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シーター波(Θ)これは脳波で4ヘルツから8ヘルツのゆっくりとした脳波です。これは特に深い瞑想の時に現れ、海馬の増大と密接な関係があります。またこれは、ゾーンと呼ばれる状態の時にも現れ、勉強などにも多大な効果を得られる状態であるとありました。睡眠時はもっとゆっくりしたアルファ波が出ますが、この状態はその前のウトウトしたときにも現れます。半覚醒状態とでも言うとハッキリします。この波が現れるとき脳内の神経細胞の集団が一体となって同期活動を開始するとあります。これが何を意味するかは、よくわかります。いままで研究していたクンダリー二や密教特に後期密教がなぜあのような形になったのかがハッキリしてきました。光輪の形成もそうです。思考を止めていくとこれがハッキリと現れるはずです。ヨガはそれを誘導するのに最適な運動です。病床の阿字観も同じ狙いのはずです。おそらく心身の健康ととても関係があります。そして、ここに書けない部分があります。検証が必要ですが、おそらくそうでしょう。
2024.12.04
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非常に明るい星が見えます。金星です。美しい星 金星 様々にたとえられて来ました。これが観音の星と言えば驚くかもしれません。金星と言えば、美の女神 ビーナス(ローマ神話) アフロディーテ(ギリシャ神話)が有名ですが、この根源はさらに古くゾロアスターの光の女神 アナーヒターに遡ると言われています。アナヒターの星は同じ金星です。アナーヒターが西に向かいビーナスになりました。それが東にむかったのが、観音なのです。観音様 神に性別はないのですが、女性形で表されるのはこのような理由なのです。古くから様々に観音様が描かれて来ました。現在でもこのように美しく表現される方がおられます。(画家、奥田みき)聖観音それは金星なのですから
2024.12.03
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その宝塔の記述の次は、こうあります。所以は何ん、当に知るべし、是の処は即ち是れ道場なり。諸仏此に於て阿耨多羅三藐三菩提を得、諸仏此に於て法輪を転じ、諸仏此に於て般涅槃したもう。なぜなら、その場は道場であると知って欲しいのです。皆仏となる者達はそこにおいて、法輪=光輪を展開し、その中でにて涅槃(静寂、自由、最高の幸福の状態)を得ることができるでしょう。その様に私には見えてしまうのです。
2024.12.02
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クンダリニーを表す画像で蛇が螺旋をしながらねじり巻き付いている図があります。これについては、其の状態において下部から上に向かってあの図のように巻き上がっていきます。其の状態を表すために、あのような図になった物と推察できるのです。問題は再現性が無い点です。次に伝えるために、あのような物になったというか、あの図があったので何か起こったのかはわかるのです。
2024.11.27
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神戸市の新開地にある真言宗西室院様で、阿字観が行なわれております。今回ここに座禅用座布を寄贈させていただきました。その西室院のインスタグラムにも上がっています。なぜそうしようと思ったのは、もともと普通の座布団を二つ重ねにして阿字観を行なっていましたがどうも勝手が悪いのです。やはりうまく座りにくく下半身を固定化できません。そのため皆さんにも行き渡るように寄贈させていただいたのですがその使用感についてのコメントが多く上がっており座りやすい、集中しやすいという意見が出ていました。これについては以前から書いていますが、次々と湧き上がるこの想いは、実は本当のわたしでは無く自分の身体に、あたかも邪魔な放送局のように、次々と想いを流し込んでくる機能が備わっています。其の発現には、身体のゆがみとか緊張がスタートになっていますのでリラックスとか力を抜いていく事が常に強調される指導は、理にかなっているわけです。座るという作業において、余分な座りにくさというものが少しでも無くなれば、阿字観が進んでいくだろうというのが予想されるのです。やはり1000年を超えて使われている専門の道具というものは、よく考えられている物と想います。
2024.11.26
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大阪の中之島美術館で展示が行なわれています。この図は法華経の如来神力品第二十一の場面を絵巻物にした物です。その経のその場面の内容は以下の通りです。https://plaza.rakuten.co.jp/katu6448979/diary/202411080000/この場面の問題は塔の存在なのです。前も書きましたが、塔とは何かこのような物理的な物の塔なのかという事なのです。
2024.11.20
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11月15日(金)に座るヨガ3回目に参加したのですが、その中で新しい手の指で蓮の花を作るポーズの説明と実行がありました。手を胸のまえで上下に包み込むように作り、それを手を合わせてつぼみとして手指を花の様に開いて上方に広げていく動きです。これを瞑想と組み合わせていくのですが、前から言っていますように頭上に光輪が形成出来ています。これを前に書いた如意宝珠の時と同じように下の左手の上に形成出来ますので、それを右手で包むようにして、花のつぼみのように出来ます。それを蓮が開くように、その光輪を上方に開きあげていくと、光輪が左右上方に開いてい拡大していくことがわかりました。このポーズ自体は、調べるとパドマ(蓮の花)ムドラー(手の形)と呼ばれる物らしいのですが光輪の拡大 阿字観で言う広観というものは、案外と難しい物です。しかし、動作を使うとそれが容易になることが収穫でした。これはまたヨーガで言うところのチャクラの形成の練習と対応しているようです。
2024.11.18
