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《戸倉山山頂》例年より早く梅雨に入ってジメジメしてすっきりしない日が続いています。先週は山に行けなくて今度の土日に何とかと思っていますが緊急事態宣言がでて、遠出を控えなければいけないのかな・・・そんな時うれしいコメントを頂きました。2013年10月4日に長野県の深南部の戸倉山(1167m)に登った時のこと。遠山郷のマッターホルンと言われるほどの急峻な尖がりの山戸倉山の麓にお住まいの、遠山さんご夫妻にお会いした時のブログを載せました。先日、9人のお子さんの内の三女の方からコメントを頂いて懐かしくブログを振り返ったところです。長寿の遠山今朝道さんは、私が登った翌年、山をおりてお亡くなりにそして、奥様は今年お亡くなりになったそうです。ご両親からお聞きになって以来、娘さんはKIKIのブログを見てくださっていたそうでご夫妻とブログで繋がっていたことを知りました。ご両親は山での生活が楽しかったそうで自然の中での生活は大変ですが、それより楽しいと思えるたくさんのことが有ってお二人とも100歳を超える長寿で人生を終えられました。とても同じように生活することはできませんが空気のきれいな自然に囲まれ体を動かして足腰を鍛えて、自分で出来ることは自分でする生活をすることがとても大切なんだなあ~と思わせられたのです。三女の方からのコメントで、懐かしい遠山さんご夫妻の笑顔を思い出しました。お二人のご冥福をお祈りします。その時のブログは↓戸倉山と104歳の遠山さんご夫妻に会いたくて
2021.05.20
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29日(月)春日井の都市緑化植物園の築水池のシデコブシと犬山市の八曽湿地のシデコブシの両方を堪能してきました。当初はどちらにするか迷った末、春日井の築水池のシデコブシ群生地にしたのですが途中で気が変わって、犬山の八曽湿地にも行くことにしました。前回、黒平山に登った帰りに湿地の横の道を通った時にシデコブシの群生地の看板を見ていたのです。シデコブシの咲くころにまた来ようねと言っていました。築水池の南東の道を進んで行くミツバツツジが満開湖畔広場のミツバツツジはもう盛りを過ぎています。築水池の下にある湿地のシデコブシ日当たりが良いので、もう最盛期を過ぎています。やはり今年は花が早い!!ミツバツツジは最盛期月曜だからか人が少なく貸切みたいシデコブシはやはり最盛期を過ぎています。保護柵の中のハルリンドウニリンソウミズバショウミツガシワ一番谷底のシデコブシはまだ蕾の木も有りますヒゴスミレアセビも満開ミツバツツジとシデコブシの競演築水池から見る春日井三山の弥勒山(左)と大谷山(右)西高森山のすそ野のあずまやでお昼ご飯を食べていたら、突然、相棒が「西高森山に登るのをやめて、今から移動する!!」と。大慌てで犬山市の八曽自然休養林に向かいます。亀割の駐車場は満車状態ですが、何とか停められました。八曽自然休養林の「犬山ふれあいの森」中にある八曽湿地へ向かいます。亀割の駐車場から林道を歩いて行きます。両脇にはミツバツツジが満開点在して咲くミツバツツジがあるだけで気持ちが高まって歩けます。山の神の分岐今日は良い天気で暑く風も無く、サンバイザーでは暑いので帽子をかぶります。太陽はもう西に傾いて、帰って来る人はいても、こんな時間から歩く人はいません。八曽湿地のシデコブシの群生地シデコブシの向うにヤマンバがいます。ここは築水池より花が少し遅いようです。ショウジョウバカマも最盛期です。6.53ヘクタールのこの湿地は尾張北部では最大規模で、すごい本数のシデコブシの群生地です。ちょうど最盛期で、築水池より見頃です。こちらに来てよかった!!ハルリンドウの群生は今まで見たことが無いほど!!向うに展望テラスが見えます。あとで展望テラスに行って見ましょう。これでもかというほどハルリンドウの群生数ではシデコブシにも負けていません。KIKIの足元にハルリンドウがいっぱい!!シデコブシの向うの展望テラスから手をふるKIKIここは周りが植林に囲まれているので春日井の築水池より少し花が遅く、今が見ごろです。湿地に居る時からブンブン、ヘリコプターの音がしきりにするのできっとヘリコプターの基地で演習をしているのだと思って好奇心でパノラマ展望台へ急ぎます。パノラマ展望台の近くに来たらヘリコプターがホバーリングしています。人を釣り上げています。この後ヘリコプターが去って行き、もう戻って来ません。ちょうど最後の演習を見ることが出来ました。せっかくなので岩美山へ立ち寄って帰りましょう。西日が逆光になってあまりきれいに写せません。今日は盛りだくさんの花の追っかけが出来ました。シデコブシのほかにミツバツツジ、ハルリンドウが目をつぶれば瞼の裏にしっかり焼き付くほど見られました。花がたくさん咲くと、写真の枚数が増えてブログに載せるのが大変ですがただ山に登って景色を楽しむだけでなく、花を愛でる楽しみが増えます。これから夏に向けて山の楽しみが増えますね~~
2021.04.04
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長野県阿智村(旧浪合村)の大川入山へ、初めて登ったのは1996年9月26日でした。今回は15年ぶりです。懐かしいというより、ほとんど記憶がありません。ただ覚えているのは、カラマツが紅葉し始めていたことだけです。治部坂峠の登山口に車を停めて、カラマツ林の中を歩きます。以前は無かったけれど、立派な標柱があり山頂まで5.7キロとなっています。はじめは幅の広い登山道ですが、だんだんと道幅が狭くなり、ちいさな沢を渡って山腹に取り付きます。桧の植林の根が網目状に露出して歩きにくい尾根を、直登するような感じで登っていきます。今日はすごくいい天気で、こんな日は樹林の中はありがたいのですがここのところ比較的高い山に登っていたせいかまた、あまり風が無いので暑くてたまりません。今日はお茶ばかり飲んでたびたび休憩してしまいます。木の根が絡み合って露出している尾根は、雨の日は滑って注意が必要でしょうね。一本調子でひたすら登ると、ただの通過点のような横岳の山頂に到着。ベンチと三角点が無ければ通過してしまいそうです。何度か緩やかに登ったり下ったりのアップダウンを繰り返します。今日は平日ですが、私達より前に3台の車が停めてあり途中で後から来た二組に追い越され、毎度の事ながら私達が最後のようです。目の前に大川入山の山頂が見えています。山頂が尖がって、なかなか良い形をしています。カラマツの下草に笹が敷き詰めたように密集して気持ちの良い登山道。今日のような暑い日はこういう樹林帯もありがたい。笹と潅木の、庭園のような景色が広がった山頂部が見えます。暑くてたまりませんが、こういう景色は俄然元気とやる気を起こさせます。次々と先客が下りてゆき、山頂は貸切のようです。丸い山頂広場はベンチが置かれ、一部の木の無いところから展望が得られます。飯田市方面が見え、雲さえなかったら真正面は八ヶ岳が見えるはずです。天気はいいのですが、黒くて厚い雲が垂れ下がって南アルプス方面も残念ながら見えません。かろうじて唯一の木の陰でお昼ごはんのあと、山頂から北の方に行ってみると昔は行き止まりだったところが、ルートが出来ているようであららぎスキー場からのルートのようです。恵那山が近くに見え、しばらく雲が切れるのを待ちました。いつものことですが、ゆっくり貸切の山頂を楽しんで同じ道を下山することに・・・真正面のゲレンデのある山は、蛇峠山です。ゲレンデは治部坂高原スキー場です。国道153号線をはさんで、大川入山の反対側が蛇峠山で山頂にアンテナ群が目立っています。登ってきた尾根道を眺めながら下ります。こういう、歩いたルートが俯瞰できるのは、自己満足のようですがうれしいものです。登ったり下ったり何度かアップダウンを繰り返しながら登山口に戻って来ました。こうやって15年ぶりで登ってみても、初めての山のようで本当に記憶のあいまいなこと。今日はまだカラマツの黄葉には早かったけれど、近年人気がある山だということが良く分かりました。
2011.09.15
