ヘイフリックの限界part2

ヘイフリックの限界part2

2006.11.23
XML
カテゴリ: カテゴリ未分類



次は、引揚げてきてすぐ母の親戚宅でお世話になっている頃、薄暗い部屋の記憶がある。
そして、熊本市内の花園町の長屋で過ごしていた。遊んでいたら、ある時天から大きな石が突然降ってきた。


 誰かが叫んだ。「マアチャンが、頭をうっぽいだー。」母は、絶句したらしい。その時のことを覚えている。ガッーンと頭に何かが当たり、出血したが、そんなに痛くはなかった。周りで大騒ぎしているのはぼんやり分かっていたが、何のことか、訳が分からずに座り込み気絶したらしい。目が覚めて、母がりんごを勧めた。りんごはあまり好きではなかったが、その時は美味しいと思った。誰かが屋根に投げた石が私の頭を直撃したらしい。今も頭の上が丸くない。凹んでいる。

 それから、小学生の入学の時、母に手を引かれて、桜の門を潜ったのを鮮やかに覚えている。確か入学式があり、遅れて式に出席するので慌てている母の手に引かれて、手が痛かった。この前、母校の城西小学校をインターネットでみたら、めづらしい桜で有名な小学校だった。


父が、今の公文みたいなことをやり、毎日計算をさせられた。お陰で、計算だけは速くなったが、内省的で目立たない存在だった。自分より利口そうにみえる奴が嫌いだったのかも・・・。世の中のことが全く分からなかったし、どうして、自分が人間なのか理解できなかったのだ。近くの山に登り、夕方になり暗くなって、首吊りした枝や、梟がいて、やたら怖かった。熊本の田舎で、無駄な少年時代を過ごしたようだ。


 中学、高校と先生にも友人にも、学問にも大した出会いはなかった。それでも、下○孝志や今○直久とは、昔と変わらず、今も付き合っている。


 母は、誰からも好かれる女性で、51歳で、胃癌で亡くなった。母は幼くして、盲腸炎で親と死別していた。親に縁の薄い女性だった。信じられないが、当時は病気に対する知識がなく、虫垂炎で冷やさないといけないのに患部を温めたそうだ、多分腹膜炎を起こして死んだらしい。











お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう

最終更新日  2006.11.23 08:55:42
コメントを書く


【毎日開催】
15記事にいいね!で1ポイント
10秒滞在
いいね! -- / --
おめでとうございます!
ミッションを達成しました。
※「ポイントを獲得する」ボタンを押すと広告が表示されます。
x
X

© Rakuten Group, Inc.
X
Mobilize your Site
スマートフォン版を閲覧 | PC版を閲覧
Share by: