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cozycoach @ Re:徳川忠長 兄家光の苦悩、将軍家の悲劇(感想)(11/20) いつも興味深い書物のまとめ・ご意見など…
2015.06.29
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カテゴリ: カテゴリ未分類
 池田晶子さんは、14歳からの哲学などのベストセラーで知られる孤高の文筆家、思索者、哲学者です。

 ”池田晶子 不滅の哲学”(2013年11月 トランスビュー社刊 若松 英輔著)を読ました。

 1960年に東京都で生まれ、2007年に46歳で没しました。

 港区立御田小学校、港区立港中学校、慶應義塾女子高等学校を経て、慶應義塾大学文学部哲学科を卒業しました。

 高校時代は登山に熱中し、大学時代に哲学者木田元に師事しました。

 容姿に優れ、アルバイトとして雑誌”JJ”の読者モデルを務め、経済的にも自立し、進路を巡って両親との葛藤もあり、在学中に一人暮らしを始めるようになったそうです。

 卒業後は就職せずモデル事務所に籍をおき、雑誌の校正の仕事をしたのがきっかけとなり、文筆活動に専念するようになりました。

 専門知識や用語に頼ることなく、日常の言葉によって哲学するとはどういうことかを語ることで、多くの読者を集めました。

 現代の思潮や流行している解釈に迎合せず、自分の考え、自分の言葉だけで存在と宇宙について思考をめぐらし、その執筆活動は哲学エッセイというジャンルの草分け的存在にもなっています。



 若松英輔さんは、1968年新潟県糸魚川市生まれの批評家で、慶應義塾大学文学部仏文学科卒業、2007年に第14回三田文学新人賞評論部門を受賞し、2013年10月より三田文学編集長を務めています。

 死の床にある人、絶望の底にある人を救うことができるのは、医療ではなくて言葉です。

 宗教でもなくて、言葉です。

 共に居て、共に感じ、語り合います。

 語ることがなければ、語ることもなく、そんなふうにして通じ合ってゆくことが、言ってみれば救いというそのことなのでしょう。

 コトバは言語でもあり得ますが、ときに色であり、音であり、また芳香あるいは、かたちでもあります。

 温かみや寄り添う感触、不可視な存在感として感じられることもあるでしょう。

 苦しいとき、悲しいとき、希望を見失ったとき、コトバは、魂にふれる触手のようなものとして経験されます。

 このとき私たちは単に、ある人の言ったことを思い出しているのではないでしょう。

 コトバは、魂にふれます。

 また、ときに、私たち自身よりも私たちの魂に近づくこともできます。



 自らをコトバが通り過ぎる場と化す営みでした。

 自分が語るのではありません。

 語るのはコトバであり、自分に託されているのはそれを聞き、書き記すことだけだと信じ、それを実践するために生きました。

 コトバは、その姿を自在に変えて人間に寄り添います。

 読むとは、言語に潜む無形の意味を呼び出すことです。



 読むとは、コトバに照らされ、未知の自己と出会うことでもあります。

 旧姓によって文筆活動を行い、エッセイ等においても既婚である事実や配偶者に触れることは全くありませんでした。

 没後、夫を理事長として、NPO法人”わたくし、つまりnobody”が設立され、わたくし、つまりnobody賞が創設されました。

第1章 孤独な思索者
第2章 月を指す指
第3章 哲学が生まれるとき
第4章 絶句の息遣い
第5章 言葉と宇宙
第6章 常識と信仰
第7章 思い出すということ
第8章 内語の秘密
第9章 「私」とは考える精神である
第10章 夢の向こう
第11章 言葉はそれ自体が価値である






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Last updated  2015.06.29 09:31:16
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