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今回の山行きで出合った花たちは、特別珍しいのは無かったけれどたくさんの花たちに出会えました。下界は連日猛暑でまだまだ真夏なのに、高山の花たちはしっかり季節の移ろいを感じて、秋の花も咲き始めています。そしていつも思うことは、山頂付近の苛酷な環境下でも健気に美しく咲いている高山植物たちを見ていると無言で励まされます。岩場の最後の登りを一歩一歩慎重に歩いていると、岩の間や崖ぎわにしがみついて咲いている花たちの存在は、ただ黙って咲いているだけで勇気をくれるのです。ここまで来た喜びをしみじみ感じさせてくれ、また新たな花との出会いを目標に、次の山に向えるのです。小池新道を歩いて最初に出会ったのが、ミソガワソウにおいを嗅ぐと味噌汁のようなにおいがします。ベニバナイチゴの実赤くて大きな花がおいしそうな実ですが、おいしくないそうです。園芸種のリンドウに一番近い種です。あまり花が開きません。ミヤマシシウドの向こうに、鏡平小屋が箱庭のように見えています。タテヤマアザミが群生しています。いつも謙虚に下を向いて咲いています。以前、五龍岳に登ったとき八方尾根にたくさん群生していました。ウメバチソウが咲き始めたら、秋のおとづれを感じます。タカネヨモギたいていの高山で地味なヨモギの仲間がさいています。ハクサンイチゲはほとんどどこの山でも見られます。トリカブトの仲間は種類が多くて区別が分かりにくい。根だけでなく全草が毒ですので間違えないように。これほどたくさんかたまって咲いているクルマユリは見たことがありません。下山時には無かったので、誰かが取ったのでしょうか・・・ヤマハハコイワギキョウ珍しく上向きで咲いています。秋風が吹き始めたら、トウヤクリンドウの出番です。ハクサンフウロもたいていの山に咲きます。ミヤマリンドウなんともいえない深い色です。今回の山行きで、一番たくさん広範囲で咲いていました。明日は鷲羽岳、水晶岳へ登頂する時にであった花たちです。
2010.09.02
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遠山郷のマッターホルンといわれる戸倉山へ今回は登山だけじゃなく この山の登山口に住む104歳の元気な遠山今朝道さんに会いたくて登って来ました 4日(金)国道418号を長野県下伊那郡天龍村の 平岡を過ぎ飯島発電所手前を 林道に入ります舗装はされているものの はじめから幅員が狭くて急坂で止まったらずり落ちてしまうかもと思ったら、心臓がバクバク・・・山道になれている私でも今回は緊張しましたまだかまだかとどんどん山道を登ったら突き当りが広くなってホッここに駐車させていただきいよいよ 山に登ります 整備された細い道が 山腹をジグザグに付けられています 遠山さんとその息子さんたちがここまで整備されたとか。駐車場から30分も登ったらやっと遠山さん宅が見えてきました ご在宅でしょうか? 104歳の今朝道さんと94歳の奥様がいらっしゃいました。ご挨拶してご自宅の玄関先から物置の間の通路を通らせていただきます。個人の家の敷地の中を通って行く登山道は初めてです ふりかえって見たところはじめは整備された山道をどんどん山に向かって入って行きます 遠山さん宅の茶畑急斜面にきれいに作られていますこの後はかなりの急斜面をつづら折れに登って行きます 稜線に出たところで良く見ないとわからない右上に祠があって山の神様を祀っています無事の登頂をお祈りして 自然林の歩きやすい道をゆるやかに山腹を巻くように登ってゆくここだけが一番歩きやすい所登山道はクリやドングリやキノコがいっぱい キノコは判りません 何のキノコでしょうか?のんびりしていたのはここらへんだけ 後は写真で見るより急登です 小戸倉山は直登せずに巻き道を。写真があるということはまだまだ余裕があるということこの後は写真を撮れません 登りきって戸倉山山頂のとんがりがなんとか樹間から 見えるところですあのそそり立っている所を直登するのかとおもいきや少し山腹を右側から巻いて 最後の登りは直登 三等三角点がある山頂(1167m)それほど広くはありませんが山頂らしい広さ今日はあまり展望がよくなくて中央アルプス方面はぼんやりでみえません 反対側の視界の狭い南アルプス方面は黒石岳(1376m)の右横に兎岳と聖岳が見えています平日なので誰も登ってこない 真ん中でゆっくりランチ一時間もいて覚悟の下山ですどんどん下りますストックで体を支えるが落ち葉で滑るし花崗岩の岩屑がボロボロザレザレで滑る滑る・・・小戸倉山は巻き道で来たのにそのまま登ってしまって違ったことに気がついたけどそのまま下山それが失敗ここは登りに使った方がいいねすごい斜面を木を掴んで落ちないようにしながら何とか巻き道との分岐に合流フーッ全身に力が入りました(間違いに気がついたらすぐに戻ろう!!・・・教訓) 遠山さん宅に着いてただいま~~と声を掛け104歳の今朝道おじいちゃんと94歳のおばあちゃんとしばらく談笑 ここで73年も暮らしていることやここで9人の子どもさんを生んで育てたこと近くに住む子供さん家族がよく来てくれることなどお話は尽きません おじいちゃんとお写真をパチリ104歳とは思えないほどお元気お顔は血色も良くツヤツヤおばあちゃんは94歳とは思えないほど美人で色白でツヤツヤ思わずほっぺをナデナデさせていただきました名残惜しくお別れして来ましたがまたお会いしましょうといったらこの冬はもうここを下りるかもしれないいったん下りたらもうここには戻れないかもしれないとおばあちゃんが寂しそうに言っておられたということはもうお会いできないのだろうか・・・お元気な間にお会いできて良かった 遠山郷のマッターホルンはその名のとおり急登の山だけど春にはミツバツツジやアカヤシオがいっぱい咲くというそのふもとの山の中にひっそりとお住まいのご高齢のご夫妻に会えて亡くなった両親を思い出しながら久しぶり静かな山行きをしみじみと思い出しながら帰ってきました
2013.10.05
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昨年の冬、小牧アルプスというしゃれた名前のプチ縦走を見つけてからどうやら冬の散歩の定番になりつつある小牧アルプスを歩いてきました。11日(木・祝)以来で二週間ほど間隔が空いていましたがその間、実はスリランカに行っていました。またその時のブログは後ほどアップするとして旅行から帰ってきて一日置いてすぐに小牧アルプスのプチ縦走です。23日(火)今回の登山口は「児(ちご)の森」の駐車場からです。当初は児(ちご)神社の駐車場からスタートのつもりでしたが前回来たときには工事中だった道路がどうやら終わって終点の児の森まで行けそうだったので、試しに行って見ました。平日なので誰も居ないと思ったらすぐに車がやって来るし歩き出してもたくさんの人にであいます。一番奥の森に入って行きます白山社から西は「ふれあいの森」の領域で温水プールから何度か登りました。白山社への参道です。10分ほど登ったら白山社の境内へ到着このあたりで一番高くて展望が良いのです。天気予報より天気が良くて風も無く登山日和です。参拝後、展望を楽しみましょう右奥に名古屋の駅前のビル群が見えています。ズームしてみたらこんな感じ次は三等三角点へ向かいます。いったん大下りして、階段を登れば後ろに先ほどの白山社のピークが見えています三角点のある方が低いのですね通路上に三等三角点があり、テーブルと椅子もあって休憩ポイント。写真を撮ったらまた再び、先ほどの白山社に登り返さなくてはなりません。白山社を通過して先ほどの駐車場まで下り今度は「児(ちご)の森」の領域になる西山や本堂ヶ峰方面へ向かいます。KIKIが指差しているのが西山(277m)でしょう。今回は本堂ヶ峰から天川山経由で一番東端のアンテナ山まで行きます。目の前の看板のある分岐を真ん中のドングリの小道を通ってむささび峠へ向かいます。この広場はわくわく小屋がありなんだかステキな広場です。5差路のむささび峠リスの小道を通って青空小屋へ向かいます。青空小屋の前はビューポイントです。いつもここはお弁当を食べる人でにぎわっていますが今日は小屋に一人いるだけです。写真を撮って本堂ヶ峰へ向かいます。通路上に本堂ヶ峰の表示が・・・277mかと思ったら276mと・・・そこからグングン下って「児の森」の領域からいったん出ることになります。県有林のワイヤーの柵から出ると道は思い切り荒れて、手入れされず自然のままです。天川山へは結構な登りで、ここだけは「登山している」感じです。天川山(282m)の表示が三つみんな標高がバラバラなのがおかしい~~いつもそう思います。北側へ行って見ましょう。この山の北側は土砂の採掘場になっており平日なのでダンプの音がバタンバタンしています。少し左(西)を見たら入鹿池と尾張富士と尾張本宮山が背比べしています。これから向かう安手奈山(アンテナ山)のアンテナが見えています。このアンテナはこの縦走を知ってから、中央道を通っていると春日井ICを過ぎて前方に見ることができるのでいつもそこを通ったら「安手奈山だ~~」と叫んでいます。山を登らない方もこのアンテナを見たら、安手奈山と思い出してくださいね。天川山を下って「児神社」へ下るルートの分岐を右に見て東天川山を通過して東山も通過して鉄塔管理道路を斜めに横断したらまた山へ入り何の木かわかりませんが目印の大木です。この木が現れたら安手奈山の山頂は近いのです。最後の難関どなたかが置いてくれたボロボロの木と細長い木石柱に右足をかけ、左足はボロボロの木に架けてどなたかがつけてくれたロープをもって「よいしょ!!」登りきったらフェンスに囲まれたNTTドコモのアンテナです。山頂はアンテナの裏側の高いところにあり三等三角点が埋まっているだけで展望も無いので写真を撮ったらアンテナまで下りランチタイム。久し振りに「スキ焼」で~すうれしそうです!!うどんも入れて山の上のすきやきは最高です。誰も来ない安手奈山ではゆっくりランチを楽しんで同じ道を登り返したり下ったりして戻りました。危険なところも無く歩きやすく、色々なルートで歩けるのでここも冬の散歩にはぴったりなところですね。
