post_3.html※私に言わせれば、この気の素は徳分です。自分の積み上げている功徳です。この自分の功徳を解脱・悟りに遣うか、この世の物欲を満たす為に遣うか、天国での物欲を満たす為に遣うか、自分がどうしたいかという事です。
2007.09.12
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その二 ドルガーよ、よく聞きなさい死生智はこう現われる ドルガーよ、よく聞きなさい。これから述べることは、絶対的真理である。そして、この状態に到達する魂は、最終解脱の一歩手前だということができる。宿命通の項でも神通力の順番、深さについて、わたしはウマー・パールヴァティーに語った。そして、これからドルガーに対して、宿命通よりもっと深い神通力である死生智について話をしたいと思う。 この死生智の背景にあるものは、純粋な天眼である。つまり、神の眼である。この神の眼によって、衆生がどこへ転生するのか、そして次の生どのような人生を送るのか、あるいは世界はどのように構成されているのかを、はっきりと見ることができるのである。では、その構成はどのような形で現われるのであろうか。 まず、修行者は完全な暗闇を意識のある状態で経験するようになる。そして、その暗闇が少しずつ少しずつ明るくなる経験をする。この明かりというものは、その体験を行なっている者の意識の鮮明度を表わしている。そして、その意識の鮮明度がある段階に来ると、自分自身の上方、あるいは下方からいろいろな光が見えるようになる。 この上方、下方から見える光は、上から見える光は天界の光であり、下から見える光は悪趣の光である。例えば例を挙げるなら、足元に緑の光が見えるとした場合、それは動物の世界へと導かれる光である。例えば、黄色い光が見えるとしたならば、それは餓鬼の世界へ導かれる光である。例えば黒い光が見えるとしたならば、それは地獄の世界へと導かれる光である。 では、上の光とはどのような形で見えるのであろうか。それは、三百六十度、プラス中央といった形で光が見える。そして、その光に現象が投影される形で現われるのである。例えば例を挙げるならば、ガンダッバはちょうど鼻のところに上からブルーの光が降りてきて、見えるような形となる。例えば、意識堕落天は右側に赤を背景とした、赤系統の光を背景とした光が降りてき、そこにヴィジョンが映ることになるのである。このような形で、死生智というものは現われるのである。 では、なぜこれを死生智というのかというと、それは魂が前生において善業あるいは悪業をなす。その結果として、この死生智というものは現われるわけである。そして、それは来世を先取りする形で現われるのである。よって死生智なのである。わかるかな、言ってることは。 この死生智はステージが進めば、より多くの光を同時に経験するようになる。よくチベットの経典で光の帯が降りてき、例えばそこに、ラトナサンバヴァとそのファミリーが見えるという記述がある。それもすべて同じである。実際は、光の映像が投影されている状態と考えるべきなのである。動物が転生するときは?――ネズミ じゃ例えば、動物が転生するとき、どのような形で転生するのであろうか。今、オウム真理教富士山総本部道場には、多くのネズミが生活している。これはわたしを含め弟子たちが殺生をしないから、ネズミが楽園だと考え、そこで生活しているわけである。しかし、彼らも寿命は短いから、そして野生であるから多く死ぬ。その場合、ネズミはだいたい次の生もネズミである。なぜならば、ネズミからネズミと転生するということは、まだそのネズミがネズミであるカルマを止滅し切っていないから、一生では、高い世界や低い世界の転生っていうものがあり得ないことを表わしている。 一般的に考えられる輪廻転生と実際の構造はかなり違っている。例えば、その人の最も強い要素を経験し続けること、これが輪廻転生なのである。例を挙げるならば、ここにネズミがいると。このネズミは、例えば祭壇のお供物を盗み、あるいはいろいろな異性のネズミとセックスをし、そして例えば共食いをし、争い、遊びほうけると。これはいずれも無智を根本として働いている。 そして彼らは、特にオウムで生活するネズミは、そのネズミの生というものを楽しめるから楽しんでいる。楽しんでいることによって、また次はその経験が中心となり、ネズミへと転生するわけである。