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日記もずいぶんご無沙汰してしまいました。ご心配していただきありがとうございました。私がPCを見ていると娘がぐずることが多くなり、寝室においていたため中々開くことができなくなってしまいました。居間に移動したら今度はPCの調子が悪くなってしまったりして、中々思うようにいかず日がたってしまった…マイペースで細々と続けていきたいと思いますので、どうぞよろしくお願いいたします。新しい年があけた。2006年の始まりだ。昨年の年明けは病院のベッドで過ごした。妊娠中毒症が急に悪化し年末30日に緊急入院となったのだった。その後小康を得たものの1月4日の夜中血圧が上昇し、翌5日帝王切開にて娘が生まれた。今日は娘、日向子の誕生日。あれから一年…長いような短いような…1022グラムで生まれ、痛々しいほど小さかった。日向子だけ2ヶ月近く入院し、その間せっせと病院に通った。自宅の電話が鳴るたび、日向子のことが頭をよぎりドキリとした。日向子の退院後は、小さいけれど順調に成長し少しずつ生活にも慣れていった。小さく生まれたため、ほかの子と比べないようにしていた。もちろん心配はたくさんあったけど、ゆっくりしたペースなのだろうと。けれど、大脳基底核の未成熟によると思われる、手足の運動障害がみつかった。2歳くらいでお座り、3~4歳で歩く、くらいのゆったりとした気持ちでいきましょうと言われた。とにかくショックだった。最初は心配だったけれど、ずっと順調にきたように思っていたから。頭が真っ白になって涙が出てきた。でも、泣いている暇はない。日向子がご機嫌でいられるよう、全力でがんばろうと思った。そして今、週に1回リハビリに通っている。普通自然とできることが、力が入り過ぎてしまってうまく出来ないので、学習で動きを覚えさせるということだ。だいぶ進歩があったように思う。大切なのは日向子のペースで成長していくということ。そして日向子の笑顔を守ること。そして父も母も日向子に負けないように成長していくこと。…そんなことを思った今日でした。
2006/01/05
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前回の日記でネコの「はな」が、夜中寝室に入ってこられないように、戸のそばにトイレットペーパーの袋を置いて近づけないようにしている。と書いたが、やっぱり「はな」にとってはそんなこと障害でも何でもなかったのがわかった。夜中私が熟睡していると、ガラガラと寝室の入り口が開く音がして「はな」が入ってきた。ねぼけた頭の中でどうして?と入り口の外を見ると置いていた12個入りのトイレットペーパーの袋が倒れている。そーっと「はな」を寝室からだし、階段をはさんだ仕事部屋で寝ているダンナの方へ連れてった。もう一度トイレットペーパーの袋をしっかりと据える。やれやれ、時計を見ると1時半だ。子供が寝て1時間くらいだ。私はすぐに布団をかぶって眠りについた。ZZzzz…ガラガラふっと目を覚ますとまた「はな」が戸を開けている。時計をみると2時だ。あ~…私は「はな」を抱くと廊下に出て、怒った声で「ダメだって言ったでしょう」と鼻ピンをした(何かの本でネコを怒るときはネコのプライドを傷つけないためにも鼻ピンが有効だとあった)「はな」は仕事部屋に逃げて行った。やれやれ、少しは懲りたかな?戸が開かないようしん張り棒の役目をするものがないかなあと見回したが見当たらないので、まあ今夜のところはもう大丈夫だろうと思って布団にもぐり込んだ。しかし甘かった。またしても「はな」はやってきた。ガラガラ…今度はすばやく寝室に入り込み子供の横を通り抜けタンタンと棚の上にのっかる。私はいい加減にしてよ!って気持ちで「はな」を廊下に出すと、さっきよりも強く鼻ピンをしてダメだって言ってるのがわからないの?と「はな」をにらみ、もう一度鼻ピンをする真似をした。「はな」は参ったって感じで床に寝転んだ。わかってくれればいいんだけどね、と「はな」の頭を撫でると「はな」を仕事部屋に入れた。寝室に戻ると戸のしん張り棒のことを思ったが寝室でガタガタ探し物すると子供が起きそうだし、仕事部屋はダンナが起きてしまう。今度こそ「はな」も諦めてくれるだろうと、私は眠りについた。しかし、「はな」はまだまだだったらしい。また戸を開けたのだ。もう、私も頭にきた。「はな」を追いかけると居間の方に逃げていった。私は一晩中こんなことを繰り返すのかと、途方に暮れる思い…回らない頭を動かして、洗面所に置いてる洗濯物入れのカゴを寝室の前に置くことにした。はたして「はな」はどうするだろうか?その晩は戸の開く音は聞こえなかった。それから2日が過ぎた。「はな」は諦めたのか、気が向かないだけなのか、まだ夜中の訪問はない。このまま安らかな眠りを得られるのだろうか…「はな」の真意はわからないけど、淋しいのかもしれないと思った。もう少し寒くなって、ムシも出なくなったら、「はな」用の出入り口(今はふさいでいる)を復活してあげようと思う。
2005/10/06
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寝室は和室で障子がある。このところ、夜になると時々カサカサ音がする。見ると、ヤモリの子供が障子の面を走っているのである。向こうも私が動いたりすると驚くらしく、走り登っている障子から落ちてポトリと音がする。突然いたりするとギョッとするが、まあヤモリは家の守り神だそうだからありがたく守っていただきたく思う。と、私は思っているがネコの「はな」は違うらしい。真剣に追いかけるのだ。目をキラキラさせて。だから「はな」に見つからないようにと願う。寝室の入り口はカギのついていない引き戸になっている。寝室で「はな」がヤモリを見つけたら大変だ。走り回って棚の上にのり、タンスの上にのり大騒ぎになる。娘がやっと眠ったのに、ってタイミングでよくある。この頃の夜は涼しくなったせいもあるが、「はな」が出入り出来ないように寝室の戸を閉めている。しかしカギのついていない引き戸なんて「はな」には障害にならないらしい。深夜ガラガラと音がして、熟睡してる私は何事かと、入り口を見ると得意げな「はな」がわたしの顔をみてニャアという。そう、簡単にあけることが出来るのだ。簡単に引き戸が開かないよう、しん張り棒を置いてみたが、引き戸を開けてと外側から戸をガリガリする。あ~やめて!子供が起きてしまう…で、今は夜だけ「はな」がガリガリする戸のそばにトイレットペーパーの袋を置いて近づけないようにしている。今のところそれで問題はないみたい。他の虫とかも(本当は家の中にいてほしくないんだけど)追い掛け回すけどヤモリは特別みたい。この前も寝室の前の廊下で「はな」が大騒ぎし、積んであった文庫本や棚の上の小物など落として私に怒られた。その後しばらくして、居間でくつろいでいると、「はな」がご機嫌で居間に走りこんできた。見ると口に何かをくわえている。私の前までくるとぽとりと口にくわえていたものを落とした。あーやっぱり! ヤモリだった。口から落とされたヤモリは窓の方へ走って逃げていく。良かった~まだ生きている! 「はな」がヤモリを追いかけ私は「はな」を追いかける。寸でのところで私が「はな」に追いつき、ヤモリは外に逃がすことができた。「はな」はヤモリがいた辺りをウロウロと探す。わからないけど「はな」にしたら、わざわざ私のところへもってきたのは、自分の猟のお手柄を見せに来たのか、朝方の大騒ぎのお詫びのしるしだったのか、ただのプレゼントの気持ちだったのか…「はな」を呼ぶとたっぷりと「はな」のおやつ「きびちゃん」(にぼし)をあげた。「はな」は嬉しそうに「きびちゃん」を食べるのだった。
2005/10/01
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高校のテニス部の仲間が8人集まった。20年以上の付き合いになる。傍から見たらしっかりとおばさんなんだろうけど、集まればいつもいつも高校生の頃に戻ってしまうから不思議。ボケと突っ込みがあって、お馴染みの空気が流れ、心からくつろげて笑える。お互いの結婚式、子供が生まれたなどで集まっていたのが、だんだん子供が大きくなって子連れで誰かの家に集まる形から、やっと夜飲みに出られるようになって、それから一泊旅行に出られるようになった。転勤やダンナの実家と同居などで名古屋、神戸、大阪、仙台、静岡等に散っていたのが、転勤族は徐々に戻ってきた。そんなに長い時間がたったのだ。私の乳幼児連れの希望から、久しぶりに仲間の家に集まった。小中学生のベテランママたちは順番に私の娘をあやしてくれる。あ~楽チン!あっという間に時間が流れ友人の家を後にする。特に何をしたわけではないけれど、帰りは足取りも軽く活力をもらった感じ。昔、まだみんな十代で、真っ黒に日焼けして、具合が悪くなるまで頑張って空回りだろうが何だろうが一生懸命だった「時間」を共有したからだろうかその時の「元気」が時間を超えて今の私を充電してくれるような気がする。いつも過去を振り返ってるわけにはいかないけど時々、同じ時間を共有した友人を通して昔の自分に会ってみるのもいいな…なんて思いました。卒業以来一緒にテニスをすることはないけれど、いつかみんなで出来たら楽しいだろうなぁ… と思う。私の子育てが一段落して、また一泊旅行ができるようになったら計画しようかなぁ過去と未来と現在と、思いは飛び交います。
2005/09/23
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先日の金曜日にディズニーランドへ行ってきた。6ヶ月くらいの娘を連れてはどうかな?と心配だったけど、いただいたチケットの期限が9月末だったのでせっかくだから行くことにしたのだ。ガイドブックで子連れでも楽しめそうなアトラクションから、空いているトイレ、食べたい屋台の場所等下調べをし、ショーを中心に見て回る予定を立てた。当日、渋滞もほとんどなく到着。天気も暑くも寒くもなく上々だ。まずはベビーセンターで授乳。その間にダンナはホーンテッドマンションのファストパス(予約券みたいなもの)をとりに行ってもらう。今回のディズニーランドは乳幼児連れなので、スリリングなアトラクションは諦めていたが、このホーンテッドマンションだけは乗りたかった。今月12日から「ナイトメアービフォアクリスマス」バージョンに変わっていたからだ。西洋お化け屋敷のようなこのアトラクションについてガイドブックは、小さい子には暗く怖がるかもしれないからお勧めできないとあった。う~ん、悩んだ。諦めるべきか…。でも、娘はまだあまり怖いことは知らないのではないか?夫婦別々に入って、娘は順番に外で抱っこしてた方がいいか?そうまでするなら諦めた方がいいか?などなど。でも好きなティムバートン監督の好きな映画バージョンだから、とても気になる、見てみたい。迷った末3人で入ることにした。ファストパスを使ったから待ち時間は10分くらい。ありがたいシステムだ。暗い部屋に案内され、扉が閉まり、嵐の大音響と共に恐ろしげな声がしてくる。娘が泣き出すのではないかと心配してると、いつのまにかすやすやと寝息を立てている。嵐の大音響が心地よかったのか、暗闇が心地よかったのか、人々のザワザワした気配がよかったのか…?アトラクションが進んでいくと、大きな音や暗闇の連続。少し離れたところから子供の泣き声が聞こえる。そんな中で最後まで眠っていた。外に出て、そのまぶしさでやっと目を覚ました。あ~、なんと良い子ちゃんだったことか… おかげで希望のアトラクションを安心して堪能できた。その後はおっぱい→ショーやパレード→食事やおやつ→おっぱいの繰り返しパレードやショーを見る娘は、辺りをキョロキョロ見回し、綺麗な色彩の行進に見入っていたようだ。実際、ショーはとても綺麗で楽しかった。夕方、風が強くなってきたのでエレクトリカルパレードが始まるころディズニーランドを後にした。申し分なく楽しんだ。帰りも順調で渋滞もなく家に帰り着いた。眠りについた娘の夢の中は楽しげで、にこにこしていると思ったら、のどの奥からころころとした笑い声をたてていた。よっぽど楽しかったのだろうか?わからないなりに楽しかったようで、私たちも安心した。ずいぶんたくさんのベビーカーを見かけた。ディズニーランドは大人にも子供にも乳幼児にさえもやさしく、楽しい世界を見せてくれるのだなぁと改めて思った。
2005/09/19
