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1日(土)日曜の天気が今一つなので土曜日に尾張本宮山に登ってきました。登山口の大県神社は2月19日から丁度「梅まつり」です。いつも、もうすこし早いこの時期に梅まつりと併せて登っていますが、今年は残念ながら梅はまだ咲いていません。蕾も硬くて梅は有りませんが、その代わりブルーインパルスが花を添えてくれました。いつもの駐車場に停めて大県神社に向けて歩きます。天気も良く暖かいので、梅はまだですがたくさんの参拝者です。正面の山の斜面の梅園の梅はまだ蕾だから、ほとんど人は歩いてません。そこを横目に山に向かって歩いていく宮池大きな鯉がいっぱい泳いでいます。宮池の上の池は西洞池池の堰堤の端を奥に歩くと相澤山の看板があり歩きやすい道が続きます。前回登った時は、ここから登らずもっと先の姫の宮の赤い鳥居から登りました。思ったより遠回りですが緩やかで歩きやすく、いい道です。前方が明るくなって開けています。西の方の展望が良い岩場です。先週から山デビューした若者としばらく話をして相澤山山頂(206m)に到着その先、下りの途中で八大龍王の岩穴。先ほどの若者と一緒に下ってきました。岩穴の中に八大龍王様がまつられています。ここに下りてきて、本宮山の登山道に合流我らはこの展望台の下でお昼ご飯若者たちは先に進みます。ゆっくりお昼ご飯の後、本宮山に向けて再出発雨宮社雨宮社の裏の岩場はすごい展望しかし今日は春霞で、あまり展望はよくありませんたくさんの人が行き交い、今日はどうしてこんな人出なのだろうと思っていたら下りてくる人が、小牧の自衛隊の航空祭の予行演習の日だと教えてくれました。真正面の富士山のような形の山は尾張白山のピークその手前の反射板のある山は徹当山斜面が削られている右の山は天川山恵那山雪が少なくなりました山姥社能郷白山能郷白山の左の山々は美濃の山々でしょうか能郷白山とその右は奥美濃の山々尾張本宮山山頂の大県神社奥宮山頂に登り着いたら写真では写っていませんがすごい人でした。皆さん西の方を向いて待っています。尾張本宮山の山頂(293m)一等三角点の前で証拠写真角を補修された一等三角点はさすがに立派です大県神社奥宮の社と一等三角点石仏群せっかくだからヒトツバタゴ、入鹿池の方面へ少し下ってみます。山頂に戻ってきたらすぐに爆音がして、航空祭の飛行が始まりました。6機の編隊飛行です。すごい間隔の狭い飛行でスモークを出しながら飛んだわ~~と思ったらブルーインパルスです。初めてブルーインパルスの飛行を見ました。私のコンパクトデジカメではこれが限界それに逆光です。名古屋駅前ビル群登って来た時はもっとたくさんの人がいましたが団体の皆さんは下りていきました。この山でこれほどたくさんの人がいたのは初めて見ました。去年、継鹿尾山の山頂で出会って、飛行機の写真を撮っているT.SさんにLINEしたら今ちょうど小牧のエアポートウォークにいるということでまたまたいろいろ教えていただきました。雨宮社の岩場に下りてきてもう一度展望を楽しみます。もう戦闘機はこちらの方へ飛んできません。先ほど相澤山から下りてきたときに信貴山近道という看板を見つけたのでいつもと違って今日はこのルートで信貴山へ向かいます。信貴山への車道途中で朝の若者カップルに出会って、彼らは山頂から入鹿池の方へ下り、下の道をぐるりと廻って信貴山へ立寄りここを登って来たのです。若いから体力が余ってるんですね。先ほどの車道を登り返し再び山道を登ります。やっと信貴山に到着多宝塔きれいな極彩色で好きです。どこの神社仏閣も作られたときはこんな色だったのですね。本堂に向かう途中で、木が切られて展望がとてもよくなったので入鹿池が近くにはっきり見ることもでき御嶽山も乗鞍岳も見えます。ズームで入鹿池の向こうに八曽黒平山の奥が中央アルプスズームで黒平山の向こうに三角錐の笠置山その奥に中央アルプス(右が空木岳と南駒ケ岳)焼山とその左に257峰木曽駒ケ岳と中岳と宝剣岳尾張白山のピークと徹当山の反射板二つ信貴山 泉浄院本堂本堂の屋根を見上げて可愛いけど立派な鬼瓦です。この後、本宮山の登山道へ戻って大県神社(姫の宮)へ戻ってきました。夕日に照らされた梅園だけど、まだ蕾固し。小牧自衛隊の航空祭の目玉ブルーインパルスの飛行の写真をT.Sさんから送ってもらいました。私のコンデジでは小さいので彼の写真をあらためて載せてみます。両端の二機が傾いて飛んでいます。機種は小さいT4です。二人乗っているのもわかりますねスモークを出していない時です。ブルーインパルスのアクロバット飛行すごい!!衝突しないで円が描けてます。ヘリによる救助訓練を披露早期警戒機 E-767空飛ぶレーダーです。やはりコンパクトデジカメでは撮れない写真ばかりです。T.Sさんありがとうございました。(実はKIKIは登山を趣味とする前は飛行機の写真を撮りに行ってました。)今日は梅は見られなかったけれど、ブルーインパルスの飛行をいい天気で見ることが出来ました。去年11月と今日と、意識せずに登ったら山の上でたまたま航空祭の戦闘機の飛行を見ることが出来ました。長年登山していますがこんなことは初めてです。
2025.03.05
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11日(土)何度も登ってい居る山でも、いつの間にか展望台が出来ていたり山頂の標柱が変わっていたり、季節を変えて登ったら新たな発見をするものです。今回登った山もそんな山です。今回の山、夏焼城ヶ山も1997年1月に初めて登って2003年3月2014年3月、2016年12月に登って、昨年の冬にそろそろまた行こうと思っていました。いつも冬に登っていましたが、しかし昨年秋に骨折して入院したため、今回は初めて5月という時期になりました。以前から5月のシャクナゲの時期に一度行って見たかったのですが山の標高、アクセスなどからいつも、冬に行く山になっていました。11時過ぎ 大井平公園の駐車場に到着意外に車が多いのでびっくりしました。皆さんはどこに行っているんでしょうか?以前はつり橋の向こうまで行ったけど、今日はスタートが遅いので行きません。大井平公園は紅葉で有名だそうですが、名古屋からは途中の足助の紅葉が有名で道路の渋滞は半端ないので、その時期は国道153号は敬遠しているので見たことはありません。そしてシャクナゲも有名で、ホンシャクナゲ、ホソバシャクナゲ、西洋シャクナゲが、天保の植林の足元に植えられていいます。ホソバシャクナゲ花をつけている木も、まだつぼみが固い木もあります。すでに終わっている木もあります、どうやら西洋シャクナゲが終わっているようです。天保の植林稲武の豪農 6代目の古橋暉皃(ふるはしてるのり)が天保に植林した杉の樹齢170年の巨木もあり、それら杉の足元にシャクナゲが植えられました。古橋暉皃の業績を顕彰して作られた顕彰碑もある大井平公園です。シャクナゲ園を通り抜けて登って行きます。カギガタテンナンショウがいっぱいここから山に入って行く結構な登りですが登りきったら、山じゃなく意外な景色です。林道に出て、植林の林道を歩きます。未舗装なので足に優しく、ちょうど足慣らしに良い距離です。このあたりで二人連れの女性に追い越されしばらく行ったらその人たちが休んでいます。観光案内のチラシを頼りにやって来たけど、山じゃなく林道に出たので戸惑ってしまって私たちを待って尋ねてこられました。テンナンショウの花が終わって、ちいさな実が出番を待っています。緩やかな登り下りを経て、いくつかのカーブを曲がってやっと登山口に到着、簡易トイレもあります。左の山の急斜面をジグザグに登って行きます。木の根が露出した道このあたりはまだまだ序奏です。ヤセ尾根状の登山道、暑くて汗が噴き出て汗が目に入って来るぐらい大汗かいて登ります。途中で曲がって、二又になったから商品価値が無いということで切られずに残ったのが大木になったのでしょうか、こういう木が途中で何本かあります。山頂まで500mの表示があった後はやけに長く感じられて斜面も急になってロープまでついています。このあたりで総勢20人くらいの団体が2つ、下りて来ます。今まではほとんど人に出会ったことが無く、今日のようにたくさんの人が登って来るのは初めてです。急登をよじ登ったら、前方に展望台が見えて来ました。ブログ友のパンプキンさんがブログUPして以来、気になっていたのです。2019年1月1日にお披露目の展望台です。夏焼城ヶ山(889m)KIKIの左に2等三角点があります。2階建ての展望台の手前に、第二次世界大戦の防空監視台の建物の基礎が残っています。建物の一階には戦時中の監視員の写真や、当時の監視台の建物の写真もありそれを見た後では、旧監視台の建物の基礎跡の存在感が増して着ます。ここは展望の良さから正月の元旦登山も有名で、たくさんの人が元旦に登って来る写真も貼られていますが山頂直下の斜面は凍てついて大変だろうな~~と思います。2階に登って見ましょう。北側が開けてすごい展望の山なので、この展望台が出来たおかげでたくさんの人が登って来るようになったのでしょう。この後、家族連れもやって来たり、今までになくにぎやかな山でした。真ん中の大川入山、右は蛇峠山、左は恵那山大船山の風力発電のプロペラも見えています。(写真では無理ですね)下は国道153号と道の駅「どんぐりの里 いなぶ」の近くの集落道の駅は木に隠れて見えていません。掘っ立て小屋は健在です。以前、冬に登った時に風が強くあまりの寒さで小屋の中でランチ出来たときは助かりました。今日は暑くて、風が通る木陰で遅いランチです。展望台の基礎の横の白い木の隣に二等三角点奥の植林の中に小屋この後、山頂直下の急斜面はロープをありがたく利用して下りて来ました。行帰りに立ち寄った道の駅はすごい賑わいでゴールデンウィークも終わったのに外出癖が付いたのか夕方なのにすごい車です。今日は前々から大井平公園のシャクナゲが見たかったのでちょうど良い時に来られました。しかし一斉に満開では無く、ここのシャクナゲは3種類が植えられていて花の咲く時期が少しずつ違うようで、木によって開花がずれているので派手ではないけど長く楽しめるのが良いですね。
2019.05.13