2016.02.25
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天気が変わって、あまりすっきりとした晴れではないので山に登るのはやめて、山城に登ることにしました。去年のNHKの大河ドラマ「麒麟がくる」で戦国時代の武将 明智光秀をやっていたようです。その時から中部の城跡巡りで、たくさんの人が登りにやってきます。山を趣味にしているKIKIたちは、城跡巡りをするわけではないですが登山で自然に山城に登ることになるので、城跡にはついつい興味がわきます。中部にはたくさんの城がありますが、中でも美濃は戦国時代の舞台になったところで山城がたくさんあります。今回は可児市には山城が10もあって、山仲間のTさん夫妻が教えてくれたそのうちの二つに登りました。26日(土)可児市の花フェスタ記念公園の駐車場に車を停めて身支度をしていたら、散歩をしている地元の男性に明智城を尋ねたら親切に教えていただきました。花フェスタ記念公園の無料の西駐車場から横断ほどを渡り集落に向かいます。近くの道の駅「可児ッテ」でもらった地図を頼りに天龍寺を目標に歩きます。集落を抜けたら森に入ります。太元神社の横を通ってそのまま山に入っていくのかと思ったらまた集落に出て、天龍寺を左に見て明智城の駐車場があり、そこの案内看板です。桔梗坂には桔梗が咲き乱れ石畳を緩やかに登ってゆきます。土岐頼兼が1342年(康永元年)に築城し、明智氏代々の居城となったそうです。大手門石畳をさらに緩やかに登っていくと本丸曲輪に到着「七ツ塚」1556年(弘治2年)に稲葉山城主 斎藤義龍の攻撃を受けて落城した際明智方の武将7人を葬ったといわれていて7基の盛り土が残っています。祀られている7人の武将の名前馬場の横の馬防柵向こうの下には民家の屋根山城といってもそれほど標高は高くないので今は住宅地が迫ってきています。一番奥の広いところが本丸去年の6月に設置されたばかりの、明智光秀のブロンズ像が真ん中に立っています。今にも動き出しそうな生き生きとした像です。左手には鉄砲を持っています。本丸の端には明智城址の石碑説明看板とその向こうに、新しい展望台があります。展望台から次に向かう美濃金山城が見えています。ズームで、真ん中の山が金山城趾です。三角点を探しにウロウロして、一番高いところを見つけて歩いていくと・・・ちゃんと三等三角点が保護されていました。西出丸の一番高いところです。本丸に戻って十兵衛坂を下ります。まだ整備されたばかりで、きれいな階段パラパラと人が歩いていましたがたまたまこの時は貸し切りになり誰もいません。貴重な水を確保するため城の左右の2か所に水の手跡があったそうです。看板の向こうの旗のところです、今は水の痕跡がありませんがたぶん谷なので掘れば出てくるのでしょう。乾曲輪には明智家一族の供養をした石塔があります。建物の中に石が祀られています。左の看板の内容に気を取られてこれしか写真がありません。明智光秀が逆臣となったため、人目をはばかって1973年に発見されるまで、ほぼ地中に埋められていた状態だったそうです。大手門から大手道を登り、西大手曲輪におりて一周回って桔梗坂(大手道)に戻ってきました。曹洞宗 天龍寺帰りには明智一族の墓がある天龍寺を見てきましたがお墓の案内もないのでそのまま車まで歩いて花フェスタ記念公園の駐車場でお弁当を食べて次に向かいます。お弁当を食べているときに、朝お尋ねした地元の男性が無事に行けたかどうか心配になって、車でやって来られました。美濃金山城国史跡になっている。山を取り巻くように舗装道路ができているので山城の風情がなくなって、ただの公園になっているのが残念です。この門をくぐって舗装道路を歩いていくと森蘭丸ふるさとの森森蘭丸が金山城で生まれ、その時の産湯の井戸覗いてみたけれど水は確認できませんでした。高いところを目指して歩いていくと山頂直下に展望台が見えるので、そこを目標に進んでゆきます。草刈り機のモーターの音がしていたかと思ったら「わあ~~イタイイタイ」と叫び声がします。仲間の人の声もして大騒ぎになっているので立ち止まって聞き耳を立てると蜂に刺された~~と大騒ぎ。私たちが歩いていこうとしている方向なので、そのまま進むのはやめて少し戻って分岐を反対に左の方へ向かいます。ルートを変えて展望台より左の方から登ることにします。左上に石積が現れ登り切ったらそこは「出丸」でした。車でここまで来れるようで、駐車場はありますが車は停まっていません。展望台の方へ少し歩くと山に入っていく道があるのでそこを登れば、金山城です。自然林の中を登ってゆきます。崩れた石積があちこちにあります。破城の痕跡と言って2度と城として使われないように石積が壊されたそうです。三の丸の跡古城山払い下げの記念碑江戸時代には兼山の地を治めた尾張藩が、お留山として地元民の立ち入りを禁止し、明治時代は皇室の御料林となり、昭和20年以降は国有林になり長い間地元民の立ち入りが禁止されていたのが昭和28年に住民に払い下げられて翌年にこの碑が建てられたそうです。長い間利用できなかったことが、かえってお城の遺構が残る結果となったのです。二の丸ここも石積みが崩された跡です。本丸へ上る道本丸跡天守の建物の礎石もきれいに残っています。ここの建物が解体されて、その木材を木曽川を使って犬山に運ばれて犬山城建築の材料になったそうです。兼山ダムと旧兼山町の集落(2005年に可児市に変更)兼山ダムは愛知用水の取水口があるところでここの水は愛知県民を潤してくれています。金山城の歴史の看板室町時代末期、天文6年(1537年)斎藤道三の命でその猶子 斎藤正義がこの金山城の山頂(273m)に築城し烏ヶ峰城と名付けました。その後、織田信長が美濃攻略の拠点として森三左衛門尉可成を金山城主として治めさせた。以来、森可成、長可、忠政父子三代の居城となったそうです。ちなみに織田信長の稚児小姓として有名な森蘭丸は森家初代の可成の三男でこの城で生まれました。山頂の本丸を下りて展望台からの眺望向こうに登ってきた出丸が見えています。堀切の小径を通って下山しました。山城全体が整備されていて、当時のままに近いのが山頂付近の本丸・二の丸・三の丸だけです。あまりにも整備されすぎているというのが感想で、梨割山の加治田城趾のような残し方が私には好きですが公園にするとこのようになってしまうのかもしれません。明智城は思い込みで、恵那市の明智町にあるものだと思っていてまさか可児市に明智荘といって明智氏代々の所領があり、明智城もあったとは知りませんした。可児市に10もの山城があり今回2つ登ったけれど、あと8つを尋ねてみても面白いなと思っています。
2021.06.28