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先日の土曜に久しぶりにテニスをした。ここ数日涼しい日が続いた後の、晴天。日差しが強く、溶けてしまいそうに暑く感じられた。かなり久しぶりのスポーツだ。子供をベビーカーに乗せて、涼しいレストハウスに避難し私がテニスするときはダンナが子守りを交代する。最初から私はほんの少しだけやるつもりでいた。体がついていきそうもないから。実際、すぐに心臓がばくばくして、ボールを追おうとする足がもつれる。気持ちだけはボール追っているのに、足が全然動かない。やっと少し動いたら、もうハアハアいってついに転んでしまう。怪我をしないうちにダンナと代わる。正味20分くらいだろうか。トホホだ。まあ、テニスの気分は楽しんだから良しとしよう。少しずつ体力をつけていかないと…スポーツの汗は気持ちいい。もっと気持ちよい汗がかけるよう、身も軽くフットワークよくしていきたいなあ…ストレッチだけでも毎日やっていこう、と心に誓うのだった。
2005/09/13
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うちのダンナは自宅で設計関係の仕事をしている。打ち合わせ等の他は、ほとんど家にいる。これって乳幼児がいる状況ではとてもありがたい。娘は眠っている以外は構ってあげないと泣き続ける。家事や夕飯の支度などのとき「ちょっと見ててくれる?」って預けられるから。いつもいつもではダンナも仕事にならないだろうから遠慮はするけど遠慮しながらもつい頼んだりしちゃう。そんなありがたい環境としばらくお別れしなくてはならなくなった。先週からダンナは月曜から金曜まで、仕事を受けた会社に行っている。おそらく、来年の2月くらいまで続くらしい。持って帰るには膨大の資料とそれを数人でやっているために、連携しながら進めるためらしい。昼間、ずっといた人がいないっていうのは、何とも心細い気がする。でも会社勤めの奥さんならみんな経験していること。みんながんばっているんだから、大丈夫!と何度も自分に言い聞かす。そうして、やっと一週間が過ぎた。何だか長い一週間だったような気がする。月曜、急に区役所に行かなければならない用が出来て、娘を抱っこしてバスに乗りあたふたと出かけるが書類の不備などあり、ばたばたとして一日が終わった。火曜、朝から片方のおっぱいが腫れて痛くなった。もしかしたら乳腺炎? そうだとすると40度近くの熱が出たり大変なことになる。病院へ行くべき? そんなときどこの病院へ行けばいいのだろう?途方に暮れて保健所に電話する。そしたら助産師さんがいて、見てくれると言う。急いで支度して娘を抱っこしてバスに乗る。助産師さんがおっぱいの詰まったところをマッサージしてくれて、ずっと楽になった。本当に運が良かったみたい。たまたま今日は助産師さんがいて手が空いていたし、私の方も重症になる前だったから。感謝感謝だ。水曜、何事もなく近所へ散歩に行く。木曜、台風金曜、一昨日くらいからの娘の下痢と、あせもが気になったので小児科へ行った。すると、水疱瘡かもしれないとのこと。まだはっきりとはわからないので様子を見ましょうと薬をもらって帰る。月曜日に再診。土曜、娘の発疹はどんどん増えていく。水疱瘡なら一度かかれば二度とかからないから、熱も出ないし機嫌もよいので心配しなくてよさそう。しかし、土日の予定は私と娘だけすべてキャンセル。あ~あ、何だか疲れた一週間だったなあ…この調子だとエアロバイクもしばらくお預けだろう。運動は…?先日買ったバランスボールとストレッチくらいかなぁ…また、一週間が始まる。だんだんと、ペースがつかめていくことでしょう…
2005/08/29
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ここ数日、子供の夜泣きからくる寝不足による体調不良で目や頭が痛くすっきりとしない日々を過ごした。たまに体調不良になると、妙に弱気になってしまう。病は気からというように、鬱々してもいいことはない。前向きに前向きに…と、改めて思う。昨夜は子供が眠ったのは夜中の2時くらいで、途中30分くらいおっぱいをあげたけれど、トータルで6時間くらい眠れた。ストンと眠りに入って充実した睡眠はさわやかな朝をプレゼントしてくれる。暑かったり、疲れていたり、神経が高ぶっていたりでは中々質のいい睡眠がとれない。昨夜の場合、それらのタイミングがぴったりとあったようだ。何はともあれ健康が一番。それには心地よい睡眠だ!そんなことを思いながら、快眠についてネットで調べてみたらたくさんあった。それだけ、人々は睡眠・快眠を気にしているということだろうか。5人に1人は不眠の悩みをもっているそうだ。そして自律神経の乱れによる不眠も多いようだ。ぬるめのお湯にゆっくりと、あるいは半身浴がいいとあったが最近の我が家はほとんどシャワーですましてしまっている。浴槽にゆっくりとつかるのは好きだし、今まではそうしていた。だけど、今年はどうも生活の変化に振り回されてペースがつかみにくい。ゆっくりと、お風呂につかる… そんな気持ちと時間の余裕をもちたいなあ。
2005/08/20
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小さく産まれたわが娘は、おっぱいを飲もうとしても中々吸い付くことが出来なくて苦労した。それがだいぶ上達して、おっぱいだけになって3ヶ月が過ぎた。その間、娘なりの色んなマイブームがあった。まずは、片方の手をグーにして、親指と人差し指の面を口に近いほっぺたにくっつける。これがほっぺたから外れると嫌みたいで、わーっと泣く。でも、これがおっぱいを飲むときは邪魔になる。グーの手があるからそれ以上おっぱいに近づくことが出来ない。ほっぺたから手を外して、飲ませようとしても、お腹空いておっぱいを飲みたいものだから、興奮してパニックを起こして、また手をほっぺたに持ってきてしまう。それでおっぱいが飲めないものだから、また、わーっと泣く。笑ったらかわいそうだけど、とてもおかしい。次のブームは指をなめること。暇さえあればいつでも指を口に入れている。これがまたおっぱいを飲むときの邪魔になるのだ。お腹空いて大騒ぎで泣いて、おっぱいをあげようとすると、おっぱいを飲みたくて泣いてるのに、おっぱいを含ませようとする一瞬前に自分の指を口に入れてしまう。それじゃあおっぱいが飲めるわけがない。また、わーっと泣く。これも笑ったらかわいそうだけど、とてもおかしい。そして、最近のブームは目の前のものを押すこと。おっぱいも押してしまう。おっぱいが飲みたくて泣いているのに、おっぱいを近づけると、押してしまう。そして、わーっと泣く。なかなか、思うようにはいかないらしい…
2005/08/10
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それは突然やってきた。夜泣き…生後7ヶ月、修正月齢5ヶ月(出産予定より2ヶ月早く産まれたため)になる娘。つい1週間くらい前は夜の9時から10時くらいの間におっぱいを飲みながら眠ったところをそっとベッドに移す、という感じだった。だいたい1時間くらい。それがだんだん1時間半くらいかかるようになり、この数日は12時を過ぎても寝ない。寝ないだけでなく、泣く。ベッドに寝かせたら泣くし、抱っこするともっと泣く。おっぱいのときだけ泣き止むけれど、おっぱいが終わるとまた泣く。よく言われるように、オムツ、お腹、室温、音、照明など気をつけてもぜーんぜん泣き止まない。一昨日は1時半ころまでおっぱいや抱っこして何とか寝かせようとしたがダメで疲れてしまった。ダンナが疲れるまで泣かせてみよう、疲れれば眠くなるんじゃないの。その間私には寝ていいよ。といって娘を仕事部屋で預かってくれた。寝室とは階段室をはさんで仕事部屋がある。布団に横になったものの娘の泣き声が聞こえてくる。疲れてはいるが、私も眠れなくなってしまった。娘は1時間半ずっと泣き続けた。ダンナがぐったりとして娘を抱いて寝室にきた。娘はまだまだ泣き続ける元気がありそう。根負けしてしまった。それから1時間半、抱っこしたり歌ったり、おっぱいをあげたりしてやっと眠った。朝の4時半。昨日は夜中1時近く、泣き続ける娘を連れてダンナとドライブに出ることにした。車に乗せて走り出すと泣き止み、信号で止まると泣き出す。それらを繰り返しているうちに寝てしまった。やれやれ。もう少し走って完全に眠ってしまった頃、帰ってベッドに移そうということにした。2時過ぎ頃、家に戻ってそっとベッドに移すがうんぎゃあぁあ…また、それから1時間半、抱っこしたり歌ったり、おっぱいをあげたりしてやっと眠った。朝の4時になっていた。これだけ夜中起きていれば、昼間は眠くなる。抱っこすると、眠くって、目を閉じたまま声も裏返って、辛そうな声を出して泣く。そんなに眠いなら寝ればいいのになあ…親は大変だなと、つくづく思う。しかし寝不足はこたえる。何とか乗り切らねば…ふわ~ぁ~Zzzz…
2005/08/06
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この頃よく飲むのがしょうが紅茶。しょうがは体にいいらしい。以前色々調べたけど詳しいことは忘れてしまった。体を温め、免疫力をつけ、あと色々いいこと尽くめだった。で、しょうが紅茶を飲むようになった。マグカップに紅茶を煎れてすりおろしたしょうがを好みの量入れ、黒糖で甘味を調節する。私はちょっと疲れたな、って時は少し甘めにする。しょうがを入れすぎると辛くなるので、味をみてその日の気分の濃さにする。これが割りと美味しい。いかにも体にやさしそうだな、ってとこが心にもやさしい気がする。この心にもやさしそうなってとこがポイントでもある。自律神経を落ち着かせるらしい。季節の変わり目とか、いまいち体調がすぐれないときなどもいいらしい。1日3杯以上飲むのがいいそうだが、私は1~2杯程度。冬に飲んだときは確かに体が温まった。色んな病気の予防のためだと思って、せっせと飲むことにした。言って聞かせることの出来ない乳幼児相手なのでひたすらこっちの体力を保たねば…と思って。
2005/08/01
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昨日はダンナの実家へ行ってきた。家から車で3~40分の距離。大体昼を食べてからゆっくり支度して行き、夕飯をご馳走になって少しゆっくりして帰ってくる。義母が療養中で食事制限などしているので、大抵義父が具だくさんのおそばを作ってくれる。義父母共に、娘に会うのをとても楽しみにしている。娘の方も、いつもとは違う表情できゃっきゃ声を出して笑うのできっと、ずいぶん楽しいのだろう。その中で娘のお気に入りは「いないいないばあ」そのときのご機嫌にもよるけど、ニヤッと笑ったり、声を出したりと色々。だけど、やっぱりおじいちゃんの「いないいないばあ」だと笑い声が違う。のどを鳴らしながら興奮して笑い声を上げる。今日は、私が抱っこをしているときに、「いないいないばあ」をやってくれた。いつもは娘の反応に気を取られておじいちゃんの顔はあまり見ていない。だけど今日は、私が抱いている娘に向かっているものだから、正面から見てしまった。おじいちゃんの「いないいないばあ」を。目玉を寄せて口を大きく開けて首を傾けて…可笑しすぎる。私の方が吹き出しそうだった。ぐっとこらえるのに苦労した。…いいなあ。娘のために、娘を笑わせるためだけに… ちょっと感動する。そして器といおうか、懐と言おうか、大きさを感じる。そんなとき、わたしなんて、まだまだだなあって(当たり前だけど)思う。次はどんな風に笑わせてくれるのか、楽しみだ。
2005/07/27