その場合、彼らが死んだ後、アストラルでも同じようなネズミの形状をとり、そしてそのまま案外早い時期に転生する。彼らにとって他の世界は見えないのである。様々な人間の転生 人間にとっても同じことがいえる。人間の生において、人間に認められている殺生の範囲っていうのは限られている。しかし、現代人はほとんどその殺生をオーバーし、それから偸盗は少ないとしても、あるいは邪淫は少ないとしても、妄語をオーバーし、それから、酒あるいはタバコ等といった心を集中させることのできないものを飲んだり吸ったりする。それゆえに、人間は人間以下の世界へ転生することが多くなる。 例えば、物が食べたくて、食べられない状態で死んでいく。これは餓鬼の世界への転生なのである。例えば、ボケて死んでいく。これは動物の世界への転生なのである。この例えば餓鬼の世界、動物の世界へなぜ転生してるといえるかというと、まず、貪りの心をもって、それがかなわない状態、これが餓鬼の世界だからなのである。そして、ものが全く考えられない、記憶が途絶えている状態、これが動物の世界なのである。 よって、死ぬ前にその人は次の生どのような生へと転生するかということが、だいたいわかってくる。例えば、体全体が痛みに苦しむ。苦しみながら死んでいく。この人は来世地獄へと転生するのである。 例えば、そういう痛み、あるいは貪り、あるいは無智がなく、はっきりとした意識状態で、そしていろいろ肉親等に、あるいは夫や妻等に執着しながら死んでいく。これはだいたい人間界へ転生する。例えば、大変優秀な人で権力に執着している、しかしもう一方では、動物的要素、苦しみを嫌がる要素を持ってる人は、意識堕落天へと転生する。そして、耐える力が大変強いと、しかし性愛の喜び、食べ物の喜び等を求めている人は、戯れ堕落天へと転生するのである。 そして、仏教の聖者やヒマラヤの聖者のように、例えばそういう煩悩を一切捨断し、そしてサマディを楽しむと。つまり、心を止め、体の機能を止め、そして肉体から完全に心の本質を切り放すと。この修習を行なっている人は神聖天界へと転生するのである。 そして、最高の転生というのは、五大エレメントをしっかり見つめ、それを一つ一つ崩壊させ、感覚を完全に止滅し、そしてイメージを完全に消してしまい、経験そのものの要素を完全に消してしまい、そして一切の現象に対して、それが善であるとか悪であるだとか、美しいとか醜いとかいった識別機能を超越したサマディの状態に入ることができるようになった者、この魂は煩悩破壊界へと転生するのである。死生智の深みを理解せよ ではドルガー、よく理解しなければならない。死生智というものは、これだけ深いのである。そしてこれだけの深みを理解することができるならば、おのずと道は決まってくる。 例えば、悪業をなせば、自分の来世は苦しみの生である。善業をなせば、自分の来世はこのように楽しい生である。あるいは、大徳を積めば、自分の来世は大変豊かな生である。貪れば、自分の来世は大変貧しい生である。あるいは、邪悪心・嫌悪を修習すれば、自分の来世は痛み多き、苦しみ多き生である。慈愛を修習すれば、自分の来世は大変幸福な生である、心豊かな生である等のことが理解できるわけである。 いいかなドルガー、そして、これらのことをはっきりと知ることにより、道が確定されてくる。「わたしは聖なる道を歩こう。わたしは聖なる実践をしよう。」等である。 オウム真理教にはポアという儀式がある。このポアという儀式は、魂が死に際してどの世界へ導かれるかを知り、そして、その転生を変えてしまうという儀式である。これは、ポアの儀式がしっかりなされるだけでは効果がなく、実際は今述べた死生智が理解されないと、そして経験されないと、そのポアを正確に行なうことができないのである。 よって、ドルガーは理解しなくてはならない。「この死生智を身につけよう。」と。そして、この死生智は、次に来る漏尽の一歩手前である最高の神通力なんだということを認識すべきである。いいね。-引用終わり-
2007.09.10
