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すっかり介護ブログを放置してました。ご無沙汰しております。実に半年ぶりに更新です。義母がGHに入所して、ほぼ1年が経ちました。最初の3ヶ月くらいは反応が良かったのですが、私の訪問が週1から2週に1、そして月1くらいになるのに比例して、5月くらいには、もうすっかり私のことは忘れられました。それは当たり前の話です。あれだけ義母の側にいることが苦しかったのに、離れてみたら余計にダメになってしまってます。義母の入所で楽になって、気持ちもグッと明るくなったにもかかわらずです。基本的には穏やかな義母ですが、面会に行くと「この人、誰?」と、すっかり赤の他人。ちょっとでも義母の意にそぐわないと、結構鋭い目で睨まれます。普段一緒に居ない変な人に話しかけられても困るわ…的な。そんな顔です。忘れられたのが悲しいとか寂しいとかは全くありません。ただあの目で見られると、まだドキドキします。義母は徘徊が無くなったおかげで結構太りました。今までMサイズで良かったのがLLサイズに。胸から上はそう変わらないのですが、胃から下、お腹がポッコリ出てます。衣服も結構買い換えました。夜、不安定になって不穏なこともあるらしく、6月くらいから安定剤も少し飲み始めてるそうです。おかげで夜は目が覚めることはあっても、そのまま布団に横になったまま。ただ起床してから朝食まではちょっと不機嫌。朝食後は落ち着いて、いつもの義母になる。そんな毎日らしいです。そうだ、お腹がすいてるとちょっと不安定なことはありましたっけ。この1年、微熱がちょっとあったのが数日あったくらいで、義母は病気もせず本当に元気に無事に過ごせています。ロングショートを利用してた時は周辺症状がひどかったのですが、入所後はスタッフさんが肩透かしを食らったとついいってしまったほど落ち着いてます。ありがたいことです。夏に介護度の見直しがあって、これだけ落ち着いてるのなら介護度も下がるかも…と言われたのですが、残念ながら「5」のままでした。私の方といえば、これだけ毎日が自分のために過ごせるのが嬉しくて、嬉しすぎて、もうダラダラしっぱなし。趣味のパッチワークもサークルに入って、楽しくやってます。一度逃げるとダメですね。また新しい関係を築けると思ったのが、更に足が向かなくなり、鬼嫁モードも拍車がかかってます。でも今のうちに充電しておきます。もしもの時はまた頑張らないといけないと思うので。春からTwitter始めました。時々つぶやいてるので、よかったら覗いてやってください。https://twitter.com/hirikei介護は今はまだ反省するにも自分を冷静には見られないけれど、こんなことあったなぁってきちんと思い出せるようになれるといいな。介護に向き合ってらっしゃるみなさん、本当にお疲れ様です。こんなバタバタジタバタの介護の例もある、と笑ってやってください。また多くの方にコメントなどを通じて支えてもらいました。ありがとうございました。応援クリックも。皆さんのおかげでここまで来れたと、本当に心から思っています。では、またTwitterに遊びに来てくださいね。もしかすると、またここのブログで「王様の耳はロバの耳!」とか言ってるかもしれませんが(^_^;)
2012年10月12日
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昨日は義母とはもう40年以上のお付き合いになる方、お二人と一緒に面会に行ってきました。お一人は近くですが、もうお一人は住まいを県外に移され、また85歳とご高齢なので、「もうここに来られるのも最後かもしれないから・・」と、たくさんのお土産を持ってきてくださいました。 義母に会われるのはおよそ2年ぶり。前回はなんとかお顔も名前を覚えていた義母ですが、現在では息子の名前と顔すら分からない状態。一応、お二人には義母の現状をお伝えしたのですが、やはり信じられないといった感じで「もしかしたら私たちのことは分かるかも。だって前の時はおぼえていてくれたもの」と期待されてましたが、現実はなかなか厳しく・・・。 一方通行の会話に戸惑いつつも、あれこれ話しかけておられたご友人。だけどそれが義母には逆効果だったようで、だんだん不穏な雰囲気に。あの「私がこの中で一番バカだから」のセリフもポンポン出て、目も釣り上がり気味。更に他の利用者さんも同じテーブルに参加してきて、それをさりげなくフォローする為にスタッフさんもついたことから大人数に。スタッフさんがご友人がたにGHでの義母の様子を話してくださったのが徒となり、ますます分からない会話に義母もイライラしてきた様子。私を指さし、「この人が一番バカだって言うの。私がバカだから、rtfぎゅひじょk…」とブツブツ。久しぶりのその台詞に、私もちょっと苦しくなってしまいました。ニコニコとして聞かなかったことにしたのですが、その笑い顔が逆に良くなかったようです。義母が「もう私はこれで帰りますわ」と椅子から立ち上がってしまいました。別のスタッフさんがさりげなく義母を一旦、テーブルから離してくださった隙に、私たちも帰ることにしました。時間にして僅か20分くらいのことでした。 お宅まで送る車中では、お二人とも涙ぐまれてました。義母が元気で、昔言葉でいえば賢婦人だったころの印象が強かったので、とても信じられない・・といった想いのようでした。お二人に比べると5~10歳ほど義母の方が若いのに・・・と。 覚えのない人から次々に話しかけられたら、義母もそれは不安と言うか、訳分からなくなったのでしょうね。私は会話には参加しないようにしてたのですが、結果的に大勢で義母の分からない話をしてるように思われたようで、義母が不穏になってしまって申し訳なかったです。私も前の「この人が一番私をバカにしてるのよ」を思い出して、本当に胸がドキドキしてしまいました。ちょっとタイミングと言うか、持っていきかたが悪かったですね。スタッフさんのせいにするわけではないのですが、私たちにしか分からない会話をしたので義母も気分よくないですよね。 今度会う時は、もし他の方もお連れする時は、もっと考えた面会にしないといけませんね。もう義母に会うのはよそう・・・と思ってしまわれることないように。義母にはわからないかもしれないけれど、義母の知人の方々には「また会いたい」と思ってもらえたい。 ちょっと後味の悪い面会になってしまいました。
2012年04月20日
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春はちょっと人の心をウキウキさせる力があるんですね。桜も満開で気温が急上昇した日の夜中、ちょいと散歩にでてしまったそうで。 ここのGHのスタッフさんはとても献身的で、夜中も無理のない程度にトイレ誘導をしてなるべく排便・排尿を紙おむつの中にしないで済むようにしてくださってます。その日もスタッフさんがそっと義母の部屋を覗いてみたらモソモソっと布団の中で動いていたので、きちんと起こしてトイレ誘導し、きちんと終えて部屋に戻し、また布団の中に入って電気も暗くしたので、では次の方の部屋へ・・・と廻って行ったそうです。次の方の御世話も終えて、ふと気になって義母の部屋を覗いてみたら、義母がいない!!!!普段出入りするドアはカギを締めているけれど、その日はっかり非常階段につながるドアのカギを締め忘れてしまったそうで、更には簡単には開けられないはずの網戸さえも器用に開けた跡があり、義母が外に出て行ってしまったのが分かったそうです。 義母が布団に入るのを見てから外に出て行ったのに気付くまでにおよそ15分。とにかく警察に連絡して、捜索態勢に入ったそうです。そうそう、このGHは地元の方や学校、消防署などとの連携も普段から密にしてて、先日の運営会議でもその方々が来られてました。他もそうなのかもしれませんが、数か月に1度は小さいバザーや催し物なども開いて、利用者家族はもちろん、地元の方とも関わりを持とうと努力してくれてるので、そういった意味でも安心できるホームです。 さて義母はほどなく発見されました。夜中の12時過ぎのことだったのですが、GHから義母の足でも10分くらいのところにあるおうどん屋さんが、パジャマ姿でふらふらっと歩いている義母を見つけて声をかけ、話をしようにも通じないので、これは…と警察に通報。ちょうど付近のGHからも捜索願が出されてるので・・と、話ははやく、警察が駆けつけて義母を連れてGHへ、そして確認、義母も自室へ・・となりました。 その翌朝、GHではお花見に車で近場の公園へ行く予定になってて、気温に応じたちょうどよい上着がなかったので、朝一番で私が届けに行ったのですが、GHに着いた途端に管理者さんがすぐ飛び出て来て、「申し訳ありません、実は…」と事の顛末をはなしてくださいまして、「すべてこちらの不手際です、申し訳ありません!」と何度も頭を下げられました。 いえいえ、申し訳ないのはこちらの方でして・・・。鍵の締め忘れ箇所があったとはいえ、今まで外に自分から出ていくようなそぶりはほとんど見せなかった義母。簡単には開けにくい所もなんとかこじ開けて、とにかく外に行ってみたくなったのでしょうか。無事に、ケガももちろんなく、薄着だったにも関わらず熱を出すことも無く、いたって元気!なので何よりです。 そういえば、去年も同じような頃に、やっぱり行方不明騒ぎがありましたっけ。お花見客でごったがえす公園や観光地を、夫と走り回って義母を捜したものでした。あれからちょうど1年。春はご用心!ですね。
2012年04月16日
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先日、夫が久しぶりに義母に面会に行きました。ちょうど会社の規定で休みを取らなければならなくて、連休の1週間でした。私も同窓会があって3日ほど留守した後に、家族3人で小旅行したり、ちょっとバタバタしてましたが、夫がふっと「GHに行ってみるか」と。やっとその気になったか! 夫は昨年末以来の面会。 その時はドアを開けたらすぐに私たちを認識してくれたけど、今はキョトンとした顔。 義母の両脇に座ったけれど、やっぱり夫を息子と、私を嫁とはもう分からないようです。でも夫もそこはもう承知してるので、その上で自然に「お母さん、・・・」とあれこれしゃべりかけてました。返答は頓珍漢でも、夫を拒否することは全く見られず、ニコニコと上機嫌で良かったです。夫が義弟が先日帰省してきたことを話しかけたのですが、もう息子たちの名前も分からなくなってました。 ピンときてないというか。 逆に申し訳なかったのが、私の名前はまだ記憶に残ってたこと。私とその名前はつながらないのですが、同じテーブルについていた他の方を見ながらあれこれしゃべってるのですが、その方を昔飼ってた猫の名前や私の名前で呼びかけてるんです。なんだか夫に申し訳ない気持ちになってしまいました。 先週は少し風邪をひいて発熱もあったようですが、すぐに平熱に戻って元気を取り戻したそうです。 少し鼻水が残ってましたが、食欲も旺盛だとか。入所して5カ月。ちょっと体重も増えたとかで、衣類もこれからはやや大きめの方が着替えがしやすそうとのこと。肩~胸はそう思わなかったのですが、確かにお腹周りがやや大きくなったような。介護が本格的に始まってからは、少しずつ痩せていった義母でしたので、良い意味で太ったのだと思います。 さぁ、夫は今度はいつ「行こう」と思うのでしょうか。別に冷たいとか、会うだけが親思いだとは思わないので、これが夫にとってちょうどいい義母との距離なのかもしれません。時々「母親に××しておいてやってやぁ~」と丸投げされることはありますが
2012年04月09日
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すっかりご無沙汰してます。義母がGHに入ってからというもの、気力がぷっつりと切れたようになって最初こそ週1の面会だったのが、この頃は2週間に1度になってしまってます。夫に至っては昨年末に行ったきり! 最初は病気が進んだ自分の母親に合うのが辛いのだろうか・・と思ったのですが、単に面倒臭いというか、自分のことをほぼ忘れてしまって会話にならないのに付き合うのには足が進まないって感じみたいです。もう~~~っ! それに近いのはずっと前から私がやってたんですけど!!??一度、さりげなく誘ってみたのですが、仕事が忙しい日が続いているせいか、たまの休みは自分のペースでのんびりしたいようで。冷たいとかいうよりも、今の優先順位を気持ちのままにしてるみたいです。ま、その点は私も人のこと、言えませんが・・・ さて先日、義弟さんが久しぶりにやってきました。出張で大阪まで来たので、ついでに松山まで足を伸ばしたとか。大阪~松山って電車だと3時間以上かかるのに、「ついで」ってのが良いですね。夫よ、見習いなさい! ただその連絡があったのが前日でして・・・。慌てて大掃除です。 ←これも日頃からやってたらいい話なんですが・・・大阪での仕事を終えて松山に着いたのが10時ちょっと前。お疲れ様です。 実は翌日は私が早朝から用があって義弟さんについて行ってあげられなかったのですが、義弟さんはいつものようにひょうひょうと「大丈夫っすよ~」と。(義弟といっても私と同じ年、誕生日でいえばあちらが早いくらいなんですが) 翌日、義弟さんが東京へ戻ってから電話がありまして、夫が様子を聞くと、やっぱり義弟のことはすっかり分からなくなってたとのことでした。半年ほど前にショートステイ先であった時はまだ反応も良かったのですが、もう義母の世界はGHの中のもの限定になってるようです。 ある程度の段階を見てきた私たちに比べると、きっと義弟さんの受けたショックや哀しみは深いのでしょうけど、この兄弟は割合に冷静というか、切り替えが早いというか、ありのままを受け止める力があるようです。私だったら狼狽するだけだろうに。
2012年03月28日
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週1~2周1くらいの面会では、義母にはもう私は記憶に残らない人になったかも。 いつもならお昼過ぎの時間帯に面会にいくのですが、ちょうど出かける用事もあって、先日は午前中の、それも10時くらいに行ってみました。朝食や朝の一連の活動を終え、みなさんそれぞれの思い通りの過ごし方に入った時間だったようです。 フロアーに入るドアを開けるとドアに付けられたベルが鳴るので、これまでの義母ならその音のする方に顔をすぐに向けて、誰が入って来るかを確認していたのだけど、この頃は全く顔を向けなくなっています。私の顔を覚えていたのはひと月くらい前までだったでしょうか。義母に向かって直接に「こんにちは」と言えば、親しい人だという認識でもってニッコリ笑顔をしてくれていたけれど、だんだん「あれ・・・、えっと・・・」という顔つきに。スタッフさんが「お嫁さんがきてくれましたよ~」と声かけしてくれたのに、それにすら反応しなかった。目の前の物や人の方に関心がいっていたからでしょうけど、私が誰であるかを確認しよう、思いだそう、そんな動作をしなくなりました。 スタッフさんが私を指して「○○子さん、この方、誰でしたっけ?」と尋ねても、義母は一瞬、私の方に顔を向けたものの、考えようとする素振りも見せません。お気に入りの草花の写真集をめくるのに気がいっているのでしょう。 どうやらすっかり忘れられたようです。 ちょっと前なら親しい人、身近にいる人の代名詞というか、そんな感じで私の名前がよく出てたそうですが、それもこの頃は出なくなったようです。 ちなみに夫の方はもう2カ月は会ってません。仕事でかなり忙しいのと、夫自身が精神的に落ち込んだことがあって、スタッフさんからも「今日は息子さんは・・・」と、暗に面会に来るように願われましたが、夫にそれを伝えても、「じゃぁ、行くか」とはならないようで。母親の現実を受け止められないとかではなく、目の前の仕事に向き合うのに一杯で、面会に行っても会話にならないので、それに付き合える心の余裕が今の夫には無いといったところのようです。 義母が私に関心が無いのは別に悲しくはありません。今なにかをやってる最中に他の事柄を足されても、もうそれに対応できない段階にきてる、そんなところなのでしょうか。 義母が草花の本に夢中になってる時、スタッフさんが昼食の煮物の材料を持ってきて、皆さんに材料の名前を言ってもらってました。これも訓練(・・という言い方はちょっと変ですね)なんでしょう。何人かの方は普段はほとんど言葉を発しないようですが、目はしっかりと食材に向けられてます。 うち一人の方は、正しくはなくても野菜の名前をいくつも挙げてました。義母はというと、ほとんど「我関せず」状態。誰かが「人参」と言っても耳に入らず、そちらの方へも目もやらず、本の中の植物を指差し、独り言をぶつぶつ・・・。 スタッフさんが義母の手に人参を取らせようとしたけど、興味無し。とりあえず顔は穏やかに見えたので、不機嫌でもなさそう。夢中になって本を見てるのは良いですね。 ある意味、集中力は保たれてます。 その日はこれから別の用もあったので、義母の衣類の不足品を足して、およそ20分でGHを後にしました。いつも帰り際には義母に「お義母さん、また来ますね」と握手するのですが、この日は義母の反応もいま一つ。いつもなら目をウルウルさせるくらいの笑顔なのに、「あら、そう・・・」とそっけない。ドアを出る時も手を振ってくれるのに、今回は見向きもしない。 う~ん、義母のタイミングの悪い時に来ちゃったかな?