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天気が変わって、あまりすっきりとした晴れではないので山に登るのはやめて、山城に登ることにしました。去年のNHKの大河ドラマ「麒麟がくる」で戦国時代の武将 明智光秀をやっていたようです。その時から中部の城跡巡りで、たくさんの人が登りにやってきます。山を趣味にしているKIKIたちは、城跡巡りをするわけではないですが登山で自然に山城に登ることになるので、城跡にはついつい興味がわきます。中部にはたくさんの城がありますが、中でも美濃は戦国時代の舞台になったところで山城がたくさんあります。今回は可児市には山城が10もあって、山仲間のTさん夫妻が教えてくれたそのうちの二つに登りました。26日(土)可児市の花フェスタ記念公園の駐車場に車を停めて身支度をしていたら、散歩をしている地元の男性に明智城を尋ねたら親切に教えていただきました。花フェスタ記念公園の無料の西駐車場から横断ほどを渡り集落に向かいます。近くの道の駅「可児ッテ」でもらった地図を頼りに天龍寺を目標に歩きます。集落を抜けたら森に入ります。太元神社の横を通ってそのまま山に入っていくのかと思ったらまた集落に出て、天龍寺を左に見て明智城の駐車場があり、そこの案内看板です。桔梗坂には桔梗が咲き乱れ石畳を緩やかに登ってゆきます。土岐頼兼が1342年(康永元年)に築城し、明智氏代々の居城となったそうです。大手門石畳をさらに緩やかに登っていくと本丸曲輪に到着「七ツ塚」1556年(弘治2年)に稲葉山城主 斎藤義龍の攻撃を受けて落城した際明智方の武将7人を葬ったといわれていて7基の盛り土が残っています。祀られている7人の武将の名前馬場の横の馬防柵向こうの下には民家の屋根山城といってもそれほど標高は高くないので今は住宅地が迫ってきています。一番奥の広いところが本丸去年の6月に設置されたばかりの、明智光秀のブロンズ像が真ん中に立っています。今にも動き出しそうな生き生きとした像です。左手には鉄砲を持っています。本丸の端には明智城址の石碑説明看板とその向こうに、新しい展望台があります。展望台から次に向かう美濃金山城が見えています。ズームで、真ん中の山が金山城趾です。三角点を探しにウロウロして、一番高いところを見つけて歩いていくと・・・ちゃんと三等三角点が保護されていました。西出丸の一番高いところです。本丸に戻って十兵衛坂を下ります。まだ整備されたばかりで、きれいな階段パラパラと人が歩いていましたがたまたまこの時は貸し切りになり誰もいません。貴重な水を確保するため城の左右の2か所に水の手跡があったそうです。看板の向こうの旗のところです、今は水の痕跡がありませんがたぶん谷なので掘れば出てくるのでしょう。乾曲輪には明智家一族の供養をした石塔があります。建物の中に石が祀られています。左の看板の内容に気を取られてこれしか写真がありません。明智光秀が逆臣となったため、人目をはばかって1973年に発見されるまで、ほぼ地中に埋められていた状態だったそうです。大手門から大手道を登り、西大手曲輪におりて一周回って桔梗坂(大手道)に戻ってきました。曹洞宗 天龍寺帰りには明智一族の墓がある天龍寺を見てきましたがお墓の案内もないのでそのまま車まで歩いて花フェスタ記念公園の駐車場でお弁当を食べて次に向かいます。お弁当を食べているときに、朝お尋ねした地元の男性が無事に行けたかどうか心配になって、車でやって来られました。美濃金山城国史跡になっている。山を取り巻くように舗装道路ができているので山城の風情がなくなって、ただの公園になっているのが残念です。この門をくぐって舗装道路を歩いていくと森蘭丸ふるさとの森森蘭丸が金山城で生まれ、その時の産湯の井戸覗いてみたけれど水は確認できませんでした。高いところを目指して歩いていくと山頂直下に展望台が見えるので、そこを目標に進んでゆきます。草刈り機のモーターの音がしていたかと思ったら「わあ~~イタイイタイ」と叫び声がします。仲間の人の声もして大騒ぎになっているので立ち止まって聞き耳を立てると蜂に刺された~~と大騒ぎ。私たちが歩いていこうとしている方向なので、そのまま進むのはやめて少し戻って分岐を反対に左の方へ向かいます。ルートを変えて展望台より左の方から登ることにします。左上に石積が現れ登り切ったらそこは「出丸」でした。車でここまで来れるようで、駐車場はありますが車は停まっていません。展望台の方へ少し歩くと山に入っていく道があるのでそこを登れば、金山城です。自然林の中を登ってゆきます。崩れた石積があちこちにあります。破城の痕跡と言って2度と城として使われないように石積が壊されたそうです。三の丸の跡古城山払い下げの記念碑江戸時代には兼山の地を治めた尾張藩が、お留山として地元民の立ち入りを禁止し、明治時代は皇室の御料林となり、昭和20年以降は国有林になり長い間地元民の立ち入りが禁止されていたのが昭和28年に住民に払い下げられて翌年にこの碑が建てられたそうです。長い間利用できなかったことが、かえってお城の遺構が残る結果となったのです。二の丸ここも石積みが崩された跡です。本丸へ上る道本丸跡天守の建物の礎石もきれいに残っています。ここの建物が解体されて、その木材を木曽川を使って犬山に運ばれて犬山城建築の材料になったそうです。兼山ダムと旧兼山町の集落(2005年に可児市に変更)兼山ダムは愛知用水の取水口があるところでここの水は愛知県民を潤してくれています。金山城の歴史の看板室町時代末期、天文6年(1537年)斎藤道三の命でその猶子 斎藤正義がこの金山城の山頂(273m)に築城し烏ヶ峰城と名付けました。その後、織田信長が美濃攻略の拠点として森三左衛門尉可成を金山城主として治めさせた。以来、森可成、長可、忠政父子三代の居城となったそうです。ちなみに織田信長の稚児小姓として有名な森蘭丸は森家初代の可成の三男でこの城で生まれました。山頂の本丸を下りて展望台からの眺望向こうに登ってきた出丸が見えています。堀切の小径を通って下山しました。山城全体が整備されていて、当時のままに近いのが山頂付近の本丸・二の丸・三の丸だけです。あまりにも整備されすぎているというのが感想で、梨割山の加治田城趾のような残し方が私には好きですが公園にするとこのようになってしまうのかもしれません。明智城は思い込みで、恵那市の明智町にあるものだと思っていてまさか可児市に明智荘といって明智氏代々の所領があり、明智城もあったとは知りませんした。可児市に10もの山城があり今回2つ登ったけれど、あと8つを尋ねてみても面白いなと思っています。
2021.06.28
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16日(日)笠置山は今回で6回目です。初めて登ったのが1996年2回目は2002年そしてそれから20年間登らなくて3回目は2022年、4回目は2023年7月、5回目2023年9月20年ぶりに登った2002年は笠置山の違った面を見つけて翌年の2023年は2回も登ったのです。その時に、ピラミッド石の存在を知って次はその石を探そうと思っていたのです。林道を車で走っていると左に標識が・・・NO.6の看板ピラミッド石が植林の中に線刻のピラミッド型の石にしめ縄の跡しめ縄が途中で切れていますがはっきりとした線刻が見られます。今まで何度もこの林道を走っていますが、こんな形の石に気が付きませんでした。今回は看板を見落とさないようそして先ほどの石から車で5分くらい山に登ったらこの石こそピラミッド石ですねササユリとピラミッド石ササユリ近づいたら2m以上あります。ペトログラフ散策道という看板に魅かれて歩き出したら盃状穴があるピラミッド石私が指さしています。盃状穴と線刻よく見ると頂点から同心円に二本の線刻があります。古代人の岩に刻まれた文様をペトログラフというそうですが雨乞いの祈りや願いを込めた岩が笠置山ではたくさん発見されたそうです。蒸し暑い中を、階段を230mほど登って巨大な岩が8個つながったように点在するところ盃状穴と線刻が見られます。ほぼ一列に4個下半分にも、ほぼ4個の巨岩サンキラの実ピラミッド岩の点在を示す看板望郷の里キャンプ場ここから笠置山に向かいます。左側の林道を歩いて途中で見行山を左に見つけて林道沿いにはタニウツギ上の駐車場の近くから、山に入ります。今回はタル岩には行かず、右への看板に従って苔むした巨岩がゴロゴロもののけ姫の世界です。岩に刻まれた「界」の文字鈴鹿にもありました。くぐり岩狭くて通りにくいのでこれ以上太ると通れません。くぐり岩を通り抜けたら目の前の上に小屋が見えます。崖に上手く小屋が作られています。小屋の向こうに展望台巨岩の上に作られた展望台今日は雲が多くて、あまり展望が良くないけど見行山(左)が良く見えます。目の前に中野方ダム小屋でお昼ご飯です。展望台の上は陰が無く暑いけどここは爽やかな風が気持ち良い日陰です。ゆっくり小一時間お昼ご飯休憩して再び登り始めたら、「亀天水」の岩場どこが亀??相棒曰く、上の石は亀のお尻で亀がむこう向いていると・・・あまりよくわかりません。(泣)ツクバネソウ樹齢150年の大ヤマザクラ山頂直下の展望台去年より老朽化が進んでいます。階段が朽ちて来年は登れないかも・・・ビビりながら登ったけれど雲が多く、目の前の木も大きくなり天望がありません。山頂の笠置神社奥社のお社が見えてきました。笠置山山頂(1128m)二等三角点があります。山頂の笠置神社奥社のお社は保護のため屋根に、さらに屋根が掛けられています。山頂の笠置神社の境内の神社の謂れヒカリゴケを見に行きましょう盃状穴がたくさんあけられています。巨岩がいっぱいどんどん下ります。梯子を登って巨岩の割れ目に登ったぞ~~ヒカリゴケ去年よりきれいです。あまりたくさんではありませんがきれいに光っています。KIKIが覗き込んでいる巨岩の割れ目にかろうじて生えています。初めて見た時より小さくなっているのでこの先大丈夫かなと心配になる天然記念物です。私がみていたところじゃない所にヒカリゴケ発見どうぞ増えてくださいね、と祈らずにはいられません。自然の力はすごいですね。ここの環境がヒカリゴケには生きられるのですね。帰りは神社からまっすぐの尾根道を下ります。この道が大好きです。タツナミソウタツナミソウの群生これほどの群生はなかなか見たことがありません。ヤマツツジ物見岩真正面に見える恵那山は雲の中です。林道をトコトコ歩いていると、道の両脇はコアジサイが満開私はアジサイが好き、6月生まれだからかな・・・笠置山は初めて登った時はそれほど感動しませんでしたが最近は登るたびに新たに発見することが多く登る山としてだけではなく、古代人の祈りの場としての岩に刻まれた文様を探してロマンを感じ天然記念物のヒカリゴケを見るために、岩場を下ったり登ったり。色々な顔を持つ山の色々な面を楽しむことを知って登山だけじゃない楽しみを知りました。
2024.06.19
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冬の散歩第二弾は鈴鹿の北にある養老山地です。養老山地には 天城越え~♪ というような○○越えというのがいくつかあります。北西から南東に連なっている養老山地が三重県員弁郡北勢町と岐阜県海津郡南濃町を分けているのですが養老山地を越えていく峠道で、今は、車で通り抜けられるのは「二ノ瀬越え」だけです。「川原越え」と「田代越え」は今でも山を歩いて越えなければいけません。12月8日(月)は「田代越え」の峠のピークにある鎌知土三角点を目標に歩いてきました。この「田代越え」は2008年3月8日にも羽根谷のさぼう遊学館駐車場から飯盛山(勇守山)、田代ヶ池経由で行っているのですが一か月前の母の死で落ち込んでいて2ヶ月ほどブログ更新する気力がなかったので載せてはいませんでした。今回は行基寺から登って「田代越え」経由で田代ヶ池まで行くつもりでしたが行基寺境内で歩き出してすぐにであった人に「ここからのルートはもう無いし、ここから登ればサルやイノシシの集団に襲われるから他から登るように」と言われて砂防遊学館駐車場に変更しましたがここからのスタートでは飯盛山経由で行っては遠回りなので月見の森から田代越えに変更して月見の森駐車場までまた移動です。「水晶の湯」の駐車場でもあるのでたくさんの車が止まっています。数人の人が山の方へ登って行きますが途中で行き先がバラバラになるのか誰もいません。しばらく歩くと月見台に到着濃尾平野が見渡せるので前回はここに下りて来た時は感動しました。階段状のベンチに座れば濃尾平野をバックに舞台があります。ここでお弁当を食べるのもいいですね。今日は前回とは反対にここから登ります。常緑広葉樹の中、歩きやすい道を進みます。右は松茸山なのでテープで侵入を禁止しています。秋にうろうろしていたら松茸泥棒と間違われそうです。稜線に出たら行基寺を見下ろせる展望地に到着鉄塔の向うに飯盛山三番鉄塔と四番鉄塔の鞍部に手作りのベンチがたくさんゆっくり休憩してくださいと書かれた札も・・・ここでランチタイムです。暖かく風も無く貸し切りです。「田代越え」はこのあたりだと思っていましたがなかなか到着しません、この先かなり歩きます。昨日降ったのでしょうか、ちらちら日陰には雪が残っています。ヤセ尾根や枝道があり、雪が解けて濡れた山土が滑りやすい。いくつかの枝道があって、?と思うところもあったけれどどうやらあの上が峠です。やっと「田代越え」に到着前回と周り方が違うのでまったく記憶がよみがえらずに来ました。葉っぱの上の雪が滑って歩きにくい斜面を登ります。今日一番斜度があります。「田代越え」639.9m四等三角点(三角点名 鎌知土 かまちど)前回とは反対から登ったのですがここは伊勢の国と美濃の国の境界だそうで時間があったら田代ヶ池まで行こうと考えていましたがとてもとてもそんな時間はありません。今日はスタートに手間取ったので、時計を見たらもう2時半で冬の日没は早いので大急ぎで下山します。行基寺展望地からのズームで、名古屋のビル群です。もう森の中は薄暗く、焦りながら下りてきました。冬の散歩はどうしてもスタートが遅くなりがちで今日みたいに3か所もスタート地点を変更したら目的地も周り方も変えないと夜になってしまいます。町に近いところなのでヘッデンをつけて下りてこられますが幸いというか残念というか、行基寺の人のいうようなサルにもイノシシにも出あいませんでした。
2014.12.09
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17日(日)岐阜県関市の迫間不動から、関市と各務原市の間に連なる低山の関南アルプスを歩いて大岩見晴台まで冬の散歩です。 迫間不動の下の駐車場に車を停め迫間不動を参拝して階段が続く道を稜線へ登ります。参拝客に交じってザックを背負った人もたくさんいて我らもまず参拝をしてから登ります。(正月からの山登りは、毎回参拝しながら登っています)岩の割れ目の洞窟に祀られています真っ暗な洞窟の階段を登り、今年も登山の安全を祈り階段を登って行きます途中で下を見たらこんな感じ稜線までずっと階段が続きます。谷の駐車場が寒かったのに、この階段登りで汗をかきました。登りきって稜線を西に歩いたら、迫間城跡(迫間山)の広場です。向うに見える鉄塔の左下が明王山で、今日もたくさんの人影が見えます。《御嶽山》今日は夜から雨の予報で、曇っているので展望はあまり良くないけれど何とか御嶽山とその右に中央アルプス、さらに右には恵那山が見えています。今年はやはり暖冬のせいで雪が少ないですね。写真だけ撮って前進します。目の前の松の木の間から、これからの稜線が見えています。ズームしてみたら右奥が大岩見晴し台稜線を緩やかに登ったり下りたり遠くにうっすら名古屋のビル群が・・・ほとんど雑木の気持ちの良い稜線です。大岩見晴台南は各務原市とその南の大展望北側は関市が広がり、御嶽山とその左に乗鞍岳が顔を出しました。高賀三山は暖冬で雪がありません。その左の奥の雪の山は???岐阜城金華山の向うに伊吹山がまるで浮かんでるようです。ありがたいことに雨の前で風が無いのでゆっくりランチができます。たくさんの人が登ってきて下りて行きます。登山二年目の若者たち二人連れと山談義に花が咲いて思った以上にゆっくりランチして各務原市の各務野自然遺産の森へ下山します。この道は初めて通る道です、こんな展望台がありました。この階段はおなじみの階段で自然遺産の森の入り口です。古民家を移築した自然体験塾やトイレ、管理棟がおしゃれ!!ここから迫間不動まで歩くと車に戻れるのです。冬の散歩には楽しい周回です。この関南アルプス(各務原アルプス)は色々なところから歩けるので時間と体力と相談して登山口を変えてみたり、変化のある散歩ができるのです。だから最近の冬のお決まりのコースになりました。
2016.01.19
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22日(日)中山道 木曾十一宿のひとつの馬籠から妻籠まで馬籠峠経由で約9キロを歩きました。中山道は大好きな古道で、とくに馬籠と妻籠の二つの宿場を馬籠峠でつないで、いにしえの集落を歩けるのが大好きです。初めて歩いたのは今から40年以上前、両親と馬籠から妻籠まで歩きました。それから何度も歩きました。東海道は江戸の日本橋から京都三条大橋まで53次488kmで、温暖な太平洋側を歩きます中山道は69次 534km途中碓氷峠や木曽路など山越えの険しいところを通ります。しかし、東海道には橋のかかっていない大きな川を渡らければならず大雨の後のたびたびの川留めや、名古屋市熱田区の宮宿と桑名宿の間は4時間の船旅があることなどから朝廷から将軍家への姫宮の降嫁の際は中山道がよくつかわれたそうです。だから中山道は姫街道とも呼ばれています。特に有名なのは、14代将軍家茂に降嫁した、皇女和宮の行列です。大名行列や旅人が見た景色を思いながら、木曽の秋を味わってみました。しかし、最近は外国からの観光客が多いと聞いてはいましたがここは外国か?と思うほど外国からの観光客の多いこと!!京都にある映画村などのテーマパークより昔の日本の生活を自分の脚で感じられるのでいいですね。だから私は何度も訪れるのです。スタートは馬籠宿馬籠峠まで登りになりますが、馬籠峠から妻籠まで長い下りが続きます。色々調べて、馬籠は無料の駐車場が多く、そこから馬籠から妻籠に歩いたほうが足にやさしいということです。9時前なので、まだ店は開いていませんし観光客も少なくて写真撮るにはいいですね。以前この近くの高土幾山(たかときやま)に登った帰りに馬籠宿だけ散策しました。江戸時代にタイムスリップしかし外国人が写りこんでしまいました。石畳と町並みの向こうに恵那山今日は雲一つなくくっきりと恵那山が。今にも着物着た昔の人が出てきそう昔の荷車が店横にあります馬籠郵便局飛脚が郵便物を運んでくれそうな気がします。蕎麦屋ですがまだ準備中島崎藤村の生家は藤村記念館になっています。「木曽路はすべて山の中である」という書き出しではじまる藤村の作品の一つ「夜明け前」はここ馬籠が舞台で、藤村の実父である島崎正樹をモデルにして書かれた小説です。展望広場からの恵那山馬籠宿の上のバス停からすぐに高札場があり、その上の展望広場からの恵那山は全容が見えます。この先は宿場の建物が無くなって石畳で少し山越え分岐には中山道と彫られた石碑があり わかりやすい。緩やかに整備された山道を登っていく旧中山道に沿って自動車道路が出来ているのでところどころで、県道7号を渡ります。あと6.8キロで妻籠宿川のせせらぎと水車小屋と休憩舎があり、モミジの木もあってとても感じの良いところです。紅葉は少しまだ早く、あと一週間から10日ぐらいが最盛期かしら。信州の道祖神はカップルです。県道を少し歩くところもあります。色づき始めた木々県道7号を横切って集落の道に入り緩やかに登る途中に「十返舎一九狂歌碑」のある休憩舎目印みたいに大きな桜の木(?)がありますが時期が違うので咲いてません。トイレもある休憩舎ですのでお弁当食べるにはいいのですがまだお昼には早すぎるので少し休憩して出発十返舎一九の狂歌「渋皮のむけし女は見えねども 栗のこわめし ここの名物」木曽の名物は栗おこわですのでそれを歌ったのですね。昔からの家が続く街道筋実際にそこで普通に生活しています。とても自然な感じで、観光客相手の土産物屋も食べ物店も無く本当にタイムスリップした感じです。