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cozycoach @ Re:徳川忠長 兄家光の苦悩、将軍家の悲劇(感想)(11/20) いつも興味深い書物のまとめ・ご意見など…
2013.03.19
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 ”昭和のまちの物語”(2006年7月 ぎょうせい刊 伊藤 滋著)は、評論家・詩人・小説家、伊藤整さんの長男である伊藤滋さんの追憶の山の手の物語です。

 昭和初頭には典型的な農山村であった山の手が、その後の国の発展とともに都市に変わりゆくさまを、子ども時代の思い出とともに図解を交えて描写しています。

 伊藤滋さんは、1931年東京生まれ、都市計画家、早稲田大学特命教授、慶應義塾大学大学院客員教授、東京大学名誉教授で、学位は工学博士です。

 伊藤滋都市計画事務所を主宰し、NPO法人日本都市計画家協会会長、アジア防災センター・センター長、内閣官房都市再生戦略チーム座長、国土審議会、都市計画中央審議会委員を歴任しました。

 伊藤整さんは、1905年に北海道松前郡炭焼沢村で、小学校教員の父の下に12兄弟の長男として生まれました。

 父は広島県三次市出身の下級軍人で、日清戦争の後、海軍の灯台看守兵に志願して北海道に渡りました。

 1906年、父の塩谷村役場転職に伴い小樽へ移住し、旧制小樽中学を経て小樽高等商業学校に学びました。

 卒業後、旧制小樽中学の英語教師に就任し、宿直室に泊まり込んで下宿代を浮かせたり、夜間学校の教師の副職をするなどして貯金を蓄え、2年後に教師を退職し上京しました。

 1927年に旧制東京商科大学本科入学し、内藤濯教授のゼミナールに所属し、フランス文学を学びました。



 その後大学を中退し、1932年に金星堂編集部入社しました。

 1935年から1944年まで日本大学芸術科講師、1944年から1945年新潮社文化企画部長、1944年旧制光星中学校英語科教師、1945年から1946年帝国産金株式会社落部工場勤務、1946年北海道帝国大学予科講師、1948年日本文芸家協会理事、1949年から1950年早稲田大学第一文学部講師、1949年東京工業大学専任講師を経て、1958年に東京工業大学教授に昇格しました。

 1953年に”婦人公論”に戯文エッセイを連載し、翌年”女性に関する十二章”として一冊に纏めたところベストセラーとなりました。

 評論”文学と人間”や小説”火の鳥”もベストセラーとなりました。

 チャタレイ裁判とともに、伊藤整さんの名を広く知らしめることになりました。

 1962年日本ペンクラブ副会長に就任し、1963年に菊池寛賞を受賞しました。

 1964年に東工大を退職し、1965年に日本近代文学館理事長に就任し、1967年に日本芸術院賞を受賞し、1968年に日本芸術院会員となりました。

 1969年に胃がんのため亡くなりましたが、1970年に日本文学大賞を受賞しました。

 伊藤滋さんは、成蹊学園をへて1955年に東京大学農学部林学科を卒業し、恩師加藤誠平の忠告にしたがい、工学部建築学科に編入学し、1957年に同学科を卒業し、大学院に進学、高山英華に師事し、高山研究室に席を置きながら土木工学科八十島研究室で交通計画を研究し、1962年に東京大学大学院工学系研究科博士課程を修了し、工学博士号を取得しました。

 1963年から都市研究所客員研究員としてボストンに渡り、都市解析や交通計画を研究し、帰国後、東京大学工学部都市工学科助教授として、都市防災と国土計画を担当しました。

 本書は、人生の8割を昭和の時代に暮らし、生まれてからの25年間がこの回想記にまとめられています。



 家には若い文学者連中が集まって、海外の文学作品の勉強会をしていたそうです。

 父は英語とフランス語が得意で、その才能を生かしながら誰も知らない海外文学の流れを出版社に売り込んでいたのかもしれません。

 記憶の中には、母親がいつも忙しそうに客のために酒と食事の支度をしていた姿がうかんでくるといいます。

 そして、太平洋戦争時代の戦時体制の思い出や、敗戦後の世の中や生活の様子が語られています。

 少年に成長する過程で、戦争中のわずか1年であったけれど、伊藤家は現代的な一戸建ての住宅に移り住めました。



 敗戦のときは中学校1年生で、本州の敗戦のきびしさから少し距離のおける北海道で生活の再建を考えていました。

 その後、東京に帰ってきて、自宅の周りの林を開墾して半農半学の生活がはじまりました。

 広い土地があったので、戦後の食料危機をきりぬけることができたそうです。

 父親の生活の向上に合わせて、住む場所も徐々に変わった様子を時系列で整理して思い出を語っています。

第1章 最初の情景-中野区西町・千代田町(昭和6-11年)
第2章 子供と界隈-杉並区和田本町(昭和11-16年)1
第3章 少年と町並み-杉並区和田本町(昭和11-16年)2
第4章 戦争と学校-和田本町・千歳烏山・北海道(昭和16-20年)
第5章 山林と都市-北海道・豊田・久我山(昭和20-28年)
第6章 父親の場所-久我山(昭和28-)






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Last updated  2013.03.19 19:29:54
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