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前回に引き続き座るヨガを別の女子社員2名にしてもらってみました。昼休みに簡単にそのさわりだけですが、やってみてもらったのですがその動きだけでよくわかります。一名はヨガ(ホットヨガ)をしていると、後で聞きました。もう一名は、ストレートネックなど首に異常が出ているようでした。簡単な動きですが、非常にそれがよくわかるのです。日頃からヨガを行なっている人は、動き自体にゆがみとか堅さがありません。スムーズなのです。もう一名の方は、やはり体の動きが硬い事がわかりました。しかし一日目の女子の方よりは、まだマシです。一応簡単な動きと、その後そのポーズ集を渡しましたが、ホントこれだけのことで、よっぽど体がおかしくなっていることがわかるのです。これは座っている状態を観察してもわかりませんが、手を上げたり伸ばしたりするだけでどこが悪いか丸わかりなのが面白い物です。異常を見た人はこれは未病と呼ばれる状態なのでしょう。これが蓄積するともっとマズイ事態になることがよくわかります。また、簡単な動きをするだけで相当改善することがわかるのです。しかし心配しているのは、最初の人です。今日も慢性的な腰痛を訴えています。問題は何もしないと言う点なのです。これ以上は強制できませんし、医者にも行こうとしません。その背中には円背(猫背)が現れているのです。それが何を意味しているかは、よくわかるのです。ヨガ動作だけで、身体のおかしいところが見えるのは面白い発見でした。これは年齢の問題ではないのです。わたしより20歳も若いのですけど
2024.11.14
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会社で座るヨガをやって見せてということで急遽そのさわりだけでもという事で、10種類くらいのポーズを、回数を縮めて女子社員に対してやってみました。20分くらいでしょうか教室では1時間を超えます。その時ビックリしたのが、腕が上がらない、背中が丸められない、胸が開かないなど、ポーズが続けられない、おどろくほ体が硬いというか、カチカチという状態が見られたことです。すぐに放棄してしまうのです。(これでは集中自体が難しくなるはずです。)わたしよりずいぶん若いはずなのですが、これでは慢性的な腰痛や、様々な心身の不調をきたすだろうと思いました。本当に、簡単なねじるだけの動きなのですが、それすらも出来ないというかビックリしました。この状態で瞑想を行なうと、体の変動が様々な心を作り出すため、集中など出来ないはずなのです。物事もすぐ他の心が出てくるはずなので、物事もつづけられないのです。この状態をほぐしていくことが、大切だという事がよくわかりました。ヨーガが瞑想へとつながる準備行動として重要なことが、よくわかりました。wikiより瑜伽(ゆが)は、仏教におけるサンスクリット語「yoga योग」の音写語で、感覚器官が自らに結びつくことによって心を制御する精神集中法や、自己を絶対者に結びつけることによって瞑想的合一をはかる修行法をいう。心身の健康法ヨーガ(ヨガ)もこれに由来する。原義は「結びつくこと」「結びつけること」の意で、相合、成、摂、成就、精勤修行などと漢訳される。仏教では、瑜伽行派(Yogaacaara、योगचार)において、このような実践方法が重んじられ、独自の体系のもとに記述された。
2024.11.11
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是の故に汝等如来の滅後に於て、応当に一心に受持・読誦し解説・書写し説の如く修行すべし。所在の国土に、若しは受持・読誦し解説・書写し、説の如く修行し、若しは経巻所住の処あらん。若しは園中に於ても、若しは林中に於ても、若しは樹下に於ても、若しは僧坊に於ても、若しは白衣の舎にても、若しは殿堂に在っても、若しは山谷曠野にても、是の中に皆塔を起てて供養すべし。この塔とは何でしょうか聖徳太子を表したという久世観音の光背それをよく見るとその光背の頂点には、建物が書いてあるのです。光背とは光輪です。
2024.11.08
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こんなことを書いていたら、会社でヨガ教室を開く羽目に成りました。椅子に座るヨガ、簡単なものをやってみようかという事になりました。女子社員もヨガには、興味があるようですが、やはり教室に行くのはハードルが高く無料で教えろという事になりました。
2024.11.06
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現在多くのヨガ教室があり、多くの方(主に女性)がその教室に通われています。体を動かすことは、必要なことで、かつこのような体を痛めることが少ない運動は最適な運動だと思います。家でゴロゴロして座りしぱなしでいると、老化が余計に進んでしまうものです。運動面から見た場合、運動自体がねじりとストレッチなど体幹を中心とした動作で出来ていますので日常の動きの面から見れば、最適な運動といえると思います。激しい運動は害になると常々思っていました。また、動作自体は簡単なゆっくりした動きなので、家の中でもどこでも出来るわけですから非常に手軽であり、それが一つのブームになっていると言えるでしょう。ヨガフェスタなど、見てみましたが、非常に多くの方が参加されていました。しかし、そこで少し話してみましたが、このこころとヨガによる動きという関連の点があまり見えない点が、もったいないという惜しいと思うのです。ヨガ(ヨーガ)の成立には、前も書いていますが、瞑想と心の対応の全てがヨーガと呼ばれていたので、今のヨガはその中で動作の部分だけを、抜き出して広めたからなのです。確かに、このこころの問題を扱うことは、難しいと思いますし、下手をするとトラブルの元になるから、広く一般的にという点を考えると、今のこうならざるを得ないというのはよくわかります。
2024.11.06