まだ時間も早いのでそれほど多くの人が歩いてはいません。その感じがとてものんびり、温かくほのぼのとしてゆったりと時間が流れていくようです。熊野神社馬籠峠標高790m右に馬籠茶屋がありますが、まだ閉まっています。左から歩いて赤文字で現在地右の方へ歩いてゆきます。馬籠峠からこのルート上で一番急なジグザグに急斜面を下っていく。道も山道になって、登山靴で来てよかった。途中に標識もたくさん有り迷うことは有りません。山を抜けたら集落にでてたくさんの人が居ます。一石栃立場茶屋お休みどころとあり、たくさんの人が休んでいます。温かいお茶を無料でふるまってくれるのです。紙コップの温かいお茶はとてもうれしい今日は天気も良く暖かい日でしたが、このお茶の美味しかったこと接待してくれたご主人様とお話外国のお客がとても増えたのはインスタで拡散されたからだそうでこの人は外国のお客さんもインスタに紹介されて有名人だそうです。この立場茶屋は馬籠と妻籠のほぼ中間にあたり昔から休憩所だったそうです。一石栃というのは、地名で馬籠とか妻籠とかと同じ集落名だそうです。ここは木曽五木を保護するために、盗んで持ち出されないように調べたという、いわば木の関所です。いまは休憩所になっています。一石栃白木改番所跡ここでお昼ご飯を食べられると思っていましたがまだお昼には時間が早くて通過です。また山の中の街道をゆきます。大サワラ比較するものが無いので大きさがわかりにくいのですが樹齢300年、樹高41m、胴回り5.5mこの木一本で300個の風呂桶が作れると書いています。隣の看板には、川の向こうの対岸にある合体木の説明望遠で撮ってみました。根元近くから合体しています。森からの出口にも「中山道 一石栃」の文字が彫られた石碑中山道を分断するように県道7号が通っていいてその拡張工事で国史跡の中山道を保護するために道路の下に中山道の石畳を壊すことなく残しているそうです。この説明板が無ければ、普通に通っていてはわかりませんね。ナギナタコウジュが道端に咲いています。中山道の山道が崩壊していて、そのため県道7号を少しだけ歩きます。男滝、女滝へ下ります。滝の説明板女滝男滝ここはたくさんの人が休んでいて写真を撮っています。ここまで歩いてこなくても、バス停と車を停めることが出来るのでここだけ見学の人もたくさんいます。滝の周辺でお昼ご飯かと思いましたがゆっくりいただける所が無くてそのまま進みます。木の間から、集落が見えているので、たぶん「大妻籠」でしょう集落に近づいたら、かえってお昼を頂くところが無くなると思って途中、倉科祖霊社のお社の横でランチタイムです。今日はいつものバーナーとコッフェルはやめて保温水筒にお湯を入れて持ってきました。インスタントお味噌汁とおむすびと、あらかじめ焼いてきた玉子焼きのお昼ご飯です。30分くらいの休憩で再スタート。どんどん石畳を下っていきます。熊野古道の石畳と違って、滑りにくいので助かります。庚申塚の宿屋二階に昔の篭がぶら下がっています。時代劇でよく見る簡単な篭です。大妻籠の集落うだつ造りの建物が並んでいます。座布団と布団を干しています。たぶんきっと昨夜は泊り客があったのね。ちょっと休憩水車何もかも時代劇のセットみたいですが、すべて実際に生活している中で保存されているのです。大妻籠の入口私たちは向こう(写真の奥)からやってきました。古い石柱の説明板明治に地元の有志によって建てられた街道の石柱昔は中山道は中仙道と書かれていたのですね。右の舗装道じゃなく左の地道へツリガネニンジンがまだ咲き残っています。妻籠宿に入ります。もう使われていない旅人宿わら馬を製作しているお店レトロな明治時代の建物妻籠変電所馬籠峠を歩いて越えてきた私たちが、なんだか浮いてしまう観光客がいっぱい木賃宿の上嵯峨屋一本の木をくり抜いた 水船蔵と町並み敵襲来に備えて、わざと回り道させるために道をまっすぐにしない枡形有形文化財の宿時間的に一番にぎわう時間ですお土産物やはにぎわっていますタイミングよく人が少ない、シャッターチャンス妻籠郵便局今は郵便資料館も併設妻籠宿本陣島崎藤村のお母さんの生家雲一つない良い天気奥谷 脇本陣水車と高札場鯉岩濃尾地震で岩が動いて岩の一部が取れて鯉らしくないのです。鯉岩の説明熊谷家住宅昔の家の間取りがよくわかります使っていた備品も展示されています。自由に入ってみることが出来ます。鯉岩の先でUターンしておやつの五平餅を藤棚の下で頂きましょう14時22分のバスで馬籠まで戻ります。早めにバス停まで行ったのに、すでにものすごい人が並んで待っていました。絶対に座れないと思っていたら何とかギリギリ座れましたが県道7号の峠越えはグニャグニャ道で、バスがカーブで揺れるたびに、立っている人は必至でつかまっていないと振り回されて大変です。初めは終点の馬籠まで乗っているつもりでしたが馬籠の上の入口(陣馬バス停)で下りて馬籠宿を下ることにします。恵那山はまだくっきり今度は朝歩いて登った道を下ります。朝と違ってすごい人出山歩きの人はほとんど無くて、観光客だけです。栗のどら焼きのおやつ外人さんも買っていました。朝の写真スポットでもう一度恵那山は今日は最後まできれいに見えています。今回の中山道は天気に恵まれ、気候的にも爽やかで何もかもうまくゆきました。街道の見どころの近くではきれいなトイレがあって道にごみ一つ落ちてなくて、とても気持ちよく歩けました。馬籠や妻籠の観光協会や地元の人々が大切に守り続けている貴重な文化財だということがわかります。地元の人だけでなく私たち国民が大切に残していかなければならない文化財でもあります。中山道馬籠峠越えは初めての相棒は、はじめは少し乗り気でなかったけれど結果はとても楽しんだようで、誘った甲斐がありました。日本の古き時代というか、自給自足の昔の宿場町の生活に触れる山歩きと観光のミックスしたよくばりの一日でした。
2023.10.25
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8日(土)設楽町の和市から登る岩古谷山に行ってきました。初めて登ったのが27年前の1995年12月23日その後翌年の12月22日、2003年1月、2008年1月、2017年2月と3月に登り、今回で7回目です。すべて冬に登っていました。2020年5月に、隣にある平山明神に登ろうと歩き出して20分ほどでヒルの猛攻にあって、途中で逃げ帰ってしまうというアクシデントで、この近辺の山はヒルが多いとわかっていましたがもうこの時期になると居ないだろう、急にこのところ寒くなったし・・・そう思って雨の翌日でしたが登りに来ました。登山口登山口の駐車場には車は3台停まっていて私たちの前に歩く女性二人組と、ぬきつ抜かれつで歩いていきます。左へ行けば鹿島山、大鈴山へ植林の中を進みます十三曲がりの始まりこのあと、五曲がりの手前で、私の相棒のほっぺにペタッと何かと落ちてきて・・・手をやるとヌルッと小さなヒルが二匹!!ヒヤッーと大騒ぎ、そこからは足元の点検が始まって点検以外は出来るだけ長く立ち止まらず堤石峠目指してガンガン歩きます。堤石峠のベンチで点検しかし、私のズボンや相棒のズボンにヒルがついています。一応ズボンをまくって靴下を見ましたが大丈夫でしたここでもゆっくりしていられません、大急ぎで峠を後にして出発尾根をどんどん進みますゆっくり歩いていられませんたぶんこのあたりまで登ったらヒルはいないと思うけれど強迫観念にとらわれて立ち止まれませんメチャクチャ大下りの丸太の階段滑りそうで怖いので慎重に・・・下りきったら今度は登り返し・・・岩にびっしりとイワヒバが繁殖今度は岩の横を巻くようにつけられた棧敷梯子明神山を眺めてやっと休憩大鈴山(左)岩に付けられた梯子大岩にジグザグに付けられています梯子は終わったら、滑りやすいヤセ尾根を両手も使って登るここは足の間隔に刻みがあって助かります。本当に一つの大岩から出来上がっているような岩古谷山和市の集落と明神山鍵掛岩の上でもう一度ヒルの点検ヒルがいっぱいズボンの中にも外にもついていて相棒は靴を脱いでまで点検しています。KIKIはズボンをめくって点検しますが、山頂でゆっくり点検すればいいと思って靴まで脱がずに進みました。それが大間違い!!岩古谷山東曲輪ヤセ尾根を進みますあと一登り大きな岩の上で一休み鞍掛山(右)と宇連山(左)真正面に三ツ瀬明神山その左手前に尾籠岩山(おろいわやま)その左に白岩山平瀬明神山トイレなのか物置なのか調べていませんが小屋の向こうに岩古谷城址岩古谷城址岩古谷山はその名の通り岩だらけの山です一番先端が山頂左へ下りる梯子は鞍掛峠への縦走路岩古谷山の山頂(799m)初めてここに登った時、山頂で仲間とワイワイ騒いでいたら下の集落の田圃で仕事をしていたお爺さんが下山後に、山頂で大笑いしていたのはお前さんたちかい?と聞くので私たちですが…山頂の声が聞こえるのですか?と尋ねたら下に居たら山頂の声が聞こえるよ、と言われたことを思い出します。いまでは懐かしい話です。山頂の岩の上から岩古谷山から鞍掛山への縦走路と、鞍掛山左端は宇連山と鳳来寺山方面この後、お昼ご飯の前にゆっくり点検するために靴下を脱いでみたら靴下にもいっぱいヒルがくっついて大騒ぎ靴下は血まみれです靴を脱いだら、靴のアキレス腱の当たるところに血がついているし中敷きを取ったら、黄色い靴底にヒルが二匹ピクピクしているし左足に8か所、右足に2か所嚙まれていました。下山は同じ道ではなく、堤石トンネルの方に下りようと急斜面を大急ぎで下山しはじめたらマムシ注意の看板の手前で、マムシをまたいでしまってギャーッと逃げようとしますが、何しろ急斜面のヤセ尾根で危なくて、怖くて・・・もう、ほんとに心蔵バクバク・・・岩の突端にあずまやでもここでゆっくりする人がいるかしら・・・和市の集落こちら側の階段はコンクリート製しかし急斜面です。岩の積み重なった間を通過左の う回路の方がよほど危険です。ここは素直に岩の中をくぐりましょう。男滝(左)と女滝(右)しかし水量がほとんどなく、滝らしくありません。雨の翌日でもこんなに水量が少ないので滝というのは無理がありそう・・・トンネルの上の登山口に下りてきました。ピンボケですが、ヒルに注意の看板旧堤石トンネル新しいトンネルが下の方に付けられています。駐車場に戻ってきて靴を履き替える時に、最終点検をしたらさらに靴下は血まみれで、結局左足9か所右足3か所合計12か所噛まれていて血が止まらずどんどん噴き出てきます。相棒の運転してもらっている間中、ずっと血をふき取り傷口を絞ってやっと家に着いた頃血が止まりましたが翌日からずっと痒くて痒くて・・・傷跡はさらに赤く腫れてひどい状態に・・・登山をやり始めたころ、無謀にも雨の日に登った谷汲の妙法ヶ岳で初めてヒルの被害に遭って、それ以来注意していましたがその後20年以上も被害無く来たのに今回は判断が甘く、たいへんな被害に遭ってしまいました。30年近く登山をやってきて、これほどの被害は初めてでまるで昨日今日やり始めた初心者のようです。地球温暖化のせいかヒルの生息が以前より長く、また広範囲に広がり色々なことの総合的判断が甘くてトホホの状態です。ここしばらく、山はいやだな~~~