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ところが、それからまたどんどんどんどん修行が進んで、次は意識堕落天のね、王様と女王様の子供として転生することになった。意識堕落天の王様の顔というのは、ちょっとカーリーみたいな顔をしてるんだよ。鼻が大きくて、ちょっとボーッとした感じなんだけど、髪の毛は縮れてるんだけどね。で、あのそうだね、タキシードみたいな形の服を着ているんだけど、ま、ちょっとタキシードとは違うんだけども、ああいう感じの背広っぽいのを着てて、その王妃様はものすごく美人なんだよ、ね。そこへ転生するはずだったと。 で、そこへ転生する場合、その意識堕落天の人たちというのは大地に足を付けてないんだよ。つまり地の人じゃないわけ。少し浮いてるのね。そうだね、二、三十センチ浮いてるんじゃないかな。歩くときも浮いて歩いているんだよ。で、なぜ浮いて歩いていて大丈夫なのかというと、このウダーナ気が強くて、このウダーナ気というのは上に引き上げる力が強くて、結局バランスがとれているわけだね。 でまあ、それからもう少し修行が進んで、次に死にかかったときには、今度はガンダッバに転生するカルマが出てきたんだね。ガンダッバというのはね、第一天界の鳥神、鳥の神なんだよ。で、実際体は鳥ではなくて、ガンダッバの着ている衣が空を飛ぶ衣なんだよ。日本の昔話で「天の羽衣」という話があるでしょ。ああいう感じの衣を着ている神様なんだよ。で、この神様はガンダッバの木って大きな木があるんだけど、そこで生活しているわけ。木で生活しているんだよ。 で、このガンダッバの仕事っていうのはね、音楽を作ることなんだよ。だから、わたしがたくさん曲を作ったでしょ。今年、そうだね、時間数にして三時間分とか四時間分とかできたのは、あれはまさにそのガンダッバのカルマがわたしにあるからなんだね。だからあれだけできたわけ、ね。 もちろん、ウマー・パールヴァティーも知ってのとおり、天界に移行するときはスッとそのまま入っていくからね。そして、そのまま天界の住人になってしまうと。これが天界へ移行する場合。これは神聖天界へ移行する場合も同じだ。だいたい、神聖天界へ移行する場合は、死んだ瞬間にその肉体から次の身体が離脱するんだよね。離れるんだよ。離脱ということは、離れて脱する、抜け出すことなの。そして、そのまま垂直、上の道をスーッと上がっていくんだよ。(アーチャリー)頭から?(尊師)頭から、ね。で、上がっていってそのまま宙に浮いて、そしてそっから神聖天界へ入っていくわけ。(アーチャリー)神聖天も歩くときも……。(尊師)神聖天も歩くことはできるけど、もちろん浮いてるんだよ。それよりも高く空を飛んでるわけ。そうだね、だいたい、もちろんこういう神聖天にも道場があるわけだけど、道場のどちらかというと天井に近いところをスーッと飛んで、で下りるって感じなのね。まあこれが一般的には天界、意識堕落天、人間界へ転生するときだね。もちろん……。(アーチャリー)神聖天は……。(尊師)もちろんだよ。この死生智というのは、要するに死と転生だから、まずコーザルのバルドー、つまり、人間は死んだ瞬間に経験を超えたコーザルのバルドーに行くわけだけど、そこから徐々にまた経験の蓄積、ね、そして形状界、欲界と落ちてくるわけだよね。これは、ウマー・パールヴァティーも『死と転生』(死と転生を舞踏で表現したオペレッタ)を見たからよくわかると思う。死と転生(尊師)だいたいまあ、一般的には人間が死んだときどうなるかというと、コーザルのバルドーに突っ込むわけだね。コーザルというのは、要するに心の本性、本質のバルドーに突っ込むわけ。ところが、今の日本人というのは心をほとんど磨くような修行をしないでしょ。心を綺麗にするような修行をしないよね。だから、結局はそこを経験しないで、次は形状界のバルドーヘ行くんだよ。 ところが、形状界の、例えばシヴァ大神とか、あるいはヴィシュヌ神とか、あるいはサキャ神賢の弟子たちがたくさんいらっしゃる所とか、あるいはグル・リンポチェとか、すべて形状界にいらっしゃるわけだけど、そういう形状界についても帰依がないよね。今の日本人は欲望だらけだから。だからだいたい、即そのまま悪趣へ転生しちゃうわけ。 ただ、まあ一通りそこのところを説明しておかなきゃならないから、簡単に説明しておくと、だいたい三日半、チベット的な宗教心のある一般の人はとどまるといわれている。 だから、逆の言い方をすれば、日本人はもうここへはとどまらないと考えた方がよかろう。だいたい、こうやって手を打つぐらいのね、時しかとどまらないと。わかる? あるいは、ちょっと少し仏閣とか行く人は、食事をするぐらいの時間とどまると。つまり三十分とか一時間とかとどまると。