2012年03月03日
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A叔母の介護に関する騒動(?)は、おそらくA姪さんは大変な状況でしょうが、私の中ではだいぶん鎮火しました。2~3日に一度ほどふっと思い出すこともありますが、落ち込むような感覚はほとんどなく、A姪さんがケアマネもしてるし、ソーシャルワーカーへも相談したら・・・と言ってみたこともあり、たぶん大丈夫だろう・・・と。若干の後ろめたさはぬぐえませんがね。 同じ「姪」の立場でもあるわけなので・・。 さて義母です。週に1度はGHへ行くようにしてますが、やはり毎日会わないと忘れられるようで、回を増すごとに私の存在は薄くなっていきました。仕方ないことですね。救われるのはほとんどの場合、とても機嫌が良いこと。同じフロアの方は割合に黙ったままの方が多いのですが、義母は独り言が多いタイプで、穏やかに何か目にしたものの感想を言ってます。 特にスタッフさんに迷惑をかけるようなことも無いのが一番ホッとしてる点です。さすがプロですね。 私だとうまく義母の機嫌を損ねずに対応できないと思うので、義母が穏やかなのはとても救われます。 さて今週の義母はというと、先週の初めに夜中に目が覚めて自室から出てきた時、よく目が覚めてなかったのか、横開きのドアの端で右目辺りを強打してしまい、見事に腫れあがったのが、だいぶん腫れも治まって、目もきれいに開いてました。ただ顔の周りがかなりカラフルで・・・いや、笑っちゃいけないんですけどね、本当に黒っぽいのから青、紫、黄色と、3~4色ほど揃ってまして。 強打したことはすぐ忘れてしまうものの、やはり傷みや目の開きが少し悪いことが気になるようで、盛んに手を右目あたりに当ててたのが、一昨日はほとんど気にならない感じでした。スタッフさんから見守りが不十分ですみません・・と謝られましたが、とんでもない!入所してからずっと、鼻水一つ出すことなく、とても明るく元気に暮らせてるのはGHのおかげです。 そういえば、徘徊がひどくなった春ごろにも転倒してやっぱり目のあたりを腫らしたことがありましたっけ。あれからほぼ1年。 あっという間に感じるのは今、余裕があるからでしょうね。
2012年02月24日
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日が空いてしまいました。一度書いて保存したはずが、相性が悪かったのかエラー続きで、なんだかその間に気持ちも落ち着いて、書いていたことを読み返すと、なんだか一人でヒートアップしてたなぁ・・と恥ずかしくも思えて、記事をアップすることができませんでした。 実際にA姪さんとのバトル(?)から日が経ち、細かいやりとりも思いだせない部分もあります。話をはしょると、ただこちらがお金が無いから支援しないのではなく、意味が感じられないから払わない!の意志だけははっきりと言えました。 看護師でもありケアマネもしていると言う割には、認知症の患者がどれだけ大変かを実感したのはA叔母のケースが初めてだったようで、一つ一つの周辺症状のケースを語られた時も、私もその一つ一つに共感して義母の例も話しましたし、A姪さんが「どうして私だけがこんな苦労をしてるのかと・・」と訴えてきた時も私も夫の母親というだけで、なんでここまで私が苦しい想いをするのかと、介護鬱になってたことも話しました。どうもA姪さんは情に訴えてもダメだと思ったようで、率直に金銭的な話をし始めました。しかも私の両親の仕事ではある程度は財産があるというイメージがあるので、その辺りからも言われ、さすがに私もカチンと来ました。 確かに一時期は羽振りは良かったものの、田舎のことで商売の才能も無く、結局は借金を返すので財産は使ってしまったし、両親は離婚しているし、実父は年金で賄える老人福祉施設へ入所し、実母は他界、両親が遺した不動産も清算できていないし、当てにされても困ると。また私自身はサラリーマン家庭であり、働きに出ないでもいい程度の暮らしはできているが、もし仮にパートでもしたら月に僅かなら出せないことも無いけれど・・・と言ったら、A姪「なら、そうしてください!!」 と言われてしまったので、はっきりともし私が働きに出て得たお金なら、いつまで続くか分からないことに使うのではなく、たとえ1円でも無駄にせず、家族、特に子供の為に使いたい、と怒鳴りました。はい、電話先で怒鳴りました。A姪「私にも子供がいます!」(でも、どうももう社会人のようでした。)これからまだまだ教育でお金もかかるし、自立できるようにさせるためにしてやりたいことはたくさんある。 まずは子供の為なら喜んで働きますが、家族のため以外にそんなことはしたくありません!と。割合にこちらは穏やかに・・・と思っての口調を保っていましたが、どうにも私も感情を抑えられませんでした。なぜA叔母の兄弟姉妹がしないことを、姪とはいえ、義務も無い私が働いてまでお金を出さないといけないのですか?と。A姪「私はそれをしているのです!!!」なぜそうしたのですか? なぜ続かないことをしなければならないのですか?共倒れするのは目に見えてるのに、なぜそうしたのですか?A姪「そうしないと、A叔母が死ぬからです!!!!」だから、他の方法を考えましょうよ。 このままだとそちらも続かないことだというのは明らかでしょう?A姪「私を責めるんですねっ! 冷たいんですねっ!!!! 死ねというのですねっ!!!!」 あちらもヒートアップしてきました。 どうやっても私が協力するとは言わないし、ああ言えばこう言うで頑固(?)だし、「もういいですっ!!!死ねと言うならもういいですよ!!!!!!」と怒鳴ってきたので、私も受話器を下ろしました。 その後2はしばらく、ずっと落ち込んでました。人としてどうよ、本当にお金に困ったらA叔母はGHから出されるだろうし、A姪さんも確かにこまっていることであるし。義母の時のように、なんだか私ひとりが責められてるような気持ちになって、涙がとまらない気持にもなりました。 でもコメントを残してくださった方の言葉にもありましたが、この方法で私は家族と、そして自分を守りたいと思ってます。冷たいと言われて哀しかったし、なんでこんな思いをしないといけないのか・・と落ち込みもしましたが、私は私のこのスタイルを貫くことにしました。 あれからA姪はもちろん、だれからも連絡はありません。私には兄がいますが、そちらの情報はA叔母の住所録にはなかったようで、A姪さんからは何も触れられませんでした。こちらも職業的にはかなり安定はしていますが、家庭的な事情を抱えているので、将にそれどころではない兄一家です。念のためにこの話は伝えておきました。 まだどこかで引きずってますが、見捨てたと思われても仕方ないけれど、でも私もできないことはしない!と決めました。
2012年02月19日
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遠い親戚からの電話の続きです。 A姪さんがA叔母の症状の大変さを一方的に語った後、その大変さが分かりますか?と言われたので、私も思いっきり「よ~く分かりますよ! 姑も警察のお世話に何度もお世話になりましたので」と返しましたら、相手が一瞬言葉に詰まりました。 私の姑も認知症で、要介護5で、つい最近GHに入所しましてやっと落ち着いたところです。A姪「姑さん、おいくつなんですか?」75歳です。 アルツハイマーと分かったのは5年ほど前で、ほぼ同居なので、その大変さは本当に良く分かります。A姪「だったら私の辛さも分かりますよね」はい。だからできることを、続けられることをしないととても苦しいのだということも分かります。 こう言った時、A姪さんは少し口調が厳しく荒げるような感じのイントネーションになりました。「GHに入られたらわかりますよね、どれくらいお金がかかるか。」はい、ほぼ姑の年金で賄えてます。 ・・・どうやらやっと本題のようです。 A叔母はA叔父と夫婦二人で子供がいません。A叔父と私の両親とは同じ業種の商売をしていました。一時期、両親の商売で資金繰りが厳しくなった時に、A叔父に借金をしました。滞ることなく短期間で完済できましたが、幼いころから貧乏で苦労した私の母とA叔父。苦労を重ねて商売で成功し、時にA叔父はそれを自慢げに話すだけでなく、周りの人を侮辱するような言動をもたびたび起こしていました。努力しない奴が貧乏なんだ、貧乏はバカがすることなんだ・・と。自分より劣っている点を他人に見つけると、それを鋭く突くことも。私の母はそれにはぐっと耐えてはいたものの、やはり長年の想いがつのり、晩年にはほぼ絶縁状態になっていました。A叔母はあまりそういう面では母と衝突することはなかったようですが、A叔父の言動はイコールA叔母のスタンスでもあり、A叔母側の親戚からも快く思われてないこともあったようです。 A姪「A叔父たちから貧乏だとバカにされてきた私たち一家ですけど、それでもそれは別のことだと思って、A叔母のお世話をしてるんです。」それは親戚の一人としてありがたいことだと思います。私の両親もA叔父からは詰られることも度々でしたから、お気持ちはよくわかります。最期はほぼ絶縁でした。A叔母と話をしたのは3年ちょっと前に母が亡くなったのをお知らせした時くらいで、その前後はほとんど私も20年くらいはしゃべってませんでしたよ。A姪「私の母は面倒見たくないからと言って電話番号を変えてしまって連絡つかないし、弟もなしのつぶて。 あなたの側のご親せきも数人連絡しましたけど、だれも協力してくれないんですよ。」家の側の親戚筋も、皆ほぼ70才前後で、そうお金に余裕がある人ではありませんし、むしろ困ってる方だし、長女だった私の母に自分たちの両親の法事に関してさえも金銭的に全て頼ってたくらいですからね。それに離れて住んでいるでしょう? なかなか出てこれないんですよね。(地理的には山陰と知多半島の端っこ、と高知の距離です。飛行機の直行便もありません。) A叔父亡き後、暮らしに困ることがないくらいは十分に遺されていたはずなのに、A姪さんが訪ねた時にはほとんど残っておらず、通帳には100万円ほどしかなく、また年金を担保に郵便局に借金(?)もいくらかあるそうで、年金をあてにはできないとか。 A姪「それから旅行を何回もしてたみたいで、それがわかったのも、旅行会社からいろいろパンフレットが届いたりしてわかったんです。」・・・はぁ。 A姪「今、A叔母がどこに旅行に行ったか、調べてもらってるんです!」・・・それ、今さらって気もしますが。 意味があるんですか?A姪「どうお金を使ったが分かるでしょう!?」・・・いや、もう使ってしまったのなら取り返すこともできないでしょう?A姪「とにかく私が調べてもらうように頼んでます!」(私の心の中では)だから~、過去の行動を調べて知って、どうするのよ。A姪「お金もあちこち行った時に配ってたみたいで、ぽち袋もたくさんあって・・・!」(結果論として、それをたどれるものではないでしょうし、仮に誰かが分かっても どうやって取り返すのか? 金銭授受の証拠もないし。)まぁ自己破産などの手続きとかで必要かもしれませんが、教えてくれるんですか?A姪「教えてくれますよ! だから今、調べてもらってます!!」 借金があるのなら、とりあえず返せる分は返して、自己破産なり生活保護なりの方法も・・A姪「生活保護申請なら、今、やってます!」(やってなかったんかい! やってる途中で結果もまだ出てないのに、どうしろと??)A姪「連れてきたのは夏で、病院に入院してたからパジャマで大丈夫でしょう? でも今は冬。衣服だっているでしょう! それらも全部私が用意して揃えたんです!!」(これまでのA叔母さんの衣服や生活用品はどうやらそのままのようです)それはお手数をおかけしましたね。 確かに実際に必要な品々を用意してることでは大変な負担を負ってもらってますが、なんだかもっとうまくできる方法はなかったのだろうかと、つい私も思ってしまいました。 貯金の100万と言うのは今は・・A姪「精神病院に入院したって言いましたよね!! その時にだいぶん使って!!」借金もあるなら自己破産でもした方が・・A姪「だから生保でしょ!!!! 今やってます!!!!!!!!」特養はだめですか? 一人暮らしだし、自己破産や金銭的な事情があれば優先順位はあがりませんか?A姪「できません!!!!! 要介護2ではダメなんです!!!!」(ややヒステリー気味になってきました。)でもGHだと月に14~15万くらいかかって、続かないですよね。A姪「だから助けてもらいたいんです!!!!!!」どうして続かない方法を取られるんですか?A姪「私を責めるんですか!!!!!!」いえ、仮に私が月にいくらかでも支援できたとしても、いつまで続くか分からないことをするのにはとても抵抗があります。私も姑を見てきて思うのは、続けられることをしないと、こちらもつぶれてしまうということです。だからどうやったらA叔母さんを看続けられるか、それを考えましょうよ。A姪「でも実際大変なんです!! 月に15万もかかるし、私も困ってるんです!!」 こんな風に堂々巡りの会話が続きました。A姪さんがああいえば、私がこう言う・・になってきたので、A姪さんもイライラしてたようです。もっと細かくA叔母の暮らしてきた生活場所や荷物のこと、A姪さんが実際に動いた内容、そういったことを順序立てて聞きたかったのですが、ケアマネをしてると言うくらいなら、私よりも手続きや仕組みには詳しいはずだし、なんだか聞きたいことを尋ねる前に大変!的な言葉の羅列が壁になってるので、流れもつかめずにいました。 やっぱり長くなりましたね。ゆっくり思いだしながら書いてますが、もっともっとやりとりがあったはずなのに、怒りと哀しさととでまだ心がぐちゃぐちゃです。また明日、続きを書きます。
2012年02月09日
