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闘魂とか炎の刃とかのネーミングをつけて、プロレスのリング上で試合をする選手とは、さぞかし筋骨隆々した無骨で無愛想な、大男なのだろうと想像をしていたのですが、軽く肩透かしをくってしまいました。勝手な思い込みとか一見の仕草で人様を評価してはいけないことは、以前から心にして、良く自覚をしていたのですが、まだまだ潜入観念をもてしまうもので、悪癖は過ぎ去ってくれません。昨晩にあった会食に、プロレスラーの大谷晋次郎さんがお出で頂き、短い時間でしたが自身の思いを語ってくれました。お会いする前に気になっていましたから、インターネットで検索をしましたら、ご自身のブログを発見してしまい、さらっとご本人の紹介とプロフィールを読むことができました。37歳、181センチの107キロの凛とした大男が、鋭い目つきをしてファイトポーズを作っている、勝負師そのものの姿が映っていました。会食会場に入って直ぐに、まったく初めての方ですから、お会いする前にあったプロレスラーのイメージをそのままにして、知りあいから紹介を頂き、名刺交換をさせて頂きましたが、ブログの写真とは全く違うごくごく普通の腰の低い方でした。まったく意外なことですが、威圧する大きな体格にはみえなくて、すこしだけ体格の良い人と思ってしまったほどで、大谷さんの講演を聴くうちに感じたことは、大谷さんの持つ人柄と心の優しさが、一層人を丸くさせて、柔らかく表現させてくれてしまうことに気付きました。語り口も当たり前に普通ですし、どこからもファイトポーズをとる職業の方とはイメージが沸いてこなくて、感動する体験談を話されて、講演の最後まで淡々と耳に聴きいれることができました。ご自身がプロレスラーとして自立をする際とか、入門をしてからの辛い修行時代の苦労話を驚きを交えて聞くことができましたが、勝負だけではなく他人の立場を視てとれる、寛容のこころと、抱擁のこころの配慮が随所に伝わってきました。確かに恵まれた健康体があっての、激しい勝負士としての道を、厳しく生きているのでしょうが、今ではゼロワンとしての事務所経営の責任者として、社長レスラーの重責を果たしています。プロレスの世界にはあまり興味をもっていなく、一歩引いて第三者的に興味をもっていたのですが、プロレスを通して、世の中の弱者救済を目指して、日々社会貢献に力を傾注させているご自身の熱意を聞かされたときには、大きな感動すら覚えてしまいました。特に試合で地方に巡業をする際に、小学生への元気と希望や夢を持たせる対話集会は、なかなか善意として行動できないことですが、積極的に青少年の教育に熱意をもって取り組んでいる姿に、改めて素直に共感を覚えてしまいました。ネットの中の厳しいファイトポーズからは、まったく他人であるかのような思いをさせてくれた大谷さんですが、ご本人の心豊かで純真な意欲を蔭ながら応援をさせて頂き、試合では厳しいファイトポーズをもって、大活躍をしてくれることを念じたいものです。
2009.09.30
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人に迷惑を掛けないために、その組織の責任者が率先して物事を決めてしまうような事態に、過去には何度か遭遇する場面がありました。人様のために自身の犠牲を持って奉仕をする気概があるのでしょうか、善意に捉えているのですが、その事業経緯を説明してくれなくて、事後の報告も触りだけの形式だけでは、なかなか集団の組織としては納得して行動ができないものです。今回の政権交代で鳩山総理のリーダーシップ振りや外交交渉の活躍ぶりが好意的に報道されて、メディアからも国民も大きな賛辞が送られていますし、今後の活躍が期待されているところです。これは情報を開示させている結果であって、国政の善悪は国民が判断することですが、まだ政権が初々しいこともあって、比較的理解し易い情報の開示からは、政府が抱えている諸問題について、それなりに思考ができる環境になっています。我々の集う仲間達も、なにかと仲良し組みとの狭義の妥協にすすむ帰来があって、お互いだけの意思の疎通を図る魂胆がみえみえしてしまい、組織全体としての理解がなかなかされていない現状を、本当に残念なことと思ってしまいます。もっともっとフランクになって、お互いが胸襟を開いて、自由闊達な雰囲気の中で語り合えることを期待しているのですが、人様の目線が気になるのか、一見して度々した態度で責任者の役目を捗らせている姿が、孤独で寂しそうに思えます。善意的に応援をしてあげる気でいても、何故か相談や問いかけが無くて、頼りにされていない自身を鑑みて、余りにも失礼だと勝手に考えてしまうのですが、これは、相手の方からの信頼が足りていないことを知るべきなのでしょう。グループの責任者が萎縮をすることは良くないことですので、そうした重い責任を軽減させてあげたい善意なのですが、なにか許してもらえない拘りを盛っていらっしゃるのかも知れません。人様が持つ間尺は計り知れないもので、全てが自分の価値観に同意してくれるわけでなく、反対意見やより優れた意見を見出すことも、その人の持つ度量ですので、是非是非極自然体の窓口になれる、頼りがいのある存在を、意識して浸透させていくことを認識しています。政権交代がされてから、保守的な慣習や惰性の社会が洗いなおされて、新しい時代形成への端境期を迎えているようにも感じられます。様々な政治慣習が払拭されている様子を見るときに、我々の身近な生活習慣も見直す必要にも感じています。政治思考は人様々な考えがありますが、これからの社会が変容する中で、誰ともが親しく政治談議ができる環境を望んでしまいますし、暮らし安い世の中の公僕として代議している、議員の責任感と意識改革を期待してしまいます。親しい仲間が集う中でも、時の責任者が萎縮しすぎたり、気を使いすぎることなく、公平な意見交流の場を作り上げる環境を心得て、少しでも応援をしていきたいものです。だれとでも、気兼ねなく談議ができ、意見の相違を認め合える心の余裕を、腑の中に納めて、より善い交流を積み増しさせたいものです。政策論争は専門の政治家に任せておき、我々仲間の親睦は、楽しい談議の会話から友愛が発信されていることを誇りにしたいものです。
2009.09.29
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人を見る目がなくて、とんでもないことを言い出すことが間々あるのですが、こればかりはなんとも致し方ないことで、だれに責任があるわけではなく、すべては自身の致す不甲斐なさを恥じるばかりです。ときどきに自身でも思っていることですが、初めてお逢いする方を自身よりも年長者にみてしまう、悪い得意技を持っていることが、その原因であることを知っています。こうした身勝手な心得方は、遥か昔の若い頃からの習性でして、自分の年齢がそれなりの頃には、お逢いできる方々が年長者であってくれましたので、勝手なイメージと実年齢が合致できていました。しかし時の流れは日々早く、あっという間に還暦が過ぎてしまい、社会の人口構成からしても、自分の年齢からもお若い方が多く居るのがごく普通の現状になっています。いくら高齢化社会に生活をしていても、日々生きる中では殆どの方が年齢的にはお若い方ですから、深慮しても、同年輩から年長の方との交流は、三分の一になっている気がします。ですから三人にお逢いして二人が年下でお一人が年長者になるのでしょうが、今も気持ち的には、お逢いできる殆どの方が年長者にしてしまっていますのは、自身があまりにも幼稚すぎるからでしょうか。今日も午後から来客があって、午前中の仕事を済ませてから事務所に戻ったのですが、約束の時間を少々遅れてしまった関係で、来客の方が既に到着をされておりました。慌てふためきながら名刺交換と世間話をしながら、この方は年上であると思い込んでしまい、一時間ほどの肝心な用件をすませてから、お歳をお聞きしたら遥かに年少の方でした。どの様に拝顔をしても、どのようにお姿を拝見しても、同じくらいか少しは年長の方と信じてしまっていましたので、またまた悪い習性を再現させてしまったものだと、自己反省をしているところです。意味の無い先入観念をもってしまっていることは、はなはだ良くないことを知りながら、年々加齢をしていく中で、少しは自己成長する観察眼と判断力があってしかるべきなのですが、変らぬあきれるほどの拙攻をしています。自分の顔の皺の多さを棚に上げてしまい、頭髪が薄いからとか、顔の皺が多いからとか、当てにならない外見の容姿で、人様を観てしまう悪癖を嘆いてしまっています。人様との交流ができることは、大変に勉強になることを知って、機会のごときとても大切にしているのですが、先ずもって人様の年齢を一方的に決めてしまうことは、なんとしても修正させる必要があります。来客の方も笑って許してくれましたが、年長者に観てもらえる年齢の世代にも限度があって、せめてもお若い年代を伝えてあげる礼儀が必要なほどです。こうした見方をする悪癖にも、きっと稚拙な能力を鍛える願望が基本にあってこそ、お逢いする全ての方から何かしらかの学びを得たいからと、少し穿った観方をしている昨今です。来客の方が分かれ際に言ってくれた言葉ですが、あなたは本当にお若いですね、と言われたのですが、何処まで本気で受止めて好いのか、此方も勝手な解釈をして、勝手過ぎる喜びを味わってしまいます。
2009.09.28
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昨晩遅くになってのこと、居間でパソコンを弄っていると、強いなんとも言えない個性的な重みのある臭いがしてきて、庭にある金木犀の臭いなのかと、カーテンを引いて辺りを見回すと、掃出し廊下に置いてある、サボテン科の月下美人の真っ白な花が、二輪満開に咲いていました。部屋に同居する愛犬二匹も気になっている様子で、揃って鼻をくんくんさせながら、歩き回っているほどで、真っ白い菊のような小弁を大きく開かせて、堂々と電灯の明かりの中で、満開の姿を魅せてくれていました。背丈1メーターのサボテンの中間位置に、1葉に二輪と、他の葉に一輪が蕾をもっていて、開花したのは1葉に二輪が同時に大きな花を開かせてくれましたが、葉っぱの先に咲く姿のアンバランスが面白いです。昼には屋外にある金木犀の満開の花からは、心地良い香りが匂ってきて、ひととき秋の風情を楽しむ事ができて、今の複雑な心情を少しは宥めてくれるありがたさがあります。昨今秋も日増しになって空気が澄んできていますが、虫の鳴き声とか風の清らかさが一層感じやすい環境になって、比較的鈍感な日常を過ごしている身ですが、空気が澄み切った感覚からは、伝わってくる様々な臭いや音を楽しむことができています。夜更かしをしている部屋の網戸窓からは、心地良い風が虫の鳴き声と一緒に入ってくるのですが、秋が深まる今の時期が、最高の生活しやすい時期になっているようです。思考能力も少しは向上してくれるようで、机の上の積読書も少しだけ捗ることができていますし、持つ頭脳が明晰するまではいきませんが、僅かばかりの働き振りが向上してきたように感じています。お彼岸も過ぎて、暑さも寒さも丁度良く集中できる環境があるのでしょうか、僅かな時間ですが就寝まえになってこっくりしてしまい、結果的になかなか寝入ることができなく、パソコンや書籍に目を通す時間がやたらに更けて行ってしまいます。意外なことに眼が覚めてしまった状況からは、思いもよらない冴え方がされてしまい、スイッチオンのハイテンションが実現して、億劫でほったらかしにしていた物議が、やたらと捗ることを経験できた時は、更けゆく時間を忘れるほどです。秋の夜長を満喫して、普段ほったらかしにしている案件を捗らせる絶好の機会とさせて、寒がりの身体で間もなく到来する冬の厳しさに萎縮する前の、僅かな季節ですが効果的な働きを励んでみたいものです。何処の世界にも晩生がいるようで、夏の時期に種の保存行為に出遅れてしまった奥手の蝉が、陽が照る日中に本当に身をほそる勢いで寂しく鳴いている様子は、秋の深さを一層感激深くさせてくれるものです。人様から晩熟といわれ、晩熟だと思っている我が身を誇り、鈍感で拙速ばかりの日常を過ごす身なのですが、秋の夜長にこそ、価値ある時間を有益なものとさせて、せめても人柄だけでも徳があるように、夜更けるなかで冥想を深めてみたいものです。すこしセンチメンタルな気分になれる今の時期を利用して、人を思い遣れる情け深い人徳を学んで身につけたいもので、今夜も、残る一輪の月下美人の花を愛でながら、自己徳の磨き方を思考錯誤させて深めてみたいと思っています。