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ずっと昔、十数年前のこと。ある日、B’zのCDを聴いていて急に胸に染み込んでくる曲があった。それはTIMEという曲。その詩に参った。それから急激にB’zにのめり込んでいった。毎日毎日CDを聴きまくった。寝ても覚めても、という感じ。ライブビデオがまたかっこよくて、コンサートに行きたいと思った。行きたい、イキタイ、いきた~い!って。近々コンサートはあるらしい。しかし、当時すでに人気グループ、チケットがそう簡単に手に入るわけもない。とりあえずファンクラブに入ったものの、もう発売の終わった今はどうにもならない。諦めるしかない。あまりにも急激に熱してしまったために、切なくなってしまったくらい。あ~手に入らないコンサートのことは考えるのよそう。辛いもの…当時のアルバイト先は、FMヨコハマが流れていた。なんと、そのラジオから「明日のB’zのコンサートに行けなくなったので2枚のチケットを定価で譲りたい」という人の情報と、電話番号が流れた。私は驚き、舞い上がる。メモした電話番号を片手に、一瞬迷う。その事務所のアルバイトを始めてまだ日も浅い。自分用のデスクに電話があるものの、こんな明らかな私用電話は当然遠慮すべきである。しかし、11階にある事務所から公衆電話のある1階まで降りたら時間がかかってしまう。一瞬の迷いの後、目の前の受話器をつかんだ。震える手でゆっくりと、間違いのないようにボタンを押していく。つながった! チケットを譲りたい女の子が直接電話に出たのだ。彼女は、明日、しかも静岡県の浜名湖近くでの野外コンサートだけど、大丈夫かと念をおす。私は二つ返事で、大丈夫、行きます、と答える。それが北海道であろうが行く!って答えたろう。夕方、横浜駅で待ち合わせてチケットを譲ってもらった。私の電話の後、電話が殺到したそうだ。あの一瞬の迷いの後、あの選択は間違っていなかったのだ。確か、7月31日だったと思う。静岡県浜名湖近くの弁天島というところで5万人野外コンサートだった。暑く熱い、真夏の夜の夢だった。一生忘れないだろう…そして思った。強く願えば思いは届くって…目の前のチャンスは自分でつかむこと!待っていてはくれないって…
2005/07/22
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午前中松坂牛が届いた。木箱に入ったすっごくおいしそうなやつ。すき焼き用とあるけど、美味しいお肉ならしゃぶしゃぶでもオッケー。少し厚い分より肉の味が楽しめる気がする。さっそく、肉以外の買い物に行く。そして問題なのが我が家のお嬢。少し前は大抵8時頃に寝てくれたが、この頃は10時。へたすると12時頃まで寝なくて親はへとへとになる。本人は眠いのに寝れなくて大泣きするときと、ちっとも眠くなさそうでご機嫌なときがある。いずれにしても、ダンナと交代に抱っこしてあたふたと食事する。普段は、まあそれでもいいけど今日は特別。だってしゃぶしゃぶなんですもの。子供を抱っこしながらはちょっと大変。それで6時半ころから、目標8時で寝かし付けを始める。部屋を薄暗くし、最近よく聴いているハワイアンのギターソロCDをかける。7時45分、PCに向かってこれを入力しながら、膝の上には半分眠っている娘が思い出したようにときどきおっぱいをのむ。まだ、寝てないよって感じ。いい感じ。このまま寝てくれるか?しかし、大きな壁は眠った娘をベッドに移すとき。しっかり、眠っていればいいけれど、ベッドに移した瞬間にパチリと目を覚ます。うんぎゃ~…すると、また膝の上に乗せ最初からやり直し。かく言う今だって、7時半ころ1回着地に失敗している。う~ん。ムズカシイ。8時 再度挑戦! これが最後のチャンスでこれに失敗したら夕飯タイムは抱っこか、機嫌がいいようなら揺り椅子か…無事着地成功を祈る!…うんぎゃ~あちゃ… 期待も空しく着地失敗!台所で肉を皿に盛っていたダンナに着地失敗を告げる。ダンナは「よし!俺が挑戦だ」と言って2階へ上がっていった。10分ほどすると、静かだけど軽快な足音が近づいてきた。ダンナは手ぶらだ。お嬢は眠ったらしい!「おう! なんとすばらっしい~。さっすがだね~」二人で手を取り合って小躍りするほど。「やっぱりしゃぶしゃぶの威力はすごいねぇ~寝かしつけちゃったんだもん」ダンナは満足そうに頷いた。お肉が美味しかったのは言うまでもない。ゆっくりと、堪能させていただいた。お嬢の寝顔を見ながら「ありがとね~美味しかったよ」と、母はつぶやく。
2005/07/21
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妊娠中毒症の食事制限や早産のせいもあって、出産後の退院時には妊娠前の体重に戻っていた。出産後に増えた体重を戻すのが大変と聞いていたから、あれぇ~と気の抜ける感じ。それでは後は体力の回復に努めればいいのね…って思った。我が家は妊娠後期頃から玄米を食べるようになった。お肉や魚も食べるけど、野菜やきのこ豆類もたくさん食べる。割と健康食だと思う。健康食と母乳のせいだと思うが、ふと気がつくと体重が減っている。普通なら喜ばしいが、今は喜んではいられない。この体重が減るとちょっと困ったことになる。おっぱいの出が悪くなるのだ。最初は急におっぱいの出が悪くなって、何でだろうと心配したけど、体重との関係に気がつくと「なぁ~んだ!」ってことに。それからは、努めて間食に走った。だって、おっぱいの出が悪くなると娘が泣くんですもの。授乳中は油モノや甘いものをとり過ぎると良くないらしい。それで私の場合血圧の心配から塩分控えめ。神経質にならない程度に、それらを心がける。食後や子供が寝た隙にそ~れ!と間食をする。パンとかお餅とかそのときによっていろいろ。罪悪感のない間食というのもなかなかいいものだ。努力?!のかいあって今は退院時の2キロオーバー辺りで落ち着いている。この辺りがいいみたい。これ以上増えると、多分体が重いしね。授乳が終わったときが、要注意だろう。間食の習慣だけ止められなかったら恐ろしいことになる…まあ、それはもうちょっと先だから、今は間食を楽しみましょ…
2005/07/16
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夏なんだなぁ~冬もいいけど、やっぱり夏は特別な気がする。ノスタルジアもあるのだろう。小学生のころ永遠に終わらないかと思えるような夏休みの始まり。それは明るく澄んだ空気の早朝から始まり、夢と冒険と想像と未来とに溢れている。好きな映画の一つに「マルセルの夏」というのがある。フランス映画はあまり得意ではないがこれはとても好きで、何度も見ている。20世紀はじめのフランスが舞台で、マルセルという少年が家族と一緒に夏の間プロヴァンスに滞在するお話だ。何よりも、映像が美しい。そして音楽も。淡々としたストーリーだがテンポがよいので引き込まれて見てしまう。永遠に続くように思えた夏が終わってしまう、切なさ。閉じ込めることのできない時間の流れ。自然の中で成長していく少年。マルセルと同じ視線で子供のころの、甘く切ない思いが蘇えるような気がする。いま、この時期に見たい映画だ。「マルセルの城」という続編もある。
2005/07/10
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なんとなく、すっきりしない。気持ちが同じところを行ったりきたり。毎日が単調に過ぎて行く。育児は楽しいけれど。人との交わりがないせいだと思う。自分の狭い思考から出ないから。仕事に行ってたときは、電車に乗り見知らぬ人とすれ違い、仕事ではトラブルに巻き込まれ日々変化に富んでいた。狭い思考なりに外からの刺激が多かったのだ。刺激を受けるとその都度振り回されたりとストレスも多かったけど、そういうストレスのなさもストレスになるらしい。他人から受けるストレスではなく、自身追い込んでしまうようなストレス。といっても、落ち込んでしまうというわけでもないが。曇りだと思ってたら雨になり、一瞬晴れたけどまた雨?とまさに今の天気のようにすっきりしないのだ。すっきりと晴れて、思いっきり洗濯をして外にばばーんと干したいものだ。以前だったらこんな気分のときはどうしたかなぁ?ああ、思いっきり泳いだこともあったような気がする。ゆっくり、ゆっくりノンストップでひたすら泳ぐ。最初は息継ぎとか、同じレーンで泳ぐ人のことが気になったりするがだんだん、音が遠くに聞こえるようになって、水中のゆらゆらした光が気持ちよくなり、手足のだるさが心地よくなる。そして、大げさに言うならば心が開放される感じ。そんなこと考えてたら、すっごく泳ぎたくなってきた。心と体の開放なんて、魅力的だわ・・・でも、もう少しおあずけだわ。乳飲み子がいますもの。・・・プールで泳ぐことを想像してたら、なんだかちょっと気分が晴れてきたわ。あらら、わたしって単純なのねぇ・・・
2005/07/09
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酢は体によいらしい・・・ってことは漠然と思っていた。で、何で良いのかはあまり気にしないで「琉球黒糖もろみ酢」というのを飲んでいた。わりと美味しいので、美味しくて体にいいならいうことないじゃん!そう思っていたら、いつも買っていた「琉球黒糖もろみ酢」が、ある日3倍くらいの値段になっていた。びっくり!美味かったのにぃ~ まとめて買っておけばよかった~そのころテレビで酢は血圧を下げるらしいとやっていて、再び酢に注目する。今は私の血圧も正常値で落ち着いているが、あんまり油断はできないので塩分控えめは常に頭の中にある。また酢を飲もうかしら・・・健康のためなら、多少まずくっても仕方ないかなぁと。だって、3倍の値段になってしまった「琉球黒糖もろみ酢」は買えないもの。で、普通の純米米酢を買い込んだ。いくらなんでも、そのままでは飲めそうもないからリンゴジュースで割って飲んだ。大匙1杯の酢に小さめのコップがいっぱいになるくらいリンゴジュースを入れて。美味しい!ちょっとすっぱくてのどにくる感じはあるけど、結構好きな味!な~んだ。これならいけるじゃん!で、気になって酢の効能を調べてみたら、「コレステロール・高血圧・下痢・便秘・アレルギーなど生活習慣病・現代病の予防、体質改善、美容と健康維持に効果あり」ですって。いいことずくめ!何よりも美味しいもの!それで飲んだあと、体がすっきりしゃっきりする気がする(多分思い込みだろうけど)そうそう先日、梅酒を作ったときに、梅酢も漬けてみたんだっけ。もう少ししたら飲めるだろう・・・それも楽しみだ。
2005/07/06
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最近読んだ本の中に「なんとなくしたいことを優先して、本当のやりたいことを先延ばしにしていませんか?」みたいなこと書かれていた。どっきり!なんとなくしたいことを優先してたこと、たくさん心当たりがある。買い物だったり、そのついでにお茶したり、本屋へ寄ったり、昼寝したり。どれもこれも程度の問題。必要なものを買うのはそれこそ必要なことだし。気分転換の買い物は、それはそれで必要なこと。だけど、必要な買い物はまとめ買いすれば効率がよいし、気分転換だっていつもいつもでなくてもいい。慣れない育児に小刻みに分断された時間を見つめながら、思う。育児は面白いし子供の成長は楽しみだ。だけど、分断された時間をつなぎ合せたらどのくらいあるんだろう。そして何ができるんだろうか? いや、違う。何ができるのか?ではなくて何がしたいのか?なのだ。時間は自分で紡ぎ出すしかないんだから。時間があったらいつかやりたいと思っていること、時間を作って早く手をつけなくちゃ!
2005/07/03
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仕事を辞めて育児に専念していると、外に出る機会が減ってなんとなく浮世離れしてしまう感じだ。世間が遠くなる。家での会話も同じ人とだから「さっきのあれ」とかで会話が成立してしまう。だから、単語が口に出てこない。説明しないでもなんとなく通じてしまうから。それって、かなりやば~いこと。このままいったらボケてしまいそう・・・気ままな生活は、楽しい。時間に縛られないのも。まあ、今は乳飲み子にしばられてはいるけど。人間が誕生して、その成長過程に立ち会えるのは、ものすごく感動的で、日々新鮮だ。十分楽しいと思う。それなのに、日々が単調で時には落ち込んだり、ほんの小さな刺激を持ちたくなる。それで最近の小さな楽しみはパンやへ行くこと。それも湘南の片瀬山の麓にある「パイニー」というお店。レストランとパンやが一緒になっていて、片瀬山に住むマダムがお茶をしてるイメージがある。湘南に根付いてる感じ。以前、引っ越す前は自転車で散歩がてら来たものだ。その懐かしさもあって、少し思い入れのあるパン屋だ。そのパン屋で、美味しそうなパンを好きなだけ買う。とはいっても2.3日で食べられる量だけど。今日は夕方になってしまったから、だいぶ売り切れが多くてちょっと残念。それでもたくさん買った。気分的に満足!買い物って、買いたいときに買いたいだけ買ったらすごく満足する。でもそれが洋服だったりすると高いから、そんなに買えないけど。だから今のわたしには、パンがちょうどいいみたい。そんなに懐がいたまなくて、それでいて購買意欲を満足させることができて、美味しいんだもの。そういう、小さな喜び大切にしていこう!
2005/06/23
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我が家の長女は猫のはな。今年3歳になった。今年次女(こっちは人間の子)が登場するまでは、ひとりっ子の甘えん坊さんだった。お腹にいるときから、妹ができるから仲良くしてね~って言い続けていたけどそんなことは知ってはいないと思う。何かとストレスを感じて大変だろうけど、ときどきいたずらをするけど、とてもいい子。その「はな」の覚えたことばがいくつかある。まず「よし!」ってことば。これはダンナが「はな」にごはんをあげるときの口癖で「よし!はな、ごはんだぞ~」っていうときの「よし!」これを聞くと実に嬉しそうに美声で「にゃ~」となく。だけど「よし!」って言葉、意外と使っていたのだ。「よし!おわった」よか「よし!行こう」とか・・・その度に「はな」が嬉しそうな声を出して走ってくる。「違う、違う、ごめんよ」と謝るが、おかしくて笑ってしまう。それで、よし!はやめて「ごは~ん」になった。「はな」のご飯の時間は決まっている。だから、そのころになると「ごはんまだ~?」って感じで私たちの周りをうろうろしたり、ちょっかいを出してきたりして一生懸命こっちの目に訴えかけてくる。時間になって「はな、ごは~ん」というと、これ以上はないといった美声で「にゃ~」となき自分のごはん場所まで走っていく。すごくすごくかわいい、親ばか丸出しといわれてもね。で、「ごはん」もときどき誤解される。「はな」のごはんが終わったあと、私たちのごはんの支度ができたとき大抵の場合はダンナのそばに行ってから「ごはんだよ」って言うが(でないと、仕事の電話中だったりすると困るから)それでも、急いでる場合は階段の下から2階の仕事部屋へむかって「ごはんだよ~」って言ってしまう。すると、ドアの隙間からうれしそ~な顔と声で「はな」が階段を走り下りて来る。「はな」は食べたでしょ。って頭をなでると「あっやっぱり私の出番ではないのね~」といった感じで毛づくろいをする。それから「はっぱ」「はな」は健康を考えてキャットフードだけにしている。だから、あまり私たちの食べ物に関心をみせない。だけど、子猫のときはときどきやられた。台所から走って逃げるから何事かと「はな」を追いかけると、口には茹でたてのブロッコリーが・・・。怒るよりも笑ってしまった。買い物袋からはみ出した野菜も気になるらしい。油断してるとかじっていたりする。どうも野菜好きらしい。花屋で売ってる「ねこ草」を買ってかえると、嬉しそうにじっくりと食べている。特にごはん前には念入りに。もっと好きなのが、外に生えてるねこじゃらしのはっぱ。これには目がないらしい。売っている「ねこ草」よりもずっと好きみたい。外出して、お土産にはっぱをつんで帰り、2階に向かって「はっぱだよ~」って声かけると、嬉しそうに喉だか鼻だか鳴らしながら「にゃ~」と走りこんでくる。で、この頃は外に出るたびにはっぱを催促されているような気がする。「はな」は家ねこの箱入り娘で外には出ない。だから、なるべく「ねこ草」は絶えないようにしたいのだけど。ああ、我が家のお姉ちゃんの話をしてると、尽きないわぁ・・・今日のトコロはこの辺で・・・
2005/06/18
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妊娠して、出産して、その後もしばらく血圧が高かったりして、運動不足だった。とにかく、子育ては体力が勝負!と、日々実感しております。腕の力は、多分子供を抱いているうちにたくましくなっていくだろうけど。で、体力をつけるためにエアロバイク復活!あの自転車こぎです!数年前、リサイクルショップで見つけたもので、2年前に引っ越してきてからずっと荷物部屋(まだ整理してないダンボールとか)でひっそりと出番を待っていたのです。読みかけの本を広げて「さあっ、はじめるぞぉ~」張りきってスタートしました。30分、もちろんビギナーコースで。久しぶりの運動による汗! へろへろになったけど、久しぶりの爽快感!体に溜まっていた不純物が流れて、コリが溶けた感じ。すっきりした。これを続けたら、すっごぉ~く健康になりそう。体も、気持ちもリフレッシュできたみたい。あとは、無理しない程度に続けることかなぁ~
2005/06/16
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今年1月、妊娠中毒症によって2ヶ月早く、1022グラムの女の子が生まれた。45日間の入院を経て、1550グラムで退院となったその日は、朝から小雪のちらつく寒い日だった。昼過ぎ、初めて自宅に帰ってきた。オイルヒーターを全開で部屋を温める。体温を測ってみる。35.1度。えっ!?もう一度測りなおす。やはり変わらない。私たちは慌てる。新生児の体温は36.5~37.5度くらいなのだ。それでなくても、体重が少ない分脂肪も少ないし、体温調整は苦手なのだ。室温は24度くらい。病院のNICU(新生児集中治療室)は28度に設定してある。室温が低いらしい。私は布団を敷き、上半身裸になり子供も肌着1枚にして、布団の中で胸の上に置き、カンガルーケアーのように抱っこする。ダンナは部屋の温度をあげるため、小さな扇風機を買いにいった。季節がら、扇風機などないらしく、何軒目かでやっとみつかったらしい。扇風機のおかげで、徐々に室温は上がってきた。私はひたすら抱っこで温める。午後8時ころ、いくらか体温は上がってきたものの、まだ低い。「まだ、体温調整が出来ないのではないか」「低体温が続くと、どうかなってしまうのではないか?」「また、NICUへ戻らなくてはならないのか?」など、色んな心配が心をよぎる。室温は28度になった。途方にくれてNICUへ電話をする。ミルクは飲んでいること、機嫌はよさそうなことならばそんなに心配しなくていいとのこと。ただ、体に対して頭の表面積が大きいので頭から体温が逃げてしまうので、帽子か、タオルで包んで、少し様子をみるように言われて、少しほっとする。とりあえず、柔らかいタオルで頭を巻いて、ダンナは大型スーパーのベビー用品売り場へ走った。帽子をかぶせ温かくし、ベビーべッドで寝かせる。しばらくして体温を測ったら37度になっていた。やれやれ、やっと、ほっとした。バタバタの第1日目だった。それからは、室温と湿度をなるべく一定に心がけた。1550グラムの我が子は小さい。当然口も小さい。病院で母乳を直接飲む練習をしていたものの、まだうまく飲むことは出来ない。4時間ごとに、搾乳した母乳を温めなおして哺乳瓶で与える。子供の世話にかかりきりで、いい加減に搾乳していたら、乳房にしこりができ慌てる。また、NICUに電話して相談する。とにかく、きっちり3時間ごとに搾乳を続ければよくなるだろう、とのこと。3時間ごとの搾乳と、4時間ごとの授乳。睡眠時間が小刻みに分断される。まだ、妊娠中毒症の後遺症で血圧が安定していない。夜中の1回の授乳をダンナが代わってくれた。それから、少しまとめて眠ることができるようになった。2000グラムを超えたら、母乳を直接飲む練習を始めよう決めた。今はまだ、口も小さいし吸い付く力も弱い。無理に飲ませようとすると、疲れてしまって途中で眠ってしまう。そうすると、哺乳瓶からもあまり飲めなくなってしまう。今は順調に育つことが最重要だもの。2000グラムを超えるころ、直接おっぱいを飲む練習を始める。退院したときに比べれば、ずいぶん大きくなったけどなかなかうまくいかない。やっと、吸い付いたけど、飲めてるのか飲めていないのかさっぱり判らない。20分たって眠ってしまい、ベッドに寝かすと目が覚めてまた欲しがる。おっぱいを飲ます、寝る、寝かすと目が覚めてまた欲しがる。おっぱいが足りなくて欲しがるのか、途方にくれる。冷凍ストックした母乳を追加しようと思うけど、どのくらい足りないのか判らない。2キロまでは、キッチンスケールで測ることができたが、2キロを超えた今は量れない。そこで、ベビースケールを3ヶ月レンタルすることにした。おっぱいをあげる前と後に量ればどれだけ飲めたか、そしてどのくらい追加すればよいか判断できるのだ。その都度量るのは大変だけど、途方にくれるよりはよいから。そして、ベビースケールが我が家へやって来た。授乳前後に体重を量って、足りない分を冷凍母乳で補うようにした。最初は乳首に吸い付けなくて10分も15分も、子供の頭をつかむようにして乳首を含ます。おっぱいを飲ますことがこんなに大変なことだとは夢にも思わなかった。子供も一生懸命口を開けるが、うまくいかなくて、だんだん泣き叫ぶようになる。私まで泣きたくなる。直接飲めなくてもいいかな、ちらっと頭を掠める。だけど、今がんばらないと、搾乳には限度がある。すぐに追いつかなくなって、粉ミルクと混合になってしまうだろう。出来るなら、母乳で育てたかった。早く小さく生まれた分免疫力が少ないらしい。それを母乳で補いたいから。せめてそうしてあげたかった。最初は5グラムとか、10グラムしか飲めなかった。それが少しずつだけど飲めるようになっていった。やがて母乳の冷凍ストックもなくなり、粉ミルクと混合になった。母乳の味に慣れているせいか粉ミルクだと、いや~な顔をする。最初は口に入れても、ダーっと吐き出してしまったが、それしかでないと諦めたのか渋々とのむようになった。もう少し母乳をあげる回数を増やせば粉ミルクも減らすことができるかもしれないけど、子供が退院して1ヶ月たった頃、疲れが溜まったのか私の血圧がまた上がりだした。最小限の薬を処方してもらい授乳を続けたが、100%母乳でというのは諦めた。自分が不甲斐なくて涙が出てきたけど、母乳をあげるために無理するよりは、少しでも楽をしてその分抱っこしてあげよう、一緒にいよう、と決めた。しばらくして、私の血圧も安定してきた。そして、定期健診で主治医から母乳の回数、粉ミルクの量、体重の増加などから計算して、十分母乳で足りているはずだから粉ミルクを止めたほうがいいと言われた。それから、授乳の時に体重を量ることも止められた。量るから足りているかどうか気になってしまうでしょ、欲しがったらあげる、それだけでいいから。1~2週間は大変だと思うけどがんばるようにって。主治医の言葉を信じることにした。実際、大変だった。とにかく、起きている間中おっぱいだったから。ダンナの実家に行ったときも、夕方から夜にかけてあんまり泣くからおっっぱいが足りていないんじゃないかと、心配していた。授乳の度に量っていたベビースケールは、風呂に入れるときだけ量ることにして体重によって一喜一憂するのはやめた。粉ミルクをやめて1週間くらいは体重の伸びが減ったが、今は順調に増えているようだ。3週間くらいで、母乳だけに慣れたようだ。3ヶ月のレンタル期間が過ぎ、ベビースケールともお別れだ。一緒に、戦いの日々を送ったような気がする。お疲れさま、ありがとう。
2005/06/15
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昨日初めて梅酒を漬けました。Blog日記にちょくちょくお邪魔する、ニャオミさんの日記を読んで私も梅酒つけてみようかな~って思った。ただし、来年。だって、今年は乳飲み子がいて、何だか忙しいんですもの。そしたら、ニャオミさんからメッセージをいただきました。「ダメですよ、今年漬けて下さい!何故なら、それを飲まずに保存しておいて赤ちゃんが20歳になった時、若しくは結婚する時『これは○○ちゃんが生まれた年に漬けた梅酒なのよ』って言って乾杯するんですーーー!・・・って、私の夢を押し付けてみました(^_^;)実際、そうしてもらった娘が『感動しました』って何かの投稿で読みました(^.^)ええ、ええ、パクリです。でも、ちょっと良くないですか(*^^)」って。とてもステキですよね。ぜひ、今年作ろうって思いました。初めてなので、ちょっと心配ではあるけど。うちの娘は、すっごいでべそで3×2.5センチくらいぷっくりと膨らんでいる。1年くらいの間に引っ込むから心配はないらしい。さわるとぷよぷよして、力むと膨らむ。この頃は、小さく萎んでいたり、くしゃっとつぶれていたりする。面白くて、写真に撮ろうとカメラを探しているうちに元に戻ってしまうが。このまま、でべそだったらもちろん困るけど、ある日、無くなってしまったら、それはそれで淋しいんだろうなあ・・・ひとつひとつの成長はもちろん嬉しいけれど、ひとつひとつ手が離れていくのは淋しいんだろうなあ・・・そうやって、20年過ごしていくんだろうなあ・・・とてつもなく長い時間のようだけど、その一瞬一瞬はかけがえのないものでひとつひとつが宝物。どんな、宝物が詰まっていくのかなあ・・・
2005/06/14