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昨日の記事にコメント下さった皆さん。すごい内容不明な文章だったにも関わらず、優しい言葉を寄せてくださってありがとうございました。電話がかかってきた日と昨日は大丈夫だったのに、コメントを読んでたら泣けてきました。人として間違ってることをしてるとは思うのですが、救われました。 さて、その電話は日曜日の夕方4時半ごろにかかってきました。見覚えの無い市外局番の番号に、最初は何かの勧誘だろうかと思いつつ受話器を取る。念のために名字を名乗らず、ただ「もしもし」と。相手の声はおそらく50代後半、あちらも名乗らずに、要領を得ない話し方で「どこそこの○●さん、それから・・・どこそこの△▲さん、・・・あと××さん・・・」いずれも母方の親戚の名前です。それでてっきり久しぶりに話す隣県の叔母かと勘違いして、「あっ、A叔母さん? hirikeiです。」と名乗りましたが、よくよく聞くと叔母の声とはちょっと違う・・・。「それでその人たちに電話したもんで、遠いしお金もかかったので、これから言う番号に そちらからかけてもらえます?」と言われた。はぁ?・・・と思いつつも、親戚に何かあったのかと思い、すぐに言われた番号にかけました。 相手は母の弟・A叔父(10年近く前に他界)の奥さんであるA叔母のお姉さんの娘、つまりA叔母の姪という方でした。(以下、A姪さんとします。)ただ説明が下手というか、最初はポツポツとため息つきながらしゃべってきたので、普通は自分の出所というか、名前や親せきとの関係をもっと簡潔に話せばいいのに、それもせずに、話を始め出して。何だか変な人を相手にしないといけなくなったぞ・・・と、こちらも一歩引いてしまいました。 結論から言えば、A叔母がアルツハイマーを患ってしまい、A叔母の姉である自分の母親や他の兄弟、自分の兄弟、A叔父の弟妹の誰も面倒見ようとしない。今はGHに入所させたが、お金が無く困っているので助けてほしい・・・ということでした。ただこれを聞くまでに30分近く細々とと、いかに大変だったかのみを一方的に聞かされ、途中で何度「だから、どんなことをおっしゃりたいんですか?」と突っ込みたくなってイライラしてしまいました。いかにA叔母の症状がひどかったか、家も荒れ、あるはずのお金がわずかになっていたこと、A叔母の姉である自分の母親が電話番号を変えてしまうほどA叔母の面倒を見たがらず、連絡すら取れず困ってる、あなたのお母さんのご兄弟も誰も協力してくれないので、自分がどれほど苦労したか・・・を一方的にしゃべるしゃべる。 A叔母の親戚の一人として、確かに申し訳ない、有難い気持ちもあるけれど、ただひたすらに「大変だ」だけを並べられると、「だから何がしてほしいか、はっきり簡潔にまとめて言って下さいよ!?」とA姪さんに嫌悪感を抱いてしまいました。 このA姪さんは看護師さんで(あとの話でケアマネもしてると言ってました)こと細やかにA叔母のエピソードがいかに凄いかを話してきました。 周辺症状にもいろいろなタイプがあるもので、A叔母の場合は攻撃型といいますか、意思が通らないと暴言・暴力で向かってくることも度々だったそうです。「分かりますか?、アルツハイマー。若年性認知症と言うんですよ。」若年性・・・? A叔母は73歳。若年性と言うには少し遅いような・・・。発症が分かったのはずいぶんと前だったんですね。 3年前に少しやりとりした時はそんな感じが見受けられず、気付きませんでした。「いえ、昨年の8月に認定してもらいました!」 ・・・う~~ん、まぁ、細かいことはいいか。 A姪さんは自分の母親からA叔母の様子がおかしいから見に来てくれと頼まれ、岡山から高知へ来たそうです。どれくらいの期間A叔母と一緒に居たのかはわかりませんでしたが、確かに認知症の大変さは容易に想像できます。ちなみに要介護2だそうです。迷子で警察に捜索願したことも、言い争いで包丁を持ち出されたこともあったそうです。義母は暴力型ではなかったので、そういう面では幸いでしたが、徘徊の大変さはよ~~~く知ってます。A姪さんも一人で面倒を見てきたことで、相当ストレスが溜まってたのでしょう。愚痴はとどまることを知りません。 A叔母の状態がひどいので、とりあえず精神科へ入院させ、薬が合って状態も落ち着いたところで、「私がコネを使って」(←ここ、ものすごく強調されました)GHに入所したとのことでした。退院からGHへ直行したとか。 うちの義母を思い出し、これは人のことは言えません。私もショート→入院・退院・→ショートへ直行させましたもの。 アルツハイマーがどれだけ大変かを切々と訴えられ、気持ちは十分に分かるけどだからどうしてほしいの?の本題に入るまでの30分、一方的に聞き手になってたので、「警察のお世話になるくらいの大変さって分かりますか?」と言われた時、やっと私は「はい、分かりますよ。姑も何度もお世話になりましたから。」と返事したらお相手が一瞬言葉に詰まってたので、やっと私のターンがきた!と、姿勢を直して離し加減に持ってた受話器を握り直しました。 私の愚痴も長くなりそうなので、また続きは明日にします。
2012年02月07日
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タイトルは昨日、母方の遠い親戚から投げつけられた言葉です。私もそう思います。 確かに冷たい。でもできないことを同情から引き受けて、自分で首を絞めて、どうにもならないような状態になるのは避けたいと思うのです。 話はやや複雑で、身内の恥とも言える話でまた昨日のその親せきとの話のあとで、今もそうなのですが、気分が最悪に落ち込み、誰にも言えず、その内容がずっと頭から離れず、それ以外のことを考えられなくなり、苦しくて仕方ありません。義母がGHに入所するちょっと前のような気持ちがぶり返してます。 まだ話を上手く書けるほど心の中を整理できてはいません。誤解も理解不足もあると思うし、何より自分の醜い一面をさらけ出すことでもあり、自己弁護の塊のような文章になるので、これを読む方から軽蔑されるのでは、でも誰かに、たとえ嘘でもいいので擁護してもらいたいという浅はかな気持ちもあります。 明日から少しずつ書いてみます。ここに記録することで思い違いの無いようにしたいと思います。ちなみに母方の叔父の奥さん、直接には血のつながりの無い叔母がアルツハイマーになり、その方についての話です。
2012年02月06日
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義母がGHに入所した後にしなければいけなかったのに、すっかり忘れていたのが申し込みをしていた他のGHや特養に、申し込みの取り下げをすることでした。 昨年の10月、新設されたばかりの小規模特養の方がショート中の義母の元へ面談に訪れ、その後にかかりつけ医から診療状況の情報提供書を届け、入所判定会議が行われたのですが、その時の順番が介護度5でも「12番」と言われ、鬼嫁はがっくりしてしまってました。 それからすぐ後に現在のGHから入所の話が来て、とびついて、今に至るわけですが、先日、その小規模特養から電話がかかってきました。「○●子さんの入所の件について、順番が近くなりましたので、面談を・・・」 す~み~ま~せ~~~~ん!!! 取り下げを忘れていました!!!!10月で12番目と言われてたので、仮にずっと待っていたとしても、おそらく1年近くは待つことになると思ってました。その間に次々と入居者さんが入れ替わったのでしょうか・・・。また他の施設に決まったのかもしれませんね。 新設のところで見学に行った時には、まるでホテルに居るかのような、スタッフさんのある意味、完成された接客態度(←誤解を恐れずに言えばなのですが)に気持ちよさを感じつつ、小規模多機能施設やデイもあったために、割と大きな施設だという印象もあって、義母に合うところだろうか・・との、若干の不安もありました。またそこでは最期の看取りまでは行っていなかったこと、内科的な病気での入院には提携先が義母が肺炎で入院したあの病院だったことも、少なからずマイナスポイントでした。普段の診療に提携していた病院も近くではなかったし。 小規模特養の方は「ちなみに、いつ頃、どちらに・・」と尋ねて来られまして、それもお答えしておきました。 もし、この特養の順番が回ってきた時、素直に義母を送りだせただろうか・・・。現在のGHに入ってワンフロアでゆったりとしていて、すっかり落ち着いた生活を送っている義母を見てると、これも縁とはいえ、本当によかったなぁ・・と思いました。
2012年01月23日
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今年最初の更新となりました。寒中お見舞い申し上げます。 今年もよろしくお願いします! こちら松山はとても穏やかな天気が続いています。ちょっと山際の方では雪がちらつくこともあるのですが、私が住んでいる辺りは雨もほとんど降らず、すっきりと晴れる日が多く、気温は低いものの洗濯ものはよく乾きます。 一昨日、今年最初の面会へ行ってきました。暖房もよく効いているし、南側の窓からはとても暖かい日差しが差し込んで、ちょっと寝不足気味だった私には、気を抜いたら寝ちゃいそうなくらいです。リビングへの扉を開けると、義母は必ずドアの方へ顔を向けます。無反応な方もいる中、この辺りはまだ義母がしっかりしている面でもあります。私が誰なのかはおそらくもうきちんとは把握できてない義母です。でも拒絶することはないので良しとしましょう。 義母が履いていた上靴、なんだか窮屈になっていました。ショートやデイで使っていたものをそのまま履いてもらってたのですが、義母の足がむくんでるのでしょうか? これまでそういったことは見られなかったのですが、小学校の上靴として履くようなタイプのもので、甲を覆う幅広いゴムの間から、ちょっと足が盛り上がるように窮屈になっています。少し厚手の靴下だからかもしれませんが、窮屈なら歩きにくいだろう・・・と、新しくマジックテープで着脱するタイプの靴を買って持って言ったのでした。「お義母さん、これを履きませんか? 新しく持ってきましたよ」と声をかけると、よくは理解できないながらも、とてもニコニコしておしゃべりしてきました。靴を見せても自分のものになるのだということは分からなかったみたいで、足元へ持っていって「これ、履いてみませんか?」ともう一度声をかけると、今度は「あら~~~」と更に声が高くなってニコニコと上機嫌な反応。割と素直に履き替えにも応じてくれました。 私が居たのは1時間もありませんでしたが、義母は以前ほどは私に向かって話をすることはありませんでした。点いていたテレビからは時代劇が流されてましたが、そこでのセリフにはすぐ反応するものの、私のことはあまり視界には入ってこない様子。でも穏やかさは変わりませんでした。時折、同じテーブルについていた他の利用者さんが、目の前にある雑貨についてあれこれブツブツ言いだしたりしますが、それにはすぐ反応を示してました。それだけ他の利用者さんとはすっかりなじんでいるということですね、きっと。 ちょっと前の日記を読み返してたら、ほんの些細なことにもあれこれくよくよと悩んだり、一人で沸騰(?)してたりしてたのが、なんだかとても遠い出来事のようにも思えてきます。私のことを忘れているのが寂しいのか?と問われたら、すぐに否定できるのですが、なんだかあれこれやってきたことがすっかり遠い昔に思えてしまって、余裕があるというよりも、本当にあんなことがあったのかしら?と、義母並みのすっとボケでもって思い出しています。
2012年01月12日
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今日は息子も連れて、3人で義母に面会に。義母の居るフロアの9人、全ての方がここで年末年始を送るそうです。よくよく見たら、9人の方のお誕生日が月ごとに、かわいらしい紙工作の飾り付きで掲げられてたのですが、お生まれの年を見てびっくり。最高齢は明治44年生まれで、あとは大正生まれが5人、昭和の方が3人で、義母が一番若い、昭和11年生まれ。足腰が一番しっかりしてるのも義母で、同じ言葉の繰り返しで語彙は少なくなったものの、でも一番おしゃべりできるのも義母。後の方はほとんどがじっと物静かに時を送ってらっしゃると言った感じなので、やはり今や忘れかけている自宅や子供の家などに無理に行くよりも、安定した施設で年越し・・というのは、どなたもそうみたいでした。 今日は息子である夫のことは反応は良かったのですが、私と息子(義母から見た孫)へはあまりピンと来るものが無かったようで、あまり目を見ることもありませんでした。滞在は1時間も無かったくらいだったのですが、帰る時に「また来ますからね」と言うと、ちょっと目をウルウルさせて「そう~、またね~」とにこやかな笑顔を見せてくれました。 こうして振り返ると、この1年、特に後半の半年は、私にとって激動(?)の日々でした。ほとんど一人で勝手にパニックになったり落ち込んだりでしたが、有る程度の後ろめたさは残るものの、でもこうして義母と離れた日々を過ごすようになり、やっぱりこれでよかったのだ・・とも思えるようになりました。 ここでいろいろな愚痴をたくさん吐いて、無様な私を見せてきましたが、いろいろなことがあったのだと、本当にしみじみと思い出す大晦日です。 たくさんの方にご覧いただき、アドバイスいただき、こうして私はひと山乗り越えられました。本当にありがとうございました。まだまだ来年も、ずっと義母のことをここに残していこうと思います。良い思い出も悪い思いでも、時々思い出す感情も、あれやこれや残していこうと思います。 来年もどうぞよろしくお願いします!
