動く重力

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価値ある双眼鏡の話(3)

価値ある双眼鏡の話(3)

 アランさんが帰った後、朝一の授業にまだ間に合いそうだったので僕は大学で講義を受けた。その授業の内容はいつも通りのつまらない内容。しかし一応最後まで聞いて僕は家に帰った。

「久倉。結局、あの外人は何だったんだ」家に帰ると和泉さんが話しかけてきた。和泉さんも、自分が連れてきたからには何があったか知りたいのだろう。だが僕は、アランさんとの出来事を話す前に和泉さんに言っておかなければならない事がある。
「何で英語も分からないのに勝手にうちに連れてきたんですか。僕が英語を話せなかったらどうするつもりだったんですか」
「英語が分からないから連れてきたんだ。久倉は英語を専攻してるんだろう? 俺がしゃべれなくてもしゃべれる奴がいるんだ。だったらそいつに任せた方がいい」
「何も連れてくる必要はないんじゃないですか?」
「困ってる人がいたら助けるのが人間だ」視界に捉
 この人が泥棒を生業にしているって言うんだから世の中分からないものである。


 僕は和泉さんにアランさんとの出来事を話した。
 話を全部聞いてから、和泉さんはさも当然のようにこう言った。
「よし、じゃあ行こう」
「え?」何がよしで、何が行こうなのか。僕にはもちろん分からない。
「久倉。その場所は怪しい。宝が眠っているという事もあり得るかもしれない」
 何処をどうやったらそうなるのか、僕は和泉さんに聞いた。「根拠はあるんですか、和泉さん?」
「ああ、珍しく根拠がある」
 普通、根拠がある事は珍しくない。何をするにもある程度は根拠が必要だからだ。それでも和泉さんにとっては珍しい事であるらしい。僕はこのとき、この人がいい加減に生きている事を知った。
「久倉、外国人が道を尋ねるときはどんなときが多いと思う?」
「分かりにくい質問ですが、道に迷ったとき、でいいですか」
「そう、それでいい。道に迷っているんだ。道に迷うって事はその人には行きたい所がある」
「そうですね」
「その行き先は観光地である事が多い」
「そうですか? 仕事とかの場合だって多いと思いますよ」
「もちろんそうだが、この辺は住宅街で近くには大学くらいしかないだろう」
「まあ、そうですけど」
「だから、観光地である事が多い」
「でもこの近くに観光地はありませんよ」
「そう。だから他に思い付く目的地は宝の埋蔵場所くらいのものだ」
 にわかには信じ難かった。
「知人の家がこの辺にあるとか」
「だったら俺に聞かないで、知人に電話すればいいじゃないか」
 その辺は言われてみればその通りだ。携帯電話がもてはやされるこの時代。だいたいの目的地は分かっていて、相手とは連絡出来ない。こんな条件に当てはまる所は確かに観光以外ではありえないのではないだろうか。そして、観光でもないんだから、……宝探しなんだろうか?
「よし、出発だ。久倉、その場所まで案内してくれ」
「えっと」
「案内だ。久倉」
 僕はしぶしぶアランさんに場所を説明するために使った紙を取り出して和泉さんに見せた。
「何だ、これは」
「僕がアランさんにあげるつもりだった紙です。アランさんにはもっと綺麗なのをあげましたけど」
「そうか、ならこの場所に行けばいいんだな」
「ええ、まあ、そうです」


 僕達はアランさんがいるであろうその場所に向かった。
 もちろん僕は乗り気ではない。宝の埋蔵場所って、どう考えてもおかしいだろう。確実に徒労となる行動でやる気を出すなんて出来るはずもなかった。

「久倉。宝の在り処が見える」
「正確には宝の在り処ではなく、アランさんの目的地、です」
 そこは住宅街から少し離れた場所にある工業団地の一角だった。そこには煙突を持った建物や、ただ砂利が敷き詰めている土地などがあったが、僕達の地図はいくつかある倉庫の中の一つを示していた。
「ほら、ただの倉庫ですよ、和泉さん。宝なんてあるわけないじゃないですか」
 和泉さんが果たして僕の話を聞いているかどうか。それは分からないが、和泉さんは慎重に建物の方へ近づいていった。仕事のときもきっと、ああやって移動しているのだろう。その動きはとても洗練されていて物音一つ立てる事はない。ただ、それは和泉さんが本気を出しているという証に他ならないので、僕としては面白くなかった。
 和泉さんが物陰に隠れて、こっちへ来いと僕に合図を出した。仕方なく僕は和泉さんのいる場所まで向かった。
「これであの場所を見ろ」そう言って和泉さんは双眼鏡を取り出した。僕が騙されて、十万円も払ってしまった双眼鏡である。
「和泉さん、これ持ってきたんですか?」
「ああ、何かの役に立つと思って」なるほど、確かに役に立っている。和泉さんの役に。「そんな事より久倉、これであの倉庫を見てみろ」
 言われて僕は双眼鏡を覗き込んだ。覗き込むまでは、どうせ何に使っているのか分からない倉庫が見えるだけだろう、と思った。まあ、予想の大半はそれで合っているのだが、僕は思わぬものを視界に捉えた。
「アランさんだ」
 彼は倉庫の周りをぐるぐる回ってとても落ち着きがない。何が起こっているかまったく分からず、とてもうろたえているように見える。
 僕は内心しまったなあ、と思った。彼がここにくる事はないだろうと楽観的に考えていたのだ。
「久倉。ちょっとここで待ってろ」和泉さんは僕から双眼鏡を取り返すとどこかへ行ってしまった。
 僕はこれからどうなるのだろうかと少し不安に思った。

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