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cozycoach @ Re:徳川忠長 兄家光の苦悩、将軍家の悲劇(感想)(11/20) いつも興味深い書物のまとめ・ご意見など…
2011.01.11
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 法然は房号で、諱は源空、幼名は勢至丸、通称は黒谷上人、吉水上人、謚号は、彗光菩薩、華頂尊者、通明国師、天下上人無極道心者、光照大士です。

 大師号は、500年遠忌の行なわれた1711年以降、50年ごとに天皇より加謚され、2011年現在、円光大師、東漸大師、慧成大師、弘覚大師、慈教大師、明照大師、和順大師です。

『選択本願念仏集』を著すなど、念仏を体系化したことにより、日本における称名念仏の元祖と称され、浄土宗では、善導を高祖とし法然を元祖としています。

 ”人物叢書 法然”(1988年12月 吉川弘文館刊 田村 圓澄著)を読みました。

 平安時代末期から鎌倉時代初期の浄土宗の開祖である法然の生涯を詳しく紹介しています。

 田村圓澄さんは、1917年奈良県橿原市生まれの日本史学者、仏教史学者で、1941年九州帝国大学国史学科卒業、同副手、1942年土浦海軍航空隊教授嘱託、海軍少尉に任官し、1946年塚本善隆の女婿となり、京都の妙泉寺住職となり、堀川中学校に勤務、京都大学大学院に入学し、1950年仏教文化研究所が設立され参加、1957年九州大学助教授となり、1966-1967年にはカリフォルニア大学バークレー校へ研究滞在、1968年法然上人伝の研究で文学博士(九州大学)、同年教授となり、1980年に定年退官し名誉教授、熊本大学教授となり、1982年定年退官し、九州歴史資料館長となりました。

 浄土宗研究をはじめ、古代仏教史で朝鮮半島との関係研究などに移行しつつ、東アジア仏教史研究を行っています。

 浄土真宗では、法然を七高僧の第七祖とし、法然上人、源空上人と称し、元祖と位置付けています。
 親鸞は、『正信念仏偈』や『高僧和讃』などにおいて、法然を本師源空や源空聖人と称し、師事できたことを生涯の喜びとしました。



 1141年に父漆間時国明石定明の夜襲により没したため、9歳で出家しまた。

 1145年に13歳で比叡山に登り、1147年に15歳で西塔北谷の持宝房源光について受学し戒壇院で戒をさずかり出家しました。

 1150年に18歳で西塔黒谷の慈眼房叡空に師事し、持宝房源光の源と慈眼房叡空の空をとって、法然房源空と改名しました。

 1175年に43歳で阿弥陀仏の本願の真意感得して浄土宗を開きました。

 1186年に54歳の時の南都北嶺の僧達と洛北大原勝林院にて問答した大原談義が知られています。

 1198年に66歳で『選択本願念仏集』1巻を著わしました。

 1207年に四国に配流され、1211年に京都に召還されましたが、1212年に一枚起請文著わし、1月25日に享年80、満78歳で没しました。

 法然の門下には弁長・源智・信空・隆寛・親鸞・長西・幸西・道弁・証空・蓮生・湛空らがいます。
 また、俗人の帰依者・庇護者としては、九条(藤原)兼実・宇都宮頼綱らが著名です。






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Last updated  2011.01.11 19:18:15
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