2022.10.13
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メキシコツアーのブログもだいぶん進んで今回は世界遺産カバー遺跡とウシュマル遺跡です。 26日(木)はメリダの南にあるカバー遺跡に向かいます。その途中で、黄熱病の権威の野口英世博士がしばらく研究していたオーラン病院へ立ち寄ります。1919年当時メキシコで黄熱病に似た不明の病気が流行りロックフェラー財団が野口英世博士に研究を要請したものでその業績をたたえて博士の銅像が立っています。日本人にとってなじみ深く、尊敬されている人が遠くメキシコでも尊敬されていることに誇らしく思います。そして次にカーバー遺跡に向かいます。メリダの南のウシュマル遺跡と、20キロ離れていてこのカバーはウシュマルと姉妹都市であったと言われています。 メリダの街から離れたらすぐに森の中の一本道になりほとんど家の無い道をひたすら進むと 《世界遺産 カバー遺跡》観光客は我らのほかに車が一台のみまたまた貸切状態です。紀元後600年から1000年のマヤ後期遺跡です。 広い芝生の広場の正面に「コズポープ」(仮面の神殿)が有ります。なぜそう呼ばれるか・・・壁面いっぱいに360個ほどの雨の神チャアクの顔が埋められているからです。 右の円形のプールみたいなのは雨水をためるところです。 チャアクの顔は、丸い目とゾウのような鼻とギザギザの歯。しかし鼻は折れてしまってわずかしか残っていません ひとつをアップで見て見たらよくわかります。おメメと、長い鼻とギザギザの歯で口がわかります。 一番上の右端に鼻が残っています。これだけたくさんの雨の神チャアクを壁に施したのはそれだけ雨が少なく雨を欲していたのでしょう。 ここにもイグアナがポーズしています。裏側に回って見たら カバー遺跡の王と王妃の像と言われていますが宇宙人の像だという説もあります。宇宙服を着ているようだからです。 写真の壁面の右の一番上に、その像がありますがマヤ人は宇宙人だというのも、天文学に優れていたりこんな像が有ったりするからなのかもね。こじんまりしているカバー遺跡ですが道路を隔てて反対側にも遺跡が広がっているけれどまだまだ発掘しきれていないそうです。数年後はもっと大きな遺跡になっているでしょうね。 このあとマヤ人の末裔が住む一般家庭に行きました。 マヤ人の家はわらぶきの可愛い家で出入口は対面にもあって ひとつの家に二か所の出入り口です。 中は意外にも広くて、昔からの神と今ではキリスト教をも信仰しています。ベッドはハンモックで通気性が良いので健康に良いそうです。 マヤ人の女性がトウモロコシの粉でトルティーヤを焼いています。試食しましたが、味がありません。野菜や肉のおかずと食べるため、日本でいうご飯と同じで味が無いのが良いのだそうです。 アガベの葉っぱから繊維をとりだし、昔は縄を編んでこのあたりでは外貨を稼ぐほどの産業でしたが近年は化学繊維の縄が出来て、すたれてしまったそうです。 このあとウシュマル遺跡に向かいます。入口から石畳の道を行くと目の前に魔法使いのピラミッドが見えて来ました。メリダから110キロの位置にあるウシュマル遺跡は紀元後700年から1100年ごろに栄えチチェンイッツア遺跡と同盟を結んで、北部ユカタン半島全域を支配していたといわれます。 魔法使いが作った卵から産まれた小人がこのピラミッドを一日で作ったという伝説から「魔法使いのピラミッド」と言われています。 珍しい側面が丸い楕円のピラミッドです。 このピラミッドも中に4つのピラミッドが内包されていて5層になっているので、手を叩くと鳥の鳴き声のように反響します。裏側の面は階段の横に雨の神チャアクの顔が並んでいます。ここでも雨乞いをしていたのですね。今は登れませんが、すごい傾斜の階段で手すりも無いので登る時より下る時の方が怖いですね。 隣に建つ尼僧院と言われる建物から見てみましょう。 尼僧院と言われるのは同じような小部屋がたくさんあるからで実際は宮殿だったそうです。 マヤアーチという独特のアーチの入り口です。アーチの向うに見えるのは球戯場です。 ここの球戯場はチチェンイッツア遺跡より規模が小さい。総督の宮殿 壁面の装飾はすごく細かい切り石細工です。 森の上に浮かび上がった魔法使いのピラミッド《グラン・ピラミッド》このピラミッドの一番上に神殿が有りますが、修復されているのは北側の階段だけです。しかしこの傾斜の階段は山登りを趣味としているKIKIでも下りは緊張しました。グラン・ピラミッドの一番上(神殿の前)からウシュマル遺跡のほぼ全容が見られます。 この遺跡がジャングルの中に埋もれていたので今まで残っていたとか・・・崩れた石垣の修復には時間とお金がかかりますが今では作ることができない貴重な遺跡はその時代にタイムスリップしたようです。青空で貸切のウシュマル遺跡を後にメリダの空港へ向かいます。メリダ空港からメキシコシティへ戻り翌日はメキシコシティの観光です。
2017.02.09
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篠田池18日(日)瀬戸の海上の森と物見山の散歩に行ってきました。今週になってすごい寒波で、天気も不安定なので遠出をしないでお昼過ぎから近場の散歩で済ませました。今回で物見山は8回目です。海上の森は、万国博覧会会場になるところを、絶滅危惧種のオオタカの巣があるということで自然の生態系を残そうと地元の人々や保護団体が立ち上がって開発されるところを、危うく逃れて残った森と山と池が、冬の散歩にちょうど良く、2018年秋に足首骨折後のリハビリにものんびりと歩くことが出来たところです。満車の愛知海上の森センターの駐車場に、ギリギリ最後の1スペースに車を停めて歩き出します。吉田川沿いを歩いて、赤池の手前の36番から五差路に向かって歩きます。34番の五差路ところどころに番号と地図があるので、わかりやすいです。海上の森センターで、地図ももらえるので、その地図と番号を合わせれば迷わず色々なルートで歩けるのです。歩いたところを赤線で辿ってみました。五差路から物見山に登ります。尾根道突き当りの20番落ち葉のじゅうたんを踏んで物見山への登山道並行して林道がありますがグニャグニャの林道より、この登山道の方が直登です。岩の露出した急斜面山道はあまり風を感じませんがすごい風音で、今日は寒くて風が強く高い山では大変でしょうね。マフラーで作ったフードを被って、完全に冬装備でしたが止まると寒くて、ほとんど休憩なしで歩いています。山頂直下の遺跡の大石この大きな石は古墳だそうです。???物見山山頂(327m)には、私たちの前に歩いた人が居るだけで誰もいません。それもそのはず、西向きに開けた山頂はメチャクチャ強い風をまともに受けて寒くて寒くて、写真を撮ったら早々に下山したくなります。山頂からの展望今日は風が強いから遠くまで見られます。名古屋の駅前のビル群物見山山頂から、林道へ下りて篠田池へ向かいます。小さな静かな池しかし今日は、ウォークラリーの人が多くてたくさんの人とすれ違います。この池もこの後いっぱい人が来ました。里山サテライトの移築古民家にやってきました。ここから物見山の山頂が見えます。日没前に戻りたいので、ほとんど休憩せず出発ここで以前よく確認をせず道を間違えて、すごく遠回りしてしまいました。今日は慎重に地図で確認しながら道を選びます。この分岐を左へ右に行けば谷に下りてシデコブシの群生地です。36番 尾根道登り口吉田川沿いの林道に下りてきましたあとはこの道を海上の森センターへ戻ります。午後1時頃から4時半迄、3時間半しっかり歩いて今日は18000歩です。風が強くてメチャクチャ寒く、これからはしっかり防寒対策して歩かないといけません。寒がりの相棒は、タケノコのようにたくさん着込んで対策済みでした。今年も12月半ばを過ぎてもう残すところ半月もありません。来週で登り納めかしら・・・
2022.12.19
