経堂界隈

経堂界隈

October 21, 2010
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カテゴリ: 経堂町小史
世田谷区屈指の高級住宅地「赤堤」
過日、「 赤堤の謎 」で住宅街生成経過を考察するうちに、そうだったのかと思いあたるところがさらにあり、追加でメモしておく。

:::::::::::::::

赤堤の街区は、南北に東側から
都道423号線 、西福寺通り、 経堂駅前通りから都市計画道路補助54号線(松原駅前通り)へ抜ける道

東西に、補助54号線、赤堤通り、 ユリの木通り

それぞれを幹線道路として配置し、その間に東西、南北の細かい道路を配していく計画であったと想像される。西福寺通り、補助54号線、赤堤通りは、ほぼ計画通りに配置されたが、都道423号線、ユリの木通りは、初期の想定とは多少異なる部分がありそうだ。

今回気がついたのは、

2.同じく、補助54号線、赤堤通りに加えて、ユリの木通りも東西幹線として考えられていたと推測すること
に加え、
3. 補助54号線の北にも、東西道路が計画されていたであろうこと
である。
順番が異なるが、1、2は、3を推測したことからの連想である。

3の場所は、計画道路が一部着手されたのであろうが、整備されず半端のまま長年放置されているのか、以前から不思議に思っていた。それが、今般、赤堤の街区形成を考える中で、北側の東西幹線として、西福寺通りの延長と合流する想定だったすれば、なぜにあのような半端な道路が残されているのかが解き明かされることに思い当った。

赤堤の区画整理は、昭和初期から戦後にかけてのほぼ四半世紀をかけ、完成をみたもので、西福寺山門脇の碑にその記録が残る。
記録では完成をうたっているが、実際には、北側は下高井戸駅から、南側は経堂駅から都市化の波に洗われ、ある時点で、それより先の区画整理を断念したものと思う。
そのため、赤堤の街区は、駅から遠い三丁目を中心に整備が行われ、南北は、区画整理と都市化のせめぎ合いの痕跡が今に残った。

碁盤の目状の中に古道の痕跡が分断されて残る赤堤は、このような計画とその一応の完成までの経過がもたらしたものと考える。





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Last updated  October 22, 2010 03:11:48 AM
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