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この座るヨガをおこなってよくわかることは、心の問題をどうするかだろうと思います。身体の変異が心を作り出すのですが、問題はその心がさらに身体にフィードバックしてその問題の心をより強くしていく点で問題なのです。昔よくつかむな、離せと言われましたが、心を離すことはとても難しいと思います。自分でも完全にできません。心のこの状態をどうかしようと、あがいていましたが、心で心をどうかしようというのは続かないように出来てしまうようになっています。自分の場合は不安感、それもなんとなく不安が出てくるのです。その時の身体は、やはり肩胸を中心として、なにかこわばっています。その何気ない不安にたいして、大丈夫だとか、考えすぎだとか考えで振り払おうとしますが、その時は、消えるのですが、またやってくるのです不安神経症と自嘲的に自分では言っていました。この不安を観る事を知り、それを観ることで、それが絶対永遠に続かないことがわかりました。(当たり前の話で、不安の身体を続けることは、不安の力を身体にかけ続けるのですから、続くわけが無いようにできているからです。)(そのうち不安を忘れて、他のことを考える様になり、それで不安をどうしように無いという自己嫌悪に心がなり、悪循環です。)この不安に、日本沈没か、世界の最後まで観てやる気持ちで観ると続かないのです。最後はその馬鹿さ加減に気がつくようになると、だんだんと出てこなくなるのです。不安の身体状態が現れたら、心が起こる前にそれを捕まえないようにこころを観る状態から、それを観ると気がつく事ができるようになると思っています。非常に変な言い方ですが、メタ認知という状態とでもいうものです。ふつうのわたしとべつの何かがある状態で、それが何かはわかりません。(何もないものがある 変な言い方です)だから、観ているものは誰?と言い続けているのです。
2024.11.04
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かんたんな瞑想との組み合わせでしたが自律神経の不調などは、ほんとうに良くなることがわかります。からだの不調、病気までは行かないが、なにか不調を感じるなど、多くある事です。こう言う心が不調を感じる時はよくあることですが、こころは、身体が作り出す影のようなものです。ですから、身体の中になにか変な振動、こわばり、などがあるのでしょう。見えないくらい小さいものですが気温の急激な変化などで、自律神経がうまく働かないのでしょう。ほんとに、簡単な、ねじること、体幹を中心とした、伸ばす運動です。終わった後うっすらと汗がでるくらいの負荷です。気持ちよいくらいです。簡単な呼吸を追跡する瞑想もありました。教室が終わって、しばらくすると、二週間くらいの今までの眠いとか,だるいとかの鬱的な感じなどなんとなくの不調が見事に全く消えているのです。体を調整することが、心も調整できる事、その相互関係がよくわかるヨガでした。
2024.11.02
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簡単なヨガの教室に参加することにしました。瞑想とヨガについての教室です。参加して簡単なポーズなどを行ってみました。1時間くらいですが、ほんとうに良い運動になります。マットを使わず椅子に座って行うものでした。早速効果が感じられました。非常に暑い夏が続いており、10月にはいって気候がかわり始めるとやけに眠く、だるい症状が続いていました。へんな状況なのですが、この簡単なヨガを行うと、ほんとに綺麗に消えてしまいました。
2024.11.02
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この文章は更に進んで行くのですがでは一度やってみようと思ったのが一番最初です。たしか、座って呼吸を観る瞑想(座禅)ではなく、歩く足の裏の感覚を追い続ける瞑想(経行)であったように思います。着地する足のうらの感覚を観ながら、続けているとその状態から外れる,a,b,c,と言う考えが出てきました。(おっと又考えてる)と気がついて、また足の裏の感覚を追い続けていました。(Z-Z)途切れなくその想いは出てきますが、それに気がつくと、気がつくだけで、幻の様に消えて行きます。戻らなくちゃ、とかダメだなという想いも無く、ただ気がついて観ているだけでした。それを続けて行くと、この想い(a,b,c)が減っていくのです。でも絶対に無くならないのですけど面白がって、それを続けて行くと、観ているという状態があると、想いがどうも出てこられないなにか、不思議な場、状態(気がついている場、状態)があるみたいだと気がついたんです。
2024.10.29
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内山興正著「座禅の意味と実際」 生命の覚即からその最後に(前略)「Z Z´に成りきる」ことによって、はじめて合格するのではありません。煩悩妄想を細めていって、それをすっかり断滅しきってしまうことが座禅の目的ではないのです。小乗仏教では、そういう煩悩妄想を断滅しきることを涅槃、悟りとよび、これを求めて座禅するわけですが、もしそう言う悟りを人間生命の真実であるとするならば、無生命(死)こそが生命の真実だということにほからないでしょう。(後略)
2024.10.29
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「恐怖は心を殺すもの。恐怖は全面的な忘却をもたらす小さな死。ぼくは自分の恐怖を直視しよう。それがぼくの上にも中にも通過してゆくことを許してやろう。そして通りすぎてしまったあと、ぼくは内なる目をまわして、そいつの通った跡を見るんだ。恐怖が去ってしまえば、そこにはなにもない。ぼくだけが残っていることになるんだ」デューン「砂の惑星」からこの言葉は、半世紀以上にわたって私の心に残っている文言でした。しかし、これはまさに今まで書いてきた瞑想そのものであったという事です。この著者は、もう亡くなっていますが なぜこのことを知り、それを書き残したのか不思議です。みずからのこころで、こころを観る これは観の瞑想 ヴィパッサナーそのものです。過ぎ去る恐怖を観る それはそれがそこに永遠に留まることが出来ない無常をあらわしそこにはなにもない その静かな場所の発見 わたしはいないそして、僕だけが残っている これが 観ているものは誰?なのです。何もないものが観ているとしか諸行無常(すべては通り過ぎる)諸法無我(わたしはどこにもいない)涅槃寂静(静かな場所がある)三法印の教えもう観ているものがわたしで無ければ、もう私でないものが観ているとしかみせられているとしか命がみせているとしか
