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cozycoach @ Re:徳川忠長 兄家光の苦悩、将軍家の悲劇(感想)(11/20) いつも興味深い書物のまとめ・ご意見など…
2021.03.27
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カテゴリ: カテゴリ未分類

 その一人であるベートーヴェンはウィーン古典派様式の完成者で,ハイドン,モーツァルトと並びウィーン古典派三巨匠と呼ばれます。

 ”ベートーヴェン 音楽の革命はいかに成し遂げられたか”(2020年11月 文藝春秋社刊 中野 雄著)を読みました。

 数々の名曲を生み出し音楽界へ革命をもたらし楽聖と称えられ、2020年に生誕250年を迎えた大作曲家のベートーヴェンの、波乱の生涯と創作の軌跡を俯瞰しています。

 西洋音楽の代表的巨匠の一人であり、どのジャンルにおいても史上最高の傑作を生み出してきました。

 手掛けたほぽはすべてのジャンル、交響曲、ピアノ協奏曲、弦楽四重奏曲、ピアノ三重奏曲、ピアノ・ソナタ、ヴァイオリン・ソナタ、チェロ・ソナタなどで、そのすべて傑作揃いです。

 交響曲は全九曲、ピアノ協奏曲は全五曲、弦楽四重奏曲は全一六曲、ピアノ三重奏曲は全七曲、ピアノ・ソナタは全三二曲、ヴァイオリン・ソナタは全一〇曲、チェロ・ソナタは全五曲あります。

 後世の演奏家はこれらを「全集」として生涯レパートリーにし、ステージで挑戦し愛奏します。

 レコード会社はクラシック音楽部門のドル箱として、LP、CD、DVD、LDなど、競って「全集」をリリースします。

 このような作曲家は、音楽史上ベートーヴェンただ一人です。

 しかも、どのジャンルにおいても作品には史上最高の傑作が含まれています。

 中野 雄さんは1931年長野県松本市生まれ、東京大学法学部を卒業し、日本開発銀行、現・日本政策投資銀行に入行しました。

 その後、オーディオ・メーカーのトリオ、現・ケンウッド役員に就任し、代表取締役、ケンウッドU.S.A.会長を務めました。

 昭和音楽大学・津田塾大学の講師、映像企業アマナなどの役員も歴任しました。

 音楽プロデューサーとして活躍し、LP、CDの制作でウィーン・モーツァルト協会賞、芸術祭優秀賞、文化庁芸術作品賞などを受賞しました。

 ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェンは1770年に神聖ローマ帝国ケルン大司教領、現・ドイツ領のボンで、父・ヨハンと、宮廷料理人の娘である母・マリア・マグダレーナの長男として生まれました。