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先日ダンナの実家へ行ってきた。義母が病気を患っていてあまり外出ができないので、なるべく顔を出すようにしている。修正月齢約3ヶ月(2ヶ月早産だったため、出産予定日からの月齢)の娘を連れて行くと義父母共にとても喜ぶ。おばあちゃんは娘にやさしく語りかける。ゆっくりと、穏やかな声で。娘もとても嬉しそうに笑う。実際に会話しているように、じっとおばあちゃんの顔を見つめる。そして言葉のような声を発する。うなり声のようではあるけれど。そこには立派なコミュニケーションが存在しているようだ。そんなとき、娘が少し成長したように感じる。そしておじいちゃんも、ゆっくりと言葉を発する。娘はじっとおじいちゃんの目を見つめる。不思議なのは、ダンナの実家へ行くと、義父に似てくる。気のせいかな?と思ったけど、写真を見るとそこには確かな事実がある。鈴の入った小さなぬいぐるみを、鈴がなるように小刻みに振ると、それを見つめる娘の頭も小刻みに揺れる。鈴を鳴らすのをやめると、娘の頭の揺れも止まる。「へぇ~」っと思った。何でも、まねからはじまるんだなあ・・・改めて思った。・・おじいちゃんに似るのも、おじいちゃんの表情の何かを読み取ってまねているんだろうか?何もかも、無心で純粋だから見えるものってあるのかもしれない。透明で、何色にも染まっていないこころ。大切にしてあげたいなあ・・・
2005/06/10
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5キロ弱の我が子を抱いて、散歩にでる。泣く→おっぱい→寝る→泣く→おっぱいこのような状態が一日繰り返されるが、この頃は昼間あまり寝なくなってきた。寝ても、抱いたままの状態で時間は短い。要求のままおっぱいをあげると、一日中おっぱいを出したままになりそう。そこで気分を紛らすために、歌をうたったり、お遊びをする。しかし、これも長い時間はもたない。そこで、お散歩となる。家の近所のお散歩に適したところは、砂利道があったりしてベビーカーでは不向きな気がする。それで、抱っこになるが、やっぱり5キロは重い。遠くには行けないし、近所を歩くだけになってしまう。年中歩いているのに「あれっ」って、ある日突然季節の移り変わりを感じる。それまで咲いていた花が散って、新しい花が咲いていたり、日差しの強さが変わったり、風のにおいが変わったり、すれ違う人の服装だったり。少し違う視点で眺めてみる。足元には、名前の知らない草花が・・・知らないのならば、調べてみようかな。ふと、思った。散歩にいくごとに一つずつ。デジカメに収めて、帰ってきてから調べればいい。うん、そうしよう。さっそく、今日はアカバナ科の「ユウゲショウ」(夕化粧)しっとりした素敵な名前ですね。川沿いの道にたくさん咲いてました。
2005/06/07
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最近のお気に入り植物は「エリゲロン」なんだか変な名前で、覚えるのに苦労した。最初は、道端や草むらに咲いている「ヒメジオン」と区別がつかなかった。区別がついてからも「雑草みたい」って特に関心がなかったけど、ある日好きになった。散歩の途中、お花が好きらしい自然な感じで手入れの行き届いたお庭の、こぼれ種で育ったらしいひとかたまりが風にそよいで、白とうすピンクの花が揺れて、陽だまりにとても自然な様子で咲いているのがとても感じよかったから。園芸ショップで探したけど、最初は見つからなくて、次に行ったときに見つけたときは嬉しかった。そして、鉢に植え替えて、今度は家の庭でそよいでいる。何だか、いい感じ。野の花っぽいところが。今はまだ鉢植えだけど、丈夫でこぼれ種で増えるらしい。―楽しみだ。こぼれ種で育った一叢が、陽だまりで風にそよいでいる姿をみるのは。
2005/06/04
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散歩のついでにときどき寄るスーパーに行く。目的は、鮮魚売り場に泳いでいる、どじょうだ。どじょうは金魚の食べ残したえさが沈殿する池の底の泥を浄化するらしい。ダンナが我が家の池にどじょうを入れたいと、金魚等を購入しているペットショップへ行ったがどじょうは売ってなかった。そこで、スーパーのどじょうに白羽の矢がたったのだ。鮮魚売り場に行くと、あった、あった。発泡スチロールの箱の中でたくさん泳いでいる。札を見ると、100グラム300円とある。100グラムって何匹くらいあるのだろうか?そんなに大きな池ではない。5匹もいれば十分だろう。鮮魚売り場に御用の方はインターホンを押してくださいとあるので押すと、中からお兄さんが出てきた。「どじょうをほしいんですけど」と言うと、お兄さんは愛想よく、「どのくらいですか?」と。「5匹でいいんですけど」私が答える。「・・・5匹ですか・・・」お兄さんはちょっと、不審に思ったよう。私は100グラムって言えばよかったんだ、って思ったが仕方がない。慌てて付け加える。「あの、飼いたいので出来れば元気そうなのお願いします」お兄さんは笑って、「やっぱり、よく動くのがいいよねえ」と、どじょうをたくさんすくった後、選別してくれる。「できれば・・・」と、わたし。お兄さんはどじょうをじっくりと選んでくれた。そしてビニールを2重にし中に水と一緒に入ったどじょうを手渡してくれた。見ると、値段シールも何も貼ってない。私はレジに行けば値段わかりますか?と聞くと、お兄さんは笑いながら「いいよ」と言って、「あげるよ」っていうジュスチャーをした。「えっ、いいんですか?」私が重ねて聞くと、頷きながら手を上げると店の奥に入って行った。とても嬉しかった。もらったビニール袋を目の高さに持ち上げると元気に動くどじょうを眺めた。幸せな帰り道だった。家に帰って、池の水温に慣らしたあと、池に放すと一瞬で底に潜っていった。もう、どじょうたちの、姿かたちは見えない。
2005/06/02
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今日も、ベビーベッドは満員御礼!!
2005/05/29
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一日がBABYのペースで過ぎていく。おっぱいをよく飲み、よく泣き、両手が肩辺りまで上ってくる。そしてパタリと眠りにつく。
2005/05/27
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昨年、まだbabyがお腹にいるとき、何かbabyにプレゼントを買いたいと思っていた。小さくて、かわいくて、お守りのような、ずっと大切にしていきたいと思うような物を。でも、具体的にはこれといったイメージはなく、出産予定は酉年だから「とり」でもいいかな。くらいに考えていた。そして出会ったのが、3センチほどのトルコ石でできたハチドリの置物だった。一目惚れ。お店の人に聞くと、ニューメキシコに住むZUNI族プエブロの人たちによってつくられたフェティッシュ(色々な動物などを石や貝、鹿の角などを削ってつくるお守り)で、裏に作者のサインも彫られていた。トルコ石の意味も教えてもらった。「強い生命力にあふれていて、持つ人に自信と積極性、今の自分に必要なものとそうでないものを選別させる勇気と行動力、正しいことを貫く心を与えます。古代エジプト、インディアンをはじめ世界中で古くから、邪を遠ざけ、戦いの守護、旅人を守り、愛のお護りとして使われてきた石、持ち主に色を変えて異変を教える石としても知られています。」ということだった。何だか、とてもすてきなプレゼントになりそうだと思った。お店の人が、セージの葉を焼いて、魔よけとして煙をハチドリにかけてくれた。その翌々日に、私が緊急入院してしまうことになったのだが、病室にもお守りとして持ち込み、数日後にbabyが産まれた。まだ、ずっと先のことになるだろうけど、そんなときのことなど話して、手渡す日を楽しみにしている。
2005/05/25
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(その三の続き)退院後は、自宅で搾乳して冷凍保存し、クーラーボックスでNICUへ運ぶという生活が始まった。相変わらず血圧は高めで疲れると更に上がってしまうので、なるべく休むようにはしていたが、3時間ごとに搾乳をしないと胸が張って痛くなる。痛いのだけなら我慢もできるが、乳腺炎などを引き起こしてしまうと大変らしい。時計を見ながらせっせと搾乳する生活だ。思っていたより不自由だ。入院中の子供は順調にミルク量が増え体重も増えていった。誕生後、減っていた体重が戻り1000グラムを超えたころカンガルーケアが始まった。カンガルーケアとは赤ちゃんを胸に抱き皮膚と皮膚を接触させながら保育する方法。そうすることによって赤ちゃんの呼吸や体温が安定してストレスの軽減効果などがある。1月21日。1077グラム。出産後16日たって初めて我が子を胸に抱く。不慣れなぎこちない両手でそっと抱き上げる。なんと愛おしいのだろう。なんて軽いのだろう。胸がいっぱいになる。彼女はやわらかくて温かかった。胸にジーンときた。リラックスチェアで約1時間半、とても穏やかで幸せな時間だった。2月7日。1310グラム。それまでチューブで注入していたミルクを哺乳瓶で直接口から飲むようになった。30CCを1日8回。面会に行ったときに、看護婦さんにやり方を習いカンガルーケアのあと、授乳に挑戦する。とても緊張し汗をかく。ゆっくり、少しずつ飲んでいるので途中で眠ってしまう。眠ってしまうとうまく飲むことができないので、足を刺激しながら起こしては飲ませる。また、あまり夢中になって飲んでしまうと、呼吸を忘れてしまうらしい。一瞬で鼻と口の辺りが青白くなってしまう。哺乳瓶を口から放して背中をぽんぽんと軽くたたくと呼吸を始め顔色もすぐに戻る。呼吸を忘れてしまうなんて、何て心細いことだろう。2月9日。1368グラム。とうとう保育器を卒業。ベビーベッドに寝ている我が子を、いつ抱いてもよいことになった。保育器の中では紙おむつだけだったのが、タオル地のベビー服を着せられて心地よいらしく穏やかな顔でうとうと眠っている。基本的には搾乳した母乳を哺乳瓶であげていたが、面会時に直接母乳をあげる練習を始める。体が小さい分口も小さく、乳首に吸い付く力も弱い。なかなか口を開けない、やっと口を開けさせ子供の口に含ませてみてもすぐに出してしまう。吸い付こうとしてもうまくいかない。看護婦さんが子供の頭を持ち、子供の口を開かせ、二人がかりで頑張るがなかなかうまくいかない。この頃には毎日昼ころから夕方まで詰めていた。あっという間に時間が過ぎていく。2月13日。1454グラム。退院も近いらしい。看護婦さんの指導のもと、初めての沐浴練習。左手で子供の首を持ち、右手で体を支えベビーバスに体を沈める。10分程度で手早く済ます。何とか終わると緊張で全身汗だくになってしまった。額から流れる汗を拭っていると看護婦さんが笑いながら「すぐに慣れますよ」と言ってくれた。哺乳瓶からは飲めるようになっていたが直接母乳を飲めるにはまだ時間がかかりそう。それにまだ小さい。主治医に退院後の不安を伝えるが、これまでとても順調で何の心配もなく、かえって早く自宅に戻って馴れた方がいいとのこと。たくさん抱っこしてあげてください。と言われた。2月19日。1550グラム。ついに退院。朝から小雪のちらつく寒い日だった。この日、彼女は初めて外に出た。初めて自宅に帰ってきた。何もかも初めてが始まる。真っ白な人生が始まる。親は、子に親にしてもらうという。ひとつずつ、ひとつずつ積み重ねていきたい。出産後、3ヶ月たった頃私の血圧も正常に戻った。5月20日。4600グラム。このまま健やかに成長していくことを願う。 ― 完 ―
2005/05/20