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1日目 一の沢~常念乗越~横通岳2767m~東天井岳2814m ~大天井岳2922m~大天荘(泊)ヘッデンつけて、登山口の小屋で暖かいお茶をご馳走になって登山届けを出して出発します。沢沿いの道を登って、途中の山の神の祠に参拝し、明るくなってから、沢の流れが見えるところで朝食のパンを食べ何度かの沢を横切ったり、水場を越えて谷を詰めてゆきます。お天気は思ったとおり良い天気で、日が高くなると暑くなって来ましたが適度に樹林の中を歩くので助かります。途中で、たくさんの団体さんが次々と下山してくるのとすれ違いますがみなさん昨日の常念小屋は布団一枚に二人でした、という団体や布団一枚に3人でしたという団体があって、小屋の混み具合が想像できますね。沢から離れて、山腹を巻くように登ってゆくところから胸突八丁です。ここから急に高度を上げて登って行くのです。お花たちも増えて来ました。ルート上は結構いろいろな花が咲いていましたが、花の写真は最後にUPしますね。登って来た沢を見下ろしてみましょう。ソバナの向こうに見える谷を詰めてきたのです。最後の水場で、冷たくて美味しい水を飲んで、水を補充してあとひと頑張りで乗越です。人の声がしてきたら常念乗越に到着。たくさんの人が小屋の近くで休憩しています。赤い屋根の常念小屋の向こうに、本当はバーンと槍・穂高の山並みの大展望が期待できるところですが、山頂部にガスがかかって迫力がありません。左に行くと常念岳、右に行くと横通岳です。まだまだ先が長いので、ここではゆっくり休憩しないで先に進みます。ここにはまた明日戻ってきますから。横通岳への登りの途中で振り返って、常念乗越を見てみました。以前、蝶が岳から常念岳に登って山頂から、常念乗越を見おろした時そのときの小屋より綺麗になっています。途中何度も何度も振り返ってみましたが、ガスが途切れないので常念岳の全貌が見えたのはかろうじてこれだけです。横通岳は、普通のルートは山頂部を通らず山腹を巻くのでこの先、ルートから離れて山に登ってゆきます。歩きにくいザレの、薄い踏み後をゆっくり登ってゆくとコマクサがポツポツ咲いています。御嶽山でも会えましたが、ここでもコマクサにまだ会えたので感激盛りを過ぎていますが、待っていてくれたようでうれしい~~二つのケルンの間に三等三角点だけがポツンとある横通岳山頂(2767m)。ガスが無かったら、360度の大展望が見られるすごいところですが貸切状態。そもそも、常念乗越から大天井岳方面に行く人が意外に少ないのに驚きです。目的の大天井岳方面もかろうじて見えている。一番遠くに見えているのが大天井岳です。ガスが山頂を隠している、恥ずかしがり屋の穂高の山並み左の雪渓は涸沢カールでその上が奥穂高岳のはずですが・・・山頂から、山腹を巻くルートに合流して次の目標は東天井岳です。山頂がギザギザの東天井岳の山腹を右に振って、さらに左に大きく巻くように登って行くのがいやになりそうな登り。大きく山腹を右へ左へ巻いて登ったあと東天井岳の峠に到着振り返れば、ここは横通岳と常念岳が並んでいる姿を見たり、目前は穂高の山並みも見える、ベストポイントなのに・・・ガスで見えません。安曇野方面からのガスが、山の稜線で分けられています。峠にザックをデポして、東天井岳へ登りましょう。ここも意識しないと通過してしまう山です。すれ違った人がみんな、「いつか分からないうちに通り過ぎちゃったのね」と言っていましたから。石の積み重なっただけで何にも無い山頂(2814m)。写真だけ撮って下山です。東天井岳の山頂部を右に巻くように大天井岳へ向かいます。東天井岳の斜面はコマクサの群生歩きやすい稜線歩きは大好きです。ガスが無くて左に大パノラマが見えているはずですが心眼で見るだけ・・・見えているつもりで歩きます。だんだん花崗岩の岩が出てきて、稜線の景色も個性的になってきました。その代わりガスがもっと濃くなって、遠くは何にも見えていません。方向が分からなくなるほどのガスの中に、ボンヤリと浮かび上がった小屋が大天荘です。しばらく写真を撮りたいので、がすが切れるのを待ちましたがこれ以上はガスが抜けません。その後ろに大天井岳の山頂がかすかに見えています。思ったよりも早く小屋に着いてチェックインの手続きの後二段ベットの自分のスペースで着替えたり、片付けたり・・・ガスが消えたら山頂まで行こうと思っていましたが、反対に濃くなるばかり。五時からの夕食魚料理と、肉料理とどちらかが選べます。魚はさばの味噌煮、肉料理はハンバーグのキノコソースKIKIは肉料理です。付け合せの千切りキャベツのサラダにお野菜の煮物、冷奴、具たくさんの味噌汁デザートはグレープフルーツとても美味しくボリュームたっぷりでした。夕食後、何とかガスが薄くなったようなので山靴を履いて山頂へ。三等三角点と祠のある山頂は、石の積み重なったあまり広くない山頂(2922m)目の前のガスが無ければ槍・穂高の山並みの大パノラマが見られるすごいところなのに・・・と思っていたらガスが途切れて、ガスの上から何やら尖がったシルエットが・・・槍ヶ岳ではありませんか・・・もっとガスが切れるかも知れないと、日没直前まで粘りましたがこれ以上ガスが切れることは無く、期待は明日に持ち越し・・・八時の消灯で寝ようとしますが、たびたびトイレに行く人の気配が気になって疲れすぎているのに全然寝られません。また「山小屋で寝られない症候群」に陥って明日の朝のご来光や、槍・穂高の山並みを想像しながら朝までただ目を閉じるのみ・・・あ~あ~山小屋の夜の長いこと。明日は興奮の大展望をUPしますね~~~
2011.08.31
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今年もやりました。クリスチャンじゃないけど・・・クリスマス会鳥の丸焼きが去年はもも焼きに変わり、今年はモスチキンになってしまったけどテリーヌ以外は全部作りました。シーフードホワイトシチューほうれん草とベーコンとキノコのキッシュチーズフォンデュ(バゲット、ウインナー、ブロッコリー)テリーヌ大根とレタス、ミズナのベーコンサラダモスチキン黄桃のケーキフルーツ(パイナップル)膝のためにダイエットしていますが、今日だけは解禁明日からまた粗食のススメです。
2005.12.25
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蓼科山は岩ゴロゴロであまり花はありませんでしたが夢の平林道には花がいっぱいでした。トキンの岩から下りは、花の写真を写すのでまともに車を走らせられません。ミヤマアキノキリンソウ名前からして秋の花のような気がします。山頂直下の岩陰に咲いていました。高い山からもう秋の気配でしょうか・・・下界ではまだまだ真夏で暑いのに山の夏は短いのですね。ヤマハハコ峠にいっぱい咲いていましたハクサンフウロほとんどどこの山でも見られますね。マツムシソウこの花も秋の花のような気がしますが・・・チダケサシトリアシショウマ や ヤマブキショウマと似ていますが葉っぱが違いますね。ミヤマキンバイこの花も高い山では当たり前に咲いています。低地のキジムシロに似ています。葉っぱはイチゴの葉にそっくりです。高山では、この花に似たミヤマダイコンソウがありますが葉っぱが違うので区別が付きます。ミヤマウィキョウセリカの仲間はメチャ多くて区別が付きにくいのです。サワギク別名 ボロギクかわいそうな別名です。湿り気の多い木陰に咲く花です。クガイソウ背丈が高くて目立ちます。紫色の小さな花の集合体。ウスユキソウ白く見えるのは花ではなく、綿をかぶった葉っぱです。真ん中の地味な黄色っぽいのが花一つ一つの花は地味ですが集まるとけっこう目を引きます。より高い山では ミネウスユキソウより小さな、ミヤマウスユキソウ は エーデルワイスといわれるのに近い花です。早池峰山にはハヤチネウスユキソウ木曽駒ケ岳にはコマウスユキソウが咲きます。北海道の礼文島ではレブンウスユキソウが谷川岳と尾瀬の至仏山では ホソバヒナウスユキソウが咲きます。こうしてみるとこのはなの仲間がいかに多いか・・・蓼科山では花が少なかったけど、その林道ではいっぱい咲いていました。白樺湖のほとりで蓼科山の全容が見られるので写真を写して帰ってきました。さっきまで見えていた青空が黒い雲に覆われて見えません。カメラを構えたとたん蓼科山の山頂にガスが・・・ほんとうにシャイな山です。
2010.08.02
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連休最後の山登りは、滋賀県高島市の赤坂山から明王の禿を通って三国山へ。たくさんのオオイワカガミとトクワカソウ(イワウチワ)に会ってきました。5月3日の山行きは、オキナグサに会うために長野県の霧訪山へ行きました。その日のブログの本文で書かなかったのですが保護されているはずのオキナグサが激減していたのにはびっくりしました。霧訪山には三回登りましたが、オキナグサはだんだん減ってゆくのです。それはそれは悲しいくらい貧弱な株で、次に登ったときにはまた会えるでしょうか・・・心配です。どうか生き残って下さいと願わずにはいられません。赤坂山の登山口の一つはマキノスキー場で、今の時期はゲレンデがキャンプサイトに変わるのです。登山者駐車場と書かれた駐車場にとめて、芝生のゲレンデをオッチラオッチラ登ってゆくと、山の取り付きが赤坂山登山口。はじめはすごく荒れた尾根を登っていきますと、丸太の階段が延々と続きます。丸太の階段は永遠に続くかと思うほど、嫌になるほど長いのです。自然林の新緑が、空気まで緑にしています。このところの黄砂で目が痛かったのに、なんだか洗われるようです。途中、下界が見える展望台があり休憩がてら見下ろすと水の入った田んぼが光っています。そのむこうの琵琶湖が大きく広がって、この間 霊仙山の近江展望台で見た琵琶湖と反対側からの景色です。シハイスミレでしょうか?スミレは種類が多くて良く分かりませんが、名前が分かったら教えて下さいね。登山道にはこのスミレやタチツボスミレがいっぱい咲いています。武奈ノ木平を過ぎたらオオイワカガミの群落が現れあっちの崖を覗きに行ったり、こっちの崖に行ったり・・・崖の斜面に群生しているオオイワカガミのおかげで前に進みません。さすがオオイワカガミです、一つの茎にいっぱい花がついています。この山もタムシバが綺麗にたくさん咲いています。目にまぶしいブナの新緑の登山道イカリソウも山に入ったとたんに登山道にいっぱい。カタクリもあちこち咲いています。スミレサイシン日本海側にはこのスミレが多いですね。雪渓があらわれました、KIKIはこういうの好きです。粟柄峠分岐から高島トレイルという標識が現れ、赤坂山への最後の登りです。ここからはすごい強風で、今年は風に付きまとわれています。岩の穴にお地蔵様が。無事の登山をお参りして、山頂へ向かいます。こういう稜線歩きは、標高の低い割にはアルペンチックですね。強風の赤坂山山頂(823.8m)まったく高い木が無い山頂は、風が吹き抜けて何度か帽子が飛ばされ、重い体でも風で後ろに倒れています。4等三角点と山座同定盤があり、正面は琵琶湖の展望抜群、右には高島トレイルの大谷山が、左には三国山が続いています。少し早いですが、ここでランチタイム。風を避けて琵琶湖と反対に北向き斜面でお弁当を食べて次の「明王の禿」を通って三国山へ向かいます。高度感あふれるガレ場の「明王の禿」「はげ」は見てのとおりで分かりますが「明王」はなぜかしら?確かにこの岩は動物園にいる、マントヒヒの仲間の「マンドリル」に似ています。さっきまで居た赤坂山を振り返ったらこんな景色「明王の禿」の岩場の向こうに琵琶湖が・・・岩のザレ場のあちこちにキスミレが咲いています。本当にスミレの多い山です。たくさんの花が付いているイワナシが、岩陰にひっそりと。三国山との鞍部まで、いったん下って黒河林道との分岐を右に分け登っていけばトクワカソウ(イワウチワ)の群生がお出迎えです。三国山山頂までトクワカソウの群生だらけです。もう見飽きるほどのトクワカソウの絨毯です。木に囲まれた三国山の山頂は狭い広場で写真を撮って三等三角点を確認したらすぐ下山です。下って登り返して同じ道をスキー場まで戻って来ました。本当に今日はオオイワカガミに始まって、トクワカソウで締める花・花・花のすばらしい一日でした。一年分のイワウチワを堪能した日でした。今年のゴールデンウェークは近場ばかり日帰りで花巡りでしたがそれはそれなりに十分楽しめた山行きでした。