2024.10.12
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聖徳太子(厩戸皇子)生母となる穴穂部間人皇女の夢枕に久世観音が現れ、そのお腹を借りたいと言われ、その口に入ったという伝承が伝えられています。いままで書いてきましたが観音とは、その口に入るとは その様な意味があります。
2024.10.09
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お釈迦様が出家を決意して、初めて師事したのが、アーラーダ・カーラーマとウドラカ・ラーマプトラという二人で前者は「無所有処」(空無辺処)という境地を後者は「非想非非想処」という境地を教えたとあります。アーラーダは、「サーンキャ学派」の哲学者であり、さらにウドラカは「サーンキャ学派」でもあり、ジャイナ教の前身である二ガンダ派の聖者であったと推定されているこの両名は、タントラ哲学とヨーガ(瞑想)を通じてお釈迦様と共通の基盤にたっていると推定しています。このサーンキャ学派はヨーガ学派と表裏一体の関係にあり、タントラ哲学ともつながりがあるわけです。このあとお釈迦様は、6年の苦行をおこなったのですが、これは二ガンタ派の修行行動を実際におこなってみたと取れるのです。初期の仏教がジャイナ教と非常に似ているのは、このためだと考えています。
2024.10.04
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サンスクリット語の JUJ (ユッジュ)という語源から出た言葉であり馬車の頸木(くびき)に馬をくくりつけるという意味を持つこれは人間の感覚器官並びに思考活動を制御して、雑念や妄想などを停止消滅させるという事になっている。(瞑想における方法は「止」(サマタ)の瞑想である)ヨーガの分類としては、制御のヨーガ苦行による方法「ラージャヨーガ」(王のヨーガ)「カルマヨーガ」(実践のヨーガ)「ジャーヤナヨーガ」(知恵のヨーガ)活用のヨーガ「ハタヨーガ」(荒行のヨーガ)「バクティヨーガ」(信仰のヨーガ)「ラヤヨーガ」(併呑のヨーガ)「マントラヨーガ」(真言のヨーガ)「カーマヨーガ」(性のヨーガ)現在日本で行なわれているヨーガとは、ハタヨーガの初歩的なもので、本来の修行に入る前の準備体操のような物である。
2024.10.02
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2023年11月9日の事でした。ある山深い小さな神社を参拝したときでした。ずっと遠い場所でしたがここは行ってみなければならない所とずっとおもっていました。そこは荒れ果てており、道も草が生い茂り、はっきりとしません。その登った場所に小さな祠があり、その掲げられたしめ縄は、朽ちて落ちていた状態でした。一応そこに参拝して、下におり始めたところどこからともなく、無数の蝶が取り囲むかのようににあらわれたのです。白い、黄色いの蝶です。何十という数です。ヒラヒラと次々とにです。この場所は北国であり、もしかすると1週間先には雪がふるかも知れないと言われているところです。でもその日は、快晴でとても暖かく、同行の方によると異常なほどの暖かさですとのことでした。そしてその蝶達はその後も100mくらい一緒についてきてくれたことを覚えています。もうこれ以上ついてくれる帰れないよと思っていましたがとても不思議な出来事です。蝶は神様のお使いと言われおり、頼みましたよ言われたのだと思います。今日、写真が届きました。藪のようだった参道は綺麗に刈られ、登りやすいように簡単な階段がもできました。その時は無かった大山祇神社と書かれた赤い鳥居も立てられることができました。多くの人の協力によって、少しですが整備のお手伝いが出来たように思います。
2024.10.01
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この事を阿字観を教えておられる方から聞きました。これは何を意味し、それをどうするのかについて
2024.09.30
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空性は、いかなる肯定的論理(である)をもってしても弁証不可能であり、否定的論理(ではない)によってのみ弁証可能とする。中観帰謬論証学派(プラーサンギガ)
2024.09.29
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これは阿字観に大きな影響を与えた伝書です。これは4つの部分からなり、段々と深くなる様に伝えられています。気になるのは二段目(3重)になる図なのです。二段目(2重)に当たるのが、阿字と蓮華が月輪に覆われてその中にある図です。これは何をしているかは、予想つきます。(光輪が全体を包んでいる状態)そして三段目(3重)の図になります。この図は金剛さった菩薩になる図とあります。阿字の部分は行ずる人が描かれており、蓮華の部分にはこの行者の下部(あの部分です)からまわりに放射する花びらとでも言うようなモノが描かれています。これをみて、私が思うことは、これはクンダリニー覚醒を生じた図ではないかと見えるのです。あの部分から体のまわりに螺旋を描いて立ち上るその状態と同じに見えてしまうのです。
2024.09.28
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思考が止まっている状態で、ここは何かしら 優しさがある 何も無いのだけど
2024.09.25