2011年12月31日
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すっかり更新の回数が減りました。週に1度くらいは義母に会いに行くのですが、毎回、前にアップした事柄と変わり映えのしない面会内容になってます。いつもボロボロになった本をめくってるし、私のことはもうわからないし、でも義母はとっても元気で何よりで。。。 そしてこれも前に書いたことですが、弄便がほとんど無いこと、これが義母の安定した状態を一番よく表していると思います。もちろんGHのスタッフさんが根気強く、丁寧に、小まめに接しているからでしょう。やろうと思えばたぶん私もできたとは思うものの、壁を乗り越えるには根性がちょっと足りなかったので、人任せしたのは棚に上げて、やっぱり入所できて本当に良かったなぁと思います。 ところで年末年始、義母は帰宅はしないことになりました。毎日を同じような感じで落ち着いて生活している義母を、自宅で同じようにできる自信が無かったからです。一度楽をするとダメですねぇ。我ながら冷たい人間だ。 義弟一家も帰省しないことになりました。 今年のお正月、義母が急に不機嫌になってどう対応していいか分からなくなったことがあって、やっぱりこちらも自信がないような感じではないかと。 自宅に連れて帰るのはもうないかもしれませんね。忘れているところに急に連れていくよりも、小まめにこちらが会いに行く方が良いと思います。 というわけで、今度の年末年始は、我々家族3人だけで過ごす、初めてのお正月となります。少しずつ義母宅の方の掃除や片付けもしてはいますが、前みたいに義母がデイに行ってる間に・・・!なんて、大慌てで2軒分の大掃除やおせちの準備をしていたここ数年とは全く違う、本当にのんびりとした年末年始になりそうです。 時間はこれだけたっぷりあるのに、もうすでに「いいや、ここは来年で・・」と早々に年内に掃除を終えるのを見送ってる、落第主婦です。
2011年12月27日
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今朝見た夢。 夢の中のお話ですよ!! 義母がGHを抜けだして迷子になってるというシチュエーション。夢の中ではたいていそうなんですが、一生懸命に動かしてるのに、なかなか思うように足が動かない。なぜか「ここを乗り越えたら義母が居るのに!」と思ってて、必死で歩く。そこにある建物に入ると、義母が疲れ果てた顔で座り込んでいる。普通の服の上に分厚い肌着を何枚も着て、ズボンも3枚くらい履いていて、長時間、夜のうちから行方不明だったのでリハパンがものすごいことになってて・・・。汚物も握ってるし汚れてるし。夢の中の話ですよ~~~手当たり次第に食べ物を口に入れ、ぐちゃぐちゃにしてる。訳の分からない言葉をずらずら並べてて、意思の疎通が図れない。まずは衣服をきれいにしないと・・・、あ、その前にGHに連絡しないと・・・義母が歩き始めた! ケータイで連絡したいのにボタンが押せない!押したいのに違う数字しか出ない。 何度も何度もやってるのに、うまくいかない!あ~~~~~も~~~~!!っとイライラがピークに達した頃に目が覚めた。 ・・・義母が夢に出てくることはほとんど無く、しかも結構リアルな状況に、一瞬隣の義母宅に行かないと! リハパンを交換しないと!って思ってしまいました。 義母が在宅の時ですらこんな夢を見たことないのにねぇ。ちなみに義母はGHに入ってからは弄便は全く無いそうです。入所前のショートやデイ、ケアマネさんからの聞き取り調査で、散々義母の様子を聞いていたけれど、それと現在とがあまりに差があるので、GHの方では構えてたのに少し拍子抜けしてるみたいです。スタッフのリーダーさんがポロっとこぼしてました。手のかかることはほとんど無く、感情的になる場面も無く、いつもニコニコしながら野草の本をめくってしゃべってるのだそうです。いつまでも義母を大変手がかかる人としかとらえてないのは私ですね。
2011年12月16日
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一昨日、夫と二人で義母のGHへ。 夫は入所以来の面会。それってどうよ・・・ マザコンなのもあれだけど、こんなにそっけないというか、気にならないのかなぁ・・・と。普段はとても優しいし、怒ることも滅多にないし、穏やかだし。冷たいとか無関心とかではないんだけど、問題があったらその時に行けばいい?的なちょっと暢気なところもある。もし私が認知症で施設にでも入った後も、もしかしてこうなのかも。 GHのリビングでは義母が一人でソファに腰掛け、いつもの野草の本をめくってました。夫と私のことを見つけると、軽く手をあげて「あら~」とは言うものの、息子夫婦という認識はだいぶんできなくなっているみたいでした。特に結びつかなくても夫や私の名前もこれまではポロポロっと出てきてたのに、今回は1度も発せられませんでした。でも言葉数はかなり出てるし、穏やかな顔つきだし、安心しました。 ところで会いに行くたびにボロボロ度が増す野草の本。本を見ているときには特に水ものを側に置いているわけではないのに、濡れて乾いたところを無理やり剥がしたといった感じで、全てのページがボロボロ。義母の居るフロアのリーダーさんによれば、ページをめくる時はもちろん、写真を1つ1つ指差し確認する時に、必ず唾を指に付けて広げているそうで、それでページがくっついて・・・でボロボロになってるそうです。じっと見てたら、確かに時々ペロッと指をなめてめくってました。ページの角を折り曲げて糊でくっつけるような感じに。義母の新しい癖(?)が出来上がってました。 入所の時に他にも絵本や仏像、万葉集に関する写真の多く載った本を持ち込みましたが、他にはいっさい目もくれず、この野草の写真集だけがお気に入りのようです。ほとんどの写真が傷んでいるのだけど、それは義母にはあまり気にならないようで、いつもこの本をめくってはいろいろ言葉を発しているようです。新しい本を・・とも思ったけど、もう少し様子を見て見ようと思います。
2011年12月12日
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昨日、ケアマネさんと久しぶりに会いました。というか、ケアマネさんが家に訪ねてきてくださったのだけど。義母がGHに入ることで唯一、残念に思っていたことは、このケアマネさんとのお別れ。本当に、本当にとても良い方で、いつも介護者の私のことを気遣って、少しでも私がやりやすいように、楽になるように、そして義母の様子も小まめにみてくださる、この方と巡り合わなかったら、きっと今頃は・・・と思うくらいの恩人です。 先月、義母が入所するにあたってこれまでお世話になってたデイへ、義母の荷物の引き上げと、これまでのせめてものお礼にと、お菓子を持って伺いました。所長さんは「本当はいただいてはいけないのですが・・・」と恐縮されてましたが、「拾ったと思ってください!」と置いてきまして。 その時にケアマネさんと、また義母の徘徊をいつもキャッチして助けてくれたママ友さんにちょっとしたお礼に・・と、ハンカチを託していました。 ケアマネさんは本当に恐縮しながら「もらってはいけないことになってるので・・・」とわざわざお返しに来てくださり、私の方こそ恐縮してしまいました。ケアマネさん、うちに来る前に義母にも会いに行ってきてくれてました。第一印象は、本当に落ち着かれたんですね、でした。やはりショートの時とは違って、人数的な余裕もあるせいか、義母も落ち着いて生活をすることができていると思います。ケアマネさんによると、言葉が意味不明ながらも以前よりたくさん出てるという印象だそうです。これは私も感じました。大好きな野草の本がもうボロボロになってますが、やっぱりそれを1つ1つめくりながら、いろいろお話してたそうです。野草の話と言うことではなく、ページをめくって確認してるといった感じですが。 ケアマネさん、義母の入所を「良かったですね、お義母さんも●●さんにとっても・・」としみじみ口にしてらっしゃいました。私も素直にそう思います。 ただこのケアマネさんとは一応お別れというのが、本当に残念。GHの管理者さんも義母のことをよく気遣ってくださいますが、このケアマネさんが親身になって寄り添ってくださる安心感は、本当に離れがたいものです。またいつでも相談にきてくださいね!の笑顔の言葉に、つい甘えそうです。
2011年11月30日
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急に寒さも増してきたので、義母の冬用の衣類をもう一度整えに行きました。下着や靴下も寒さ対策用のものをおいてはいたのですが、数が少なかったのと少し薄い衣類を持ち帰るために。毛糸類もGHで契約しているクリーニング店に依頼もできるそうですが、経費節約のために、よっぽどの物でない限りは私が洗濯することにしていまして、それらの確認も。 行った時にはリビングでみなさんとのんびりしていました。もっともおしゃべりしているのはほぼ義母一人で、あとはじ~っと座ってらっしゃるのみ。テーブルに4人ほど。全て女性。別のテーブルでは男性の利用者さんが熱心に何か絵を描いてらっしゃいました。静かな空間で義母が一人、同じテーブルに座っている方にぽそっとしゃべりかけている、そいういった感じでした。 義母の隣に座って挨拶しても、もう私のことはほとんど理解できていません。でも親しい人って感じで、ニコニコしてました。義母の話をじっと聞いて、適当な相槌を打っていたのですが、何か義母の思う返事では無かったのでしょうか、例えば「●●はどうかしらね~」と言われたので「そうですねぇ、あるといいですねぇ」とか「△△とかはrでstfgyふ・・・」と意味不明ながら言われたら「そうなんですか?」と自分では否定しない返事のつもりだったのが、急に「え、知らないわよ!」と目つきが変わって、プイっと横を向かれてしまいました。あらっ、何がいけなかったのかしら・・・とりあえず義母から何か言うまではじっと待ってたところ、どうも義母は私そのものが嫌になったようで、「もうね、どうなんだか私がバカだから、せrdxtgfhnyぶいj・・・」と不機嫌モードに完全に突入。久しぶりに聞いた「私がバカだし、バカにしてる」が連発されて、とりあえず隣に居ない方が良いとおもって、スタッフさんに目配せして、そっと退出しました。 う~ん、離れてみて大丈夫だと思ってたけど、あの「バカにしてる」フレーズはやっぱり心に刺さりますね。私のことをもう忘れてしまってるのは、全く悲しくありません。夫も自分のことを認識できてないのを、さらっと受け止めてるみたいです。どうしても辛くてGH入所を進めたけれど、やっぱりどこかにまだ罪悪感があるみたいで、あのフレーズを聞くと、義母ではなく私を否定しているみたいに聞こえてしまいます。 まだまだ修行が足りません。
2011年11月25日
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義母に会いに行ってみたら、なんだかフロアーが暗い。あれっ、お出かけの日だったかしら…と思ったら、今日は4Fでみなさんでワイワイしてるんだそうで。(義母は2階在住です。)ちょっと覗いてみたら、数人の利用者さんと一グループになって、よく成立してるなぁ~と感心してしまうぐらい、摩訶不思議な一方通行の会話を楽しんでました。とにかく馴染んでくれて、親しく楽しく時間を共にできる方もできて、本当に良かった。 良く見ると、今回は前歯の入れ歯が無い。先日くらいから拒否し出したとのことでした。 何が悪かったのかな?食べるのには困らないので、そのままにしてますが、スタッフさんも時々は入れるように勧めてくれるそうです。前歯があった方が顔つきはよく見えるのになぁ。 ちょっと残念。 そのうちおやつの時間になって、私も隣でお茶をいただきました。今日は小さくサイコロ型に切ったバームクーヘン。小さなお皿に、一人10個くらいあったでしょうか、傍から見ててもおいしそうでした。みなさん、黙々と、ほとんどおしゃべりもなく食べてる。義母は1つ食べたら何かぼそぼそっとしゃべって、また1つ食べて・・・。とりあえず美味しそうです。残り4つくらいになったところで、義母はもう満足したのでしょうか、残りを隣の方に薦めてました。 私のことは眼中に無さそうです。 良いのか悪いのか・・。せっかくだから全部義母が食べたらいいのに・・と思いつつ、ここは手を出さずにどうなるか見てよう・・と様子を覗ってたら、何度か義母が薦めたところでお皿がその方の目の前まで動き、その方は特に義母の顔を見たり周りを気にすることなく、なんの疑問も持たず(持てず?)、素直に新しく届いたお皿のおやつを黙々と食べる。義母はなんとなく満足したのか、急におしゃべりも増えて。 お互いが気分がいいなら、良いや。ここに御世話になって20日ほど経って、義母がすんなりと馴染んでくれてることにとりあえずホッとしています。私の名前も出るには出るけど、イコール私というわけではなく、知ってる名前程度みたいです。回を追うごとに私のことを忘れていってると、だんだん実感も伴ってきました。それが寂しいとは、あまり思わなくなりました。仕方が無いことだし。 それ以上に、新しい環境に義母が慣れてくれた方にホッとしています。会いにいく間隔は週に1度くらいですが、行かないと!というよりも、行ってみようか・・てな感覚です。それがきっと私にとっていい距離なのかもしれませんね。
2011年11月20日
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先日、およそ1週間ぶりに義母に会いに行きました。実子である夫はあまり関心がないのか、誘ったら初めて「行こうか」となるのもいかがなものか・・・と思いつつ、私もいい加減、親離れならぬ姑離れができてないのかも?と思ったり。 私個人を見て義母はあまりピンとは来なかったみたいでしたが、夫のことはすっと名前が出てきまして、ちょっとホッとしました。やっぱり野草の本が好きなようで、今日もウマの合う利用者さんと並んでページをめくってました。本、かなりボロボロというか、一度水に濡れてふやけたところに、更に無理にページをめくったところもあって、痛みも激しい感じもありましたが、他の本も見るけれど、この野草の本が一番のお気に入りのようだと言うことでした。持って行ってよかった~。 あまりに痛むようであれば、また別の本を用意しましょう。 管理者さんのお話によれば、徘徊も他の方のお部屋への無理な訪問もほとんど無く、夜の睡眠も、寝るのは遅くても、夜中に何度も目覚めることも無く、夜中の排尿は多いので、パッドもかなりの量を吸収できるものを付けるけど、昼間は定期的にトイレに誘導することで、あまり失禁ばかりしてるということでもない、とのことでした。ショートの時は、どちらかというと誘導も少なめで、義母の徘徊も多かったようなので、この違いはどこから来てるのでしょうか??落ち着いてゆっくりと義母に向き合ってもらってるから、うまくいってるのでしょう。もし、私がじっくり、もっとゆっくり義母に向き合って介護してたら、自宅に居られたのになぁ・・と申し訳なさもあるけれど、でもあの徘徊に付き合うのだけは、やっぱり辛い・・・ので、やはりこれでよかったのだ・・とも思います。 そうそう、義母が入れ歯をちゃんと(?)してました!入所の時にも装着してたけど、途中で気になって何度も何度も触ってたから拒否もあったら無理しないで・・・と伝えていたのですが、この頃はすんなりと装着してて、食事も十分にきちんと食べられるそうです。良かった、良かった。
2011年11月15日