で、もう少し信仰心の強い人は、だいたい三日半とどまるといわれているんだよ。で、この辺はどうなるかというと、人間が転生に必要なのは四十九日間と決まっていて、これ以上経つとだいたい、霊として生まれ変わるんだね。(アーチャリー)霊って?(尊師)つまり幽霊だよ。(アーチャリー)幽霊!(尊師)そうそう、形を持たない低次元の霊。つまり低位アストラルへ転生するんです、ね。しかし、そういう例は少なくて、ほとんどこの四十九日間で転生するんだよ。 で、この四十九日間のバルドーっていうのは、例えば一週間とか、こっからここまで二週間といわれているのは、あれはあくまでもオーソドックス、つまり、一般的な普通の形であって、わかるかな、実際はそれぞれの人たちがその前の生においてどういう生活をしてきたのかと、どういう生き方をしたのかと、ね、あるいはどういう修行してきたのかと、あるいはどういう宗教実践したのかと、ということによって、違うわけだね。で、まあ簡単に言うならば、その三日半の後、ま、だいたい一週間が平和の神々が登場して、残りまあ一週間が恐怖の神々が登場すると。ね、でまあ、残りは欲界のバルドーをさまようんだということになっている。わかるよね。 じゃ、例えばリンポチェ、生まれ変わりといわれる人はどういう経験をしているのかと。わたしもそうだけど、だいたいほとんどの期間は、バルドーで生起から、死から次の生までのバルドーで、お仕事があるんだよ。つまり、自分と縁のあった人たちを、そこで会って、「そこは違うよ、こっちだよ。」と引き上げるわけ。あるいは閻魔【えんま】さんの所へ行って、「こいつは悪いことをしているけど、来世頑張りますから許してください。」と。こういうお仕事があるわけ。(アーチャリー)許してくれる人もいるの?(尊師)もちろんほとんど許してくれるよ。ね。そして、こういうお仕事をして、残り最後の、ほとんど四十九日に近いくらいのときに、目の前にドーンといろんなヴィジョンが見えてくるわけ。大スクリーンが見えてくるんだよ、ね。そして、その大スクリーンで、次の生はここで転生して生きようと考えるわけ。尊師の失敗(尊師)実は尊師失敗してね、今生。なぜ失敗したかというと、実は前生わたしは意識堕落天の王様であったし、で、その意識堕落天のグルだったんだよ、ね。ところが、意識堕落天の食い物っていうのは、カニとかエビとかあるいは貝類とかが好きなんだね。好物なんだよ。だからね、ドーンと目の前に見えたヴィジョンが、それをみんなが食べてるヴィジョンで、家族が、今のお父さん、お母さんが見えてきて、今の兄弟が見えてきて、でわたしの姉が見えてきて、姉は今結婚しているわけだけど、結婚しているだんなさんも見えてきて、すごく楽しそうなんだよ、食べてるんだよ。それに引っかかっちゃったわけね。つまり家族団らんとその食い物に。 そして、どんどんどんどんヴィジョンが近付いてきて、あああって子宮に入っちゃったわけだよ。わかる? だから前生において性的、そういうものを完全に捨断していたから、今生はわたしはすごくそういう性的発現っていうのは遅かったよね。(アーチャリー)性的発現って?(尊師)つまり性欲っていうの遅かった。二年とか三年ぐらいじゃなかったかと記憶してるんだけど、普通の人たちっていうのは、もう今は何歳で経験しているからね、だいたいそういうものを。で、しかもそれは周りがそういうことを一切教えてくれなければ、尊師は知らなかったと思う。(アーチャリー)教えたの?(尊師)いろんな人がいろんなことを教えてくれたから、要するにそれだけカルマが悪かったんだな。食い物に引っかかったがために。三悪趣への転生はこうなる(尊師)まあそれはいいとして、でね、じゃ次は地獄へ転生するときはどういう形で転生するんだと。(アーチャリー)下に引っ張る。(尊師)もうこれは下に引っ張るというか落ちていくんだね、スーッと。(アーチャリー)頭から?(尊師)頭から落ちていく場合もあるし、足から落ちて行く場合もあると。(アーチャリー)横から。(尊師)横っていうのはまずないね、普通はね。あるいは実際はヴィジョンが見えてきて、そのヴィジョン、例えばね、前生で、猟師って知ってるかな、鳥をパーンと撃って殺すとか、鹿を殺すとかいるよね。そういう人たちはそういうものが見えてくるんだよ。そしてそれに対して、「よしあいつを殺して生活の足しにするぞ。」って気持ちになっちゃうわけ。わかる?(アーチャリー)だれが。(尊師)猟師がだよ。