2009.09.27
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世の中には暇な人がいると言うか、何かわけの分からない目安があってすることなのか、ただ暇の悪戯なのか分かりませんが、パソコンメールにはひっきりなしに迷惑メールが届いて、好い加減苦痛のピークになっています。パソコンはあまり技術的な分野は得意でなく、人からの入り知恵を真似しながら、メールの受信トレーからメッセージのタブを開いて、メッセージのルールから送信者をサーバーで削除するを設定してあります。この機能がどれほどの効果を引き出して、役に立つのか分からないのですが、毎日のように迷惑メールが届いて、この駆除作業がばかにならない無駄の時間となっています。一応メッセージの設定がされている為なのか、迷惑メールアイテムと削除メールフォルダーには、山ほどの仕分けされた迷惑メールが溜まっているのですが、短気になって全てを削除しようものなら、中には貴重なメールが混ざっていて、あとで泣くことがあるのですから、誠にもって厄介なことです。人の教えでは、メールマガジンのような多量に送信しているメールも、自動的に削除メールフォルダーや迷惑メールアイテムに入ってしまうことがあって、結局一応は点検をする必用があるのです。何度かこの作業をして、必要な未読メールを受信フォルダーに移す作業をしていますので、こうした細かなチェックをしていますと、まずもって、何でこんな無駄な時間を潰してしまうのかと、極々自然な悩みと愚痴が出てしまうのです。なによりも、この悪戯メールを送信する輩の魂胆が汚いし、理解できない馬鹿な奇態をしてくれて、まったくもって資質に欠ける無礼な人共に苦言を申し伝えたいものです。必ずや意図する利得があるからこそ、ばかげたことを繰り返しているわけで、単独とすれば利口過ぎた孤独なお人でしょうし、組織とすれば単細胞の塊が言葉巧みに働かされている様子が観えてきます。悪戯メールに書かれている内容からして、稚拙なことは説明するにも及びませんが、色と金が混在した大昔からの手法をそのままに、まったくもってネット時代のハイテクを逆行させた戯言を披露させて、いかに無知であるかを露呈させてくれています。ほんの中には、気の緩む魔の時間に、お誘いに乗ってしまわれた方もいるかも知れませんが、万に一ついや百万に一つの出来心的問い合わせを待っている輩には、いとも簡単で有効な手段としてのメールを、不特定多数の善良なる人々に、送信手続きをしていることでしょう。いまもメッセージからルールを作成で、迷惑メールの削除をしていたのですが、削除作業をし終わっている頃には、また新しい奇態なメールが届いていて、まったくもって善人と悪人のいたちごっこをしているようです。正義の味方は最後には微笑むことを信じて、こうした無駄な時間もあって人の世の中を知る、善良な大人としての脇前方を、余裕をもって粛々とキーボードを操作しているところです。
2009.09.26
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この世の中には、過去も現在も功なり名遂げる方が沢山おられますが、私淑するひとや親炙できるひとを、みつけることができる人とは幸せな方だと、心底感慨をもって信じております。いろいろな生きる場面があるなかで、様々に感化を受ける方とは沢山いるのですが、心の中から信頼をして惚れこめる方とは、現実の中にはそんなには居てくれないものですが、こちら側の気構えを持っていることの大切さは、どんな時にでも平坦にして判断をするべきことでしょう。何方を尊敬していますかと尋ねられたら、先ずは松下幸之助さんを率先して上げることでしょうが、一代で築き上た松下グループ企業の経営手腕もそうですが、なによりも幸之助イズムを徹底して部下や社員に浸透させた、強靭な真心と真理を追究した偉業に啓蒙されています。決して権力とか豪腕の力づくではなく、品格をもって唐突ながらも、部下を指導感化していく姿を、発行されているあらゆる書籍から何度も学ぶことができています。松下幸之助さんの若き頃からの人を育てる啓蒙意欲からは、PHPを創立させて活字によって意識を改革していく事業を知って、毎月郵送されてくる月刊誌のPHPを楽しみに待ち、誌内から多くの教えを請うた思い出を持っています。今も手にして読みすすめている月間誌致知10月号の中に、松下幸之助に学んだもの、という記事があって、松下電器に席をおいて、直接幸之助創業者から薫陶をえた、お二人の体験談を述懐してくれています。事業を進めるにあたっては、全ての判断と責任をその現場に委ねて、必ず現場の意見を耳にいれて、決して無理な言葉ではなく、相手の立場を思い遣って判断をゆだねたそうです。なによりも相手の考え方をじっくりと聞き入れて、その一切の責任を任せるのですから、現場の責任者の方からすれば、幸之助さんの意図するものを適確に掴み取って判断をする必要に迫られます。時の成功者の歩む道には、覇道と王道がありますが、幸之助さんの目指す道は王道で、決して破天荒な本気にならざるをえないわけです。静かな語り方でも本心をついて、王者である身で持っても、だれでもに平等に感謝の念をもってお付き合いをしてくれたそうです。人を褒め、常に感謝の念ともって人を畏れる幸之助さんの姿は、他人からすれば心もとなく弱さを感じてしまうものですが、持てる器と懐の深さや広さは尋常でなく、病気がちであった幼年の頃からの丁稚奉公から、天与の才能を社会勉強から肌で学び、己の芯の強さを磨いたことでしょう。事業の責任者との経営問答をするなかから、新しい知恵を創作して、幸之助さんが主導権をもたない人の豊かさとは、なかなか真似をすることができないものです。とかく人様との隔週ばかりに考えが行ってしまい、相手を思い遣る心に掛けてしまう日常ですが、私淑する幸之助さんの記事に触れて、改めて経営の神様であり、生き人間の神様でもあることを教えられています。扱う事業の規模は違が大きくありすぎますが、人としての生きる道は幸之助道をまっしぐらにして、足跡を学びとっていき、自己の人生理念を上手く構築させたいものです。
2009.09.25
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今月も間もなく月末を迎えるのですが、日々仕事で忙しく動き回っている時に、郵便ポストには色々な関係する機関の冊子や月刊誌の、最新号が数多く配達されてきます。業界から始まって地元商工会とか法人会とか、金融機関や様々な関係機関から様々な種類の冊子が届けられてきますが、余りにも数が多くて見切れない状態になっています。ページ数は大したことは無いのですが、冊数が結構あるために、積み重ねておくと百科辞典のような按配になってしまい、整理の時間が無い時には、机の上が本だらけの状況になってしまうことがあって、時にはうんざりとしてしまう時があります。できるだけ優先して目を通すことをしている心算でも、自分の意気地がないために、どうしてもパソコンの時間が多くなってしまい、なかなか老いた身体の疲れた目には、読書に気分がいかないもので、自分ながら誠に残念に思ってしまいます。今日も時間を作って、できるだけ目を通しておき、未読の書籍を整理しようと思っていたのですが、連休明けのメール返信が多くあって、午後からできるかと期待をしたのですが、ことは思うように行かなくて、外部からの電話連絡等で時間が無くなってしまいました。できれば少しでも役に立つ記事を見逃すことなく、一応はパラパラと記事を見てから整理を心がけているところで、冊子を開くことなく整理することはできない性格ですから、一層積んでおく高さが重なってしまいます。いつも反省をしながら自戒をこめていることは、二ヶ月間も明けていない書籍から、すばらしい文言を見つけることがあって、手をたたきながら悔しい思いをしてしまい、モット早く眼にすればよかったと、悔やむことしきりな時が多いのです。知る喜びを知ってしまっている身ですから、なおさらのこと、むやみには整理できないことを繰り返して継続している昨今でもあります。前にも同じ事を書いたと思うのですが、電車を利用した移動時には、できるだけカバンの中には未読の冊子を入れ込んでいますが、電車の心地良さに睡眠をすることが多く、なかなか思う意思通りには捗らないことを経験しています。それでも事務所や家にいるときよりは、はるかに効率よくことが運んでくれて、一駅ごとに進行が進んでくれて、電車の揺れとスピードが心地良くリズムをとってくれて、チェックができた満足感をもってカバンに仕舞うことができます。必ず身につける必用があるページは、ページの上隅を三角に折っておき、次回に再読できるように心得をしていますし、しおりを入れ込むところとか、後でパソコン内の辞書に書き込む必用がある時には、便利に活用を心得ているところです。きりの無い月刊誌や雑誌や冊子や、あれやこれやが入り混じって届く毎月号を、秋の夜長を活用して、整理の捗りを勧めてみたいと願っているのです。無理を承知で願うことは、全ての知識が頭の中にインプットされることを願って、相も変らぬ未読と新刊の書籍と月刊誌との、根性比べを続けることになりそうです。
2009.09.24
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浅学菲才とはよく言ったものでして、わが身を思えば、それこそ、まったく浅学でありまったく菲才でもあるために、読書をしても講演や討論を聴いても、理解できない言葉に数多くぶち当たって悩んでしまいます。ウエッブ上で分からない言葉があった場合は、その単語をコピーして辞書のページにコピーをして調べることが何度もありますが、書籍ですと辞書を片手にして、何度も何度も調べることとなります。読書能力がないことは理解できているのですが、辞書を調べて理解できた意味を、直ぐに忘れてしまう特技は、年々加齢とともに磨きが掛かってきて、繰り返し頭に記憶させるのですが、忘れることのほうが多くなりました。それにしても、分からない漢字や横文字が沢山ありすぎて、自分なりに苦慮していますが、最近になって経験したことは、テレビ番組でも漢字の読み方クイズがあることを知りました。夕飯時であったと思いますが、家族が観ている番組の中でも。結構難しい漢字が出ていて、読めない漢字や書けない漢字が、数多くあることを納得させられ、気が重くなってしまうほどです。番組の中で知った読み方や書き方を、一時は新鮮な気持ちになって記憶する努力をして、知った感動を楽しむことがあるのですが、番組が終る頃になれば、他のことに気がいってしまい、まったく知識力の積み増しには寄与されないままです。そんな日々に自己擁護をしたいことは、年齢のわりには、読書の時間が多くあって、まだまだ未熟の頭を磨く旺盛な意欲があることが嬉しくて、自身の若さの保持に繋がっていることを期待してしまいます。よく継続することは大きな力なりと言われますが、確かに継続することの意味合いは大きくて、頭脳の器量が小さいことを自覚していますと、自ずから繰り返しの勉強をすることの、ただただ必然と重要性を自覚することになります。具体的に何を得したことを誇れることではありませんが、あくまでも自己研鑽を目指して、その気力が継続されている日々を、もっと自覚しなければいけませんし、喜ぶべき大切な行為になっている気を確認するだけです。学ぶことの大切さは、老いてきた今こそ実感できることで、今こそその魅力に喜びを感じるようになっていますので、この気力と意欲を継続させて、それこそ大きな力となれることを信じたいと思います。何歳になっても謙虚になって、浅学菲才を恥らうことなく、学び取る意欲を継続していきたいものですし、少しは自身を誇れるほどに成長をさせてみたいものです。今回の政権交代を経験して、これほど世の中の価値観と判断力が大きく変貌する現実を知ることになって、世の中の流れの重さを実感していますが、政権政治とは国民が判断した選択結果であることを胆にして、ますます学ぶことの大切さと、継続できる気力の必要性を痛感しているところです。知る喜びは際限なくあることを自得していますが、いまの自分を価値ある存在であると、自弁の褒めたたえをして、謙虚になって叱咤激励をしてあげています。