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現在蘇生技術の向上により、臨死体験をする人が増えているそこで出会う物語は、今まで言っている事と共通性を感じる。「記録された死の体験、すなわち分離する感覚、自分の人生の回顧、家のように感じる場所へ行った後に戻らなければならないと思う認識は、世界中の人々に共通していた」そこへ上がると、私は神の前にいた。力に満ちた存在だった。後ろから光が差していた。それは私が地上で経験したどんな光よりも明るかったが、目をくらます光ではなかった研究者によると、臨死体験をした多くの人々が明るい光を見たと証言しているというこの光の存在おそらくそれに続くゲートに立っているのではないかと思える。最高に優しい天使がいて私を落ち着かせてくれ、『安心して。何もかも大丈夫』と言い、私は戻らなくてはならないと告げたまさにこれは神々との対話になっている。無量光であり、無量寿であるもの(限りない光であり、限りないやさしさであるもの)
2024.09.24
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ヨガと瞑想について、特にヨガについて実際に行ってみてこのことが正しいかどうか、調べてみようとおもう。調べるとヨガはさまざまあるけど、どこを訪ねてみればよいのだろうか?もしご存じの方がおられる様なら、教えていただくとありがたいと思っています。
2024.09.21
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ジルボルトテーラーの奇跡の脳の記述に左脳がついに完全停止をよぎなくされたとき、わたしは右脳の安らかな意識につつまれ、そこでは危機感がすっかり失われていました。わたしの右脳は、過去の後悔も、現在の怖れも、未来への期待も無く今ただこの瞬間だけに存在していました。また脳出血の朝左半球が、必死にわたしの救助を指揮しようとするのに、右半球の至福の多幸感に押し止められる、というドラマまた自分にアクセスできなくなったせいで「今この瞬間」の平和な幸福感に浸ることしかできなくなりました。また回復する過程で新たに優勢になっていたのは、オープンでフレンドリーで親切で、宇宙のように広大な、右脳の〈考えるキャラ4〉でした開かれた心によってもたらされる、果てしない、心穏やかな感謝の気持ちを抱く方が好き。またやすらぎはほんとうにすぐそこにあるのです。
2024.09.19
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この症状が生じたのは、記録を遡ると2023年6月28日に記録しているよく見てると、光輪を誘導して阿字観を行なっている。初めに書いたように、地面がゆがむほどの集中状態を生じている。これらは全てつながりがあるように思える。
2024.09.18
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この領域は、今まで書いてきたものと関係があります。これは後期密教などの絵図をみていると、よくわかると思います。明妃(女性)の尊格の存在眼をハッキリと開けて見合って居る点などもうひとつわからない点は、日本における巫女の存在です。いまアニメで、逃げ上手の若君にでてくる巫女がよく知られていますが実は巫女は小学生から中学生までの年齢なのです。それも諏訪氏ですか、また恐ろしいところですが巫女は性的な方法をつかっていません。巫女の舞も本来は、それに到る方法であると考えています。イスラムのスーフィズムにもありますが、旋回する舞の意味なのです。
2024.09.10
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居るように見えて、実はわたしはどこにもいないそれがわかったらわたしは作られたものだから、わたしを作ってしまえば?どうだろうか?おこっているわたしをつくる?力がいる一番ちからがいらないのは、何も無い状態いつも何かしらニコニコしているのが、一番楽
2024.09.08
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膣壁前方上部の小さな領域からさらに場所を特定すると恥骨の直下にある、女性の尿道海綿体のことである。一般に膣に中指を全て入れて第二関節を曲げた周辺にある場合が多い。そこには、スキーン腺(小前庭腺)という分泌腺がある。スキーン腺は発生学的には男性の前立腺に相当するので、(女性には存在しないが)女性の前立腺という名称で呼ばれる場合もある。(また前立腺が出てきました。女性においてこれはGスポットと呼ばれるものです。)この部分はCUV複合体と呼ばれるものです。男性で言うと性器と前立腺は分離していますが女性では発生の過程において分離せず一体となった領域です。
2024.09.04
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これが何を意味するかというと、オーガズムとこの状態は非常に近い関係にあると推定しています。(女性のオーガズムではとんでいくとか、つきぬけていくようなとか言う表現がみられます。)女性でいえば、深いオーガズム状態が一番近いものだろうと思います。これは女性が巫女やシャーマンなどになっているのは、このためだろうと想っています。ただだからといって、セックスしていきまくれば良いと言うわけでは無く大切なものが抜けているからのはずです。そうでなければ、もっと簡単なはずだからです。おそらく、たのしい快感の方へ巻き込まれるからです。ジルボルトテイラーの著書の身体の境界がなくなり、流れていくという事に対応しているように見えます。
2024.09.04
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ずっと昔、ある年配の女性のかたの話を覚えています。このことは全く話される事はなく、結婚もされ普通の方です。しかしこの女性は、水行などの修行により神様や仏様の指導を得ることができるのです。ぽつりといわれたことはこの場所は、なにもない真っ白で、セックスなどに感じるよりもっと大きなものです。文言はこうでは無かったのですが、意味はこういうことです。別に性的な交渉などは、全くありませんが、それ以降口を閉ざされましたし、そのことは触れてはならないと言う思いで、それ以上問うこともできませんでした。
2024.09.03
