


何が問題の所在なのだろうか。憲法改正の議論も、国民の敗戦への歴史認識が曖昧では話にならない。憲法は確かに押しつけ憲法であるが、それは日本国民の側にも問題があるのは事実だろう。なぜ問題の核心を問わないのだろうか。それを抜きにして、憲法改正しようとする態度は真摯とは言えないのではないのだろうか。議論もできないのか、公平さが問われる所以だ。普遍的妥当性は問えないのだろうか。
不毛の議論をしても意味がない。中国や韓国が何を言っているのか知るべきだろう。そしてすべきことをすべきだ。これから愈々厳しい時代が来る。生き残る努力をしていくしかない。広い識見と洞察力を持ち、近未来の予見をしなければならない。
戦争の悲惨さを忘れつつある今だからこそ、国民が、政府に間違った政治をされ世界の孤児になったことを反省すべきだろう。この道しかないと言われたのだ。政府の暴走をさせないのが国民の役割でもある。