2009.09.23
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パソコンが、事務所で使うオフイスコンピューターと言われてから、ほどなくパーソナルコンピューターに進化普及して、いまではPCは物凄い勢いで家庭内に入り込んで、一人に一台の割合で活用されています。パソコンを弄るのは日常的に普遍化されていて、当たり前の作業は当たり前の常識として、だれでも同じような基本理念と、情報内容を持つようになってきました。通信手段であった固定電話から携帯電話まで、FAXからEメールに至る、様々な通信手段を利用している中で、パソコンを介したEメールの交流は早く、余りにも日常化されてしまっています。PCが普及され始めの頃には、印刷屋さんがなくなってしまうと言われるほど、家庭の中に入り込んだPC機器から、家庭内で全てを印字させることができる能力と環境を、ごく普通のように取り入れてきましたが、印字する用紙の量はなかなか減ることはありません。以後の機器の発達によって、紙に印字をせずにパソコン内で保管したり、パソコン画面上の文章を直接送信できるまでに技術が進化して、徐々にですが、あまり紙の印刷物を手にする機会が少なくなってきています。様々な情報にしてもパソコン画面で自由に見ることができ、長時間の作業からは視力が落ちてしまうほどですが、それでも、印刷された書籍や冊子を読むことは、また違った楽しみな方と喜びがあって、毎月送られてくる月刊誌や冊子を読んでいます。業界からの定期発行誌やら、所属するロータリーの機関誌類や、ありとあらゆる書籍が机の上に積読状態になってしまい、目を通す時間が足りなくなっているほどです。カバンを持ち歩くなかで、必ず必携するのは、ロータリー関係の書籍と、月刊誌である致知が優先されて、時間があるときには目を通すことが修正になっています。特に電車の移動時には欠かすことができない雑誌が、月間致知ですが、加齢になればなるほど、じっくりと味わえることができ、色々な方が意味深い記事を書かれている、ものの考え方思い方感じ方を学ぶことが出来ています。どちらかと言えば硬い思考の文章が詰まっていますが、各地の読者の方が感じられていることや、信念にしておられる文章に接すると、改めて自身の意識が稚拙であることを知らされます。人には毎日同じように平等に時間が与えられていますが、なぜにもこうして思慮深い人になれるのかと、世代や年齢に関係なく、素晴らしい人生観を語れる方に接して、尊敬の念と敬意を表してしまいます。自分の悪い癖なのですが、ありとあらゆる雑誌に目を通す癖があって、一誌を熟読できない悪癖があるのですが、致知誌から得た情報や有意義な言葉からは、必ずパソコンのMY辞書に書き込む習性を心得て継続しています。パソコンと書籍や雑誌のコラボレーションを、いまこそ自由奔放に活用させて、年齢に関係なく自身の向学心と、自己形成に役立つことを心掛けて、品性を秘める活字とさせて、もっと楽しんで生活できるように願っているところです。パソコン画面から学び取る情報と書籍から学び取る情報が、頭の中で立体的に包括される時は、深い理解ができている気がするのですが、なぜかカバンに仕込ませる書籍からは、品格と奥ゆかしさが感じ取れてしまいます。
2009.09.22
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時代の覇者とは、人知れないものすごく孤独な人生を歩んでいる人たちであることを知って、やっぱりなんだと納得したり、えっつと驚いてしまったり、少々複雑な思いをしながら、昨晩のNHKスペシャル番組、ONの時代を食い入って観てしまいました。今では中老のお二なのですが、プロ野球ON時代の一世を風靡した時には、巨人軍の看板選手として、日本中の野球ファンどころでなく国民的な注目スターとして、プロ野球界で大活躍をしてきた方々です。長嶋さんは脳梗塞を患ってしまいましたが、その強靭な精神力をもって回復をされて、半身が不自由ながら一歩一歩自身の身体で歩む姿は自信にあふれて、話す言葉がにごってはいますが、自身が歩んできた野球人生に対して、大きな誇りをもって語ってくれました。インタビューの中で、長嶋さんと王さんが二人並んでバッターボックスに立った時にみせた、野球少年のような喜びの姿があって、瞬間に栄光時代のプレーが甦ってきたようで、活き活きと語りながら、現役バッターの仕草を思い出を語りながら披露してくれました。昨夜放送されたNHKTVスペシャル、ONの時代、を観て感動をしながらあの時代を思い返していたのですが、丁度小学校から中学に進学する時代で、大人も子供も一緒になって、国民的スターに憧れのファンになっていたと思います。テレビ番組からは、お二人が創造も絶する苦悩があったことを吐露してくれましたが、不調時の精神的な苦悩は重く、野球への怖さが募ったり試合の結果が悪くて精神不安定になってしまい、試合後に帰路できないほど、打ちのめされていたことがあったそうです。人の眼が無いところでは、ものすごい努力をしながら栄光の座を射止めても、その心の中は常に自身との闘いそのもので、常に孤独感が襲ってきたことは、大打者ほど何かに信じるものを求める人の性を教えてくれたようです。グランドでは強靭な身体をもって、ホームランやファインプレーの活躍をファンに魅せてくれたお二人ですが、人前ではみせることない苦悩と努力は、すべて自分自身との闘いがあったようでした。マスメディアを通して、ファンから天才と言われ努力家と言われたスーパースターは、毎晩毎日人知れない、厳しい孤独な練習を積み重ねていたことを語ってくれました。長嶋さんの言葉からは、華やかなグランドでのプレーを支える厳しい練習は、ファンの目には触れさせられないことで、深夜に自宅とか旅館の部屋で密かに猛練習をしていたそうで、野球への闘魂の姿が痛々しいほど理解できましたが、スーパースターを支えることは、練習以上の大きな自己研鑽があったようです。王さんも、年々ホームラン王の記録が伸びるほど、自己統制が強くなって人間的に大きく成長して、常に自覚しながら練習に励んでいたことを述懐してくれました。ON時代から50年もの歳月が流れた今、すっかり大人として全てを許し合える空間をもって、二人仲良く昔の思い出を語り合う姿は、心底相手を思い遣れる親友同士の立場ではないでしょうか。番組ではONが活躍してから50年の年月が過ぎ去ったいま、お二人をスタジオとグランドに出掛けてもらっての番組製作をしていましたが、いろいろな経緯をもったお二人も、半世紀の時間が経って許しあえる余裕ができたのだと思います。いまになってこそ、ON時代の真相を知ってもらうための、番組出演の協力になったのでしょうが、心置きなく心情を話せる人の豊かさとは、全てに裸になれる度量がある人ですし、とっても貴重な人生訓戒を伝えてくれていた気がします。
2009.09.21
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昔から言い伝えられている近江商人の商法ですが、商いの基本と言うよりは、生きる人としての姿勢を教えて貰えているようで、最近では人生の指針として座右の銘にしています。座右の銘にしている言葉とは、三方善し、と言う言葉ですが、売り手も買い手も世間もの三方が最善の商い結果を得れることで、全ての人が善いこと全てに分ち合うことができ、社会全体の利徳につながることができると言う心得です。近江商人は信用と言う大切な信念をもって、旅をしながら地方に出掛けて行き、初対面の人々に商品を買ってもらう努力をしながら、徐々に商人としての規模を大きくさせて、旅先でのお店を構えていくことができたそうです。見知らぬ街で見知らぬ人への商い事ですから、先ずは自分自身を信頼してもらう必要があるわけで、極自然のことなのですが、旅ごとに世間への信用を得る方策が身につき、年々のこと自身が磨かれていったことだと思います。世間があって自身が成長できることを一番知ることは、見知らぬ土地に行った時に、如何に自分自身を認めてもらえるかが、大きな要素となってくることを、遥か昔の経験で学んでいます。若かりし頃は近江商人のようにして、百科事典の営業に勤しんでいたものですが、人生経験が希薄なためなのか、初めて尋ねる街の珍しさにばかり気と目がいってしまい、よい営業成績を残せなかったことが悔います。ほぼ二年間の旅をしながら、新規の顧客開拓に夢中になっていたことが懐かしく思い出されてきますが、いまほど人生経験も無く、自身の考え方も若いままの、無邪気さがありましたが、それなりの人生経験が身につくことができました。それでも怖いものなしの胆だけがあって、行く先々の街で奇特な方に助けられ、飲食を定期的に提供して頂く機会があったり、その後の交流が続いて家族ぐるみの交流がされていたりして、若い荒削りな青年を育てて頂いた方々が沢山居てくれるだけ、幸せな思いを感謝しなければなりません。近江商人の諺のように、旅先での商いを成功させることが、結果的には自身を買って貰うことで、如何に信頼を勝ち取って、自身に投資をしてもらえるかを、今ほど確りと学び直す必要があると思ってしまいます。自分だけが善ければそれで善いとする勝手な考えで無く、お付き合いしてくださる相手の方も喜んでくださり、ともに利得をえながら、精神的な満足感を享受した結果として、社会還元がされる環境と仕組みは素晴らしいことだと思います。これからの自身が、何処まで成長出来るかは分かりませんが、遥遥昔の旅商人の経験を思い出して、近江商人の解く、三方善し、を改めて学びながら、身と心に浸透させていきたいものです。先日に書籍とかテレビ報道で知ることになった、伊那食品工業の会社の経営方針が、近江商人の諺とまったく一致していて、経営者の塚越 寛さんの社是社訓の理念を勉強しているところでもあります。いまこそ必携として座右に添えることができる、三方善し、の言葉と信念を噛み締める自覚をもって、世の中を目指していきたいものです。
2009.09.20