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(高齢出産の罠 その二の続き)手術の翌日。体はまだふらふらして、水の中にでもいるような、膜でもはったように焦点が合わない。人の話がワンテンポ遅れて聞こえてくる感じ。頭の芯がぼんやりしている。面会時間になると夫が来た。看護婦さんが車椅子を用意してくれ、夫がそれを押し、同じフロアにあるNICU(新生児集中治療室)へと向かった。インターホンで来訪を告げ、自動扉を2つ抜け、石鹸で手を洗い、専用のエプロンを着ると夫についてNICUへと入っていった。中は、一定の温度、湿度、明るさに設定された静かで穏やかな空間だった。壁側に保育器が並びコンピューターのモニターが見える。小さく童謡の歌やオルゴールなどが聴こえてくる。私たちが入っていくと看護婦さんたちが「こんにちは」と声を掛けてくれる。穏やかな空気が流れる。私たちは頭を下げながら、夫の後ろについて奥の方にある保育器の一つの前に立った。出産後初めての対面である。1キロを少し超えたばかりの我が子は、小さくて、骨に皮が張り付いただけの細くてシワだらけなbabyだった。いたいたしげだった。目にしたとたん涙が溢れてきた。生まれてくれたこと、無事でいてくれたことに感謝し、あまりに小さいことが不憫で申し訳なく、こうして会えた喜びと、もう何もしてあげられない切なさとが一緒くたになってしまった。ぼうっとした頭の中をグルグル色んな思いがよぎった。ごめんね、ごめんね、声にならない思いが頭の中を回る。担当の看護婦さんが来て、とても元気なことを話してくれ、主治医も順調で今のところ特に心配はないと言ってくれた。何もかもがありがたく、涙が溢れ「ありがとうございます。よろしくお願いします」と言うのが精一杯だった。恥かしくなるほど涙が溢れた。保育器の小窓から手を差し入れてそっと我が子に触れてみる。温かくやわらかく、乱暴に扱ったら壊れてしまいそうに繊細だった。体温調整がまだ自分でできないため保育器の中の温度湿度が一定に保たれ、紙おむつ1枚で寝ている。いく本かの線が体につけられて呼吸するたびに体が上下する。一生懸命生きている― そう感じた。その小ささは、繊細さはとても脆そうでいて、強い生命力を感じた。「ありがとう」「がんばってね」と何度も声を掛けた。「ごめんね」を言うと涙が止まらなくなるから敢えて言わなかった。その晩、看護婦さんに胸のマッサージを受け翌朝は、ぱんぱんに胸が張って痛くなった。熱をもって張った胸を冷やしながら、飛び上がるほど涙がにじむほど痛いマッサージを受け、やっと初乳を10CC搾り出した。初乳というのは、赤ちゃんに必要な成分がたくさん含まれたとても大切なものらしい。それを持ってNICUへと向かう。最初の授乳は鼻からのチューブで1回2CCを3時間かけて1日8回ということだった。ときどき呼吸を忘れてしまう無呼吸発作になるらしく、心配だ。見ている間にも呼吸を忘れて看護婦さんにトントンと背中を押されている。私はそんな様子をどきどきしながら見守るだけだ。私の血圧はまだ高く、薬を飲みながら3時間ごとに搾乳し同じフロアのNICUへ届ける。看護婦さんが「こんなことをしてたら血圧下がらないよね、ごめんね」そう言って私の搾乳を手伝ってくれる。私は歯をくいしばり痛さに耐えるだけ。NICUの面会時間は決まっているけれど母親は24時間いつでも面会ができることになっている。絞りたての母乳を持って1日7回くらい面会することができた。保育器の中の我が子は眠っているときが多く、眠りながらも手足を大きく動かしている。お腹にいるときもずいぶん動いていたのが納得できるというものだ。まだ口から飲むことができないので、鼻にチューブが入って直接胃に入るようになっている。チューブからミルクが入っていくと、口をむにゃむにゃ動かすのが可愛いらしい。妊娠中毒症の研究をしているという医師がやってきて、私の胎盤を研究したいので提供して欲しいとのこと、妊娠中毒症はまだ原因や予防法などわからないことが多いそうだ。喜んで同意した。少しでも研究の役にたって中毒症の予防や治療ができたら、どんなによいか―。手術から8日目、私だけ退院となる。朝食前に搾乳したミルクを持って面会に行き、しばらく眺めていた。夫がやって来て荷物の整理などし、最後にもう一度NICUへ向かった。今までは同じフロアにいて24時間いつでも面会ができたのに、今日からは別れ別れになってしまう。なんて、心細いことだろう。毎日、何度も触れていたのに…淋しい、淋しい…。なるべく考えないようにしていたけれど、看護婦さんの「淋しくないですか?」の一言でこらえていた涙がまた出てきてしまった。あーこらえ性のない涙腺よ…「元気に大きくなって退院できるまで、がんばろうね」と我が子に声をかけ病院を後にした。(その四に続く)
2005/05/19
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(高齢出産の罠の続き)の1月2日。今のところ薬で血圧も安定している。朝食→胎児心拍モニター→昼食→シャワー→夕食→就寝、その合間に血圧測定、9階のみの安静という生活が始まった。夫は退屈しないようにと、文庫本、絵本、スケッチブック、色鉛筆など持ってきてくれた。私にできることは、気持ちを楽にして安静にしていること。ベッドの上で起き上がって雑誌を見ていると、看護婦さんに安静にしていてくださいと注意される。ベッドに横になる。すると、よくないことが頭をよぎり涙がでてくる。正月に病院のベッドで一人、感傷的になる。万が一を思うと、もしも子供だけ助かったとしたら、なんと子供が重荷を背負うことになってしまうだろう、など考えてしまうと、つらい。―悲観的になるのはやめよう。きっと、何もかもうまくいく―それからは、子供の名前を考えることにした。大体のところは決まっていたが、画数を考えると違う漢字を使おうかと迷っていたので、パズルのように色々な漢字を当てはめては時間を過ごした。少しでも、生むのを先に延ばして赤ちゃんがお腹の中で育ってくれるのを願うが、気になるのは蛋白がでていること。胎児に栄養がいかなくなって成長が止まってしまうらしい。せっかく血圧を抑えてもそれでは仕方がない。救いは、超音波で見る子供は、とても元気に動いている、落ち着きがないくらいに。祈る気持ち。どうか…1月4日夜の11時過ぎ、いつものように看護婦さんが血圧を測りにくる。何度か測りなおして「頭痛くないですか?目がチカチカしないですか?」と聞かれる。血圧が上昇したらしい。医師が診にきて血圧を下げる点滴が始まった。医師から「おそらく明日帝王切開になるだろうから」と飲食を止められる。体が熱く、首筋がパンパンに張っている。咽が渇くが水分も止められている。しばらくして再び血圧測定。まだ下がらないらしい。点滴の目盛りを上げていく。お腹をなでて「がんばろうね」と何度も声をかける。長い夜だった。翌朝個室に移される。病院から呼び出された夫が付き添う。更に首筋が張って、頭はぼうっとして、体は熱くふらふらする。咽が渇くが水分はとれない。濡れタオルを顔にあてると少し楽になったような気がする。夫がそばにいるが話す気力が出ない。夫がナースステーションで氷まくらを借りてきてくれて少し楽になった。主治医と麻酔科の医師がやってきて手術の説明をする。1時30分。手術室へと移動となる。移動の際、ベッドからぬけるような青空が見えた。2時20分―手術台から時計を見る。背中に麻酔をうつ。脊椎麻酔と硬膜外麻酔だ。何度か声を掛けられ麻酔が効いたのを確認すると手術が始まった。器具のカチャカチャいう音と医師の話し声だけ聞こえてくる。3時10分。「うんぎゃー」という泣き声が聞こえ「ああ、無事に産まれたのだ」そう思うと涙が出てきた。それから、小さな我が子が助産士さんに抱かれて目の前に連れてこられた。「元気ですよ、女の子ですね」と助産士さんが言った。小さな小さな赤ちゃんだった。涙が溢れてきた「ありがとうございました」とやっと言うと「では検査などありますから連れていきますね」とすぐに目の前から連れていかれた。ほっとした。4時過ぎ個室に移された。頭を持ち上げてはいけないと言われ、身動きのできない体勢。足は術後肺塞栓予防のため弾性ストッキングと、自動のマッサージ機がつけられ定期的に圧力がかかるようになっていた。お腹には、もう子供はいない。一人になってしまった。すべては終わったのだ。無事にこの世に誕生したのだ。昨日とは違う今日が始まった。体調の方は相変わらず頭が重く、首筋が張り頭はぼうっとしている。夫が「少し眠った方がいいよ」と言ってくれたので頷いて目を閉じるが、眠った瞬間に鼾をかいて、その音に自分で目を覚ます。その繰り返しでちっとも眠ることができない。自分の鼾で眠れないなんて滑稽で悲しく、しんどい。痛み止めは効いているものの体を動かすとやはり痛い。身動きのできないまま、一瞬寝ては覚めるの繰り返し。悪夢のようだ。面会時間が終わると夫も帰り、また長い夜となった。病院の夜は特別だ。静かにゆっくり悲しいほど正確に時が刻まれるような気がする。自動マッサージ機の空気が入るシューシューという音と空気が抜けるプシューという音が定期的に響く。お気に入りのCDを繰り返し聴いた。咽がからからに渇いて、お水、コーヒー、お茶、ココアを飲むこと想像する。飢えるとは、欲するとはこんな気持ちなのだと実感する。確か朝にはお茶が飲めると言われた気がする。それまでの辛抱だと何度も思う。点滴の目盛りを確認にきた看護婦さんが「口をすすぐと少し楽になるかもしれませんよ」と言って水のみと寝たまま出せる桶を持ってきてくれた。水のみの水はとても冷えていて、飲み込むことはできないけれど、それはそれはおいしい水だった。生き返った感じ。ほんとうに、そのときの看護婦さんが天使に見えた。そうして、長い夜が明けた。(その三に続く)
2005/05/18
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2005年1月5日。予定より2ヶ月早く女児を出産した。妊娠中毒症のため緊急帝王切開で。やっと1キロを超えるほどの大きさだった。現在は順調に成長している。寝顔を見ながら、思う。誕生とは奇跡だ。初めての妊娠出産を振り返ってみようと思った。その一41歳で妊娠。驚きと喜びでいっぱいとなり、この幸せに感謝した。順調だったはずの妊娠が28週の定期検診から血圧が少し高くなり、尿検査で蛋白が検出されるようになった。主治医から妊娠中毒症の疑いがあるから注意していきましょうと言われる。妊娠がわかったときから、漠然と恐れていた病名。高血圧、蛋白尿、むくみがその症状といわれ、重症になると母子共に危険な状態になる場合もあるらしい。つわりが治まったころから塩分を抑えるようにし、週3日は仕事を続けていたけど、なるべく体を休めるようにしてきた。安静と、適度な運動はその接点を見つけることが難しい。そして、12月28日最後の仕事を終え、後はゆっくりと出産まで有意義なマタニティライフを満喫しようと思っていた。29日、正月用の食品などを買い込み正月に備える。30日、今年最後の定期検診。その日の先生は厳しい顔をしている。もう一度血液検査をした後しばらく待っていると、先生に今の状況を説明したいのでご主人を呼んでくださいと言われ、自宅に電話する。まもなくやって来た夫と二人、先生の話を聞く。血圧が高くなった為にかかる母体への負担と危険、蛋白が出て胎児の成長の妨げになる場合無理に妊娠の状態を継続するよりも、帝王切開で出してしまった方が母子共によい場合もあるとのこと。そして私の状態はあまりよくないらしい。正月に入ってしまうので設備の整った病院に転送したいとのこと。その場で、先生が私を受け入れてくれる病院を探して電話をする。何本かの電話の後、やっと受け入れてくれる病院が見つかり、救急車に乗り大学病院へと転送された。病院に到着すると、車椅子に乗せられ、長い廊下を進みエレベーターに乗り幾つかの扉を抜け分娩室に連れて行かれた。すぐに自動血圧測定器をつけられ、降圧剤を飲み様子をみる。高い診療台に横になったまま色々な説明を受け、その都度サインをしていく。血圧の上昇で母体が危険になった場合主治医の判断で緊急帝王切開にするというのも含まれていた。2時間ほどで血圧が安定してきたので、個室に移される。9階のその病室から、ランドマークタワーをはじめMMのビル群が眺められた。29週と5日、医師からの説明によると30週に満たない胎児は呼吸器系がまだ完成されていない場合があるので、母体にステロイドを注射するのが有効だそう。ただし24時間あけて2回注射し効果は24時間後、つまり最初の注射から48時間後でないと効果は得られないそうだ。とりあえず薬で血圧は下がったものの、今後どうなるかはわからない。どうしますか?と問われ、ステロイドをお願いすることに。祈るような気持ち。どうか、48時間血圧よあがらないで!!12月31日。個室から4人部屋へ移る。小雪のちらつく寒空が見渡せる。ランドマークタワーも霞んで見える。胎児心拍モニターをお腹につけ30~40分データをとり胎児に異常がないか調べる。異常なし。夕方、2回目のステロイド注射。あと24時間―。ベッド備え付けのテレビで紅白歌合戦を少し見て、行く年くる年を少し見た。思いがけない年越しだ。1月1日。とてもいい天気。絵の具を溶いたような淡い水色の空にMMビル群が浮かんで見える。シャワーの許可がおりて、気分もすっきりした。相変わらず、薬で抑えているものの血圧は高く、頭がぼうっとして首の後ろが張って痛い。大丈夫、大丈夫。前向きに考えよう、きっとうまくいく。とつぶやく。夕方、最初のステロイド注射から48時間経過し、ほっとする。(その二に続く)
2005/05/17
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先日、念願のデジカメを購入した。今まで使っていたものは撮影画像はきれいだけど、シャッター速度や次の動作が遅いのが難点だった。撮るタイミングがずれてしまい、撮れなかったり、動くものだと画面の端っこに少し写っているだけだったり、あと少々大きめ。それらをクリアし、いつでもどこでも携帯し撮るのが苦にならない機種を検討した。調べてみると、ホントにたくさんの機種があるものだ。そして、用途もたくさん。最初に候補に上がったのから、調べていって迷いに迷って、先日やっと購入に至った。いろいろ調べて、迷ったから、愛着もわいてくる。さっそく、デジカメをもって近所を散歩。遊歩道の手すりが長い影をつくっている。だいぶ黄色の葉を落としている桜の木々。もみじが真っ赤に紅葉して、下から見上げると隙間から日差しがこぼれ、風に揺らされた葉の影が揺れる。とても、キレイ。すすきの群れが日差しを浴びて金色に輝いている。農家の庭のフェンスには大根がたくさん干してある。乾燥した落ち葉を踏みしめると、乾いた音がカサカサと耳に心地よい。日向と日陰のコントラストが強く、まぶしさに目を細めてゆっくりと周りを眺める。晩秋の恵みを全身に受けて、本日の散策は終了。カメラに切り取られた四角い季節は、風や匂いは運んでくれないが、記憶のインデックスになってくれる。それは記憶よりも、リアルだったりもする。おもしろい。とても、オモシロイ。
