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cozycoach @ Re:徳川忠長 兄家光の苦悩、将軍家の悲劇(感想)(11/20) いつも興味深い書物のまとめ・ご意見など…
2011.06.07
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カテゴリ: カテゴリ未分類
 学ぶことのおもしろさと夢を実現する生き方、法然からトヨタ創業者まで、各界の成功者の苦楽の道に自身の人生を重ねながら、創造と発見の道を歩む学ぶよろこびを説いています。

 ”学ぶよろこび ”(2011年3月 朝日出版社刊 梅原 猛著)を読みました。

 学問のおもしろさと創造の夢を語るエッセイ集です。

 梅原 猛さんは、1925年宮城県生まれ、立命館大学文学部教授、京都市立芸術大学学長、国際日本文化研究センター所長、日本ペンクラブ会長などを歴任しました。

 生まれてすぐに愛知県知多半島の内海の名士で、梅原一族の頭領である伯父夫婦の養子となり、京都大学入学まで海と山に囲まれて過ごし、哲学から仏教の研究に入り、その間に、1972年に毎日出版文化賞、1973年に大佛次郎賞、1992年に文化功労賞、1999年に文化勲章を受章しました。

 少年の夢、生い立ちの記、創造への道、「発見」についての覚え書き、老木に花という構成で、ニーチェの言葉を踏まえて、忍耐期のラクダの時代、勇気と闘争のライオンの時代、創造の小児の時代について触れています。

 西田哲学の超克、ニヒリズムの死への誘惑から、生の哲学への転回、笑いの研究、日本文学・思想への独自の展開という歩みが語られています。

 生い立ちの記では、当時東北大学の学生だった実父の梅原半二、実母、石川千代、ともに学生だった実父母の結婚を梅原家、石川家が認めなかったため、私生児として誕生し、乳児期に実母を亡くし、生後1年9ヶ月で伯父夫婦の梅原半兵衛、俊に引き取られ養子となり、愛知一中の入試の失敗、私立東海中学に辛うじて入学、実家から2時間半をかけて通学し、1942年、広島高等師範学校に入学するが2ヶ月で退学、翌年第八高等学校に入学し、青年期には西田幾多郎・田辺元の哲学に強く惹かれ、京都帝国大学文学部哲学科に入学するも、父親は哲学科への進学を歓迎しなかったが、梅原の熱意が強いため許可したことなどに触れています。

 実父は工学博士で、トヨタ・コロナを設計し、トヨタ自動車常務取締役や豊田中央研究所代表取締役所長を務めました。



 大器晩成型で、40歳過ぎまで単著はなかったとのこと。

 その後日本仏教の研究を行い、釈迦からインド仏教・中国仏教を経て鎌倉新仏教までを述べる長編の仏教史を著し、古代史に関する研究的評論の連載を始めました。

 大胆な仮説により、梅原古代学、梅原日本学、怨霊史観といわれる独特の歴史研究書を多数著しています。

 老木に花では、85歳まで生かしてもらって、新しい哲学を創造しようと思っていると決意を表明しています。






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Last updated  2011.06.07 19:32:04
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