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昨日、義母に会いに行ってきました。1日に入所した翌日にGHの管理者さんからもお電話をいただいてたのですが、あまり戸惑いもなく初日を終えたようでした。 フロアに入ると大きなテーブルが2つあるのですが、その一方に5人の女性が座っています。一人が義母でした。入所の際に持ち込んだ山野草の本を片っ端からめくって、隣に居た方にあれこれ語りかけています。私が「お義母さん、こんにちは」と挨拶したら、あまりピンとこなかったらしく、「あらっ、いたの?」ってけろっとした感じで対応されました。その後にスタッフさんがお茶を運んでくれたのですが、その方には涙ぐんで「まぁ・・・」と感激の様子。すっかり私は忘れられちゃったのでしょうか・・。 私も隣に座ってしばらくお付き合い。よく義母が口にする「その時その時」や「ちょろろんろん」(少しとかひょいっとみたいな意)やら懐かしい(?)フレーズを出しつつ、生け花の写真を1つ1つ指差しながら、「こんな人が持ってきたのね」とか「ここの人も食べてるのね」とか意味不明ではあるけれど、たくさんの言葉が発せられてました。一緒のテーブルの他の方はほとんど言葉を発してはなかったので、義母の声だけがよく出てるように見えましたが、同じテーブルの一人の方が、時々義母に相槌をうってくださってました。その方は左半身が少し不自由な方で、あまり認知症の症状はひどくはなさそうで、義母の持っていた本が水に濡れてぶよぶよになった跡があるのを指差し、「昨日まではこんなことなかったのだけどねぇ。 今日はずっとこの本を見てらっしゃるのよ」と説明してくださいました。他のみなさんはぼぉ~っとしたり、うつらうつらしたり、あるいはテレビの前に陣取って凝視してたりと、本当にそれぞれが自由にゆったりと過ごしているといった感じ。たまたまなのかもしれないけれど、義母がうろうろしてる様子もなく、戸惑いもあまり無い様子で過ごしているので、それは本当にホッとしました。 そのうち昼食の時間になり、ランチョンマットが並べられ、エプロンを付ける方は付け、昨日は炊き込みご飯だったのですが、みなさん、出された瞬間から食べ始めてました。義母も一緒に「あらぁ~」と嬉しそうに食べ始める。よかった。 ショートの時に食事の時間になったのに、テーブルにつかず、スタッフさんから体を抱えられても動こうとしない義母を見たことがあったので、その時だけのことだったのかもしれませんが、拒否の場面を一度みると、またそうなるのでは・・とつい心配しがちになってしまいます。ご飯をおいしく食べている姿を見られて、安心しました。
2011年11月05日
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今日、義母はグループホームへ入所しました。ショートの施設へ夫と迎えに行って、そのままGHへ。押し入れに入れて使う衣裳ケースや簡単な家具としてカラーボックス、生活用品など、結構な荷物となりました。 義母はひと月ぐらい前から急に涙もろくなりました。先日、検査で会った時はそうでもなかったのですが、先月の一時帰宅の時、デイを利用した時、頭のどこかに私やデイのスタッフさんの記憶があったのでしょうか、会った途端に急に涙が溢れそうになってました。ショートのスタッフさんによると、ここのところそんな調子だそうで。しかも不機嫌ではなくて、嬉しさで・・・といった感じだそうです。 GHへ着いて、リビングでゆっくりしてもらってる時も、目の前におられる利用者さんとは初対面なのに、ちょっと意味不明な言葉が並ぶけど、やっぱり涙ぐんでました。 つい昨日までは義母に対しては嫌悪感の方が強かったのに、今日は胸がキュンとなってしまいました。 まだ今ほど病状が進行してなかった頃、義母が夜に玄関外にいたノラ猫に、まるで小さい子供に語りかけるように、優しく「もう夜遅いからね、おうちへお帰りよ。」と語りかけてたことがありました。 それが思い出されます。 私の度量の無さでついイライラしたりしてしまいますが、義母は本来、とても優しい人です。義母に会いに行けなかったのに、今日は自然に義母の手を取って、一緒に歩けました。GHに入ることをそう感傷的にとらえる必要も無いのですが、やはり入所ということで私も気持ちを切り替えられたのでしょうか。 まだまだこれからも義母との関係が続くのだと実感です。義母が新しい環境になじめるよう、私も一緒に頑張れると思いました。
2011年11月01日
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土曜日は夫に急用ができて、私1人で話を聞きに行くことになりました。まぁ、実質30分程度の話なので、私1人でも全然OK!なのですが、実子が同席できないのはちょっと・・・と思わないでもありません。仕方ないのですが、なんだかずっと私主導できてるような、ちょっと負担と言うかいいのかしらこれで・・とついつい思ってしまいます。 さて義母が入る予定の部屋を見せてもらいました。 ほとんどの部屋が南向きなのに対し、義母の部屋は残念ながら西向きの6畳ほど。 夏は暑くなるので、レースも本カーテンも遮光のものにしてくれるそうです。カーテンも施設の方で用意してくれるので助かりました。 部屋は半畳よりやや広めの、奥行きは十分ある押し入れがあり、ちょっと低い位置に鴨居のような役割をしてくれる細長い鉄板も取りつけられてました。他の方はまずベッドをレンタルしたり持ちこんだりしてるそうですが、義母はショートでの利用以外はずっと布団を敷いて寝ていたので、体に支障がないうちは布団を利用することになりました。 これもGHで用意してくれるそうです。ちなみに床暖房なのでカーペットを敷いても、毛布が要らないくらいに暖かいそうです。 他の方のお部屋を見せてもらったら、小さい整理箪笥やちょっとした小家具があり、またベッドもあるし、それぞれご自宅で使われてたものやテレビもあるのでちゃんとその方の居室っていった感じが出てました。義母はテレビは個室においてもたぶんほとんど見ることが無いので、置かないことになりました。自宅で使いなれたものを・・と思うのですが、持ちこめるようなサイズの家具がまず無く、さて、どうしましょうか・・・。義母は万葉集だとか歴史街道散歩、絵画、植物のことにとても興味があって本や写真集もたくさんあるので、そう行った本を用意しようと思います。これまでの自宅で使ってたものも、またおいおい必要に応じて持って行きましょう。 義母はこのGHになじんでくれるでしょうか。たぶん、しばらくは戸惑いや不安があって、落ち着きが無い日が続くでしょう。同じフロアの方々は、どちらかと言うとじっと椅子に座って、ぼ~っとしてる方が多く、また居室でずっと寝てる方も2~3人ほどおられました。 ずっと長く住むところですから、義母が一日も早くなじんで落ち着いて生活できるよう、何か工夫をしていきたいと思います。
2011年10月31日
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つい先ほど、GHから連絡があり、正式に入所が決まりました。正直、ホッとしてます。土曜日に夫と一緒に契約や準備物などの詳しい説明に受けに行くことになりました。 義母はこれで幸せになれるでしょうか。自宅に居て、気ままな生活もさせてあげたいけれど、危険が常に伴う。24時間付き合うのは物理的にも精神的にも到底無理。何より今、心すらも寄り添えない私には、義母の介護はもうできそうにない。やっぱり環境もととのったGHの方が良いに決まってる。 振り返ると、本当に大変になった介護生活はおよそ3年。最初はイライラするだけ、次第にオタオタになりアップアップになり、ついには無気力になってしまった私。介護というより、ただの御世話だったけど、とりあえず頑張ったとは思います。 先ほどケアマネさんに結果を連絡したのですが、「本当によく頑張られましたね。」の一言が、ちょっとこばゆい・・・と思ったけど、今、ポロリと涙が落ちました。私自身は努力も足りなかったけど、周りの人には本当に恵まれました。特にこのケアマネさんに会わなかったら、もっともっと苦しんでたでしょうし、それこそ離婚してたかもしれません。このケアマネさんとは一応お別れになること、これが一番寂しい。 義母の人生も新しい展開を迎えます。縁あって夫となった人のお母さん、今はまだ正面から向き合えてないけれど、やっぱり幸せになってほしい、穏やかな道を歩んでほしいと思います。
2011年10月27日
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今日は入所案内が来ているグループホームを経営し、提携している脳神経外科病院で義母の現在の状態を把握するための検査がありました。 実はずっと義母に会ってませんでした。 2週間。 冷たいですね。義母が入院してた時、同じ部屋の他の患者さん4人が、程度の差はあれ認知症も患っておられました。義母に付き添うために日に何時間も部屋に居たのですが、私のようにずっと付き添わないといけない状態の方はおられず、ほぼ寝たきり。 ベッドから降りようとしない、降りられない方ばかりでした。でも上半身を起こしてベッドの上に居る方は、なぜか全て私の方を見てるし、自分の要求を大きな声で繰り返す方が居たのですが、その矛先も私だし、体を動かすにも人の手が要るかたも、自然に私に要求してくるし、「ほっといていいから、全てに応じなくてもいいですからね!」と看護師さんからは言われてましたが、でもみなさん、私だけが頼りなので、無視して部屋に居るのは本当に苦痛でした。義母に対してだけでなく、同部屋の患者さんの目は全て私に注がれてるのに逃れることのできない金縛りみたいな感覚になって。これも鬱状態だったからだとは思うのですが、「私に言わないでよ! どうして私にそんなにすがって来るの??」としか思えず、涙が出るのをこらえるしかなく。 どうしようもない無力感とか閉そく感、そして嫌悪感しか湧かなかったあの間のことがショートの施設に行くと思いだされてしまって、苦しくなるのです。仮面をかぶってうまくこなせたらいいのですが、それをする自分もなんて偽善的なんだと惨めな感じもあって・・・。で、義母に会うことができませんでした。 久しぶりの義母、やっぱり義歯は入って無くて、前歯4本が無いのに沿って上唇がちょっと凹んだ感じに、逆に下唇が付きだすように出てしまって、人相がだいぶん変わってしまったように見えました。 義母は私のこと、ちょっと覚えてたみたいです。名前は出てこなかったけど、初めての人ではないというか、もしかしたらもうそんなことは気にしない段階なのかもしれませんが、親しい人って感じであれこれしゃべりかけてきました。語彙は乏しいものの、言葉を盛んに発してきました。一時期、声に出すこともほとんどなかったので、本当に元気になったのだと実感です。 MRIやも特に抵抗することなく、おとなしくしてくれてホッです。ちなみに長谷川式スケールは3点。 スプーンや時計などの名称を言えたのみで、あとは指示の意味が分からなかったり、違う方へ話がいったり。海馬にも委縮があったり、何カ所か小さい梗塞もありました。 義母は終始機嫌よく、特に落ち着かないということもありませんで、ドクターやGHの管理者さんの印象も良かったみたいです。 これらの検査結果を総合的に見て、入所可能かの判断をこれから行うのだそうです。たぶん大丈夫だと思うのですが、なにしろ一度ダメになったことが、私の中で相当なダメージになったので、ついつい心配してしまいます。
2011年10月26日
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今日、いや昨日の話なんですが、否が応にも期待してしまうことがあって、ちょっと頭が軽く沸騰 して、なぜか頭痛まで起きてお昼寝してしまったために、今度はなんだか眠れなくなって、今頃になってパソコンに向かってます。 先日は小規模特養から順番が「12番目」と聞いて、ちょっとガックリしてた鬼嫁ですが、またまた劇的な(?)展開が起こりました。8月に面談をしたものの、義母の入院で入所が無くなったGHから連絡があり、順番が回ってきたと。 ・・・今度こそ、大丈夫ですよね。 実は義母の入院中にいろんなことを自分で消化できず、鬱状態になってしまったのですが、その最大のきっかけがGHから「今回は見送らせてください」の連絡でした。義母が早く元気になれるように、せっかくのGHの入所話が流れないように、毎日毎日、義母が安静にできるように、自分を奮い立たせながら、日によっては一日10時間ちかくも義母に付き添っていたのに、思うようには義母は回復せず、そのうち見送りの連絡が入って、その日の夜、私は実母が住んでいたマンションへプチ家出してしまったのでした。一生懸命にやってたことがなんだか急にバカらしくなってしまって。また細かいエピソードはおいおい書こうと思うのですが、全てが自分の至らなさとか無力とか、そういったことになってる気がしてしまって。 今思うと、本当に笑ってしまうくらいの幼稚な考えなのですが、その時は将に思いつめてしまって、こんなに頑張ってたのにどうして・・・!としか思えず、何もかもが嫌になってしまったのです。 それがまた順番が来ましたとの連絡。今度こそ、鬼嫁だって何だって構うもんか、今度こそ無事に進んで欲しい!!明日には指定病院での検査もあります。どうぞどうぞ、今度は大丈夫でありますように・・・・!!!
2011年10月24日
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8月に義母の前歯4本のブリッジが歯槽膿漏の進行によって外れてしまい、ショート先へ訪問診療で歯科医に来てもらってました。途中、入院があって歯ぐきの治療や洗浄、そして新しい歯の装着が遅れていたのですが、9月の半ば過ぎにはほぼ終わり、何回かの点検(?)の後、治療は終わりました。入院中の超ダウン状態の時、義母は歯が無かったせいか言葉がはっきりせず、また声もほとんど出てなかったのですが、歯が入った後は元気も取り戻して言葉もずいぶんと活発に出てました。(意味は不明でしたが・・・) 先日の帰宅中も特に変わった様子は無かったのですが、先日、歯科医院から治療の終了と診療代金のことで連絡をもらったところ、なんとここ2週間、義母は入れ歯を拒否していて、もしかしたらもう入れてくれないかも・・・とのことでした。本当に先日はそんなそぶりは全く見せてなかったので驚きです。歯が装着された直後は確かに気にして触ってたのですが・・・。 そういえば、まだ歯が入ってなかった時に通院で義母を車に乗せたことがあったのですが、痰というか口からあふれる唾液を指でぐっとぬぐい取って、座席シートや運転席のヘッド辺りに盛んにこすりつけてましたっけ。あとで掃除しながら、思わずえずいてしまいまして、涙が出たのを思い出しました。歯が無いと唾液が適当に口の中で納めるのも難しくなるのでしょうか。ショート先でそこいら中になすりつけてないといいのですが・・・
2011年10月24日
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先日介護度アップを報告した小規模特養ホームから、判定会議があったのでその報告を・・と連絡がありました。 12番。 だそうです。 えっ? なんだ、次の順番じゃなかったんだ。てっきり次に、もしくはそれに近い順番になったからショートへ面談に行ったのだと思いこんでました。ハハハハ・・・ 鬼嫁、かなりがっくりです。 そういえば、最初に申し込みに行った時、満床ですでに8人待ちだったはず。やはり特養は申し込みが多くなるのでしょうか。介護度が5でも12番目というのは、それだけご苦労されてる方も多いということ。12番目というのは、まだまだ早い方なのだと思うようにします。だって近くの別の特養は、待機人数だけで250人。もっとも大抵の方が重複で複数の施設に申し込みしてるでしょうけど、ここだとたぶん70~80番目くらいではなかろうか。 さて、心して、もっと自分1人でグジグジせずに、大らかにいきましょう!
