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June 30, 2020
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カテゴリ: 歴史

2 度の震災にも難を逃れる

名古屋大学 減災連携研究センター  武村

赤坂離宮㊤

博物館明治村 1 丁目近衛局本部付属舎の隣に赤坂離宮正門哨舎と呼ばれる小さな建物がある。哨舎とは警戒や見張りをする兵が詰めている小屋のことで、東京・四谷の赤坂迎賓館の正門前にも同様のものがある。

現在迎賓館となっている赤坂離宮本館は、明治 32 年( 1899 年)に着工し約 10 年の歳月をかけて明治 42 年に完成した。片山東熊による設計で近代国家となった日本の象徴として、文字通りの明治時代におけるわが国建築界の総力を結集したモニュメントである。

この建物は当初、東宮御所として造営されたが、時の皇太子殿下(後の大正天皇)はほとんど宮殿をお使いにならなかった。東京御所として役割を果たすようになるのは、昭和天皇が皇太子として摂政宮となられた後の大正 12 年( 1923 年) 8 月から、正式に皇位を委譲された昭和 3 年( 28 年)の御大典の頃までである。昭和天皇は赤坂離宮に住まわれてすぐに関東大震災( 23 9 月)に遭遇されることになる。

関東大震災による離宮本館の被害はほとんどなかった。屋根を支える骨組みは鉄骨造、壁は外部が石造、内部が煉瓦造、床はコンクリート造、地下 1 階、地上 2 階である。

地震対策に特に意を用いており、あらかじめ地質調査を徹底的に行い、埋土層、軟弱層を避けて建物位置を決め、さらに基礎設置位置を掘り下げ、補強材として英国産の鉄道レールを使用する等、基礎工事が十分になされている。

さらに、壁の中には縦横に鉄骨を入れ、床も同じく鉄材を用いた耐火構造とし、小屋組みには鉄骨トラス(三角形を単位とする構造形式)が組まれ、屋根は銅板葺である。壁の占める面積は建築面積の約 3 割にもおよび、壁は最も暑いところで 1.8 ㍍もあり、薄いところでも 56 ㌢もある。

赤坂迎賓館は現在、賓客がない時期を選んで一般に公開されている。本官の内部に入ると大きなシャンデリアがいくつもあるが、天井裏から独立した鉄骨で組まれているということで、案内係の話では、東日本大震災の際も大きく揺れたが落ちることはなかった。関東大震災でも難を逃れたものと思われる。

(㊦に続く)

【復興へのまなざし「建物が語る災害の実相」❼】聖教新聞 2019.11.21






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Last updated  June 30, 2020 05:26:03 AM
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