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人の行く裏に道あり花の山と言う諺があるように、当たり前のようにして人様の後に付いて行っては、当たりまえのことしかできないことを教えてくれる言葉があります。 よく投資をする人が遣う言葉ですが、人並みのこと以上の成果を得る為には、人が避けることをしなければ、大きな利得が得られないこの意味ですが、人様々な判断基準があって、時々の選択肢を暗示しています。今朝に好天気の中都内に用事があって、車を使って家族と一緒に出掛けたのですが、下り車線は観光地に向う車で大渋滞でしたが、都内に向かう上り車線はがらがらに空いていましたから、予定時間よりも遥かに早く到着できました。余裕ができた時間を有効に使うことができ、お陰でデパートを散策できる一時ができて、何年振りでしょうか、家族が揃ってぶらぶらとお店を眺めることができ、最新の流行を目にしながら楽しむことができました。午後に亘って用事を済ますことができ、空いている都内を循環するように何度か巡って、久し振りのミニ観光をすることができました。帰路にはここ暫くの間ご無沙汰している義母の施設に向かい、元気付けをしてきたのですが、何度か定期的に訪問をするうちに、係りの方々と顔見知りとなって、入所間もない頃の不信感が薄れていることを感じることができました。お世話になって真もなくの間は、スタッフの方々へ多少の不信感があって、お腹の中から信頼関係を得ることができない時間があったのですが、顔をみながら挨拶をすることができる余裕ができてきました。義母もすっかり落ち着いて、自分なりの生活をすることが出来ているようで、おどおどした不安感が薄くなっているようですし、施設の行事には積極的になって参加してくれているようで、訪問をする度に安堵の思いが強くなっています。帰路の車内では、こうした義母の明朗な姿を喜びながら、家族の談義が弾んでいたのですが、何時もの帰路が異常な渋滞となっていて、まったく動かない状況に痺れを切らしてしまい、右だ左だと脇道に切り替えしてみたのです。結果的に行く道が混雑していて、何故渋滞なのかも情報が取れない苛立ちが募ってしまい、家族が協議をしながら道選びをすることとなりました。脇道を進む内に知らない街に入ってしまい、方向感も距離感の判断もできなくなってしまい、迷路を暫く走ることとなってしまい、無駄な時間が積み重なってしまったのです。普段通りに高速を走って帰路すれば一時間もかからないうちに、余裕で帰宅できるものを4時間もかかってしまい、漸く帰宅できた時には夕飯の時間も過ぎていて、すっかり乗車疲れでぐったりしてしまったのです。家族揃って食欲も無く、ひたすら睡魔が襲ってきて疲労感が強く、まったく不愉快な思いをしているのですが、頭の中では迷路の走行模様が走馬灯のように駆け巡っています。大きな反省として、物凄い渋滞をしていた何時も利用する幹線道路を、じっと我慢をしてついて行けば、結果的には早い時間で渋滞を切り抜けて、ほぼ順調に高速道路に入ることができたのかも知れません。人の行く道の裏裏と余りにも読みすぎた結果が、最悪の結果を呼び込んでしまいましたが、車内の家族は、4時間もの会話を有意義に楽しむことができ、家庭的にはすばらしい一家団欒とできました。人が行く裏の道には花が山になっていたことを、家族の個々が確認でき、渋滞をプラス思考に切り替えてくれたことが、何よりも得をした良い気分になれました。
2009.09.19
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取引先に提出する資料を作成するために、昼食をそこそこにしてエクセルに数式を入れる作業に専念していたのですが、間もなく異常に空腹感がおそってきて、結果的にはおやつをたっぷり頂くこととなりました。健康を害してから、お医者さんや栄養士さんが指導をしてくれた、カロリー制限と減塩を出来るだけ守っているのですが、極端な小食を続けますとどうしても元気が無くなってしまい、瞬発力に欠けて身や気がしぼんでしまうように思えます。2月の入院時の体重が65キロでしたが、看護師の方から60キロに落としなさいと指導がされていたのですが、入院中は変わらずで無理と思っていました。退院をしてからは、暫し衝動的に増量リバウンドがされて、漸く半年の時間が掛かって60キロの体重に安定してきました。人の生きる中での急激な変化は弊害が多くあったり、大きな揺り戻しがあるようでして、そこそこ落ち着いた良い結果が望めないことが多いのですが、身体の病を治癒することも、物事を捗られることも、人間関係を構築することも、すべてに焦らず時間を掛けていくことが寛容な気がします。急激な改革をすることよりも、時間経過の中でなだらかに穏便移行することを望んでいるところですが、世の中の激変する流れの中では、あまりにものんびり過ぎる応対をしていますと、世相の激流に弾き飛ばされてしまう気もします。先日から大相撲秋場所が開催されていますが、取り組みの一番一番を土俵の中で塩をまきながら、お互いの力士が勝負の間合いを盛り上げていくような、こうした気合準備時間としての図り頃合が大切に思えます。決して焦らずに、急がず慌てずに間合いと頃合いを見極めていくことは、とっても大切なことですが、これは自身が経験することから、そのタイミングを会得することが一番の学びごととなってきます。何事でも、頃合や間合いを見極めできることが、大事になっていることには間違いが無く、時代背景や人間関係の人柄を見極めできる、見識力と観察力を磨いて、時々の判断を適確にさせたいものです。ここ一番の力の要れ処を心がけて、相手を勘違いすることなく、時と場合を勘違いすることなく、確りと情報を判断する力を養いたいものですし、価値を生み出してみたいものです。拙攻は巧遅に優るそうですが、巧遅にあう人もいるはずだし、巧遅こそがわが道として王道になっている人もいるわけで、穏やかに遅々として歩み続ける亀のごとき、自身を見極めてみたいものです。別に誇ることもないのですが、人情が厚い分スローペースが似合ってしまう自分が、のろのろ歩むその先にある、輝かしいゴールに向っていることを信じて、一人孤高になって強い強い確信をしています。
2009.09.18
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見知らぬ人との集まりの仲では、意外なほどの無関心で無愛想になっている場の雰囲気があって、もう少しお互いが思い遣る心を持ってくれることを、それぞれの多くの方が心の中で思っていることを信じたいものです。電車やバスと言った生活する移動空間ならまだしも、同じ建物の部屋の中に集まった人であれば、ある程度の心の余裕があっても良く、和みの空間から安心感が生まれて、ホッとする空気を感じることができれば、もっと仲間意識がうまれてくることでしょう。午後に時間が空きましたので、5年更新になる運転免許証の書き換え手続に行ってきましたが、免許センターでの手続は流れ作業の中で、人の列を乱すことなく静寂に進むことができました。平日なのか時間帯なのかは分りませんが、すんなりと手数料の納付が終わって書類の審査も終わり、視力の検査になったら右目が霞んでしまって見えない状態で、検査官が何度もやり直してくれたのですが、結局のところ特別検査室にいくこととなったのです。特殊な機器があるのではなく、係官が一対一の丁寧な検査をしてくれたお陰で、なんとか許可を得ることができ、すべての手続を終えることができましたので、最後の写真撮影の椅子に座ることができました。安堵感からニッコリと笑顔をつくる気もあったのですが、顎を引いてください、と係官の一言であっけなく普段の顔となって、これからの五年間をお付き合いすることとなりました。最後に優良運転者講習を受けるために、二階の指定された部屋に向ったのですが、免許センターに入ってから無駄口は一つもなく、ひたすら事務的な言葉だけで講習室の人となりましたが、僅か30分の講習が無気力なままの空気が流れたのです。講師が最初に声掛けしてくれた、みなさんこんにちは今日はご苦労様です、の言葉に反応が全くなくて、何度かあった質問や問掛けに対しても、最後の終了挨拶までも、一切無反応な冷たく醒めた様子を体験することとなりました。係官の役目とは言え、一生懸命に指導や講習をしてくださる人の立場に、まったく感謝をする気は無く、集まった人は性格上20歳以上の大の成人が座っていたわけで、皆さんが大人としての礼節を欠いていたとも思えないのです。係官からの挨拶にははっきりと返事をすべきか、低頭をするかの意思表示をして、投げかけられた問掛けには、それなりの返答をする心掛けは持ちたいものですし、最後のお礼を伝えるまでは、大人としての礼節として弁えて言動をすべきと思ってしまいます。免許書き換えの手順や講習が、義務的に仕組まれている事実はあるのですが、不特定多数の人が一時多く集まっている部屋のなかでは、せめても、律儀な大人の態度はほしいものです。かく言う本人も同じような不義理をしていたようで、本人が一番反省をしなければいけないのですが、一番前列に座ってできるだけの声を出して応答していました。免許証を受け取る際に観察された、無言で受け取る人の多さを嘆いてしまい、なぜ一言のお礼をもって、新しい免許証を手にすることができないのでしょうか。係官が最後まで無表情に説明をされたことは、毎日無味乾燥の講習を受ける人が多くいることを知らされ、さぞかし係官の心も空しくなることでしょう。まるで機械同士が向き合っているかのごとく、テレビや映画を観ているような、人間性を感じない無感情空間の講習終わったのですが、最後に新しい免許証を手にする時に見せてくれた笑顔から、ようやく皆さんが人の心をもっていることを確認でき、安心することができたのです。意外にシャイな国民性があるのでしょうが、適時適度な意思表示をはっきりとさせて、係官も講習生も活き活きとした環境を構築させたいものと、一人最前列に座って暫し訝ってしまいました。
2009.09.17
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15余年ぶりの与野党逆転の政権交代がされて、自民党から民主党の総理大臣がチェンジされ、今夜から新しい大臣とともに新政府が稼動しようとしています。先の衆議院選挙において当選された新人の国会初登庁の模様がテレビで報道していましたが、深夜から一番乗りを目指したりして、皆さん初々しく緊張をされている感じがして、背景に映る異様な大きさを誇る国会議事堂の姿が、立法府の厳しさを見せ付けているように感じました。一番乗りが形ばかりのパホーマンスにすることなく、確りと国民の代議の役割を付託できる、責任と誇りをもって大きく成長して欲しいものです。民主党が主張する政治改革とは、あくまでも国民目線での生活を構築させることなのでしょうが、内閣と国会が一体になってくれて、我々庶民の生活安定の基盤を磐石にしてもらいたいものです。国家が二大政党化してくれることで、国民の目線からすれば、非常に政策事態が理解されやすくなって、政治に対しての見方と判断がしやすいことは、大変に喜ぶべきことです。誰でもが支持する政党や政治家をもっているのですから、こうした与野党の政権交代は、反対政党からみれば、不満や不安やいらだつ源泉があるのでしょうが、自然界の摂理からすれば、入れ替わる潮の流れの勢いが脈々と流れている気がします。鳩山政権は脱官僚と政治主導を目玉にしていますので、全てがゼロベースにシフトをし直して、政治家が官僚に作業を指示することになり、新しい鳩山政権の手腕を期待したいものです。漸く政治家の実力が発揮される環境が整ったようで、国民から圧倒的な支持を得た責任政党として、是非是非安心した生活ができるように、内閣が主導した頼りになる姿を確立して欲しいものです。鳩山総理の記者会見の言葉からは、感激と高揚を強調していましたが、記者からの質問に言葉を選びながら丁寧な応答の姿勢からは、まずは謙虚な姿勢で信頼される政府を、受止めさせることができたようでした。会見の様子から感じることは、友愛を掲げる首相らしく、心ある丁寧な言葉が印象的でありますし、語彙の豊かな表現がわかりやすいのですが、きれいな言葉だけでなく、有言実行の信頼される政府を創り上げてほしく思います。政権内部の事情を優先することなく、あくまでも国民視線の分かりやすい情報公開と伝達をしてもらい、二大政党の真摯で厳しい論議から、一番効果的な政策を創り上げていくべきです。我々国民も、一定の既成観念を持ち続けるのでなく、素直になって頭の切り替えをしていくべきことでしょうし、優柔に政治を直視できるだけの関心能力を身に付けて、新政府の施索を見守っていきたいものです。新しい政権からは、日増しにすばらしい政策結果を生み出してもらい、活気ある日常と将来の展望が朗い気分を、心の中からの喜びとして、国民の名誉を味わいたいものです。
2009.09.16