2004/12/02
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車って、眠くなりますよね。私はここ数年、車の運転はしなくなってしまった。昔は必要に迫られて運転していたけれど、車のない生活を4~5年してる間にすっかりペーパードライバーになってしまった。今はもっぱら、助手席でのんびりとさせていただいている。しかし、自分が眠くなるころ、運転手も眠そうになっていることが多い。最初は、お茶飲む?コーラあげようか?おやつ食べる?あめもあるよ…と声をかける。このごろは、これはいかん!と、「しりとりしよ~」とはじめる。しりとりに飽きるとそれから、日本語の色を順番に言っていった。やがて色が思いつかなくなって四文字熟語を始めた。四文字熟語なんて結構口からでるかと思ったけれど、意外とすぐにつまってしまった。考えるけど、思いつかない。頭真っ白になってしまう。…脳が…止まってしまう。悲しい現象。…しかし、眠気も覚めて無事に我家に到着!まっ、いっか~車に乗っていて眠くなってしまうとき、みなさんはどうしてるの?前に古本屋で買った四文字熟語365日って本を開いてみる。今日の11月13日を見る。「安心立命」あんしんりつめいーとある。私はこの言葉知りませんでした。心安らかに天命に身をまかせ、いついかなる場合にも迷わず動ぜず落ち着いて晩年を過ごす。ということらしい。それは、理想的な晩年ですねえ。晩年て、いくつからなのかしら…?―日記をアップしないままに日が過ぎてしまった。今日は11月18日ついでだから今日の四文字熟語も見てみよう。「質疑応答」でした。ふ~ん…
2004/11/18
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思い立って、絵日記を描きはじめた。B5版くらいのスケッチブックに、色鉛筆でこまこまと絵を描き横にコメントを入れていく。描き始めると楽しい。食べた鍋の材料とか、花屋で買った鉢植え、プレゼントにもらったCDジャケットなど描きこんでいく。色鉛筆は支度も後片付けも簡単でちょこちょこっと描けるのがいい。うん、とてもいい。…しかし、行き止まってしまう。絵が拙くて。目の前の静物とか描くならまだいい。見ながらとりあえずそれっぽくは出来そうだから。しかし、日記は記憶をたどっていく作業があって、さらにそれを形にしなくてはならない。マグロを食べに三浦半島の三崎へ行って、帰りに城ヶ島へ行ったけど、どんなだったっけ~??う~ん。記憶だけでは、絵にならない。っていうか、絵に出来ない。やっぱり、モノをきちんと形で捉える訓練をしなければ!!それと、やっぱりデジカメは私の記憶を補助するためには絶対的に必要だわ。と思い至るのでした。我家のデジカメは少々大きめ。できたら、もう少しコンパクトなものを…そして、道具好きの私は、120色入りの色鉛筆に心をときめかせているのです。あ~…なんてキレイな色。グラデーションが美しい…ああ…ため息がでてしまう。自分へのプレゼントで買ってしまおうかしら…?う~ん、でも、今ある色鉛筆でも十分なのよね…大切なのは、描くこと、描き続けること。わかってるんだけどねえ。でも、道具も好きなのよ…
2004/11/12
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子供の頃、母が好きだったのか、ラーメン屋さんによく行った気がする。そこで見かける光景に、ラーメンとライスを注文し麺を食べ終わった汁にライスを入れて汁ごと食べる働き盛りの若い人の姿があった。子供心に、食べ終わったラーメンの汁にご飯を入れて食べるなんて、決して上品ではないし、美味しそうにも思えなくて、ラーメンだけではお腹がいっぱいにならない人たちの、お腹をいっぱいにするための仕方のない方法だったのかと思っていた。だから、大人になってからも、ラーメンにライスを注文する人には、なんとなく違和感を覚えた。勝手な思い込みなのだが。ダンナもラーメンにライスを注文する人だった。チャーシュー丼も、明太子丼もあるのに、ライスがいいのだそうだ。わたしは不思議で、なぜラーメンにライスは外せないのか聞いてみた。麺とライスを一緒に食べるのが旨いというのだ。―えっ?汁とご飯じゃないの?―違うんだよ。麺とライスなんだよ。私は俄然興味を持った。ラーメンとライスの関係は、汁と結びついていたと思っていたから。ダンナのライスを少しもらって、麺と一緒に食べてみた。―う~ん、おいしいっ。ご飯の甘味と麺の複雑な味が混ざって、何ともいえない味になっているのだ。初めての体験だった。すごく新鮮な驚きだった。何度もひとり頷きながら、ダンナからライスを分けてもらって食べた。麺にもいろいろあって、ライスに合う麺合わない麺があるそうだ。麺の味がわりとしっかりしたラーメンが合うらしい。私は、教えを請う生徒のように真剣に頷いたのだった。世の中には私の知らない世界が、たくさんあるのだなあ、とつくづく思った。ちょっと、嬉しい発見だった。
2004/10/30
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3ヶ月弱の間、池波正太郎の世界にどっぷりとつかっていた。仕掛人梅安から始まって、剣客商売、鬼平犯科帳シリーズと…何回読んでも新鮮で、粋を感じる。しばらく、それらのシリーズを続けて読んでいると、人情味ある暖かい視線に自分が見守られているような錯覚を覚える。小説中の江戸時代の人が現代の私を見守っているっていうのも変だけど、とても大きな愛が時代やいろいろなカセをとりはらって、そこに存在するような、そんな気がしてしまう。鬼平シリーズは全24巻。それだけあると、読みすすんでいくうちに実に情が通うのだ。自分の一部であるかのような錯覚。ちょっと浮世離れしてしまう感じ。そんなわけで、後半になっていくと泣けてしまう。言いたいけど言えない登場人物の心の内や、その人々の今まで培ってきた信頼関係を読者の私はしっているから、口に出せないでいる相手の心情を、また無言で見守る登場人物の心が痛いほど心に沁みてくる。言葉に出来ない熱き心が存在する。嬉しいのでもなくかなしいのでもなく泣けてしまうのである。その涙のわけは何だろう…伝えたくて伝えきれない切なさ、信じることへ命を賭ける潔さと美意識。しいては生きていることの切なさだろうか…。私の心は江戸時代と現代を行きつ戻りつしている。
2004/10/28
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もう、10月も中旬というのに我が家の朝顔は今を盛りに咲き誇っている。夏の暑い間中、蔓と葉ばかり茂り、なんともさびしい眺めであったのが、9月の声を聞く頃からひとつふたつと咲き始め、今では伸びた蔓にたくさんの花をつけている。今日の私なんて、晴れているけど気温が低いのか、ハイネックの上にセーターを着込み厚手の靴下にひざ掛けを使って、まるで冬仕様の姿なのに…朝顔さんは寒くないのだろうか?2階の窓を開けて、下の朝顔を眺めてみる。風が冷たく身震いして窓を閉める。やっぱり、さむい…。窓から見える景色も少しずつ、季節を移ろいでいく。今日は栗ごはんでも作ろうかしら。栗と酒とこぶと塩だけの、割とあっさりとした栗ご飯。季節感があって、大好物の一品。だけど、いつも栗の皮をむくのに苦労する。水につけておいたり、下ゆでしてみたりとしてみるけれど、中々手間がかかるし、手が痛くなる。どうするのが、一番楽かしら…?美味しいものを食べるには、苦労を厭わずにってことかしら…美味しい季節ですものねえ…
2004/10/15
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このごろは雨ばっかりで、ほんとうにうっとおしい。洗濯物はたまるし、家の中もじめじめしていやんなってしまう。で、今日は久しぶりに晴れたので、海岸あたりまでダンナと昼食&ドライブに出かけた。七里ガ浜の珊瑚礁というカレーやのテラス席でカレーとサラダをほおばりながら、暑からず寒からずの久々の日光浴をした。波もあまりなくサーファーが一人、沖に向かって波待ちしているが穏やかな水面はちっともサーファーを満足させる波はやってこない。海に浮かんでご機嫌な午後を楽しんでいるだけだろうか?穏やかな海に陽光が射し込んできらきらゆらゆらと反射している。たまには、こんなランチいいね~と、大満足でした。
2004/10/14
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久しぶりに爽やかに晴れた。朝から洗濯や簡単な掃除をすると、とても眠くなって布団にごろりと横になる。もう、すぐにも目がくっつきそうになる。トントントン… 居間にいたねこの階段をのぼる足音が聞こえてくる。部屋の入り口にくると「にゃあ」と一言いってさっそくわたしの布団に上がってくる。ここでも「にゃあ」とにかくおしゃべりさんで、よく話し掛けてくる。わたしのお腹の横あたりで、まあるくなるともう、眠そうな顔をしている。ねこのおでこあたりに私の鼻をくっつける。これが私たちの親愛の挨拶。一日家にいると、ほとんどついてくる。ぴったりくっついているというよりは、同じ部屋のどこかにいる。やさしくて、あったかくて、かわいくて。いつもいつもたくさんの幸せをもらっている。ごきげんねこさんとの、ごきげんな時間。
2004/10/06
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雨は、強くもなく弱くもなく、風が止んでいるため、細い線となって地面に垂直に落ちてゆく。頭上を見上げ雨らしい雨だなあ…と考えながら、私は仕事場へ向かう商店街を歩いていた。子供のころは今のように全て舗装道路というわけではなく、細い道などには当たり前に水溜りがあり、ぬかるみがあった。そして、雨の日は長靴を履いていた。ふと、思いは子供のころにとんでいく。長靴をはいて水溜りにはいるときの、わくわくした気持ち。白い長靴が欲しくて買ってもらったっけ…白くてくるぶしのあたりにベルトのデザインがあるやつ。雨の日しか履かない長靴だから、かかとの減りは少ない。友達の赤い長靴の、きれいにかかとが減っていていかにも足に馴染んでいる感じがちょっぴりうらやましくて、自分の長靴も早くかかとが減るように一生懸命歩いた。さした傘を持ってくるくると勢いよく回すと傘の柄が溶け合って別の模様になる。そんなことも面白かった。小学校の通学途中の川が増水して違う景色になる。雨の日や、雨上がりは道草の時間が長かった。そんな、そんなささいなこと、何がそんなにうれしくてわくわくしたのか大人になった今となってはわからないけど、わくわくした記憶だけははっきりと残っている。時間とともになくしてしまった大切なもの。多分、服が雨に濡れることや、雨水が足に掛かることや、雨から手荷物を守るなど、やっかいなことは頭から抜けていたのだろう。ストレートに、雨に対峙していたといおうか、純粋に雨を感じていたとか、そんなことだったのだろう。大人になるといろいろ面倒がある。この服は買ったばかりだからまだ濡れてシワにしたくないとか、濡れるとヘアスタイルが乱れるとか、風邪ひくのではないかとか、いろいろだ。不自由だなあ、とも思う。十分大人になったいま、お気に入りの傘と長靴とレインコートを着て、雨らしい雨の日に思いっきり歩いたら、楽しいかしら…楽しそうな自分を想像する。純粋に雨を楽しむ自分を想像する。
2004/10/04