2011年10月22日
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義母の服用薬が足りなくなってきてたので、昨日はかかりつけ医へ。そこで久しぶりにNMスケールの問診票をもらいました。精神的な状態の部門では、現在の10点くらい。 前にちらっと見た1年前のものでは13点。ちょっと進んでますね、やっぱり。 その問診票には他にも「N式老年者用日常生活動作能力評価尺度(NーADL)」と随伴精神症状・異常行動についての項目もあって、(よかったら、こちらを参考にしてみてください →)それぞれに答えていくと、義母の状態が、身体的には大きな問題はほぼ無いのがわかります。例えば「歩行・起座」では長時間歩き続けられるので10点の正常、「生活圏」は止めなかったらずっと徘徊するので、室内ではなく「近隣」になるだろうし、言葉では通じないけど、衣服の着脱にはあまり問題無くできるし、食事は時間はかかることはあっても、1人できちんと普通食を完食できる。排尿・排便はほぼ常時失禁だけど、そういえばこの前の在宅中は、一度だけ自らトイレに行って、用をたすことができてました。 それから「随伴精神症状・異常行動」の項目で、思わず二重丸しそうになったのは「C 多動・興奮・徘徊」の欄、その中でも「衣類・シーツを破る」と「徘徊」。今でこそ破る行為はほぼ治まってるものの、9月末までに破られた衣類は10枚ほど、ショート先のシーツもやられました・・・ 他に答えに迷ったのは「意識の低下」で、「根気が無い」のは徘徊と花泥棒に関しては全く当てはまらないこと。先日も2時間きっかり、歩幅は狭いしすり足歩行に近いけど、あれだけ元気に歩き回れるのは根気が無いとはいえないなぁ・・・。 義母にこちらの意図を伝えようにも通じない状態になってはいるものの、身体的には大きな問題もなく、内蔵的にも何一つ問題ない。それだけに精神的な面での症状の進行が目立ちます。
2011年10月21日
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先日の担当者会議で介護用品レンタルのスタッフさんが言ってたこと。「そういえばこの前、ショート先へ小規模特養さんがお義母さんに面談に来られたって?」・・・そういうことは、ショートのスタッフさんが言ってくださいよぉ!何も言ってくれないんだもの。さんざんお世話になっておいて何ですが、義母の主に担当してくださるショートのスタッフさん、悪気はないんだろうけど、義母の状態を確認する質問をすると、まず一言、「そうですねぇ~」と言いながらふふんと鼻で笑うようなしぐさをすること、時々ムカっとします。具体的な説明の前に、「仕方ないですよねぇ~」がはっきりとは言葉に出てないけれど、今さら言わなくてもみなさんが思ってらっしゃるとおりですよ…的な雰囲気がありあり。いやぁ、そうなんですけどねぇ、やっぱり身内としてはちょっと哀しいわけで。もっともこちらはこの方にものすごくお世話になってるわけで、頭が上がりませんが。若い女性のスタッフさんなのですが、こういう場面では口数が少ないようで、担当者会議中もほとんど発言はありませんでした。 で、介護度もアップしてそれを届ける意味もあり、また入所候補に挙がってるからこそ特養の方も義母に会いに来られたのだから、ここぞとばかりに特養の施設へ介護度アップの報告へ。もうすぐ判定会議があるのだそうです。 間に合いました ここは8月にオープンしたところで、見学会初日に私も出かけましたが、すでに満床で複数人待機状態でがっくりきたところでもあります。その時「がっくり」があまりにも先立ってしまって、質問を一つしわすれてました。提携病院についてです。1か所あるにはあるけれど、これまでのかかりつけ医を優先してもらって構わないとのこと。もし入院の場合は、紹介できる病院もあると。その病院、先日義母が入院したところでした。救急指定病院なのですが、あまり認知症には対応してない感じで、病院の情報に精通してるデイのスタッフママ友さんが「よく受け入れてくれたねぇ、あの病院」というぐらいのところです。でも実際に行ってみて思ったのは、私自身は入院したいと思える病院では無かったけれど、認知症だとわかってて受け入れてくれた有難い病院でもあります。 もし入所の順番が回ってきたとしてどうするか。最期のことを考えると多少の不安がある施設でもあるけれど、このままロングのショートを利用し続けるのと、ある意味、落ち着いて生活を新たに始められる特養とを比較したら、やっぱり特養にお世話になるようが良いと思いますし、もちろん夫もその考えでした。先に入り損ねたGHの方が至れり尽くせりの体制だったのがちょっと惜しまれるので、仮に特養に入れたとしても、このGHと、前に見学に行って好印象だった別のGHの2つは申し込みの取り下げはせずに残しておくことにしました。ずるいかもしれませんが・・・。 というわけで、鬼嫁、ちょっと張りきって届を出してます。もっともまた期待外れに終わりそうでもありますが。
2011年10月19日
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先日の義母が一時帰宅した時、私にスイッチが入った瞬間がありました。怒りや悲しみなどではなくて、現実に戻ったというか、さぁ、スタートだぞ!しっかりしろ!そんな感じのスイッチです。 義母がショートから戻ってきたのは3時過ぎ。 まずはお茶やおやつを食べてもらって一息ついてもらおう・・と思ってましたが、入院もあって帰宅するのはおよそ2か月ぶりとなったためか、「ここはどこ?」の状態に限りなく近く、家中のドア、扉、ふすまを片っ端から開け放って確認しまくって落ち着かない義母。なんとか椅子に座らせておやつの時間に。義母はすぐに食べつくして立ち上がる。そこへ微妙~なかぐわしい香り・・・いや、臭いが・・。義母は手を盛んにお尻に当て始めたので、どうやらウ●チが出たようです。処理をしようとトイレに連れて行ってパンツをおろした瞬間、それはそれは立派な大きなウ●チがポロンとリハパンから落ちてきて、私の手の甲に当たる。 ・・・・なんか、現実に引き戻されたスイッチが入りました。ぐだぐだした感情なんか抑えて、とりあえず向き合うしかないじゃないか!って。 義母はウ●チを処理したら落ち着きました。排便の時はそうも落ち着かなくなるのでしょうか。そのあと2時間の徘徊へGO! この時は夫が真っ先に追ってくれて、本当に助かりました。いや、これが本来のあるべき姿なのでしょうけどね。 休日でよかった・・・。
2011年10月16日
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いや、「頑張った」なんて、もっともっと私の現状に比べたら遥かに大変にご苦労されてる方がほとんどなわけで、その方々には申し訳ないほどの微々たるものなんですが、義母に対してのどうしても拒否が出て、精神的に辛いと感じてしまう私にはたった、本当にたった2泊義母が在宅し、私がずっと側にいないといけない・・・これが本当にできるのだろうかと、肩に思いっきり力の入った状態の時間を送りました。 つい今しがた、義母がまたロングのショート(なんか矛盾してますね、この表現)に行きました。体がこわばるような場面はほとんどなく、無事にまたショートへ送ることができてホッとしています。たったこれしきのことで笑われそうですが、入院の付き添い以来、これほどじっくりと義母につきあったのは久しぶりだったので、まずは頑張ったよ!と自分で自分を褒めてます。(有森裕子さんみたいだわ・・・) 小さいエピソードはまたおいおい。今回は義母が帰宅したその日が休日で、夫がずっと義母の徘徊に全部付き合っていたこと、これが私にとって一番の強壮剤となりました。義母の入院中に私が精神的に追い詰められたような気持からパニックになり、数日間プチ家出したことが夫にとってかなり衝撃的だったみたいです。普段はそんなことをあまり見せずにいた私が、病院で涙ぽろぽろ出しながら、説明にならない言葉で夫すらも拒否してしまったので・・・夫だけが原因ではなく、病院でのこと、GHの話がダメになったこと、入院中の義母の行為、そしてたぶん夫にとっては「へっ?」と思うだろうなぁ・・というような言葉、そのほかにも小さいことがたくさん重なってしまって、軽く鬱になってしまいましたが、夫はさすがに申し訳ないと思ってたようです。 私1人で抱えてしまってたことの反省もしないといけません。まずはこれから2度寝に入ります~ 昨日はほぼ徹夜だったもので・・・では、おやすみなさい!
2011年10月12日
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あと数時間で義母が2泊3日の帰宅です。ショートではありません、「帰宅」の2泊3日です。たった2泊のことなのに、今から気分が落ち込んで落ち込んで・・・。 朝もたっぷり寝ました。 つい先ほどまでしっかり寝ました。今日と明日は義母宅で寝泊まりです。 隣なのに、すごく決心が要ります。しばらく長時間義母と接してないので、今どういう状態なのか、どこまで何ができるのか、できないのかを把握していません。知りたくなかった、少しでも離れていたかった・・というのが正直なところ。それが約ひと月ぶりの濃厚(?)な時間を送らねばならず、構えて立って仕方ないのに、体も心も強張ってしまってます。 だから、今のうちに。王様の耳はロバの耳!!!!!!いつか笑い話にできるよう、頑張るしかありません。
2011年10月10日
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義母が入院している間にケアマネさんもお見舞いに来てくださいました。看護婦さんから義母の状態も聞き、また実際に義母にも会い、介護度を上げるように申請した方が良いと勧められました。8月にもその話は上がってましたが、入院することになり先延ばしになってしまってました。 義母が退院して1週間、ショート先に認定員の方も来られての面談。一応の基準があるのでそれの1つ1つについての確認もありましたが、何しろ当の本人がまったく言葉を理解できなくなっているので、ショートのスタッフさん(看護師さん)とケアマネさんが代わりに応えてくれるような状況。とにかく1つ1つが「できないですね」 「理解できないのです」 の繰り返し。私は驚くことはなかったのですが、本当にショート先でもいろいろとスタッフさんがご苦労されてるのが窺えました。変な言い方ですが、私が口を挟む隙はほとんどなく、いかに大変かをお二人が切々と(?)訴えるような感じでした。時にはお二人同時で答えが揃うような場面もあり、思わず笑ってしまいました。いや、笑ってる場合ではないのでしょうけど、本当に揃って同じ言葉で、同じトーンで答えが出てたので・・・ で、結果が届きました。 やはりと言うか、何と言うか、「要介護度5」。最初に「要介護2」をもらってから2年とちょっと。 最初の1年はそうは思わなかったのですが、この1年は文字通り坂道を下るように進んで行ってしまいました。 ケアマネさんはGHや特養に少しでも入りやすいように・・と配慮してくださってましたが、その結果の方にまだどこか自分が追いついてないような感覚です。それとは全く逆なのですが、入院中から、私は義母を拒否してしまいます。嫌悪感というか、絶望感というか、義母の前に出ると体に力が入りません。もう少し広い心でいたいのですが、義母のことで何か嫌な気持ちになってしまわないよう、機械的というか、心を入れて何かをすることができなくなってしまいました。認知症だということを本当に受け入れられずにいるのは、実子である夫たちではなく、私の方ですね。
2011年10月05日
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義母が入院したことやGHに入るかもしれないという話を夫が義弟さんに連絡した時、ちょうどすぐ後に海外出張を控え、すぐには行けないけれど、休みには帰省したい・・・と返事があり、先日の連休に義弟さんが帰省してきました。それを22日の夜に連絡もらったものだから、私は大慌てで家中の大掃除。なにしろここひと月、炊事と最低限の洗濯以外の家事をほとんどせず、ぼ~っと過してきた私。 我が家はもちろん、義母宅も埃だらけ。 夜中の3時までかかって大掃除しました。 さて連休中で航空券が取れない中、義弟さんはたくさんのお土産を持って電車乗り継いで東京からやってきました。 到着が夜になったので、翌23日の午前中に夫と二人でショートステイ先へ。 義弟さんが東京へ戻ってから夫に話を聞いたところ、義母は義弟さんの名前そのものは記憶にあって反応したものの、当の本人の顔はわからず、会話も成立せず、時々何かしら言葉は発するものの、ほとんど何を言ってるのかが分からないくらいでただずっと側にいることしかできなかったそうです。 夫も入院中の時から義母の現状を見てはいたものの、兄弟揃って昔に戻って・・・とまではいかなくても、もうちょっと義母が自分の子供だと思ってくれるのを期待してしまってそれが全く叶わなかった現実に、少なからず落胆したようです。それはそうですよね。 私だって親がそうなったらかなりのショックだったろうし。 でも義弟さんは午後からも1人でふらりとショート先へ。特に会話をするわけでなく、じっと義母の側に1時間ちょっと居たそうです。そういえばこんなこと、義母にとっても久しぶりだと思います。同じような状態の利用者さんはたくさんいるし、スタッフさんも側にはいるけれど、自分の為に、自分の為だけに側に誰かが居てくれるということ。入院の付き添い以外では本当に久しぶりですよね。 実は義弟さんが生まれた直後に義母は脊椎カリエスを発症して1年ほど入院、その後もあまり育児に手を出せない状態が続いたそうです。「あの子を抱っこできなかったのは今でも悪いと思ってるのよ・・。あの子には言わないでね。抱っこしてやれなかったこと。」と、デイに行き始めてからすぐの頃、そう言ってました。ずっと義母の中では申し訳ないこととして残っていたのでしょう。 義弟さんはいつものようにひょうひょうとした感じで、25日の朝早く、東京へ戻って行きました。普段は朝の4時に起きて夜は9時に寝るというサイクルだそうで、この日も6時半にはこっそりと出てました。 ちなみに私はそのころはまだzzzzzzz状態。朝ごはんも出さず、本当に申し訳ない!!お布団もきちんとたたまれてたし、ああ、夫や息子に見習わせたい!! 今年の正月はまだ義弟さんのことは理解できてた義母ですが、あれから8カ月経ち、かなりのスピードで症状が進んでしまって、覚悟はしていたものの、きっと義弟さんはある程度のショックは受けてはいたでしょう。 次のお正月、今度はお嫁ちゃんや甥っ子ちゃんも連れての時、もしかしたらもっと症状が進んでいるかもしれないけれど、またじっと側に息子が寄り添っている時間を持ってほしいと思います。私は今はそれができないのが申し訳ないのですが・・・。
2011年10月03日
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入院中の義母は、私(や、夫もだけど)が側にいない時はどうしてもベッドから降りたり他所の方の物を触ったりしてしまうので、手首をしっかりとベッドの柵へ結びつける拘束がされていました。同意書にサインした時に、両手だけで大変な時は胴衣での拘束もありますので・・・と言われ、入院前から発声が弱々しくなっていた義母ですが、相当ストレスになるだろうなぁ、大声あげたりしないといいなぁ・・と思ってました。 実際に拘束されている義母を見た時、身動き取れずにジタバタしてると言うよりも、とにかく動けないのが理解できず、固まっているといった感じでした。ちょうど手を結ばれている時に私が病室へ着いたこともありましたが、その時も抵抗はほとんどなく、されるがままではあるけれど、顔がこわばってました。 看護師さんに言わせると、私がいると不思議と落ち着いて立ち上がることも無いそうで、きちんと対応してくれる人が居るということだけでも、義母が不安にならない要素になると私自身も強く感じました。 でも思うようにさせてくれない入院生活は、義母にはかなりのストレスだったようで、とにかく拘束されている手を何とかしたかったらしく、手の辺りにある布を歯で食い破り、パジャマ2枚、掛け布団のシーツ3枚、ベッドの敷きシーツ1枚が犠牲となりました。シーツ1枚¥1500~¥2000、パジャマも買い替えたので約1万円の出費。更には弄便が日常になり、あちこち汚してしまうので、パジャマの買い足しが3着。なかなかの出費となりました。 出費だけならいいのですが、シーツ交換をしてくれる看護補助の方が、悪気はないのでしょうがちょっと大げさというか、「大変なのよ~~~」をことさらに強調するしゃべり方で、また義母の大変さが自分たちの想定外の状態なのを、かなりの困り顔で話されるのでこちらも本当に申し訳ない凹み気分に陥ってしまいました。24時間付き添いができないので、こちらが対処できないのが本当に申し訳なくて…。一応は完全看護の病院ではあるけれど、ものすごい迷惑をかけてるような気持ちになって、自分ができないことを責められてるような被害妄想にまでなってしまいました。 義母のこの衣類などを食い破る行為は退院後もまだ残っていて、シャツの裾を掴んで口に運んでは歯でガシガシやってたり、それでショートのスタッフさんがシャツをズボンにインしたら、今度はズボンのウエストをぐぐっと口まで運んで、今度はズボンを・・・だったり。夏の衣類なのでやや薄めなのですが、すでに3枚破られました。それからやおら衣類を脱ぎ出すこともあるそうです。 これも自分の体にまとわりつく布が拘束の時の記憶を呼び起こしているのかもしれません。まだ義母には拘束のストレスが残っているようです。 さらに、