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大リーグ通算2000本安打の大偉業をつい先日に達成させた、鈴木一郎さんことイチロー選手が意図も簡単にヒットを積み重ねて、ついに大リーグに移籍してから通算して、9年間連続の200本安打を達成しましたことは、世界中の野球ファンを感動させてくれました。連日のようにメディアからその快挙を祝って報道がされていますが、イチロー選手のことばから、人との戦いから開放されました、とちょっとばかり感激をみせながら、コメントをされていました。テレビ画面下のテロップでは、人の記録から解放されました、とコメントに無い記録の文字を加えてインタビュー内容を補足してくれていましたが、人が達成された記録を追い越すことは、並大抵の重圧と格闘する厳しさがあったことでしょう。。野球は9人が選手となってグランドで戦う団体プレーなのですが、一人一人の投手から始まる役割の個人成績の結果が、チームとしての勝敗を決定させるものです。時と場合によって、様々な状況を各選手が想定をしながら、攻守にわたって個人の能力をベストに発揮させるべき時に、相当な責任感と言うストレスが圧し掛かってくることは、子供の野球チームからプロ野球まで同じことがいえます。正選手として毎試合に健康体で出場しているイチロー選手が、攻守に亘って活躍をして、チームの勝敗に大きく貢献をして、自身の成績を果敢に伸ばしている姿は、野球ファンでなくても魅せられるものです。守備にしても超人的な技で塀際の飛球を捕捉して、強肩をもってレーザービームのごとく、捕手に返球をするすばらしい姿からは、超芸術的な美技であると感嘆してしまいます。世界的な成績を残した打席にしても、振り子打法を自己貫徹するまでは、外部からの様々な忠告を固辞し取捨選択をしながら、打法を厳しく磨き上げてきた報道がありました。毎試合ごとの練習でも、ひとり、試合前の時間をたっぷり掛けて準備運動に徹して、孤高になって野球に徹底して対峙していたようです。チームマネージメントやメンバーにも安易な迎合をするのでなく、徹底した意思の貫徹を目指して、一心に野球に取り組んだ姿勢を讃えているのですが、技量の素晴らしさもありますが、それ以上に完璧なまでに、孤独な思考が背景にあることを信じてみたいものです。チームの中で孤高になることは大変な努力と忍耐が必要ですが、あえて、一人ぼっちの心技体を確認しながら磨き上げていく姿はイチロー選手だけでなく、我々の生活のなかでも役立たせることを目指すべきことでしょう。なにかと斑意識と仲間に迎合することが、習慣的な生活になっている人間の性がありますが、あくまでも孤高な立場を構築させながら、人様が築き上た栄光の個人成績を乗り越えるためのチャレンジは、厳しい自己形成と管理がされなければ、これほどまでの完遂ができないことだと思うのです。野球における技術も大切な要素なのですが、それ以上にすばらしい人間性を発揮させ、イチローと言う芸術家が自分と言うスタジオに閉じこもって、全身全霊で打ち込んだ作品の結果が、走行守に亘っての好成績に結びついているのだと信じています。偉業を成し遂げたイチロー選手に、親愛なる敬意をはらいながら、社会と言う組織のなかに生活する我が姿を、安易な迎合をすることなく、孤高な生き方を一日一日の積み上げを貫き、メリハリの有意義さを学んでみたいものです。
2009.09.15
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何度も何度も同じ光景を書き込んできた覚えがあるのですが、我が二階にある事務所の蓮向かいには、こじんまりとした駄菓子屋さんがあって、午後からは大盛況で賑わっています。久し振りに聞く子供達のはしゃぐ声が嬉しくて、久し振りにご近所が活気に満ち溢れていますし、子供が騒ぐ元気な声からは、躍動するパワーを分けて貰っている気がします。秋の澄み切った空気のせいなのか、まるで隣で話をしているごときで、無邪気に交わす話し声が伝わって、まるで自分が子供のころに溯ってしまった気をさせてくれました。純粋な心をもって純情に行動をする子供達の遊ぶ姿が、澄み切った純真な声を聞くだけでも、容易に想像ができますし、はるかに大昔の自己記憶が溯ってくるようです。特に今流行り的なハイテクの目立った遊び道具も無く、駄菓子をお店に並べてあるだけの、いとも簡単で古風なお店なのですが、結構子供達の人気集まり場になっていて、お店の前の横丁の道路がコミュニテーセンターの役割を果たしています。男の子と女の子が分かれて陣地を作って、それぞれが無心になって遊ぶ姿が、極々自然な風景に溶け込んでしまっていることが安堵感を誘って、皆で遊ぶ時ほど安心をしあって、心底からの無邪気な時間になることを教えてくれています。それでも夕刻の時間を迎えると、数組の遊ぶグループが時間とともに少なくなって、おそらくは塾等に行って勉強の準備があるのかも知れませんが、大人びた賢い現代っ子を仄々と眺めることができました。夕闇となった今の時間では、すっかりコウロギの声が賑やかに切り替わっていますが、街路灯が煌々と照らす駄菓子屋さんの役目を思えば、商売に関係なく大きな地域貢献を果たされていることが、地元に住む身としても大きな評価をしてあげたいものです。ご近所のお宅によっては、清々しい空気を窓から取り入れていたいのに、子供の声が五月蝿くて、迷惑を蒙っている方もいるのでしょうが、少子化のいまこそ、寛大な気持ちになって、地域の子供達を健全育成できることに、心を傾けることが大切だと思います。翻ってみれば、集団の大人の世界でも同じような光景が見ることができ、様々な思惑をもった大人のグループがあって、かってに誹謗中傷をしている姿が、まるで子供の遊ぶ姿と重なってくるのですが、いかに不順な心になって、私利私欲の無謀さが許されるものではありません。あくまでも純心になって遊ぶ姿が清いのであって、邪心や傲慢な心がないことが、和気藹々と子供心を一つにさせることを知るべきです。人や世間に対しての横暴さがまかり通る無鉄砲な意識とは、すべてに自分だけに軸足を置いてしまい、人の立場を考えない思い遣りの無さは、人がもつ心を荒廃させてしまいます。鳥や昆虫や自然環境が息吹く仲で、純粋な子供のパワーを発散して貰える場を、何時の時代も身近なところに確保ができることを願ってしまいます。蓮向かいの駄菓子屋が貢献している役割の大きさは、政治とか行政がもっともっとサポートをしてあげることが大人の役割になるのでしょう。まったく政治力に期待をしていなかった、昔の村社会の地元人が請け負った人情だけの役割のほうが、きっと上手く育成と手助けができる気もしています。子供が無邪気になって遊んでいる姿が、いまほど貴重になっている時代背景がある気がするのですが、果たして自身が背負う役割もじっくりと確認したいものです。
2009.09.14
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散歩の道すがら、高齢なお婆ちゃんが乳母車を押しながら一休みをしていて、じっとこちらを眺めている様子に遭遇しました。午後から差し込むような陽を受けて、きっと疲れを取るための休憩をしているのだと勝手な思いをしながら目の前に行ったら、ニコニコしながら親しく名前を呼んでくれました。名前を呼んで頂けるのですから、それなりの関係があった方でしょうが、此方のほうがどちらの方なのかが良く分らずに、少し怪訝な顔をしながら、頭の中では思い当たるための情報整理が大変でありました。そばに来て良く観ると、手にする小型の乳母車状のものは買い物用の四輪車で、中には結構な買物品が一杯詰まっていることが判明して、おそらくはご近所の方だと推測をしながら、思い切ってどちら様でしょうか、と伺ってみました。すっかりお顔が老けてしまいましたが、忘れていたご近所にお住まいであった方を思い出して、20年ほど前の自治会活動の模様を話し合うことができました。春先にはご主人を亡くしてしまい、今では隣の街に引越しをして、毎日散歩がてらに昔の住まいの周りを、懐かしく通ってきているそうでした。すっかり世の中が変ってしまい、若い方との交流がなくなってしまい、ご近所のお付き合いも希薄になってしまい、ついつい昔の住まいがあった街に安堵感を求めて、お付き合いがあったお宅を眺めることが嬉しいそうです。齢90歳のおばあちゃんのご主人とは、草創期の新開発された住宅地の自治会を運営して、何事にも積極的に奉仕をしあった仲でしたから、話をするほどに懐かしい思い出が甦ってきて、生存していた親父共々、開発されたばかりの街づくりに励んだものでした。ご近所の散歩時に、こうして気さくに声がけをして頂けることは、最近になってからは、なかなか機会が少なくなって、お互いが素知らぬ振りが勝手にできる、ご近所の友愛が寂しくなってきました。立ち止って待っていてくれる人情がとても嬉しいのですが、自分が逆の場合はどのように対応しただろうかと、反省をこめて一瞬考えてみたほどです。おそらくは、歩む先を急いでしまったことだと思いますし、心に持つ情愛が薄れてしまっている現状は自身も変らないと思います。それでも、同じ世代の方が腰痛が原因で脊髄を手術されて、一歩一歩時間を掛けながらリハビリで散歩をしている時に出会うときは、できるだけ元気付けの声を掛けてあげます。歩行困難な姿を卑屈に感じて、世間から逃避をしている様子がありますので、できるだけ長い時間の会話ができるように心がけてあげてもいます。愛犬との散歩時にも、庭先や家の中にいらっしゃる方を見かければ、必ず時候の挨拶を欠かさないように心がけていますが、なかなか心の中までの温かな情愛が感じられない世相が寂しいものです。今夕は愛犬を散歩に連れ出している方との交流が数多くあって、久し振りの散歩となると、結構初めてお会いする愛犬家も多くいて、犬好きな気心が合うためなのか、気さくに挨拶ができたことが収穫です。政党政治がチェンジされましたので、我々の気心も改善させる自己修練をして、住みよい街づくりの一端を担っていき、住み易い世相になってくれることを、お互いに心がける責任を自覚して生きたいものです。
2009.09.13
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場の雰囲気や気候によってその時々の気分が左右されることは、自分の性格、そのことが分っているからこそ、空しく寂しい感情を持ってしまうことがあります。昨日に東京であった仲間の集いでは、でかける前から気分が高揚して、普段の陰気な思考が消え去ってくれるのが分り、ウキウキした元気をもって、積極的な交流をしてきましたが、今日になってみれば、お天気が曇天で肌寒く、まったく気分が滅入る日になってしまいました。輝くお日様のありがたさを思い知っているのですが、この歳になってまでも、お天気模様に心情を揺さぶられては、太陽の輝きにその精神的な救いを求める幼さが可愛いものです。どんな状況においても、泰然自若の平常心をもってこそ、この厳しい世の中を粛々と生きていくことができますし、漲る自身を心に宿して励んでいかなければならないことを、今更ながら揺れ動いているのは如何なものでしょうか。事務所に閉じこもっているから、こんな幼稚な弱さに滅入っているわけで、一歩外にでてみれば生きるが為の熾烈な競争があって、街中が活気をもって人の流れに息吹きをもって、その目的意識に専念を向けている姿が晴れ晴れしいものです。目をきらきらさせて意欲をもち、それぞれの目的にむかって励む人の心は活き活きと弾んで、傍目からも躍動感があって誇らしいものですし、大きな元気を発揚させてくれるものです。精神的な波動が自然であればあるほど、時々の活性のコントロールをできることを心がけて、剛毅な明朗さからは他の人への輝きになって、大きな元気を分け与えることができるお天道様の役目を果たしてみたいものです。天候が曇天であっても雨天であっても、自身がその太陽のエネルギーを変ってあげる明朗な意識をもっていれば、どれほどか自身の活性化につながり、世の中の人々をプラス思考にさせることができるでしょうか。一人滅入ることは勝手なことですが、生活する周りにおよぼす悪影響を思えば、勝手な言動は許されるものでなく、すくなからずリーダーとしての素養もないことを、誠に残念な思いをしてしまいます。生きていればこそ、何かしらの責任を負わされて、責任を果たす必然があるわけで、個々の我が儘は一番破廉恥な行動になると思っています。人それぞれが具わっている器量も、全ての人が全知全能のパワーを発揮することができるわけでなく、正しい元気な生き様を知ってこそ、意義ある陽気さと元気さを醸し出すことができることでしょう。ピラミッド組織のなかで頭の上からの指示だけを待つ身と違った、重い責任をきっちり果たすためにも、良き見本として観られているすばらしい指導者とした大らかさを、太陽の恵みとさせて提供できることを心がけてみたいものです。
