経堂界隈

経堂界隈

April 23, 2010
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カテゴリ: 経堂町小史
世田谷区松原は、経堂駅前の福昌寺を建てた松原ご一族が開発された土地と伝わる。

それ以前には登場しない松原という地名が、赤堤から独立してきた。

最近、松原一帯の地主であられた上保さんご一族の方とお話しする機会があり、経堂にもつながってくるので、記録に残すこととした。

「松原という土地は、謂われの解らない土地ですね。経堂の松原さんのご一族が開発されたと伝わりますが、松原さんのお名前は松原の町内には見当たらない。松原は上保さんですよね」
「そうなんです。松原というのは、記録の残っていない土地なのです。上保家については、もともとは武田家に仕えていて、信玄が死んだときにも戦に同行していて、岐阜あたりまで進出していたのが、突然の撤退で、そこに取り残された。
それが、どういうご縁で、松原に住んだのか。それも解らない」

「上保さんご一族のお墓はどちらですか?西福寺から善性寺?(ともに赤堤のお寺)」

「いえ。上北沢(桜上水)の密蔵院です。一部は豪徳寺にもあります。一族の中には、吉良さんから桐のご紋を拝領した家もありますから、吉良さんともご縁のあったことでしょう。

「横浜は蒔田で、吉良さんつながりではありませんか?」
「ああ!そうですね」

吉良さんとは、徳川家康が関東に入る前に、世田谷の領主であった吉良家のことである。
赤穂浪士討ち入りで知られる吉良上野介の吉良家ともつながっている。
というか、吉良上野介が江戸幕府において高家筆頭と言われるは、吉良家は、足利一族にその出自があり、源氏の嫡流として、足利家が絶えた場合、将軍として迎えられる家柄であった。
松原には、いつの時代までか、十王堂というお寺があったというが、上保さんのお爺さんの頃には、既に途絶えていたという。
しかも、そこは上保ご一族の菩提寺ではなかった。
上保ご一族ならば、お寺の一つや二つ支えることは十分可能であった。
密蔵院が上保ご一族の菩提寺であるは、十王堂から遷されたものではない。

「武田といえば、船橋の花形さんも武田の遺臣と伺います」
「あちらのご一族の菩提寺は、常徳院でしょう。常徳院は、もともと船橋の念仏堂のところにあったものが、江戸時代に、あちらに遷されたものと伝わっています」


船橋に陣屋を構えた旗本山本与次左衛門政法は、山本勘助従兄弟の二代目と伝わる。
船橋と上北沢(桜上水)の境は、古府中道、或いは、瀧坂道。
甲州街道が拓かれる以前は、この道が主たる街道であり、その周辺には旧家臣団が配されてあった。
もしや、旧武田ご家中である上保さんは、上北沢或いは船橋から松原に移られたものであり、それゆえ、菩提寺が密蔵院にあると考えると自然に思える。

この稿続く





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Last updated  April 24, 2010 03:13:03 AM
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