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ブラジル移民は、ブラジルに移民すること、または、ブラジルに移民した人々を指します。
1500年にポルトガル人によってブラジルが発見された当時、ブラジルの人口はおよそ240万人程であったと推定されています。
その後ブラジルはポルトガルによって植民地化され、その後1822年に独立を勝ち取るまで、およそ6万人のポルトガル人がブラジルに移民したと考えられています。
”移民と日本人-ブラジル移民110年の歴史から-”(2019年6月 無明舎出版刊 深沢 正雪著)を読みました。
25万人もの日系移民が地球の反対側のブラジルに渡ってから110年経ちましたので、その歴史と現在を紹介しています。
独立以降港が開放されるとポルトガル以外の移民も急増しました。
日系、アラブ系、イタリア系、レバノン系、パレスチナ系、アフリカ系、ギリシャ系などのブラジル人です。
ブラジルは世界最大の日系人居住地であり、1908年以降の約100年間で13万人の日本人がブラジルに移住しました。
深沢正雪さんは1965年静岡県沼津市生まれ、1992年からサンパウロ市にある日本語新聞「パウリスタ新聞」で研修し、1995年にいったん帰国しました。
1999年に群馬県大泉町でブラジル人コミュニティの内情を書いた”パラレルワールド”で、潮ノンフィクション賞を受賞しました。
2001年にサンパウロ市の日本語新聞「ニッケイ新聞」に入社し、2004年から編集長を務めています。
地球上で最も日本から遠い場所であるはずのブラジルには、世界最多190万人もの日系人が住んでいます。
ブラジルの日系人がそれだけ多くても、注目される機会はごく少ないです。
日本では、いったん国を出た人は、日本人の視野から飛び出した存在になってしまい、祖国の土を踏むまで思い出されることはないのだ、といいます。
昨今、何ごとも地球規模で考えることが常識になっています。
ですが、日本における人の移動の認識は、なぜか変わらず、日本列島内にとどまっているのです。
日本史上稀に見る民族大移動のはずですが、移民船に乗った途端、歴史の本からは煙のように消えてしまいます。
日本人がどこから来たかは盛んに論じられますが、不思議なことに、どこへ行ったかは論じられません。
ブラジルでは永住資格で住む者も、日本人と認識されています。
日本に住んでいる外国人が、普通にベトナム人、中国人と言われるのと同じです。
ですが、日本の人は、外に出たら日系人と区別したがります。
これは、島国意識が根底にあるのではないか、と思われます。
日本を出た日本人が、移住先の国にどんな影響を与えたか、どんな歴史をたどったかは、広義での日本史、日本史の延長、もしくは世界史と日本史の接触点だと思います。
少なくとも、なぜ彼らが日本を出たのか、どのような傾向の人たちが日本を出ようとしたのかまでは、完全に日本史の範囲内ではないでしょうか。
この部分の話を、この本には集めてあります。
1803年に、陸奥国出身の津太夫や善六ら5名が初めてブラジルに上陸しました。
1892年に、ブラジル政府が日本人移民の受け入れを表明しました。
1895年に、日伯修好通商航海条約が締結されました。
1908年に正式移民が開始され、1915年に初の日本人学校である大正小学校が開設されました。
1941年に日本人移民受け入れが停止され、1942年に日伯国交断絶となりました。
1945年に、第二次世界大戦においてブラジルが日本に宣戦布告しました。
1951年に日伯の国交が回復し、1953年に日本人移民の受け入れが再開されました。
1973年に移民船による移民が廃止され、1989年に日本の出入国管理法が改正され、日系ブラジル人就労者の受け入れが開始されました。
2008年に日本人移民100周年を迎え、2018年に110周年となりました。
世界最大の日系社会が、なぜどのようにブラジルに築かれ、ブラジルに世界にどういう影響を与えたかは、日本が世界に影響力を広げる方法を知ることになるかもしれません。
このようなミッシングリンクは、時をさかのぼって丁寧に調べていかないと、埋めることはできないでしょう。
日本人のメンタリティには、今でもどこか島国意識が残っています。
飛行機の時代になっても、世界と地続きという意識が希薄な人が多いのではないでしょうか。
ですから、移民船で日本を離れた後は、その人の動向は関心の外になります。
でも、地球は狭くなり、現在は出た人もすぐに戻ることがあります。
出た人からの祖国への働きかけ、遠隔地ナショナリズムが世界に影響をあたえている部分もあります。
それに、たとえその移住先のブラジル籍に帰化したところで、心の中までブラジル人になる訳ではありません。
なろうとしても、そう簡単になれる訳ではありません。
だいたい日本語で国内と書くと、日本国内という意味にとられがちで、海外邦字紙としてはとても困ります。
日本語を使っている国は、基本的に日本しかないから仕方ありません。
ですが、海外において数人単位(二世、三世も含めて)で日本語が日常的に使われている場所が幾つかあります。
その貴重な一つがブラジル日系社会であり、日本語圏と言っていい場所です。
日本の日本語とのズレという意味で一番困った言葉は、なんといっても海外につきます。
この言葉が持つ、どうしようもない島国感覚には、いつも頭を悩ませています。
海の向こう=外国という感覚が、日本語の中には染みついている感じがします。
これは、日本以外で生活言語として使われていないことが、主たる原因ではないかと思います。
その反対に、ブラジルに来た当初、現地の新聞で日本に関する記事を読んでいて、よく諸島という表現に出くわして、ハッとさせられました。
島と言えば、伊豆大島とか八丈島のことであり、本州は島ではないと漠然と思っていたのです。
ブラジルの大陸感覚から言えば、日本はたしかに諸島です。
日本人も島国根性という言葉を自嘲的に使います。
ですが、リアルに島に住んでいると日常的に自覚している日本国民はかなり少ないでしょう。
このような感覚が、日本の日本語にはしみ込んでいます。
ブラジルで使われている日本語はコロニア(ブラジル日系社会)語と言われますが、コロニア語には日本を外から見てきた視点があります。
日本の日本語にまとわりついている、島国感覚を浮き彫りにする作用があります。
この大陸の日本語感覚が、いつか日本にフィードバックされれば、グローバルに使える日本語に磨き上げる試金石になるのではないでしょうか。
明治という社会が生み出した海外移住政策は、当時の日本の社会状況を理解しないと移民の本当の気持ちは分かりません。
同様にブラジルという社会が分からないと、移住先で移民がどんな思いをしたのかも分かりません。
国から外にでた日本人の歴史、移民史には、日本国内の歴史のB面が刻まれています。
彼らの想いを書き留めることは、決して余聞ではありません。
序章/1 420年前に南米に来た日本人の歴史/2 明治という時代に不満があったものたち/3 マージナルマン/4 カトリック系キリスト教徒の流れ/5 プロテスタントと自由民権運動のつながり/6 明治政府と距離を置いた宮家/7 なぜ日系人の中で沖縄県系人が一番多いのか?/8 ブラジル移民の歴史から学べること