2009.09.12
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昨日の事務所でのか弱な状態を曝け出したことは、決して剛毅でない気の弱さを露呈させた時間になったのでしたが、所属するクラブ記念例会のDVDを観ることができたことから、病んだ精神の洗濯ができて、随分冷静になってことをはこぶ環境になっています。それこそ青菜に塩ではありませんが、しぼりきっていた気持ちが膨らんで、少しでも張りがでてきて、感情的に落ち込んでいたものが、DVD画像を観るうちに、亡くなった仲間や去ってしまった仲間の元気な姿に接することができ、当時の勇気をもらうことができました。教条的とか教訓的な環境ではなく、人の持つ温かな心を通して、しぼんでいた心に新鮮なエネルギーが注入されたのでした。二年前に亡くなった初代会長からは、手をとって様々な指導を受けることができましたし、姉妹クラブや他クラブへの折衝ごとの窓口を指導して戴きましたし、今年亡くなったお仲間とは、台湾と韓国の姉妹クラブの訪問時に、無くてなならない存在の、友愛価値をもっていました。このお二人とは、なにかと気があったのでしょうか、ご縁が深かった思い出が多くあり、旅先での逸話も数々残されていて、DVDから観るお姿を観て、そのひとつ一つが懐かしく思い出されてきました。大きな身体に似合わないほど繊細な気心をもって、加齢とともに意外なほどと思うほどの小心になってしまい、一人して取り越し苦労をする姿をみせていました。ご一緒した数々の旅先のホテルでは、夜通しの語りがされて、寝不足だけの思い出が残った旅先もありましたし、お人好にお付き合いをしてあげた思い遣りのことが、せめてもの償いであったのかと思っています。日がとっぷり暮れた事務所に一人残って、DVDの画面から流れてくる行事の模様と、重なるようにお仲間との楽しかった思い出を繰りかえして、深い友愛の記憶の確認をしていたところです。大変にお元気であった頃の、お仲間の思い出を走馬灯にさせながら、沈みきっていた気を元に戻すことができましたことが嬉しくて、感化させて貰えるお仲間の価値に、今更ながらありがたく感謝をしているところです。相互に刺激を受けることができる存在を目指して、意義ある仲間意識をもって、幅広く交流を広めていく必用がありますし、自心を凛とさせる発揚を心がける必用を感じています。すべてにご縁があっての交流があるのですから、亡くなったお二人のお仲間の慈愛を受けついて、日ごろの生活に勇気と活力を享受させて頂き、元気に励んで生きたいと念じているところです。多くの教訓を頂くことができ感謝をするだけでない、ご縁から開く友愛を有益な伝道とさせることを生き甲斐に、新しい目標を創作させることが嬉しく感じています。
2009.09.11
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午後からお役所に出向いて、諸々の相談事をしてきたのですが、期待していった返答が非常に厳しい環境があって、少々精神的にナイーブになって事務所に帰ってきました。椅子に座ってから、なにをどうこうすると言う積極的な行動も無く、少々ネガティブな弱さをもって、懸案事項の解決策を模索しながら、無心になって天井を眺めていたときに、ごく自然にDVDの棚に手がいきました。精神的に弱ってしまった悲哀さから逃避する為であったのでしょうか、気を癒す為に本能的にそのDVDを探したかは、自分でも確信がもてないのですが、ごく自然の流れをもって3年ほど前に開催された、所属するロータリー・クラブの30周年記念例会時の記録を観る気になりました。ほぼ三年ぶりのDVD観賞となったのですが、つい生き抜きにと思ってしたことが、どっぷりとのめりこんで最後まで観てしまったことは、三年間のうちで二人の大切な存在であった仲間を亡くしていたのです。周年行事の記録はそれなりに懐かしかったり、当時はまったく知ることなく、忙しい立場に居た身では気付かないことが多くあって、改めての感激する場面に遭遇したり、一場面一場面の情景を懐かしさとともに、とっても幸せな気分になって見入ってしまいました。特に姉妹クラブがある台湾と韓国からは、大勢の仲間がお祝いに駆けつけてくれて、その友愛溢れる交換風景画に見とれてしまい、何度も繰り返して魅入ってしまったのです。姉妹クラブの両国には無くてはならない、クラブでは名物的な会員のお二人も、とっても素敵なニコニコ笑顔でもって、会場を賑わせてくださっている様子が、懐かしい思いをさせてくれました。初代会長の役割をもって、創立当時のご苦労な難事を先頭をきって励んでいただき、その様々な奉仕事業の立ち上げをご尽力くださり、両国の姉妹クラブの締結にご苦労されたお話を聞かされてきました。30年も前のことですから、何をするにも前例が無く、すべてに開拓者精神を発揮されて、単身であったり時には奥様共々事業の発展に寄与されて頂き、我々はありがたく感謝をしなければいけません。こうしたご苦労された礎があるからこそ、気を楽にして日常のクラブ運営ができていることを確りと受止めなおして、恩返しにするためにも、より一層すばらしいクラブに発展させなければならないことを教えてくださいました。DVDの途中のご自身のメッセージが、元気をだして頑張っていこうや!と声がけをしてくださったのですが、当時は病魔を抱えての登壇であっただけに、今から思えば限りある余命の時をご存知にして、気丈にお話をされたことを確信できたのです。入院先の病院から栄養剤と輸血をうけて駆けつけてくれまして、とっても大きな役目を果たされてくれたことに感謝をし、初代会長が愛したロータリーの心を大切な宝物として、我々の心の中に確りと継承させていくべきことと理解ができました。
2009.09.10
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一つの心になって、目の前にある難問をどうにか打ち砕いてしまいたい時こそ、冷静になって、その組織の成りたちに則り、最善の方策を一致団結すれば、解決にむけて、明るい兆しがみえてくるもと思っています。こそこそと、陰になって根回し的な工作をしたところで、絶対的に陰口としてマイナス要素になって蔓延してしまい、結果的には、思うような効果がないことを知っている心算です。先日来、奨学生を支援することに仲間と一緒になって、思案をしているのですが、他の多くの仲間からすれば、良いことだから理解をしてくれても、具体的な汗をかいて知恵をだしての、サポートをしてくれる仲間になると、極々少ない数になってしまいがちです。同じ目線で同じ目的意識をもって、目的に向かって真摯に歩むことが出来る方の少なさは、呆れるほど数人で、理解をしてくれる仲間にしても、自己主張が強い方がいると、天下取りのようになって、利益誘導の勝手な振る舞いで、勢力を結集する方もいるものです。大勢の仲間がいても、当面直面している難問を解決することに、心を一つにして腐心をする方は少ないのが現状で、直面している責任者の方が孤軍奮闘をしなければならないのが、今の状況になっています。なんとか大勢の仲間の意識を一つにして、なによりも奨学生のためになるプログラムを組んで、安心をさせてあげたいのですが、これからの試練はまだまだ終らないようです。気心の知れた仲間では阿吽の呼吸があって、それぞれに最善な効果を発揮することが出来るのですが、えてして、反対意見同士の方とは、すぐに終結する方の謀が優先されてしまって、反対勢力を構築させてしまうようです。好き嫌いの世の中にいきる人間族の習性もあってか、力を鼓舞するリーダー的グループに気を使って、寄り添ってしまう従属的な傾向があります。どうしても馴染めない人が居ることは理解はできるのですが、時と場合によっては、気が合わない人を許してしまえる、大きな心の豊かさを発揮してもらいたいものです。誰がどう考えようが、奨学生を支援する善行があるのですから、こぞって積極的な意見交換をして、支援に向けての一致団結の誠意を示してほしいものです。受け入れた奨学生のためにも真の大人になってもらい、個人的な価値評価基準をもって、好き勝手な解釈をするのでなく、温かなサポートを実践できるような自己意識を発揮して欲しいものです。日々取り組む諸問題があるのですが、こうした凡事を繰り返すことが、われわれの責務であるように、最近になってから腑に落ちるようになってきました。我田引水ではありませんが、何でも利益誘導型の意識になっては、すべてに悲しいことばかりになって、心の豊かさが無くなってしまいます。そのためにも、様々な人との交流を大切にして、出会いの機会を多くもつことによって、切磋琢磨のお陰で意識を磨き上げられて、それぞれがレベルアップを計れることを願ってしまいます。願わくば、仲間達の意識改革ができて、奨学生の支援が上手く捗ってくれることを、とってもとっても期待してしまうのです。
2009.09.09
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他人に対して気遣いの一言がいえる度量と器量をもっていれば、もっともっとお互いが胸襟を開いて、心を許し合える素敵な関係が構築できると思うのですが、人様の気心とはままならないものがあるようです。できるだけ自己主張を小さくして、人様の意見を十分に聞き耳を立てる心掛けをしてきた経緯の中で、いろいろな利害関係や人間関係の心情的な係わり合いを、できるだけ咀嚼できる心掛けを持っている心算です。何方にも同じ目線で同じことが言えて、できる範囲でできる能力を提供することに専念をしてきましたし、精一杯の奉仕を心がけてきました。何ヶ月かまえのこと、夕飯を一緒にした会合仲間がいるのですが、その会席の折に様々な懸案や提案をしあうことができ、以来、なにかと相談の窓口になっていたつもりです。必要な資料の提供や情報を開示させて、できるだけ御役にたてることを心にしながら、蔭になってのサポートを心がけていました。最近になって俄かに意識高揚の環境が整って、相談や支援をしていた内容について、具現化に向けての会合を開く、準備会がありそうな空気を感じていました。いろいろなお話し合いがされてきた方が中心になって、時の責任者とともに実現を図っている様子が、ちらちらと散見できていましたので、それなりの現状把握は出来ていたのですが、肝心な会合仲間からの報告が伝わってこないのです。了見が狭い人間なのでしょうか、礼節に欠けて器量がないのか分りませんが、あれだけ誠意をもって対応をして支援をうけてきた経緯が、素知らぬふりの無礼な人とは情けないものです。こうした自分勝手で自己中心の考えをもった人とは、悲しいほどに多くいることを経験していますが、先日入院をした際にも、仲間への労わりができない人が意外に多くいて、当人を前にして、見舞いの一言が何故素直に言えないのだろうかと訝り、当然の礼儀さが全く理解できなく頭をななめにしながら、偏見の不思議さを悩んでしまいました。ここまで人様への愚痴を吐露しては、こうして書き込んでいる立場の人間のほうが、よっっぽど厚かましく横暴だと指摘をうけますが、この世の中とは、皆さんが一致した価値観と思い遣りを心がけできない不思議な流れがあるようです。すべてに自己の保身が優先されて、相手の痛みとか慰労に対しては、まったく無関心となっている、悲しいほどの思いやりと人徳のなさとは、どうしても品性に結びつかない寂しさが募ります。日常に安易に駄弁れる仲間だけに追随する、アンチョコな精神をもった斑社会の人が、いかに大勢いることでしょうか、外見ばかりにその価値観を共有しあって喜んでしまっている、実に薄っぺらな仲間が散見してしまい誠に残念です。確かに気の会う仲間は大事な存在ですが、何でも斑社会で価値観を共有してしまい、世話をかけて得を分け与えてくれた人までを、偏見し疎外する無礼さには、はなはだ怒りを覚えるのですが、まだまだ小心で達観できない自分を、大いに反省して見つめなおしてもいます。無理強いなお説教ごととなってしまいますが、悲しく嘆くのではなく、反省点を気楽な言葉で伝えて挙げれる度胸と忠告を素直に受止める度量と、人の孤高ないぶし銀を感じ取って貰える品性を、一緒になって学び合いできることを心がけていきたいものです。