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七年ぶりに、福井の取立山にムラサキヤシオツツジを見に行ってきました。毎年、今年こそと思いながら、この時期は花があちこちいっせいに咲くので毎週どこかに登っていて、なかなかこの山に行けなかったのです。ミズバショウの群生があるし、天気が良ければ目の前は白山・別山展望そしてムラサキヤシオツツジも咲くという、三拍子揃った山。そしてなんと言ってもラクチンで、標高のワリには高山のような楽しい稜線歩きも楽しめると言う、一度でいくつも楽しめる山です。地元福井の人たちに愛されているはずです。広い有料駐車場に車を停めて歩き出し、左側の大滝へのルートを選びます。早くも登山道にはオオツボスミレ・ニョイスミレが咲いています。《オオツボスミレ》《ニョイスミレ》ツボスミレとも言う可愛いスミレ。《大滝》近くまで下りてみたら、すごい水量ですごい迫力。マイナスイオンがいっぱい。しぶきの当たる岩には、早くもリュウキンカが咲いています。《リュウキンカ》《サワハコベ》《チャルメルソウ》滝の右上に小さな滝もあって、このルートの中で唯一緊張するところの岩場を巻くように登っていくと展望が開けて稜線歩きです。コツブリ山へ向かいます。振り返れば歩いてきた稜線の向こうに、越前大日岳、加賀大日岳が見えています。快適な稜線には、ムラサキヤシオが咲いているのを発見。《ムラサキヤシオ》この花に出会いたい!!アカヤシオ、シロヤシオに会ったから、次はムラサキヤシオでした。ムラサキヤシオツツジは日本海側に多いような気がします。《コツブリ山》コツブリ山の山頂広場は休憩にもってこい。早めのお昼をや、おやつを食べる人達がくつろいでいます。ここからは白山と別山が展望できるのですが、白山はガスがかかって山頂部が見えません。《別山》昨年チブリ尾根から登った別山が、ガスの上から山頂部が見えています。チブリ尾根はきつかったけど、あの不思議なくらいの達成感・充足感がこうやって眺めただけでよみがえってきます。そこから次は少し下がって、ミズバショウの群生地、取立平に向かいます。今回はムラサキヤシオツツジが目標だったので、ミズバショウは期待していませんでしたが、まだ咲いていてくれました。ロープで保護された周りをグルリと周回してみます。ミズバショウだけでなくいろいろな花が咲いています。《ミツバノバイカオウレン》オウレンがまだ咲いていたのね~~《イワナシ》なぜかイワナシの花が好きなのです。《イワウチワ》てっきりトクワカソウかと思ったけど、イワウチワでした。《オオカメノキ》《避難小屋》少し暗いけどなかなか広い避難小屋炉辺もたっぷりの薪も用意されていて、本当の避難小屋です。う~ん、トイレを覗いてみたのは失敗です(見なきゃ良かった・・・)《取立山》あと少しで取立山です。お腹がすいてグーグー言っています。ごはんだ、ごはんだ、がんばれ~《ゲンジスミレ》たぶんゲンジスミレだと思うのですが・・・《ミヤマスミレ》実際はもう少し赤みがかかっているのですが、なかなか微妙な色合いが出ません。本当にスミレの種類の多い山です。山頂ではたくさん休憩しています。座るところをかろうじて確保ガスがかかった白山・別山を眺めながらお昼ご飯です。ゆっくり食べて、コーヒーも飲んでガスが抜けるのを待ちます。両方の山は昨年登ったので親近感がわきますね。周りの山は雪が無いのに、やはりこの二つの山はしっかり雪が残っています。取立山三角点と書いているのに、その三角点がありません。《白山》頑張ってガスが抜けるのを待った甲斐がありました。真ん中に御前峰、左 大汝山、右 剣ヶ峰下山は周回できるので、一気に駐車場へのルートで下山です。《三角点》山頂広場から少し歩いたら三角点がありました。稜線にはムラサキヤシオがいっぱい咲いていますが厳しい環境なのでしょうね、稜線の木は背丈が高くありません。《コミヤマカタバミ》登りのルートではもう少しピンクの濃いのが咲き終わっていました。こちらのルートで咲いているのを期待したのですが・・・《フデリンドウ》下山のこのルートは、歩きやすいのであっという間に駐車場です。意外に花が多くて、お目当てのムラサキヤシオ以外にもたくさん花が咲いていて山の花大好きなKIKIにはうれしい山でした。今年は3つのヤシオツツジに会えたのです。ヒカゲツツジも入れたら4色のツツジに出会えました。次はどんな花に出会えるでしょうか・・・
2009.05.25
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鷲羽岳も水晶岳も山頂部は岩ごろごろの山であまり花は咲いていませんがそれでも少しは岩にしがみつくように咲いていました。イブキジャコウソウあまり大きな群生はありませんでしたからイブキジャコウソウらしくありません。イワツメクサもあまり群生していません。この花も群生していないとさびしいものです。イワベンケイも大きなかたまりはありませんでした。山頂から下ってきて、山頂をバックに写してみました。今回の山行きは、ウサギギクの群生が印象的でした。ミヤマアキノキリンソウ山はもう秋です。ミヤマタンポポ下界のタンポポと違うのは葉っぱでしょうか。ミヤマアカバナ湿地に咲くというとおり、沢沿いに群生。オオバノミゾホオヅキ名前どおり水辺に咲きますね。日本海に近いところに多いようです。イワオトギリシナノオトギリより花が小さいのでイワオトギリだと思いましたが。ミヤマダイコンソウどこの高山でも咲いています。エゾシオガマシオガマの仲間は好きです。ヨツバシオガマシオガマの仲間で最初に覚えた花です。ミヤマダイモンジソウ槍ヶ岳から南岳新道を下ったとき、崖にたくさんこの花が咲いていたのが忘れられません。もっとたくさんの花が咲いていましたが、ピンボケなどで載せられませんでした。毎回のおなじみの花がたくさんで珍しくないけれど健気で咲いている花たちに出会うと、勇気と忍耐を教えてもらえるのです。そしてまた次の山へ・・・長い 鷲羽岳、水晶岳のブログ、ご覧くださってありがとうございました。
2010.09.03
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さあ昨日まで、どこまでお話していましたか?小屋番さんの案内で2階に上がった私の目に飛び込んできたものは・・・天井一杯にぶら下がっているビニール袋。ただでさえ低い天井です。袋が頭にあたるのでかがんで歩きます。色々な山小屋に泊りましたが、天井からビニール袋がたくさんぶら下がっているのは初めてです。不思議な光景です。なぜでしょうか? 答は最後です。5時に夕食です。ご飯とお味噌汁はお替り自由、おかずは少なかったけどご飯は上手に炊けていました。寒かったので夕食後布団に入ったらそのまま寝てしまい朝3時までぐっすり。目が覚めて小窓から空を見上げれば満天の星。一度目がさめたら再び寝られなくて、起きてご来光を見に行くことに・・・小屋番さんの入れてくれた一杯のほうじ茶が、体を温めてくれ山頂まで登れることに。ヘッドランプを点けて登ります。東南稜への分岐に立つ、旧避難小屋を通り過ぎ山頂の薬師堂へ。すでに三人がご来光を待っています。写真は残念ながらうまく写せなかったご来迎です。北側には立山・剱の山々・・・東南には槍をはじめ穂高の山々が、南には御嶽・乗鞍ヶ岳・・・昨日よりはっきりと見えます。もう空は秋の空ですね。ゆっくり山頂の展望を楽しんだら、いよいよ東南稜との分岐にある旧避難小屋と慰霊碑にお参りして献花です。ずっと下から持って上がった花束をささげましょう。このお花はこのまま置いていくとゴミになるので、また持って下りました。そして登山口の慰霊碑に献花しました。そこなら清掃管理してくださるでしょうから・・・彼ら13名は、山頂からこの分岐をまっすぐ南下すれば、ベースキャンプのある薬師平に到着できたのです。でも異常な猛吹雪に下山ルートを見失い、東南稜に迷い込んでしまったのです。当時このような目印になるケルンや、石作りの避難小屋があれば無事に生還できたでしょう。今明るい朝の光の中で、何事もなく東南稜は大きく手を広げています。二度とあのような悲劇を繰り返してほしくありません。そんな願いをこめてケルンは建てられました。こんなすばらしい景色に悲しいお話は似合いません。13名の魂よ、安らかに・・・そして二度と悲劇は繰り返されないように・・・山頂から薬師岳山荘への下山です。昨日登った道を戻ります。昨日よりいい天気です。太郎平に向かって木道のダラダラ道を登ってゆきます。振り返れば薬師岳が青空に聳えている。五光岩ベンチからの薬師岳1871m三角点からの剱岳この後樹林帯に入り暑い日ざしからのがれて快適な歩きです。登山口にある慰霊碑に参拝して、亡くなられた息子さんの名前が彫られている慰霊塔の写真を写して帰路に着きました。今回の登山はいつもと違う目的もありただの登山の気分ではなく義務のような気持ちで登りました。自然は侮ってはいけない、すばらしい山もひとたび天候が崩れたら恐ろしい場所になるということを肝に銘じて、多くの山々で命を落とした尊い犠牲に深く哀悼の念を禁じえません。皆さんも楽しみの裏側に危険もあることを、いつも心に留めておいて山に登りましょうね。では山小屋の不思議は・・・もうお分かりですね。雨漏りの水を受けているのです。幾つかに水がたまっていました。この小屋は天水(雨水)ですべてまかなっています。雨はうれしいけど雨漏りは困りますね。正解されましたか?