で、その鹿を追いかけると、ね。で、「殺すぞっ。」と思って矢を放った瞬間、もうそこは地獄なんだよ。もうそこから逃れられない。わかる? あるいはね、動物の世界はものすごく恐怖が襲ってくるわけ、ドーッと。それは、今まで多くの生き物に恐怖を与えたがためのカルマだと思うんだけど。そしてね、動物の世界の入り口があって見えてくるんだよ。たくさんの蛇とか鳥とか、いろんなものがうごめいているわけ。(アーチャリー)だけど尊師はよけるんでしょ、それを。(尊師)いや、尊師はよけられるけど、普通の人はそれに対して恐怖しながら飛び込んでいくんだよ。で、もう気付いたときには動物の生が始まっているわけ、ね。 これは餓鬼界も同じだね。貪りを背景として、貪ろうとした瞬間にそういう世界へと転生するわけ。いろんな食い物が出てきてね、貪ろうとした瞬間にそういう世界に転生するんだよ。(アーチャリー)そういう人の場合も尊師言うの? 「来世この人は頑張るから、許してあげてください。」って。(尊師)そうだよ。だから、縁のある人は何とか済度しようとするよね。(アーチャリー)済度のできない人もいるの?(尊師)そりゃ済度のできない人もいるけど、だいたい閻魔様とは話し合えるけど、その人が帰依がなかったら落ちていくでしょ。それはちょうどサマナが落ちていくのと同じだよね。どうしようもないでしょ、それは。それでね、こういうことを知り尽くす智慧【ちえ】、これが死生智なんだよ。(アーチャリー)ふーん。(尊師)わかった?(アーチャリー)はい。
2007.09.10
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ではこの記憶修習述の狙いはなんだと。これはまず身において観察することにより、この愛欲界から離脱すると。離解脱するのである。次に、感覚において超越することにより、形状界から離解脱するのである。そして、心、そして法則から離解脱することにより、非形状界から離解脱するのである。ということは、三界から完全な形で離解脱すると。しかも、聖なる八段階の実践を日々行なうことにより、徳はどんどん高まるわけだから、その離解脱は、よりニルヴァーナから、マハーニルヴァーナ、マハーボーディ・ニルヴァーナへと至るのである。そしてその記憶修習の結果、わたしたちの入るサマディは、より高いニルヴァーナということになる。 そして、より高いニルヴァーナから何が生じるのかと。それは当然、神通、高い神通が生じることになる。そしてこの高い神通の最終段階である漏尽詳解智、これは離解脱を意味しているのである。つまり、この段階ですべての現象に対して、「これは苦しみである」「これは苦しみの生起である」「これは苦しみの滅尽である」「これは苦しみの滅尽に至る方法である」ということが理解できるのである。「これは煩悩である」「これは煩悩の生起である」「これは煩悩の滅尽である」「これは煩悩の滅尽に至る方法である」ということが理解できるのである。 そしてこれらの今日わたしの説く法則は、これは原始仏典の最初の教えであり、最後の教えであり、これ以上の教えはなく、またこれ以外の最高の教えは存在しない。なぜならば、先程述べた百二十巻の教えは、すべてこの最終の離解脱に向かって、その各段階においての教えを説いてるにすぎないからである。 よって例えば君たちが、今日このわたしの教えを真に歓喜し、実践するならは、それは百二十巻の教えのすべてを理解し、実践することと同じということを意味している。http://www015.upp.so-net.ne.jp/sinzinrui/fs4/227-228.html91/12/1 阿蘇(五大エレメントのイニシエーション後) 五下分結と五上分結の捨断 君たちが実践しなければならない捨断の項目、それは原則的に十個存在している。その原則的な十個とは何かというと、それは俗にいわれる五下分結、そして五上分結である。この五下分結は、特に下の三つ、これを捨断することにより、三悪趣へ生まれ変わらないといわれている。 ではその、五下分結の、まず一番に捨断しなければいけないもの、これは何であろうかと。これは身に対するとらわれである。そして、この身が生じたときにわたしたちの生命は生じ、この身がなくなったときに、わたしたちの生命は終わるんだというその心の状態を捨断し、そして君たちが生きている間に、この身から意識を自在に切り離すことができるようになったならば、まず完全なる地獄の捨断は生じたといってよろしい。 