2009.09.08
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きりっとしたスーツ姿でコーヒーを啜りながら、実はうちの父親が介護を必要としていて、在宅での支援が大変ですと、訥々と話をきりだしました。引き続き堰を切ったように介護の吐露が続いて、日中も大変なんですが、夜中に起こされてしまうと寝不足になってしまい、親の老後をみてあげることは大変なことが分りましたと、話を聞いてもらえることに、深い安堵を見出しているようでした。保険のクライアントさんとの一段落の時間になって、少々身体を斜めに座りなおしてから、一気呵成に父親に対しての日常を語ってくれました。齢80歳の体格の好いお父様が、一人住まいで生活をしていたのですが、急に足腰が利かなくなってしまい、内臓の疾患も重なってたり、通院を含めて一日中奥さん共々介護をされてあげているそうです。身内同士の甘えから多少の言い合いもあったり、奥さんと舅の人間関係や、精神的にも肉体的にも疲れますと言い張っていましたが、それでも肉親の介護の遣り甲斐も、誇らしげな顔つきの表現から感じ取れました。身を乗り出して家庭の中を、さらけ出して伝えてくれましたが、話を聞きながら、我が身にあった30年ほど前のお袋さんと、10年ほど前の親父さんの介護が思い出されてきました。昭和53年に63歳で亡くなったお袋さんは、その7年前に手首の違和感をおぼえて、医師の診断は急性リューマチで、当時の最新治療を受けていましたが、自宅で療養をするうちに手足から節々の関節が動かなくなってしまいました。知り合いから漢方薬をすすめてもらったり、様々な治療に励んだのですが、4年間の寝たきりの状態で自宅療養が続きました。時間とともに口も開かない状態になってしまい、日々の家族の介護はほぼ付きっ切りの状況で、ベッドからトイレとお風呂への移動時には、大変な肉体的苦痛が課されてきました。病になる前には、それこそ朝星から夜星まで元気に働いてきた人なので、まったく不自由な身体になってしまった本人も、さぞかし辛い思いをしたのでしょうが、介護をする家族も一日中の介護と、特に深夜のトイレ時になかなか起きることができないことに、身内の我が儘がお互いに張り合ってしまい、なんど口論となったことかわからないほどでした。それでも朗い性格から一日中付けっぱなしのラヂオにあわせて歌ったり、食事時に耳学問を教えてくれたり、気分がいい時に見せてくれたご機嫌な様子が偲ばれます。寝たきりになってから結婚をして、新婚から病身の母親の介護をしてくれり、家事の合間に育児に励んでくれたた神さんには、言い尽くせない感謝をしているところです。連れ合いが亡くなってからほぼ20年間元気にしていた父親も、老衰の身で病院で亡くなったのですが、ほぼ10年間は夜中になると体調が悪くなって、枕元に特別に備えた呼び鈴のスイッチが何度押されたことでしょうか。仕事で疲れきった身体には、夜中に起こされることがとってもきつくて、不平はないのですが、どうしても不愉快な顔の表情を見せてしまったようです。ちょっとばかし先輩ぶった経験談を伝えながら、親の介護を自宅で行なう事情を理解しあって、その苦悩振りを癒してあげることになりました。すっかり忘れ去っていた両親の介護では、全てにすばらしい親孝行ができた経験となりましたし、若さからくる不義理もあって、思い出からは禍福を糾う走馬灯が廻っています。クライアントさんからは気が済むまでの吐露がされて、子供の役目ですから一生懸命に親孝行に励みますと言ってくれた顔には、すっきりした顔が笑顔とともにあり、こちらもお大事に親孝行をしてくださいと、しっかりと励ますことができました。隣席でその模様を見聞きしていた倅には、親孝行がどのように受止めることができたのでしょうか、何十年か先の自分達をイメージしていたのかもしれません。
2009.09.07
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季節はすっかり秋の風を運んできて、天高く馬肥ゆる秋、スポーツ芸術や読書が心ゆくまで、存分に楽しめる季節は最高の気分になります。あくまでも抜けるような青空を覗いているだけでも、気分が爽やかになってきて、心が休まるものですし、少しでも深慮遠謀の考えができることが嬉しいものです。毎日のように深夜まで起きていますが、色々な考えごとや書籍に目を通したりして、日付が変るころになると目と頭が冴えてきてしまい、なかなか寝入るタイミングが無くなってしまうほどです。日付が変るころが一番睡魔があって、0時を過ぎる頃には徐々に冴え切ってくるのがわかり、このまま書きものや読書をして、徹夜で過ごしてしまいたい気にさせる日々があります。澄み切った秋空に輝く月や星も、なかなかのロマンチックさが醸し出されて、眺めるだけでも現実からの厳しい内情から逃避がされるのですが、社会の仕組みではロマンチックを評価してくれることは少なく、せめての慰めを享受するだけになります。陽が蔭ってくるとすっかり秋虫が鳴きだして、多くの種類の虫がいる様子のなかで合唱が一斉に始まり、澄み切った空気が賑やかさを風にのせてくれます。子供のころには当たり前にいた、キリギリスもクツワムシも全く声がしなくなって、最近気付いているのですが、必ず何処にでもいた閻魔コウロギも、その鳴き声を聴くことができなくなりました。秋を告げてくれる赤とんぼも姿が無く、野鳥の百舌もいなくなって久しく、物凄く寂しい思いをしているのですが、昼間に羽をキラキラさせて飛ぶ赤とんぼも、何処にいけば観ることができるのでしょうか。そう言えば、何処でも目にできた雀の姿がご無沙汰していて、最近何時以来の姿を観ていないのでしょうか、すずめの群れる姿はうるさいほどで、極普通に共棲していたのですが、神隠しのように目にも声を聴くこともできなくなりました。数年前までは何の思いもすることなく、ごく自然に接する事ができた昆虫や鳥類たちが、消え去った世の中の変化には、大自然からの何かしらのメセージが伝えられているとすれば、我々人間の負う責任とは、かなり大きなものがあるように思います。宇宙を含めてこの地球上の独占欲を、いつの時代から横暴して利用しているのでしょうか、地下資源も地上から宇宙までも、環境破壊をし尽くしてしまっている気がします。地球上あらゆる地で種の絶滅が危惧されていて、保存運動が地道にされているのでしょうが、温暖化と言われる気象変動もあわせて、人類の我が儘は連鎖的な悪影響を起こしてしまっています。人の心が荒廃されている事実とあわせて、自然豊かな環境を守る公徳心を養って向上することだけでも、自然破壊には良好な手段となってくれるものだと思います。人を思い遣る心と同じくらいのエネルギーを、自然界への思い遣りとして、先ずは身近な環境保護を心がけていかねばなりません。様々な動植物たちと、仲良く共棲共存の世の中を目指していくためにも、どんなに小さなことでも自然保護を率先しましょう。
2009.09.06
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誰が見ても高齢で足腰が弱っている男の方が、背中に大きなリックサックを背負って、両手は折りたたんだ車椅子をもって、一歩一歩ゆっくりとバスから降りてきました。誰からの見た目にも大変さが分って、お手伝いをしてあげるべきとは理解ができても、事情が分からないままでは、支援の仕方も分りませんでした。昨日に引き続き病院に行く為に、JR駅で私鉄のバスに乗り換える為に、バス待ちの乗客の行列に並んでいまして、定刻ぴったりにバスが到着した時に、降車口から降りてきる最後のお客さんが、リュックを背負い車椅子をもった老人でした。乗車口の列に並んでいた身を乗り出して、暫し観察をしていましたら、車椅子をセットしてから乗車し直して、足が不自由な奥さんを抱えながら、漸くの足取りでバスから降りようとしていました。観るからに抱える力が足りないのでしょうか、二人が今にも倒れるような仕草で、精一杯歩こうとするのですが、ここが限界と判断して、列から離れて奥さんの両脇を抱えて、車椅子まで補助をしてあげました。小柄な身体の方でしたが、ご自身の身体も支えることができない分一層重く感じて、今から病院に向う半病身とすると、体力の限界までお手伝いをすることになりました。なんとか車椅子にたどり着くことができても、確りと固定して座ることができない身体を補助してあげたのですが、介護を受ける奥さんも介護をするご主人もお手伝いをする身も、その姿を観るだけでなんとも痛ましいものでした。傍目から観ると、何故タクシーを利用できないのか、土曜日であればお子さんが手伝ってくれるのではないか、等々をバスに揺られながら考えてしまいました。それにしても大きなリュックを重そうに担いでいたご主人は、何を入れていたのでしょうか、重い荷で自身を思うように動かすことができない身をもって、不自由な身体の奥さんを介護しては、お二人はどんなにか辛い思いをしていることでしょう。それぞれにもつ家庭の事情までは詮索できませんが、高齢化社会の一端を垣間見るについて、義母が暮らす施設の近代的で無機質さの輝きも気になるところです。間もなく同じような高齢に近付く我が身を思っても、いつかは身体が自由に動かない時になって、どのような手助けを適所に得ることができるのでしょうか。元気なことが一番ですと言うことは、いとも簡単なことですが、いつ何時か何が起きるかもしれない生身の人間では、生きることの意味合いと、生き甲斐をもって介護も無く確りと生活をすることを願うばかりです。施設に入って介護を受ける義母のような身が幸せなのか、身体が不自由でも世間の介護を享受しながら、世の中を車椅子で移動する身が幸せなのか、リュックを背負った老夫婦を監察しただけでは分りません。縁をもってすれ違った老夫婦は、とっても仲がいい幸せなお二人なのでしょうが、介護が必要な時に必用な方が居ないことも、此の世の中の常のことですので、心配することは限りなくあります。野暮に思っている今この時間には、きっと二人して新幹線に乗って、観光地でゆっくりのんびりと、温泉に浸かって語り合っていることを確信したいものです。両脇を支えて車椅子までお手伝いした身とすると、介護の愛情を受止めることができたのか、どれ程の介護評価をしていただけるのか、是非今後の参考に教えて頂きたいものですし、何時までもお元気に夫婦円満な余生を送って欲しいことを願ってしまいます。
2009.09.05
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ただ只管に平凡に生きていきたいものと、硬く信じて日々の生活をしているのですが、世の中の荒波の厳しさを知って、人生の教訓や学びごととして真摯に受け止めて、日々の生き方の軸足を定める計らいを謙虚になっているところです。2月に施術を受けた治療の結果を受けるために、早朝から病院に向かったのですが、施術後半年が過ぎて、徐々に体力も増強する意味合いもあって、出来る限り歩行をして、JRとかの公共交通機関を利用するようにしています。随分筋力が劣ってしまい、階段の上り下りも結構きつい疲労感となっているのですが、日常が全てにリハビリと考えて、カバンを提げながらテクテクと移動をしています。施術後暫くの間は、倅に運転をしてもらっていたのですが、体力快復とあわせて自力での行動範囲が広がってきています。普段の生活時間よりも2時間早く家事を済ませて、街のJR駅に向かったのですが、駅近くになって時々感じる胸痛がはじまってしまい、歩行ペースを落としながら水分補給をしながらの歩行となりました。今までは車で送迎を受けていたために、最寄のJR駅からバスでの乗り換え方が分からなく、停留所を何回も往復してみたりして、病院行きのバス停を見つけることができました。おどおどしながら入り口から乗車したのですが、乗車賃を入れる場所が分からないほど、コンパクトに納まった近代的な機械があって、前の人に合わせて同じ事をしようと思っていましたら、JRのスイカを取り出して機械にあてがっていました。JRのスイカが使える便利さに驚愕してしまい、たった今しがたJR改札で使ったカードをバスにも活用でき、なにやら得をしてしまった気がしました。移動手段が違ってみれば、様々な相違を発見できたりして、意外に便利なバス移動を受け止めることができ、最先端技術の新鮮な感動を身に感じることができました。病院の施術と言えば、日々繰り返し行われているマニュアル通りの流れ作業的に運ばれて、施術台に寝そべっている身では、約一時間の治療作業が、やけに機械化されている近代化の部屋では、看護師さんからの激励の声がけが天使の救いになりました。2月の施術には無かったことですが、バックグランドのクラッシック音楽が心地よく、これほど気休めになってくれることも、無心になれることも改めて知ることになりました。無機質な手術室は近代的な医療設備が並んでいて、一種感情が打ち消されてしまいがちですし、医師のきびきびした機械操作がやけに厳しく感じられて、部分麻酔の感覚では、天井を眺めながら思うことは自身の現状です。現実がどんなに苦しくても辛くても、医師の治療のお陰で元気な身体になりつつある現実を、心から嬉しく喜んでいくべきことですし、日々の凡事を粛々と繰り返すことが、なによりの良薬になることを、平凡だからこそ大きな価値となるべきと思えるのです。