2006.09.27
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28日(日)豊田市の天下峯(てんがみね)に登ってきました。ここは初めて登ったのが2001年1月3日その後しばらく行ってなくて、久しぶりに2017年に登りその後、毎年のように登っています。王滝渓谷の駐車場に車を停めて渓谷沿いを登っていきます。いつもは沢の右岸を歩きますが今回は左岸を歩き、途中から右岸に合流しました。駐車場には車が一台停まっているのみいつもここは谷底なので寒いのです。今日は天気も良く、風も無いので寒くはありません。ここは巨岩が多く、道路にも取り除けなかった巨岩が二つ鎮座しています。この赤い橋を渡ったら右岸の道と合流梅園は満開近し紅梅白梅の開花を見に来ている人もたくさんいます。川の水は少ないですね。緩やかに植林の中の道を登っていくいくつもの園地へ下りる道があります。自然林はやはり明るくあたたかい終点の古美山園地を超えたら、いよいよ天下峯へいったん舗装道路を横切って竹藪の中に入ってゆく登ったり下ったり、緩やかな起伏を繰り返して下ってゆく突然目の前にのんびりした農村風景が広がり田んぼ、畑は厳重にフェンスで囲いがしてあるのはきっとイノシシや猿の被害が多いのでしょうね。舗装道路を再び横切ってブドウ園の廃園の横を通って山の中へ松平家の祖先松平隼人助親正の墓五輪塔だったのに崩れています。しばらく歩いたら「山姥の足跡」いつも、どこが足跡なの????と思います。舗装道路に出ていよいよ天下峯の本体に取り付きます。写真の右階段から直接山頂に行けますが左の道へ進んで、弘法堂の近くから八十八体の弘法さまをぐるりと回って山頂に行き下山はこの写真の右へ下りてくる、周回ルートで登ろうと思います。この山は巨岩でできているのか、本当に岩だらけです。各岩の足元には石仏が八十八体まつられています。急斜面の階段を登ってゆきます。結構な斜面で、汗かきのKIKIはすぐ汗びっしょり巨岩で形成されているといっても過言ではないほどだから、最近はボルタリングする人がいっぱい来ています。初めて登った頃は、まだボルタリングをしている人は見かけなかったけれど。この階段を登りきったら山頂も近い!!山頂(360m)の大岩の上。後ろは焙烙山です。松平の祖先の松平親氏が、この山の岩の上で天下泰平を祈願したそうです。山頂からの展望真正面の六所山、その左奥に焙烙山以前は何度か登ったけれど、最近は登っていない山です。豊田市街の展望春霞であまりよく見えませんが、左に大きな豊田スタジアムが見えます。山頂の岩のあちこちで、たくさんの登山者がお昼ご飯を食べています。混んでいるので我らは三角点のある最高点にいきます。周回ルートの下山道を通り過ぎてどんどん奥の山に向かって進みます。以前はイバラやサンキラのとげのある木がいっぱいある藪道で私はズボンが引っ掛かるので、嫌だったのですが赤ペンキや踏み跡がしっかりつけられとげの藪をうまく迂回して、回り込んで進んでゆけるようになって、楽になりました。砦跡の広場以前、ここが最高点だと思って納得して引き返したら最高点はこの先だとわかって、その次からはさらに進み本当の最高点に行きました。一旦下って鞍部を登り返しますが以前は竹藪の倒木にさえぎられても、尾根を外さないように気を使いながら登ったものでしたが、赤ペンキのおかげでずいぶん楽になったことです。突然あった赤ペンキがこの先無くなっている所もありましたが以前から何度か、印なしで登っているので、ルートを外さず行けます。これでもかというほど、赤ペンキが有ります。大きな岩の洞穴の横を通って三等三角点のある最高点に到着フェンスに囲まれた反射板もあります。フェンスの向こうに回り込んでここから猿投山が遠くに見えます。フェンスの周りは岩と藪だらけで、ランチするところが無いので三角点より東の方へ少し行ったところでランチタイム毎度のことですが、ゆっくり1時間の休憩でした。再びフェンスの向こうへ行って岩の上で、ちょっとバランスをとって見ました。帰りはボルタリングをやっているのを見ながら日当たりの良い斜面ではショウジョウバカマが咲いているのを見つけ梅園白梅を写したり、のんびりと駐車場まで戻ってきました。いよいよ緊急事態宣言も解除され、春だからお外に出たくなりますがまた、繁華街に出たり、混みこみの飲食店で感染したりでコロナの患者数が増えることの無い様出るなら郊外へ、人のいない所へ出て、きれいな空気を吸っていっぺんに気を緩めないようにしましょうね。春だから浮かれたいけど、コロナが収まるまであと少し我慢しましょう。
2021.03.03
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5日(日)このごろずっと天気が不安定で、晴れが安定してくれないと、高い山に行くのはためらってしまいます。以前槍ヶ岳の山頂で、雷が鳴り始め慌てて下りる時、鉄梯子を掴んだら雷の磁気でビリビリ感電しながら下りたのが忘れられません。だから今日も、遠い山、高い山は諦めて、傘を差しても歩ける山にしました。滋賀県長浜市木之本町坂口集落から登る、呉枯ノ峰と寒山時です。呉枯ノ峰(くれこのみね)は標高531.8mの低山ですが琵琶湖横の国道365号線から急にせり出しているので斜面をジグザグに急登し、山頂には一等三角点があります。 大箕山 菅山寺は764年初代照壇上人が孝謙天皇の勅命を受けて建立したお寺で湖北27名刹 一番札所になっています。菅原道真公が幼少時に居たとされ、山門には菅公お手植えのケヤキの巨木が対になって生えています。今回は15年ぶり3回目です。天気が良くないから選んだ場所なのに、予想以上の良い天気です。晴れはうれしいけれど、こんな天気ならもう少し高い山にすればよかったかと少し複雑な気分で歩き出します。登山口はいくつもありますが、今回も含めて全て坂口集落から登っています。集落手前の国道365号線沿いの賤ヶ岳サービスエリアに車を停めて国道から斜めに集落に入る狭い道を進むと、赤い鳥居が見えてきます。天満宮跡の石柱の横側には菅山寺という字もあり以前は赤い鳥居の扁額には「大箕山」と書かれていました。15年も経てば落ちたのか、外されたのかもうありません。鳥居をくぐって案内看板を見て、坂道を登っていくと弘善館(菅山寺の資料館のようです)行きも帰りも閉まっていました。弘善館を過ぎて振り返って見たら、下の赤い鳥居が見えます。集落を抜けて山の際にある、北陸自動車道の下をくぐるガードを通って「←菅山寺」の看板を山に入ってゆきます。急斜面をジグザグの九十九折れに登っていく途中には菅山寺の参道なので、ところどころ石仏が配されています。歩きやすい山道です石仏は落石が当たって首が折れたのかと思いますが、半数以上に首がありません。写真で見るより、急坂なので時々写真タイムで休憩お天気のよさがわかりますね「坂中地蔵」この名前は鈴鹿の三池岳の登山道にもありましたね。囲いの石板があるけれど、首がない石仏台座が残っているけれど、石仏はどうやら崖下に落ちてしまったようです。探しだしてあげたいですね。杉の大きな木分岐に到着このまま前進すれば、呉枯ノ峰へKIKIの立っている後ろへ下ると菅山寺へKIKIが見ているのは琵琶湖です。以前は展望がなかったのですが、昨年伐採されて展望が良くなったとのこと。帰りにここで出会った方に教えていただきました。ベンチに座って琵琶湖を眺めます。一番右の近い山は「賤ケ岳の戦い」で有名な賤ケ岳です。大きな木がたくさん残っているはずですね、国有林でした。菅山寺はここをグングン下ります。ひとまず呉枯ノ峰へ向かいましょう。記憶では、ほとんど平行移動だと思っていたのに緩やかですが上ったり下ったり3~4回繰り返して大きなキノコがいっぱいです。すべて食べられたら大収穫ですが、たぶんみんな毒キノコでしょうね。分岐から1.5キロほど歩いたら植林の中を少し、迷うような踏み跡を行くと前方に少し広いところがあり自然林と植林の境界の広場が山頂(531.8m)一等三角点(点名 呉枯ノ峰)があります。木に囲まれて展望もないので写真を撮ったら下山します。この後、山頂手前で出会った単独の男性が追い付いて、結局菅山寺まで一緒に行くことになりました。先ほどの分岐から、帰りが嫌になるほどグングン下って菅山寺の境内の中の朱雀池山の中の静かな池です。意外に大きく大きな鯉がたくさん泳いでいます。近江天満宮は白い布で覆われて屋根は崩れ落ちそうで近づけません。2006年の近江天満宮鉄柱で屋根が崩れないように支えていますが、まだ参拝もでき絵馬の奉納もされています。2006年の写真と比べて建物のこうした朽かたが、あらためて年月を感じさせます。池の周りには古いお寺の施設がたくさんあります。山門に向かいます。ここも大きな木がいっぱいです。苔むした石段を登り本堂の前には大きな木スキンシップして鋭気を貰います。本堂も崩れそうなほど傷んで、ロープがしてあり立ち入り禁止の看板もあります。前回来た時から15年も経つと、全く同じ建物とは思ないほど傷んでいます。2001年の写真菅山寺の赤い提灯がぶら下がっています。参拝するために階段も上がれました。菅山寺の現存する建物は、賤ケ岳の戦いや地震などで大破した後江戸時代に再建されたものだそうです、鎌倉時代の全盛期には3院49坊の寺院があったそうで、そのころ、ここはすごく広範囲にわたりたくさんの建物があったのでしょうね。鐘楼も立ち入り禁止になっています。以前来たときは釣り鐘もあり、KIKIは突かせてもらいました。2001年の写真鐘をついています。山門の前に菅原道真公がお手植えした樹齢1300年の大ケヤキ二本のケヤキが対になっていましたが右のケヤキが折れてしまいました。毎回、対のケヤキの真ん中で2001年の写真私もケヤキも若い!!20年も前になります。2006年の元気なケヤキの巨木いろいろな山で巨木に出会いましたが、ケヤキのこれほどの巨木は初めてです。宝物蔵壁の一部が崩れています。もしかして大ケヤキが折れたとき、折れた木が当たったのかもしれません。ケヤキの破片が入り口に集められています。反対側から見上げています。このあたりでお昼ご飯ご一緒した男性はお昼ご飯を持っていなくて、ここでお別れです。ランチの後折れたケヤキを観察すぐ横に崩れるように二つに折れています。私がとてもスリムに見えるほど、太く大きなケヤキの木です。15年の歳月をいやというほど実感しました。奥に行くと庫裡と護摩堂があり、その前にも巨木のイチョウの木があります。無住の寺なのに、雑草が無くきれいに手入れされているのは管理する人がいるのだと感心させられます。歴代の住職さんのお墓がある横を通って分岐まで戻ります。急登を途中何度も休憩しながら、分岐まで戻って琵琶湖を見ていたら、すぐ後ろを男性が登ってきていろいろ教えていただきました。その男性は、定年退職後第二の人生で好きな山の保存活動をするために長浜市の外郭団体で菅山寺の保存に協力しているそうです。こういう方々のご苦労で、私たちは楽しく山を歩いて観光したりできるのですね。赤い鳥居まで下りてきたら、朝は気が付かなかった牛の石像があり頭をなでなでして、ここは天満宮の跡地でもあったと改めて思いなおしました。菅山寺が山の中なのに雑草も蔓延らずきれいに手入れされているのはふもとの坂口集落の方々が菅山寺を保存されているようで呉枯ノ峰(くれこのみね)は、その菅山寺と共に楽しめる素晴らしい山です。15年ぶりでやってきましたが、急坂は今までの倍ほどの時間がかかりました。しかし静かな山歩きと、静かな山の中のお寺と両方が楽しめる隠れた名山かと思います。近くに賤ケ岳の戦いの舞台となった賤ケ岳もあり余呉湖の周回と合わせて楽しめます。次にここに来るときは、果たして登れるかな、ケヤキに会いに来れるかな・・・