2011.05.08
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《サハラ砂漠をらくだで》時差ボケが抜けないまま帰国して6日になります。夕方無性に眠くなって困ったけれど昨日久しぶりに山に登って爆睡したら夕方の眠気が無くなりやっと時差ボケが解消されたかと・・・ 14日(日)朝食後、ホテルを出てアトラス山脈を越えて砂漠のオアシス エルフードへ。今日一日はバス8時間移動です。ほとんどバスの中で過ごすため、覚悟の日でもあります。途中モロッコのスイスと呼ばれる高級避暑地「イフラン」に立寄りカフェでお茶タイムした後バスはひたすらアトラス山脈へ向かいます。車窓から見える景色は、土色の大地で変わらない景色の中で、羊やヤギの放牧が目立ちます。バスはアトラス山脈を越えるため、グニャグニャ道をどんどん高度を上げてゆきます。少々荒っぽい運転で、後ろに座っているとすごく揺れます。砂漠のオアシスにはナツメヤシやオリーブの木が生え後は砂だらけの景色が続きます。季節はちょうどナツメヤシの実が熟れる頃で熟した実は「デーツ」という、干し柿のような甘くておいしい実です。お土産物屋や途中の道路肩で地元の村人が売りに来ます。夕方、やっとエルフードへ到着ここで4WDの車に分乗して、砂漠のホテルがあるメルズーカ村へ。砂の上の一本の道を砂煙をたてて4WDの車4台が疾走します。砂漠のホテルに到着後車から下りたら、ゾッとする出来事が・・・スーツケースから分けた、一日分の宿泊用の荷物を4WDに乗せるはずがKIKIはバスから下ろし忘れて、バスに残したまま貴重品と途中で買ったお土産だけ持って4WDに乗り移ってしまったのです。真っ青になったけれどもう後の祭り・・・今夜は着の身着のまま、化粧も落とせず寝るしかない明日も同じ服のままです・・・山小屋で寝ると思えばいいか、とあきらめました。そう言えば4WDに乗り込んだとき、ほかに人の荷物がやけに多く感じたのです。(自分が忘れていることに気が付かず、その時に気付けばまだバスに取に戻れたのですが)ホテルは砂漠の真ん中にポツンと・・・まわりは砂だらけ砂漠に日が沈みかけて、一面ピンク色中庭にはプールもあってなかなかおしゃれ夕食はバイキング形式ほとんど毎日同じような味、ほとんどすべてにパクチーが使われているようで日本でもパクチーブームですが、KIKIはパクチーが苦手でできるだけパクチーの入っていなさそうなものを選びますが無理です。食後は打楽器のモロッカンミュージック演奏を聴いて星空観賞に出かけます。KIKIのコンデジでは写せないので写真は有りませんが満天の星空に、時たま流れ星がピューと流れ夜空にこれほどたくさんの星が有ったんだと驚かされます。部屋に戻って明日はご来光観賞のため夜明け前集合なので早く寝ましょうと支度をしていたら同部屋のMさんがバタバタ慌てだした。彼女も化粧品を移し忘れてスーツケースに入れたままだったのです。お風呂に入る前に気が付いてよかったね!!今夜は二人とも顔も洗えず、大笑いしながら休んだのです。15日(月)さらにアクシデント!!白河夜船の夜中3時、突然部屋をノックする音で起こされびっくりして飛び起きたらまだ3時です。添乗員さんの勘違いで、2時間も早くたたき起こされもう一度ウトウト二度寝。ひたすら平謝りの添乗員さんにおはよう~~~まだ真っ暗な5時45分、らくだに乗る注意を受けてベルベル人のターバンを巻いてもらってしっかり鞍の持ち手を握ってらくだに乗ります。ヒトコブラクダの背に乗せられたクッションのような鞍に乗るとすごく高い!!真っ暗な中をユラリユラリらくだの揺れに体を合わせながら進んで行きます。暗い中を30分位進んで、少し明るくなりかけてラクダから下りて小高い丘の上でご来光を待ちます。ベルベル人にターバンを巻いてもらい、ベルベル人気分。ご来光前ですが、空は明るくなって来てベルベル人に私の名前を書いてもらって7時半過ぎ、やっとご来光です。日本の反対の西の端のモロッコは夜明けが遅いのです。その代り日没も遅いのです。砂漠の遊牧民のベルベル人とこれはお正月写真に使えそう・・・ラクダに乗らない人は歩いてホテルに戻ります。砂の上は踏ん張れないので大変です。KIKIは膝が悪いのでここで無理したら膝を壊してしまうしラクダにも乗りたいので日本円5000円なりを払って乗りました。ラクダの足はペタンとしているので、砂に埋もれないのだとか・・・4本の足の内動かすのは常に一本だけなので安定しているとか・・・でも下りの坂道の時はラクダも下を向くので、乗っている人はジェットコースターの下りのようにすごい斜度で下に向くことになる鞍に付いている取っ手を必死に握りしめて、前に落ちないように踏ん張らなければいけない。ラクダは楽だけど下り坂は大変でした。もうすぐ我らのホテルです。らくだのシルエットがロマンチック戻ったらテントで朝食ハエがブンブン飛んでいる中で、手でハエを払いながら頂きました。今の日本では考えられないことです。ホテルの中庭より私たちの部屋のベランダから砂漠のリゾートホテルです。砂漠に別れを告げ、再び4WDに分乗してエルフードの町へ戻ります。エルフードの町は化石が取れる町でアンモナイトなどがこれほどたくさん埋まっています。化石の工場兼ショップで説明を受け、お買い物をして凄くおおきなアンモナイトお昼ごはんは温サラダケフタ(ミートボールのタジン)タジンはすべておいしい砂漠のオアシスの町 ティネリールトドラ渓谷の入り口トドラ渓谷ティネリールの北西に位置する渓谷で、モロッコのグランドキャニオントドラ川の両側に300~400mの切り立った岩壁10年以上前に岩壁の岩が崩れて崩壊したホテル今でもそのまま放置されています。バスは同じような景色のカスバ街道をワルザザード目指して走り続けます。途中で薔薇水とアルガンオイルの店に立寄ったりしながら長い長いカスバ街道を走り続けます。今夜のお宿のワルザザードに着いたら日没前の7時明日は世界遺産「アイト・ベン・ハッドゥ」と「マラケシュ旧市街」です。
2018.10.25
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《御嶽山》五週続けて雪の御嶽山が見えました。29日(日)今年最後の低山散歩で、美濃加茂市の米田白山に登ってきました。この間登った米田富士の近くで、過去に2003年1月と2008年2月に登っていますがいずれもブログに載せていませんでした。2003年はブログを開設する前でしたし、2008年は母が亡くなった直後でしたから。二度も登っているのに記憶が無く、ただ山頂手前の岩場だけが記憶にあるのです。朝ゆっくりの出発で、下米田のさくらの森の第一駐車場に着いたらすでに駐車場はいっぱいで一台分しか空いていません。どうやら目の前のイベント会場で、催しがあるようです。東まわりで周回します。後ろに見える建物左がトイレ、右の大きいのがイベント用の会場第一駐車場から東回りで周回すると一時間と書いています。しかしのんびり写真を撮りながら歩くKIKI達は、もっと時間を掛けました。整備されて歩きやすく、危険なところはありません。この先、木階段がたくさんでて来ます。今日は雨の前なので、風も無く良い天気です。二の坂ところどころ、以前は無かった看板があります。この先は三の坂少し斜度が増して、登山道に露出した岩もあって登った感があります。しかし全体的に歩きやすく地元の人が散歩に使うそうです。地元に人はこの山を東山というそうです。一番高い所の稜線まで来ました。気持ちの良い「木洩れ陽の森」だそうです。落ち葉を踏みながら進んで行くと突然岩場に到着細長い岩場でKIKIは北側を向いています。飛騨川の流れと一番奥の山並みの右端が納古山、手前の秀麗な山が米田富士写真には写っていませんが、御嶽山が右端に見えています。次の岩はタイタニック岩と名前が付けられ登ってみればわかります。端まで行けばタイタニック号の船首みたいですが怖くてあと一歩がでません。岩の橋から下はすごい絶壁ですから。タイタニック岩から先ほどの岩場と御嶽山2人組の女性が岩の上に座ってくつろいでいます。山並みの一番奥に雪を被った白山の頭だけ見えています。さらに左には能郷白山が見えています。その次の岩は以前は「八畳岩」と言われていましたが標識が無いので、今は何と言われているのかしら・・・道が二又になり左側を行くと、白山槍という岩場です。相棒がさっさと行ってしまって、ここは写真だけ撮って通過。米田白山の山頂(274m)二等三角点がありますが、ほとんどの人はここに来ないのかしら下側の道を進んでしまうと山頂には来れません。後ろには反射板がありますから、遠くから見ても山頂の場所が見当つきますね。白山展望台かなり下って展望台到着、ここでランチしましょう。暖かい所を探したら、展望台の足元が良かったのでここでランチ。飛騨川と鳩吹山の山並み、その右はこの間登った関南アルプス(金毘羅山、明王山、迫間山)その後ろにうっすら見えているのは養老山地から鈴鹿山脈鳩吹山のズーム関南アルプスから各務原アルプスの山並み御嶽山のズームこの後下りて来て時間がまだあるから、この間の八坂山と大谷山へ登るために登山口の大谷公園に着いて用意していたらなんと、Tさん夫妻が下りて来てびっくり立ち話が長くなって、車に乗って話し込んでいたら結局2時間近くも話してしまい、二つ目の山には登れず・・・今年最後の登り納めは、二つ目の山に登れないという変な納め方でしたが、懐かしいTさん夫妻に会えたので、終わり良しとしましょう。去年は12月26日に退院してすぐに正月を迎え大変でした。今年は年明けから、リハビリ登山ばかりで思う山には行けなかったのですが左足首が完全に治りきらないので、無理が出来ないから仕方がないと割り切って少しづつでもマイペースで登り続けられたらと思っています。「山は逃げない」を合言葉にしてゆっくりのんびり楽しんで登れたらと思っています。今年もKIKIのブログにお越しくださってありがとうございました。良いお年をお迎えくださいませ。