では、第二番目の動物への発生、これを捨断する方法は何であろうかと。これは疑念に対するとらわれであると。もしこの疑念に対するとらわれを捨断するならば、君たちは、動物界へ転生することはない。 では、このときにどのように考えればいいのかと。ここに、真理の法則があると、そして、この真理の法則を実践したとしてわたしたちはどうなるのだろうかと、あるいは実践しなかったとしてどうなるのだろうかと、ね。わたしたちはこの身にとらわれ、意識と身が同じであるというこの状態から抜けださない限り、他の世界を経験することはできない。したがって、真理の実践により、その経験ができるとするならば、やらないよりやる方がましだ、ではなく、やるしかないんだ、という結論に到達できる。 なぜならば、すべてを知って初めて、それに対する世界の扉を開くことができるからである。そしてそれは、君たちの今、実践している真理しかない。そういう意味において、君たちが実践している法、あるいはダルマ、サッチャ、真理について否定することなく、ひたすらその実践を行ない、その教えを自分の内側に体得する、この努力をする。これは智慧ある者の態度だと言える。そして君たちに智慧が生じたとき、第二番目の動物の発生が捨断されるのである。 では、第三番目、低級霊域とも、あるいは餓鬼ともいわれるこの世界へ転生しないためにはどうしたらいいのかと。これは霊的な訓練を、貪りのために行なってはいけないということなのである。では、霊的な訓練を貪りのために行なわないとは何かと。 つまり、この現世における顧望を成就させるために、例えば修行するならば、その人は霊的経験と貪りと両方増大させることになる。この、現世における願望を達成させる方法が、要するに邪道である戒律と、それから、邪道である誓い・祈りなのである。このようなものをしっかりと捨断することにより、あなた方は第三番目の低級霊域、霊界での餓鬼としての転生を免れることとなる。 では、第四番目に捨断しなければならないもの、これは何であろうかと。これは、性的興奮であると。性的憤激であると。ではなぜ、性的興奮、性的憤激を捨断しなければならないのかと。これは君たちもよく知ってのとおり、人間界へ転生するとき、普通のパターンでは、必ずその性的興奮をヴィジョンで見、そこへ飛び込み、そして人間として転生する。ということは性的興奮がなければそのヴィジョンが現われても、それを捨断することができるのである。 では、第五番目に捨断しなければならないもの、これは何であろうかと。これは、害心である。これは意識堕落天の世界が闘争の世界であることを理解したならば、この害心、他と戦おうとする気持ち、この他と戦おうとする気持ちが意識堕落天へ転生させるんだということが、よく理解できるはずである。よって、この害心を捨断することにより、意識堕落天への転生を免れることができる。 では、である。君たちが神聖世界へ入った場合、そこで意識が固定してしまったならば、どうなるだろうかと。これは当然、有限の間、享楽を味わい、そしてまた落ちることになる。よって、形状に対するとらわれを捨断しなければならない。これが、上分結の第一にくる形状に対するとらわれの捨断である。 では、君たちがもし、非形状に対してとらわれたならば、どうなるだろうか。これは、無色界へと転生することになる。非形状界へと転生することになる。よって、非形状に対するとらわれも捨断すべきである。 では、君たちが慢についてとらわれたら、どうだろうかと。君たちが慢についてとらわれたならば、君たちは最終地点の壁を破ることができない。よって、慢を捨断しなければならない。 では、君たちが憤激・興奮----つまり、「これが絶対の真理である、よって相手を潰そう。」とかね、「これは正義なんだから、それを貫徹しなければならない。」というふうな意識をもったらどうであろうかと。これは上分結の最後から二番目、上から二番目の世界へ転生することになる。しかし、この世界も有限である。そして正義というものは世界の構造により、世界の流れにより変わってくる。よって、これも捨断しなければならない。 では、君たちが、今自分が経験していることがすべてだと考えたらどうだろうか。これは、それより高い経験についての捨断をまねくことになる。つまり、非神秘力を捨断すること、これが君たちが最終的になさなければならないことである。