インターネットが当たり前になって、私もよく検索サイトを利用します。今やあらゆることについて、ネットで検索し、情報を得ることができます。しかし、情報をそのまま鵜呑みし、自分で考えることが少なくなっていないか?作者は問いかけます。
また、本書は検索関係の内容は第1章のみ、そのほとんどを「空気を読む」とは、どうゆうことか?に費やされています。
私もいつ頃かから「空気を読む」と言う言葉をよく聞くようになりました。「空気を読む」とはその場の雰囲気に合わせた行動を取る、といった意味合いになるでしょう。しかし、自分の考えと違っていたり、また自分にとって不利益なことについても、空気を読まなければならないのでしょうか?そこには、自分の意思や意見は存在せず、周りの考え方に合わすだけ…
空気を読んでばかりいると、本当に自分で考えなくなってしまうのではないかと、作者は危惧します。
確かに、地域や職場内で、あまり人と違ったことをして、浮いてしまってもいけないし、集団をうまくまとめるには、その場の意見に同調することも必要でしょう。しかし、本当に必要な時に自分の意見が言えるのか?ここはちゃんと考えないといけないと思います。
最近はいわゆる「世間」というものが消滅しつつあるようです。町内会や隣近所の付き合いも減り、世間体を気にする事もなくなりつつあるようです。人間関係が希薄になると、人と意見を交える機会も減り、ついには考える必要もなくなってきたのか…
私は自分自身のアイデンティティの証しとして、いくつかの自分なりの意見は持っておきたいと思っています。また、いろんな人から、いろんな話を聞きたいし、結局、人は人の力を借りて生きているのだと思います。
秋葉原事件にもあったように、「誰でもいいから、殺したかった」などと言うのは言語道断で、事件を起こす前にもっと自分で考えるべきでした。若者だけでなく、大人の間でも、考える力が衰えている気がします。最近の通り魔的犯罪も、少なからず考える力と関係があると思います。
作者は言います。「言葉の力などありません、あるのは力のある言葉です。」
力のある言葉を「考える」のは人間です…
悩む力 2008年12月15日
できそこないの男たち 2008年11月03日
スピリチュアルにハマる人、ハマらない人 2008年05月07日