2011年09月29日
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書きたいエピソードはたくさんあるのですが、時間が空いてしまうと、どれから書いていいやらなんだか時系列を無視したことばかりポツポツ思い出しています。 まずは昨日のことですが、退院後2週間、CTを撮って病後の再確認の日でした。肺にほんのわずかですがもやもやっとした影が残ってはいるものの、血液検査では何一つ異常がなく、このまま自然治癒を待つというか、服薬も無しで様子を見ることになりました。病院に入ってから出るまでに約1時間半ほどかかりましたが、大きなトラブルや混乱もなく、無事に終えてホッとしています。 ただ、義母が待合室で隣に座ってる方にちょんちょんと叩いて、声にならないぐらいのごくごく小さいささやきで何かしらささやいてしまうので、それが難儀でした。お隣に座ってた方は女性でお歳は義母とそう変わらないくらい、文庫本を熱心に読んでらっしゃいましたが、義母の接触が2回目になった時、静かに席を離れて遠くの椅子へ移って行かれました。すみません・・・ 前歯4本のブリッジが外れてしまって約1カ月。 ただ今、歯と歯ぐきのお掃除中で、今週末からは新しいものを付ける為の治療となります。その歯が無くなってしまってから、急に義母の口数が少なくなったそうです。やはりしゃべりにくいからでしょうが、それに入院が重なって、環境が変わってしまったためか義母が声をはっきりと出してしゃべることがぐんと減りました。何かしゃべってはいるのですが、ほとんど声になってません。以前はもっと長めの文章で、支離滅裂ながらもあれこれしゃべっていたのに、今は短い、3文節くらいの文章で、ただ指差し確認は盛んで、腕はよく動いていますが、本当に言葉が出てこなくなりました。ショートのスタッフさんからも、7月からのフル利用の頃から、だんだん言葉が少なくなり、入院以後は本当に減ってしまったと言われました。 症状が進んでしまったと、この頃実感しています。
2011年09月27日
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すっかりご無沙汰してました。義母は先週の月曜日に退院し、そのままショートステイへ送り込みました。私はというと、義母の退院のちょっと前、7日くらいからあれこれと重なって最低に気分が落ち込み、プチ家出してました。さすがに夫は慌ててましたが、夫だけが理由ではもちろんないのですが、顔を見るのも嫌になってしまって・・・。小さいことがかさなってしまって、もう自分がやってること全てが否定されたような被害妄想に陥ってしまい、鬱みたいな感じになってました。病院に行こうと思ってたのですが、ほんのわずかでも動くことが面倒で、病院にも行かず、家事も何もほとんどせず、少しでも時間があれば横になっているという、家族には大迷惑な1週間を送ってしまいました。先週末からの連休は、2カ月以上前から計画していた、息子と二人での東京へ小旅行を楽しんで来れたので、ほとんど治まったと思います。けだるさは残ってるのと、以前にもストレスからくる偏頭痛を起こしてたのですが、重い肩こりが頭まで続いているといった感じで、もらってた頓服も6回分を2日で飲み尽くしてもまだ治まらず、気が付けば涙がポロリなんてことも度々ありましたが、この3日間、息子と二人で大好きな野球観戦を楽しめたことで、ちょっと気が晴れました。またおいおい、心の整理を兼ねて、義母の入院期間中のエピソードを書いて行こうと思います。 ちなみに、GH入所の話は流れてしまいました。これが一番大きかったかな・・・
2011年09月20日
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恥ずかしながら、ただ今プチ家出中です。自分でもなんでこんなに自然に涙が出るのか、情けない。あ、義母のことはちゃんと看てます。 義母の入院している病院のすぐそばに、実母が住んでいたマンションがあって、実母がそこに住んでたのは本当にごくごく短い期間だったのですが、実母も私も共に使い込んで愛着のある品々があるせいで、まるで実家のような雰囲気を醸し出し、ここに来ると実母と一緒に居るような気持ちになって落ち着きます。40も半ば過ぎて、まだ乳離れできてません。一昨日からここで寝泊まりしてます。 義母は月曜日には退院の予定です。書きたいことはたくさんあるのですが、うまく書けそうにないです。 前回のブログにコメント下さったみなさん、ありがとうございます。少し落ち着いたら、また書きますね。
2011年09月09日
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入院して10日。熱はだいたい治まってきてますが、1時間に2~3回ほど咳が出ます。ただ朝晩の点滴のうち、抗生物質2種類が1つに減ったので、症状もだいぶん落ち着いて来てるようです。 一日のほとんどをベッドの上で過ごす義母、時々は何とか柵を乗り越えて降り、ベッド回りのあれこれや他の方の物を触ったりしますが、本格的な徘徊の方は運動量が減ったためか足元がふらついてしまって、やや落ち着いているそうです。でもその足元がおぼつかないことが転倒につながってはやはり危ないので、時には手の拘束になります。義母は手がつながれてるということがよく理解できないようで、大声を上げることは全く無いのだけど、盛んに手を動かそうとしているそうです。 一昨日、夕方に行った時、義母のパジャマの袖口が大きく裂けていて、ボロボロになってました。たぶん、手が動かないのはこの布があるからだ。。。と思ったのでしょう、必死で顔を近づけて、歯に触った布=パジャマを食いちぎったようです。 今日は掛け布団シーツが被害に遭いました。 少々の穴なら繕うらしいのですが、かなり大きく裂けてたそうで、買い取り・・というか、弁償となりました。 訳が分からないだけに、義母も必死だったろうと思います。私がずっと付き添ってられるならいいのですが、そういうわけにもいかず。ちなみに朝は9時から12時過ぎまで、夕方は5時から8時過ぎまで付き添ってます。義母が寝るまでは付き添うようにしてます。もっとも、どうも眠りは浅いようです。 夜は睡眠導入剤のおかげでぐっすりらしいですが。 体力と気力も落ちてて、さらにレミニールも飲んでないからでしょう、入院3日目の院内徘徊時の元気と不穏発言は全く見られません。ただ他の方の迷惑と転倒防止の為の拘束です。可哀想だけど、「もうちょっとの辛抱です」・・・が、通じないので、さらに可哀想になります。
2011年09月06日
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義母の入院している病室には、他に3人の方が入院中。いずれの方もご高齢で、内臓疾患や嚥下障害、そして年齢的な認知症をも患ってる方々でして、ほぼ寝たきりで食事介助も必要、 動きはあまりありません。そういう意味においては義母はかなり元気です。 歩けるし、ご飯も自分で食べられるし。ただその義母も入院してからずっと、たぶんどちらかと言えば病院側の都合による理由でレミニールは飲んでいないので、義母もこの1週間でかなり症状が進んでしまいました。幻視のようなものもあるみたいだし、独り言が本当に多くなりました。文章の支離滅裂加減もかなりだし、ベッドから降りようと努力はするけれど、動きはかなりゆっくりでふらふら感もあります。(もっとも病院からきちんと説明を受けたわけではありません。 入院した当日に 看護師さんに既往歴や服用中の薬のことを聞かれ、ちゃんと抑肝散もレミニールも 説明しました。 基本的に薬もこちらの病院で調剤するとのことだったのですが、 2日ほど出されなかったのでもう一度伝え、また手持ちの薬も看護師さんに渡したのですが 私が知る限りでは飲まされてません。 しゃきんとされると困るからだと思います) Aさんはおそらく80歳超え。 お子さんではなく、お孫さんのお嫁さんが数回来られたとか。看護師さん達のお話からわかりました。 食事も介助が必要で、極小の刻み食ととろみ食ですが、それでも食事中に喉が詰まってしまい、吸引(?)などの処置で大変そうでした。 ほとんど声を発そうとなさらず、時々ベッドで足をすりすりしてるくらい。 Bさんは御年86歳。 息子さんが夜に、また土日はご夫婦でお見舞いに来られました。認知症もかなり進んでいるらしく、自分の年齢は20代、息子さんは自分の弟だと思ってらっしゃるようです。 息子さんはわずかな時間ですが、ほぼ毎日来られて、やさしく語りかけてらっしゃいました。 Cさんは声の調子からの推測ですが、年齢は義母より少し上といった感じ。こちらも認知症がおありのようで、突然、大きな声で自分の欲求をぶつけたり、気になることがあれば誰かが声をかけてくれるまで、かけても納得できないのかずっと同じことを大きな声で発してます。看護師さん達も、中には優しく接しておられる人もいますが、もう慣れっこなのでしょうか、放っておくというか、はっきりと私に「相手にしなくていいですからね。キリがないから」と言うほどです。この方もお孫さんが何度か来られたきりで、どなたのお見舞いも無いそうです。どうも看護師さん達が持て余す、どちらかと言えば困った部類に入るようですが、「ねぇ、私にも××してよ!」とか「ちょっと!、口が変になってる!?」と大声で話してるのを見ていると、構って欲しいからなのか、理解できないからなのか、いずれにしても寂しいものを感じてしまいました。 義母だって傍から見たら、寝たままで両手をあげて、何やらぶつぶつ言いながら物を数えてたり、何か音がする度に動きを止めてそちらの凝視したり、徘徊したい欲求があるから、ベッドの柵の隙間から無理やり足を付き出して降りるそぶりを見せたりと、なかなかの姿を見せてはいますが。 自分がこの年齢になった時、はたしてどんな姿でいるのだろうか、この方々は幸せなのだろうか、幸せだったのだろうか、今はどう思ってるのだろうか。同情とかではなく、いつか自分もたどるであろう姿として見ています。
2011年09月04日
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義母が入院している病院は救急指定のところなので、急性期を過ぎてもなお、内科で入院する人は、部屋や階を変わることがあります。義母も昨日、実質6人部屋の4人利用の1人となりました。これまで広い部屋で1人でいたのが、急にお仲間が増えたので、ちょっと興奮したようです。夕方の点滴に間に合うようにいつもは6時頃に行けばよかったのですが、今度の病棟は看護師さんの数も少ないとかで、「とにかく早く来てください!」で4時前には呼び出されました。 お昼1時頃に家に帰ったばかりで、夕食の支度の途中でした。病室では柵を乗り越えて歩き回るし、ナースステーションに連れてくればあらゆるものを触りまくって、業務に支障をきたしてたそうで、本当に申し訳ない電話で「とりあえず手を拘束してもらっても結構なので、すぐ行きます!」と返事して、大急ぎで病院へ。ベッドに横たわるものの、両手首を拘束され、訳も分からず腕を懸命に動かす義母がいました。正式に(?)拘束に同意する旨の書類にサインをし、私が来たことで義母も落ち着き、手の拘束をほどきました。体を起こしてはいるものの、ベッドからは降りようとしないので、とりあえずホッとしました。あの徘徊にまた付き合わなければならないのか・・・と憂鬱になってましたが、なんとかそれは避けられそうです。先日の院内徘徊に付き合わねばならなかった時、以前に義母に振り回されたことがフラッシュバックして、足がガクガクするし、涙は出てくるし、なんでこんなことに・・・と落ち込んでしまったのですが、それが今は無い・・というのが、それだけが救いです。 義母の担当医によれば、まだ肺には依然として影があるそうで、退院はまだ先のようです。点滴の時の指示書をちらっと見たら、少なくとも6日までは入院続行みたいです。その先の日付も記入があったので、もしかすると2週間ほどかかるかもしれません。 ロングのショートに行ってすっかり私は身体的に義母に付き合うことから解き放たれて、しかもGHの話も決まりかけていたので、この入院騒ぎは義母の体を張っての主張、抵抗なのか・・・とさえ、つい意地悪で考えてしまいました。ロングのショートに行き出してからというもの、すっかり病状が進行してしまった義母。結局は私がそうさせたようなものなので、前回もちらっと書いたのですが、やっぱり私が手を出してはいけない領域に義母を追いやったとの負い目が湧いています。 まずはなんとか元気になってもらうしかありません。元気になったらなったで、また徘徊が待ってるかと思うと、ちょっと複雑ですが。
2011年09月02日
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入院5日目の義母。発熱があったり下がったり、落ち着いたと思ったら一日中39度近かったりと安定しません。フロア内徘徊も度々あり、今日なんか私が朝9時前に病院の入り口に到着したら、すぐ目の前を病院の入院衣の前がはだけた感じで、更に看護師さんに片手を掴まれて徘徊を阻止されている義母がいました。熱があって「しんどい、しんどい」が口癖のようになってるにもかかわらず、それでもやっぱり出歩いてしまう。看護師さん達も忙しい中、根気強く、更に工夫したりして義母に付き合ってくださってます。本当に申し訳ない。時々はベッドから降りようと体を30秒おきに起こしている義母ですが、やっぱり体が辛いらしく、ちょっとの声かけでまた横になります。ただ本当に30秒おきくらい、いやもっと短いかも、何度も何度も体を起こします。元気だったら動きたいんでしょうね。30分ほどなにもせずにじっとベッドの傍らに付き添っていたらだんだん落ち着いてきました。私が居ないとやっぱり出歩こうとすることがあるそうです。今日は体のしんどさが勝ってましたが、元気を取り戻すであろう数日後が少し怖いです 朝晩の点滴がうまく効いてくれたらいいのですが、動くせいかまだ高熱も出ます。朝は37度切ってたのに、夜は38度超えだとか。咳もしょっちゅうです。声がかすれているので少し救われる(?)のですが、罵詈雑言的な言葉もよく出ます。特にオムツを替える時と点滴の針が入る瞬間。すごく嫌な顔して、「いいの」と拒否します。 針が入った時なんてエビ反りになります。痛いですよ~と言っても理解できないので、急に針の痛みがあるとびっくりするらしく、それほど大変ではないはずなのに、「こんな木が倒れてきて・・!」と痛さを表現してます。すぐ次の瞬間には痛みも無いようで、言葉が長く続くことはないのですが、「もう、こんなことして・・・、放り飛ばして帰ります」と弱々しくも怒ってます。その都度、本当に看護師さんには申し訳なくなりますが、あちらもそこはプロ、さらりと流してくれます。 よけいに申し訳なくもありますが。 1週間ほどで・・と目論んでましたが、長引きそうです。せっかくGHの話もあったのがとん挫しそうで、ちょっと不安です。鬼嫁上等!です。 穏やかに家に居られない状態なのだから、仕方ないですよね。徘徊さえなければ、まだ頑張れるとは思いますが、入院をきっかけにどんどん病気が進む義母を見てたら、私が手を出してはいけない領域になってきたようにも見えて、義母が穏やかに暮らせるところを用意してあげることこそが最大の介護かも・・と考えています。
2011年08月31日