2009.09.04
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何でそこまで手伝ってあげるのですか、余りにもお人よしすぎますよ、と以前何回か耳にしている言葉でしたが、今日も午前中から、上さんから忠告の言葉を受けてしまいました。仲間の一人が責任者として役をもっているのですが、キャリアは十分でも活動実践の経験が余りにも少ない現実に、理念がまだまだ呑み込んでなくて、補佐をする立場にある身とすれば、できるだけお手伝いを心掛けているところでした。その役目に携わっている人でも、備わっている知識とか情報量とか、解釈度とかが違ってくるのだと、常々持論めいたことを思っているのですが、もともと親切心が旺盛な性格ですから、ついつい人様に対して、お節介なお手伝いをしてしまいがちです。これはもって生まれた性分なのでしょうから、持論を押し付けることの悪さを分かっているのですが、できれば、少しでもサポートをしてあげたい気持ちが沸き起こって、一歩出すぎた行動に繋がっていることを理解しています。極身近に接する方で、何時もご夫婦して円満に理解をしあい、良妻を模範としてご主人を健気に支えておられる、とっても羨ましいおしどりご夫妻がいらっしゃるのですが、上さんにも少しは見習って欲しいものと常々思うのですが、所詮は旦那さまのもっている器量が違いすぎるようです。夫婦とは、これも縁で結ばれた二人のことですから、今更なにも言えない現実があるのですが、今にして思うことは、上さんに対しての甲斐性が無い自分の非力さを嘆いているのであって、これとても、もって生まれた資質もあってか、いかんせんし難いことになっています。朝から仲間へのお節介の様子を傍で見聞きしていて、上さんから言われた言葉が、お人よし過ぎると言うのですが、確かにわが身を思えば、もっと自身が切羽詰っている事業の展開を図るべき、一生懸命の努力をして、家内中が精神的な余裕をもてるようにして下さいと、嘆願をされていることを重々理解ができます。自身の遣るべき仕事を発哺利出してまで、人様の支援やアドバイスに現をぬかして、支援をする必用はありませんと、きっぱりと、まったく的を得たご忠告を受けているわけです。確かに道理にかなっている忠告なのですが、仲間内が辛く困っている時こそ、率先して支援をする心がけが大切なのだと思ってしまいます。損得の利害関係でなく、良いか悪いかの善悪の判断を的確にすることこそ、人の生きる道そのものであると信じていますので、辛苦の立場になっていることは、当の本人が一番よく知っていることですので、あえて無関係なお手伝いにも、精一杯の努力をしていく心配りが重要なのです。あまりにも辛いことばかりに精魂を使い果たすことは、とっても精神的には参ってしまう結果を知っていて、逃避的かもしれませんが、善意の手助けに夢中となって、精神的なバランスを図っているのかもしれません。たった今、五里霧中の艱難辛苦を抱える当主としては、家人だけでにでも、一日も早く心休まる安堵の日々をあてがって、小言を聞くこと無く、人助けのサポートに邁進できる日を信じて、出来ることを精一杯励んで生きたいものと思っています。何でもかんでもに、人情を分ち合える優しさがあれば、多少の躓きであっても、何かしらの縁をもって上手く解決をしてくれることを知ってこそ、一見無駄なお人よしを買って出る気構えに繋がっているのです。
2009.09.03
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本人は知らないことで、暢気になって家族との交流をしていたのですが、当たり前のようにして、居間の椅子に座って家族との団欒をしていました。夕飯の支度をかみさんと一緒になって、長男長女の二人が台所の中で世間話をしながら、なにやら兄妹の貶しあいになって暫しのこと、兄が妹に向って伝えた言葉が、思わず心臓が縮んでしまうくらいの衝撃をうけてしまいました。娘は心情芯が強く、思ったことをストレートに言い伝える性格ですが、時に父娘二人して会話を愉しむ時には、親子の価値観が共有されて、同じ目線で話題をもてることが、父娘の素直な気心として、心優しさを受け止めることができています。そろそろ身を固める年頃なのですが、一向にお構いなくしている様子が強く感じられるのですが、おそらく娘の内心では、それなりの心構えがあるのでしょう。父親としての強く大きい不徳の致すところでは、娘の将来を台無しにしてしまっているとすれば、大きな責任を感じているのですが、娘のもつ強い個性を関係づければ、良い相性をもった縁とは、多少の時間差が必要なのかもしれないと、一人勝手な期待をしています。芯の強さの反面で蔭に見せる女性の優しさを、もっていることを知っていますから、普段ではあまり気にすることなく、それこそ空気の存在をもって暮らしていたのですが、先の長男との遣り取りの中で知った、子供時代のまったく甘えんぼうの娘の姿でした。2月に入院した当日の話題となった時に、家族が揃っててんやわんやの騒動の中、命を亡くす最悪の事態を想定して、そうとうに心配な状況となっていたようです。入院時には倅が付き添ってくれていまして、病院に入って直ぐに手術室に直送で、手術承認書から全ては倅が手配をしてくれて、我が身はベッドの上の人で、先生の処置を受ける身になっていました。倅は緊急を要する最悪の事態も聞かされていたようで、それを家族に電話をしたら、当然のことですが、受けた家族はパニックになると思います。予定されている行事や仕事を発哺リ出して、病院に駆けつけてくれたときの家族の様子は、今でもはっきりと思い出すことができます。施術が終わって集中治療室にいたときの姿とは、点滴を数種類受けて、鼻には酸素の管が通されて、心電図をとるコードが交錯して、おそらくは顔色も悪い状態で伏せていたことでしょう。とにかくも生きていることを知った、家族の安堵の顔が忘れられなくて、ベッドを上から覗き込んでくれる声掛けが、労わってくれる言葉が少なくて、結構キツイ叱咤をうけました。家族愛の優しさの究極が、ダイレクトに表現されたことを知っているのですが、救命された安堵感がベッドを囲んで喜びの表現として、集中治療室の限られた時間の中で、居間にいる家族歓談の空気となっていました。そのホット安堵した状況前の施術を受けている時に、心配の極限から家族の控え室では、揃って涙を流してくれていた事実があったことを、台所の遣り取りの中で初めて聞かされて、初めてジーンと胸がつまってしまい涙腺がゆるんでしまいました。同じ屋根の下で暮らす家族の愛情とは、理屈でもなんでもなく、素直な心情を表現されてくれ、絆の強さはどんな艱難でも消し去ってしまう、強さと優しさが備わっているのです。日常の中では涙は縁遠いのですが、数年前に見せた父親としての悔し涙は、二度と味わうことなくして、抱えている難儀を乗り越え、営々代々を引き継ぎしていかなければならない責任を認識しています。
2009.09.02
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もっている予備知識のままで「できるからやりましょう」と、自信たっぷりに伝えた言葉なのでしたが、具体的に話を進めていく内に、だんだん雲行きが怪しくなってきて、今日になっての結論は、期待を裏切るところの「残念ですができません」でした。淡いと言うよりも強い期待を持たせてしまった答えでしたが、こちらの思惑が違ってしまい、結果的には期待を裏切る始末になって、大いに責任を感じていますし、反省をしているところです。先日来交流が深まっている中国からの女性奨学生ですが、来年の3月までは支援をすることが決まっていますので、じっくりと勉学に励んで頂けるのですが、一生懸命に勉学をしている姿を拝見する内に、できれば継続した支援ができないものかと、内々仲間内で相談をしていました。本当に素直な性格で奥ゆかしくて、今時の若い日本の青年達に教えてあげたいほどの、礼節を心がけてくれることが、此方の心を和ませてくれて、多くの失った心構えを気付かせてくれています。先日に会食があった折のこと、話の流れの中で奨学生である彼女に対して、できれば支援を継続できる可能性があることを伝えてあげました。伝えてすぐに、ホットした顔が緩んで素敵な笑顔になった記憶を、はっきりと覚えているのですが、彼女とすればどれ程か心強いアドバイスとして、受けとめたことでしょうか。先日来は内心ホッとされて、継続支援の打診を大きな自信にさせて、さぞかし喜び勇んでいたことでしょうが、制度的には合法としても、現況の支援体制の内情が許される範囲を超えている様子で、継続支援ができないことを知りました。今日彼女との面会があって、その結果を本人に知らせることの辛さを思い、つい、うつむき加減にして話を切り出してみたのですが、瞬間に残念な表情をみせたのですが、さすがに頭脳明晰な彼女は精一杯の笑顔をつくって、聞きとめてくれた気配りが嬉しかったのです。個人的に思うことですが、奨学金の制度から切り離して、来年の4月からは、できる範囲の金額をもって支援できるように、我々の意識を高める努力が必要に思っています。何人かの仲間が集ってくれても、全ての人が一致団結をしてくれて、確りと彼女を支援する意識があれば好いのですが、人の集団にありえる価値観と温度差の疎らな違いがあって、なかなか一筋縄で纏まらないものを知っています。彼女はすばらしい目標をもっていて、博士課程終了までは日本語の勉強に専念して、将来は母国の大学で、日本語の先生になることが夢で、日本と中国の文化交流の橋渡しをしたい希望をもっています。何度か語るたびに真剣になって自分の思いを伝えてくれますが、なかでも、将来になってそれだけの器になった時には、お世話してくれている日本の人々を中国に招待をして、恩返しをしたいですと聞かされて時には、正直驚いてしまいました。その時にはきっと招待をしてくださいと、こちらから御願いをしてしまいましたが、女性らしからぬ剛毅な一面を見せてくれることがあります。来日7年目でのご縁ができたのですが、きれからの人生のなかで、是非大きく飛躍をして欲しいものと、心からの応援をしているところです。奨学生としての支援継続を、できる範囲で支援するように、仲間との相談が必用になってきましたが、このことは多くの仲間からも、きっと理解をしてくれ支援がされることを信じています。いつもニコニコと律儀な笑顔をみせる彼女が、安心して学業に専念して励まれる環境ができることを、確りと応援をしていく必要ができたことが、とっても遣り甲斐のある嬉しい宿題になりました。
2009.09.01
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