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この現象なのだけどこれはドライオーガズムでは無いか思われる。ドライオーガズムでは前立腺が関係している。場所からみてちょうど対応している。しかし前立腺刺激を伴わず、正座して観音経をあげていただけです。ドライオーガズム (dry orgasm) とは、男性における伴わない性的興奮の絶頂(オーガズム)のことである。健常男性が前立腺刺激などによって、伴わないドライオーガズムに達することができる。その結果として何度もオーガズムに達することができることや(マルチプルオーガズム)、ペニスだけではなくより広範囲の性感帯を、時には全身を快感が襲うことから、女性が経験するオーガズムに類似の生理現象と考えられている。(このようにありますが、全く同感出来ます)前立腺は現代医学においてはその機能が未だよく理解されていない器官であるが、タントラ哲学においては前立腺は「聖なる場所」としてセックスの感情中枢であると考えられ、前立腺をマッサージすることにより心理的および肉体的ストレスを開放できると言われている(このような記述もありました)エナジー・オーガズムはタントラの秘法の一種であり、局部に全く触れずにオーガズムに至る方法である(後期密教がなぜあのような形になったのは、意味があるように思えます。)
2024.09.02
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この機能はとても重要で、目を合わせるその具体的な方法は目を合わせる方法は、目を観るのではないはずです。たぶんこれはもしかすると、光輪の誘導に
2024.09.01
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この機能は根源的に、無意識に行われるのですが、それが失われつつあります。とても重要なのです。しかし、これはこのことを意識的に行ってください。相手の目を見て話す事です。このことは先の子供と母親の行動を見ればそうなります。またそのことは、男女間における最も大切な機能なのです。目をあわせること、もう使われることはめった見ない言葉ですがこれを「まぐあい」といいます。「まぐあい」には、次のような意味があります。目を見つめて愛情を通わせること、めくばせ男女の情交、性交「まぐわう」の語源は「目合う」です。このことが、男女間における愛情表現に直結していますし、これが失われた状態は問題なのです。
2024.09.01
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ミラーニューロンは、私たちの持つ'心の理論'の能力に関係するシミュレーション説の研究者の注目を集めるものとなっている。心の理論とは他者の体験や行動からその人の心理的な状態 (例えば、考えや欲求)を推測する能力のことである。私たちが無意識に観察している他者の心理状態をシミュレートすることで、心の理論は可能となる。ミラーニューロンは、私たちが他者をより深く理解するために行うシミュレーションに必要となる機構です。ミラーニューロンに関連する信号が男性に比べ女性の方が強いとする研究が存在する(女性はその能力が強いのです。これはとても重要で、我が子を抱く母親が、子供に向ける微笑みは、抱かれる幼児において笑顔を母に向ける姿があります。そしてその子供の笑顔が母親の笑顔を引き出しています。これは無意識の行動なのですが、人間が人間になるために必要な機能なのです。)こどもは、親というものによって育てられないと人間に育っていかないのです。いまこの重要性は、とても大切になってきているのです。共感性羞恥心ミラーニューロンの働きは「共感性羞恥心」のメカニズムにも関係しています。共感性羞恥心とは、他人が恥ずかしい状況にあると、自分も同じように恥ずかしさや居たたまれなさを感じる心理状態です。ミラーニューロンは、他者の恥ずかしい表情や態度を観察すると、自分も同じように反応して恥ずかしさを感じることを引き起こすと考えられています。
2024.09.01
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自ら行動する時と、他の個体が行動するのを見ている状態の、両方で活動電位を発生させる神経細胞である。他の個体の行動を見て、まるで自身が同じ行動をとっているかのように"鏡"のような反応をすることから名付けられた。他人がしていることを見て、我がことのように感じる共感(エンパシー)能力を司っていると考えられている。ヒトにおいては、前運動野と下頭頂葉においてミラーニューロンと一致した脳の活動が観測されている。(このことはとても重大で、なぜ急にこのことを書き出したのには訳があります。)共感ミラーニューロンは共感とも関連付けられている。なぜなら、特定の脳領域 は自身の情動(快、不快、痛みなど)に反応し、かつ他者の情動を観察する際にも活動するからである。 サルの研究では他者の感情に共感するミラーニューロンは見つかっていない。(人間独特のもので、サルと人間を分けたモノです。)最近の研究では共感の値が高い人ほど手の動きに対するミラーニューロンシステムと情動に対するミラーニューロンシステムの活動が高いことを示し、ミラーニューロンシステムが共感と関連付けられるより直接的な証拠となっている。感情は他の人に簡単に移すことができる。(これはとても重要な事です。)これは、対面でのやり取りや非言語的な手がかりなしに、大規模なソーシャルネットワークを通じても発生する可能性がある。怒りなどの否定的な感情は、肯定的な感情よりも簡単に伝る。脳内のこの伝染の原因となるのはミラーニューロンであり、自動的に他人の感情を拾うことに特化している。したがって、他人の怒りを自分のものと誤解することさえある(これは自分の心を他人に伝える方法なのです。)
2024.09.01
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あと気がついた点は、光輪の形成だとおもいます。これはヨーガで言われるチャクラと対応していると思います。光輪は、頭上にあります。白毫相は額に、光輪を体の中心にも心臓に、
2024.08.31