2019.12.31
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2日(日)コロナで山になかなか行けなくて我慢していたのに長い梅雨の雨を恨めし気にながめ続けてやっと遅い梅雨明けで、本当は遠くて高い山に行きたいけれどなまった体で、体力に自信がないのとコロナがおさまらず県外に行くのをためらって、結局、愛知県最高峰の茶臼山へ行くことにしました。朝ゆっくり出発して、茶臼山登山口の駐車場についたのは11時前です。やはりたくさんの車が停まっていて、たくさんの人が登っています。西登山ルートの登り口向こうに見えるのが茶臼山一時間足らずで登れるので、ファミリーが軽装で登っていきます。大型犬を連れた人もたくさんいます。少し歩いたら、「自由の広場」スキー場のゲレンデのように、広々として気持ちの良い広場です。ベンチで対面の萩太郎山を見ながら休憩。向こうに見えるのは、駐車場を挟んで反対側にある萩太郎山です。茶臼山の後で登ろうと思っている山です。冬は山の斜面がスキー場になり、茶臼山スキー場は本当は萩太郎山の斜面のスキー場なんです。今日は雲が多いのですが、日差しがきつくじりじりと焼け付く日差しがつらくてサンバイザーの上から帽子をかぶりました。自由の広場から森の中に入ります。木陰を歩くとホッとします。展望台がありますが、屋根の上は雑草が生い茂り階段を上って行く気になれません。山頂までの距離は短いのですが、駐車場からでも斜面は結構登り甲斐があります。夏は標高が高い山はそれなりに気温が低いので汗かいて登っても、木陰の風がさわやかなのでホッとします。山頂手前の広場では、木陰でランチしているファミリーがたくさん居てそこからの展望もなかなかのものです。写真の左の赤い屋根は、茶臼山高原休暇村の建物で萩太郎山の真ん中はリフトが動いています。登りはじめはほとんど人が乗っていませんが今はたくさん乗っているようです。右はスキーゲレンデで、山頂手前の左の広場は芝桜の広場で毎年6月は芝桜祭りでにぎわいます。山頂に近づいて茶臼山山頂(1415m)広場には二等三角点と、展望台過去、茶臼山には3回登っていますが、まだできたばかりの展望台でとてもきれいでしたが長い年月で表面の塗装は剥げて階段も少し傷んでいます。展望台から、天気が良いと冬は真正面に南アルプス、左には蛇峠山や大川入山まではっきりと見えるのですが今日は天気が良くても雲が多くて、隣の萩太郎山がわかるだけです。奥天流三河国定公園 茶臼山 と書かれています。そのまままっすぐ奥に行くと茶臼山の山頂は愛知県と長野県の県境なので長野県側には以前にはあった鉄製の展望台が無く、コンクリートの基礎だけ残っています。2009年に登った時は(下の写真)上の写真の展望台がありました。以前もかなり老朽化していましたが写真ではわかりませんね。愛知県では1415mの茶臼山が最高峰なので愛知県側の立派な展望台に比べて、とてもシンプルな鉄骨の展望台ですが高い山がたくさんある長野県では茶臼山程度の標高の山には、立派な展望台を置くほどのことはないと思ってか力の入れようが違います。そしてそれも老朽化で撤去されたままです。長野県側の方から、周回で下山しようと雷岩のほうへ下ります。大きな岩がありますが、なぜこれが雷岩なのか・・・ここでは間違わずに雷岩の右横から下り(左へ下りる階段を下れば茶臼山高原の道路へ出てしまいます)ちゃんとルートを外さず下りたつもりが・・・名前のわからない水たまりのような池の横に下りてしまい建物の向うは舗装道路で舗装道路を歩くのは嫌なので、再び山に入って自由の広場へ戻る道探し。結局、茶臼山高原休暇村の建物の裏の広場で牧場を眺めながらランチタイム。大きな木の木陰は涼しくて南アルプスが見える方向を見ながら、久しぶりにコッフェルを使ったお昼ご飯を頂いて、食後の飲み物までゆっくり味わって大休憩です。再び、本当なら通るべき自由の広場を目指して歩きます。おやおや、休暇村のコテージの横に出てまた山に入って、樅(もみ)の丘にやってきました。さらにドウダンの丘を通って、やっと自由の広場に戻って予定より時間を掛けて、駐車場に戻ってきました。朝より車が増えています。茶臼山高原のセンターハウスと池この斜面は冬になればスキーゲレンデになります。次は萩太郎山へゲレンデを登ります。ゲレンデを登っていく山はたくさんありますが木陰がないし、ひたすら斜面を単調に登るので好きじゃありません。左端の管理道路は舗装面なので避けて、右の芝生も踏ん張らないといけないので真ん中の石の並んだところを登りました。山靴は石を踏ん張って登れるので比較的歩きやすい。山頂に近づいたら、リフトと合流芝桜は終わっているけど、別の花が植えられています。リフトの山頂駅どんどん登って来て、どんどん下りて行きます。萩太郎山の山頂(1358m)は、立派な展望台ができています。四等三角点があったはずですがどこに行ったのかな・・・萩太郎山の山頂は、様子が全く変わってしまったので三角点がわかりません。展望台に上ってみたら、リフトの右の丘は芝桜の丘で真正面に茶臼山茶臼山の右後ろにぼんやりと蛇垰山が見えています。2018年6月の芝桜の丘の状態満開の時はこんなにきれいな丘になります。8月の今日は花が終わって葉っぱだけです。リフト乗り場の近くにトイレがありその壁に萩太郎山と茶臼山の標高が表示されています。帰りもリストに乗らず、自力で下山芝の斜面は歩きにくく嫌いです。でもフカフカで気持ちがよく、転がって下りたいところです。今日は茶臼山の下山は、どこで間違えたのか変なところに下りてしまったりで思ったよりも余分に歩いて、久しぶりに大汗かきました。コロナで自粛を強いられ、さらに長い梅雨に焦らされ、やっと夏山ですが、すぐにお盆がやってきて、お盆過ぎたら台風の季節だしどうやら今年は不完全燃焼の山行きになりそうです。
2020.08.04
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29日(月)春日井の都市緑化植物園の築水池のシデコブシと犬山市の八曽湿地のシデコブシの両方を堪能してきました。当初はどちらにするか迷った末、春日井の築水池のシデコブシ群生地にしたのですが途中で気が変わって、犬山の八曽湿地にも行くことにしました。前回、黒平山に登った帰りに湿地の横の道を通った時にシデコブシの群生地の看板を見ていたのです。シデコブシの咲くころにまた来ようねと言っていました。築水池の南東の道を進んで行くミツバツツジが満開湖畔広場のミツバツツジはもう盛りを過ぎています。築水池の下にある湿地のシデコブシ日当たりが良いので、もう最盛期を過ぎています。やはり今年は花が早い!!ミツバツツジは最盛期月曜だからか人が少なく貸切みたいシデコブシはやはり最盛期を過ぎています。保護柵の中のハルリンドウニリンソウミズバショウミツガシワ一番谷底のシデコブシはまだ蕾の木も有りますヒゴスミレアセビも満開ミツバツツジとシデコブシの競演築水池から見る春日井三山の弥勒山(左)と大谷山(右)西高森山のすそ野のあずまやでお昼ご飯を食べていたら、突然、相棒が「西高森山に登るのをやめて、今から移動する!!」と。大慌てで犬山市の八曽自然休養林に向かいます。亀割の駐車場は満車状態ですが、何とか停められました。八曽自然休養林の「犬山ふれあいの森」中にある八曽湿地へ向かいます。亀割の駐車場から林道を歩いて行きます。両脇にはミツバツツジが満開点在して咲くミツバツツジがあるだけで気持ちが高まって歩けます。山の神の分岐今日は良い天気で暑く風も無く、サンバイザーでは暑いので帽子をかぶります。太陽はもう西に傾いて、帰って来る人はいても、こんな時間から歩く人はいません。八曽湿地のシデコブシの群生地シデコブシの向うにヤマンバがいます。ここは築水池より花が少し遅いようです。ショウジョウバカマも最盛期です。6.53ヘクタールのこの湿地は尾張北部では最大規模で、すごい本数のシデコブシの群生地です。ちょうど最盛期で、築水池より見頃です。こちらに来てよかった!!ハルリンドウの群生は今まで見たことが無いほど!!向うに展望テラスが見えます。あとで展望テラスに行って見ましょう。これでもかというほどハルリンドウの群生数ではシデコブシにも負けていません。KIKIの足元にハルリンドウがいっぱい!!シデコブシの向うの展望テラスから手をふるKIKIここは周りが植林に囲まれているので春日井の築水池より少し花が遅く、今が見ごろです。湿地に居る時からブンブン、ヘリコプターの音がしきりにするのできっとヘリコプターの基地で演習をしているのだと思って好奇心でパノラマ展望台へ急ぎます。パノラマ展望台の近くに来たらヘリコプターがホバーリングしています。人を釣り上げています。この後ヘリコプターが去って行き、もう戻って来ません。ちょうど最後の演習を見ることが出来ました。せっかくなので岩美山へ立ち寄って帰りましょう。西日が逆光になってあまりきれいに写せません。今日は盛りだくさんの花の追っかけが出来ました。シデコブシのほかにミツバツツジ、ハルリンドウが目をつぶれば瞼の裏にしっかり焼き付くほど見られました。花がたくさん咲くと、写真の枚数が増えてブログに載せるのが大変ですがただ山に登って景色を楽しむだけでなく、花を愛でる楽しみが増えます。これから夏に向けて山の楽しみが増えますね~~
2021.04.04
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