 七人兄弟でしたが四人が早世し、一年前に生まれたマリアは生後六日で死に、実質的に長男の立場で育ったといいます。

 なお、出生に関する興味深い逸話もいくつか紹介されています。

 自分の生まれた年月を1770年12月でなく1772年12月だと、頑固に信じていたらしいのです。

 なぜ自分の年齢を2歳下とこだわったのか、真相は分からないということです。

 また、フリードリッヒ二世のご落胤であるという説があったそうです。

 フリードリヒ二世は第3代のプロイセン王、いわゆるフリードリヒ大王のことで、優れた軍事的才能と合理的な国家経営でプロイセンの強大化に努めた君主を指します。

 音楽家として祖父の偉業を受け継いだのは、ベートーヴェンひとりでした。

 ベートーヴェン家の祖先はフランドル地方、現在のベルギーの出身でした。

 音楽家の家系で、祖父のルートヴィヒは5歳のときメヘレンのサン・ロンボー教会付属の聖歌学校に入学し、声楽のほかオルガンなど鍵盤楽器の奏法を修得しました。

 13歳で卒業し、あちこちの教会で礼拝時にオルガンを弾くようになり、19歳でルーヴァンのサンーピエール教会の合唱指揮者に任命されました。

 21歳でケルンの大司教に技量を認められて同地に移り、やがてボンの宮廷楽団の聖歌隊員兼バス独唱者として勤務するようになり、後に、宮廷楽長に任命されました。

 ベートーヴェンが3歳のとき亡くなったため、ベートーヴェンは祖父から家庭内で直接音楽教育を受ける機会には恵まれませんでした。

 一家はボンのケルン選帝侯宮廷の歌手、のちに楽長で、幼少のベートーヴェンも慕っていた祖父の援助により生計を立てていました。

 父のヨハンも宮廷歌手のテノールでしたが、元来無類の酒好きで収入は途絶えがちで、1773年に祖父が亡くなると生活は困窮したといいます。

 1774年ごろよりベートーヴェンは父からその才能をあてにされ、虐待とも言えるほどの苛烈を極める音楽のスパルタ教育を受けました。

 当時ボンでも名を知られていた、ウォルフガンク・アマデウス・モーツァルトを目標に、自宅で徹底的な英才教育をはじめました。

 モーツァルトの父のレオポルトは高い識見の持ち主で、わが子に対する教育は徹底して実に適確でした。

 これに対し、ヨハンがわが子に対してとった行動は罵声と殴打であったといいます。

 幼いときからベートーヴェンに、クラヴィーアを習得させるために暴力を振るったそうです。

 小さな子供なですので、楽器の前に台を置いてベートーヴェンを立たせ、ことあるごとに殴り、ときには地下室に閉じ込めたりしました。

 酒場で痛飲した後に自宅に帰り、眠っているわが子を揺り起こしてクラヴィーアに向かわせるなどという乱暴な行為も日常茶飯事であったらしいです。

 しかし、幼児期のベートヴェンは、モーツァルト級の神童ではありませんでした。

 記録によれば、1778年にケルンでの演奏会に出演しているものの、その後、公開演奏会の記録は途絶えています。

 1782年11歳のときより、クリスティアン・ゴットロープ・ネーフェに師事しました。

 1787年、16歳のベートーヴェンはウィーンに旅し、かねてから憧れを抱いていたモーツァルトを訪問しました。

 しかし、最愛の母・マリアの危篤の報を受けてボンに戻りました。

 母はまもなく死没し、その後はアルコール依存症となり失職した父に代わっていくつもの仕事を掛け持ちして家計を支え、父や幼い兄弟たちの世話に追われる苦悩の日々を過ごしました。

 1792年7月、ロンドンからウィーンに戻る途中でボンに立ち寄ったハイドンに、才能を認められて弟子入りを許され、11月にウィーンに移住し、まもなくピアノの即興演奏の名手として広く名声を博しました。

 20代後半頃より持病の難聴が徐々に悪化し、28歳の頃には最高度難聴者となりました。

 音楽家として聴覚を失うという死にも等しい絶望感から、1802年には遺書をしたためて自殺も考えました。

 しかし、芸術への強い情熱をもってこの苦悩を乗り越え、ふたたび生きる意欲を得て新たな芸術の道へと進んでいきました。

 1804年に交響曲第3番を発表したのを皮切りに、その後10年間にわたって中期を代表する作品が書かれました。

 その後、ピアニスト兼作曲家から、完全に作曲専業へと移りました。

 40歳頃には全聾となり、さらに神経性とされる持病の腹痛や下痢にも苦しめられました。

 生涯独身でしたが、「不滅の恋人への手紙」にみられる熱烈な恋愛も経験しています。

 1810年に「エリーゼのために」を献呈したテレーゼ・マルファッティには、強い結婚願望があったといいます。

 しかし、付き合った女性はすべて貴族出身であったため、当時の身分制社会では結婚は許されませんでした。

 加えて、たびたび非行に走ったり自殺未遂を起こしたりするなどした甥・カールの後見人として苦悩するなど、一時作曲が停滞しました。

 しかし、そうした苦悩の中で書き上げた交響曲第9番やミサ・ソレムニスといった大作、ピアノ・ソナタや弦楽四重奏曲等の作品群は、辿り着いた境地の未曾有の高さを示すものでした。

 1826年12月に肺炎を患ったことに加え、黄疸も併発するなど病状が急激に悪化し、以後は病臥に伏すことになりました。

 翌年3月23日には死期を悟って遺書を認めました。

 病床の中で10番目の交響曲に着手しましたが、未完成のまま同年3月26日、肝硬変のため波乱に満ちた56年の生涯を閉じました。

 その葬儀には2万人もの人々が参列するという異例のものとなり、翌年亡くなったシューベルトも参列しました。

 クラシック音楽の世界には、常人では達成不可能と断言せざるをえない偉業を成し遂げた巨匠が何人かいます。

 バッハ、ハイドン、モーツァルト、シューベルト、ロッシーニ、ワーグナー、ヴェルディなどです。

 ではそのベートーヴェンとはいかなる人物であるのか、その作品と人生を語り尽くすことは至難の業であり、不可能と言えるかもしれません。

 しかし本書が2020年の生誕250周年という節目の年に刊行され、この不世出の人物の人生と作品の一端をご理解いただけるとしたら、これ以上の喜びはないといいます。

 貴族の家庭や社交の場であったサロンの娯楽物で、そのほとんどが一度限りの使い捨ての憂き目を見ていた音楽を、不滅の「芸術作品」に仕上げたという行為は、ベートーヴェンが人類に贈った最大の遺産です。

第1章 ベートーヴェンの家族、そしてその幼時/第2章 一八世紀の文化都市ボン/第3章 ウィーン時代の始まり/第4章 ベートーヴェンの初期/第5章 傑作の森ーベートーヴェンの中期/第6章 ベートーヴェン後期の傑作群





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Last updated  2021.03.27 08:10:07
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