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何とすがすがしい季節であろう。からりと晴れた空、乾燥した空気が肌に心地よい。そよやかに吹く風。木々の葉が少しだけ黄色掛かって、陽の光をやさしく浴びて揺れる。あ~。しあわせ。夏は暑くなくちゃ!と、夏が好きな私だけれど、やっぱり、秋もいいなあ~と、つくづく感じてしまう。その心地よさは、「夏は好き」と頭で思うのに対して、もっと、無防備に「体感してしまう」という感じ。きっと、体にも心にもやさしい季節なのでしょう。数年前までは、オフィス勤めだったので、夏は通勤電車や会社内の冷房に責めつけられ、秋になると、体がだるくなっていたけれど、ここ数年は冷房のあまり効かない職場だったので、夏の暑さにはぐったりとしたものの、秋に入ってからのだるさはあまりないような気がする。まあ、最近は良く寝てるせいかもしれないけど。この時期、街に漂う香り。キンモクセイをまだ見かけていない。やまぶき色の小さな愛らしい花をつけ、どこからともなく甘い香りでその存在感を知らしめる。住宅地の散歩をしているときなど、ああここにもキンモクセイあったのねえ…あら、ここにも。と、こころ楽しくそぞろ歩きする。我が家のキンモクセイは、昨年引越しをしてその後の植えつけの時期が悪かったのか、今年は花をつけていない。まあ、いろいろ忙しかったから、仕方ないなあと思うけれど残念ではある。キンモクセイで思い出すのは、私がまだうんと子供だったころ、キンモクセイの甘い香りに惹かれて、小さな花を小ビンに集めた。コルクの蓋のついたきれいなビンに。蓋をあけると甘い香りがふんわりと漂う。キンモクセイの木の下で香るほどの強さはないけれど、美しい、懐かしげな甘さの漂う小ビンに私は満足した。そしてそのアイディアに満足した。翌日、花は萎れ、数日でそれは汚いものになってしまった。私はショックを受けた。生きているもののはかなさと切なさ、自分の思い通りにいかないもどかしさと、驚き。夢の跡形。そんなものを漠然と感じたような気がする。今でも、ときどき思う。幸せなこのひととき、美しいこのひととき、小箱や額縁に閉じ込めることができたらなあ… と。そのかなわぬ夢と、甘い香りが切なさを誘うのだろうか…記憶にとどめることが、その思いのすべてなのかしら…甘く切なく懐かしい香り…。
2004/10/02
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気分が悪い日が続き、もしやと思い病院に行ってみると、妊娠2ヶ月との結果がでた。とにかく、驚いた。思ってもいなかったから。だいぶ前、20代の終わり頃、不妊治療を受けた。色々な検査を受け、特に大きな問題はないようだったが、とにかく通院して経過を待つという時間を過ごした。なんとも、不毛な日々だった。病院へ行けば授かる、というものでもない。自分で自分の気持ちを追い詰めてしまう「どうして…?」と。精神的に参ってしまって、通院を止めた。その後、まあ、いろいろあって離婚を経て、3年と少し前に再婚した。もう、年齢的にも、子供は無理かな…と、思っていたから、まさか…と驚いたのだ。妊娠という反応が出ても、まだわからない。そのまま流産という可能性もある。ぬか喜びになるのが怖くて、妙に冷静だった。たなぼたみたいな幸せなんて、そう簡単にあるわけない、とか、考えて素直に喜べるには少し時間が掛かった。そして、つわり。一日中二日酔いの気分。太陽がまぶしくて、頭の中や目の前に膜が掛かったように、うつろにぼんやりとしている。体を動かすのが億劫で、動作がのろりのろり。何もする気になれない。ただただ時間が過ぎて行くのを、ぼんやりと見送っていた。何とか仕事に行って、休みの日は一日中ごろりと横になったまま。食べ物の匂いがダメで、涙ながらにダンナにご飯の支度が出来ないと、困らしたりした。泣かなくてもいいのに、気持ちが不安定になっていたようだ。ごろりとしたまま、池波正太郎の藤枝梅安から始まって、昔読んだ剣客商売シリーズ、今は鬼平犯科帳を読んでいる。とりあえずシリーズものは次に何を読もうかと迷わずに、読み進められるからありがたい。何度読んでも、面白い。人の心の機微とか、間合い、人間関係の呼吸とか、決断と責任とか、命についてとか、あったかい温情が底にあって、決して読み手を裏切らない。人の魅力が散りばめられていて、目が離せなくなる。そして、今4ヶ月も後半となった。何とか、つわりも少し楽になってきたようだ。お腹に手をあてて、語り掛けてみる。そんな日常になっていくだろう。
2004/09/25
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このごろ体調が思わしくなく、ついつい日記も怠りがちです。何といっても集中力に欠けて、とにかく眠くなってしまうのです。ずっと、書いてないな~と、気にはしているのですが…まあ、細々とでも気楽に書いていきたいなあ…と、思っています。池波正太郎の鬼平犯科帳シリーズや剣客商売など好きで、いっときはまってました。江戸期の地図を眺めたり、深川の辺を散策したり、今も残る地名などを見ても聞いてもわくわくしました。最近になって、仕掛人藤枝梅安シリーズは読んでいないのを思い出して、いそいそと読み始めました。やっぱり、やっぱりおもしろいんですよね。人の心のありようとか、距離とか、存在とか、善があって悪があって、それらは表裏一体で。圧倒的です。どのシリーズでもものを食べるシーンがたくさんあって、わたしは気になって仕方ありません。仕掛人梅安が信頼している彦さんに「胃がだいぶんにいたんでいるよ」と言って、大根と油揚げのみの土鍋を出すシーンがある。実に美味しそうなのだ。とてもとても気になって、買い物の時に大根と油揚げを買った。昨日は違う献立だったので、大根と油揚げはまだ冷蔵庫の中だ。そしたら、夢にでてきてしまった。夢の中で大根と油揚げを煮て、まさに食べようとしたときに目が覚めてしまったのだ。あ~ん、残念。もう少しで食べられたのに~。で、今日作りました。このシーンでは鶏だしだったけど、少しさっぱりめにしたくて、昆布と薄口醤油と酒と塩であっさり味付けました。季節的に大根は美味しくないかな、と心配だったけど、とてもとても美味しくできました。仕掛人藤枝梅安の世界に少し近づいたみたいで嬉しかった。体調がいまいちで、ついさっぱりしたものなど食べたくなります。
2004/08/14
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人には得手不得手があるけれど、わたしはどうやらモノを立体的に捉える感覚に欠けているような気がする。以前の仕事は、家具や展示会のプランを書いたりしていた。当然図面も必要で、平面図、側面図、断面図、詳細図など書いていたが、頭の中で何回も何回も考えないとイメージがわかず、ありえないへんてこな図面を書いてしまうのだ。意図的ではないエッシャーの絵みたいになってしまう。普通そのような仕事に関わっていると、いくつかの図面をみるとだいたいのモノのイメージがわくはずなのだが、わたしの場合はゆっくりと、上から見るとここはこうで、そこを横からみるとこうなって、そこのつながりはエート、ああこうなのね…と、すごく時間がかかる。時間がかかる割に勘違いも多い。モノを見る感覚が未発達のようである。多くの人はそんな訓練をしなくとも、モノを立体的に捉える能力は豊富なのだろううか…?わたしの好きな雑誌の中に通販生活というのがある。季刊誌である。中の商品も魅力的なものがたくさんあるが、読み物が面白かったりする。今はもうなくなってしまったコーナーだが、投稿企画 ナンシー関の記憶スケッチというのがあった。とにかくお題になったものを、読者が記憶だけを頼りに描き、送ったものを、ナンシー関がコメントを入れるというコーナーだった。お題は、亀、猿、カエル、ウルトラマンなど、わりと簡単そうに思えるもの。それが、とにかく笑える。子供から90歳以上の大人までさまざまな方の、記憶スケッチ。え~、そんな、どうしてこんなになっちゃったのぉ~?とか、この絵はひどいよね~とか、とにかく不思議な絵なのだ。そしてナンシー関のコメントがまた良いのである。二重に笑えるコーナーだった。ダンナとしばし笑いあったあと、わたしたちの記憶ってどうだろうねーと、記憶スケッチごっこをやってみた。ねずみとか、パンダとか、象とか…。出来あがった「作品」を見て、我ながらすごい!と思った。ダンナは割と特徴をつかんで、なるほど~という絵だったが、わたしときたら、通販生活のコーナー顔負けのけったいな絵を描いてしまった。なんと、記憶のおぼろげなことよ、ひとしきり笑った後は、デッサンの練習でもしようかと、真剣に思ったのだった。そんな絵心のないわたし。でも、色彩モノは好きなのである。90色入りのレンブラントのパステルや、48色入りのフェイバーカステルの水彩色鉛筆など揃えてもっている。たくさんの色が並んでいるのを眺めるのが好き。少しずつ紙に塗って微妙な色合いの違いを楽しんだり…。でも、本当は何でも、描きたいのだ。特に身近にあるそこら辺のもの。ビンとか、紅茶の缶とか、野菜とか。昔のスケッチブックには、少しだけ描いてそのままになっているのがある。また、何か描いてみようかな。どこか、出かけた先でさらさらっと、花や景色をスケッチするのが理想だけど、そこまでは長い長い道のりが待っている。まずは、何でも描いてみる。丸でも四角でも、とにかく始めなければ進むことは出来ないのだから。
2004/07/24
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数日前にショートストーリーを書いてみた。本当に短いオハナシ。書いてると楽しくて、割と一気に書いたって感じだった。短いけど、何だか嬉しくて日記にアップしてみた。それを、家人が読んで、不自然なトコや変なトコ、色々言ってくれた。聞くと「なるほどな…、やっぱりそこは不自然か…、ふむふむ、やっぱ唐突すぎるのね…」など、自分でも感じていたこと、指摘された。で、日記を削除して、せっせと、直した。短いとのことだったので、増やしたりもした。そしたら、おかしいとこなくなったけど、雰囲気は前のが良かったって…何だか、へこんでしまった。文章…むずかしいナア…。自己満足な文章だったのよね。何だか、書くの嬉しくて書いてたけど、自分の思ったり考えたりしたことの確認にもなるし、とかで書いてたけど何だか、良くわからなくなってしまった。そーいうときは、とりあえず、寝るに限る!よね。また、気分を変えて、がんばるにゃん…いま、お布団の中のみなさまに、すてきな夢を…
2004/07/17
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私の勝手なイメージの中の「アンティークショップ」というのは、ヨーロッパ調の家具や調度品、小物類に囲まれた、よい香りの漂うとても品のよいお店、です。で、「骨董や」というイメージは、何やら雑多なものが並べられ、やたら触ると手が汚れてしまう、ちょっとホコリっぽい匂い、よく見ないと見落としてしまうような、ちょっと不思議な空間。そんな勝手なイメージがあります。私がアルバイトに行っているのは、まさに骨董やで、天井からたくさんの照明器具が吊り下げられ、壁にはいくつかの柱時計や、額など並び、雑多なものが所狭しと、並んでます。ガラスケースには、アンティーク時計が並び、好きな人はそこで立ち止まり長い間眺めていく。時計については、本当に好きで詳しい人がたくさんいます。仕事場が近くの方は毎日のように休憩時間に立ち寄り、覗いていく。1ヶ月に1個くらいのペースで、腕時計、懐中時計、柱時計など買っていく。この方は動いていようがいまいが、あまり気にしない。ほとんど、自分で直してしまうから。また、その動かない、調子のよくない時計を直すのが、面白くてたまらないそう。そんな方なので、時計のことをたくさん教えていただきます。時には、来店するのを待ち構えていて尋ねる。そんなときも嫌な顔ひとつしないで、むしろ嬉しそうに一生懸命説明してくれる、とてもありがたいお客さまです。そして、アンティーク時計の修理、調整する技術者がとても減ってきているらしい。アンティーク時計の業界だって狭いものだし、技術者がなかなか育たないらしい。もちろん、時計の修理などを依頼する出入りの時計やさんはいるが、こちらもかなりのお年を召された方で、とても頑固で融通がきかない。先日も、新規開店の喫茶店のインテリアとして購入したお客様の柱時計を、その時計やさんにきちんと動くかどうかの調整を依頼したが、出来あがってこないので連絡すると、外箱の壊れを直すといってきかないのである。外箱の壊れはお客様も了承済みなのだが。「開店に間に合わないと困る」というと、「そんなに急がすのなら、直さない」ともいう。ではどのくらいで直るかと聞くと、怒り出してしまった。それらのやりとりは、時計やさんは耳が遠いので、大声で何度も何度も繰り返さねばならない。時計を大切に思う気持ち、最上の状態で送り出したい気持ちはよくわかる。長い時間を生きてきた、働いてきた時計たちだから、これからも永い時間を刻んでいってほしい、と思う。時計はとてもデリケートで、時計の置かれる状況等で微妙にずれたり、止まってしまったりするから。アンティークとは、多くの人の手を経て大切に育てられていくものなのだろう。何とか、時間を作って、店の時計たちを見守っていきたいなあ、と思う。結局、時計は開店には間に合わないので、同等品を貸し出して間に合わせていただいている。早く、修理が終わって、お嫁入り先に落ち着いてもらいたい、と思う。少し落ち着いたら、お茶を飲みに行くのを楽しみにして。嫁入り先でサボっていないか、心配しながら…
2004/07/12
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