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なぜこのような事が起こるか調べてきました。まず必要な事は瞑想が必要な事です。というか集中することが必要なのです。これはその前に地面がゆがむ様な状態であったことからよくわかります。あとよく言われるのは、心の浄化が必要であるという点です。これも、思考を止めるとでも言うような方法が曲がりなりにもとれるようになってきたことだとおもいます。この症状は相当問題起こすようなことが書いてありましたが、うなづけるとこがあります。これも観音様に守られてきたように想います。観音経とのであいは半世紀を超えています。何かあれば、南無観世音(観音に帰依する)と唱えなさいと教えられてきました。クンダリニーでは帰依するという事が大切であると書いてありました。
2024.08.31
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この現象は、オーガズムと呼ばれる現象ではないかと思えます。以下のwikiに書かれていた症状とよく一致します。ただそこには、性的なものは全くありません。正座してお経を読んでいるのですからゆだねているという感覚など、非常に納得がいきます。しいていうなら、時間が長く連続的なものですから女性の得る感覚に近いものです。男性は、強烈で非常に快い、神経と筋肉の脈動する多幸感を感じる。(これは全くその通りでした。)オーガズムの接近と共にこれらは速度・強度を増してゆき、最後には数秒間持続する快感の「高原」、すなわちオーガズムへと至る。(その様に移行するのですが、性的な感覚ものは全く無く全身でお尻のしたから、湧き上がる様に感じるので、それが女性の得るものに近い感覚では無いかとおもえるのです。)全身の骨格筋の収縮、過度呼吸、心悸亢進、および骨盤まわりの筋肉のリズミカルな収縮を伴い強い快感を生んだ後に弛緩状態に至る。他方で、心理学的には解放の頂点の主観的経験が見られる。またオーガズムは、一面では、喜びを感じ、ゆだねるという心理的な経験であり、その時、心はもっぱら自分の個人的な体験だけに向けられているものである。(その感覚が男性ではその部分だけですが、女性では全身に及ぼされるので、それに近い感覚ではないかとおもえるのです。)オーガズムは不随意もしくは自律的な大脳辺縁系により支配されており、性器と肛門を取り囲む下部骨盤筋群の高速な筋収縮のサイクルを伴う。(これは男性の感じる性的な感覚と酷似していて、それが長時間続いているという状態です。)オーガズムの間には脳波のパターンにはっきりとした変化が現れ、このことはオーガズムの反応における辺縁系の重要性を示している。男性と女性の脳はオーガズムの間には類似した変化を見せ、脳活動のスキャンは大脳皮質の大部分での一時的な代謝活動の低下と辺縁系での代謝活動の無変化もしくは増大を示すオランダのフローニンゲン大学医療センターの研究者たちは、オーガズムの感覚と、骨盤を中心とし肛門で計測される周波数8-13Hzで発生する筋肉の収縮との相関関係を示した。収縮のこの特有の周波数の存在により、これらの諸筋肉の随意の収縮と自然発生的な不随意の収縮とを区別することができ、これは興奮を計量するに過ぎない心拍数などのような他の測定基準よりも正確にオーガズムと相関していると彼らは論じている。「究極において主観的な経験であるところのオーガズムと強い相関を持つ客観的かつ定量的な尺度としては初めてのもの」を見出したと主張している。8-13Hzで発生する収縮の尺度はオーガズムに特有なのだという。こう言う記述もあります。ポジトロン断層法(PET)でスキャンしオーガズムのそれぞれの状態における脳の変化が観察・比較された。行動調節、恐怖、不安と結び付いている脳の領域が停止するという男女共通の変化が観測された。(これは全く同意できるところです。広がる、受け入れる、ゆだねている、恐怖とか不安などは起こりえない状態であったと思います。ありがたいという多幸感でしょう)こうした変化に関して、Holstegeはロンドン・タイムスでのインタビューで「これは、あらゆる恐怖や不安を非活性化すること、忘れることがオーガズムを得るために最も重要で、必要条件でさえあるのかもしれないということを意味します」(瞑想自体に、思考を停止させることでこれを非活性化する作用をもっていますので、うなずけます。)
2024.08.28
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終わった後この現象は何なのかという思いがありました。全く経験がなかったからです。ただそれは覚えています。全身が包まれるやさしさと快感に覆われていたことです。調べていくと、これはクンダリニーと呼ばれるモノでは無いかと思えるのです。そのときは、見えている石畳が、歩きながらうねるように見えているほどの集中状態であることを覚えています。クンダリニーをおこした人がそのあと起こすクンダリニー症候群というような、不快な症状は全くありません。ただその優しさとでもいうものに、ただただもったいないと言う思いであったことを覚えているのです。
2024.08.27
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クンダリニーについて以前このような事がありました。観音経(観世音菩薩普門品第25、法華経)を読誦しているときのことです。正座をしていました。その途中から、丁度お尻の下の会陰と呼ばれる場所から、花びらが広がるように湧き上がり全身を包むように振動とでもいうものが現れたのです。これは性的な感覚にちかいもので、それが無限に連続した感触が全身に沸き起こるものでした。これはこの経が終わるまで続きました。その始まりは、無数の経巻や観音様の像が海にしずんでいくおもいがでたのです。今読んでいるこの経がここに来るまで、どれだけのものが失われ海に沈んでいったのだろうかそれととともにどれだけの人が亡くなっていったのだろうかとそれが始まりでした。沈みゆくものを優しく、ほんとに優しく観ているものがあるのです。慈悲としか言い表せないものでした。
2024.08.27