-引用終わり--引用開始-http://sinri.wordpress.com/tag/%e8%b6%85%e8%b6%8a%e7%a5%9e%e5%8a%9b%ef%bc%91%e3%83%bb%ef%bc%92%e3%83%bb%ef%bc%93/超越神力2Saturday, October 7th, 2006第三章 娘に語る死生智の秘密その一 だれ一人知らないことを話すよ死生智獲得のプロセス(尊師)ウマー・パールヴァティーよ、それでは、これから死生智がどのようにして生じるのかという話をしよう。(アーチャリー)はい。(尊師)死生智は、もちろん宿命通がついていないと生じることは決してあり得ない。しかし、宿命通がついているからといって、死生智はつかないのである。 死生智がつくためには、まず瞑想のとき、そして瞑想からサマディに至りサマディのとき、暗闇に意識が没入する経験を、何度も何度も行なう。この暗闇に意識が没入する経験というのは、実際目の前に暗闇がどんどん見えてき、そして暗闇からまたずっと下りてこの人間界に戻るという経験を、何度も何度も繰り返すのである。 次に、代謝が異常に落ちる。ほとんど代謝していないような状態に普段の生活においてもなる。そして、精神を集中すると完全に呼吸が止まり、心臓がガクッとブロックを打つような形で止まる。もちろん、初めのうちはそれが大変怖くて、一生懸命心臓をまた動かそうという意識が働き、その意識にまた心臓が動くと。つまりこのとき、心臓を意識によって動かす訓練がなされるわけである。そのときの心臓は完全な停止状態でなければならない。 この停止状態を過ぎると、この人間世界だけではなく、いろいろな世界の光が下りてくるようになる。これは実際、ある程度詳しく死生智の項で述べているから、ここではその内容について説くのではなく、そのプロセスだけについて、ウマー・パールヴァティーにわかるように話をしたいと思う。 例えば、意識堕落天を経験する場合、右の気道から赤い光が下りてくると。これは、あくまでも赤系統の光、そのときのカルマの状態によって赤紫であったり、どんよりした赤であったり、あるいは真っ赤であったりするわけだけど、その赤い光の内側にヴィジョンが見えると。そして、そのヴィジョンの動き一つ一つ、例えば意識堕落天の場合、闘争のヴィジョンが見えるわけだね。例えば、野球、空手、柔道、剣道、ボクシング、あるいはバスケットボールとか、あるいはハンドボールとか、いろいろなそういう戦いの試合の場面が出てくる。もちろん、剣を使っての戦い。 そして、そこに集中してると、その右側の気道のその光が徐々に大きくなるように感じるわけだけど、実際はその光が大きくなるのではなく、そこへ飛び込む意識が、その集中するがために、その中に没入するという形になるわけだね。だから大きく感じるわけだよ。わかるかな。例えば、ここに小さな帯があったとして、その小さな帯に意識が集中すると。意識が集中することによって近付くよね、意識が。近付くことによって、大きく見えるようになるんだよ。 そして、その世界に入っていくと、徐々にね。この徐々に入っていくプロセスが何度も何度も繰り返されるうちに、はっきりと入っていくようになる。そして、そこでその世界の経験をして帰ってくるわけだ。 それからね、もう一つ面白いのは、これはあの修行者の場合、そのプロセスが変わるわけだね。例えばウマー・パールヴァティーの場合、初め人間界へ来世転生するとするでしょ。そうすると、人間界の世界の、例えばどんよりとしたブルーの光が射してきて、そこへ飛び込むと。次のア-チャリーのその転生のヴィジョンがずっと見えてくるという形になるわけね。これはわたしの場合だ(尊師)で、これはまあ例えばわたしの例だと、わたしはあの、ガンにかかった前後というのは、もうそのとき死ぬんじゃないかと、あるいは二年もたないんじゃないかという時期があったわけだけど、その一回一回によって転生先が違うわけだよね。 例えば、ある時期に死んだら、わたしが巨人軍のね、ピッチャーとして転生することになっていた。ウマー・パールヴァティーは野球を知っているかどうか知らないけど、要するに今の読売巨人軍のピッチャーとして転生すると。
2007.09.10
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