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cozycoach @ Re:徳川忠長 兄家光の苦悩、将軍家の悲劇(感想)(11/20) いつも興味深い書物のまとめ・ご意見など…
2011.11.22
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カテゴリ: カテゴリ未分類
 大震災で福島は大きな被害を受けました。

 ”福島で生きる! ”(2011年8月 洋泉社刊 山本 一典著)を読みました。

 福島原発から31キロの避難区域の震災から100日の記録です。

 福島と出会って25年、定住して10年、第二の故郷を離れないそうです。

 山本一典さんは、1959年北海道北見市生まれの田舎暮らしライターです。

 1985年から田舎暮らしの取材を始め、1986年に福島県都路村、現在の田村市都路町と出会い、15年に及ぶ交流を経て2001年に一家で都路に移住しました。

 耕作放棄地面積日本一という不名誉な記録も持つこの県で、少なくとも1000人単位の都会人が移住または一地域居住を始めているそうです。

 中でも移住者が多いのは、阿武隈山系の国道399号線沿いで、この事故で名が広まった飯舘村、浪江町の津島と赤宇木地区、川俣町山本屋、田村市都路町、川内村などは、隠れた田舎暮らしの先進地でした。

 著者はこの地で出舎暮らしの可能性を模索し、その楽しみ方を発信するだけでなく、ときには自らの体験から、田舎暮らしに甘い幻想を抱く都会人に警鐘を鳴らしたりしてきました。



 そこに起こった3.11の東日本大震災で、日本の福島は世界のフクシマになりました。

 その代償として地震津波、原発事故、風評被害という4重苦を背負って、100日を過ぎました。

 しかしまだ、どれ一つとして問題は解決していません。

 むしろ事態は深刻さを増しています。

 そして、近い将来にやってくるであろうもう一つの敵、無関心とも戦わねばなりません。

 どうして福島が、4重苦、5重苦の責めを負わなければならないのでしょうか。

 私たちこれまでは、東京の企業や住民が電気を使うために場所を提供してきただけです。

 自分たちが使う電気を、ここで発電してきたわけではありません。

 国策という名のもとに、送電の権利すら東京に握られてきました。

 浪江町の赤宇木地区はいまでも毎時20マイクロシーベルト前後なのに対し、避難した常葉町は毎時0.2マイクロシーベルト前後です。

 単純に比較して100倍もの差があります。



 しかし、現実は異なります。

 現在、原発から21km地点と31km地点に住まいを持ち、市内二地域居住を実践中とのことです。

 21km地点はさすがに人影が少ないものの、31km地点では空き家はほとんどありません。

 阿武隈山系は地盤が強いため地震による被害はきわめて少なく、田んぼに水が張っていないことを除けば、昨年と同じ風景がここにあります。

 移住者同士の交流やネットワークは、震災前よりも強固なものになっています。



第1章 第二の故郷・都路との25年間(1986年~2011年3月10日)
第2章 まさかの避難指示(3月11日~3月20日)
第3章 「同心円」はおかしい!(3月21日~4月10日)
第4章 二地域居住で長期戦へ(4月11日~5月1日)
第5章 非日常が日常になる(5月2日~5月23日)
第6章 それでも福島で生きる(5月24日~6月18日)






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Last updated  2011.11.22 19:30:33
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