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本当は家族の付き添いのいらない完全介護の病院でして、家族の負担による付き添い看護もお断りしてるそうですが、義母のようなタイプの認知症の対応は難しかったようです。入院翌朝には看護師さんから「付き添いを・・・」とヘルプの電話がかかってきました。見たか、義母の真の力を! 威張れることではありませんが 義母は熱も37度以下に下がり、咳がまだ結構出るのと喉を痛めたのか声がかすれてます。よって起きているというか、ベッドに横になっても眠ることがほとんどない昼間は点滴の針を抜く可能性が高いので、私が付き添うことにしました。大きなテープで簡単には抜けないようにしてあるものの、やはり義母は長い管が気になって仕方ない様子。 シールをはがしたり、長い管を結んで見たり、果ては管を噛み切ろうとしたり目が本当に話せません。自宅から車で15分くらいなのですが、私が1日に2回も病院に来る負担を減らそうと、看護師さんが比較的時間のかかる種類の点滴を一度にまとめてやりましょう!と提案してきました。その時点で2時間ほど点滴していて、義母も腕につながる点滴を盛んに気にしていたので、たぶんこれ以上は持たないでしょう・・と言ってみたものの、看護師さんはやってみましょう!というので、とりあえず従うことに。ただどうしても今日のうちに振り込んでおきたいものがあったので、15分ほど外出します、その間をよろしくお願いします・・と伝えて、大急ぎで銀行へ。大汗かいて戻ってみると、病室は大掃除の真っ最中。どうやら私がいないわずかの間に、看護師さんも覗きに来なかったその隙に、義母が点滴をはずしてしまい、だらだら流れ出る血を仕切りカーテンにこすりつけ、(ちなみに二人部屋なのですが、義母の為に個室として使ってます)パジャマや下着、靴下、靴はもちろん、布団シーツにもかなりの血がつき、床や点滴スタンドにいたるまで、あちこちに血が落ちていました。義母は詰め所に隔離され、皆さん総出で大掃除。す~み~ま~せ~~~~~~~~ん!! 結局残りは夕方~夜に。しかもだいぶん元気を取り戻した義母は、フロアの隅から隅まで徘徊へGO!。ベッドに横になって運ばれる患者さんを遮ったり、看護師さんに指示したり、触ったり、目に入ったドアノブを片っ端から開け、複数人部屋の仕切りカーテンも開けてまわることおよそ30分。 日頃の徘徊に比べたら格段に短いのですが、そんなことより他所の方にご迷惑なのは明らか。 私も傍らからドアノブを抑えて回ったり、ご迷惑をおかけした方にはお詫びしながら付き添う始末。 止めましたよ、当然。 でも通じません。それどころかだんだん不機嫌に。ガラガラの声でさんざん怒られました。足がまたガクガクしてきました。 惨めで辛くて。 止められない無力さ、そんなものあれこれ。 もしかしたら退院勧告も時間の問題かも…。私も自分の根性無し加減に情けなくなった1日でした。
2011年08月29日
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劇的な急展開は、何も一昨日だけではありませんでした。今日、正確には昨日ですが、義母が緊急入院となりました。 24日に主治医に見せた時は「ただの風邪ですよ」で、一昨日は熱も7度台前半で落ち着いてきたと思ったのですが、昨日の夕方になって39度までまた発熱し、義母の顔色もおかしいし、咳も弱々しいものながらしょっちゅう出てるし・・・とショート先から連絡が入りました。その時点でもう主治医の病院はしまっていたので、夜間救急の病院へ。さんざん待たされて、実際に診察してもらうまでに1時間半、CTや血液検査、尿検査などを終えて診断結果がでるまでに3時間半。結果、肺炎になってました。何しろ認知症があるので各種検査に抵抗があったり器具などにさわったりと、倍くらい時間がかかってしまい、特に尿検査は導尿で採るしかなく、理解できない義母は高熱にも関わらずかなりの抵抗を示し、看護師さんのフォローをしながら、冷房の効いた部屋だったのに汗だくになってしまいました。 とりあえずは解熱の注射と抗生物質の点滴で、39度超えの熱も7度まで治まりましたが、高齢で体力的にも心配なこともあり、またCTやレントゲンでも肺にもやもやっとした影も映っているしで、とりあえず1週間ほど入院することになりました。 基本的には完全看護の病院なので、家族が付き添うこともそう必要はないとのことですが、なにしろ点滴の管も抜きそうになるので、拘束は避けられそうにありませんし、小まめに顔だししておかないと、看護師さんたちにも迷惑がかかりそうです。 病院についてから私たちが出られるまでにかかった時間はおよそ5時間半。疲れました・・・。 あまり症状は重くないとのことですが、それでもやはり「肺炎」と聞くと怖いです。なんとか無事に元気になってくれたらいいのですが。なんだかGHの話もこれでおじゃんになりそうで、先日は戸惑いもあったくせに、話が消えてしまったりしたらがっくりだなぁ・・・と、やっぱり鬼嫁は自分本位で考えてます。
2011年08月27日
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一昨日38度弱の発熱があった義母。 昨日はちょっと下がって、でも7度4分だったとか。かなりの鼻声だったのがいくぶん落ち着いていたし、どうしちゃったの?と思った足取りもいくらか動きが良くなってるようで、ちょっと安心しました。 2日連続で義母に会ったのですが、やっぱりすっかり私のことは忘れてしまったようです。スタッフさんが「この方のお名前わかりますか?」と義母に問いかけたら、義母は「名前=自分の名前」の図式らしく、何度も自分の名前をつぶやいてました。いつもデイのスタッフさんからは「息子のことは分からなくても、きっとあなたのことは最後まで覚えてると思うよ。デイではいつも「○○ちゃん、○○ちゃん、って名前がすぐ出るし」と言われてたので、厳しい(?)現実に、ちょっと哀しいものを感じています。 ところで昨日、劇的な急展開(?)があり、望んでいたはずなのに戸惑いも覚えている私です。 一番最初に見学に行ったGHから連絡があり、次の入所者の候補になってるので面談したいと。それでショートステイ先まで管理者さんが来てくれて、義母とショートの担当スタッフさん、そして私の4人で面談がありました。GHの管理者Kさんは、見学時に私たちが記入した資料を1つ1つ確認するように義母に質問していったのですが、自分の名前は言えたけど、あとは全くの頓珍漢な答え。唯一、子供は男だけってのがあってましたが、人数についてはあやふや。尋ねなかったけど、もうもしかしたら夫や義弟の名前も出ないかも。細かいことや確認事項の話は私やショートのスタッフさんが答えたのですが、義母には訳が分からないことが不満になってきたようで、すぐに「私がバカだから、バカにしてるのよ。」と、だんだん不穏になっていきました。 義母の加わった面談は15分程度で、義母はリビングスペースに戻り、残り3人で更に義母の様子について確認作業が続きました。 確認もほぼ終わったところで、ショートの利用は9月6日までと話したら、管理者Kさんの口から出たのは「では、9月に入ったらすぐに入所でも差支えはありませんね。」凄く動揺している私がいました。入所候補者のうちの上位数人の中に入った程度だと思ってたのですが、現時点で空きがあり、次の入所予定の筆頭に挙がってるようでした。ホームの経営母体である病院がホームに隣接しているのですが、入所したら主治医はその病院に替わるので、義母を診察しておくこと以外にも具体的な入所準備の話も出て、またKさんが以前に関わった利用者さんと義母がとても印象が似てるとかで、「ぜひうちでお世話させていただきたい、一緒に過ごしていきたい方です。」と何度かそう話されてました。 最初はただの確認の面談だと軽く思ってたのですが、Kさんの話ぶりからすると義母のGH入所が本当に目の前に来ているのだと思わされます。望んでいたことなのに、先日なんて新設の特養に入り損ねたのにがっくりしてたのに、いざ目の前に来てみると、良いのだろうか、間違ってないだろうか、と戸惑いの感情がぐぐぐっと湧きあがっています。 もう少し、本当に入所が決定するまで、もっと自分の気持ちを整理しないといけませんね。ちなみに夫はまずは入所してもいいんじゃないか?と、すんなり受け止めてます。実子がそうなのに、嫁がウジウジしてるって変ですね。
2011年08月26日
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今日、ショート先から連絡があって、義母が38度近い発熱をしたとのこと。連絡をもらったのはお昼過ぎ。 幸いなことに、今日はかかりつけ医の先生が担当の曜日。まずは午後の診察開始の時間に合わせて義母を迎えに行くことにしました。 およそ2週間ぶりに会う義母。 ショート施設の入り口で椅子に座りながら靴を履いている姿が見えました。 実は義母、2日前についに前歯(差し歯4本がセットになっている)が抜けてしまって、口元が以前とはかなり違ってました。歯の治療はまた後日に訪問診療の歯科に頼んでいるのですが。スタッフさんに靴を履かせてもらっていざ立つ時、二人がかりで腕を支えられてようやく立ち上がった感じ。やはり熱があるのがそうさせてるのでしょうか。ついこの前までの徘徊しまくり状態で元気に歩き回った義母とは明らかに違ってる。急に弱々しい足つきになってました。そして顔を真正面に上げて私と向かい合った時、本当に鳩が豆鉄砲くらったような、文字通り「きょとん」とした顔つき。 スタッフさんが「久しぶりに会いますね、わかりますか?」と問いかけたら、義母は私の顔は見覚えがあったのでしょう、「○○…」と名字だけをつぶやいて、あとは言葉にならず。やっぱり名前はすっかり忘れてしまったようですね。 ちょっと近しい人って感じでしょうか。 車に乗せて出発すると、すぐに鼻歌を歌い出し、そして独りごとをブツブツ。熱はあるので多少は体がしんどいでしょうけど、それも分からないのでしょうか。だけど病院に着いたらとにかく動けない。降りることが理解できない。やっと降ろしたら、今度は歩かない。足がこれまでの3分の1しか歩幅がない感じ。私よりはかなり歩みは遅かったけど、でも1人でしゃきしゃき動いてた義母はどこに行ったの??????そしてこれまで一度も無かったのだけど、歩き始めるとすぐに私の腕を掴んできた。歩くのがおぼつかないのだろう。 たぶん施設の中でもずっとスタッフさんの介助で動いていたのでしょう。手を握らないと不安定でふらふらする様子に、本当に驚いてしまいました。 診察の結果は「普通の風邪」で、伝染性が無いのでこのままショートに戻っても大丈夫とのこと。 ホッとしました。会計と調剤を待っている間、前歯がない影響もあって、言葉はほとんどこもってて聞こえない。でも目の前にある様々なものを指差してはブツブツ言ってました。座ったソファがゆったりとしたもので、肘付きが無いためか、あるいは熱の為か(病院では37.2度くらいでした。)だんだんずる~っと傾いていく。 背もたれまで少し距離がある作りなので体を預けるにもしずらいのか、それともしゃきっと体を保つのがもうできないのか・・・。 とにかくその衰えぶりにびっくりしました。 つい2週間前なんて、デイの車に乗るのに力いっぱい拒否して、スタッフさん二人がかりでやっとだったのに、今日の義母はあの日の力の3分の1、いやもっとかも。そして私のことをたぶんスタッフさんだと思ってる様子。たった2週間でこんなにも衰えるのかと、軽くショックを受けた日でした。
2011年08月24日
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前回のショートは2週間ほど連続の後、1日在宅、そして3日間と、きっと義母にとってはバタバタした印象もあったに違いないと思うのですが、長くショートを利用して、施設の雰囲気というか自分のペースというか、そんなものも芽生えてきたようで、でも徘徊(あくまでもこちら側の言葉ですが)にも行きたくて、うろうろすることもあるそうです。以前だとショートのフロアが2階なので、階段を降りてデイのフロアへ行くこともあったのが、この頃は階段を降りることがわからなくなったようで、少しの声かけで階段から離れていくそうです。足腰はかなり丈夫なので階段が怖いということではなさそうとのこと。自然に外を歩き回りたいという気持ちも自制できているのでしょうか。その分、自宅へ帰ってきた時の反動、誰も止めない(止めたいのはやまやまですが)自由に歩き回れる楽しさ、そしてその一方で、自宅に戻ったはいいが、覚えていないことが多いことへの不安とか、何をしたらいいのか分からないから徘徊へとつながる、そんなループに陥ってるような気がしました。徘徊を忘れる・・・なんて都合の良いことはなさそうですが、自宅に住むことがほとんど無くなった義母なので、顔は覚えていても、どうやら私の名前は忘れてしまったようです。先日の帰宅中、ついぞ名前を呼んでもらえなくなったのに気付きました。私の方へ顔は向いていて、私に何か話しかけようとしてるけど、名前が出てこない。それで「おばちゃん」だったり「お宅」だったり「あなた」だったり。徘徊の尾行の時は怪訝な顔で振りむいて凝視された時は「あなた」だったり。「敵」認定されなきゃ、それでいいんですが、そういえば名前呼ばれなくなったなぁ・・・と思い出してしまいました。
2011年08月23日
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ただ今義母は3週間のショートステイ中。連日34度の気温なので、まずは気温や体調管理の行き届いたところで生活できているという安心感がなにより心強いですね。私の頭痛もだいぶん治まってきました。ちょっと寝不足だったり、陽の高い時間に動きまわったりした夜はガンガンきますが、それを治める術もなんとなく分かってきたというか。義母がショートから帰ってきた日、在宅してた日の夜は文字通り頭抱えてましたが、ショートに再出発してからというもの、ふっと楽になってたりして・・・ワハハハ、体は本当に正直です。 さて、久しぶりにデイへ行く日だった先日のことを記しておきます。前の日にショートから帰宅した午後3時から7時まで、ほとんど休むことなく徘徊しまくりだった義母、水分をあまり摂らないので果物などでしっかり補い、夕食もちょっと多めに出してみたのですが、全て完食。義母も久しぶりに外を歩き回ったせいか、8時半にはソファで寝入っていました。 翌朝も5時半から活動開始。 レミニールのおかげでしょうか、道に迷うことなく、いつものコースを、時にはもう少し足を伸ばしたりして、元気に歩き回ってました。朝食はおもったほどは食べなかったものの、果物に関してはやっぱり完食。本当に時間を惜しむかのように、何度も何度も外へ出て行ってました。 デイへは事前に連絡して、動き回るからお迎えの時間に家に居ないかもしれないので、私の携帯に連絡してもらうようにしてました。スタッフさんのほうからも「今から行きます!」の連絡をもらってお互いの位置を確認しつつ義母の後を追っていたら、ちょうど義母の行く手の方からデイのお迎えの車が!ホッとしてたら、義母はすっかりデイのスタッフさんのことは忘れてしまってるようで、「どうも・・・」と簡単に挨拶しつつも、足は止まらずにどんどん進む。スタッフさんが慌てて引き止めて、「●●さん、さぁ、車に乗って行きましょう!」と言っても、「はぁ? 私は知りません! 行きません!!」と目を吊り上げて抵抗。軽く掴まれた腕を振り払って、踵返して進んでいく。運転をしていたスタッフさんも出てきて、二人がかりで両腕を掴んで、微妙にひきつった笑顔のままで「さぁ、行きましょう! こちらにどうぞ!!」と必死で頑張ってました。義母は大声こそ出さないものの、しっかりとした口調であれこれ文句を言ってました。スタッフさんは私に向かって、乱暴な感じで義母を車に乗り込ませることを「ごめんなさいね」とつぶやいてくださいましたが、私にしてみたら、二人ががりでもなかなか動かずここまで頑固に抵抗している義母は初めてだったので、そちらの方で申し訳ない気持ちが強く、でも私が口出ししたらややこしくなるかもしれないし・・・と見守るしかない申し訳なさもあり・・・。 なんとか義母は車に乗って、すばやく隣にスタッフさんが座って動けないようにシートベルトを固定。 座ってからも義母はなんだかんだと手を振り回しながら文句を言い続けてました。それにしても二人がかりで無理やり乗せるって、まさに拉致監禁ってこんな感じ?? ドライバーのスタッフさんは時々ここにも登場する、良くも悪くもストレートな若い男性。「え~っと、なかなか今日は厳しいですね。 この頃はもうこんな感じですか?」と確認。一月ぶりのデイで、スタッフさんたちのことをすっかり忘れてしまってるのも一因ですが、だいたいもうこちらの言葉は理解できないし、指示にはしたがってくれませんから、好きにさせてた方が穏やかなので・・などと説明しておきました。「もしかして朝からずっと外ですか?」はい、だいたい6時前からずっとです。 家に居る時間は本当にわずかですよ。「・・・お疲れ様です」いいえぇ~、デイに着いてからも大変だと思いますので、よろしくお願いします。二人で頭を下げあってました。 ちなみに帰宅した時は割合にご機嫌だった義母。連絡ノートには到着してからしばらくは不安定でうろうろしてるだけだったのが、昼食後あたりからやっと落ち着いて、帰る頃には気の合う方と楽しそうにおしゃべりしてたそうです。とりあえずは、ホッ。 これからデイの利用はほぼ月に1~2度になるのですが、毎回こうだと思うとちょっと気が重いですね。スタッフさんのことが分からないから、車に乗るのも不安だったのでしょうね。あんなに抵抗した義母を見て、ちょっと気の毒になってしまいました。
2011年08月18日
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