2021.09.06
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登山をやり始めて、今年で26年になります。そのころ以来行かなくなったのが、この緑化センターです。それまでは春は桜のころに良く行っていました。もう何年振りでしょうか豊田市にある愛知県緑化センターは猿投グリーンロード中山ICからすぐで48.2ヘクタール、その隣にある昭和の森は206.7ヘクタールです。先週行った愛知県森林公園は428ヘクタールなので二つ合わせても愛知県森林公園には及びません。しかし自然の山をそのまま残している昭和の森は広く今回はほぼ一日近く歩いても、緑化センターと昭和の森の一部にしか行けませんでした。第三駐車場に車を停めて、まず緑化センターに向かって歩き出そうとしたら・・・アレアレ? 補虫網を持った人の御顔に見覚えが・・・そうです、愛知県森林公園の管理の方でした。森林公園の植物園で、いつもお会いして花の話をお聞きする方です。今日は頼まれて、ここ緑化センターの絶滅危惧種の動植物の状態を観察に来たそうです。まず緑化センターへ行ってみましょう。樹林の向こうに本館の建物があります。昔より木が大きくなって建物が見えなくなっています。本館で地図をもらって緑化センターを一周することにします。本館の建物の中の庭本館を出て、トンネルで外周回りのスタートトンネルを出たら、本館の南側の第一駐車場からスタートして日本庭園に向かいます。昔、何度も来た桜とユキヤナギの並木道ですがサクラもユキヤナギも、びっくりするほど大きくなって年月を感じます。日本庭園ここは昔から変わらず,私の記憶通りのままでした。日本庭園のあずまやの隣に水琴窟があり、シシオドシには水が来ていませんがひしゃくで水を流したら、涼しげな水琴の音が聞こえてきます。あずまやの下でしばし休憩車は意外にたくさん停まっていましたが、皆さんは何処に行かれてるんでしょうか。ロックガーデンのミソハギナデシコ緑化センターの本館を中心に一周して次は昭和の森に行こうとしましたがその前に公園内の林道長山線の東側にチラリと見えたのが気になって行ってみることにしました。するとなんとなんと、私の好きな灯篭がいっぱい展示しています。織部灯篭丸生込形灯篭六角雪見灯篭置灯籠春日灯篭一番有名な灯篭だと思います。春日大社の参道にズラーっと並んでいます。雪見灯篭西ノ屋形灯篭丸雪見形灯篭岬灯篭私が一番好きな灯篭です。橋杭形手水鉢灯篭だけじゃなく、手水鉢も展示されています。勸修寺形灯篭江戸形灯篭銀閣寺型手水鉢菊型手水鉢永徳寺形灯篭基礎形手水鉢蓮華寺形灯篭古代蓮華寺形灯篭桃山形灯篭笠に桃の彫り物、珍しいですね十二支型手水鉢二重桝形手水鉢梵字四方仏形手水鉢三月堂形灯篭柚木形灯篭当麻寺形灯篭善導寺形灯篭利休形灯篭五重の塔露結形手水鉢梅鉢形手水鉢円柱形手水鉢道標型灯篭蓮台形手水鉢銭型手水鉢鉄鉢形手水鉢布泉形手水鉢四方仏形手水鉢袈裟形手水鉢棗形手水鉢灯篭や手水鉢を見ながら昭和の森を目指しましたが、道は行き止まりでウロウロしたけど結局、全国育樹祭広場のベンチで、遅いお昼ご飯を食べて舗装道路を通らず、平成の小径を歩いて昭和の森に向けて再スタートです。昭和の森は昭和51年5月に開園された緑化センターの隣に野外レクリエーションを楽しめる場として昭和天皇在位50年を記念し、整備され昭和56年に開園されたものです。園内に通っている林道長山線と市道御作御船線との交差点にある記念碑です。記念碑からは舗装道路を歩いて交流館へ行きました。交流感に着いたら、めちゃくちゃ暑くて自販機のジュースで休憩して、昭和の小径で山の中を通りながら緑化センターへ戻ります。自然林の中は気持ちが良いしかし昭和の小径は、舗装道路よりは足にやさしいけれど上ったり下ったりで結構疲れます。うへ~また階段だ~園内地図では、平行線歩きだと思っていましたが山を切り開いたのだから自然の起伏は当たり前ですね。緑化センターの横のオーストリア庭園に到着ここから第三駐車場は5~6分です。天気が良くて、交流感の近くのバーべキュー広場ではファミリーがBBQで楽しんでいました。コロナで自粛を強いられ、まだまだ感染者が増えている中密集を避けてアウトドアで楽しんでいるのが健康的ですね。今日は昭和の森は交流館のあたりしか行けなくてまだまだ行けてない学習の森や友好の森、野鳥の森、湿地保存地区などもあるのでまた、天気が良くて遠くの山に行けない時に来ようと思っています。
2020.07.23
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30日(日)富山県南砺市の人形山(にんぎょうざん・にんぎょうやま・ひとがたやま)に登ってきました。長い梅雨とコロナ感染のための自粛が続いたため近場の低い山や公園でお茶を濁してばかりでした。やっと遠出して富山県まで出かけて人形山(1726m)に登ってきました。人形山は日本三百名山、新日本百名山でもあり、岐阜百名山にも選定されこのあたりでは有名な山ですが、なかなか登る機会が無かった山です。この山には悲しい伝説が残っています。二人の幼い娘は、母の病を治すため人形山の権現堂におまいりに行って迷って谷に落ちて帰ってこなかった。その後、2人の幼子が手を繋いで踊っているような雪形が山の北斜面に現れ(にんぎょうざん)とも、(ひとがたやま)ともいわれています。国道156号で荘川桜、御母衣ダムを超えて、合掌造りの世界遺産白川郷や五箇山集落を過ぎて小原発電所ダムを過ぎて、五箇山の平集落から林道を進むと中根山荘の先に、中根平の駐車場に着きました。日本三百名山で日曜なのに、一台も車が停まって無くて拍子抜け。夜明け直前の駐車場のあずまや登山口の人形堂におまいりして出発植林の中の緩やかで歩きやすい登山道こんな道がずっと続くならいいね~第一休憩所(標高1218m)ベンチが一つと、四等三角点があります。ここで朝ご飯をいただきます。再び歩き出すと植林は自然林に代わり登山道の斜度が増して、山土が粘土質でとても滑りやすく下山にはとても気を使います。はじめの緩やかな登山道と打って変わって木の根がいっぱいからんでいて、歩きにくい道になりまわりはブナの大木がいっぱいのブナ林です。「第二まで200m」とブナの木肌に彫られています。ほぼ一本道の直登を登り続けたら第二休憩所に到着木の間から向うに人形山が見えています。ブナの巨木が続きます。左右は木に囲まれ、単調の歩きが飽きて来た頃ミヤマアキノキリンソウがたくさん咲いていて慰められます。テンニンソウカメバヒキオコシ登山道に砂利が出て来たら、宮屋敷跡が近いとわかります。白山社の宮屋敷があったところで360度の展望の良い所です。広場はトガクシコゴメグサが咲きほこっています。鳥居の向うに人形山が見えています。ここが山頂まで半分くらいの地点で、目の前に見えている人形山には左からぐるりと回りこんで行かなければなりません。宮屋敷跡から、どんどん下ってダケカンバが出来て、このダケカンバはどうやったらこんなふうに曲がるのか・・・ダケカンバとぬかるみの道が続きます。リンドウがいっぱい咲いています。左の尖がりの山は三ヶ辻山(1764m)で人形山は反対に分岐から右へ行きます。分岐はちょうど写真の真ん中のピークです。稜線は三ヶ辻山の方向に続いています。(人形山から遠くなるよ~)分岐は右のもっこりの山です。左のもっこりの山が分岐で、右端の山が人形山ロープまで出て来て段差が有って歩きにくいところ登でも下りでも、このロープはありがたく使いました。ここから少しルートが右に巻いて来てホッとします。いよいよ分岐のある、もっこりのピークに取り付きます。見上げたらものすごい高低差で、くじけそうです。ヤブこぎ状態の登山道の足元にシオガマギクが残ってました。ヒメシャジン藪でルートが見にくいところも有ります。リンドウ天気が良いのはうれしいけれど、暑くて暑くて、疲れてヘロヘロそれを慰めてくれるのが山の花たちです。途中で今まで歩きて来た稜線を振り返ってオオカメノキ最後は分岐によじ登り状態で到着向うに見える黒い山が人形山富山県南砺市と、岐阜県白川村の県境です。稜線歩きですが、遠いな~~山頂まで行けるかな・・・体力と気力が持つかしら、暑くて顔じゅう汗だらけで汗がポタポタ落ちています。持ってきた飲み物が、帰りまで考えながら飲まないと途中で無くなると心配になるほど今日は水分が要ります。アザミの群生ハクサンシャジンハクサンシャジンの向うに人形山通って来た稜線何度も登ったり下ったりして、いくつかのピークを越えてやっと山頂に到着(1726m)意外に狭い山頂です。可愛いお地蔵さんが入っています。山頂はせまいけど、西側に広場が有りそこでランチです。今日はお天気が良いけれど、雲が多くて山座が同定できません。ここまで誰にも会わなかったけれど、すぐに単独の若い男性がやって来ました。男性は三ヶ辻山まで行くと言ってすぐに出発して行き私達はその後、30分の昼食後に下山開始稜線から宮屋敷の鳥居が見えています。(赤い矢印の下)振り返って山頂をもう一度眺めます。宮屋敷跡の手前で、バアソブが笹に絡んでいます。その後男性3人組がやってきて、三ヶ辻山には親子2人連れが登ったらしく全部で8人が登って来たことになります。歩き出して山頂まで誰にも会わないので、変だなと思ったけれどやはり登ってこられる人気の山でした。しかし、長い間の自粛で高い山に行かなかったせいかそれとも年のせいか、体が鈍って足が進まず百名山が終わったから気力も落ちたのか自信が無くなってきました。これからは、ガンガン登山を楽しむだけじゃなくゆったりと観光も併せて楽しむ山行きにスライドするしかないですね。
2020.09.01
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日曜は毎年出かけているイチゴ狩りに行ってきました。紅ほっぺ、章姫、女峰の三種類食べ放題、大人一人1500円時間無制限とはいえ、一日中食べているわけには行きませんがスーパーで買ったパックなら4パック分食べたら元が引けます。せこいようだけど、ついつい元が取れるかどうか考えてしまいます。今までで最高はもう数年前の90個今私のブームは、紅ほっぺです。甘味と酸味が丁度よくて味もはっきりしています。一昨年までは、静岡の石垣苺の章姫が好きでした。そのときに記録した90個今回は56個でした。衰えましたね~~でも紅ほっぺは一粒が大きいので70個は食べていますね。練乳は付けずに食べるのかコツです。味に飽きてきたら口直しに練乳を付けましょう。結局45分くらい食べていました。ビニールハウスから出たら、中央アルプスの山のすばらしい景色が・・・青空に雪山が映えます。そして反対側の山並み、南アルプスが珍しくきれいにはっきりと見えました。そして駒ヶ根市の○○のソースカツどんを早い昼に食べてこまくさの湯で温泉に入って帰ってきました。皆さんはイチゴ狩りだったらいくつ食べられますか?
