ヘイフリックの限界part2

ヘイフリックの限界part2

2022.04.27
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ことの善悪が判り難い。水戸黄門も何をしているのか、見ようによって善悪が逆転したりする。「篤姫」も徳川将軍の妻の話で、美化したとしか言いようがなく、嘘が真か、真が嘘か、解りはしない。作者のてにかかれば、善人にも悪人にもなる。家康の評判も昔と相当変わっている。土台確りした一次史料が少なく、東照宮にしてしまうくらいだから、神様扱いなのだ。都合の悪いことは消してしまうのだから、客観的であるはずがなく、実際どういう人物なのか、著者の見方で変わってくる。未だに、ああでもない、こうでもないと定見がない。人物評価できるベースにないものが作れないからだろう。



 ・神様ではないから、ひとの裏表は自分の見えるところしか見えない。随分ウソをつかれてきたから、少しは疑い深くなっている。だから、取り敢えず信用しない。いくつか真実が重なれば、少し信頼するが、全部ではない。最後にごろりと変わる人もいるから、下駄を履くまでは判らないのが人の評価だろう。それでも、死んでから解かる事実もあったりするから、これまた、下駄を履くのは相当経ってからのほうがいいのかも知れない。毛沢東も偉大な指導者だと誰もがいっていたが、最近の北京市民の評価は6;4だという、現地ガイドの話もある。どんなリサーチか知らない。彼のはなしから、まあない話ではないと一応納得もしている。これも疑う余地があるだろうが。








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最終更新日  2022.04.27 09:25:42
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