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瞑想を行う習慣を続けていくと安静時心拍数が3.4/分低下、血圧も低下する研究結果が出ています。平均心拍数を60/分とすると5%くらい低下していることを示しています。心拍数が10/分上がると、死亡率が9%上がるという研究もあります。また心臓の心拍数は、生物の寿命につながっているので、低下していると言うことは瞑想は長寿をもたらすのではないかと思えます。心拍数は上限があり、多くなっている状態を続けていくと、寿命を縮めてしまうからです。血圧も同様で、血圧の低い人は長寿であることが知られています。高血圧は平均余命を短くする要因として知られており、日本人の死亡原因としても大きな存在です。ある研究では、40歳からの平均余命を比較した結果、高血圧の人は非高血圧の人よりも男性で2.2年、女性で2.9年短かったことが示されています。また、重篤な高血圧ほど平均余命の短縮が大きい傾向もみられます。高血圧になると、脳卒中や心筋梗塞、大動脈解離、心不全などの心臓や血管の病気を発症するリスクが高くなります。収縮期の血圧が20mmHg上がるごとに、死に至るリスクも2倍ずつ上昇するとされています。
2024.08.26
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『般舟三昧経』(はんじゅざんまいきょう)は、大乗仏教の経典。サンスクリット本は散逸していて存在そのものが未定である。チベット語訳と数種の漢訳経典が現存する。紀元前後に成立した最初期の大乗仏典のひとつであり、浄土経典の先駆と考えられる。精神統一によって仏の姿を現前に見ることを説く。内容般舟三昧(はんじゅざんまい)とは、心を集中することによって諸仏を眼前に見ることが出来る境地のことである。「十方現在仏悉在前立定(現在の仏がことごとく前に立つ精神集中)」の意で、その略語たる現在三昧を音写して般舟三昧と言う。また、諸仏現前三昧ないし仏立三昧とも意訳される。現存する仏典の中では、阿弥陀仏およびその極楽浄土 について言及のある最古の文献であり、三昧によって極楽浄土の阿弥陀仏を現前に見ることが述べられている。この経典の「行品」に見られる空の思想 は般若経典に通じるものであり、この点でも空観を説くことが比較的少ない後世の浄土経典と趣を異にする。このことから言えることは、実際に阿弥陀様を観ることが、会うことができるその方法が述べられているのです。全ては光りが、鍵であり、それには空観(からっぽな心で観る、頭にながれる邪魔なおしゃべり思考を止める必要があります。)その方法は書いてきました。神仏の存在を、大乗仏教がなにを伝えようとしてきたのか先達が何度も言い残されている様に、いつもずっとそばにおられるはずなのです。ジルボルトテイラーが言うキャラ4
2024.08.25
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BC六世紀 アケメネス朝ペルシャ支配この時代アケメネス朝のペルシャ人はゾロアスター教を信奉しているBC六世紀 お釈迦様が活躍された時代 この時期この地域までは伝来していないBC四世紀 アレキサンダー大王がこの地に到達した。BC三世紀中頃 アレキサンダーが残したギリシャ人の王国 グレコバクトリア王国が北部を支配BC265年頃(三世紀中頃)マウリヤ朝の最大領域で、アフガニスタンにインドの勢力が及ぶこの頃にこの地に、仏教が伝来したものと考えられる、この後ギリシャ人の王国が優勢となっていくBC二世紀 インドグリーク王朝(ギリシャ人王国、メナンドロス1世(経典にあるミリンダ王)の時最大となるインド北西部まで勢力を得るその直後から、北部より遊牧民サカ族や匈奴に追われた月氏の侵入が始まり、ギリシャ人の王国は崩壊する。AD一世紀 サカ族によるインドスキタイ王国が、インド北西部一帯を支配するが直後、インドパルティア王国が侵入して制圧されるこのときの王ゴンドファルネスが、キリスト教の聖トマスのインド伝導の伝承に現れるAD二世紀 このインドパルティア王国も、クシャーン朝によって、滅ぼされるカニシカ王即位AD144年~ (二世紀後半)阿弥陀仏 AD148年にはすでに安世高が無量寿経を漢訳する伝承 (二世紀後半)阿弥陀仏 AD179年に西域僧の支婁迦讖によって漢訳された『仏説般舟三昧経』(二世紀後半)AD286年(三世紀後半) 正法華経の訳出 光世音(観音菩薩)中国で訳出が起こった100年位前には、阿弥陀様や観音様が現れたと考えています。その場所は、ゾロアスター教、バラモン教、ギリシャの神々、キリスト教などが混合したこの地域では無いかとおもえるのです。
2024.08.24
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あるとき世尊は舎衛城の祇樹給 孤独園に住された。そのとき 夜更けにある天が一面を輝かせて現れ、「我が師よ、あなたはどのように 暴流を渡ったのですか」と尋ねた。世尊は「友よ、住せず、求めず、世間における執着を超えて渡った」と答えられた。天は「実に久しぶり に般涅槃したバラモンを見た。住せず、求めず、世間の執着を超えて渡った者を 」と誦した。その神は師は是認されたのだ と言った。そして自分の師によって是認されたとき、その天は世尊を右遶してそこに没した天相応にはこのような記述がいくつも続いているのです。これが何を顕わしているのか、輝く人だから立派な人間がたずねてきたという解説もありました。ただの作られたお話だと記述もありましたがこれはどう見ても、作られた話では無い様に思えるのです。
2024.08.23
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これらの仏様は、経典などの記述からおそらく二世紀に現れたことが予想出来ます。そしてその出現場所は、西域などの乾燥地帯を思い起こすのです。またそれは時代とともに、アフガニスタンなどを根拠地にしたクシャーン朝の前期の時代と重なる部分があります。インド大陸北西部分、アフガニスタンはあの有翼光輪のアケメネス朝ペルシャやアレキサンダーの領域でもあり、またゾロアスター教の発祥の地に近い場所です。おそらくはそれらの神々の発祥の場所ではないかと思えます。これは前も書きました聖トマスの伝承からも、キリスト教にも大きな影響を与えた場所に思えます。
2024.08.22
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