2010.03.16
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いよいよ最終、九州遠征三つ目の山、百名山84座目の「阿蘇山」の記録です。 お宿 道の駅「波野」を出発して、国道57号線の途中のコンビニで食糧調達し、仙酔峡を目指します。仙酔峡入口の信号を左折したら、目標の阿蘇山に向かって気持の良い道をどんどん高度を上げます。メチャクチャいい天気で雲ひとつありません。ほとんど高い木が無く、ずっと手前から阿蘇山が見えて、荒々しい溶岩の山が壁のようにそそり立っています。休止中の仙酔峡ロープウェイのりばの駐車場に到着。 まだ朝ですがギラギラ太陽が照り付けてすでに暑い。簡易舗装はすぐ無くなって、ミヤマキリシマの群落の間を進んでいくと高岳へ延びている仙酔尾根に取り付いて、陰のない暑い尾根をひたすら登ります。 溶岩が冷えて固まって出来た岩がゴロゴロと歩きにくい尾根は単調で長い溶岩尾根は別名「バカ尾根」ここを登ればその通称の意味が良くわかります。下を見たらロープウェイ駅と駐車場が見えます。 やっと中間点、岩にペンキで書かれています。溶岩の岩壁、その壁に沿って鎖がついています。ここを右に巻くように登ります。永遠に続くかと思ったバカ尾根を登り切ったら高岳と、高岳東峰の分岐 高岳へ向かいます。たくさんの人がいるピークが高岳山頂。高岳山頂(1592m)三等三角点があります。 東峰のほうを見たら、東峰の右向こうに根子岳が見えています。 虫だらけの山頂を避けて、中岳のほうへ向かいます。ランチできるところが無いか探しながら・・・中岳まで陰になっているところも無く、ランチできないまま中岳へ。高岳のほうを振り返って途中で雄ライオンが吠えているような溶岩に見えませんか?相棒に見えないと否定されましたが、KIKIにはそう見えます。中岳山頂の手前で砂千里への分岐中岳山頂(1506m)中岳火口群が見えてきました。大小あわせて7つあるそうですが、噴煙を上げているのは一番大きな火口と二番目に大きな火口です。 高岳から歩いてきた道です。中岳より先に少し行くと看板があり「第一次規制発令中はこれより先の立ち入りを禁止します」と書かれています。いまは規制がありませんので先に進みます。下りてゆく途中の岩にも赤ペンキで「止まれ」こちら側の火口に一番近い東展望所に向かいます。あと少し登ったら展望所です。 火口展望所に到着中岳山頂方面を振り返って赤↓のところが中岳山頂です。河口の噴煙の向こうに、火口西展望所が見えてたくさんの人が火口を見ています。向こうの方が火口に近く、火口の中まで見えるようです。ランチできるような日影が無くて、結局避難シェルターの中で食べることにします。ギラギラ太陽を遮り、涼しい風も入ってくる絶好のランチ場下のような丸いシェルターもあります。すべてのシェルターの中で皆さん休憩したりランチしたり対面の中岳からのルートを見ながら下りてくる人を見ながら、ランチしていると斜面の溶岩が「ゴリラの横顔」に見えてきました。でも、すかさず相棒に否定されました。ランチ後、舗装されたロープウェイ火口東駅からの道を下りてゆきます。廃墟になった火口東駅永久にロープウェイは廃止なのでしょうか?自然に朽ちるまで建物はこのままなのでしょうか?朝登った仙酔尾根(赤矢印の稜線)を右に見ながら嫌いな舗装路を下りてゆきます。登山口の駐車場に下りたらバスの団体さんがいっぱい駐車場は大賑わいです。メチャクチャ暑い中を温泉に向かいます。後で知ったのですが、この日の気温はこの夏の最高でした。 さっぱり汗を流して道の駅「阿蘇」に立ち寄るとタイミング良く隣のJR阿蘇駅に観光特急「あそぼーい」が到着「撮り鉄」さんや「くろちゃんファン」がいっぱい写真を撮っています。その後、熊本ICから高速道路を名古屋に向けてひた走り途中山口県の美東SAで車中泊して翌日夕方帰宅しました。連日良い天気で、暑すぎるぐらいでしたが、おかげで楽しい山歩きが出来青空の写真が写せて大満足の山行きでした。これで九州遠征三つの山 を終了し、残る二山(開聞岳・霧島山)はまた来年。最後までお読みくださってありがとうございました。
2014.06.06
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4月18日(木)は滋賀県長浜市余呉町上丹生から登る七々頭ヶ岳(ななずがたけ)に登って来ました。丹生富士といわれる端正な姿の七々頭ヶ岳は前回は2006年、その前は1997年に登り今回で3回目。前回、たまたま登った日が山頂の西林寺(伊香西国三十三観音第二十九番札所)の観音様の御開帳の日でスタートが遅くて、山頂に着いたら13時。村の当番のお世話係さんが、お堂を片付けて帰ろうとしていましたが私達のためにもう一度開いて観音様を拝ませて下さいました。そのときからもう7年ぶりです。今回は色々な山で、4回も偶然に出会ったヤマちゃんとこの登山口で待ち合わせて一緒に登ります。前回、登山道の両側にミスミソウがいっぱい咲いていて、これほどの群落を見たことが無いので感動しっぱなし、写真撮りまくりでなかなか前に進めないほどでした。今回も、と期待しながら登り出しますがイカリソウがいっぱい咲いているではありませんか。イカリソウが咲いているならもうミスミソウは終わっています。残念ながら最後までミスミソウには会えなくて葉っぱだけが残っていました。やはり今年は雪が早く融けてミスミソウが咲くのが早かったようです。天気予報では曇りでしたが予報に反して良い天気で、暑くて暑くて・・・気持のよい自然林の中を進みます。自然林の右側の木の間から杉野富士といわれる、形の良い墓谷山や大きな山塊の横山岳が見えています。落ち葉を踏んで、颯爽と・・・ではなくヘロヘロと・・・なんだか情けない姿です。山頂はこの写真の一番左端です。ヤマちゃんがブナの巨木を見上げています。切られずに残った巨木が多くてKIKIは巨木に頑張りをもらって再び山頂へめざします。山頂の少し手前に、タムシバが白い花を付けヤマちゃんが良い匂いだというので、タムシバに鼻をつけてクンクン。この登山道は西林寺の参道なので丁目石が一定間隔で置かれています。この石が一丁目で最後の石、もう山頂は近い。七々頭ヶ岳山頂(693m)は大賑わいです。20人位のたくさんの登山者は私達の登ったルートの反対側、菅並から登って来た団体さんでした。山頂の西林寺のお堂の前はあっという間に人でいっぱいになって前回私が登った時と大違いです。前回は私達だけでした。今日は年に二回の観音様の御開帳の日。見せていただけるかと思ったら観音様の入って居る中の扉の鍵を山に持って上がるのを忘れたとかで扉の格子越しに見せていただくことに。めずらしいおひげのある観音様です。観音様は一応女性ということなのでおひげがあるのはめずらしいですね。山頂はお堂よりすこし左へいったところ。三等三角点があります。お堂の近くで団体さんも、我々もランチタイム。食事していたら、下の集落の若夫婦が生後5ヶ月の坊やを抱いて登って来られました。子供の無事成長祈願のために、ここに赤ちゃんを連れて登るのがこの村の古くからの慣わしとか。今日は参拝客も多くて、さらに赤ちゃんまで登って来たので村のお世話係さんはテンションお昼ごはんの後は瑠璃池まで水汲みに行きます。前回は瑠璃池へ下る斜面は一面の雪景色でしたが今年は雪は下の谷に少し残っているだけ。瑠璃池の水場に以前はあった屋根がもうなくなっていました。瑠璃池の水には伝説があって昔、この村の祭りに踊る選ばれた村の舞姫の中で一番の器量よしの娘の顔にできものが出来てまたたくまに全身に広がり、どうやっても治らず悪くなる一方。母親が七々頭ヶ岳の山頂の観音様に願掛けすると、夢枕に白髭の老人が立って山頂の西の瑠璃池の水で体を洗いなさいというのでそうするとたちまち治り、それ以来村の人々は皮膚病には瑠璃池の水をもらいに行くということです。赤ちゃんを連れた若夫婦もこの厳しい斜面を下りてその水をいただいてきました。山頂に戻ったらもう団体さんは居ません。村のお世話係さんも下山の用意をしています。記念写真を撮って、私達は菅並へ村の世話人さんは上丹生へ下ります。ヤマちゃんは82歳のお世話係さんの代わりにお世話係さんの汲んだ水が13Lほど入ったタンクと自宅用の水もあわせて、15キロ以上のザックを背負って下りることにします。軟弱物の私は、自分の汲んだ水を担いで下りるのが精一杯ですのに頼もしい。山頂直下の登山道には、イワウチワが群生。とたんにブレーキが掛かってしまう。 ミスミソウが無い代わりにイワウチワの写真を撮りましょう。感じのよい登山道が続きます。横山岳が右の方にずっと見えていました。この後は登山口近くで、急斜面の下りがあります。菅並の集落の登山口まで下りて来て ヤマちゃんのメチャ大きなザックをためしに背負ってみようと思ったけど、持ち上げられませんでした。上丹生の登山口まで車で戻っておやつと飲物を飲みながらお世話係さんの下山を待っていました。下山したお世話係さんを交えて、少し話をした後ヤマちゃんとまたの再会を約束して一路名古屋へ。次の機会には、ミスミソウとお髭の観音様を見に七々頭ヶ岳にまた来ようと誓ったKIKIでした。
