ヘイフリックの限界part2

ヘイフリックの限界part2

2019.01.30
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和白干潟 ハクセキレイ







日本人には「普遍性への確信」が欠如しているという或る評論家の話に、常日頃考えていた核心があるかも知れないと思った。確かに欧米人には「普遍性の確信」に近い差別意識がある。それが衣の下から垣間見られることが何度もあった。当たり障りのないことをいっているが、それは外交辞令でしかない。表と裏の使い分けが上手いのは、子供のころから宗教というスキルを受けているからでもある。

 ・いざという時の、彼らの「普遍性」はどこにあるか、そしてその「確信」は長い年月によって凝り固まったものになっている。それは彼らの思考に張り付いた強固な潜在意識にもなっているのだ。それによって、原爆のスイッチも押すことができるだろうし、これからの核戦争のスイッチも押すだろう。この厄介な確信は、そう簡単には払拭できそうにないものだ。それは本当に「普遍性」なのだろうか。欧米人の、欧米人による、欧米人のための「普遍性への確信」でしかない。それが世界の「普遍性」ではないことは明らかだ。それをグロバール化しようとしているに過ぎない。インターナショナリゼーションではない。

 ・へ2・・・日本人の「普遍性への確信」の無さが、混乱している。それは欠如であり、欠落に近い。日本人のナショナル・コンセンサスとは、アンシャン・レジュームへの回帰ではない筈だ。何によって「普遍性」を手に入れることができるだろうか。そう容易く手にいるものでもあるまい。「普遍性」も「確信」も日本人の最も苦手なエリアでもある。







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最終更新日  2019.01.30 15:04:10
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