2013.04.19
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《御嶽山》五週続けて雪の御嶽山が見えました。29日(日)今年最後の低山散歩で、美濃加茂市の米田白山に登ってきました。この間登った米田富士の近くで、過去に2003年1月と2008年2月に登っていますがいずれもブログに載せていませんでした。2003年はブログを開設する前でしたし、2008年は母が亡くなった直後でしたから。二度も登っているのに記憶が無く、ただ山頂手前の岩場だけが記憶にあるのです。朝ゆっくりの出発で、下米田のさくらの森の第一駐車場に着いたらすでに駐車場はいっぱいで一台分しか空いていません。どうやら目の前のイベント会場で、催しがあるようです。東まわりで周回します。後ろに見える建物左がトイレ、右の大きいのがイベント用の会場第一駐車場から東回りで周回すると一時間と書いています。しかしのんびり写真を撮りながら歩くKIKI達は、もっと時間を掛けました。整備されて歩きやすく、危険なところはありません。この先、木階段がたくさんでて来ます。今日は雨の前なので、風も無く良い天気です。二の坂ところどころ、以前は無かった看板があります。この先は三の坂少し斜度が増して、登山道に露出した岩もあって登った感があります。しかし全体的に歩きやすく地元の人が散歩に使うそうです。地元に人はこの山を東山というそうです。一番高い所の稜線まで来ました。気持ちの良い「木洩れ陽の森」だそうです。落ち葉を踏みながら進んで行くと突然岩場に到着細長い岩場でKIKIは北側を向いています。飛騨川の流れと一番奥の山並みの右端が納古山、手前の秀麗な山が米田富士写真には写っていませんが、御嶽山が右端に見えています。次の岩はタイタニック岩と名前が付けられ登ってみればわかります。端まで行けばタイタニック号の船首みたいですが怖くてあと一歩がでません。岩の橋から下はすごい絶壁ですから。タイタニック岩から先ほどの岩場と御嶽山2人組の女性が岩の上に座ってくつろいでいます。山並みの一番奥に雪を被った白山の頭だけ見えています。さらに左には能郷白山が見えています。その次の岩は以前は「八畳岩」と言われていましたが標識が無いので、今は何と言われているのかしら・・・道が二又になり左側を行くと、白山槍という岩場です。相棒がさっさと行ってしまって、ここは写真だけ撮って通過。米田白山の山頂(274m)二等三角点がありますが、ほとんどの人はここに来ないのかしら下側の道を進んでしまうと山頂には来れません。後ろには反射板がありますから、遠くから見ても山頂の場所が見当つきますね。白山展望台かなり下って展望台到着、ここでランチしましょう。暖かい所を探したら、展望台の足元が良かったのでここでランチ。飛騨川と鳩吹山の山並み、その右はこの間登った関南アルプス(金毘羅山、明王山、迫間山)その後ろにうっすら見えているのは養老山地から鈴鹿山脈鳩吹山のズーム関南アルプスから各務原アルプスの山並み御嶽山のズームこの後下りて来て時間がまだあるから、この間の八坂山と大谷山へ登るために登山口の大谷公園に着いて用意していたらなんと、Tさん夫妻が下りて来てびっくり立ち話が長くなって、車に乗って話し込んでいたら結局2時間近くも話してしまい、二つ目の山には登れず・・・今年最後の登り納めは、二つ目の山に登れないという変な納め方でしたが、懐かしいTさん夫妻に会えたので、終わり良しとしましょう。去年は12月26日に退院してすぐに正月を迎え大変でした。今年は年明けから、リハビリ登山ばかりで思う山には行けなかったのですが左足首が完全に治りきらないので、無理が出来ないから仕方がないと割り切って少しづつでもマイペースで登り続けられたらと思っています。「山は逃げない」を合言葉にしてゆっくりのんびり楽しんで登れたらと思っています。今年もKIKIのブログにお越しくださってありがとうございました。良いお年をお迎えくださいませ。
2019.12.31
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3日(土)土日の両方が雨予報だったのに天気が変わって、急きょ土曜に出かけることに・・・しかし、山の上で雨に降られるのは嫌なので傘をもって愛知県森林公園へ。思ったより良い天気ですが、雨の後の晴れは蒸し暑くて汗がジトジト気持ちが悪い。入ってすぐ、新しく柵で囲われ、幼木が植えられています。たぶん、2019年の全国植樹祭がここで行われた時天皇両陛下のお手植えの木でしょうね。聞いたところによると、植樹祭の後はすぐにどこか知らない所に移されて大きくなってしっかりするまで管理されていたようです。しっかり監視カメラがあちこちにあり、柵を超えて入って悪さをしないようにカメラで見張っています。有料の植物園に入ってすぐの大芝生広場の奥に植樹祭の会場の舞台が残されています。この舞台は現在、「お野点所」と表示されています。こんな看板も最近できました。立派なネジバナ(モジズリ)ハンゲショウも群生はきれいです。さすがに木陰に入ったら空気もきれいだし、ひんやりして生き返ります。やはり植物のあるところはいいですね。人工のアスファルトジャングルではこんな日は暑くて結局エアコンに頼るしかないでしょう。ウマノスズクサ少しピンボケでしたヒスイガサ1人の男性がしゃがみ込んで写真を撮っていましたのでなにがあるのかと尋ねたら、珍しいヒスイガサだと教えてもらいました。1cmくらいの立ち上がりに、1cmくらいの緑色の傘が付いたキノコです。教えてもらわなければ絶対に見つけられません。トウカイコモウセンゴケまだ蕾で花が開いているのが探してもありませんでした。1㎜くらいの蕾で、何度も挑戦しましたが私のカメラではこれが限界です。ノギラン高い山の上ではネバリノギランがいっぱい咲いています。コバノカモメヅル1㎝くらいの花ですが、標識がないとわかりませんでした。特別珍しいものではないのですが、初めて見た花です。チゴザサ2mmくらいの花なので、どうしてもピントが合わず、これが限界です。ヒメヤブラン完全に開いていないのですが、開くと意外にかわいい花です。オオバノトンボソウイヌヌマトラノオオカトラノオとヌマトラノオの雑種だそうです。ノカンゾウカキランほとんどカキランは終わっていましたが、これだけまだ先かけでした。コバノトンボソウホザキノミミカキグサ水連はこれからです。まだほとんど蕾です。ヌマトラノオオカトラノオとの違いは、花穂が上向きに立つこと。カワラナデシコカワラナデシコの高山種のタカネナデシコが好きです。大芝生広場まで戻ってきました。「お野点所」と、その向こうに名古屋最高峰の東谷山(とうごくさん)が見えています。この後、5時の閉園のアナウンスが流れるので大急ぎでゲートまで戻ります。結局、1時前から5時過ぎまで4時間以上も遊んでいました。広くて、地図を貰ってもなかなか覚えられず、来るたびに毎回迷っています。しかしそのたびに新しい道と発見があるのでいつも閉園まで楽しんでしまいます。ここはお弁当を持って来れば1日遊べますね。こんな天気の日は近場で、散歩もいいものですね。
2021.07.05
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